OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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唇を離してサンジ君は私の顔をじっと見た。目を逸らさずに堪えたら、サンジ君はおもむろに立ち上がって「トイレ、と、会計もしてくる」と言って席を立った。
ふるりと揺れた唇に中指の先で触れた。
お酒の味と煙草の香りがした気がしていたけど、本当はそんなのわからなかったのかもしれないと思う。だって、もう跡形もない。サンジくんの味と香りを私が想像しただけだ。
触れただけの幼いキスに、まるで道に迷ったみたいに胸がざわついた。
サンジ君はなかなか戻ってこなかった。ぽんと放り出されたみたいな心もとない気持ちになる。たぶん五分も経っていないだろうに、少し腰を浮かせて辺りを見渡した。暖色の灯りで浮かび上がったフロアを、サンジ君がこちらに向かって歩いてくる。
「おまたせ」
「出る?」
そうだね、といってサンジ君が椅子に掛けていたジャケットを手に取ったので私も立ち上がる。机に手をついて立つと、ふらついてもいないのにサンジ君が私の二の腕に触れた。そのやわらかさに、サンジ君の触れ方のやわらかさというより彼が触れた私の腕のやわらかさにお互いびっくりしたみたいに見つめ合った。
つやつやと光る、綺麗な目だった。糸みたいに細い金色の髪は、暗がりではグレーがかって見えた。少し垂れた一重の目が、何かを言いたげにもどかしそうにじっと動かない。
息を吸うのも苦しいような数秒が気まずい。そっけなく「なに」と口からこぼれた。
「足元段差、気を付けて」
下を向くと、テーブルのすぐ下のフロアは彼の言うとおり一段下がっていた。あ、うんと色気のない返事をして、注意深く一段下りた。
店を出てすぐ、さりげなく腕時計で時間を確かめると二二時半を回ろうとしている。少し飲むだけなんて言って、二軒目に行って、あまつさえキスまでして、この時間。私には遅くも早くもなかった。
不意にサンジ君がぐいと私の腰に手を回し、歩き出した。サンジ君にしては強引な仕草だと感じて、「サンジ君にしては」ってなんだと苦笑してしまう。彼の何を知ってるつもりでいるんだろう。
腰に触れるサンジ君の指が熱い。
「ナミさん明日、休みだっけ」これまた唐突にサンジ君が尋ねた。
「うん、二連休」
「そっか」
それだけ言って、サンジ君は歩き続ける。どこへ向かっているのだろうと考えるまでもなく、足は駅の方へ向かっている。いつも通りだ。
このままなかったことになるのかな、とふと思い、それがさみしいと感じていることにひっかかる。さみしいと思う権利なんて私には。
「ナミさんおれ」
サンジ君の方を振り仰ぐ。サンジ君はちらりと私を見下ろして、真面目な顔つきのまままた前を向いてしまう。
「このまま押しゃあナミさんと一晩過ごすくらいできんじゃねぇかなって今思ってる」
「は、あ?」
間の抜けた声が出た。軽く流して小突くには受け止めすぎてしまったのだ。
「んでも、やめとくわ」
そう言ってサンジ君はこちらを見た。笑っていた。曖昧な、目元だけゆるく下げた、震えそうな口元。
「できちまうかもしれねぇけど、ナミさんがいいやって思ってくれるなら食いついちまいてェんだけど、おれ、特別になりたいんだよ」
ナミさんの特別になりたい、とサンジ君はわざとはっきりと発音した。
「とくべつ」
「ナミさんの中のそいつが今は特別なのかもしれねェけど、おれはおれのやり方で差別化をはかる。ナミさんが大事にしたくなるような特別を目指す。だから、ナミさんが押されたら一晩過ごしてもいいかなって思えるようなその辺の男とは違うってことを、今体現してみせる」
そう言い切って、サンジ君はぎゅっと口元を引き結んだ。
同時に信号に差し掛かり、それを目の端で確かめた彼は足を止めた。
