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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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2日前、アンの手に冷たい金属が触れたその直後。
立てと命じた声は、動揺を隠すような低く抑えた声だった。
抵抗しても仕方がない、とアンはのろのろ立ち上がった。
そのまま両脇を警官に挟まれ、否応なくアンは歩かされた。
マルコが去った道のりをアンも後を追う。
顔を上げることができなかった。
そうすれば、前を歩くマルコの背中が見えてしまうかもしれないと思うと、どうしても顔を上げることができなかった。
 
おぼつかない足取りで階段を降りながら考えたのは、家のことだった。
きっとサボとルフィはまだ眠っている。
何も知らずに、健やかな寝息を立てているに違いない。
布団をかけてきてやったけど、もうすでにはねのけているかもしれないなと考えるとほんの少し頬が緩んだ。
ふたりが目覚めた朝、きっとテレビもラジオもエース逮捕のニュースを流し始めるだろう。
ふたりがそれに目を留めないはずがない。
このまま何も知らず、眠り続けてくれればいいのにと思った。
 
しかしすぐ、あぁでも、と思い直す。
こうなることを見込んで、たった一本頼りの綱を作っておいたのだった。
どこまで信用できる人間かはわからない。
黒ひげを介して出会った弁護士だ、奴らと似たような組織かもしれない。
それでもアンの話を最後まで聞いてくれた。
男の方は面倒くさそうに、煩わしいことを言うなとばかりに縦皺を寄せていたが、それでも口を挟まなかった。
女の方も、男が「請け負った」と了解したと同時に強く頷いていた。
もうアンには信じられるものが限られている。
それならば、すがるべきところにはすがりたかった。
 
アンが捕まってしまった今、黒ひげは警察がアンの自宅やその家族に接触することを恐れて、サボとルフィを保護しにかかるだろう。
ふたりまで黒ひげの手に落ちてしまえば、もうアンに戻る場所はないように思えたのだ。
理屈より先に、サボとルフィには黒ひげと接触してもらいたくなかった。
それならば、昨日今日出会ったばかりの弁護士に頼った方がマシだと感じたのだ。
 
 
アンは歩かされるがままに階段を降り、屋敷の外へ出ていた。
その際応接間の横を通り過ぎたが、その中の様子は見えなかった。
宝石商はまだ薬のせいで眠っているはずだ。
目を覚まし、事の成り行きを知ったときに彼が知るはずのことを想像してみるが、少し前にそうしたときのように胸は痛まなかった。
もう痛むはずの心も止まってしまった、と思った。
 
夜は相変わらず月の光で明るかった。
アンは車に乗せられ、両側を同じく警官に挟まれる。
前を走り出した黒い車体を追うように、アンを乗せた車も始動する。
すると瞼が重くなり、アンはそれにさえ抵抗する気もなく目を閉じた。
こんなときによく呑気に眠くなるよなあと、我ながら呆れてしまう。
ただの現実逃避だとわかりながら、アンは車体の振動と眠気に身を任せて、車が停まるまでずっと目を閉じていた。
 
 
 
 

 
 
「でかしたな、マルコ」
 
 
一目散、というには必死さが足りないが、それでもマルコにしたらこれ以上ない程の猛進ぶりでニューゲートのもとを訪れたというのに、いつものソファにどっしりと腰かけたニューゲートがマルコの顔を見て一番に発したのは、そんな言葉だった。
 
扱っていた事件が収束を見た。
それは間違いない。
ただ、それだけでは終わらない何かがあるはずだと、そもそもこれはいったいどういうことなのだと突き詰めるつもりでやって来たマルコにとって、その言葉はあまりにも腑抜けたものに聞こえた。
憤慨したいがその行き場がないような、落ち着かない気分になる。
実際マルコは一瞬言葉を詰まらせ、ニューゲートの部屋の入り口で立ち止まった。
 
 
「どういうことだよい」
 
 
結局マルコが口にできたのは、シンプルなそんな言葉だった。
ニューゲートは、彼が白ひげと呼ばれる所以であるその大きなひげの下で、口角を上げて歯を見せるいつもの笑い方をして、マルコを目線で自分の向かいへといざなった。
全てを知る者の余裕の笑みのようにも、ひとまずマルコを落ち着けるための親が子に向けるそれのようにも見えた。
ニューゲートに逆らうことを知らないマルコは、やるかたない思いを消化不良のまま抱えながら、彼にしては荒々しい足取りで示された通りの位置へ腰を据える。
 
 
「……どういうことなんだよい、オヤジ」
 
 
結局はまた、同じ問いを投げかけるしかなかった。
もう自分の手に負えるものではないと、圧倒的な力の前にひれ伏したくなるような屈辱感を伴う圧迫感がひしひしとマルコを押しつぶそうとしていた。
気付けば、膝に肘をつき、目の前にやって来た手のひらで額を押さえていた。
痛んでもないのに、頭が痛む気がするのはもはや職業病だ。
 
 
「オヤジは、エースの正体を知っていた」
 
 
そうだろい、と押し付けるように問いかけた。
ニューゲートは何も言わない。
アンタはいつもそうだ、と子供のように喚きたくなった。
それでも、仕方なくマルコは言葉を続ける。
 
