OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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*twitterでいただいたネタで、ゾロたしです。
手に提げた小さな袋から、甘いにおいがする。
目の眩むほど遠い昔のように思えるが、まだ道場に通っていたころ、時折近所の民家から昼過ぎにこんな匂いがすることがあった。
粉と砂糖のシンプルな焼き菓子のにおいだ。
袋は薄水色のリボンで結んであった。薄茶色と濃い茶色の丸い菓子が二種類ころころと入っていた。
船までの人通りの少ない道を歩きながら袋を開け、一つ口に放り込んだ。
ガリッと硬い音がして、ざらざらと口の中で砕けた。ものすごく甘い。
船のコックが作った似たような菓子はよく昼のおやつで出てくるが、まったく違う種類の食いもんじゃないかと思った。
コックが作ったものは噛むときに歯が砕けそうな音はしないし、舌の上でいつの間にかなくなってしまう。口に入れる瞬間なんかしら砂糖ではない匂いがして、後味にあまり甘さが残らない。完ぺきに形取られていて、薄く焼き色がついたそれは見た目にも美味そうなのだ。
対してこれは作ったやつの指のあとまで分かるようである。
──硬ェな、と思いながらがりぼりと噛んでいたら、中身があと2つになっていた。
濃い茶色のやつがうまい、と思ったところで、そういやなんの警戒もなく食っちまったがまさか毒でも入ってんじゃねぇだろうなと少々ハッとする。
ハッとすると同時に、あの分厚い眼鏡の向こう側にある目を思い出した。
「あっお前なに食ってんだ!?」
唐突にルフィが角を曲がったところから現れた。
あやうくぶつかりかけて立ち止まったが、ルフィはむしろぶつかる勢いでゾロの元まで詰め寄ると、その手に握る小さな袋に熱い視線を注いできた。
「菓子? クッキー? 珍しいな」
「おう」
「どうしたんだ、それ、買ったのか? いいなー」
くれ、くれ、とでかい黒目が叫んでいる。
咄嗟にズボンのポケットに袋を押し込んだ。
「もらいもんだ。それよりお前昨日の肉屋行くっつってたじゃねェか。骨付き肉売り切れちまうぞ」
「あっおう今から行くところだ! ゾロは船帰んのか? この道まっすぐだぞ!」
「うるせぇなわかってるよ」
じゃーなー! と既に走って遠ざかるルフィの声が背中にぶつかる。
おう、と短く答えて船の方を向き直ると、今度は見慣れた黒いスーツの男がぶらぶらとこちらへ歩いてくるのが見えた。
サンジは手にした小さなメモに視線を落として、なにやら考え込んでいる様子だ。
黙ってすれ違おうとする間際、気付いて顔を上げたサンジと目が合った。
「お、剣士様のおかえりか。よく一人で帰ってこれたな」
「んだよその言い草は」
にやにやとサンジは髭を撫でながら笑って、
「おれぁこれからおれを待ちわびてるレディたちに愛を貰いに行くんだがよ、テメェは侘しく手ぶらだな」
「はぁ?」
「唐変木のテメェにゃ用のないイベントだろうがな、今日はレディが甘いチョコレートと一緒に愛を告白する日なのさ」
「んだそりゃ」
言ってから、ぴんときた。
やけに甘いあの匂いが自分の手から香っていた。
無意識に袋を押し込んだ左ポケットに手をやると、目ざとくサンジが目を留めて「なんか飛び出してんぞ」と言った。
「ハッまさかお前」
「あぁそういやこれ、そういう日だからか」
がさっと袋を出すと、サンジが胸ぐらをつかむ勢いで詰め寄って来た。
「テメェそりゃどこのレディから奪ってきやがった! それを持って可愛いレディが今日どこかの幸せな野郎に愛を伝えに行くはずだっつーのに!」
「あぁ!? 誰が奪ったつった、もらいもんだ!」
「どこのレディがお前なんぞにくれるってんだわきまえろクソマリモ!」
「馬鹿野郎、あの海軍の女剣士だ、テメェがいうような意味があるわけねェだろ!」
離れろ阿呆、とサンジを突き放すと、サンジは若干よろめきつつ数歩後ろに下がった。
引き攣った顔で、「まさかたしぎちゃんが」と呟いている。
サンジに掴まれたせいでよれた襟元を直しながら、中身の残り少ない袋に目を落とした。
サンジが言うような意味はこれっぽっちもたしぎは口にしなかった。
むしろ嫌そうに、決まり悪そうに、押し付けるようだった。
さんざ追いかけっこして、一二度剣を交えて、振り払って逃げようとした矢先、呼ばれた。
──ロロノア! 待ちなさい、ロロノア! ちょっ……待って!
