忍者ブログ
OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


【カンバスのある丘】ながらくお付き合いいただきありがとうございましたー。
なんだかすごく長い間描いていた気がするものの、終わってみたら10話しかなかった。

普段あまりあとがきは書かないタイプなんですが、カンバスはもっと書きたい話とか入れたい設定とかたくさんあったので。
あとがきが興醒めだわーと思う部分もあるので自分が書くのはあんまり好きじゃないくせに、大好きな書き手・描き手さんのあとがきを読むのはだいすきです。
だって、どういう考えであそこを描いたのかとか、このとき実はこうなってたとか知るのはめちゃくちゃ楽しいじゃないですか。
文学とか芸術だけのものじゃないんだから、そういうのも私は楽しみたい。
しかし自分が書くのは気後れするのである(ドーン)



ええと、なによりまずナミさんがぜんっぜん原作キャラと違うことに書きはじめて自分で戸惑いました。
なんかすっごく弱いし、大人しいし、常にサンジの前でびくびくしてる感じが「お、お前誰やー!」と思いながらずっと書いてました。
でもやっぱりノジコやベルメールさんといるとき、何よりウソップと一緒にいるときはナミさんらしくなるのが不思議だなあと。
そしたら感想をいただいた中で、『もしベルメールさんが生きていて、あの壮絶な過去がなくナミさんが育っていたのならこうなっていたのかもしれない』というようなことを言っていただいて、すごくすとんと自分の中に落ちた気がしました。
いや、正直そんな殊勝なことは考えていませんでしたが。
ただ、自然発生的に彼女の中に生まれた恋心を大事に育てて、悩んだり迷ったりしながらも持ち前のまっすぐさでサンジにぶつかろうとする時間と余裕が、現パロのナミさんにはある気がします。


次にサンジ。
ずっとナミさん視点で進めていたので、ヤツのこともっと書きたいけどかけないやーと諦めたことが何度もありました。
たとえばサンジは、当然のようにゼフから料理の手ほどきを受けて原作の様なあの壮絶な遭難生活を取り払って育ったとしたら、すごく天狗になって高校生辺りまでは育つんじゃないかと。
幸い容姿もまぁいいし、育ちは複雑であれ家はそれなりに裕福で。
でもそれが、高校生辺りに何らかの理由でぽっきり折れたとしたら、あんなふうに擦れて妙に飄々としたサンジができあがるのではないかな。
やっぱりこの辺も話に盛り込めばよかったー。
でもナミさん視点にすると、この辺の話はサンジに喋らせるかウソップやゾロ辺りに語らせるしかなくて、それを上手に差し挟む技術が私にはなかったのであきらめました。
きっと、今後何かの機会にナミさんには零すんじゃないかな。
折れてよかったんじゃない、ってナミさんは思いそう。


ルフィを始めにナミさんの弟にしようと思ったのは、単純にこのコンビが私は大好きだからです。
カップリングは想像もできないけど、コンビとしては最強だと思う。
なんだかもう一心同体みたいな、お互いに意識せずリンクしあえるルフィとナミさんなら、ナミさんが何らかの事情で参っちまったときにもルフィが掻っ攫うように彼女を掬ってくれる気がします。
そんでナミさんも心のそこではそれを信じて待ってるみたいな。
最強の信頼関係が麦わらの一味には張り巡らされてるだろうけど、ルフィとナミさんのそれはぶっといのではないかと。
あ、これは海賊のはなしか。
現パロでもそういう立ち位置にいてほしいなって、そういうことです。



ウソップは、サンナミ現パロには付き物です。
ウソップとロビンちゃん辺りは本当にすきだ。
言いようにも悪いようにも二人をかき回したりせっついたりしてくれるから。


今回の話に感想をいただいて何より一番おもしろかったのが、みなさん他キャラ
のパートナーを推測してくれる。
ゾロが個展にやって来たことに対し、「ペローナに会いに来たの!?」「ロビンに会いに来たの!?」みたいなざわつきを聞かせていただいたのが楽しかったです。
正直私の性質としてはゾロビンよりの傾向があるのですが、今回の話では一切ロビンやゾロにカップリング色を乗せたつもりはありませんでした。
でも突然ペローナを出したということは、ゾロぺロの深層心理が働いたのかもしれない。
特にゾロぺロクラスタでもないのに。
ペローナちゃんはいちばんベレー帽が似合う気がしたので登場しました。

ロビンちゃんは大人のくせして不安定なところがあるから、海賊版では絶対にあんなふうにしっかりナミさんを支えることはできないと思います。
現パロでそれができるのは、彼女にあの過去がないことと、やっぱり誰か支えてくれる人がいるんじゃないかと。
その辺も特に誰とか決めてないので好きにしてくれ!!

あと一瞬だけど初めてオリビアさん書きました。生きてるよ。


そうそう感想コメントで触れていただいた、9話目にナミさんとロビンが話題にするとある小説、ご存知の方はご存じの某村上氏による小説『スプートニクの恋人』からネタをいただきました。
特に直近で読んでいたわけではないのに、唐突に浮かんできて。
小説に関しては話し出すと止まらないのですが、この小説の冒頭がすごくすきです。
ナミさんが口ずさんでる「平野を突き進む竜巻みたいな」恋というやつ。
な、なんだそれぇえええとピシャーーンと胸に来ました。
某春樹氏の文章は、あまりのこねくりまわしに頭がついて行かず辟易するときもあれば、こんなふうにぐらっとさせることもあるので困ります。


話がそれました。

絵描きのサンジが書きたいっていうただそれだけで、まさかこんな話になるとは思いませんでした。(計画力の無さが露呈)
ただ、ちんたら書いている最中やっぱり感想いただけたのがほんっとーーに嬉しくて、サンナミ書くのが趣味でよかったと心の底から思いました。
そんでやっぱりサンナミ好きだー。

次は海賊で長編書きたいなあ。


お読みいただきありがとうございました!


2015.7.27 こまつな

拍手[27回]

PR
息を呑んで立ち止まった私を見て、サンジ君が揺れるように一歩進んだ。
電灯の明かりは彼を逆光で照らし、上手い具合に表情を隠している。
ただ、たった一歩踏み出したその足の運びや揺れた腕が紛れもなくサンジ君で、途端に喉がぎゅっと狭くなる。息苦しさに思わず胸のあたりの服を掴んだ。


「急にこんなことして悪ィと思ったんだけど」


首の後ろ辺りに手をやって、俯きがちに言う。
耐え切れず一歩後ずさると、見えないはずの彼の顔が悲しげに歪むのを感じた。
おもむろに、サンジ君の背にした扉が開く。
「おかえり」と、私に向けてまっすぐ声が飛んでくる。


「入ってもらいなよ。あんたを待って、二時間もここに突っ立ってたんだよ」


ノジコは扉を大きく開けて、顎の先で中を指し示した。
サンジ君がノジコを見て、また私をちらりと窺い見る。
下唇を噛んで黙りこくる私に、ノジコはわざとらしく息をついた。


「あんたが入れないなら私が入れちゃう。サンジ君、ナミの部屋は突き当たりの階段上った右手の部屋よ。帰ってくるまで入らないって言うなら、もう帰ってきたからいいんじゃない」
「ノジコ!」


遮るように叫んだつもりが、聞き入れられないわがままに怒っただけのように耳に響いた。
もう会いたくなかったのに、会いたかったけど、本当はすごく会いたかったけど、もう会うつもりなんてなかったのに。
どうして来たの。


「帰って」
「ナミさん」
「待たせといて悪いけど、もう私」
「でも、おれの話も聞いてくれるっつったろ。今度でいいからって」


サンジ君の言葉はすがるように私に響いた。
ハイハイハイと間に入るようにノジコが出てきて、私とサンジ君の背後に回って背中をぐいぐい押す。
ちょっと、と抵抗する私にお構いなく、ノジコは笑った。


「こんなところで繰り広げられても困るからさ、とりあえずあんたの部屋でやってくれる?」


強引に家の中に入ると、ノジコは扉を閉め、自分はさっさとリビングのソファに腰を沈め、「あ、ベルメールさんお風呂だから」といつもみたいに言った。
サンジ君は戸惑うように、それでもまっすぐ私を見る。
ノジコがおせっかいを焼くようなことをするのは珍しい。その意図を汲むわけじゃないけど、と私は息をついた。
家の奥の階段へ向かうと、サンジ君がそっと後をついてきた。

まったくちぐはぐだ。
狭くてごちゃごちゃしていて、どことなく柑橘のにおいが漂ういつもの我が家にサンジ君はちっとも似合わない。
彼自身、とても居心地悪そうにしながら、それでもおとなしく私の後についてきた。

机とベッド、あと小さなクローゼットしかない狭い自室に入ると、サンジ君が後ろ手でドアを閉めた。
座る椅子もクッションもひとりぶんしかない。
私は中途半端に振り向いて彼に横顔を見せたまま、むすりと口を引き結んでいた。
ごめん、と彼はまた謝る。


「迷惑だとは思ったんだけど」


首筋を汗が伝う。
あまりの驚きに一瞬で引いた汗が、蒸し暑い二階の空気でどっと戻ってきた。
首を手の甲で拭うと、電灯に照らされたそこがぬらぬらと光っていた。
喧嘩をしたわけでも、どちらかが何か責められるようなことをしたわけでもないのに、私たちはお互いに気まずい場所へ向かって一直線に走っているみたいだ。
えぇと、とサンジ君も話すべきことを探すように、視線を彷徨わせた。


「電話じゃなくて、直接会いたくて」


思わず、小さく頷いた。
彼がほっとしたように肩の力を抜くのがわかる。
そして、何かを覚悟するように目に力が入った。


「おれ、ナミさんがすきで、正直ナミさんもきっとそう思ってくれてんじゃねェかってちょっと思ってて、だからこそ嫌われたくなくて」


おもむろに、サンジ君はポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。
突然の動作に驚いて彼を見ると、差し出された手の上に乗っている、煙草の箱とライター。
それを私に押し付けるように差し出して、彼は一気に言った。


「ほんっと馬鹿見てェだけど、こういうのも全部隠していい男のふりしたかったんだ。ナミさんみてェなまっとうな女の子に好かれるにはどうしたらいいかとか考えて。でも本当はおれガキの頃からバカスカ煙草吸ってるし、口は悪ィし、家のこともおれにゃジジイに比べて実力が足りねェって言われるのが怖くて逃げる代わりに趣味程度の絵の世界に片足突っ込んで、当然そっちで芽が出るわけもねェで無為に大学生活送って、最低だけど適当に女の子とも遊んで」


知られたくなかったんだ、と絞り出すようにサンジ君は言った。


「料理の実力が足りねェこととか絵に中途半端なこととかよりも、そういうのから毎回逃げ出してること。それに最初は──ナミさんも同じかと思った。その、遊びたいのかなって」


私が目をむくと、サンジ君は慌てたように手を振って、その拍子に煙草が床に放り出された。


「や、すぐに違うってわかって! つーかナミさんまっすぐすぎて怖かったんだ。そんなふうに好かれたことなかったから」


サンジ君は中途半端に上げた手を、落ち着きを取り戻したかのようにゆっくりとおろした。
目を逸らし続ける私を、少し膝を曲げて覗き込む。


「信じてもらえねェかもしんねェけど」


何もかもいらないわけじゃない、と彼ははっきり言った。


「できることなら家を継ぎたい。趣味でいいなら絵も描きたい。なによりナミさんに好かれたい」


一度降ろされた手がゆっくりと伸びてきて、一瞬迷い、私の肩に触れた。
振り払うのも忘れて、思わず彼と目を合わせてしまう。


「ナミさんだけでいいんだ。ナミさんをあんなふうに嫌な気持ちにさせるならって、遊んでた子たちとははっきり手を切った。ナミさんが携帯持たねェならおれもいらねェ。──そういうのに時間がかかっちまって、なかなか連絡できなかったんだけど。つーか携帯もねぇし」
「ほ、ほんとに携帯捨てちゃったの」


思わず尋ねると、サンジ君は安心した子供のような顔で、そして少し泣きそうなあの顔で、うんと言った。
彼の手が、汗ばむ私の首筋に触れる。
いつの間にかずっと近くに彼の顔がある。
震える息がかかる。


