OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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助かる、すげぇ助かるよサンジ、とカルネはおれににじり寄り、手を取って握った。
やめろ離せ、と顔を背けるが、カルネは青いひげづらを構わずおれに近づけて頬ずりしかねない勢いだ。雇われ店長であるカルネが近頃の人手不足にきりもみしていたことは知っていたので、うんざりしながらも黙って手を握らせておく。
「夏休みに入るまでっつってたバイトの黒服が、大学の試験期間だとかで予定より早くやめちまって。こんな合間の時期にバイト募集してもそうそう来るもんじゃねぇからよぉ、いやー持つべきもんはサンジだぜ」
「んだが知らねぇぞ。アルバイトのガキと違っておれと同い年くらいのやつだし、とてもじゃねぇが細やかな気配りができるタイプだとは思えねぇ」
「いいんだいいんだ、黒い服着て立ってりゃそれでいい。氷の交換くらいはできるだろ」
いつ来る、明日か、明後日か、と息巻くカルネを落ち着かせて、言やあ明日にでもくるだろうよと言えばすぐ連れてこいとのことだった。
実際、ゾロは翌日おれについて夕方四時頃店に来た。
物珍しいのか、ガキのように店の中をぐるりと見渡す様子は不思議とあどけなく見える。
カルネのあの様子じゃ採用は確実だろうが、一応面接じみたものをやるだろうと思い、普段どおりのよれたTシャツにハーフパンツという出で立ちでリビングに現れたゾロを捕まえて「お前もっとマシな服もってねぇのか」と尋ねてみたが「マシ?」とてんで理解していない顔をしていたので説明するのも面倒になり、そのままの格好で連れてきた。
案の定、カルネはゾロの風貌とガタイに一瞬ぎょっと身を引いたが、店に置いてある安い黒服用のスーツを着て出てきたゾロを見て、満足げにほうと息をついた。
「なんだ、サマになるじゃねぇの」
「馬子にも衣装だな」
まご? とまた理解していないゾロに「あーなんでもない」と手を降って、店の中をぐるりと案内して説明した。
黒服の仕事は、客の案内に始まりチェイサーや灰皿の交換、料理の配膳、会計や時間の管理、そして店の掃除や買い出しなど多岐にわたる。
「愛想よくして客の気分を乗せるのはおれらの仕事だが、黒服も愛想よくかわいがってもらわねぇと客はつかねぇ。気に入られりゃ、酒も飲ましてくれるし通ってもくれる。今日は試用期間だと思って他の黒服のまねしてろ」
「おう」
説明はそれだけだった。
本当にこいつは理解してんのかね、と不安になるも、黒服の先輩になる大学生アルバイトうしろにくっついてゴミ捨て場の説明を聞きに行くゾロのでかい後ろ姿はどこかちぐはぐで、妙に笑えた。
火曜日だということもあり、21時を過ぎてもソファはポツポツと空いている。
飛び込みでやってくる新規客に1時間半ほど付くのを2回繰り返してお会計を終えたので、一服しようとホールを出た。
スタッフ用の喫煙場所まで行く途中に狭い通路を抜ける。ちょうど厨房の横を通るので横目に中を覗いたら、ドリンカーの前でゾロが小難し顔をして細長いグラスを握りしめているところだった。
「おう、なに物騒なツラしてんだ」
ゾロはちらりと顔を上げておれを確かめると、「グラスがどれかわからん」と言う。
近付いていってオーダー表を見ると、ロングカクテルが数種類オーダーされていた。どれも似たりよったりのアルコールだが、使うスピリッツでグラスが分かれている。取り間違うことのないようにという配慮だが、作らされる側としては作る時点で間違えないよう気を配る必要がある。
しかも常連と違い新規客の多い週の前半かつ浅い時間帯は、ボトルではなく細かいドリンクのオーダーが多いのだ。
「ジンがこれ。モスコミュールとか、ウォッカがこっち。カンパリはこの口が広いやつ」
「ああ」
助かった、とぼそりと礼を言い、黙々と酒を作る。案外素直なやつだなと喫煙場所に向かい、一服済ませて戻ったらまた同じ顔でグラスを握りしめていたので若干不憫にさえ思えた。
「おい、それ作ったら他のやつと交代して一回出てこいよ」
「あ?」
「おれの担当客が22時過ぎに来るから、ホールの様子も見てみりゃいい」
店に活気が出るのもこれからの時間が本番だ。
おれがホールに戻って待機していると、ぬっとゾロがキッチンから出てきた。
それだけで、数名の客がゾロの方を見たのがわかった。いるだけで威圧感があるせいか、やつが動くと空気がかき混ぜられるような気がする。
自分の客の注意が逸れたのがわかったのだろう、担当しているホストたちが妙に大きな動作で立ったり大声を出したりして盛り上げようとし始めた。
ちょうどそのとき、来店を告げる声がかかり、おれの客が来た。出てきたゾロに「おれの常連さんだから、挨拶しに来い」というとおとなしくおれの後ろについてきた。
お客は、50に差し掛かろうかという歳のマダムだ。どこか中規模企業の代表でもしているのか、本人は上品で物静かだが楽しい雰囲気を好むらしくこの店に通ってくれている。そしてときどきタガが外れたような金の使い方をした。こちらがぎょっとするようなタイミングで、店で一番高いボトルを開けたり気に入った店子(ここではおれだ)の誕生日にバカでかい花とフルーツで飾り付けたケーキを用意してくれたりする。
「こんばんは」
腰掛けておれを待つ彼女に声をかけると、こちらを見てゆったりと微笑んだ。そして吸い込まれるように、おれの後ろに立つゾロに目線が動く。
「新しく入った黒服です。今日はご挨拶に」
目線で促すと、ゾロはぺこりと頭を下げた。口元は引き結んだまま、にこりともしない。張り倒してやろうかと思った。
しかし彼女は気分を害した様子もなく「よろしくね」と微笑んだ。
内心ホッとし、もういいあっちにいけ、というように小さく手で払う仕草をすると、ゾロはまたのっそりと店の隅へ戻っていった。