 
「エースが……アンだと、知ってたんだろい」
 
 
アンの名前を口にするときだけ、声がかすれた気がして、それがなぜかマルコの自尊心をわずかに削った気がした。
 
アン。
街の南に位置する小さな飯屋で、兄弟2人と共に店を営むあか抜けない娘だ。
サッチが初めにその店を気に入った。
マルコも次第にその店を、アン自身を気に入り頻繁に訪れるようになった。
アンは明るくどこかバカに真面目で抜けており、懸命に家計をやりくりする姿がけなげに映った。
いつのまにか、アンはおそるおそる店の外に、というより彼女が固く閉ざし続けた世界の外に踏み出すようになった。
その様子をすぐ近くで見守っていたと言っても、傲慢に過ぎることはないはずだ。
連れだしたのは誰だったか。
筆頭にサッチ、そしてイゾウ。あの元気玉のような弟も大きくアンの背中を押したはずだ。
そしてもうひとり、アンの背中を押したり引き戻したりするあの青年も、いずれにせよアンの何かを変えようとしたはずだった。
マルコの知らないところでも、アンを取り巻く多くの人間が彼女を導こうとしたのかもしれなかった。
 
アンがマルコと関係をもったことは、そのようなアン自身の挑戦の一つや、はずみではなかったはずだ。
自分がそう信じたいだけかもしれないと思いながら、マルコのその思いはすでに確信に近い。
ぼんやりとマルコを見上げたアンは男を知らなかった。
アンの意思を無視して、彼女に男を知らしめたとは思いたくなかった。
ほんの少しでもいい、自分が抱いたものと同じ温かみを、アンも持っていたと思いたかった。
一度でいいから、嬉しそうに、それもマルコのために笑う顔を見てみたかった。
わけのわからない仕事に翻弄されつつもどこか呑気にそんなことを考えていたと、自分を知る者が知れば世も末だと嘆くだろうが、マルコ自身はその感覚を悪くはないと感じていた。
そんな矢先だった。
そのわけのわからない仕事と、アンが一直線に結びつくことになる。
 
手錠を掛けられて、アンは収監された。
背中で聞いた細い金属音は、今も耳の奥にこびりついて離れない。
アンが今このときも、冷たい牢獄でひとり硬い壁に身を寄せているのかと思うと、いてもたってもいられないような久しく感じることのなかった焦燥を感じた。
それでもマルコはぐっと手を組み合わせて、深くソファに腰を下ろしている。
 
 
「アンは、アイツは誰なんだよい」
 
 
自身の手に遮られて、くぐもった声が落ちた。
ニューゲートが、大きく鼻を鳴らして息を吐く。
彼が話し始めようとすると、いつも空気がかきまぜられるような気配が満ちる。
 
 
「エースを動かしていたのは黒ひげだ」
 
 
ニューゲートの遠回りするような言葉に、マルコは微かに苛立った。
それはわかってるよい、と遠慮なく突っぱねる。
 
 
「アンは利用された駒だってのも想像がつく。オレが聞きたいのは、なんでオヤジが」
「オレがアンに初めて会ったのは」
 
 
ニューゲートに遮られ、マルコは途切れた言葉の先を飲み込んだ。
 
 
「アンが生まれたとき、その一回きりだ」
 
 
顔を上げると、ずいぶん高くにある金色の目は横にそらされ、広い窓の向こうを見ていた。
空はようやく白んできた明け方で、マルコは新しい一日を迎えようとするこの建物の外側が自分とは全く切り離された世界であるように感じた。
マルコの一日は、エース逮捕を挟んで、まだ昨日から終わっていない。
ニューゲートの低い声は、マルコにではなく、窓の外、それもずっと遠くにある誰かに投げかけられたかのように聞こえた。
 
 
「アンは、ロジャーの娘だ」
 
 
すぐには言葉が出なかった。
 
 
「ロ……ゴール・D・ロジャーのことかよい」
「あぁ、ロジャーとルージュの間に生まれた一人娘が、アンだ」
「……ロジャーに娘がいたのは知ってるが、その子供は街の外の施設に保護されたって」
「そりゃ通説だ。ロジャーが死んだのはお前が警察に入る直前か、いや、直後だったか? どっちにしろ若造だったテメェの知る所じゃねェ」
「……バカな」
 
 
そう呟いたものの、エースがアンであった今、何もおかしいものなどないような気がした。
というより、何が起こってもおかしくないような気がした。
アンがロジャーの娘であるとすれば、ロジャーと親交のあったニューゲートがアンを知るのも道理であり、当時から街の最上部の一端を担っていた彼がアンという秘密を知っているのも理解できた。
マルコは今は亡き男の姿と、たった一度だけ垣間見たことのあるその妻の姿を思い浮かべた。
思えば、アンはロジャーとルージュの血を継いでいる可能性がその容姿からも十分に見て取れる。
すべて、今となってはの話である。
 
 
「オレとガープの間で取り決めがあった。アンの出自を伏せること、その生活を守ること、オレァ直接アンにしてやれることはなかったが、気に掛けてはいた」
「ガープって、なんであのじいさんが」
「アンが一緒に暮らす兄弟に、黒髪のボウズがいるだろう。ありゃあガープの孫だ」
「まっ……ルフィってガキか」
「あぁ確かそんな名前だったか。そのボウズをガープがロジャーに預けた。2,3年ばかりはロジャーの家で過ごしたはずだ」
 
 
マルコは先程まで押さえていた頭がまた痛み出すのを感じていた。
アンがロジャーの娘で、ルフィはガープの孫で。
じゃあ、あのもうひとりのガキは?
 
