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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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【魔法の手】



シャンパンの細かな粒が、次々と列をなしてグラスの上へとのぼっていく。それを眺めているふりをして、金色に透き通った液体越しに周りの人を一人ずつ確認する。

会場は、誰も大きな声こそ出していないものの、ざわざわと騒がしく食べ物とお酒の匂いでむせかえりそうになる。立食ブッフェの料理コーナーには、最初立ち寄ったきりよりついていない。食べ物を選んでいると、無防備になる気がするからだ。

まさかトングを構えた脇からだれに刺されるわけでもないのに、隙を作ってはいけない、と私は思っている。

向こうで二人談笑している男性の、背の高いほうは知っている、メガネの人は知らない。あちらでローストビーフをほおばる初老の男性は、彼が書いた本を読んだことがあった。固まって話しているあちらの3,4人の女性の中で、知っているのはあの人とあの人、ひとりは大学院の時同じゼミだった。


「こんばんは」


ふりむくと、知らない男性が一人、こちらを見下ろして微笑んでいる。何かの本の近影で見たことがあるような気がするが、名前は思い出せない。

あんなにも身構えていたのに、あっという間に隣に立たれて声をかけられてしまったことにがっかりする。

こんばんは、とそれでも懸命に愛想よく頭を下げた。

大学はどこか、院でついていた先生はだれか、医学生だったというと、どこの病院で研修をしたのか、近年の心臓手術の危険性と今後の見通しについて。その人は一気に私に話し始める。

けして早口でまくし立てているわけではないのに、私が「ええ」と相槌を打つやいなや次の話題に転じてしまい、聞いた話を飲み込む暇がない。


「もしよかったら、今度の休みに僕の研究室を見に来ませんか」

「え? いえ、私」

「いいんですよ。ちょうど研修医が研修を終えて戻ったところで、少し時間があるんです」

「いえそうではなくて、私」


来週から日本を離れるんです。

精一杯の早口でそう口にする。え、と男性の言葉が止まったところで、背後から名前を呼ばれた。


「カヤ、あなたと話したいという人がいるわ」


ロビンさんは、深いスリットの入ったスリーブドレスを足元に張り付かせたまま上品にこちらに歩み寄り、私の隣に立った。


「お話し中ごめんなさいね。彼女をお借りしてもいいかしら」


ああ、ええ、と男性はロビンさんを見上げて、のぼせたように口を開けたままうなずいた。

ロビンさんは私ににっこり微笑んで、行きましょうと踵を返す。

助かった、と思いながら、男性に会釈をして足早に彼女の後を追った。


「余計なお世話だった?」


歩きながら、ロビンさんが言う。


「いえ、困ってたから、ありがとう」

「そう見えたわ」


ロビンさんは私を連れて会場を出ると、人の少ないほうを選んでホールを歩いていく。


「彼とは話せた?」

「ええ、本当にありがとう。まさか、ロビンさんのほうでこんな機会を作ってもらえるなんて思ってもみなかった」


良かったわね、と彼女は鎖骨のあたりのパールを上品にきらめかせて笑った。


ロビンさんの研究チームが、その分野で権威のある雑誌に論文を掲載させた。その発表会を兼ねた説明会後のパーティーに、私が憧れる医学界の重鎮が来ると聞いた。彼女のチームが新たに発見した事実によって、古くから医学界の物理的根拠とされていた知識が疑わしいということがわかったのだ。医学界を震撼させる大発見でもあった。

彼女が属する史学と私の属する医学が噛み合い、それらの教授たちがこぞって来ると知ったロビンさんは、ありがたくもわざわざ私に、来賓の中でも有名なその人の名前を出して「この人、知ってるかしら」と尋ねた。


「えぇ、えぇ、もちろん。本を何冊か持っているわ。来週から私が行く病院に勤めたこともある方よ」

「なるほど。じゃああなたも来るといいわ」


何のことかと思いきや、こうして今日のパーティーに私を招いてくれたのだった。

おかげで、来週から私が留学する病院の様子や、街のことをその人に聞くことができた。何より医学界の権威に、「若い力に期待している」と言ってもらえたことが、私を舞い上がらせるほど喜ばせた。

