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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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カリカチュアの朝1/2/昼1/






この店に寄ると言うと、彼は外で待っていると言った。口ごもって彼を見つめると、不躾とも言える目で「なんだ」と尋ねてくる。
先に行っててもいいわよ、という一言を言い淀んで、結局言わずに店に入った。
小さな生活用品店。背の高い棚には細々と石鹸や歯磨き粉やその他もろもろの必需品が並び、目移りする間もなく私は必要なものをどんどん袋に放り込んだ。
ゾロが待っている、と思うと急ぐ気持ちもあり、私を待つゾロ、というのに心躍るような気持ちもある。
ガラス戸越しに出口の方を見てみると、彼は腕を組んで壁にもたれ大あくびをしたところだった。

折れてしまった櫛の代用品を探して店内を行ったり来たりしながら、あのまま先に行っててもいいと言っていたら彼はどうしただろうと考える。
棚の上を目は滑るだけで、私はずっとそんなことを考えている。
もし彼が本当に行ってしまったら、私は一度店に入るも買い物もそこそこに慌てて彼を追いかけるだろう。だって彼が一人で船に帰れるだなんて私は微塵も信じていない。
とはいえこうして彼を待たせて一人買い物をするというのはとびきり新鮮で、というか慣れなくて、そわそわと落ち着かなかった。
誰かが待っているということに私はまだ慣れていないのだと気付く。
それがゾロであれ、誰であれ。
結局どちらだって同じことだと思う。
私はいつだって落ち着いているふりをして落ち着きがなく、困ったように辺りを見渡してなんとなく周囲に同調する術ばかり上手くなった。

「あ」

手元が狂い、手に取ろうとした木櫛を取りこぼした。
カツンと細い音が鳴り、硬い床を櫛が滑った。
いけない、と下に手を伸ばしたら、向かいから同じように武骨な手が伸びてきて私よりも早くそれを拾った。

「ん」
「ありがとう。退屈した?」
「あぁ」

思ったことを思った通り口にして、彼は真顔で「飽きた」と同じ意味のことを言った。
「貸せ」と彼が手を差し出すので一体何のことかと思えば、私の答えも聞かずに彼は商品の放り込まれた袋を私の手から奪い取った。

「まだ買うのかよ」
「あ、えぇ、あと歯ブラシの予備と、オイルと、ナミに頼まれたリムーバーも探さないと」

ふうん、と彼は子供のようにつぶやいて、私の袋を持ったまま陳列棚の間をすたすたと歩き始めた。
なんとなく後を追う。

「おれも歯ブラシ買いてェ」
「なら一緒に買うから、そこにいれるといいわ」
「どこだ」

こっち、とケア用品の方を指差すが、彼は頷いたくせにすぐ次の角を曲がろうとした。
どういうことなの、と笑いそうになりながら「ちがうわゾロ」とその腕を取る。
腕を引かれて彼は大人しく踵を返した。
大きさの違う歯ブラシを二本袋に入れる。
なんでもないその行為にちらりとなにかしらの意味がよぎって、妙に緊張した。

買う予定の他の品を私が物色し始めると、ゾロは退屈しのぎなのか私のあとをつけてきた。
身体を洗うスポンジを指差して「これはウソップが使ってる」だとか、たくさん並ぶ男性用の整髪料に対して「胸糞悪いにおいがする」だとか(彼はきっとサンジのことを思い出していた)好き勝手コメントするゾロに、私は「えぇ」だとか「そう」だとか答える。
楽しいのかしら、と言う考えが不意に降りてきて、気付いたら「楽しいのかしら」と口に出していた。

「あ?」
「楽しい?」

振り向いてそう尋ねると、ゾロは不可解そうに一瞬眉をすがめて、「いや」と口にする。

「別に」

「なんだ、そうなの」とその答えに肩を落として、私はまた前を向いた。

「楽しくもねぇけど、つまらなくもねェ」
「回りくどい言い方をするのね」
「大人だからな」

驚いて彼をもう一度振り返る。大人だなんて、彼の口から飛び出すとは思わなかった。
彼は何故か顔をしかめて、「言っとくけどな」と妙にハリのある声で言う。

「おめーはいつもおれをガキ扱いしすぎだ」

かつん、とつま先が棚にぶつかる。
陳列棚のよくわからないチューブ状のものがひとつ、ぱたりと横に倒れた。
それをもとに戻しながら、「そんなつもりじゃなかったけれど」と口答えするように私は呟く。

