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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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発進させたマルコは、ゆっくりと車を表通りに向かわせた。
大粒の雨がフロントガラスにぶち当たり、ばちばちと音をさせて跳ね返る。
川の表面のようにガラスの上を水が流れる。
マルコはワイパーを動かして、それを鬱陶しげに拭った。
そして、気付いたようにアンにおい、と声をかけた。
 
 
「シートベルトしろよい」
 
 
そう言えば忘れていた、とアンは慌ててベルトを掴むが、いやそうじゃないだろうと動きを止めた。
しかしとりあえずシートベルトはしなくては、とすぐにそれを引っ張る。
ざばざば、とタイヤが深く水のたまった部分を通った。
 
車はすでにアンの家の軒先が遠くに見える程進んでいた。
歩いて15分ほどだったので、車だときっと5分程度で着いてしまう。
はやく着いて、という思いと、まだ着かないで、という思いが混じりあってひらめきのようにアンの脳裏をかすめた。
 
時間はまだ18時にならないくらいだが、雨雲の立ちこめる空は重たくて暗い。
マルコはちょうど店の前、助手席と入口のドアが最短距離になる場所に車を停めた。
 
 
「家まで走れよい」
 
 
こくりと頷く。
マルコはハンドルに手をかけたまま、雨で霞むフロントガラスの向こうを見つめていた。
ドアノブに手をかけて、膝を外側に寄せた。
ガチャと金属音が鳴る。
思いついて、アンは振り返った。
腕に貼りついた湿ったシャツを鬱陶しげにつまんでいるマルコも、アンを見た。
あっと、とアンは言葉を探す。
 
 
「…服、なら、サボのがあると思うし…風邪ひくとアレだから…」
 
 
マルコはほんの一瞬きょとんとした顔を見せたが、すぐに目を細めて薄く笑った。
 
 
「一旦帰るから大丈夫だよい」
 
 
そう、と頷いて、アンは今度こそ重たいドアを押し開けて車から足を下ろした。
途端に激しい雨が頭から濡らしていく。
ドアを閉めて窓越しに運転席を見る。
マルコはこちらを見て笑っていた。
はやくいけ、と口が動く。
アンは水音を立てながら店の軒先に逃げ込んだ。
雨から逃れてふりむいたときには、もう車は走り去っていた。
 
 

 
日中作り置きしておいた売り物を、少し夕食に回した。
サボが安かったから買っておいたと言っていたパンが食卓の真ん中にたくさん置いてあるが、アンの夕食作りの負担を減らすための配慮に違いない。
ルフィは気持ちよさそうにびっしょり濡れて、帰ってきた。
 
 
「うあー、すげぇ雨だった!」
 
 
ぶるぶると犬のように頭を振って水をそこらじゅうに飛ばすので、こらとたしなめてからおかえりという。
パッと顔を上げたルフィは、おォアン起きたのか!と嬉しそうに笑った。
 
温かい夕食をテーブルに並べていると、着替えてきたルフィがタオルをかぶりながら鼻を細かくひくひく動かして椅子に座る。
 
 
「そういや今日、アンタの友だちの、サンジに会ったよ」
「サンジ? アン会ったことあったっけ?」
 
 
サッチに連れて行ってもらった店の話をすると、ルフィは目を輝かせて「オレもいきてぇ」と叫んだ。
 
 
「また行こう」
 
 
そう言いながら、ルフィが行くには似合わない場所だな、と少し笑った。
 
 

 
唇に触れた冷たさは、何でもないとき不意に訪れた。
料理をしているとき、テレビを見ているとき、風呂に入っているとき、今まさに寝ようというとき。
波のように胸いっぱいに押し寄せて、アンはそれをぎゅっと耐えてやり過ごす。
誰かと会話しているときにも容赦なくやってくるので、訝しがられることもたまにあった。
フラッシュバックするのは、あの日の雨とその温度。
土砂降りに打たれて冷えた身体と、それに貼りつく衣服。
アンの髪を梳く指の動き。
車内の様子にはまるで無関心で降り続ける大雨の音。
 
