OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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「あぁルフィのお姉様がこんな麗しきレディだったなんて!!」
金髪碧眼のその男は、胸に手を当てて仰々しい仕草で天井を仰いだ。
目があった瞬間絶叫されるし手の甲にはキスされるし、それはルフィがよく話に出す友達そのままの仕草で、すぐに気付いた。
「あたしもルフィに聞いてたよ、まだ高校生なのにコックの友達」
「いやあオレはまだ見習いさ、だからここでバイト生活」
「バイトなの?」
「こいつんちはこことは比較にならねぇくらいドデカイレストランだよ。ここに来てんのはただの酔狂だ」
そうなの?とアンが目で問うと、サンジは顔をしかめてデシャップの隅でタバコの煙を吹き上げている男、イゾウをちらと睨んだ。
「オーナー、違うっつってんだろ、俺は好きでここに来てんだ」
「お前んとこのジジイが連れ戻しにくるまでな」
「連れ戻しになんてこねぇよ!!」
「にーちゃんでけぇ声出してねぇでさっさとオレの飯作ってくれよ」
興奮したサンジの声を、サッチがのうのうと遮った。
勢いを削がれたサンジはぶすくれた顔で、「男の飯なんて作る気しねぇ」とぼやいた。
イゾウがハンと鼻を鳴らす。
「客を選ぶんじゃねぇよ。そもそもここに女なんてめったにこねぇだろうが」
「アンちゃんはなに食べたい?時間的にスイーツかな?それとも何かアラカルトのほうがいい?」
「おいだからオレのメシ作れって」
「はいはいアンタのは適当に作りますよ、で、アンちゃんは?」
アンは「ん」と口に含んでいたフォークを取り出す。
シーツのようになめらかなチーズケーキはもう半分以上ない。
「これもらったから…」
「んじゃ、なんかツマミにするね」
「や、夜は家で食べるから」
ありがとうと遮ると、サンジはしょぼんとわかりやすく萎んだ。
「んじゃ早いうちに帰っちまうのか」
「うん、ルフィたちのご飯作らなきゃ」
あぁ、と納得したようにサンジは頷いた。ものわかりがいい。
サンジは鮮やかな手つきで野菜を刻んで、熱したフライパンの上に散らすように入れる。
本物の料理人のようなその仕草に思わず見入った。
目もアンを捉えるときのようなデレッとしたしまりのない形ではなく、しっかりと自分の手の動きと食材を見つめるまっすぐな視線。
たしかルフィより二つ上、つまりアンの一つ下のはずなのに、その目はすっと芯の通った大人びた目だった。
町はずれのデリで少し家庭料理の作れる程度の自分はサンジにとって、サーカス劇団が三輪車に乗れる子供を見るようなものなのだろう。
比べたって仕方ないけど、と内心でぼやきつつも憧憬半分悔しさ半分と言ったところ。
サンジはあっという間にピラフを作り上げてしまった。
差し出された皿にサッチは嬉しそうに手を伸ばす。
「あいかわらず可愛げのかけらもねぇほどうめぇな」
「褒めるんならもっとまっすぐ褒めろよオッサン。オーナー、暇ならアンちゃんになんか作ってやってくれよ」
サンジは忌々しげな口調でイゾウを睨む。しかしその顔は口ほど苛立ってはいない。
悪ぶった話し方が癖らしい。
イゾウはアンにちらりと視線を走らせた。
「ケーキうまかったか」
「う、うん、ごちそうさま」
アンは皿の上を平らげて、名残惜しげに手にしていたフォークをやっと手放した。
イゾウは満足げにうなずいて立ち上がった。相変わらずまっすぐな樫の木のように背が高い。
あれ、これサンジが作ってくれたやつなんだよな、と思いサンジをちらと見上げると、アンと視線を合わせた碧眼は途端にデレッとゆるんだ。
サンジの手がアンの前から皿を取り上げる。
「お粗末さん」
ごちそうさま、ともう一度呟くとサンジははたとアンを見つめた。
不思議そうなその顔に、アンも訳が分からず見つめ返す。
サンジは、あーっと、と失礼を詫びるように眉を下げた。
「ごめん、アンちゃんってほんとにルフィのお姉様のアンちゃんだよな?」
「そうだけど」
「だよなぁ…」
サンジは首をかしげつつあごの薄いひげを撫でる。
なんで、と聞き返そうか迷っているうちにサンジが口を開いた。
隣でサッチがもぐもぐと咀嚼しながら二人の会話を興味深げに眺めているのが視線で感じる。
「や、なんかルフィが言ってる感じとだいぶ違ったから」
「へ、そう?」
「うん、なんつーか、もっと、こう…」
ガッツ溢れる?とサンジはずいぶん言葉を選んでから答えた。
その口調で、ルフィがいつもアンをどのように人に話しているのか、なんとなく想像がついた。
きっと「人使い荒いし片づけねぇとすぐ怒るしすぐ殴るし寝相は悪いし脚癖はもっと悪ぃ!」とかだ。
そしてそれはあながち間違いではない。
それをそのまま伝えないあたり、サンジのフェミニスト精神がうかがえた。
「アンちゃんが猫かぶってるようには見えねぇけどなぁ」
サッチが隣から口をはさむ。
ピラフは粗方片付いたようだった。イゾウにビールを要求している。
サンジはひょいと肩をすくめるように苦笑して、サッチの前から皿を掬い上げた。その仕草も高校生らしくない。