私はぽかんとして、それからふつふつとわき上がる笑いをこらえきれずに口元を緩めてしまった。それを見たサンジ君が、つられたようにふにゃりと笑う。
「面白かった?」
「っていうか、それ自分で全部説明するんだと思って」
「口で言わなきゃおれのかっこいいところわかってもらえねーじゃん」
ふふっとついに吹き出すと、笑わないでくれよーとサンジ君がふざけて私の腰に当てた手をぐしゃぐしゃと動かした。くすぐったくて身をよじり、「ちょ、やめて」と笑いながら彼の手を押しのける。あははっとサンジ君も声をだして笑い、はぁ、と二人同時に息をついたその瞬間にぐいと引き寄せられた。
彼の鎖骨が間近に迫る。こめかみのあたりにサンジ君の呼気がかかり、ただ一言、「好きだ」と吹き込まれた。
うん、と答えて目を閉じると、少しずつ身体の奥の方へ、砂時計みたいに彼の言葉が落ちていった。
*
開け放した窓を閉め、クーラーのリモコンを積み上げられたカタログとカタログの間から抜き出してついに電源を入れた。カタカタと使い古されたプラスチックが震える音がする。
外の音が遮断されて、部屋の中はより一層扇風機の回る音でいっぱいになった。
「あついね」とサンジ君に返事を打つ。
こんなどうでもいいこと、なんで休みの日にまでわざわざと思っていた。でもそんなわざわざ行う小さな行為の一つずつに私は確かに救われていて、そのときだけはきちんとサンジ君のことを考える。
サンジ君から間髪入れずに返事が来て、「おれは今新しいシューズを見に来ています。ナミさんは?」と問われる。
私は立ち上がりながら汗でぬれたTシャツを剥ぎ取り、お風呂場に向かう。心の中でサンジ君に返事をする。
「今から友達とご飯を食べに行くわ」
シャワーを浴びて冷えた部屋で着替え、化粧をし、と支度をしていたら携帯が震え、サンジ君かなと思うが心の中で返事をしただけで実際にメールを返していなかったことを思い出す。そのときの着信はビビだった。
少し遅れそうだという彼女にゆっくりでいいよと言って、私も電車を一本送らせる算段をつけながらサンジ君にさっきの返事を実際に送り返した。
こういう、一つのことを考えながら違うことをできてしまう自分の器用さを少しだけうとましく思う。
もっと不器用に足掻くことができたら何事も楽だろうにと思いながら、長い髪を掬い上げてひとつに結った。
遅れると言ったにもかかわらず、ビビは約束の駅前で私より先に待っていた。
「早いじゃない」
「思ったよりキリよく終わらせられたの。それより今日は急にごめんなさい、せっかくの休みだったのに」
「なに言ってんの、休みだからこうして会うんじゃない。ほら行こ、おなかすいちゃった」
せかすように背中を突くと、ビビは嬉しそうに笑いながら歩き出した。
「いつこっちに着いたの?」
「昨日の夜。すぐそこのホテルに泊まってて」
ビビは私が大学時代を過ごした街に住んでいる。今日は仕事の都合で私の街まで来たのだという。大学で出会った友人で今でも付き合いがあるのは彼女だけだし、離れているにもかかわらずビビが仕事だと言って数か月に一度はやってくるので懐かしさはない。その馴れ合いをむずがゆくも嬉しく思うのは多分私だけじゃない。
「ナミさん忙しいの? なんだか痩せたわね」
「それ最近すごい言われるんだけど、まずいわね、やつれてるんだわ」
隣を歩くビビがじっと覗き込むように私の顔を見つめて「そうねえ」と真面目な顔で検分するので、「やめて」と顔を背けた。ビビはあははと悪びれずに笑って、「今日は美味しいものいっぱい食べて、英気を養って!」とはつらつと言った。
私の住む街なのにビビが予約を入れてくれたてんぷら屋さんで、私たちは美しく整った木目のカウンター席に座ってワインボトルの栓を抜いた。
「てんぷらなのにワイン? どきどきするわね」とビビが子犬のように目を見開いてグラスに注がれる赤い液体を眺めている。
乾杯、と口だけで呟いてグラスに口をつけた。カウンターの向こうで、じゅわっとてんぷらの揚がる元気な音が高く聞こえてくる。