マルコが何を思ってアンにキスしたのか、まったくわからない。
しかも本人はそのあとまるでなかったことのように振舞ったので、アンから言いだすこともできなかった。
言いだすことができたのかはまた別だ。
なにも言わないままで、逆に良かったのかもしれない。
マルコに何か追及されて自分が上手く答えられるのかと聞かれれば自信はないし、マルコを問い詰めて答えが得られるとも思えなかった。
 
狭い浴槽に体を沈めているときにふとそのことを思い出して、指先で唇に触れてみた。
体が温まっているので、アンの唇も人肌程度に温まっている。
あのときの冷たさはもうない。
誰も触れたことのなかったそこを、端から端まで指で辿る。
ここだけ、自分のものではなくなったみたいだ。
取られてしまった。
あたしのものではなく、サボのものでもルフィのものでもない。
じゃあ誰のもの、と問われれば、間違いなくそこはマルコのものだった。
 
アンは勢いよく浴槽に頭を沈めた。
ごぼごぼ、と自分の鼻から漏れる呼気の音と、鼓膜が水圧に震える低い音を聞きながら、アンは雨の音を思い出す。
アンの内側ではずっと、あの日の大雨が続いている。
 
 
 

 
翌日やってきたラフィットは、お元気そうで何よりですと相変わらず感情の見えない笑みを浮かべた。
アンを車に乗せて、いつもの事務所へと淡々と進んでいく。
 
 
「こちらも心配していたのですよ、デボンが、あなたが目を覚まさないというので」
 
 
デボンというのはあなたを匿っていた女性のことですが、とラフィットが付け加えて、アンは暗がりにいた大きな体の女のことを思い出した。
ラフィットの車はいつものように、無駄に何度も角を折れて事務所へ辿りついた。
冷たい階段を上って事務室のドアを開けると、冷房の効きすぎた部屋の冷気が外へ一気に漏れ出して、アンを出迎えた。
 
 
「よぉアン、ずいぶん長いこと眠ってたみてぇだな」
 
 
ティーチはソファにふんぞり返るように座って、アンに向かって鷹揚に手を上げる。
この事務所に来ると鉄の仮面をかぶったように表情のなくなるアンを、ティーチはいつでも楽しげに迎え入れた。
 
 
「髪飾りは残念だったなァ」
 
 
だが次はもう二択だ、とまるで舌なめずりをするように目をぎらつかせる。
アンは黒ひげと目を合わさず、向かいのソファに座ったままテーブルの上、出されたコーヒーの水面を眺めた。
黒々としたそれは、じっと息をひそめるように波立たない。
 
 
「どうだ、アン、嫌になったか」
 
 
アンが訝しげな顔を上げると、ティーチはソファに背をつけたまま軽く笑い声を上げた。
 
 
「ゼハハ、いや、この間の仕事はキツかっただろう。こっちの下準備とお前ェの身体能力が上回ったから逃げ切れたがな、警察のほうもバカじゃねぇ。警備はどんどん固くなるしそのぶんオレたちは動きにくくなる。それにオメェ、なんかおかしな名前を名乗ったらしいじゃねぇか」
 
 
ティーチは脇に置いてあった三つ折りの新聞紙を手に取り、アンの目の前に広げて見せた。
それは今日の朝刊だったが、未だ『怪盗』の話題が表紙一面を飾っている。
もともと大きな事件の少ない街だった。
これほど世間を騒がす話題があれば、ここぞとばかりにメディアは取りざたす。
ティーチも同じことを思ったのか、すげぇ賑わいになってやがると低く笑った。
 
 
「オメェのオヤジたちが死んじまったときぶりだな、こんなに騒ぎ立てる事件は」
 
 
ティーチはアンの反応を見るように笑ったままアンを覗き見る。
アンの表情が変わらないのを見て、話題を変えるように「エースか」と言った。
 
 
「珍妙な忌み名が付いてるじゃねぇか。これにはお前が名乗ったと書いてあるが、そうなのか、アン」
 
 
答えずにいると、肯定と受け取ったのかティーチは声を高くして笑った。
 
 
「どういうつもりか知らねぇが、おもしれぇじゃねぇか。しかもなんだ、どれもこれもお前が男であることをまるで疑いもしてねぇ!」
 
 
アンはちらりと新聞に目を落として、その見出しにでかでかと書かれた文字を流し見た。
確かに、アンが昨日今日で目にしたテレビや紙面は、『怪盗エース』は男であるということを疑いもせずに好き放題に言ったり書いたりしていた。
アンにとってそれは狙っていたことでもあるし、好都合に変わりはない。
ティーチは「次の仕事はまたしばらく置いてからになるだろう」と告げた。
 