ホールからエントランスにつながる広いエリア、湖畔の風景画が飾られている廊下の前でロビンさんは立ち止まった。


「引っ越しの準備もまだ最中でしょう。疲れたらいけないし、そろそろ帰るといいわ。送れなくて悪いけど」

「いえ、じゃあそろそろお先に失礼するわ。……次にいつ会えるのかは、ちょっと先のことになると思うけど」


ロビンさんはしなやかに眉をひそめて、「元気でね」と言った。

私の壮行会というものを、実はすでに彼女たちには開いてもらっていたので、お別れを言うのはこれで二度目になる。

永遠の別れというわけでもないのに、この地を離れたことのない私はだれかに「元気でね」と言われるたびに心臓がきゅっと痛む。


「ロビンさんも。今日は本当にありがとう」


彼女に手を振って踵を返す。数歩歩いたところで、「カヤ」とロビンさんが呼び止めた。


「ウソップにはもう言ったのよね」


私は言葉に詰まり、ごまかすように笑いながら首を振る。


「明日会うから」

「そう」


元気でね、とロビンさんが何度目かの言葉を口にする。

私はぺこりと頭を下げて、エントランスへと向かった。






荷物はあらかた送ってあった。書き込みで汚く皺の寄った医学書と生活用品を送ると、私の部屋はとたんにそっけなくなった。昔から天井にぶらさがっていた小ぶりのシャンデリアも、出ていく私を真顔で見下ろしている気がする。子供の頃、お中元などいただきものの空き箱に、きれいなハンカチを敷きビーズやボタンを並べ、誰も住むことのない箱庭を作ったことを思い出す。中身を取り除いてしまえば、それはタオルや焼き菓子が詰まっていたただの紙箱でしかなかった。

明後日、私は異国に旅立つ。その国の大学病院で、私は二年研究員として学び、その後同じ病院にとどまるか、日本へ戻るか選択することになる。どうしよう、どうすべきか、私はすぐに悩み始める。だから考えないようにしていた。二年も先のことなのだからと。


「カヤ」


呼び声にハッと振り向く。遮光カーテンを引くと、格子窓の向こうにウソップさんが見えた。いつものように、斜めがけしたバッグを提げて、今日は日差しが強いのか、帽子をかぶっている。つばの広いそれは彼によく似合っていた。

待ち合わせの時間までまだ30分はある。それに、駅の近くの喫茶店で待ち合わせるはずだった。

驚きながら、重たい窓を引き開ける。


「どうして、時間がまだ」

「仕事が早く片付いてよー、駅で待ってんのもひまだし、お前待ってコーヒー飲んでっと、お前が来たときまた飲まなきゃなんねーだろ。だから迎えに来た」

「なにそれ」


吹き出したとき、ウソップさんが私の背後に目を向けて、「アレ」とつぶやきながら覗き込むように窓枠に手をかけた。


「部屋、やけに片付いてんじゃねぇか。模様替え?」


明るく乾いた今日の日差しみたいに、ウソップさんが尋ねる。あ、と後ずさりたくなるが、見えないかかとを強く踏みしめて立ち止まる。

言わなければならない。


「ウソップさん、私引っ越すの」

「え? 一人暮らしすんの? まじ?」

「ええ、それで、私」

「なんだよ、引っ越しの準備ならおれ手伝ったのによ。まあお前荷物少なそうだし、手伝いなら執事たちにやらせりゃあいいもんな、人手は足りてるってか」

「あのね、ウソップさん、私」


彼がはっとズボンのポケットを押さえた。悪ィ電話だ、と言って私に背を向け、耳に当てた携帯に向けてしばらく話をしている。その背中を、私は半ば呆然とした気持ちで見つめた。