切羽詰まった口調につい振り返ると、たしぎはずれた眼鏡を直しながら立ち上がり、腰に付けたポーチからごそごそと何かを取り出した。
けつまずきながら、立ち止まるゾロの元まで足早に近寄ると、ぎゅっと手元にこれを押し付けた。
せわしく眼鏡を指先で上げながら、たしぎは俯きがちに口を動かす。
「ああああああげます」
「あぁ!? なんだこりゃ」
「いいんです気にしないで、さっさと受け取って適当に食べてください」
「はぁ、どういうつもりだ」
「いいですか、ここでは見逃しますが、あなたたち一味を必ずこの島で捕えますから! 逃げられると思わないでください!」
勢いよく啖呵を切ると、さっきまで追いかけまわしていたくせにこんどはたしぎの方が逃げるようにゾロの元から立ち去って行った。
ラッピングされたクッキーと一緒に残されたゾロには、なにがなんだかである。
サンジは頭痛に耐えるように額を押さえ、「よし、よし、わかった。たしぎちゃんがお前にバレンタインのお菓子を『義理で』渡したっつーことは今なんとか理解した」と一人早口に呟いた。
「バレ?」
「いいか」
またもやずいとサンジが寄って来たので、思わず身を引く。
「義理だろうとなんだろうと、レディから今日この日お菓子をもらっちまったからには、テメェは必ずお返しをしなきゃならねぇ」
「はぁ?」
「テメェは男のくせに感謝の意を素直に表すこともできねぇのか? どうせそれもらったときに礼の一つも言えてねぇんだろ」
そういえばそうである。
ぐ、と押し黙ると、サンジは腹の立つ顔でハンと鼻を鳴らして笑った。
「本来なら一か月後にお返しをするもんだがな、あいにく明日出航の予定で次いつたしぎちゃんに会えるかわかんねぇんだろ。海軍がいるとなりゃナミさんは早く船を出すっつーだろうし……お前お返しのアテあんのか」
「んなもんあるわけねぇだろ」
「ハーーったくたしぎちゃんはなんでこんなマリモ」
「うるせぇな、じゃあなんか買ってこりゃいいんだろ」
「おうそうだ、きちんと彼女が喜ぶものを見繕えよ」
「酒か?」
ガスッと太腿の辺りを蹴られた。
「クソかテメェは、そりゃお前が喜ぶもんだろうが」
「おれがあいつの喜ぶもんを知ってるわけねぇだろ!」
「んじゃ手作りでもなんでもしてなんとか彼女を喜ばせろ!」
手作り。
コックが作るのか? と一瞬思ったが、すぐにいやちがうおれが作るのか、と思い直す。
想像だにできない作業だが、いいかもしれねぇな、と思った。
思ったのは、たぶん、たしぎにもらったこの菓子を食ったときの、あの作り手の温度がわかるような近さが案外よいもんだということを、ついさっき感じたばかりだったからだ。
「じゃあ教えろ」
「は?」
「教えろ。菓子。おれが作る」
*
船で待ってろと言い渡され、船に戻るとパラソルの下でウソップがなにやら背中を丸めて手元を覗き込んでいた。
おれの方を見もせず「おけーりー」と言う。
おうと答えてキッチンへ向かうと、ウソップが「サンジいねぇぞ、さっき出てった」と言った。
「すれ違ったから知ってる」
「あそー」
誰もいないキッチンに入り、椅子を引いて座った。
もう一度ポケットから袋を出し、机の上に置く。
中身はあと一つだ。
もう一つあったはずだったのに、サンジに食われたのである。
──お前それ、一個渡せ、おれに食わせろ。
──はぁ? なんで。
──悪いこと言わねェから一個食わせろ。教えろっつったのテメェだろ。
しぶしぶ一つをサンジに手渡すと、サンジはためらいなくクッキーを口に放り込んだ。
ガリッ、ジャリッ、ザリッと派手な音が、サンジの口から聞こえる。
しかしサンジは顔色一つ変えず、どこか遠くのゾロには見えないものを見ているような顔つきでクッキーを噛み締め、ゆっくりと飲みこんだ。
──よしわかった。しゃーねぇからおれが材料揃えて来てやる。お前は船で待ってろ。
そのままサンジはまっすぐ街の方へ、ゾロは言われるがまま船に戻った。
手持無沙汰で、酒、と思ったが、酒臭くしているとコックが帰って来たときにまたうるさいんじゃないかと勘が働いて、珍しく自粛しようと腰を下ろした。
ぼーっとしていると寝てしまいそうで、船を漕ぎかけるたびに「ロロノア!」と呼んだ甲高い女の声がこだまして、ハッと目が覚める。
何度かそれを繰り返しているうちに、サンジが帰ってきた。
「おうなんだ、いやに大人しくしてんじゃねぇか」
「テメェが待ってろつったんだろうが」
「おうおういい子だな……っと、よし早速始めるから手ェ洗え。洗剤で、肘までよく洗え。汚いからなテメェは」
「んだと」
噛みつこうとしてもしっしとあしらわれ、やり場のない腹立ちをぶくぶくと腹の中で煮えたぎらせたままどすどすと手洗い場に向かい、手を洗った。
言われた通り肘まで洗った。
ダイニングテーブルまで戻ると、サンジが買い物袋の中身をテーブルの上に広げている。
広げる、と言って、袋から出てきたのはバターがひとつ、それだけだった。
「あいにくこいつだけ切らしてたからな。買ってきた」
「これだけか」
「小麦粉・牛乳・砂糖は船にもうある」
「そんだけでいいのか」
「いい」
スパッと言い渡されると、「そうか」と身を引くしかなかった。
コックがおやつを作るときは、もっと、なんかよくわからない小瓶やらなにやらを駆使しているのように見えたのだが。
「なにを作る」
「あぁ、スコーンだ……っと、お前これ付けろ、エプロン」
顔に放り出された布を受け取って広げる。
紐がどうなっているのかよくわからずなんだか窮屈な感じになったが、とりあえず背中の方で結ぶことができた。
サンジはエプロンをつけたゾロを確かめると、一瞬何か言いたげな顔をしたが、「ん……まぁいいわ」とキッチンの方へ顔を向けた。
サンジはテーブルを挟んで向かい側に仁王立ちする。
