OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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庁舎の最上階には、そのエリアの主のほかに先客がいた。
「よっ」
広々としたソファにふんぞり返って、鷹揚に片手を上げたのはサッチである。
「おつかれさーん」と軽い口調でいたわりの言葉を投げかけるサッチの向かいでは、ニューゲートが楽しそうに口角を上げていた。
エレベーターを降りた瞬間からその姿は見えていたものの、部屋に入りいざその声を聞くとマルコの肩はやはり数センチ落ちた。
「テメェ何してんだよい。サボってんじゃねぇ」
「んだよォ、お前があっちやこっちに動きづめで全然捕まらねぇからオレから会いに来てやったってのに」
「だからってオヤジの部屋まで来るこたねぇだろうが。なんでまずオレに連絡せず一気にここまで来ちまうんだよい」
「だってマルコがいっちゃん長くいるのってせいぜいここだけだろ? それにここにいりゃオヤジにだって会えるし」
なっ? と同意を求められて、ニューゲートは目元に目いっぱい皺を寄せて笑いながら「違いねェ」と頷く。
サッチの言い分は確かにもっともで、ついでにニューゲートの機嫌がすこぶるよろしいそうなのでマルコはそれ以上強く言えない。
口を閉ざして目いっぱい顔をしかめ非難を表すしかない。
「まぁマルコ、ご苦労だったんだからとりあえず座りやがれ」
「そうそう、まぁ座んなさいよ」と後に続くサッチに辟易としながら、マルコは渋々サッチが座るソファの対岸に腰を下ろした。
すぐさま湯気の立つコーヒーが給仕される。
「おねーさんオレにもおかわり」と語尾を跳ねあげて笑顔でカップを差し出すサッチの調子の良さは、疲れた身にはげんなりすると同時にどこかすがすがしい。
そう感じてしまう自分にまたげんなりして、マルコは腰かけたと同時に口から洩れた深いため息をサッチのせいにしてごまかした。
「テメェの報告から聞こうか。それともこっちの話からいこうか」
やっぱり話があるのか、とマルコは顔を上げた。
サッチの言う「マルコに会いに来た」などおためごかしに過ぎない。
必ず何らかの本意があるはずだとは思っていたので、その言葉は特に意外ではなかった。
さらに、ニューゲートはフォッサにマルコを家に帰すよう言っておきながら、マルコがそれに背いて庁舎に戻ってくることまで読んでいる。
たとえマルコが何らかの気分でその命に従って帰宅したとしても、ニューゲートは「そうか」の一言で済ますだろう。
そういう、鼻につかないやり方で人の心の動きを掴むニューゲートの手腕にはやはり頭が下がる。
「こっちの要件のが手早いだろうから、こっちから」
マルコの言葉に、ニューゲートは静かに頷く。
「あっちの出した条件3つ、最初の会談でこっちが出した条件をのまねぇ限りはこっちも従わねぇってのを2時間かけて延々と。
冥王の方もうまい具合にこっちの弱点ついてくるからその応戦で大分と時間がもった。
ま、おおむね筋書き通りだよい。冥王の奴は絶対ェ面白がってるがな」
「あぁ、アイツの性格にゃあこっちだって免疫があらァ」
「結論は会談の開始前も開始後もなんにも変わっちゃいねェから、またメディアがやいやい言うだろうがもう放っておく」
「あァ、外は好きにさせておけ」
マルコの報告は以上だ。
そもそも報告と言っても何ら目新しいことはない。
すべてニューゲートが仕込んだ──フォッサの言葉を借りれば「出来レース」の──線路の上を順調に進みつつあるだけなのだから。
「それで?」
そっちの話は、と言うつもりでオヤジを、そして隣のサッチに視線を走らせる。
