OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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朝の最繁期を過ぎて一息ついたと思えば、次にはお昼の客がやってくる。
11時を過ぎると早めの昼を求めて、ちらほらと新しい客が入り始めた。
だからいつもアンは朝から昼過ぎまで働きづめである。
朝早くに起きだして、前日の番に仕込んでおいたモーニングを手早く準備して店を開ける。
途端に流れ込んでくる客を捌きながらスタートを切る。
息をつく暇もないのは今日と同じだ。
そして朝の客がいなくなり、少しの間体を休めたら、次は昼の準備に取り掛からねばならない。
サンドイッチやパニーニのセットであるモーニングと違って、昼は『デリ』らしくお菜屋さんである。
ショーウィンドウの中身をごっそりと入れ替えて、そこはアイスクリーム屋にも負けないほど色とりどりの惣菜を並べる。
数種の豆の煮物、カレー風味の野菜いため、旬の野菜を使ったスープ。
家庭料理のようなその品揃えも、朝とはまた違った趣で人気の一つだ。
量り売りもしているので、近所のおばさんがアンのおかずを買っていくこともある。
店にちらほらと客が増えると、裏から作業を終えたサボが手伝いにやってくる。
そもそも、アンひとりでは店内にウェイターがいないのだ。
朝の客に男性サラリーマンが多いのに比べて、昼は女性客が多い。
町一番の大通りに面していることもあって、アンの店の近くには大きな社ビルがいくつもあるので、そこからOLがわらわらと群れを作ってやっくる。
そしてなにより、女性は『ランチ』と名のつくものが好きである。
そうなると自然と、サボはお姉様方の格好の餌食となった。
欠けた歯がチャーミング、とからかわれて曖昧な愛想笑いでもしたら、店の中は黄色い歓声でいっぱいになるのだ。
よって昼がすぎると、サボはぐったりと満身創痍の兵士のようによろめいて、片づけや皿洗いをしていたりする。
「おつかれ」
そんな姿を見慣れているアンは少しの苦笑と共に、皿洗いするサボのわき、カウンターの上に冷たいカフェオレを置いた。
「お、サンキュー」
サボが濡れた手のままグラスを掴み、のどを鳴らしてカフェオレを飲み下す。
プハーッと、乾杯後のオヤジのような息をついた。
「サボのおかげでうちの店も安泰だ」
「なに言ってんだ、アンの料理がなきゃお客さんもこねぇだろ」
ま、それもそだけど、と率直に認めたアンはサボの隣に立って、サボが洗った皿を渇いた布巾で拭きはじめた。
「今日はちょっと早い目に店閉めてもいいかな」
「ああ、行かなきゃなんねぇんだろ」
「…うん、ごめん」
「ばか、謝んなよ」
「晩メシ、上の冷蔵庫に入れとくから」
「え、なんでだよ。食ってから行けばいいだろ」
「…ちょっと、早い目に行こうかと思って」
きゅ、と乾いたグラスが布と擦れて音を立てた。
サボが不安げな顔で蛇口をひねって水を止めた。
「おれ送ってくよ」
「ダメ!」
思わず声を高くしたアンに、サボは少し目を丸めてアンを見つめた。
アンはすぐに小さくごめんと言って目を逸らす。
「…サボはルフィと一緒にいて」
「でも、」
「アイツらにサボのこと、見られたくない」
アンは苦しげな声でそう言った。
それはこっちも一緒だ馬鹿野郎、と喉元まででかかったがそれを声にはしないすべをサボはもう知っている。
このことに関してはすでにもう何度もサボはアンを叱り、ときには責めるようにして苦言を漏らしていた。
それでも首を縦に振らないアンに、サボはため息をついて諦めるしかなかった。
アンに代わってやれたら、どれだけいいだろう。
何度もそう思ってが、結局いつも、同じことだと首を振った。
サボがアンの立場に成り代わったとしても、アンは今のサボと同じようにして不安と心配に胸を痛めるのだろう。
そのつらさを知っているサボは、どちらの立場に立っていても苦しいことに変わりはないのだと諦めた。
これが痛みを共有することだとするなら、それはこんなにもつらいことなのだろうか。
アンが必死で取り戻そうとしているものは、サボにとっても、そしてルフィにとっても大切なはずだった。
そういう意味での「幸福な」共有以外は、こんなにも、身を裂くほどつらいことなのだろうか。
それならば、
(おれが全部、背負ったっていいのに)
*
ダダンの家での生活は、3兄弟の厄介な子供心を絶妙に刺激した。
まず、ダダンの家は敷地のだだっ広い大きな家だったが、ものすごくボロかった。
ルフィが走れば腐った床が抜け、アンがぶつかった壁はへこみ、ダダンに命じられてサボがそれらの傷を修復するそばから家の破片がポロポロと崩れるような、相当の古さ。
そんな危険に満ちていて、それでも走り回るスペースは売るほどある家など、子供にとって遊び場以外の何物でもない。
3人は毎日ダダンの怒鳴り声を聞きながら走り回った。
ぐちぐち小言を言うダダンが鬱陶しくて、3人で笑えないイタズラを計画したこともある(あえなくばれて、2日間納屋から出られなかった)。
それでもダダンは元気すぎる子供3人を追い出すこともなく、それどころか3人共を高校にまで行かせてくれた。
ルフィの入学式の日、学校の門の外からダダンがこっそり覗いていたのを長女と長男は知っていた。
しかし3人は、少なくともサボは、成人するまで自立を待つつもりはなかった。
アンとサボが高校を卒業した年、つまりはルフィが入学する年、サボはアンとルフィに「飯屋をしないか」と持ちかけた。
場所はこの街で一番栄えるモルマンテ大通りのすこし南、空きビルが借りられそうだという。
そこの一階を店に、2,3階を住居にしようという提案だった。
小さなビルなので店にするつもりの部分はとても狭いが、3人で切り盛りするつもりなら十分だ。
『でもそれって、つまりは』
『うん、アンがコックだ』
『すげぇ!かっこいいな!』
『経営とか金のことはおれが管理するから、アンは美味いメシをつくってお客さんにふるまってくれればいいんだ』