「よしまず材料を量るところからだ。そこの量りでまず小麦粉を100g量れ」
「100gってどんだけだ」
「だからそれを量りで量るんだろうが!」
サンジが指さした器具をテーブルまで持ってきて、置く。
ここに小麦粉を乗せればいいのか、と小麦粉の袋を掴んだら、「待て、待て」と声が飛んだ。
「お前まさか直に小麦粉はかりにぶちまける気じゃねェだろな。まず量りにボウルを乗せろ。そんでメモリをゼロに合わせるんだ」
「あぁ」
成程、と一番でかいボウルをはかりに乗せたら、「あー待て」と少し小ぶりのボウルに変えられる。
メモリをゼロにしてから中に小麦粉をぶちまけた。
高いところから落としたせいで、ぶわっと一気に視界が煙った。
「うおっ、テメェもったいねェ入れ方すんな! メモリを見ながら慎重に入れろ!」
「入れすぎたならあとから戻しゃいいじゃねぇか」
「効率悪いし材料が湿気る! あークソ」
サンジは小刻みに革靴で床を叩きながら、身体の前で腕を組んだ。
こちらもうるせぇこと言うなほっとけと言い放ちたいところだが、ほっとかれたら途方に暮れるのはこちらなので、どうしようもない。
入れ過ぎた小麦粉はスプーンで袋に戻した。
「100gだ」
「よし、同じようにバターと砂糖も量れ」
言われた分量を、小さなボウルに入れて量る。
今度は特にサンジがうるさくせず、うまくできた。
「よし、じゃあこのボウルにバターと砂糖を入れて、ひたすら混ぜろ。お前のそのありあまった腕力使え。器具壊すなよ」
へらと一番大きいボウルを渡された。
ざっとバターを砂糖の上にぶちまける。
へらをバターに差してみたが、少し硬くてこねにくい。
ぐりぐりとまわしていたら、やがてバターがクリームのようにまったりと広がってきた。
「混ぜたぞ」
「アホウ、まだまだだ。もっと混ぜろ。白くなるまでだ」
「バターは黄色っぽいじゃねぇか」
「混ぜると白くもっとふわっとなんだよ!」
これが? と思いながらぐるぐると混ぜ続ける。バターが固いうちはなかなか力仕事だと思ったが、続けているうちにボウルの中が柔らかく、そして白く軽くなってきた。
「おぉ、やらけぇ」
「そうだ、もう少し続けろ」
器具がときおりボウルにカツンとぶつかる音と、サンジが煙を吐く浅い音だけが聞こえた。
持久走をしているみたいな爽快感があった。
「ん、よしもういい。んじゃ牛乳はかれ。三回に分けて入れて、入れるたびによく混ぜろ」
言われた通り量ったところまではよかったが、牛乳を入れる間際に「一気に入れるなよ」と言われて手が止まった。
三回に分けろと言われていたのを忘れて一気に入れるところだった。
だまってチョロチョロと牛乳を注いだ。
混ぜて、またもやサンジに言われた通りふるった粉を2回に分けてクリーム状のかたまりに入れていく。
せっかく混ぜてやわらかくなったクリームが、粉を含んでもったりと重い手ごたえとなってきた。
「混ぜすぎんなよ」
「どれくらいだ」
「もっと切るように手を動かせ」
「んなことしたら本当に斬れちまうだろうが」
その言葉にサンジからはなにも返事が返ってこなかったが、特に気にならなかったので顔も上げなかった。
切るように、でも斬らないように、と頭の中でぶつぶつ言いながら手を動かした。
「よし、もういい。ラップして冷蔵庫で寝かせるぞ」
「寝んのか? こいつが?」
「いいから冷蔵庫入れろ」
教え方がぞんざいになってきた、質問に応えやがらねェ、と腑に落ちない気持ちでボウルを冷蔵庫にしまった。
振り向くと、道具入れからサンジが銀色の丸いカップを4つその手にわしづかんでいた。
「型か」
「おう……あーでもどうすっかなー、これより小さいのねェしなぁ」
「あれをそこに入れるんだろ。その大きさでいいじゃねぇか」
いや、とサンジは型をかつかつその手の中でぶつけながら、考えるように上を向いた。
「おめぇのあれじゃ、おそらくたいして膨らまねェから。たぶんこの型じゃ深すぎる」
「あァ? 言われた通りにやったじゃねぇか」
「おう、あれでいい、膨らまなくていいんだ」
どういうこったと目を眇めると、サンジは「お前さぁ」と上を向いたまま言った。
「たしぎちゃんのあれ、あのクッキー、どうだった」
「あァ? 話変えんな」
「変わってねェよ。どうだった。味は。においは。食感は。おれがいつも作るヤツとくらべてどうだった」
「そりゃテメェ」
たしぎの菓子は、端が崩れていて、やたらとガリガリ硬く、砂糖の甘さが舌に残って、まずかねぇけど、コックのとは違う。
それを言葉にするのを一瞬戸惑った隙に、サンジが「おれのとはちがうだろ。当たり前だけど」と掬うように言った。
「おれが作ると、テメェに作らせたやつでもある程度は上手くできる。彼女のよりもはるかにな。テメェも上手にできたおれの菓子を渡してェわけじゃねぇだろ」
レディのプライドの守り方くらいそろそろわきまえた方がいいんじゃねぇの、とサンジは言った。
口を開いて何か言おうとしたが、咄嗟に出てくる言葉を見失うその隙にまたサンジが「んまこれでいいわ。ブサイクな形のができてちょうどいいだろ」
押し付けるように手渡されたそれを受け取った。
サンジがゾロの前に立ち、なにも持たない手で空をなぞって型にバターを薄く塗るそのやり方を教示する。
塗りすぎだアホ、と何度か言われ、そのたびになにかしら口答えして、たった4つの型にバターを塗るだけの作業で少し汗をかいた。
覗き込むように下を向いていたので首が痛い。
「んじゃ、さっきの生地をそこにいれて、あとは焼くだけだ」
少しだけひんやりしたボウルから生地をどろっと流し込む。
バターの乳くささがふっと浮かび上がった。
うまそうだな、と思う。
オーブンに型をよっつ均等に並べ、言われた通りタイマーをセットし、火を入れた。
「おっし、まぁなんとかなるだろ。んじゃ調理器具洗っとけ。おれは一服してくる」
