OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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前日は朝からからっとした秋晴れで、高くて青い空を見ているだけでなぜかお腹がすくような日だったにもかかわらず、翌日は空一面に重たそうな雲が広がっていて、時折吹く風も冷たい冬を予感させる日だった。
そんな肌寒い日は人々も外に出たがらないからだろうか、今日はいつもと比べてほんの少しだけ、客入りがよくなかった気がする。
アンとサボはいつもより一時間近く早めに店を閉めることにした。
近頃日が落ちるのもずっと早くなってきたので、買い物も早めにいきたい。
夜は何か温まるものにしようと、アンはエプロンのひもを解いた。
「じゃあ買い物行ってくる。何か要るものある?」
「あー、仕入れ表用のノートがもうすぐなくなる」
「わかった、買ってくるね。あ、あと郵便局も行かなきゃ」
アンは財布に入っている金額を確かめ、それをいつものようにズボンの後ろポケットに突っ込む。
「そうだ、適当に何個かじゃがいもの皮剥いておいてよ」
「わかった」
じゃ、いってきますとアンがデシャップの外に出て、いってらっしゃいと答えたサボは背中を伸ばしながら住居へと続く階段を上がっていった。
シャッターのわきにある通用口のドアから外に出ると、途端に冷たい風が右頬にぶつかった。
風が強く、髪が一瞬で左へたなびく。
アンは空を見上げて、雨は降りそうにないなと確認した。
それでもこうも寒いとなるとあまり外に長居したくない。
アンは足早にいつものスーパーに足を進めた。
すれ違う人々はみな、昨日とは打って変わった寒さに身を縮めて帰り路を急いでいる。
二人以上で並んで歩く人々は、だれもが身を寄せ合って寒さをしのいでいるように見えた。
一人で歩くアンを冷たい風から防いでくれる人はいないので、アンは寒い寒いと口の中で呟きながらひたすら足を動かす。
そういえば最近サッチが店に来ないな、と思った。
サッチのことを思い出したのは、ガープのことを思い出したからだった。
ガープのことを思い出したのはマキノを思い出したからで、マキノを思い出したのはすれ違った喫茶店の女店主が彼女のように頭にバンダナを巻いていたからだった。
先日マキノがさらっと告白した思わぬ事実は、未だアンに動揺を与え続けていた。
マキノがルフィよりもずっと小さな子供だった時代があるというのは、想像しがたいが理解はできる。
きっと器量のいい愛らしい子供だったに違いない。
そんな可愛らしい少女が、あのじぃさんに……と思うとアンはなんだか意味もなく腕をさすりたいような気分になる。
いや、マキノも言っていたように、当時はまだガープだってじぃさんと言うにはまだ早い年だったはずだ。
しかし中年のガープを思い浮かべるのは、少女のマキノを想像するよりずっと難しかった。
白髪の混じった灰色の髪色は、当時は真っ黒だったのかもしれない。
顔の皺も少なかったことだろう。
ただ、老年である今よりパワフルなガープは想像するとぞっとした。
いやいやいや、と首を振る。
そしてサッチを思い出したのだ。
連想のキーになったのは言わずもがな目の上の傷だ。
サッチのあの傷を見るたびに、アンの脳裏にはうすぼんやりと、アンが意識しなくても常にガープが思い描かれた。
仕事でちょっとね、とその傷を撫でていた彼は近頃その仕事が忙しいのだろうか。
美術館の襲撃から一週間がたっていたが、その間サッチが店を訪れることはなかった。
しかし以前もときたまこうした間隔が開いて、最近来ないなあと思い始めた頃にふらりと現れるので、今回もそのパターンだろう。