「お願いだ。おれのことすきだって言ったよな。まだそのままでいてくれてるなら、もう一回言ってくれ」


おれも好きだ。ナミさんが好きだと、私の眉間の辺りに囁くように言う。


「もっと早く言えばよかった。言わなくてもわかることだと思ってた、んなわけねェのに。なぁ、頼む。好きだって言ってくれ」


ありえないくらい唇がわなないて、そこを噛みしめてもまだ震えていた。
言葉にしようとすると喉が詰まって、う、とみっともない声が出る。
サンジ君の手はもう私を抱きしめる準備をしていた。
くやしい。そのくやしさに涙がでる。
全部わかってるくせに私の口から言わせて、それで幸せになるのはサンジ君だけじゃないか。

歯を食いしばる私の頬を、汗でぬれた手のひらが包む。
そのまま耳の後ろに滑り込み、顔が持ち上げられる。
咄嗟に彼のその手首を掴んだ。
泣き濡れた顔のまま「ひどい」と漏らすと、唇が触れる寸前でサンジ君は「うん」と言った。


「ごめんな」


ぎゅっと手首を握りしめる。
びくともせず、私の顔を持ち上げて深く唇が重なる。
耳の中に涙が流れ込む。
この人は本当に悪いと思って謝りながら、こんなふうにやさしさをばらまいて、結局自分の思い通りにしてしまう。
私はそういう人を好きになった。

掴んでいた手首を離し、腕を辿って首に両手を伸ばすと、飛び込んでくるみたいに彼の頭が腕の中に収まった。
音を立てて唇が離れ、額をくっつけたままサンジ君の片目が私を窺う。
根負けするように、私は鼻をすすりながら「好きよ」と言った。
あぁ、と低い声を洩らし、サンジ君は猫のように私の額に頬を擦りつけた。






帰り際、手を振って丘を下りかけたサンジ君が何かを思い出したように立ち止まり、慌てて戻ってきた。


「どうしたの」
「これ、渡そうと思って持ってきたんだった」


ポケットからおもむろに、一枚の紙を取り出す。
光沢のあるそれは広告のようで、玄関の灯りが照らす中ではよく見えない。


「なに?」
「この前ナミさん大学のこと少し言ってたろ。もしその気があるなら、うち、今度夏のオープンキャンパスあるから。うちは美大っつーかそっちのケがあるだけで一応公立の総合大学だから、ナミさんの興味ある学部もあるかもしれねェし」


案内するから一緒に行こう、とサンジ君は笑う。なぜだか少し得意げに。


「もしナミさんが来年大学生になったとしてもおれは卒業しちまうけど、もしかしたら専門学校とか行けるかもしんねェから。料理の」


金がなかったら家で修業するわ、と苦笑する。彼を見上げていると、つられて顔が緩んでしまう。


「おじいさん喜ぶわね」
「いやぁ……多分一度は家追い出されると思う。自分でも今までふらふらしておきながら調子いいこと言ってんのわかるし」


ま、とにかく、とサンジ君は私の手にチラシを握らせてそのまま2,3歩後ずさった。


「興味あったら連絡して。って、携帯ねェわ。おれが連絡する、家にかけてもいい?」
「うん」


にっこり笑って、サンジ君は大きく手を振る。
下り坂を大きな一歩で下って行く背中を、暗闇に溶けるまでずっと見ていた。





オープンキャンパスはまるで祭りのようで、学生たちはいつものように公園のようなキャンパス内を行き来しているのに、私の目にはとてもきらびやかに映った。
先に予約をしておいたので、受付で名前を言って会場に入る。
1時間半ほど暗い講堂でスクリーンに映し出されるスライドと共に説明を流し聞いて、いくつか資料をもらってから解散となった。
キャンパスツアーなどいろんな企画が自由参加となっていたけど、ちょうど説明会が終わるころサンジ君が合流してくれた。
暑そうにシャツの胸を仰ぎながら、「どうだった?」と尋ねる。


「うーん、やっぱり美芸に力を入れてるのね。参加者もそっち方面の人が多いみたいで、説明も偏ってた」
「あーやっぱそうか。クソ、しっかり良質な説明しやがれよな」


悪態をつく彼を笑っていなしながら、蝉の鳴きわめく並木道を抜けた。
昼を過ぎ、気温がどんどん上がっていく。
背中をつるりと汗がすべった。


「っと、もうこんな時間か。学食でよけりゃすぐ食べられるけど、どうする? 日曜だけど、オーキャンの日は学食やってんじゃなかったっけな」
「じゃあ食べたい」
「ん、食ったことあるんだっけ」
「ウソップと一度来たわ。すごく混んでた」
「それも大学の醍醐味だかんなー」


学食のある棟へ移動する間、暑いからという理由で少し遠回りをしながら日陰を歩いた。
角を曲がるところで、ふと背の高い人とすれ違う。
サンジ君と話しながら避けて交わし、2,3歩進んだところでまぶたの裏に直接響くみたいに何かがピンと触れた。
勢いよく振り返ると、長い足をロングスカートで隠した女性が遠ざかっていく。
ロビン、と口をついた。
サンジ君も足を止め、私の視線の先を追う。


「ナミさん?」
「今の人、ロビンじゃないわよね……」


一瞬視界に入った顔の造作は彼女そのものだった。
ただ、後ろ姿を見てもちがうとわかる。すれ違った彼女は長く透き通るような銀色の髪をしていた。
ああ! とサンジ君が声をあげる。


「そっか、ナミさんロビンちゃんと顔見知りだったんだよな。あの人はうちの教授で、うちの部の顧問に名前貸してくれてんだ。美術にゃちっとも興味ねェみてェだけど。そんで」
「もしかして」


うん、とサンジ君が頷いたところで、女性は建物の中に消えて行った。


「ロビンのお姉さん……?」
「や、お母さん」
「うそ、だって」
「や、ほんとほんと。年齢不詳なところがあの親子のこえェところで」
「なんだ……そういうこと」
「ロビンちゃんに聞いてなかった?」
「ちっとも」


こじらせてごめんなさいね、と笑うロビンの声が聞こえる気がした。






大学を卒業したサンジ君は、絵の道具の一切合財を突然私の家に持って来た。


「ナミさんを描きたい」


えぇ、と思い切り顔をしかめた私に、サンジ君は一回だけ、と懇願する。


「できれば明るいところで描きてェから、外がいいかな」
「もう描く気じゃない」


うん、と屈託なく笑うサンジ君に負けて、私たちは庭に出た。


「どうせならみかん畑も一緒に」
「なんだか写真みたいね」
「似たようなもんだよ」


畑のわきにキャンバスを立て、サンジ君は鉛筆を握る。
彼の道具入れから、絵の具の香りが風で立ち上る。
私は小さな椅子に座ったまま、みかんの香りと入り混じったそれを胸いっぱいに吸い込んだ。


Fin.



拍手[19回]

行きと打って変わり人気の少ないバスは冷蔵庫の中みたいにきんと冷えていて、冷え切った腕をますます冷たくした。
奥の座席に進むのが億劫で、入り口近くの一人掛けに腰かける。
ぶぶぶと巨大な昆虫が羽音を響かせるように、バスが唸りながら稼働した。
車窓の向こうを流れていく大学生たちを見るたびに、サンジ君の別れ際の泣きそうな顔を思い出した。
私は彼を傷つけたのだろうか。

そのとき、こつんと窓が小突かれた音がして顔を向けた。
赤信号のためバスは小さく震えながら停車していて、窓の向こうに見えた顔に息を呑む。目が合うと、ルフィはにぱっと顔全体を使って笑いながら執拗に窓ガラスをコツコツコツコツ、それがいつのまにか拳でどんどんと叩くように変わっていた。
ちょっと、と思わず目を瞠ると、ルフィは自分の後ろを親指でくいと指す。
そちらに目を遣ると、2トントラックがコンビニの駐車場の半分以上を占めて停まっていた。
偶然バスの中にいる私に目を留めて、思いのままにふらふらとやってきたのだろう。
しかしバスは青信号に従って前進を始める。あ、と思ったときにはルフィは後ろへと流されていった。
かと思えば、バスはすぐに停車した。バス停についたのだ。
腰を浮かしかけ、また座り、さんざん迷ってドアが閉まりかけたとき、ようやく私はバスを降りた。
バス停からコンビニの方へと歩いていくと、作業着を肩のあたりまで捲り上げたルフィがぶんぶん手を振っている。
時折家にかけてくる電話でしか、ここ最近繋がったことがなかった。ルフィの笑顔がとても遠いところにある懐かしいもののように胸にしみる。半年前までは、当たり前のようにすぐそこにあったのに。


「ナミ! 久しぶりだなぁ、家に帰るのか?」
「うん、あんた仕事中なんじゃないの」
「終わって帰るとこだ! ゾロが飲みモン買いてェって言うから」


ルフィの肩越しに、ちょうどゾロがコンビニからペットボトルをぶら下げて出て来たところが見えた。
ゾロからも見えているはずなのに、私たちには目もくれずその場でおもむろに飲み物に口を付けている。


「ナミはどこ行ってたんだ?」
「ウソップの大学……」


ふうんと相槌を打って、言葉尻の濁った私をルフィは不思議そうに眺めた。

ルフィはこんなにも変わらないのに、どうして私ばかりが置いて行かれたような気持ちになるんだろう。


「ナミ?」


一歩近づいてきたルフィを引き寄せた。
薄汚れた作業着は肌触りが悪く、洗濯の仕方が悪いせいかごわごわとだぶついていた。
細い肩は頼りなく、居心地悪そうに私の腕の中に納まったルフィをとても小さく感じた。
同じ男なのに、なにもかもがサンジ君と違う。
そのことがとてもかなしいのに、ひどく私を落ち着かせた。
ルフィを抱きしめ、なかばすがりつくように肩を掴み、顎を乗せる。
いてェよ、とみじろいだルフィだけが味方だと感じた。


「ノジコと喧嘩したのか?」


あながち間違ってもいない指摘に、小さくうんと言った。


「難しいな……どうやって謝ろう」
「ナミが悪いのか?」
「どうだろ」


ううんと苦しそうにルフィは呻く。
「そろそろ離せよぉ」と言われるかなと思ったが、ルフィはじっとそのままにさせてくれた。
仕事を始めて、気を遣うことができるようになってきたのかもしれない。
だから構わず私もルフィを抱きしめたまま、ここが往来であることも忘れてルフィに身を任せていた。
ゾロも呆れて私たちを見ていることだろう。


「好きな男ができたの」
「お? おぉ」
「でも、難しいね」


わかったようなわかっていないような声で、ルフィはただ「そうか」と言う。
そうなの、と私は零した。


「だからもう、サンジ君には会えない……」


痛む胸も火照る頬も全部彼のものだった。
私がサンジ君のことを考えることさえやめれば、なにもなかったことになる。
彼に関して私が持っているものなんて、なにひとつない。
好きだと思った気持ちさえ、細かい砂を風に飛ばすように、あとかたもなく。

うぅんとやっぱりルフィは唸ってから、「でも」と言った。


「おれはサンジすきだ。メシうめぇし」
「──そう」
「部屋の片づけもしてくれるし」
「そんなことさせてんの、あんたたち」
「おれはまだこれからもサンジに会いてェけどなぁ」


ぎゅっとルフィの背中にしがみつくと、それに応えるようにルフィは一度だけ、強く私を抱きしめた。
それからパッと離れ、「サンジの話してたら腹減ったじゃねェか」と言ってゾロの方を振り向く。


「おーい、腹減ったしメシ食いにいこうぜ」


やっぱり気を遣えるようになったというのは嘘だな、と思いながら「私も行く」と言えば、「あたりまえだろ」とルフィは鼻をほじりながら言った。






夕方というにも少し早いおかしな時間に食事をしてしまい、食傷気味の胃と気まずさを抱えて家に帰った。
家のポーチを抜けてすぐ、畑から戻ってきたノジコとばったり出くわしてしまう。
一言目になんて言えばいいのかわからず、口をあけたまま言葉の出てこない私に、ノジコはいつものけだるい口調で「おかえりぃ」と言いながら軍手を脱いだ。