「いや、してる。ガキを見るみてェな目をしやがる」
「気を付けるわ」
「ほれ、それだその顔」

イッと歯を向いて彼が私の顔を指差す。
目を丸めて突きつけられた指先を見下ろすと、彼はフンと息をついて指を下ろした。

「たまには気の抜けた顔の一つでもしてみやがれ」
「そんなまた、難しいこと」

顔の向きを戻して陳列棚を見上げると、一番上に目当てのオイルが並べてあった。

「ゾロ。あれ」
「あ?」
「取って」

ゾロは悩む間もなく手を伸ばしてひょいとそれを取った。
ありがとう、と受け取る。

「頼ってみたけどどうかしら」
「おう、悪くねェな」

偉そうなゾロの口調にふふっと笑み零れた。
案外簡単ね、と口にするとまた大人ぶんなと怒られそうで、私は黙ってオイルをゾロの提げる袋の中に放り込んだ。

ナミのおつかいも無事すませ、会計を終えて外に出るとあんなにも晴れていた空に薄く雲が伸びていた。
日差しがやわらいで、景色の角が取れてほんのりと全体的に丸くなる。
風が吹くと温まった石畳から細かい砂が舞い、足元をさらさらと流れていった。

「買いもんは終わりか」
「えぇ、あとはクリーニングを回収して任務完了」
「わざわざ店で洗うったぁ珍しいな」
「ナミと私の服と、女部屋のカーテンよ。カーテンは珈琲をこぼしてしまったの」

彼が迷わず店を出て右に歩き出したので、私も後に続いた。
クリーニング屋はおそらく左なのだけど、もう何度目かになるかわからない言葉を飲みこんで、ゾロの短く尖った襟足を見つめて追いかける。
「疲れた?」と訊いてみるが、思った通り「まさか」と返ってきた。
よどみない足取りで彼はどこかにあるはずのクリーニング屋へずんずん進んで行く。
地図も何も確認しないのに、背中からは自信が溢れている。

こうしてぐるぐるとあてどなく街を歩いていれば、少しでも最短距離から正反対の時間をかけて歩くことができる。
私は自分がこんなにも意地悪いずるができるだなんて、今の今まで知らなかった。
彼の片手に買い物の荷物を持たせて、空いている方の手を私に貸して欲しいだなんて図々しいことまで考える。
望みはどこまでも果てがなく、欲しいと言えばもしかしたら手に入るのかもしれないけれど、私にはまだ少し遠かった。


拍手[16回]

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猫一匹分くらいの大きさの海老をその姿のまま真っ赤に焼き上げたものが三つ、大皿にどんと乗って運ばれてきた。
私たちは料理が来るまでにすでに一本瓶を空けてしまい、海老を届けに来たウェイターに新たな一本を注文する。
ゾロは両手で海老をばりっと折って、見事に詰まったその身をがぶりと頬張った。
私は手で殻をむき、フォークで身を口に運ぶ。
弾力のある身が口の中で弾けて、海の塩気が効いている。
お酒がすすんだ。
「ウメェな」とゾロがぽつりと言う。

「本当ね。立派な海老のわりには値段も安いし」
「もう一個頼むぞ」

ゾロがウェイターを呼び止め、別の海老料理を注文する。

「この辺りでよく獲れるみたいね」
「てこたぁコックが大量に仕入れて来るな。違うもん食っときゃよかった」
「本場で食べるのもいいじゃない」

丸いテーブルの白いクロスに、朱色の殻が積まれていく。
ある程度殻が溜まると、いつのまにか店員が殻をさっと掃いて集めて持って行ってくれた。
新しいボトルが届き、ゾロのグラスに注ぐ。
悪ィな、と言ってゾロはそれをぐいと飲んだ。

「あと用は何が残ってんだったか」
「あとはクリーニングを回収するだけ。少し私も買い物をしていきたいんだけど」
「服か」
「いえ、石鹸とか、そういうの」

ゾロが少しほっとした顔をしたように見えて、一体今までナミの買い物にどれだけ苦しめられてきたのか目に見えるようだった。

「あとそう、靴を買うわ」
「あぁ」

店の人に頼んで、私の右足首には氷が巻かれていた。
おかげで感覚はないが、痛みも随分楽になった。

食事が終わるころ、オープンテラスで食事をする私たちの前を行き交うにぎわいの中に見慣れた姿を見かけた。
彼の方もきっとにおいで私たちに気付いていて、探しているようだった。

