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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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これ、全部あなたが作ったの?


口をつきかけた馬鹿げた質問を飲み込んで、私は黙って顔を上げた。私と一緒に店の窓を覗き込んでいた男は、私の視線に気づき、目元だけで笑った。マスクをしているので、鼻から下は見えないのだ。


「見ていく?」


「でも」


店の入口に提げられた小さな看板に目をやる。


【パティスリー 完全予約制】


男は悪びれもせず「そうだな、ごめん。売ることはできない」と言ったが、私の返事も訊かずに店の扉を開けた。


「次の予約まで時間あるんだ。お茶でも飲まない? 試作品で良ければ、ガトーも少し」


アリスがうさぎの消えた穴を覗き込むとき、こんな気持ちだったのだろうか。


私は不思議な深い穴に落ちていくような心地で、勧められるがままに店の敷居を跨いでいた。


 


その店は、まるで誰にも見つかりたくないかのように、木苺の藪と連なる樫の木が生い茂った茂みの中に建っていた。薄く残った轍がなければ、まさかこの先に店があるなんて思いもしないだろう。


私がふらふらとそんな場所に迷い込んだのは、途方もなくいい香りが誘うように伸びてきたからだ。繁茂する草木と蔦をくぐりながら奥へと進むと、おもちゃのような小屋と、その店先を掃くコックコートの男性がいた。


私が彼に気付いたのと、彼が私に気付いたのは、ほとんど同時だったと思う。


私たちはしばらくの間、立ち尽くして見つめ合った。


どこかで遠い記憶が騒ぐようなざわめきを感じたが、それを掴むよりも早く、向こうが我に返ったようにはっと身体を動かした。


「あ、の」


「こんにちは」


マスクをした男は、すうと目を細めて笑った。


「道に迷った?」


「いえ……ここは」


「パティスリー。ケーキ屋だよ。うちに御用で?」


首を横に振ったとき、小屋の窓の向こうに光るショーケースが映り込んだ。目を奪われる。細かい宝石細工のような、いや、精巧な時計やオルゴールのような小さなかたまり。


あれはケーキだ。


「すごい……」


息を呑んで店の中を覗き込む私に付き合うように、彼は一緒に窓の中を覗き込んだ。


見たこともないケーキたち。食べ物だとは思えない。飴細工でも、こんなに精巧に作れるだろうか。


でも、なぜだろう。私はこれを知っている気がする。


彼に誘われるがままに店に足を踏み入れたのも、なにか私を引き寄せる懐かしさが、戸惑いを払い去ってしまったのかもしれなかった。


 


店の中は狭く、そのほとんどをケーキの並ぶショーケースが占めていた。ケースの上にも、5,6種類の焼き菓子が並んでいる。


お茶を淹れると言って奥へと入っていった彼の背に、「これ、全部予約されたものなの?」と尋ねた。


「そう。余分に作る時間も金もないから、受注生産なんだ」


色とりどりのケーキは、フルーツや飴細工やクリームで美しく装飾されており、形は様々だったが、どれもが薄い光の粉をまぶされたように輝いていた。


「お誘いしたはいいものの、椅子もテーブルもねぇや」


取手がついた四角い盆のようなものにポットとカップを載せて戻ってきた彼は、店の出入り口のそばにある出窓にそれを置き、私を手招いた。


熱い湯気の立つ紅茶が供され、私は受け取ってから状況の不自然さに気が付いた。


「いつも、こんなふうにお茶を出してるの?」


私は客ですらないのに。


彼は、「いや?」と自分でもわからないといったふうに首を傾げた。そして、子どもが不躾に人を眺め回すように、私をつま先から頭の先まで見渡した。


「なんでかな。君のことを、待ってた気がする」


「私?」


紅茶は深いスモークのような香りがした。知らない香りだった。


「ナンパ師みたいなこと言っちまった」


彼は気まずさをごまかすように、出窓に預けていた身体を起こした。


「ケーキはすき?」


「えぇ……そうね、すきかも」


「かも?」と彼は片眉を上げた。聞き咎めた、と言ってもいい表情で。


「たまに食べると美味しいと思うし、食べたくもなるんだけど、あんまり自分では買わないから」


「なんで?」


「……可愛すぎるからかな」


一枚のチョコレート、ひとすくいの生クリーム、一切れのスポンジ。それらで繊細に構成されて全身で可愛さを表現しているケーキという菓子は、なぜだか私には荷が重かった。


ふむ、と言うように彼は顎に手をやった。


「ちょうど、君にぴったりのプチガトーがある」


ちょっと待ってて、と言って彼は私の目の前を横切り、カウンターの奥へと消えた。その瞬間、彼の身体から紅茶よりもずっとスモーキーな香りがし、煙草を吸うのだろうかと漫然と考えた。


煙草?


そのとき、脳裏に誰かの指がよみがえった。長く、節くれだった指だ。火傷の痕か、ところどころしみのようにかさついていて、指の先に短い煙草を挟んでいた。


「おまたせ」


戻ってきた彼は、出窓に小さな皿を置いた。生まれたばかりの小鳥のようなサイズの菓子が載っている。


淡いクリーム色で、ムースだろうか。ショーケースの中のケーキのように、ほのかに光っていた。美しい六角形で高さは2センチほど。ケーキの上には何も載っていない。フルーツも、飴細工も、粉砂糖さえも。


「どうぞ」と言って、彼は私に細いフォークを差し出した。


「え、いいの」


「うん。売り物じゃないから」


特別にね。そう言う彼からフォークを受け取るとき、私たちは同時になにかにひっかかり、でもそれがなんだかわからないという顔で一瞬視線を交わした。


さっきから生じるこの違和感、ちがう、既視感だ。彼も感じていることを、私は確信した。


皿を支える彼の手から、ケーキを切り取る。柔らかく沈んだフォークが、底に当たるとさくっと軽い音がした。


「いただきます」


口を開いたとき、彼の目が、私の手元に注がれていることに気が付いた。じっと、息をひそめて私を見つめている。


なめらかなムースが溶け、中から濃いミルクのソースとホワイトチョコレートのガナッシュが混ざり合いながら広がり出てきた。


あ、おいしい。思わず笑みこぼれたそのとき、奥から駆け込んでくるようにオレンジの果汁がこぼれて香った。


涙が出た。ぽろんとビーズのように落ちて床に転がった。


とても大事だったはずなのに、どうして忘れていたのだろう。この味も香りも全部私のものだ、ここで私を待っていたのだ。きっと「彼」も。


彼は、表情を変えずに私の顔を見つめ、ほんの少しだけ目を細めた。長い前髪が隠さない、唯一見える方の目で。


私はフォークを皿に置き、彼の顔を見上げた。


「……誰?」


彼はケーキの皿を出窓に置くと、静かにマスクを外した。通った鼻筋、薄い唇、整えられた顎髭が現れる。


知らない。私は彼の顔を知らない。でも、知っている。絶対に、絶対に私の大切ななにかだった人。


彼は私の手を取った。冷たく乾いた手の感触が、一瞬で自分の手のひらに馴染んだ。水に水滴が落ちるようだった。


やっぱりおれは、君を待ってたんだ。


柔らかく手を引かれて行き着く先は彼の胸の中だった。私を抱きしめる腕の力にとてつもない安心を感じたけれど、それがどうしてかわからないことが悔しくて私はまた泣いた。


でも、会いたかったのだ。


草木の中にうずもれる小さな店の中で、私たちはお互いの身体がそこにあることを確かめるみたいに、ただ立って、抱き合っていた。





***

サンジが完全予約制のパティスリーをやっていて、予約の履歴が書き込まれたショップカードをナミさんが持ってて、友達に「めっちゃ行ってるやん」って突っ込まれる」

という夢をみたので描きたいところだけを文字に起こしてみたところ、反映されたのは「サンジが完全予約制のパティスリーをやっている」というところだけでした。

拍手[10回]

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眠っていたような、そうでもないような、淡い場所をいったりきたりしていた。
硬い床に横たえた身体がきしんだ。少しずつ目覚めていく頭が、今寝返ったら腰骨が床にあたって痛いはず、とか、下に敷いている方の肩がこわばっている、とかささいなことを考え出す。
ゆっくりと目を開けた。
明かりは消えていた。ダイニングテーブルの脚が見える。そこにつっぷすように眠る誰かの身体がぼんやりと見えた。

