OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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緑色の背表紙は、小さな図書室に目いっぱい詰め込まれた書物の中でもひときわ地味だった。
そもそも古いから。仕方ないわね、と指先を引っかけて取り出す。
ずっしりと持ち重りのするその本は、表紙にとある島の地図が描かれていたはずなのに、何度も何度もそこを触ったせいで掠れて見えなくなっていた。
立ったまま、適当にページを繰った。
赤い線がのたくった箇所がいくつかあり、あーあ、と思う。
せっかく貴重な本なのに、書き込んじゃって。
図書室は眺めがよく、大きな窓から外が見える。
白に近い青の空。真昼の、まじりけのない色をここから見るのをわりと気に入っている。
誰もいないと分かりきっているのに、つい辺りを見渡した。
図書室の扉は閉まっていて、誰かが来る気配もない。
そっと本の紙に鼻を近づけ、匂いをかいだ。
乾いたインクと紙のにおいに、うっすらとあの家のにおいがまだ混じっている。
どきどきした。
いつも、こうやってこっそりこの本に顔を近づけるたびに、言いようもなく胸が高鳴る。
潮騒のざわめきとか、海鳥の声とか、柑橘のかおりとか、そういうものをそっくりまるごとこの船に乗せているのだと思うことができた。
深く息を吸って本から顔を上げたとき、扉が音もなく開くのが目に入ってどきりとした。
ぱっと素早く振り返って、真正面から目が合う。
サンジ君は咥えていた煙草をぴこぴこ動かしながら「ナミさん」と驚いた顔で言った。
「びっくりした。サンジ君か」
「いねェなあと思ったら、ラッキーだ。調べ物?」
「ううん、ちょっと」
サンジ君は、ふっと力を抜くように微笑んで、「お茶淹れて来りゃよかったかな」と言った。
「サンジ君は? 珍しいじゃない、本なんて」
「ん、ルフィのヤツが見たことねェの釣り上げてよ。ちと図鑑を」
図鑑類は重たいので、書棚の一番下の段にずらりとならんでいる。
サンジ君はそこから目当ての一冊を抜き取ると、重たく大きなそれを抱えてソファにどかりと座った。
私は所在なく手にした本をそのままに、書棚を眺める。
と、サンジ君が自分の隣をぽんとひとつ叩いて私を呼んだ。
振り返ると、いつのまにか消された煙草から未だくすぶる紫煙をゆるーくたなびかせたまま、サンジ君は「よけりゃ、ここどうぞ」と微笑んだ。
「座ってもいいけどってこと?」
「失礼。ここに座ってはいただけねェかな」
丁寧なのに不遜な口調で、サンジ君はおいでと私を手招いた。
その手の動きにひらりと仰がれるように引き寄せられて、彼の隣に腰を下ろした。
「ナミさん、いいにおいがする」
「さっきお風呂入ったから」
「真昼間に?」
「真昼間だからよ」
凪いだ明るい海を見ながら湯船につかるのは至福だ。そう言うと、サンジ君は「じゃ、今度ご一緒させて」と笑った。
よいしょ、とサンジ君は図鑑を開く。
海域と水深を目安に、色とりどりの写真からそれらしきものを探していく。
私はルフィが釣り上げたというそれを見ていないから、サンジ君が繰っていくページを目で追うだけだ。
一枚、一枚、サンジ君はゆっくりとした手つきで厚い紙をめくっていく。
あ、あの魚、前にウソップが釣っておいしかったやつだ、と考えていたら突然サンジ君が「あー!」と叫んでバフンと図鑑を閉じた。
その勢いで起こった風が私の前髪を吹き上げる。
「わっ、なによ」
「だめ、もうだめ。ちょっといい?」
いつのまにか腰に回っていた手がぐいと私を引き寄せる。腰骨がぶつかり、どきりとした。
もう片方の彼の手が私のわきの間に滑り込み、抱え込む。
寄せられた顔にあらがう間もなく唇が重なる。新鮮な煙の味がした。
数日ぶりのキスはなんだかよく馴染んだ。
きっと、私がお風呂上りでしっとりと湿っているせいだ。
腰に回った手が背中を這い上がる。ブラの紐に細長い指が絡まる。
ぬるりと舌が滑り込んだとき、たまらず持っていた本でサンジ君の胸をぐっと押し返した。
名残惜しげに離れた唇が、悪あがきのように音を立てた。
「いいなんていってないでしょ」
「えぇー、そのわりにはナミさん乗り気だったくせに」
「うるさい。あとサンジ君けむりくさい」
「それはごめんなさい」
てへ、とかわいこぶった笑い方をして、サンジ君はするりと私の腰から手を離した。
「てか、本なんて持ってたっけ」
「最初から持ってたわよ」
「ナミさんの?」
「そう。家から持って来たの」
見せて、とサンジくんが言うので、まるごと手渡す。
表紙を一枚捲ってから、一枚ずつ紙をつまみあげるようにやさしくページを捲る。
「……難しい内容?」
「航海術の学術書だから。あんたは興味ないでしょ」
「興味以前の問題というか……にしても随分古いほんだな。紙も日焼けしてら」
「8歳のときから持ってるから」
「8歳!? んなときからこんな難しいの読んでたのナミさん」
「好きだったし」
へえぇ、と感嘆の声をあげてサンジ君は本を閉じた。
布を張った表紙を指で撫でて、「掠れてる」と小さく言った。
「──その本ね」
「うん?」
「万引きしたの。村の本屋から」
「えぇ? ……ま、ナミさんらしいっつーか」
「どうしても欲しくて、でも新刊なんて買えなくて。店出た瞬間ゲンさんに見つかって捕まえられて、そのままベルメールさんのところに連行」