『サボ!おれは!?おれはなにをすればいい!?』
『ルフィはおれと一緒にウェイターだな。料理を運んだり、アンの手伝いだ』
『ちょ、ちょっと待って、あたしそんな』
商売のためのごはんなんて作れない、とアンは不安げに訴えた。
しかしサボは自身に満ちた顔で言った。
『大丈夫さ、保証する』
そう言い切れるほどサボにはうまくやる自信があった。
アンがコックでサボが経営でルフィが力仕事を主とする雑務、という配役は完ぺきだと思えたし、なによりアンの飯は美味い。
ダダンの家に住まうことになり、まず言い渡されたのは次のような条件だった。
『あたしゃあんたらガキ3人の面倒見る余力なんてないんだよ。家においとくだけで精一杯さ。だから交換条件だ。家の家事は全部あんたらにやってもらうよ。食事も洗濯も掃除も、全部さ』
なんとなく難しい言い回しがよくわからなかったが、とりあえず自分のことは自分でしなければならないのだということはわかった。
もうルージュはいない。
待っていたって、温かいごはんもきれいな服もでてこないのだ。
多分一番初めに手を付けたのがアンで、それが成功したからだろう。
食事を作るのは、いつのまにかアンの役目になっていた。
掃除と洗濯、その他ダダンから言い渡される雑用はサボとルフィで上手く配分し、アンも手伝ってこなしていく。
そのような日々が続けば自然とアンの料理の腕は上がっていくし、サボとルフィも日常の雑務であれば一通りできるようになっていた。
そのことにサボがふと気づき、そして思った。
そろそろ自立できるのかもしれない、3人で、と。
サボの提案にすっかり乗り気なルフィと自信満々なサボに押し切られる形で、アンもようやく賛成した。
誰の手を煩わせることもなく3人で生活したいというのは、アンだって同じなのだ。
そしてルフィの入学式の日、3人はダダンにそのことを告げた。
ダダンは一瞬ぽかんとし、すぐにフンと顔を背けた。
『いいさ、好きにしな。だいたいあたしゃガープに頼まれていやいやあんたらの世話してたんだ。やっと静かな暮らしに戻れるってもんさ』
『どっちかっていうとおれたちがダダンの世話してたみたいなもんだけどな。メシつくったり洗濯したり』
『屁理屈いうんじゃないよ!ったく、恩知らずなガキだ』
『わかってるよ』
3人は顔を見合わせて笑った。
アンとサボとルフィと、3人で暮らせる場所を与えてくれたダダンには言葉で伝えきれないほど感謝しているのだ。
出発の日、『ありがとなダダン』と笑う3人を追い出すように追っ払ってその背中から顔を背けてこっそり泣いていたのは見て見ぬふりをした。
ダダンの家から3人の新しい新居までそう遠くない、車を使って15分ほどの場所にある。
会えなくなるわけではない。
それも心強かった。
さて新しい生活を手に入れたわけだが、ここからがまた正念場だとサボは力んだ。
まずアンにはメニューを考えてもらわなければならない。
店を開く時間は日の高いうちだけと決めていた。
治安がいいとはいえ、何かと物騒な夜にわざわざ子供だけの店を開いておくのは得策ではない。
危険の誘因は少ないに越したことはないのだ。
それにより、店はカフェバーではなくデリにしようという方針が決まった。
アンがデリのメニュー考案にうんうん唸っている間に、サボはルフィを連れて店の内装を組み立てていった。
アンみたいに明るくて、ルフィみたいににぎやかで楽しい場所がいい。
でも不思議と落ち着ける、街に一つあるお気に入りの場所になるようなそんな店。
作れるものは自分たちで作った。
ここでもダダンの家で培われた日曜大工の腕が役に立った。
貸ビルや新居の費用に加えて、内装の費用、メニュー考案のための材料費などは小さくはなかったが、それらは3人で今まで貯めたアルバイト代、そしてダダンを通してガープが渡してくれたロジャーとルージュの遺産を少し使うことで賄うことができた。
実のところ、この遺産とは莫大なものだった。
ダダンの持つ敷地にきれいで新しい小さな城を立ててあげられるくらいの分は十分にあった。
ゴール家の遺産に加え、ロジャーとルージュの生命保険金が全てアンに相続されたのである。
アンが幼いころにそれらはすべてガープが管理してくれているらしかった。
おかげでアンが18になった今も、それらは全てアンのものである。
そうして、アンとサボ、ルフィの新しい住処、新しい店が出来上がった。
拾ってきた平らな木材にルフィが緑のペンキで勢いよくDeliと書く。
それを店の入り口に掛けて完成した。
開店の前日、アンはドキドキして眠れなかった。
ごろんと寝返りを打つと、3つくっついて並んだベッドのうちアンから遠いベッドの中も寝返りを打ったところだった。
サボも眠れないのかな。
アンとサボの真ん中でぐうすか寝ているルフィがよく眠っていることに少し安心しながらアンは身を起こした。
すると、一番遠いベッドの中身がひょこりと顔を出した。
「…明日朝早いだろ、横になっといたほうがいいよ」
「やっぱり起きてた」
サボはきまり悪そうに笑った。
「…なんか、緊張して」
「うん」
ぽす、とアンは再びベッドに背中を預けた。
「お客さん来るかな」
「来るよ。最初は来なくても、絶対アンの飯好きになるやつがいる」
「嫌な客、来たりして」
「そんな奴きたらおれよりさきにアンがぶっとばすだろ。いや、ルフィかな」
「そうかも」
鼻より先を布団の下に隠して、くぐもった声でくすくす笑った。
ルフィの頭越しにサボの色素の薄い髪がぼんやりと浮かんでいる。
寝室に唯一ある狭い窓から小さい月が覗いていて、部屋の中を青く照らした。
アンはもぞもぞと動いて、真ん中のルフィのベッドへと侵入した。
ルフィは小さく「んが」と言ったが仰向けのまま起きる気配はない。
「ルフィ、あったかい」
「どれどれ」
おどけるような口調で、サボも身を転がしてルフィのベッドに入り込んだ。
途端にルフィのベッドは一杯になり、すこし軋んだ。
サボはルフィの頭の上に顎を置くような位置でルフィに、そしてアンに腕を回した。