 
「また長い休養期間だぜ、バカンスでも言って息抜きするのもいいかもな、エース」
 
 
エース、とアンも口の中で呟いた。
 
 

 
 
サッチはその言葉通り、翌週の火曜日に、そして金曜日に、そしてまた次の週の火曜日にもアンの店へやってきた。
ずっとずっとひとりで、マルコはいない。
ひとりで、いつものカウンター席に座って、食後のコーヒーをすすっている。
時刻は遅い朝、昼に近い10時過ぎだったが、今日は珍しくこんな時間までサッチのほかに客が残っていた。
しかし客が多いとはいえ、どの客にもモーニングは出し終えている。
誰もが食後のコーヒーを楽しんでいるだけの、穏やかな、朝だというのに眠気を誘うほど落ち着いた空気が満ちていた。
 
アンは早くもランチの下準備のためにせわしなく手を動かしており、給仕に暇ができたサボが隣で野菜を洗ってくれている。
サボが洗った野菜をアンが刻み、下味をつけていく。
 
 
「パプリカ洗ったら次、ニンジンの皮剥いてくれる?」
「了解、あ、アン、オレ切るよ」
 
 
アンは包丁の刃をかぼちゃのふくらみとふくらみの間に狙いを定めたまま、いいよ大丈夫、と言った。
 
 
「かぼちゃくらい切れる」
「店のオッサンが今季のかぼちゃは少し堅いって言ってたから、ほらどいて」
 
 
店のオッサンとは、アンの店から通りに沿って少し行った先にある古びた八百屋の店主のことだ。
アンは半ば強引にサボに包丁を奪い取られて、むっと眉根を寄せた。
 
 
「できるっつったのに」
 
 
アンの言葉を聞き流して、サボの背中はかぼちゃに食い込んだ包丁に体重を乗せるためにくっと丸くなる。
めきっ、と水分を含む繊維が裂ける音がして、パカンと気持ちよくかぼちゃはふたつに割れた。
アンはサボの手先を広い背中の後ろから覗き込むが、サボは意に介さずさらにかぼちゃを二等分する。
 
 
「はい」
 
 
いつもの平和な微笑みでサボが包丁をまな板の上に置き、アンに場所を譲った。
納得がいかない、と思いつつもアンはありがとうをぼそっと呟いた。
 
 
「仲良しなのな」
 
 
少し顔を上げると、サッチが笑いをかみ殺したような顔つきでアンを見上げていた。
アンはわざと鼻に皺を寄せるようにして、顔をしかめた。
 
 
「ただの過保護のおせっかい」
「なんだと」
 
 
サボの肘がアンの頭を小突いた。
サッチはよく浮かべる苦笑いで、なぜかサボに向かって頷いた。
 
 
「いやあわかるわかる、大事な妹に怪我させられねぇもんな」
 
 
そしてアンに向かって、無茶をしてはいけませんと笑い顔でたしなめた。
すねた表情のアンがサボの顔を覗き見ると、サボもサッチに良く似た表情で苦笑いを浮かべている。
勝手に共同戦線張りやがって、と呟くと、サッチはそりゃいいやと声を出して笑った。
 
 

 
 
ランチの客がぽつぽつとやってきだした頃、そろそろ行くかとサッチは腰を上げた。
ごちそうさん、と席を立つサッチに手を振る。
また来てねと言うとサッチは顔いっぱいに笑ったが、一瞬どこか寂しげに見えた気がして、どこか引っかかった。
 