すると二人はたがいに目配せをするように、そろって視線を交わし合い少し目を丸くした。
「……なんだよい」
「いいや、相変わらず勘が良すぎて気味悪ィな」
サッチは両手を頭の後ろで組み、ばふんと音を立てて深くソファにもたれた。
「先に行っとくけど、オレァお前の『エース』の方には直接は関与してねぇんだかんな」
「じゃあ何の用だってんだよい」
「黒ひげの方だ」
そう口を挟んだニューゲートをハッと見上げると、彼は大きな背中を少し丸めて、膝に両手をついてマルコの方に少し顔を寄せた。
「まぁエースに一切かかわりがねぇってのも言いすぎか。エースと黒ひげに繋がりがあるのはもう確定だ」
「でもよオヤジ、そこまで分かりきってんならさっさとティーチの奴締め上げちまえばいいんじゃねぇか? アイツの方はまだオヤジが疑ってることに気付いてねぇから調子こいてんだろ?」
それができたらそうしている、とマルコは低く呟いた。
「できねェの?」
サッチはマルコを、そしてニューゲートをと順番に見上げた。
「もう充分だろ。物的証拠はねぇけど、どうせティーチの手の届く範囲なんざいくら広くたってオヤジにゃ負ける。あいつの手下から近付いて足元掬ってやりゃあ」
「できねぇっつってんだろい」
短く、しかしきっぱりとサッチの言葉を断ち切った。
サッチはすぐさま続く言葉を飲み込んだが、不満げにニューゲートを見上げる。
ニューゲートは苦笑のようなものをサッチに向けた。
「オレがダメだと言ったんだ」
「オヤジが?」
なんでまた、とサッチはぽかんと口を開けた。
マルコも初めはそうだった。
エースを追いかけるよりも、黒ひげに狙いをシフトして奴らがぼろを出す機会をうかがった方がいいのではないかと。
黒ひげを捕まえてしまえば、奴らを吊し上げてエースを引っ張り出すことができる。
黒ひげがそれほどエースを箱入りの如く大事にしているとは思えないので、彼らからエースの所在を喋らせることはそう難しくないだろう。
行政府をやめ、外面上「税理士」として看板を上げたティーチが裏でこそこそ何かをしているのは、警察側だって知っているのだ。
ただ奴らは証拠隠滅だけは非常に入念で、けして跡を残さない。
黒ひげに利用されてその悪事を否が応でも知ってしまった人間は、物理的にも書類の上でも存在を消されるからだ。
奴らは消えたところで問題一つないような人間をあえて選んで利用している。
だが今回は勝手が違った。
黒ひげは明らかにニューゲートを陥れようとしている。
あの髪飾りがニューゲートの監視下にあったのはマルコも知っていた。
ただ、マルコが知るその髪飾りは一つだけだ。
この世にたった、一つだけ。
二つも三つもあるなど聞いていない。
一つ目の盗難が通報された時、マルコは人生で初めて度肝を抜かれた。
まさかアレが盗まれたのかと。
しかし事実は違い、急いでその違和をニューゲートに問うと、彼は静かに何かを考えるそぶりをして、調べろとそう言った。
調べるも何も、髪飾りは一つしかないはずだろう! と憤慨したのはマルコの方である。
しかしマルコ自身ニューゲートにそうやって盾つくことの無駄さを知っているので、そのときはむっつりと黙って頷き、下の者に髪飾りの所在を調べさせた。
すると、髪飾りはこの街に四つもあると言う。
それぞれがこの街の成金たちによって保管されていた。
まるでそれがただの装飾品であるかのように。
たった一つしか存在しないと思っていた髪飾りが4つも、それもニューゲート以外の手にあると知ったときの驚きと、同時に湧き上がった怪しさは計り知れない。
意気込んでそれを報告したマルコに、ニューゲートはもう次の言葉を用意していた。