長身のサボはルフィの頭の上に顔を出しても、足先は2人と同じくらいの位置、もしくは少し下なくらいだ。
アンとサボはルフィをはさんで向かい合った。
「ぉわ、ほんとだ。ってかアンもあったかい」
「サボ足冷たい」
つま先の向きを変えるように動かすと、こつんと足が触れあった。
するとサボも脚を動かして、ルフィとアンの脚を丸ごと挟み込んだ。
「あーあったけぇ」
「あいかわらずサボ、冷え症だな」
「いいんだおれは」
アンとルフィがいるから、という言葉は言わなくても伝わっただろう。
しばらくぬくもりをわけあう。
サボの足が少しずつ温まってきた。
部屋の中はルフィの健やかな寝息で満たされていた。
アンがぽつりと口を開いた。
「なんか、小さいころみたい」
「おれもいま、同じこと思ってた」
「ルフィっていっつも一番いい場所にいるよね」
「まあ、末っ子だからな」
つんつん、とアンはルフィの頬をつついた。
相変わらず夢の中だ。
むに、とつねってひっぱってみるが起きたりしない。
サボが声を出さずに笑った。
目の前のルフィの顔を、そしてその向こうに見えるサボの肩を見た。
しばらくすると、健やかな寝息はふたつに増えた。
サボの長い腕はルフィ越しにアンの背中にまで少し届いている。
ルフィの髪からはせっけんと少し汗のにおいがした。
そのままくっついているとアンは少し暑くなってきたが、離れることなくそのまま眠った。
眠る直前、何故だか少しなみだがでた。
翌朝、7時に店を開けて少しすると、ひとり、またひとりとぽつぽつ客が入ってきた。
一週間ほど前から近所への宣伝はぬかりなく済ませてあるので、その宣伝を目にして人たちが興味本位でやってきてくれたのだろう。
勝手の分からない一週間目は3人ともてんてこまいで、お客さんに心配されるほど慌てふためいてしまうこともあった。
だが2週間3週間と経っていくと噂が噂を呼ぶのか、訪れる人は増えていく。
サボは自分の自信が空回りしていなかったことを確信した。
そうして2か月が経ち、怖いくらい滞りなく店が軌道に乗ろうとしていたとき、店にふらりと一人の男が現れた。
その男は気味が悪いほど色白で、眉がなく、ざくろの果汁を塗ったような色の唇で黒のシルクハットをかぶっているという奇妙ないでたちでカウンター席に座った。
時刻は昼の最繁期を終えようというところで、ぽつぽつと人の数は減り始めていた。
サボが注文を取りに行くと、男はサボのほうを見ることもなく「紅茶をください。ホットで」と言った。
丁寧なのに無表情を感じさせるその口調にどこか引っかかったが、気にしていても仕方ないのでサボは愛想よく返事をしてオーダーをアンに告げた。
去り際、なんとなく気になってサボはもう一度男のほうを振り向いたが男は一点を見つめたまま、カウンターテーブルに肘をつき、組んだ両手の上に顎をのせて微動だにしない。
その視線の先を何気なく追ってから、サボはつい険しい顔で男をまじまじと見つめなおしてしまった。
男の視線は、カウンターの向こう側でくるくると立ち働くアンを追っていた。
しかしサボの心配をよそに、その日その男は大人しく紅茶を飲んで長居することもなく席を立った。
厨房が落ち着いてきたのでアンが会計を受け取ろうとしていたのでサボは思わず声をかけそうになったが、今ここで自分が出るのもおかしな気がして押し留まった。
アンとその男は特別な会話をすることもなく事務的に会計を済ました。
そして男は丁寧にアンに礼を告げ、店を出ていった。
アンはいつも通り笑顔で男を見送った。
男が出ていくと、サボは知らず知らずのうちに詰めていた息をほっと吐き出した。
少し背が高めでスラリと細い大人じみた体形をしているのに、造詣の整った顔であどけない笑顔を見せるアンは、兄弟という贔屓目を抜きにしてもきっと、おそらく、多分、絶対、綺麗なんだろう。
これまでも店に来た男たちがからかいまじりにアンに声をかけてきたことはいくらでもあった。
あの奇妙な男がアンを目で追っていたのも、男の性というやつなのかもしれない。
それはいちばんもっともらしい理由だったが、サボはそれだけでは収まらない何かを感じていた。
それがなにかはわからないもやもや感がもどかしい。
ふと気づくと、まだ新しいリュックを背負ったルフィがサボに寄り添うようにくっついて、今男が去っていった店の外をじっと見つめていた。
「ルフィ、おかえり。早いな」
「今日は部活がねぇんだ。ただいま」
そうか、と相槌を打っても、ルフィはサボの隣で店の外を睨んでいる。
「ルフィ?」
「さっき出てったおっさん、なんか変だぞ」
「…シルクハットの男か?」
ルフィはうんと頷いた。
「おれのことちょっと見て、すぐに逸らしたけど、なんかトカゲとかヘビとか、そういうのみたいな目してた」
爬虫類みたいだと言いたいらしい。
「おれあいつ嫌いだ」
「ルフィ」
客だぞ、とたしなめたがルフィは意にも介さずサボの脇をすり抜けて、カウンターの向こうのアンにただいまと叫んだ。
その後ろ姿にため息をつきながらも、自分の声に説得力がないことは承知していた。
サボもルフィほど率直ではないが、同じことを思っていた。
なんとなく不可解な思いを抱えたままその日を終えたが、同じ男が訪れてくるということはなかったのでそのまま記憶は薄れていこうとしていた。
しかしあれから2週間後、また同じ男が店にやってきた。
しかも今度は他の客と同じように席に着こうとはせず、まっすぐカウンターまで歩み寄りアンに声をかけた。
3時ごろで、客は全員引けて、そろそろ閉めようかというときだったのでアンは厨房の中を掃除しており、突如かけられた声に手を止めて顔を上げた。
ルフィはまだ学校で、サボはカウンターの一番奥の席で店の経費を計算していた。
『貴女はゴール・D・アンですね』
『そうだけど』
客なのかよくわからない男に、アンは最近覚えた外向けの笑顔を見せようかどうか迷ったあいまいな表情で返事をした。
アンの声で、サボも男の来訪に気付いた。
男は失礼、と以前と同じシルクハットを脱いだ。
