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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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書きかけの手帳から顔を上げる。通りに面したガラス張りの窓の外側で、サンジ君がガラスをコツコツ叩いて私に手を上げてみせる。
乾いた冷たい風のせいで、鼻の頭が少し赤い。
子どもみたいなその様子に少し笑って、「すぐ出るわ」と口を動かした。
カフェを出ると、出入口すぐのところで彼が即座に手を合わせた。

「ごめん、ほんとごめんな」
「30分も待ったんですけど」

ごめんごめんと繰り返し、サンジ君は大げさに手を合わせて拝んで見せる。
コートの内側から覗くシャツの襟はよれていて、この寒いのにボタンもふたつ空いている。
急いだのだろう、と思ったが許さないでおく。
彼が来た今もはやどうでもよかったのだけど、なんとなく怒ったふりをして「早く行きましょ」と彼より先に歩き出した。

今日は仲間内での飲み会で、ウソップが指定した会場は駅のすぐそこだ。
サンジ君以外は皆大学を卒業したばかりで、あたふたと新生活を送っていたところ季節が巡り寒くなってきた今、ようやく生活も落ち着いてきた。ならば久しぶりに会うかといって、サンジ君がディナーのない月曜日に予定を合わせたのだ。
サンジ君はついさっき仕事を切り上げてきたところで、疲れているはずなのにそんなそぶりは一切見せず、るんるんと跳ねるように私の隣を歩いた。
飲み会の前に、彼の買い物に付き合うことになっていた。

「んナーミさーん。怒ってる?」
「うん」
「えぇー。じゃあはいこれ」

突然手を突き出され、思わずこちらも受け取るように手を出した。
紺色の手袋をはめた手の上に、コロンとピンク色のセロハンで包まれたキャンディーが転がされる。

「なにこれ。飴?」
「ううん。ラムネ」
「こんなので機嫌とろうっての」
「あ、やっぱだめだった?」

全然ダメ、と吐き捨てて、ラムネはコートのポケットにしまった。ころんと音もなく転がる。
サンジ君は少し肩をすくめて、でもたいして気に留めたふうもなくまたるんるんとした足取りで隣を歩く。

「店出てすぐのところで配ってた。なんかのキャンペーンだって」
「ふうん」
「ラムネ嫌い?」
「ううん」
「そっかよかった」

サンジ君は声を出さずにひひ、と笑って、「買い物つきあわせてごめんなー」と今度は別の理由で謝った。

「ううん。ごはんおごってくれるって言うし。買い物くらいいいわよ」
「おごるおごる。何がいい? 寿司? イタリアン? 中華?」
「えっ今日の飲み会おごってくれるんじゃないの」
「それでもいいけど……うんやっぱ別の機会におごるからさ。そしたらデートできるだろ」
「はあ」

彼のあくなき執念に呆れつつ、「じゃあ高いの考えとく」と呟く。サンジ君は「わーい」と無邪気を装って声をあげた。
通り沿いに植えられた木々からからからと色づいた葉が落ちて、足元に引っ掛かりながら風で流れていく。
それらを目で追っていたら、「おなかすいたなぁ」と無意識に口からこぼれた。

「えっまじ? なんか食う?」
「いや今から飲み会なんだからいいわよ。もうあと1時間くらいだし」
「え、でも腹減ってんだよな」
「うんでもいいってば」

過剰に反応するサンジ君に少し戸惑い、こちらも声が高くなる。
サンジ君は考えるように視線を横に滑らせると、「じゃあさ」と言った。

「おれも小腹すいたからさ、コンビニでなんか買おうぜ。肉まんとか」
「あ、肉まんいいかも」
「あんまんでもいいけど」
「あんまんはどうかな」
「ピザまんは?」
「アリだわ」
「おれピザまんあんま好きじゃねーんだよ」

そうなの、と答えると彼は神妙な顔つきでうんと言う。

「ケチャップの酸味とあの小麦の生地がミスマッチな気がするんだよなー。具もすくねぇし。チーズの主張が強すぎるし」
「肉まんの方が具は少ないじゃない」
「肉まんはもうそういうもんだろ。でもピザってさ、いろいろ乗ってる方がたのしーじゃん」

なにそれ、と吹き出す。子供みたいな言い分につい笑ってしまった。

「どのコンビニにする? このへん多いよな」

サンジ君はうきうきと辺りを見渡す。確かにこの通り沿いは、あっちにもこっちにもと言う具合でいくつかのコンビニが乱立している。
あそこのは前食ったら微妙だった、とサンジ君がそのうち一つを指差した。

「ふうん。ていうかあんた肉まんとか食べるんだ」
「食べるよそりゃあ」
「毎日フレンチやってるのに?」
「毎日作ってるけど毎日食ってるわけじゃねぇもん。そりゃ味見はするけど」
「こう、舌が鈍ったりしないの? ジャンクなもの食べると」
「さあー。あんま考えてねぇけど。肉まん旨いじゃん」

そうね、と答えて結局私たちは一番近くのコンビニに入った。レジに直行し、3段の保温機の中を覗き込む。
肉まんはあと一つ。中華まんというのがあった。
二人で腰を曲げて中を覗き、「どうする」「どうする」と言い合った末、肉まんと中華まんをひとつずつ買う。サンジ君が買ってくれた。
外に出ると、思いの外もう空は暗い。
そんなに長く中にいたわけではないのでたいして変わっていないはずなのに、コンビニの光に照らされると夜はずっと深くなる。
時間はまだ18時過ぎで、でももう真っ暗だ。

店を出てすぐのところでサンジ君は袋から中を取り出し、一つ私に手渡した。

「それどっち?」
「えーと、中華まん」
「半分こしようか」

うん、と言って中華まんを二つに割ろうとするのだけど、あまりの熱さにすぐ指を離してしまった。
「熱い!」と叫ぶと彼が笑いながら「貸して」と手を差し出してくる。
手渡すと、サンジ君はなんでもないように中華まんを上手に二つに割った。

「はい」
「ありがと。熱くないの?」
「慣れてる慣れてる」

ふーんと言って、かぶりついた。
しゃきしゃきと野菜が口の中で音を立てる。

「あ、おいしい」
「なんか八宝菜の具材を刻んで入れたみたいな感じだな」

温かい温度がすとんすとんと体の中に落ちていく。じわっと温まる。
わけっこした半分はあっという間になくなって、サンジ君は袋に入ったもう一つをとりだして、また上手に半分に割った。

「あーやっぱこっちの方がうめぇ」
「うん、私もこっちの方が好き」
「なー」

白い湯気が私たちをへだてるようにもうもうと立ちのぼり、すぐ目の前にいる彼の顔が白く煙って見えなくなった。
このまま霞んで消えてしまいそう。

「あんたここ、ちゃんと閉めないと」

ずっと思っていた。今日彼が来たときから。冷たい風が私たちの間を通り過ぎるたびに、襟元が寒そうだと。
上からふたつ開いたボタンに手を伸ばし、閉めてあげるつもりもなかったのに開いた襟に触れた。
つるりと磨かれた陶器みたいに彼の鎖骨はなめらかで、その上を指がすべった。
サンジ君がわずかに身を引いて、空いている方の手で私の手首を掴む。
掴まれて、おっと、と思う。
なんてところに触れてしまったんだろう。

「──ナミさん」

引こうとした手を強く引きもどされる。硬い鎖骨の感触がまだ指に残っている。
それぞれ半分に割った肉まんを片手に、私たちは宙で手を引きあって見つめ合う。
離して、という言葉がどうしても出てこない。








「送るよ」と言ったらナミさんは「別にいい」と用意していたみたいに即座に言った。

「ま、って言われても付いてくんだけどねー」
「じゃあなんで訊いたの」
「社交辞令」

意味もなくふわふわと笑い声が飛び出す。たいして面白くもなくても、なんとかしてナミさんを笑わせたいという思いが先走ってそれがたとえ空回りしていたとしても自分だけで笑ってしまう。
アルコールに侵された脳がせめてもの抵抗とばかりにテンションを無駄にぶち上げてくる。
さ、こっちですよ、と彼女の家路を示すように頭を下げて行先を指し示したが、酔わない彼女は覚めた顔で「なんでもいいけど」と歩き出した。
背中側で、「気ィつけてなー」「またなー!」と仲間たちが手を振って声をかけてくる。
うるせぇせっかくの彼女との時間を邪魔すんな、と悪態づきながら酔った口では舌が回らず背中越しに手を上げて答えるにとどめた。
ナミさんは鞄を持った手を行きより大きく振って、ヒールの高さをものともせず大きな歩幅でどんどん歩いて行った。
酔ってるんだろうかとその顔を覗き込むが顔色一つ変わらないままで、よくわからない。
「サンジ君、顔赤い」と逆に言われてしまった。

