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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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二度目になる彼の家は今日もひっそりと静かで、階段が軋む音が冷たい廊下にやけに響いた。
彼の部屋に入った瞬間後ろから抱きすくめられる。
期待と不安と、喜びに、後悔。いろんな感情で渦巻いていた胸が一瞬でぐずぐずと溶けていった。


「おれも」


絞り出すような声が耳に直接吹き込まれ、脳髄を揺さぶる。


「おれも会いたかったよ」


本当に? 聞き返す間もなく顎を掴まれ唇が重なる。
いつの間にか位置が逆転し、部屋の扉に背中が押し付けられていた。
殺しにかかるくらい激しいキスが酸素を奪う。
喘ぐように口を開くとすかさず舌が差し込まれた。
脚の間にサンジ君の膝が割って入り、太腿の裏の辺りを熱い手が撫でる。


「あ、待っ」
「なに……?」


返事もなく崩れ落ちた私をサンジ君が支え、そのままベッドに倒れ込む。
互いの体をさぐり合うみたいに服を脱がせ、私の胸に顔をうずめたサンジ君の頭を強く抱きしめた。





衣服を身に付けないままぐったりとシーツに沈んでいると、処理を終えたサンジ君がするりと布団に入り込んできた。
私の鼻先にキスをして、腰を引き寄せ、力の入らない身体を寄せあう。


「だるい? 大丈夫?」
「ん……平気」
「はあ、かわいいな」


鼻のてっぺんから頬、瞼の上にまで小さなキスを落としてサンジ君は笑った。


「ナミさん見たらもう全然歯止め効かねェんだもん。かわいいこと言ってくれちゃうし」


私が会いたいと漏らしたとき、サンジ君はすぐに「じゃあ今からは?」と言った。
わななく唇を噛み締めて出かける用意を始めた私に、ノジコもベルメールさんも何も言わなかった。
一時間に二本程度しか走らないバスに運良く乗り込み、彼の街までまっすぐに進む。
夜に溶けていく景色を眺めて、黒いキャンバスのような窓に映る自分を眺めて、なんて必死なんだろうとかなしくなった。

もぞもぞと頭の位置を変え、サンジ君の鎖骨の辺りに唇を寄せる。
サンジ君は嬉しそうに私の頭を薄い手のひらで支えた。


「ねえ」
「ん?」
「明日は大学に行く?」
「あー……行ってもいいけど、なんで?」


サンジ君の肌は汗ばんで、私の頬が吸い付くようにくっついた。
やわらかな皮膚がここちいい。
深く吸い込んだ香りはずっと欲しかったそれだ。


「私も一緒に行きたい」
「って、大学に?」
「うん」
「いいけど」


またなんで? と問いかけたサンジ君を遮って、口を開いた。


「キャンバスがいっぱい並んでた部屋、あったわよね」
「ああ、作業室? ナミさんと初めて会った場所だ」


私の額にかかる髪を撫で上げて、覚えていることを誇るように得意げな声でサンジ君は言った。
うん、と小さく答える。


「あそこにまだサンジ君の絵はあるの?」
「おれの──さあ、捨てられてなきゃあるんじゃねェかな」


サンジ君の顎の下に頭を収めているので、彼の表情は見ることができない。
凪いだ海みたいな彼の目から、突然明かりが落ちるようにふっと光が遠ざかっていたらどうしようと怖くて、私はサンジ君の鎖骨に唇を当てたまま喋りつづけた。


「やっぱり私、サンジ君の絵が見たい」
「えぇー、ウソップのがうめぇし、おれのなんかガラクタばっかだぜ」
「いいのよ」


なんでも、という言葉をのみこんで、「おねがい」と続けた。
うだうだと嫌がるサンジ君を一方的に説き伏せて、私は彼の大学についていく。
あの部屋のあの場所に、彼の絵はまだひっそりとたたずんでいるに違いない。
白い頬に光を乗せて、静かに口角を上げて遠くを見るロビンがいるはずだ。


「じゃあついでに、あそこのガラクタも全部持ち帰るか」


どうせ卒業までに片付けにゃならんしな、とサンジ君は面倒くさそうに呟いた。
私はそっとサンジ君の手の甲に触れた。
この手で描いたはずの絵をどうして切り捨てるみたいにガラクタなんて呼ぶんだろう。
絵だけじゃない。
驚くほどおいしくできてしまう料理だって、この手で作ったはずだ。
私がその一つ一つを褒めるたびに、サンジ君は目を逸らすように俯いた。