きっかけは、彼女が化粧室に席を立ったことだ。おれがエスコートしようとしたが、「場所はわかっているから」と断られた。にもかかわらず、帰ってきたときはゾロも一緒だった。そして、彼女は少女のような顔で言った。
「ねぇ、この人にもお酒を作って上げて頂戴」
何を話したのか、妙にわくわくとした表情で彼女はゾロをおれとは反対側に座らせて、手づからグラスを取って氷を入れようとまでする。慌てておれがそのグラスを取り上げて、ウイスキーを注いだ。
「お水は? 炭酸?」
甲斐甲斐しく彼女が訊く。
「あー、そのままで」
おい、と目でたしなめるが教えてないので通じるわけがなかった。
店では客にたくさん飲ませ、自分たちは薄い酒を飲んで長い勤務時間をやり過ごさねばならない。もちろん、自分も多く飲めればその分客のボトルも空くのでそれに越したことはないが、今日は無理をする日でもない。ぼちぼちいこうやというときに、ウイスキーをロックで舐める店子などいなかった。
そしてゾロは、あろうことかおれの注いだ酒を一気に飲み干し、そして一言、
「ああうめぇ」
嬉しげに息をついた。
くらりとめまいがする思いだった。薄い酒を飲み続けていただけなのに、酔いが回ったような頭の重さが急にやってきた。
しかし彼女は、ゾロの様子を満足気に眺め、まるで「ほらね」とでもいうようにおれを見るのだった。おれは理解しきれないまま、応えるように微笑み返すしかない。
そのあと、彼女はゾロを隣に置きながら、おれに対して仕事の話や近頃ついていけなくなった若者言葉なんかについて、ゆったりとした口調でいつものように話し続けた。しかしそのかたわら、ゾロのグラスが空くたびに甲斐甲斐しい妻のような手付きで酒を作ろうとし、そのたびにおれが慌ててゾロの酒を作ってやる、ということを繰り返した。
結局、彼女のボトルのほとんどをゾロが空け、彼女は新しいウイスキーのボトルと、店で3番目に高いシャンパンを一本入れて、日が変わる前、満足気に帰っていった。
彼女が帰ったあと、狐につままれたような気分でゾロを振り返ると、まるで顔色を変えない仏頂面がいた。
(なんてこった)
ゾロは黒服だ。固定客がつくことはない。彼女が、おれからゾロに乗り換える心配はないわけだ。
たまにいるのだ。ホストとのコミュニケーションの楽しみ方の一つとして、男に酒を飲ませたがる女性が。そういうレディたちには、それ相応の飲めるホストたちがついていた。おれのような中途半端な飲みっぷりでは気に入ってもらえないからだ。だから、おれを気に入ってくれている彼女は飲ませることに興味がないのだと思っていた。
だが違った。興味がないのではなく、おれができないからしなかっただけなのだ。それは純粋におれのことを気に入ってくれていたということで大変喜ばしいが、なんだか新たな扉を開いてしまったような罪悪感と、平気な顔で立っているゾロに対するうっすらとした嫉妬心に顔が歪んだ。
「おうおうおめーらコンビ、やるじゃねぇか」
閉店後、カルネが嬉しそうにおれの肩を抱いてくる。やめろ、と振り払うと今度はゾロに寄っていって背伸びしてまで肩を組んでいる。
イベントもない平日の夜にしては、おれの売上だけが飛び抜けていた。いわずもがな、ゾロが作った売上だ。
殊勝なことに、「運が良かった」とゾロはぼそりと呟いた。
そのとおりだと思う。どうかすれば、ゾロの態度に腹を立てて帰ってしまってもおかしくなかった。
わかっているだけましだなと思い黙々と身の回りを片付ける。
浮かれ喜ぶカルネだけが地に足のつかない感じがして、どうにも不安だった。
*
「あんたたち、最近いつもいっしょにいない?」
ナミさんにふとそう言われたのは、ゾロが店で働き始めて2週間ほど経ったころだった。今日もまた、おれたちは同じ場所に出勤しようとしていた。ただ、ゾロはおれより早く店に入って開店の準備をするが、おれは今日は同伴があるから早く家を出るだけであり、そうでなきゃ仲良く毎日一緒に出かけるわけではない。
んなことねぇよー、とおれはナミさんにすり寄った。ゾロは聞こえていないような素振りでリビングを出ていった。出かけるギリギリまで寝るつもりだろう。
「気味悪ィこと言わねぇでくれよ、おれだっていつも一緒はナミさんがいいに決まってる」
「でもさ、不思議とうまくいくもんね」
ナミさんはおれの言うことを無視してゴミ袋を力強く結び、コーヒーカップを洗うロビンちゃんを見上げた。
「本当ね、意外なところに天職ってあるものね」
そう、天職。
おれにホストは向いていないと確信する一方で、ゾロは今のクラブでの仕事が天職ではと思えるほどの仕事ぶりだった。
やつは相変わらず黒服のままだ。固定客はつかないし、早く出勤して開店準備をし、ホストよりも長く店に残って後片付けをしてから退店する。ソファには座らず、余計なことは喋らず黙々と氷を変えおしぼりを回し、ほとんど毎日入っているにも関わらず2週間経ってもカクテルグラスを覚えることができていない。
だがゾロがホールに出ると何人かの客は必ず吸い込むように会話を止めて、ゾロを見た。相変わらずの仏頂面で、にこりともしないゾロを敬遠する客もいるにはいたが、それ以上にゾロにも酒を勧めたがる客のほうが多かった。
ホスト側には、おれと同じように客の反対側に座らせて酒飲み係をさせるやつと、固定客がつかないとは言え自分よりも気に入られる様子を面白く思わずゾロを遠ざけるやつと、半々といったところか。
どちらにせよ、店全体の売上はぐんと伸びたはずだ。
ゾロはアルバイトの身分だが、売上のいい日にはおれたちと同様に臨時ボーナスが渡された。カルネは相変わらず喜々として、回って歌い出しそうな勢いだ。
「そうだ、ロビン、そろそろコーヒーも無くなりそう」
「あら、買っておかないとね」
「通販はいやなんでしょ」
行きつけの店があるのだといってたっけ。彼女たちの会話を尻目に、おれはリビングの壁にかかった楕円形の鏡を腰をかがめて覗き込む。ネクタイを締めあげ、整える。