「飲みすぎなんじゃない?」
「そでもねーよ。すぐ赤くなんだよなー」
「仕事終わりで疲れてんじゃない」

そうかな、と言って疲れ具合を確かめるみたいに肩を上下に揺らしてみる。ぽきぽきと音は鳴ったがナミさんが隣を歩いているだけで疲労の感度などもはやメーターが振り切れたみたいに機能しないのでよくわからない。
ナミさんはおれをちらりと見上げ、「明日は?」と控えめな声で尋ねた。

「明日はディナーから。いつも通りさ」
「じゃあちょっとはゆっくり寝られるのね」
「まあね。昼過ぎにゃ出勤だけど」
「服なんて買ったって、着てる暇ないじゃない」

ナミさんはおれが片手に提げた紙袋に目を落とす。薄茶色に緑のロゴが入ったアパレルの紙袋には、真新しいシャツとカーディガンが入っていた。
飲み会前に寄った店で買ったものだ。

「ん、だからおれ全然服とか買ってなくて。久しぶりに買いもんした」
「ふうん、お金溜まりそう」

何気ない彼女の呟きに妙に力がこもっている。笑ってごまかして、「ナミさんとのデートのときに着ようと思って」と言ってみたが我ながら軽く聞こえてしまったと思った。
実際彼女は真に受けた様子もなく「ふうん」と聞き流している。

「で、デート、いつにする?」
「え、いつ? なにそれ」
「だってメシ、おごるっつったじゃん」
「あそうだった。お刺身食べたいな。高いやつ。うにとかそういうの」
「おーいいねいいね。どこでもいっちゃう」
「本当に奢ってくれるの? そんなお金」
「や、大丈夫大丈夫。ナミさんとのデートぐらいしか使い道ねェもん」

うそばっかり、と彼女がくすくす笑うので「本当だって」とかっこ悪く言葉を重ねた。
ナミさんはなぜかおれが遊んでばかりのろくでもない男だという設定を勝手に掲げていて、おれはいつも「ちがうってちがうって」とその設定からうまく抜け出せないまま足掻いている。

「本当。上手い寿司屋知ってんだ。今度一緒に行こう、な、来週の月曜の夜は?」
「空いてるけど、たぶん」
「んじゃその日な。予約しとく」

ナミさんは少し考えるみたいに口を閉ざして、諦めるみたいに「わかった」と小さく答えた。
もっと嬉しそうにしてくれよ、とおれは焦って言葉を繋ぐ。

「仕事忙しい? ごめんな月曜で、ナミさんは一週間始まったばっかりなのに」
「ん、別に」
「寿司ってそういやおれも久しぶりだわ。光りもんくいてー。おれ昔から安いもんばっか好きで」

ナミさんはおれの話を聞いてやしないのか、前を向いているのにどこかおれの知らない場所を見ているようで怖かった。
街灯の光が彼女の目に照らし出されて頬を白く光らせている。
あと街灯を5つ6つ過ごしたら彼女の家だ。

「ナミさんさぁ」
「んー?」
「おれのこと好き?」

わかりやすく呆れた顔を作って、ナミさんは首をひねりおれを見上げた。
ばかじゃないの、とその目が言っている。
や、ちがくて、と何がちがうのかおれはしどろもどろに言葉を繋げた。

「その、そうだったらいいなって」
「図々しい」

ずばりと切り捨てられて、がくんと肩が落ちた。

「その前に言うことあるんじゃないの」

おれから目を逸らしたナミさんが、どこか暗闇に向かってぽんと言葉を放つ。
一瞬間をおいて、「あ、うん」と答えたもののいや待てよそんなことおれはずっとずっと前から言い続けている、と気付いて「好きだ」と言った。
案の定、彼女は即座に「知ってる」と切り返す。

「うん……だよな」
「うん」
「でも好きなんだ」
「そ」

もう彼女のアパートの玄関口が見えている。
あと数分でこの地から足の浮いた時間が消えて遠くに流れていき、みっともなく酔っ払った一人の男が残される。
みじめだとは思わなかったが、なんとなくつまらない気持ちになった。

「挨拶で言ってるわけじゃねーんだよ」
「──挨拶だなんて思ってないけど」
「じゃあ返事をくれよ」

ナミさんが足を止める。おれも慌てて立ちどまる。
空っ風が通り過ぎ、前髪が目にかかってぎゅっと強く瞑った。

「肉まん、美味しかった」

ナミさんがぽつりと呟く。
聞き逃したわけでもないのにおれは「えっ」と声をあげた。

「来週、連絡してよね」

ナミさんがくるりと方向転換し、さっと彼女のアパートのエントランスの光に溶けていくみたいに消えてしまった。
「うん」とかろうじて返事をしたものの、彼女に聞こえていたはずはない。
尖ったヒールがかんかんと階段を登る音が遠くから聞こえていた。
やがてそれが止むと人通りのない通りにおれはひとりでたたずんで、黄色い街灯に群がる羽虫がじじっじじっと立てる音だけがやけに大きく響く。
そのままじっとそこに立っていた。

数分も立たないうちに、上方でがらっと窓のあく音がする。

「ばか、いつまで立ってんのよ」

ナミさんがベランダから身を乗り出して、こちらを覗き込む。
逆光でよく見えないまま彼女がいる方を見上げた。

「おやすみって、言い忘れたなって」

ナミさんが少し笑ったのがわかった。

「じゃあね、おやすみ」
「──おやすみナミさん」

気を付けて帰ってね、と空から降ってくる声におれはどこまでも行ける気がした。







======================
にっきさんお誕生日おめでとうございました!
「現パロ」で「幸せなサンナミ」で「両片思い」な感じのやつ、というご要望にお応えできたかなぁ。 

実は「午後のプリマたち」シリーズ【夜中の虎のフルコース】【愛って痛いの】に至る前のサンナミのつもりで書いたのでした。

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これのつづきです







ソースで汚れたプラスチックのパックが机の上にふたつ転がって、どこかの国の地図が描いてあるセピア色の灰皿にはどっさりと短い煙草が山盛りで、縁には灰がこびりついていた。
淀んだ空気をかき混ぜるように窓辺まで歩み寄り、窓を開けると冷えた夜気がするんと入り込んでくる。
すーずしーい、と背中側でサンジ君が頼りない声を出した。

「あんた酔い過ぎ。缶ビールでそんなに酔えちゃっていいわね」
「ん、おれぁどうせ安上がりな男さ……」
「なに言ってんの」

窓辺に置いてある背の高い本棚に背中を預け、汗をかいた首筋を外気で冷やした。
サンジ君はいわゆる体育座りで膝を抱えていた。長い足を窮屈そうに縮こめて座っているのも酔っ払いさながらで、ほの赤い頬がちらりと見える。
「たばこ」と言って彼はテーブルに置いてある空き箱に手を伸ばしたけど、触れた途端ぐしゃりと潰れた。

「ない」
「吸い過ぎ」
「ああー……今買い置きも切れてんだわ」
「ちょうどいいじゃない、禁煙しなさい」
「えー、じゃあ代わりにキスしてよ」
「しない」

サンジ君はわずかに頭を持ち上げて私を見た。

「口さびしい」
「勝手に寂しがってれば」

うう、と呻いてサンジ君は俯いた。
ふぁあ、とあくびがこぼれ出る。

「今何時なの?」
「ん、わかんね。2時くらい?」
「そりゃ眠くもなるわね。帰ろっかな」
「こんな時間に? 遅いよ、危ないよ、泊まって行きなよ」

じろりとサンジ君を睨む。
かたくなに顔を上げなかった彼が、やがて観念したようにこちらを見た。

「泊まって行きなよ」
「そっちのが危ない」
「こんな時間までおれんちにいて、今更なに言っちゃってんの」

それもそうだ。
足元に転がっていた携帯電話で時間を確かめた。夜中の2時16分。

「明日仕事休みだと思うと嬉しくなって夜更かししちゃっただけ。あんた昼から仕事なんでしょ」
「そだけど、今からナミさんと一緒に寝るから平気」
「寝ないし。帰るし。送って」
「いやだっつったら?」
「もうここには来ない」
「それはいやだー……」

ごねるように首を振って、サンジ君は煙草の箱を握りしめたままだった手を缶ビールに伸ばした。
もう軽いはずのそれを呷る彼の喉が、黄色い電光でやけに目立つ。
私もテーブルに置きっぱなしのロング缶を取り上げ、ごくごくと飲み干した。
ぬるい酒がよたよたと喉を通り抜けていく。
夜中らしくてなんとなく心地が良かった。

机の角をへだてたサンジ君の隣に座り、二人で飲み干していったいくつかの空き缶をビニール袋に放り込む。
ふと持ち上げた缶が予想外に重く、勢いよく振り上げたせいで中身が手の甲に飛び散った。