「家でごはん食べてる?」とビビが訊く。私は曖昧に頷いて、それから首を振る。
「自炊してるのかって言う意味なら、あんまり」
「普通の時間に帰れてる? エナジーバーみたいなのかじるだけじゃだめなんだから」
「お母さんみたいなこと言うのね」
心配してるのに! と頬を膨らませるビビを笑っていなしながら、お母さんがそんなことを本当に言うものなのか知らないけど、言ってくれたらいいなぁと思った。
そういえば、サンジ君もよく私に似たようなことを言った。ごはん食べてる? 終電までに帰れるの? 夜道一人であるいちゃだめだよ。
「今ちがう人のこと考えてたでしょ」
「え」
どきっとして真横からビビの顔を見つめてしまった。ビビは口の片側だけを上げた小憎たらしい顔で私を見つめ返し、「図星だ」と笑った。
「まー私といるのに違う男のこと考えるなんてナミさんたら、妬けちゃう」
「なに言ってんの」
「前にナミさんが言ったのよ、私に」
そうだっけ、と目を丸める。ビビは「そうよ」といやにはっきり頷いて、「で」と何かを促した。
「誰のこと考えてたの? 聞かせて」
ビビがテーブルに肘をついて私に顔を向ける。そのタイミングで頼んだものたちがどんと目の前の一段高いカウンターに置かれた。
シンプルなアルミのバットにてんぷらが二つずつ。
しいたけ、まぐろ、うにをのりで巻いたやつ、アボカド、たまご。
ビビはそれらを手元に引き寄せてわぁと子供みたいに歓声を上げた。
「たまごって珍しくない? 食べたら爆発しそう」
「それを言うならアボカドも珍しいと思うけど。とりあえず」
いただきます、と声を合わせててんぷらにかぶりついた。まずは無難なしいたけから。さくっと軽快な歯切れのあと、じゅわっとだし汁が染みだした。
「あっ美味しい」
「たまごも! 半熟だー」
ビビがうれしそうに口から湯気をはく。二人同時にワイングラスに手を伸ばし、同じタイミングでまたテーブルに戻した。
「それで?」
「あんた意外としつこいのね」
「知ってたでしょ」
うん、と笑ってから口を開きかけ、あれ、私今誰のこと話そうとしてたんだっけと一瞬わからなくなった。
誰にも話したことのない話がある。話してしまえば相手も自分も確実に傷つくからだ。ときどき無性に誰かに聞いてほしい気分にならないこともなかったが、一度話してしまえばついた傷は広がる一方だとわかっていたし、話したからと言って私の気分が晴れるとも相手が聞いて楽しいとも思えなかった。
でも私、いまサンジ君のこと話そうとしてた。ビビがきらきらした目で私の話を待っている。話し終えたら「まぁ」と口を丸めるだろう。嬉しそうに私を小突くだろう。私はちょっと俯いて、怒ったみたいに「そんなんじゃないし」と言うんだ、とそんなことまで分かってしまう。
そんななんでもないことをしたいと思ったことなんてただの一度もなかったのに、それがすごく素敵なことに思える。
だってずっとできなかったから。
誰かに手放しで好きになってもらっているんだと友達に少し自慢げに話ができるなんて、私にはもうやってこないとどこかで思っていたのだ。
「ナミさん?」
ビビが少し眉を寄せて私の顔を覗き込む。
「あんまり言いたくなかった? その、なにか難しいの?」
ビビなりに気を遣ったその言い方が可笑しくて吹き出すと、ビビはさっと顔を赤らめて「なによ」と言った。
「ごめ、別にむずかしいことはなくて」
私はさらさらとワインを飲むみたいに、サンジ君のことを話した。仕事場で出会ったこと、一緒に外回りをして、ごはんを食べたこと、一緒の仕事が終わっても連絡を取り合って会っていること。キスをしたこと。
「まぁ」
想像通りの顔でビビは口元を丸くして、嬉しそうに「やったわね」と言った。
「やったのかな」
「やったーでしょう。いい人なんでしょ、いやなの? 変な顔なの?」
「変な顔ってあんた、ちがうけど。ちがうけど……」
