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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です


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3/4  2018サンジ誕【船乗りのペン】
2/15 午後のプリマたち3 サンナミ【明日はいらない】
2/15 午後のプリマたち3 ゾロビン【ホーリーテーブル】
12/7 サンナミ現パロ【窓の向こう】
10/29 サンナミ現パロ【二度目のファーストコンタクト】
10/21 サンナミ現パロ【見えない窓】 完結しました
9/30 サンナミ現パロ【見えない窓】更新中。
9/5 2017USJプレショレポ
8/1 サンナミ本「おやすみザッハトルテ」完売しました。ありがとうございました!
5/7  ペルビビ「私の小鳥」通販開始
4/28 ペルビビ新刊情報公開
4/15 サンナミ現パロ【シェアリング(仮)3
3/18 ゾロビンあらすじのみリクエストボックスから「近所のお姉さん×幼馴染の男の子」

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白ひげ海賊団(CPなし)

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私のスケジュール帳は真っ黒だ。
仕事、付き合いでの会食、友人と呼べるか怪しい人たちとの食事会、まぎれもない友人とのごはんの約束、取り寄せたバッグを店に取りに行く日、ノジコがうちに寄ると言ってきた日、重要度の様々なたくさんの予定が、私らしい文字でびっしりとスケジュール帳を埋め尽くしている。
サンジ君が「空いてる?」と言った日を確認するためにスケジュール帳を開いたら、向かいから遠慮がちに覗き込んだサンジ君が「真っ黒だね」と本当に感心したように言ったのだ。

「うん。忙しいの、今月」

顔を上げることなくそう言って、彼が「空いてる?」と言った日を確かめるとそこには18時に終わる出張の予定が入っていた。
「ごめん、だめだわ」と告げると、サンジ君は途端に悲しそうな顔ですんすんと鼻を鳴らした。

「じゃ、いつならいい?」
「うーん、またサンジ君のいい日に誘ってよ」
「おれはいつでもいいよ、空けられるよ」
「そんなことないでしょ」

実際、私はプライベートの予定もたくさん詰まっているが、サンジ君も不規則なレストラン勤務で予定は開かないはずだった。
混みあうカフェで向かい合う私たちは、うっすら漂う煙草とコーヒーの香りの雑然さに会話がかき消されまいと半ば声を張り上げていた。
全然だよ、とサンジ君は言う。

「おれ、ナミさんのためならいつでもいいんだもん。仕事もなんとかする」
「そこまでしなくていいわよ、ただごはん食べに行くだけなのに」

サンジ君はまた、ぺしょんと眉を下げて、何か言葉をコーヒーで流し込んで飲みこむみたいにカップに口をつけた。

そんなこと言わないでよ、って言えばいいのに。
私もぬるくなったコーヒーに口をつけ、上目づかいにちらりと彼の表情を盗み見る。
おれたち付き合ってんだろ? もっとデートしようよ。
そうやって言えばいいのに、彼は言いたそうな雰囲気だけをじゃんじゃん洩らしながらけして口にすることなく、ただ悲しそうにつまらなさそうに言葉を飲みこむのだった。
だからって、私は代わりに言ってやったりしない。だってそういうのは私の役割じゃないと思っている。
本当は役割なんてどうでもいいんだけど、わかっているんだけど、サンジ君がいつか自信を持って私に「おれたち付き合ってんだろ?」と言うのを聞きたいのだ。
だから、私から言ってやったりしないのだ。
事実、本当に付き合ってるのかどうか怪しいもんだと思っている。

「ね、じゃナミさんこのあとは?」
「特に何もないけど」

ぱぁっと彼は顔を明るくし、

「夕飯一緒に食うだろ? どっか食いに行く? それかうちで食べる?」
「サンジ君ちがいいな」

くぅー、と彼は歓喜の声を洩らし、「ィ喜んで!」と万歳をした。周りの客が振り返って見るほどの大声で。






「怠慢だわ」

ビビにそう言い切られ、私は目を丸めて彼女を見つめ返した。惰性で動かしたマドラーが氷をかき混ぜ、からからと音が鳴る。
私? と思わず隣のロビンに確認し、首をすくめられる。

「サンジさんがずっとそんなふうに追っかけてくれる保証なんてどこにもないのよ。なのに、『そこまでしなくていい』なんてひどい」

ビビは形のいい眉を吊り上げて、神経質に机の木目を爪でこすった。
なんでビビが怒ってるのよ、と私は笑うが、ビビは口元を引き結んだまま「怠慢よ」とまた同じ言葉を繰り返した。

「たしかにそうかもしれないけど、だからって私から追っかけるのはおかしくない?」
「なにが? ちっともおかしくなんてないじゃない」

好きなんでしょ、と断定されて、私は「さあ」と首をかしげた。ビビはますます眉を吊り上げて、「前から思ってたけど」と声を高くした。

「ナミさんは追いかけられるのが当たり前だと思ってるみたいだけど、確かにそうだとしても、追いかける人の気持ち、考えたこともないでしょう」
「なんで私が考えないといけないのよ」

ビビの剣幕に私まで尖った声をだすと、カヤさんが困ったように「ふたりとも」と言ったがそのあとの言葉は続かなかった。
ロビンは我関せずというふうに、追加でチキンの何とかを注文している。

「サンジ君が勝手に私のこと好きで、私はそれを知ってて、それであれこれ誘ったりしてるだけなのに、なんで私が帳尻合わせてあげないといけないの。考えるのはサンジ君の方でしょ」
「追いかけられなくなったらさみしいくせに」
「そしたらそのとき考えるわ」

わざとつんとすました声をだしたら、ビビは口を閉ざして、私を真正面から見つめた。
手元の細いグラスはあっというまに空になる。「おかわり頼むけど」と言ってビビを見たが、ビビは黙ったまま小さく首を振った。
ねぇ、と頬を緩めてビビの方に肘をつき身を乗り出す。

「なんであんたがそんな怒るのよ。サンジ君がそうやって怒るならまだしも」
「だって、ナミさんが、あんまり」

みるみるうちにビビの目に涙が溜まり、私はぎょっとして「やだ」と声をあげた。

「もー、なに泣いてんの」
「ちが、ごめんなさい、だって、ナミさん」

カヤさんがおろおろと自分のおしぼりをつかみ、ビビに差し出した。だいじょうぶ、と震える声でビビが応える。

はあ、と私は腑に落ちないまま肩の力を抜き、「泣かないでよー」とビビの肩をとんとんと向かいから叩いた。
しかしキッと顔を上げたビビは、泣いて気が抜けたかと思いきや目に強い力を込めて「ナミさん」と私を見据えた。

「絶対、絶対に後悔するわ。追いかけられなくなったらそのとき考えるなんて、そのときなんて、なんにも考えられなくなっちゃうんだから。ナミさんのそういうところかっこいいけど、かっこばっかりつけてたって仕方ないんだから」

そしてビビは自分のグラスを掴み、小さな声で「おかわり」と呟いた。

ビビはそのあと何でもない風にお酒を飲んで、笑い、私にも相槌をうったけど、なんとなく晴れない気持ちがお互いの中に残っているのがわかって、いつもなら終電間際まで話し続けるところ、22時前に「今日はそろそろ」な雰囲気が漂って駅前であっさりと別れてしまった。
ビビは迎えの車に乗り、ロビンはこのあと噂の年下男と落ち合う約束で、私とカヤさんで電車のホームに向かった。

「寒いわね」
「ね、冬ね」

と意味のない会話を繰り返すのは、話すことがないからではなくあまりに寒くてそれ以外のことを考えられないからだ。
だから、電車があたたかな光をはらんでホームに滑り込んで来たとき、私たちは同時にホッと息をついてその光を見つめた。
電車は混んではいなかったが座る席はほとんどなく、私たちは入ったのと逆側のドアの近くに立ってなんとなく顔を見合わせ、笑った。

「カヤさん、今日もあいつが迎えに来てくれるの?」
「いいえ、今日は一人で帰るのよ」
「えっ、へいき? 送ろうか」
「やだナミさん」

目を伏せて、口元に手を当てて笑う仕草がこんなにも似合う人がいるだろうか。
カヤさんはちらりと私を見て「男前ね、相変わらず」と言い、

「タクシーを使うように言われているから大丈夫。最近仕事の関係でもよく乗るのよ」

と誇らしげに背筋を伸ばした。

男前ね、と苦笑する。
いつもであればそれこそ誇らしいような気持ちになるのに、今日はビビとの会話がふとよみがえり、苦く胸を浸した。
カヤさんは気づかぬふうに真っ暗な窓の外を眺めながら、「ナミさんは? 駅から」と尋ねる。

「私はいつも通り。駅からそんなに離れてないしね」
「ひとり? 帰り道、本当に気をつけてね」
「うん、あ」

コート越しに、携帯の震動がじりっと伝わる。
画面に目を落とすといつもメールボックスの一番上にある名前が目立つように光っていて、『ナミさん今日はいつ頃帰り?』とサンジくんからメールが来ていた。

「やっぱり迎え、あるかも」
「そう」

カヤさんはそう言って嬉しそうに微笑み、次の駅で降りていった。
どうしたら彼女みたいに、友達の恋やその困難を聞いてやろうなんて微塵も思わずに、ただ嬉しいことにだけ静かに微笑んでいられるのか、私にはさっぱりわからなかった。

一人になった車内で、サンジくんに「今電車。あと二駅で着くわ」と返信する。
きっと彼は仕事場から自転車に飛び乗り、同僚の怒鳴り声を背に受けながら駅まで走ってくるはずだから返信は来ない。
そうまでわかりながら、どうして私は彼の顔を見て嬉しいと笑ったり、ぎゅっと苦しくなる喉の奥あたりのことを話したりできないんだろう。

ホームを降りて改札へ向かうと、機械の外側でサンジくんはこちらを向いていて、私に気付くとぱっと顔を華やかせた。
彼が笑うと、柔らかい金色の髪がハッとするほど明るく光る。

「おけーり。よかったちょうど、時間があって」
「自転車は?」
「そのへんに停めてきた」

サンジくんは当たり前のように私の手を取り歩き出す。
彼の手は水仕事から上がったばかりのように冷たい。
ひょーナミさんの手あったけぇ、と彼は二回ほど強く手を握った。

サンジくんの自転車は駅前の暗がりに横倒しになっていた。
倒れてる、と呟いたらサンジくんは「そういやスタンド立てるの忘れてた」とケロっとした顔で言って自転車を起こすと、「さ、かばん」と言ってこちらに手を差し出す。
ハンドバッグを手渡すと、それを自転車のカゴに乗せるわけでもなく肩に下げ、「行こうか」と歩き出した。
街灯のぽつぽつと灯る歩道を歩きながら、サンジくんは器用に片手でタバコに火をつけた。