「──ただいま」
「ごはんは? やっぱあんたも携帯持った方がいいんじゃない。連絡取ろうにもどうしようもないんだから」
「うん」


俯きがちに頷く私を横目で流し見て、さっと近づいてきたノジコはじゃれるように肘で私をつついた。


「ばかね、いつまでもそんな顔してないで。確かにあれは話が急すぎたわ。黙っててごめん」


やっぱりノジコはどこまでもお姉さんで、先に謝られたら気持ちのやり場に困ってしまう。
意地を張るのも疲れてしまう、と私は肩の力を抜いた。すると自然と頬が緩む。


「こっちこそちゃんと話聞かなかったわ。ごめん」
「ん、ベルメールさんにもそう言うんだよ」
「わかってる」
「じゃあ夕飯のときに家族会議第二弾ね」


げっと顔をしかめると、ノジコは逃がすまいとするかのようにがしりと私の手首を掴んだ。


「夕飯要らないとか言うんじゃないでしょうね。さっさと話にけりつけたいんだから、こっちも」
「さっき変な時間にごはん食べちゃったのよ。ルフィに会って」
「ルフィ?」


へえ、私全然会ってないなあとノジコは羨ましそうに口をすぼめた。


「ゾロも一緒だったけどね。ルフィの同居人」
「あれ、ウソップは? あんたウソップと一緒だったんじゃなかったの」
「え、ちがうけど」
「あっそう」


あくまでノジコはどうでもよさそうだったが、そう言えば家を出る前「ウソップの大学に行ってくる」と言い残したことを思い出した。
まるでウソップをだしにしたみたいだと、苦いものが口に残る。
玄関前で立ち話をしていた私たちに、まだ沈む気配もない西日が照りつける。
ノジコの首筋を汗が玉になって流れたのを機に、私たちはさっさと家の戸をくぐった。


「お、帰ったな家出娘」
「──ただいま」


バツの悪い顔をする私に、ベルメールさんは歯を見せてからからと笑い声を立てた。


「サラダにするからレタス洗ってちぎってちょーだい」
「はいはい」
「手ェ洗うのよ」


子供の頃から変わらない台詞を背に受けて、洗面台へと向かう。
そして少しでもこの家の空気を煩わしいと思ったこと、どうしてここにサンジ君がいないのだと馬鹿みたいに一人騒いで心塞いだことを、心底恥ずかしく思った。





経営学。組織を運営すること、その経済を動かすこと。
ベルメールさんとノジコは、彼女たちも聞き慣れないはずの単語をしっかりと理解して、それを噛み砕いては私に説いた。
この家に必要なのは力仕事のできる人の頭数だけじゃない。どれだけ美味しいみかんを作り、どんなふうにそれを人のもとに届けるか。
効率のよさは必ずしも利益を生まない。
ベルメールさんのみかんは彼女の泥臭いとも言える丁寧な管理と惜しみない愛でおいしくなった。
そこに効率性を差し挟む余地はないように見えた。


「でもね、うちは出荷数がどうしても他より少ないでしょう。だから卸先も必然的に限られちゃって、長くやってる割に知られてない」


「あ、ちょっとそこのお塩とって」とノジコが話の腰を何度も折りながらも、私たちは食卓を挟んで真顔を付きあわせた。
こんなふうにベルメールさんが嘆く──嘆くと言っても、けして悲観的ではなくあくまであっさり事実を述べる感じで──のは、いままでときおり耳にした。
だからせっせと私もノジコも営業にいそしんだつもりだったが、うちのやり方はやっぱり古臭いと見えて、なかなか新しい取引先は見つからなかった。


「だからね、あんたの賢い頭をもっと使ってほしいのよ」


私が経営学を学んで、この家の頭脳になる。
考えたこともなかったと洩らせば、「私も」「私も」と似通った声で二人が頷く。
ベルメールさんはチキンを飲み下し、椅子の背もたれに大きく持たれながら、片頬だけを持ち上げる器用な笑い方をした。


「別に私だってさあ、無理にあんたに大学行かせようってハラじゃないんだから。そもそも私は勉強嫌いだもん。自分の嫌いなモン人に勧めようってんだから、真面目な顔するしかないじゃないの」


うーんと俯いて唸りながら、サラダのトマトを口に運ぶ。
みずみずしいそれを噛み潰すと、うっすら青さの残る酸味が口に広がった。


「大学に通う間は、家のことできないのよねぇ」
「そりゃあそうじゃない。ウソップとか見てると、課題だとかなんとか大変そうじゃん」
「手伝えるときだけ手伝ってくれたら十分よ」


さらに頭を下げて考え込む私に、「まぁまぁ」とでも言うかのようにベルメールさんはフォークの先を振った。


「今すぐ答えろってのも難しいし、この話は保留ねー。ナミは興味が出たら自分で大学とか調べてくれる?」


そう言うとさっさと席を立ち、ベルメールさんは台所に皿を下げに行ってしまった。なんともおおざっぱな締めくくりに拍子抜けした。昼食時の真剣みがフルコースだとしたら、この夕食は大衆食堂なみだ。
ばかばかしくなるほど頭を悩ませていたというのに、3人で冷静に言葉を交わせばすとんと重荷は足元に落ちてくれた。
あとは私がどれを拾うか、選ぶだけだ。

「ナミィ、コーヒー入れて」と私を足の先で差しながらノジコが言うので、彼女をひと睨みしつつ席を立つ。


「紅茶でいい?」
「えぇ、コーヒーがいい」
「なら自分でしなさい」
「じゃあ紅茶でいい。レモン切って」


やかんを火にかけ、茶葉をポットに放り込む。
「レモン切って」というのは、我が家ではみかんの輪切りを紅茶に浮かべることを言う。
売り物にならないみかんは段ボールに詰めて、ダイニングの隅に常にある。
私はそこからすっぱそうなものを一つ取り出して、果物ナイフをすっと差し込んだ。





ロビンにみかんを発送した数日後、彼女は涼やかな音色でうちの電話を鳴らしてきた。


「とても美味しいわ。びっくりして、半箱ぶんくらい母に送ったのよ」
「酸っぱすぎなかった?」
「えぇ、あれくらいが好きよ。毎日夕食の後にひとつ食べるの。手が黄色くなってしまいそう」
「それくらいじゃならないわよ」


本当に黄色い手というのはこういうものだ、と受話器を握らない方の手を見下ろした。


「触って柔らかいものから食べてね。皮の厚い種だから悪くなりにくいと思うけど、食べるぶんくらいは冷蔵庫に入れたほうがいいかも」
「えぇ。それでね、お礼がしたいのだけど」
「お礼?」
「おいしいみかんを教えてくれたお礼」


含み笑いを噛んだような柔らかな息が受話器にかかる。
彼女の薄い唇を思い出した。


「お礼なんて、きちんと御代はもらったんだから」
「でもずいぶん安くしてくれたんじゃない?」
「スーパーに卸されたものを買うよりはそりゃあ安いけど」


多少の融通は利かせたけど、微々たるものだ。
それでも彼女は御礼をさせてと言ってきかなかった。
うーん、と悩むふりをしつつ、少し気持ちが浮上する。
つまさきで器用に小さなクッションの端をつまんで、ぶらぶらと揺らした。
うちの電話は座りながら話せる位置にない上にコードレスではないので、おのずと片足立ちになる。


「じゃあ、お言葉に甘えて」
「えぇ、あなたがよければ食事でもどう?」
「それじゃみかんより高くつくじゃない」
「そんなことより、私はまたあなたに会いたいのよ」


びっくりして息を呑む。
クッションがポトリと落ちた。


「……そんなこと言っちゃう?」
「言っちゃうのよ」


葉が擦れるような笑い声を静かに立てて、ロビンは「いつがいい?」と訊いた。


「いつでも……平日の方がいいかな」
「夜でも構わない?」
「うん」
「じゃあまた連絡するわ。近いうちに」
「うん、楽しみにしてる」


カタコトとぶつかる音がして、電話が切れた。
彼女もどうやら家の電話からかけてきたらしい。
リビングの壁にぶら下がった貰い物のカレンダーに目を遣って、たいして予定がないことを確認する。
なんとなく、たいしてロビンのことを知ってもいないのに、彼女はすぐにまた電話をかけてくるだろうと思った。

古風なクリーム色の電話に受話器を置く。
電話を手にしたのは久しぶりな気がした。
結局あの日から、サンジ君からの電話は鳴らない。
どこかでそうなることを予感していた。
そしてひどく浅ましい期待と現実的に胸に迫るその予感がせめぎあうのを、とても静かに実感していた。
ただあの日ルフィを抱きしめたとき、なかったことにしてしまえると思った気持ちが未だぱらぱらと私の足元に散らばって、ふとした瞬間つま先に触れる。
そのとき走る痛みは小さいながらも鮮烈で、やっぱり私はそれでも彼が好きだった。







どこに行くのか結局知らされないまま日時だけを伝えられ、水曜日の夜に丘の下からバスに乗った。
7月の夕方はいつまでたっても薄紫と薄いオレンジがまざりあって空を汚し、気付いた時にはすとんと黒幕が落とされる、そんな夜の始まりが続いた。
バスの窓枠に切り取られた空を仰ぎ見るように窓にこめかみをくっつけて、分厚い雲を見ていた。

ロビンが待ち合わせ場所に指定したのは古くて小さな郵便局で、変わった場所で待ち合わせるなぁと思いつつ、その向かいのバス停で降りる。
私が降りたとき、ロビンは帰り方向のバス停の時刻表をじっと見つめていた。
せわしなく横断歩道を渡って彼女の近づいていくと、気付いたロビンが私を見てすっと目を細めた。


「こんばんは」
「こんばんは、ごめんなさい、待たせちゃった?」
「いいえまったく。こちらこそ、あなたの家からは遠かったかしら」
「ううん、バスで一本だもん」


そう、とにっこり笑うロビンは遠慮をすることもさせることもないまっさらなもので、下ろしたてのシャツのようにさっぱりしている。


「歩いてすぐなの。行きましょうか」
「うん。ロビンはどうやってここまで?」
「送ってもらったの。あ、ほら」


不意に彼女が足を止めたのは、扉の小さなバーだった。
小さな看板がささやかなライトで照らされている。


「お酒もいいけど、お料理もおいしいのよ」


予約しておいたのよ、と得意げに笑う顔は少女のようだ。
扉を引いて中に入っていく彼女の高い背を見上げながら後に続いた。

店内は狭く、机も少ししか並んでいない。
ただ駅前に多いバーやダイニングのように薄暗かったり妙にオレンジ色の間接照明が光っていたりはせず、からっと清潔な明るさで満ちていた。
一番奥の4人掛けのテーブルに案内され、メニューを手渡される。
ワインメニューが豊富なそれを眺めて、適当に選んだ。


「じゃあ私もそれをいただくから、ボトルでお願い」
「えっ、私適当に選んだから、それならロビンが」
「いいの、私もよく知らないわ」


とりあえず一本開けちゃいましょうよ、とはしゃぐように言った。
大人っぽいのか子どもっぽいのかわからないこの人は、どちらにせよとてもかわいらしい。


「──ロビンって、最近読んだ本に出て来た人にすごく似てる」


ふと思い出してそう言うと、突然の告白にもロビンは戸惑うでもなく静かに瞬いた。


「どんな話?」
「とても細くて繊細なんだけど考え方は豪快で、自分のスタイルを貫くために矜持を絶対に守るの。たとえば、フルコースでデザートが出ても絶対に食べない」
「私は残さず食べるわよ」
「ん、まぁこれは例よ。それでね、今みたいにワインをボトルで頼んだら、半分も飲まずに残しちゃうの。『もったいない』って言われたときの切り返しが面白かった」
「なんて?」
「ワインを残せば、より多くの店員の舌にそれが触れる。いいワインであれば残せば残すほど、店員のワインの舌が鍛えられるんだって」


ちょうどそのときワインと冷えたグラスが運ばれてきて、一杯目は店員に注いでもらう。
音もなく乾杯をし、私たちはそっと口を付けた。


「──おいしいじゃない」
「うん、さっぱりしてる。甘さもちょうどいい」
「半分以上残すなんてとんでもないわ」


ロビンはもう一口飲み、「本当に似てる?」と笑いながら尋ねた。


「雰囲気がね」
「じゃあ、あなたも登場させましょう。ナミは誰に似てた?」
「私? 私はだれにも」
「それじゃあ、私に似てるその人に恋人は?」
「恋人……旦那がいるけど、ある女の子がその人のことを好きなの」
「女の子?」
「そう、激しい恋なんだって」