アンはいつの間にか到着していた大型スーパーの自動扉をくぐった。
中は風がないぶん温かかったが、生鮮食品のコーナーはその一帯が冷えていて寒く、アンは肩に入れた力をそのままにスーパー内を歩いた。
サッチが店に来ないので、一緒にイゾウの店へ行くこともなかった。
あれからルフィもサンジのところへ行こうとは言いださないので、もうしばらくイゾウにもサンジにも会っていない。
アンは果物コーナーの前を横切りながら、この場所でイゾウとばったり出くわした時のことを思い出した。
真剣に果物を吟味する横顔や、口を開けて大笑いする整った顔がひどく懐かしかった。
アンは思いつくまま、いくつかの野菜と果物をかごに放り込んだ。
イゾウの店に行ったら、彼らに会えるだろうか。
少なくともイゾウには会えるはずだ。
サンジは、ルフィがもうすぐテストだと言っていたから夜遅くまで働いていないかもしれない。
サッチはアンの店に来なくても、イゾウの店には行っている気がした。
そういうとまるで小さく嫉妬しているようだが、ただそれがサッチなら至極自然なことに思えた。
会うたびにいがみ合ったり罵り合ったりしている彼らだが、年季が違うのだろうか、どこかアンには入り込めない場所がある。
それを見るのが、何故だかアンは好きだった。
ぶるっと背中を撫でるような寒気に体が震えて、アンは慌てて生鮮コーナーから移動した。
立ち止まって考え事をするには寒すぎる。
細かな日用雑貨を探しに、アンは食品コーナーより無秩序な気配のある雑貨コーナーへと足を運んだ。
マルコも、イゾウの店には行っているんだろうか。
事件から1週間たったとはいえ、マルコの肩にはいつもずっしりと仕事と責任がのしかかっているように見えた。
マスコミのほとぼりは冷めたとはいえ、今もマルコが自由に自分の時間を使う余裕があるとは思えなかった。
──あたしのせいなんだけど、と冗談を言うように心の中で付け加えた。
テレビや新聞、ラジオから目や耳に飛び込む「エース」の情報は事件後になると爆発したように熱を持って報道され、それが下火になると隙をつくように他の小さな事件や報道が流された。
初めの頃、アンはテレビをつけて「エース」の報道をしていれば無言でチャンネルを変え、「エース」をにおわす単語が耳に飛び込めばすぐさまラジオのスイッチを切っていた。
怖かったのだ。
いつその名前が「アン」に切り替わるかと、怖かった。
しかし今は、まるで他人事のようにそれらのニュースを聞いている。
テレビに映る被害者の屋敷を見ても、ただその場所をアンも知っているというだけで自分がここに忍び込んだという事実はたいしたことじゃないような気がした。
実際、アンは何度もこれが本当に他人事なんじゃないかと思った。
アンはアンとして今ここにいて、それとは別にエースと言う男がいて、小賢しい手で金持ちの家や美術館に忍び込んで盗みをし、世間を騒がす怪盗。
アンも一般市民の視線で、テレビ越しにエースの存在を知るだけの立場。
それならどんなにいいことか。
アンはあるはずのないことを空想しながら、籠に洗剤を放り込む。
午後三時過ぎのスーパーは少し混んでいた。
しかしいつもはもっと遅い時間に来ていて、これより混雑している。
平日の三時はどことなく怠惰な空気に満ちていた。
結局、スーパーで特に知った誰かに出くわすこともなく、アンはいつも通り大量の買い物を終えてスーパーを出た。
空は少し低くなっていた。
雲が厚みを増したのだ。
スーパーの中はやはりいくらか温かかったようで、途端に冷えた空気が身体の熱を奪う。
──どこか、アンの心の一番見られたくない、知られたくないものを隠す部分が少しだけ蓋を開けている感覚は、実のところ家を出たときから感じていた。