「今日は何食ったの?」
「お肉」
「あー今流行ってんね、どうだった?」
「おいしかった。赤身の、厚く切ったステーキ」
「ソースは?」
「玉ねぎのと……黒い、酸っぱいやつ」
「バルサミコ酢?」
「そうそう」

甘酸っぱいその味が口の中によみがえり、耳の下がきゅっとすぼまる。
妬けるなあ、とサンジくんは呟いて、信号に足を止めた。

「一瞬うちに寄って自転車置いてってい? そこの角入るだけだから」
「いいけど、なんで? 帰り乗って帰らなきゃじゃない」

駅からサンジくんの家はすぐだが、私の家までは少し歩く。
うちからサンジくんの家までは下り坂になるので、なおさら自転車がある方がいいのに。

「こいつ邪魔なんだもん。手ェ繋いで歩きたいし」

サンジくんの手は、片方は自転車を引き、片方は私のかばんを肩から下げて煙草を吸うのに使っていた。

「手って」

呆れた顔で「そんなことのために?」と言いかけて、 飲み込んだ。

そんなことなんかじゃないのだ。
そんなこと、じゃない。
確かに私は歩き出した時、彼がさっとためらいなく私の手を取ったことにじわりと喜んだし、彼が自転車を起こすために手を離し、そのまま両手を塞いでしまったことを心から残念に思っていた。
それなのに口からこぼれるのは正反対のあれこれで、天邪鬼なつもりなんて微塵もなく本心だと思い込んでいた。
なぜならそれが私の役割だから。
追いかけるのはサンジくんの役割で、追われて喜ぶのは私の仕事じゃないから。
こちらから塞がろうとする手を追いかけたりしてはいけないのだ。

追いかける人の気持ちがわからないなんて嘘だ。
こんなにも追いたくてたまらないのに、自分の足に足を引っ掛けて転びそうで踏み出せないだけだ。

「ナミさん、青」

顔を上げると、サンジくんが怪訝そうに私を覗き込んでいた。その向こうで歩行者信号が青く浮かび上がっている。
あぁ、ともうん、ともつかない返事をして歩き出したが、横断歩道を渡ってすぐ足を止めた。

「自転車、乗せて」

暗がりの中、サンジくんの片目がこちらを向いて丸くなった。

「わざわざ置きに行かなくても、二人乗りすればいいじゃない。それなら速いしこの時間なら人も少ないから危なくないでしょ」
「えーと、いいけど、本当に大丈夫?」
「大丈夫。ほら乗って。今日ちょうどパンツだし」

言いながら運転手のいない自転車に、先にまたがる。
サンジくんが慌てて両手でハンドルを支え、私は彼に預けていた自分のかばんを受け取った。

「行くよ」

ぐい、と踏み出したペダルは力強くゆっくりと彼の足をつかまえて、初めはぐらぐらと揺れるかと思いきや、意外にもぶれることなくしっかりと地面を捉えてすぐにスッと走り出した。

「大丈夫ー?」

叫ぶようにサンジくんが言う。
うん、と叫び返して、彼のベルトを掴む手にぎゅっと力を込めた。
頬にあたる風は切れるほど冷たく、目にしみる寒さに涙がにじんだ。
しばらくサンジくんは前を見据えて一定のリズムでぐっ、ぐっ、とペダルを漕いでいたが、スピードに乗り始めると彼の背中から力が抜けるのがわかった。
深緑のモッズコートは、冷たくもその向こうにあるサンジくんの温度を確かに湛えていて、私はそこにそっと頬をつけた。

「眠たい?」

彼が尋ねる。

「ううん」

彼の吐く息が、白く夜闇に紛れて消えていく。

「もう着くよ」
「早いわね」
「うん、だから、手ェ繋いで歩きたかったんだ」

もう到着だ、とサンジくんは明かりの灯るスーパーを通り過ぎ、最後の角を曲がった。

「明日は? 会える?」
「わからない」

そっか、とサンジくんは呟いて、腰に回された私の手をそっと撫でた。

「でも、今日は泊まってけばいい」
「え?」

サンジくんがブレーキをかけ、するするとスピードが緩まる。

「泊まってけば明日も会えるし」
「え、いいの」

きゅっと彼がブレーキを強く締め、ほほが背中に押し付けられる。
もううちの目の前だ。
よいしょ、と自転車から降りて、マンションの自転車置き場を指差すとサンジくんはそちらに自転車を引いて行った。
わざと息を吐き、白いそれを眺めながらガチャガチャと鍵をかける音に耳をすます。
戻ってきたサンジくんは、迷子みたいな顔で自転車の鍵を指先に引っ掛けて、私を見つめた。

「おれ、初めてだ。ナミさんち」
「そうね」

オートロックを解錠し、すぐの階段を上る。背後からサンジくんも静々とついてくる。

部屋は当然ながら、しんと冷えていた。
ブーツを脱いで床に足をつけるとキンと痛いくらいだ。
あ、とサンジくんが声を上げた。

「着替えの下着、ねーや」
「あぁ……買いに行く?」

ぱちんと廊下の電気をつけると、神妙な顔で彼が首を振るのが見えた。

「今出たら、もう二度と来れねェかもだから」
「そんなわけ」

ふっと吹き出すと、いきなり腕を引かれて彼の胸に強くぶつかった。

「わかんねェだろ」

ぎゅう、と彼の体に擦れたコートが音を立てた。
タイツ越しの床の温度がみるみると体温を奪うのに、懸命にペダルを漕いでいた彼の体はまだ温かかった。
力を緩めたサンジくんは、ためらうことなく顔を傾けて口づけた。
すぐに唇を離して、腰を抱き、また強く力を込める。

「サ、」
「ナミさんは、どんなに近くてもおれのものにはならねぇ気がする」

それこそキスをしても、抱きしめても、身体を繋げても。
冷えた廊下に佇んで、そうかもしれないと思った。

誰かのものになるのは怖い。
たとえそれが、私の欲しい誰かでも。
所有したものは消費されるから、もしも私たちがお互いを所有しあえば、せっかく芽生えた恋とか愛とかそういうものはきっと擦り切れてしまう。
傷つきたくなかった。

おかしーな、とサンジくんがつぶやく。

「前は、どれだけでも好きだとか付き合ってくれとか言えたのに。こんなふうに側にいること許されちまうと」

ぽたん、とゆるんだ吐水口から水が落ちた。
サンジくんはその音を皮切りに私を離すと、「でも下着はいるな」と照れたように笑った。
そうね、と私も笑う。
まだ靴も脱いでいないサンジくんが「買ってくる」と踵を返すのをぼんやりと眺め、すぐに我に返って「私も行く」と後を追った。
「寒いから」と彼はやんわり押しとどめたが、いいのと譲らなかった。

寒々と白く光るコンビニの隅で、サンジくんが下着や歯磨きを買うのを待って、手を繋いでまたうちに戻った。
お風呂に入り、気の抜けた炭酸水を飲み干し、二人で冷えた布団に潜り込む。
ぴりぴりと冷たい布地が身体に触れて、足先がもぞもぞと動く。そのたびにサンジくんの脛に触れ、さっと足を引っ込めるのだがまたもぞもぞしてしまう。
ついに彼の脚に私の脚は挟み込まれてしまった。

「ナミさん明日、休みだね」
「うん」

明日は土曜日だ。サンジくんは朝から仕事のはず。
忙しい1日になるだろう。

そっと手を伸ばして彼の顎髭に触れると、サンジくんは差し出すみたいに首を反り返らせて、好きに触らせた。
柔らかい針みたいなその手触りを無心で楽しんでいると、誤って彼の唇に触れた指先がぱくっとくわえられた。

「あ」

うまい、と呟いたサンジくんはそっと私の指を離すと、そのまま顔を寄せて来て、ふわりと唇を重ねた。
サンジくんはあろうことかそのまま、ナミさん、と私を呼んだ。
唇がくっついているので、まみあん、と聞こえた。

「おれのものには、とか言ったけど」
「ん?」
「さっき、玄関で」

唇を離したサンジくんは、冷たい鼻先をくっつけて言う。そんなこたどうだっていいんだ、ほんとは、と。

「ただ、おれはナミさんのものにしといてね」

するすると鼻と鼻をこすりあわせて猫のように、サンジくんは目を細くした。

「あんたそれでいいの」
「いいよ、最高だ。おれはナミさんの」

言いながら、彼の瞼が閉じていく。
薄いそのまつげの色を見てつぶやいた。

「擦り切れちゃうわ」

サンジくんはぱちっと目を開けて私を見つめ、「何が?」と聞いた。
なにがって、と私は言い淀む。
口ごもる私に何を思ったのか、サンジくんはだいじょーぶ、と唇だけを動かした。
そのまま再び目を閉じて、唇は半分開いたまま、彼は動かなくなる。

「寝たの?」

数秒間があいて、「いんや」と返ってきた。
しかしそのまま、また微動だにしない。

「今日、忙しかったの」と聞いてみたら、サンジくんは夢の中から帰ってくる分だけの間をあけて、「うん」と目を閉じたままうなずいた。

「金曜日だもんね」

うん、とうなずく。

「お客さんいっぱい来た?」

うなずく。

「売り上げ上々?」

うなずく。

「サンジくんのお店、美味しいもんね」

うなずく。にへらっと口角が上がった。

「また食べに行くわ」

ん、と低く短い唸り声をあげて、サンジくんは身じろぎ、ついにすうっと伸びやかな寝息が聞こえた。
長い前髪が、見えているもう片方の目も隠すように垂れている。それを指先で払って、柔らかな瞼に唇で触れた。

この人はわたしの、わたしの。

印をつけるみたいに、もういちど強く、唇を押し当てた。

fin.