『私はラフィットと申します。私の上司が、大切なお話があるということで貴女に私どもの事務所までお越しいただくよう申しておりますので、代わりに私がお願いしに参りました』
『話ぃ?』
赤黒い唇を笑った形にしたまま話す男に、アンはあからさまに「うさんくさい」と言いたげな顔をした。
サボは手にしていたペンをサロンのポケットに放り入れながらカウンターの内側に回り込みアンの背後に歩み寄った。
『アン、お客さん?』
『ううん、なんか話があるとかなんとかって』
『あなたはサボですね』
ラフィットはサボのほうをちらりと見てそう言った。
名前を知っているくらい不思議ではないが、どこかいやな感じがした。
この男、笑っているけど目が死んでるみたいだ。
『そうだよ。で、アンになんの話?』
『その話を私の上のものが致しますので、アン殿には私どものもとまで来ていただきたいのです』
『そっちからの用向きなら、呼びつけずにあんたの上司って人が出向くのが筋じゃないのか』
男はサボの言葉に、肩をすくめながら手の中のシルクハットをくるりと回した。
『ごもっとも。しかし内密な話でして、貴女に出向いていただくのが一番安全なのです。なにせ、アン殿のご両親にかかわる話でして』
最後の言葉に、アンとサボが同じ仕草で眉を動かし目を瞠った。
『両親って、』
『いかにも、ゴール・D・ロジャーとその妻ルージュのことですね』
アンが不安げな視線をサボに走らせた。
サボも思わず同じ顔でアンを見つめそうになったが、思い返して目の前の男を睨むように見た。
『あんた、誰だ?』
『私はラフィットと申します』
男は紋切り型の口調で、どこかからかうような風味を混ぜながらそう言った。
これ以上の情報はここでは引き出せそうにないという確固たる雰囲気があった。
サボはごくりと唾を飲み下してから口を開いた。
『いつ?』
『今晩の7時、私がまたお迎えに上がりましょう』
『わかった』
サボ、とアンがサボのシャツを握りこむ。
サボはその手を丸ごと包んだ。
ラフィットは満足げにシルクハットをくるりと回して頭に乗せた。
『ああしかし、私どもがお迎えするのはアン殿だけですよ』
『ハァ?』
サボが驚いて声を上げると、男はさも当たり前だと言いたげに肩をすくめた。
『私の上司は、アン殿に、アン殿の両親に関する話があると申しておりますので。──あなたは、ゴール家の人間ではないでしょう?』
ぐ、とサボは押し黙った。
悔しくてもこればかりは、サボには言い返す手札がない。
しかしアンが強気な声で言い返した。
『でもサボもあたしも、ずっと一緒の家で育ったんだ。あたしの父さんと母さんはサボの父さんと母さんだ』
ラフィットはアンの言葉に困ったように少し眉を下げた。が、口元は笑っている。
『私どもはなにもアン殿を捕って喰おうというわけではないのですよ。ご安心ください、日が変わる前にアン殿はお返しします。あなたは弟君と落ち着いて待っていればよいのです』
サボは押し黙ったまま、飄々とした男の顔を睨んだ。
ルフィのことをわざとらしく口にしたのは、まるで「お前たちの情報は粗方掴んでいる」と先手を打ったように聞こえた。
『ご了解いただけましたかな?』
サボとアンは顔を見合わせた。
サボは目線でアンに問う。
アンは案外力強く頷いた。
『わかった』
『ご理解いただけてよかった。それでは今晩7時に店の外に車をつけますので、アン殿はそちらにお乗りください』
男はひらりと身をひるがえすと、さっと外の通りの人並に飛び込んであっというまにのまれてしまった。
アンとサボはしばらく横に並んで、黙ったまま外の人の流れを呆然と見遣る。
はたと、サボは自分がアンの手を握りこんでいたことを思い出した。
ぱっと手を離すとアンも思いだしたようにサボのシャツを離した。
握りこまれていたその部分は皺が寄っている。
『…大丈夫か、アン』
『うん…なんだろ、父さんと母さんのことなんて…』
いまさら、というつぶやきがサボには聞こえた気がした。
忘れろとは言わない。忘れるわけがないし、忘れたらいけないとも思う。
それでも、幸せだった過去の記憶としてぼんやりとアンの胸に残っているだけの方が楽なのは確実だ。
それをいまさら、あれから8年も経って、なんだというのだ。
『ルフィにも、言わなきゃ』
『そうだな』
ルフィに今さっき生じた出来事を話すには少し難しいというか手間がかかりそうな気がしたが、こうした面倒事の気配さえも共有するのが3人のやり方だ。
はてルフィにはどこから説明するのがわかりやすいだろう、とサボが腕を組みながら話の骨組みを立てていると、アンがずっと片手で握りっぱなしの布巾を握りしめたまま小さくサボ、と呟いた。
『父さんと…母さんのことでなんかわかったら、絶対、サボにもルフィにも、話すから』
アンは握りしめた布巾に約束するようにそう言った。
ラフィットがサボに向かって言った、『あなたはゴール家の人間ではない』という言葉を気にしているようだった。
サボ自身、それを聞いたときは少しくるものがあったが、それよりもっと考えることがあったのであまり頓着していなかった。
不意にアンの優しさに触れて胸が詰まった。
『うん、頼むよ』
サボが欠けた歯を覗かせて笑顔を見せると、アンもつられて安心したように頬を緩めた。
その日の晩、約束通りの時間、店の前に車が静かに停まった。
その音を聞いて、アンはサボとルフィに頷きかけた。
『行くよ』
『ああ、変だと思ったらすぐに逃げろよ』
『やっぱり跡つけたほうがよくねぇか?なぁ、サボ』
ルフィの言うことはサボも考えたことだったが、アンが大丈夫だと言い切った。
『なんとなく、あいつら父さんたちに関係あることであたしに頼みたいことあるみたいな感じしたんだ。だから多分、物騒なことにはならないよ』
じゃあね、とアンは店の半分閉じたシャッターの下をくぐって出ていってしまった。
すぐにドアが開く音がして、車が発車する。
サボとルフィはその音を、真っ暗な店内で立ち尽くしたまま聞いていた。
そしてこれも約束通り日が変わる1時間前に戻ってきたアンは、サボとルフィの想像もしていなかった言葉を伝えた。