平野を突き進む竜巻みたいに、と小説の一節を思い出す。
ふうん、と興味深そうにロビンは鼻を鳴らした。


「激しい恋」
「そう、変わった話だけど面白かったの。あ、何か料理頼まない?」


アルコールに刺激されてお腹が空いてきた。忘れていたというふうに、ロビンがアラカルトのメニューを開く。
始めは互いの好きなものや苦手なものを探り合うようだったのが、次第に食べたいものや耳慣れないメニューを指差してはあれこれと選んでいた。
料理を注文し、湯気の立つそれらが運ばれてきても、私たちはまるで昔からの友人のようにあけっぴろげに笑いながら話をした。
彼女の仕事についてはアンティークショップをやっているということだけ知っていたが、聞くところによると骨董商のようなこともしているという。


「古くて一見価値のないように見えるものを、欲しい人のところに届けるの。私にはお宝を扱う素晴らしい仕事だわ。あなたにとってのみかんみたいに」


あなたのみかんは骨董品なんかじゃないけど、と蒸野菜にフォークを刺してロビンは笑う。
無邪気といっていいほど寛容に自分のことを話し、そして聞いてくれるロビンに、私は言いよどむこともなく大学に行くか行かないかという話をしていた。
ロビンはグラスを傾け、じっと聞き入ってから口を開いた。


「お金の心配もいらないと言ってくれているんでしょう? 聞きかじっただけの私の意見で申し訳ないけど、とてもいいと思うわ。あなたにとって」
「でもね、本当に人手が足らなくなると思うし、お金の負担だってゼロじゃないでしょ」


ただでさえうちは余分な蓄えもない。
魚の白身を崩しながらぶつぶつ言っていたら、ロビンがフォークの先で巻くように綺麗に魚の皮を取り除いてくれた。


「おうちのことではなくて、あなたの都合はどうなの?」
「私の都合?」
「お金も、仕事も、おうちのことでしょう」
「私は……大学の勉強には興味があるけど……ホントのところ、経営学なんてものを勉強しても役に立つのかなって」


そして勉強したとしても、それを家の仕事に活かしていく自信がこれっぽっちも湧かないのだ。
先日話をしたときベルメールさんやノジコはなんでもないことのように軽く言ってのけたが、負担をかけるぶん、彼女たちが期待するところに手が届かなかったら。

背丈のある分、ロビンは私を見下ろす形でじっと見つめていたかと思えば、おもむろに私のグラスにワインを注いだ。
いつのまにかボトルは空いている。


「私も大学生だった時があるんだけど」


顔を上げると、ロビンは思い出すというよりすぐそこに思い出があってそれを手の上に乗せて眺めているような、親しげな顔をしていた。


「大学ってね、勉強を建前になんでもできるところなのよ」
「建前?」
「私の場合は専攻が歴史学だったの。どうしてもある国に行きたくて、でも私にはお金がなくて、先生を焚き付けて旅費をもらったりしてた。そのころから骨董品に興味があって、どうしても自力で磨くことのできない銀細工を理学部の人に頼んで薬品できれいにしてもらったり」


やりたい放題よ、とロビンはあっけらかんと笑う。


「ナミだって、そんなふうに凝り固まって家業のことばかり考えなくてもいいんじゃないかしら。ご家族も、それだけを望んでるわけでもない気がする」
「それだけじゃないって言っても……」
「大学の交友関係なんて、あなたが広げようと思えば思うだけ広げられるのよ。宣伝広告なんでも好きにしたらいいじゃない」


宣伝。それいいわね、と思わず口をつく。ロビンはフォークを口に含んだままニコリと笑った。


「激しい恋なんて、それこそゴロゴロ落ちてるわ」
「ゴロゴロって」
「本当よ」


ねぇもう一本頼まない? とロビンがワインメニューを開く。
次は選んでと言えば、厳選したお気に入りなのか適当に選んだだけなのか、ラベルの綺麗な赤がやってきた。
ワインを注ぎながらロビンが私をちらりと見たので、「なぁに?」と問い返す。


「興味がわいた?」
「大学のこと?」
「えぇ、学問に自由に、交友関係に激しい恋に」
「随分偏ってるみたいだけど」


そう言いながら、案外これが全てかもしれないと思った。
酔いというほどあからさまな酩酊は感じない。ただすこし気分がふわふわ浮かびやすい。
ロビンは顔色一つ変わらない。
白い肌に赤い飲み物がよく似合う、その顔をぼんやり眺めながら口を開いた。


「──たとえばもう持ってるものが大学生活でも手に入るとして」
「えぇ」
「そしたら……」


考えて、言いよどみ、口を閉じたり開いたりしてから結局「ごめん、何が言いたいのかわかんなくなってきちゃった」とごまかすようにワインを飲み下した。
渋みばかりが目立って舌に触れた。


「持てるものなら持ってたら?」


いくつあったっていいじゃない、と薄い唇が言い切る。
──そうなの? とすがるような目で彼女を見てしまった。
アーモンドみたいに形のいい目が見つめ返す。


「好きな人がいるの?」


頭も心も悩む隙さえなく、子供のように屈託なく頷いた。
「そう」とロビンは嬉しそうに微笑む。
途端に、私の顔はくしゃりと歪んだ。

激しい恋などいらない。
ただ穏やかに毎日を過ごすその中にサンジ君さえいてくれたら。
ゆるゆると歩くように日々を過ごし、息をするみたいに彼を想って、眠るときには私だけの甘い夢を見る。
たったそれだけのこと。


「──あのあとすぐに電話すれば良かった」


待ってなんていないで、私からかけてしまえばよかった。
ロビンは首をかしげながらも、すべてわかったみたいな顔で私を見下ろす。
そうだ、この顔。彼は端正な陶器のようなロビンの顔を慈しむような筆跡で描いた。


「サンジ君は──」
「サンジ?」


思わず漏らした名前に、ロビンは耳慣れた単語を聞きかじったように軽く目を見開く。
あ、と真っ赤な警告音が耳の奥で鳴り響いた。手の先がつんと冷たくなっていく。
つい一瞬前まで姉妹のように感じていた彼女を遠ざけなければいけないと、頭の奥で私が叫ぶ。
──その声でサンジ君を呼ばないで。


「サンジってもしかしてあなた」
「待って、やめて」


強く押さえつけられるように、胸の真ん中が重苦しくなる。
──こんなの、心がこわれてしまう。
咄嗟にかばんを掴み立ち上がった。
はずみで膝がテーブルの脚にぶつかり、ボトルが不安定に揺れる。
すぐさまロビンがボトルの首を掴み、同時に私をさっと見上げた。


「ナミ!」
「ごめん、私」


背を向けた私の左手首を、思いがけず強い力が握りしめた。
中腰になりながら、長い腕が私を絡め取るようにして離さない。


「大丈夫よ。落ち着いて、あなた何か勘違いしてる」


すごく思い当る節もあるし、とロビンは強い目で私を捕えた。
彼女の目を見ることができず、引きとめられるがまま椅子に腰を下ろした。
ロビンも息をつき、手を離す。


「若い子の想像力って偉大だけど恐ろしいわ」


ロビンは呆れたように笑ったけど、私だけに気まずい沈黙が落ちる。
彼女は男らしくグラスの中身を干した。


「あなたも冷静に考えれば、私が彼のことを知っているなんて説明するまでもないと思うのだけど」


私は黙ってテーブルの上の汚れた皿を見つめた。
怒られる生徒のように私が黙りこくるので、ロビンは「あぁもう」と平坦な声で言った。


「かわいいのね」


同時に静かに笑いだした彼女に驚いて顔を上げる。
ロビンは笑ったせいかワインのせいか、頬骨の辺りをほんのり赤くしていた。
笑い声を残したままの彼女と視線がぶつかった。


「私が彼と会ったのは、ウソップたちと同じ理由。あのイベントがきっかけよ。彼はまだ一年生だった──こんな話聞きたくない?」


わずかに首を振った。
サンジ君とロビンの関係を邪推する気持ちは、やっぱりどこかにある。
それでもロビンと話せば話すほどそんなはずはないと思い、それでもサンジ君と会えば必ずロビンのことを思い出した。

ねぇナミ、とロビンは身を乗り出して、私の指先に彼女のそれを絡めるようにして握る。


「あなた、なにか見たでしょう」


私が息を詰めると、ロビンはやっぱりとでも言うかのように笑みを深くした。
その笑顔を見ると、理由もなく胸が痛くなる。


「こんなふうにこじれると思わなかった。ごめんなさいね」


何に対して謝っているのか理解しきれないまま、ゆるゆると首を振った。
ロビンはここで答えを教えてくれる気はないらしい。
彼女は私の指先を握ったまま言う。


「私はあなたとサンジが……今どういう関係になっているのかわからないけど。連絡を取っていないのなら取るべきだし、きちんと話をするべきだと思うわ」


ぎゅっと胸の奥が縮んで、それから水が抜けるようにしおしおと緩んでいくのを感じた。
口を開くと、声が震えてしまいそうで怖かった。
でも、と必死で絞り出した声はやっぱり震えている。


「サンジ君はもう、私に会いたくないんだと思う」


彼の触れてほしくないところに無遠慮に手を伸ばした。
知りたいと思ったから近寄ったのに、そのたびに一歩引かれてはお互いに傷つく。
これが恋だというのなら、私にはひどく重い。


「そんな顔をしないで、ナミ」


ロビンはこれ以上自分にできることはないと悟ったように、ウェイターに水を頼んでくれた。
それをもらい、飲み干すと、ロビンは「おいしそうに飲むのね」と言って笑ったので私もつられて少し微笑んだ。







帰りのバスに乗るとき、ロビンはバス停の前で見送ってくれた。
ロビンはどうやって帰るの? と尋ねると、迎えに来てもらうと言う。
そういえば行きも送ってもらったと言っていたっけと思い出し、もしかして彼女は結婚しているのかもしれないと思い当った。
思えば自分のことに精いっぱいで、もっとロビンのことを知りたかったと今になって後悔する。
すると私の胸の内を見透かしたように、ロビンが「また誘ってもいい?」と少し口ごもりながら訊いた。
まるで幼い女の子が慣れない友達作りをしているようなその言い方に少し驚きながら、「もちろん」と頷く。
ふわっと笑った彼女は、「次はあなたの好きなところに行きましょう」と手を振った。

夜の10時を過ぎているだけあって、バスは空いていた。
黒く塗りつぶされた窓に映る自分の顔を眺めながら、ずいぶん話があっちこっちしたものだとさっきまでの会話を思い出す。
きっと恋をするならロビンみたいな人がいい。小説の話を思い出し、彼女に出会えたことをとても幸福だと感じた。


最寄りのバス停から家までの坂道を、千鳥足とは言わないまでも頼りない足取りでのぼる。
家の灯りがなだらかな斜面を照らすのが目に入った。
玄関扉の上部には、ポーチを照らす電灯がひとつついている。
その明かりの中にぽかりと長い影が伸びていた。
汗ばむ首すじを拭ってポーチに入ったところでようやくその陰に気付いて顔を上げた。


「ただいま……」


長い足がベルメールさんのようで、咄嗟に彼女だと思い込んで口にした「ただいま」が、行き場のないまま足元に落ちる。
サンジ君は扉の横にひっそりと立って、私を見ていた。


拍手[19回]



二度目になる彼の家は今日もひっそりと静かで、階段が軋む音が冷たい廊下にやけに響いた。
彼の部屋に入った瞬間後ろから抱きすくめられる。
期待と不安と、喜びに、後悔。いろんな感情で渦巻いていた胸が一瞬でぐずぐずと溶けていった。


「おれも」


絞り出すような声が耳に直接吹き込まれ、脳髄を揺さぶる。


「おれも会いたかったよ」


本当に? 聞き返す間もなく顎を掴まれ唇が重なる。
いつの間にか位置が逆転し、部屋の扉に背中が押し付けられていた。
殺しにかかるくらい激しいキスが酸素を奪う。
喘ぐように口を開くとすかさず舌が差し込まれた。
脚の間にサンジ君の膝が割って入り、太腿の裏の辺りを熱い手が撫でる。


「あ、待っ」
「なに……?」


返事もなく崩れ落ちた私をサンジ君が支え、そのままベッドに倒れ込む。
互いの体をさぐり合うみたいに服を脱がせ、私の胸に顔をうずめたサンジ君の頭を強く抱きしめた。





衣服を身に付けないままぐったりとシーツに沈んでいると、処理を終えたサンジ君がするりと布団に入り込んできた。
私の鼻先にキスをして、腰を引き寄せ、力の入らない身体を寄せあう。