それが予感と言うのなら、そうなのだろう。
ただアンがあえて考えないように、気付かないようにしてやり過ごしていたから、その予感もじっとなりを潜めていたのだ。
スーパーを出て左に曲がると、そこにマルコがいた。
路肩に止めた見慣れた車に背中を預けて、たいしてうまくもなさそうに煙を吹き上げていた。
アンは足を止めた。
そうせざるを得なかった。
マルコがアンに気付いたからだ。
「よう」
マルコが声をかけた。
どうしてここにいるの。
なにをしているの。
あたしを待ってたの。
あたしも待ってたよ。
「買い物に行ったって、お前の弟が」
「家に行ったの」
ああ、とマルコは頷いた。
「仕事は?」
「忙しいよい」
それはアンの欲しい答えではなかったが、追求する気にはならなかった。
アンが一歩近づくと、マルコは開いたままの窓から車内に手を伸ばし、灰皿で煙草をもみ消した。
そのまま預けていた背を車から起こす。
アンの背後からやって来た2人連れが、笑い声を上げながらアンの横を通り過ぎる。
中途半端な位置に立つアンの肩と、通り過ぎる2人連れの1人の肩がぶつかった。
ぶつかった歩行者はちらりとアンを見たが、すぐに興味を失ったように相方との会話を続けて去っていく。
よろけたアンの身体は、マルコが差し出した腕に抱きとめられていた。
あたしはずっと、こうして欲しかったのだろうか。
きっかけを作ったのはマルコから。
あの雨の日、この車の中で、マルコがあたしにキスをした。
そうしたマルコの意図なんてわかるはずもなく、だからといって知りたいと強く思うこともなく、それでも確実に、少しずつでもマルコとの距離を埋めたいと思っていた。
そう感じるたびに、マルコが「エース」に向ける強い視線を思い出して身がすくんだ。
哀しかった。
あたしを見てほしかった。
アンは体の右側を支えるその腕に手を触れた。
深く呼吸をすると、意識がもって行かれそうにさえ感じるほど強く煙草の香りがした。
それは麻薬のように、アンの体内に沁み渡る。
「アン」
顔を上げると、ずっと近くでマルコが見下ろしている。
「車に乗れ」
左手に提げていたはずの買い物袋を、マルコの手が取り上げた。
マルコはそれを左側の後部座席に放り込み、アンに助手席に回るよう目で言った。
アンはふらふらと、中毒者のような足取りで助手席側に回り込んで扉を開け、中に乗り込む。
マルコがイグニッションキーを差し込むと、車は深いため息をつくような音を立ててエンジンを回し始めた。
「どこに行く」
マルコはフロントガラスに目を据えたままそう言った。
特に行くあてがあるわけではないようだ。
ヘッドレストに頭を預けて、アンは寝言を呟くように口を開いていた。
「ふたりになれるところ」
マルコは車を滑らすように発進させた。
*
20分ほど通りから外れた道を走った。
そしてマルコが車を停めたのは、中心街と郊外の境目あたりにある背の高いマンションの駐車場だった。
モルマンテ大通りのある中心街にはこのマンションほど大きな建物はいくつかあるが、このあたり一帯では群を抜いて目の前のマンションが高い建物で、夕日を浴びて銀色に光るその姿は気高い大型動物を思わせた。
「……マルコの家?」
「今は、一応」
一応、と言うその言葉に含むものを感じながら、アンはシートベルトを外した。
マルコも同じ動作をしたが、扉に手をかけることはしない。
どうする、とマルコが訊いた。
「行かなくてもいい。帰るかい」
マルコに顔を向けると、焦りや不安や怒りや悲しみなど、この世の動揺とは一切無縁に思える色をした目がそこにあった。
アンはぼんやりとその色を見て、ゆっくりと首を振る。
「帰らない」
車を降りると、冷たい空気が頬に触れて頭と視界がはっきりした。