「わっ、なによこれ、あんた全然飲んでないの残ってんじゃない!」
「んおー、ミスった」
「もう! ティッシュちょうだい」

座ったままサンジ君が右に手を伸ばしてティッシュの箱を掴む。
クレーンゲームのように私の元までそれが運ばれてきた。

「ナミさぁん」
「なによ」
「おれと付き合って」
「やだって」
「なんでなんでさー」
「あんた私だけじゃないでしょ、だらしないからいや」
「んなことねェって、どっからンな勘違いしてんのナミさん」

勘違いじゃないんだもの、と手の甲を拭きながら彼を睨む。
サンジ君も睨み返すように私を見てくる。
酒のせいで熱のこもった目がいたたまれずにすぐに逸らした。

「んじゃなんでこんな時間までおれと遊んでくれんの」
「誘われたから。便利だから。ごはんおいしいし」
「今日はスーパーの焼きそばだったけど」
「気分よ」
「手ェ出しちゃうよ」
「ぶっとばす」

ドンと重たい音がして視界が翳った。
頭の中身が揺さぶられて咄嗟に目を閉じた。
次に目を開けたら逆光に翳るサンジ君の目がとても近くに見えた。
押し付けられた手首がラグマットの毛足に触れてざらりと擦れる。

「ぶっとばされる?」

垂れた前髪が頬をかすめた。

「場合によっては」
「んじゃ、これはセーフなんだ」

アウトだバカ。
唇の動きだけでそう言うと彼がふっと笑った。
ふに、と頬に口づけられる。
音も立てず離れた。

「キスしていい?」
「今したわよね」
「次、ちゃんとしたやつ」
「嘘ね」

うそ? とサンジ君は子どものように首をかしげた。
覆い被さる彼のせいで部屋の明かりが遮られ、視界はどんより薄暗い。
一緒に飲んだお酒のにおいがふたりの間を漂って、上の方を開けっ放しの窓から風が流れ込む。

「できないくせに」
「できるよ」
「嘘」
「まじまじ。キスしちゃうよ。なんならもっといろいろしちゃうよ」
「いろいろ?」

うん、と馬鹿正直に彼は頷く。

「引き裂くみたいに脱がせるよ。ナミさん泣いちゃうよ」
「あっそう」
「やってみる?」
「泣いちゃうけどいい?」

途端、サンジ君はふにゃりと眉を下げて「よくない」と言った。
あまりに情けないその顔に思わず噴き出す。

「ぶ、ばかじゃないの、あんた」
「よくねぇよー、ナミさん泣いたらやだよー」
「わかったから、どいて、背中痛い」

ぐずぐずとサンジ君は半ば本気でべそをかきながら身体を起こした。
私も彼を押しのけて身体を起こす。
しかしサンジ君は床に押し付けていた私の手首を離さなかったので、子どもの遊びみたいに私たちは両手を繋いで床に座り込んでいた。

「ナミさんおれと付き合って」
「うーん、やだ」
「なんでなんでさー」
「あんた私だけじゃないしそんな贅沢なことさせたくない」
「んなことねェよー、ナミさん勘違いしてんだって」

なんだか覚えのあるやり取りだなと思った。
勘違いじゃないし、と呟く。

「今日の私の友だちが今度あんたの店に行ったらあんた絶対連絡先訊くでしょ」
「えー、まあそりゃ礼儀みてェなもんで」
「そんで連絡するでしょ」
「それもマナーじゃん」
「こやって家に連れ込むんでしょ」

いやいや、と彼はだらだら首を振る。壊れた人形みたいに関節が不安定に揺れる。

「連れ込まねって。つかナミさんの友だち美人ばっかだったじゃん。連れ込ませてくれねぇよ」
「連れ込まれてる私はなんなのよ」
「そりゃーナミさんはおれとどうにかなっちゃっていいって思ってるからじゃないの?」

じっと彼を睨んだ。
酔っ払いの青い目は焦点が合っていなくて、どこか中間点を見ているようで、でも実のところ私を見ていた。

そうよ。
どうにかなっちゃったらいいと思うから、こんな時間まで、汚いあんたの部屋で、だらだらと美味しくもないスーパーの惣菜を食べて、ぬるくてまずいお酒を呑んで、それでも帰らずにここにいるのよ。
本当にこの男、ばかなんじゃないだろうか。

「帰る」

携帯を掴んで立ち上がる。
するりと彼の手が離れた。
汗で湿ったところが途端に冷えていく。

「送るよ」
「うん」

背後で彼が立ち上がり、伸びをする気配がした。

「なんつって」

背後から腰に回った手が圧倒的な力で身体を引き寄せた。
身体がぶつかるとすぐそこのベッドに一緒になって倒れ込み、なにを言う間もなく深く唇が重なった。
薄いシーツにぎゅと押さえつけられた手が熱く、足の間に割り込んだ膝がぎっとベッドを軋ませた。
じわじわと身体の奥からせり上がる興奮が眠気をどこかに押し込めていく。ぎゅっと手のひらを握り込んだ。
少し唇が離れたとき、咄嗟に口を開いた。

「手、離して。痛い」
「──いやだ。ナミさんが逃げる」
「いいから。離して。痛いって言ってんでしょ」

私の手をシーツに縫い付ける力がほんの少し緩んだ隙にさっと腕を引いて彼の手から抜け出す。
一瞬で哀しそうな顔をした彼の顔をぐいと両手で掴んで薄い唇に噛みついた。
本当に、前歯でぎりぎりと噛みついた。

「いてっ、でっ、いたたっだだだナミざんいだい」

痛い痛いとサンジ君は笑いながら、ぎゅうぎゅうときつく私を抱きしめて、ベッドの上をごろごろ転がった。




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夜風が心地よい冷たさで頬を撫でて過ぎ去っていく。
ベランダの手すりに肘をついて顎を支えると、金属のそれから風とは質の違う冷たさが這い上ってきた。
乾かしたつもりでもまだ湿り気の残っていた髪が冷えて、ぶるっとひとつ体を震わせた。
それでもなんとなく、中に戻る気にはなれない。
 
今日の昼間は梅雨の中休みで暑かったけれどいい天気だったから、夜空に星は多く見えた。
少し高台にあるあたしの家からは余計たくさんの星が見つけられる。
よっと身体を手すりの向こうに少し乗り出して右側を仰ぎ見ると、ぺらぺらに薄く細くなった月がほのかに光っていた。
月の光が少ないと、星がたくさん見える。
その月のすぐそばをかすめて言った薄い雲の動きを見て、明日もいい天気だけど少し風が強いかもしれない、と誰に言うわけでもないのに一人天気予報を告げる。
唇を少し開くと、冷たい空気が口内にも流れ込んできた。
その冷たさに少し怯んで、それでもおずおずと音を舌先に乗せた。
 
 
サンジ君サンジ君、あたしの声は聞こえてる?
 
 
 
 

 
 
「明後日?」
『そう、明後日の、14時半着だから』
 
 
携帯電話は、数千キロの距離を一気に縮める魔法の箱だ。
いつもいつもどこかに置き忘れたりコンクリートに落としちゃったりしてごめんね、と思いながら電話の向こうで『ナミさん聞いてる?』と訝しげに聞こえた声に、慌てて「聞こえてるわよ」と返事をした。
 
 
「じゃあ空港、迎えに行くから」
『え、いいよいいよ。ナミさんとこから遠いだろ?オレがバスでさっさとかえるよ』
 
 
せっかくの出迎えの提案を、彼はあっさりと否定してみせた。
まったく、いつもは会いたい会いたい早く会いたい帰りたいナミさんに会いたい!!と電話口でわめきたてているくせに、いざ帰るとなると至極あっさりしているのだから、あたしが今までのサンジ君の言葉を疑ってしまうのも仕方のない話だと思う。
 
 
「いいから、行くの!」
『…そ?わかった、ありがとう』
 
 
否定したくせに、ありがとうと言った言葉がひどくうれしそうで、ふわりと跳ねるように耳に届いてあたしはくすぐったくなる。
くすぐったいくせに素直になれないのはあたしの悪い癖だけど、そういうところも好きだといってくれる人がいるのでなかなか治せない。
耳にぴったりくっつけた携帯電話のスピーカーの向こう側で微かに聞こえる彼の吐息にさえ、あたしは瞼を震わせてすぐに反応してしまうというのに。
 
 
『…ナミさんナミさん』
「なによ」
『空港で抱きしめても怒んないでね』
「怒るわよ!バカ!」
 
 
恥ずかしい奴、と口では言いながら、見えてないからいいものの、頬はあたしだってきっとサンジ君に負けず劣らず緩んでいる。
サンジ君はそれに気付いているのか気付いていないのか、まるで絞り出すような声で『会いてぇ』と呟いた。
あたしは震える瞼をぎゅっと瞑った。
 
 
 