アンは何と言っていいかわからず、おろおろとサッチとサンジに視線を走らせた。
おろおろしているうちにイゾウがアンの前までやってくる。
「ん」
細いグラスに、黄色とオレンジ、そして赤が綺麗にグラデーションになった液体が上品に注がれたドリンクが差し出された。
グラスのふちがキラキラ光っている。
アンはその光に目を奪われつつ、差し出されたままに受け取った。
「すご…これ、酒?」
到底飲み物には見えない。
磨き上げられた宝石がさらりと溶けて液体になったような美しさだ。
「いや、ノンアルコールカクテル。酒は入ってねぇよ」
「珍しく立ち働いてると思ったら凝ったもん作りやがって」
サッチが恨めしげにイゾウを睨む。
オレの酒もそれくらい気合い入れて作れと言っているらしい。
イゾウはそんなサッチの視線を意に介さず、なみなみ注いだだけのビールをどんとカウンターに置いた。
アンは受け取ったグラスを顔の前まで持ち上げた。
ほう、と息が漏れる。
「この人酒作るのだけは上手いんだ、ほんとに」
まぁそれはノンアルコールだけどよ、とサンジが自分の手柄を自慢する子供のように嬉しそうにする。
サンジの大人びた顔から一気に無邪気さが現れたが、今のアンはそれに気付く余裕もない。
目の前のドリンクに目を奪われていた。
「…すごい、海みたい」
感嘆と共にそう呟くと、隣のサッチも斜め前のサンジも、向かいのイゾウまできょとんとアンを見つめた。
アンは3つの視線に気付くことなくくるりとグラスを回してみた。
下の透明の部分がたぷんと揺れて水泡がきらきら上っていくのを眺めて、うわぁと思わず声を漏らす。
波が西日をたっぷりと吸い込んで赤く染まった10年以上前のあの日の海が、今アンの目の前で揺れているようだった。
「…こりゃああの野郎が聞いたら喜びそうなセリフだ」
イゾウが可笑しげに喉を鳴らしてデシャップの中の椅子に腰かける。
そこでようやく、アンは顔を上げてイゾウを捉えた。
「の、のんでも…?」
「もちろん、観賞用じゃあねぇよ」
そうだった、とアンは手の中のグラスのふちに口をつけた。
ひんやりと冷えたグラスを傾けると、グラデーションの液体がアンの唇に触れる。
氷が入っていないのに、驚くほど冷えていた。
「…おいしい」
とろりと甘い柑橘系のシロップと炭酸が口の中で混ざり合う。
さわやかなマンゴーとミントの香りが鼻から抜けた。
アンはもう一度イゾウを見て、おいしいと呟く。
イゾウはぶはっと吹き出した。
「真顔で女に『おいしい』なんて言われたのぁ初めてだ」
「え、だ、だって」
おいしい意外になんといったら、とアンは少ない語彙の引き出しを開け閉めして言葉を探したが見つからない。
見つからなかったので、もう一度「おいしい」と言ったらイゾウは端正な顔を歪めて爆笑した。
サンジがおいおいとたしなめる。
「レディの言葉にそんなあけっぴろげに爆笑すんじゃねぇよ。つーかアンタ顔に似合わねぇんだからそのバカ笑いする癖治せよ」
「しょうがねぇよサンジ、こいつは昔っから笑いのツボが歪んで付いてんだ」
なぜかわかり合っているような雰囲気の3人の会話についていけず、アンはもう一度グラスの中身をちびちびと飲んだ。
やっぱりおいしい。
混ざり合ったカクテルは、やっぱり波立って揺れた海面のようだった。
不意にアンの右後ろで、キイッと扉の蝶番が音を立てた。
イゾウが顔を上げて、おお噂をすればと目じりの涙をぬぐう。
サンジが「らっしゃーい」と気のない挨拶をする。
サッチは肩越しに振り向いて、驚いたように声を上げた。
「お前仕事終わったのか!?」
常連の人かな、とかすかな好奇心が胸をくすぐって、アンは舐めるように飲んでいたグラスとともに後ろを振り向いて、危うくそれを落としかけた。
「終わってねぇよい」としかめ面で吐き捨てるマルコが立っていた。
声が出せず、アンはぽかんと口を開けてマルコを見上げる。
目を逸らして背中を向けてしまえばいいのに、それはそれで怪しい気がして、いやそれよりももっと他に違う理由があるような気がしたが、とにかく動くことができなかった。
マルコはサッチからすいとアンに視線を移して、少し目を細めた。
言葉をなくすほどのアンに対してマルコは驚いたそぶりも見せない。
そして断りもなくアンの隣の椅子を引いた。
げっ、とせりあがった声を慌てて飲み込む。
仕方がない、カウンターテーブルには5つしか席がなく、一番右端にサッチ、その隣にアンが座っているのだからマルコが座るのはアンより左しかない。
マルコが腰かけると、深い煙草の香りに混じってどこか湿ったにおいがした。
アンは思わずまともにマルコを見た。
「外、雨降ってるの?」
マルコは虚をつかれたのか一瞬目を丸めて、あぁと答えた。
「さっき降り出したよい」
「すげぇなアンちゃん、なんでわかんの?」
サッチが空になったジョッキをイゾウにつき返しながら尋ねた。
確かにここは窓もなく、雨の音もしない。
「なんとなく…におい?」
「におい?」
そりゃすげぇ、とサッチは新しいビールを受け取った。
自分から話しかけて置いてなんだが、アンはすぐさまマルコから顔を背けた。
まさかあれから2日も立たないうちに顔を突き合わせる羽目になるとは思わなかった。
