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よーう、と陽気に声をかけたルフィに、驚いて身を引いたのはサッチたちのほうだった。
「……うわ、びびった」
目を白黒させるサッチに、アンは曖昧な笑顔を向けた。
サッチの一歩後ろに立つマルコは、サッチほど驚いているようには見えない。
「なになに、今日は弟ツー連れて来たの」
「おれはサンジのメシ食いに来た!」
「そいやダチなんだっけ」
オレにもなんか作ってくれ、とサンジにひょいひょいと手を振って、サッチはアンの隣に腰かけた。
さらにサッチの隣にマルコが座る。
イゾウは二人にオーダーを聞くことなく、黙って何か深い色の酒をグラスに注ぎ始めた。
「またイゾウの店に来い」と言われたその日に行くなんて、気の早い奴と思われたかなとちらりと考えた。
「弟ワンは?」
「電球替えに行ってんだ!」
電球? とサッチは首をひねったが、特に興味を引かれていないようで、イゾウに手渡されたグラスにうまそうに口をつけた。
本当にふたりが来るとは、偶然ってこわい、とアンはスイーツをつつく。
サッチとマルコが来たことで、店の中は少し明度を上げたように思えた。
サンジとルフィは噛み合わない会話を楽しそうに続けているし、サッチはイゾウを無意味にからかうような言葉をかけてはその倍以上の罵詈雑言でめった刺しにされて笑っている。
それでも、ルフィとサッチの間で甘いデザートと爽やかなカクテルを手にするアンが場違いにならないよう、サッチ小気味よくアンに会話を振ってくれる。
端の席で静かにグラスに口をつけるマルコにも同じように会話が振られるが、マルコの返事はほぼあしらっているに近い。
「こいつ、オヤジに無理やり仕事休まされたから暇だっつって、庁舎の2階でモクモク煙吐いてんだぜ? 周りの奴らびびっちまって、仕事になんねーよ」
と、サッチが冗談のようでおそらく本当のことを口にして、マルコの顔を険しくさせていた。
どうやらマルコはアンの店を出て、どこから昼食をとり、結局警視庁へ向かったらしい。
本当に仕事人間なんだ、とアンは複雑な気分になる。
ぽーん、と店の古時計音を立てたのでハッと音の方角に視線をやると、時計の針は10時を示していた。
小さく開いたアンの口から「うそ、」と漏れた。9時の時報も聞いていない。
「じゅっ…!ルフィ、帰るよ!!」
慌てて席を立つと、ルフィとサッチが声を揃えて「えぇー」と口を尖らせたが、ルフィの方が時間の遅さに気付いて渋々腰を上げた。
「今日はサボもいねェしな、サンジ土産作ってくれ!」
「アンちゃん帰っちまうのか、オレっち明日の昼飯食いに行くからな」
「ありがと、サンジ、いくら?」
ごそごそと尻のポケットから薄っぺらい財布を取りだすと、サンジが馬鹿言うなと言わんばかりの目でアンを見た。
「アンちゃんから代金なんかとるわけねぇだろー、お金はいいからまた来てねっ」
ぽんと飛んだ語尾のハートマークが、サンジの頭上に浮かんで見えるようだった。
そんな、とアンがたじろぐと、イゾウがいいんだよ、と無造作に手を振る。
「タダっつっても弟の分はこいつ持ち。お前ェさんの分はこのオッサンたちが払ってくれるってよ」
「そゆこと」
グラスの中身を一気に飲み干したサッチは、戸惑うアンを余所によいしょと立ち上がった。
「んじゃ、マルコも行こうぜ」
「おう、そんな浴びるみてぇな飲み方してるくらいならちょいと散歩でもして来い」
え、え、とアンが財布を握りしめて視線をあっちこっちしているうちに、マルコまで深いため息とともに椅子を引いて立ち上がった。
ため息の深さに反して、面倒そうな顔つきをしていないのでアンはますますわけがわからない。
ルフィはサンジの料理がつまったパック入りの袋を提げて、きょとんと成り行きを見ている。
「ど、どこに……」
「城までお送りしますよ、姫」
「ひっ」
ひめ!?とアンが怯む背後で、サンジがそれはオレの役目だ!とむなしく叫んでいた。
「おれも一緒だから心配ねぇぞ」とルフィは胸を張るが、サッチは「はいはいでもまぁ一応ね」と軽くあしらってしまう。
そんな、とアンは言葉を飲み込んだ。
「お金も、前だって……それにまだ二人とも飲むんでしょ?」
「またぶらぶら歩いて戻ってくっから平気平気。だからただのオッサンたちの散歩だと思って、アンちゃんたちはおれらの前を歩いてきゃあいいよ」
んじゃ行こうぜ、とサッチは傷のある方の眉を上げてドアを顎で指した。
「サボ待ってるかなー」とルフィは元気に出口に向かって歩き出す。
戸惑って動けないアンの背中を、大きな手のひらがゆっくり押した。
「気がすまねぇってんなら、明日の昼飯サービスしてくれりゃあいいからさ」
そう言われてしまえば、もうアンにはごめんねとありがとうを繰り返し、手を振るイゾウと目一杯愛を叫ぶサンジに手を振りかえすしかなかった。
*
言葉の通り、サッチとマルコはアンたちの隣に並ぶことはしなかった。
サンジの料理はアンとは比較にもならないほど極上で、それを目いっぱいお腹に詰め込んだルフィはご機嫌もいいとこ、というように店を出てから笑いっぱなしである。
アンの方も、イゾウのカクテルのアルコールが程よく回ってふわふわと足取りが軽い。
胸に灯った火はまだ消えない。
あぁだこうだと喋りづめのルフィが店を出て数歩ですぐによろけてアンにぶつかった。
ルフィが渡されたカクテルにも、もしやアルコールが入っていたのだろうか。
「ルフィまっすぐ歩いてよ」
「んだよ、今ぶつかってきたのはアンだぞ」
まさか、と言い返す口を開いたが、背中側から聞こえた笑い声のせいで自信を失った。
ちらりと後ろを振りかえると、マルコとサッチは二人の肩の間にいつもの距離を保って、ふたりともが口元に小さな灯りをともして白い煙を吹き出しながら、アンたちの数メートル後ろを歩いていた。
モルマンテ通りに出るまでの細い路地はイゾウの店のようなバーや酒屋が続く。
食べ物の胃がもたれるようなにおいや、アルコールそのもののような酒の匂いが漂っていた。
路地の端にはしゃがみこむ酔っ払いや、お開きになったものの名残を惜しむ飲み仲間と言った面々がいた。
夜更けと言うにはまだ早い時間帯だが、女ひとり歩くには危険な界隈。
治安の良し悪しに差があるこの街の中の、悪い方にどっぷりつかっているようなあたりだ。
南北に少し長めの長方形の形をした街の北の果てには警視庁があるので、悪もはびこる隙がないようで北の端は治安がいい。
また、南の果ての街の入り口には大きな駐屯所があるので、これもまた治安は悪くなかった。
アンたちの店は南の端に近いので、比較的平和な地帯である。
となると、逃げ場を失った形でこの街の危険度を上げる輩は街の真ん中、ちょうどこの路地の辺りに凝縮され、自然に飲み屋が増えていくと同時に治安は悪化していった。
ただし、治安が悪いと分かる場所にわざわざ近づく一般人はおらず、似たり寄ったりの人間がたむろしているだけで内輪は平和と言ってもいい。
こういう界隈があることは知っていたが、アンもわざわざ近づくことのない場所だったので、薄く漂う腐臭は心地よくはないが物珍しかった。
ただ、路地の端に立つ男たちの視線がルフィを飛び越えてアンのつま先から頭のてっぺんまで舐めまわし、口笛を吹かれているのに気付いた時にはさすがに気分が悪かった。
構っていたって仕方がないムシムシ、とアンは歩みを速めたが、気付けば隣にルフィがいない。
慌てて振り返ると、ルフィはアンの一歩後ろに立ち止まって男たちを睨みつけていた。
ばか、と思わず呟いてアンはルフィの腕を引いた。
「本当喧嘩っ早い!行くよ!」
「コイツらアンのこと買うとか言った」
「放っとけばいいんだって!ほら」
ルフィの腕を引いて前へ進もうとしたアンは、いつのまにか現れていた障害物に肩からぶつかった。
反射でごめんと口にしたアンは、その壁がまた嫌な種類の人間であることに気付き顔をしかめた。
立ちはだかるその男はまさに壁のように大きく屈強そうに見えたが、ルフィは構わず下から睨みあげる。
「なんだお前」
「テメェこそ、チビのくせに一丁前に女連れて歩いてんじゃねぇよガキ」
「あァ?」
まったく怖気づく様子のないルフィに壁男の方が若干怯んだが、同時に癇にも触ったようで
、険しい顔で一歩ルフィのほうへと詰め寄った。
気付けばアンのすぐ隣には細長い男が二人、ニヤニヤ笑ってアンを見下ろしている。
「姉ちゃんオレ知ってんぜ、南の飯屋の姉ちゃんだろ? 今日は夜遊びか」
アンは答えず、男を睨み返したまま一歩後ずさった。
それを怯えていると取ったのか、ふたりの男たちは機嫌よさげにまたアンに一歩近づく。
アンのことを知っているのにルフィを知らないのは、きっとルフィが学校へ行っている時間の方が長いからだ。
男たちは自分よりランク下のものを見る目つきで、ルフィをちらと眺めた。
「そんなガキが連れてく遊び場よりオレたちの方がいいとこ知ってるからよ、ホラ」
細い男の一人が、アンの腕を強引に取った。
ちょっと、とアンが声を尖らせるより早く、ルフィが振り向いて「おい!」と叫ぶ。
「アンに触んな!」
アンを引き寄せようと一歩踏み出したルフィは、壁男が笑いながら繰り出した太い腕によって肩から弾き飛ばされた。
「ル…!」
マズイ、と目を瞠るアンの目の前で、後ろに弾かれたルフィはそのまま倒れるかと思いきや子ザルのような素早さで一回転する。
そして足をついたその勢いで壁男に飛びかかり、男が驚きに目を見開くより早く頬に拳をめり込ませた。