 
空港のざわめきは外とは異質な興奮を秘めていて、結構好きだ。
国内線より俄然国外線の方がその度合いは大きくて、だから国外線出口の真ん前のベンチに座りながらもあたしは何度もキョロキョロあたりを眺めていた。
 
腕時計に視線を落とす。
ちょうど14時半。もう飛行機は着いただろうか。サンジ君は降りただろうか。
彼の乗る飛行機が日本から発つときも、逆に日本へ来るときも、いつもいつも飛行機が空を飛んでいる間はそわそわして落ち着かない。
何度もテレビのニュースを確認して、たとえ無関係のニュースだろうとテロップが流れると一々びくびくして、何度も安堵の息をつく。
だから今日も、彼が乗ったはずの飛行機が経ってから今の今までびくびくしていたわけだが、何の知らせもないのできっと無事についたのだろう。
今頃はスーツケースの受け取りをして、入国審査に向かっているのかもしれない。
 
今回の帰省は少し長くて、サンジ君は2週間近く日本に留まる。
彼が修行させてもらっているお店に許しをもらって帰ってくるのだ。
そしてその2週間の間には、あたしの誕生日が含まれている。
彼が帰ってくると言ったときからすでにそのためだろうと気付いていたし、サンジ君はすぐに「今年はナミさんの誕生日、まるごと一日近くで祝えるぜ」と言ったのであたしも期待して少し、いやすごく、嬉しい。
 
右手の薬指で水面のように光る青色の表面を反対の指先で撫でて、サンジ君の姿を脳裏に思い浮かべた。
前に会ったのはもう一年前の、あの時帰って来たきりだ。
髪は伸びているだろうか。
服装は私服か、まるで普段着のように着こなすスーツだろうか。
背は…伸びているわけないか。彼はもう20歳を過ぎている。
でもあたしだって、もうすぐ20歳だ。
あたしってば足は長いし腰は細いし胸はそこそこあるしで我ながら悩ましい身体だから、今までは下品にならない程度に魅せられる服を選んできた。
そのせいか、わりと体のラインに沿った服が多い。
それでももう20代になるわけで、見せるばかりが魅力じゃないと気付いた。
だから今日は少し大人っぽい服を選んだ。
柔らかい素材のクリーム色の生地で、裾の方に茶色と水色の糸でアラベスク調の刺繍が施されたロングスカートと白のブラウス。
空港の中は空調が効いていて涼しいので上に紺色のカーディガンを羽織っている。
あたしの明るいオレンジ色の髪がその大人しさの邪魔になる気がして、わざわざロビンに見せに行ったりしたけれど、ロビンは「アクセントになってちょうどいいじゃない」と言って褒めてくれた。
 
大人っぽい服はずっとロビンを見て憧れていた。
服だけ見れば無地で野暮ったくさえ思えるセーターでも、ロビンが着れば驚くほどスマートな印象に映る。
そしてそれをサンジ君が褒めるたび、あたしはなんとなく羨ましいような悔しいような思いを感じてしまうのだ。
もちろんサンジ君はあたしを頭のてっぺんからつま先まで褒め倒すけれど、褒めてほしいわけでもないあたしはひたすら拗ねていた。
今思うと恥ずかしいくらい子供だった。
 
だから今日はリベンジだ。むしろ挑戦に近い。
サンジ君はあたしを見て何か言ってくれるだろうか。
いつものように、まるで機械音声のようななめらかで美しい褒め言葉を並べるのではなくて、今のあたしを見て何か思って欲しかった。
まるで初めてのデートの待ち合わせのときのようだ。
いやむしろ、この昂揚感はそれ以上かもしれない。
だってあの頃あたしは根拠もなく自分に自信があったし、彼が常にそれを教えてくれていたので必要以上に心配していなかった。
それでも今は、目に見えるきらびやかなものや人が褒める美しいものがすべてじゃないのを知っている。
あたしはあたしの中にある澱んだ思いを知っている。
そういうマイナスもまるごとひっくるめて好きだと言ってくれるサンジ君を手放さないためにも、あたしは努力が必要なのだと知った。
 
 
もう一度腕時計に視線を走らせる。
14時40分。
入国審査が混んでいなければ、日本の審査は拍子抜けするほど簡単だからそろそろやってくるだろう。
そう思っていると、国外線出口の自動扉が開いた。
どきりとして顔を上げたが、出てきたのは初老の夫婦。
一組目の帰国者らしい。本当にそろそろだ。
そう思うと、一気に胸の鼓動がスピードを増した。
髪は変なふうになっていないだろうか。もう一度化粧室に行って確認してきた方がいいかもしれない。
ああでも、もう彼が出てきてしまうからそんな時間はない。
服はおかしくなっていないだろうか。スカートの皺を確認して、パタパタと用もないのにはたいた。
 
(サンジ君サンジ君、)
 
 
服装だとか髪型だとか、本当はそんなこと些末なことなのだ。
会いたくて逸る胸は期待に押しつぶされて、圧迫されたぶんが形を変えて涙になって目からこぼれそうだ。
 
1年前、フランスへ帰ってしまったサンジ君が乗る飛行機を見送って、彼が安心していられるよう強くあろうと決めたのに、すぐにへこたれた日々を思い出す。
会いたい会いたいと現実味のない願いをかけるたびにむなしさに息がつまった。
つい名前を口ずさんで、返事がないという当たり前のことに何度も落ち込んだ。
 
どうして返事しないのよ。
あたしの声が聞こえないの?
あたしは何度も、あんたを呼んでるのに。
 
かなり無茶苦茶な言い分だ、自分でわかっている。
それでもこのどうしようもない思いが原動力となってあたしという歯車を回している。
 
(サンジ君、)
 
 
早く早く、名前を呼ばせて。
それで返事をして、あんたもあたしの名前を呼んで。
すきだと言って抱きしめて、飽きるくらいキスをして。
あたしに会えてうれしいと笑って。
 
 
 
出口の自動扉は次から次へと吐き出される人人人で開きっぱなしだ。
その人波の中で、ひと際眩しい金色の髪が揺れた。
人が左右に捌けていくと、ただひとりだけがあたしの前に立っていた。
 
 
(サンジ)
 
 
あたしの右薬指と同じ青を宿して、変わらない垂れ目がゆっくりと微笑む。
 
 
「ただ…うぉっ、」
 
 
「ただいま」と続けられるはずの言葉はあたしが邪魔をした。
立ち上がった勢いそのままにサンジ君の胸にぶつかって、冷房のせいで冷えたシャツの背中側を握りしめる。
見えないけれど、サンジ君が両腕をホールドアップして、あたしを見下ろし固まっている姿が目に浮かぶ。
「ナミさんここ空港だけど」と若干おろおろした声に、このヘタレとこっそり悪態づいた。
 
 


 
 
 『空港で抱きしめても怒んないでね』
 『怒るわよ!バカ!』
 
 
 そうよ、あたしが先に抱きしめるんだから。

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(…空港はどこも一緒なんだ…不思議)



飛行機と空港を繋ぐスロープを降りきる瞬間、すごくドキドキした。
だけど下り立ってみれば空港のフロア内は行きに見た景色とほとんど同じで、違うのはすれ違う人の外見だけだった。


現地の時間は夜の9時。
とりあえずその日は街中の小さなホテルで夜を過ごした。
















携帯の画面と、店の看板を何度も何度も確かめてそこに書かれている文字を確認する。
間違いなく、サンジ君がお世話になっている店だ。

立派な門構えがあるわけでもなく、特別大きいわけでもない。
人がゆっくりと通り過ぎていくだけのストリートに面して、ベージュ色の壁に囲まれたそこは静かに上品さを醸出していた。

現在時刻10時。
店は準備中で、窓越しの景色から見たところコックらしき人が数人慌ただしく動いているだけだ。


(…サンジ君は…いないわね…)


ガラスからひょこひょこと顔をのぞかせるあたしは中から見たらさぞ滑稽だったのだろう。
気が付けば、面長で薄茶色の目の若い男性が茶色いメインドアを開けてあたしを見ていた。


「あ、」

『ごめんね、まだ開店前なんだ。観光客?あと1時間で開くからそれまで待って』


突然するんと流れ始めた言葉はなめらかにあたしを通り抜けていくだけで、最初の『ごめんなさい』しかわからなかった。
しかしそれでも喋らなきゃという気持ちだけが先走って口をぱくぱくさせるあたしを不思議に思ったのか、その男性は肩をすくめながらあたしに何か問うてきた。
たぶん、『店に何か用?』とかいうようなことを言っている、のだと思う。
あたしは必死で覚えてきた言葉を引っ張り出した。


「サッ、サンジ!」

『サンジ?』

『サンジは、この店で働いてますか?』


男性はきょとんとあたしを見つめた。
その時間があまりに長かった(ような気がした)ので、もしかして言葉が通じなかったのかとあたしが焦り始めたころ、男性は一瞬にして相好を崩してああと笑った。


『君、「ナミ」だ!』

『あっ、あたし?そうだけど、』

『サンジなら今いないよ、聞いてないの?

