OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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胸が潰れてしまう。
咄嗟によぎった考えで、はっと胸を押さえた。
ひゅっと軌道が狭くなり、覚えのある息苦しさが喉の奥からせり上がってくる。
いけない、と思う間もなく盛大に咳き込んだ。
人の行き交う駅の改札口、緑色の掲示板にたくさん貼られた色とりどりのポスターを背に、壁際に設置されたベンチにずるずると座り込む。
一度咳がせり上がると、調子づいたようにいつまでも息苦しさがやってきて、吐き出すばかりで空気を吸い込むことさえ難しい。
目の端に涙が滲んで、こんなところで、もう大人なのに、と哀しくなりそのことが余計涙を呼んだ。
震える手で鞄からミニタオルを取り出し、口元に当てた。
タオル越しに吸い込む空気は、外でも家でも同じ気がして慣れた洗濯物のにおいに少しだけ心が落ち着く。
止まらない咳をやり過ごすのにどれくらい時間が経ったかわからず、ベンチに片手をついてずっと自分のつま先を見ていた。
咳き込みすぎて頭の芯がぶるぶると痺れて痛く、咳き込む声もかすれているのにまだ止まらない。
そのときふと視界に、自分以外のつま先が現れてぎょっとした。
薄汚れたスニーカー、つまさきだけで自分の足全部と同じくらいのサイズだ。
「おいお前大丈夫か」
顔を上げかけるも、途切れ目なくやってくる発作に視界がぶれて、ただ男の人だと思い緊張が走った。
「なんか飲みモン……おい、これ飲め」
目の前にずいと差し出されたペットボトルが滲んだ視界の中ぼやけて浮かんだ。
飲めと言われても、そんな、と戸惑っていたら男性はきゅるきゅるとキャップを開け、飲み口を私の唇にぐいとぶつけた。
驚いて顔を上げた瞬間、ぬるくて甘い液体が口の中に入り込む。
咄嗟に飲みこみ、収まりきらなかった分が口の端からこぼれた。
恥ずかしさに一瞬で顔が熱くなる。
それでも飲み物が通ったことで手のひらを返したように気道が広がって発作がするすると奥へ引っ込んでいくのがわかった。
少しむせ、反動で新鮮な空気を目いっぱい吸い込む。
すぐにタオルで口元を押さえ、こぼれ出た言葉は「ごめんなさい」だった。
「苦しいか。救急車呼ぶか」
私の顔を覗き込む男性の言葉に、慌ててぶんぶん首を振る。
救急車のいたたまれなさを私は知っている。あれだけはいやだと思った。
「大丈夫です、もう放っておいて」という意味のことを言いたかったけれど、伝えるためにどういう言葉にすればいいのか咄嗟に出てこない。
「こんなところじゃなくてどっかで休んだ方がいい。誰か知り合いと待ち合わせたりしてねぇのか」
待ち合わせじゃないです、とかすれる声で言う。
男性は少し間をおいて、深めの息を吐いた。
そのことにわけもなくまた涙が出そうになる。
迷惑をかけてしまった、とまた頭の中に酸素が回らなくなる。
「おれの知り合いの家が近ェから、そこで休め。連れてくぞ」
「え」
ぐいと腕を引かれ、身体の前面が固い身体にごつんとぶつかって咄嗟に目を瞑った。
ぐわっと重力が全身にふりかかり、気付いたら広い背中に背負われていた。
ああ、ともきゃあ、ともつかない悲鳴がひくついた喉からこぼれ出た。
「安心しろ、おれんちじゃねェ。お前このままここに放っといたら死んじまいそうだ」
言うが早いか、男性はずんずんと進み始めた。
知らない人にあられもなく公衆の面前で背負われているということに頭が真っ白になり、ぱくぱく口を動かすも言葉が出てこない。
怖くはなかった。