 
「サボってボウズはルージュが拾った子供だったらしい」
 
 
マルコの考えを先回りして、ニューゲートが答えた。
 
 
「拾ったってのは」
「あいつはどこのだれとも知らねェ本物の孤児だ。いや、親はいるが……ロジャーとルージュが、頑としてあいつを生家にゃあ返さなかった。善意ある誘拐見てェなもんだ」
 
 
ニューゲートは自分の言った言葉が気に入ったのか、そこで声を上げて笑った。
ソファがぐらぐらと揺れる。
 
あの3人が本当の兄弟であるとは、マルコも思ってはいなかった。
ただ、それぞれの出自がマルコを取り巻く世界と思いのほか近くにあったことに目を剥いていた。
頭がくらくらする。
 
ニューゲートはマルコの混乱をわかったうえで、それがおさまるのをじっと待っているようだった。
空は完全に朝を迎え、腹立たしいほどの晴天がのっぺりと広がっている。
 
 
「黒ひげ……ティーチのヤツも、アンを知っていた」
 
 
ニューゲートは感情の見えない声で、そう零した。
何か大切なことが、今まで隠されてきた何かがこの男の口から話されるという予感がマルコにぶつかった。
 
『情』に疎いとさえ陰で言われるマルコだが、そこで聞いたことはおそらくマルコの情を揺さぶるものだった。
立ち上がり、今すぐアンのもとか、または黒ひげのもとへと行かなければならないと駆り立てられた。
話を聞き終えマルコが全てを知ることになるときには、いつのまにか朝を迎えたばかりのはずの一日が終わろうとしていた。
 
 
 

 
エース逮捕のニュースは、想像通り街中の紙面、テレビ、ラジオをにぎわせた。
マスコミはこぞってこれまでの事件を取り上げ、エース個人の情報を警察側から引き出そうと躍起になったが、それは警察がエースを捕えたことよりも難しいことであった。
エースが捕えられてから2日が経過したが、警視庁の石の扉は重く閉ざされたままである。
マスコミ各所は警察側のその態度に苛立ち、市民の声を持ち出して情報の開示を強く求めた。
その要求は今も続いている。
 
一方警察内部では、エース逮捕から2日後の午後、ある噂で持ちきりになっていた。
その情報が開くまで「噂」の形に留まっているのは、エースの事件に直接関係のない部署、交通課や生活安全部など、警視庁下部に所轄を構える面々の間においてである。
少年課のサッチなどはその噂が仲間の口々から囁かれる中で、ひとり知らぬ顔をしていた。
しかしエースに直接的な関連を持っていた各部署の間で、その情報は噂ではなく確かな事実であった。
 
我らが警視総監、エドワード・ニューゲートが直々にエースに会いに行く。
ようやく重い腰を上げたのであった。
 
エース事件に関係があると言っても、ニューゲートとエースの間にどんなつながりがあるのか知る者は一人としていない。
天と地がひっくり返るかもしれないという危機にさえ指を動かさなかった警視総監が、たった一人の泥棒が捕まったというだけで、なぜその泥棒に会いに行くのか。
歳をかさむにつれて徐々にではあるが大人しくなっていく警視総監が、実は破天荒な人物であることを誰もが知っている。
今度は何をするつもりだ、というおそるおそると言ったような好奇心の混じった興奮が、警視庁上部の間では渦巻いていた。
 
事実、ニューゲートは庁舎を出ると直属運転手が控える車に乗り込み、エースの収監される収容所へと着実に向かっていた。
縦にも横にも巨大な黒塗りのリムジンを、ニューゲートはひどく嫌っていた。
「これじゃオレが移動してるってのが筒抜けじゃねェか」と不満を漏らすのである。
しかし彼が収まるにはそれなりの空間が必要で、となるとこのリムジンが移動には最適であった。
まさかキャンピングカーを公用車にするわけにもいかない。
そういうわけでこのときも、ニューゲートはまたぶつぶつ文句を洩らしつつ、この巨大なリムジンに乗っていた。
 
後部座席に座る彼の正面には、マルコが位置している。
リムジンの中心を挟んで、彼らは向かい合っている。
彼らは乗車してから、一度も言葉を交わすことがなかった。
 
マルコがニューゲートのことをオヤジと呼んでいるのは、上層部の人間であれば多くが知っている。
また、その上層部とマルコの狭間に位置する数人もまた、ニューゲートをオヤジと呼んだ。
彼らはけして血のつながった親子ではなく、またマルコとその他の数人が本当の兄弟なわけでもないが、その呼び名が彼らの関係を形容するに最もふさわしいと誰もが思っていた。
しかし今は、マルコもニューゲートもむっつりと口を閉ざしている。
巨大なリムジンを苦も無く転がすのは、ニューゲート専用の運転手、クリエルである。
彼もまたニューゲートをオヤジと呼び、マルコと肩を並べて軽口も言い合える仲であった。
元来無口な男だが、クリエルはこのときも二人の沈黙に従って口を開きはしなかった。
ひたひたと忍び寄る何かに、自ら向かって行くような不気味さと緊張感が車内に張りつめていた。
 
 
クリエルは車を収容所の正面に付けると、素早く運転席から降り後部座席の扉を開いた。
のっそりと、しかし強く地面を踏みしめるような力強い足取りでニューゲートが降りる。
続いてマルコが降りた。
収容所は昨日から続く晴天の下でも、独特の陰鬱さと見えない臭気を放っているように感じた。
その平べったい屋根の上だけ、ぽこりと曇天が浮かんでいてもおかしくはない程、建物は暗く影が差している。
収容所の門前から入り口までの小さな庭だけがさんさんと健全に日の光を浴びているのが、どうも不似合に映った。
ぐるりと鉄網に囲まれた大きな犬小屋のようだ、とクリエルは歩いていく二人の背中を見送りながら思った。
ニューゲートとマルコはよどみない足取りで、収容所へと入っていく。
 