 
「アン今日はどうすんの」
 
 
サボが大量の人参の皮むきを終えて、アンが言い渡したこれまた大量のさやえんどうの筋を取りながら声をかける。
アンは作りかけのスープを味見しつつ、んーと思案する声を出した。
どうすんの、とはつまるところ今日の夕飯の話である。
昨夜、ルフィが夜中に冷蔵庫を漁っているのをとっ捕まえた。
冷蔵庫の中は、バターまですっからかんである。
すっかり季節は夏になり、外はうだるような暑さなのだから、少しはルフィの食欲も萎えてくれればいいのにと思うがそうはいかない。
暑いとエネルギーを使うぶん、腹が減るらしい。
アンとサボに散々絞られて、ルフィの今日の弁当の中は雪原のように真っ白なライスが広がっている。
 
 
「店閉めてから買い物行くよ。どうせルフィが弁当の文句言いながら帰ってくるだろうし、おかずいっぱい作っとかないと」
「ん、じゃあその間に洗濯だけ取り込んで…」
 
 
リリリ、とブザー音に近い甲高い音がサボの声を遮った。
店の奥、住居へとつながる階段の手前に置いてある古い電話の親機が呼んでいた。
火を使っているアンの代わりに、サボがエプロンで手の水気を拭いてから電話を取った。
携帯を持たないアンたち3人の電話は、すべてこのひとつで賄われている。
この店と業者のやり取りも当然この電話で、3人の個人的な知り合いからかかってくるのを受け取るのもこの電話だ。
電話を取ったサボは、相手の名前を聞いたのか、すぐに余所行きの声から慣れた話し方へと切り替えた。
どうやらサボの友人かららしい。
サボが目線でアンに詫びるので、アンはいいよいいよと笑って返す。
5分ほどでサボは電話を切った。
「またかけ直す」と言っているのが聞こえた。
 
 
「急がなくてもよかったのに」
「そうはいかないだろ」
 
 
たしかに、ランチにやって来た客はそこそこの数になってきた。
サボは後ろ手で素早くサロンを結び直すと、入って来た客に愛想のよい笑顔を見せた。
しかしアンを振り向いた顔は申し訳なさそうにゆがんでいて、アンに一言、「夜出るかもしれない」と言った。
あ、そうなの、と言った矢先また次の客が入ってくるので、サボが「またあとで」と目線で言う。
アンもうなずきを返した。
ぞろぞろとOLの集団がやってきて、店は満席になった。
 
 

 
サボは「ごめんな」と何度も口にした。
高校の頃の友人と食事に行くらしい。
頻繁にあることではないが別段珍しいことではない。
しかしサボはいつもそのたび、必要以上に申し訳なさそうな顔をする。
ルフィは平気で2日くらい友達の家に遊びに行って帰ってこなかったりするというのに。
そういうときは、だいたい2日分ルフィにまとめて家の仕事をさせるが、ルフィはそれを平気でやってのけてしまう。
恐ろしいほど体力の化け物だ。
 
 
「いっつも断ってばっかだったから、うるさいんだ、あいつら」
「いいよいいよ、いつも行ってないんだからなおさら」
 
 
気にしなくていい、と言っても、サボはまた「ごめんな」と言うだけだった。
以前サッチに連れられてイゾウの店に行き、その間家を空けたことを思えば、アンとしては平等さを保つためにもサボには好きにしてもらった方が気がひけなくていい。
ランチの客を捌き終わると、サボは着替えに住居のほうへと上がっていった。
サボがいないのなら、今日の夕飯のメニューを考え直そうか。
そうだとしてもルフィのおかげで買い物に行かなければ冷蔵庫になにもないことには変わりがない。
メニューはスーパーで決めるか、とアンもようやく朝からぶら下げていたエプロンを外した。
 
 
「あんまり遅くはならないから」
「気にしなくていいよ」
「ごめんな」
「いってらっしゃい」
 
 
いってきます、と丁寧に挨拶を返して、サボは扉をくぐって出ていった。
仕事終わりで疲れているだろうな、とアンは消えた後姿を見送った。
男性がズボンの後ろポケットに財布を突っ込むのと同じように、アンもジーンズのズボンの後ろポケットに薄っぺらな財布を突っ込む。
店を閉めてそのまま自宅には上がらずに家を出た。
 