昨日は私の誕生日だったのだ。そのお祝いを、ここ、サンジくんの家でしてもらった。
ルフィやウソップやゾロなどいつもの仲間が集まって、それぞれ持ち寄るのはお酒ばかりで、ビビだけがルームウェアと香水をくれた。
そのビビも夜が更けると帰ってしまい、結局男たちばかりの中で日が変わるまで飲み続けた。
サンジくんはずっと立ちっぱなしでくるくるとキッチンとテーブルを行き来し、次々と私の好物ばかりを並べて最後には巨大なケーキまで出てきた。
そのケーキにルフィが私より先にフォークを突き刺したのでサンジくんがひどく怒り、私の代わりに泣き出しそうな勢いでルフィを罵りながら制裁を加えるので私はそれを見て腹を抱えて笑った。

あれは何時頃の話だったんだろう。
ゆっくりと横向きだった身体を回転させ、天井を仰ぐ。首のあたりにものが挟まっている感じがしたが、何を枕にしたのだったか忘れてしまった。
酔いはすっかり抜けてしまった。あー楽しかった、ちょっと疲れたな、という輪郭だけの感想が浮かぶ。
周りを見渡さなくてもわかる、一緒に飲んでいた彼らもきっと酔いつぶれて、そこかしこで雑魚寝しているのだろう。テーブルに突っ伏しているのはどうやらウソップのようだ。

サンジくんの家はきれいだ。リビングは広くて物がない。
掃除が行き届いているというより、忙しくて全然帰ってきていないからという感じがした。

水、もらおうかな。
起き上がろうと腕を動かしたら、思いの外近くに寝転がっていたらしい誰かの身体に触れ、びくりと手を引いた。
ぎこちなくこわばった首をそちらに動かしたら、つるりとしたサテン生地のシャツが見えてぎょっとした。
すぐそこにサンジくんが寝ている。気付いた途端、彼の体温が私にまで届いてくる。
まさか、と思い彼の身体をたどるように目線を上げると、仰向けに倒れたサンジくんの腕は私の方に伸びていて、私が首の下に敷いていたのは彼の腕だった。
おっと。なにがどうなってるの。
ここで寝転がった経緯は残念ながら覚えていない。最後に飲み干したのが白ワインで、最後の一本を惜しいと思ったことしか記憶がなかった。
サンジくんはきっと最後までつまみを作ったり甲斐甲斐しく片付けたり立ち働いていたはずで、私のほうが先に転がったはず。
でも、彼の腕を下に敷いているということは私がここに寝転がってしまったんだろうか。あえて、こんなにも近くで、まるで恋人みたいに?
ありえない。
サンジくんがいそいそと私の隣に横たわり、私の頭を持ち上げて自分の腕の上に乗せたというほうがずっと真実味があった。
ああ、きっとそうだ。この男ならやりかねない。
真意はともかく好きだ好きだとつきまとってくるし、たとえ私じゃなくても女が寝転がっていたら自分も隣に転がりそうな男だ。
でも今は彼も深く眠っているように見えた。遮光性のないカーテン越しに、街灯の光が薄く室内を照らしている。そのぼんやりとした灯りがサンジくんの顔を浮かび上がらせていた。
私からは彼の顎から見上げる形になるが、サンジくんは仰向けで、唇は薄く開いて細く寝息が聞こえているのが見えた。

私変な顔して寝てなかっただろうか。まじまじと見られてたらやだなぁ。
もう一度起き上がろうと肘に力を込めて床を押したとき、今度は急にサンジくんがみじろいだ。
ぎょっとして動きを止めた私の方にぐりんと寝返りをうち、私の頭の下に敷いている方の左腕がぐいと動いて持ち上がる。
え、え、と戸惑っているうちに、私の頭はサンジくんの左手にがっちりと抱え込まれた。

「ちょっ……」

思わず声を上げる。さいわいというかあいにくというか、サンジくんも周りに寝転がる誰も、なんの反応もしなかった。
腕に囲われるように頭が固定されたせいで顔を上げることができなくなったけれど、サンジくんの寝息は相変わらず続いている。枕か布団でも抱いているつもりか、さっきより落ち着いた寝息のようにさえ聞こえる。
急に顔が熱くなった。恥ずかしいとか照れてるわけじゃない。サンジくんの体温が高くて、暑いのだ。

もーどうしよ、と目だけを動かすも、サンジくんの喉元が暗く見えるだけであたりの様子は伺えない。部屋は高低差のある男たちのいびきでどちらかといえばうるさいくらいなのに、空気はしんと沈んでいる。

「ねぇ、ちょっと。ねえっ」

ひそめた空気だけの声で呼びかけてみる。サンジくんが驚いて跳ね起きれば、そう気まずさもなく済むだろうと思ったのだ。
でもサンジくんは起きない。ゆっくりと上下する胸の動きが伝わってくるだけだ。
んもー! と心で声を上げて、こみ上げるいらだちを押さえつける。どうして苛立っているのかわからないまま、でも「まあいっか」と再び眠る気には到底なれない。

今度はそっと腕を頭に伸ばし、サンジくんの指に手をかけてみた。
私の髪も頭もまるごと抱え込んだような彼の指を一本ずつほどいて、抜け出すことを試みる。
手に触れてみても、サンジくんの様子に変わりはなかった。いける、と確信し、そっと指を頭から離していく。
最後の一本が頭から浮かび上がり、髪の毛がするんと滑り落ちた。ほっとして頭を引き抜こうとしたそのとき、掴んでいた彼の指にぎゅっと力がこもったのが分かった。

「えっ」

思わず普通に声を上げた私の手をぐいと掴んで、なぜか頭上に持ち上げられる。さらには反対側の腕が私の腰のあたりにどさりと乗って、背中を押すように引き寄せられた。お互いの膝頭がぶつかって、サンジくんは動きを止めた。
私は片腕をバンザイした奇妙な格好で、より固く抱きかかえられてしまった。

──なんてこと。
繋いだ手を頭上に上げて、まるで伸びをしているみたいな体勢でサンジくんは変わらずすこすこと寝ている。
彼の寝相に巻き込まれ、私はなすすべもなく固まった。
暑いし、なんなのこいつ。人のことを抱き枕かなんかだと思ってる。
私はこのまま朝を迎えるんだろうか。他の誰かが起きて発見されるのが先か、サンジくんが起きて解放されるのが先か。後者であれと願わずにはいられない。なにやってんだお前らと笑われるのも、妙な勘ぐりをされるのも御免だ。

「ねぇ、起きてよもう……」

ダメ元で期待のない呼びかけをしてみる。と、ふいに寝息が吸い込まれたような気配を感じた。
ん、ともぐ、ともつかない呻き声が小さく彼の口から漏れた。
起きた!
私は握りしめられた手をゆらゆらとゆすり、「サンジくん、サンジくん」と小声で何度か呼びかける。背中に回されていた腕が動き、腰のあたりまでするっと滑った。
固く抱き寄せられていた力が緩み、彼と私の間に余裕ができる。ぱっと顔を上げると、薄目を開けたサンジくんがぼんやりとこちらを見下ろしていた。

「あ、あんたね」
「……ナミさ……」

薄目が再び閉じていく。ああだめだめ、寝ちゃだめだって。強めに手をゆすってみたら、握りしめられていた力がぱらっとほどけた。はっと期待に目をひらく。
ところが私の手を離したサンジくんの腕が大きく動いたかと思えば、私の肩をぐいと持ち上げて首の下に敷かれた腕は私の両肩を抱き込んだ。腰に乗っていた腕は再び背中まで滑って、再び強い力で抱きしめられる。

「いー夢……」

サンジくんが寝言のように呟く。
夢じゃないって!
寝ているとは思えないほど強い力で私を締め付け、サンジくんは頭をもぞもぞと動かしては身じろいだ。
撫でるように背中の手が動き、暑いのに鳥肌が立つ。
額になにか触れた。
サンジくんの鼻先が、私の前髪をかき分けて額に触れる。やわらかなものについばまれた。
咄嗟に顔をうつむかせる。逃げるみたいになった、と思うが後悔する暇もなく抱きかかえられた身体全体が彼の腕でぐいと持ち上げられる。
顔の高さがおなじになり、真正面からサンジくんの顔を捉えた。
目の前の薄い唇から私の名前がこぼれる。

「ナミ……」

思わずまじまじと彼の顔を眺めた。それ以上の何かが続くこともなく、半開きの唇からは寝息のような薄い呼吸が行き来する。
観念するように、身体の力を抜いた。すると不思議とサンジくんが私を抱き込む力も弱くなり、ほどよい安定感で身体を包まれる。
サンジくんの腕に頭をあずけて、彼の顔を眺めながら、薄暗闇の中静かに他人の体温を味わう。不意打ちの事故みたいなものなのに、どうしてかほんの少しの罪悪感を感じる。
誰かにこんなふうに包まれたのは久しぶりだった。
サンジくんの恋人はこうやって眠るのだろう。自分から眠る彼の腕の中に収まることだってできる。
今まで一度だってそんなこと望んだことはないはずなのに、まるでずっとそれが羨ましかったかのように私は目を閉じた。
起きたとき一体どうなるのか、いまも戦々恐々としている。騒がれるのは鬱陶しいし、変な勘違いも御免だ。
でもちょっとだけ、あと少し、日が昇るまで、誰も起きないでこのまま。
この体温の心地よさを知ってしまってこれから、どうやって一人で眠ることができるだろう。
本当はそのことのほうがずっとおそろしい気がするのだと、淡く霞んでいく頭でうっすらとわかっていた。