車の中で感じていた眠気に似た心地よさを拭い取るように風が吹く。
マルコは慣れた足取りでマンションの玄関へ向かいオートロックを外すと、ホテルのロビーのようなホールを通り過ぎてエレベーターの前で立ち止まった。
アンはただ、黙って後についていく。
ホールの中は、人が住んでいる気配を微塵も感じさせない静けさが建物自体に染みついているようだった。
不意に、立ちくらみのように頭の中をかき回す感覚に襲われた。
立っていられないほどでも、身体がよろめくほどでもないそれは感じたことのない眩暈だった。
アンの内側にある意思が、アンに直接呼びかけているような気がした。
「早く、早く」と聞こえた。
なにが早くなのか、アンにはまだわからなかった。
エレベーターが小さな鈴の音を鳴らして到着を知らせる。
扉が開き、マルコが中に乗り込んだのでアンも後に続いた。
扉が閉まると、立ちくらみも頭の中の声もたちどころに消えた。
マルコが一つボタンを押したのでその手の先を目で追うと、そのボタンは「閉じる」のボタンだった。
それと「開く」、あとは緊急時のボタンしかない。
このエレベーターはマルコの家がある場所と地上を往復するためだけにあるのだ。
小さな舌打ちが聞こえた気がして、アンは顔を上げた。
舌を打ったのは間違いなくマルコで、下から覗いてもその眉間に微かな皺が寄っているのが見て取れた。
先程の穏やかさは微塵もなく、今は何かに苛立っているようにみえる。
マルコの名前を呼びたくなったが、少し口を開いただけでそれはできなかった。
マルコの手が、アンの手を掴んだからだ。
それに驚いて、声が出なかった。
エレベーターは上品な音とともに動きを止め、扉が開いた。
目の前には一枚の壁があり、他に行く手はなかった。
ドアらしきものもない。
マルコはアンの手を引いてその前まで突き進むと、壁にくっついた端末キーを叩いて何かを入力した。
すると、壁のように見えていたものの一部が横にスライドして口を開けた。
口の向こうに、ようやく部屋らしきものが見えた。
マルコはアンに驚く隙さえ与えず、アンの手を引いて中に入った。
「マル……」
アンが名前を呼ぶよりも早くマルコが振り向いた。
アンの背後で扉がスライドして閉じる。
閉じた扉に背中と頭が押し付けられた。
掴まれた手がきりきりと痛む。
呼吸を許さない荒々しさで口が塞がれていた。
思わず目を閉じた。
アンの手の甲を覆うように掴んでいた大きな手が動いて、アンの指を一本ずつ絡め取る。
つま先から下腹の辺りに電気のような刺激が走った。
咥内に入り込む舌の温かさを感じて鳥肌が立った。
それに応えたいという思いが、アンの舌を動かした。
空いている手がマルコの肩にかかる。
そのまま滑るように動いて、首に手を回していた。
息を継ぐ暇もなく、激しいキスが続いた。
少しの隙間から漏れる吐息とくぐもった声は全部マルコに吸い込まれる。
腰が引き寄せられて、掴まれていた左手が解放されたのでアンは両腕をマルコの首に回した。
アンの脚の間にマルコの膝が割って入る。
もつれあうように体が重なる。
唇が離れると、アンの口端から二人分の唾液が流れた。
マルコは構わずまたアンの手を引いて、部屋の中へと入っていく。
中の様子を見ている余裕などなく、アンは暗い廊下の一番奥の部屋へと連れられた。
灯りもなく、窓にはブラインドがかかり、外は秋の夕時で、暗闇の中で見えたのはぼんやりと浮かぶ大きなベッドだけだった。
アンもマルコも、靴を脱ぐことさえ忘れて、再び絡まるようにそこに倒れ込んだ。
*
その行為に意味や、ましてや目的なんてものがあるはずなかった。
強いて言うなら、それは空虚を埋める行為だった。
満たされていたはずの身体にマルコが穴をあけた。