猫のように首っ玉を捕まえられた私を想像したのか、サンジ君は小さく吹き出した。
「結局、本はベルメールさんが買い取ってくれたけど、死ぬほど怒られたわねー」
サンジ君は何も言わず、私を見つめてゆっくり目を細めて笑った。
この本のことを今日、彼に言えてよかった。
あの日あの村で私の何かがたくさんそこなわれたけど、こうして今でも手元に残っているものがある。
「ナミさんが世界中の地図を描いたら、多分すげぇたくさん本が出るから、もっと広い図書室がいるな」
「船、改築してもらう?」
「ん、それもいいけど。いっそどっかの島に図書館でも建てちまうか」
ゾロの名刀百選も、ウソップの冒険譚シリーズも、サンジ君のレシピ本もチョッパーの医学書もロビンの歴史を紐解くミステリーも、ブルックの古臭い恋愛小説も。
その頃にはルフィも本の一つや二つ読むようになるかもしれないし、まとめてフランキーの造った図書館にずらりと並べる。
ずっとみんな一緒なんて子供みたいに信じちゃいないけど、私たちの手垢がついた本だけがぎゅっと押し固まってひとところにあることを想像すると、思った以上に心が安らいだ。
サーンジー! とルフィのがなり声が下から響いた。
「ほら、呼んでる」
「あぁ、せっかくナミさんとのしあわせな未来を思い描いてたのに……クソが」
「はい行った行った」
あしらうように手を振ると、サンジ君はまだぶつぶつ言いながらも立ち上がった。
重たい図鑑は持ち出すことにしたらしい、手に持ったままだ。
サンジ君は反対の手で、「ありがとう」と私の本を返した。
受け取ると、本に彼の体温がほんのり移っている。
その温度が、いわゆる未来とやらを感じさせた。
そもそも古いから。仕方ないわね、と指先を引っかけて取り出す。
ずっしりと持ち重りのするその本は、表紙にとある島の地図が描かれていたはずなのに、何度も何度もそこを触ったせいで掠れて見えなくなっていた。
立ったまま、適当にページを繰った。
赤い線がのたくった箇所がいくつかあり、あーあ、と思う。
せっかく貴重な本なのに、書き込んじゃって。
図書室は眺めがよく、大きな窓から外が見える。
白に近い青の空。真昼の、まじりけのない色をここから見るのをわりと気に入っている。
誰もいないと分かりきっているのに、つい辺りを見渡した。
図書室の扉は閉まっていて、誰かが来る気配もない。
そっと本の紙に鼻を近づけ、匂いをかいだ。
乾いたインクと紙のにおいに、うっすらとあの家のにおいがまだ混じっている。
どきどきした。
いつも、こうやってこっそりこの本に顔を近づけるたびに、言いようもなく胸が高鳴る。
潮騒のざわめきとか、海鳥の声とか、柑橘のかおりとか、そういうものをそっくりまるごとこの船に乗せているのだと思うことができた。
深く息を吸って本から顔を上げたとき、扉が音もなく開くのが目に入ってどきりとした。
ぱっと素早く振り返って、真正面から目が合う。
サンジ君は咥えていた煙草をぴこぴこ動かしながら「ナミさん」と驚いた顔で言った。
「びっくりした。サンジ君か」
「いねェなあと思ったら、ラッキーだ。調べ物?」
「ううん、ちょっと」
サンジ君は、ふっと力を抜くように微笑んで、「お茶淹れて来りゃよかったかな」と言った。
「サンジ君は? 珍しいじゃない、本なんて」
「ん、ルフィのヤツが見たことねェの釣り上げてよ。ちと図鑑を」
図鑑類は重たいので、書棚の一番下の段にずらりとならんでいる。
サンジ君はそこから目当ての一冊を抜き取ると、重たく大きなそれを抱えてソファにどかりと座った。
私は所在なく手にした本をそのままに、書棚を眺める。
と、サンジ君が自分の隣をぽんとひとつ叩いて私を呼んだ。
振り返ると、いつのまにか消された煙草から未だくすぶる紫煙をゆるーくたなびかせたまま、サンジ君は「よけりゃ、ここどうぞ」と微笑んだ。
「座ってもいいけどってこと?」
「失礼。ここに座ってはいただけねェかな」
丁寧なのに不遜な口調で、サンジ君はおいでと私を手招いた。
その手の動きにひらりと仰がれるように引き寄せられて、彼の隣に腰を下ろした。
「ナミさん、いいにおいがする」
「さっきお風呂入ったから」
「真昼間に?」
「真昼間だからよ」
凪いだ明るい海を見ながら湯船につかるのは至福だ。そう言うと、サンジ君は「じゃ、今度ご一緒させて」と笑った。
よいしょ、とサンジ君は図鑑を開く。
海域と水深を目安に、色とりどりの写真からそれらしきものを探していく。
私はルフィが釣り上げたというそれを見ていないから、サンジ君が繰っていくページを目で追うだけだ。
一枚、一枚、サンジ君はゆっくりとした手つきで厚い紙をめくっていく。
あ、あの魚、前にウソップが釣っておいしかったやつだ、と考えていたら突然サンジ君が「あー!」と叫んでバフンと図鑑を閉じた。
その勢いで起こった風が私の前髪を吹き上げる。
「わっ、なによ」
「だめ、もうだめ。ちょっといい?」
いつのまにか腰に回っていた手がぐいと私を引き寄せる。腰骨がぶつかり、どきりとした。
もう片方の彼の手が私のわきの間に滑り込み、抱え込む。
寄せられた顔にあらがう間もなく唇が重なる。新鮮な煙の味がした。
数日ぶりのキスはなんだかよく馴染んだ。
きっと、私がお風呂上りでしっとりと湿っているせいだ。
腰に回った手が背中を這い上がる。ブラの紐に細長い指が絡まる。