あぁ、とアンは顔を手で覆いたくなる。
しかし壁男の屈強さは伊達ではないようで、数歩後ろによろめくと顔を拭い、いかめしい形相で素早くルフィの胸ぐらをつかみあげた。
いきり立った二人の男もルフィのほうへと詰め寄る。
「ちょっと!」
ルフィ一人に何人がかりのつもりだ、とアンは腕を掴んでいる男のほうを振り払いつつ押しのけた。
アンに押された男は頼りなく後ろによろめいたが、それだけで逆鱗に触れたのかのような顔をしてアンの襟首を掴んだ。
コノヤロウ、とアンが男の腕に手を伸ばした時、またもやルフィが「アンに触るなって言ってんだろ!」と細男に掴みかかろうとする。
殴っちゃダメだって、とアンが声を上げかけた瞬間、ルフィの形相にひるんだ細男がアンの襟首を突き離した。
それと同時に、ルフィの隙をついた壁男がルフィの横腹に拳を突き刺す。
バランスを崩したアンは「えっ」と声を上げる間もなく後ろに倒れかけ、途中で殴られたルフィがぶつかって、なだれのように風景が目の前を流れていった。
ドサッ、ベチャッ、と何かが落ちる音ともにアンは背中から大きなものにぶつかった。
今度はなんだと振り返るその刹那、濃い煙の香りが背中側から香る。
「おうおう、ちょっと目ェ離した隙に」
「……あ」
だいじょうぶ?とサッチがアンの顔を覗き込む。
その隣で、マルコがむせるルフィの肩を叩く。
そういやこのふたりを忘れていた。
腹に食い込んだ拳はさすがのルフィも苦しかったようで、げほげほと咳き込んでいた。
顔ではなく腹を殴るのは喧嘩慣れしている証拠だ。
「だいじょうぶかよい、弟」
「助けが遅くってごめんなー、マルコのやつがノラ猫なんかに気ぃ取られててよ」
「猫を構いだしたのはテメェだろいサッチ!!」
現れたと思ったらいがみ合いだしたふたりの前で、アンとルフィに絡んだ男たちは突然出てきたスーツの男二人に怯んだ顔を見せた。
アンはルフィの背へ手を伸ばす。
「ルフィ、」
「ああああ!!」
突如、ルフィが悲嘆ともいえる叫びをあげた。
びくりと手を引いたアンはルフィの視線の先を追って、あっと短く声を漏らす。
サンジにもらった袋が地面に落ち、無残にもパックから半分中身が飛び出していた。
ルフィは殴り返されるまで、これを持ったままだったのだ。
「お前……」
ルフィがゆらりと背を伸ばした。
男たちはなんだなんだと勢いにのまれて一歩後ずさる。
「せっかくサンジに作ってもらったメシを……サボの土産なのに!!」
おれも家で食うつもりだったのに!!と叫ぶルフィの目は潤んでいる。
アホかと思いつつ、サボの土産をつつく気でいたアンの腹の底にもふつふつと怒りがわきあがってきた。
「覚悟しやがれ!」
男に殴りかかったルフィに心の中で行け!と叫んだアンは、サッチによってぐるりと背中側に回されて、地面を蹴ったはずのルフィはマルコによって後ろ首を掴まれていた。
「はなせよ!」
「落ち着け」
さざなみさえも見えないマルコの目に見降ろされても、ルフィはうがーと暴れている。
気付けばサッチの背後に回っていたアンは、アレ?とサッチの背中を振りかえる。
男たちは怯みつつも逃げる様子はなく、「なんだよ、今度はお前らが相手かよオッサン」と粋がり続けていた。
サッチが深い深いため息をついた。
「あのねぇ、お前らは未成年でもねぇし、この辺で女引っかけようが喧嘩しようが好きにすりゃあいいがよ、この子はやめとけ。恐ろしく怖い騎士にやられちまうぜ」
すンでにお前一発殴られてるじゃねぇか、とサッチがあっけらかんと笑うと、壁男の顔がドス黒い赤に染まった。
「オヤジが調子乗ってんじゃねぇぞ!」というなんとも抽象的な暴言を吐いて、壁男はサッチの襟首を掴み右手を振り上げた。
アンよりずっと肩幅の広いサッチの後ろからでも、サッチより大きな壁男の顔はよく見えた。
一歩たりとも後ろに引かないサッチの背後で、アンは壁男の形相に思わず「うわ」と声を漏らす。
ささやかなためいきが聞こえたかと思うと、サッチの頭の上から見えていた壁男の目が驚きに見開いて、次の瞬間には消えていた。
ズササッと地面をこする音が聞こえたので視線を下ろすと、壁男が足を払われて転がっている、
同時に左腕もひねられたのか、呻きながらそこを押さえていた。
ルフィが「おぉ!」と感嘆の声を上げた。
サッチは腕を押さえて転がる男に向かって人差し指を銃のように指した。
「逮捕しちゃうぞ!」
う、とひとつ呻いた壁男がよろよろと立ち上がる。
その様子を呆然と眺めていた残りの細男二人が、同時に2,3歩後ずさった。
「あ、おい待てよ!」
ルフィが声を上げると同時に、よたよたと逃げ始めた壁男の後を追うように二人の男がひっと叫んで走り出した。
するとマルコの手をするりと抜けて、アンが止めるより早く、ルフィまであとを追って駆け出した。
「おれはお前らのせいでオレのメシ落としたこと、許してねぇんだからな!!」
「ちょっ、ルフィ!!」
いつのまにか「サボの土産」は「オレのメシ」に昇格している。
あのバカ、とアンがサッチの後ろから追いかけようと足を踏み出すと、サッチの手がアンの肩にかかり「だいじょぶだいじょぶ」とアンを押しとどめた。
「ガキ追っかけるのはプロだからよ、オレにまかせなさい。お前アンちゃん頼んだぜ」
サッチはマルコをぴっと指さすと、すぐさま踵を返してすでに小さくなってしまったルフィの背中を速いとは言えないスピードで追いかけていった。
ったく鉄砲玉みてぇなボウズだな、と呆れた声が駆け出す直前に聞こえた。
「……行っちゃった」
「弟のこたぁアイツに任せときゃ心配いらねぇよい」
取り残されたアンが「どうしよう」とマルコを見上げると、マルコは「とりあえずお前は家に帰るよい」と小さく息をつく。
「ルフィは」
「サッチが見つけて家まで連れてきてくれんだろい」
あぁ、とマルコは思い出したようにアンをざっと上から下まで眺めた。
「お前さん怪我ねぇかい」
きょとんとマルコを見つめ返して、ケガ? と問い直す。
しかしすぐにハッとして、「ない、全然ない」と無事を示すようにばっと両腕を開いてみせた。
そういえば今さっきまで、アンは絡まれていたのだった。
よし、と頷いたマルコは「行くぞ」と足を踏み出した。
アンは慌てて、ルフィが落とした袋をとりあえず持ち上げる。
アンを取り巻く寸劇を眺めていた酔っ払いたちは、道を開けるように路地のわきへと身を寄せた。
先のやり取りを見ていて多少頭がよければ、マルコが喧嘩を売っていい相手ではないと分かるのだろう。
アンは肩を並べて歩く男をちらりと見上げたが、そう言えばマルコに盗み見はすぐにばれるんだった、と即座に視線を外した。
前方の店から気持ちよさそうなだみ声の歌が聞こえる。
ざわめきに似た大きな笑い声。
その店の扉が開いた。
どやどやと話しながら数人の男が出てくる。
「おい」
その男たちはアンを目ざとく見つけると、途端にニヤニヤし始めた。
にじりよるように、男たちはアンとマルコを待ち受けるように取り囲んでこちらを向いた。
マルコは意にも介さず歩を緩めない。
いったいなんなんだこの辺りは、とアンは先程の怒りがまた腹の底から湧き上がってきた。
あたしにいったいなんの恨みがあるってんだ、あたしは家に帰りたいだけなのに、と怒鳴り散らしたくもなる。
しかしアンがむっと顔をしかめると、男たちは喜びの声を上げた。
「なっ」
「黙ってろい」
不意に右肩に何かが触れ、ぐいと左側に引き寄せられた。
左肩がぐっとマルコにぶつかる。
マルコ、と名前を呼び掛けて、黙っていろと言われたことを思い出して口をつぐみ、そろそろと顔だけ上げた。
まっすぐ前を向くマルコの顔は、互いの身体が密着しすぎていてうまく見えない。
アンの肩を抱いて、マルコは一切のよどみも見せずずんずんと歩いていく。
すると、肩をそびやかしてアンたちを待ち受けていた男たちが、そろいもそろって顔を背けて道を開けた。
驚いてもう一度マルコを見上げるが、やっぱり顔は見えない。
まるで海割り伝説のように開けた道を、マルコは我が物顔で歩いているのだろう。
ルフィと二人、ぶつかりながら歩いていたときには光に集まる夜光虫のようにアンにたかった視線が、今は意図的に、ときには舌打ちを伴って外された。
ルフィがひ弱な男だとは思わない。
むしろ果敢に殴り返し今も追いかけていったのを見ればわかるように、アンはルフィが喧嘩で負けたのは見たことがない。負かしたのはアン自身くらいだ。
しかし見た目はやはりどうしてもただの少年だった。
背丈も大きいとはいえず、肩幅も広くはない。
細い足はすばしっこそうには見えるが頑丈には見えない。
ルフィの強さは、喧嘩を売るまでわからないのだ。
そう思うと、男同士が一目見ただけで相手との差を測るのはやはり見た目のステータスだ。
女同士のように美しさを競うのではなく、見た目で地位と強さのステータスを測っているようにアンには見えた。
ルフィがあどけない小さな少年であるのに比べ、おそらく背丈も高い方、肩幅もあるマルコはけしてひ弱に見えるはずもなく、スーツを着こなした姿とその歩き方は相応の地位を持つ男のそれだった。
そしてその男に肩を抱かれるアンは、その付属品としてそれなりの高レベルを与えられたのかもしれない。
『付属品』という考えに納得がいくわけではなかったが、こうすることで男たちの不躾な視線からマルコがアンを守ってくれていることは、鈍い鈍いと言われるアンにもわかることだった。
身体が離れたときにどんな顔をすればいいのだろう、とアンはそればかりを考える。
不意に、濃密な煙の香りが鼻腔をくすぐった。