それを埋めてもらわなければならなかった。
マルコがどういうつもりでアンに会いに来たのかはわからない。
仕事の忙しさに追われて、その憂さを晴らす場所が欲しかっただけかもしれない。
それとは別に、単純にアンの顔を見たいと思って来たのかもしれない。
どちらにしろ、アンが知る所ではなかった。
アンはゆっくり体を起こした。
ベッドの横に置いてあるシンプルな目覚まし時計で時刻を確認し、思ったほど遅くはないことを知った。
眠っていたのは20分ほど。まだアンが買い物に出ていたっておかしくはない時間だ。
右側を見下ろすと、アンに背を向けてマルコが寝ていた。
両腕を顔を向けた方向に伸ばして目を閉じる横顔をじっと見下ろす。
急に、この隣で眠る男が哀れに思えた。
アンが哀れむ立場ではないとは知りながら、それでもやりきれない気分になった。
一番哀れで惨めなのはアン自身だ。
甘さのかけらもない行為に満足した。
アンの上に乗るこの男に必死でしがみついた。
恋だとか愛だとかは一切なく、あるのは剥き出しの欲だけで、それを手放すまいと無様なほど必死になった。
可笑しなほど現実的だった。
そんなアンを抱いてしまったこの男が哀れだった。
「マルコ」
名前を呼ぶと、眇めた眉がピクリと動いて、分厚い瞼がゆっくり持ち上がった。
「……今、何時だい」
「5時半」
「あぁ……」
もぞもぞと体を起こしたマルコは、隣に座るアンをちらりと見て、少しだけ気遣わしげな視線を送った。
アンはそれをかわして衣服を身に着ける。
不意に腕が引かれて、アンはマルコの胸に倒れ込んだ。
「マルコ?」
問い返しても返事はなく、後ろ首から髪が掻き上げられて頭と肩を抱きかかえられる。
最後の最後に唯一ほんのすこしだけ甘さのある所作だった。
罪滅ぼし、同情、気遣いじゃなくて、なんというんだっけ。
そうだ、サービス。
最後に少しだけしあわせな気分にしてくれるサービスのようなもの。
アンは甘んじて受けることにした。
目を閉じて、頬に直接当たる胸の温かさ、その奥に潜む鼓動を感じる。
抱きしめ返すことはできなかったので、アンから離れた。
マルコは一度だけアンの髪を梳いて、服を着始めた。
「帰るよ」
「送るよい」
「うん、あ、車の中に買ったものそのまま」
「寒いから平気だろい」
それもそうか、とアンはベッドから足を降ろして窓らしき四角い枠に目をやった。
ブラインドがかかっているのでよく見えないが、5時半の秋の空はもう紺色の割合の方が多い。
今日は天気が悪かったので、特に外が暗く見えた。
アンは無意識のうちに下腹の辺りに手をやって、温めるように両手を置いていた。
立ち上がったマルコがそれを見て、少し眉を寄せる。
「痛いかよい」
「ううん、平気」
行こう、とアンが立ち上がる。
マルコはアンが外に出るのを待ってから、自分も部屋を出た。
帰りの車内は行きと同じく特に会話はなかったが、重たい空気と言うわけではなかった。
うっすらと漂う疲労感はどことなく心地よくさえあった。
家に着いたのは6時ごろで、マルコはいつものように扉の前に車を停めた。
アンが礼を言って出ようとすると、腕を掴まれた。
「また来るよい」
なんと返事をしていいのかわからず目を泳がせると、マルコは困った顔でアンの腕を掴む手を緩めた。
緩めただけで離しはしない。
アンはもう、以前のようにマルコとばったり出会ったりサッチと二人で来店してきた際、平常心で接することができる自信がなかった。
周囲にばれるからといって何が困るのかと訊かれたらわからないが、耳目にさらされて動揺する姿は見られたくない。
といっても、アンとマルコをうまく形容する関係とはいったいなんなのだろう。
マルコ、あたしたちっていったいなんなの?