私が持たない何もかもを、サンジ君は手放したがっている。


「な、ナミさんこのまま泊まってくだろ?」
「うん、いい?」
「もちろん、すげェうれしい」


朝、シャワー使えばいいよと言ってサンジ君は私が触れていた手で私のそれを掴み直し、そのままフッと灯りを落とすみたいに寝入った。
明日大学でウソップが、私とサンジ君が一緒にいるところを見たらきっと少し困った顔で笑いながら、それでも手を振って近づいてくるんだろうなと考えながら、私も後を追うように眠った。




目覚めて近くの時計を手に取ったら8時半で、ずいぶん長く寝てしまったと痛む頭を押さえながら身体を起こす。
身じろいだ私に気付いたサンジ君も目を覚ました。
が、起きるわけでもなく口元を少し動かしただけでまた寝入ってしまう。


「サンジ君」
「ん……シャワ……一階、つきあたり……」


かろうじて、という感じでそれだけを口にすると、サンジ君はまた枕に顔を突っ伏してしまった。
意外と目覚めが悪い。それとも朝8時半の大学生というのはみんなこんなふうなんだろうか。
私はそっとベッドから滑り降り、簡単に衣服を身にまとって部屋を出た。
階段を降りながら、そういえばタオルを借りなきゃと思いついたそのとき、階段のすぐそばのドアの向こうからザッと勢いよく水の流れる音がして足が止まった。
遮られた水があちこちにぶつかるザバザバという音に、コツコツと硬いもので床を叩くような音がまざりながら小気味よく響いている。
さっと手の先が冷たくなり、私は慌てて部屋へ引き返した。


「サンジ君、サンジ君!」


乱暴に肩を揺さぶり、それでもまだ夢の縁に片手を引っかけている彼を無理やりたたき起こす。


「ん、ナミさん、はよ……シャワー浴びた?」
「下! 誰かおうちの人いるみたい」
「え、まじで」


急にぱっと目を開けたサンジ君は私の肩に手を置きながらベッドから起き上がると、ベッドの下にだらしなく丸まっていたシャツに素早く袖を通した。


「うわあマジか、ごめん。びっくりしたでしょ」
「ううん、こっちこそごめんなさい、私」
「謝んないでよ。今日休みだとは思わなかった。気にしないでシャワー使って」
「そんなわけにいかないでしょ!」


大きな声を出した私にサンジ君は目を丸めた。しかしすぐに笑う。


「そんな声出したとこ、初めて見た」


言葉に詰まる私の顔に手を伸ばし、頬の一番高いところを親指で撫でる。


「驚かせてごめん。でもたいしたことじゃねェからほんと、気にしないで」


シャワーどうする? とあくまでサンジ君はそればかりを気に掛ける。
そんなに私は汗くさいだろうかと思いながら、もういいと首を振った。
しっかりと服を直す私の横で、サンジ君が机に手を伸ばした。煙草を手に取ろうとしたのだと分かる。
でもそこに煙草はなく、私の目につくところにそれはいつもおいていなかった。
なぜだかわからないがサンジ君は私に隠している。
何もない場所に手を伸ばしてしまった手前、所在なさ気にサンジ君はテーブルに手をついた。
それじゃあ、と部屋を出る私についてサンジ君も一緒に階段を降りた。
リビングらしき扉の向こうからは、何の音だろう、相変わらずコン、コンと硬い音が途切れない。
階段を降りながら、勝手に一泊しておいてあいさつもないんじゃあんまり非常識じゃないかと思い当ったそのとき、扉の向こうから「サンジ!!」と低くてかすれ気味の、それでもよく通った鋭い声が飛び出してきた。
思わず肩が跳ねる。その肩に、サンジ君は押さえるように手を添えた。


「ンだよ!!」
「お客さんに、朝メシ要らねェのか!!」
「外で済ますから放っとけ!」
「ムダ金遣うくらいならうちで食ってきゃいいだろ!!」
「うるせェな、放っとけって」


突然の剣幕でドアを隔てて怒鳴り合いだした二人に挟まれて呆気にとられていたものの、サンジ君の顔がどんどん険しくなり、そして何かとんでもない言葉が飛び出すような気がして、私は咄嗟に「あの」と割り込んだ。