「わかった。ナミさん他に好きな人がいたんでしょ。で、揺れてるんだ」
黙ってビビのグラスにワインを注ぐ。ビビはにやつきながらその様子を眺めている。
「いいと思うけどなー、その人。着実にナミさんとの距離を縮めてこようとする感じ。好感が持てる」
ビビは私からボトルを受け取り、私のグラスに注いでくれる。
「知ってるの? ナミさんが他に好きな人がいること」
「知ってる」
言ってから、ビビの発言を認めてしまったことに気付いた。けれどビビはそんなことにかまったふうもなく「本気で奪う気じゃないの」と真面目な目で手元のてんぷらを見つめながら言った。
「それでナミさんはなにか悩んでるの?」
「え」
「そのサンジさんはなにかナミさんを困らせてるの?」
「別に……」
あははっとビビが明るく笑うのでびっくりして彼女を見つめると、ビビは手元のメニュー表を指差して追加でえびのてんぷらを注文した。ナミさんも食べるでしょ? と言うのでとりあえず頷く。
メニュー表を戻したビビはグラスを手元に寄せながら、「びっくりした、痩せちゃうくらいつらい恋なのかと思ったから」と言う。
そんなことない、と言い返しかけて、自分の細い手首を見下ろしてどうしてこんなふうになってしまったのかと考え込んだ。
ビビと食べるこの店のてんぷらは驚くほどおいしい。ワインもつるっと一本空こうとしている。
でもふとある人を思い出す一瞬が心に入り込むと、途端に何もかもが身体の中を通り抜けていくだけになってしまうのだ。栄養も、美味しさも、全部通り抜けてもっと別の何かにしがみつくので精いっぱいになる。
サンジ君はそれを許さない。いっこずつ私の食べるものに意味を与えて、私の力にしようとする。
会いたい、と初めて思った。誰かの代わりにするのではなく、サンジ君に会いたい。
「いいなぁ私も、もう少し痩せたい」とビビが間の抜けたことを言うので、思わず考えていたことを忘れてふはっと笑ってしまった。
ビビは怒ったように「まずいのよ。仕事が遅くてもたっぷりごはんつくって待ってるんだもの。帰ったら食べちゃうでしょ」と自分の二の腕の辺りをさすった。ビビの家には大勢の従者に侍女、それに専属のコックなんかがいるのだ。
「あの人たち、私がずっと成長期のままだと思ってるのよ。食欲がないなんて言ったら病気かって騒ぎ出すし」
ぷりぷりしながら揚げたてのてんぷらに齧り付くビビの頬はつやつやと綺麗で、きっと毎日ごはんは美味しいのだろうと思った。
その後ボトルを二本空け、足取りの緩いビビを駅前のホテルまで送り届けるさなか、ビビが足取りと同じくらいゆるい口調で「ナミさん」と言った。
「私また会いに来るわ」
「うん。来て来て。私も行くから」
「次また痩せてたらゆるさない」
酔っぱらいの頼りない喋り方のくせに、妙に迫力のある声だった。気圧されたように私はうんと言う。
「ナミさんが好きな人と上手くいくといいなって思う。でも」
そう言ったきりビビが口を開かなくなったので、歩きながら寝ちゃったんじゃないかと心配になって彼女の腕を取った。ビビはゆったりと私にもたれかかるみたいにして、歩きにくそうに歩きながら、「でも」ともう一度言った。
「ナミさんを好きになった人のこと、ナミさんも好きになるといいなとも思う」
言葉に詰まって、ただビビの腕を支えて前に進んだ。駅前に着いたところでどこからともなくビビの家の人が現れて、ああやっぱりと思う。その人に丁重に礼を言われ、私は半分眠ったみたいなビビに「じゃあね」と言ってホームに向かった。
郊外に向かう週末の電車は混んでいて、運良く空いた席に滑り込むように座った。
たたんたたんと不規則に揺れる電車に身体を預けて目を閉じ、うとうととまどろむ。お腹の辺りが温かかった。
私を好きになった人のことを、私も好きになりたい。
そんなの、私だってずっと思っている。
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ふるりと揺れた唇に中指の先で触れた。