「わかった」
とりあえずそう言うと、マルコは腕を離した。
その顔は了解したというより、諦めたという表情に近かった。
アンが車を降りて、家に入る前に一度振り返る。
いつもならそのときにはとっくにいなくなっているはずの車の影が、この日はまだ停まったままだった。
マルコはドアのノブに手をかけたまま振り返るアンを見て、微かに頷いたように見えた。
少しだけ笑っていた。
その日、マルコが笑うのを初めて見た瞬間だった。
*
家の階段を上がると、アンの視界には一番にダイニングの椅子に座るサボの背中が飛び込んできた。
ルフィはまだ帰ってきていない。
「おかえりー」
「ただいま」
サボは手元を動かしたまま振り向かなかった。
アンの方は何となく顔を合わせづらい理由があるので、そそくさと冷蔵庫の前に行って買ったものを詰め始める。
それと同時に今夜の夕食で使う材料を取り出して、そう言えばサボにじゃがいもの皮を剥いてもらうよう頼んでおいたのだったと思いだして振り返った。
そして、ぎょっとした。
「サッ、サボ……全部剥くつもり!?」
「え?」
なんのことだと言わんばかりの無垢っぷりで、サボは顔を上げた。
その手には半分だけ皮のむかれたじゃがいもが握られている。
サボの隣の椅子にはじゃがいものの箱がドンと置かれ、テーブルの右側には真っ白のじゃがいもがうず高く、左側には皮の残骸がこれまたうず高く積まれていた。
「数個って、あたし言わなかったっけ……?」
サボはじっとアンの顔を見上げて、それからようやく話がじゃがいものことだと気付いたらしかった。
というより、自分が今じゃがいもの皮を剥いているということに気付いた様子だった。
「う、わ! なんだこれ!」
「なんだこれじゃないよ」
サボの驚きっぷりに思わず吹き出して、アンは生ゴミのゴミ袋を手に取る。
ざかざかとじゃがいもの皮を袋に捨てながらサボを見ると、サボはいまだ信じられないといった様子で手の中でじゃがいもを転がしていた。
「どうしたの。そんなに皮むき楽しかった?」
「いや……ごめん」
サボはすっかり中身の減ったじゃがいもの箱を持ち上げて床に降ろし、ざるに積まれた白いじゃがいもを見下ろした。
「どうする、これ」
「うーん、できるだけ今日と明日で使い切るよ」
「いける?」
「うん、じゃがいもパーティーだ」
ひひひ、とルフィのような笑い声を上げてみたが、サボの笑い声は返ってこなかった。
不審に思って振り返ると、サボは白いじゃがいもを見下ろしたまま固まっている。
その目の中にアンの知った色がなくて、アンも顔に貼りついた笑みが一瞬で消えた。
虚ろといってもいい目の光が怖かった。
そっとサボに近づいて、その腕に触れる。
「……サボ? 大丈夫?」
「あぁ」
「でもなんか変だよ。顔色も悪いし……調子が悪いなら今日はもう早く」
アンが触れるサボの腕が、跳ねるように動いた。
アンの手は跳ね飛ばされて、アン自身驚いて身を引く。
振り払われたのだ、ということになかなか気づかなかった。
サボは何も言わない。
うつむいて、アンと目も合わせない。
背中に不可解な汗が流れた。
「サボ……?」
「マルコには会えたか?」
ドンっ、と心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
背中を流れる汗が一瞬で冷たいものにかわる。
サボは、アンがマルコと会ったことを知っている。
マルコにアンの居場所を教えたのはサボなのだ。マルコ自身がそう言っていた。
ただ、今のサボの口調はただその事実を確認するものではなかった。
「う、ん。スーパーの帰りに。サボ、会ったんでしょ……?」
「あぁ」
うしろめたいことをしたわけじゃない。
それなのに、なぜだか取り繕おうとする自分がいた。
「最近マルコ来ないから、少し話して」
「郵便局は結局行ったのか?」
「ゆ、」
行っていない。すっかり忘れていたし、そんな時間も余裕もなかった。
郵便局に行き忘れたことがサボにとって大して致命的なことであるはずもなく、そんなことをサボが言いたいわけではないと分かっていた。
サボがゆっくりと顔を上げた。
アンをまっすぐ見つめる視線は穏やかで、何も映っていなくて、アンは息を呑んだ。
待って、ちょっと待ってよ、と自分の声が頭の中で響いていた。
「……サボ、ねぇ、どうしたの?」
こんなにもおそるおそるサボに触れたのは初めてだった。
また振り払われるかもしれないと思うと、安易に手を伸ばすことができなかった。
もしまた振り払われてしまったら、心の脆い部分は一気に砕ける予感がする。
しかしサボはそうしなかった。
アンは両手でサボの両腕を軽く掴んで、正面からサボの顔を覗き込む。
近くで見ると、サボの茶色い目にはアン自身の姿だけが映っていた。
それなのに、サボがどこも見ていない気がするのはなんでだろう。
「アン」とサボが呟いた。
「なに?」
「マルコが好きか?」
サボの腕を掴んだ手の力が、一瞬緩んだ。
反射的に逃げようとしてしまった。
なんでそんなことを訊くの?