『…聞いてない』


突然むっつりとしたあたしの表情を読み取ったのかそのフランス人男性はありゃ、というような声を発したがそれでも楽しそうな顔は変わらない。


『そうかそうか、いやでもサンジが言ってないのも仕方ないよ、うん』

『あの、彼は今どこにいるの?』



男性はあたしの言葉を聞いて、少し上を仰ぐようにして考えてから何かを呟き、あたしに向かって愛想よくにこりと笑った。
笑うと深い顔立ちの向こうで目が細くなって、結構いい男だ。




『サンジ今、日本にいるよ』

















ウソップがガタタッと音を立てて椅子から腰を上げる。
その動作は無言だったが、無言というより絶句だ。


「…まじで言ってんの、なあそれまじで」

「だからそう言ってんだろ」


4杯目のラーメンをすするルフィの隣でゾロが面倒くさげにウソップを見上げた。
かたやウソップは青くなった顔をひきつらせたまま固まっている。


「…何時にこっち着くんだよ」

「今日の昼過ぎっつってたか」

「もうすぐじゃねぇか!…ああもうなんてこった…ナミ…」

「なあなんで今日はナミいねぇんだ?」

「だっかっらっ!フランス行っちまったんだよ!最初に言ったろうが!」

「眉毛と入れ違いじゃねぇか」

「だぁかぁらぁさっきからおれはそれを…!!」




言っても言っても伝わらないもどかしさやら、向こうで真実を知ったナミの気持ちやらいろんなものが一気に押し寄せて、ウソップはぐたりと椅子に座り込み後ろに背中を預けた。
そんなウソップにおかまいなくルフィは最後の汁まで残さずすすって、汚れた口元のままにかりと笑った。


「そうか、サンジ帰ってきてんのか!いいなあ、ひさしぶりだな!」

「それどころじゃねぇよぉ…ナミ早く帰ってこい…」

「帰ってくるだろナミも!」

「そんなすぐトンボ帰りできるとも限んねぇだろ」



いや、とゾロが口を開いた。



「グル眉が帰ってきた理由くらいわかりゃああの女のことだ、すぐ帰ってくんだろ」

「は?」

「おう、そうだな!しししっ、ナミは絶対帰ってくるな!」

「え、なんだよサンジが帰ってきた理由って」



慌てて二人の顔を交互に見やるウソップを、ゾロとルフィの二人もまたきょとんと見返した。


「なんだおめぇ、わかってなかったのか」

「おれでもわかったぞー!」



呆れたふうなゾロと楽しげなルフィを前にして、ウソップはただ目を白黒させる。
おっちゃんおかわりー!とルフィの呑気な声が店内に響いた。



















ぽかんと間抜けな顔で立ち尽くすあたしを、フランス人男(アランと名乗った)はまあおいでよと店内に招いてくれた。
準備中なんじゃと言えば、ナミだからいいよと言われ、最初は意味の分からなかったその言葉も、店内で彼があたしを紹介した途端全員があたしを訳知り顔で温かく迎えてくれたことによってなんとなくわかった。



(…サンジ君が、あたしのこと)




料理長らしく立派なひげをたくわえたおじさんが現れてあたしを上階へ案内するよう言ってくれた。
彼がおそらく、ゼフ料理長の知人の料理人なのだろう。

すれ違いざま料理長の視線が柔らかったので、ここでのサンジ君の生活に少し安心した。








『上階はここで修業してる料理人の部屋になってるんだ。僕の部屋も、もちろんサンジの部屋もあるよ。ここがそれ』



そう言ってアランがカギを差し込み一部屋を開けた。
勝手に開けてもいいのかと問うたが、大事なものは全部持って帰ってるだろうから大丈夫だよと朗らかに笑うだけだった。



6畳ほどの小さな空間。
ドアの正面に小さな窓が二つ。
壁に寄り添うベッドとスタンド付のテーブル。
小さなクローゼットと本棚が入ってすぐドアの向こうにある。


ここでサンジ君は三年間、寝起きして、料理の勉強をして、アランみたいな友達を呼んで、生活していたんだ。
そう思うとほんの一瞬だけサンジ君の匂いを感じた気がした。



テーブルの上には写真立てが一つあり、バラティエのコックたちとサンジ君が三年前の姿で勢揃いしていた。
本棚にはフランス語の本がほとんどだったけど中には日本語の本もあり、フランス語を勉強するための本もあった。(それはもう埃をかぶってはいたけど)
服は粗方持ち帰ったのかクローゼットは空っぽに近い。
だが物が残っているところを見ると、サンジ君はまたここに帰ってくるんだろう。




『…ナミ』


ドアは開いたまま、入り口付近の壁にもたれていたアランがゆっくりと諭すような口調であたしを呼んだ。


『なんでサンジが日本に帰ったかわかってるんだろ』

『…』

『ならナミも早く帰りなよ』



アランの言葉を聞き流して、あたしは部屋の中を見渡した。
彼がこれからも生活していく空間。


『…この部屋』

『ん?』

『この部屋、あたしのもの、何もないのね』



持っていくと言っていた、あたしが彼にあげたものや、あたしの写真も。
ルフィがサンジ君の旅立ち前にあげていた意味の分からない置物やバラティエの写真はあるのに。

そう言えばアランはしばらくあたしを見つめて、それからゆっくりと目を細めた。









『言っただろ?サンジは『大事なもの』全部持って帰ってるんだよ』











初めてナミの写真見せられた時に率直な感想述べたら蹴りが飛んできたから焦ったよ。
下衆な目で見るなとか言って。自分が見せたくせに。
ナミは気象予報士なんだろ?あれ、ちがうか、これからなるのか。
どっちにしろオレより若いのに全然オレより頑張ってるって、すごい自慢してたよ。
だから自分も負けないようにここに来たって言ってた。





アランの話す言葉で理解できたのは最初の方だけで、あとはほとんどわからなかったのに、あたしはどうしようもなく泣きたくなった。






『早く日本に帰ってやんなよ。『強くて可愛いオレのナミさん』』




あたしはずずっとみっともなく鼻をすすった。


『…いやよ。まだ観光もしてないのに』

『ハハッ、本当にサンジの言ってた通りだな』



それじゃあ帰りたくなるようなことを教えてやろうと、アランは初めて少し意地悪な顔をした。
















急な帰国に面倒な手続きは山ほどあったけど、あたしの必死さが伝わったのかどうにか明日の日曜日の14時には着く便がとれた。

アランの店から空港までは100キロほど離れているうえに、一度ホテルまで無駄にでかい荷物を取りに戻らなければならないこともあって予想以上に手間取り、よって空港に着いたころには、夜の早いこの地域の緯度のせいもあって既に日は落ちていた。



来てよかったと、心底思った。
まあ費用がもったいないと言えばそうなんだけど、それでも。

19時発の便に乗るまであと2時間はある。
それまでどこかカフェで気を落ち着かせてゆっくりしようかと搭乗券を握りしめてトランクを転がしていたそのとき、空港内のアナウンス音が響いた。










『パリ発成田行○○航空12便、機体整備により運転時間見合わせ──』



 

「……はああああ!?」



手の中の搭乗券を何度も見直す。
聞き間違いであることを願って電光掲示板を見に行ったが、間違いなくあたしの乗るはずだった便が運転見送りと記されている。



「…どうしてこう悉く…」


あまりの運の悪さにどうしようもないと思いながらも自分に嫌気がさして、ほとんど倒れ掛かるようにして空港のベンチに座り込んだ。


どうしても明日には帰りたい。
それにもしまたサンジ君がフランスに帰ってくるなんてことになったら入れ違い第二弾勃発。もう笑い事じゃない。


「…どうしよ」


滲んできた涙を押し戻すように俯いてぐっと目を閉じたそのとき、カツンと細いヒールの音があたしの前で止まった。












「ナミさん?」





高くまとめられた水色の髪が、ふわんと目の前で揺れた。










「…ビビ…!?」

「わっ、やっぱりナミさん!すごいっ、偶然!ナミさんもパリに来てたなんて!!」



髪の色に似あった薄い色のワンピースに上着を羽織った姿のビビはあたしの手を握って、一人興奮して声を高くした。




「えっ、なにっ、なんで、ビビが」

「私はパ…父の仕事のお手伝いでこっちに来てたの。手伝いって言っても私の勉強もかねてるんだけど…
父はまだ仕事があるから、私だけ先に帰るように言われたの。ペルも一緒よ!」


ビビのお父さんは、広く貿易業を扱う会社の代表取締役…創業者直系の社長だ。
そんな社長令嬢であるビビはなんの縁あってかあたしたちと仲良くなり、その仲は切れることなくずっと続いていた。
少し離れたところでペルさんがあたしに小さく会釈した。