「お、おじゃましてます!」


今度はサンジ君の方が呆気にとられて口をつぐみ、ドアの向こうの人物も同じくぴたりと口をつぐんだ。
ただ年の功というやつか、まだ詰まったままのサンジ君よりも早くドアの向こうからは落ち着いた低音で「おかまいもしねぇで」と返ってきた。


「こちらこそ、朝早くにごめんなさい。お邪魔しました」


素早く階段を降り、玄関で靴を履く。
我に返ったようにサンジ君が追いかけてきて、さらにその彼を追いかけるように声が続く。


「サンジ!」


私だけが振り返り、むっつりとしたままのサンジ君の顔を覗き込む形になった。


「しっかり送ってけ」


言われなくても、と苦い声で呟いて、サンジ君は私の肩を抱くようにして家を出た。
玄関の扉を閉めてから、私は慌ててサンジ君を振り返った。


「ひとりで帰れるわ」
「いいんだ、ジジイがいたんじゃおれも落ち着かねぇし」


それは嘘だな、と思いながらも私は黙ってバス停まで歩き始めた。
あんなにぽんぽん罵声が飛び出すなんて、ああいう掛け合いに慣れているに違いない。
なんとなく滞ったような空気をまといながら、サンジ君は私と並んで歩いた。そしてしばらくすると、いつもの調子を無理やり引っ張りだしたみたいにして「みっともねェとこ見せちまった」と歯を見せて笑った。


「あの人は」
「うちのジジイ。育て親」
「おじいさん……じゃあレストランの」


うん、とサンジ君は道の先をみつめたまま頷いた。
朝日に十分照らされたコンクリートは熱く、靴越しの足の裏がじりじりと焼かれていく。


「仲悪ィからさ、おれと。みっともねェけど喧嘩ばっかりしてんだ」
「なんで──」


尋ねてから、まるで詮索してるみたいだと気付いて口をつぐんだ。
サンジ君は相変わらず苦笑を浮かべたまま言う。


「おれがレストランの跡を継ぐとでも思ってたんじゃね。ところがおれがとんだできそこないだったから、萎えちまったわけ」


私が何か言うよりも早く、最寄りのバス停が見えてきた。
もとより、私に言える何かなんて何もなかったのでちょうどよかった。


「ここで大丈夫」
「ん、ああナミさん朝メシは」
「一度家に帰るからいいわ、ありがと」
「とんでもねェ、むしろ本当にごめんな。ゆっくりできねぇで」
「ううん。それより本当に私大学について行ってもいい?」


サンジ君は忘れていたように一瞬放心して、しかしすぐにもちろんと目を細めた。


「昼からになるけどいい?」
「その方が、私も家のことがあるから」
「そっか、じゃあまた電話する」


うん、と頷いたタイミングでバスがやってきて、手を振って乗り込んだ。
バスが発車し、次の停留所ですぐに人でいっぱいになる。
後ろの方の窓際に座った私は、隣に座った中学生の女の子が膝に置いた手を見下ろしながら、昨日触れたサンジ君の硬い手を思い出していた。







「まーた朝帰り。やるじゃん」とひやかすノジコをあしらいながら、午前中いっぱいは剪定にいそがしくして畑を歩き回っていた。
朝までとっぷりと甘い時間に浸っていたことが嘘のように暑く、忙しい。
相変わらず何も言わないベルメールさんに居心地が悪くなったのは私の方で、ノジコのように突っかかってきた方がさっぱりする。
だからこそ、そのもやもやしたものを薙ぎ払うように、仕事に没頭した。
ベルメールさんもあっちこっち移動しては木々の調子を確かめて、飛び回る羽虫のように慌ただしくしているのでちょうどいい。

家に帰って遅めの昼食を摂っているときサンジ君から電話があり、14時半に大学前で落ち合うことになった。
席に戻って「ちょっとウソップの大学に行ってくるから」と告げると、「そ」と関心のない返事が返ってくる。
いつものことに対して気にも留めずにピラフの山を崩していた私の前に、突然ぱさりと数枚の紙が広がった。


「ちょっと見てみな」


紙を広げたのは目の前に腰かけるベルメールさんで、彼女は大きく口をあけてピラフを頬張ってもぐもぐとやっている。
とん、と細長い指が紙を指差した。
その仕草に釣られるように視線を落とす。