「あたし、泥棒しなくちゃいけない」
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11時を過ぎると早めの昼を求めて、ちらほらと新しい客が入り始めた。
だからいつもアンは朝から昼過ぎまで働きづめである。
朝早くに起きだして、前日の番に仕込んでおいたモーニングを手早く準備して店を開ける。
途端に流れ込んでくる客を捌きながらスタートを切る。
息をつく暇もないのは今日と同じだ。
そして朝の客がいなくなり、少しの間体を休めたら、次は昼の準備に取り掛からねばならない。
サンドイッチやパニーニのセットであるモーニングと違って、昼は『デリ』らしくお菜屋さんである。
ショーウィンドウの中身をごっそりと入れ替えて、そこはアイスクリーム屋にも負けないほど色とりどりの惣菜を並べる。
数種の豆の煮物、カレー風味の野菜いため、旬の野菜を使ったスープ。
家庭料理のようなその品揃えも、朝とはまた違った趣で人気の一つだ。
量り売りもしているので、近所のおばさんがアンのおかずを買っていくこともある。
店にちらほらと客が増えると、裏から作業を終えたサボが手伝いにやってくる。
そもそも、アンひとりでは店内にウェイターがいないのだ。
朝の客に男性サラリーマンが多いのに比べて、昼は女性客が多い。
町一番の大通りに面していることもあって、アンの店の近くには大きな社ビルがいくつもあるので、そこからOLがわらわらと群れを作ってやっくる。
そしてなにより、女性は『ランチ』と名のつくものが好きである。
そうなると自然と、サボはお姉様方の格好の餌食となった。
欠けた歯がチャーミング、とからかわれて曖昧な愛想笑いでもしたら、店の中は黄色い歓声でいっぱいになるのだ。
よって昼がすぎると、サボはぐったりと満身創痍の兵士のようによろめいて、片づけや皿洗いをしていたりする。
「おつかれ」
そんな姿を見慣れているアンは少しの苦笑と共に、皿洗いするサボのわき、カウンターの上に冷たいカフェオレを置いた。
「お、サンキュー」
サボが濡れた手のままグラスを掴み、のどを鳴らしてカフェオレを飲み下す。
プハーッと、乾杯後のオヤジのような息をついた。
「サボのおかげでうちの店も安泰だ」
「なに言ってんだ、アンの料理がなきゃお客さんもこねぇだろ」
ま、それもそだけど、と率直に認めたアンはサボの隣に立って、サボが洗った皿を渇いた布巾で拭きはじめた。
「今日はちょっと早い目に店閉めてもいいかな」
「ああ、行かなきゃなんねぇんだろ」
「…うん、ごめん」
「ばか、謝んなよ」
「晩メシ、上の冷蔵庫に入れとくから」
「え、なんでだよ。食ってから行けばいいだろ」
「…ちょっと、早い目に行こうかと思って」
きゅ、と乾いたグラスが布と擦れて音を立てた。
サボが不安げな顔で蛇口をひねって水を止めた。
「おれ送ってくよ」
「ダメ!」
思わず声を高くしたアンに、サボは少し目を丸めてアンを見つめた。
アンはすぐに小さくごめんと言って目を逸らす。
「…サボはルフィと一緒にいて」
「でも、」
「アイツらにサボのこと、見られたくない」
アンは苦しげな声でそう言った。
それはこっちも一緒だ馬鹿野郎、と喉元まででかかったがそれを声にはしないすべをサボはもう知っている。
このことに関してはすでにもう何度もサボはアンを叱り、ときには責めるようにして苦言を漏らしていた。
それでも首を縦に振らないアンに、サボはため息をついて諦めるしかなかった。
アンに代わってやれたら、どれだけいいだろう。
何度もそう思ってが、結局いつも、同じことだと首を振った。
サボがアンの立場に成り代わったとしても、アンは今のサボと同じようにして不安と心配に胸を痛めるのだろう。
そのつらさを知っているサボは、どちらの立場に立っていても苦しいことに変わりはないのだと諦めた。
これが痛みを共有することだとするなら、それはこんなにもつらいことなのだろうか。
アンが必死で取り戻そうとしているものは、サボにとっても、そしてルフィにとっても大切なはずだった。
そういう意味での「幸福な」共有以外は、こんなにも、身を裂くほどつらいことなのだろうか。
それならば、
(おれが全部、背負ったっていいのに)
*
ダダンの家での生活は、3兄弟の厄介な子供心を絶妙に刺激した。
まず、ダダンの家は敷地のだだっ広い大きな家だったが、ものすごくボロかった。
ルフィが走れば腐った床が抜け、アンがぶつかった壁はへこみ、ダダンに命じられてサボがそれらの傷を修復するそばから家の破片がポロポロと崩れるような、相当の古さ。
そんな危険に満ちていて、それでも走り回るスペースは売るほどある家など、子供にとって遊び場以外の何物でもない。
3人は毎日ダダンの怒鳴り声を聞きながら走り回った。
ぐちぐち小言を言うダダンが鬱陶しくて、3人で笑えないイタズラを計画したこともある(あえなくばれて、2日間納屋から出られなかった)。
それでもダダンは元気すぎる子供3人を追い出すこともなく、それどころか3人共を高校にまで行かせてくれた。
ルフィの入学式の日、学校の門の外からダダンがこっそり覗いていたのを長女と長男は知っていた。
しかし3人は、少なくともサボは、成人するまで自立を待つつもりはなかった。
アンとサボが高校を卒業した年、つまりはルフィが入学する年、サボはアンとルフィに「飯屋をしないか」と持ちかけた。
場所はこの街で一番栄えるモルマンテ大通りのすこし南、空きビルが借りられそうだという。
そこの一階を店に、2,3階を住居にしようという提案だった。
小さなビルなので店にするつもりの部分はとても狭いが、3人で切り盛りするつもりなら十分だ。
『でもそれって、つまりは』
『うん、アンがコックだ』
『すげぇ!かっこいいな!』
『経営とか金のことはおれが管理するから、アンは美味いメシをつくってお客さんにふるまってくれればいいんだ』
『サボ!おれは!?おれはなにをすればいい!?』
『ルフィはおれと一緒にウェイターだな。料理を運んだり、アンの手伝いだ』