「ナミさんもこれから日本に帰るのよね?」
「うん…でも便が遅れてて…もしかしてビビも一緒の便?」



ビビはあたしの手を握ったまま小さく笑って首を振った。









「私はここの滑走路を借りて、うちの自家用機で帰る予定だったの。一緒に帰りましょ!」







しばらくぽかんと口を開けていたのだが、ビビの言葉の意味をやっとのことで理解したあたしが立ち上がった勢いそのままにビビに抱き着くと、慌ててペルさんが飛んできた。



















「ほんっと、ほんっとにありがと!」

「いいのよ、サンジさんによろしくね。あとみんなにも。本当は家まで送ってあげられればいいんだけど…」


これから自身の勉強の予定が入っていて、なかなか帰ってこないお嬢様を業を煮やして待っているチャカさんがいる身分であるビビに、あたしはすぐに首を振った。


「ビビも経営学の勉強、頑張って。いつかこの借りは返すから!」

「そんなのいいわよ。それに『今日』だもの」



ビビは悪戯を仕掛けた子供のような顔で笑って見せた。


「…ありがとう」

「また一緒にご飯行きましょうね!」




大きく手を振って歩いていくその姿に、あたしも目いっぱい手を振りかえした。






「…さて、と」


ウソップに電話して今着いたと言ったら泣いて喜ばれた。ついでに少し怒られた。
理不尽だと分かりつつ謝っておいて、あたしはとりあえずちょうど来たバスに飛び乗った。
















荷物もそのままにバラティエに行き、強面ぞろいのコックたちに迎えてもらった。
しかしそこに目的の影はなく。


「あのクソガキ、帰ってきたら荷物だけ部屋にほっぽってさっさと出てっちまった。休店日なのをいいことに昨日から帰ってきてねぇよ」


顔をしかめて話すゼフ料理長に、じゃあサンジ君はどこにいったのと聞いたのだが、


「俺はあんたんとこに行ったんだと思ってたんだから、知らん」

とばっさり切られた。





仕方なく店を出たのだが、こうまですれ違うのはもう何かの呪いか誰かの因縁かというほど禍々しいものを感じずにはいられない。
深くため息をついて、トランクの取っ手を掴みボストンバッグを肩にかけた。









「ナミさん」










火のついてない煙草をゆっくり口元から離したサンジくんは、少し目を丸めてあたしの前に立っていた。
その距離、5メートルほど。

 

 

 



「…や、びっくりした。ごめんナミさんフランス行ってくれてたんだって?あいつらに聞いてさ…
オレも急いであっち帰ろうとしたらまたあいつらに止められて。
あ、昨日はルフィんちで雑魚寝しちまって…さっきまでロビンちゃんの店にいて、それで」






サンジ君が言葉を切ったのは、あたしが無言で詰め寄って来たからだろう。
迫力に押されて固まったサンジ君の顔めがけて、あたしは荷のつまったボストンバッグを振り上げた。
バコッと何かがつぶれる音がしたけど、それはけしてサンジ君の顔ではなくあたしのバッグの中身だと思う。






「…あ、あいかわらず手厳しい…」



後によろめいたサンジ君は頬を押さえて苦笑したけど、あたしは笑ってなんかやらない。
バッグをボスンと下に落として、両手で彼の胸を突いた。


「…ナミさん、」

「このバカ。もっと他に言うことあるでしょうが」




俯いたまま吐き捨てるあたしの両手を、サンジ君の両手が掴んだ。
唇が、震えて仕方ない。






「…久しぶり、ナミさん」

「遅いわ。…なんで連絡くれなかったの」

「それは本当にごめん。一回でもあんたの声聞いたら、その、もうオレ駄目な気がして」

「手紙ぐらいくれてもいいじゃない」

「ナミさん忙しいと思って、返事書かなきゃって思わせるの悪いかなって」

「なんで賞のこと教えてくれなかったの」

「知ってたの?」

「ついこの間知ったわ。雑誌に写真載ってた。候補って」

「あーこっちでも…や、ていうかアレ、結局駄目だったんだ。オールブルーは取れなくって、副賞で」

「それでも知りたかった」

「…ごめんな」


サンジ君はあたしに顔を上げるよう促すように、額にキスを落とした。


「心配だった?」


その言葉にまたとてつもなくイラっとした。
ので、彼の両手を力の限り振り払い、その顔を仰ぎ見た。



「当たり前でしょこのバカ男!!
あ、あたしのこと忘れたんじゃないかとか向こうで女作ってんじゃないかとか、ルフィが教えてくれなかったらあんたが生きてるのかさえわかんなくて、あたしのほうこそ死にそうだったわよ!
何年経ったと思ってんのよ、3年よ!3年も放っといて「びっくりした」じゃないわよ!
なにが『大事なもの』よ、本当に大事だと思ってんならあたしごと掻っ攫ってでもフランス連れてきなさいよ!
そりゃあんたが頑張ってるのは知ってるけど、けど、あたしだって、そんなに強くない」




やっと上げることのできた顔と一緒に、言葉の勢いは終わりを迎えるにつれて小さく下がっていった。

あー、と不明瞭な声を発して後頭部を掻いたサンジ君は、ゆっくりとあたしの頬を包んで上を向かせた。



「ナミさんを泣かせるつもりなんてなかったんだけど、ごめん」

「…謝ってばっかなのもむかつくわ」



いつものように眉を眇める笑い方をしてから、サンジ君はゆっくりキスをした。
3年ぶりのそれは全然甘くなかったのに、唇が触れただけで心臓がぺちゃんこになりそうなほど潰れた。














「オレはあんたとどれだけ離れても、百万光年離れても、誰よりも近くにいるよ」









「…クッサ」











サンジ君は穏やかな顔でいいんですーと呟いた。













「ナミさん、誕生日おめでとう」











「…あたしもう21よ」

「本当は18も19も20の誕生日も、祝いたかったんだけど」

「…もういいわよ」




ぐずっと鼻をすすって煙草のにおいの染みついたシャツに顔をうずめようとしたその時、いかにもな咳ばらいが、しかもいくつも、重なって聞こえた。



「あー、若いのは結構。だがそういうのは往来でやるもんじゃねぇぜ」



コック服に身を包む男たちが頬を緩めて店内から顔をのぞかせる。
それからすぐに、サンジ君の怒号が往来に響いて店内の机がひっくり返った。

















ざわめく店内は少し照明が落とされて薄暗いが、あちこちに手作り感あふれる飾りつけが施されていて思わず笑ってしまう。
ロビンの店で開かれたあたしの誕生パーティー、という名のただの集まりは上々の盛り上がりを見せていた。

あちこちに引っ張りまわされていたらしいサンジ君は、よれたシャツを整えながらぐったりした顔つきであたしの横に腰を下ろした。
そして、あたしが今の今まで忘れていたことを口にした。



「誕生日プレゼント?」

「そう、何がいい?」


あたしは自分の額をぴしゃりと叩いた。


「…あたしとしたことが、すっかり忘れてたわ。そのために帰ってきたっていうのに」

「え?そのため?え?」

「副賞の、賞金!アランが教えてくれたの!それで誕生日プレゼント買ってもらえって!」



意気込んでそういうと、サンジ君は上を仰ぐように背もたれにもたれかかり、何か呟いた。
悪態ついたように聞こえないでもない。



「…んー、まあもともとそのつもりだったけどさ…」

「ね、あたし指輪がいい」

「指輪?なんか欲しいのがあんの」

「そういうわけじゃないんだけど」

「なに、じゃあやっぱダイヤとか?」

「ううん、サファイアがいいの」

「サファイア?」



あたしはにっこり笑顔付で大きく頷いた。

今はまだ、小さな石でいい。
小さくていいから、色褪せないあの海の色を、あんたがその目に湛える青をあたしも手放さずにいたい。
身の軽い彼のことだから、いつどこで何をしているかなんてわかったもんじゃない。
だからせめてサンジ君と同じあの青で、あたしたちの莫大な距離を埋めたいと思った。
気休めでもいいのよ、

彼のいう百万光年の距離を、想いは光の速さで進んでいく。














「なあさっきからずっと言いてぇと思ってたんだが」

「なに?」





サンジ君はあたしの髪を掬うように手に取った。
一束がするりとその手から零れ落ちる。













「髪の長いナミさんも堪んねぇな」







fin

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最後の夜は二人で過ごそうと、サンジ君が言った。


「せっかくだからどこかいいところに行こうよ。オレ運転してもいいし」

 

オレたちには場違いなんじゃと思えるほどのレストランとか、と彼は指折り数えてここやあそこやといくつものお店の名前を上げていった。

だけど私は首を振り、いつものようにいたいと言った。


サンジ君は少しの間私を見つめてから、ゆっくりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 


混雑時を外したつもりでも日曜の夜のバラティエはまだまだかきいれ時で、数個のグループが入り口付近で席の空きを待っていた。
受付のボーイは私たちの姿を見ると、なめらかな動作で通してくれた。
客用フロアの一番奥、入り口からは見えない少し静かな席が私とサンジ君の席だ。