ああ雨なんてどうでもいいのに、とアンはますます俯く。
そうだあたし、何してるんだろうこんなところで。
バレない保証なんてないのに、サボもルフィもいないのに。
帰る、と舌先に乗った言葉が転がり出かけたそのとき、右隣から黒いスーツの腕がアンの目の前を横切った。
思わず身を引く。
その腕は、アンの左隣で今まさにマルコがイゾウから受け取って口に運ぼうとしていた浅いグラスに伸びていて、まるでグラスに蓋をするようにサッチの厚い手のひらがその上に被さっていた。
アン越しに、マルコの目が鋭くサッチを睨んだ。
「…なんだよい」
「お前車だろ?」
「…車は置いて帰るよい」
「ちげぇって、飲む前にアンちゃん家まで送ってってやってくれよ。雨降ってんだろ?」
アンはぱちくりと瞬いてサッチを振り返った。
サッチは人の好い笑みでアンに笑いかける。
陽光がどんどん溢れているような笑顔だ。
「な、アンちゃんそうしな。オレ飲んじまったから」
まさか雨降るとはなあ、傘持ってねぇや、とサッチは大したことではなさそうにへらへら笑って、乗り出していた身体を戻した。
マルコはサッチが蓋をしていたグラスをちらと見降ろして、ため息とともにそれをテーブルに戻す。
座ったばかりだというのに、マルコは立ち上がろうと椅子を後ろに引いていた。
「ちょ、いい、いいよ!あたし歩いて帰るから」
「お前も傘持ってねぇんだろい」
「でも…」
仕事も終わってないのに(きっとあたしのせいだ)息抜きに飲みに来て、酒にありついた瞬間邪魔されるなんて気分いいはずがない。
それに、いまマルコと二人になるのは心配がつきない。
マルコの様子を見たところ全く疑っている雰囲気は見えないけど、そのフェイクの顔の下で隙あらばアンを捕まえようとタイミングを見計らっているんじゃないかと、どこまでもネガティブになっていける妄想は止まることがない。
「いい」といった自分の本心がマルコのためなのか自分のためなのか、全く見当もつかなかった。
しかしマルコは、アンの制止にお構いなく席を立つ。
「すぐ戻るからいいよい。行くぞ」
「えっ、あっ、ちょっと待って」
アンは掴むように華奢なグラスを手にとって、ああもったいないと思いながら残った半分をぐいっと飲み干した。
さらさらと冷たい液体が喉を通って落ちていくのを早送りで味わった。
「ごちそうさま!イゾウ、おいしかった、ほんとに!サンジも、ケーキ、ありがとう!お金…」
一息にお礼を言って、斜め掛けしたハンドバックに手を伸ばすと、それをアンの手の上に触れるか触れないかくらいの位置でサッチの手が押しとどめた。
まるで子供のいたずらをたしなめるようなしぐさだ。
「奢りっつったろ?付き合ってくれてありがとな」
にっと歯を見せてサッチは笑う。
アンは言葉に詰まって、困った顔でサッチを見つめ返すしかできない。
本当はアンの方こそサッチにお礼を言うつもりだったのに、先に言われてしまって言葉が出なかった。
サンジが「アンちゃんまた来てね、絶対ェ!!」と言葉尻のわりに穏やかな目で笑った。
イゾウがひらりと手を振る。
マルコはドアの前で、静かにアンを待っていた。
やさしい、とてもやさしい人たちだ。
3人の世界しかいらないと思っているあたしに、こんなにもやさしい──
アンは消え入る煙のように頼りない声で、ありがとうと呟いた。
サッチは「また来週飯食いに行くよ」と笑ってくれた。
*
車は、大通りから店のある細い通りへ入ってすぐの小さな駐車場に停めてあるとマルコは言った。
店の扉から一歩外に出ると、階下で雨が染み込んだコンクリートの匂いが一層強くなった。
大粒の水滴が地面を叩くばたばたという音が聞こえる。
「わりぃけど、そこまで走ってもらうよい」
「うん、全然、いい」
なるほどだから、店に入って来たマルコから雨の匂いがしたわけか。
行きもこうやって濡れて来たに違いない。
駐車場までたった100メートル足らずだ。
距離は問題ないけど、この雨脚だとたったそれだけでぐっしょり濡れてしまうだろうなあと想像した。
しかしここから家まで濡れそぼったまま歩いて帰るより幾分ましかと気を取り直す。
階段を下りて、イゾウの店の下にあるスタジオの入り口で立ち止まった。
なるほど、すごい雨だ。
車で走れば雨で煙って前が見えにくいだろう。
よし走るか、と合意を確かめるようにマルコを見上げたアンの視界は、ばさっと豪快な衣擦れの音がした瞬間暗く閉ざされた。
「わっ」
頭からかぶせられた布から、じわりと漂う煙そのもののような煙草の香りがしみだしてきて、それがマルコのスーツの上着だと気付く。
「行くぞ」
ちょっと待って、と声を上げようとした瞬間にマルコが立つのと反対側の肩を上着越しに掴まれて、そのままぐっと腕で背中を押された勢いのまま、アンは雨の中に踏み出していた。
「マルっ…上着…!」
アンの視界はすっぽり上着に覆われていて前は見えず、濡れた地面を踏みしめる自分のスニーカーしか見えない。
アンの声は雨音と自分たちの足音にかき消されてマルコには届いていないようで、返事がない。
アンに自分の上着をかぶせたマルコの意図がわからないほど馬鹿ではないが、それを黙って受け入れるほど可愛げもない。