「未来」「実績」「キャンパス」

見慣れない言葉が散らばった色とりどりの紙は広告だ。
いやちがう、これって、


「大学の資料……」
「あんたが好きそうなやつを適当に探してみたんだけど。あたしはよくわかんないからノジコにも手伝ってもらって」


思わず隣に座る姉に目を遣ると、何食わぬ顔で食事を続けている。
崩れたピラフにスプーンをさしたまま、ベルメールさんに視線を戻した。


「どういうこと」
「やっぱりあんたは大学に行ったらどうかって言ってるの」
「き、急になんで」
「急じゃないよ」


割り込むようにノジコが口を開いた。
スプーンを置いたノジコは、まっすぐに私を見て言う。


「あんたが高校を卒業する時から、ベルメールさんも、私もさんざん言ったでしょ。あんたは大学に行けって。好きなら勉強つづけなって」
「私、勉強が好きだなんて」
「みてりゃわかるわよ」


パンフレットに書かれたうたい文句はどれも似たようなものだった。
それでも学科は、私が高校の頃何気なく手に取った資料で見たことのあるものばかりで、一度はあこがれのような小さなときめきを胸に抱かないでもなかったのだ。
確かに私はあの頃、吸収してはすぐさま染みこんでいく自分の頭を使うことがとても心地よかった。
顔を上げると、真正面からがっちりとベルメールさんの視線に捕えられる。
私が何か言うより早く、彼女が口を開いた。


「お金のことは心配しないでいいから。あんたの成績なら奨学金の審査も通るだろうし、蓄えだって」
「ま、待って。待ってよ」


ベルメールさんは真一文に口を引き結んで私を見た。
べたつく汗が腰の辺りを流れる。


「大学なんて行ってたら、うちの仕事はどうすんの。出荷も配送も、いまほとんど私がやってるじゃない。ルフィもいないのに」


そうだ、昔はルフィがいてくれたから、細かいことは何一つできない代わりに力仕事だとか持久力のいる面倒な仕事はあいつが片付けてくれた。
ルフィが家を出てからは、女3人で大変ながらもなんとかやってこれていたものの、さらに私がいなくなるなんてとてもじゃないけど人手が足りるとは思えない。
私はこの突然の提案を何とかして跳ねのけようとやっきになって、理由を探した。
だって、考えてもみなかった。
私以外の家族がそんなふうに私を見ていたこと。
私の知らない私を透かし見られていたような、悔しい恥ずかしさを覚えた。
しかしベルメールさんは、私が思い浮かべた理由を一つ一つ、雑草を摘み取るみたいに打ち消していく。


「私とノジコで回せないこともないと思うの。ゲンさんがお古のパソコンをくれるっていうから、出荷は今まで手書きでやっていたのをパソコンで済ませられるようになるでしょ。そしたら随分効率よくなるから」
「パソコンが来たから私はいらないっていうの」
「ナミ!」


鋭く短くノジコが叫ぶ。


「子供みたいに拗ねた言い方しないで。そんなこと言ってないでしょ。ベルメールさんはあんたが高卒でうちの仕事を始めたときからずっと気にしてたんだから」
「それなら相談してくれたらいいじゃない。こんな、急に言われたって」
「じゃあ断ればいいじゃん。『大学には行くつもりない』って、ハッキリ言えばいいじゃん」


言えないんでしょ、と言いながらノジコはスプーンを置いた。
照らされたみたいにカッと頬があつくなる。


「ウソップも、あんたの言うサンジ君も、みんな大学に行ってて羨ましくならないわけがない。ましてや昔から知識欲の強いあんたが、大学なんて自由に勉強できる環境にあこがれないはずがないもん」


ノジコの言うことはいちいちもっともで、頬だけでなく頭の芯までが熱くなるのを感じた。
ベルメールさんが用意してくれたパンフレットには、ウソップとサンジ君が通う大学の者も混ざっていた。
私の目は、いくつもの文字の中でいち早く紺色で太く書かれたその大学名を捕えた。

それでもやっぱりどうしても、ベルメールさんとノジコが結託して私をこの家からはじき出す計画をしていたような子供っぽい妄想が頭から離れなくて、ゆるせない、と思った。


「いやよ。私はうちの仕事がしたいの。大学には行かない」
「……ナミ、あのねえ。私たちがあんたに大学に行ってほしいのは」
「私だって、ずっと昔からみかんを育てていきたいって思ってた! 大学なんかより、ずっと」