『ちょ、ちょっと待って、あたしそんな』
商売のためのごはんなんて作れない、とアンは不安げに訴えた。
しかしサボは自身に満ちた顔で言った。
『大丈夫さ、保証する』
そう言い切れるほどサボにはうまくやる自信があった。
アンがコックでサボが経営でルフィが力仕事を主とする雑務、という配役は完ぺきだと思えたし、なによりアンの飯は美味い。
ダダンの家に住まうことになり、まず言い渡されたのは次のような条件だった。
『あたしゃあんたらガキ3人の面倒見る余力なんてないんだよ。家においとくだけで精一杯さ。だから交換条件だ。家の家事は全部あんたらにやってもらうよ。食事も洗濯も掃除も、全部さ』
なんとなく難しい言い回しがよくわからなかったが、とりあえず自分のことは自分でしなければならないのだということはわかった。
もうルージュはいない。
待っていたって、温かいごはんもきれいな服もでてこないのだ。
多分一番初めに手を付けたのがアンで、それが成功したからだろう。
食事を作るのは、いつのまにかアンの役目になっていた。
掃除と洗濯、その他ダダンから言い渡される雑用はサボとルフィで上手く配分し、アンも手伝ってこなしていく。
そのような日々が続けば自然とアンの料理の腕は上がっていくし、サボとルフィも日常の雑務であれば一通りできるようになっていた。
そのことにサボがふと気づき、そして思った。
そろそろ自立できるのかもしれない、3人で、と。
サボの提案にすっかり乗り気なルフィと自信満々なサボに押し切られる形で、アンもようやく賛成した。
誰の手を煩わせることもなく3人で生活したいというのは、アンだって同じなのだ。
そしてルフィの入学式の日、3人はダダンにそのことを告げた。
ダダンは一瞬ぽかんとし、すぐにフンと顔を背けた。
『いいさ、好きにしな。だいたいあたしゃガープに頼まれていやいやあんたらの世話してたんだ。やっと静かな暮らしに戻れるってもんさ』
『どっちかっていうとおれたちがダダンの世話してたみたいなもんだけどな。メシつくったり洗濯したり』
『屁理屈いうんじゃないよ!ったく、恩知らずなガキだ』
『わかってるよ』
3人は顔を見合わせて笑った。
アンとサボとルフィと、3人で暮らせる場所を与えてくれたダダンには言葉で伝えきれないほど感謝しているのだ。
出発の日、『ありがとなダダン』と笑う3人を追い出すように追っ払ってその背中から顔を背けてこっそり泣いていたのは見て見ぬふりをした。
ダダンの家から3人の新しい新居までそう遠くない、車を使って15分ほどの場所にある。
会えなくなるわけではない。
それも心強かった。
さて新しい生活を手に入れたわけだが、ここからがまた正念場だとサボは力んだ。
まずアンにはメニューを考えてもらわなければならない。
店を開く時間は日の高いうちだけと決めていた。
治安がいいとはいえ、何かと物騒な夜にわざわざ子供だけの店を開いておくのは得策ではない。
危険の誘因は少ないに越したことはないのだ。
それにより、店はカフェバーではなくデリにしようという方針が決まった。
アンがデリのメニュー考案にうんうん唸っている間に、サボはルフィを連れて店の内装を組み立てていった。
アンみたいに明るくて、ルフィみたいににぎやかで楽しい場所がいい。
でも不思議と落ち着ける、街に一つあるお気に入りの場所になるようなそんな店。
作れるものは自分たちで作った。
ここでもダダンの家で培われた日曜大工の腕が役に立った。
貸ビルや新居の費用に加えて、内装の費用、メニュー考案のための材料費などは小さくはなかったが、それらは3人で今まで貯めたアルバイト代、そしてダダンを通してガープが渡してくれたロジャーとルージュの遺産を少し使うことで賄うことができた。
実のところ、この遺産とは莫大なものだった。
ダダンの持つ敷地にきれいで新しい小さな城を立ててあげられるくらいの分は十分にあった。
ゴール家の遺産に加え、ロジャーとルージュの生命保険金が全てアンに相続されたのである。
アンが幼いころにそれらはすべてガープが管理してくれているらしかった。
おかげでアンが18になった今も、それらは全てアンのものである。
そうして、アンとサボ、ルフィの新しい住処、新しい店が出来上がった。
拾ってきた平らな木材にルフィが緑のペンキで勢いよくDeliと書く。
それを店の入り口に掛けて完成した。
開店の前日、アンはドキドキして眠れなかった。
ごろんと寝返りを打つと、3つくっついて並んだベッドのうちアンから遠いベッドの中も寝返りを打ったところだった。
サボも眠れないのかな。
アンとサボの真ん中でぐうすか寝ているルフィがよく眠っていることに少し安心しながらアンは身を起こした。
すると、一番遠いベッドの中身がひょこりと顔を出した。
「…明日朝早いだろ、横になっといたほうがいいよ」
「やっぱり起きてた」
サボはきまり悪そうに笑った。
「…なんか、緊張して」
「うん」
ぽす、とアンは再びベッドに背中を預けた。
「お客さん来るかな」
「来るよ。最初は来なくても、絶対アンの飯好きになるやつがいる」
「嫌な客、来たりして」
「そんな奴きたらおれよりさきにアンがぶっとばすだろ。いや、ルフィかな」
「そうかも」
鼻より先を布団の下に隠して、くぐもった声でくすくす笑った。
ルフィの頭越しにサボの色素の薄い髪がぼんやりと浮かんでいる。
寝室に唯一ある狭い窓から小さい月が覗いていて、部屋の中を青く照らした。
アンはもぞもぞと動いて、真ん中のルフィのベッドへと侵入した。
ルフィは小さく「んが」と言ったが仰向けのまま起きる気配はない。
「ルフィ、あったかい」
「どれどれ」
おどけるような口調で、サボも身を転がしてルフィのベッドに入り込んだ。
途端にルフィのベッドは一杯になり、すこし軋んだ。
サボはルフィの頭の上に顎を置くような位置でルフィに、そしてアンに腕を回した。
長身のサボはルフィの頭の上に顔を出しても、足先は2人と同じくらいの位置、もしくは少し下なくらいだ。
アンとサボはルフィをはさんで向かい合った。