アンはマルコに肩を支えられて小走りしながら、雨を吸って重たい上着の下でもがくようにして出口を探した。
見かけ以上にマルコに背中は広いようで、なかなか上着のふちに手がかからない。
すでに半分ほどの距離を進んだだろう頃になって、やっと上着の襟の部分を掴んだ。
えいやあと一気に顔を出す。
隣でぐっしょりと濡れた髪を額に貼りつかせたマルコが、足を止めずにアンを見下ろした。
「アホか、なんで出てくんだよい!」
「だって上着…!」
「黙って被ってろい!」
マルコは走るのをやめて、もう一度アンの頭に上着をかぶせようと手を伸ばす。
しかしその前に、アンは肩に引っ掛かっていた上着を外すと素早く丸めるように折りたたんで、ギュッと胸の前で抱きしめるように抱え込んだ。
「よし行こう!」
「おまっ…」
すぐさま走り出そうと足を踏み出したアンの隣で、マルコが呆れたように頭を反らせた。
「被っとけっつったろい」
「だって濡れる…」
「どうせクリーニングに出すんだから一緒なんだよい、ったく」
つーかもうびっしょびしょじゃねぇか、とマルコはため息とともに額から流れる雨を手の甲で拭った。
上着のことでわたわたしているうちに、アンも頭からバケツで水をかぶったようにぐっしょり濡れていた。
あ、とアンは間の抜けた声を出した。
「…もう走っても意味ないね」
「風邪はひかねぇほうがいいだろい」
ほら走れ、とマルコが顎で道を指し示す。
先に走り出したシャツの背中を追うように、アンも重たくなった上着をぎゅっと抱きしめて走り出した。
飛び込むようにして二人同時に車の中へ逃げ込む。
息が上がったわけでもないのに、しばらくの間車内は二人の微かに荒くなった呼吸音しかしない。
ぴちょん、と可愛らしい音がして、アンの髪から垂れている水滴が座席を濡らしていることに気付いて慌てて腰を上げた。
そして天井でしたたかに頭をぶつける。
「ぃだっ」
「おい落ち着けよい」
マルコの呆れ顔はアンが上着から顔を出した時からそのままだ。
思い出して、抱きしめていた上着を広げてみたが、マルコが怒り呆れるのももっともなほど、もうすでにたっぷり湿っていた。
おもむろにマルコが身体をひねり、運転席と助手席の間に手を伸ばす。
マルコの左手がアンが背中を預けるシートの背にかかって、ぎっと軋んだ。
冷たい腕がアンの肩に触れる。
身体を戻したマルコの手には、ビニールで包装されたままの白いタオルが握られていた。
マルコは包装を荒っぽく取り去り、アンにずいと差し出した。
「拭けよい」
「あ、りがと」
白いタオルはどこかでもらった備品のようで畳んであったもともとの皺以外はぴんと伸びていて真新しいにおいがした。
おずおずと、アンはとりあえず両腕の水を拭きとっていく。
それから鎖骨の上を流れる水をタオルで押さえて、首を拭く。
不意に、マルコの手がアンの首に伸びた。
えっ、と声を上げる間もなくタオルが奪われる。
「んなとこよりまず頭拭けよい、水垂れてんだろうが」
上着のときのようにばさりと頭にタオルがかぶせられて、がしゅがしゅとまるで大型犬を撫でる手つきで髪を拭かれる。
「あ、そだよな…ごめん」
そういえば水は髪から垂れていたんだった、としゅんと答えれば、マルコの手の動きが微かに緩んだ気がした。
かしゅかしゅかしゅ、とタオルと髪がこすれ合う音と軽く揺らされる頭がどうしてか心地よくて、正面を向いたままアンは思わず目を閉じた。
「自分でできる」とタオルを手に取れば、マルコは訝しむことなくアンにタオルを手渡すだろう。
わかっているのに、そうしないのはなんでだろう。
風呂上りに髪を乾かしてもらう時のように、さわやかで気持ちいい。
全然さわやかな場面じゃないのに。
しかしマルコのほうを向いて拭いてもらうのはそれこそ本当に子どものようで、せめてもの意地というわけではないけど、アンはじっとフロントガラスに対面したまま横向きで大人しく拭かれた。
マルコの手が、アンの右側の首筋に後ろから回り込むように触れて、濡れて貼りついた髪筋を左側にまとめて束ねていく。
長い指が濡れた髪を絡め取るように一度梳いて、タオル越しにギュッと絞った。
タオルに吸い取られなかった水滴がまた、シートに落ちた。
ぺとりと一筋髪が零れ落ちる。
マルコの手がまた丁寧にその髪を掬った。
その拍子にマルコの指が後ろ首に触れて、その冷たさにアンは反射で首をすくめた。
そうだ、マルコはまだ濡れたまま──
慌ててそれを口に出そうとマルコを振り向いたとき、目の前に濡れた鼻先が迫っていた。
「──え?」
声が出たのは鼻と鼻が触れてそして離れた後だった。
触れあったのは冷えた鼻先だけではない。
氷のように冷たくて驚くほど柔らかいものも、同時に唇に触れていた。
アンの後頭部を支えていたらしい手のひらが、タオルと共に離れていく。
マルコはまるで何事もなく、アンを拭いてキスをしてその延長線上に自分の身体を拭くのが当然だとでもいうように自身の腕や首の水滴をぬぐい始めた。
「……え?」
もう一度声を発するとマルコがアンを振り向いた。
その静かな青い目に射抜かれて、唇が触れたのと同時に視線もぶつかっていたことを思い出した。