「夕方、天気が悪くなるみたいだし、行っておこうかしら」
「明日からしばらく雨だしねー」
「サンジ、よければ一緒に行かない?」
ロビンちゃんの申し出に、おれは踵でくるりと振り向いて慇懃に礼をした。
「ィ喜んで」
「よかったわね、荷物も持って帰ってもらったら?」
「あれ、ナミさんは行かねぇの?」
うん、と応えると同時に、彼女は両手にごみ袋を持って立ち上がった。裏庭まで置きに行くのだ。不燃物は週に一回。6人も暮らしていると、それなりの量になる。ゴミの日までアパートの裏庭に置いておき、週に一回アパートの前の集積場までナミさんが運んでいる。
持つよ、と手を差し出すと「あらありがと」とすんなり手渡される。
「場所わかる? 軍手取りに行くから、案内するわ」
ナミさんがよいしょと立ち上がり、先に立って歩き始めた。出かける用意、しておくわねとロビンちゃんがひらりと手を上げる。
アパートの裏庭はリビングから見える庭のちょうど反対側、キッチンの裏手で北側なこともあり、日が陰り少しじめじめとしている。しかし、彼女が時折手をかけているプランターの花々がちょこちょこと咲いていて陰気ではなかった。日陰でも花は咲くもんだ。
「あそこ」とナミさんが指差した庭の隅に、使われていない物干し竿やプラスチックのたらいのようなものが重なっているスペースがあった。
「置いておくのは不燃物だけね。燃えるゴミは、動物に荒らされるといけないからきちんとゴミの日に出すの」
まぁ共用のゴミは私が出すから気にしないで、と言うナミさんに「はあい」と答え、指定の場所にゴミを置く。
ナミさんは半袖だった。近頃ぐっと気温が上がり、まだ若葉の季節だと言うのに日差しの強い日が続いている。真っ黒なスーツを着込んだおれといると、ずいぶんちぐはぐな様子に見えるだろう。
ふと思い出して言った。
「ナミさんも一緒にコーヒー屋行かねぇの? 仕事?」
「ううん、別に。でもいいの、私は」
行かない。きっぱりと、そしてさっぱりとした笑みを乗せてナミさんは言った。
おれはそれ以上言い募ることもできず、室外機の上においてあった軍手を拾い上げてさっさと屋内に戻っていくナミさんを慌てて追いかけた。
「じゃあ、行ってきます」
はーい、とナミさんはこちらを見もせずに手を振った。
おれとロビンちゃんは並んでてくてくと歩き出す。暑ィ、と思わずこぼす。
「この間はごめんなさい、余計なことをいろいろと言って」
歩き始めてすぐ、外の光に怯んだようにロビンちゃんが目を細めて言った。
「この間?」
本気で見当がつかなかったが、こちらを覗き込むように見たロビンちゃんを見つめ返していたら思い当たった。先日、朝、リビングでの会話のことだ。
いやいや、とおれはゆるく首を振る。
「こっちこそ、みっともねぇとこ見せた」
「みっともなくなんかないわ」
はは、と笑ってごまかして、煙草に火をつけた。
事実、思い返せばみっともないの一言に尽きる。
ロビンちゃんは全てわかっているようだった。おれたちの関係も、おれが彼女に抱く思いも、その外形のなさというか、もろさも。
彼女の言葉一つ一つに、つい率直に反応してしまったのだからもう言い逃れはできない。
煙を吐き出しきってから、口を開いた。
「うぬぼれてるわけじゃねぇけど」
ロビンちゃんがこちらを見る。黒いロングスカートが、彼女の足元で風にはためく。
「おれの手に負えないような人にゃ見えねーんだ」
振り回されてもいい。しがみついて、すがりついて、絶対に離さないと決めた。
二度目に彼女を抱いたあの夜、するりとドアの向こうに消えていったナミさんの気配が、ドアの向こうからしばらく消えなかった。木の板一枚隔てておれたちは、二人で作り出した余韻を持て余していた。
ロビンちゃんは顔にかかった髪を指先で払い、少し考えるふうに目線を落として歩き続ける。おれは彼女に煙草の煙が当たらないよう、風下を一歩下がって歩いた。どこかから、ピアノの練習をするつたないメロディが聞こえてくる。
「さっき、ナミを誘ったでしょう。一緒に行かないかって」
「あぁ、うん」
それが? というようにロビンちゃんを見たが、彼女は前に視線を据えたまま言葉を選んでいた。
「ナミは外に出ないわ」
「え?」
「文字通り一歩も出ないわけでも、家に閉じこもっているわけでもないけれど……そうね、少なくともあなたが引っ越してきて2ヶ月近くは、家の敷地外には出ていないと思う」
おれは言葉を失って、照り返しの強いコンクリートを見下ろした。
ショックを受けるようなことではないが、言われてみれば、と思ったのだ。
アパートの必需品を、彼女はすべて通販で賄っていた。買い物に出かけるところを見たことがない。どこそこに出かけた、という話も聞いたことがなかった。住人たちとちょっとした宴会をするときの買い出しも、だいたい買ってくるものを言いつけておれやウソップに行かせていた。
さっきだって、まるで悩む様子もなく、まるで「そういうものだから」とでもいうようにおれの誘いを断った。「私は行かない」と。
ふと思い出して、「でも」と言った。
「そういやいつだったか、ナミさん、ルフィの大道芸だったか、見に行ったって言ってなかったっけ。ほら、あそこの駅前でやってるとか言って」
「ええ、だからまったく外に出ないわけではないのよ。ふらっと出かけることはあるみたい。でもそうね、私が彼女が外に出るのを見たのは、駅前にルフィのバスキングを見に行ったその一回きりかもしれない」
着いた、と唐突にロビンちゃんが足を止めた。
彼女にぶつかる前に慌てて足を止める。煙草を口からつまんで顔を上げると、とたんにコーヒー豆の焼けるあの香りがふっと香った。
アパートから10分ほど歩いただろうか。駅に行くのとは反対方向だから、こんなにも近くにコーヒー豆を売る個人店があるとは知らなかった。なんせここは住宅街のど真ん中だ。駅からも遠い。