ベルメールさんを遮った私の声は、ひび割れて痛々しくダイニングに響いた。
自分の声が作り出した沈黙に耐え切れず、席を立つ。


「出かける」


部屋に駆け込んで、服の組み合わせを考える余裕もなく手に取るままに着替える。
階下に下りると、ふたりは冷えたピラフを前にしてまだ座ったままで、私は彼女たちを見ないように足早にその横を通り過ぎて家を出た。

半ば走るような勢いで坂道を下った。
上がり始めた気温は容赦なく、地面から湿気と共に立ち上る熱が頭の中の熱と同化してぐるぐると回る。
今朝サンジ君といた時間も、みかんの木々に挟まれた過ごした時間も全部ずるずると溶けて消えてなくなっていくような気がして、もったいないと思ったがどうしようもなかった。

バス停に着き、色の禿げた停留所の標識の横に立ち、まばらに通り過ぎる車や人を眺めると少しずつ鼓動と呼吸が落ち着いていく。
こんな気持ちで今からサンジ君に会うなんて。
白くなった指の先を見下ろして、思う。
──疲れる。
そう思ったときハッとした。

私はずっと、サンジ君と会うたびに、彼のことを考えるたびに少しずつ削り取られるみたいに疲弊していた。
とてもじゃないけど、家のことや自分のことを考えながらサンジ君と過ごすことなんてもたない。
それでも私は今彼と会うことをやめようなんて思えないし、どれだけ疲れてもそれ以上に得るものがあるはずだと期待してしまう。
たとえ期待が外れても、きっとその次を期待して、私はサンジ君に会いたくなる。

バスが来て、少し混んだそれに乗り込んだ。
バスの中は人いきれで空気がこもっていた。
途端に気分が悪くなったけど、耐えて目を閉じていたら少し楽になっていく。
隣に立った男性の耳に刺さったイヤホンから、場違いなリズムが漏れ聞こえていた。





約束の時間には随分と早く着いてしまったので、仕方なくバス停前にあるチェーン経営のカフェに入った。
コーヒーの香り以上に強い人のざわめきが、今は余計な考えを邪魔してくれる気がした。
氷ばかり多いコーヒーのカップを手に窓際のカウンターに腰かけた。
するとやっぱり頭を巡るのは昼食中の出来事で、カフェの騒音などに遮られる程度のものではなかったと思い知る。

ベルメールさんはいつになく真剣な表情で、だからこそ目を逸らしてしまった。
蓋をして、見ないように、触れないように隠してきたものを強引に引きずり出されたような不快感があとを引く。
私がウソップや、サンジ君のように大学に行く。その姿にあこがれないわけではなかった。
ただその気持ちにはきちんと自分で終止符を打ったはずだった。
自分で決めて、決して何かに動かされたからではなく、私がそうしたいからという理由でそっと蓋をした。
今更持ち出されて狼狽えないはずがないのだ。

汗をかいたプラスチックのカップの外側を指でなぞる。
水滴がテーブルに落ちるのを眺めて、自然と息が漏れた。

ノジコに言われるまでもない。
子どもっぽい言い方で、感情的になりすぎた。
きちんとベルメールさんに話をしなきゃいけないと思うのに、また珍しくまじめな顔をしたベルメールさんを前にしたらまた声を大きくしてしまう気がする。
コーヒーをすするたびに零れるため息は自然に濃く深くなり、反対に薄くなっていくコーヒーを持て余した。
ふと重い頭を微かに上げると、ガラスの向こう、道を挟んだ大学の正門前にサンジ君の姿が見えた。


「あ」


思わず声が漏れ、腰を上げかけた。
動きが止まったのは、彼が一人じゃなかったからだ。
サンジ君に寄り添うように歩く髪の長い女の子は、ときおり彼を見上げて心からたのしそうに笑った。
ふたりは正門前で足を止め、何か話しているようだった。
サンジ君はこちらに半分背を向けていて、表情は見えない。
ただ、少し怒ったように顔をしかめたかと思うと又すぐに口をあけて笑う女の子はふざけたようにサンジ君の腕に触れ、許されると分かったうえで駄々をこねるようにシャツを引っ張った。
それだけで十分だった。