反駁するより早くサンジはさっさとキッチンを出ていって、ふと目についたテーブルの上はごちゃごちゃと汚れていた。
こんなにもある、と面倒くささが先に立ったがなぜだかあんまり厭わしくない。
黙々と器具をシンクに運び、ガツガツと洗った。
机の上が片付くと心なしかさっぱりして、無酸素運動をしたあと詰めていた息を吐き出したときに似ていた。
ウーと低くオーブンがうなっている。
覗き込んだが暗くて中はよく見えない。
見えないのにオーブンの前にしゃがみこんで、褐色の影に沈んだその中をじっと見ていた。
甘い匂いがしてきた。
たしぎにもらったクッキーのにおいに似ていた。
それはやっぱり、コックが作る菓子のにおいとは少し違って、とてもシンプルなにおいだった。
すきだ。
おれはこのにおいがわりとすきだ、と思う。
唐突に背中の扉が開き、サンジが戻ってきた。
オーブンの前にしゃがみこむゾロの背中を見つけて、「ぶ」と口を腕で押さえて吹き出した。
「かーわいー。上手く焼けるか心配してんだ」
「あァ!?」
「まぁそういきり立つな。心配しねェでも失敗しやしねぇよ」
そう言った矢先、タイマーがじじじじじと鳴って思わず叩きつけるようにして音を止めた。
「ほらさっさと火ィ止めろ」と急かされて、あわてて火を消す。
オーブンのドアを開けると、熱気と濃い焼き菓子のにおいが流れ出して足首の辺りを温めるようにまとわりついた。
「素手で持つなよ」とミトンを渡されて、暗がりの中から天板を引っ張りだす。
薄茶色の焦げ目が4つ、綺麗に見えていた。
「んま上出来じゃないの」
頭上で見下ろすサンジが言う。
コンロの上に天板を置き、サンジが指し示したケーキクーラーの上にころころと型をころがした。
ぽこんと中身を取り出すと、ふわっと柔らかいパンのような丸が転がり出てきた。
カップに入れたものよりほんの少し大きくなった程度だ。
「もっと膨らむはずだったのか」
「あ? まぁお前がアホの様にぐるぐる最後混ぜやがったからな。まぁおれにとっちゃ予想通りの出来だ」
悪かねェよ、と言いながらサンジは浅い四角の皿を差し出してきた。
「冷めると多少締まってスコーンらしくなるけども、せっかく近くにいるんだ。焼き立て食ってもらえよ」
皿の上にスコーンを転がし、ほかほかと立つ湯気を目で追う。
これ、おれが作ったのか、と気付けば口走っていた。
「は? そうじゃねぇか。もう忘れたのか」
「おれぁ言われたことをしただけだ」
はぁ、とサンジは気の抜けた声を出して目を丸めた。
「レシピ本みて作るのとなにがちげーんだ。本見て作ったら自分で作ったんじゃなくて本が作ったことになんのか。ちげーだろ」
いいからさっさと渡してこいグズグズすんな、とケツを軽く蹴られる。
こんの野郎、と歯を剥いて振り返ったら、めちゃくちゃに洗った際へし折った泡だて器にサンジがちょうど目を留めたところだったので、すかさずキッチンから滑り出た。
甲板には帰ってきたときにいたウソップがいなくなり、がらんと空いていた。
*
ゾロを認めた途端、たしぎがさっと刀に手を掛けた。
答えるように手が伸びかけたが右手が皿でふさがっていて咄嗟に動けなかった。
町はずれの裏道だ。
ぽつぽつと町の人間が歩いている。
すれ違う人がときおりたしぎに声をかけ、挨拶をした。
そのたびにたしぎは律儀に頭を下げて答える。それを近づきながら見ていた。
戦闘心のないゾロを不可解げに見つめて、たしぎも刀から手を離す。
「……なにか。なんですかそれは」
「食え。礼だ」
礼? と首をひねってから、たしぎはぎゃっと短く叫んで飛びのいた。
「ああああアレのことですか? もういいんですすみません食べました!?忘れてください!」
「食った」
「すみませんヒナさんに教えてもらったレシピの通りに作ったはずが、私メモを見間違えたみたいで砂糖を入れ過ぎて……あとなぜだかものすごく硬くなってあの」
いいから、と言葉を遮って、皿をたしぎの鼻先に突き出した。
やっとたしぎの焦点が皿の上の焼き菓子に定まって、「これは」と呟く。
「礼だ」
「あなたが……作った? のですか?」
「おう」
「いま? さっき?」
「そうだっつってんだろ。いいから食ってみろ」
ちらっと小動物のような目がゾロを仰ぎ見て、スコーンに止まり、またゾロを見てから、おそるおそると言った態でたしぎの手が伸びてきた。
「あつっ」
まだ湯気が立つそれを指先でつまみ、たしぎはゾロがクッキーを口にした時と同じようにためらいなくかぷりとスコーンに噛り付いた。
「あふっ、あ、熱い! あ、でも」
おいしい、と口を押さえ、目を丸くして、たしぎが言う。
「おいしいです。ロロノア、これ」
「そうか」
言いながら、どこかつっかえが外れたような心地よさが腹の辺りに広がるのを感じた。
ふ、と唐突にたしぎが笑み零れた。
「おかしい、ついさっき渡したばかりなのに、もうお礼なんて。しかもあなたがお菓子作り」
「ばっ……笑うな!」
「だって……しかもこれ、あなたの船の食器ですか? お皿ごと持ってくるなんて」
ふ、ふ、と口を押えて笑ってから、たしぎがまた一口スコーンに噛り付く。
そのタイミングで身体が動いた。
たしぎが噛り付いたその反対側を、同じように噛ってやる。
思いもよらない──でもたしかに確信犯的に、至近距離で目が合った。
ぽろっとたしぎが落としかけたスコーンを慌ててゾロが受け止める。
「なっ……たっ……」
「ぼちぼち食える味だ」
「食べないでください!」
「ハァ!?」
「私があなたにもらったんですから! 勝手に食べないでください!」
「おれがやったやつなんだからいいだろうが!」
「ダメです! 一度貰ったら私のものなんだから許可を取りなさい!」
「ケチケチすんな!」
たしぎの代わりにもっていたスコーンの残りをばくっと一口で口に納めると、「ギャー」と悲鳴を上げてたしぎが飛びついてきた。