拍手[28回]

少しほどけた酔いが心地よい夕食後、濡れた手を拭きながらバスルームから出たところで彼に出くわした。
サンジくんも今まさにバスルームの扉に手をかけようとしていたところで、お互いがハッと立ち止まる。
「ああごめん」とすこしびっくりした顔のままサンジくんは言った。彼もトイレだろう。
「お先ー」と言って道を譲ろうとした私を、サンジくんがその肩で遮った。とん、と壁にもたれかかるようにして道を塞がれる。
は? と眉をひそめて顔を上げた途端、影が覆いかぶさるように唇が重なった。
私は少し眉根を寄せた表情のまま、ぽかんと間近にあるサンジくんの頬と、その向こうに見える壁を見つめた。
ぬちりと音がして舌と舌が触れたときようやく、キスをされている、と気付き、押しのけるように身体の間に腕を入れ、彼の胸を押した。びくともしない。

「ん、サンッ」

とっさに口を開いたら、ここぞとばかりに深く舌がもぐりこみ、おどろくほどなめらかに私のそれに絡みついて強く吸われた。う、と思わず声が漏れそうになるが、目だけを動かして廊下の先の扉を確認する。誰かが来そうな気配はない。
サンジくんが私の肩を掴み、壁に押し付けた。私たちの間に割り込ませた手はぺたりと彼の胸に張り付き、押そうとする力も入らないほど近く私を押しつぶすように彼の体ごとこちらに傾く。
一瞬唇が離れたとき、咄嗟に大きく息を吸った。でもすぐに角度を変えて重なる。やわらかく唇をはむようにしながら、舌が口内をもったりと行き来する。否応なく息が漏れた。

「ふ、んん、っ」

いつのまにか腰を抱かれ、片手で顔を包まれる。頬をすべるほのかな温かさについうっとりとして薄目を開けた。目を開けたことで、閉じていたことに気付いたのだけど。
ぼんやりとした視界の中でサンジくんと目があった。彼の頭の後ろにぶら下がったランプの、オレンジ色の灯りの周りを小さな羽虫が飛び回っている。
恥ずかしいくらい可愛い音を立てて唇が離れた。混ざった唾液が糸を引き、彼がひきちぎるように自身の唇を拭ってそれを取り去った。その仕草を、私はあい変わらずぽかんと見ていた。
私の顔を包む手のひらがゆっくりと下がりながら首筋を撫で、親指が鎖骨に触れたとき、今までのことをすべて理解したように突然肌が粟立った。

「あん、た」

かろうじてそれだけ言うと、サンジくんは自分の口を拭った手で私の唇をそっと拭い、あろうことか目を細めて笑った。

「かわいー、ナミさん」

サンジくんはふらりと揺れて私を通り過ぎると、そのままバスルームに入って扉を閉めた。
がちゃんと鍵をかける音が終わりの合図のようだった。
その音を皮切りに私は打たれたように歩き出し、何事もなかったかのように部屋に戻る。ベッドに潜り込むと、「もう寝るの?」と髪を乾かしていたロビンが珍しそうに尋ねる。布団越しにくぐもった声で「うん」と言った。
おやすみなさい、と彼女が私のベッドのそばの灯りを消してくれる。

「おやすみ……」

応えて、そっと唇に触れた。まだ湿っていた。




「いいにおいがするなぁ」とチョッパーが言ったとき、私はドリンクのストローを咥えたままロビンの読む本の背表紙を眺めてついうとうとしていたところだったので、半分夢の中で彼の言う「いいにおい」を探していた。
甘酸っぱいみかんジュース、青臭いみかん畑を通る風、ベルメールさんの透きとおったたばこの煙、火が通った甘辛いソース、サンジくんとすれ違ったときの、それらすべてが入り混じったにおい。

「ほんと、いいにおい……」
「え?」

ロビンに聞き返されて、はっと目が覚めた。彼女の顔を見上げると、聞こえていなかったようでわずかに首を傾げている。
男たちがやいやいと、チョッパーの言ういいにおいの元を探している。
目元をこすりながら深呼吸してみるが、いつもの潮臭い海の香りしかわからなかった。

「わかる? ナミ」
「まさか。ねぇチョッパー、どっちから?」
「あっち」

チョッパーの指差す方を海図からたどってみるが、海が広がるばかりだ。念の為双眼鏡を向けてみる。どこかの海賊船が船内BBQでもやっているのだろうか。しかしチョッパーが言うには花の匂いらしいし、と目を凝らすと見えた。
島だ。
海図に乗っていないということは、まだ測量もされていない、未知の島。ルフィが行きたがらないはずがない。案の定、ルフィは決まりきったように叫んだ。

「島があるのか!? 行こう!」
「行かないって。ログも指してないし」
「でも地図にのってねーんだろ? お前が地図に描けばいいじゃねぇか」

思わずきょとんとルフィを見つめ返した。
そうか、私が描けばいいのか。
いやいや、と思い直す。隣に腰掛けるロビンと目が合い、彼女がすべて理解したような顔でにこりと微笑む。慌てて口元を引き締めた。

「……ログが書き変わっちゃう」
「行き先地へのエターナルは持ってるじゃない」
「そうだけど」

ほら、いろいろ準備するんでしょう、とロビンに追い立てられて部屋に戻る。コンパクトで軽いリュックを掴み、測量室で筆箱や羊皮紙や計測器にコンパス、と手当たりしだいに放り込む。
ルフィたちの熱気が伝染ったみたいに、興奮していた。

船を島の入り江につけると、ざんと響いた碇の落ちる音が森の方へと吸い込まれていった。白い砂浜はしばらく誰にも踏み荒らされた様子はなく、森は茂っていたが明るくいくつか見知った果物の木が見えた。
明るくて過ごしやすそうな無人島だ。
といっても奇妙といえば奇妙なんだけど、と思いきり顔を反り返らせて島の真ん中にそそり立つ一本の大木を見上げた。
森は中心に行くほど山のように盛り上がっていたが、そのさらに中心にそびえ立った木は縮尺がちぐはぐに思えるほど大きく、なにより見たこともない白い花を無数に咲かせていた。
咲くというより、実っているという感じだ。風が吹くと花全体がぼってりとその頭を下に向けてゆさゆさと揺れ、時折花びらがふっとちぎれて舞い上がる。重たいのだろう、すぐに落ちてきた。

「……変な樹」

砂浜に降り立ってつい感想を漏らすと、いつの間にか後ろからついてきていたサンジくんが「バケモンみてーな花だな」と返事をした。

「あんた付いてくるの」
「うん、護衛。だめ? 邪魔?」
「だめって言ってもきかないでしょ」

へへっと笑ってサンジくんは私の隣に並んだ。荷物持つよ、と私のリュックをやわらかく取り上げる。
諦めて歩き出すとすぐにサンジくんは私の手を握った。いつものことなので「歩きにくい」と振り払う。ちぇー、というだけでちっとも堪えた様子がない。
しばらく歩いたところで砂浜がさっきよりも広く開けたので、ここを基準点とすることに決めて立ち止まった。

「今から測るから、あんたどっか行ってていいわよ」
「いい、ナミさんを見てる」

じっと彼を睨むように見据えると、にこにこと見つめ返されるので諦めて手を差し出す。私のリュックが返された。
折りたたみの三脚を立て、測量機を据え付け、測量を始めたらサンジくんのことなんて忘れた。
忘れた、忘れた、と何度も頭の中で繰り返しながら、数字をノートにぐりぐりと書きつけた。


「…ミさん、ナミさん」

肩を叩かれ、はっと顔を上げる。急に腕が重だるく感じられ、鈍く首筋が痛んだ。

「もう三時間も立ちっぱでやってるぜ、休憩したら」

彼の顔をぼんやりと見上げ、その手元に視線を落とす。お重のような箱の蓋を彼が取り去ると、きれいに並んだサンドウィッチと焼き菓子が現れた。いつのまに持ってきたのだろう。船に戻ったりしたのだろうか。