その四つの髪飾りも全て警察の、つまりはニューゲートの保護下に置く、それを各持ち主に通達しろと言うのである。
何故マルコが知る『一つ』以外に髪飾りがいくつもあるのか。
何故それをニューゲートが知らなかったのか。
そしてなぜ、彼は突如明らかになったその髪飾りたちを、自らの手のうちで守ると言うのか。
その髪飾りに真偽があるとするなら、間違いなく本物はマルコが知るたった一つだ。
しかしニューゲートは何一つ、口数の少ない彼の心のうちもマルコに話さない。
ここまで秘密にされると、いくら従順な彼の右腕を自負するマルコも怪訝に思わずにはいられない。
同時に、悔しいようなもどかしいような感じさえする。
警察組織は、ニューゲートの考えをマルコが共有し、まとめ上げて下部に指令を発することで機能してきた。
にもかかわらずこうしてニューゲートがマルコに口少なであればあるほど、マルコの方も動きが限られる。
だからこそこうして何度も「エース」を取り逃がしているのではないか──そう考えないではなかったが、だからといってそれがマルコからニューゲートに対する不信だとか不義だとかに直結することはありえない。
たとえなにがあっても──ニューゲートがマルコに何を話し何を隠そうと──マルコは彼を信じることに変わりはない。
ただ、自分が知らされていない何かがあるのが居心地悪いだけだ。
サッチは不機嫌に口を閉ざしたマルコと、身内にしか見せない少し困っているようにも見える顔のニューゲートを見比べて、大げさな素振りで肩をすくめた。
「オヤジ、あんまりマルコを振り回してやるなよ。ただでさえお忙しいご身分だ」
「わかってらァ。そもそもオレがお前ェらに隠し立てするほど後ろ暗いことなんざあるわけねぇだろう」
「そりゃマルコもわかってっだろうけどさぁ」
サッチがちらりとマルコの顔をうかがう。
これでは押し黙り続ける自分がまるで拗ねているようじゃないかと気付いて、マルコは渋々口を開いた。
「話さないだけ、だろい」
「分かってんじゃねェか」
ニューゲートはその巨体に似合わない嬉しそうな顔を見せて、声を上げて笑った。
「隠している」のではない。今はまだ「話さない」だけだ。
ニューゲートは時折そう言って笑った。
マルコはただそれを信じるしかない。
確かに彼がそう言うときはいつでも、時期さえ来ればマルコに全てを教えてくれた。
マルコは気分を入れ替えるため息を小さくついて、笑いの収まったニューゲートを見上げた。
「それで、サッチがなんで黒ひげと関係あるんだよい」
「おぉ、やっとオレの話んなった」
サッチが嬉々とした顔でソファの背から体を起こした。
マルコの方に身を乗り出して、どんな勢いある話なのかと思いきやテーブルのコーヒーに手を伸ばしてそれをすするのだから調子が狂う。
一度にカップのすべてを飲み干したサッチは、コーヒーくさい息を一つついてから本題を切り出した。
「オレが世話したことあるとびきりの悪ガキが3人、近頃立て続けに死んだ」
マルコの前に3本指を突き出したサッチの目は、もうふざけた色をしていない。
マルコの方も調子のいいサッチを相手にする脳から、仕事の脳へと頭の中を切り替える。
目線で先を促した。
「一匹目、実父ぶん殴って逃げ出して捕まった18そこそこのガキ。左官屋のオヤジに世話頼んで、近頃まじめに働いてると思ったら中央区の裏街で腹刺されて死んでた。4か月以上前だ。
二匹目、両親ナシで孤児院育ち、ヒネまくって悪い大人に捕まってヒンヒン言ってるところをオレがとっ捕まえた16のガキ。こいつはエースが2回目に忍び込んだ日の夜、あの屋敷の玄関で爆弾の箱抱えてやって来た。お前も知ってんだろ」
マルコは黙って頷いた。
堅い顔で静かに話を聞いていたが、突然つながったその悪がきとエースの関係に内心では目を剥いていた。