 
店から一歩出ると、煌々と光る太陽が熱気をはらんだ光でアンを包んだ。
うわっと思わず俯いて、帽子がいるかな、と黒い頭に手を置いた。
まぁ戻るのも面倒だからいいか、と歩き出した途端こめかみから汗が吹き出した。
とんでもなく暑い日だ。
アンの店は入り口があってないようなもので、シャッターで戸締りする部分全てが客の出入り口だ。
だから外の暑い空気はひっきりなしに店の中へと入ってくるが、アンがいる厨房の中は外の熱気とは種類の違う炎そのものの熱気が常に染み込んでいるので、今日がこれほど暑い日だとは気付かなかった。
夜は何か冷たいものを作ろう、とアンは熱された歩道の上を急いだ。
 
 
スーパーの籠にいるものを放り込んで、慣れた道順を辿っていると、店の中で一番色鮮やかな果物コーナーで見覚えのある横顔を見つけた。
長い指が、ベースボールの硬球を握りしめるように、小さなリンゴを握ってじっとそれを凝視している。
イゾウだ。サッチが連れて行ってくれたあの店のオーナー。
先日は束ねられていた髪が、今日は全てそのまま背中の上を流れている。
癖のない横髪が白い頬を半分隠していたが、かろうじて覗く高い鼻と、稀有な長身と細身で彼だと分かった。
声をかけようか迷って、アンは一瞬立ち止まった。
しかしアンが何を考えるよりも早く、イゾウが視線を感じたのか、アンの方を振り返った。
アンは慌てて軽く頭を下げた。こんにちは、と小さく呟く。
イゾウはアンの顔を忘れたのだろうか、リンゴに注いでいたのと同じ視線をアンにもじっと据えた。
そして、「偶然だな、アン」とほんの少し口角を上げた。
覚えてたのか、とアンは理由もわからないが少しうれしいような気になる。
アンは中のつまった重たいスーパーの籠を片手に、イゾウに歩み寄った。
 
 
「買い物か。店やってるっつってたな」
「うん、でもこれは家用。イゾウ…」
 
 
さん、と続けようとしたら、イゾウが嫌そうに顔の前で手を揺らしたので、そのまま言葉を続けた。
 
 
「…は、お店の?」
「あぁ、ったく間違えた、こんな暑い日に外に出るもんじゃねぇ」
 
 
たしかに、この雪のように白い肌に炎天下の日差しは似合わない気がした。
 
 
「買い物はイゾウがするの? サンジは?」
「あいつはメシ専門。 …いや、逆か、オレが酒しか作れねぇから、酒の材料だけはオレが買ってる」
「へぇ」
 
 
イゾウが作ってくれた夕暮れ時の海のようなカクテルを思い出した。
もはや職人技のようなその美しさに目を奪われたのはつい先日のことだ。
アンは「この間はどうも」というようなことを口にして、ありがとうとぺこりとする。
イゾウは「律儀だな」と大きく口を開けて笑った。
 
 
「にしても、いっぱい買うな」
「うん、多少買いだめするし、あと弟がすごい食べるから」
 
 
それに比べてイゾウの手荷物は少ない、というかゼロに等しい。
手にしているのはリンゴひとつだ。
買い物かごさえ持っていない。
 
 
「…それしか買わないの?」
「いや、選びながらどんなん作るか考えてっから…考えながら店入ったら籠も忘れた」
 
 
イゾウがコミカルな仕草で肩をすくめるので、アンは思わず噴き出した。
 
 
「あたしも、あたしも考えながら選ぶ!」
「だよな、美味そうなんが売ってたらそれで作りたくなる」
 
 
そうそう、と同意して頷いた。
アンの場合、お買い得品でいかにバラエティー豊富なメニューを作れるかと言う意味で、店の品を見ながら料理を考えている。
たったひとつでディナーを楽しめそうなほどの値段がするマンゴーにも手を伸ばしているイゾウには、そんな考え方は皆無のようだった。
それでも、同じ考えでいたことがなんとなく嬉しい。
イゾウは何度も首をひねって、微妙だなと呟いた。
その目がいくらか真剣みを帯びているので、邪魔しない方がいいかな、とアンは籠の取っ手を持ち直した。
じゃあこれで、と立ち去るべきなのだろうが、悩む横顔に、気付けばアンは声をかけていた。
 