「だるい? 大丈夫?」
「ん……平気」
「はあ、かわいいな」


鼻のてっぺんから頬、瞼の上にまで小さなキスを落としてサンジ君は笑った。


「ナミさん見たらもう全然歯止め効かねェんだもん。かわいいこと言ってくれちゃうし」


私が会いたいと漏らしたとき、サンジ君はすぐに「じゃあ今からは?」と言った。
わななく唇を噛み締めて出かける用意を始めた私に、ノジコもベルメールさんも何も言わなかった。
一時間に二本程度しか走らないバスに運良く乗り込み、彼の街までまっすぐに進む。
夜に溶けていく景色を眺めて、黒いキャンバスのような窓に映る自分を眺めて、なんて必死なんだろうとかなしくなった。

もぞもぞと頭の位置を変え、サンジ君の鎖骨の辺りに唇を寄せる。
サンジ君は嬉しそうに私の頭を薄い手のひらで支えた。


「ねえ」
「ん?」
「明日は大学に行く?」
「あー……行ってもいいけど、なんで?」


サンジ君の肌は汗ばんで、私の頬が吸い付くようにくっついた。
やわらかな皮膚がここちいい。
深く吸い込んだ香りはずっと欲しかったそれだ。


「私も一緒に行きたい」
「って、大学に?」
「うん」
「いいけど」


またなんで? と問いかけたサンジ君を遮って、口を開いた。


「キャンバスがいっぱい並んでた部屋、あったわよね」
「ああ、作業室? ナミさんと初めて会った場所だ」


私の額にかかる髪を撫で上げて、覚えていることを誇るように得意げな声でサンジ君は言った。
うん、と小さく答える。


「あそこにまだサンジ君の絵はあるの?」
「おれの──さあ、捨てられてなきゃあるんじゃねェかな」


サンジ君の顎の下に頭を収めているので、彼の表情は見ることができない。
凪いだ海みたいな彼の目から、突然明かりが落ちるようにふっと光が遠ざかっていたらどうしようと怖くて、私はサンジ君の鎖骨に唇を当てたまま喋りつづけた。


「やっぱり私、サンジ君の絵が見たい」
「えぇー、ウソップのがうめぇし、おれのなんかガラクタばっかだぜ」
「いいのよ」


なんでも、という言葉をのみこんで、「おねがい」と続けた。
うだうだと嫌がるサンジ君を一方的に説き伏せて、私は彼の大学についていく。
あの部屋のあの場所に、彼の絵はまだひっそりとたたずんでいるに違いない。
白い頬に光を乗せて、静かに口角を上げて遠くを見るロビンがいるはずだ。


「じゃあついでに、あそこのガラクタも全部持ち帰るか」


どうせ卒業までに片付けにゃならんしな、とサンジ君は面倒くさそうに呟いた。
私はそっとサンジ君の手の甲に触れた。
この手で描いたはずの絵をどうして切り捨てるみたいにガラクタなんて呼ぶんだろう。
絵だけじゃない。
驚くほどおいしくできてしまう料理だって、この手で作ったはずだ。
私がその一つ一つを褒めるたびに、サンジ君は目を逸らすように俯いた。

私が持たない何もかもを、サンジ君は手放したがっている。


「な、ナミさんこのまま泊まってくだろ?」
「うん、いい?」
「もちろん、すげェうれしい」


朝、シャワー使えばいいよと言ってサンジ君は私が触れていた手で私のそれを掴み直し、そのままフッと灯りを落とすみたいに寝入った。
明日大学でウソップが、私とサンジ君が一緒にいるところを見たらきっと少し困った顔で笑いながら、それでも手を振って近づいてくるんだろうなと考えながら、私も後を追うように眠った。




目覚めて近くの時計を手に取ったら8時半で、ずいぶん長く寝てしまったと痛む頭を押さえながら身体を起こす。
身じろいだ私に気付いたサンジ君も目を覚ました。
が、起きるわけでもなく口元を少し動かしただけでまた寝入ってしまう。


「サンジ君」
「ん……シャワ……一階、つきあたり……」


かろうじて、という感じでそれだけを口にすると、サンジ君はまた枕に顔を突っ伏してしまった。
意外と目覚めが悪い。それとも朝8時半の大学生というのはみんなこんなふうなんだろうか。
私はそっとベッドから滑り降り、簡単に衣服を身にまとって部屋を出た。
階段を降りながら、そういえばタオルを借りなきゃと思いついたそのとき、階段のすぐそばのドアの向こうからザッと勢いよく水の流れる音がして足が止まった。
遮られた水があちこちにぶつかるザバザバという音に、コツコツと硬いもので床を叩くような音がまざりながら小気味よく響いている。
さっと手の先が冷たくなり、私は慌てて部屋へ引き返した。


「サンジ君、サンジ君!」


乱暴に肩を揺さぶり、それでもまだ夢の縁に片手を引っかけている彼を無理やりたたき起こす。


「ん、ナミさん、はよ……シャワー浴びた?」
「下! 誰かおうちの人いるみたい」
「え、まじで」


急にぱっと目を開けたサンジ君は私の肩に手を置きながらベッドから起き上がると、ベッドの下にだらしなく丸まっていたシャツに素早く袖を通した。


「うわあマジか、ごめん。びっくりしたでしょ」
「ううん、こっちこそごめんなさい、私」
「謝んないでよ。今日休みだとは思わなかった。気にしないでシャワー使って」
「そんなわけにいかないでしょ!」


大きな声を出した私にサンジ君は目を丸めた。しかしすぐに笑う。


「そんな声出したとこ、初めて見た」


言葉に詰まる私の顔に手を伸ばし、頬の一番高いところを親指で撫でる。


「驚かせてごめん。でもたいしたことじゃねェからほんと、気にしないで」


シャワーどうする? とあくまでサンジ君はそればかりを気に掛ける。
そんなに私は汗くさいだろうかと思いながら、もういいと首を振った。
しっかりと服を直す私の横で、サンジ君が机に手を伸ばした。煙草を手に取ろうとしたのだと分かる。
でもそこに煙草はなく、私の目につくところにそれはいつもおいていなかった。
なぜだかわからないがサンジ君は私に隠している。
何もない場所に手を伸ばしてしまった手前、所在なさ気にサンジ君はテーブルに手をついた。
それじゃあ、と部屋を出る私についてサンジ君も一緒に階段を降りた。
リビングらしき扉の向こうからは、何の音だろう、相変わらずコン、コンと硬い音が途切れない。
階段を降りながら、勝手に一泊しておいてあいさつもないんじゃあんまり非常識じゃないかと思い当ったそのとき、扉の向こうから「サンジ!!」と低くてかすれ気味の、それでもよく通った鋭い声が飛び出してきた。
思わず肩が跳ねる。その肩に、サンジ君は押さえるように手を添えた。


「ンだよ!!」
「お客さんに、朝メシ要らねェのか!!」
「外で済ますから放っとけ!」
「ムダ金遣うくらいならうちで食ってきゃいいだろ!!」
「うるせェな、放っとけって」


突然の剣幕でドアを隔てて怒鳴り合いだした二人に挟まれて呆気にとられていたものの、サンジ君の顔がどんどん険しくなり、そして何かとんでもない言葉が飛び出すような気がして、私は咄嗟に「あの」と割り込んだ。


「お、おじゃましてます!」


今度はサンジ君の方が呆気にとられて口をつぐみ、ドアの向こうの人物も同じくぴたりと口をつぐんだ。
ただ年の功というやつか、まだ詰まったままのサンジ君よりも早くドアの向こうからは落ち着いた低音で「おかまいもしねぇで」と返ってきた。


「こちらこそ、朝早くにごめんなさい。お邪魔しました」


素早く階段を降り、玄関で靴を履く。
我に返ったようにサンジ君が追いかけてきて、さらにその彼を追いかけるように声が続く。


「サンジ!」


私だけが振り返り、むっつりとしたままのサンジ君の顔を覗き込む形になった。


「しっかり送ってけ」


言われなくても、と苦い声で呟いて、サンジ君は私の肩を抱くようにして家を出た。
玄関の扉を閉めてから、私は慌ててサンジ君を振り返った。


「ひとりで帰れるわ」
「いいんだ、ジジイがいたんじゃおれも落ち着かねぇし」


それは嘘だな、と思いながらも私は黙ってバス停まで歩き始めた。
あんなにぽんぽん罵声が飛び出すなんて、ああいう掛け合いに慣れているに違いない。
なんとなく滞ったような空気をまといながら、サンジ君は私と並んで歩いた。そしてしばらくすると、いつもの調子を無理やり引っ張りだしたみたいにして「みっともねェとこ見せちまった」と歯を見せて笑った。


「あの人は」
「うちのジジイ。育て親」
「おじいさん……じゃあレストランの」


うん、とサンジ君は道の先をみつめたまま頷いた。
朝日に十分照らされたコンクリートは熱く、靴越しの足の裏がじりじりと焼かれていく。


「仲悪ィからさ、おれと。みっともねェけど喧嘩ばっかりしてんだ」
「なんで──」


尋ねてから、まるで詮索してるみたいだと気付いて口をつぐんだ。
サンジ君は相変わらず苦笑を浮かべたまま言う。


「おれがレストランの跡を継ぐとでも思ってたんじゃね。ところがおれがとんだできそこないだったから、萎えちまったわけ」


私が何か言うよりも早く、最寄りのバス停が見えてきた。
もとより、私に言える何かなんて何もなかったのでちょうどよかった。


「ここで大丈夫」
「ん、ああナミさん朝メシは」
「一度家に帰るからいいわ、ありがと」
「とんでもねェ、むしろ本当にごめんな。ゆっくりできねぇで」
「ううん。それより本当に私大学について行ってもいい?」


サンジ君は忘れていたように一瞬放心して、しかしすぐにもちろんと目を細めた。


「昼からになるけどいい?」
「その方が、私も家のことがあるから」
「そっか、じゃあまた電話する」


うん、と頷いたタイミングでバスがやってきて、手を振って乗り込んだ。
バスが発車し、次の停留所ですぐに人でいっぱいになる。
後ろの方の窓際に座った私は、隣に座った中学生の女の子が膝に置いた手を見下ろしながら、昨日触れたサンジ君の硬い手を思い出していた。







「まーた朝帰り。やるじゃん」とひやかすノジコをあしらいながら、午前中いっぱいは剪定にいそがしくして畑を歩き回っていた。
朝までとっぷりと甘い時間に浸っていたことが嘘のように暑く、忙しい。
相変わらず何も言わないベルメールさんに居心地が悪くなったのは私の方で、ノジコのように突っかかってきた方がさっぱりする。
だからこそ、そのもやもやしたものを薙ぎ払うように、仕事に没頭した。
ベルメールさんもあっちこっち移動しては木々の調子を確かめて、飛び回る羽虫のように慌ただしくしているのでちょうどいい。

家に帰って遅めの昼食を摂っているときサンジ君から電話があり、14時半に大学前で落ち合うことになった。
席に戻って「ちょっとウソップの大学に行ってくるから」と告げると、「そ」と関心のない返事が返ってくる。
いつものことに対して気にも留めずにピラフの山を崩していた私の前に、突然ぱさりと数枚の紙が広がった。


「ちょっと見てみな」


紙を広げたのは目の前に腰かけるベルメールさんで、彼女は大きく口をあけてピラフを頬張ってもぐもぐとやっている。
とん、と細長い指が紙を指差した。
その仕草に釣られるように視線を落とす。

「未来」「実績」「キャンパス」

見慣れない言葉が散らばった色とりどりの紙は広告だ。
いやちがう、これって、


「大学の資料……」
「あんたが好きそうなやつを適当に探してみたんだけど。あたしはよくわかんないからノジコにも手伝ってもらって」


思わず隣に座る姉に目を遣ると、何食わぬ顔で食事を続けている。
崩れたピラフにスプーンをさしたまま、ベルメールさんに視線を戻した。


「どういうこと」
「やっぱりあんたは大学に行ったらどうかって言ってるの」
「き、急になんで」
「急じゃないよ」


割り込むようにノジコが口を開いた。
スプーンを置いたノジコは、まっすぐに私を見て言う。


「あんたが高校を卒業する時から、ベルメールさんも、私もさんざん言ったでしょ。あんたは大学に行けって。好きなら勉強つづけなって」
「私、勉強が好きだなんて」
「みてりゃわかるわよ」