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金髪碧眼のその男は、胸に手を当てて仰々しい仕草で天井を仰いだ。
目があった瞬間絶叫されるし手の甲にはキスされるし、それはルフィがよく話に出す友達そのままの仕草で、すぐに気付いた。
「あたしもルフィに聞いてたよ、まだ高校生なのにコックの友達」
「いやあオレはまだ見習いさ、だからここでバイト生活」
「バイトなの?」
「こいつんちはこことは比較にならねぇくらいドデカイレストランだよ。ここに来てんのはただの酔狂だ」
そうなの?とアンが目で問うと、サンジは顔をしかめてデシャップの隅でタバコの煙を吹き上げている男、イゾウをちらと睨んだ。
「オーナー、違うっつってんだろ、俺は好きでここに来てんだ」
「お前んとこのジジイが連れ戻しにくるまでな」
「連れ戻しになんてこねぇよ!!」
「にーちゃんでけぇ声出してねぇでさっさとオレの飯作ってくれよ」
興奮したサンジの声を、サッチがのうのうと遮った。
勢いを削がれたサンジはぶすくれた顔で、「男の飯なんて作る気しねぇ」とぼやいた。
イゾウがハンと鼻を鳴らす。
「客を選ぶんじゃねぇよ。そもそもここに女なんてめったにこねぇだろうが」
「アンちゃんはなに食べたい?時間的にスイーツかな?それとも何かアラカルトのほうがいい?」
「おいだからオレのメシ作れって」
「はいはいアンタのは適当に作りますよ、で、アンちゃんは?」
アンは「ん」と口に含んでいたフォークを取り出す。
シーツのようになめらかなチーズケーキはもう半分以上ない。
「これもらったから…」
「んじゃ、なんかツマミにするね」
「や、夜は家で食べるから」
ありがとうと遮ると、サンジはしょぼんとわかりやすく萎んだ。
「んじゃ早いうちに帰っちまうのか」
「うん、ルフィたちのご飯作らなきゃ」
あぁ、と納得したようにサンジは頷いた。ものわかりがいい。
サンジは鮮やかな手つきで野菜を刻んで、熱したフライパンの上に散らすように入れる。
本物の料理人のようなその仕草に思わず見入った。
目もアンを捉えるときのようなデレッとしたしまりのない形ではなく、しっかりと自分の手の動きと食材を見つめるまっすぐな視線。
たしかルフィより二つ上、つまりアンの一つ下のはずなのに、その目はすっと芯の通った大人びた目だった。
町はずれのデリで少し家庭料理の作れる程度の自分はサンジにとって、サーカス劇団が三輪車に乗れる子供を見るようなものなのだろう。
比べたって仕方ないけど、と内心でぼやきつつも憧憬半分悔しさ半分と言ったところ。
サンジはあっという間にピラフを作り上げてしまった。
差し出された皿にサッチは嬉しそうに手を伸ばす。
「あいかわらず可愛げのかけらもねぇほどうめぇな」
「褒めるんならもっとまっすぐ褒めろよオッサン。オーナー、暇ならアンちゃんになんか作ってやってくれよ」
サンジは忌々しげな口調でイゾウを睨む。しかしその顔は口ほど苛立ってはいない。
悪ぶった話し方が癖らしい。
イゾウはアンにちらりと視線を走らせた。
「ケーキうまかったか」
「う、うん、ごちそうさま」
アンは皿の上を平らげて、名残惜しげに手にしていたフォークをやっと手放した。
イゾウは満足げにうなずいて立ち上がった。相変わらずまっすぐな樫の木のように背が高い。
あれ、これサンジが作ってくれたやつなんだよな、と思いサンジをちらと見上げると、アンと視線を合わせた碧眼は途端にデレッとゆるんだ。
サンジの手がアンの前から皿を取り上げる。
「お粗末さん」
ごちそうさま、ともう一度呟くとサンジははたとアンを見つめた。
不思議そうなその顔に、アンも訳が分からず見つめ返す。
サンジは、あーっと、と失礼を詫びるように眉を下げた。
「ごめん、アンちゃんってほんとにルフィのお姉様のアンちゃんだよな?」
「そうだけど」
「だよなぁ…」
サンジは首をかしげつつあごの薄いひげを撫でる。
なんで、と聞き返そうか迷っているうちにサンジが口を開いた。
隣でサッチがもぐもぐと咀嚼しながら二人の会話を興味深げに眺めているのが視線で感じる。
「や、なんかルフィが言ってる感じとだいぶ違ったから」
「へ、そう?」
「うん、なんつーか、もっと、こう…」
ガッツ溢れる?とサンジはずいぶん言葉を選んでから答えた。
その口調で、ルフィがいつもアンをどのように人に話しているのか、なんとなく想像がついた。
きっと「人使い荒いし片づけねぇとすぐ怒るしすぐ殴るし寝相は悪いし脚癖はもっと悪ぃ!」とかだ。
そしてそれはあながち間違いではない。
それをそのまま伝えないあたり、サンジのフェミニスト精神がうかがえた。
「アンちゃんが猫かぶってるようには見えねぇけどなぁ」
サッチが隣から口をはさむ。
ピラフは粗方片付いたようだった。イゾウにビールを要求している。
サンジはひょいと肩をすくめるように苦笑して、サッチの前から皿を掬い上げた。その仕草も高校生らしくない。
アンは何と言っていいかわからず、おろおろとサッチとサンジに視線を走らせた。
おろおろしているうちにイゾウがアンの前までやってくる。