 
「…く、果物なら」
「ん?」
「果物なら、スーパーより八百屋さんに行った方がたくさんあるかもしれない」
「…ヤオヤ?」
 
 
まるでそのことばを初めて聞いた、とでもいうようにイゾウは目をしばたかせた。
八百屋さん、とアンは繰り返す。
 
 
「スーパーよりは少し高いかもしんないけど…それでもいいなら、多分朝の八百屋さんが一番早く品物置いてるから…新鮮でおいしいよ」
「へぇ。卸問屋みてぇなもんか」
「スーパーは安くて便利だけど、やっぱり効率とか、いっぱい買う人向けだったりするから、目当てのものが絞れるなら八百屋さんとか専門の店のが、いいと、おもう」
 
 
ほう、とイゾウは素直に感心しているようにみえた。
そんなものがあったのか、とまで呟いている。
 
「この街にあんのか?」
「街の南側のはずれで…あたしの家の近くに。あ、でも今はもう閉まってる、かも」
 
 
ごめん、と謝ると、なんでお前さんが謝る、とイゾウはカラカラ笑った。
 
 
「そりゃ面白れぇこと聞いた、今度アンが行くとき連れてってくれよ」
「あ、でもうちがその店使うのは、お店に出す奴だけだから、まとめてサボが注文しちゃってて」
 
 
サボ、とイゾウが呟くので、サボってのはあたしの兄弟で、とあたふたと説明する。
 
 
「だからあたしはあんまりお店自体にはいかないんだ。いい物は八百屋のオッサンが選んで届けてくれるから、注文するだけで」
「フーン」
 
 
じゃあまぁ今日はこんだけでいいか、とイゾウはひょいひょいとリンゴをいくつかと、眩しい色のオレンジを数個腕に乗せるようにして手に取った。
イゾウに買われるそれらはいったいどんなお酒になるんだろう。
いや、きっと果物は装飾用で、グラスのふちを彩ったり水面に浮かんだりするんだろうけど。
ふいに、ぐいとアンの腕が引かれて、手からずっしりとした重みが消えた。
驚いてイゾウの顔を見上げると、イゾウは持ち上げたアンの籠に自分の手にした果物をどさどさと入れて、よしと小さく口を動かした。
 
 
「お前さん買い物は。もう終わりか?」
「う、えっと、あと、牛乳とバター…」
 
 
イゾウは軽く頷いて、さっさと歩きだしてしまった。
アンは一拍遅れて、慌ててあとを追う。
 
 
「イゾウ…!重いからいいよっ」
「おれのも一緒にいれさせてくれ」
 
 
牛乳牛乳、と口ずさみながらずんずん長い足が長身を運んでいく。
アンがその背中に追いつくころには、ふたりは乳製品コーナーについていて、イゾウは「低脂肪がいいとか、あんの?」と大真面目な顔でアンに尋ねた。
 
 
 

 
溶けそうだ、とさらりとした口調でイゾウが呟いた。
スーパーから出た瞬間、むっとした熱気が二人を包む。
袋詰めの製品やかさばるだけの軽いものが詰まった袋はアンの左手が握っている、軽すぎて収まりが悪い。
野菜や牛乳が詰まった袋と、イゾウの買った果物が入っている小さな袋はイゾウが片手でまとめて持っている。
あのまま勢いで、イゾウはアンのものもまとめて会計を済ましてしまった。
慌てて財布を引っ張り出すアンが焦りすぎて小銭を床にばらまいても、イゾウは笑いながら、じゃあ茶ァ奢って、とその小銭でスーパーの表にある自販機で缶コーヒーを買った。
アンは返す言葉がなく、仕方がないので自分も微糖を買う。
 
 
「夕方だってのに、たまんねぇなこの暑さ」
「でももう残暑だよ」
 
 
そんなものオレは信じねぇ、とイゾウが吐き捨てたので、思わず笑った。
スーパーを出てアンは車道を横切り左に曲がらなければならない。
イゾウの店は右に曲がってから横道に入る。
しかしイゾウは、アンの荷物を持ったままアンと同じく左に曲がった。
曲がってから、イゾウが反対方向であることに気付いた。
こんな暑い中、重い荷物を家まで届けてもらうなど言語道断、申し訳なさすぎる、とアンは慌てて断りを口にしかけたが、いやもしかしたらこっちの方向に用事があるのかもしれないと言葉を押しとどめた。
イゾウは思い悩むアンを意に介さず、ああ暑い暑いと涼しげな声で呟きながらも歩いていく。
 