パンフレットに書かれたうたい文句はどれも似たようなものだった。
それでも学科は、私が高校の頃何気なく手に取った資料で見たことのあるものばかりで、一度はあこがれのような小さなときめきを胸に抱かないでもなかったのだ。
確かに私はあの頃、吸収してはすぐさま染みこんでいく自分の頭を使うことがとても心地よかった。
顔を上げると、真正面からがっちりとベルメールさんの視線に捕えられる。
私が何か言うより早く、彼女が口を開いた。


「お金のことは心配しないでいいから。あんたの成績なら奨学金の審査も通るだろうし、蓄えだって」
「ま、待って。待ってよ」


ベルメールさんは真一文に口を引き結んで私を見た。
べたつく汗が腰の辺りを流れる。


「大学なんて行ってたら、うちの仕事はどうすんの。出荷も配送も、いまほとんど私がやってるじゃない。ルフィもいないのに」


そうだ、昔はルフィがいてくれたから、細かいことは何一つできない代わりに力仕事だとか持久力のいる面倒な仕事はあいつが片付けてくれた。
ルフィが家を出てからは、女3人で大変ながらもなんとかやってこれていたものの、さらに私がいなくなるなんてとてもじゃないけど人手が足りるとは思えない。
私はこの突然の提案を何とかして跳ねのけようとやっきになって、理由を探した。
だって、考えてもみなかった。
私以外の家族がそんなふうに私を見ていたこと。
私の知らない私を透かし見られていたような、悔しい恥ずかしさを覚えた。
しかしベルメールさんは、私が思い浮かべた理由を一つ一つ、雑草を摘み取るみたいに打ち消していく。


「私とノジコで回せないこともないと思うの。ゲンさんがお古のパソコンをくれるっていうから、出荷は今まで手書きでやっていたのをパソコンで済ませられるようになるでしょ。そしたら随分効率よくなるから」
「パソコンが来たから私はいらないっていうの」
「ナミ!」


鋭く短くノジコが叫ぶ。


「子供みたいに拗ねた言い方しないで。そんなこと言ってないでしょ。ベルメールさんはあんたが高卒でうちの仕事を始めたときからずっと気にしてたんだから」
「それなら相談してくれたらいいじゃない。こんな、急に言われたって」
「じゃあ断ればいいじゃん。『大学には行くつもりない』って、ハッキリ言えばいいじゃん」


言えないんでしょ、と言いながらノジコはスプーンを置いた。
照らされたみたいにカッと頬があつくなる。


「ウソップも、あんたの言うサンジ君も、みんな大学に行ってて羨ましくならないわけがない。ましてや昔から知識欲の強いあんたが、大学なんて自由に勉強できる環境にあこがれないはずがないもん」


ノジコの言うことはいちいちもっともで、頬だけでなく頭の芯までが熱くなるのを感じた。
ベルメールさんが用意してくれたパンフレットには、ウソップとサンジ君が通う大学の者も混ざっていた。
私の目は、いくつもの文字の中でいち早く紺色で太く書かれたその大学名を捕えた。

それでもやっぱりどうしても、ベルメールさんとノジコが結託して私をこの家からはじき出す計画をしていたような子供っぽい妄想が頭から離れなくて、ゆるせない、と思った。


「いやよ。私はうちの仕事がしたいの。大学には行かない」
「……ナミ、あのねえ。私たちがあんたに大学に行ってほしいのは」
「私だって、ずっと昔からみかんを育てていきたいって思ってた! 大学なんかより、ずっと」


ベルメールさんを遮った私の声は、ひび割れて痛々しくダイニングに響いた。
自分の声が作り出した沈黙に耐え切れず、席を立つ。


「出かける」


部屋に駆け込んで、服の組み合わせを考える余裕もなく手に取るままに着替える。
階下に下りると、ふたりは冷えたピラフを前にしてまだ座ったままで、私は彼女たちを見ないように足早にその横を通り過ぎて家を出た。

半ば走るような勢いで坂道を下った。
上がり始めた気温は容赦なく、地面から湿気と共に立ち上る熱が頭の中の熱と同化してぐるぐると回る。
今朝サンジ君といた時間も、みかんの木々に挟まれた過ごした時間も全部ずるずると溶けて消えてなくなっていくような気がして、もったいないと思ったがどうしようもなかった。

バス停に着き、色の禿げた停留所の標識の横に立ち、まばらに通り過ぎる車や人を眺めると少しずつ鼓動と呼吸が落ち着いていく。
こんな気持ちで今からサンジ君に会うなんて。
白くなった指の先を見下ろして、思う。
──疲れる。
そう思ったときハッとした。

私はずっと、サンジ君と会うたびに、彼のことを考えるたびに少しずつ削り取られるみたいに疲弊していた。
とてもじゃないけど、家のことや自分のことを考えながらサンジ君と過ごすことなんてもたない。
それでも私は今彼と会うことをやめようなんて思えないし、どれだけ疲れてもそれ以上に得るものがあるはずだと期待してしまう。
たとえ期待が外れても、きっとその次を期待して、私はサンジ君に会いたくなる。

バスが来て、少し混んだそれに乗り込んだ。
バスの中は人いきれで空気がこもっていた。
途端に気分が悪くなったけど、耐えて目を閉じていたら少し楽になっていく。
隣に立った男性の耳に刺さったイヤホンから、場違いなリズムが漏れ聞こえていた。





約束の時間には随分と早く着いてしまったので、仕方なくバス停前にあるチェーン経営のカフェに入った。
コーヒーの香り以上に強い人のざわめきが、今は余計な考えを邪魔してくれる気がした。
氷ばかり多いコーヒーのカップを手に窓際のカウンターに腰かけた。
するとやっぱり頭を巡るのは昼食中の出来事で、カフェの騒音などに遮られる程度のものではなかったと思い知る。

ベルメールさんはいつになく真剣な表情で、だからこそ目を逸らしてしまった。
蓋をして、見ないように、触れないように隠してきたものを強引に引きずり出されたような不快感があとを引く。
私がウソップや、サンジ君のように大学に行く。その姿にあこがれないわけではなかった。
ただその気持ちにはきちんと自分で終止符を打ったはずだった。
自分で決めて、決して何かに動かされたからではなく、私がそうしたいからという理由でそっと蓋をした。
今更持ち出されて狼狽えないはずがないのだ。

汗をかいたプラスチックのカップの外側を指でなぞる。
水滴がテーブルに落ちるのを眺めて、自然と息が漏れた。

ノジコに言われるまでもない。
子どもっぽい言い方で、感情的になりすぎた。
きちんとベルメールさんに話をしなきゃいけないと思うのに、また珍しくまじめな顔をしたベルメールさんを前にしたらまた声を大きくしてしまう気がする。
コーヒーをすするたびに零れるため息は自然に濃く深くなり、反対に薄くなっていくコーヒーを持て余した。
ふと重い頭を微かに上げると、ガラスの向こう、道を挟んだ大学の正門前にサンジ君の姿が見えた。


「あ」


思わず声が漏れ、腰を上げかけた。
動きが止まったのは、彼が一人じゃなかったからだ。
サンジ君に寄り添うように歩く髪の長い女の子は、ときおり彼を見上げて心からたのしそうに笑った。
ふたりは正門前で足を止め、何か話しているようだった。
サンジ君はこちらに半分背を向けていて、表情は見えない。
ただ、少し怒ったように顔をしかめたかと思うと又すぐに口をあけて笑う女の子はふざけたようにサンジ君の腕に触れ、許されると分かったうえで駄々をこねるようにシャツを引っ張った。
それだけで十分だった。

私は上げかけた腰をまた落とし、ぼんやりと二人を眺めた。
スクリーンの向こうにいるみたいに二人の動きは劇画じみていて、現実味のないことがより一層胸にきた。
わかっていた、たぶん、こういうものを目にするときが来ることも。
ただ綺麗な服を着て、丁寧に髪をととのえて、計算されたかのようにそれを胸の辺りで揺らす可愛い女の子はあまりにサンジ君らしくて、私はついに見ていられないと片手で顔の半分を覆った。

どれくらい時間が経っただろう。
ふと肩を叩かれて顔を上げたとき、瞼は抑えすぎてジンジンしていたし急に目に入ってきた光はちかちかと眩しかった。


「よかった、やっぱりナミさんだ」


一瞬、まるでサンジ君が瞬間移動してこっちにやって来たように感じた。しかしサンジ君の肩越しに見えた時計はちょうど14時半をさしていて、いつのまにかずいぶん時間が経っていたのだと思い当る。


「ごめん、待たせちまった?」


いまだぼんやりする私を心配そうにのぞき込む。
私は黙って首を振るので精いっぱいだった。
つとサンジ君が眉をすがめ、私の隣にすとんと腰を下ろした。


「ナミさん、どうかした?」
「んん、なんでもない」
「でもなんか、すげェ疲れた顔してる」


私は頬に手を当てて、思わず少し笑ってしまった。
そんな私を見てサンジ君が目を丸くする。


「ちょっと、家族と喧嘩したの」
「えっ、それってもしかしておれのせい……」
「ううん、関係ない」


あ、そうなの、とサンジ君はほっとしたようながっかりしたような顔で笑った。
それから「だいじょうぶだよ」とおもむろに私の手を取る。


「おれナミさんの家族知らねェけど、ナミさんがいっつもきちんと連絡取ってるのみてりゃなんとなくわかる。ナミさんは信頼されてるし、大事にされてんだなって思うよ。ちょっと喧嘩するくらいたまにはいいんじゃねェかな」


なんたっておれは家族喧嘩のプロフェッショナルだから、と最後は冗談交じりで締めくくり、私の手をぎゅっと握った。
あんまり的外れに優しいので、「そうね」と私が小さく笑うと、サンジ君は今度こそほっとしたように肩の力を抜いた。


「じゃ、そろそろ行く? さっきちらっと教室見てきたけど、今は誰もいねェみたいだったし」
「うん」


彼に続いて立ち上がり、相変わらず混み続ける店内をすり抜けるように外へ出た。







十数個ものキャンバスが並ぶ部屋は、初めて足を踏み入れたあの時以来だった。
そのときから少しも変わっていないような気がして、きょろきょろと辺りを見回す。
アクリルや油絵具、乾いた植物のような不思議なにおいが入り混じって漂っている。
開いたままの窓からぬるい風が吹き込んでカーテンを揺らしていた。
明かりがついていないのに、大きな窓から差し込む光のせいで部屋全体が黄色く明るい。
サンジ君は部屋の後ろの方、背の高いロッカーやその周りに雑然と散らかった道具の方を指差して言った。


「おれの私物もあのへんに埋まってると思うんだけど……見たとおりあんな状態だからさ。片付けんの時間かかるかもしれねェ、飽きたら言って」
「うん。好きに見てていい?」
「もちろん」


サンジ君が教室の後ろへと歩いていくと、私はさりげなく部屋の中を歩き回りながら、彼の絵が置いてあった場所まで移動した。
二列目の角の、このあたり。
少し緊張しながらそのキャンバスを覗き込む。
真っ青な背景に浮かぶ淡い黄色の球体。
抽象画のようなそれは、全く別の絵だった。
なんだ、といつのまにか張りつめていた心がほどける。
じゃあどこに行ってしまったのかと辺りを見渡しても、あのデッサンは見当たらなかった。
ちらりとサンジ君を覗き見ると、彼はかがみこんで30センチ四方の小さなキャンバスを手当たり次第にビニール袋に放り込んでいた。


「サンジ君」
「んー?」
「それ、サンジ君の?」
「そう、課題」
「見てもいい?」
「えぇー」


サンジ君は私に背を向けたまま、それだけ言うとまた無造作に袋の中に放り込む。
困ったように眉を下げた表情が想像できた。


「ねえ」


しつこく私が続けると、サンジ君は言い訳がましく「おれ下手くそだからさ。だってナミさんいつもウソップの描いたやつ見てんだろ?」と笑いを含んだ声で言った。


「やっぱりウソップは上手い?」
「そりゃなあ。ウチの有望株だし、それで食ってくって聞いたときもやっぱりなって感じだったし」
「サンジ君は?」


尋ねるつもりはなかったのに、思わず口をついていた。
「んー、おれ?」と相変わらず笑みの混ざった声のまま、サンジ君の返事が返ってくることはない。
少し迷ってから、思い切って続けた。


「サンジ君はもう描かないの?」
「描かないよ」


投げたボールを手早く打ち返すみたいに返事が来た。
もう何度も何度もそう訊かれて、応え慣れているのだと分かった。


「……なんで?」
「んー、でもさ、芸大なんて正直そんなやつも多いよ。こういう道で食ってくのって、それこそウソップみたいに才能が」
「食べていくとかいかないとかじゃなくても、絵は描けるじゃない」