あ、と思わず深く吸い込んだ。
この匂いを知っている。
頭から被せられた上着の下。
雨の音が遠くで響く、車の中。
首筋を伝う水と、唇をかすめた冷たさが脳裏をよぎった。
アンの右肩を包む手のひらがわずかに動いた。
それだけのことに、アンはぴくりと首をすくめる。
肩に触れる温度、身体の左側に密着している別の身体、かおる煙の香りと何度も甦る雨音の響く記憶がすべてばらばらになってはアンの感情に一騎打ちを仕掛ける。
背骨が軋み震えるような感覚がした。
気付けばアンたちは細い路地を抜け出して大通りに出ていた。
アンは左右を見渡してみたが、ルフィの姿もサッチの姿も見えない。
ぱらぱらと、それこそアンたちのように飲み屋帰りの酔っ払いの姿があるだけだ。
タクシーだけが何台か通り過ぎていく。
声をかけていいものか迷った。
マルコは迷わず通りをアンの家のある方へと折れ、口を開く気配もない。
マルコ、と名前を呼びたくなった。
しかし口を開いてしまうとすべてが終わる気がした。
今のこの時間も、アンの身体に触れる温度も、耳の奥で響く雨の音も。
終わりたくない、と思った。
そのためにはアンも口を閉ざして、ただ歩くしかなかった。
通りは先が見えないほど長く続いている。
アンはずっと、足元を見て歩いた。
そうしないと足がもつれて転んでしまいそうだった。
なんにしろマルコの右足とアンの左足は重なるほど近くにあるのだから、歩きにくくて仕方がない。
しかしマルコはずっと前を向いているようだった。
よどみないその足取りに、アンは必死で付いていく。
冷たい風が足元から吹き上げた。
首筋を舐めるようなその冷たさに、アンは思わず首をすくませてマルコの背中側の上着を掴んだ。
同時に、マルコの右手が一層アンを引き寄せた。
温めあうかのようなその仕草に、アンはくすぐったさをごまかすようにより深く俯いて歩いた。
結局、アンの店先に着くまで一言も言葉を交わすことはなかった。
マルコが足を止めるまで、アンは家に着いたことさえ気づかなかった。
騒々しい声が二階から聞こえないので、ルフィはまだ帰っていないのかもしれない。
肩を抱くマルコの手が離れた。
「あ……りがとう」
送ってくれて、と付け足す。
マルコは「あァ」と短く応じた。
アンはずっと、マルコのシャツの襟元を見つめていた。
それでも顔を上げなければいけないのだが、それ以上は上がらなかった。
いつもよりずっとずっと、マルコが近い。
「じゃあ」と言ってマルコが踵を返すまでが、途方もなく長く感じられた。
しかし実際はあっけなかったのかもしれない。
初めから終わりまで一切の躊躇いも見せないマルコは、既にアンに背中を向けて来た道を引き返していく。
先程までマルコが触れていた余熱は、秋風にさらされて名残さえない。
身体の中から湧き上がる熱だけがアンを温めている。
アンは自分自身を片手で抱くように、ギュッと左手で右肩を押さえた。
あたしは間違いなく、さっきまで視界に入っていたマルコの手が持ち上がり、こちらに伸びてくるのを心待ちにしていた。
それだけじゃない。
本当は、肩に触れた手をそのままにマルコが腰をかがめて、唇が触れるのを待っていた。
そうして欲しかった。
あの日みたいに。
→
リバリバ12、更新しますた。
なんだか切りどころがわからなくなるくらいだっかだか書いているので、
波が途切れる前に行けるところまで行っちまおうと急いでいます。
マルコやサッチやイゾウやと、いっぱいオッサンズが出てくるともうたのしくてたのしくて
へいへいへいへーい♪ってなるのですが、いかんせん収拾がつきません。
オッサンたちだけのはなしも、またやりたいなぁ。
あと、前回の雑記でちらりと言っていた、マルアン目次ページの雑多さが気になるというアレ、
少し改良してみました。
もうタイトルなんかどうでもいいわオリャァと数字だけの味気ない感じにしたら、
なんかさっぱりして気に入りました。
スクロールも少なくて済むし、何より私が見やすいのでよしとします。
にしても、もうマルアンのお話だけで100以上あるんだなぁ…と思うとしみじみします。
白ひげ兄ちゃんズのお話や麦わらの一味のお話もそれぞれ20以上あって、
そろそろお蔵入りするお話も必要かなぁと。
自由な時間がたっぷりある今のうちに整理しようと思います。
えーっと、全然関係ないけど近頃、ここ数か月、サンナミの波が増してきた気がして、
青とオレンジに反応したりと付加症状があります。
青とオレンジって、マルコとアンちゃんもそうだけど、
マルコとアンちゃんは、水色に近い青と深い色のオレンジ。
サンジとナミさんは、濃いめの正統派青と明るめのオレンジ。
ちろちろと小っちゃい火が燃え続けてはいたものの、サンナミ愛の復活に火をつけたのは間違いなくプレミアショーのキャストであろうと思っています。
リアルサンジとリアルんナッミすゎぁああんにやられました。
びーえるな傾向は私自身にないものの、だいすきなゾロサンサイトの管理人さまが
2010年からプレミアショーレポを描かれていて、
今年だけでもリハと千秋楽含めて10回以上ショーに行かれている方のキャスト模写を見て、
私が見たのは多分この人ーーー!!って思い返したり、
やっぱり朝日新聞さまさまの写真を見たりして、未だにひとりギャァギャァやって非常にお得。
あと、マルコキャストさま…うっ
心臓鷲掴みされました。
写真を携帯に取り込んで、事あるごとに開いては拡大して見たりして、
非常に変態仕様になっております。
夢にでてこいと思いながら毎日ひるねにいそしんでいるんですけどね。
あ、リアルサンジは出てきました。ショーの格好で、声は平田サンジで。
近頃ホント自分マズイなぁと思う日々です。
木曜日のなんでもない朝、それも店を開けてすぐの時間。
早い出勤のサラリーマンたちがアンの店で朝食を買って、口に咥えながら通りを歩くような慌ただしいいつもの朝、ふらりと知った男が一人で現れた。
入り口付近に現れた新しい客に、一番に気付いたのはルフィだった。
「お! オッサン久しぶりだなぁ!」
ルフィの必要以上に大きな声に振り向いたサボは、あぁと見知った人にかけるような声を出したものの固い顔で朝の挨拶を口にする。
「珍しいね、こんな朝早く。しかも最近見なかった」
「仕事が詰まっててよい」
いつものはあるかい、と尋ねる声に、サボは「今ちょうどアンが裏に野菜取りに行ったところだから、戻ってきたらすぐできると思うよ」と答えた。
サッチが好んで座るカウンター席に、マルコは迷わず足を向けた。
席についている他の客はまだ1組、数人がサンドイッチやパニーニを持ち帰っていっただけ。最繁期のひとつ手前の時間帯だ。
サボは開店と同時にやってきたおじいさんは静かに新聞を読んでいる。
サボは彼に新しいコーヒーを注ぎにカウンターを離れた。
ルフィが、席に座ったマルコにまとわりついている。
「なぁオッサン、いつものオッサンは?」
「今日はいねぇよい」
「なんで?」
「仕事だろい」
「オッサンは? 仕事は?」
「今日は休みだよい」
「へぇー、なんで?」
「こら、ルフィ」
サボが窘める声を飛ばしても、ルフィはきょとんとして意に介した風もない。
目の前のマルコは、若干辟易とした顔をしているというのに。
「お客さんの邪魔すんじゃない。ホラ、混んでくる前に朝飯食っとけ」
「お、そうだな」
サボが住居につながる階段を顎で示すと、ルフィは軽い足取りでそちらに向かう。
マルコへの目線に謝罪の意を込めると、伝わったのか、軽く頷いたようにも首を振ったようにも見えた。
どちらにしろ、たいして気分を害した風ではない。
「ついでにアン呼んできてくれよ、どうせ裏で野菜選んでるから」
「えぇー、遠回りじゃん」
「ぐだぐだ言わない、さっさと行く」
「げぇ……っと、」
わざとらしく顔をしかめて、ルフィが裏口へと続く古いアルミのドアに手を伸ばした時、外側からそのドアが勢い良く開いた。
ルフィがドアを開けた人物に目を留めて、手間が省けたとばかりに顔を綻ばせて「オッサンが来てるぞ!」と叫んだ。
「オッサン? サッチ?」
大きな段ボール箱を抱えたアンは、ルフィにドア閉めといてと通りざまに伝えながら厨房の中に入った。
そしてカウンター席に座る人物に気付いて、アンの手は思わずダンボールを取り落しかけた。
ずるりとアンの手から滑った大きな箱は、しかしすぐにアン自身によって持ち直される。
アンの背後で、ルフィが小気味よく階段を上っていく足音が響いていた。
「……いらっしゃい」
「Bってやつ、頼むよい」
うん、と頷いてアンは足元に重たい箱を下ろした。
「よぉアン、おはよう」
「アンちゃんおはよう、いつもの頼むよ」
「おはよっ、これ持ち帰りにしてくれ!」
まるでアンが現れたのを皮切りにしたように、常連が一人、また一人とやってきた。
アンは大慌てでエプロンを閉めなおすと、大きな笑顔をつけて一人一人に声を返す。
目の前のカウンター席にマルコがじっと座っているのは、この際一人の客として放っておこうと決めたようだ。
「サボ!ボトルとグラスを……!」
「はいはい」
朝と夜になれば涼しい風が吹き始めた季節ではあるとはいえ、アンの額には細かい汗が浮いている。
サボはアンに指示されるがまま、トレンチにボトルの水とグラスをいくつか乗せて客の席を回った。
ボトルを客席に置く際、手が滑ってゴトンと大きな音を立てた。
「おっと、ごめん」
「大丈夫、寝不足かサボ」
常連の電気屋のオヤジに苦しい笑いで首を振り、そこを離れた。