お酒の味と煙草の香りがした気がしていたけど、本当はそんなのわからなかったのかもしれないと思う。だって、もう跡形もない。サンジくんの味と香りを私が想像しただけだ。
触れただけの幼いキスに、まるで道に迷ったみたいに胸がざわついた。
サンジ君はなかなか戻ってこなかった。ぽんと放り出されたみたいな心もとない気持ちになる。たぶん五分も経っていないだろうに、少し腰を浮かせて辺りを見渡した。暖色の灯りで浮かび上がったフロアを、サンジ君がこちらに向かって歩いてくる。
「おまたせ」
「出る?」
そうだね、といってサンジ君が椅子に掛けていたジャケットを手に取ったので私も立ち上がる。机に手をついて立つと、ふらついてもいないのにサンジ君が私の二の腕に触れた。そのやわらかさに、サンジ君の触れ方のやわらかさというより彼が触れた私の腕のやわらかさにお互いびっくりしたみたいに見つめ合った。
つやつやと光る、綺麗な目だった。糸みたいに細い金色の髪は、暗がりではグレーがかって見えた。少し垂れた一重の目が、何かを言いたげにもどかしそうにじっと動かない。
息を吸うのも苦しいような数秒が気まずい。そっけなく「なに」と口からこぼれた。
「足元段差、気を付けて」
下を向くと、テーブルのすぐ下のフロアは彼の言うとおり一段下がっていた。あ、うんと色気のない返事をして、注意深く一段下りた。
店を出てすぐ、さりげなく腕時計で時間を確かめると二二時半を回ろうとしている。少し飲むだけなんて言って、二軒目に行って、あまつさえキスまでして、この時間。私には遅くも早くもなかった。
不意にサンジ君がぐいと私の腰に手を回し、歩き出した。サンジ君にしては強引な仕草だと感じて、「サンジ君にしては」ってなんだと苦笑してしまう。彼の何を知ってるつもりでいるんだろう。
腰に触れるサンジ君の指が熱い。
「ナミさん明日、休みだっけ」これまた唐突にサンジ君が尋ねた。
「うん、二連休」
「そっか」
それだけ言って、サンジ君は歩き続ける。どこへ向かっているのだろうと考えるまでもなく、足は駅の方へ向かっている。いつも通りだ。
このままなかったことになるのかな、とふと思い、それがさみしいと感じていることにひっかかる。さみしいと思う権利なんて私には。
「ナミさんおれ」
サンジ君の方を振り仰ぐ。サンジ君はちらりと私を見下ろして、真面目な顔つきのまままた前を向いてしまう。
「このまま押しゃあナミさんと一晩過ごすくらいできんじゃねぇかなって今思ってる」
「は、あ?」
間の抜けた声が出た。軽く流して小突くには受け止めすぎてしまったのだ。
「んでも、やめとくわ」
そう言ってサンジ君はこちらを見た。笑っていた。曖昧な、目元だけゆるく下げた、震えそうな口元。
「できちまうかもしれねぇけど、ナミさんがいいやって思ってくれるなら食いついちまいてェんだけど、おれ、特別になりたいんだよ」
ナミさんの特別になりたい、とサンジ君はわざとはっきりと発音した。
「とくべつ」
「ナミさんの中のそいつが今は特別なのかもしれねェけど、おれはおれのやり方で差別化をはかる。ナミさんが大事にしたくなるような特別を目指す。だから、ナミさんが押されたら一晩過ごしてもいいかなって思えるようなその辺の男とは違うってことを、今体現してみせる」
そう言い切って、サンジ君はぎゅっと口元を引き結んだ。
同時に信号に差し掛かり、それを目の端で確かめた彼は足を止めた。
私はぽかんとして、それからふつふつとわき上がる笑いをこらえきれずに口元を緩めてしまった。それを見たサンジ君が、つられたようにふにゃりと笑う。
「面白かった?」
「っていうか、それ自分で全部説明するんだと思って」
「口で言わなきゃおれのかっこいいところわかってもらえねーじゃん」