「喉乾いたろ」

水筒を差し出され、何も考えず受け取る。甘い水にライムを絞ったジュースが喉を通り、何も考えずにごくごくと飲み干す。ぬるいのに、美味しい。すごくのどが渇いていたことに気付いた。
ちょっと日陰に座ろうと肩を抱いて促され、よろよろと誘われるがまま木陰に向かう。シートの敷いてあるそこに腰掛けると、ようやくふっと肩の力が抜けた。

「すげぇ集中力。何度か声かけたけど、全然聞こえてねぇし」
「そうだったの、ごめん」
「いや、このままやり続けてぶっ倒れんじゃねぇかと思ってつい邪魔しちまった。小腹減らねぇ?」

二口程で食べ切れるサイズのサンドウィッチを差し出され、くわえる。サラミの塩気がじんと脳に染みた。

「おいしー」
「よかった、もっとあるよ。甘いのも」
「あんたずっと何してたの」
「おれァこの辺うろうろしたり、ちょっとバナナ収穫したり、船に戻って飲みもん持ってきたり、いろいろ」
「全然気が付かなかった」
「どう、捗った?」
「うん、次は標高の高いところに移動するわ」
「まだやるの? 日も暮れてきたし、明日にしたら」
「今何時?」

尋ねながらコンパスを取り出し、太陽の位置を確かめた。言われてみれば随分と低いところにある。「一六時半くらい」とサンジくんが答えた。
空はまだ明るいが、灯りのない無人島のことだから、急にとんと暗くなるだろう。

「少し高いところから見ておきたいから、登るだけ登るわ。測るのは明日にする」
「んじゃ、おれもご一緒に」

返事をせずに二個目のサンドウィッチをかじる。ぼんやりと水平線を見ながら口を動かした。サンジくんは私の隣に腰掛けてひとつサンドウィッチを食べたが、あとは煙草を吸っている。
暑くも寒くもない心地よい気温と、心地よい疲れが身体にまとわりついて力が緩む。

「あんた」
「ん?」
「この間のあれ、なによ」
「あれって」
「なんで突然キスなんてしてきたの」

サンジくんはしばらく黙り、「ああ」と思い出したように煙草を砂浜でもみ消した。

「もう一回する?」
「話聞いてた?」

はは、とサンジくんは笑って「嫌だった? ごめん」とまるで浅薄そうに謝った。ともするとカチンときそうなセリフだったのに、不思議と怒りは湧いてこない。代わりに呆れたため息がこぼれた。
すでに火の消えた煙草を何度も砂浜にこすりつけながら、サンジくんは間延びした声で「おれさー」と言った。

「ナミさんのことすげぇ好きなんだよ。好きだなーと思ってたら急に目の前に現れて、可愛かったから、つい」
「はあ」
「今も思ってるよ」

不意に指先が私の顎に触れ、唇の上に乗る。彼の指がすべると、ぱさついたパンの屑が私の唇から剥がれ落ちた。

「したいなーって。さすがにこの前みてぇなのは痴漢と一緒だから自分でもあんまりだと思ったけど」

でもまぁ、と言いながら彼の顔が徐々に近づく。

「ぶっとばされるかと思ったけど、そうじゃなかったから」
「……誰か来る」うつむこうとしたら急に指先に力がこもり、顎が持ち上げられる。
「来ないよ。わかるから大丈夫」
「サ、」

遮るように唇が重なる。
どうして私は、この間も、今も、避けて殴って叱りつけたっていいはずなのに、そうしないんだろう。
それどころか彼がそうしてほしいと思っているのに気付いて、薄く口を開けてしまう。
先日の性急さとは打って変わって何度か表面を確かめるみたいに押し付けあったあと、ゆったりと舌が入り込む。同時に片手を取られ、指先から手の甲、手首、腕から肘、二の腕までゆっくりと撫で上げられる。
ふぅ、と鼻から小さく息が漏れた。
舌を引っ込めて唇を離したサンジくんは、鼻先を私にくっつけたまま「かわいい、ナミさん」と言った。掴まれた二の腕に少し力がこもり、引き寄せられる。

「もう少ししていい?」
「やだ……」

ふっとサンジくんが鼻で笑った。間近で目が合う。

「でも気持ちいいだろ、ナミさんも」

慌てて視線を外し、「ちがう」と我ながら意味のないことを口走ってしまう。サンジくんは腕を掴むのと反対の手を私の首裏に回し、髪の生え際に手を差し込んで髪を梳いた。

「おれもすげぇ気持ちいい。キスしてるだけなのに」

そう言って今度は深くつながった。つ、と大きく互いの舌が鳴って、でもそんなことは構わないとでも言うように舌を絡め合う。
私の後頭部を手のひら全体でがっちりと掴まれていて頭は少しも動かすことができない。掴まれた腕を持ち上げられ、彼の肩に乗せられた。
そうしたいと思っていたように私は彼の肩を、背中側の服を掴む。

「ん、う」

より強く引き寄せられ、胸がくっつく。
ごくりと喉が鳴った。私のものなのか、彼のなのかわからなかった。少し離れた唇の隙間から息を吸う。すぐに塞がれ、代わりに唾液が混ざり合う。苦しくて、呼吸もままならず、ぎゅうと彼の服を掴むしかできなかった。
随分と長くキスをしていたように思う。時間の感覚などとうに失われていたし、早く暗くなってしまえとすら思っていた。

「は、ナミさ」

呼吸の隙間にサンジくんがささやく。首筋をすべる手のひらが頬にやってきて、こめかみをたどり、私の前髪をかきあげる。ひらけた額に唇が落ちた。

「触りたい。いい?」
「い……」

サンジくんの手のひらが、ぺたりと私の鎖骨と胸の間あたりに張り付いた。するりとそれが下に落ち、柔らかく胸に触れる。それだけのことに「あ」と声が漏れた。
しかしサンジくんはそれ以上何をするでもなく、不意にもう一度唇を重ね、強く唇を吸った。
ずっ、と音を出して離れると、「時間切れだ」と眉を下げて笑った。
私はさぞ間の抜けた顔をしてただろう。ともすると「へ」と言ってしまいそうな表情で彼を見上げる。やがて、遠くから「サーンジー! メシ! キャンプファイヤーすっぞー!」とルフィの声が聞こえ、すさまじく砂を蹴る足音も聞こえてきた。
ああ……と私は了解し、彼の肩に乗せていた腕を外す。
サンジくんは開いたままだった軽食の箱を手早く片付けると、立ち上がって私に手を差し出した。その手を掴んで私も立ち上がる。
一瞬視界が暗くなり、立ちくらんだ。薄暗い砂浜が見えなくなり、波の音だけが聞こえ、すぐ目の前に立つサンジくんの気配を強く感じた。

「い……」
「ん?」

暗くなった視界が徐々に見えるようになって、少し腰をかがめて顔を寄せたサンジくんがすぐ近くにいた。
煙草の香りを強く感じた。今までもそこにあったはずなのに、なぜか今になってより強く。
いかないで、と言おうとしていた。
近づいた彼の顔を掴んで、もう一度口づけてしまいたかった。

「なんでもない。片付けるわ」
「腹減った? ナミさん」
「さっきサンドウィッチ食べたしね」

他愛もない話をしながらサンジくんは私が測量機などを片付けるのを待ち、同時に歩き出す。向こうから駆けてきたルフィが私たちを見つけ、ぶんぶん手をふるのが見えた。




男たちが組み上げた流木や朽木の真ん中で、ぼうぼうと大きな火が燃えている。森の小動物たちは驚いて森の奥へ引っ込んだらしく、島についたときに聞こえてきたかすかな鳴き声や鳥の声は聞こえなくなっていた。盛り上がった酔っぱらいの声がいくつも重なり合って、はなから聞こえやしなかっただろうけど。

「おうナミ食ってるか!?」
「食ってる食ってる」

すでに焦点の合わない目をしたルフィがげらげらと笑い、串に刺した魚にかじりつきながら浜をうろうろしている。そのうちばたんと倒れて寝るだろう。
いつものことながら飲み比べのようなゲームが始まり、珍しく巻き込まれたサンジくんが調理台に肘をついてかろうじてのていで立っている。フランキーやロビンの踏み台にされるだけなのに、売り言葉に買い言葉で参加してしまったにちがいない。
言わんこっちゃない、という感じで、数分後にその長駆が棒のように倒れるのが見えた。

「今日は随分おとなしいのね」

素面のような顔でロビンが隣に腰を下ろした。サンジくんたちと一緒に飲み比べに参加していたはずなのに、ちっとも効いてる様子はない。

「思いのほか張り切っちゃったから、疲れたのかも」
「そう、順調?」
「ええ、でも明日だけじゃとてもやり切れないし、簡単なメモ程度に記録するだけにしておくわ」
「ルフィは『出航はナミの測量が終わったら』って言ってたわ。ゆっくり気の済むまでしたら?」