オレが動揺してどうする、と胸のうちで繰り返す。
久しぶりに現れたマルコに対し、少なくともアンははたから見てわかるほど顔色を変えていない。
しっかりしろ、と薄いトレンチを強く握った。
アンの余裕とサボの余裕は連結している。
サボが余裕を失えば、アンもたちまちに慌ててしまうとわかっているのに。
サボは空になった席を片づけながら、ちらりと視線だけでマルコの背中を見た。
変わらず黒いスーツの背中は、くたびれたオッサンのようにも普通のサラリーマンのようにも、とんでもなく偉い重役の背中のようにも見える。
事実は後者だ。
不意に、その背中が背後から見つめるサボの視線をしっかりととらえているような気がして、ぞくりと背筋が粟立った。
しかしすぐ、やめろやめろと首を振る。
大きく息を繰り返した。
まったく朝からやめてくれ、せめて火曜と金曜と決めたならその日だけ来てくれればいいものを、と我ながら勝手な文句を心の中で呟いた。
テーブルを拭くサボの目の端で、マルコにモーニングを給仕するアンの姿が映る。
サボだけに分かるそのぎこちない笑顔に、マルコは気づいているだろうか。
気付いていたとしても、きっとそのぎこちなさの理由はわからないのだから、マルコのほうも居心地の悪い思いをするかもしれない。
そう思うと、ガキくさいと思いながらも、胸のすく思いがした。
それでも、そのぎこちなさをわかってやれるのは自分だけだという優越感も、確かにサボの胸の奥に転がる小石のように、そこにあった。
アンからモーニングの一式を受け取ったマルコは、サッチのように余分な言葉をこぼすことなくもくもくと食事を始めた。
そろそろ店内は最繁期を迎える。
アンもすぐにマルコから視線を移して、次の作業へ取り掛かる。
サボは、テーブルを片すと同時に頭の中を一掃した。
こんなバカみたいなことを考えながら両立できる仕事ではない。
ただ、マルコから視線を外すその刹那のアンの目が、まるで名残を惜しんでいるように見えて、ただそれだけがサボの心にしこりを残した。
*
サッチが来たの? というセリフを吐いた手前、マルコと対面するのにいささかの気まずさがあった。
既にいつものカウンター席についていたマルコは、ゆっくりと視線を上げて、ルフィの声を辿り、そしてアンを捉えた。
静かに注文を伝えたその目は、以前会ったときと一寸の違いもなく凪いだ海のように穏やかな青で、アンの方がたじろいでしまったのがまるわかりになってしまったような気がした。
しかしマルコの注文を受けるとすぐに、次々とお客さんがやって来た。
愛想のよいそれらの声に応えながら、意識をマルコのほうへ引っ張られるのを若干感じて、こんなのではだめだとたしなめる自分の声を聞いた。
ひとまず仕事に集中しなければ、とアンは自分を持ち直し、手元の作業と客を捌くことに専念することにした。
マルコがなんだというのだ。
「ごちそうさん」
注文を伝えたときと同じ、静かだがなぜかまっすぐ届く声が、律義にそう言ってフォークを置いた。
アンは他の客にそうするのと同じように「ありがとう」と言って、マルコの前の皿に手を伸ばして下げる。
皿のわきに無造作に置いてある大きな手が不意に目に入った。
職人のように固く分厚い手ではない。
白くもなく、黒くもなく、生まれたときからその色だったのかもしれないと思わせる自然な肌の色。
その皮膚の下から突き上げる節が目立っていた。
軽く握られたその手から指は見えないが、節の大きな手に特徴的なように、マルコの指は細くて長いのかもしれない。
突拍子もなく、それが突然動いてアンの手を掴むのではないかと想像した。
バカみたいだ。
アンは誰にもさえぎられることなくすみやかにマルコの皿を下げることができたし、マルコは最後のコーヒーが来る前にのむらしい煙草を取り出していた。
マルコに食後のドリンクを何にするかを聞くことはもうない。
他の客の大半がそうであるように、マルコの食後にはホットコーヒー。ちなみにサッチの食後も同じく。
ミルクと砂糖はいらないと初めに断られたので、それ以来付けたことはない。
店の中は混雑してきて、雑然とした話し声が満ちてきた。
マルコが来ているときに、この騒がしさは今までなかっただろう。
いろんな色を使った激しい筆遣いの絵画を背景に、マルコと言う単色で描いた人物を切り取って貼り付けたかのような不似合さだった。
アンは首筋に浮かんだ玉の汗を襟に吸わせてフライパンを振っては皿に移し、パンを焼いては切って野菜をはさみ、コーヒーを注いでは新たな豆を挽く作業を繰り返した。
目の端でちらちらと映るサボの姿も、忙しく立ち働いている。
ガチャ、バタ、ドタドタと騒々しい生活音が、客の話し声が絡まりあった糸の珠の隙間を縫うようにアンに届いた。
「アン、サボ!行ってくる!!」
「行ってらっしゃい!」
アンとサボの声が綺麗に重なるだけのはずが、来店している客たちの声もあわさって、大合唱となった。
ルフィは満足げに歯を見せて笑うと、背中のリュックを大きく揺らしながら元気に店を飛び出していった。
その背中を見送ってから、アンはハッと店の壁の真ん中に掛けてある時計を振り返った。
時刻は8時前。
店内は変わらずにぎやかだ。
繰り返す作業に没頭するうちに、時間はあっという間に経過していたらしい。
おそるおそる視線を少し下げて、マルコの手元にコーヒーソーサーがあったのでほっと息をついた。
目の前の客にコーヒーを出したことさえ覚えていない。
奇妙な形の控えめな色合いの金髪と、伏せた睫毛。
マルコは手元の新聞に目を落として、コーヒーをすすっていた。
マルコが店にやって来たのは6時半ごろだったから、かれこれ一時間以上いることになる。
長居する客を厭わないことにしているこの店では、そういう客を見定めた場合コーヒーのおかわりを注いでやっている。
サボによって、マルコもその恩恵を受けているらしかった。
「め、珍しいね」
一拍空けて、マルコは顔を上げた。
自分に掛けられた言葉だと思わなかったらしい。
問い返すように眉根を寄せている。
「仕事、今日は昼からとか……」
語尾が濁ったアンの言葉に、マルコは「あァ」と合点がいったような声を上げて、手にしていたコーヒーをテーブルに戻した。
「今日は丸一日休みだよい」
「へぇ……そういうこともあるんだ」
「……上の計らいで」
上? と首をかしげるアンに、マルコはなんでもないと言葉を打ち消すように軽く首を振った。
「長居して悪ィよい、もう」
「やっ、それは全然構わないから……!」
腰を上げかけたマルコを、自分でも思わぬ大きな声を出して押しとどめていた。
声と一緒にマルコの目の前に突き出していた片手に気付いて、そろそろとそれを引っ込める。
「い、今は店の中うるさいけど……いっつもマルコたちが来てくれる時間になったら、少しは落ち着くと思うから……それまでに用事があったら、その、アレだけど」
しどろもどろとなる自分の声の情けなさに、アンの声はますます舌先に絡まるようにまとまりがなくこぼれた。
マルコは椅子から数センチ浮かせた中腰のままアンが付きだした手のひらを若干虚を突かれたように見つめていたが、やがて黙って再び腰を下ろした。
なんとなくその顔は、笑いを噛んでいるように見える。
「昨日の夜早くから今日丸一日ひっくるめて仕事に来るなってお達しだったからよい、珍しく早寝したら年寄ほど早起きしちまって、朝からすることなくて困った」
いつかみた微かな笑みを浮かべて、「朝起きたらまずは朝飯だろい」とマルコが言う。
頷く以外に答える方法がわからなくて、アンは黙って首を動かした。
「ここ出たら、今度こそ何すりゃあいいのかわからねぇからよい。助かる」
少しだけ上がった口角に本気で安堵の表情が見えて、アンも思わず頬を緩めた。
「もしよかったら、ランチも、あるから」
「そりゃァますます助かる」
初めて、マルコが小さく喉を鳴らして笑った。
だから、その言葉が本気なのか冗談なのかわからなかった。
マルコとの会話の間も休めることなく動かしていた手は、二つのセットを完成させていた。
それをカウンターの上に乗せると、間をおかずにサボがそれを手に取り運んでいく。
客はとめどなくやってくるので、マルコとの談笑に時間を割かれるわけにはいかないのだ。
談笑か、とアンは小さく胸のうちで呟いた。
それはとても、楽しそうに聞こえる言葉だな、と。
9時半を過ぎると、入っては去り入っては去りしていた客足がゆっくりと減っていった。
いつものペースだ、とアンは汗をぬぐう。
とっくに新聞を読み終わっていたマルコは、店に置いてある雑誌を興味なさ気な目つきで見下ろしながら、何杯目かのコーヒーを飲んでいる。
そろそろサボが裏へと引っ込み、昼の混雑がやってくる前に仕入れの確認をする頃だったが、サボはまだ厨房の内側で洗い物の手伝いをしていた。
アンは店の外に目をやる。
空は晴れ渡っているのだろう、白い光がコンクリートの道路に跳ね返り、眩しいほど明るかった。
昨日は雨だったのに、とぼんやり思っていると、店の前を大きなスクールバスを音を立てて通って行き、ほんの一瞬だけその明るさが途切れた。
バスの地響きが、足の裏に響く。
「サボ、もう表はいいよ」
空いてきたからだいじょうぶ、という意味を込めてサボを見上げる。
高い位置にある横顔は、シンクの中に視線を落としたまま気のない声で「あぁ」と言った。
「サボ?」
「うん、これ終わったら」
「あたしもすることなくなってきたから、置いといていいよ。やっとくから」
「いいよ、やりかけたから」
かたくななほど、サボは動こうとしなかった。