そこに収監されるアンに会いに行くためである。
アンは捕縛された2日前ここに収容され、今も変わらず囚われの身である。
看守の話によると、アンは警察の手から身柄を移される際も大人しく、一言も口をきかず俯いていたという。
アンへの事情聴取は昨日からすでに始まっている。
マルコたちのもとへは、アンが一言も言葉を発しないという苛立ち混じりの報告が上がっていた。
まるで抜け殻のように、人形のように、言われるがまま身体を動かすだけだという。
その報告を受けたマルコがあからさまに舌を打ったことに、報告を上げた部下は驚くよりも恐れおののいた。
感情をあらわにした上司を見るのは初めてで、かつこれ以上恐ろしいものはないと本能的に感じたからである。
そそくさとその上司の前を立ち去るほかはなかった。
 
エース対策本部内では、すでにエースが女であること、「アン」という名の女であることは知れ渡っていた。
さらにそのエース──アンが、黒ひげの手に握られていたことも周知である。
今後の彼らの仕事は、アンの口から黒ひげに関する情報を入手することであった。
エースという事件そのものが黒ひげによるものだと知りながら、警察が直接黒ひげと接触を試みなかったのは、黒ひげが警察より一枚も二枚も上手に行くことを恐れたからである。
マルコと同年代、もしくはそれ以上の年月を警察内部で過ごしたものは、黒ひげの、ティーチの抜け目なさをいやというほど知っていた。
エースより先に黒ひげに手を出せば、黒ひげは簡単にエースを切り捨てて手札を打ってくる。
最悪、警察が黒ひげと接触している間、黒ひげの手のものがエースの存在自体を消してしまうのは造作もないことであると知っていた。
デリートキーを押すのと同じ感覚で、黒ひげはエースを切り捨ててなかったことにしてしまうだろうと想像がついた。
もとより警察は市民の生活を保護し、安全を保障するために存在している。
犯罪者とは言え、警察までもエースを見捨てるわけにはいかなかった。
マルコの側からは、それをニューゲートが許すはずがないという事情も絡んでいる。
それらの理由を鑑みて、エースの事件を収束させるにはまずエース自身を捕まえる必要があった。
エースを捕えて、その口から黒ひげの情報さえ引き出せれば言質が取れる。
黒ひげは何よりそれを恐れるだろう。
エースの口を封じるために刺客を放つとも考えられなくもないが、エースを収監するということは警察側がエースを保護できると同義である。
エースを捕えてしまえば、同時に黒ひげから守ることができる。
 
そもそもこの事件は、おそらくエースつまりはアン自身が考えているよりももっと、大きな者同士が対立し合う事件であった。
警察と黒ひげであるとか、警察と行政府であるとか、街そのものとそれを脅かす組織であるとか、ともかくアンの頭上で行われるべき事件であり、それに巻き込まれたと言っても過言ではないアンに同情する対策本部の警察官は少なくなかった。
 
警察官としての正義感は、アンを捉えられたことによる高揚を感じている。
しかしそれよりも、たとえばマルコより上の世代であれば、アンのあまりの若さ、というより幼さに痛むものを感じずにはいられなかった。
聴取を取られる際に見せる憔悴しきった顔つきは痛々しい。
彼らの息子であるとか娘であるとかに近い歳のアンは、庇護すべき対象であると思わせた。
早くアンから言質を取り、黒ひげに詰め寄りたいというのが彼らの思いであった。
 
しかしそのアンが口を開かない。
 
聴取を取ってさっさと黒ひげを追い詰めたい警察側にとって、それは不測の事態であった。
アンと黒ひげが、たとえば「信頼」のようなものでつながっている可能性は少ない。
すぐさま黒ひげに関する情報を引き渡すべきである、そうすれば事件はほんとうの収束を見ると、警察は何度もアンを説得したが、彼女が口を開く気配はない。
アンの取り調べを行っている警官は、マルコの顔見知りである。
マルコとしてはその取調べ内容に問題があるのではと思わずにはいられないような人物であるため、一様にアンの口が堅いだけとは思えないのだが、その警官も腐っても警官である。
しなければならない仕事はしているはずだ。
そうして手をこまねいているうちに、ニューゲートが重い腰を上げた。
遅かれ早かれそうなっていただろうと、すべてを知ったマルコは思う。
 
ただの窃盗犯一人に警察総監が直接聴取を取りに出向くなど空前絶後の出来事ではあった。
その前代未聞の待遇に騒ぐ警察内で、アンの本来の出自と秘密を知る古株たちは大きな背中を黙って見送った。
ニューゲートの傍には、いつものようにマルコが控えている。
 
 
 
収容所そのものはとても小さな施設である。
もとより街自体が大きくなく、さらにはめったなことがない限り凶悪犯も現れることがないので、犯罪者の収容施設だって大きくある必要はない。
この小さな空き箱のような建物の中に、アンは収容されている。
ニューゲートとマルコは看守長の付添いのもと、アンのいる留置所へと案内される。
中は思いのほか明るかった。
鉄格子がはまっている窓がいくつもある。
底から外の光がふんだんに差し込んで入る。
寒々しいコンクリートの壁に囲まれたそこは清潔で、外から見たイメージとは必ずしも一致しない。
 