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おい、と後ろから呼ばれて振り返る。仰ぎ見たその顔で、呼ばれたのが一度ではなかったことに気付いた。
そっと微笑みを乗せて、「どうかした?」と尋ねた。

「電話、鳴ってる」
「あぁ」

差し出されたそれを受け取るとき、肩の骨が軽い音を立てた。そこに手をあてて、電話に答える。私の授業をサポートしてもらっている学生の一人から、来週の授業についての確認の電話だった。
そう、そのとおりでいいわ、えぇ、任せるわ、となおざりな返事をして電話を切る。

「ありがとうゾロ。全然気が付かなかった」
「二時間も同じ場所に座りっぱなしで、よくそう文字ばっかり見てられるな」
「もうそんなに?」

机の上の小さな置時計で時間を確かめると、いつの間にか午後三時を回っている。感覚では、さっきお昼を食べたばかりなのに。

「ごめんなさい。退屈したでしょう」
「べつに」

そっけなくそう言って、ゾロは深いベージュのソファにごろんと横になった。
私が仕事をする間、ゾロは静かな動物のように、最近よくこうしてここで眠ったり雑誌を眺めたりしている。けして私の邪魔をすることはなく、かといって気を遣っている様子もなく彼は自分が話したいときに口を開き帰りたいときに「帰る」と言って本当に帰ってしまうのだった。
今また横になったゾロの姿を見て、まだ帰らないでいてくれるのだとホッとする。
少し休憩しましょうか、と言って腰を上げると今度は膝がきゅっと軋んだ。

「コーヒーでいい? そう、この前生徒さんからいただいたお菓子があったはず」
「最近多いな」
「なに?」
「仕事。朝から晩まで電話やらメールやら」

そうねぇ、と曖昧な返事をしてケトルに水を入れる。キッチンカウンターには、まだ封の明いていないプラスチックケースに入った上品なアーモンドクッキーがある。
それを手に取って、ゾロに「開けて」と手渡した。

「帰った方がいいか」
「え?」
「邪魔なら帰るぞ」

えぇ? と私にしては大き目な声で振り返った。ソファから身体を起こしたゾロは、大きな手でクッキーの箱を囲うように持ってじっとこちらを見ている。

「どうしたの。邪魔なわけないじゃない、むしろ退屈させてしまって、せっかく来てくれてるのに」
「おれがいると、なんだかんだ気を回すだろテメェは」
「したいからするのよ」

おかしな人、と笑いながらドリップパックの袋を引き裂く。真空状態から空気に触れたコーヒーの香りが、ふわっと華やかにひろがった。

「あなたがいると捗るの。放っておいてしまって申し訳ないけど。電話が鳴ったら持ってきてくれるし」

いつだったか、私の電話が鳴るのを嫌って携帯を壊そうとした彼を思い出す。当時のゾロも懐かしくて愛しいけれど、今の彼の方がもっと好きだ。
私のことをよく知ったゾロを、私もまた果て無く知りたいと思う。

「無理すんなよ」

ゾロは封を開けたクッキーのパッケージを机の上に放り出し、またソファに横になってしまった。
カップにふたつ淹れたコーヒーをその机に運び、珍しい言葉に私はしばしば目を丸くした。

「優しいのね」

けっ、とでも言うべき顔をして、ゾロは答えなかった。
私は熱いコーヒーに口をつけ、彼が明けたクッキーに手を伸ばす。甘ったるい砂糖とアーモンドの香りを、濃くて黒いコーヒーで飲み下した。




大学の研究室をそろそろ片付けないといけないと思うのだけど、毎日の授業に研究に、出張の準備に講演の手伝いにと何かとやることが多くてなかなか手が付けられないまま部屋は荒れに荒れていた。
こんなところで日中過ごしていることを、ゾロは知らないのだと思うとすこし可笑しな気分になる。
私の自宅に初めて上がったとき、ゾロは「ずいぶん小ざっぱりとした部屋だな」と物珍しそうに呟いた。
それは、仕事道具や本はこの研究室にすべて詰め込んでいるからで、自宅に家具をほとんどおかないからだ。かわりにこちらがひどい有様なのを私は黙っている。綺麗好きだと思われたかったのかもしれない。
午前中にひとつ授業に出て、昼過ぎまで研究室で学生のレポートを読んだ。夕方までにひとつ仕上げたい論文があったのだけど、一五時に学生が数人、研究の相談にやってくることになっている。
結局自分の研究に手を付けるのは夜になるだろうと思い、諦めて研究室に学生のためのスペースをあけた。
足元に転がった地図を端に寄せ、積み上がった本を逆の端に寄せ、本棚の一番上の段から学生たちが研究している分野の本を取り出しておく。
控えめに扉がノックされ、「どうぞ」と言ったらまだ子供のような学部生の顔が二つ覗いた。「いらっしゃい」と微笑むと、彼らはおずおずと部屋に入ってくる。

学生たちが帰るころには十六時を過ぎていた。彼らに出したコーヒーのカップを洗っていたら、スカートのポケットに入れた薄い携帯がふるえた。
ゾロかしらと思って取り出すが、画面を見て「なんだ」と思う。

「はい」
「もしもし、私。今大丈夫?」
「えぇ」
「電話が私で、なーんだナミか、って思ったでしょ」
「どうしてわかるの?」

ナミはからから笑って、「そうだったとしても普通『どうしてわかるの?』なんて言わないもんよ」と気にしたふうもなく言った。

「今夜ひま? 急だけど」
「今夜……ごめんなさい、まだ帰れそうにないわ」
「そ。まぁ突然だし無理よね。カヤさんがほら、あっちに行っちゃうからその前に集まれたらと思ったんだけど」

研修医のカヤは、医者として本職に就く前にかねてからの念願だったらしい海外留学に行くことが決まっていた。
私以外の三人の都合がついたので、急遽今夜と言う呼び出しだったのだ。

「遅くなってもいいから、来れそうなら連絡して? カヤさんもあんたに会いたそうだったし」
「えぇ」

じゃあね、とあっけなく電話は切れた。
電話を机に置いて、淡いグレーのコートを羽織る。朝から何も食べていないことに気付いたのだ。コーヒーばかり飲んでいるから、口の中が渋くまずい。
財布を手に研修室を出たところで、廊下が随分と冷えていることに気付く。鍵を閉める自分の手がやけに冷たい。
少し疲れていた。
忙しいと言って時間に追われる仕事ではないし、なにより仕事の量は自分で決めることができる。私は張り切っているのだ。カヤが海外留学に行き、ビビが自分より上の大人たちをひきつれて家業を回し、ナミが完璧な自分を維持したうえで昼夜を問わない仕事の呼び出しに応じる姿を目の当たりにして、羨ましくなってしまった。
私にも燃やせるエネルギーがあることを、確かめてみたいのだ。

研究室は六階で、エレベーターが下から登ってくるのをじっと待つ。2,3,4、と増える数字を眺めていた私は、少しずつ視界が狭くなっていくのに気が付いていなかった。
初めは、ヒールがぽきんと折れてしまったのかと思った。足元からすこんと力を抜かれるみたいに、私は立っていられずその場にくずれていた。
おい、と遠くで慌てた声が聞こえる。
低くて響かないその声は誰か知っているものだったけれど、霞がかった思考の中それがゾロではないことに私はがっかりして、返事をする気も失ってそのまま目を閉じた。

薄い薬品のにおいと真っ白な光に気付いて目を開けた。作られた清潔さがやけに目立つ白い天井から壁に目を転じ、自分が同じくらい白いベッドに横たわっていることに気付いた。ゆっくり身体を起こすが、頭の中身がそれと一緒にごとんと動いたように感じて倒れた時と同じように視界が狭くなる。
大学の看護室だった。いつのまにかそこに寝かされていた私が起き上がると、常駐する看護師が慌てて飛んできた。

「先生。いま、救急車を呼ぼうかと」
「いえ、必要ないわ。ごめんなさい」

言われなくても倒れた原因なんてわかっている。寝不足と過労だ。自分でもわかるような理由で病院に運ばれたらたまらないと思い、私はベッドから足を下ろした。

「誰が私をここまで?」
「ええと」

まだ学生のような看護師は、「背が高くて、黒いコートで、ここに傷があって」と身振り手振りでその人を表して見せた。

「あぁ、サーね。よかった。お礼を言っておかなくちゃ」

あなたもありがとう、と告げて立ち上がる。ヒールは折れてなどいなかった。

「もう少し休んで行かれた方が」
「大丈夫。今日はもう帰るわ」

荷物だけ取りに行かなくちゃ、と一人ごちて看護室を出た。
外はすっかり暗くなり、腕時計で時間が一八時を回っているのを確かめる。研究室に戻り机に置きっぱなしの携帯をカバンに落とし込んで、すぐに部屋を出た。
エレベーターがやってくるのを、また数字が2,3,4と上がるのを見つめながらじっと待つ。既視感を覚えてまた倒れてしまいそうだと考えていたところで、隣に人が立つ気配がした。

「随分治りが早ェな」
「サー……運んでくれたんですってね、ありがとう」

男は全館禁煙の注意書きには目もくれず、太い葉巻からたっぷり煙を吹かせて私の礼には答えず言った。

「目の前で倒れられて跨ぎ越して行くほど悪人じゃねェんだおれは」
「迷惑をかけたわ」
「まったくだ」

折よくやってきたエレベーターに乗り込み、四人で一杯になってしまうほど小さな箱の中はすぐに葉巻の匂いで一杯になる。

「やわになっちまったみてぇだな」
「何?」
「この程度の忙しさで倒れるような女じゃなかったろうが」
「もう若くないもの」

サーはふっと鼻を鳴らして、珍しく笑った。研究棟を出て、大学の門に向かって私と同じ方向に歩く彼も今日は帰るらしい。
来週の講演会は、サーも出席するはずだ。同じ学科で研究室も隣の彼とは何度かタッグを組んだことがあった。彼も私のことをよく知っている。必要以上に。
広い学園内の並木道は夜の風でざわざわと音を立てていた。人気はないのに、置きっぱなしの自転車や図書館の窓から洩れる灯りなんかで未だ学生たちの気配がたっぷり残っている。
私がその空気を深く吸い込んだ時、ふと思いついたみたいにサーが言った。

「送ってやろうか」
「え? いえ結構よ。電車に乗ってしまえばすぐだもの」

大学の門の手前に差し掛かっていた。サーは左に折れて駐車場へ向かうはずで、私は右に折れて駅へ向かうつもりだった。
しかしサーは口に挟んだ葉巻をつまんで煙を吐き出すと、脚を止めてじっと私を見下ろした。

「送ってやろうか」
「……サー」

そういう目で見るのはやめて、と喉元まで出かかった。でも言ってしまったら何か彼の思うとおりのことを認めてしまう気がして、言わなかった。
何でもかんでも思うとおりになると思わないで、とこの男にはいつも言ってやりたくなるのだが、まだ言えたためしがない。

「今日は帰るわ。明日も、明後日も私はまっすぐ帰る」

サーはばかにするみたいに、口の端を上げて少し笑った。私から視線を外し、どこかを見ながらまた深く煙を吐いた。

「おつかれさま」
「あぁ」

くるりと背を向けて、大男はコートの裾を揺らしながらゆっくりと歩いて行った。
一仕事終えたような気分で私も踵を返す。門の石柱を通り過ぎようとしたところで、その影に寄りかかるように立つ人の気配に気付いて驚いた。
私が気付くより一瞬早く、名前を呼ばれる。

「ロビン」
「まあ」

ゾロは眠たげな目で私を見て、「おう」と短く言った。

「驚いた。迎えに来てくれたの」
「電話、出なかったぞ。壊れてんのか」
「え、あぁそういえば。ごめんなさい、しばらく確認してなかったの」

鞄から携帯を取り出すと、ゾロからの着信と「いまどこにいる」「むかえにいく」という短いメールが入っていた。ごめんなさい、ともう一度謝る。

「いつから待ってたの? 中に入ってこればよかったのに」
「今着いたところだ。お前が歩いてくんのが見えたから、待ってた」

そう、と答える。ゾロは何か言いたげに私を見て、言葉を探している。私はじんわりと足が痛んでくるのを感じながら、それを待った。
やがてゾロは、「あいつ」と私の背後に視線を移した。「えぇ」と答えて続きを待つ。しかしゾロは「あいつ」と言ったきり、そのあと押し黙ってしまった。