マルコがいるからかな、と思い当るが、それを口にするわけにもいかず、口にしたところでどうにもならない。
当のマルコは正面にいる。
「混んでくると時間なくなるよ、いいから、裏お願い」
動き続ける腕をそっと抑えるように触れると、サボはようやくアンを見下ろした。
コンマ一秒にも満たない間重なった視線は、アンが思った以上に張りつめていた。
「わかった」
サボは泡のついた手をさっと水で流すと、手早く拭いて裏口へと歩いて行った。
少し、強引に過ぎたかもしれない。
ドアの向こうに隠れた背中を見送って、アンはちくりと胸に刺さった小さな棘を感じた。
サボのしていた洗い物の続きをしようかと思ったが、それでは少しマルコが座るカウンターから離れてしまう。
少し考えて、昼の下準備を先にすることにした。
大きな鶏肉を一枚冷蔵庫から取り出して、マルコが座る目の前にあるまな板の上に寝かせた。
「マルコ」
雑誌に落ちていた視線が、一拍置いて上がった。
マルコに届くかどうかというギリギリの声量だったというのに、マルコの耳はアンの声を掬い取ったらしい。
意を決する、と言う程のことではないと思いながら、意を決して、アンはマルコと視線を合わせた。
「このあいだは、ありがとう」
マルコの表情は数秒の間変わらず、それから訝しむように眉間に皺が寄った。
「あの、雨の日」
「あぁ」
思い当ったようで、刻まれていた皺が薄くなった。
「言い忘れてたから」
「律儀だねい」
「風邪、ひかなかった?」
「まったく。お前ェさんは」
「おかげさまで」
そうかい、とマルコは薄らと笑った。
あ、と思わず声が漏れる程、アンの中で何かが満たされた。
別にあたしはこの男を笑わせたかったわけじゃないのに、となぜか悔しくなって、アンは視線を手元の鶏肉へと下げる。
木の椅子が床を削る音が聞こえた。
「長ェこと邪魔したよい」
「もう帰るの?」
咄嗟に出た言葉にハッとした。
しかしマルコは気に留めたふうもなく、あぁと頷く。
「コーヒーばっか飲み続けてても、ただのタチ悪ィ客だろい」
「かまわないけど」
心のうちとはうらはらに、まるで引き止めるような言葉がこぼれ出る。
こうも素直に口にしてしまうと、本当にうらはらなのかが怪しくなってくる。
マルコは返事をせずに、紙幣を一枚アンの方へ押し出すようにカウンターに置いた。
「イゾウの店にまた来いよい。この間はせわしなかったから」
そう言ってマルコはアンの返事を待つことなく、店を出ていった。
一日やることがないと言っていたのにいったい何をするんだろうと、多すぎる金額を表す紙幣に目を落としながら、思った。
*
何の変哲もなく終わりかけた一日の夕暮れ時、ルフィが帰ってくるなり「アン!サボ!」と騒がしく階段を駆け上ってきた。
今日は帰りが早いな、と思いながら「うるさーい」と気の入らない叱り方をする。
ルフィは駆け足の勢いそのままアンの前まで突進してくると、「サンジの店行こう!」と声高々に叫んだ。
勢いに押されて、グラタンに振りかけていたチーズの袋を取り落しかける。
「サンジ?」
「アンこないだ行ったって言ってただろ!サンジがよ、アンを連れてくればそこでメシ食わせてやるっつって!」
あぁイゾウの店か、とアンが思い当ったときには、ルフィはすでにアンの眼前からは消えていて、洗濯物をたたみ終えて食卓に現れたサボのもとへとすっ飛んでいた。
「なぁ!サボも行こうぜ!」
サンジが、コックで、アン連れてって、飯がもらえて、と非常に偏った情報を懸命にサボに伝えている。
サボが、どういうことかと尋ねるようにアンを見た。
アンが事の顛末を簡単に話すと、サボはなるほどというふうに頷く。
「でもアン、今日の夕飯の準備もうしてあるんだろ」
「もちろん。今日はグラタン」
ルフィがアンの手元に首を伸ばして、だらりと口元のしまりを緩くした。
サンジのタダ飯にもアンの夕飯にも惹かれているらしいその表情は、愛らしくて貪欲な子犬のようだ。
「今日じゃないとダメなの?」
「ダメだ!明日はサンジいねぇし」
「土曜は?」
「とにかく今日なんだ!」
どっちにしろ今日行きたいだけらしい。
どうする、というふうにサボを見ると、サボはルフィにリュックを下ろして弁当箱を出すよう指示しながら、「少なくともオレはいけないな」と言った。
あぁそういえば、とアンも呟く。
「なんかあるのか?」
「うん、8時に家具屋のおばさんち」
「なんで?」
「電球替えてほしいんだとさ」
ルフィがきょとんと目を丸くした。
「なんでサボが?」
「さぁ」
ご使命だよ、とアンがからかい交じりの声を出すと、サボはたいして本気でもなさそうにため息をついた。
「あそこ、おばさんひとりでやってるだろ。男手がないからって」
それが建前だとすると、その裏には必ず本音が見え隠れしている。
ひょっこり赴いたサボは、きっと電球を替えただけでは済まないだろうとアンにも予測がついた。
紛争激しいどこかの国の街中で乱射される銃のようなおしゃべりの餌食にされることは間違いない。
「えぇぇ」とルフィが落胆を隠さず口にした。
サボは、ルフィに弁当箱を持って行けと台所を指し示す。
「でもいいよ、ふたりで行ってくれば」
「いいのか!?」
「でも夕飯どうする?」
「食べてから行けばいいんじゃないか、ルフィならどうせいくらでも食えるだろ」
「まかせろ!」
ルフィが意味もなく偉そうに胸を張る。
アンはルフィとサボを交互に見て、じゃあとりあえずグラタン焼くか、とオーブンの予熱を始めた。
マルコとの話に出たイゾウの店にさっそく行くことになるとは、と偶然とも言い切りにくい突然の予定に驚きながらタイマーをひねった。
「サボには土産持って帰ってきてやるからな!」と破顔するルフィは、イキイキと目を光らせながら着替えに奥へと引っ込んだ。
「いいの?」
「いいよ。夜道でもルフィがいるし」
「サボも行きたいでしょ」
「うん、まぁ仕方ないよ」
たいして落胆しているようには見えない。
だからと言ってそれじゃあ行ってきます、と気軽に出かける気にはならなかったが、もはやルフィには行かないという言葉は通じないように思えたので、アンはそれ以上何も言わなかった。
出来上がった料理を食卓に並べ始めると、早すぎる程手早く風呂掃除を終えたルフィがメシメシと歌いながら席に着いてスプーンを手に取った。
リビングのソファから腰を上げたサボが、運ぶの手伝えとルフィの頭を小突く。
「ちょっとルフィ、風呂掃除適当すぎ」
「失敬だな、ちゃんと洗ったぞ!」
「洗剤のついたスポンジで手の届く範囲を適当に撫でるだけは、掃除とは言わないんだぜルフィ」
サボが揶揄を飛ばしながらサラダボールを運ぶ。
まさしくその通りの行為をしてきたばかりだろうルフィは、言葉に詰まって「思いっきりこすって来たからへいきだ!」とわけのわからない言い訳をした。
「ほら鍋敷き取って。熱いよ」
「これ肉入ってんのか?」
「入ってる入ってる」
「ルフィ、先にサラダ取れよ」
「サボ、パン切って」
食卓の上を、いくつもの腕が交差する。
ぶつかることがないのはなんでだろう、とアンはいつも考える。
さて、とアンが席につくと食事が始まった。
早くイゾウの店に行きたいと気がはやるのか、ルフィはいつもに増して慌ただしい。
しかし家の夕飯を人の分まで平らげようとする食い意地はかわらない。
騒然とした食卓は、昨日のそれとたいした違いはなかった。
早く行きたいのなら洗い物を手伝えと言うと、そんなのは帰ってからすればいいと言う。
ルフィが洗ってくれるならいいよと言うと、ルフィは少し考えるそぶりをして「まかせろ!」と胸を張った。
こんなに信用のならない「まかせろ」もない。
「嘘ばっか、アンタ逃げるでしょ」
「余計な皿も割れるかもしれないから、逆にその方がいいかもな」
サボのからかいに憤慨した様子で、ルフィは失礼すぎるなどとぶつぶつ言いながらアンの横に並んだ。
結局、割れた皿は1枚で済んだ。
アンとルフィが家を出る時一緒に、サボも出ると言って腰を上げた。
アンはルフィに指摘されて、慌ててエプロンを外す。
じゃあ行くかと大手を振って階段を降りようとしたルフィを、サボが呼び止めた。
「アンも。もうTシャツじゃ外は寒いだろ」
「おれはへいきだ」
「一応上着持ってけ。アンは長袖に替えたら」
寒いかな、と半袖の自身を見下ろした。
寒い、とサボは断定する。
じゃあ着替えようと踵を返したアンを、サボは満足げに見送った。
結局言われた通りに長袖に着替え、薄い上着を3人分持って戻った。
サボのぶんを手渡すと、おれはいいのにと苦笑する。
「でもサボもそんな薄いシャツじゃ寒いでしょ」
「おれはすぐそこだから」
一応持っていけば、と勧めると、サボはありがとうと受け取った。
3人一緒に階段を降り、店を横切って外に出る。
鍵を閉めるサボの後ろ姿を見つめながら、長そでにしてよかったなと思った。
風はすっかり秋であることを自覚しているように冷たい。
「それじゃ」
「うん、サボも気を付けて」
「土産持って帰るからなー!」
まるで旅行に行くみたいだ、と思わず吹き出すと、サボが「旅行に行くわけじゃないんだから」と笑った。
同時に背中を向け、アンはルフィと歩き出す。
こんな別れ方をするのは奇妙な感じがした。
「アンタ道知ってんの?」
「知らねぇ」
なるほど、ルフィはアンを連れてこない限りイゾウの店には辿りつけない仕様になっているのかと感心した。
サンジはルフィの前でも変わらずアンのことを『お姉様』と呼ぶのだろうか。
「なんで突然、店に誘われたの?」