ふたりは建物の中で、何度めかのボディチェックを受ける。
最高権力者とは言えぬかりなく体中をまさぐられるが、ニューゲートはじっと耐えている。
マルコもそれに倣った。
 
 
「こちらの部屋です」
 
 
看守が立ち止まる。
マルコたちも足を止めた。
無機質な銀色の扉のむこうに、アンがいる。
扉には番号が振られている。421とある。
収容された囚人は、その番号が名前代わりとなる。
そこには小さな窓がついていた。中の様子を覗くことができる。
看守は自身のベルトから鍵を取り外した。
そして少し首を伸ばして、窓から部屋の中を確認する。
 
 
「421、開け……」
 
 
ハッと息を呑む音が、看守の口から飛び出し窓に跳ね返ってニューゲートとマルコにぶつかった。
 
 
「どうした」
 
 
マルコが短く問う。
看守は扉に張り付いて窓の中を覗きこんでいたかと思うと、泣きそうな情けない顔で振り返った。
 
 
「421が」
「扉を開けろ」
 
 
ニューゲートが低く、落ち着き払った声で命じた。
看守は必要以上に慌てふてめき、騒々しい音を立てて扉の鍵を開ける。
 
開いた扉の中は、しんと冷たい無人の部屋だった。
 
看守はもとよりニューゲートもマルコも、呆気なくいなくなってしまったアンの姿になすすべもなく、しばらくの間立ち尽くしていた。
 
 
 
 
 

 
 
留置所の中は、予想通りというか定例通りというか、ともかくアンが思ったそのままに味気なく冷たい場所だった。
しかし檻に放り込まれる家畜さながらの扱いを受けるかと思いきや、アンを引き渡した警察も引き受けた看守も、けして手荒な真似や乱暴な振る舞いは見せなかった。
事情聴取の時間までここで待機しろと命じ、警察と看守は部屋を出ていく。
アンを囲う留置所のさらにもう一つ向こうの扉の外に、見張りの看守は腰かけているようだった。
 
暗いコンクリートの箱の中でひとりになると、驚くほど一気に力が抜け、いつの間にか膝をついて座り込んでいた。
知らず知らずのうちに気を張っていたのだと思い知る。
コンクリートの壁は、外の音をすべて跳ね返しているのだろうか、アンの耳には何も聞こえない。
今は何時だろう、と周囲を見渡したが、牢の中に時計はない。
這うように扉へとスリより、立ち上がって小さな窓から外を覗くと、向かいの壁にちょうど壁時計がぶら下がっていた。深夜の3時だ。
そのままずるずると座り込み、扉に背をつけた。
冷たさが水のように背骨に沁みた。
 
結局あたしのしたことはなんだったんだろう。
四度も人の家に忍び込んで、泥棒沙汰を働き、結局なんにも手に入れられていない。
最後の最後に指先が触れた本物の髪飾りも、あっけなく奪われてしまった。
出来ることなら、誰かに尋ねてみたかった。
あたしがしたことは初めから意味なんてなかったのだろうか。
 
不思議なことに、涙は出なかった。
歯を食いしばるのは得意だ。
しかしそれは、サボやルフィの前では効かなかった。
あのふたりのまえでは気が緩む、タガが外れたように泣いたり怒ったりできる。
そうか、と思い当った。
今はあのふたりがいないから、泣くことができない。
一人では泣き方すらわからない。
 
そういえば、母さんたちが死んだときも大仰に泣き叫んだりしなかった。
状況の意味が分からなかったのと、それよりもサボとルフィと離ればなれになるかもしれないという目先の不安にいっぱいいっぱいで、落ち着いて両親の死を悲しんでいる余裕がなかったのだ。
ルフィは確か大泣きしていたな、と思った。
甘ったれで、末っ子のルフィを父さんも母さんも可愛がったから。
サボはどうだったろう。
不安で膝の折れそうなあたしが崩れ落ちないように、しっかりと手を繋いでいてくれたことは覚えている。
サボは泣いていただろうか。
 
急に、もう二人には会えないんだな、という事実が胸を突いて、心を硬くした。
 
哀しいと思うのに、涙はそれでも出なかった。
 
 
 
 
背中側のドアを叩く衝撃を感じて、顔を上げた。
ビクッと肩が跳ねたことで、自分が寝ていたのだと気付く。
 
 
「ゴール・D・アン。取調べだ。開けるぞ」
 
 
扉をあけられて、電灯の光ではない自然光がアンの顔を照らした。
いつのまにか朝が来ている。
アンを見下ろす看守がとても大きく見えた。
アンがのろのろ立ち上がると、看守は即座にアンの手を取り手錠をかけた。
そうして連れられるがまま、アンは聴取へと出向いた。
 
 
同じ建物の中の、事務室のような小さな部屋に通される。
無機質なテーブルを挟んで椅子が二つ。
ため息のようにけだるげに、暖房が吹き出し口から吐き出される音が満ちている。
アンは指示された椅子に腰かけ、言われた通り聴取の係が来るのを待った。
扉の前にはひとり、警官が見張りに立っている。
アンは手錠に繋がれた手を太腿の間に落とし、ぼんやりとテーブルの上に視線を流していた。
頭が重たく、ぼんやりとした状態が続いている。
脳みそはもう溶けて正常に働かない気がした。
なにを訊かれても、答えられる自信がない。
もうこの期に及んで何かを隠そうとする気はさらさらなかった。
黒ひげに関してもできることならすべてぶちまけてしまいたい。
しかし一方で、アンは自分がそれをできないことも知っていた。
 