「悪ィ、なんかさっきおれが仕上げたやつに不具合が見つかったつって、事務所からすげー怒りの電話。ちょっと出てくるわ」

「えぇ、わかった。今日は……」

「また連絡すっから!わりーなー!」


慌てたふうに帽子を押さえ、後ろ手に手を降って、彼はあっという間に言ってしまった。私はまだ、部屋から一歩も出ていないというのに。

どうしよう。詰まって咳き込みそうになるときの癖で、私は自分の喉を両掌で包んだ。咳は出ない。でも、何かが詰まっている感触だけがある。

ここを発つのはもう明後日の朝なのに、まだ彼に、私が海外へ行くということを言えていない。


結局その日は、ウソップさんから「今日は夜までかかる」とメールが来て、会うことはできなかった。空っぽの部屋でしょんぼりと腰掛ける私のもとへメリーがやってきて、「ずいぶん片付きましたね」と感慨深そうに部屋を見渡す。


「ここまでさっぱりと片付けてしまわなくてもよろしかったのに」

「あまり捨てたりはしていないのよ。ほとんどが要るものばかりで、向こうに送ったから」

「なにか忘れ物がありましたら、ご連絡ください。持っていきますので」


うん、と言いながら手にした携帯電話の背を撫でる。メリーは、私が向こうに着いて3日後に、追いかけるようにして私のところに来てくれることになっていた。この家は、残った侍女たちに管理してもらうことになる。


「不安ですか?」


おもむろにメリーが尋ねた。


「ううん、楽しみ」


柔和な顔がにこっと笑い、「それはお心強い」と嬉しそうだ。


「ではご心配の種は、まだほかに」

「ええ、でも大丈夫。きっと」


私は震えることのない携帯を握りしめ、遮光カーテンの方へ歩み寄る。もう彼は仕事を終えて家に帰っただろうか。裏の塀を乗り越えて、整えた芝を踏んでこの窓辺にやってくる姿を想像して外を覗いた。

格子窓はくり抜いたみたいに一つ一つが真っ暗で、月も星も光らない静かな夜だった。





次の日、朝一番に彼に電話をかけた。一回ではつながらず、朝食の後に折り返しがかかってきた。侍女が食後の紅茶を運んできてくれたところだったけど、断って席を立つ。


「おはよーう」


軽やかなウソップさんの声に、いつもはほころんでしまう頬も今日はきゅっと締まっている。なんと行っても、今日こそは言わなければ。


「おはようウソップさん、あの、今日はなにか用事ある?」

「いや、あ、でも、ゾロに友達の引っ越し手伝い頼まれてんだった。おれの知らねーやつなんだけどよお、なんかいらねえもんばっか溜め込んで手荷物多いとかで。朝から昼までかかると思うけど、昼過ぎたら空くかな。あ、でも昨日の仕事が気になっから、ちょっとだけ職場覗こうと思ってたんだった。いやー昨日結局何時までいたと思う。23時だぜ。おれ休みだったってのによ」


ええ、うん、そうなの、まあ、と返事をしているうちに、いつものことながらウソップさんはあれよあれよと話し出す。いつのまにか話はまとめられ、「そんじゃ、行けそうだったら行くわ」といつものようにとらえどころのないまま電話は切れてしまった。

なんなら、電話で言ってしまうこともできたのに、やっぱり直接伝えたいと思うと口先が鈍って、その隙に彼は別の話題を持ち出してしまうから、私が言葉を挟むのは至難の業だ。

意図せずついたため息を、通りすがりの侍女に聞かれてしまう。気分が悪いのかと勘ぐられて顔を覗き込まれたので、慌ててそそくさと部屋に帰った。家にいても落ち込むので、メリーに「万一ウソップさんが来たら、連絡して」と言い残して大学にでかけた。

大学の研究室は、もうさっぱりと片付けてしまっている。別れの花束も、おとといもらってしまった。ただ、まだこの大学の学生ではあるので、その学生証を使って図書館へ行った。古くかび臭い本の匂いは、薬品の匂いと同じくらい私を落ち着かせる。乾いた紙が指先を切ることがあり、泣きたくなるけど、泣いたりしない。