ぬるりと舌が滑り込んだとき、たまらず持っていた本でサンジ君の胸をぐっと押し返した。
名残惜しげに離れた唇が、悪あがきのように音を立てた。
「いいなんていってないでしょ」
「えぇー、そのわりにはナミさん乗り気だったくせに」
「うるさい。あとサンジ君けむりくさい」
「それはごめんなさい」
てへ、とかわいこぶった笑い方をして、サンジ君はするりと私の腰から手を離した。
「てか、本なんて持ってたっけ」
「最初から持ってたわよ」
「ナミさんの?」
「そう。家から持って来たの」
見せて、とサンジくんが言うので、まるごと手渡す。
表紙を一枚捲ってから、一枚ずつ紙をつまみあげるようにやさしくページを捲る。
「……難しい内容?」
「航海術の学術書だから。あんたは興味ないでしょ」
「興味以前の問題というか……にしても随分古いほんだな。紙も日焼けしてら」
「8歳のときから持ってるから」
「8歳!? んなときからこんな難しいの読んでたのナミさん」
「好きだったし」
へえぇ、と感嘆の声をあげてサンジ君は本を閉じた。
布を張った表紙を指で撫でて、「掠れてる」と小さく言った。
「──その本ね」
「うん?」
「万引きしたの。村の本屋から」
「えぇ? ……ま、ナミさんらしいっつーか」
「どうしても欲しくて、でも新刊なんて買えなくて。店出た瞬間ゲンさんに見つかって捕まえられて、そのままベルメールさんのところに連行」
猫のように首っ玉を捕まえられた私を想像したのか、サンジ君は小さく吹き出した。
「結局、本はベルメールさんが買い取ってくれたけど、死ぬほど怒られたわねー」
サンジ君は何も言わず、私を見つめてゆっくり目を細めて笑った。
この本のことを今日、彼に言えてよかった。
あの日あの村で私の何かがたくさんそこなわれたけど、こうして今でも手元に残っているものがある。
「ナミさんが世界中の地図を描いたら、多分すげぇたくさん本が出るから、もっと広い図書室がいるな」
「船、改築してもらう?」
「ん、それもいいけど。いっそどっかの島に図書館でも建てちまうか」
ゾロの名刀百選も、ウソップの冒険譚シリーズも、サンジ君のレシピ本もチョッパーの医学書もロビンの歴史を紐解くミステリーも、ブルックの古臭い恋愛小説も。
その頃にはルフィも本の一つや二つ読むようになるかもしれないし、まとめてフランキーの造った図書館にずらりと並べる。
ずっとみんな一緒なんて子供みたいに信じちゃいないけど、私たちの手垢がついた本だけがぎゅっと押し固まってひとところにあることを想像すると、思った以上に心が安らいだ。
サーンジー! とルフィのがなり声が下から響いた。
「ほら、呼んでる」
「あぁ、せっかくナミさんとのしあわせな未来を思い描いてたのに……クソが」
「はい行った行った」
あしらうように手を振ると、サンジ君はまだぶつぶつ言いながらも立ち上がった。
重たい図鑑は持ち出すことにしたらしい、手に持ったままだ。
サンジ君は反対の手で、「ありがとう」と私の本を返した。
受け取ると、本に彼の体温がほんのり移っている。
その温度が、いわゆる未来とやらを感じさせた。
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目が覚めるとまず隣に手を伸ばす。
カーテンの隙間から漏れ出る朝日はいつも彼女の肩のあたりに光の筋をつくっていて、それを頼りに手を伸ばす。
どこか遠くで早起きの犬が鳴いて、家の前をランニングするじいさんの足音も聞こえて、紛れもない朝がやってきていたけど、ナミさんはそんなこと気にも留めずにすこすこと寝ている。そんな彼女の髪をふわふわと少し撫で、顔の向きによっては起こさないようそっとどっかにキスして、ようやくベッドから起き上がる。日課だ。
でも、今日は隣に手を伸ばした時からなにかがちがった。
「あれ」
思わず声が出る。隣の布団はぺたんとしぼんでいて、シーツは冷たくなっていた。
ナミさんがいない。
「あれえ」
寝ぼけている自覚があったので、夢かもしれないと思い、無作為に隣をまさぐる。信じられない寝相で彼女がうずくまっている可能性も無きにしも非ずだ。
しかし、手と足を使ってもぞもぞやっても、どこにも彼女はいなかった。
ここでようやくおれは目を開ける。開いたことで、今まで閉じていたのだと自覚した。
やっぱりいない。
なんで、なんで、と急に悲しくなった。
昨日は一緒に寝たのに、夜中目が覚めてちゃんと彼女が腕の中にいることまで確認したのに。
のろのろと頭をもたげ、起き上がる。
ベッドの横の小さなローテーブルに置いた目覚まし時計。午前7時半。
たしかナミさんは、今日は仕事も休みで、用事もなんにもないし、朝急がなくていいから泊まってってもいいかも、とそう言った。
帰っちゃったのかね。
朝は彼女のために特別うんまいコーヒーを入れて(パティの店からぶんどってきた50グラム1万2千円くらいのやつ)、さくっと朝食を作って朝からたのしませようとばかり思っていたのに。
「あーあー」
がっくり。ため息の反動で伸びをしたとき、隣の部屋からジャーと水音が聞こえた。
隣はリビングキッチン。
え、おれの音の部屋だよな。ナミさんいるの?
ミーアキャットのように首を伸ばし、音を感知すると、同時に香ばしくてほんのり甘い小麦の香りがふわんと音楽のように流れ込んできた。
──パンケーキ?