「アンのこと話してたんだ」
「アンタが?」
「いやー、サンジが。もう一度会いてぇとかなんだとかうるせぇから、アンがサンジの働いてるところにもう一回行ったら会えるだろって言った」
「そしたら?」
「アンが自分から一人で来ることはなさそうだって言うからよ」
なんでだ? とルフィは誰にともなく問うた。
なんでだろ、とアンも曖昧に答えではなく応える。
夜の通りは静かだった。
「こないだ行ったときもあれだろ、リーゼントのオッサンが連れてってくれたんだろ」
「そう」
「それなら今度はおれとサボでアンを連れてきゃいいじゃねぇかと思って」
サボは来なかったけどなー、とルフィは朗らかに呟いた。
アンはとにかく連れて行かれる対象らしい。
「リーゼントのオッサン、いるかな」
「さぁ……どうだろ。そう都合よくもいないんじゃない」
「じゃあパイナップルみてぇなオッサンは」
「マルコ?」
「今日来てたオッサン」
「……いないんじゃないかな」
マルコはサッチよりも出現率が圧倒的に低い気がした。
そうかいないかー、と残念そうにもどうでもいいようにも聞こえる声でルフィは息をつく。
手に持った上着が、ルフィの腕の動きに合わせて大きく動いて風を作り出しているが、ルフィ本人は冷たい秋の風を顔に浴びて気持ちよさそうに目を細めた。
半ズボンの下から伸びるルフィの脚先は、数か月前と全く変わらずゴム草履を引っかけていて、寒いだろうと言ったサボの忠告を全く聞いていないことを物語っていた。
たしかに少し足元から這い上がる冷気が寒い。
一定の間隔で設置された街灯の下に羽虫が群がっている。
ルフィが口を閉ざしたので、アンも黙って歩いた。
黄色い灯りに照らされて、影が伸びる。
通りに面した店はほとんどシャッターが下りていて、人気がないぶんいつもより通りが広く感じられた。
「あとどれくらいだ?」
「10分くらい。スーパーすぎて少し行くから」
ふーん、と気のない声で鼻を鳴らして、ルフィはぽつんと「オッサンいるかな」と呟いた。
よっぽどサッチたちの所在が気になるらしい。
「アンタの目的はサンジのごはんでしょ」
「そうだけど、オッサンたちもいた方が楽しいじゃねぇか」
だろ、と同意を求められて、まぁそうだねととりあえず頷く。
「サンジは、だいたい3日にいっぺんは来るっつってたぞ」
「多いね」
「酒飲みだ」
ゾロみてぇ、とルフィは楽しそうに笑った。
唯一この時間帯でも営業している大きなスーパーの灯りが見えてくると、ルフィが「スーパーだ」と呟く。
言われなくてもアンにも見えている。
「サンジの飯…土産にし忘れたら、サボの分はここで買ってくか」
ルフィが遠い目をしてそんなことを言うので、アンは吹き出した。
広いが車通りのない道を横断し、狭い通りへと右に曲がる。
街灯がなくて薄暗いその路地はけして治安がいいとは言えず、ルフィが心なしかアンに寄り添って歩き始めた。
「ここ」
アンが足を止めると、ルフィは一階の入り口とアンを交互に見て、「スタジオって書いてあるぞ」と首をひねった。
「うん、ここの二階」
「じゃ、行こう!」
合点したとばかりにルフィが階段を上り始めたので、アンは慌ててあとを追う。
ためらうということを知らないのか、ルフィは勢いよく店のドアを開けた。
アンがルフィの背中に追いついたとき、ルフィは「テメェお姉様連れて来いっつっただろクソ野郎」とサンジにメンチを切られているところだった。
*
「今日はアルコール入ってたってかまわねぇんだろ? そっちのボウズはどうする」
「うまかったらなんでもいい」
そうかよ、とイゾウは喉を鳴らして笑いながら、ホルダーにかかったグラスを二つ手に取った。
ルフィはサンジの料理をまたたくまに平らげていく。
アンはいらないと言ったのに、サンジが出した小盛りのプレートにまでルフィが手を出したので、いましがたサンジの罵声が飛んだところだった。
「2日ぶりだな、アン」
「うん、ごめんねうるさいの連れてきて」
「構わねぇ、どうせたいした客もいねぇんだ」
そりゃオレたちのことかよ、と奥のソファ席に座っていた数人の男たちが声を上げて笑った。
そうだオヤジ共とっとと帰れ、とイゾウは店の主とは思えない口をきく。
「リーゼントのおっさんたちは来てねぇのか?」
「サッチか、今日はまだ来てねぇな」
「パイナップルのオッサンも?」
「来てねぇ来てねぇ、パイナップルもまだ来てねぇよ」
お前それ今度マルコの前で言ってみてくれよ、とイゾウは大人げないことを言う。
オッサンおもしれぇな、とルフィまでつられて笑った。
オレはオッサンじゃねぇよ、とイゾウが眉をひそめてシェイカーを振る。
まだってことは、とアンが口をはさむ。
「今日…二人とも来るの?」
「あぁ、いや知らねぇけど、ここ2日くらい見てねぇからそろそろ来るかもな。マルコのヤツは怪しいけど」
「パイナップルのオッサンなら今日うちの店来たぞ」
「あ、マジで」
「なぁ、アン」
ルフィが同意を求めるので、アンも頷くしかない。
確かにマルコは今日うちに来た。
「仕事休みなんだって」
「そりゃ珍しいな。じゃ、そのうち来るかもな」
仕事がねぇんじゃやることなくて死んでんじゃねぇか、とイゾウは不謹慎にも大口開けて笑った。
ほい完成、とアンとルフィの目の前にそれぞれドリンクが差し出された。
二人分の歓声が重なり、同時にそれに手を伸ばす。
「すげぇ、飲みモンになんでこんないっぱい色あるんだ?」
「面白れぇなお前、アンの弟2号」
あっはっは、と調子よく声を合わせて笑う二人の隣で、アンはイゾウに手渡されたカクテルに目を奪われた。
寒色だけの色合いは涼やかで、ミントの香りがツンと鼻まで届く。
かわってルフィが手渡されたカクテルは、以前アンが飲んだもののような赤とオレンジが夕日のように滲んでいた。
「うめぇーっ!」
「ばか、うるさい」
ルフィをたしなめるのももどかしい、とアンはそっとグラスに口をつけた。
冷たい、気持ちいい、程よい甘さが喉の奥に転がっていく。
胸の上の辺りにぽっと火がともるような熱さも同時に感じた。
はぁ、とグラスから口を離して嘆息するアンを、イゾウが満足げに見下ろしながら煙草を咥えた。
視線を上げて、切れ長の目を捉えて、「すっごいおいしい」とアンが笑うと、イゾウは少し目を丸めてから、すっと猫のように細い目で笑った。
「そりゃ結構」
「アンちゃぁん、スペシャルスイーツができたよ!」
サンジのしまりのない声に、ぞぞぞと音を立ててドリンクをすすっていたルフィが、すぐさま目を光らせて「あっ」と叫んだ。
「ずりぃぞ!サンジおれにも!」
「アホかこれはレディ専用だ。まだナミさんとビビちゃんにしか作ったことねぇ」
手を伸ばすルフィを押しのけてアンの目の前に出されたスイーツプレートは、小さなデザートが繊細に飾られていた。
なるほどレディ専用とはまさに。
「いいよルフィ、半分あげるから」
「納得いかねぇ、なんでアンだけなんだ」
未だぶつくさと言っているルフィをはいはいと宥めすかして、とりあえず最初の一口と小さなケーキに細いフォークの先を刺した時、重たいドアの蝶番が軋んで新たな来店を告げた。
アンとルフィはほぼ同時に、反射で振り向いた。
ただアンだけは、振り向くその一瞬前に、どうしてか、来客が誰であるか気付いていた。
カウンターの隅に置かれた古い時計が示す8時半と言う時刻が、そろそろあのふたりが来るよとアンの内側で囁いていた。
→
ついにうちのカワイコちゃんが食われてしまいました。蒼き魔獣に(だれだ)
マルアン連載【あいのことば】のその後というか番外というか、とにかく【満ちて、静かに】こうしんです。
マルアンその他カテゴリの、すっごい下の方にあります。すっごい下。
ごろごろごろっとスクロールでおねがいします。
あのもくじページの量ね。
最近増えすぎて、もうどうにかしなきゃと思ってるんですが、
特にいい打開策もなくて、いまだにあんな感じでダラダラ下へと目次は伸び続けています。
リバリバみたいに一個ずつの話が数字ならいいんだけどね。
マルアン連載は私が一個ずつタイトル付けるの楽しんだから(自業自得)
それはともかく、久しぶりに海賊なふたりがうれしかったです。
海賊いうても、ずっとベッドの上なんだけども。
船の上で、波の揺れがずっと足の下にある、っていうところがね。
注意書きを何て書こうか迷った結果、どストレートになりましたが、わかりやすいからいい…よね。
逆にそっちを期待されると非常に困る仕様になっておりますが、あしからず。
テーマは、喘がず、いやらしい音を立てず、いかにエロいか。(どーん)
無論喘ぐアンちゃんは壊滅的に可愛いし、やらしい音もあってナンボ的な部分もありますが、
今回は自粛自粛。
アンちゃんの必死さが大切。
いくら性悪オッサンが年季ある手練れだとしても、正味、初めてがそんなきもちいいとは限らんし、
頭いっぱいいっぱいのアンちゃんに無理はさせらんねぇよ、とこれは私の親心。
んでもアンちゃんを見るマルコの目がこれ以上ないくらいやさしいといい。
アンちゃんがびっくりするくらいやさしい。
オッサン自身気付いてないくらいやさしい。
なんだかもう、二人ともが、手に入れた感ハンパないんだろうなーっておもいますん。
アンちゃんは言わずもがなゼロ(むしろマイナス)からのスタートだったわけで、
全てにおいて今こうしてマルコに振り向いてもらえるどころかゾッコンにさせたのは
アンちゃん自身の手柄ですよ。
んでマルコはというと、最初拒絶した分バツが悪いみたいなところはあるだろうけども、
もう開き直るよね!