二時間ほど本を読んでいたら、鞄の中の携帯が震えて慌てて取り出した。メリーかと思ったがちがった。

こそこそと図書館を出て、エントランスの端によって通話ボタンを押す。


「もしもし、今大丈夫かしら」

「えぇ、この前はありがとう」


ビビさんは、はきはきと明るく「よかった、携帯、もう解約しちゃってないかなって心配してたの」と言った。


「同じ番号を向こうでも使えるって聞いてるわ。メリーが手続きをしてくれたから、私はよくわからないんだけど」

「そう? ならよかった。ナミさんたちにも言っておくわね。そうそう、明日、10時50分のフライトだっけ。私とナミさんで見送りに行くから」

「えっ、ほんとう? 来てくれるの?」

「ええ、ナミさんが仕事の都合つけられたんだって。9時に空港で会えるかしら」


予想外のことに、思わず声が高くなる。うん、うん、と大きな声で答えてしまい、エントランスに立つ守衛の人にじろりと睨まれた。慌てて守衛に背を向けて、「うれしい!」と弾んだ声で答えた。


「ロビンさんはね、いま学会でこっちにいないんだって。残念だけどよろしく言っておいてって」

「うん、この前研究会のパーティーであったときにお別れを言えたから大丈夫。嬉しいけど、朝早いのに平気かしら」

「いいのいいの、ナミさんは朝型だし、私はなんとしても起こしてもらうから」


朗らかに笑うビビさんの声を聞きながら、急に胸が締め付けられる。

この子達になんども掬ってもらって、磨いてもらった私の落ち込みがちな心を、今もう一度だけ覗いてもらいたいと思った。

どうしよう、どうしようビビさん、明日のこと、まだ彼に言えていない。


「どうかした?」


笑い声のしぼんだ私に気づいて、ビビさんがそっと、笑い声の余韻に乗せるみたいにして尋ねた。

ううん、と言いかけて、言いよどみ、「あの、」と中途半端な言葉が落ちる。


「うん」


ビビさんが私の言葉を待っている。あのね、と言いかけて、でもこんな情けないこと、ここで言ったってどうにもならないじゃないと思いとどまる。明日から一人で見知らぬ土地に発つ私は、いつまで彼女たちに頼る気でいるのだと、頭の奥でくだらない意地が湧き上がる。

我慢強く私の言葉を待っていたビビさんは、ふと思い出したみたいに「そうだ」と言った。


「カヤさん、今日はなにかあるの?」

「今日? いえ、今は大学だけど」

「もしよかったら、おうちに行ってもいい? ほら、前にうちに泊まりに来てくれたじゃない。私もカヤさんのおうちに泊まってみたい」

「うち? とま、泊まりに来てくれるの?」

「だめ? ナミさんも呼ぶわ。夜遅くになるかもしれないけど、ナミさんも来ると思う」


だめじゃない、とビビさんの言葉にかぶさるようにして前のめりに言うと、彼女は「やった」と短く笑って「そしたら朝、一緒に行けるしね。カヤさんも車でしょう? うちも車を出してもらうから、ナミさんと後ろをついていくわ」


「ほん、本当に来てくれるの?」

「うん、急すぎる?」

「ううん、うれしい、あ、でもメリーに言わないと」

「だめならカヤさんがうちに来たらいいわ。最後の夜だからおうちで過ごしたいかなって、それだけだから」


メリーに確認する、と言って電話を切った。

ビビさん自身も言っていたけど、あまりに急な展開に、胸がドキドキする。不穏な動悸とは違うそのドキドキを、私は確かめるみたいに胸に手をおいた。


お昼を食べに自宅へ戻り、メリーに事の次第を話すと、「出発の準備はできていますし、よいでしょう」とあっさり承諾を得られた。夜更かしだとかお酒を飲むだとか、そういうことにうるさかったメリーは、一度だけ会ったナミさんたちのあっけらかんとした美しさにやられたのか、今はなんにも言わない。