「ん」
細いグラスに、黄色とオレンジ、そして赤が綺麗にグラデーションになった液体が上品に注がれたドリンクが差し出された。
グラスのふちがキラキラ光っている。
アンはその光に目を奪われつつ、差し出されたままに受け取った。
「すご…これ、酒?」
到底飲み物には見えない。
磨き上げられた宝石がさらりと溶けて液体になったような美しさだ。
「いや、ノンアルコールカクテル。酒は入ってねぇよ」
「珍しく立ち働いてると思ったら凝ったもん作りやがって」
サッチが恨めしげにイゾウを睨む。
オレの酒もそれくらい気合い入れて作れと言っているらしい。
イゾウはそんなサッチの視線を意に介さず、なみなみ注いだだけのビールをどんとカウンターに置いた。
アンは受け取ったグラスを顔の前まで持ち上げた。
ほう、と息が漏れる。
「この人酒作るのだけは上手いんだ、ほんとに」
まぁそれはノンアルコールだけどよ、とサンジが自分の手柄を自慢する子供のように嬉しそうにする。
サンジの大人びた顔から一気に無邪気さが現れたが、今のアンはそれに気付く余裕もない。
目の前のドリンクに目を奪われていた。
「…すごい、海みたい」
感嘆と共にそう呟くと、隣のサッチも斜め前のサンジも、向かいのイゾウまできょとんとアンを見つめた。
アンは3つの視線に気付くことなくくるりとグラスを回してみた。
下の透明の部分がたぷんと揺れて水泡がきらきら上っていくのを眺めて、うわぁと思わず声を漏らす。
波が西日をたっぷりと吸い込んで赤く染まった10年以上前のあの日の海が、今アンの目の前で揺れているようだった。
「…こりゃああの野郎が聞いたら喜びそうなセリフだ」
イゾウが可笑しげに喉を鳴らしてデシャップの中の椅子に腰かける。
そこでようやく、アンは顔を上げてイゾウを捉えた。
「の、のんでも…?」
「もちろん、観賞用じゃあねぇよ」
そうだった、とアンは手の中のグラスのふちに口をつけた。
ひんやりと冷えたグラスを傾けると、グラデーションの液体がアンの唇に触れる。
氷が入っていないのに、驚くほど冷えていた。
「…おいしい」
とろりと甘い柑橘系のシロップと炭酸が口の中で混ざり合う。
さわやかなマンゴーとミントの香りが鼻から抜けた。
アンはもう一度イゾウを見て、おいしいと呟く。
イゾウはぶはっと吹き出した。
「真顔で女に『おいしい』なんて言われたのぁ初めてだ」
「え、だ、だって」
おいしい意外になんといったら、とアンは少ない語彙の引き出しを開け閉めして言葉を探したが見つからない。
見つからなかったので、もう一度「おいしい」と言ったらイゾウは端正な顔を歪めて爆笑した。
サンジがおいおいとたしなめる。
「レディの言葉にそんなあけっぴろげに爆笑すんじゃねぇよ。つーかアンタ顔に似合わねぇんだからそのバカ笑いする癖治せよ」
「しょうがねぇよサンジ、こいつは昔っから笑いのツボが歪んで付いてんだ」
なぜかわかり合っているような雰囲気の3人の会話についていけず、アンはもう一度グラスの中身をちびちびと飲んだ。
やっぱりおいしい。
混ざり合ったカクテルは、やっぱり波立って揺れた海面のようだった。
不意にアンの右後ろで、キイッと扉の蝶番が音を立てた。
イゾウが顔を上げて、おお噂をすればと目じりの涙をぬぐう。
サンジが「らっしゃーい」と気のない挨拶をする。
サッチは肩越しに振り向いて、驚いたように声を上げた。
「お前仕事終わったのか!?」
常連の人かな、とかすかな好奇心が胸をくすぐって、アンは舐めるように飲んでいたグラスとともに後ろを振り向いて、危うくそれを落としかけた。
「終わってねぇよい」としかめ面で吐き捨てるマルコが立っていた。
声が出せず、アンはぽかんと口を開けてマルコを見上げる。
目を逸らして背中を向けてしまえばいいのに、それはそれで怪しい気がして、いやそれよりももっと他に違う理由があるような気がしたが、とにかく動くことができなかった。
マルコはサッチからすいとアンに視線を移して、少し目を細めた。
言葉をなくすほどのアンに対してマルコは驚いたそぶりも見せない。
そして断りもなくアンの隣の椅子を引いた。
げっ、とせりあがった声を慌てて飲み込む。
仕方がない、カウンターテーブルには5つしか席がなく、一番右端にサッチ、その隣にアンが座っているのだからマルコが座るのはアンより左しかない。
マルコが腰かけると、深い煙草の香りに混じってどこか湿ったにおいがした。
アンは思わずまともにマルコを見た。
「外、雨降ってるの?」
マルコは虚をつかれたのか一瞬目を丸めて、あぁと答えた。
「さっき降り出したよい」
「すげぇなアンちゃん、なんでわかんの?」
サッチが空になったジョッキをイゾウにつき返しながら尋ねた。
確かにここは窓もなく、雨の音もしない。
「なんとなく…におい?」
「におい?」
そりゃすげぇ、とサッチは新しいビールを受け取った。
自分から話しかけて置いてなんだが、アンはすぐさまマルコから顔を背けた。
まさかあれから2日も立たないうちに顔を突き合わせる羽目になるとは思わなかった。
ああ雨なんてどうでもいいのに、とアンはますます俯く。
そうだあたし、何してるんだろうこんなところで。