もし、万一、あのクロコダイルという男がサボとルフィを匿うよりも早く黒ひげたちが接触していたら。
アンが黒ひげの情報を警察に売ったと知れば、黒ひげはサボとルフィを呑気に保護してはくれないだろう。
いや、そんなのどかな表現では済まない。
おそらくふたりは殺されてしまう。
ティーチはずっとアンに対し乱暴な扱いや凶暴な振る舞いをちらりとも見せることはなかったが、あのぎょろりと大きな眼の光はいつでもアンにその可能性を知らしめていた。
それがティーチの故意であれば、たいしたものだ。
思うつぼだと知りながら、アンはそれが怖くて口を割ることはできないだろう。
 
靴音が近づいてきた。
カン、と高い靴音が扉の前で止まり、扉をノックする。
見張りの警官が答えるより早く、外側から扉が開いた。
 
 
「何もこんな奥深くで聴取なんかしなくてもいいだろう、凶悪犯じゃあるまいし。迷っちゃったよ」
 
 
登場早々誰に向かってか文句を垂れた婦人警官を捉えて、アンは驚くよりも呆気にとられてぽかんと見上げてしまった。
スーツを着てはいるが、その着こなしはまるで私服のようにくだけている。
短いスカートから伸びる脚の先にはかかとの高いヒールをひっかけており、背は高くないのに姿勢がいいので天井から頭が吊られているみたいだ。
なにより目を引く水色の波打つ豊かな髪の毛が眩しかった。
 
アンに関する調書を手渡そうとする警官を「あんたもういいよ」の一言で追い払い、有無を言わさず部屋の隅に座らせると、婦人警官はアンを見た。
思わず背筋が伸びてしまう。
垂れた目は冷たい色の化粧できれいに縁どられていた。
 
 
「初めまして、アン。今日はあたしがあんたの話を聞くからね」
 
 
そう言って、アンの向かいの椅子を引いてそこにちょんと腰かけた。
テーブルに肘をついて、小さな顔を手で支える。
まるでアンと今からおしゃべりを楽しもうとするかのような姿勢だ。
 
 
「あたしはベイ。警察本部主任の、階級は一応警部補。本当ならもぉっと下っ端のヤツがあんたの取り調べをするもんなんだけど、可愛い子の相手は可愛い子がしないと。下衆な野郎じゃ話にならないじゃんねぇ、そう思わない?」
 
 
ベイはにっこり笑って、アンに同意を促した。
アンは頷けるわけもなく、まぬけ面のままベイを真正面から見つめるしかできない。
ベイはアンの返事を期待していたふうは見せず、「そんじゃ」とさっさと片手に持っていた封筒の中からばさっと紙束を引き出した。
「一応言っとかなきゃならないこともあるんだよねえ、あたしもこれ、仕事だからさ実は」と実はも何もないことを言い放ち、ベイはアンの名前に間違いがないことやアンには黙秘する権利があることなどを通り一遍に述べると、アンの理解を確認するそぶりも見せずに「はいおわり」と書類から目を上げた。
ベイがあまりにまっすぐ見つめてくるので、アンはいたたまれなくなって思わず目を逸らした。
何故かベイは嬉しそうに、うふふっと楽しげな笑みを漏らす。
 
 
「あんた、いくつだっけ、20?」
 
 
アンが頷くと、ベイも笑みを浮かべたまま頷く。
 
 
「朝ご飯は食べたの?」
 
 
朝……と考えた。
気付いたら眠っていて、聴取だと起こされて部屋を出てきたので、まだ何も食べていない。
腹の虫も気落ちしたようにアンに空腹を知らせないので、気付かなかった。
まだだと首を振ると、美しい笑みを湛えていたベイの顔が凍りついた。
その変容に、アンは何事かと肩を強張らせる。
ベイは後ろに椅子を飛ばす勢いでその場に立ち上がり、「ちょっとあんた!」と背後の見張り警官に向かって怒鳴り声を上げた。
 
 
「こんな若い子せまっ苦しい所にぶち込んで挙句メシも与えないなんて、あんたらどんな凶悪組織なんだい!!ぼけっとしてないで、何か食べられるモン持ってきな!!」
 
 
アンが口を挟む余地もないうちにベイが警官を怒鳴りつけると、その警官は血相変えて逃げるように部屋を飛び出した。
ベイは怒りを隠そうともせず荒い息を吐き、ドカッと椅子に座り直す。
 
 
「まったく、信じられないね。やっぱりオヤジの目の届ききらないところから腐ってきちまう」
 
 
すぐにメシが来るからね、とまるでアンをいたわるような口ぶりで言う。
ベイが現れてから戸惑い続きのアンは、まだ一言も口を開けていないのにおかまいなしだ。
 
結局ベイは、逃げるように飛び出した警官がサンドイッチを持って現れるまで、いかに職場の男たちがつまらないかを滔々と愚痴り、相変わらずアンには話す余地を与えず、いったいこの場は何のために設けられたのだろうかとアン自身が疑問に思うような時間が続いた。
警官が持って来たサンドイッチを勧められ、アンはおずおずそれを口に含んだが、乾ききった口の中はサンドイッチのパンにますます水分を奪われ、上手く飲み込むことができなかった。
何度もむせ返るアンを、ベイはまるで慈しむように見つめている。
その視線がまた、アンを戸惑わせて気になった。
やっとのことで胃の中にサンドイッチを収めたが、満腹感とは程遠く、腹の中はどんよりと重たい。
 