ビビさんにOKだと返事をすると、夕方、食べ物を持ってうちに来ると言った。私の昼食の準備をする侍女を捕まえて言う。私の声を聞き漏らすまいと、数人の侍女が近寄ってくる。


「ナミさんは仕事終わりに来てくれるはずだから、遅くてもお腹に優しい食べ物を用意しておいて」

「かしこまりました。お嬢様のお部屋にお運びしますか」

「ええ、おねがい」

「カヤお嬢様、浴室のご準備は何時頃にいたしましょう」

「そうね、とりあえず22時までには……またお願いするわ」

「お嬢様、ご寝所は三名様の準備をしておきましょうか。それともお客様二名の……」

「私の部屋できっと寝ちゃうから、二人分のベッド持ってきてくれる?」

「お嬢様、カヤお嬢様、翌日の朝食は」


ああもう! と叫びたくなったが、代わりにこぼれたのは笑い声だった。目をてんとして口を閉ざした侍女たちは、一様に首を傾げている。もう、こんなふうに小うるさいほど世話を焼かれることはないのだと思うと、少し寂しいような、これまでの甲斐甲斐しい生活が可笑しく思えるような、とにかく笑いがこみ上げたのだった。





18時頃、ビビさんは一人で家にやってきた。


「迷わなかった?」

「ええ、西の外れにある大きなお屋敷だって言ったら、住所を言わなくても迷わず来られたわ」


彼女はその手に、大きなバスケットを提げていた。私がそれに目を留めると、嬉しそうに含み笑いをしてそれを持ち上げる。


「うちにあったお酒と、コックが作ったお料理持ってきたの。ナミさんは20時過ぎるって言ってたから、先に二人でいただきましょ」


自室に案内すると、ビビさんは私の部屋をくるりと見渡して「もうすっかり片付いてるのね」と感心したように言った。


「そりゃそうか。明日の朝には発つんだものね」

「ええ。あっという間で、間に合わないかと思った」

「忘れ物があったら、私持っていくわ。遊びに行くついでに」


けしてそんな暇があるはずもないのに、ビビさんはまるで本気の様子でそう言って笑った。


「じゃ、乾杯」


部屋の真ん中に、家のものに運ばせたテーブルと小さなソファだけをおいて、二人でグラスをかちんと鳴らす。

思えば、彼女と二人でお酒を飲むのは初めてだった。ビビさんにとっても初めてのはずなのに、くつろいだ様子でさっそく頬を染めている。


「ナミさん、迎えはいらないかしら」

「あ、大丈夫。ペルにお願いしてあるから」

「そうなの? うちのものに頼むのに」

「いいのいいの、どうせその辺にいるんだから」


ぱたぱた、と手を動かしてから、ビビさんはさっとグラスを口に運ぶ。グラスを置くと、さ、食べましょ、と彼女が持ってきたバスケットから、次々とまだ温かい料理を取り出して、テーブルに並べてくれた。


「お昼食べそこねちゃって。おなかすいてるの、すごく」


料理から目を離さず、ビビさんは取り皿を私に手渡す。


「そうなの? お仕事忙しいのね」

「ちょっとね。でもいいの、今からいっぱい食べるから」


言葉のとおり、ビビさんは自分が持ってきた料理を次々と平らげていった。彼女の家の、我が家とは少し違った味付けは新鮮で、ビビさんが「これはね」と説明しながら取り分けてくれるのも、まるで家族にするみたいで嬉しく思う。


「あ、ナミさん仕事終わったって。早いわね」


19時を回った頃、ナミさんからビビさんに連絡が入り、19時半にはナミさんがやってきた。真っ青な高いヒールに、タイトなワンピースが似合っていた。耳元で光る小さなピアスが、彼女の目の大きさと美しさをより際立たせている。