ふふっとついに吹き出すと、笑わないでくれよーとサンジ君がふざけて私の腰に当てた手をぐしゃぐしゃと動かした。くすぐったくて身をよじり、「ちょ、やめて」と笑いながら彼の手を押しのける。あははっとサンジ君も声をだして笑い、はぁ、と二人同時に息をついたその瞬間にぐいと引き寄せられた。
彼の鎖骨が間近に迫る。こめかみのあたりにサンジ君の呼気がかかり、ただ一言、「好きだ」と吹き込まれた。
うん、と答えて目を閉じると、少しずつ身体の奥の方へ、砂時計みたいに彼の言葉が落ちていった。
*
開け放した窓を閉め、クーラーのリモコンを積み上げられたカタログとカタログの間から抜き出してついに電源を入れた。カタカタと使い古されたプラスチックが震える音がする。
外の音が遮断されて、部屋の中はより一層扇風機の回る音でいっぱいになった。
「あついね」とサンジ君に返事を打つ。
こんなどうでもいいこと、なんで休みの日にまでわざわざと思っていた。でもそんなわざわざ行う小さな行為の一つずつに私は確かに救われていて、そのときだけはきちんとサンジ君のことを考える。
サンジ君から間髪入れずに返事が来て、「おれは今新しいシューズを見に来ています。ナミさんは?」と問われる。
私は立ち上がりながら汗でぬれたTシャツを剥ぎ取り、お風呂場に向かう。心の中でサンジ君に返事をする。
「今から友達とご飯を食べに行くわ」
シャワーを浴びて冷えた部屋で着替え、化粧をし、と支度をしていたら携帯が震え、サンジ君かなと思うが心の中で返事をしただけで実際にメールを返していなかったことを思い出す。そのときの着信はビビだった。
少し遅れそうだという彼女にゆっくりでいいよと言って、私も電車を一本送らせる算段をつけながらサンジ君にさっきの返事を実際に送り返した。
こういう、一つのことを考えながら違うことをできてしまう自分の器用さを少しだけうとましく思う。
もっと不器用に足掻くことができたら何事も楽だろうにと思いながら、長い髪を掬い上げてひとつに結った。
遅れると言ったにもかかわらず、ビビは約束の駅前で私より先に待っていた。
「早いじゃない」
「思ったよりキリよく終わらせられたの。それより今日は急にごめんなさい、せっかくの休みだったのに」
「なに言ってんの、休みだからこうして会うんじゃない。ほら行こ、おなかすいちゃった」
せかすように背中を突くと、ビビは嬉しそうに笑いながら歩き出した。
「いつこっちに着いたの?」
「昨日の夜。すぐそこのホテルに泊まってて」
ビビは私が大学時代を過ごした街に住んでいる。今日は仕事の都合で私の街まで来たのだという。大学で出会った友人で今でも付き合いがあるのは彼女だけだし、離れているにもかかわらずビビが仕事だと言って数か月に一度はやってくるので懐かしさはない。その馴れ合いをむずがゆくも嬉しく思うのは多分私だけじゃない。
「ナミさん忙しいの? なんだか痩せたわね」
「それ最近すごい言われるんだけど、まずいわね、やつれてるんだわ」
隣を歩くビビがじっと覗き込むように私の顔を見つめて「そうねえ」と真面目な顔で検分するので、「やめて」と顔を背けた。ビビはあははと悪びれずに笑って、「今日は美味しいものいっぱい食べて、英気を養って!」とはつらつと言った。
私の住む街なのにビビが予約を入れてくれたてんぷら屋さんで、私たちは美しく整った木目のカウンター席に座ってワインボトルの栓を抜いた。
「てんぷらなのにワイン? どきどきするわね」とビビが子犬のように目を見開いてグラスに注がれる赤い液体を眺めている。
乾杯、と口だけで呟いてグラスに口をつけた。カウンターの向こうで、じゅわっとてんぷらの揚がる元気な音が高く聞こえてくる。
「家でごはん食べてる?」とビビが訊く。私は曖昧に頷いて、それから首を振る。
「自炊してるのかって言う意味なら、あんまり」
「普通の時間に帰れてる? エナジーバーみたいなのかじるだけじゃだめなんだから」
「お母さんみたいなこと言うのね」
心配してるのに! と頬を膨らませるビビを笑っていなしながら、お母さんがそんなことを本当に言うものなのか知らないけど、言ってくれたらいいなぁと思った。