 
「イ、イゾウ、お店は?」
「ん? オレの?」
「うん、もう夕方だから、開けなきゃダメなんじゃ」
「あーあー、イんだ今日は、休み」
「そうなの?」
 
 
今日は、火曜日だ。
火曜日が定休日とは珍しい。
この街の店はたいてい平日は開いていて、日曜日が必ず休みというのが多い。
 
 
「サンジもこれねぇっつーし、オレ一人じゃ客が来ても困るからな」
 
 
どうやら臨時休業らしい。
気まぐれすぎるこの人に、サンジが翻弄されている様子が目に見えるようだった。
アンはちらりと再びイゾウを仰ぎ見た。
端正な顔が視線に気付いて、ふと顔を下げる。
 
 
「イ、イゾウ…荷物…」
「荷物? 重いか?」
「ちっがう!」
 
 
歯を剥きだして否定するアンを、イゾウはまた声を出して笑った。
アンの言いたいことに気付いているくせに、あえて飄々とかわしているのがわかるから、手の出しようがない。
もういいや、知らん、とアンが諦めて前に向き直ったとき、イゾウは至極何でもないような口ぶりで口を開いた。
 
 
「オレがどうこう言う話じゃねぇけどよ」
 
 
ぽた、とアンの頬を滑った汗が鎖骨の辺りに落ちた。
 
 
「アン、外は嫌いか」
 
 
え? と思わず聞き返した。
イゾウはアンと一瞬視線を合わして、すぐに前に向き直る。
そして言葉を探すようにそぶりをしてから、口を開いた。
 
 
「家の外にも、おめぇさんの楽しいこととか見つけるといい」
「…外?」
「オレァ言葉であれこれ説明すんのは苦手だ」
 
 
イゾウは顔をしかめてそう言ったが、それでもいまだ言葉を探している。
アンはイゾウの言わんとしていることが理解できなくて、じっとその顔を見上げた。
 
 
「いつでも帰りたがってるように見える」
「かえ…」
「人と話すとき、煮え切らねぇ口調なのも、余所向きだけに聞こえる」
「…」
「脚力ありそうな脚してるからよ、インドアなネクラには見えねぇし」
 
 
冗談交じりの口調でイゾウはそう言ったが、アンは俯くだけで答えることができなかった。
アンの心を読んだように、イゾウが続ける。
 
 
「たった2回会っただけのほぼ初対面野郎がこんなこと言って悪ィな。オレァ観察眼が鋭い」
 
 
と思っている。とイゾウは自分で言って自分の言葉に笑った。
 
 
「気に障ったなら忘れればいい。観察眼だとか偉そうなこと言ったが、おれが勝手に思っただけだ。それもこないだと今会っただけで、だ。気にしなくていい」
 
 
長い足が歩みを止めた。
それに合わせてアンも足を止める。
イゾウは、アンの買ったものが詰まった方の袋をアンの腹のあたりに差し出した。
 
 
「お前さんの『家』には頼れるもんが、すげぇ頼りがいのあるもんがあるんだろう。そりゃいいことさ。だけど頼みの綱が一本じゃ、それが切れたときにすぐ死んじまうぞ。外にも何本が予備の綱を張っとくといい。頼りなく思える綱でもいいから、ないに越したことはないし思いのほか強いかもしれねぇ」
 
 
なんつって、とイゾウは笑って、ホラよと差し出した袋を揺らした。
アンはその手を見つめて、袋を受け取る。
ずっしりと重くて肩が下がった。
 
 
「お前さんが来たときはサンジがいようがいまいが店は開ける。いつでも来い」
 
 
むさくるしいオッサン共もいるかもしれねぇがな、と切れ長の目を細くして、イゾウは踵を返した。
西側から照らす夕日が眩しい。
長い手の先でぶらぶらと果物が入った小さな袋が揺れていて、それがどんどん遠ざかっていくのをアンは見ていたが、背後から来た自転車を避けるために一度目を離したら、同じ姿を見つけることはできなかった。
 

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