少し焦げの強い香りも感じて、やっぱりそうだ、パンケーキを焼くにおいだと確信する。
ナミさんだ。ナミさんがおれのキッチンで、パンケーキを焼いている。
お、おれのためにィ!? とぶっ飛んで天井に突き刺さる勢いで気分が浮上し、慌ててスリッパにつま先を突っ込み部屋を飛び出そうとした。
いやでも、待てよ。
ナミさんが黙っておれより先に起きて、ひとりで(おそらく)朝めしの用意をしている。きっと、たぶん、絶対、おれを驚かそうとしているのだ。
嬉しい、とじんわり胸の中に温かい水がしみこむ。
でも、だからこそ、彼女の気持ちを無碍にするわけにはいかない。おれはしっかり朝寝坊したように起きてきて、出来上がった彼女のパンケーキの前でわっと驚き感動しなければならない。
もう十分驚いたし、感動もしたけど。それこそひゅるんと顔が緩むくらい、喜んでいるが。
どうしよう、どうする、こっそりキッチンの前まで言って、様子を見るか。でも様子を見てんのがばれたら、ナミさんは怒るだろうしなあ。
思い立って、キッチン側の壁に近づいた。壁にくっつけてあるデスクの上のものを肘から下を使ってざっと退かし、浅く腰掛けて壁に頭を付けてみた。
至って静かだが、ときおりナミさんの声と思われる小さな独り言が届いた。
「よ、ほ、とりゃ」と掛け声らしきものが聞こえる。パンケーキをひっくり返そうとしているのかもしれない。
その声の可愛さの威力を前に、おれはひれ伏す。
がっくりと頭を垂れて、膝に額をくっつけたまま数十秒。彼女の可愛さに殺されかけたことなどあまた知れないが、その威力たるや。
おれはまた、懲りずに壁に耳を付けた。
ガチャガチャと皿の鳴る音がして、ぺちんと気の抜けた音もした。パンケーキを皿に移したんだろう。
完成かな、まだ焼くのだろうか、とソワソワ様子を見ているうちに、ナミさんはジャバジャバと激しく水を使い始めた。
どうも手を洗っているような様子ではない。完成したのなら、片付けは後にするだろう。皿に耳をくっつけて、神経を研ぎ澄ます。
キュッと歯切れよく水音がとまり、ざかざかと軽いものがこすれる音が聞こえる。
なるほど、野菜だ。レタスか何かを洗っていたのだ。
サラダを作るつもりなんだろう。パンケーキに添えるのかもしれない。
野菜を先に洗って準備しておけば、パンケーキは焼き立てで食えるのに、多分勢い余ってパンケーキから焼いちゃったんだろうなあ、とこれまた可愛らしさにもだえる。
でも、そろそろ完成だろう。おれもこっそり部屋を抜け出し、先に顔を洗ってこようか。
ナミさんが引き出しをいくつか開け、カトラリーを探している気配がある。
食器棚の右から二番目の引き出しさ、と頭の中で答えながらおれは机から腰を上げた。
と、隣の部屋から小さく声が聞こえた気がした。
「え」
足を止め、素早く壁に耳を付けるが、もう声は聞こえない。ときおりカトラリーのぶつかる音が聞こえるだけだ。
いま、いま、「いただきます」って聞こえた気がした。
さ、先に食べちゃうのかい。
しんとした朝のキッチンで、ナミさんが一人でもぐもぐやっている姿を思い浮かべるとやっぱり可愛かったが、ナミさんが嬉しそうにおれを起こしに来て、「朝ご飯作ったの」とちょっと照れながら言うところをばっちり期待していたおれは思わずへなっと座り込んだ。
しかしすぐに、笑いが込み上げる。
目が覚めてしまって、おなかがすいて、おれを起こそうか迷って、でも寝かしておいてやろうと思って、ひとりキッチンへ向かったんだな。
冷蔵庫の中、勝手に開けてもいいかなとかちょっと迷って、その中にパンケーキの材料が綺麗にそろっているのを見つけて、作ってみちゃおうかと手を伸ばす。
野菜は昨日の夕食でおれが作った残りがあったから、きっとそれを洗って。
「あれ、起きてたの」
唐突に壁越しではない彼女の声が届いて、びくっと情けなく反応した。しゃがみこむおれを怪訝な顔で見下ろして、ナミさんはおれが貸した寝間着代わりのTシャツ姿で入り口のところに立っている。
「なにやってんの」
「や……なにも。今起きたとこ。ナミさん早いね」
「うん、あのね」
てくてくとナミさんは歩み寄ってくると、おれの真横にすとんとしゃがみこんだ。
「朝ご飯の準備しようと思って。勝手に冷蔵庫の中使っちゃった。ごめんね」
「や、もちろん構わねェよ。あれ、でも、あれ」
盗み聞きしていたなんて言えず、「でも先に食べてたんじゃ」とも言えなくてもごもごするおれを不思議そうに覗き見てから、ナミさんは目を逸らして言った。
「でも、上手くできなかったから。やっぱりサンジ君が作って」
パンケーキ、焦げちゃった。
納得がいかないし、ふがいないし、気まずいけど、といった雰囲気満載の顔でナミさんは言った。
焦げちゃったのか。そうか。それで、焦げたやつを自分で片付けてたんだな。
「まだ一枚、焦げたのがあるんだけど」
「じゃあそれはおれにちょうだい。おれが焼いたのをナミさんが食って」
ナミさんの手を取って立ち上がる。
開いたままの扉からは、パンケーキのこうばしくて力強い香りがどんどん流れ込んできた。
彼女の手を引いてキッチンへ行くと、コンロの上にフライパンと、横にパンケーキの生地がそのまま余っていた。
彼女を座らせ、作ってもらったタネを使わせてもらう。
「また、朝めし作ってよ」
「もうやだ」
「なんで」
「なんでって、あんたの方が上手いからでしょ」
「でも、たまにはさ」
「まあ、たまにはね」
「普段はおれが作るから」
ねえ、と突然ナミさんが笑いだしたので、パンケーキをくるんとひっくり返してから彼女の方を見遣った。
肩を揺らして、彼女は言う。
「別に私たち一緒に住んでないのにね」
じゅう、と焼けていない面が音を立てる。
「じゃあ、一緒に暮らそうよ」
口をついて出た言葉に、ナミさんはおれを見上げる。
そのまま彼女がなにも言わないので、しまった、さいあくだ、しにたい、とどんどん焼けていくパンケーキを睨みながら自分を呪う。
「いいんじゃない」と彼女が答えたとき、おれは初めてパンケーキを焦がしたことに気付いた。
カーテンの隙間から漏れ出る朝日はいつも彼女の肩のあたりに光の筋をつくっていて、それを頼りに手を伸ばす。
どこか遠くで早起きの犬が鳴いて、家の前をランニングするじいさんの足音も聞こえて、紛れもない朝がやってきていたけど、ナミさんはそんなこと気にも留めずにすこすこと寝ている。そんな彼女の髪をふわふわと少し撫で、顔の向きによっては起こさないようそっとどっかにキスして、ようやくベッドから起き上がる。日課だ。
でも、今日は隣に手を伸ばした時からなにかがちがった。
「あれ」
思わず声が出る。隣の布団はぺたんとしぼんでいて、シーツは冷たくなっていた。
ナミさんがいない。
「あれえ」
寝ぼけている自覚があったので、夢かもしれないと思い、無作為に隣をまさぐる。信じられない寝相で彼女がうずくまっている可能性も無きにしも非ずだ。
しかし、手と足を使ってもぞもぞやっても、どこにも彼女はいなかった。
ここでようやくおれは目を開ける。開いたことで、今まで閉じていたのだと自覚した。
やっぱりいない。
なんで、なんで、と急に悲しくなった。
昨日は一緒に寝たのに、夜中目が覚めてちゃんと彼女が腕の中にいることまで確認したのに。
のろのろと頭をもたげ、起き上がる。
ベッドの横の小さなローテーブルに置いた目覚まし時計。午前7時半。
たしかナミさんは、今日は仕事も休みで、用事もなんにもないし、朝急がなくていいから泊まってってもいいかも、とそう言った。
帰っちゃったのかね。
朝は彼女のために特別うんまいコーヒーを入れて(パティの店からぶんどってきた50グラム1万2千円くらいのやつ)、さくっと朝食を作って朝からたのしませようとばかり思っていたのに。
「あーあー」
がっくり。ため息の反動で伸びをしたとき、隣の部屋からジャーと水音が聞こえた。
隣はリビングキッチン。
え、おれの音の部屋だよな。ナミさんいるの?