少し大きくなった私の声に驚いて、サンジ君が振り返る。


「……ナミさんは、会ったときからやたらおれの絵にこだわるね」
「だって」


好きだから。
初めて見た黒一色のデッサンをとても美しいと思った。
息をするみたいに映し出された彼女が羨ましかった。
サンジ君の目に、私もそうやって映してほしいと思った。

答えない私があまりに思いつめた顔をしていたからか、サンジ君は少し慌てたように立ち上がり近づいてきた。
にこにこと笑って、いつもこの男は掬い上げるみたいに優しい声を出す。


「ま、そうだよな。趣味でも何でも描きたいなーって思ったら描くかもしれねェし。人並程度に描けるわけだからどっかで役に立つかも」


それにナミさんが喜んでくれるなら、と茶化して笑いながら、私の方に手を伸ばす。
頭に触れようとしたのか肩を抱こうとしたのかわからないけれど、私はその手をそっと押しのけるように遮った。
ナミさん? とさも不思議そうにサンジ君は私の顔を覗き込む。


「サンジ君は、なんにもいらないのね」


絵も、おじいさんのレストランも、近寄ってくる女の子も、本当なら手に入るはずのものを全部欲しがらない。
大事なくせにそうじゃないふりをしたり、上辺のおいしいところだけ掬い取ってみたり、飄々と流れに身を任せるようでいてすべてを受け流す。
私さえも。

戸惑うサンジ君が何か言うより早く「さっき」と口をついた。
私はまっすぐサンジ君の方を見たけれど、その視線は彼の鎖骨の辺りにぶつかった。


「カフェの中から、サンジ君が見えた。一緒に歩いてたかわいい子が、私すごく羨ましかった。毎日作業着で、トラックに乗って、泥まみれの私とは大違いで、すごく」


サンジ君が私の腕を掴む。
揺さぶられたわけではないのに、がくんと頭が揺れた気がした。


「でも、私今の仕事をやめたくないの。母には今日大学に行けって言われたけど、行かないって啖呵切って家を飛び出した。自分でもどうしたらいいのかわからなかったけど、とりあえずサンジ君に会わなきゃってここまできたら、サンジ君は女の子と歩いてた」
「ナミさん、聞いて」
「好きよ」


唐突に零れた告白に、サンジ君が息を呑む。


「私、サンジ君のことすごく好きになって、嬉しかったり落ち込んだりばかみたいに繰り返してたけど、そういうのも全部いらないのね」
「ナミさん待って、急になん」
「だっていっぱい持ってるもんね。私以外にも、たくさん。知ってたけど」


それも全部いらないんでしょ、と言うと私の腕を掴むサンジ君の力がぎゅっと強くなった。


「ナミさん、おれの話も聞いてくれる?」
「うん、でも」


扉の向こうを、数人が足音を立てて話し声と共に歩き去っていった。
その音でここが大学内であることを思い出す。
まるで二人だけみたいだと、私はサンジ君と一緒ならいつでもそう思っていた。

サンジ君の手の力が少しずつ抜け、するりと落ちるように離れた。


「──また今度、でいいから」


黙って頷くと、サンジ君は背を向けて歩き出した。
片付け途中のものたちがごちゃごちゃと散らばったままなのが視界の端に映る。

バスに乗るとき、サンジ君は怖いくらい真面目な顔でまっすぐ私を見て、「電話するから」と言った。
私が頷くと、サンジ君は少しだけ泣きそうな顔で頬を緩めて、バスの外から私に手を振った。






拍手[27回]

目を覚ますと、血のかよった温かさが全身を包んでいた。
そのここちよさに微睡みながら部屋の中の時計を探し、目を凝らす。
時刻は8時を少し過ぎていた。
起き上がると透き通った空気が裸の肩を舐め、ぶるっと身体が震えた。
サンジ君がもぞりと寝返りを打ち、背中をこちらに向ける。
筋肉で張りつめた肩を見下ろして、私はベッドの下に散乱した衣服を拾い集めた。
すべて身に付けた頃、サンジ君がふたたびこちらに身体を転がしゆっくりと目を開けた。


「──おはよ」


すうっと目を細くして、日なたの猫のようにサンジ君は微笑んだ。
むにゃむにゃと赤ん坊のような口調で彼は尋ねる。


「帰るの?」
「うん」
「朝めし、食ってきなよ」
「でも、ご家族は」
「今何時?」


8時過ぎと伝えると、サンジ君は布団から手を出してひらひらと動かした。


「もう出てるよ」
「そうなの? でも」
「ナミさんがいそがねぇなら、おれ作るから」


サンジ君はゆっくりと身体を起こし、胸の辺りを掻くように手で擦った。
裸の自分を見下ろして、つと私を見て、「ナミさんが服着るとこ、見たかった」などとうそぶく。
先に起きてたくせにという言葉をのみこんで、私はただ「ばかね」と笑った。


サンジ君は手早く朝ごはんを整えてくれた。
それもパンと卵みたいなものではなく、お米と、お魚と、青菜というなんとも渋いセレクトだ。
目を丸くする私にサンジ君は「嫌いなものあったっけ?」と尋ねる。


「大丈夫。すごい、こんな朝ごはん食べたことない」
「多かったら残していいよ」


確かに朝はいつもみかんひとつで済ます私にはとんでもなく多い量だったけど、一口青菜のお浸しを食べるとその爽やかな甘さと程よい塩気はとてもバランスが良く、魚は香ばしくごはんがすすんだ。
そのまま箸は止まらず、結局見事に平らげてしまった。
そんな私をサンジ君は始終嬉しそうに見ては、うまい? 味濃くねェ? と何度も尋ねる。


「本当に料理上手ね。びっくりした、すごくおいしい」
「そりゃよかったよ」


片づけをして、食後のコーヒーを飲んでから彼の家を辞した。
その時すでに時刻は9時半で、ベルメールさんは畑に出てるだろうなあと少し胸が痛む。
本当なら私も一緒に枝の剪定をしなくちゃいけなかった。
ノジコがきっと上手く言ってくれている。
でもそれは私が私のしたいことをするためであって、家の仕事を放りだしたことに変わりはないから、自分勝手な行動を情けなく思いながら、それでもこの時間をなかったことにするなんてどうしてもできないとも、強く思った。

サンジ君は駅まで送ると言ってくれたが、道はわかるからと断り玄関で別れた。
別れ際、サンジ君は私を素早く抱きしめた。
何か耳元でささやかれ、サンジ君の胸元に鼻と口を押し当て、くぐもった声で「うん」と答える。
胸いっぱいにサンジ君のにおいを吸い込んで、閉じ込める。
こらえきれない感情が押し出されるように、目の端に滲んだ。






イベント当日に流れてしまった打ち上げは、次の週の木曜日の夜行われることになった。
ウソップから電話で連絡があり、出欠の確認があった。
夜ならいつでも特に予定のない私がたいして悩まず出席を伝えると、ウソップは軽い声で「だよな」と言って笑った。

お風呂から上がってふくらはぎにボディクリームを丹念に塗り込むベルメールさんに、木曜の用事を伝えると「はいはい」とこちらを見もせず了解された。


「こないだの打ち上げでしょ? 遅くなるようだったら連絡しなさいよお」
「うん」


サンジ君の家に泊まった夜のことを、ベルメールさんは一つも私に聞かない。
「ベルメールさんになんて言ったの」とノジコに訊いたら、「サンジ君のところに泊まるって言った」と身も蓋もない答えが返ってきて唖然としたのは、つい昨日のことだ。
口をあける私にノジコは平気な顔で「ウソはつかないって言ったでしょ」と軍手をはめた手をひらりと振った。


「ベルメールさんだって別に過保護じゃないし、本当のこと言ったからってあの人がアンタに何か怒ったりした?」
「……してない」
「下手に言い訳する方が怒るし、ヤな感じでしょ。堂々としてな」


さっぱりとそう言いきってから、ノジコは急ににやりと笑って「それで」と身を寄せてきた。


「どうだった、サンジ君と。家行ったんでしょ」
「別に……ふつう」
「よかった?」
「るさいっ!」


妙にすり寄ってくるノジコの肩を押しのけると、おどけながらノジコは私の手を避けて「よかったね」とニヤニヤした。


「そのサンジ君、見てみたいなあ。今度家に連れてきてよ」
「無理。絶対連れてこない」


ノジコはきょとんとして「イヤならともかく、無理ってなによ」と私をつつく。
その手を払いながら答えないでいると、ノジコは勝手に何か想像して「ふうん」と言った。


「ま、楽しみな」


「偉そうに」と私が悪態づくと、ノジコは意にも介さずけらけら笑った。





木曜の朝はいつもどおり畑に出た。
うちの主力商品となるみかんは初夏の今出荷できないが、そんな夏時に我が家の家計を支えることとなる別の種類──いわゆる夏みかんが、ちょうど今の時期まるく膨らんでつやつやときれいな太陽の色に染まり始めていた。
私たちは大きなカゴをトラックで畑まで運び、食べ時のものからどんどん収穫していく。
鳥の糞がかかってしまったものや、剪定した枝が皮に傷をつけてしまったものはジュースやゼリー、ソースなどなんにでもなる。そういった実は別の籠に、と私たちはつぎつぎとみずみずしいそれらをもいでいった。
収穫の作業は、みかんを育てるどの工程の中でも一番気持ちがいい。
花が咲いたときも小さな実をみつけたときも、青い葉ばかりの木がかさかさと揺れているだけのときももちろん胸がときめくけど、やっぱり収穫に敵うものはない。
朝ごはん代わりにと、私は皮の汚れた商品にならない実を手に取って、畑の真ん中で立ったままそれを食べた。
濃厚な土の香りに包まれて口の中いっぱいに甘さと酸の刺激がひろがり、思わずため息が出る。
行儀の悪い私を見咎めて、ノジコが「またやってる」と悪戯を大人に言いつける子供のような仕草で私を指差して笑った。

8時をすぎた頃、遠くの畝を世話していたベルメールさんが遠くからノジコを呼んだ。
無農薬でやってる私たちの畑には敵が多い。
その駆除に苦心しているベルメールさんが助けを呼んだようだ。
ノジコは顔を上げてベルメールさんに向かって親指を立てると、汗をぬぐいながら私を振り返った。


「ここ任せていい?」
「うん、終わったら先帰ってるよ」


収穫した実を乾いた布できれいに拭きながら、虫食いや傷がないかを確かめて箱に詰める。
すべて手作業のそれはひどく時間がかかるが、体力仕事ではないので私は容易に請け負った。
ノジコがベルメールさんの待つ畝へと駆けていく。
太陽が昇り始めると、朝方とはいえ小高い丘に立つ畑に差し込む日差しは厳しい。
それでもじりじりと肌を焼く感触はきらいではなく、汗がつるっとこめかみを滑り落ちて夏だなあと感じた。



家に帰りゆっくりとコーヒーを飲んでいたら、ノジコとベルメールさんが帰ってきた。
ベルメールさんの手には新聞と、我が家で消費されるぶんの果実が数個抱えられている。


「おかえり、おつかれ」
「ただいまあ。あーあっつくなってきたね」


ぱたぱたと新聞で顔を仰いでから、ベルメールさんは手早くエプロンを身に付けた。


「ナミ、アンタ今日何時に出てくんだっけ」
「夕方かな」
「じゃあ昼はうちね」
「もちろん。だって剪定も途中だし、草取りもしないと」


ベルメールさんはフライパンに卵を三つ割り入れてたところで、私の話を聞いているようで聞いていない。
卵がじゅわっと白くなる音にかき消されたように、私のことばに返事が返ってくることはなかった。


午前中は家でゆっくりと本を読んだり、遠くからうちのみかんを取り寄せてくれているお客に手紙と今年の案内を書いたりして過ごした。
お昼はベルメールさんがピザを焼いて、3人で食べた。
食べ終わるとすぐに私たちはまた畑に出る。
今の仕事はもっぱら、害虫の駆除だ。
今日は天気がいいので、初夏と言っても真夏のような日差しが畑に降り注ぐ。
青い葉がぴかぴか輝いて光を吸い込んでいるのは見ていて嬉しくなるが、自分の方はとんでもなく暑い。
わたしたちはこれでもかというくらい汗を滴らせながら、傷んだ葉を取り除き、枝を這い登る虫をつまみとり、肥料をまいて畑を駆けまわった。