面の皮も厚くなきゃあ1番隊隊長は務まりませんぜよ。
海賊だもの。
そんなこんなな二人が合致してこういう結果に至ったわけで、
ふたりの満足感とか充足感は溢れんばかりです。
ちなみに最中は、マルコの方が困った場面に出くわしていると見た。
アンちゃんのあまりに無知さに、途方に暮れるというか(爆笑)
めいっぱい困ればいいんだザマーミロ!と思ってます私は。
アンちゃんが、「いだいいだいいだいいだいヤメロー!!」ってレスリング技掛けられた素人みたいに絶叫しても
それはそれでかわいいなぁとは思いましたが、そんに叫んだらマルコが本当にやめるかもしれないので、
それは困る(本音)
んでもそもそもマルコは多少痛いくらいじゃやめてくんないと思う。
あの、少なくとも私が書いたり考えたりする分に関しては、SだとかMだとかあんますきじゃないので、
そういうのは抜きにするとして、マルコはアンちゃんの痛がってる顔とかじっくり見たいとおもいます。
ていうか見てるとおもいます。
息ができなくて苦しいとか、痛くてツライ、とか呼吸困難一歩手前、とか全部見てるとおもいます。
そういうのが全部自分のせいだとしたら、そりゃあもう優越感ハンパないでしょう。
独占欲ってのがあるとしたら、マルコもアンちゃんも比較的強い方だと思います。
割り切った分にはざっくりしてるとはおもいますけど、基本ドロドロしてる方が私はたのs
げふん。
一方アンちゃんも、見てないようでマルコの顔はよく見てるとおもいます。
むしろマルコよりも、表情を読んでるとおもいます。
マルコが理性的に考えてるとしたら、
アンちゃんは本能で、マルコが嬉しそう怒ってる困ってるを判断してるんじゃニーかと。
あの、なんかあとがきにするといっぱい出てくるのでそれは今後小出しにするとしても、
別にあんまり深いお話ではないです(いっちゃった)
少なくともわたしは、やっと最後までできてよかってねー、って涙を浮かべる程度の観想でありました。
さてそんでは、あとはリバリバがんばりますん。
どうでもいいけどサッチはやってる最中すんげー喋るとおもいます。
間接的に性的描写がありますので、お気をつけて、スクロールでどうぞ。
あっとこぼれた声は、塞がれた唇の奥、のどのほうへと吸い込まれるように引っ込んだ。
背中を滑るシーツのなめらかな生地。
冷えたそれが肌に吸いついて、まるで水の中に浮かんでいるような、重力を伴わない心地よさを感じた。
しかし息が苦しい。
本当に水の中のようだ。
ただ実際は、物理的にアンの口がふさがれているだけなのだけれど。
逃げるように顔を背けた。
息が苦しい。
しかし執拗に追ってくるものによってまた塞がれる。
くるしい、と目を開けたところで、自分が目を閉じていたことに気付いた。
瞬間飛び込んできたのは焦点の合わないぼやけた世界だ。
じわじわと焦点を重ねはじめた目が唯一捉えたのは、眉間の皺。
すぐに合わさる唇の角度が変わって、思わず目を閉じてしまった。
手足が自由なことに気付いた。
ただし、起き上がることはできない。
頑丈そうな両腕が、アンの顔の両脇に置かれている。
大きな右手によってアンの頭の左側が支えられ、左手によって右肩が押さえつけられていた。
自由な両手を、自分の身体と、それに覆い被さる厚い胸板の間に差し挟んだ。
思い切って、押す。
ふさがっていた唇が離れた。
「こ……殺す気か!」
「まさか」
淡い薄明りの中、ぼんやりと弧を描く口元が見えた。
ひとりだけ平気な顔しやがって、と心の中で悪態をつきながら呼吸を整える。
途中でむせた。
ふと、アンの左側頭部を支えていた手が動いて、アンの頬に指の腹が触れた。
「……?」
視線を上げる。
マルコの目は、アンの目を見返してはおらず、自分の指の先を見つめていた。
感情の読みにくい細い目。
マルコの指先は、アンの頬に線を引くように、こめかみのあたりから口元までなぞった。
二本の指がさらに顎先まで到達すると、またこめかみへと戻る。
それを何度も繰り返す。
その淡々とした仕草を、アンはただ黙って受け入れた。
マルコの目がまるで書類にひたすらサインしていくときのようであれば、「なにしてんの」と声をかけることができたかもしれない。
それができなかったのは、マルコの目が、アンさえも見たことのないものだったからだ。
いつのまにあたしは、マルコの細い目の奥でちらつくほんの少しの変化を捉えることができるようになっていたんだろう。
「……マルコ?」
おそるおそる、名前を呟くと、マルコはゆっくりとアンに視線を合わせた。
そして、子供をなだめすかせるときに浮かべるような笑みを浮かべた。
思わず息を呑む。
しかし次の瞬間に煌めいた凶暴にさえ見える目の光が、またたくまに再びアンを飲み込んだ。
マルコの高い鼻先が、アンの頬骨にぶつかる。
口の中で蹂躙する舌が、逃げるアンを絡め取る。
頬に添えられていた手のひらが、アンの首筋に貼りついた。
熱い。
マルコの4本の指が首裏に回り、アンの細い首は大きな手に握られていた。
このまま、マルコが親指に力を込めれば、あっという間にアンは絞殺される。
ロギアだという逃げ道は、覇気を使うマルコには通用しない。
命が素手で握られている感触がした。
マルコはきっと今、アンの命を握る手触りを感じているに違いない。
マルコに殺されて、ここで命が終わるとしたら、あたしは赦せるだろうか。
今死んだことを。
マルコに殺されたことを。
それでいいと思った自分を。
そんなわけあるかバカヤロー、と細首を握るマルコの手首を、アンは思いっきりつかんだ。
一瞬、深く差しこまれていたマルコの舌が驚いたように身を引いたが、すぐにまた深く侵入を続けた。
マルコの口角が、少し上がっているような気がする。
マルコの手首をつかんだものの、どうすればいいのかわからない。
太くは見えないのに、アンの指が作る輪の中にマルコの手首は収まらなかった。
硬い骨の感触が、手のひらにじかにつたわる。
ふと握る力を弱めて、マルコの手首から肘へと伝う血管を手探りで探した。
あった。
筋肉の盛り上がりに沿うように、緩やかなカーブを描きながら肘へと上がる太い血管。
それを人差し指で辿りながら、マルコの腕を擦るように上っていく。
肘に到達した。
肘の曲がる部分の内側が、汗で少し湿っている。
アンがそこを指でなぞると、まるで写し鏡のようにマルコの指もアンの首をなぞった
そのまま下へと降りていき、指は鎖骨の辺りにかかる。
いつのまにか、唇が離れていた。
とても近くに、マルコの静かな目がある。
マルコの腕に触れていたアンの手が、重力に負けて少しずり落ちた。
マルコの大きな手のひらは開いたまま、アンの胸の少し上、平らな部分に落ち着いた。
マルコの手は、珍しく熱い。
こくんと小さく喉を動かしたが、その動きはマルコの手のひらにすべて余すことなく伝わっているだろう。
ぱたんと、アンの手はシーツの上に落ちた。
「まだ、死にそうかよい」
しっとりと、湿った声だった。
アンはへへっと目を細くして、笑みを作る。
「ヨユー」
「言ってくれるよい」
マルコが不敵に笑い返したと思った瞬間、鎖骨の下にあったはずの手がアンの前髪を掴み、思いっきり下へと押し付けられた。
驚きに大きく見開いたアンの視界からマルコが消え、あっと思った瞬間には喉に鮮烈な痛みが走った。
「だっ……!!」
前髪もろとも額を押さえつけられて、頭は後ろへ反り返り、喉元がさらけ出されている。
マルコはそこにかぶりついたのだ。
いたいと言っているのに、喉に触れる硬い歯の感触が遠ざかることはなく、むしろより一層深く食い込んでいく。
マズイマズイこれはマジでダメだってマルコいたいいたいいたい血ィ出るダメヤバいいたいマルコもうムリやめていたい──
「っあ」
思いがけず、高い声が鼻から抜けるように出た。
その瞬間、首筋に食い込んでいたものがすっと離れた。
同時に押さえつけられていた額の手も離れる。
しかしきっと大きく歯形を残しただろうそこは、まだじんじんと鈍い痛みを残している。
アンは無意識にそこに手をやって、マルコを睨みあげた。
「なっ……なんなの!?ものすっごい痛かった!」
「その割にはいい声出てたよい」
「ハァ!?」
なんのこと、と問いかけた矢先、再びマルコが視界から消えた。
しかし今度は前髪を押さえつけられたわけではなく、マルコの頭が下へと引っ込んだのだ。
頬と顎のあたりにマルコの髪が当たるくすぐったさを感じたのと同時に、首筋を抑えていた手の指と指の間、魚人ならば水かきがあるだろうそこを生暖かいぬるりとした感触が滑った。
アンが驚いて手を浮かせると、すかさずマルコの手がそれを掴みシーツへ縫い付ける。
そして生暖かいものは、アンの首筋に直接触れた。
それがマルコの舌だと思い当たった瞬間、歯型のある部分を舐め上げられた。
うわぁともぎゃぁともつかない、もっと甲高いような声が喉の奥からほとばしった。
聞いたこともない自分の声にドキドキする。
「マルっ」
「余裕はどこ行ったんだよい」
首筋に舌を当てたままマルコが喉を震わして笑う。
そんなこといったって、と反論にならない言葉を小さく呟いても、見えるのは天井だけだ。
湿った生暖かさが喉の一番高いところを通って、アンの口から小さな悲鳴が漏れたそのとき、腹の辺りを這い上る何かの気配に気付いて背中が粟立った。
アンの右手を抑え込むのとは逆のマルコの手が、アンの剥き出しの腹を撫でる。
ひぁ、と喉の奥がひくついた。
いつのまにか歯型をなぞっていたはずの舌先が、鎖骨の辺りまで降りている。
アンはまるで天に救いを求めるように、上へと手を伸ばした。
しかし掴んだのは、マルコのシャツの裾。
アンを追い詰めるそのものに助けてとすがるなど馬鹿げている。
そう思いながらも、マルコの舌先が谷間に流れたアンの汗を追いかけるように下へと滑っていく感覚に耐え切れず、アンは手にした布地を強く引っ張った。
カクン、とマルコの腰が数センチアンの方へと引き寄せられる。
「う……」
「どうしたよい」
「うぅ」
至近距離で問われた声に、アンは呻き声でしか答えられない。
堅く目を閉じて、ひたすら首を横に振った。
手に握りこんだシャツを離すことができない。
アンはマルコが解放した手を顔の前に持っていき、腕で顔を隠した。
もうなにもわからない。
マルコのキスや身体を撫でる手のひらが、アンの五感をすべてどこかへ持って行ってしまう。
脚の先から頭のてっぺんまでぞわぞわと細かな粒が這い登るような、慣れない感覚に戸惑って、力は入らず、変わらず息が苦しい。
腕で顔を隠していても、じっとマルコが見下ろす視線は肌に沁み込んでいるように感じられた。