ロビンちゃんはためらいなく暗い店内へと入っていく。おれもおずおずとあとに続いた。
「こんにちはロビンさん」
足元から這い上がるような低い声が真横から聞こえ、おれは文字通り飛び上がった。声の主が思わぬ近さにいたからだ。
ロビンちゃんは振り返り、ゆったりと笑った。
「あらブルック、気が付かなかった。ひさしぶりね」
「ヨホホホホいらっしゃいませ」
店の主は、入口入ってすぐのスツールに腰掛けてティーカップを口に運んでいた。痩せて、やたらと足が長く、何よりも巨大なアフロがもっさりと乗っかっている。奇天烈な外見におれは及び腰でまじまじと男を見つめた。
ブルックと呼ばれた店主はおれに目を留め、「これはこれは」と小さく頭を下げた。
「はじめましてでしたね。ロビンさんのお友達ですか」
「ええ、うちの新しい住人よ。サンジというの」
「サンジさん。ブルックです、どうも」
差し出された手も妙に骨ばっていた。陽気な声と低い声が行ったり来たりする調子もどこか奇妙で、おれは気味の悪さを隠しもせずに軽く手を握り、さっと引っ込めた。
ロビンちゃんは「いつもの、300g挽いてもらえるかしら。あとなにか……おすすめのブレンドを200g」とおれの様子は意にも介さずに注文している。
「どうぞ座って」
ブルックは立ち上がると、自分が座っていたスツールともう一脚をおれたちに勧め、狭い店内のカウンターの奥へと引っ込んだ。店の中はずらりとコーヒー豆の詰まった麻袋やビン類が並び、おれは薬局を思い出す。あそこをコーヒーで染め上げたらこんな感じだろう。
「いつもの」というコーヒー豆を取りに行ったのかと思いきや、5分ほどして戻ってきたブルックはカップを二つ乗せたトレーを手にしていて、おれたちに「どうぞ」と差し出した。中を見下ろすが、濃いはちみつ色のそれはどうみても紅茶だ。
「いや、なんで紅茶」
「私、紅茶のほうが好きなんです」
おいしいのよ、ブルックが淹れる紅茶は。ロビンちゃんはおいしそうに湯気の立つカップに口をつけている。
はあ、とおれも腑に落ちない気持ちで茶を飲む。確かにうめぇな、とついカップの中を覗き込んでしまう。
やがて、ざりざりと豆がかき混ぜられる音と一緒に一層強いコーヒーの香りが漂ってきた。音楽のように、それはゆっくりと店の中に充満していく。
強い焙煎の香りで紅茶の香りはあっというまに飛んだが、口に含むと不思議とまた茶葉の香りはよみがえって鼻から抜けていった。
両立する二つの香りに酔ったように、おれはぼんやりと店の中を見たまま音に耳を澄ませ、匂いを感じ、紅茶を飲んだ。隣に腰掛けるロビンちゃんも口を開かないが、やけに心地よい時間だった。
「できましたよ」
ブルックが銀色の袋に包まれたコーヒーを手に出てきた。ロビンちゃんが金を払い、それを受け取る。
「もうすぐ初夏のブレンドを出す予定ですので、ぜひ」
「えぇ、また来るわ」
「サンジさんもぜひ」
「あぁ、ごちそうさん」
カップを返し、礼を言うとブルックはうやうやしく頭を下げ、出ていくおれたちを見送った。店の中がやけに暗かったせいか、外の日差しに思わず目がくらむ。
「面白いでしょう」
ロビンちゃんが手にする袋を受け取っておれは苦笑した。たしかに面白かった。
「こっちに引っ越してきたのも、あのお店が近くていいなと思ったから」
「前はどこに?」
ロビンちゃんは、ここよりもずっと遠く、西にある街を口にした。ビルの立ち並ぶオフィスとビジネスの街だ。
「好きなものが手の届く場所にあるところに住もうと思ったの。歩いていけるくらいに」
それはいいな、と思った。彼女は確かに、いつも幸せそうにコーヒーを飲み、普段着でふらりとコーヒー豆を買いに行く今の暮らしを愛おしんでいるように見えた。
そういえば彼女がなんの仕事をしているのか、訊いたことがない。
疑問を口にすると、ロビンちゃんは「今まで一度も不思議に思わなかったの?」と逆におかしそうに尋ねた。
「いや、いつもアパートにはいるみてぇだから、家でできる仕事だろうなとは思ってたんだが」
「家でできて、時間を問わなくて、数字やグラフを追っかけて、売ったり買ったりするものよ」
ぴんと来た。
「株だ」
「当たり」
なぜか恥ずかしそうに、ロビンちゃんはふふと笑った。
「すげぇな。おれはアホだから、そういうのはさっぱりだ」
「私は面倒くさがりだから、モニターの前に座ってキーを一つ押すだけで暮らしていける仕事を選んだだけよ」
「サンジはなぜホストになったの」とロビンちゃんが尋ねた。「稼げたからさ」とおれはすぐに答えた。
「あと、おれの入ってる店、おれのジジイがオーナーやってんだよ。一番手っ取り早くてぬるいやり方で食っていこうとしたわけよ、おれは」
「賢いやり方よ」
こんなにもきっぱりと肯定されたのは初めてだった。
「お酒は肌に合わないようだけど」
「問題はそれだけなんだよ」
笑いながら言っているうちに、あっという間にアパートにたどり着いた。買ったものを彼女に手渡して、玄関の前で別れた。
そのまま踵を返し、駅へと向かう。
静かな暮らしを求めてビジネスの街を出て、部屋の中で大金を動かすロビンちゃん。
紅茶が好きだと言いながらコーヒー屋を営むブルック。
酒が飲めないホストのおれ。
そして、おれたちの暮らしを管理し、明るく快活に笑うナミさんは家から出ない。
駅前でうろつく緑頭を見つけた。時折、仕事前に駅までの道をさまようこいつを捕まえることがある。どうも方向感覚のネジが外れているらしく、目と鼻の先にある駅に入れずあらぬ方向に行こうとしていた。
「おい、何やってんだ」
声をかけると、ゾロはおれに目を留めて「おう」と言う。駅舎に向かうおれのあとをおとなしく付いてきた。
夕方の、帰宅ラッシュに差し掛かる手前の空いた電車で、おれたちは横掛の椅子に対角に腰掛けて店の最寄りまで向かう。すぐさま寝こけたゾロの脛を小突いて起こし、店のある繁華街へと歩いていく。
ゾロは店へと、おれは今日の同伴客と待ち合わせの約束をしている別の料理屋へと、何を言うでもなく別れてそれぞれ向かった。