苦笑して、手元の酒に口をつける。ルフィの気持ちはうれしいけれど、測量したところで本に残すわけでもない。ただの趣味みたいなものなのに、航海士の私が航海を妨げるわけには行かなかった。
返事をしない私に、ロビンも特に何も言わず海の方を見ていた。
突然、ぼとりと目の前にネズミくらいの大きさの白い物体が落ちてきて、二人揃ってびくりと肩をはねさせた。同時に頭上を仰ぐように、あの樹を見上げる。

「び、びっくりした。花びらか」
「本当変わった樹ね」
「ロビンも知らない?」
「ええ、調べたらわかるかしら」

あげる、とロビンが持っていたグラスを私に差し出す。口をつけると、何かスピリッツの冷えた原液だった。

「あんたこんなの飲んでたの」
「サンジが飲まされてたのよ。かわいそうだから、こっそり交換したの。結局潰されちゃったけどね」
「弱いもんねー、あいつ」
「かわいいところがあっていいじゃない」

サンジくんが飲まされていたという酒を、私もひとくちずつ、しずく一滴程度を舌に乗せて溶かす。頬があたたまるのを感じた。

「こりゃあ酔うはずだわ」
「あなたも飲みすぎないで。疲れてるでしょう」
「こんな酒渡しておいてよく言うわ」

ロビンがふわふわと笑う。顔色の変わらない彼女だが、多少は酔っているのかもしれない。
目の前に落ちた花びらを眺めて「不気味だけど、きれいね」と言うと「そうね、白かと思ったら薄紫で」と返ってきた。

「こんなに目立つのに、どうして地図にないのかしら……」

花びらの輪郭が緩む。指先からグラスが滑り落ちそうになる。とん、と砂の上に置いた。


気づけばキャンプファイヤーの火は消えて、あたりは静まり返っていた。砂浜ではぽつぽつと黒い塊が、それはルフィだったりブルックだったりするのだけど、横たわっていた。車座になっていたフランキーたちもいつのまにかそのまま眠っている。
ゆっくりと背中を伸ばすとぽきりと鳴った。キャミソールの肩が冷えている。手のひらでさすりながら立ち上がり、あたりを見渡した。
船には明かりがついていないが、ロビンもいないし部屋に戻ったのかもしれない。私も戻ろう、と船に向かって歩き始めた。
波がチャプチャプと船の側面に当たる音が心地よく聞こえる。さっきまでうとうとしていたのに、妙に目が冴えていた。月が明るくて、白い浜はベージュのように染まっていた。細かい砂がサンダルの隙間から指の脚に潜り込むのが心地良い。
船のタラップを通り越し、船尾まで砂浜を歩く。月明かりが船の影を作っていた。それにすっぽりと身体が隠されるとなぜだか少し安心した。
ずっと、なにか悪いことをしているような気分が抜けていなかったことに気がつく。夕方のキスから、ずっとだ。
胸に触れた手のひらの感触を思い出す。冷えているはずの首筋が熱くなる。
あんなものじゃ足りなかったのだ。

「ナミさん」

呼びかけられて、はっと振り返った。タラップから降りたサンジくんがこちらに足早に歩み寄ってくる。

「どこ行くの、危ないよ」
「どこにも行かないわ、ちょっと歩いてただけ」
「さっきまで寝てたのに、いねぇからびびった」

サンジくんは腕にかけていた毛布を私の肩に羽織らせて、「んな格好で」と口うるさく言った。
羽織った毛布のはじをありがたく胸の前にかき寄せて、「寒くないけど」とうそぶく。サンジくんの表情は船の影になって見えない。

「あんたこそ、さっきまで潰れてたんじゃないの」
「目ェ覚めて、あたまいてーと思って水飲みに行こうとしたらナミさんも寝てたから、毛布とりに行って」
「ふうん」
「船に戻る?」
「うーん、うん」

ごまかすように足元に視線を落とし、足元の砂をかき混ぜる。サンジくんは釣られて下に視線を落とした。
波打ち際がそこまで来ている。

「散歩でもする?」
「……疲れてるから」
「でも寝ないんだ?」
「あんたこそ、頭痛いんじゃないの。船に戻ったら」
「ナミさんを置いて?」

サンジくんが笑うのが、今度ははっきりと分かった。心にもないことを、と見透かされたような気がした。
思い切ってじっとサンジくんの顔を見上げると、サンジくんもこちらを見下ろしていた。互いに暗すぎて、どんな顔をしているかわからなかったけれど、引き寄せられるように唇を重ねた。
はさんで、吸って、舌を差し込む。私に羽織らせた毛布の下から手を入れて、サンジくんの手のひらが私の腕と肩を撫でた。手の力が緩み、毛布はあっけなくかかとのあたりに落ちた。
夕方、あんなに長く長く舌を重ね合わせて、互いの感触を確かめたのに、どうしてまだこんなにも欲しいのだろう。
今までどうして欲しがらずにいられたのかわからないくらい、求めていた。

サンジくんの手がゆっくりと腰に回り、引き寄せられる。身体がくっつき、背中を直に撫でられる。薄いキャミソールはめくれあがり、冷たい背中に同じくらい冷えた手のひらが乗った。

「冷えてんじゃん」
「……あんたの手も、冷たい」
「料理人の手だからね」

でも、この間の突然のキスのときは熱かった。そう言おうか迷った隙にまた口を塞がれる。
片手はお尻の上を、もう片手は胸を柔らかく押し上げる。重なる口の隙間からわずかに息が漏れる。下着が外され、直に触られると紛れもない声がこぼれた。
ざん、と強い波が船の横腹に当たる音ではっとする。

「ま、って。ここで?」
「だってもう我慢できね。昼間からずっと、触りたくてしょうがなかった」
「でも」
「早く済ます、なんて言いたくねぇけど」

おもむろにサンジくんの指が、スカートの隙間から下着の中に入り込んで私の中心に直接触れた。「あっ」と小さく叫んで彼の肩に掴まる。

「濡れてる」
「やだ……」
「夕方から? キスしたときから待ってた?」
「知らな、あ」
「かわいい。かわいいのに、暗すぎてなんにも見えねぇ」

本当は少し目が慣れていた。お互いの顔くらいなら、その表情がわかるくらいには。サンジくんの指が下着を太もものあたりまでずり下げる。深く指が埋まり、こみ上げる声を彼の肩に口を押し付けてこらえた。
波の揺れる音の隙間から、サンジくんの指が立てる水の音が小さく混ざる。膝が笑い、ほとんどしなだれかかる私をサンジくんは身体の前面で受け止めてから指を引き抜いた。
はあ、と肩で息をしていたら急に抱き上げられて、スルスルと下着が落ちる。サンジくんは足で均すように毛布を広げると、その上に私ごと腰を下ろした。

「入れてい?」
「ん、でも」
「砂、痛かったら言って」

ちょ、と中途半端に飛び出た制止を聞かず、先が中心にあてがわれる。刺激と熱への期待で下半身がぐずぐずと崩れてしまいそうになり、なんとか彼の肩につかまった。

「ナミさんが腰落として」
「やだ、むり」
「むりじゃないって、ほら」

ひそひそとささやきあいながら、サンジくんは私のお尻を引き寄せる。つぷり、と埋まった。

「あ」
「もっと来て」

言われるがまま、膝立ちの状態で腰を沈めていくと徐々に繋がりが深くなる。ああ、と声を漏らす私の首筋に唇を当て、サンジくんも浅く息を吐いた。

「上手。ナミさん、気持ちい……」
「や、あんた、声でかいって」
「これくらい聞こえないよ。みんな寝てるし、波の音もある」
「でも、ああっ」

不意に突き上げられて声が飛び出す。咄嗟に手で抑える私を、サンジくんがじっと見ている。口を抑えたまま首を振るが、サンジくんは動くのをやめない。指の隙間から、もうどうしようもない音がこぼれていた。
擦れ合うたびにしびれににた何かが脊椎を駆け上がる。知らないうちに腰が揺れ、恥ずかしいのに自分でいい方を探してしまう。
ごめん早い、とサンジくんが漏れる息の隙間から言った。

「早く、しないと」
「くそ、もったいねぇのに」

突き上げが速くなり、噛み締めた口の隙間からきゅうと鳴き声のような音が漏れる。身体を突き抜ける快感に身を委ねるようにサンジくんの動きと同時に体が揺れ、脚に力が入らなくなって、強い震えが来る前触れのように視界もぼんやりと揺れた。