不意に、アンの手首にマルコの指が触れる。
折れやすい小枝をそっと持ち上げるときのような柔らかい触れ方。
アンの腕が、マルコによって顔の前から外された。
「マル…」
「よっと、」
マルコの小さな掛け声とともに、ふわりと体が浮かんだ。
えっと声を出す暇もなく背中がシーツから離れ、思わず目の前にあった肩に手を置いた。
アンの足はマルコの腰をはさむような形で、いつのまにかアンはマルコに向かい合って、マルコの胡坐をかいた足の上にぺたんと座り込んでいた。
マルコが持ち上げてそうしたのだと気付くのに、一瞬の間があった。
「マルコ?」
マルコは笑っているようにも、怒っているようにも困っているようにも、はたまた無表情のようにも見えた。
いろんな感情が混ざると、表情はなくなるのかもしれない。
マルコの手のひらが頬に触れた。
アンの顔は、マルコの手のひらの付け根から指の先までの間に収まってしまう。
軽く見上げる形でマルコと視線を合わせると、ゆっくりと唇が重なった。
先程の、貪り食われるような勢いはなく、ゆっくりと、唇の表面を食まれる。
それがマルコの気遣いだとしたら、本当に器用な人だと思った。
アンはそろそろと腕を伸ばし、マルコの首に両腕をかける。
そのまま抱き込むように引き寄せると、マルコのほうもアンの腰に手を回して引き寄せた。
身体の表面がすべてくっついているような感じがした。
構造も違う、凹凸のあるべき場所も互いに違う、感じ方も、呼吸のリズムも、目に映る景色も重なることはない。
それでも、どこか一部でも重なっていなければ、こんなに温かい気持ちにはなれない。
その一部が目に見えるところとは限らないからわからないだけで、きっとマルコとはどこかが重なっているに違いない、とアンも柔らかい唇をはさみ返しながら思った。
触れたときと同じく、ゆっくりと離れる。
アンはマルコの胸に顔をうずめて、マルコはアンの頭を胸に抱きこんで、離れたら二度と手に入らないものに執着するように、互いが互いを引き寄せて抱き合った。
厳粛な儀式のように、静かで、声もなく、当たり前に波の音だけが聞こえた。
マルコの肌はアンのそれに良くなじみ、ぴたりと吸いつく。
皮膚の向こう、張り巡らされた細い血管のその先、硬い骨といくつもの臓器に守られてマルコの心臓が動く。
鼓動は血を震わせて、鼓膜を通り抜け、アンの体内を駆け巡る血に溶けあってアンの心臓へと届いた。
シャツが邪魔だ。
アンの手がマルコの腰から、シャツを捲り上げるように背中側に滑り込むのと、マルコの手がアンのホルターネックの頼りない紐に手をかけたのは、ほぼ同時だった。
*
どん、と突き上げるように大きく船が揺れた。
いつのまにかシーツの波へと逆戻りしていたアンはその衝撃を背中に受け、マルコはベッドに片肘をついて体を支えた。
逆の手はアンを抱き込んでいる。
「……なんだろ」
「さぁ、寝ぼけた海王類でもぶつかったんじゃねェか」
「1・2番隊出動、とか言われないよね」
「見張りが何も言わねぇんだ、大丈夫だろい」
それでもアンは耳を澄ますように、窓の外の深い闇に神経を尖らせた。
マルコがよそ見をするなと言わんばかりにアンの太腿の裏を撫でたので、アンの集中はすぐに途切れたのだが。
吐き出す息が熱い。
首筋にかかるマルコの息が熱い。
体中を這い回るマルコの手も熱い。
自分の頬も熱かった。
ずっと、涙の薄い膜が張っているように視界がぼやけている。
ごしごしと目の辺りをこすっても、視界ははっきりしなかった。
マルコの顔がよく見えない。
不意に、腰が持ち上がった。
なんだろ、と問うようにマルコを見ると、霞んだ視界の中でマルコが困ったように眉を下げて少し笑うのが見えた。
なんとなくただならない空気を感じて、アンはごくりと生唾を飲む。
汗に濡れて、海藻のようにうねって頬にかかったアンの髪を、マルコが耳の後ろまで掻き上げてくれた。
同時に頭を撫でるように手が動き、心地よさに目を細めると、マルコは黙って頭を撫で続けてくれた。
自分が猫ならゴロゴロと喉が鳴っているに違いない。
アン、と半分掠れたような声が呼びかける。
マルコの指がアンの目元をぬぐうと、霞んでいた視界が晴れた。
「アン」
マルコが言葉を探しているように見えたので、アンはその顔をじっと見上げて待った。
しかし言葉は見つからなかったのか、必要ないと見限られたのか、マルコは開きかけていた口を閉ざした。
マルコはまずアンの左手を掴み、自身の背中に回させる。
反対の腕も同じようにした。
アンはされるがまま、わけもわからずマルコの背中に両腕を回してすがりつくようになっている。
軽いキスが降ってきて、唇が離れたと思った瞬間、突き上げられた衝撃に体がずり上がり、喉からは音にならない悲鳴が溢れた。
必死で、溺れたときにそうするように、マルコの背中にしがみつく。
しかし手が引っ掛かるところがなくて、考える余裕もなく爪を立てた。
下腹部の、想像も絶する場所の痛みに声も出ず呼吸が難しい。
裂ける裂ける、どこかわかんないけどどっか裂ける、と言葉より先に自身のピンチを知らせる声が脳内に響き渡る。
口を開けてもうまく空気が入ってこないので、逆に強く歯を食いしばってみた。
きゅぅ、と意味のない音が漏れる。
「アン」
遠くから、名前を呼ばれた気がした。
「おい、アン」
遠くない。ものすごい近くだ。
強く瞑っていた目を開けると、今度こそ本物の涙の膜によって遮られながらも、マルコの顔が見えた。
「大丈夫かよい」
必死で首を振る。横に。
意地を張る義理も余裕もない。
マルコは困った顔で、アンの目じりに浮かぶ水滴を、額に乗った汗の玉を拭ってくれた。
「ど……どうなってんの、今」
「入ってる」
端的に帰ってきた答えの意味を理解するのに、数秒要した。
理解したものの、だからと言って返す言葉もない。
金魚よろしくぱくぱくと口を開いたり閉じたりしていると、また名前を呼ばれた。
「もう、やめてもいいけどよい」
「や……やめたらどうなんの」
マルコは一瞬考えるように視線を彷徨わせたが、
「別に、どうにも」
と答えた。
「でも……今、やめたら、さ」
「ん?」
「もう二度とできない気がする」
アンは、自分としては必死の形相のはずなのだが、何故かマルコは一拍きょとんとして、そしてくつくつと笑いだした。
「あァ、そうかい」
「た、達成感ないっていうか……」
マルコはひとしきり笑っていたかと思うと、不意に身じろぎしたので、アンの下腹部にまた鋭い痛みが走った。
ひっ、と思わず声を漏らしてマルコの肩に掴まる。
これからやってくる痛みを、本能に近い部分が察知して、アンに歯を食いしばれと指令を出す。
しかし予知した痛みより先にやって来たのは表面に触れるだけのようなキスで、そちらに意識を引っ張られた瞬間また衝撃がやって来た。
*
マルコの背中を濡らす汗が、アンの手が引っ掛かるのを邪魔するようで憎々しい。
痛みを噛みしめていた口元は、いつの間にか浅い呼吸を繰り返す場所へと変わっていた。
律動が、アンの呼吸と、鼓動と、すべてのリズムを刻むものとリンクする。
その一定の音の狭間で、時折聞こえる苦しげな声がマルコのものだと気付いたときは驚いた。
まるで意思とは別のところから出ているようなその声は、アンの知らないものだった。
もしかしたらマルコ自身、知らないものかもしれない。
突然、マルコがアンの肩を片手で抱き込み持ち上げた。
そして、締め殺されるかという勢いできつく抱きしめられる。
下腹部を貫いていた存在が、音を立ててアンの中から消えた。
終わりを伝えるような深い吐息が耳元に落ちてきて、なぜだか、止まっていた涙が滑り落ちた。
しばらくの間、マルコはアンの肩に額を当てて息を整えていた。
アンも、マルコの背中に回していた手をぱたりとシーツの上に落として力を抜いた。
太腿の間がぬるぬるする。
「マ、マルコ」
マルコは重たそうに、頭を持ち上げた。
虚ろともいえる目が、ゆっくりとアンに焦点を合わせる。
大丈夫か、と問われた気がして、黙って頷くとマルコの目元が少し緩んだ。
「……マルコは?」
「あァ」
大丈夫だと伝えるように、軽く唇が重なった。
その一瞬前、ごめんなと聞こえた気がして、アンはマルコを見上げた。
目で問うアンとわざと視線を合わさないように、マルコはアンの頬にも唇を落とす。
風呂入るかよい、とかすれた声が呟いた。
「うん、汗と……なんかべたべたする」
シーツもそれらにまみれているだろうから、洗わなければいけない。
しかし身体は、いっこうに起き上がって風呂場に向かったりはしなかった。
マルコも起き上がる気配はない。
たとえ汗まみれで不快だとしても、もう少しこのままここにいたかった。
マルコはアンの隣に、ごろんと倒れ込むように横になった。
しかし抱き込んだアンを離すことはない。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
マルコの手を振り払ったことも、顔を背けたことも、声を荒げて拒絶したことも全部覚えている。
同時に、ひたすら追いかけ続けたことも、厭われてもめげなかったことも、好きだと叫んだことも全部本当のことだ。
頭を反らせてマルコの顔を覗き込むと、マルコが気付いて腕の中のアンを見下ろした。
特にいうことも思いつかなかったので、曖昧に笑ってみた。
マルコは、片眉を上げて応えたが、同時に緩く笑い返した。
この顔だ。
あたしだけのマルコ。
マルコだけのあたしは、きっと同じ顔で笑っているに違いない。
誰かをいつくしむ顔。
いとしいと思うこと。
アン、とマルコが首を縮めるようにして耳元に唇を寄せてきた。
何かが囁き声で呟かれたが、掠れたマルコの声では聞き取れなかった。
もう一度、というつもりで曖昧に笑うと、マルコは静かに口角を上げるだけで、もうなにも言わなかった。
| 10 | 2025/11 | 12 |
| S | M | T | W | T | F | S |
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麦わら一味では基本オールキャラかつサンナミ贔屓。
白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。
@kmtn_05 からのツイート
我が家は同人サイト様かつ検索避け済みサイト様のみリンクフリーとなっております。
一声いただければ喜んで遊びに行きます。
足りん
URL;http;//legend.en-grey.com/
管理人:こまつな
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