エースが財閥息子のコレクションルームに忍び込むにあたって仕込まれていた手筈の第一発目。
見知らぬ男が、あの日夜も更けた頃郵便配達を装ってふらりと邸宅の玄関に現れた。
いくら配達員を装っていたところで時間帯からして配達のある時間ではない。
不審に思った警備員たちが何名かその男に近づいたところ、突然男の持っていた小包が爆発した。
マルコがそれを知らされたのはそれから5分ほど後で、マルコが邸宅についた頃現場は軽くパニックに陥っており、爆弾を持ち込んだ男は息絶えていた。
その混乱の裏側で、エースはコレクションルームに忍び込んでいたわけである。
事件が収束して後処理だけになった頃、爆弾を持ち込んだ男がまだ20にも満たない子供であるということを知った。
それがサッチの「客」であるとは思わなかったが。
「3匹目、想像つくだろ」
サッチは立てた三本指の、薬指を小さく揺らした。
「19で土木建築会社勤務。下っ端でケナゲに働くガキだが、コイツは17のとき傷害致死で捕まってる。そんでこの間、美術館でまた捕まった」
マルコも覚えている。
取り押さえられて床に押し付けられた顔はまだ若かった。
エースのダミーだ。
「コイツは拘置所で自殺した」
サッチは立てた三本の指をぐっと握って、それから静かに腕を下ろした。
マルコも言うべき言葉がなく押し黙った。
エースのダミーとして使われたら最後、その駒は間違いなく黒ひげの手で始末される。
それを踏まえたうえで黒ひげから送り込まれる刺客に警戒していたが、ダミーは自ら舌を噛むという古典的な方法で、冷たい拘置所の中でひとり死んでいた。
自身の意思なのか、黒ひげにそう含まされていたのかはわからないが、どちらにしろそれを防げなかったのはこちらの手抜かりだったので、この件はマルコにしても痛い。
「一匹目はともかく、後ろの二匹は間違いなく黒ひげに雇われて、そんで殺された。用済みってわけだ。立て続けにオレの知ってるガキがお前んとこの事件にかかわってるってんで、もしやと思って一匹目の件も引っ張り出して調べてみたら、なんとこいつも黒ひげに手ェ貸してやがった」
「左官屋のガキなんだろい」
「一発目の盗難があったあの銀行、建て替え工事にこのガキも参加している」
あぁ、とマルコからは思わず嘆息に近い呻き声が漏れた。
一回目の盗難は、銀行のセキュリティーシステムが発動していたにもかかわらず、数分でやってくる警備が辿りつくより早くエースは盗みを成功させた。
そのためには中の構造を熟知していなければならない。
銀行内部の情報を手に入れるために、エースは、つまり黒ひげはそのガキを利用したのだろう。
サッチも疲れたようなため息をついた。
「これで最近不審死した3匹のガキ全員が、黒ひげとかかわりがあるっつーことよ。こうなりゃオレとしても安穏にゃいられねェってんで、オヤジのところに相談に来たわけよ。これ以上いたいけな悪ガキ共をホイホイ使い捨てされちゃたまんねェからな」
話は粗方わかった。
マルコがニューゲートを見上げると、彼もまたマルコを見下ろしていた。
「どうするつもりだよい、オヤジ」
「とりあえずサッチにはこのガキ共がどうやって黒ひげに付け入れられちまったのかを調べてもらう。原因がわかりゃ予防策もできるだろう」
「おう任せんさい」
サッチがふざけた調子を取り戻して、ドンと自分の胸を叩いた。
「ただ、黒ひげはあと一回確実にエースを使って髪飾りを狙う。その最後の一回でオレを底まで落とし込むつもりだろう。エースの被害者の金持ち共は全員黒ひげに少なくねェ金額掴まされてるだろうから、オレが法律的にも社会的にも負けを認めるまで追及を辞めねェ。オレを陥れる裁判の結果が出るまでにエースを捕まえて、黒ひげについて言質を取らせりゃこっちの勝ち。次の盗難でエースを取り逃がして、黒ひげに攻め入る要素を与えちまったらそのままオレァ裁判に負けて、あいつらの勝ちだ」