「マ……す、好きだよ、マルコも、サッチも」
「違うだろ」
違うだろ、とサボは繰り返した。
なに、なんなの、と疑問が混乱をきたしながら頭の中に浮かんでいく。
サボの考えていることがこんなにもわからない。
サボ、なんなの、どうしたの、と何もわからないふうなことを言いながら、しかしアンはどこかでサボの言いたいことを汲んでいた。
アンとマルコが何をしていたか、互いをどう思っているのか。
アン自身がいまいち把握しきれていない事実は、頭のいいサボになら簡単に想像できてしまうんだろう。
だから、どうしようもなくそれが理不尽な気がした。
「なんでそんなこと訊くの」という問いは、「なんでそんなこと訊かれなくちゃいけないの」に少しずつすり変わっていく。
あたしがマルコのことを好きだといったら、それでサボの何が変わるというの?
ただそれは、たったひとつの言ってはいけないことだと分かっていた。
だからアンは口を閉ざして、ただわからないふりをした。
「警察だぞ」
そんなことわかってるよだからなんだっていうの、と咄嗟に反論した心を押さえつけて、アンは頷く。
「わかってる、でもマルコはお客さんで」
「ごまかすなよ!」
アンは見るからに怯えた態で身を引いた。
サボの腕を掴む手が完全に離れる。
サボが声を荒げたことなんて、アンが覚えている限りなかったはずだ。
目の前の男が急に知らない人に思えた。
しかし心に流れ込んだのは、その恐怖だけではなかった。
同時に濃度の濃い怒りや不満が怒涛のように押し寄せる。
元来の喧嘩っ早さが災いした。
「なんで急にそんなこと詮索されなきゃいけないの!?」
「アンの帰りが遅いからだろ!」
「マルコに会ったって、サボだって知ってたじゃん!」
「お前自分の立場わかってんのかよ、相手は警察だぞって言ってんだ! アンは油断しすぎてる!」
「でもマルコと仲良くなれば手に入る情報もあるかもしれないって、サボだって思ってたんだろ!」
「だからって危険まで冒せなんて言ってない!」
「危険なことなんてあたしはなんにもしてない!」
「だからそれがわかってないって言ってるんだ!」
「あたしは自分のやりたいようにやっただけ! マルコが会いに来たから会った! それの何がいけないの!!」
「身体売るような真似までしてなにが」
乾いた音が室内に響いて、それきりサボの言葉は続かなかった。
開いた右手のひらがじんじんと熱くなる。
「おい」と別のところから声がした。
「なにやってんだよ!」
声のした方向に顔を向けると、見開いた目のルフィが立ち尽くしている。
いつからいたんだろうか。
階段を上ってくる足音も聞こえなかった。
サボの言葉が頭を埋め尽くして、耳さえ塞いでしまったのだ。
ルフィはドサドサとその場に荷物を落とし、大股でアンとサボに歩み寄ると二人の間に割り込んだ。
「ルフィ、」
「なんだよ、なんでふたりともそんな顔してんだよ」
ルフィはアンに背を向けて、サボを強い視線で見上げた。
アンは痺れる右手のひらを左手で包んで強く握りしめる。
サボは赤みの差した頬を手の甲で一度拭い、それきり顔を背けて俯いた。
その構図は、まるでルフィがアンをかばって立ちサボが責められているようだった。
叩いたのはアンのほうなのに。
「ごめん」
サボがぽつりと呟いた。
やっぱり先に手を出したのはアンのほうなのに、サボは折れることしか知らない。
アンの前にいきりたって仁王立ちするルフィは、サボが謝ったことで見るからに肩の力を抜いた。
喧嘩が起こるのは兄弟ならば日常茶飯事。殴り合うのも必要ならば仕方ない。最後に互いが謝って事が収まればすべて水に流れる。