ミーアキャットのように首を伸ばし、音を感知すると、同時に香ばしくてほんのり甘い小麦の香りがふわんと音楽のように流れ込んできた。
──パンケーキ?
少し焦げの強い香りも感じて、やっぱりそうだ、パンケーキを焼くにおいだと確信する。
ナミさんだ。ナミさんがおれのキッチンで、パンケーキを焼いている。
お、おれのためにィ!? とぶっ飛んで天井に突き刺さる勢いで気分が浮上し、慌ててスリッパにつま先を突っ込み部屋を飛び出そうとした。
いやでも、待てよ。
ナミさんが黙っておれより先に起きて、ひとりで(おそらく)朝めしの用意をしている。きっと、たぶん、絶対、おれを驚かそうとしているのだ。
嬉しい、とじんわり胸の中に温かい水がしみこむ。
でも、だからこそ、彼女の気持ちを無碍にするわけにはいかない。おれはしっかり朝寝坊したように起きてきて、出来上がった彼女のパンケーキの前でわっと驚き感動しなければならない。
もう十分驚いたし、感動もしたけど。それこそひゅるんと顔が緩むくらい、喜んでいるが。
どうしよう、どうする、こっそりキッチンの前まで言って、様子を見るか。でも様子を見てんのがばれたら、ナミさんは怒るだろうしなあ。
思い立って、キッチン側の壁に近づいた。壁にくっつけてあるデスクの上のものを肘から下を使ってざっと退かし、浅く腰掛けて壁に頭を付けてみた。
至って静かだが、ときおりナミさんの声と思われる小さな独り言が届いた。
「よ、ほ、とりゃ」と掛け声らしきものが聞こえる。パンケーキをひっくり返そうとしているのかもしれない。
その声の可愛さの威力を前に、おれはひれ伏す。
がっくりと頭を垂れて、膝に額をくっつけたまま数十秒。彼女の可愛さに殺されかけたことなどあまた知れないが、その威力たるや。
おれはまた、懲りずに壁に耳を付けた。
ガチャガチャと皿の鳴る音がして、ぺちんと気の抜けた音もした。パンケーキを皿に移したんだろう。
完成かな、まだ焼くのだろうか、とソワソワ様子を見ているうちに、ナミさんはジャバジャバと激しく水を使い始めた。
どうも手を洗っているような様子ではない。完成したのなら、片付けは後にするだろう。皿に耳をくっつけて、神経を研ぎ澄ます。
キュッと歯切れよく水音がとまり、ざかざかと軽いものがこすれる音が聞こえる。
なるほど、野菜だ。レタスか何かを洗っていたのだ。
サラダを作るつもりなんだろう。パンケーキに添えるのかもしれない。
野菜を先に洗って準備しておけば、パンケーキは焼き立てで食えるのに、多分勢い余ってパンケーキから焼いちゃったんだろうなあ、とこれまた可愛らしさにもだえる。
でも、そろそろ完成だろう。おれもこっそり部屋を抜け出し、先に顔を洗ってこようか。
ナミさんが引き出しをいくつか開け、カトラリーを探している気配がある。
食器棚の右から二番目の引き出しさ、と頭の中で答えながらおれは机から腰を上げた。
と、隣の部屋から小さく声が聞こえた気がした。
「え」
足を止め、素早く壁に耳を付けるが、もう声は聞こえない。ときおりカトラリーのぶつかる音が聞こえるだけだ。
いま、いま、「いただきます」って聞こえた気がした。
さ、先に食べちゃうのかい。
しんとした朝のキッチンで、ナミさんが一人でもぐもぐやっている姿を思い浮かべるとやっぱり可愛かったが、ナミさんが嬉しそうにおれを起こしに来て、「朝ご飯作ったの」とちょっと照れながら言うところをばっちり期待していたおれは思わずへなっと座り込んだ。
しかしすぐに、笑いが込み上げる。
目が覚めてしまって、おなかがすいて、おれを起こそうか迷って、でも寝かしておいてやろうと思って、ひとりキッチンへ向かったんだな。
冷蔵庫の中、勝手に開けてもいいかなとかちょっと迷って、その中にパンケーキの材料が綺麗にそろっているのを見つけて、作ってみちゃおうかと手を伸ばす。
野菜は昨日の夕食でおれが作った残りがあったから、きっとそれを洗って。
「あれ、起きてたの」
唐突に壁越しではない彼女の声が届いて、びくっと情けなく反応した。しゃがみこむおれを怪訝な顔で見下ろして、ナミさんはおれが貸した寝間着代わりのTシャツ姿で入り口のところに立っている。
「なにやってんの」
「や……なにも。今起きたとこ。ナミさん早いね」
「うん、あのね」
てくてくとナミさんは歩み寄ってくると、おれの真横にすとんとしゃがみこんだ。
「朝ご飯の準備しようと思って。勝手に冷蔵庫の中使っちゃった。ごめんね」
「や、もちろん構わねェよ。あれ、でも、あれ」
盗み聞きしていたなんて言えず、「でも先に食べてたんじゃ」とも言えなくてもごもごするおれを不思議そうに覗き見てから、ナミさんは目を逸らして言った。
「でも、上手くできなかったから。やっぱりサンジ君が作って」
パンケーキ、焦げちゃった。
納得がいかないし、ふがいないし、気まずいけど、といった雰囲気満載の顔でナミさんは言った。
焦げちゃったのか。そうか。それで、焦げたやつを自分で片付けてたんだな。
「まだ一枚、焦げたのがあるんだけど」
「じゃあそれはおれにちょうだい。おれが焼いたのをナミさんが食って」
ナミさんの手を取って立ち上がる。
開いたままの扉からは、パンケーキのこうばしくて力強い香りがどんどん流れ込んできた。
彼女の手を引いてキッチンへ行くと、コンロの上にフライパンと、横にパンケーキの生地がそのまま余っていた。
彼女を座らせ、作ってもらったタネを使わせてもらう。
「また、朝めし作ってよ」