「なんてことを! 非道! 極悪人! 私のなのに!」
口の中でもそもそとする粉っぽいのを飲み込んで、やっぱりあんまり美味くはねェかもなと考える。
飲みこんで、「まだあるだろが」と皿を差し出したら皿ごとさっと奪われた。
そのまま背を向けてスコーンの皿を隠される。
この野郎と言いかけたら、「これは」と背を向けたままたしぎが遮った。
「飲み物が欲しくなります」
「あ? あー、確かに」
「紅茶がいいと思います。あと、ジャムやクリームをつけたらもっと美味しいかと」
はぁ、と相槌ともつかない声をこぼす。
「それらが美味しいお店を知っていますが」
「連れてってくれんのか?」
「あなたが勝手についてくるということにしてください。でないと私の立場が」
あやうい……と消え入りそうな声で言うのに思わず噴き出したら、「人の気も知らないで」と肩越しに睨まれた。
唐突にたしぎが歩き出したので、言われた通り勝手についてきていると思われたら癪だと思い大股で横に並ぶ。
「あの、これ」
「あ?」
「冷めたらすごく硬くなりそうですね」
「うるせっ、テメェが言うな!」
あははっ、とたしぎが口をあけて笑った。
ぎょっとして、その顔をまじまじと見下ろした。
見られていることに気付いていないたしぎは皿を大事そうに両手でささげ持ち、ふんふん、とほんの一小節ほどの鼻唄をおそらく無意識に歌った。
その顔を初めて誰に似ていると思うでもなく、いいなと思った。
「ここ、あなたの指のあとがついてる」とたしぎが、スコーンのへこみを嬉しそうに指でなぞった。
手に提げた小さな袋から、甘いにおいがする。
目の眩むほど遠い昔のように思えるが、まだ道場に通っていたころ、時折近所の民家から昼過ぎにこんな匂いがすることがあった。
粉と砂糖のシンプルな焼き菓子のにおいだ。
袋は薄水色のリボンで結んであった。薄茶色と濃い茶色の丸い菓子が二種類ころころと入っていた。
船までの人通りの少ない道を歩きながら袋を開け、一つ口に放り込んだ。
ガリッと硬い音がして、ざらざらと口の中で砕けた。ものすごく甘い。
船のコックが作った似たような菓子はよく昼のおやつで出てくるが、まったく違う種類の食いもんじゃないかと思った。
コックが作ったものは噛むときに歯が砕けそうな音はしないし、舌の上でいつの間にかなくなってしまう。口に入れる瞬間なんかしら砂糖ではない匂いがして、後味にあまり甘さが残らない。完ぺきに形取られていて、薄く焼き色がついたそれは見た目にも美味そうなのだ。
対してこれは作ったやつの指のあとまで分かるようである。
──硬ェな、と思いながらがりぼりと噛んでいたら、中身があと2つになっていた。
濃い茶色のやつがうまい、と思ったところで、そういやなんの警戒もなく食っちまったがまさか毒でも入ってんじゃねぇだろうなと少々ハッとする。
ハッとすると同時に、あの分厚い眼鏡の向こう側にある目を思い出した。
「あっお前なに食ってんだ!?」
唐突にルフィが角を曲がったところから現れた。
あやうくぶつかりかけて立ち止まったが、ルフィはむしろぶつかる勢いでゾロの元まで詰め寄ると、その手に握る小さな袋に熱い視線を注いできた。
「菓子? クッキー? 珍しいな」
「おう」
「どうしたんだ、それ、買ったのか? いいなー」
くれ、くれ、とでかい黒目が叫んでいる。
咄嗟にズボンのポケットに袋を押し込んだ。
「もらいもんだ。それよりお前昨日の肉屋行くっつってたじゃねェか。骨付き肉売り切れちまうぞ」
「あっおう今から行くところだ! ゾロは船帰んのか? この道まっすぐだぞ!」
「うるせぇなわかってるよ」
じゃーなー! と既に走って遠ざかるルフィの声が背中にぶつかる。
おう、と短く答えて船の方を向き直ると、今度は見慣れた黒いスーツの男がぶらぶらとこちらへ歩いてくるのが見えた。
サンジは手にした小さなメモに視線を落として、なにやら考え込んでいる様子だ。
黙ってすれ違おうとする間際、気付いて顔を上げたサンジと目が合った。
「お、剣士様のおかえりか。よく一人で帰ってこれたな」
「んだよその言い草は」
にやにやとサンジは髭を撫でながら笑って、
「おれぁこれからおれを待ちわびてるレディたちに愛を貰いに行くんだがよ、テメェは侘しく手ぶらだな」
「はぁ?」
「唐変木のテメェにゃ用のないイベントだろうがな、今日はレディが甘いチョコレートと一緒に愛を告白する日なのさ」
「んだそりゃ」
言ってから、ぴんときた。
やけに甘いあの匂いが自分の手から香っていた。
無意識に袋を押し込んだ左ポケットに手をやると、目ざとくサンジが目を留めて「なんか飛び出してんぞ」と言った。
「ハッまさかお前」
「あぁそういやこれ、そういう日だからか」
がさっと袋を出すと、サンジが胸ぐらをつかむ勢いで詰め寄って来た。
「テメェそりゃどこのレディから奪ってきやがった! それを持って可愛いレディが今日どこかの幸せな野郎に愛を伝えに行くはずだっつーのに!」
「あぁ!? 誰が奪ったつった、もらいもんだ!」
「どこのレディがお前なんぞにくれるってんだわきまえろクソマリモ!」
「馬鹿野郎、あの海軍の女剣士だ、テメェがいうような意味があるわけねェだろ!」
離れろ阿呆、とサンジを突き放すと、サンジは若干よろめきつつ数歩後ろに下がった。
引き攣った顔で、「まさかたしぎちゃんが」と呟いている。
サンジに掴まれたせいでよれた襟元を直しながら、中身の残り少ない袋に目を落とした。
サンジが言うような意味はこれっぽっちもたしぎは口にしなかった。
むしろ嫌そうに、決まり悪そうに、押し付けるようだった。
さんざ追いかけっこして、一二度剣を交えて、振り払って逃げようとした矢先、呼ばれた。
──ロロノア! 待ちなさい、ロロノア! ちょっ……待って!