「……ゾロ。帰りましょう」

ゾロは子どものようにむすりと口を引き結んでいる。かわいいと思ったが、やっぱり私は少し疲れていた。サーとのやり取りのこともあり、早く家に帰ってゾロの胸を枕に眠りたかった。
ゾロが歩き出す。私が横に並んでも、ゾロは何も言わなかった。いつものことなのに、やれやれと思ってしまう。
駅に入る直前で、ゾロが脚を止めた。

「ゾロ?」
「今日は、おれァ帰るわ」

え? と聞き返しながら、私は登りかけた低い階段を一段降りた。ゾロは階段に足もかけず、じっと私を見上げてから目を逸らした。
ゾロの家は大学からほど近い。彼はいつも歩きか自転車で大学まで通っていたのだ。こういう関係になってから、彼が私を大学まで迎えに来てくれることは幾度もあったが、そのときはいつも電車に乗って私の家まで帰るのが、二人にとっての帰宅だった。

「どうして? 何か用事があったの」
「いや、お前ェ疲れてるみてぇだし」
「そんなこと」

そうだ、私は疲れている。疲れているからこそ、あなたと一緒に帰りたいのに。
どうしてわからないの、という思いが一瞬溢れて、口からこぼれるより先に見えない質量を伴って私の肩を重くした。

「いいわ、わかった。迎えに来てくれてありがとうね」

おやすみなさいと言うと、いつもの仏頂面でゾロは「あぁ」と言った。
私は踵を返し、階段を上って駅の改札口へ向かう。改札を通る寸前、振り返ったが、もう彼の姿はどこにもなかった。



どこか遠くで電話が鳴っている。柔らかい毛足の毛布に顔を埋めてその音を他人事のように聞いている。
ゾロ、電話を取って。口の中で呟くも、彼がそこに居ないのなんてわかっている。
身体が重い。肘が痛い。頭が熱い。鼻がつまって、息を吸うとつんと痛んだ。
コール音はなかなか切れなかった。今日は日曜で、授業もないし研究棟も閉じている。家に持ち帰った仕事を少し片付けるだけのつもりだったのに、いったいだれがどういうわけでこんなにもけたたましく電話をかけてくると言うのだ。
腹立たしい気持ちで起き上がり、殺風景な自室の隅で鳴り続ける携帯電話を取りに立ち上がった。
床がひどく遠い。裸足の足で触れたそこが冷たくて気持ちいい。

「ロビンさん? あの、こんにちは。私、カヤです」
「あら、ごめんなさい出るのが遅くて」

電話口で、彼女が小さく息を呑む音が聞こえた。

「ロビンさん……体調がよろしくないの? ひどい声」
「そう? 平気よ。何だったかしら」
「あの、この前会えなかったから。でも、それより休んで。今日お仕事は?」
「今日はお休みだわ」
「よかった。あの、ごはんは? 食べられるの?」
「えぇ」

するりと嘘を吐いた。食事なんて、あの日研究室で倒れた朝からろくに食べていなかった。相変わらずコーヒーばかり飲んでいたが、不思議と空腹を感じなかった。
カヤはしばらく考えるように黙ったが、「ゆっくりして。また連絡します」と言って電話を切った。
長いコールは彼女らしい生真面目さゆえだったのかと思いながら、携帯を机に置いた。その割には要件も言わなかったけどいいのだろうか。
顔を洗おうと洗面所に行って鏡を見ると、唇は乾燥で皮がめくれて、目元は落ちくぼんだように黒く影が乗り、それなのに頬は妙に赤く色づいていた。
ひどい顔、と自分に悪態づいて冷たい水で顔を洗った。
何か口にした方がいいのはわかっているのだけど、用意をするのも口に運ぶのも億劫で仕舞いには考えるのもやめてしまった。
部屋に戻って着替え、携帯の着信を確かめる。
ゾロに会ったのは、一昨日、駅前で別れたあのときが最後だ。
昨日は彼が仕事で連絡はなかった。今日ももう昼に差し掛かろうとしているが、未だ連絡がない。

サーとの一連のやり取りを聞いていたのだろう。そして何かを想像し、考えたのだろう。相変わらず不埒な私はそれを嬉しく思ってしまうが、ゾロを傷つけてまでそんな思いをしたいわけではなかった。
はあ、と熱い息を吐いて、私は不肖な子どものようにまたもぞもぞとベッドに潜り込んだ。
もしかして、私とサーの何かをゾロが想像したのだとしても、彼はちっとも傷ついたりしないのかもしれない。むしろ呆れ返って、こんな女の家にはもう来ないのかもしれない。
もう来ないのかしら。
ゾロ。

するすると私をなめらかに通り過ぎていくたくさんの人たちの中で、初めてゾロが脚を止めて私の手を掴み、引っ張って一緒に歩こうとしてくれたのに。何かの拍子で手が離れたとき、私は自分からそれを掴み直すことができない。
臆病すぎて嫌になる。
熱のせいだと分かりながら、そんなことを鬱々と考えてまた眠った。

家のチャイムが鳴ったとき、浅く眠っていただけの私はすぐに目を覚ました。インターホンの方に顔を向けると、画面がぼやっと荒い映像を映している。
誰か来た、と思ったが遠目には誰だかわからない。何か複数の影が動いているように見えた。
横になったままその映像をぼうっと見ていたら、携帯の着信が甲高い音で鳴り始めてびくっとした。
仕方なく身体を起こし、着信の名前を確かめて電話に出た。
私がはい、と言うより早く声が聞こえる。

「もしもーし。開けてー。大丈夫? 生きてる?」
「ナミ」
「あっよかった生きてる。ね、とりあえず開けてよここ」

もう一度インターホンの方に顔を向けた。青っぽい画面に頭が三つ。見知った可愛い顔たちだった。
ふっと思わず吹き出してしまう。

「ダメよ、私今ひどい顔してるの」
「だから来たんじゃないの。どうせろくなもん食べてないんでしょ、いろいろ買ってきたから」

オートロックの施錠ボタンをおしてあげると、電話口から「あっ開いた」とまた別の声が聞こえて、「んじゃあとで」と言って電話が切れた。
ドアを開けた途端ナミは「わっ、ほんとにひどい顔」と言って呆れたように目を丸め、ビビは心配そうに「病院に行かなくていいかしら」と言い、その後ろでカヤが申し訳なさそうに上目づかいの小さな声で「ごめんなさい」と何かに謝っていた。
どやどやと入ってきた彼女たちは、私を押しやるようにベッドに寝かせてふわりと布団をかけ、またどこかから引っ張り出してきた薄い毛布をさらにその上に掛け、中身のつまったビニール袋を二つほど机の上にどさりと置いた。
ナミの冷たい手がぺたりと私の額に触れる。

「そんなに高くないみたいだけど、あんた平熱低いんでしょ。けっこうきついんじゃないの」
「さあ……」
「だめね、とりあえず何か食べないと」

勝手に台所使うわね、と言ってナミとビビがキッチンの方へ向かい、ふたりで少しひそめた声で話しながら何か用意を始めた。
なんだかすごいことになってきた、と思いながらその様子を眺めていたら、いつの間にかベッドのわきにカヤがひざをついていた。

「ごめんなさいロビンさん、やっぱりどうしても心配で」
「えぇ、ありがとう。よっぽどひどい声してたのね私」

カヤはそれには答えず、ほんのりと笑って「少し触ってもいい?」と言った。薄い水色のセーターを、彼女には珍しく肘のところまで腕まくりしている。頷くと、まず私の額に触れ、首を角度を変えて何度も触った。

「少し捲るわね」

私が頷くのも確認せず、布団と毛布をめくり上げると私の腕を取り、脈に指をあて、それから脇の間にさっと手をあてて胸の辺りを少し押すように触った。
そして布団を元通りに戻すと、困ったように笑って「やっぱりごはん、食べてなかった」と言った。私は口元だけ笑ってごまかす。

「ナミさんたちが食べやすいものを用意してくれるから、少し食べて。私たち、すぐに帰るから」
「えぇ。ありがとう」
「お仕事忙しかったのね。休んで栄養を摂ればよくなるわ」

カヤはにこりと笑うと、すっと立ち上がってナミたちのいるキッチンの方へ向かった。
以前駅で倒れた彼女をゾロが拾ってきて、ここのベッドで寝かしたことがあった。今はすっかり立場が逆転してしまっている。年下の彼女たちに寝かしつけられて世話を焼かれていることを気恥ずかしく思いながら、遠くの方で聞こえる物音や可愛らしい声に耳を澄ますのは心地よく、いつのまにかまた眠ってしまっていた。

ほんの少しの時間うとうとしただけだと思っていた。だから目を開けて、妙に部屋が小ざっぱりと片付き、ほんのり温かいような人の気配が残っているのにしんと静かで誰もいないのを確かめて、さっきまでの光景は夢だったのかと思った。
ガタッと椅子が床を叩くような物音がして、そちらに頭を持ち上げた。
ゾロがダイニングテーブルから腰を上げ、こちらに歩いてくる。

「目ェ覚めたか」

しばらく、呆然と彼を見上げた。ゾロは私の様子を確かめるみたいに覗き込み、「おい」と眉をすがめる。

「ゾロ?」
「んだ、おれのこともわかんなくなっちまったのか」

ゾロはからかうみたいにそう言って、私の額に分厚い手をあてた。何を確かめたのか、首を傾げ、「まだつらいか」と言った。

「どうしてここにいるの」
「あん? 今日はお前ェ仕事休みだろ」
「そうじゃなくて」

不意にゾロがぺチンと私の額を叩くので、あっと声をあげてしまった。

「要らねェこと考えてねぇで、たまには何も考えず寝とけ」

そうは言って、ゾロはどすんと私のベッドに腰を下ろすので私はもぞりと身体を起こし、ぼんやり彼を見た。起き上がった私を見る彼の目がいつも通りで、仏頂面の三白眼のくせにどことなく優しいその目に見つめられて、だるい身体がほろっとくずおれるように感じた。
そのまま体を傾けて、彼の肩に額をつけた。

「ゾロ、もう来てくれないのかと思った」
「なんでだよ」
「わからないけど」

手のひらで顔の片側を隠すように覆い、ぎゅっと目を閉じた。ゾロの肩は硬くて、私が頭を押し付けてもびくともしない。
不意にゾロの逆の手が、私の首筋に張り付いた髪を後ろに払いのけた。指先が肌に触れたけど、それだけで彼の手は戻っていってしまう。