→7.5
7
助かる、すげぇ助かるよサンジ、とカルネはおれににじり寄り、手を取って握った。
やめろ離せ、と顔を背けるが、カルネは青いひげづらを構わずおれに近づけて頬ずりしかねない勢いだ。雇われ店長であるカルネが近頃の人手不足にきりもみしていたことは知っていたので、うんざりしながらも黙って手を握らせておく。
「夏休みに入るまでっつってたバイトの黒服が、大学の試験期間だとかで予定より早くやめちまって。こんな合間の時期にバイト募集してもそうそう来るもんじゃねぇからよぉ、いやー持つべきもんはサンジだぜ」
「んだが知らねぇぞ。アルバイトのガキと違っておれと同い年くらいのやつだし、とてもじゃねぇが細やかな気配りができるタイプだとは思えねぇ」
「いいんだいいんだ、黒い服着て立ってりゃそれでいい。氷の交換くらいはできるだろ」
いつ来る、明日か、明後日か、と息巻くカルネを落ち着かせて、言やあ明日にでもくるだろうよと言えばすぐ連れてこいとのことだった。
実際、ゾロは翌日おれについて夕方四時頃店に来た。
物珍しいのか、ガキのように店の中をぐるりと見渡す様子は不思議とあどけなく見える。
カルネのあの様子じゃ採用は確実だろうが、一応面接じみたものをやるだろうと思い、普段どおりのよれたTシャツにハーフパンツという出で立ちでリビングに現れたゾロを捕まえて「お前もっとマシな服もってねぇのか」と尋ねてみたが「マシ?」とてんで理解していない顔をしていたので説明するのも面倒になり、そのままの格好で連れてきた。
案の定、カルネはゾロの風貌とガタイに一瞬ぎょっと身を引いたが、店に置いてある安い黒服用のスーツを着て出てきたゾロを見て、満足げにほうと息をついた。
「なんだ、サマになるじゃねぇの」
「馬子にも衣装だな」
まご? とまた理解していないゾロに「あーなんでもない」と手を降って、店の中をぐるりと案内して説明した。
黒服の仕事は、客の案内に始まりチェイサーや灰皿の交換、料理の配膳、会計や時間の管理、そして店の掃除や買い出しなど多岐にわたる。
「愛想よくして客の気分を乗せるのはおれらの仕事だが、黒服も愛想よくかわいがってもらわねぇと客はつかねぇ。気に入られりゃ、酒も飲ましてくれるし通ってもくれる。今日は試用期間だと思って他の黒服のまねしてろ」
「おう」
説明はそれだけだった。
本当にこいつは理解してんのかね、と不安になるも、黒服の先輩になる大学生アルバイトうしろにくっついてゴミ捨て場の説明を聞きに行くゾロのでかい後ろ姿はどこかちぐはぐで、妙に笑えた。
火曜日だということもあり、21時を過ぎてもソファはポツポツと空いている。
飛び込みでやってくる新規客に1時間半ほど付くのを2回繰り返してお会計を終えたので、一服しようとホールを出た。
スタッフ用の喫煙場所まで行く途中に狭い通路を抜ける。ちょうど厨房の横を通るので横目に中を覗いたら、ドリンカーの前でゾロが小難し顔をして細長いグラスを握りしめているところだった。
「おう、なに物騒なツラしてんだ」
ゾロはちらりと顔を上げておれを確かめると、「グラスがどれかわからん」と言う。
近付いていってオーダー表を見ると、ロングカクテルが数種類オーダーされていた。どれも似たりよったりのアルコールだが、使うスピリッツでグラスが分かれている。取り間違うことのないようにという配慮だが、作らされる側としては作る時点で間違えないよう気を配る必要がある。
しかも常連と違い新規客の多い週の前半かつ浅い時間帯は、ボトルではなく細かいドリンクのオーダーが多いのだ。
「ジンがこれ。モスコミュールとか、ウォッカがこっち。カンパリはこの口が広いやつ」
「ああ」
助かった、とぼそりと礼を言い、黙々と酒を作る。案外素直なやつだなと喫煙場所に向かい、一服済ませて戻ったらまた同じ顔でグラスを握りしめていたので若干不憫にさえ思えた。
「おい、それ作ったら他のやつと交代して一回出てこいよ」
「あ?」
「おれの担当客が22時過ぎに来るから、ホールの様子も見てみりゃいい」
店に活気が出るのもこれからの時間が本番だ。
おれがホールに戻って待機していると、ぬっとゾロがキッチンから出てきた。
それだけで、数名の客がゾロの方を見たのがわかった。いるだけで威圧感があるせいか、やつが動くと空気がかき混ぜられるような気がする。
自分の客の注意が逸れたのがわかったのだろう、担当しているホストたちが妙に大きな動作で立ったり大声を出したりして盛り上げようとし始めた。
ちょうどそのとき、来店を告げる声がかかり、おれの客が来た。出てきたゾロに「おれの常連さんだから、挨拶しに来い」というとおとなしくおれの後ろについてきた。
お客は、50に差し掛かろうかという歳のマダムだ。どこか中規模企業の代表でもしているのか、本人は上品で物静かだが楽しい雰囲気を好むらしくこの店に通ってくれている。そしてときどきタガが外れたような金の使い方をした。こちらがぎょっとするようなタイミングで、店で一番高いボトルを開けたり気に入った店子(ここではおれだ)の誕生日にバカでかい花とフルーツで飾り付けたケーキを用意してくれたりする。
「こんばんは」
腰掛けておれを待つ彼女に声をかけると、こちらを見てゆったりと微笑んだ。そして吸い込まれるように、おれの後ろに立つゾロに目線が動く。
「新しく入った黒服です。今日はご挨拶に」
目線で促すと、ゾロはぺこりと頭を下げた。口元は引き結んだまま、にこりともしない。張り倒してやろうかと思った。
しかし彼女は気分を害した様子もなく「よろしくね」と微笑んだ。
内心ホッとし、もういいあっちにいけ、というように小さく手で払う仕草をすると、ゾロはまたのっそりと店の隅へ戻っていった。
きっかけは、彼女が化粧室に席を立ったことだ。おれがエスコートしようとしたが、「場所はわかっているから」と断られた。にもかかわらず、帰ってきたときはゾロも一緒だった。そして、彼女は少女のような顔で言った。