3人の間に共通するその常識をそのまま持ち出せば、このままアンが「こっちこそごめん」と謝ることで事態は収束するのだ。
ルフィはそれを期待していた。
それでも、今のこの状況はその常識が通用しない不測の事態だった。
叩いたのは一方的にアンの方だけで、サボはやり返さない。
喧嘩の暗黙ルールである拳ではなく、アンは平手で叩いた。
そもそもこれは喧嘩などではないと思った。
「ごめん」では終わらない、決定的に変わってしまった何かがあると、アンもサボも気付いていた。
言ってはいけないことをお互いが乱暴にぶつけあった傷跡が、まざまざとその場に残っていた。
「……アン?」
ルフィが振り返る。
その目が珍しく不安げに揺れていた。
あたしはそんなにも取り返しのつかないことをしたのだろうか。
マルコとの関係は、ルフィにこんな顔をさせるほど悪いものなのだろうか。
『秘密は共有、隠し事はナシ』
その原則を破ってまで、あたしにとってマルコは手に入れたいものだったのだろうか。
そもそも、この原則が破れただけであたしたちは壊れてしまうような家族だったのだろうか。
秘密も隠し事も痛みも悲しみも怒りも不安も不満も猜疑も全部全部共有していれば、あたしたちはいつまでも素敵な家族でいられたのだろうか。
ただひとつわかるのは、この原則があろうとなかろうと、アンの居場所はここしかないということだった。
それと同時に、サボの居場所もここしかないのだ。
ああだから、とアンはパズルのピースが次々と合致していくような感覚を味わって、顔を上げた。
突沸の如く沸いた怒りが、現れたのと同じスピードで消えていく。
他に居場所を作ろうとしたあたしをサボは怒ったんだ。
別の場所に次々と自分の居場所を作り出すルフィにはきっとわからない。
ルフィが聞けば仲間外れにするなと怒りそうだが、それは事実だ。
あたしもサボも、居場所はここしかない。
どちらかが離れていけば、残された方は必然的に独りになる。
あたしたちは意外と窮地にいたんだな、とアンは静かに理解した。
「サボ」
名前を呼んで、頬に手を伸ばした。
サボは目を逸らしたまま、アンを見ようとしない。
「ごめん」
サボはゆっくりと、焦れるほどゆっくりとアンの目を見返した。
その目には、アンとルフィが重なって映っていた。
サボはしっかりと二人を見ている。
「ルフィ、冷やすもの持ってきて」
「おう」
すっかり安心しきったルフィが、さっさと冷凍庫の中を漁って保冷剤を探しに行った。
赤くなった頬に触れると、刺激が走ったのかサボが少し顔をしかめた。
しかしすぐに沈痛な面持ちに戻る。
「ごめん、痛いよね」
「いいんだ、ごめんな」
「サボは悪くないよ」
悪くない、サボは悪くないんだよ、と繰り返しながら高い場所にある肩に手を伸ばしてそれを掴み、引き寄せた。
抱きしめた身体は思ったより細かった。
「あたしはどこにも行かないよ」
顔の横にやって来たサボの耳に、直接そう言葉を流す。
身体の横にだらんとぶら下がったままのサボの腕が、ピクリと動いた。
背中を曲げてアンに抱き込まれて、サボは黙って首を振った。
ルフィが保冷剤をいくつか持ってきて差し出したので、アンがそれを受け取ってサボの頬を冷やす。
その間もずっとサボはアンの肩に顔をうずめたまま、「違うんだ」と呟いて、首を振っていた。
じっとしてよと言っても聞かず、「違う」と言い続けるその意味は、アンにはよくわからなかった。
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