ニューゲートはゲームのルールを説明するように、淡々と自身の命運を分ける話をした。
しかしこれはゲームではない。
もしニューゲートが裁判に負けて、政権がひっくり返れば──のし上がってくるのは黒ひげだ。
負ければ最悪だがマルコにも、きっとニューゲートにも毛頭負けるつもりはない。
要するに、とサッチが口を挟んだ。
「エースを捕まえて、エースに黒ひげとのかかわりを吐かせりゃいいんだろ? 今までのガキ共みてぇにエースが始末される前に」
「そうだ」
「腕が鳴りますな、マルコさんよォ」
サッチが茶化すようにマルコを小突くので、マルコは鬱陶しげにその手を避けた。
そのときおもむろに、ニューゲートがマルコを呼んだ。
マルコがニューゲートの目を捉えると、そこにある金色の光がふっと慈悲ある色に滲んだように見えてマルコは息を呑んだ。
この目はオレに向けられたものではない、と咄嗟に気付く。
「エースを頼む」
「……あぁ、絶対ェ、」
捕まえる、と答えたマルコにニューゲートは同じ目の色のまま頷いた。
「エースを頼む」など、これから捕まえられる犯人に向けた言葉ではない。
それに気づきながら、いやしかしこの「頼む」は「頼むから捕まえてくれ」「エース捕縛は頼む」という意味に解釈もできる、とマルコは自分に言い聞かせた。
そうでもしなければ、ニューゲートがまるでエースを守ろうとしているように聞こえてしまう。
今までニューゲートの言葉の端々、行動の端々にそれを匂わすものがあったからなおさら、そう思わずにはいられなかった。
黒ひげを先に捕まえてエースを吊し上げようとしないのも、そう言う意図があるからだと考えればつじつまが合う。
ニューゲート自身に問い詰めたことはないが、ふと口をついて聞いてしまいそうだった。
オヤジは、エースの正体を知ってるんじゃねェのか──?
「んじゃ、マルコに言っとかなきゃならねぇことは言ったしオレはもう帰るぜ」
「あァ、頼むぜサッチ。おいマルコ、テメェも今日はもう帰んな」
立ち上がったサッチを労わるようにその頭に手を置いてから、ニューゲートはマルコにも促すように視線を向けた。
「オレの肩代わりみてぇなことばっかりさせて悪かった。次の会談はしばらく間を置くよう冥王にも言っておく。少し休みやがれ」
「……肩代わりしてるつもりはねェよい」
オレはニューゲートの動かす右腕として機能しているだけだ。
しかし突っぱねたようなマルコの言葉をニューゲートは笑い飛ばした。
サッチにしたように、マルコの頭に大きな手を乗せる。
「お前が疲れちまったらオレの腕が怠くなるのと一緒だ。いいから帰んなハナッタレ」
軽く頭を小突かれて、マルコは渋々と頷いたのだった。
*
サッチとは庁舎の駐車場で別れた。
しかしニューゲートの部屋を出てから別れるまでの数分、サッチはせっかくだから飲みに行こうとうるさくマルコを誘った。
「オレもう一週間も外で飲んでねェんだよ」
サッチはヘロヘロと弱い声で泣き言をさらしていたかと思うと、アッと声を上げて時計に目を落とした。
「まだ16時前じゃん。アンちゃんの店ギリギリ開いてんじゃね?」
マルコは考えるふりをしながら黙ってエレベーターを降りた。
なぁなぁ、と追いかけてくるサッチはしつこい。
「お前ももうだいぶアンちゃんとこ行ってねェだろ? もし店閉まっててもよ、またアンちゃん引っ張り出してイゾウんとこ行こうぜ」
「……オレァ今日は帰るよい」
「えぇーー!! なんでよ」