「ゾロ」
「めし、食うか。なんか鍋に入ってっぞ。冷蔵庫にも」

あとこれ、と言って紙切れを一枚手渡される。肩から顔を上げそれを確かめると、小さなメモ帳に細い筆先の綺麗な文字で「お大事に」と一言、そして鍋に入っている雑炊と冷蔵庫に詰めた食材のことが書いてあった。

「あの子たちに会った?」
「いや。そこのテーブルに置いてあった。あとウソップから連絡が来た」
「あぁ、カヤね」

ゾロがカヤを拾ってきた一件以来、彼女を迎えにきたウソップとゾロで交流が生まれたらしく、幾度か会っているらしい。ウソップから教えられてきてくれたのかと思うと、嬉しい半面何故だか少しがっかりした。

「ちょうどお前ェんちに行こうとしてたときだったから、ちょうどよかった」
「そうなの?」

ゾロは頷き、「なに食う」と立ち上がった。

「じゃあ、せっかくだし作ってもらったものと……なにか冷たいもの」
「冷たいのっつって、いろいろあるぞ。ちょっと待てよ」

ゾロはどすどすと冷蔵庫まで歩いていくとその中を覗き込み、「リンゴ、ミカン、イチゴ、プリン、ゼリー、ヨーグルト」とあるものを片っ端から読み上げ始めた。

「あなたが食べたいものでいいわ」
「阿呆、お前が食うんだろうが」

そう言いながら、適当なのか本当にゾロが食べたかったのか、プリンを掴んでこちらによこしてきた。鍋に火をかけて温め直してもらう間、そのプリンを小さくすするように食べる。
甘くて濃くて、じんわりと喉の奥が溶けるみたいにやわらかくなっておいしかった。
ダイニングに腰かけたゾロはペットボトルの水を飲んで、「いつから具合悪かったんだ」と言った。

「さぁ……金曜日、学校でも少しおかしな感じだったから、多分そのときかしら」
「おれが迎えに行った日じゃねェか。なんでそのとき言わねんだよ」
「あなたが来てくれたから言わなかったのよ。具合が悪いなんて言ったら、帰ってしまうでしょう」

言わなくても結局帰ってしまったけど、と恨みがましく言ってみる。
ゾロは痛いように顔をしかめてしばらく押し黙ったのち、「すまん」と短く言った。

「どうして謝るの」
「帰ってほしくなかったんだろ」

頷くと、「そうならそうと言え」とゾロは不機嫌そうに呟いた。

「おれぁあんとき、お前があいつとどこか行く予定だったのかと思って」
「あいつ?」
「あのでけー奴」
「あぁ、サーね。彼と別れてからあなたと会ったんじゃない」
「行きたかったけど断ったのかもしれねーだろ」

私は目を丸めて、彼を見つめた。

「ゾロ、あなたそんなことも考えるのね」
「ばかにしてんのか」

違うわ、と思わず笑ってしまった。ゾロは不愉快そうに目を細くして私を見た。
来て、と私は彼を手招く。ゾロは迷いなく立ち上がり、また私のベッドに腰かけた。その身体に寄りかかり、太い首筋に猫のように頬をつけた。

「あなた以外と行きたいところなんてないもの。どこにも」

ゾロがこの部屋に来てくれるのなら、もうどこにも行く必要はない。ずっとここにいて、永遠にこうしていたい。
ゾロは一度だけ私の後頭部を撫で、ぎゅっと自分に押さえつける。布団越しに私の膝をくるりと撫でて、立ち上がった。
ぐつぐつと煮えた鍋の火を止めてダイニングの鍋敷きの上にどんと置く。
「来れるか」と彼が言うので私はベッドから起きだし、器やスプーンを用意して彼と向かい合って座った。
あの子たちが作ってくれた雑炊を、彼が私よりたくさん食べるのをとてもうれしい気持ちで、ずっと眺めていた。


fin.

拍手[1回]

久しく磨かれていない窓ガラスから、気持ちのいい空が見える。風が吹くのか、わずかに電線が揺れている。向かいの家の屋根に遮られた雲の切れ端がちらりと見えた。
いい天気だね、と呟いたけども返事がない。ラグにぺたんと座り込んで、テーブル上のマグカップにそっと手を添えたナミさんもおれと同じように窓の外を見ていた。
キッチンカウンターをぐるりと回っておれもナミさんの隣に腰を下ろすと、ナミさんが初めておれの存在に気付いたみたいに少しこちらを見て、「いい天気ね」と言った。

「秋晴れだな」
「行楽日和ね」
「どこか行きたい?」

うーん、とナミさんは考えるそぶりを見せたが、声でその気がないのがわかる。案の定、「べつに」とそっけない返事だった。
深い青のマグから、少し温度の落ち着いたコーヒーをすする。

「こういうお出かけ日和に家にいて、何をするでもなくいい天気だなぁって外を見てるのも贅沢ですきよ」
「おれも」

ナミさんはちらりとおれを見て、なぜだか苦笑した。きっと、おれがいつでもナミさんの言うことに「おれもおれも」と諸手を上げて賛同するので呆れているのだ。

「お昼、なに食いたい?」
「なんでもいいの?」
「もちろん。足りない食材は買いに行きゃあいいし」
「そうだけど、そうじゃなくって。なんでも作れるの?」
「だいたいは」

へえ、すごい、とナミさんが臆面もなく褒めてくれるので、おれはぐんぐんと嬉しい気持ちになって少しナミさんにすり寄り、腰に手を回した。
柔らかい毛足のセーターの、肩のところに顎をつけて喋るとナミさんはくすぐったそうに身をよじった。

「本当に何でもいいよ。ナミさんが来てくれるっていったときからすげぇ張り切ってる」

ふっと息で笑って、ナミさんはまた窓の外に顔を向けた。その顔が見たくなり、覗き込むが首の角度に限界があって彼女の表情までよく見えない。
一体どんな顔をして、どんな目で、そんなに窓の外ばかり見ているのか、見えないからこそ無性に知りたくなった。
不意に怖くなる。
おれの知らないナミさんを知るたびに、喜びと同時にちらりとよぎる不安。
いま、誰のこと考えてる?
絶対におれは聞かないし、聞けないし、きっとナミさんも言わない。
ナミさんもきっとおれのこういう臆病さに気付いている。

「ナミさん」

腰に回したのと反対の手を彼女の頬に伸ばす。少し触れると、すぐにナミさんはこちらを向いて、「サンジくん、手、つめたい」と笑った。
鼻先が触れて、ナミさんが目を伏せる。顔を傾けて、少し唇を開いて、あったかくてやわらかいそこを重ねる。
触れたところからなにかいいものがおれの中に流れてくる。少し離して、角度を変えて、もう一度触れるとナミさんは温めるみたいにおれの片手を両手で包んでくれた。
大丈夫よ、と言われた気がして、彼女をきつく抱きしめたくなったのに、ナミさんはおれの手を、と言うより指の方を、両手でぎゅっと握っているのでそれができない。
おれのことだけ考えて、と思う。
きっと今この瞬間、ナミさんの中はおれでいっぱいなはずだ。わかっている。でも足りなかった。
おれのことだけ考えて、おれにだけその顔を見せて。
窓の外には誰もいないよ。





秋晴れだな、とナミさんに言った次の日は、世界中の赤ん坊が泣き狂っているみたいに激しい雨だった。
秋雨ってもっとこう、大人しくしとしとと降るんじゃなかったっけ。そう言ったらナミさんは「台風の影響でしょ」と至極真っ当なことを言って、さっさとおれの家から出勤していった。できることなら、というより当然のように一緒に家を出て途中まで同じ道を辿って出勤するものだと思っていたおれは、ためらいもなく「私今日早いから」と言って先に出てしまったナミさんの背中をさみしく見送って、誰もいないいつもの家に鍵を閉める。心なしか置いてけぼりを食ったさみしさが音に滲んだ。
紺色の大きな傘を広げて、足元に跳ねる強い水しぶきに舌を打って、うつむきがちに会社への道を辿る。
頭はもう、家に帰ってからのことを考えている。
今日もナミさんはおれの家に帰ってくる。明日も、明後日も、彼女の仕事が詰まらない日はいつだって、彼女はおれの家に帰ってくる。
「そんなの悪い」と言って顔をしかめた彼女をなだめすかし、おれのためを思ってと半分すがって平日の夜は一緒に飯を食う約束を取り付けた。
この前振る舞ったおれの手料理が功を奏したのか、ナミさんは少し言いにくそうに「夜はサンジ君のごはん?」と尋ねた、あの可愛らしさよ。もちろん! とおれは叫び、でもたまには外に飲みに行こうな、と彼女の手を取ってにっこり笑った。
ナミさんは何が好きなんだろう。主食はコメの方が好きなのか、パンに合うものがいいのか、それとも酒に合うつまみをたくさん用意した方がいいんだろうか。食後にデザートは欲しくなる子なのか、どれくらいカロリーなんかを気にするのか。
思えばおれは、まだまだまだ、彼女のことを何もと言っていいくらい知らなかった。
恋人という大義名分を得たおれは、まるで一国の城の王になったような無的な気分で有頂天になっていたが実のところ無能もいいところで、ナミさんがおれのそばにいてもいいと思ってくれるからこそなれる王であり、そうでなければ、そう、考えたくもないが、そうでなければ、おれはまだなにひとつ持っていないのだった。
おれはナミさんの全部を知りたいし、全部が欲しい。そしてナミさんにもそう思ってもらいたい。
それは気持ちであったり、行動の一つ一つであったり、身体そのものでもあった。
柔らかくて内に潜れば潜るほど熱い彼女の中を思い出し、身体の芯がぶるっと震えた。いけねぇここは地下鉄、と思うものの、しっかり刻み込まれた記憶が未だ生新しい温度を保って目の前にスライドインしてくる。ぎゅっと目を瞑り、つり革を強く握って中心に集まろうとする熱を必死で分散させる。仕事のことを思い出して紛らわせようと、今日の予定を頭の中で立てたが圧倒的なナミさんの力には抗うのも馬鹿らしいと言ったふうに、気付けば書類の白はナミさんの肌の白さにとって替わっていたりした。
だめだ、ナミさん。
混みあう地下鉄の中、もぞもぞと右腕を動かし胸ポケットから携帯を取り出す。
「おれも家を出ました。朝早かったけど眠くなってねぇ? 今日も一日がんばって」
文面を読み返し、中学生みたいだ、と恥ずかしくなる。が、そのまま送った。
いいのだ。どうせおれはナミさんの前では中学生男子みたいなもんだ。
返事はわりとすぐ、おれが地下鉄を下りるより前に返ってきた。
「朝から企画書がたまっててげんなりしたわ。今は眠くないけど、お昼食べたら眠くなりそう」
文面の最後に付いていた「zzz」というかわいらしいマークに、携帯を握る手がほわっと温まる。
だらしなく緩んだ顔のまま「夜は何食べたい? 希望があれば、買い物して帰るよ」と送ったが、その返事はその日おれが家に帰るまで帰ってこなかった。