「ああ、だめ、いっ……」

いいよ、と言ってサンジくんが素早く私に口づけた。痺れとはかけ離れた強い電気が脚の先から頭まで走り抜け、気付いたらぐったりとサンジくんにもたれていた。
汗ばんだ身体が重なったまま、互いにはあはあと荒い呼吸を繰り返している。着たままの服がしっとりと濡れていた。
頬へのキスで促されて顔を上げると、何度も唇へ小さなキスが落とされる。ぼうっとしたままそれを受け入れて、じわじわと水が滲みるように私たちが混ざりあった現実を感じた。

「脚、大丈夫? 痛くない?」
「ん……平気」
「よいしょっと」

またがっていた私を持ち上げて、おしりからサンジくんのあぐらをかいた膝の上に座らされる。スカートを押し下げて、さっきまでつながっていたところを隠した。

「しちゃったなー」

サンジくんが私を横抱きにしたまま、ゆらゆら揺れてそういうので思わず少し吹き出した。

「こんなつもりじゃなかった?」
「いんや、こんなつもりだった」

ナミさんは? と訊かれ、どうかしら、と答える。
「ずるい」と言いながらもどこか嬉しそうに何度も軽いキスを落としてくるのを笑って避けるふりをした。
本当は、夕方のキスのときから、ずっと待ってたのだろうし多分待ってたこともばれていた。

「──船に戻る?」
「ううん、戻らない」

今度ははっきりと答えた。おれも戻りたくねぇなあ、とサンジくんが言う。ずっとこうしていたかった。
サンジくんの膝の中でけだるい身体を預けてゆらゆらして、潮が満ちて二人のつま先が濡れるまで。

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つらい、とだだ漏れの感情を呟くとナミさんは初めて共感するように黙ってうなずいた。
ふたりだけのキッチンで、9人分の料理が並ぶ大きなダイニングテーブルを挟んで向かい合って座るおれたちはちょうど手を伸ばせば触れ合えるけれど、そうしようとしなければ触れ合うこともできなくて、お互いに伸ばすことのない手を胸の前に折りたたんでうつむいていた。

「こんなふうに終わるなら」

ナミさんが言う。

「始めなきゃよかった」

強く芯の通った声が、今ばかりはわずかにふるえている。おれにはわかる。

「あんたもそう思ってるでしょう」

答えることができず、言葉を探す時間をかせぐようにたばこに火を付ける。
船の揺れに合わせるみたいに、煙も不規則にただよう。

始めなきゃよかったのかもしれない。でも、今までの時間が全部無駄だったのかと言うとそうではない。絶対に違う。
どうしようもなくおれたちはそばにいたかったし、必要だったから求めたのだ。
なくてもよかった時間は思い返すほど一寸たりともなかったはずだと思えるのに、その時間をこれ以上つむぐことができないのはどうしてだろう。

「少なくとも」

声がふるえそうになる。みっともなくて、息を継ぐようにたばこを吸う。

「おれは本当にナミさんが」
「わかってる」

強く彼女が言った。

「そんなことはわかってるのよ」

だからもう言ってくれるなと封じられた気がして、口をつぐんだ。

「私だって」

ナミさんもそれ以上言わなかった。聞きたくてたまらないのに、いつものように気安くねだることができない。
ナミさんは一度顔を手のひらで覆い、振り切るように立ち上がった。音もなく、急に時間が進みページがめくられたような感覚になり不安が押し寄せる。

「なんの話し合いをしてるんだろうね、わたしたち」

見上げると少し笑っていた。見たい見たいといつだってほしがっていた笑顔ではなかった。

「もう遅いから、寝るわね」

はっと顔を上げる。甲板へ続く窓は黒く、海は静かだ。そうか今は夜か。
おやすみなさい。
ナミさんがそっと押し込むように言う。踵を返し、テーブルを離れる。ドアノブに手をかけて、空いたドアの隙間から潮の匂いが流れ込み、入れ替わりに彼女が外に出ていく。
ひび割れた空気がさっと入れ替わり、ひび割れていたっていいからもっと彼女と一緒にいたかった、と思っていたことに気づく。
ひとりきりになったキッチンでひとりきりだと強く思う。
会いたい。明日の朝には会えるのに、その彼女はもう、今死ぬほど会いたいナミさんではない。




どでかいくしゃみをして目が覚めた。
驚いて跳ね起きて、したたかに額を天井にぶつけた。
いってェ、クソがと悪態づいたところでふと部屋が明るいことに気がついた。さーっと血の気と額の痛みが引いていく。
部屋を飛び出し、扉を開ける前から香ばしい匂いが甲板にまで漏れていたのでなおさらちくしょーと思いながらドアを開けた。
テーブルを4,5人が囲み、ナミさんとウソップがこちらに背を向けてコンロのあたりで手元を覗き込んでいる。カウンターではロビンちゃんがコーヒーを入れていて、まるでいつもの朝を俯瞰しているような錯覚を覚える。

「あ、サンジだ」
「おう起きたか、サンジも寝坊なんてすんだなー」

からかう男たちの声を一切無視してまっすぐにナミさんの方を見つめると、振り返った彼女が「あ」とつぶやきどこか誇らしげに少し顎を上げたまま「おはよ」と笑った。

盛大に寝坊をかましたおれがキッチンに駆け込んだのは既にクルーが食事を終えようとしていた頃で、ナミさんが有料で作った朝食を平らげた野郎どもはあっというまに船のどこかにそれぞれ散っていった。

「そんなに落ち込まないで、サンジ。たまにはいいじゃない」

肩を落とすおれに慰めの言葉をかけて、何杯目かのコーヒーを入れたロビンちゃんが部屋を出ていく。
ナミさんが作ったハムと卵の朝食をありがたくいただきながら、向かいの席で海図を開くナミさんをチラチラと盗み見る。やがて鬱陶しそうに「なに?」とナミさんが顔を上げた。

「寝坊はもういいじゃない。お金ももらったし」
「そうだけど、そうじゃなくて」
「体調悪いの?」

不意にナミさんが手を伸ばす。ぺたりと薄い手のひらがおれの額に張り付いて、離れる。つめたい、と一言。
胸の前へと戻っていくその手をすがるように掴んだ。掴めるときに、後悔する前に掴んでおかなければと思った。
ぎょっと目を丸めたナミさんが「なによ」と問う。

「ナミさんと別れる夢見た……」

はあ? と大きく口を開いたナミさんは一拍考える間をおいて、あははっと朗らかに笑った。

「あんたそれでそんなに落ち込んで、寝坊までして、ばかみたい」くくっとあくまでおかしそうにナミさんは笑い続ける。
「すげぇ、すげぇつらい夢だった。怖ェ……」
「あのねぇ、そういう夢見るんだったら、付き合ってからにしてくれる」

ちらりとナミさんを見上げると、おれの手を振り払った彼女も不敵におれを一瞬見てからコーヒーに手を伸ばした。

「予知夢だったらどうしよう」
「だからね、その前にあんた私たち踏むべき段階踏んでないから。要らぬ皮算用しなくていいの」
「これから踏むのかも」

ごくりとコーヒーを飲み下して、ナミさんは肩をすくめて答えない。
食べ終えた皿を脇に避けて、下から覗き込むように彼女の顔を見上げる。

「『私も』って言ってた、ナミさん」
「何がよ」かたくなにナミさんは海図から目をあげない。
「『私だって』だったかな」
「だからなにが」
「おれが好きだって言ったら」

あれ、言ったんだっけ。結局言えなかったんだっけ。あんなにも胸を刺したあの時間が、今や既に輪郭もおぼろにしか把握できない。

「夢でしょ。願望でしょ、あんたの」
「そうだけど、おれもつらかったけど、ナミさんもつらそうだったよ」

ナミさんはふと顔を上げ、「そりゃあつらいでしょうね」と妙にまっすぐおれを見て言った。
適当にあしらわれたような気もしたが不意に深くて熱い部分に触れたような気もして、すぐに次の言葉が継げない。
代わりに手を伸ばし、するすると彼女の指を撫でる。好きにさせてくれるナミさんはやはりおれの会いたかったナミさんだ。
あとで金取られるんだろうなあとわかりながら、すべらかな指先を少しこちらに引き寄せた。

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ばかばかしい。
相手に言ったつもりだったのに、連中はにやにやと笑うだけで、なぜかサンジ君が詫びるようにいつもと同じ頼りなくも見える下がり眉で笑った。

「大丈夫。おれがナミさんを賭けて負けるわけねェだろ」
「負けたらどうなるかわかってんでしょうね」

煙を吐き出すついでのように彼は言う。

「死んでも負けんよ、おれは」



茶色い壁にアルコールの香りが染みついたような、古い酒場だった。酔っ払いの歌声は甘い夜には似つかわしくなかったけど、たまには宴じゃなくて二人でゆっくり呑んでみたいねと、それだけのことだった。
肴を二、三品注文して、島の酒を瓶で買う。背の低いグラスに大きな氷を三つ入れてもらって、そこに酒を注ぐと金色の液体がとろとろと氷の背中を伝って落ちていった。
サンジ君はそれを舐めるように、ゆっくりと呑む。
その間に私は三杯おかわりした。