バレない保証なんてないのに、サボもルフィもいないのに。
帰る、と舌先に乗った言葉が転がり出かけたそのとき、右隣から黒いスーツの腕がアンの目の前を横切った。
思わず身を引く。
その腕は、アンの左隣で今まさにマルコがイゾウから受け取って口に運ぼうとしていた浅いグラスに伸びていて、まるでグラスに蓋をするようにサッチの厚い手のひらがその上に被さっていた。
アン越しに、マルコの目が鋭くサッチを睨んだ。
「…なんだよい」
「お前車だろ?」
「…車は置いて帰るよい」
「ちげぇって、飲む前にアンちゃん家まで送ってってやってくれよ。雨降ってんだろ?」
アンはぱちくりと瞬いてサッチを振り返った。
サッチは人の好い笑みでアンに笑いかける。
陽光がどんどん溢れているような笑顔だ。
「な、アンちゃんそうしな。オレ飲んじまったから」
まさか雨降るとはなあ、傘持ってねぇや、とサッチは大したことではなさそうにへらへら笑って、乗り出していた身体を戻した。
マルコはサッチが蓋をしていたグラスをちらと見降ろして、ため息とともにそれをテーブルに戻す。
座ったばかりだというのに、マルコは立ち上がろうと椅子を後ろに引いていた。
「ちょ、いい、いいよ!あたし歩いて帰るから」
「お前も傘持ってねぇんだろい」
「でも…」
仕事も終わってないのに(きっとあたしのせいだ)息抜きに飲みに来て、酒にありついた瞬間邪魔されるなんて気分いいはずがない。
それに、いまマルコと二人になるのは心配がつきない。
マルコの様子を見たところ全く疑っている雰囲気は見えないけど、そのフェイクの顔の下で隙あらばアンを捕まえようとタイミングを見計らっているんじゃないかと、どこまでもネガティブになっていける妄想は止まることがない。
「いい」といった自分の本心がマルコのためなのか自分のためなのか、全く見当もつかなかった。
しかしマルコは、アンの制止にお構いなく席を立つ。
「すぐ戻るからいいよい。行くぞ」
「えっ、あっ、ちょっと待って」
アンは掴むように華奢なグラスを手にとって、ああもったいないと思いながら残った半分をぐいっと飲み干した。
さらさらと冷たい液体が喉を通って落ちていくのを早送りで味わった。
「ごちそうさま!イゾウ、おいしかった、ほんとに!サンジも、ケーキ、ありがとう!お金…」
一息にお礼を言って、斜め掛けしたハンドバックに手を伸ばすと、それをアンの手の上に触れるか触れないかくらいの位置でサッチの手が押しとどめた。
まるで子供のいたずらをたしなめるようなしぐさだ。
「奢りっつったろ?付き合ってくれてありがとな」
にっと歯を見せてサッチは笑う。
アンは言葉に詰まって、困った顔でサッチを見つめ返すしかできない。
本当はアンの方こそサッチにお礼を言うつもりだったのに、先に言われてしまって言葉が出なかった。
サンジが「アンちゃんまた来てね、絶対ェ!!」と言葉尻のわりに穏やかな目で笑った。
イゾウがひらりと手を振る。
マルコはドアの前で、静かにアンを待っていた。
やさしい、とてもやさしい人たちだ。
3人の世界しかいらないと思っているあたしに、こんなにもやさしい──
アンは消え入る煙のように頼りない声で、ありがとうと呟いた。
サッチは「また来週飯食いに行くよ」と笑ってくれた。
*
車は、大通りから店のある細い通りへ入ってすぐの小さな駐車場に停めてあるとマルコは言った。
店の扉から一歩外に出ると、階下で雨が染み込んだコンクリートの匂いが一層強くなった。
大粒の水滴が地面を叩くばたばたという音が聞こえる。
「わりぃけど、そこまで走ってもらうよい」
「うん、全然、いい」
なるほどだから、店に入って来たマルコから雨の匂いがしたわけか。
行きもこうやって濡れて来たに違いない。
駐車場までたった100メートル足らずだ。
距離は問題ないけど、この雨脚だとたったそれだけでぐっしょり濡れてしまうだろうなあと想像した。
しかしここから家まで濡れそぼったまま歩いて帰るより幾分ましかと気を取り直す。
階段を下りて、イゾウの店の下にあるスタジオの入り口で立ち止まった。
なるほど、すごい雨だ。
車で走れば雨で煙って前が見えにくいだろう。
よし走るか、と合意を確かめるようにマルコを見上げたアンの視界は、ばさっと豪快な衣擦れの音がした瞬間暗く閉ざされた。
「わっ」
頭からかぶせられた布から、じわりと漂う煙そのもののような煙草の香りがしみだしてきて、それがマルコのスーツの上着だと気付く。
「行くぞ」
ちょっと待って、と声を上げようとした瞬間にマルコが立つのと反対側の肩を上着越しに掴まれて、そのままぐっと腕で背中を押された勢いのまま、アンは雨の中に踏み出していた。
「マルっ…上着…!」
アンの視界はすっぽり上着に覆われていて前は見えず、濡れた地面を踏みしめる自分のスニーカーしか見えない。
アンの声は雨音と自分たちの足音にかき消されてマルコには届いていないようで、返事がない。
アンに自分の上着をかぶせたマルコの意図がわからないほど馬鹿ではないが、それを黙って受け入れるほど可愛げもない。
アンはマルコに肩を支えられて小走りしながら、雨を吸って重たい上着の下でもがくようにして出口を探した。