レストランの内装やその他諸々の装いを見れば、ここは『一見さんはご遠慮』のようにも見えるがそんなことはない。
あらゆる人々がただおいしいものを求めてくるだけの場所が、ここバラティエだ。
厨房に近づけばコックたちの怒号が聞こえてくる。
頭の足りない奴らが入り込めばたちまち太い腕がそれを抑え込む。
祝い事には盛大なる料理と、全力で拍手を。

彼の家は、とても素敵な場所だった。

 

 

 

 

 


少し豪華な夕食を、彼の仲間たちが仕上げてくれた料理をその席で終えて、私たちは帰り道を辿った。

道中、サンジくんはひとり上機嫌だった。
足取りは軽く、身振り手振りをつけてよく話しよく笑う。
夜道は暗かったけど、彼の金髪がやけに明るく見えた。


「ナミさんはあと一年、や、もう一年しか制服着ねぇんだな」
「なんで私が名残惜しそうなのよ」


私の買い物袋を肩から下げたサンジくんは私を見て笑っただけで、それからすぐにはい到着ーと足を止めた。

窓から煌々とあかりがもれている、一戸建ての前。


サンジくんは変わらぬ笑顔のまま、私に買い物袋を差しだした。

 

「風邪、ひかないように」

「ん」

「勉強もがんばって」

「そっちこそ」

 

サンジ君は困ったように笑った。


「いつになるかは、わかんねぇけど」


必ず帰ってくるよ。


サンジ君はまっすぐに私を見つめて、瞬きもせず、まるで視線全てで包み込んで忘れまいとするかのように、海をたたえた瞳に私を焼き付けた。

彼が背を向ける。
ストライドの長い足が彼を運んでいく。
上空で飛行機が近く、轟音を立てて飛んで言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



「ナミー、飲み物どうする」

「オレンジティー」

「了解」

 

小銭を投げると、ウソップは上手にキャッチして込み合うカウンターへと歩いて行った。

大学のカフェテリアは雑然としていて、無秩序で、生暖かい人の温度であふれている。
私はやっと見つけた二人席に腰を下ろして伸びをした。
軋んだ背骨が縁起でもない音をたてた。


「お待たせ」

「ありがと」

二人分の昼食をトレーに乗せて人ごみを潜り抜けてきたウソップは、息をついて腰を下ろした。


「ゾロからメール来てた」

「ゾロ?」

「今週末こっち帰ってくっから、メシ行こうって話んなって」

「そう、久しぶりね」

「2年の夏に一回…それきりか」

「あいつも冷たいわね、全然帰って来ないんだから」

「忙しいんだろ。今週もたまたま休み出ただけだっつって」

 

大変ねーとランチを口に運べば、本当なーとウソップがコーラをすすった。

 

「そういやオレ、こないだの木曜ルフィにあったわ」

「あ、そう。何してた?」

「レストランの食品ディスプレイに張り付いてた」

「なにそれ」

 

その相変わらずな姿に噴き出して、変わらないわねというとウソップも呆れたように眉を下げて笑った。


「まぁあいつもそれなりに忙しくしてっし、そう会えねぇからなぁ。サンジだって、」


そこで言葉を切ったウソップは、ちらりとあたしを盗み見た。
平気な顔をして嘘ばっかりつくくせに、こういうときだけ素直で、優しい。


「…サンジも、帰ってこねぇしな」

「そうね」

「何年だっけ」

「…あたしたちが高3になる前の春…だから、3年、かな」


そうかと呟いたウソップは人であふれかえるフロア内から目を逸らすように窓の外に目をやった。

 

 

 

 

 

 

 

サンジ君がフランスに立って、4回目の夏が来ようとしている。

私たち3人を残して卒業したゾロは、剣道の有名な大学へと進学した。
プロのオファーが来ているとの話も聞いたけど、本人はそう乗り気じゃないんだとか。
高校の体育教員免許取得のため、勉強中らしい。


そしてゾロと同じく卒業したサンジくんは言わずもがな料理の修行のため、フランスの、ゼフ料理長の知人の元へと旅立った。
これにはサンジくんと料理長の間で何かと悶着はあったらしい。
口には出さないがきっと一生をかけて料理長に恩を返し、その彼からすべてを学ぼうとしていたサンジくんにとってその申し出は意に反するものだった。
もちろんフランス行きを進言したのはゼフ料理長その人で、よってサンジ君との対立はすさまじかったとか。
結局サンジ君が説き伏せられた結果になったのだけど、最後までサンジくんは渋っていた。
それでもやっぱり本場に行くことは彼にとって楽しみじゃないはずがなく、勇張り切って旅立って行った。



そしてその一年後、私とウソップ、そしてルフィが高校を卒業した。
ルフィはお兄さんのエースが働く会社に、まずは下働きとして就職した。
もっぱら力仕事らしく入社してしばらくは会うたびに腹が減った腹が減ったとうめいていたものだ。
だけどルフィの人懐っこさや不思議な魅力、そしてもちろんその体力も買われて今では結構重宝されているらしい。


そして私とウソップは、地元の同じ大学へと進学した。
ウソップは美術学部デザイン学科へ、あたしは理学部気象学科へ。
よって毎日顔を合わせられるのは私とウソップだけ。

ルフィやゾロとはたまに会うけど、サンジ君とは3年前のあの時以来一度も会っていない。
ついでに言えば、手紙も、電話だって一度もない。
生きてるのか死んでるのかだって……これは、知っている。
ルフィがバラティエに行った際、サンジ君がちゃんと今でもフランスのレストランで修業して働いていると料理長に聞いたと、嬉しそうに話してくれたことがある。




「おめーには連絡してると思ったけど、サンジの奴何やってんだ」


そう言ってルフィが顔をしかめた時も、私は曖昧に笑うしかなかった。


「サンジの奴、フランス語も話せたわけじゃねぇんだ、それに料理の勉強もあって忙しいんだろうよ」


ウソップはそう言って慰めてくれたけれど、忙しいんだろうと言い聞かせて過ごすのに3年の月日は長すぎた。

思えば、待っていてほしいなんて一言も言われなかったし、帰って来るとは言っていたけど私のもとにとは言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

昼休みも半ばを過ぎると人波は落ち着き、穏やかな午後の雰囲気を醸し出し始めた。
梅雨が去った後の空は目を細めねばならないほど明るく輝いて、夏のきざはしをしっかりと肌に感じさせる。


「ウソップ次は?」

「4講目。でも休講。ナミは?」

「私もこれで終わり。ね、これから買い物行くんだけど付き合ってよ」

「いいけど、なんだよ」

「スーパー。今日卵が安いの」

「…荷物持ちな」

 

しょうがねぇのと立ち上がったウソップの肩を感謝を込めて軽く叩く。
窓越しの景色は濡れたように光り、確実に夏は近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


壁面に幾重ものツタが巻き付いたアンティーク調の小さな建物。
そこの木造の扉をもたれかかるようにして押し開ければ、カランと軽くベルが鳴った。

 

「いらっしゃい」

「あー、涼しー」


カウンターでグラスを磨いていたロビンはその手を止めて涼しげに笑ってくれたが、だらけた私たちの姿を見て暑いわねと苦笑した。

 

「もうダメ…溶ける…」

「ロビン聞いてくれよ、ナミの奴オレに卵3パック牛乳2本入った買い物袋持たせてこいつんちまで運ばせんだぜ!」

「お疲れ様、今日は何にする?」

「オレンジスカッシュー」

「オレアイス」


人のいないカウンターに半ば倒れ掛かるように座り込むと、ちょっと待ってねとロビンが準備に取り掛かった。
季節が変わらない限り私たちのお気に入りもそう変わらないのに、ロビンはなぜか毎回注文を聞いてくれる。
ロビンが豆を挽き始めると室内に香ばしくツンとしたコーヒーの香りがゆったりと、音楽のように流れ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

ロビンが一人で切り盛りする小さなカフェは、昔から私たちのたまり場だった。
私たちの高校から少し坂を上ると道の左側に見えてくる小さな看板と、香るコーヒー、そしてロビンの穏やかな声が、いつもいつも私を癒してくれた。

3年前のあのときもずいぶんお世話になったものだ。

 

 

 

「ナミ、勉強は順調?」

「もっちろん。でも気象予報士試験って馬鹿みたいに高いのよねー。そうホイホイ受けらんないから、できれば来年の8月に一発で合格したいの」

「確か国家試験なのよね。ウソップも、この間雑誌で見たわ、素敵ねあのデザイン」

「だっろー!?やっとオレの実力が世に認められてきたってわけよ」

 