いちいち声の大きいサッチは派手に非難の声を上げて、ぶーぶーと文句を垂れた。
「なによ、本気でそんなに疲れてんのかよ」
「いや」
「じゃあ数時間くらい付き合えよー」
「イゾウのとこになら、お前ひとりでもよく行ってんじゃねェか」
「だから今からアンちゃんも連れて行こうぜってんだよ」
「テメェひとりで行け」
「んだよ、せめてアンちゃんと二人で行けくらい言ってくれたっていいだろ……って」
あ、と呟いたサッチは、途端にニヤニヤしてマルコの顔を覗き込んだ。
庁舎の玄関ホールを通り抜けて駐車場へと向かうマルコはその足を止めずに、目一杯嫌な顔を作る。
覗き込んでくるサッチの顔が不愉快極まりない。
「お前今日は飲みに行きたくはねェけど、オレとアンちゃんがふたりで行くのも気にくわねぇんだろ」
マルコは無言で、じろりとサッチを睨んだ。
マルコの手で落とされた犯罪者のみならず、警察関係者さえすくみ上るようなその目つきを、サッチはぱちくりと瞬いて見つめ返した。
「え、なに、ほんとに?」
「テメェの車はあっちだろい。さっさと帰れ」
「えぇー、マジかよオッサン」
サッチの顔はニヤニヤしたりキョトンとしたり、今は犬のように好奇心をちらつかせていて非常に忙しい。
マルコは「じゃあな」とろくに挨拶をすることもなく、サッチに背を向けて数メートル先の自分の車へと歩いた。
サッチはしばらく背中でぶつぶつ言っていたが、マルコが運転席のドアに手をかけたとき、「じゃあさァ」とのんきな声がかかった。
「アンちゃんの御付きのナイトたち、攻略しなきゃな」
ハッと鼻で笑うような返事を返して、マルコは車に乗り込んだ。
サッチはまだその場に立ったまま、ごそごそ煙草を取り出している。
車を発進させたマルコがその前を横切ると、サッチは子供くさい仕草で唇を尖らせて、しかし目元には笑い皺を描いてマルコに軽く手を振った。
*
家に帰るのは数日ぶりだった。
庁舎に寝泊まりすることが普通になってしまい、慣れすぎたのかソファで仮眠を取っても翌日腰を痛めるということがなくなった。
それがあまり良くない徴候であるというのはわかっている。
部屋の中は当然人気も火の気もなく冷え切っていた。
マルコが廊下を歩くとセンサーが反応して、ふわふわと歩く先に灯りが灯る。
リビングでは、一人用にしては大きすぎるカウチと近く使用した覚えのないシンプルなガラステーブルだけがマルコを出迎えた。
肌寒かったのでとりあえず暖房をつける。
堅苦しいスーツとネクタイを脱いでカウチの背に掛けた。
腹が減ったな、となんとなく思ったが冷蔵庫にはすぐ食べられるようなものは何もなかった。
しばらく帰っていないのだから当たり前だ。
クソ、何か食ってから帰ればよかった。
もう今から家を出るのは億劫すぎる。
とはいえやはりサッチの誘いに乗る気にはならなかったので仕方ない。
マルコは八つ当たり気味に、もはや脱力と言っていい様子でカウチに腰かけた。
ギュッと革が張りつめる音が響く。
目を閉じた。
身体はやはり思った以上に疲れている。
もう意地や虚勢を張って平気でいられる歳ではないのかもしれない。
気持ちはそのつもりでも、こうして身体に直接感じられるとごまかしようもない。
──オヤジも老いた。
本人は体の不調なども微塵も訴えず、実際外から見ていれば何ら問題があるようには見えない。
だが、彼の身体が病に蝕まれているということに関してはメディアの報道に間違いはない。
気丈なのは結構だが、そばにいるマルコからすれば心配の種は尽きない。
今世間から降り注がれるニューゲートへの不信は、彼の頑丈な体に刺さったところで彼自身びくともしないが、内側からじわじわと脅かしてくる病魔には彼も医者の手に頼る以外にすべはない。
もし今オヤジが倒れたら。