メールの返事はなかったが、19時頃会社を出て買い物をして帰路につく。大粒だった雨はすんと落ち着いて、朝の激しさなど素知らぬふうに空には薄い雲が伸びている。少し風が強かった。
ナミさんは薄着だったが寒くねェかななどと考えながら、スーパーの買い物袋を片手に揺らすのはわかりやすく幸せだった。
部屋に着いたら、朝飲んだコーヒーのマグカップを二人分洗って、あったかいブイヤベースを仕込もう。彼女が以前「ここ美味しいのよ」と言った駅から少し遠いパン屋にもわざわざ寄って、ブイヤベースに合うブールも買ってきた。
おれがこねてもいいのだが、時間がかかるしそんな楽しいことはナミさんも一緒のときに二人で作ってみるのもいいだろう。

海老の背ワタを取り、タラの切り身に塩をまぶす。二枚貝を砂抜きして、セロリを薄く刻む。鍋に火をかけたところで一服とタバコにも火をつけた。ケツに突っ込んだ携帯がぶるっと震えて、はらっと花が咲いたみたいなときめきを覚えて慌てて画面を覗き込んだ。

「急に飲みに誘われちゃった。遅くなりそうだから、今日は自分の家に帰るわね」

ふつ、と鍋の中が音を立てた。
ふつふつふつ、とスープのふちが気泡を立てて、海鮮たちがその身を揺らしながら赤や白に色を変えていく。
おれは携帯を、シンクとは反対側のコーヒーメーカーなんかが置いてあるカウンターに置いて、とりあえずめいっぱい煙草の煙を吸い込んだ。

そうだよ。こんなことだって十分あり得る。知っていた。
だって彼女の家はここではないし、今朝ここを出て行ったからと言ってまたここに帰ってくるわけではない。
彼女には彼女の仕事が、友達が、付き合いがあり、もちろんおれも同じで、たとえどれだけほしくてもおれが彼女のすべてを手に入れることなんてまったく不可能なのだ。
こんなのは世の中よくあることで、勝手にこちらがそわそわと浮足立って準備したことが相手の予想外の行動でまったく意味をなさなかったり、期待外れだったり、そういうがっかりする事態は正直面白くないほどありふれている。
だからそう、おれは訊いてはいけないのだ。

「飲みって、そこに男もいる?」
だとか、
「仕事の人?」
だとか、ましてや、
「あいつに会うわけじゃねぇよな?」
なんて、訊いてはいけない。

おれは鍋の中を覗き込み、あくを取って静かにトマトペーストを垂らした。
再び蓋をして、携帯を手に取る。

「了解、ナミさんに会いたかったけどしゃーねぇな。帰り遅くなるならあぶねぇし、駅から家まで送るよ」

送信し、じっと何もない画面を見つめていたらすぐに返事が来た。

「ごめん、もしかして夕飯準備してくれてた? 明日食べに行くわ。帰りはタクシーで送ってもらえると思うから大丈夫」

おれは何か返事をしたが、あんまり覚えていない。
とりあえず作りかけたブイヤベースを仕上げ、ブールを切って残りは冷凍した。
テレビをつけ、21時のドラマとバラエティが軒を連ねるラインナップにうんざりしてすぐに消した。
サラダとスープにパンじゃ足りず、結局くず野菜と肉を刻んでチャーハンを作ってかきこむように食べた。
ナミさんと食べる食事は、たとえ小鳥のエサみたいな少しのつまみであっても、彼女が美味しそうにそれらを口に運ぶ顔を眺めていれば、永遠に満たされていられた。

タクシーで彼女を家まで送るのはいったい誰なのか。
何かを食い、美味しいと笑い、アルコールで薄らと頬を赤らめるその顔を見るのはいったい誰なのか。
どうして彼女は、おれにもっと何かを求めてくれないのか。

おれは知っていた。
ナミさんが、「どうしようもないじゃない」と声を荒げて、涙にひりつく瞼で誰かを思って走って行けることを知っていた。
春の嵐みたいなその勢いのすさまじさに圧倒されて、だからこそ、そんなふうにおれも求めてもらいたかった。
じりじりと削るみたいに夜が深くなっていく。
だめだだめだ、と腰を上げ、ガチャガチャと皿を洗ってさっさと風呂に入った。何も考えられないくらい湯を熱くして、皿を洗うのと同じ要領で自分を洗ってさっさとベッドに滑り込んだ。
きつく目を閉じて案の定寝つけずにいたら、日が変わった頃に携帯がちかりと光り、
「今家に着きました。心配すると思って」
とナミさんからのメールが届き、それを読んでおれはやっと眠ることができた。

結局次の日から週末までナミさんが残業の日が続き、会えたのは土曜の夕暮れ前だった。
すっかり秋めいた晴れの空の下、ナミさんは薄手のコートを羽織ってひらりと優雅におれの部屋に現れた。

「ひさしぶり」

4日ぶりのナミさんはそう言ってかかとの高いグリーンのパンプスを脱いだ。
疲れているのか、リビングに続く短い廊下を歩く間にナミさんはあくびをした。

「仕事、忙しかったんだな」
「あ、ごめん。ちょっとね、でももうひと段落ついたから」

ナミさんはコートを脱ぎながら話す。

「昨日そのひと段落ついた案件の打ち上げが夜中の2時近くまであってさ、クライアントも一緒だったし全然酔えないのになかなか終わらなくて、仕事の中身って言うより最後のそれですっごい疲れちゃった。家に着いたのが3時くらいだったのかなぁ、起きたらお昼だったし、あ、ごめんね返事遅くなって」
「いんや」
「そうだあんたのところの新店、この前ポーラが行ったんだって。あ、ポーラって私の同僚ね。美味しかったし雰囲気よかったって言ってたわよー、デートだったのかなんだったのか訊かなかったけど。私もあれっきり行ってないし、ちゃんとご飯食べに行ってみたいな」
「そうだな」

ナミさんはおれにコートを手渡し、ふとリスのような丸い目でおれをじっと覗き込んだ。

「サンジ君、なんか変」
「え」

ナミさんはおれににじり寄って、ぐいと顔を近づけた。

「あんたこそ疲れてるみたい。ぼーっとしちゃって」
「や、違うんだこれは」
「なに?」

ナミさんから顔を背け、一歩後ずさる。おれのその仕草に、ナミさんはぎゅっと顔をしかめた。

「なんなのよ一体。怒ってるの?」
「まさか!」
「じゃあなんで避けるのよ」

避けたわけではなかった。ただ、たった四日ぶりの彼女があまりに変わりなく、矢継ぎ早に話す様子がまるで、そうまるで、「おれに会いたかった」と言ってくれているようで、ただくらりとしたそれだけだ。
おれは数秒口元をまごつかせてから、「ナミさんが可愛くて」と言った。

「はぁ」

気の抜けた顔で肩の力を抜いたナミさんは、「よくわかんないけど」と言ってぺたんとラグに座った。
しずしずとおれも隣に腰を下ろしたが、「あ、コーヒー淹れるな」とすぐに立ち上がる。そんなおれの慌ただしい様子にナミさんは呆れたみたいに少し笑ってくれた。

コーヒーマグを両手にリビングへ戻ると、ナミさんが腰を下ろしたテーブルの上にちょこんと小瓶が乗っていた。
おまたせ、と言って彼女の前にコーヒーを置くと、ナミさんは「ありがとう」と呟いてからその小瓶に両手で触れた。

「お土産」
「お土産? どっか行ってたの?」
「うん。木曜にプチ出張で。近場だけどね」

彼女のクライアントがアパレルショップで、最近の服屋というのは服だけでは飽き足らずにハンドクリームやアロマなんかの化粧品類、さらにはこうした食品なんかも売り出しているのだと言う。
これはそのクライアントが売出し中の、はちみつ漬けのナッツだった。

「へえ、うまそ」
「なんか流行ってんだって。食べたことある?」
「ない。チーズに合いそうだな」
「じゃあワインにも」

ナミさんが嬉しそうにくふふと笑う。思わず腕を伸ばして彼女の肩を抱き寄せた。ぐら、と彼女の身体が傾いて、ナミさんは「うわ」と驚いた声をあげた。

「ありがと、ナミさん」
「え、なに、そんなに嬉しかった?」
「そうじゃなくて」

ぐっとさらに力を込めて彼女を引き寄せる。膝がぶつかり、太腿に太腿が触れ、脇の下から差し込んだ手で彼女の細い肩を手のひらに収める。
ナミさんはおれの肩に顎を置いて、「どうしたの」と呟いた。

「やっぱりサンジ君、変よ」
「変じゃないよ、大丈夫」

こんなにも細いのにしっかりと暖かい彼女の身体を腕の中に感じて、おれはとてつもなくさみしかった。

ナミさん、ナミさんおれは、どうしても考えてしまう。
おれのいない日々を過ごす君は、一体どれくらいおれのことを思い出してくれたのだろう。
少なくともこの土産を買うときに、おれを思い出して、ああそれはとてもうれしい。でもそのとき隣にいたのは誰だった?
昨日の打ち上げは疲れたと言っていた、でも夜中の二時まで帰らなかった、そのときずっと一緒にいたのは。
とっくに終電も行ってしまった真夜中に、彼女をタクシーに乗せたのは。

一度も、本当に一度も、彼女が泣いてまで欲しいと叫んだ別の男を思い出した時間はなかったのか。

サンジ君、と彼女がおれを呼んだ。

「コーヒー冷めちゃう」

ナミさんは宥めるようにオレの背中をポンポンと叩き、おれがいやいや腕の力を緩めると、そこからすぽんと抜け出すみたいに顔を上げて、「心配してるの?」と言った。

「いや」
「うそ。いろいろ考えてた」
「いや……うん、まぁ」
「私のせいね」

ナミさんは大人びた顔で、諦めたみたいに少し笑った。
たまらず、おれは大きな声で「ちがう」と言って彼女の手を掴んだ。

「ごめ、おれ本当、ナミさんが思ってる以上にナミさんのことが好きなんだよ。できることなら毎日会いたいし、ずっと触ってたいし、おれ以外のやつは誰一人ナミさんのこと見てほしくねぇと思ってる。んなこと無理なのもわかってんだけど、わかってんだけど」

ナミさんは目を丸めておれを見上げ、気圧されたみたいにひとつ「うん」と頷いた。
おれは情けなく口元を下げて、「できれば、ナミさんもそうだったらいいのにって」とごにょごにょと言った。十分情けないことを言い散らかしているのにおれのなけなしのプライドが口を回らなくさせた。