そういえば、サンジ君もよく私に似たようなことを言った。ごはん食べてる? 終電までに帰れるの? 夜道一人であるいちゃだめだよ。
「今ちがう人のこと考えてたでしょ」
「え」
どきっとして真横からビビの顔を見つめてしまった。ビビは口の片側だけを上げた小憎たらしい顔で私を見つめ返し、「図星だ」と笑った。
「まー私といるのに違う男のこと考えるなんてナミさんたら、妬けちゃう」
「なに言ってんの」
「前にナミさんが言ったのよ、私に」
そうだっけ、と目を丸める。ビビは「そうよ」といやにはっきり頷いて、「で」と何かを促した。
「誰のこと考えてたの? 聞かせて」
ビビがテーブルに肘をついて私に顔を向ける。そのタイミングで頼んだものたちがどんと目の前の一段高いカウンターに置かれた。
シンプルなアルミのバットにてんぷらが二つずつ。
しいたけ、まぐろ、うにをのりで巻いたやつ、アボカド、たまご。
ビビはそれらを手元に引き寄せてわぁと子供みたいに歓声を上げた。
「たまごって珍しくない? 食べたら爆発しそう」
「それを言うならアボカドも珍しいと思うけど。とりあえず」
いただきます、と声を合わせててんぷらにかぶりついた。まずは無難なしいたけから。さくっと軽快な歯切れのあと、じゅわっとだし汁が染みだした。
「あっ美味しい」
「たまごも! 半熟だー」
ビビがうれしそうに口から湯気をはく。二人同時にワイングラスに手を伸ばし、同じタイミングでまたテーブルに戻した。
「それで?」
「あんた意外としつこいのね」
「知ってたでしょ」
うん、と笑ってから口を開きかけ、あれ、私今誰のこと話そうとしてたんだっけと一瞬わからなくなった。
誰にも話したことのない話がある。話してしまえば相手も自分も確実に傷つくからだ。ときどき無性に誰かに聞いてほしい気分にならないこともなかったが、一度話してしまえばついた傷は広がる一方だとわかっていたし、話したからと言って私の気分が晴れるとも相手が聞いて楽しいとも思えなかった。
でも私、いまサンジ君のこと話そうとしてた。ビビがきらきらした目で私の話を待っている。話し終えたら「まぁ」と口を丸めるだろう。嬉しそうに私を小突くだろう。私はちょっと俯いて、怒ったみたいに「そんなんじゃないし」と言うんだ、とそんなことまで分かってしまう。
そんななんでもないことをしたいと思ったことなんてただの一度もなかったのに、それがすごく素敵なことに思える。
だってずっとできなかったから。
誰かに手放しで好きになってもらっているんだと友達に少し自慢げに話ができるなんて、私にはもうやってこないとどこかで思っていたのだ。
「ナミさん?」
ビビが少し眉を寄せて私の顔を覗き込む。
「あんまり言いたくなかった? その、なにか難しいの?」
ビビなりに気を遣ったその言い方が可笑しくて吹き出すと、ビビはさっと顔を赤らめて「なによ」と言った。
「ごめ、別にむずかしいことはなくて」
私はさらさらとワインを飲むみたいに、サンジ君のことを話した。仕事場で出会ったこと、一緒に外回りをして、ごはんを食べたこと、一緒の仕事が終わっても連絡を取り合って会っていること。キスをしたこと。
「まぁ」
想像通りの顔でビビは口元を丸くして、嬉しそうに「やったわね」と言った。
「やったのかな」
「やったーでしょう。いい人なんでしょ、いやなの? 変な顔なの?」
「変な顔ってあんた、ちがうけど。ちがうけど……」
「わかった。ナミさん他に好きな人がいたんでしょ。で、揺れてるんだ」
黙ってビビのグラスにワインを注ぐ。ビビはにやつきながらその様子を眺めている。
「いいと思うけどなー、その人。着実にナミさんとの距離を縮めてこようとする感じ。好感が持てる」
ビビは私からボトルを受け取り、私のグラスに注いでくれる。
「知ってるの? ナミさんが他に好きな人がいること」
「知ってる」