 
「食べられるときに何か食べておくのは、大事なことだよ。今は食べたくなかったかもしれないけど、これからどんどんエネルギーが必要になるからね」
 
 
ベイは目で警官に食事のトレイを下げるように示すと、軽く座り直した。
 
 
「約9か月前に始まる銀行、私人の邸宅、美術館にそれぞれ忍び込んだのは、アン、あんたで間違いないね」
 
 
隠すまでもない、とアンは頷いた。
 
 
「その目的はルビーの髪飾り、で合ってるかい」
 
 
それも頷く。
 
 
「それを狙った、理由を教えてくれるかい」
 
 
理由は簡単だ。
それがアンの母ルージュのものであったかもしれないからだ。
ただそれが、人の家に侵入した理由になるはずがない。
今ベイに、髪飾りがアンの母のものであったということを説明するのは比較的簡単だ。
ただそれを話してしまうと、その話をアンがどこで知ったのかというところに行きついてしまう。
するとどうしても黒ひげの話をするしかなく、それはアンにはできない。
よって、何も話すことができない。
アンが黙っていると、ベイは「質問を変えようか」と静かに言った。
 
 
「あんたの侵入方法は、今までずっと警察の裏をかいてきた。この街の最高峰の警戒をあんたはくぐりぬけていた。並大抵の下準備じゃ足らなかったはずだ。そういうのは、どうやって仕込んでいたんだい」
 
 
アンが恐る恐る顔を上げると、ベイは変わらずまっすぐアンを見つめている。
その真摯な顔を見ていると、もしかすると警察は黒ひげの存在を知っているんじゃないだろうかと思い当った。
思いつくと、もはやそうに違いないとさえ思えてくる。
それならさっさとティーチを探せばいいのに、どうしてこうもあたしに時間を割くのだろう。
 
やはりアンが答えないので、ベイはほんの少し口を尖らせて、鼻から息を吐いた。
あまり困ったり怒ったりしているようには見えない。
 
 
「あのね、アン。あんたは必死で何か大事なモン守るためにやってたのかもしれないけど、事実この事件に絡んで何人か人が死んでる。あんたの知らないところで、確実にコトは動いてる。もうあんたひとり足掻いたところで収まりきらない事態なんだよ。あたしはあんたを擁護することも責めることもできないけど、確実に言えるのは、あんたが黙ってたらなにも良くはならないってこと」
 
 
ベイは爪の先でとんとんと机の上にリズムを刻んだ。
アンもその仕草に自然と目を落としてしまう。
ベイの言葉は、まるでアンを圧迫する気迫はないのに、胸に重く落ちた。
だからといって、口を開くことはできない。
黒ひげのことを話すことはできない。
話したら、サボとルフィが殺されるかもしれない。
それすらも守ってとは、もう誰にも言えない。
 
黙りこくるアンを数秒見つめ、ベイは一度深く息を吐いた。
 
 
「うん、できればさっさと終わらせたいんだけどね、こんなこと」
 
 
こんなこと、というのはこの取調べというよりも、この事件そのもののように聞こえた。
というのも、ベイは別段アンとの話を切り上げようとしないからだ。
 
 
「あんたも昨日の今日で落ち着いてないことだし、また少し時間が経ったら話を聞きに来るよ。……ねぇアン、ちょっと手を出してみな」
 
 
手? と訝しがるアンを促すように、ベイは机の向こうに手を伸ばしてアンに手を出すよう示した。
アンはおそるおそる、手錠に繋がれた両手を机の上に乗せる。
ベイはそれを見てほんの一瞬嫌な顔をしたが、すぐさまアンの両手を取った。
ベイの手は、冷たい色の化粧や凛とした雰囲気に反してほんのりと温かったが、突然のことにアンはびくりと大仰に反応してしまった。
ベイはお構いなく、手を離さない。
 
 
「人ってのはね、だいたい手を見れば何をやってるのかわかるもんなんだ。あたしはそういうのが得意でね。……そう、あんたはね、薄い手のひらだ。指も細いし余計なモンがついてない。痩せすぎてはいないけど、苦労したんだね。でも指はちょっと荒れてるし、乾燥してる。料理するだろう、だからだね」
 
 
ベイは目を閉じて、アンの両手の甲をゆっくりと包みながら撫でる。
アンは不恰好に固まって、されるがままだ。
 
「指先まで冷えてる。当たり前だよねえ、こんなとこにいりゃ。こんな暗くて冷たいとこ、若い子の身体にはよくないんだよ。あんたはもっと、温かい所にいなくちゃいけない。ほら、あたしの体温でちょっと温かくなってきただろ」
 
 
ベイの言うとおり、アンの冷たい指先にベイの熱が移り始めていた。
アンはじわっと沁みるようなぬくもりを感じて、思わず肩の力を抜いていた。
ベイはアンの両手を包んでいた手を離すと、片手でアンの片手を握手のように握った。
 