「もうやだ」
「なんで」
「なんでって、あんたの方が上手いからでしょ」
「でも、たまにはさ」
「まあ、たまにはね」
「普段はおれが作るから」
ねえ、と突然ナミさんが笑いだしたので、パンケーキをくるんとひっくり返してから彼女の方を見遣った。
肩を揺らして、彼女は言う。
「別に私たち一緒に住んでないのにね」
じゅう、と焼けていない面が音を立てる。
「じゃあ、一緒に暮らそうよ」
口をついて出た言葉に、ナミさんはおれを見上げる。
そのまま彼女がなにも言わないので、しまった、さいあくだ、しにたい、とどんどん焼けていくパンケーキを睨みながら自分を呪う。
「いいんじゃない」と彼女が答えたとき、おれは初めてパンケーキを焦がしたことに気付いた。
「ねえ、見てるんだけど」
思いの外とげとげしい声が出た。
サンジくんは振り返り、あぁそうだったのごめんねというふうな害のない顔で笑った。
なのに、チャンネルを変えない。
「ちょっと」
「前半だけ、前半だけ観させて」
サッカーの試合を観ているのだ。
どこ対どこだかわかりゃしない、青と黄色のユニフォームが緑色の画面をちょこちょこ行き来するのをいつより真剣に眺めている。
私は家計簿をつけていて、レシートを整理しながら面白くもないバラエティー番組を見ていた。
手元に集中すればテレビなんかほったらかしになる。
さっきまで携帯のネット情報で試合状況を確かめていたらしいサンジくんは、私がテレビを見ていないとみるやいなや、そっとチャンネルを試合中継に合わせた。
正直チャンネルなどどうでもよかった。
だけど、割引で買ったはずのかぼちゃが割り引かれていないのをレシートで確認してしまったこととか、ロビンにもらったパキラがどんなに丁寧に世話をしてもしおしおと枯れていこうとしていることとか、そういうつまらない気分が重なって、ついサンジくんに当たりたい気分になった。
私はテーブルの上のリモコンに手を伸ばし、さっとボタンを押す。
くだらないネタにどっと湧く会場の笑い声が突然溢れ出した。
「あっ」
恨みがましく私を振り返るサンジくんに、知らん顔して頬杖をつく。
恨みがましいと言っても睨んだりせず、ひたすら悲しそうな顔で見上げてくるのに良心が痛む。
が、私の痛む良心が何か言うより早くサンジくんは素早くリモコンのボタンを押した。
わーっと盛り上がる緑色の画面。
「見てるって言ったでしょ!」
「んーちょっと待って」
お、いけ、あーだめだだめだ、うわっやべぇ、っと危なかったー。
私には目もくれず画面に向かってつぶやき続ける背中を、足の裏でけりつける。
テーブルを挟んで直角に座っている私は足を上げた不恰好な格好だ。
「こらこら、はしたない」
サンジくんは私の足首を掴み、そっと床へ下ろした。
すかさず反対の足でもうひと蹴りする。
「ナミさん」
呆れた笑いを口に含んで、サンジくんは振り返る。
知らんぷりして手元の家計簿に視線を落とした。
ふと手元が翳る。
「えっ、わっ」
ふわっと体が持ち上がり、手からボールペンがぽろっと床に落ちた。
私を抱き上げたサンジくんはそのままソファへ登り、あぐらをかいて座る。
私はその足の間にスコンと収まっていた。
「捕獲」
サンジくんは私を見下ろして、鼻の頭に軽くキスを落とした。
「お、やべぇ負ける負ける」
慌てて画面に視線を戻した彼の顎髭を、このヤロウと摘んで引っ張った。
「イテテ」
あんたが応援しようとしまいと負けるもんは負けるのよ。
僻みながら、ゆらゆらと前後に揺れるサンジくんの中で私はまんまとうとうとした。
真っ赤なエナメルは薄汚れた甲板には不似合いだった。
目の前に差し出されたそれを彼女は見下ろして、「靴だ」と呟く。
素敵じゃない、とロビンちゃんが囃してくれる。
「履いてみてよ」
「サイズ合うかな」
「おれがナミさんの足のサイズを間違えると思うのかい」
不敵な笑みで彼女にときめきを与えるつもりだったのに、ウソップあたりが「相変わらずきもちわりィな」と余計なことを言う。
ふたりきりならそれこそドアの隙間から漏れ出してクルーをそわそわさせるほど甘い空気を醸し出してみせるのに、いかんせんここは甲板のど真ん中で、ナミさんと彼女にかしずくおれを一味全員が囲んでいるのだ。
ナミさんはルフィの麦わら帽子をかぶり、両手に溢れそうなブリザーブドフラワーを抱えていた。
足元にはびっくり箱みたいなふざけた模様の箱や、リボンのかかった酒瓶が控えている。
今日の主役が即物的な意味で一番喜ぶものを与えてあげられない貧乏海賊のおれたちは、それぞれが頭をひねって贈り物を考えたのだ。
おれが用意したエナメルの靴は、数週間前に寄港した島であつらえた。
サイズはもちろん、彼女に絶対似合うと思った。
高いヒールは船暮らしには向かないが、いつか陸に上がったときに履いてくれれば。そしてそのときおれに隣を歩かせて欲しい。
皆まで言わずと彼女はわかるはずだ。
爪が綺麗に揃えられたつま先が、そっと靴に差し込まれた。
不安定に揺れる彼女の手を支える。
「わ、ぴったり」
知ってたよ、と少し視線の高くなった彼女に微笑む。
そのまま彼女の片手を取って、軽く引っ張った。
「わっ」と声をあげてよろめいたナミさんは、「危ないじゃない」と眉を吊り上げる。
「踊ろうナミさん」
「は?」
「はい、せーの」
彼女の手を引っ張り上げ、その勢いでステップを踏んだ彼女の腰を支える。
足元に散らばるプレゼントを慎重に避け、おれたちの間にみっちりと詰まった花束の隙間から彼女を覗き見る。