「ねぇ、この人にもお酒を作って上げて頂戴」
何を話したのか、妙にわくわくとした表情で彼女はゾロをおれとは反対側に座らせて、手づからグラスを取って氷を入れようとまでする。慌てておれがそのグラスを取り上げて、ウイスキーを注いだ。
「お水は? 炭酸?」
甲斐甲斐しく彼女が訊く。
「あー、そのままで」
おい、と目でたしなめるが教えてないので通じるわけがなかった。
店では客にたくさん飲ませ、自分たちは薄い酒を飲んで長い勤務時間をやり過ごさねばならない。もちろん、自分も多く飲めればその分客のボトルも空くのでそれに越したことはないが、今日は無理をする日でもない。ぼちぼちいこうやというときに、ウイスキーをロックで舐める店子などいなかった。
そしてゾロは、あろうことかおれの注いだ酒を一気に飲み干し、そして一言、
「ああうめぇ」
嬉しげに息をついた。
くらりとめまいがする思いだった。薄い酒を飲み続けていただけなのに、酔いが回ったような頭の重さが急にやってきた。
しかし彼女は、ゾロの様子を満足気に眺め、まるで「ほらね」とでもいうようにおれを見るのだった。おれは理解しきれないまま、応えるように微笑み返すしかない。
そのあと、彼女はゾロを隣に置きながら、おれに対して仕事の話や近頃ついていけなくなった若者言葉なんかについて、ゆったりとした口調でいつものように話し続けた。しかしそのかたわら、ゾロのグラスが空くたびに甲斐甲斐しい妻のような手付きで酒を作ろうとし、そのたびにおれが慌ててゾロの酒を作ってやる、ということを繰り返した。
結局、彼女のボトルのほとんどをゾロが空け、彼女は新しいウイスキーのボトルと、店で3番目に高いシャンパンを一本入れて、日が変わる前、満足気に帰っていった。
彼女が帰ったあと、狐につままれたような気分でゾロを振り返ると、まるで顔色を変えない仏頂面がいた。
(なんてこった)
ゾロは黒服だ。固定客がつくことはない。彼女が、おれからゾロに乗り換える心配はないわけだ。
たまにいるのだ。ホストとのコミュニケーションの楽しみ方の一つとして、男に酒を飲ませたがる女性が。そういうレディたちには、それ相応の飲めるホストたちがついていた。おれのような中途半端な飲みっぷりでは気に入ってもらえないからだ。だから、おれを気に入ってくれている彼女は飲ませることに興味がないのだと思っていた。
だが違った。興味がないのではなく、おれができないからしなかっただけなのだ。それは純粋におれのことを気に入ってくれていたということで大変喜ばしいが、なんだか新たな扉を開いてしまったような罪悪感と、平気な顔で立っているゾロに対するうっすらとした嫉妬心に顔が歪んだ。
「おうおうおめーらコンビ、やるじゃねぇか」
閉店後、カルネが嬉しそうにおれの肩を抱いてくる。やめろ、と振り払うと今度はゾロに寄っていって背伸びしてまで肩を組んでいる。
イベントもない平日の夜にしては、おれの売上だけが飛び抜けていた。いわずもがな、ゾロが作った売上だ。
殊勝なことに、「運が良かった」とゾロはぼそりと呟いた。
そのとおりだと思う。どうかすれば、ゾロの態度に腹を立てて帰ってしまってもおかしくなかった。
わかっているだけましだなと思い黙々と身の回りを片付ける。
浮かれ喜ぶカルネだけが地に足のつかない感じがして、どうにも不安だった。
*
「あんたたち、最近いつもいっしょにいない?」
ナミさんにふとそう言われたのは、ゾロが店で働き始めて2週間ほど経ったころだった。今日もまた、おれたちは同じ場所に出勤しようとしていた。ただ、ゾロはおれより早く店に入って開店の準備をするが、おれは今日は同伴があるから早く家を出るだけであり、そうでなきゃ仲良く毎日一緒に出かけるわけではない。
んなことねぇよー、とおれはナミさんにすり寄った。ゾロは聞こえていないような素振りでリビングを出ていった。出かけるギリギリまで寝るつもりだろう。
「気味悪ィこと言わねぇでくれよ、おれだっていつも一緒はナミさんがいいに決まってる」
「でもさ、不思議とうまくいくもんね」
ナミさんはおれの言うことを無視してゴミ袋を力強く結び、コーヒーカップを洗うロビンちゃんを見上げた。
「本当ね、意外なところに天職ってあるものね」
そう、天職。
おれにホストは向いていないと確信する一方で、ゾロは今のクラブでの仕事が天職ではと思えるほどの仕事ぶりだった。
やつは相変わらず黒服のままだ。固定客はつかないし、早く出勤して開店準備をし、ホストよりも長く店に残って後片付けをしてから退店する。ソファには座らず、余計なことは喋らず黙々と氷を変えおしぼりを回し、ほとんど毎日入っているにも関わらず2週間経ってもカクテルグラスを覚えることができていない。
だがゾロがホールに出ると何人かの客は必ず吸い込むように会話を止めて、ゾロを見た。相変わらずの仏頂面で、にこりともしないゾロを敬遠する客もいるにはいたが、それ以上にゾロにも酒を勧めたがる客のほうが多かった。
ホスト側には、おれと同じように客の反対側に座らせて酒飲み係をさせるやつと、固定客がつかないとは言え自分よりも気に入られる様子を面白く思わずゾロを遠ざけるやつと、半々といったところか。
どちらにせよ、店全体の売上はぐんと伸びたはずだ。
ゾロはアルバイトの身分だが、売上のいい日にはおれたちと同様に臨時ボーナスが渡された。カルネは相変わらず喜々として、回って歌い出しそうな勢いだ。
「そうだ、ロビン、そろそろコーヒーも無くなりそう」
「あら、買っておかないとね」
「通販はいやなんでしょ」
行きつけの店があるのだといってたっけ。彼女たちの会話を尻目に、おれはリビングの壁にかかった楕円形の鏡を腰をかがめて覗き込む。ネクタイを締めあげ、整える。
「夕方、天気が悪くなるみたいだし、行っておこうかしら」
「明日からしばらく雨だしねー」
「サンジ、よければ一緒に行かない?」