私は上げかけた腰をまた落とし、ぼんやりと二人を眺めた。
スクリーンの向こうにいるみたいに二人の動きは劇画じみていて、現実味のないことがより一層胸にきた。
わかっていた、たぶん、こういうものを目にするときが来ることも。
ただ綺麗な服を着て、丁寧に髪をととのえて、計算されたかのようにそれを胸の辺りで揺らす可愛い女の子はあまりにサンジ君らしくて、私はついに見ていられないと片手で顔の半分を覆った。

どれくらい時間が経っただろう。
ふと肩を叩かれて顔を上げたとき、瞼は抑えすぎてジンジンしていたし急に目に入ってきた光はちかちかと眩しかった。


「よかった、やっぱりナミさんだ」


一瞬、まるでサンジ君が瞬間移動してこっちにやって来たように感じた。しかしサンジ君の肩越しに見えた時計はちょうど14時半をさしていて、いつのまにかずいぶん時間が経っていたのだと思い当る。


「ごめん、待たせちまった?」


いまだぼんやりする私を心配そうにのぞき込む。
私は黙って首を振るので精いっぱいだった。
つとサンジ君が眉をすがめ、私の隣にすとんと腰を下ろした。


「ナミさん、どうかした?」
「んん、なんでもない」
「でもなんか、すげェ疲れた顔してる」


私は頬に手を当てて、思わず少し笑ってしまった。
そんな私を見てサンジ君が目を丸くする。


「ちょっと、家族と喧嘩したの」
「えっ、それってもしかしておれのせい……」
「ううん、関係ない」


あ、そうなの、とサンジ君はほっとしたようながっかりしたような顔で笑った。
それから「だいじょうぶだよ」とおもむろに私の手を取る。


「おれナミさんの家族知らねェけど、ナミさんがいっつもきちんと連絡取ってるのみてりゃなんとなくわかる。ナミさんは信頼されてるし、大事にされてんだなって思うよ。ちょっと喧嘩するくらいたまにはいいんじゃねェかな」


なんたっておれは家族喧嘩のプロフェッショナルだから、と最後は冗談交じりで締めくくり、私の手をぎゅっと握った。
あんまり的外れに優しいので、「そうね」と私が小さく笑うと、サンジ君は今度こそほっとしたように肩の力を抜いた。


「じゃ、そろそろ行く? さっきちらっと教室見てきたけど、今は誰もいねェみたいだったし」
「うん」


彼に続いて立ち上がり、相変わらず混み続ける店内をすり抜けるように外へ出た。







十数個ものキャンバスが並ぶ部屋は、初めて足を踏み入れたあの時以来だった。
そのときから少しも変わっていないような気がして、きょろきょろと辺りを見回す。
アクリルや油絵具、乾いた植物のような不思議なにおいが入り混じって漂っている。
開いたままの窓からぬるい風が吹き込んでカーテンを揺らしていた。
明かりがついていないのに、大きな窓から差し込む光のせいで部屋全体が黄色く明るい。
サンジ君は部屋の後ろの方、背の高いロッカーやその周りに雑然と散らかった道具の方を指差して言った。


「おれの私物もあのへんに埋まってると思うんだけど……見たとおりあんな状態だからさ。片付けんの時間かかるかもしれねェ、飽きたら言って」
「うん。好きに見てていい?」
「もちろん」


サンジ君が教室の後ろへと歩いていくと、私はさりげなく部屋の中を歩き回りながら、彼の絵が置いてあった場所まで移動した。
二列目の角の、このあたり。
少し緊張しながらそのキャンバスを覗き込む。
真っ青な背景に浮かぶ淡い黄色の球体。
抽象画のようなそれは、全く別の絵だった。
なんだ、といつのまにか張りつめていた心がほどける。
じゃあどこに行ってしまったのかと辺りを見渡しても、あのデッサンは見当たらなかった。
ちらりとサンジ君を覗き見ると、彼はかがみこんで30センチ四方の小さなキャンバスを手当たり次第にビニール袋に放り込んでいた。


「サンジ君」
「んー?」
「それ、サンジ君の?」
「そう、課題」
「見てもいい?」
「えぇー」


サンジ君は私に背を向けたまま、それだけ言うとまた無造作に袋の中に放り込む。
困ったように眉を下げた表情が想像できた。


「ねえ」


しつこく私が続けると、サンジ君は言い訳がましく「おれ下手くそだからさ。だってナミさんいつもウソップの描いたやつ見てんだろ?」と笑いを含んだ声で言った。


「やっぱりウソップは上手い?」
「そりゃなあ。ウチの有望株だし、それで食ってくって聞いたときもやっぱりなって感じだったし」
「サンジ君は?」


尋ねるつもりはなかったのに、思わず口をついていた。
「んー、おれ?」と相変わらず笑みの混ざった声のまま、サンジ君の返事が返ってくることはない。
少し迷ってから、思い切って続けた。