起こりうる事象は目を瞑ってしまいたくなるほど残酷だ。
マルコは目を開けた。
もうやめよう。
思考はこのままだと恐ろしいほど深みにはまっていくだけで救いがない。
立ち上がり、空と言ってもいいくらい閑散とした冷蔵庫の中から水のペットボトルを取り出した。
一息にそれを飲み下す。
少し寝ようと思った。
起きたときに腹が減っていればその時食べに出ようと決めた。
よほど空腹であれば勝手に目も覚めるだろう。
飲みかけのペットボトルをまた冷蔵庫に戻し、マルコは寝室へと向かった。
延々と伸びた廊下の一番はてのドアを開ける。
風呂に入るのも面倒で、シャツを脱ぎ捨てそのままベッドに倒れ込んだ。
しかしざらりとした肌触りにぎょっとして、すぐに体を起こした。
肌に触れたベッドの生地が、思っていたいつものそれではなかったのだ。
シーツのなめらかな肌触りを想像していたマルコは怪訝な顔でベッドを見下ろす。
ちっと舌打ちが漏れた。
シーツが敷いていない。
前に帰ってきた際洗ってそのまま代わりを敷くのを忘れていた。
ああ面倒だ。
敷かなければと思うのに、身体は意思とは別にまたベッドへと沈んだ。
こんな時一人暮らしは手の回らないところが出てきて困る。
いっそオヤジのように家事手伝いの人間を雇ってしまおうかと適当な思いつきが浮かんだが、自分の知らない間に知らない人間が部屋の中をいろいろ弄りまわしていると思うとゾッとして、実行に移す気には早々ならなかった。
もしかするとオレは死ぬ時、こうやってシーツも敷いていないベッドの上でひとりなのかもしれないな、とふと思った。
それは比較的穏やかな死に方だろう。
殉職が特別ひどいとも素晴らしいとも思わない。
ただ何となく、そう言うアクロバティックな死に方は自分には似合わない気がした。
──だからといってこんな最期も全くいいもんじゃねェがな。
バカなことを考えていると思いながら、意識は少しずつ手の届かない眠りの方へと引きずられつつあるのを感じていた。
そして、意識が滲むように遠ざかっていくにつれて、脳裏に鮮やかに浮かぶ姿があった。
女だった。
マルコよりずっとずっと年若いまだ子供のような女だった。
ありふれた生活感をにじませる街娘。
少しだけ笑顔が下手な娘。
(──アン)
名前を思い浮かべると、少しだけ眠りから意識が呼び戻されるほどむず痒い気分になった。
久しく顔を見ないと落ち着かないような気になりだしたのはいつからだろう。
それが心地よかった。
久しぶりに──おそらく初めて、こんなにも穏やかな感情を知った。
その気持ちに付ける名前はきっとあるのだろうが、そんなもので自分の感情を名づけてくくってしまうのは酷くもったいないような気がしていた。
人にも知られたくはなかった。
仕事では自分以外のほとんどの人間を口先ひとつで動かしている自分が、自身の感情を子供のような女一人に翻弄されつつあるという事実がとんでもなく滑稽に思えたからだ。
ただ、特別欲しいとは思わなかった。
しいていうなら──しいていうなら、なんだと言うのだろう。
本当に、それは穏やかな始まりだったというのに。
欲以外の何物でもないやり方で、オレはアンを抱いた。
そこにアンの感情はあったのだろうか。
ずぶん、と身体が沈むような眠気を感じた。
次に目が覚めたのは、翌日の朝遅いころだった。
→
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白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。
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