「そんなの私だってそうよ」

ナミさんは丸い目のまま、ぽかんとおれを見つめて言った。
おれもぽかんと見つめ返して、「え?」と聞き返す。

「当たり前じゃない、会えない時間はこっちだって一緒なんだから」
「でも」
「そりゃ私はあんたほど、あんたのことばっかり考えてるわけじゃないけど」

そう言ってナミさんはひとりでくくっと笑った。

「サンジ君は顔に書いてある。『ナミさん』って」

おれがぺたりと自分の頬に触れると、ナミさんは笑いながらその上に自分の手のひらを重ねた。

ね、サンジ君、とナミさんは囁き声で言った。

「私だって、あんたが思っている以上にあんたのこと、好きよ」

鼻先に唇が触れ、それはまだ外の空気をまとって冷たかった。
ナミさんは浮かせていた腰を下ろして、また下からおれを覗き込む。

「でも、サンジ君にそんなにもいろいろ考えさせてるのは私のせいでしょ。私が別の男と会ってんじゃないかって考えてんでしょ」

ナミさんの薄い手を掴み、その細い指をぎゅっと握りしめ、「うん」と頷く。もはやごまかしようがないくらい、おれはどろりと濃くて重たい嫉妬をぐらぐらと煮たたせていた。

「そんなことはなにもないって、口で言うのは簡単だけど」

そうだ。おれのいない世界を平気で生きてしまえる彼女に寄りつく男たちに太刀打ちする術を、おれは十分に持ち合わせていない。
たぶんずっと、おれの前に、おれと彼女の間に、その「誰か」の影はちらつき続ける。そのたびにおれは胸の内に黒いものをぐらぐらと煮たたせて、こんなふうに彼女を困らせる。

「あんたが何考えてるのかわからないのは私も嫌だから、思ったことは全部言って。してほしいことも、全部」
「んなのかっこ悪ィよ」
「いいじゃない、そういうのも見たいの、全部」

ナミさんはおれの頬にまたぺたりと手のひらをつけた。ひやりと冷たいその手から、彼女の鼓動が伝わる。
紫色を帯びた空の光が窓から彼女の背中を照らし、その影に遮られた光がおれにもぶつかる。眩しくて、目を細めたらナミさんの親指がおれの頬を撫でるように少し動いた。
彼女の反対の腕を引き、おれの胸に彼女を落としこむみたいに引き寄せる。傾いた彼女の身体を抱きしめて、口を開いた。

「もっと」
「うん」
「もっと、おれといたいと思って」
「思ってるわよ」
「おれと同じくらいじゃなくてもいいから、もっとおれのこと好きになって」
「好きよ。同じくらい」
「全然だよ」

全然足りていない。おれの絶望的なほどに深い彼女への恋心など、絶対に彼女には追い付かない。

「もっとわがまま言って。会いたいなら来いって呼んで。おれに無理させて」
「いやよそんな」
「頼むから」

もっと欲しがってくれ。

ナミさんは膝でこちらににじり寄ると、あぐらをかいたおれの脚の間にすぽんと横座りに座り込んでおれの首に腕を回した。

「じゃあちょうだい。もっとちょうだい」

顔が引き寄せられる。ずくずくと腹の奥が疼く。鼻先が頬に触れ、唇が、おれのかさついた唇が彼女のやわらかなそこに、今まさに触れようとしている。
リスみたいだった丸い目が、昼間の猫みたいに細くなり、でも大きな瞳は夜みたいに真っ黒に光っている。

「何からあげたらいい」
「キスして」

この世の何よりおれが一番近い唇に食いついた。
見た目通りにやわらかく、信じられないくらい甘いそこからどんどんあたたかなものが滴る。一滴もこぼすまいと吸い尽くすみたいに舌で舐めとると、首に回された彼女の手の先がおれの襟足を撫でた。
唇を離し、「次は?」と囁く。

「もういっかい」

は、と彼女が息を繋ぐ隙さえ与えてあげられず、再び吸い付いてその唇の外側も内側も、舌の形も全部めちゃくちゃに舌で触れる。
襟足から肩甲骨に向けて彼女の手が滑り込んでくるのと同時に、彼女の薄いセーターの裾から平たい腹を撫でたらその身体が小刻みに震えるのがわかった。
部屋はすっかり薄暗く、ナミさんの後ろに見える四角い景色は紫色を通り越してゆったりと濃い青に落ちていこうとしている。
下唇を吸って離すとそこがぷるんと揺れた。

「次は?」
「次は……」

ナミさんの顔は逆光で、その表情はよく見えない。まだ一口も飲んでいないコーヒーの冷めゆく香りが部屋に満ちている。そのにおいを、自分たちが放つ濃い別の匂いでかき消そうとしている。

「好きにしていい?」

背中にじかに触れ、浮かび上がった背骨を撫でる。ナミさんは頷いて、疲れた唇でけだるげにおれの喉仏に触れた。
指先が痺れるほど、早く彼女の奥に触れたくてたまらず事を性急に進めようと気持ちがはやるのだが、おれと同じくらい熱くなったナミさんの呼吸を感じるたびにどきりとして、思うように手が進まずいい塩梅になった。
セーターを脱がし、以前の痩せ細っていた鎖骨がほんのりと丸みを帯びているのを触れて確認する。嬉しくなる。
その隆起を唇で辿り、骨のくぼみを舌で押すとナミさんは気持ちよさそうに短く高い声をあげた。
下着を外すと苦しそうだった胸元がこぼれて、すかさず下から掬う。
秋の乾いた空気をものともせずに、ナミさんの肌はしっとりと指に馴染み、まるでおれを待っていたみたいだった。そうであればいいのにと思いながらスカートの裾に手を滑り込ませると指がすぐ下着に触れたので、どんだけ短いスカートなんだと今更ながら心もとなくなる。

「ナミさん」
「なに……」
「もちっと、スカートは長めにしてくれると」

酔ったように焦点の外れていた目がゆっくりとおれに重なり、「は?」と妙に明瞭な声でナミさんは言った。

「他の男が見るだろ、ナミさんの脚を」
「綺麗だからいいでしょ」

思わず笑ってしまった。ナミさんも自分で言っておいて、悪戯がばれたみたいに笑っている。
思ったことは全部言ってと言ったくせに、ナミさんがそれを全部ハイハイと聞き入れるはずがない。ナミさんはでも、心なしか嬉しそうな声で、「そういうのもいちいち言って」とおれの肩に手を置いて囁いた。

「もっと心配させたいの。私も、サンジ君に私で一杯になってほしい」
「なってるよ、もう」

下着に触れた手をそのまま滑らせて、張りのある肌をなぞり、その丸みを手のひらに収めて、湿ったところまで指を運ぶ。
生地の上からなぞるだけでナミさんは苦しげに声をあげた。おれの服の裾を強く握ることが、気持ちいいと言っているのと同じだとわかっていたから、構わず指の先を布ごと沈めて、その音を聞いた。
反対の手を後ろ側から下着の内側に滑り込ませて、なめらかな肌を撫でてぐっとおしりをもちあげて、おれに押し付ける。ああ、と声をあげておれの肩を掴んだナミさんの手が、力みすぎてずるりとそこから外れた。
傾いだ彼女の身体を支えたついでに床に押し倒して、勢いのまま下を全部脱がせた。
片足を持ち上げて太腿の裏を舐めると汗の味がした。熱くて、濃い彼女の味がする。ナミさんは首を振っておれの髪を掴んだが、その手に引き寄せられるみたいに中心に顔を寄せた。
薄い毛を撫でて、ひくつくそこに舌をあてるととたんに水量が増して、溺れそうになる。
逃げるようにずり上がるナミさんの腰を引き戻して、こっくりと粘度のあるそれを丁寧に舐めとると、小刻みにナミさんの脚が震えて時折けいれんを起こすみたいに大きく揺れた。
顔を上げて口元を拭うと、ナミさんは細長い手足をぱたりと横に伸ばして大きく息を吸ったり吐いたりしていた。
おれが「ナミさん」と呼ぶと、虚ろな目がおれをとらえて、それしか知らないみたいにこちらに手を伸ばしてくる。

ああ、とおれも大きく息をついて彼女を抱きしめた。そのしなやかな上体を持ち上げて、おれの胸にぴたりと沿わせて抱きしめる。
片手でベルトを緩めて自身を取り出して、もはやそこも彼女の奥に触れることだけを思ってきつく腫れている。
入り口に触れると、ナミさんが過剰にびくりと身をすくませた。

「あ、ごめ、大丈夫?」
「だい、じょぶ」

ナミさんはおれの首に腕を回して引き寄せると、自らも首を持ち上げて唇を重ねてきた。
キスのしすぎでおたがいにだらしなく緩んだ口もとを惰性で重ねたまま彼女の中に押し入った。
入り口だけが狭く、入れてしまえば一気に奥まで入ってしまう。
う、と短く呻いたナミさんは、ぶるっと一度震えてから大きく息をついて、閉じていた目をゆっくり開いた。

「サンジく、ん」
「うん」
「あったかい……」
「気持ちいい?」
「うん」

すごく、とナミさんはおれの背を撫でて、もっと深くと言うようにおれの腰を下へと押した。
促されるまま腰を落として、引き上げて、そのたびに静かに響く水の音と、互いの汗が肌を吸いつかせては離れる音と、ナミさんの息遣いに耳を澄ませた。
身体を繋げる行為そのものも、おれがナミさんを心底求めていることも、またナミさんもやっぱりおれを求めていることも、その全部が喜びになって胸を浸し、ちかりと光ったのが果てる直前のきざしだったのかナミさんの目の強い光だったのかわからないまま、半ば意識を失うように何も考えられなくなった。



「痛い、背中」

おれのパーカーを苦しそうに胸元まで上げたナミさんは、うらめしげにおれを見てそう言った。

「だよな、ごめん」
「うそよ」

痛いのは本当だけど、と言ってナミさんはおれの胸に背中を預けてもたれかかった。

「おなかすいちゃった」
「おれも。なに食おう」
「なんでもいい。サンジ君が作って」
「そうだな、何にすっかなー」

すっかりと夕闇に落ちた部屋の中で、おれたちは電気もつけずにまどろんだままぼそぼそと話した。
ナミさんは「気持ち悪いからまだ履かない」と言って、下着をつけずにおれのシャツを腰のあたりに巻いていた。濡れて小さくなった彼女の下着は、床の上でくしゃりと丸まって、なんというか卑猥だ。
ついそれをじっと見てしまったが、ふと彼女を見たらナミさんは窓の方をじっと見ていた。

ああ、とまたあの苦しさがやってくる。
つい数分前まであんなにも満たされていた胸の内が、ひきつけを起こすみたいに痙攣し始める。
意を決し、おれは口を開いた。

「何見てんの、ナミさん」
「サンジ君」
「え?」
「サンジ君を見てる。ほら」

彼女が指を差す方を見ると、真っ黒い窓にはぽかんと口をあけたおれと、おれに身体を預けて力を抜き、緩やかに伸びた樹のようにおれにもたれかかるナミさんの姿が映っていた。

「かっこいいね、サンジ君」

知ってた? とナミさんは首を反らせて、天を仰ぐみたいにおれを見上げた。

「ずっと見てたいくらい」

顎の裏というか、ちょうど顎の先と喉仏の中心くらいにナミさんがキスをする。
彼女がふすふすと鼻を鳴らして笑うと、それに合わせておれの身体も揺れた。
ナミさんは窓に映るおれを見たまま、しばらくそうして笑い続けた。


fin.