「早いね」
「はしたなくて悪いわね」
「まさか。どんどん色っぽくなるよ」

節の立った指がグラスをつまむように持ち、からからと揺らす。
その仕草がどこか不安定で、私は彼の顔を覗き込んだ。

「なあに、もう酔ったの」
「ナミさんになら」
「それはいつもでしょ」

金色の睫毛を少し震えさせて、サンジ君が笑う。「ごもっとも」

一か月ぶりの寄港に浮足立って、仲間たちの目を盗んでこうして二人で呑みに来たというのに、そのときだった。呆れるくらいありがちな手法で、男たちは声をかけてきた。
「いい女連れてるじゃねェか」「あっちのテーブルに来いよ」そう言って3人ばかりがカウンターに座る私とサンジ君を取り囲む。
「悪ィが」とサンジ君は煙草を指先に挟んだ。

「──久しぶりにふたりきりなんだ。邪魔しねェでくれ」

ジュッと焦げる音がした。
喧嘩っ早い彼のことだ、男の手に煙草の火を押し付けていても不思議じゃない。けれど、私が彼の手元を見遣ると煙草の先はテーブルに押し付けられてひん曲がっていた。
彼は私が今朝言ったことを覚えているのだ。
──ログは一日でたまるの。たった一晩を、穏便に過ごすだけ。面倒でも起こしたら承知しないわよ。
いつ殴り合いが始まってもおかしくない緊張感が、狭い店の中に充満した。だけど男たちはサンジ君の胸ぐらをつかむでも、私を無理やり連れて行くでもなく、言う。

「んじゃあカードゲームでもしねぇか、兄ちゃん」
「カードゲーム?」

声をあげたのは私の方だった。一番背の高い男が私をちらりとみて、姑息そうに笑う。

「簡単なゲームで、負けたほうはショットを一杯飲む。それを繰り返して先に飲み潰れたほうが負け、ねえちゃんは正気で残った方の相手をしてくれ」
「ばかみたい、そんなのこっちになんのメリットもないじゃない」

顔を背けると、私の横に立つ男がドンと音を立てて机に札束を放り投げた。とぷん、とカクテルが小さく跳ねる。

「じゃあこちとら金を賭けるんでいいか?」

お札に視線を注ぐ。目算でだいたい50万ベリーはある。相手がさらさら負ける気がないのだと知った。

「──なしね」

そう吐き捨てると、男たちは距離を詰め、サンジ君は驚いた顔で私を見た。なによ、と彼を睨む。

「いやあ、意外だ」
「私をこれっぽっちで賭けたらあんた、許さないわよ」

サンジ君は苦笑いを噛み潰しながら、ふらりと手を振った。

「だとさ、兄さん方。悪ィが他当たってくれ」

そう言いながら、サンジ君はこっそり私に顔を寄せて囁いた。

「なんならおれだけ表に出たっていいんだぜ。店の裏でササッと片付けちまうから」
「うーん……」

目立たないならその方がいいかな、なんて考えがよぎったそのとき、無骨な物音と共にカウンターが揺れた。
束がふたつ、みっつよっつ。

「これでどうだ」

鼻の穴を広げて、男たちは私たちを見下ろした。
200万ベリー。

「──私が勝ったら、1ベリーも残さず頂くわよ」
「おれたちが勝ったらアンタには一晩中相手してもらうぜ」
「おい」

不意にサンジ君が立ち上がった。私からその顔は見えなかったが、空気でわかる。サンジ君はキレやすい子供のように、怒るときはいつも突然だ。

「てめぇだれに向かってアンタなんて言いやがった。その汚ェ面蹴り潰すぞ」
「ちょっと、サンジ君」

スーツの裾を引っ張って座らせる。勢いよく腰を下ろした彼の頭を両手で挟み、テーブルの上の麻袋の方にきゅっと顔面を固定する。

「あんたの仕事はあれを手に入れること。勝つのよ」
「はいナミさん」

サンジ君が振り返る。突然唇がぶつかった。男たちに見せつけるように、でも半身で私を隠して、舌先を口内に滑り込ませてくる。ちょっと、と突き放すように胸を叩くと音を立てて離れた。

「さあ、んじゃやるか」

サンジくんが立ち上がる。我に返ったように、男たちが一歩引いて「ああ」と言った。スーツの影に隠れて、私は濡れた口元を拭った。



バカラを子どもでもわかるみたいなルールにしたゲームだった。二枚の配られたカードの合計の、一の位が9に近いほうが勝ち。イカサマのしようもない。サンジ君と相手の男たちのうち一人が丸テーブルに向かい合って座った。私は彼の背中から、残りの男たちは座る男を囲むようにテーブルの周りに立ってゲームを眺めた。
サンジ君は負けなかった。
不思議と、彼はためらいなくカードを捨て、開き、男より強いカードを出し続ける。しかし相手は平気な顔でショットグラスをあおり、すぐにゲームを続けた。やっぱり慣れている。こういう展開も、きっと手の内なのだろう。
また、サンジ君が勝った。

「おれの勝ちだ」

男は黙ってショットを傾ける。顔色一つ変わらない。

「まだやんのか」呆れた顔でサンジ君がピラピラとカードを振った。
「言っただろう、潰れるまでだ」

兄ちゃん諦めな、と周りの男達が囃し立てる。

「こいつより酒を飲むやつはそういねぇぞ。あんたみてーな細っこい男が飲めるクチとは到底思えねぇ」

そうだな、とサンジ君は煙草を口に挟んだまま、なんでもないことのように返事をする。

「おれは酒、あんまり強くねぇな」

言いながら、山からカードを二枚引いた。男も笑った顔のままカードを引く。

「3」サンジくんが言う。
「──6だ」にやりと男が笑った。

あれ、と素直にびっくりしたような声でサンジ君が言った。

「負けちまった」

なにやってんの、と言う代わりに肩を小さく叩く。とはいえ、ここまでもう5,6回勝ち続けていたほうがおかしいのだ。そろそろイカサマが音もなく滑り込んできて、瞬きよりも早くあっという間に負けに追い込まれかねない。サンジ君の方へ、ショットグラスがテーブルを滑ってきた。中の透明の液体が大きく揺れている。
サンジ君は黙って手を伸ばした。グラスに指が触れる寸前に、後ろからグラスを掴み取った。一気にあおる。

「あ」

男たちが一様に口を開けて私を見る。液体が熱く喉を滑っていくのを感じながら、グラスをテーブルに戻した。

「なによ」

男たちと一緒になって私を仰ぎ見るサンジくんを軽く睨むと、「ナミさぁん……」と情けない声で笑いながら彼は私の手に触れた。

「カードを引くのはあんた。飲むのは私よ。いいわよね」

テーブル越しの男たちを睨むと、男たちは声を上げて笑った。

「いいさ。楽しくなってきた」

テーブルに置いた瓶の中身はどんどん減っていった。二本目が空こうとしている。勝ち続けていたはずのサンジ君はぽつぽつと負け始め、相手の男の目の動きが酔いで怪しくなっていく。私の身体もぼんやりと熱くなってきた。でもまだいける。サンジくんは負けるたびに心配そうに振り返るが、私が潰れないことをわかっているはずだ。すぐに前を向いて、「次」と言った。
ゲームがくるりと表情を変えてイカサマとも気づかないうちに騙すのが相手の手だろうが、こっちだってイカサマなんて腐るほどやってきた。男たちがカードをすり替えようとするそぶりや、手や袖口に隠したカードは私には見え見えだった。まっすぐに「それ、二枚持ってるわよね」とサンジくんの後ろから指摘したら男は小さく笑ったあとで舌を打った。
ゲームの回数を重ねるに連れ、冷やかしの観客たちがざわめき始める。相手の男の手元がおぼつかなくなってきた。もう少しだ。
男がテーブルに付いた肘で体を支えながら言う。

「埒があかねぇなあ」
「そう? もう随分回ってるみたいだけど」
「それより兄ちゃん、あんた女に飲ませて自分はけろっと、よく平気でいられるよなぁ」

サンジ君の手がぴくりと神経質に動いた。あ、怒る、と感じて彼から半歩遠ざかった。据わった目で、唇の端で煙草を噛み潰してから「あ?」と極悪な顔を上げるはず。
サンジくんの手は、そのままゆっくりと山へと伸びてカードを引いた。あらおとなしいのね、と私は意外な思いで彼の手元を覗き込んだ。
煽りに乗ってこなかったことをつまらなさそうにして男もカードを引く。不意にサンジ君の手が伸びて、私の腰を引き寄せた。とん、とおしりが膝に乗る。