切羽詰まった口調につい振り返ると、たしぎはずれた眼鏡を直しながら立ち上がり、腰に付けたポーチからごそごそと何かを取り出した。
けつまずきながら、立ち止まるゾロの元まで足早に近寄ると、ぎゅっと手元にこれを押し付けた。
せわしく眼鏡を指先で上げながら、たしぎは俯きがちに口を動かす。
「ああああああげます」
「あぁ!? なんだこりゃ」
「いいんです気にしないで、さっさと受け取って適当に食べてください」
「はぁ、どういうつもりだ」
「いいですか、ここでは見逃しますが、あなたたち一味を必ずこの島で捕えますから! 逃げられると思わないでください!」
勢いよく啖呵を切ると、さっきまで追いかけまわしていたくせにこんどはたしぎの方が逃げるようにゾロの元から立ち去って行った。
ラッピングされたクッキーと一緒に残されたゾロには、なにがなんだかである。
サンジは頭痛に耐えるように額を押さえ、「よし、よし、わかった。たしぎちゃんがお前にバレンタインのお菓子を『義理で』渡したっつーことは今なんとか理解した」と一人早口に呟いた。
「バレ?」
「いいか」
またもやずいとサンジが寄って来たので、思わず身を引く。
「義理だろうとなんだろうと、レディから今日この日お菓子をもらっちまったからには、テメェは必ずお返しをしなきゃならねぇ」
「はぁ?」
「テメェは男のくせに感謝の意を素直に表すこともできねぇのか? どうせそれもらったときに礼の一つも言えてねぇんだろ」
そういえばそうである。
ぐ、と押し黙ると、サンジは腹の立つ顔でハンと鼻を鳴らして笑った。
「本来なら一か月後にお返しをするもんだがな、あいにく明日出航の予定で次いつたしぎちゃんに会えるかわかんねぇんだろ。海軍がいるとなりゃナミさんは早く船を出すっつーだろうし……お前お返しのアテあんのか」
「んなもんあるわけねぇだろ」
「ハーーったくたしぎちゃんはなんでこんなマリモ」
「うるせぇな、じゃあなんか買ってこりゃいいんだろ」
「おうそうだ、きちんと彼女が喜ぶものを見繕えよ」
「酒か?」
ガスッと太腿の辺りを蹴られた。
「クソかテメェは、そりゃお前が喜ぶもんだろうが」
「おれがあいつの喜ぶもんを知ってるわけねぇだろ!」
「んじゃ手作りでもなんでもしてなんとか彼女を喜ばせろ!」
手作り。
コックが作るのか? と一瞬思ったが、すぐにいやちがうおれが作るのか、と思い直す。
想像だにできない作業だが、いいかもしれねぇな、と思った。
思ったのは、たぶん、たしぎにもらったこの菓子を食ったときの、あの作り手の温度がわかるような近さが案外よいもんだということを、ついさっき感じたばかりだったからだ。
「じゃあ教えろ」
「は?」
「教えろ。菓子。おれが作る」
*
船で待ってろと言い渡され、船に戻るとパラソルの下でウソップがなにやら背中を丸めて手元を覗き込んでいた。
おれの方を見もせず「おけーりー」と言う。
おうと答えてキッチンへ向かうと、ウソップが「サンジいねぇぞ、さっき出てった」と言った。
「すれ違ったから知ってる」
「あそー」
誰もいないキッチンに入り、椅子を引いて座った。
もう一度ポケットから袋を出し、机の上に置く。
中身はあと一つだ。
もう一つあったはずだったのに、サンジに食われたのである。
──お前それ、一個渡せ、おれに食わせろ。
──はぁ? なんで。
──悪いこと言わねェから一個食わせろ。教えろっつったのテメェだろ。
しぶしぶ一つをサンジに手渡すと、サンジはためらいなくクッキーを口に放り込んだ。
ガリッ、ジャリッ、ザリッと派手な音が、サンジの口から聞こえる。
しかしサンジは顔色一つ変えず、どこか遠くのゾロには見えないものを見ているような顔つきでクッキーを噛み締め、ゆっくりと飲みこんだ。
──よしわかった。しゃーねぇからおれが材料揃えて来てやる。お前は船で待ってろ。
そのままサンジはまっすぐ街の方へ、ゾロは言われるがまま船に戻った。
手持無沙汰で、酒、と思ったが、酒臭くしているとコックが帰って来たときにまたうるさいんじゃないかと勘が働いて、珍しく自粛しようと腰を下ろした。
ぼーっとしていると寝てしまいそうで、船を漕ぎかけるたびに「ロロノア!」と呼んだ甲高い女の声がこだまして、ハッと目が覚める。
何度かそれを繰り返しているうちに、サンジが帰ってきた。
「おうなんだ、いやに大人しくしてんじゃねぇか」
「テメェが待ってろつったんだろうが」
「おうおういい子だな……っと、よし早速始めるから手ェ洗え。洗剤で、肘までよく洗え。汚いからなテメェは」
「んだと」
噛みつこうとしてもしっしとあしらわれ、やり場のない腹立ちをぶくぶくと腹の中で煮えたぎらせたままどすどすと手洗い場に向かい、手を洗った。
言われた通り肘まで洗った。
ダイニングテーブルまで戻ると、サンジが買い物袋の中身をテーブルの上に広げている。
広げる、と言って、袋から出てきたのはバターがひとつ、それだけだった。
「あいにくこいつだけ切らしてたからな。買ってきた」
「これだけか」
「小麦粉・牛乳・砂糖は船にもうある」
「そんだけでいいのか」
「いい」
スパッと言い渡されると、「そうか」と身を引くしかなかった。
コックがおやつを作るときは、もっと、なんかよくわからない小瓶やらなにやらを駆使しているのように見えたのだが。
「なにを作る」
「あぁ、スコーンだ……っと、お前これ付けろ、エプロン」
顔に放り出された布を受け取って広げる。
紐がどうなっているのかよくわからずなんだか窮屈な感じになったが、とりあえず背中の方で結ぶことができた。
サンジはエプロンをつけたゾロを確かめると、一瞬何か言いたげな顔をしたが、「ん……まぁいいわ」とキッチンの方へ顔を向けた。
サンジはテーブルを挟んで向かい側に仁王立ちする。
「よしまず材料を量るところからだ。そこの量りでまず小麦粉を100g量れ」
「100gってどんだけだ」
「だからそれを量りで量るんだろうが!」
サンジが指さした器具をテーブルまで持ってきて、置く。
ここに小麦粉を乗せればいいのか、と小麦粉の袋を掴んだら、「待て、待て」と声が飛んだ。
「お前まさか直に小麦粉はかりにぶちまける気じゃねェだろな。まず量りにボウルを乗せろ。そんでメモリをゼロに合わせるんだ」
「あぁ」
成程、と一番でかいボウルをはかりに乗せたら、「あー待て」と少し小ぶりのボウルに変えられる。