 
「握り返してごらん」
 
 
何を考えることもなかった。
アンは自然と、ベイの手を握った。
ベイはゆっくりと、嬉しそうに笑う。
 
 
「しっかり握るんだね。あんたにはきっと強い力があるよ。しあわせを掴む強い力がある」
 
 
ベイは最後に、両手でアンの手を挟むように軽くパンと叩いて、手を離した。
 
 
「今回はこれで終わり。やっぱりちょっと顔が疲れてきてるね、当たり前だけど。時間はあるから、少しゆっくり眠るといいよ」
 
 
そう言うとベイは立ち上がり、書類を封筒に戻すとまた淀みない足取りで、振り返ることもなく部屋を後にした。
アンは自分で自分の片手を包んだ。
手錠の冷たさが、少し和らいだ気がする。
 
 
 

 
留置所に戻ると、アンはあまり経たないうちに眠った。
ベイに言われたからというより、身体が眠りたいと言っていた気がした。
簡素なベッドに横たわると、思考が途切れるのはすぐだった。
昼食で一度起こされたが、それもあまり喉が通らなかった。
しかしベイの言葉を思い出し、食べられそうなものだけいくつか選んで食べた。
少しずつ、溶けていた脳みそや霞がかってぼんやりした心が固まりだした気がする。
なにか、自分にできることが、やらなければならないことがあるような気がしてならないのだ。
こんな鎖につながれた牢の中で何ができるはずもないのに、なにかしなくちゃいけないというエンジンが少しずつかかり始めている。
そのためにはガソリンを燃やさなければならない。
アンは水でのどを潤しながら、少しずつ、それでも着実に食べ物を胃へと送り込む。
 
昼を少し過ぎた頃、また聴取に呼び出された。
同じ部屋に通され、今度はベイではない男の警官がやって来た。
しかめっ面の、堅苦しそうないかにも警官らしい男だ。
この警官とはベイとの様なやり取りがあるはずもなく、紋切り型の口調でベイが尋ねたのと同じようなことを尋ねられ、アンが答えないでいるとあからさまに苛立った表情を見せた。
他にも、侵入経路や逃走経路を図った方法や資金の出先などを尋ねられたが、すべて黒ひげにつながることだったのでアンも口を開かなかった。
結局この取調べでアンは一言も言葉を発さず、もういいと突き放されるように取調べは終わった。
アンはまた自動的に、留置所へと送り返される。
 
看守はアンを先に歩かせ、後ろからついてくる。
何度目かの往復にすっかり慣れたアンは、指示されるまでもなく留置所までの道を歩いていく。
留置所の手前のドアの前には、見張りの看守が一人座っていた。
看守たちは目配せし合いながら、アンを通過させる。
アンが留置所に入ると、看守は外側からアンの手錠を外した。
重たい扉が鼻先で音を立てて閉まる。
アンは楽になった手首を軽く振りながら、小さな窓から見える時計を覗いた。
すると、再び廊下に続く扉が開いた。
アンを連れて来た看守が一人、戻ってきたのだ。
この留置所にはアンしかいない。
他の囚人たちは別の部屋に留置されているようだった。
ということは、戻って来た看守はアンに用があるわけで、なんだろうと思っている矢先、看守はアンの留置所の扉の前まで歩み寄ってきた。
ガタイのいい大男だ。
深く帽子をかぶっているが、その影の下から覗く眼光は細く光って見える。
危なっかしいものを見たときのような冷やかさと緊張を同時に感じた。
 
 
「ゴール・D・アン。お前をここから逃がす」
 
 
看守は低く小さな声で呟くように言ったが、その言葉ははっきりとアンの耳に届いた。
それでも思わず、訊き返すような視線で男を見上げてしまう。
 
 
「黒ひげが近くまで迎えを寄越している。お前を助けに来た」
「あ、あんたは」
 
 
男はシリュウと名乗った。
 
 
「職はここの看守だが、オレも黒ひげの一人だ。見張りはオレが代わった、今はいない」
 
 
シリュウはアンの返事も聞かず、断ることもなく留置所の鍵を開け扉を開いた。
 
 
「そう時間はねェんだ、オレの後に付いて来い。まず見つかることはねェがな」
 
 
シリュウはさっさとアンに背を向け、外へとつながる廊下に向かって歩き出す。
アンは目の前で開け放たれた扉の前で立ち尽くしていた。
 
黒ひげが、助けに来たなんて、あるだろうか。
もう自分は見放されたものだとばかり思っていた。
それでいい、サボとルフィにさえ手を出してくれなかったらそれでいいと思っていたのに。
 
動かないアンを振り返り、シリュウは苛立たしげに「早くしろ」と急かす。
アンはちらりと頭上に視線を走らせた。
シリュウが目ざとくそれに気付き、「監視カメラなんざ潰してあるに決まってるだろう」と事もなげに言う。
 
そうか、これは助けに来たというべきではない。
奪いに来たのだ。
警察からアンを奪いに来た。
黒ひげはアンが余計なことを警察に話されてはならないと、駒のアンを回収しに来たのだ。
それなら納得がいく。
そうだとわかったうえで、今自分はシリュウについていくべきだろうか。
もしサボとルフィが無事クロコダイルに保護されていたら、アンが出向く必要はない。
このまま黒ひげと手を切ったっていい。
ただ、もし上手くいっていなかったら──そのときが怖い。
 
シリュウはアンが黙々と考えるのを、じっと見下ろしていた。
爬虫類じみた小さな目がアンを見透かすように光っている。
 
ベイの言っていたエネルギーは、今このとき要るのかもしれない。
 
 
「連れて行って」
 
 
シリュウは黙って歩き出した。
足音ひとつ立てずに素早く進んでいく巨体を、アンも静かに追いかけた。
 


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