「いい女だろ」

サンジ君の吐いた煙が私の頬をかすめていった。
男はちっと舌を打った。

「7だ」
「……4」

男が煽った酒で二本目が空いた。ごろん、と音を立てて空き瓶が床を転がる。サンジくんがカードの山に手を伸ばしたとき、テーブルの両端にどんとグラスが二つ置かれた。なみなみと入っている液体からツンと尖った匂いがした。店のマスターが疲れたような顔で立っていた。

「店じまいだ。これ飲んで、勝負付けな」

気付けば観客は随分捌けている。時刻は二時に近い。
男が勢いよくグラスを掴んだ。負けじと私も手を伸ばす。同時にぐいと傾けた。

半分ほど飲んだとき、男の体がぐらりと傾いた。どん、と大きな音を立てて椅子に腰を下ろし、そのままぐらりと横に倒れた。ああ、と周りの男の慌てた声とともにグラスが落ちて割れ、中身があられもなく床にこぼれる。
サンジ君は飲むのをやめなかった。私が口につける寸前に奪ったグラスを大きくあおり、のどを動かし、飲み下していく。液体がどんどん嵩を減らしていくのを、私はあんぐりと口を開けて見送った。
すべて飲み干したとき、サンジ君の手からもグラスが滑り落ち、私と彼の膝の前でがちゃんと割れた。

「おれの勝ちだ」

サンジくんは私の腰を少し持ち上げて立たせると、自分も膝に手を当てて緩慢な仕草で立ち上がった。ものくさそうに煙草を取り出し、火を付ける。

「金、もらってくぜ」



ばか、と言って軽く腰のあたりを叩いたら、サンジ君の体はふらりとよろけて二、三歩進んだ。へへ、と緩んだ笑い声が潮風に乗ってちらばる。ひく、と跳ねる肩はまぎれもなくよっぱらいだ。
店を出てすぐに背後から襲いかかってきた取り巻きの男たちは、結局サンジ君がのしてしまった。始めからこうすることだってできたのに、と溜息がこぼれる。ただ、明かりも消えた酒場のそばで多少の物音を立てても大事にならないで済んだのは助かった。迷惑料、と言って数枚抜き出した金を渡したら、店の主人は私たちを厄介払いするとすぐに知らん顔をして店を閉じてしまった。

「あーあ、せっかくのデートが台無しだ」
「でも収穫はまあまあよ。一晩で200万ベリーか」

お金を入れた麻袋の中身を確かめ、胸がほくほくとあたたまる。陸から海に向かって吹く夜風が、私たちに帰って来いと言うように背中を押してくる。千鳥足のサンジくんがふらふらと左右に揺れている。

「無理しなくても、私まだあれくらい飲めたのに」
「んでも、ナミさんも結構きてたろ。おれが勝つって言ったからにゃ、おれが勝負決めなきゃ」
「かっこつけね」

唐突にサンジくんが振り向いた。風で、彼の前髪がすべて吹き上がる。

「かっこよかった?」

ぃっく、と彼の口からしゃっくりが飛び出て、サンジ君は顔をしかめた。締まらないその様子に噴き出してしまう。

「でも、よくよく考えたら私たちずるいわよね。二人で飲んで一人潰して」
「最後の一杯だからチャラさ。それにあとあと襲ってきたあいつらのほうがずりーよ」
「そっか、それはそうだわ」

あはははは、と私たちは高笑いしながら肩をぶつけて歩いた。
歩くのが面倒になり、「サンジ君おんぶして」と言ってみる。

「ん」

従順にも彼はすっとしゃがみこんだので、その背中にどさりとのしかかった。
よいしょも何もなく、彼はすっと立ち上がる。彼の胸の前で、私が持った麻袋がぶらぶら揺れる。

「金、何に遣うの」
「そうねぇ……7割は貯金に回すとして、どうしよっかな」
「服? 宝石?」
「高い酒、買ってもいいわね。あ、それかどこかいい宿に泊まろうかな」
「おれもご一緒できる?」
「まぁ、あんたの手柄でもあるしねぇ」

やったー、とサンジ君は手放しで喜んだ。ばーか、と言いながら彼の髪を手で押さえるように頭に触れ、そこに頬をつけた。目を閉じるとまるで海の上にいるみたいだ。揺れて、浅い眠りに引き込まれそうになる。
船が見えてきた。月明かりに照らされて、誇らしげにまっすぐ前を見上げるサニー号の船首。

「着いちゃった……」

サンジくんの髪に指を差し入れて、梳きながらぱらぱらと指からこぼす。風に吹かれて頼りなくなびく金の糸。
あと数時間で夜が明ける。

「どこか行く?」サンジくんが言う。
「どこかって」
「ふたりだけになれるところ」

ふたりだけ、と口からこぼれる。ふたりだけかぁ、と繰り返してしまう。
酒の熱がじんわりと広がる頭で思ったのは、それも少しさみしいな、だった。
彼のうなじに頬を預けて、目を閉じる。

「いい。帰りましょ」
「そうだな」

サンジくんは迷いのない足取りで、まっすぐにサニー号へと歩いていく。
私たちは毎日共に寝起きして、食事をし、お互いのあらゆる癖まで知り尽くしてしまったのに、時々こうしてどろりと顔を出す果てのない欲望をもてあます。それを均してごまかすようにこうして二人で出かけるが、ふたりだけの時間と空気を扱いきれずに帰ってくる。
いつかもっと上手にできるようになるのだろうか、私たちは。

「金、とっとこうか」

タラップに足をかけたサンジくんがぽつりという。
サニー号の芝生の匂いを嗅ぎ当てていた私は、え? と顔を上げた。

「もっとたっぷり時間があって、ふたりだけになれるところに行って、なんでもできるときのために」

なんでもできる、というその言葉を頭の中で反芻し、あまりのあいまいさに笑いがこみ上げた。

「そうね、そうしましょ」
「なにする?」
「なんでもできるんでしょう」

そう、なんでも、と繰り返してサンジくんは軽やかにサニー号に降り立った。人気のない、暗がりに落ちたサニー号の甲板。潮風が芝生の新鮮な青いかおりを巻き上げる。サンジくんが腕を緩め、私も甲板に足をつけた。
途端に帰ってきた、という安心感とさみしさが胸にせり上がるが、振り返った彼の顔を見上げてゆっくりとそれを飲み下す。

「少し眠る?」
「うん、あんたは?」
「そうだな、朝飯の仕込みでもすっかな」
「まさか寝ないつもり?」

サンジくんは少し笑ってうつむいた。答える代わりに、私の頬に指を伸ばして紙をめくるようなやわらかな手つきで触れた。

「おやすみナミさん」

長躯がこちらに傾く。肩を並べた酒場の時間も、賭け事の熱気も、湿り気を帯びたキスも忘れたみたいに淡く触れて離れた。
サンジくんが背を向ける。キッチンへと歩いていく。とてつもないさみしさに駆られるが、夜が明ければ忘れてしまえることを私もサンジくんも知っている。騒がしくて、慌ただしくて、明るく満ちた日々に飲み込まれていく。
今だけだ、こんなにも何もかも満たされないような気持ちになるのは。手を伸ばしても届かないような気持ちになるのは。
淀んだ気持ちを振り払う思いで私も女部屋へと歩き出す。
ああでも。足を止めた。
楽しい時間だった、ふたりだけの甘い夜は確かにおかしな輩に水を差されたけれど、私たちだけの時間だった。この船は確かに仲間たちの気配が満ちていて、とてもふたりだけの空気で過ごすのは難しいけれど、ただ一言もう少し一緒にいたいと、それくらい私から言ったっていいんじゃないか。
足早に芝生を横切る。扉に手をかけていたサンジくんが足音に気づいて振り返った。暗がりの中、少し驚いたように目を丸めている。
もう少しだけ、そう、例えばアクアリウムバー、頭の奥に水の音が詰まったみたいなあの部屋で一面の青に包まれて、埃っぽくて重たい一枚の布を二人で分け合って互いにもたれかかりながら、魚たちの鱗が光るのを夢みたいに眺めてなんでもできる何かについて話したいと思った。
そう言ったらサンジくんは、潜めた声で「そうしたいとおれも思ってた」とささやいて私の肩を引き寄せる。
さらってくれればいい。こんなふうに私の体をくどくて甘い酒に浸して好きに扱ってくれたらどんなにいいか。
でもそんなこと絶対に言えない、と思いながら、私は「思ってたなら言いなさいよ」と彼の革靴をつま先で小さく踏んだ。

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さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



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