メモリをゼロにしてから中に小麦粉をぶちまけた。
高いところから落としたせいで、ぶわっと一気に視界が煙った。
「うおっ、テメェもったいねェ入れ方すんな! メモリを見ながら慎重に入れろ!」
「入れすぎたならあとから戻しゃいいじゃねぇか」
「効率悪いし材料が湿気る! あークソ」
サンジは小刻みに革靴で床を叩きながら、身体の前で腕を組んだ。
こちらもうるせぇこと言うなほっとけと言い放ちたいところだが、ほっとかれたら途方に暮れるのはこちらなので、どうしようもない。
入れ過ぎた小麦粉はスプーンで袋に戻した。
「100gだ」
「よし、同じようにバターと砂糖も量れ」
言われた分量を、小さなボウルに入れて量る。
今度は特にサンジがうるさくせず、うまくできた。
「よし、じゃあこのボウルにバターと砂糖を入れて、ひたすら混ぜろ。お前のそのありあまった腕力使え。器具壊すなよ」
へらと一番大きいボウルを渡された。
ざっとバターを砂糖の上にぶちまける。
へらをバターに差してみたが、少し硬くてこねにくい。
ぐりぐりとまわしていたら、やがてバターがクリームのようにまったりと広がってきた。
「混ぜたぞ」
「アホウ、まだまだだ。もっと混ぜろ。白くなるまでだ」
「バターは黄色っぽいじゃねぇか」
「混ぜると白くもっとふわっとなんだよ!」
これが? と思いながらぐるぐると混ぜ続ける。バターが固いうちはなかなか力仕事だと思ったが、続けているうちにボウルの中が柔らかく、そして白く軽くなってきた。
「おぉ、やらけぇ」
「そうだ、もう少し続けろ」
器具がときおりボウルにカツンとぶつかる音と、サンジが煙を吐く浅い音だけが聞こえた。
持久走をしているみたいな爽快感があった。
「ん、よしもういい。んじゃ牛乳はかれ。三回に分けて入れて、入れるたびによく混ぜろ」
言われた通り量ったところまではよかったが、牛乳を入れる間際に「一気に入れるなよ」と言われて手が止まった。
三回に分けろと言われていたのを忘れて一気に入れるところだった。
だまってチョロチョロと牛乳を注いだ。
混ぜて、またもやサンジに言われた通りふるった粉を2回に分けてクリーム状のかたまりに入れていく。
せっかく混ぜてやわらかくなったクリームが、粉を含んでもったりと重い手ごたえとなってきた。
「混ぜすぎんなよ」
「どれくらいだ」
「もっと切るように手を動かせ」
「んなことしたら本当に斬れちまうだろうが」
その言葉にサンジからはなにも返事が返ってこなかったが、特に気にならなかったので顔も上げなかった。
切るように、でも斬らないように、と頭の中でぶつぶつ言いながら手を動かした。
「よし、もういい。ラップして冷蔵庫で寝かせるぞ」
「寝んのか? こいつが?」
「いいから冷蔵庫入れろ」
教え方がぞんざいになってきた、質問に応えやがらねェ、と腑に落ちない気持ちでボウルを冷蔵庫にしまった。
振り向くと、道具入れからサンジが銀色の丸いカップを4つその手にわしづかんでいた。
「型か」
「おう……あーでもどうすっかなー、これより小さいのねェしなぁ」
「あれをそこに入れるんだろ。その大きさでいいじゃねぇか」
いや、とサンジは型をかつかつその手の中でぶつけながら、考えるように上を向いた。
「おめぇのあれじゃ、おそらくたいして膨らまねェから。たぶんこの型じゃ深すぎる」
「あァ? 言われた通りにやったじゃねぇか」
「おう、あれでいい、膨らまなくていいんだ」
どういうこったと目を眇めると、サンジは「お前さぁ」と上を向いたまま言った。
「たしぎちゃんのあれ、あのクッキー、どうだった」
「あァ? 話変えんな」
「変わってねェよ。どうだった。味は。においは。食感は。おれがいつも作るヤツとくらべてどうだった」
「そりゃテメェ」
たしぎの菓子は、端が崩れていて、やたらとガリガリ硬く、砂糖の甘さが舌に残って、まずかねぇけど、コックのとは違う。
それを言葉にするのを一瞬戸惑った隙に、サンジが「おれのとはちがうだろ。当たり前だけど」と掬うように言った。
「おれが作ると、テメェに作らせたやつでもある程度は上手くできる。彼女のよりもはるかにな。テメェも上手にできたおれの菓子を渡してェわけじゃねぇだろ」
レディのプライドの守り方くらいそろそろわきまえた方がいいんじゃねぇの、とサンジは言った。
口を開いて何か言おうとしたが、咄嗟に出てくる言葉を見失うその隙にまたサンジが「んまこれでいいわ。ブサイクな形のができてちょうどいいだろ」
押し付けるように手渡されたそれを受け取った。
サンジがゾロの前に立ち、なにも持たない手で空をなぞって型にバターを薄く塗るそのやり方を教示する。
塗りすぎだアホ、と何度か言われ、そのたびになにかしら口答えして、たった4つの型にバターを塗るだけの作業で少し汗をかいた。
覗き込むように下を向いていたので首が痛い。
「んじゃ、さっきの生地をそこにいれて、あとは焼くだけだ」
少しだけひんやりしたボウルから生地をどろっと流し込む。
バターの乳くささがふっと浮かび上がった。
うまそうだな、と思う。
オーブンに型をよっつ均等に並べ、言われた通りタイマーをセットし、火を入れた。
「おっし、まぁなんとかなるだろ。んじゃ調理器具洗っとけ。おれは一服してくる」
反駁するより早くサンジはさっさとキッチンを出ていって、ふと目についたテーブルの上はごちゃごちゃと汚れていた。
こんなにもある、と面倒くささが先に立ったがなぜだかあんまり厭わしくない。
黙々と器具をシンクに運び、ガツガツと洗った。
机の上が片付くと心なしかさっぱりして、無酸素運動をしたあと詰めていた息を吐き出したときに似ていた。
ウーと低くオーブンがうなっている。
覗き込んだが暗くて中はよく見えない。
見えないのにオーブンの前にしゃがみこんで、褐色の影に沈んだその中をじっと見ていた。
甘い匂いがしてきた。
たしぎにもらったクッキーのにおいに似ていた。
それはやっぱり、コックが作る菓子のにおいとは少し違って、とてもシンプルなにおいだった。
すきだ。
おれはこのにおいがわりとすきだ、と思う。
唐突に背中の扉が開き、サンジが戻ってきた。
オーブンの前にしゃがみこむゾロの背中を見つけて、「ぶ」と口を腕で押さえて吹き出した。
「かーわいー。上手く焼けるか心配してんだ」
「あァ!?」
「まぁそういきり立つな。心配しねェでも失敗しやしねぇよ」