見かけ以上にマルコに背中は広いようで、なかなか上着のふちに手がかからない。
すでに半分ほどの距離を進んだだろう頃になって、やっと上着の襟の部分を掴んだ。
えいやあと一気に顔を出す。
隣でぐっしょりと濡れた髪を額に貼りつかせたマルコが、足を止めずにアンを見下ろした。
「アホか、なんで出てくんだよい!」
「だって上着…!」
「黙って被ってろい!」
マルコは走るのをやめて、もう一度アンの頭に上着をかぶせようと手を伸ばす。
しかしその前に、アンは肩に引っ掛かっていた上着を外すと素早く丸めるように折りたたんで、ギュッと胸の前で抱きしめるように抱え込んだ。
「よし行こう!」
「おまっ…」
すぐさま走り出そうと足を踏み出したアンの隣で、マルコが呆れたように頭を反らせた。
「被っとけっつったろい」
「だって濡れる…」
「どうせクリーニングに出すんだから一緒なんだよい、ったく」
つーかもうびっしょびしょじゃねぇか、とマルコはため息とともに額から流れる雨を手の甲で拭った。
上着のことでわたわたしているうちに、アンも頭からバケツで水をかぶったようにぐっしょり濡れていた。
あ、とアンは間の抜けた声を出した。
「…もう走っても意味ないね」
「風邪はひかねぇほうがいいだろい」
ほら走れ、とマルコが顎で道を指し示す。
先に走り出したシャツの背中を追うように、アンも重たくなった上着をぎゅっと抱きしめて走り出した。
飛び込むようにして二人同時に車の中へ逃げ込む。
息が上がったわけでもないのに、しばらくの間車内は二人の微かに荒くなった呼吸音しかしない。
ぴちょん、と可愛らしい音がして、アンの髪から垂れている水滴が座席を濡らしていることに気付いて慌てて腰を上げた。
そして天井でしたたかに頭をぶつける。
「ぃだっ」
「おい落ち着けよい」
マルコの呆れ顔はアンが上着から顔を出した時からそのままだ。
思い出して、抱きしめていた上着を広げてみたが、マルコが怒り呆れるのももっともなほど、もうすでにたっぷり湿っていた。
おもむろにマルコが身体をひねり、運転席と助手席の間に手を伸ばす。
マルコの左手がアンが背中を預けるシートの背にかかって、ぎっと軋んだ。
冷たい腕がアンの肩に触れる。
身体を戻したマルコの手には、ビニールで包装されたままの白いタオルが握られていた。
マルコは包装を荒っぽく取り去り、アンにずいと差し出した。
「拭けよい」
「あ、りがと」
白いタオルはどこかでもらった備品のようで畳んであったもともとの皺以外はぴんと伸びていて真新しいにおいがした。
おずおずと、アンはとりあえず両腕の水を拭きとっていく。
それから鎖骨の上を流れる水をタオルで押さえて、首を拭く。
不意に、マルコの手がアンの首に伸びた。
えっ、と声を上げる間もなくタオルが奪われる。
「んなとこよりまず頭拭けよい、水垂れてんだろうが」
上着のときのようにばさりと頭にタオルがかぶせられて、がしゅがしゅとまるで大型犬を撫でる手つきで髪を拭かれる。
「あ、そだよな…ごめん」
そういえば水は髪から垂れていたんだった、としゅんと答えれば、マルコの手の動きが微かに緩んだ気がした。
かしゅかしゅかしゅ、とタオルと髪がこすれ合う音と軽く揺らされる頭がどうしてか心地よくて、正面を向いたままアンは思わず目を閉じた。
「自分でできる」とタオルを手に取れば、マルコは訝しむことなくアンにタオルを手渡すだろう。
わかっているのに、そうしないのはなんでだろう。
風呂上りに髪を乾かしてもらう時のように、さわやかで気持ちいい。
全然さわやかな場面じゃないのに。
しかしマルコのほうを向いて拭いてもらうのはそれこそ本当に子どものようで、せめてもの意地というわけではないけど、アンはじっとフロントガラスに対面したまま横向きで大人しく拭かれた。
マルコの手が、アンの右側の首筋に後ろから回り込むように触れて、濡れて貼りついた髪筋を左側にまとめて束ねていく。
長い指が濡れた髪を絡め取るように一度梳いて、タオル越しにギュッと絞った。
タオルに吸い取られなかった水滴がまた、シートに落ちた。
ぺとりと一筋髪が零れ落ちる。
マルコの手がまた丁寧にその髪を掬った。
その拍子にマルコの指が後ろ首に触れて、その冷たさにアンは反射で首をすくめた。
そうだ、マルコはまだ濡れたまま──
慌ててそれを口に出そうとマルコを振り向いたとき、目の前に濡れた鼻先が迫っていた。
「──え?」
声が出たのは鼻と鼻が触れてそして離れた後だった。
触れあったのは冷えた鼻先だけではない。
氷のように冷たくて驚くほど柔らかいものも、同時に唇に触れていた。
アンの後頭部を支えていたらしい手のひらが、タオルと共に離れていく。
マルコはまるで何事もなく、アンを拭いてキスをしてその延長線上に自分の身体を拭くのが当然だとでもいうように自身の腕や首の水滴をぬぐい始めた。
「……え?」
もう一度声を発するとマルコがアンを振り向いた。
その静かな青い目に射抜かれて、唇が触れたのと同時に視線もぶつかっていたことを思い出した。
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