日が傾き始めると、とたんにみかん畑は暖色の光に包まれる。
わずかな西日の色にみかんの橙色が共鳴するように輝くのだ。
私たちは名残を惜しむようにその景色を眺めてから、家へと戻った。
汗だらけの服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びると体の表面が一枚剥けたんじゃないかと言うくらいさっぱりする。
七分丈のカットソーに白いサブリナパンツを履いて、出かける準備をした。
ベルメールさんは洗濯機で回したばかりの作業服を洗濯籠に詰め、私におしりを向けたままひらひら手を振った。


「飲みすぎんじゃないわよ」
「わかってるって」
「帰りまだスーパー開いてたら、牛乳買ってきてくんない?」


はいはいと請け負って、小さな玄関扉をくぐった。
西日が強く、気温が下がる気配は微塵もない。
シャワーを浴びたばかりの首筋に汗が浮かび始め、それらを振り払うようにテンポの良い足取りで丘を下った。
待ち合わせ場所には時間通り全員が姿を見せ、ロビンが予約してくれた店までスムーズに移動した。
小料理屋の二階が宴会場のようになっていて、その一室を借りてくれたようだ。


「ときどき使うんだけど、格式ばったときでもこういう飲み会のときでも勝手のいいお店なの」


小さな入り口をくぐって狭い階段をのぼり、広い和室に大きな机がどんと置かれ、そこにはすでに先出のおつまみやコップにお箸が並んでいた。
乾杯はあいも変わらずウソップが音頭をとる。
ぺらぺら動く口に皆が呆れ混じりの苦笑を、それでも微笑ましいものを見るような顔をしてウソップをみやる。


「んじゃ、我らがグループ展の成功を祝してー!」


乾杯、の声と共にガチャガチャとグラスがぶつかる品のない音が、楽しげにわっとはじけた。
乾杯早々酔ったような顔をして、宴会の最も騒がしいところにいる台風の目のようなウソップは私の席からは遠く、私は近くにいる比較的おとなしい人たち──たとえば学生のときクラスに一人二人いた美術部員のような人たちと、ぽつぽつと会話をしてはときどき笑った。
ただ、斜め前の席にロビンが座っているのだけは意外に思った。
この打ち上げがお流れになってしまったのも、彼女の存在の有無が原因だ。
騒がしい人たちがロビンをやんやと会話に入れたがるのではないかと想像していたのに、彼女は静かに近くに座った人たちとの会話を楽しんでいる。
すると、じっと見つめてしまった私に気付いたのか、ふいに視線がかち合った。
ロビンは母親みたいに女性らしい仕草で、私に微笑みかけた。


「こっちのお皿の、取りましょうか」
「あっ、じゃあ」


自分の小皿を差し出すと、ロビンはそつのない仕草で取り分けてくれた。
礼を言って受け取り、こちら側の料理を取ろうかと申し出るとロビンは頷いて小皿を差し出した。


「おいしいでしょ」
「えぇ──ロビンは、どうしてパトロンみたいなことをしてるの?」


会話が生じたついでに尋ねてみると、ロビンの隣に座っていた若い男が「金があるから?」と不躾に言った。
その言葉に小さく吹き出して、ロビンは首を振る。


「もともと美術がすきなの、古ければ古いほど。でもある大学にちょっとしたツテがあって、そこの美大生たちが自分たちで催したグループ展をちょっと手伝ったことがあって、それがきっかけだと思うわ」
「それって」


私がちらりと視線を走らせると、ロビンはその先を確認せずに頷いた。


「ウソップの大学ね。発表する機会がないと聞いて、それなら少しでも役に立てればと思って」
「いつからしてるの?」
「3年くらい前かしら」


私がじっと深く彼女の目を見つめていたからか、ロビンは気を悪くしたふうもなく少し首をかしげた。
慌てて「そうなの」といって言葉尻を濁し、視線を逸らす。

何度も何度も頭をもたげるあのキャンバス。
ざらついた紙に無造作に、それでも細部まで丁寧に。
はりつめたような美しさをたたえるあの女性の顔は、間違いなく目の前にいる彼女だ。
その前に腰かけるサンジ君に、私は初めて出会った。
それを彼が描いたなんて確証はどこにもない。
ただ目の前に座って眠っていた、それだけかもしれない。
私はサンジ君の描いたものを、あの人物画以外に見たこともないのだ。
比べて確かめることもできない。
それでも、きっと、絶対。あれは、サンジ君が描いた。
自分でも危険だと感じるほど強い思い込みは、振り切ろうともがけばもがくほどしがみつくみたいに私から離れようとはしなかった。

一言訊いてみれば済むことだ。
ロビンに、サンジ君の名前を尋ねてみれば。
ウソップに、彼らの関係を訊いてみれば。
サンジ君に、あの絵を描いた理由を訊いてみれば。

でも本当は、彼らからどんな返事を聞かされても平気でいられる自信がないうちは、そんなことできない。
手元にあるサワーで唇を湿らせてぼんやりとする私に、ロビンが「そう言えば」と呼びかけた。


「あなたはどんなお仕事をしてるんだったかしら」
「みかんを作ってるの。畑仕事よ」


えっと周りが驚いたように振り向いた。


「ナミちゃん大学生じゃなかったの!?」


ちがうのよ、と苦笑してグラスで顔を隠した。。
すごいね、立派だね、と口々に褒められて逃げ場のない私は氷のとけたサワーをあおる。


「よかったら、おうちの連絡先を教えてくれない?」
「え?」


ロビンがシンプルな黒いバッグから手帳を取り出し、私を見据えてにっこりした。


「あなたのみかん、食べてみたいわ」


はあ、とまぬけな顔で頷いてしまった。しかしすぐに我に返っていつも持ち歩いているはがきサイズのカードをバッグから取り出し、ロビンに差し出す。


「これ、うちの案内、よかったら」
「あら、ありがとう」


丁寧に受け取ったロビンは、それを手帳に挟みこんだ。
また連絡するわ、と微笑む顔にしばし見惚れる。こちらに差し出した手指も綺麗だった。
やりとりを見ていた周囲が自分にもくれと言いだしたので、慌ててまた数枚を取りだして手渡して、と思わぬ営業活動に私が目を白黒させるのを、ロビンは底の浅いグラスを口に付けながらずっと笑って見ていた。



明るく楽しげに進んだ宴会がお開きの頃になり、またウソップが音頭を取るため立ち上がった。
言い慣れた前口上のあと、ウソップはおもむろに封筒を取り出した。


「チケットの売り上げ代から、会場代の設備費その他を差し引いた残りを今回の飲み台に当てさせていただく!」

わっと場が盛り上がり、ウソップが変哲のない茶封筒から紙幣を抜き取り、金額を告げた。
それを人数で割れば、打ち上げ台は一人千円で補えるほどだ。
経理の役割も担っていた私はすでにその金額を知っていたが、他のメンバーにとっては想像以上だったらしく悲鳴のような歓声を上げた。
こんな売上初めてだ、と年かさのメンバーが恍惚とした声を洩らすと私もくすぐったいような気持ちがした。


「ナミのおかげね」


ロビンが少し声を抑えて、飛び交う歓声の下をくぐるように私に声をかける。


「そんな、私が絵を描いたわけじゃないのに」
「でも、毎年よりずっと売り上げが多いのは本当。不思議ね、きっと商売に向いているんだわ」


ロビンの言葉は、私を喜ばせるためのその場しのぎのようではなく、まるでじっくりと私を考察した結果を述べているように聞こえた。


宴会がお開きになり、店の外に出ると乾いた空気に頭が冷やされて心地よかった。
名残を惜しんで店の前でだらだらと話し続ける数人もあれば、さっさと帰路につく背中もあり、人が自由に散っていく。
私は近くにいた数人に声をかけ、そっと輪を抜け出した。
去り際にロビンと目があい、小さく手を振るとロビンも同じように手を振った。
彼女の白い頬に黄色やピンクのネオンがかわるがわる光を映し、なぜだかそれが目に焼き付いた。





ロビンから連絡があったのは、土曜日の真昼を少し過ぎた頃だった。
家の電話にかかってきたそれをノジコが取り、そばで聞いていた私は初めただの注文だと思い、気にも留めずに宅配便のあて名書きをしていた。
注文された箱数かける値段で総額をぱちぱちと電卓で弾いていたところ、「ナミ、アンタのお客さんみたいだけど」とノジコが私を呼んだのだ。


「誰?」
「ニコ・ロビンさん。うちの案内をあんたからもらったって」


勢いよく立ちあがった私に、ノジコが「心当たりあんのね。じゃあ代わって」と電話を差し出す。
受話器を受け取り、「もっもしもし、ロビン?」とつっかえながら尋ねると「ええ、先日はありがとう」と先に礼を言われてしまう。
慌ててこちらこそとありきたりな応酬をしてから、ロビンは「みかんを頼みたいのだけど、今は季節じゃないのかしら」と穏やかな声で訊いた。


「うーんと、うちの主力商品は確かに時期じゃないんだけど、夏の品種がそろそろ出荷時期なの。すこし酸味が強いけど、料理にも使えるしお酒にもできるしおすすめなの」
「いいわね、じゃあそれを2箱いただけるかしら。送ってくれる? それとも取りに行った方がいいなら」
「もちろん送るわ。住所をお願い」


ロビンは以前イベント前に集まったアンティークショップがあった辺りの住所を口にした。
値段と送り方を伝えると、「楽しみにしてる」と言ってロビンは電話を切った。


「やるじゃん。営業でもしてきたの」


ノジコが棒アイスを口に差し込んだままくぐもった声で囃すように言う。


「こないだのイベントのスポンサーみたいな人。うちがみかん作ってるっていっておいたから」
「へえ、律義だね。声が結構落ち着いてるように聞こえたけど、年上?」
「うん。いくつかは知らないけど」


ふうんとノジコはそれ以上興味もなさそうに、丁寧にアイスを舐めとった。

きっと5、いや7は私より年上だ。
落ち着いていて嫌みのない彼女の美しさはあれからずっと私のまぶたの裏でちらちらと輝いていた。
趣味を仕事にしていて、それでもなぜかパトロンをするほど余裕があって、人を川に流すみたいに淀みない仕草で喜ばせるのがとてもうまく、私が知る誰よりも完璧に大人だった。

静かにキャンバスの前に座る彼女をサンジ君がじっと見つめたのかと思うといてもたってもいられなくなり、私はロビンとの通話の切れた電話でそのまま、覚えてしまった番号を素早く押した。
突然電話をかけ始めた私をノジコがちらりと横目で見たが、一息つくとノジコはアイスの棒をぷらぷら揺らしながらリビングから消えていった。

コールはとても長く続いた。
10回以上呼び出し音が鳴り響き、それでもサンジ君の声は聞こえず、無性に腹が立って、八つ当たりのように壁に爪を立てる。
電子的なコール音が無機質な自動音声に切り替わったとき、私は叩きつけるように電話を切った。
荒々しく子機と親機がぶつかり、収まりの悪い子機は床に落ちた。
それを拾うことも億劫で、そのままリビングのソファに倒れ込んでクッションに顔を押し付け、深く深く息を吸った。
嗅ぎ慣れた家の香りが肺を満たし、それが彼の香りではないことがやっぱり腹立たしく、彼が電話に出ないことと私が唯一見たロビンのデッサンはなにも関係がないというのに、彼女の声とサンジ君の声が重なっては遠くなり、まるでなにもかも上手くいかないと駄々をこねる子供みたいに心が塞いだ。


その日の夜、「ごめんな、何の用だった?」といつもの調子で電話をかけ直してきたサンジ君に私は家族の目もはばからず、すがるように「会いたい」と言った。
会えばどうなるものでもないとわかってはいたけど、会いたいという私の声にサンジ君は必ず応えてくれるということがひたすら嬉しく、それだけで会えない時間を生きていけるとさえ思うほど、私は弱くなっていた。



拍手[19回]

  |HOME|   次のページ ≫
material by Sky Ruins  /  ACROSS+
忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
フリーエリア

 麦わら一味では基本オールキャラかつサンナミ贔屓。
白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



我が家は同人サイト様かつ検索避け済みサイト様のみリンクフリーとなっております。
一声いただければ喜んで遊びに行きます。

足りん
URL;http;//legend.en-grey.com/
管理人:こまつな
Twitter


災害マニュアル

プロフィール
HN:
こまつな
性別:
女性
バーコード
ブログ内検索
カウンター