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欄干にもたれて夜の空を見ていたら、ふっと意識を抜き取られそうになる。
眠りに落ちる間際のような、それよりももっと乱暴で一方的に、大きな見えない手によって。
厚い雲が空を覆って、黒々とした夜の空気はいくらか冷たい水分をはらんでいた。
降るかも、と思ったらはらりと風に乗って雪が顔をかすめていき、ちょうど医務室から出てきたチョッパーが階下で「おー雪だ」と嬉しそうに独り声をあげるのが聞こえた。

「遅いのね、チョッパー」

下に声をかけると、小さな耳がぴんとこちらを向く。私を見上げて、チョッパーは「ナミもな」と笑った。

「またそんな恰好でいると風邪ひくぞ」
「うん、もう寝るところ。あんたなにしてたの」
「本読んでたらこんな時間で。寒いと思ったら雪が降ってた」

「ね。この辺は春島の海域なんだけど、もう三月なのに雪が降るのね」

「三月は雪の季節じゃないのか?」


チョッパーが落ちてきた瞼をこすりながら尋ねる。どうだろ、ともう一度空を見上げた。


「風花が舞うくらいならあるんじゃない」
「かざはな?」
「こういう、ここの真上の雲が降らせた雪じゃなくて、どっかで降った雪が流れて飛んでくることを風花が舞うって言うのよ」

ふうん、とチョッパーは興味がなさそうに相槌を打ってあくびをした。
「雪だ」と言ったときにはらんらんと光が宿っていた黒目は、もう夢とうつつでまどろんでいる。

「早く寝なさい」
「うん」

男部屋へと歩き出したチョッパーがふと足を止めて、私を見上げた。

「ナミ、食堂に文房具を忘れてる」
「え?」
「インクのにおいがするぞ」

蹄がまっすぐにダイニングの扉を指す。
おやすみ、とチョッパーが呟いて、とこんとこんという蹄の足音が遠ざかっていった。
忘れてたっけ。確かに夕食後、食堂で書き物をしたけど、ノートと一緒に全部まとめて引き揚げた気がする。でも、言われてみればロビンと話しながらノートだけを持って女部屋に帰ってしまったのかもしれない。
食堂へ足を向けると、またどこかから飛んできた雪の破片が鼻先にぶつかってひやりと溶けた。

食堂の丸い窓は灰色に染まっていた。なんだ、もういない、と思いながらノブに手を掛けたら、曇りガラスの窓はぼんやりと奥の光を映している。そっと扉を開けると、キッチンカウンターの小さなランプだけがぽっと一角を照らしていた。
サンジ君がカウンターで立ったまま書き物をしていた。

「なにしてんの、こんな暗いところで」

ゆっくりと振り向いて微笑んだサンジ君は、もうずいぶん前から私がこちらに近付いてくるのに気付いていたんだろう。

サンジ君は何も言わず、また視線を手元に戻した。

深夜のサンジ君は、特に深夜ふたりきりのときのサンジ君は、昼間より一層穏やかであぶない。

でも、何も言わずに私から視線を外した彼に「おいで」と言われた気がして、私はのこのこと近づいてしまうのだ。

そっと背後から彼の手元を覗き込む。オレンジ色のランプに照らされて、便箋とインクの壺がぴかりと光っている。生真面目な罫線が何本も引かれた紙の上には、いくらかくせのある字が並んでいた。

「手紙?」
「うん」

サンジ君はペンをインク壺に差し込むと、不意に私の腰を抱いてくちびるを舐めた。

「私のかと思った」
「なに?」
「インク。においがするって、チョッパーが」

ああ、とサンジ君は頷いて、あっさりと私を離す。何か作ろうか、とカウンターの内側に回って鍋を手に取った。


「いらないわ。もう寝るから」

「そう?」


おかまいなしにサンジ君は、小さく薄いまな板と包丁を取り出して、壁にかけていた何かを手早く刻む。

「誰に書いてたの」

そんなの分かりきっていたのに尋ねてしまう。
故郷に手紙を書くのは、サンジくんとウソップ、それにチョッパーくらいだろうか。フランキーも一度、クーに何かを渡していたところを見かけたことがある。私は一度も書いたことがなかった。
サンジ君がワインの栓を抜く。とろりと濃くて重たいそれが鍋にしたたる。
サンジ君は一度だけくるりと中をかき混ぜて、湯気が上がったところですぐに火を止めた。
銀色の取っ手がついたグラスに温めたワインを注いで、カウンターの向こうから私に手渡す。
黒々と光った飲み物の上に、白い湯気がとぐろを巻いている。
カウンターの向こうから、サンジ君が手紙を引き寄せた。続きを書くらしい。

「私、いてもいい?」
「いいよ」

サンジ君は静かに、ペンを動かし始めた。
ごとん、と重たい音が響くのは、船室のどこかで積み荷が壁にぶつかるから。揺れる足元をものともせずに、サンジ君は自分だけ少し浮いてるみたいな安定感ですこしずつ便箋を埋めていった。
熱いワインを冷ますためにふうっと息を吹くと、グラスをかすめていった息は向かいにあるサンジ君の前髪を揺らす。
銀色の取っ手の部分ではなくガラスのところを手で包むと、ちりちりと手のひらがやけどする。もう熱くて無理だ、と言うところでぱっと持ち替えては、またガラスのところに触れるというのを何度も繰り返しながら時間が進むのを待っていた。

「座ったら?」サンジくんが言う。

「うん。あんたお風呂はまだなの」
「うん。これから」

ナミさんは、とサンジくんが手を止めないまま深く息を吸い込んだ。

「いい匂いがするね。湯冷めするよ」
「雪が降ってたわ」
「まじ? さみーと思った」
「だからあんたも」

うん、とサンジくんは手を止めない。
サンジくんはよく文字を書く。突然思い立つのか、私に「紙の端っこちょっとちょうだい」と言ってレシピを書きつけたり、立ち寄ったお店の料理をメモしたり。
「まめね」というと「そうかなー」と照れたように笑った。
彼の筆圧の薄い、少し角ばった美しい文字が好きだった。
たくさん文字を書いてきたのだろう。書き慣れた字をなめらかにつづってゆく彼の手の動きを追うように、細かな文字たちが列をなす。
ペン先が紙をこするしゅるしゅるという音が、長くて果てのないリボンをほどき続けるみたいに静かに響く。

「なにを話すの」

手紙で、サンジ君は、遠くにいる家族になんて話しかけてるの。
サンジ君は、「んー」と小さく唸って手を止めない。

「最近作ったメシのこととか」
「うん」
「釣った魚のこととか」
「うん」
「美味かったレシピだとか」
「料理のことばっか」

うわ、とサンジ君が小さく声を上げた。
濡れたペン先からまっくろな雫が滴り、紙を汚した。

「あーあ」

そう言いながら、大して気にしたふうもなく続きを書き始める。

「そればっかだよ」
「うん?」
「料理のことくらいしか話すことねー」

そう、と言って彼の前髪に触れた。
少し脂っぽくて、束になった髪をめくって隠れた目を覗き込む。
サンジ君はやっと私をちらりと見て、「恥ずかしいよ」とちっとも恥ずかしくなさそうに言った。

「私のことは?」
「うん?」
「私のことは、書かないの」
「書かないよ」

サンジ君はペンを置き、前髪をめくり上げる私の手を取って自分の頬に持っていった。

「ナミさんのことは、帰ったら話すよ」

こっち来てよ、とサンジ君が言う。
あんたが来たら、と彼の冷たい頬から手を引き抜くと、サンジ君はにっこり笑ってカウンターを回ってこちら側にやって来た。
私をふわりと抱き上げてスツールに座らせると、私の太ももに両手を置いて、彼より高くなった私の顔を見上げる。

「ナミさん遅いから。待ってたんだぜ」

サンジ君はちらりと調理台の方に視線を走らせる。
つられてそちらに目をやると、花のように飾り切りされたフルーツがお皿に盛られていた。
ふふっと俯いて笑うと、少し背伸びした彼の鼻と鼻先が触れ合った。私の髪が、サンジくんの肩に乗る。

「自分のぶんも自分で用意しなきゃいけないから、不憫ね」
「自分のぶんだろうと、ナミさんが食べてくれるならなんだっていいよ」
「お風呂が混んでたの。あいつらが珍しく入ってるのと重なっちゃって」

うん、とサンジ君が私を見上げ、くちびるをつける。
彼の顔を両手で持ち上げると、それに合わせて私の太ももに置かれた手にぐっと力がこもった。

「手紙はいいの?」
「いつでも書けるし。書かなきゃおれのことなんざ思い出さねーで楽しくやってるだろうし」

そう、と笑うと、サンジ君は嬉しそうに私の頭を引き寄せて、反対の手で脚をなぞって腰
を撫でた。

私もサンジ君もわかっている。
今日は、少なくとも絶対に今日だけは、彼の家族は彼のことを思い出すだろう。
はるか遠くに行ってしまった、小さなかわいい自分たちの男の子のことを思い出すだろう。

手紙は、本当は私たちこそ書かなければいけないのかもしれない。
あなたたちのかわいい男の子は、私たちのそばで元気に楽しくやっていますと。
ときどき大きな怪我をして、死んじゃったかなってくらい大きな怪我をしていることは内緒ですけど、と。

でも大丈夫です、生きてます。

彼は素敵な仲間と一緒に、毎日ご飯を食べて、笑って、怒って、飲み過ぎては吐いて、口説いてはふられ、それはとても楽しい日々ではないでしょうか。
側で彼の毎日を見ることができないのは、彼が大好きなあなたたちにとってはとても歯がゆいことでしょうけど、私たちが代わりに見ています。
何かを得てはほころび輝くその顔も、失っては傷つくその顔も、余すことなく見ています。
なぜなら私たちも、彼のことが大好きだからです。
あなたたちに負けないくらい、大好きだからです。

船が波に揺さぶられ、ランプの灯りが大きく揺らめく。
傾いた体をそのままサンジ君に預けて、耳のそばでおめでとうと囁く。
どうかたくさんの嬉しいことがこの人にありますように。
ありがとうと答える彼の額にくちびるをつけて、吹き込むように祈った。

*2018 Sanji Happy Birthday !

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 麦わら一味では基本オールキャラかつサンナミ贔屓。
白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



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一声いただければ喜んで遊びに行きます。

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