ふふんと顔を反らせるウソップの前に、そして私の前にもおまたせとそれぞれの品が置かれた。
しぼりたてのオレンジスカッシュと淹れたてのアイスコーヒーの氷がカランとなると、耳から涼しくなるようだった。

 


「やっぱロビンのコーヒーはうめぇなー」

「オレンジスカッシュも!まぁうちのみかんなんだから当たり前だけど!」

 

ロビンは私たちの好き勝手なコメントに、嬉しそうに笑みを返した。


「みかんはナミのおうちから入荷したて。コーヒーもコックさんに教えてもらった淹れ方で大繁盛よ」


大繁盛という程人の入りが激しい店ではないのだが、それでもロビンは満足そうに笑って見せた。

 

「あぁ、そういやサンジが教えてたな…」

「ええ。…ナミ、連絡はまだ、」

「ないわ。なーんにも」

 

自棄になったように肩をすくめてみせると、ロビンは静かに目を伏せた。
悲しんでくれてるようにも、呆れているようにも見えた。

 

 

「…何してんだろ、あいつ」

「…修行だろ、だから」

「3年も、彼女に一切連絡できない修行ってなんなのよ。手紙くらい書いてよこしてくれたっていいじゃない。電話だってしてこないし!なに!?あっちの切手代も電話代もそんなに高いわけ!?」

「いや金の話じゃねぇだろ」


ウソップは呆れ顔で口をはさんだが、饒舌に滑り出した言葉はするすると後を絶たない。


「じゃあなに!?私に飽きたわけ!?忘れたわけ!?フランスでブロンド美女でも捕まえたって言うの!!」


どんとカウンターに拳をぶつけると、ウソップが慌ててその手を止めにかかった。


「おま、落ち着けって」

「飽きたなんて言うならこっちから捨ててやるんだから!もう、あいつの顔も…顔も忘れそうなのに」

 


顔だけじゃない。
声も指の動きも仕草も視線の運び方も全部、記憶は風化した。

それなのに思いばっかり薄れることなく莫大なかさを増していって、私だけが辛いような気がして悔しくなった。
そんなはずはないこと、わかってるのに。

 

 

 

「ナミ、あなたから連絡したことあるの?」

 

ロビンが唐突に尋ねた。
勢いを失って視線を落としていた私は、その言葉にゆっくり顔を上げた。

 

「してない」

「ならおあいこじゃない」

「でも!あっちは海外だし遊びに行ってるわけじゃないんだから邪魔したくないし、第一こっちから連絡したんじゃ高くついて仕方ないわ!」

「海外なのはコックさんから見ても同じでしょう。それに彼もあなたが勉強してることを知ってる。お金の件は…まああなたなら仕方ないかもしれないけど」

 


ロビンの言葉にぐ、と喉が詰まった。

 

「こっちから連絡して、繋がらなくなってたら嫌じゃない」

 

ロビンから視線を外して、カウンターの木目を眺めながらぼそりと呟けば、つむじのあたりにロビンの溜息が降りかかるようだった。

 

 

そこで唐突にウソップが、んぉ?と奇妙な声を上げた。

 

「なによ」


ウソップは店の入り口に重ねられた雑誌類を引っ張ってきていたらしく、その一冊を開いていた。
私の返事には耳もかさず食い入るようにそれを見ていたかと思えば、ちょっとこれ見ろ!と私のほうに押しやった。
なに?とロビンもカウンターの内側からぐるりと回ってフロア側へとやってきた。

 

 

 

『21歳にして オールブルー賞候補に選出』


白のコック服に身を包み真摯な瞳で包丁を構え立つ男の横顔。
紛れもなくサンジくんだ。


「『オールブルーはあらゆる分野において最高の料理人の称号を得た者に贈られる賞である』…サンジじゃん!すげぇ!おいナミ、サンジちゃんと頑張ってんじゃねぇか!」

「うちにこんな雑誌があるなんて全然気づかなかったわ…これいつの記事かしら」

「今年の…3月に刊行されてる」

「じゃあ記事の出来事はもっと前ね。今年か…もしかすると去年のことかも」

 


ウソップが記事を読んでいく。
サンジくんが修行中の身であること。
彼の身の上や経歴、はたまた細かいプロフィールなんてのも。

思考が追い付かず、少し開いた唇の間から息をするのがやっとだった。

 


「日本ではあまり取り上げられなかったから…気づかなかったわね」

「でもこの賞受賞したら日本でも騒がれんだろ!そったらナミ、サンジも帰ってくんじゃ」

「私」

 

ごめん帰ると呟いて、ロビンのほうに御馳走様とグラスを押しやった。
おい、とか待てよ、とかウソップの慌てたような声とロビンの視線を背中に浴びながら、照り返しの激しいコンクリートの上へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


家に帰ってインターネットで調べればすぐに出てきた、この三年間における彼の業績。
こんなに有名になってることすら知らなかった。
ともするとファンクラブさえできていて、すうっと胸のあたりが冷えていった。

こういうことに素直にやきもちも妬けないあたしだから、彼は帰ってこないんだろうか。

 

 

3年前より少し伸びたまま整えられた髪と、形の変わった顎髭。
食材を見る目は相変わらずまっすぐで、羨ましかった。
パソコンのウィンドウ越しじゃなかったら、ぶっとばしてやるのに。

 


パソコンの電源を落とすと、起動音がフェードアウトしていった。
そのまま重力に任せて後ろのベッドに倒れこむ。
身体はふわんと受け止められたのに、心だけはどこまでもずぶずぶ沈んでいった。

 

 

 

 

私だけがこんなにも好きだなんて思いたくない。
そんなことしてしまえば3年前の彼の言葉全てが嘘になる。

溢れんばかりに囁かれる愛の言葉は私だけのものじゃないのね。

 

 

 

 

 

ベッドに放り投げてあった携帯に手を伸ばし少しいじると、私には判別のつかないアルファベットの羅列と少しの数字。

あの日、最後に別れてから来たサンジくんからの最後のメール。


『向こうで世話んなるとこの住所と店の名前。何かあったら』

 

 

「…何かって、何よ…」

 

 


一年目の夏は、サンジくんは今何やってんだろうねとウソップとルフィの3人でお昼ご飯を食べながら過ごしていた。

二年目の夏は、始まった大学生活に対する諸々の期待や不安もあって、気が紛れた。それでも忘れたことなんてなかった。

三年目の夏は、彼の安否がわからなくて腹を立てたり落ち込んだりを繰り返してみんなに心配かけた。連絡してこない理由を探し始めたのもこのころから。

そして今年は、いい加減疲れてきた。

 

なんで私ばっかりこんなあれこれ考えなきゃいけないのよ。
あいつが勝手に行っただけなのに、なんで私が心配しなきゃいけないの。
なんでサンジくんは私のことが気にかからないの。

 

「…行ってやろうかな」

 

突然現れて、はあいこんにちは。あらその子可愛いわね、よかったね綺麗なフランス人の彼女ができて…

 


「笑えないわよ!!」

 

 

ひとり叫んでクッションを部屋の扉に投げつけると、階下から『ナミ暴れてんじゃないよ!』とベルメールさんの尖った声が飛んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



次の日大学でウソップに会ったときウソップは気まずそうに笑ったので、ああ昨日は悪いことしたなと反省した。
昨日は無神経なこと言ってごめんなんてあいつから謝ってくるんだから、お人好しもここまで来ると病気だ。

 


「私フランス行ってやろうと思って」

「ああフランスなあ…ってはあ、おま、何突然」

「サンジくんのところ行って、ちゃんとけじめ着けてくんのよ。向こうで私のことなんか忘れて幸せにしてたらもうそれでよし。多少のことは言わせてもらうつもりだけど」

「行くっつったってお前場所わかってんの」

「住んでるところは聞いてあんのよね。店の名前も。もし変わってたとしても人に聞けばなんとかなるでしょ」

「聞けばって、お前フランス語なんて話せんのかよ」

「一応第二外国語はフランス語やってたけど、まあ本場じゃ通じないでしょうね。大丈夫、ノリよ!」


ウソップはしばらくぽかんと丸くなった目であたしを見つめていたが、私が本気であることを理解したのか溜息をついて頭をかいた。

 

「…いつ行くんだよ」

「今日の16時発」

「今日!?」


もうだめだオレお前がわかんねぇ、と今度こそウソップは頭を抱えた。

 


「…ウソップ」


やるだけやってみるのよと静かに言えば、顔を上げたウソップはなぜか少し泣きそうな顔で、そうかと笑ってくれた。

 

 


「14時には空港にいるつもりだから、次の授業受けたら行くわ」

「…せっかく明日の土曜、ゾロ帰ってくんのにな」

「謝っといて」

 

それじゃと手を振るとウソップも相変わらず心配げな視線はそのままで手を振り返した。

 


 

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