ロビンちゃんの申し出に、おれは踵でくるりと振り向いて慇懃に礼をした。
「ィ喜んで」
「よかったわね、荷物も持って帰ってもらったら?」
「あれ、ナミさんは行かねぇの?」
うん、と応えると同時に、彼女は両手にごみ袋を持って立ち上がった。裏庭まで置きに行くのだ。不燃物は週に一回。6人も暮らしていると、それなりの量になる。ゴミの日までアパートの裏庭に置いておき、週に一回アパートの前の集積場までナミさんが運んでいる。
持つよ、と手を差し出すと「あらありがと」とすんなり手渡される。
「場所わかる? 軍手取りに行くから、案内するわ」
ナミさんがよいしょと立ち上がり、先に立って歩き始めた。出かける用意、しておくわねとロビンちゃんがひらりと手を上げる。
アパートの裏庭はリビングから見える庭のちょうど反対側、キッチンの裏手で北側なこともあり、日が陰り少しじめじめとしている。しかし、彼女が時折手をかけているプランターの花々がちょこちょこと咲いていて陰気ではなかった。日陰でも花は咲くもんだ。
「あそこ」とナミさんが指差した庭の隅に、使われていない物干し竿やプラスチックのたらいのようなものが重なっているスペースがあった。
「置いておくのは不燃物だけね。燃えるゴミは、動物に荒らされるといけないからきちんとゴミの日に出すの」
まぁ共用のゴミは私が出すから気にしないで、と言うナミさんに「はあい」と答え、指定の場所にゴミを置く。
ナミさんは半袖だった。近頃ぐっと気温が上がり、まだ若葉の季節だと言うのに日差しの強い日が続いている。真っ黒なスーツを着込んだおれといると、ずいぶんちぐはぐな様子に見えるだろう。
ふと思い出して言った。
「ナミさんも一緒にコーヒー屋行かねぇの? 仕事?」
「ううん、別に。でもいいの、私は」
行かない。きっぱりと、そしてさっぱりとした笑みを乗せてナミさんは言った。
おれはそれ以上言い募ることもできず、室外機の上においてあった軍手を拾い上げてさっさと屋内に戻っていくナミさんを慌てて追いかけた。
「じゃあ、行ってきます」
はーい、とナミさんはこちらを見もせずに手を振った。
おれとロビンちゃんは並んでてくてくと歩き出す。暑ィ、と思わずこぼす。
「この間はごめんなさい、余計なことをいろいろと言って」
歩き始めてすぐ、外の光に怯んだようにロビンちゃんが目を細めて言った。
「この間?」
本気で見当がつかなかったが、こちらを覗き込むように見たロビンちゃんを見つめ返していたら思い当たった。先日、朝、リビングでの会話のことだ。
いやいや、とおれはゆるく首を振る。
「こっちこそ、みっともねぇとこ見せた」
「みっともなくなんかないわ」
はは、と笑ってごまかして、煙草に火をつけた。
事実、思い返せばみっともないの一言に尽きる。
ロビンちゃんは全てわかっているようだった。おれたちの関係も、おれが彼女に抱く思いも、その外形のなさというか、もろさも。
彼女の言葉一つ一つに、つい率直に反応してしまったのだからもう言い逃れはできない。
煙を吐き出しきってから、口を開いた。
「うぬぼれてるわけじゃねぇけど」
ロビンちゃんがこちらを見る。黒いロングスカートが、彼女の足元で風にはためく。
「おれの手に負えないような人にゃ見えねーんだ」
振り回されてもいい。しがみついて、すがりついて、絶対に離さないと決めた。
二度目に彼女を抱いたあの夜、するりとドアの向こうに消えていったナミさんの気配が、ドアの向こうからしばらく消えなかった。木の板一枚隔てておれたちは、二人で作り出した余韻を持て余していた。
ロビンちゃんは顔にかかった髪を指先で払い、少し考えるふうに目線を落として歩き続ける。おれは彼女に煙草の煙が当たらないよう、風下を一歩下がって歩いた。どこかから、ピアノの練習をするつたないメロディが聞こえてくる。
「さっき、ナミを誘ったでしょう。一緒に行かないかって」
「あぁ、うん」
それが? というようにロビンちゃんを見たが、彼女は前に視線を据えたまま言葉を選んでいた。
「ナミは外に出ないわ」
「え?」
「文字通り一歩も出ないわけでも、家に閉じこもっているわけでもないけれど……そうね、少なくともあなたが引っ越してきて2ヶ月近くは、家の敷地外には出ていないと思う」
おれは言葉を失って、照り返しの強いコンクリートを見下ろした。
ショックを受けるようなことではないが、言われてみれば、と思ったのだ。
アパートの必需品を、彼女はすべて通販で賄っていた。買い物に出かけるところを見たことがない。どこそこに出かけた、という話も聞いたことがなかった。住人たちとちょっとした宴会をするときの買い出しも、だいたい買ってくるものを言いつけておれやウソップに行かせていた。
さっきだって、まるで悩む様子もなく、まるで「そういうものだから」とでもいうようにおれの誘いを断った。「私は行かない」と。
ふと思い出して、「でも」と言った。
「そういやいつだったか、ナミさん、ルフィの大道芸だったか、見に行ったって言ってなかったっけ。ほら、あそこの駅前でやってるとか言って」
「ええ、だからまったく外に出ないわけではないのよ。ふらっと出かけることはあるみたい。でもそうね、私が彼女が外に出るのを見たのは、駅前にルフィのバスキングを見に行ったその一回きりかもしれない」
着いた、と唐突にロビンちゃんが足を止めた。
彼女にぶつかる前に慌てて足を止める。煙草を口からつまんで顔を上げると、とたんにコーヒー豆の焼けるあの香りがふっと香った。
アパートから10分ほど歩いただろうか。駅に行くのとは反対方向だから、こんなにも近くにコーヒー豆を売る個人店があるとは知らなかった。なんせここは住宅街のど真ん中だ。駅からも遠い。
ロビンちゃんはためらいなく暗い店内へと入っていく。おれもおずおずとあとに続いた。
「こんにちはロビンさん」
足元から這い上がるような低い声が真横から聞こえ、おれは文字通り飛び上がった。声の主が思わぬ近さにいたからだ。