「おまたせー」


ナミさんも我が家に来るのは初めてのはずなのに、まるで親戚の家みたいに勝手知ったる感じで私の部屋に入ってきた。

そして私を見るなり、「はー、寂しくなるわね!」とまっすぐに言って、本当に寂しそうに笑うのだった。

侍女がナミさんのために用意した食事を、ナミさんは喜んで食べてくれた。お腹いっぱいになったビビさんはすでにして眠たそうだが、ゆったりとソファに腰掛けて私達の顔を交互に見ている。

ビビさんが持ってきてくれたお酒をぐいぐいと喉に流し込みながら、「今日ウソップに会ったんだけど」と唐突に言った。

え、と声が漏れる。どんと心臓が揺れる。


「カヤさん、この期に及んでまだ言ってないのね」

「もしかして、ナミさんが」

「ううん、私からは言ってない。っていうか、今日の夜カヤさんち泊まるのよねーって言ったら、なんかよそよそしい顔で「あ、そう」だとか言うから、こいつ落ち込んでんのかなあと思ったんだけど」


彼はナミさんに、「おれも昨日行くはずだったんだけどさ、仕事忙しくて。今日も無理そうだからまた時間作るってカヤに言っといてくれ」と言ったらしい。


「また時間作るって、あんた明日にはもうカヤさん行っちゃうじゃないってこのへんまで出かけたんだけど、もしかしてと思って言わなかった」


ナミさんは手のひらを床に向けて、顎の下辺りまで持ってきてそう言った。


「いいの」


ナミさんが短く問う。

ビビさんは、前日になってもきちんと言いたいことすら言えない私に呆れたのか、口を閉ざして私を見ている。


「よく、ないけど……昨日も、言おうとしたんだけど」


彼が忙しくて、と言いかけて、違う、と思った。ウソップさんのせいにしてはいけない。

伝えるタイミングは、もっと前から、どれだけでもあったんだから。

どうしてウソップさんにだけ言えなかったんだろう。

ナミさんたちにはすぐに伝えた。留学が決まって、興奮してメリーには電話をした。近所に住む仲良しの子どもたち三人にも、実はね、と既にお別れを伝えてあった。

ウソップさんには私から言うから、それまで内緒ねと言うと、彼らは一様に口元を押さえてうなずいてくれた。だからきっと、約束の通りウソップさんは何も知らないはずだ。

ウソップさんだけが、知らない。


「もう明日の朝には発つんだから、何も言わないまま行くわけにはいかないって思ってんでしょ」

「ええ、でも、もう」

「呼ぶ? ウソップさん」


ビビさんが、ソファに背中を預けたまま言った。私とナミさんは同時に、そのツルリとした頬に目をやる。


「もう仕事、終わってるんじゃないかしら。おうちも確か近所でしょ。たしかにちょっと遅いけど、言わないままよりは」

「ま、待って。私」


やっぱりこわい、と口に出していた。

スカートの裾をギュッと掴み、子供の頃みたいに、咳き込む直前みたいに、また喉元に何かが詰まる感覚をおぼえながら、言葉を絞り出す。


「一人で大丈夫かよって言われるのも、頑張ってこいよって言われるのも、こわいの。いやなの」

「……なんで?」


迷惑をかけたくない。足を引っ張りたくない。必要以上の心配もされたくない。でも、のびのびと手を振って見送られたりしたら、私はきっと行けなくなる。

彼のいない世界では生きていけないことを、私自身が思い出してしまう。

私が黙って行ってしまえば、彼は傷つくだろう。彼だけが知らなかったということに、ショックを受けるはずだ。

それでも私は、自分が傷つくほうがこわいと思っている。彼を傷つけてなお、こうして黙って行ってしまおうとしている。


「明日の朝、電話するわ。そのときに……」

「電話でいいの」


ビビさんが、そっと念を押す。

きっと、見えない電波を通すくらいでないと、私は彼に別れを告げられないだろう。

うつむく私の前で、彼女たちは呆れているようだった。

ま、カヤさんがそれでいいならね、と話をたたんで、ふたりはさっさと食事の後片付けを始めた。いつまでも酒瓶を傾けていた、ネフェルタリ家でのお泊りとはずいぶんちがう。