言ってから、ビビの発言を認めてしまったことに気付いた。けれどビビはそんなことにかまったふうもなく「本気で奪う気じゃないの」と真面目な目で手元のてんぷらを見つめながら言った。
「それでナミさんはなにか悩んでるの?」
「え」
「そのサンジさんはなにかナミさんを困らせてるの?」
「別に……」
あははっとビビが明るく笑うのでびっくりして彼女を見つめると、ビビは手元のメニュー表を指差して追加でえびのてんぷらを注文した。ナミさんも食べるでしょ? と言うのでとりあえず頷く。
メニュー表を戻したビビはグラスを手元に寄せながら、「びっくりした、痩せちゃうくらいつらい恋なのかと思ったから」と言う。
そんなことない、と言い返しかけて、自分の細い手首を見下ろしてどうしてこんなふうになってしまったのかと考え込んだ。
ビビと食べるこの店のてんぷらは驚くほどおいしい。ワインもつるっと一本空こうとしている。
でもふとある人を思い出す一瞬が心に入り込むと、途端に何もかもが身体の中を通り抜けていくだけになってしまうのだ。栄養も、美味しさも、全部通り抜けてもっと別の何かにしがみつくので精いっぱいになる。
サンジ君はそれを許さない。いっこずつ私の食べるものに意味を与えて、私の力にしようとする。
会いたい、と初めて思った。誰かの代わりにするのではなく、サンジ君に会いたい。
「いいなぁ私も、もう少し痩せたい」とビビが間の抜けたことを言うので、思わず考えていたことを忘れてふはっと笑ってしまった。
ビビは怒ったように「まずいのよ。仕事が遅くてもたっぷりごはんつくって待ってるんだもの。帰ったら食べちゃうでしょ」と自分の二の腕の辺りをさすった。ビビの家には大勢の従者に侍女、それに専属のコックなんかがいるのだ。
「あの人たち、私がずっと成長期のままだと思ってるのよ。食欲がないなんて言ったら病気かって騒ぎ出すし」
ぷりぷりしながら揚げたてのてんぷらに齧り付くビビの頬はつやつやと綺麗で、きっと毎日ごはんは美味しいのだろうと思った。
その後ボトルを二本空け、足取りの緩いビビを駅前のホテルまで送り届けるさなか、ビビが足取りと同じくらいゆるい口調で「ナミさん」と言った。
「私また会いに来るわ」
「うん。来て来て。私も行くから」
「次また痩せてたらゆるさない」
酔っぱらいの頼りない喋り方のくせに、妙に迫力のある声だった。気圧されたように私はうんと言う。
「ナミさんが好きな人と上手くいくといいなって思う。でも」
そう言ったきりビビが口を開かなくなったので、歩きながら寝ちゃったんじゃないかと心配になって彼女の腕を取った。ビビはゆったりと私にもたれかかるみたいにして、歩きにくそうに歩きながら、「でも」ともう一度言った。
「ナミさんを好きになった人のこと、ナミさんも好きになるといいなとも思う」
言葉に詰まって、ただビビの腕を支えて前に進んだ。駅前に着いたところでどこからともなくビビの家の人が現れて、ああやっぱりと思う。その人に丁重に礼を言われ、私は半分眠ったみたいなビビに「じゃあね」と言ってホームに向かった。
郊外に向かう週末の電車は混んでいて、運良く空いた席に滑り込むように座った。
たたんたたんと不規則に揺れる電車に身体を預けて目を閉じ、うとうととまどろむ。お腹の辺りが温かかった。
私を好きになった人のことを、私も好きになりたい。
そんなの、私だってずっと思っている。
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麦わら一味では基本オールキャラかつサンナミ贔屓。
白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。
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足りん
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