「ぉわ、ほんとだ。ってかアンもあったかい」
「サボ足冷たい」
つま先の向きを変えるように動かすと、こつんと足が触れあった。
するとサボも脚を動かして、ルフィとアンの脚を丸ごと挟み込んだ。
「あーあったけぇ」
「あいかわらずサボ、冷え症だな」
「いいんだおれは」
アンとルフィがいるから、という言葉は言わなくても伝わっただろう。
しばらくぬくもりをわけあう。
サボの足が少しずつ温まってきた。
部屋の中はルフィの健やかな寝息で満たされていた。
アンがぽつりと口を開いた。
「なんか、小さいころみたい」
「おれもいま、同じこと思ってた」
「ルフィっていっつも一番いい場所にいるよね」
「まあ、末っ子だからな」
つんつん、とアンはルフィの頬をつついた。
相変わらず夢の中だ。
むに、とつねってひっぱってみるが起きたりしない。
サボが声を出さずに笑った。
目の前のルフィの顔を、そしてその向こうに見えるサボの肩を見た。
しばらくすると、健やかな寝息はふたつに増えた。
サボの長い腕はルフィ越しにアンの背中にまで少し届いている。
ルフィの髪からはせっけんと少し汗のにおいがした。
そのままくっついているとアンは少し暑くなってきたが、離れることなくそのまま眠った。
眠る直前、何故だか少しなみだがでた。
翌朝、7時に店を開けて少しすると、ひとり、またひとりとぽつぽつ客が入ってきた。
一週間ほど前から近所への宣伝はぬかりなく済ませてあるので、その宣伝を目にして人たちが興味本位でやってきてくれたのだろう。
勝手の分からない一週間目は3人ともてんてこまいで、お客さんに心配されるほど慌てふためいてしまうこともあった。
だが2週間3週間と経っていくと噂が噂を呼ぶのか、訪れる人は増えていく。
サボは自分の自信が空回りしていなかったことを確信した。
そうして2か月が経ち、怖いくらい滞りなく店が軌道に乗ろうとしていたとき、店にふらりと一人の男が現れた。
その男は気味が悪いほど色白で、眉がなく、ざくろの果汁を塗ったような色の唇で黒のシルクハットをかぶっているという奇妙ないでたちでカウンター席に座った。
時刻は昼の最繁期を終えようというところで、ぽつぽつと人の数は減り始めていた。
サボが注文を取りに行くと、男はサボのほうを見ることもなく「紅茶をください。ホットで」と言った。
丁寧なのに無表情を感じさせるその口調にどこか引っかかったが、気にしていても仕方ないのでサボは愛想よく返事をしてオーダーをアンに告げた。
去り際、なんとなく気になってサボはもう一度男のほうを振り向いたが男は一点を見つめたまま、カウンターテーブルに肘をつき、組んだ両手の上に顎をのせて微動だにしない。
その視線の先を何気なく追ってから、サボはつい険しい顔で男をまじまじと見つめなおしてしまった。
男の視線は、カウンターの向こう側でくるくると立ち働くアンを追っていた。
しかしサボの心配をよそに、その日その男は大人しく紅茶を飲んで長居することもなく席を立った。
厨房が落ち着いてきたのでアンが会計を受け取ろうとしていたのでサボは思わず声をかけそうになったが、今ここで自分が出るのもおかしな気がして押し留まった。
アンとその男は特別な会話をすることもなく事務的に会計を済ました。
そして男は丁寧にアンに礼を告げ、店を出ていった。
アンはいつも通り笑顔で男を見送った。
男が出ていくと、サボは知らず知らずのうちに詰めていた息をほっと吐き出した。
少し背が高めでスラリと細い大人じみた体形をしているのに、造詣の整った顔であどけない笑顔を見せるアンは、兄弟という贔屓目を抜きにしてもきっと、おそらく、多分、絶対、綺麗なんだろう。
これまでも店に来た男たちがからかいまじりにアンに声をかけてきたことはいくらでもあった。
あの奇妙な男がアンを目で追っていたのも、男の性というやつなのかもしれない。
それはいちばんもっともらしい理由だったが、サボはそれだけでは収まらない何かを感じていた。
それがなにかはわからないもやもや感がもどかしい。
ふと気づくと、まだ新しいリュックを背負ったルフィがサボに寄り添うようにくっついて、今男が去っていった店の外をじっと見つめていた。
「ルフィ、おかえり。早いな」
「今日は部活がねぇんだ。ただいま」
そうか、と相槌を打っても、ルフィはサボの隣で店の外を睨んでいる。
「ルフィ?」
「さっき出てったおっさん、なんか変だぞ」
「…シルクハットの男か?」
ルフィはうんと頷いた。
「おれのことちょっと見て、すぐに逸らしたけど、なんかトカゲとかヘビとか、そういうのみたいな目してた」
爬虫類みたいだと言いたいらしい。
「おれあいつ嫌いだ」
「ルフィ」
客だぞ、とたしなめたがルフィは意にも介さずサボの脇をすり抜けて、カウンターの向こうのアンにただいまと叫んだ。
その後ろ姿にため息をつきながらも、自分の声に説得力がないことは承知していた。
サボもルフィほど率直ではないが、同じことを思っていた。
なんとなく不可解な思いを抱えたままその日を終えたが、同じ男が訪れてくるということはなかったのでそのまま記憶は薄れていこうとしていた。
しかしあれから2週間後、また同じ男が店にやってきた。
しかも今度は他の客と同じように席に着こうとはせず、まっすぐカウンターまで歩み寄りアンに声をかけた。
3時ごろで、客は全員引けて、そろそろ閉めようかというときだったのでアンは厨房の中を掃除しており、突如かけられた声に手を止めて顔を上げた。
ルフィはまだ学校で、サボはカウンターの一番奥の席で店の経費を計算していた。
『貴女はゴール・D・アンですね』
『そうだけど』
客なのかよくわからない男に、アンは最近覚えた外向けの笑顔を見せようかどうか迷ったあいまいな表情で返事をした。
アンの声で、サボも男の来訪に気付いた。
男は失礼、と以前と同じシルクハットを脱いだ。
『私はラフィットと申します。私の上司が、大切なお話があるということで貴女に私どもの事務所までお越しいただくよう申しておりますので、代わりに私がお願いしに参りました』
『話ぃ?』