「サンジ君はもう描かないの?」
「描かないよ」


投げたボールを手早く打ち返すみたいに返事が来た。
もう何度も何度もそう訊かれて、応え慣れているのだと分かった。


「……なんで?」
「んー、でもさ、芸大なんて正直そんなやつも多いよ。こういう道で食ってくのって、それこそウソップみたいに才能が」
「食べていくとかいかないとかじゃなくても、絵は描けるじゃない」


少し大きくなった私の声に驚いて、サンジ君が振り返る。


「……ナミさんは、会ったときからやたらおれの絵にこだわるね」
「だって」


好きだから。
初めて見た黒一色のデッサンをとても美しいと思った。
息をするみたいに映し出された彼女が羨ましかった。
サンジ君の目に、私もそうやって映してほしいと思った。

答えない私があまりに思いつめた顔をしていたからか、サンジ君は少し慌てたように立ち上がり近づいてきた。
にこにこと笑って、いつもこの男は掬い上げるみたいに優しい声を出す。


「ま、そうだよな。趣味でも何でも描きたいなーって思ったら描くかもしれねェし。人並程度に描けるわけだからどっかで役に立つかも」


それにナミさんが喜んでくれるなら、と茶化して笑いながら、私の方に手を伸ばす。
頭に触れようとしたのか肩を抱こうとしたのかわからないけれど、私はその手をそっと押しのけるように遮った。
ナミさん? とさも不思議そうにサンジ君は私の顔を覗き込む。


「サンジ君は、なんにもいらないのね」


絵も、おじいさんのレストランも、近寄ってくる女の子も、本当なら手に入るはずのものを全部欲しがらない。
大事なくせにそうじゃないふりをしたり、上辺のおいしいところだけ掬い取ってみたり、飄々と流れに身を任せるようでいてすべてを受け流す。
私さえも。

戸惑うサンジ君が何か言うより早く「さっき」と口をついた。
私はまっすぐサンジ君の方を見たけれど、その視線は彼の鎖骨の辺りにぶつかった。


「カフェの中から、サンジ君が見えた。一緒に歩いてたかわいい子が、私すごく羨ましかった。毎日作業着で、トラックに乗って、泥まみれの私とは大違いで、すごく」


サンジ君が私の腕を掴む。
揺さぶられたわけではないのに、がくんと頭が揺れた気がした。


「でも、私今の仕事をやめたくないの。母には今日大学に行けって言われたけど、行かないって啖呵切って家を飛び出した。自分でもどうしたらいいのかわからなかったけど、とりあえずサンジ君に会わなきゃってここまできたら、サンジ君は女の子と歩いてた」
「ナミさん、聞いて」
「好きよ」


唐突に零れた告白に、サンジ君が息を呑む。


「私、サンジ君のことすごく好きになって、嬉しかったり落ち込んだりばかみたいに繰り返してたけど、そういうのも全部いらないのね」
「ナミさん待って、急になん」
「だっていっぱい持ってるもんね。私以外にも、たくさん。知ってたけど」


それも全部いらないんでしょ、と言うと私の腕を掴むサンジ君の力がぎゅっと強くなった。


「ナミさん、おれの話も聞いてくれる?」
「うん、でも」


扉の向こうを、数人が足音を立てて話し声と共に歩き去っていった。
その音でここが大学内であることを思い出す。
まるで二人だけみたいだと、私はサンジ君と一緒ならいつでもそう思っていた。

サンジ君の手の力が少しずつ抜け、するりと落ちるように離れた。


「──また今度、でいいから」


黙って頷くと、サンジ君は背を向けて歩き出した。
片付け途中のものたちがごちゃごちゃと散らばったままなのが視界の端に映る。

バスに乗るとき、サンジ君は怖いくらい真面目な顔でまっすぐ私を見て、「電話するから」と言った。
私が頷くと、サンジ君は少しだけ泣きそうな顔で頬を緩めて、バスの外から私に手を振った。






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