そう言った矢先、タイマーがじじじじじと鳴って思わず叩きつけるようにして音を止めた。
「ほらさっさと火ィ止めろ」と急かされて、あわてて火を消す。
オーブンのドアを開けると、熱気と濃い焼き菓子のにおいが流れ出して足首の辺りを温めるようにまとわりついた。
「素手で持つなよ」とミトンを渡されて、暗がりの中から天板を引っ張りだす。
薄茶色の焦げ目が4つ、綺麗に見えていた。
「んま上出来じゃないの」
頭上で見下ろすサンジが言う。
コンロの上に天板を置き、サンジが指し示したケーキクーラーの上にころころと型をころがした。
ぽこんと中身を取り出すと、ふわっと柔らかいパンのような丸が転がり出てきた。
カップに入れたものよりほんの少し大きくなった程度だ。
「もっと膨らむはずだったのか」
「あ? まぁお前がアホの様にぐるぐる最後混ぜやがったからな。まぁおれにとっちゃ予想通りの出来だ」
悪かねェよ、と言いながらサンジは浅い四角の皿を差し出してきた。
「冷めると多少締まってスコーンらしくなるけども、せっかく近くにいるんだ。焼き立て食ってもらえよ」
皿の上にスコーンを転がし、ほかほかと立つ湯気を目で追う。
これ、おれが作ったのか、と気付けば口走っていた。
「は? そうじゃねぇか。もう忘れたのか」
「おれぁ言われたことをしただけだ」
はぁ、とサンジは気の抜けた声を出して目を丸めた。
「レシピ本みて作るのとなにがちげーんだ。本見て作ったら自分で作ったんじゃなくて本が作ったことになんのか。ちげーだろ」
いいからさっさと渡してこいグズグズすんな、とケツを軽く蹴られる。
こんの野郎、と歯を剥いて振り返ったら、めちゃくちゃに洗った際へし折った泡だて器にサンジがちょうど目を留めたところだったので、すかさずキッチンから滑り出た。
甲板には帰ってきたときにいたウソップがいなくなり、がらんと空いていた。
*
ゾロを認めた途端、たしぎがさっと刀に手を掛けた。
答えるように手が伸びかけたが右手が皿でふさがっていて咄嗟に動けなかった。
町はずれの裏道だ。
ぽつぽつと町の人間が歩いている。
すれ違う人がときおりたしぎに声をかけ、挨拶をした。
そのたびにたしぎは律儀に頭を下げて答える。それを近づきながら見ていた。
戦闘心のないゾロを不可解げに見つめて、たしぎも刀から手を離す。
「……なにか。なんですかそれは」
「食え。礼だ」
礼? と首をひねってから、たしぎはぎゃっと短く叫んで飛びのいた。
「ああああアレのことですか? もういいんですすみません食べました!?忘れてください!」
「食った」
「すみませんヒナさんに教えてもらったレシピの通りに作ったはずが、私メモを見間違えたみたいで砂糖を入れ過ぎて……あとなぜだかものすごく硬くなってあの」
いいから、と言葉を遮って、皿をたしぎの鼻先に突き出した。
やっとたしぎの焦点が皿の上の焼き菓子に定まって、「これは」と呟く。
「礼だ」
「あなたが……作った? のですか?」
「おう」
「いま? さっき?」
「そうだっつってんだろ。いいから食ってみろ」
ちらっと小動物のような目がゾロを仰ぎ見て、スコーンに止まり、またゾロを見てから、おそるおそると言った態でたしぎの手が伸びてきた。
「あつっ」
まだ湯気が立つそれを指先でつまみ、たしぎはゾロがクッキーを口にした時と同じようにためらいなくかぷりとスコーンに噛り付いた。
「あふっ、あ、熱い! あ、でも」
おいしい、と口を押さえ、目を丸くして、たしぎが言う。
「おいしいです。ロロノア、これ」
「そうか」
言いながら、どこかつっかえが外れたような心地よさが腹の辺りに広がるのを感じた。
ふ、と唐突にたしぎが笑み零れた。
「おかしい、ついさっき渡したばかりなのに、もうお礼なんて。しかもあなたがお菓子作り」
「ばっ……笑うな!」
「だって……しかもこれ、あなたの船の食器ですか? お皿ごと持ってくるなんて」
ふ、ふ、と口を押えて笑ってから、たしぎがまた一口スコーンに噛り付く。
そのタイミングで身体が動いた。
たしぎが噛り付いたその反対側を、同じように噛ってやる。
思いもよらない──でもたしかに確信犯的に、至近距離で目が合った。
ぽろっとたしぎが落としかけたスコーンを慌ててゾロが受け止める。
「なっ……たっ……」
「ぼちぼち食える味だ」
「食べないでください!」
「ハァ!?」
「私があなたにもらったんですから! 勝手に食べないでください!」
「おれがやったやつなんだからいいだろうが!」
「ダメです! 一度貰ったら私のものなんだから許可を取りなさい!」
「ケチケチすんな!」
たしぎの代わりにもっていたスコーンの残りをばくっと一口で口に納めると、「ギャー」と悲鳴を上げてたしぎが飛びついてきた。
「なんてことを! 非道! 極悪人! 私のなのに!」
口の中でもそもそとする粉っぽいのを飲み込んで、やっぱりあんまり美味くはねェかもなと考える。
飲みこんで、「まだあるだろが」と皿を差し出したら皿ごとさっと奪われた。
そのまま背を向けてスコーンの皿を隠される。
この野郎と言いかけたら、「これは」と背を向けたままたしぎが遮った。
「飲み物が欲しくなります」
「あ? あー、確かに」
「紅茶がいいと思います。あと、ジャムやクリームをつけたらもっと美味しいかと」
はぁ、と相槌ともつかない声をこぼす。
「それらが美味しいお店を知っていますが」
「連れてってくれんのか?」
「あなたが勝手についてくるということにしてください。でないと私の立場が」
あやうい……と消え入りそうな声で言うのに思わず噴き出したら、「人の気も知らないで」と肩越しに睨まれた。
唐突にたしぎが歩き出したので、言われた通り勝手についてきていると思われたら癪だと思い大股で横に並ぶ。
「あの、これ」
「あ?」
「冷めたらすごく硬くなりそうですね」
「うるせっ、テメェが言うな!」
あははっ、とたしぎが口をあけて笑った。
ぎょっとして、その顔をまじまじと見下ろした。
見られていることに気付いていないたしぎは皿を大事そうに両手でささげ持ち、ふんふん、とほんの一小節ほどの鼻唄をおそらく無意識に歌った。
その顔を初めて誰に似ていると思うでもなく、いいなと思った。
「ここ、あなたの指のあとがついてる」とたしぎが、スコーンのへこみを嬉しそうに指でなぞった。
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