赤黒い唇を笑った形にしたまま話す男に、アンはあからさまに「うさんくさい」と言いたげな顔をした。
サボは手にしていたペンをサロンのポケットに放り入れながらカウンターの内側に回り込みアンの背後に歩み寄った。
『アン、お客さん?』
『ううん、なんか話があるとかなんとかって』
『あなたはサボですね』
ラフィットはサボのほうをちらりと見てそう言った。
名前を知っているくらい不思議ではないが、どこかいやな感じがした。
この男、笑っているけど目が死んでるみたいだ。
『そうだよ。で、アンになんの話?』
『その話を私の上のものが致しますので、アン殿には私どものもとまで来ていただきたいのです』
『そっちからの用向きなら、呼びつけずにあんたの上司って人が出向くのが筋じゃないのか』
男はサボの言葉に、肩をすくめながら手の中のシルクハットをくるりと回した。
『ごもっとも。しかし内密な話でして、貴女に出向いていただくのが一番安全なのです。なにせ、アン殿のご両親にかかわる話でして』
最後の言葉に、アンとサボが同じ仕草で眉を動かし目を瞠った。
『両親って、』
『いかにも、ゴール・D・ロジャーとその妻ルージュのことですね』
アンが不安げな視線をサボに走らせた。
サボも思わず同じ顔でアンを見つめそうになったが、思い返して目の前の男を睨むように見た。
『あんた、誰だ?』
『私はラフィットと申します』
男は紋切り型の口調で、どこかからかうような風味を混ぜながらそう言った。
これ以上の情報はここでは引き出せそうにないという確固たる雰囲気があった。
サボはごくりと唾を飲み下してから口を開いた。
『いつ?』
『今晩の7時、私がまたお迎えに上がりましょう』
『わかった』
サボ、とアンがサボのシャツを握りこむ。
サボはその手を丸ごと包んだ。
ラフィットは満足げにシルクハットをくるりと回して頭に乗せた。
『ああしかし、私どもがお迎えするのはアン殿だけですよ』
『ハァ?』
サボが驚いて声を上げると、男はさも当たり前だと言いたげに肩をすくめた。
『私の上司は、アン殿に、アン殿の両親に関する話があると申しておりますので。──あなたは、ゴール家の人間ではないでしょう?』
ぐ、とサボは押し黙った。
悔しくてもこればかりは、サボには言い返す手札がない。
しかしアンが強気な声で言い返した。
『でもサボもあたしも、ずっと一緒の家で育ったんだ。あたしの父さんと母さんはサボの父さんと母さんだ』
ラフィットはアンの言葉に困ったように少し眉を下げた。が、口元は笑っている。
『私どもはなにもアン殿を捕って喰おうというわけではないのですよ。ご安心ください、日が変わる前にアン殿はお返しします。あなたは弟君と落ち着いて待っていればよいのです』
サボは押し黙ったまま、飄々とした男の顔を睨んだ。
ルフィのことをわざとらしく口にしたのは、まるで「お前たちの情報は粗方掴んでいる」と先手を打ったように聞こえた。
『ご了解いただけましたかな?』
サボとアンは顔を見合わせた。
サボは目線でアンに問う。
アンは案外力強く頷いた。
『わかった』
『ご理解いただけてよかった。それでは今晩7時に店の外に車をつけますので、アン殿はそちらにお乗りください』
男はひらりと身をひるがえすと、さっと外の通りの人並に飛び込んであっというまにのまれてしまった。
アンとサボはしばらく横に並んで、黙ったまま外の人の流れを呆然と見遣る。
はたと、サボは自分がアンの手を握りこんでいたことを思い出した。
ぱっと手を離すとアンも思いだしたようにサボのシャツを離した。
握りこまれていたその部分は皺が寄っている。
『…大丈夫か、アン』
『うん…なんだろ、父さんと母さんのことなんて…』
いまさら、というつぶやきがサボには聞こえた気がした。
忘れろとは言わない。忘れるわけがないし、忘れたらいけないとも思う。
それでも、幸せだった過去の記憶としてぼんやりとアンの胸に残っているだけの方が楽なのは確実だ。
それをいまさら、あれから8年も経って、なんだというのだ。
『ルフィにも、言わなきゃ』
『そうだな』
ルフィに今さっき生じた出来事を話すには少し難しいというか手間がかかりそうな気がしたが、こうした面倒事の気配さえも共有するのが3人のやり方だ。
はてルフィにはどこから説明するのがわかりやすいだろう、とサボが腕を組みながら話の骨組みを立てていると、アンがずっと片手で握りっぱなしの布巾を握りしめたまま小さくサボ、と呟いた。
『父さんと…母さんのことでなんかわかったら、絶対、サボにもルフィにも、話すから』
アンは握りしめた布巾に約束するようにそう言った。
ラフィットがサボに向かって言った、『あなたはゴール家の人間ではない』という言葉を気にしているようだった。
サボ自身、それを聞いたときは少しくるものがあったが、それよりもっと考えることがあったのであまり頓着していなかった。
不意にアンの優しさに触れて胸が詰まった。
『うん、頼むよ』
サボが欠けた歯を覗かせて笑顔を見せると、アンもつられて安心したように頬を緩めた。
その日の晩、約束通りの時間、店の前に車が静かに停まった。
その音を聞いて、アンはサボとルフィに頷きかけた。
『行くよ』
『ああ、変だと思ったらすぐに逃げろよ』
『やっぱり跡つけたほうがよくねぇか?なぁ、サボ』
ルフィの言うことはサボも考えたことだったが、アンが大丈夫だと言い切った。
『なんとなく、あいつら父さんたちに関係あることであたしに頼みたいことあるみたいな感じしたんだ。だから多分、物騒なことにはならないよ』
じゃあね、とアンは店の半分閉じたシャッターの下をくぐって出ていってしまった。
すぐにドアが開く音がして、車が発車する。
サボとルフィはその音を、真っ暗な店内で立ち尽くしたまま聞いていた。
そしてこれも約束通り日が変わる1時間前に戻ってきたアンは、サボとルフィの想像もしていなかった言葉を伝えた。
「あたし、泥棒しなくちゃいけない」
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