丸くなった目が一生懸命足元を見ていて、その可愛さに思わず呻きそうになった。
波間を縫うように、そっとバイオリンの旋律が近づいてくる。
ブルックの音楽は、こちらから音に合わせるより早くおれたちの足のリズムに寄り添うように即興で奏でられた。
懸命に足の運びを見ていたナミさんが思い出したように顔を上げた。
「ちょっと!」
「なに? はい、ターン」
くるりと回ってまたおれの腕の中に戻ってきたナミさんは困惑しているようで、実のところ笑っていた。
「なんなのこれ」
「ワルツ?」
「そういうことじゃなくて」
「靴の履き心地は?」
「すごくいい。ありがと」
目の端に、訳のわからないステップで踊るルフィとロビンちゃんが横切った。
ロビンちゃんが楽しそうでなによりだ。
メロディーが優しくスローになる。
ぐっと彼女に詰め寄ると、いくつかの凍った花びらが散った。
「ナミさんたのしい?」
一瞬なにを聞かれたのかわからないといった顔で、ナミさんはぽかんとおれを見上げた。
しかしすぐに、日向の猫みたいに目を細めた。
「最高」
おれもだ。
旋律にクライマックスの予感が近づく。
赤いつま先が甲板を叩く心地いい音を名残惜しく思いながら、羽を持ち上げるように彼女を抱え上げた。
「もう、急すぎる!」と怒るナミさんに鼻先を近づける。
「誕生日おめでとうおれのレディ。あんたが世界一だ」
ナミさんはくすぐったそうに笑いながら、「ありがと」と言った。
「キスしても?」
「だめ」
「誰も見てないよ」
「それでもだめ」
だめを二回も突きつけられてしょぼくれたおれの顔に、突然ばふっと花束がぶつけられた。
花びらが頬をくすぐる感覚に驚いて目を開けると、同じように花束に埋もれたナミさんがいる。
「でもちょっとだけなら」
そっと撫でるように触れて離れたとき、ナミさんの唇にはかすみ草の花びらが付いていた。
【ナミさんハッピーバースデー!】
目の前に差し出されたそれを彼女は見下ろして、「靴だ」と呟く。
素敵じゃない、とロビンちゃんが囃してくれる。
「履いてみてよ」
「サイズ合うかな」
「おれがナミさんの足のサイズを間違えると思うのかい」
不敵な笑みで彼女にときめきを与えるつもりだったのに、ウソップあたりが「相変わらずきもちわりィな」と余計なことを言う。
ふたりきりならそれこそドアの隙間から漏れ出してクルーをそわそわさせるほど甘い空気を醸し出してみせるのに、いかんせんここは甲板のど真ん中で、ナミさんと彼女にかしずくおれを一味全員が囲んでいるのだ。
ナミさんはルフィの麦わら帽子をかぶり、両手に溢れそうなブリザーブドフラワーを抱えていた。
足元にはびっくり箱みたいなふざけた模様の箱や、リボンのかかった酒瓶が控えている。
今日の主役が即物的な意味で一番喜ぶものを与えてあげられない貧乏海賊のおれたちは、それぞれが頭をひねって贈り物を考えたのだ。
おれが用意したエナメルの靴は、数週間前に寄港した島であつらえた。
サイズはもちろん、彼女に絶対似合うと思った。
高いヒールは船暮らしには向かないが、いつか陸に上がったときに履いてくれれば。そしてそのときおれに隣を歩かせて欲しい。
皆まで言わずと彼女はわかるはずだ。
爪が綺麗に揃えられたつま先が、そっと靴に差し込まれた。
不安定に揺れる彼女の手を支える。
「わ、ぴったり」
知ってたよ、と少し視線の高くなった彼女に微笑む。
そのまま彼女の片手を取って、軽く引っ張った。
「わっ」と声をあげてよろめいたナミさんは、「危ないじゃない」と眉を吊り上げる。
「踊ろうナミさん」
「は?」
「はい、せーの」
彼女の手を引っ張り上げ、その勢いでステップを踏んだ彼女の腰を支える。
足元に散らばるプレゼントを慎重に避け、おれたちの間にみっちりと詰まった花束の隙間から彼女を覗き見る。
丸くなった目が一生懸命足元を見ていて、その可愛さに思わず呻きそうになった。
波間を縫うように、そっとバイオリンの旋律が近づいてくる。
ブルックの音楽は、こちらから音に合わせるより早くおれたちの足のリズムに寄り添うように即興で奏でられた。
懸命に足の運びを見ていたナミさんが思い出したように顔を上げた。
「ちょっと!」
「なに? はい、ターン」
くるりと回ってまたおれの腕の中に戻ってきたナミさんは困惑しているようで、実のところ笑っていた。
「なんなのこれ」
「ワルツ?」
「そういうことじゃなくて」
「靴の履き心地は?」
「すごくいい。ありがと」
目の端に、訳のわからないステップで踊るルフィとロビンちゃんが横切った。
ロビンちゃんが楽しそうでなによりだ。
メロディーが優しくスローになる。
ぐっと彼女に詰め寄ると、いくつかの凍った花びらが散った。
「ナミさんたのしい?」
一瞬なにを聞かれたのかわからないといった顔で、ナミさんはぽかんとおれを見上げた。
しかしすぐに、日向の猫みたいに目を細めた。
「最高」
おれもだ。
旋律にクライマックスの予感が近づく。
赤いつま先が甲板を叩く心地いい音を名残惜しく思いながら、羽を持ち上げるように彼女を抱え上げた。
「もう、急すぎる!」と怒るナミさんに鼻先を近づける。
「誕生日おめでとうおれのレディ。あんたが世界一だ」
ナミさんはくすぐったそうに笑いながら、「ありがと」と言った。
「キスしても?」
「だめ」
「誰も見てないよ」
「それでもだめ」
だめを二回も突きつけられてしょぼくれたおれの顔に、突然ばふっと花束がぶつけられた。