ただ申し訳なくて、恥ずかしくて、男性が握りしめる白いポシェットバッグの革紐がぶらぶら揺れるのを知らないもののように感じた。
「あ、あああああの」
「あ?」
「だい、だいじょうぶです。私あの」
「お前ここで降ろしたら歩いて家まで帰れんのか」
「そ、」
ほんのりと痙攣し続ける脚が、むりだーと如実に言っていた。
「ちょっと待てよ」
男性は歩き出して5分もせず、ひとつのマンションの前で立ち止まった。
掴んでいた私のバッグの紐を首にかけ、その手でポケットから携帯を取り出してどこかに電話をかけ始めた。
「おい、今家にいるか。開けてくれ」
もう着いてしまった、と安堵のような絶望のようなどっちつかずの気持ちでマンションを見上げる。
ずらりと並んだベランダのうち3階の一つの部屋から、不意に人が現れてこちらを見下ろした。
その見覚えのある顔にあまりに驚いて、咄嗟にまた発作がぶり返しそうになった。
*
すっきりと綺麗なシーツが敷かれたベッドに寝かされて、人の家にもかかわらずついうとうとした。
ぼんやりとした頭の向こう側で誰かが一人で喋っている。
電話をしているようだ、と思いながらその声を耳慣れた心地で聞いていた。
──お前知り合いか。家にいる。あぁ? おれんちじゃねェ。
──いいからそんなら迎えに来い。住所? 住所……だからおれんちじゃねェんだって。
──お、ちょっと待てよ、住所は……
──おう、早く来い。あぁ? あほか手ェだすかおれんちじゃねェつってんだろ!
それきり声は聞こえなくなった。同時に誰が誰と話しているのか思い当り、勢いよく身を起こした。
「ウ、ウウウウソップさん……!」
「お、目ェ覚めたか」
掬い上げるような三白眼の目がこちらを向いた。
つくつくと上に立った短い、薄緑色の髪。
いつか見たことがある人だ、と思ったけどいつのことだったかぼやけた頭では思い出すことができなかった。
「あいつなら買い物行ってんぞ。おれが行くっつったのにおれじゃ帰ってこれねぇとか言いやがった」
「は、あの、今、電話」
「あぁ、あんたの携帯鳴ってたから勝手に出た。知り合いなら迎えに来るかと思って。迎えに来るっつってたぞ。電車乗ってるつってたしすぐ着くんじゃねェか。駅近いしな」
男性は一気にそう言って、テーブルに置いてあるペットボトルの水を手元に寄せてゴッと勢いよく飲んだ。
「ウ、ウソップさんでしたか」
「あ、わりぃ名前聞いてねェわ。男だったけど。急におれが出たからびびらせたみてぇでめちゃくちゃどもってた」
ウソップさんだ。
男性はペットボトルのキャップも閉めずにテーブルに置き、濃い茶色のテーブルの前、足の長い綺麗な椅子に深く腰掛けてぼんやりペットボトルのラベルを見ていた。
息がつまるように感じているのはどうやら私だけのようで、そのことに少し安心した。
「あの、あり、ありがとうございました」
「ん、おう気にすんな。よくあんのか」
「え、いえ、最近はあんまり」
「そうか」
ぶーーんと網戸の向こうをカナブンのような虫が音を立てて飛んで行った。
3階という高さは自宅の部屋と同じ高さなのに、見える景色は全然違う。
こっちの方がずっとおもしろいのに、と羨ましくなって窓の外を見ていた。
その間、男性もずっと何も言わなかったけれど、気づまりには思わなくなっていた。
やがてぴんぽんと明るい電子音が鳴り響き、「お、来たんじゃねェか」と男性が腰を上げて壁に取り付けられたインターホンまで歩み寄ったが、しばらくいろんなボタンを押した挙句私を振り返って「どうやって開けんだ、これ」と不機嫌そうに呟いた。
慌ててベッドから降り、受話器を上げて「もしもし」と答える。
「お、おお!? カヤか!? おっめーびっくりさせんなよ!」