「明日は早いんだから、早く寝ないと」

「ナミさん朝起こしてね」

「はいはい」


ちゃきちゃきと片付けて、ふたりは侍女の案内のもとお風呂へ向かった。

まだ食べ物の匂いが残る部屋の窓を開けようと、カーテンに手をかける。

このカーテンを開けると、決まってウソップさんが格子窓の向こうに立っていた。

窓のそばに置いてあるスーツケースには、明日持ち出す荷物が詰まっている。

結局、窓を開けることはできなかった。

旅立つことを彼は知らないのだからこんな夜にくるわけはないのに、どうしても期待してしまう自分に嫌気がさす。

明日電話で、ウソップさんはなんと言うだろう。

きっと、なんで黙ってたんだと怒るはずだ。

ひとしきり怒ったあと、まったくしょうがねえな、と腰に手を当ててため息をついて、じゃあ元気でなとでも言ってくれるだろうか。

そうであればいいと思う気持ちと、そんなのはいやだと思う気持ちが混じり合ってぐちゃぐちゃとする。

泣きたいくらいどうしようもない気持ちなのに、諦めてしまったみたいに涙は出てこなかった。





翌朝、まだ眠る二人を残して顔を洗いに行こうとベッドを降りたら、背後からそっと歩み寄る猫のように、ナミさんが「電話、したら」とベッドに横になったまま声をかけてきた。


「……まだ、朝早いから」

「いいんじゃない。起こすくらいで」


がんばって。そういってナミさんはにっこり笑った。枕に頬を潰して、波打つ長い髪を広げたまま、きれいに笑った。

私は携帯を手に持って、そっと裏庭へ出た。

日陰となった裏庭の隅で、きれいに整えられたベロニカの花を見つめて携帯を耳元に当てる。

コール音は長く続いた。ひどく間延びして聞こえる。まだ寝ているのだ。きっと携帯はカバンの中に入れっぱなしだ。

かけ直せばいい。朝食の後にでも、空港についてからでも。確かな勇気もないまま携帯を耳から離した。

すると、どこかから未だコール音が響いている。あれ、と思い再び携帯を耳に当て、もう一度離して音を探す。携帯から聞こえる音とは、リズムが違った。

通話終了のボタンを押すと、ふたつのコール音はふつりと止んだ。

くしゃくしゃと芝生が踏みしめられる音が、早朝の澄んだ空気を通して聞こえてきた。


「ウソップさ」

「おーっす、早いな、朝」


ウソップさんは、寝間着にしているみたいなよれたTシャツと短パン姿で、いつものカバンはなく、携帯だけを握りしめて、ぐしゃぐしゃの頭で立っていた。

携帯、持っているならどうして出てくれなかったの。

こんな時間にどうして来たの。

笑う顔が、いつもよりひどく遠い。

私がなにか尋ねるより早く、「アレだ、今日は」と彼が口を開いた。


「仕事遅かったぶん、興奮してたのか眠れなくてよー。散歩してたら、このへんまで来ちまったから、ついでに」

「ウソップさん、私今日この家を出るわ」


彼が口をつぐむ。勢いに任せて私は言う。


「海外留学が決まったの。いつ帰るかは決めてない。もしかしたら、向こうの病院に勤めるかもしれない。……言うのが遅くなってごめんなさい」


言葉を発したとき、彼の顔を見ることができなかった。言い終わってからやっと顔を上げ、押し黙ったままのウソップさんの顔を見て、喉が詰まった。

発作より、ずっと苦しい。


「あ、な、何ーー!? おま、今日って、なんだよ急すぎるだろ! 海外ってどこ行くんだよ、一人でやってけんのかよー!」


彼の丸めた目が、驚いたように開かれた両腕が、懸命に動く。


「え、家はどうすんだ、空き家か? つーかあいつら寂しがるだろうよ、ちゃんと言ってあんのかー? まあな、おれさまがなだめてやるから心配しなくてもいいけどよ、んでもあんまりに急っつーか、内緒にするにもほどがあるだろ! おれには一番に教えてくれたってよかったのによ。まあな、さんざん世話になったおれには伝えにくかったっつーお前の気持ちもわからんでは」