花びらが頬をくすぐる感覚に驚いて目を開けると、同じように花束に埋もれたナミさんがいる。
「でもちょっとだけなら」
そっと撫でるように触れて離れたとき、ナミさんの唇にはかすみ草の花びらが付いていた。
【ナミさんハッピーバースデー!】
足の親指の爪の、特に硬いところをぱちんといったところで、ナミさんが「ビビがね」とテレビを見ながら声をあげた。
「うん?」
「猫を飼い始めたんだって」
「へえ。シャム猫?」
「知らないけど。なんでシャム?」
いや、とおれは口ごもり、少し離れたところにあるごみ箱を引き寄せた。
我が細胞のかけらたちをぱらぱらと落とし入れる。
「なんとなく。リッチなイメージ」
あはは、とナミさんは乾いた声で笑った。
おれの言葉に笑ったのかと思ったが、テレビから目を離さないのでもしかするとテレビの内容に笑ったのかもしれない。
「ビビちゃんに会ったの?」
「うん。ホームセンターに行ったら、ばったり」
「ビビちゃんがホームセンターにいたの? てか、ナミさんも行ったの?」
「うん。液体肥料を買いに」
ナミさんは最近、家庭菜園に凝っている。
家庭菜園と言っても、育てているのはプチトマトの苗をひとつ、ベランダに置いた小さな鉢で育てているだけだ。
トマトは栄養価も高いし色どりにもなるしで重宝する。
美容にもいいのでナミさんは好んで食べる。
だからおれもいきんで買う。調理する。
が、単価はそれなりに安くない。けして高い野菜ではないが、価格の変動が大きく、スーパーで「今日はトマトはやめとくかあ」とナミさんが息をつくこともままある。
だからなんとなく、「じゃあ家で育ててみる?」と口にしたら、ナミさんはさっそく休みの日にトマトの苗を買ってきた。
「家で作れるなんて、早く言ってよね」と鼻息を荒くしながら。
一緒に買ってきた小さな鉢植えを見て、こんな狭い所ではたしてプチトマトと言えど育つもんかねと思ったが、嬉しそうに苗を植えつける彼女の、丸首のセーターから覗く白いうなじを見ていると、まあいいかという気になり、「早く実がなるといいね」と声をかけていた。
そう、それで猫の話だ。
「ビビちゃんは猫のエサでも買いに来てたのかな」
「ううん、トイレの砂とかそういうのを探してたみたい。エサは手作りなんじゃない」
「ああそっか。だろうな」
彼女の家の驚くべき先住ペット、らくだの「まつげ」は毎日ネフェルタリ家特製のメシを食んでいるのだから、猫にもきっと人間同等の豪華な食事が与えられているに違いない。
「帰るとね、玄関のところで待ってるんだって。寝るときはいつのまにか布団の中にもぐりこんでくるから、一緒に寝るんだって」
「へえ」
「……いいなー」
相変わらずテレビから目を離さないままそう呟いた彼女に、おれはゴミ箱を押しやり顔を上げた。
「ナミさん、猫飼いたいの?」
「ううん、別に。お金かかるし」
「いいなーって、今言ったよ」
「具体的に猫が欲しいなって思ったわけじゃなくて、ビビがあんまり楽しそうに話をするから、猫のいる生活もいいんだろうなって思っただけよ」
ほら、とナミさんは二人掛けソファの自分の隣の空間をポンポンと叩いてみせた。
ちなみにおれはソファの下の床に直接座り込んでいるので、彼女の顔を仰ぎ見る形になる。
「ここに猫が丸まってると思うと、ちょっと癒されない?」
「そこに猫が座っちまったら、おれの座るところねェじゃん」
ぷっとナミさんは吹き出した。今度こそおれの言葉に笑ったようだ。
「サンジ君か猫かってわけね」
「ちょ、ちょっと待って」
なぜそういう選択になる。
おれだってナミさんが帰ってくるときは玄関まで行っておかえりと言うし、寝るときは一緒の布団で彼女を温めてやれる。
それに猫はメシを作ったり電球を替えたり、立てつけの悪い戸棚を直したりもできない。
おれはできる。
慌ててソファに肘でよじ登り、彼女の隣に腰かけて架空の猫の空間を奪ってやる。
ナミさんはきょとんと丸い目をこちらに向けた。
「ほら、ここそもそもペット禁止だから」
「まあね。だから飼うつもりじゃないんだって」
「ナミさんにはトマトがいるじゃん」
おれもいるし。
「猫といっしょにはならないでしょ」
猫だっておれと一緒にならないはずだ。
しかしナミさんはカーテンの閉じたベランダに愛しげな視線を向けた。
「早く生らないかなあ」
「まだ花も咲いてないからさ、夏までもうちょっとかかるよ」
ね、と意味もなく呟いて、空いているナミさんの手を取った。
ほっそりとした指に自分のそれを絡める。
あまい気配を漂わせようとしたはずが、ナミさんは不審な目を向けて「なによ」とおれを見上げた。
「に、」
「に?」
「……にゃーん」
さっとおれの手を振りほどいたナミさんは立ち上がり、「あったかいの淹れようかなあ」とすたすたキッチンへと歩いて行ってしまった。
その肩が震えているのを見て、おれは満足した。
***
一緒に暮らすサンナミシリーズその6。
ばかじゃないのって冷たく言われてもわりとゾクゾクできるけど、
ウケを狙ってそれがヒットすれば嬉しいサンジです。
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麦わら一味では基本オールキャラかつサンナミ贔屓。
白ひげ一家を愛して12416中心に。
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