ロビンちゃんは振り返り、ゆったりと笑った。
「あらブルック、気が付かなかった。ひさしぶりね」
「ヨホホホホいらっしゃいませ」
店の主は、入口入ってすぐのスツールに腰掛けてティーカップを口に運んでいた。痩せて、やたらと足が長く、何よりも巨大なアフロがもっさりと乗っかっている。奇天烈な外見におれは及び腰でまじまじと男を見つめた。
ブルックと呼ばれた店主はおれに目を留め、「これはこれは」と小さく頭を下げた。
「はじめましてでしたね。ロビンさんのお友達ですか」
「ええ、うちの新しい住人よ。サンジというの」
「サンジさん。ブルックです、どうも」
差し出された手も妙に骨ばっていた。陽気な声と低い声が行ったり来たりする調子もどこか奇妙で、おれは気味の悪さを隠しもせずに軽く手を握り、さっと引っ込めた。
ロビンちゃんは「いつもの、300g挽いてもらえるかしら。あとなにか……おすすめのブレンドを200g」とおれの様子は意にも介さずに注文している。
「どうぞ座って」
ブルックは立ち上がると、自分が座っていたスツールともう一脚をおれたちに勧め、狭い店内のカウンターの奥へと引っ込んだ。店の中はずらりとコーヒー豆の詰まった麻袋やビン類が並び、おれは薬局を思い出す。あそこをコーヒーで染め上げたらこんな感じだろう。
「いつもの」というコーヒー豆を取りに行ったのかと思いきや、5分ほどして戻ってきたブルックはカップを二つ乗せたトレーを手にしていて、おれたちに「どうぞ」と差し出した。中を見下ろすが、濃いはちみつ色のそれはどうみても紅茶だ。
「いや、なんで紅茶」
「私、紅茶のほうが好きなんです」
おいしいのよ、ブルックが淹れる紅茶は。ロビンちゃんはおいしそうに湯気の立つカップに口をつけている。
はあ、とおれも腑に落ちない気持ちで茶を飲む。確かにうめぇな、とついカップの中を覗き込んでしまう。
やがて、ざりざりと豆がかき混ぜられる音と一緒に一層強いコーヒーの香りが漂ってきた。音楽のように、それはゆっくりと店の中に充満していく。
強い焙煎の香りで紅茶の香りはあっというまに飛んだが、口に含むと不思議とまた茶葉の香りはよみがえって鼻から抜けていった。
両立する二つの香りに酔ったように、おれはぼんやりと店の中を見たまま音に耳を澄ませ、匂いを感じ、紅茶を飲んだ。隣に腰掛けるロビンちゃんも口を開かないが、やけに心地よい時間だった。
「できましたよ」
ブルックが銀色の袋に包まれたコーヒーを手に出てきた。ロビンちゃんが金を払い、それを受け取る。
「もうすぐ初夏のブレンドを出す予定ですので、ぜひ」
「えぇ、また来るわ」
「サンジさんもぜひ」
「あぁ、ごちそうさん」
カップを返し、礼を言うとブルックはうやうやしく頭を下げ、出ていくおれたちを見送った。店の中がやけに暗かったせいか、外の日差しに思わず目がくらむ。
「面白いでしょう」
ロビンちゃんが手にする袋を受け取っておれは苦笑した。たしかに面白かった。
「こっちに引っ越してきたのも、あのお店が近くていいなと思ったから」
「前はどこに?」
ロビンちゃんは、ここよりもずっと遠く、西にある街を口にした。ビルの立ち並ぶオフィスとビジネスの街だ。
「好きなものが手の届く場所にあるところに住もうと思ったの。歩いていけるくらいに」
それはいいな、と思った。彼女は確かに、いつも幸せそうにコーヒーを飲み、普段着でふらりとコーヒー豆を買いに行く今の暮らしを愛おしんでいるように見えた。
そういえば彼女がなんの仕事をしているのか、訊いたことがない。
疑問を口にすると、ロビンちゃんは「今まで一度も不思議に思わなかったの?」と逆におかしそうに尋ねた。
「いや、いつもアパートにはいるみてぇだから、家でできる仕事だろうなとは思ってたんだが」
「家でできて、時間を問わなくて、数字やグラフを追っかけて、売ったり買ったりするものよ」
ぴんと来た。
「株だ」
「当たり」
なぜか恥ずかしそうに、ロビンちゃんはふふと笑った。
「すげぇな。おれはアホだから、そういうのはさっぱりだ」
「私は面倒くさがりだから、モニターの前に座ってキーを一つ押すだけで暮らしていける仕事を選んだだけよ」
「サンジはなぜホストになったの」とロビンちゃんが尋ねた。「稼げたからさ」とおれはすぐに答えた。
「あと、おれの入ってる店、おれのジジイがオーナーやってんだよ。一番手っ取り早くてぬるいやり方で食っていこうとしたわけよ、おれは」
「賢いやり方よ」
こんなにもきっぱりと肯定されたのは初めてだった。
「お酒は肌に合わないようだけど」
「問題はそれだけなんだよ」
笑いながら言っているうちに、あっという間にアパートにたどり着いた。買ったものを彼女に手渡して、玄関の前で別れた。
そのまま踵を返し、駅へと向かう。
静かな暮らしを求めてビジネスの街を出て、部屋の中で大金を動かすロビンちゃん。
紅茶が好きだと言いながらコーヒー屋を営むブルック。
酒が飲めないホストのおれ。
そして、おれたちの暮らしを管理し、明るく快活に笑うナミさんは家から出ない。
駅前でうろつく緑頭を見つけた。時折、仕事前に駅までの道をさまようこいつを捕まえることがある。どうも方向感覚のネジが外れているらしく、目と鼻の先にある駅に入れずあらぬ方向に行こうとしていた。
「おい、何やってんだ」
声をかけると、ゾロはおれに目を留めて「おう」と言う。駅舎に向かうおれのあとをおとなしく付いてきた。
夕方の、帰宅ラッシュに差し掛かる手前の空いた電車で、おれたちは横掛の椅子に対角に腰掛けて店の最寄りまで向かう。すぐさま寝こけたゾロの脛を小突いて起こし、店のある繁華街へと歩いていく。
ゾロは店へと、おれは今日の同伴客と待ち合わせの約束をしている別の料理屋へと、何を言うでもなく別れてそれぞれ向かった。
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