ぼろっとこぼれた水滴が、着古した寝間着のワンピースの薄い生地に吸い込まれていく。ぼろぼろと、後を絶たないそれらを次々に吸い込んで、ワンピースは冷たく重くなっていく。


「うそつかないで」

「……あ?」

「知ってたのね、ほんとは、もっと前から、私が行くこと、ウソップさん知ってた」


あの子達に聞いたのね。そう言うと、ウソップさんはばたつかせていた手をおろし、ぎゅっと口を引き結んで私を見つめた。

言えなかったのは私のせいだけじゃなかった。

彼が聞こうとしなかったのだ。

知っていたから。

本当はもっと前から、私が行くことを知って、あえて聞こうとしなかったのだ。

当日初めて聞いたふりをして、慌ただしく私を送り出して、旅立つまでの間苦しまなくてすむように。

思い当たってしまえば、当然のことのように思えた。

別れを惜しまれても明るく送り出されても、弱い私は結局傷つくから、ウソップさんはずっとそれを避けてくれていたのだ。


「なんでこんなうそばっかり上手なの」

「……そらーおめー、あれだ」


あれだよ、と言ったきり、ウソップさんは押し黙った。私がぐずぐずと鼻を鳴らす音だけが裏庭に響く。

行きたくない。

はっきりと思ってしまった。

彼と離れたくない。


「カヤ」


顔をあげると、いつになく真面目くさった顔でウソップさんが私を見ている。


「お前、がんばれよ」


ず、と鼻をすする。

結局言っちゃうのね、と思う。


「頑張れよ。自分で決めたんだろ。この家、また戻ってくんだろ。この村の医者になんだろ。向こうの病院で働こうが好きにすりゃいいけど、絶対帰ってこいよ」

「わか、わからない。そんな先のこと」

「わからなくても、目指すんだよ。何も知らない場所に行けって言ってんじゃねーんだから。帰ってくるだけなんだから」


大丈夫だ。

はっきりとそう言って、ウソップさんが私に手を伸ばした。

涙で頬に張り付いた私の髪を、魔法みたいに何もかも作ってしまう手が、耳にかけてくれる。


「イヤリング、つけていけよ」


耳に触れた指が、もうどうしようもなくいとしくて、私は泣いた。

この手の温度を忘れてしまうほどの時間が過ぎていくのに、でもそれは全部自分で望んで決めたことなんだと、いつかここに帰ってくるためにどうしても譲れないことだったんだと、ああでも、こんなにも離れたくないのに、それでも私は行かなければならない。


「すげー顔」


顔も覆わず泣く私を軽く笑って、ウソップさんは帰っていった。

「じゃあな」と、まるで明日もまたここで会うみたいに、軽い足取りで、振り返りもせず。

いまだ暖かな涙が伝う私は、その背中を見送って、湿った服の袖で頬をぬぐった。



部屋に戻ると、ナミさんもビビさんも目を覚ましていて、テーブルに用意される朝食をきらきらした目で眺めていた。

私に目を留めて、なんでもないように「おはよ」と言ってくれる。

ぼたぼたに腫れた私の目を見て、二人は顔を見合わせた。

ふふっと、花が軽やかに揺れるみたいに笑って、ナミさんが「行ける?」と尋ねる。


「うん」

「よし、食べよ」


席に着く前に、部屋のカーテンを大きく開けた。

格子窓の外にはたっぷりと育った緑が見えて、まだ丸い朝日が木漏れ日となって部屋の中に差し込んでくる。

窓を開けて、そこに彼はいないけど、私は悲しくなかった。

もう大丈夫だと思った。

もう、この場所で彼が来てくれるのを待っている必要はない。

ひきつるように痛む胸を押さえて、息を吸っては涙をにじませて咳き込む私ではないから。

いつか私から、彼のいる場所に行かなければならないから。


fin.

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