「ごめんなさい、あの、今鍵を」
解錠のボタンを押すと、ぴっぴっぴと言いながらエントランスの扉が開く音がした。
受話器を置いて玄関まで行こうとしたが、男性が「3階だぞ。まだかかるだろ」と静かに言ったのでそれもそうだと引き返す。
所在なくて、なんとなく男性の向かいの席に腰を下ろした。
「よかったな」
男性がぼそりと呟くので、「はい」と神妙に頷いた。
やがて玄関がチャイムもなく開き、「カ、カヤー?」と怯えたようなウソップさんの声が聞こえて慌てて席を立った。
*
タクシーを呼びなさいという家主の言葉を丁寧に辞して、代わりに持って帰りなさいと買いだしてきてくれた飲み物や食べ物を紙袋ごとごっそりと渡される。
それらを全部ウソップさんが両手にぶら下げて運んでくれた。
駅までの短い道のりとはいえ、1リットルのスポーツドリンクが2本入った紙袋を抱えてウソップさんは汗をかいていた。
「私持つわ」
「ん? おお、いいよ気にすんな。それよりおめーなんでまた発作なんて」
最近全然なかったろ、とウソップさんは私の背中に声をかける。
私は両手の塞がった彼の代わりに切符を買いながら、「そうね、久しぶりで私も驚いた」と言った。
「そうねっておめー、ちゃんと診てもらえよ」
「うん」
改札をくぐり、ホームに上がるとすぐに電車が来た。
開いている二人分の座席にすとんとはまり込むように座る。
「あいついーやつだったな! 最初おめーの携帯に出たときはおっそろしー声だわ見た目もおっそろしーわで参ったけど」
はっは、とウソップさんは明るく笑って、紙袋の中を覗き込んだ。
「こりゃ熱出たときのラインナップな気もするが、ありがたくもらっとけよー。おめーどうせすぐ熱出すから」
「最近あんまりないわ」
「そうかぁ? 今日のことがあっとあんまり信用ならねェけどな」
「──ごめんなさい、迎えに来てもらって」
「はー? なに謝ってんだ。気にすんなよ、それにいつものことだしな。ま、今回は久々っつったら久々……」
「もう迎えに来てくれなくてもいいわ」
は? とウソップさんは丸い目をもっと丸くして、なんで? と尋ねた。
「迷惑だし……」
「はー? 何言ってんだ今更。おれが迎えに来なきゃだれが迎えにくんだ。おめーんちみんないそがしいだろ」
「タクシーで帰れるわ」
「お前一人でタクシーなんて乗ったことあんのか? 金の払い方わかるか?」
「わからないけど! ウソップさんはいっつも何かあればすぐに来てくれるから」
「それがなんかわりーのか?」
咄嗟に隣の彼を見上げると、彼は心底わからないと言う顔で私を見下ろしていた。
「急にわかんねぇこと言うなよー。いいっつってんだからいいじゃん。おめーになんかあったときはおれに任せろ」
「なんで……」
「は? なんでもなにも」
がたん、と電車が大きく揺れた。
肩がぶつかり、彼の抱えた紙袋ががさりと音を立てる。
向かいの網棚に乗っていた皮のカバンがごとんと横倒しになって、中からクリアファイルが少しはみ出していた。
「──明日から実習だから、今日ついでに借りてた本返すわね」
「ん、おお、読んだかあれ。めちゃくちゃ面白れぇだろ。職場で流行っててよー、原作が今度映画に」
止まらない彼の話を聞くともなしに聞きながら、網棚のカバンからファイルが少しずつ大きくはみ出ていくのを眺めていた。
──胸が潰れてしまう。
今日彼が来てから何度感じたかわからないこの感触が、もう発作を呼ぶことはなかった。
ただ常習化したみたいに、ほのかな痛みだけがあった。
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