「チョッパー、ここよ」

声をかけて手を振ってやると、四つ足の彼はぱっと顔を華やがせてこちらへ駆けて来た。その背にはハーネスのように紐が結んであり、大きな台車をごろごろと引いていた。白菜やら小麦粉やら、食料がたくさん乗っている。

「お疲れさま。サンジのお手伝いしてたの?」
「そうだ! サンジはまだ買うものがあるから、これ持って先船帰ってろって」
「そう、偉いわね」

チョッパーははにかむように青い鼻先を細かに動かした。

「お前らメシ食ってたのか、いいなあ」
「あなたも食べてく?」
「んーでもおれ、サンジに船で食べるって言っちゃった」
「そう」

ふとチョッパーの鼻先が下を向き、私の足元に目を止めた。途端に顔色を変え、私の名前を叫ぶ。

「怪我してるじゃないか! 見せてみろ」

いつもの小さな姿になり、台車を引く紐をもがくように取り払うとチョッパーは人目も気にせずテーブルの下に潜り込んで私の足を手に取った。

「冷やしてたのか、でもまだ腫れてるし熱も持ってるな」
「ヒールが折れてしまったの」
「待ってろ、すぐに固定してテーピングするから」

台車の隅に乗せていた青いリュックを引っ掴むと、彼は白い小瓶に入ったクリームを幹部に塗り、それから白い包帯を手際よく私の足首に巻き始めた。
真剣な彼の目に私まで見入ってしまう。
ものの数分で「できたぞ」とチョッパーは私の足首を離した。
幹部から下はまったく動かないように固定され、でも驚くほど痛みがない。
クリームを塗られたところがひやひやとしている。

「すごいわ、全然痛くない」
「固定してるから今は痛くないだけで、あんまり歩いちゃだめだ。そうだ、乗せてってやるから一緒に帰るか?」

あ、と声には出さなかったが、口ごもってしまった。
ゾロは酒瓶を逆さに煽って、最後の数滴まで飲み干した。

「まだ買いたいものがあるの。ありがたいけど、もう少しぶらついてから帰るわ」
「そうか、無理すんなよ」
「おうチョッパー、これ乗っけてってくれ」

ゾロがバゲットの袋をチョッパーの台車に乗せる。おう、とチョッパーも快く返事をする。

「じゃあおれ行くな。サンジも戻ってくるかもしれねぇし、そしたら昼飯くいっぱぐれちまう」

トナカイ型になった彼に背に台車の紐をかけてあげる。
「ありがとうね」と背中をひとつ叩いてやると、張り切った様子で彼はまたゴロゴロと台車を引いて、船のある方へと歩いて行った。
ゾロがひとつ伸びをして、「おれたちも行くか」と腰を上げた。

「歩けるか」
「えぇ」

そろそろと立ち上がるとき、つい物欲しげな目で彼の方を見てしまった。
なんだというように彼が口先を尖らせる。

「いえ、手を貸してくれる?」
「あぁ」

気付いた彼が手を差し伸べて、その手を取って立ち上がる。
足の痛みは不思議なくらい引いていたので、不安定な靴に右足を置いても歩いて行けそうだった。

「残念」
「あ?」
「もう少し運んでもらえるかと思って」

チョッパーには悪いけど、と少しきまり悪い思いをしながらそう言うと、ゾロは一拍きょとんとした後唐突に吹き出して笑った。

「お前さっきは「荷物になって」とか殊勝なこと言ってたくせに」
「だって、でもさっきは本当に悪いと思っていたのよ」

ゾロは笑いの残る顔を手で拭って、「乗せて行ってやろうか」と言った。

「もう結構よ。いじわるね」
「おま、勝手な言い分だな……」

ゾロは私の手を引いて、いつもより狭い歩幅で歩き始めた。

「まずは靴屋だな、もっと歩きやすい靴買え」
「そうね、そうするわ」

いつでも走り出せるように。

「今敵襲があったら、私真っ先にやられてしまうわね」
「どの口が。大人しくやられるようなタマじゃねェだろ」
「でも速く走れないんじゃもしものとき危ないじゃない」
「今はいいだろ、おれがいんだから」
「背負って逃げてくれるの?」

ゾロは私の顔を見もせずハンと鼻を鳴らした。

「だれが逃げるか。お前背負って戦ってやるよ」
「危ないわ。私が」

ゾロが呆れた顔で私を振り返るので、「だってあなた刀を振り回すじゃない」と思ったことを口にする。
ゾロは少し考えて口を開き、「んじゃあせいぜいおれの背中で小さくなってろ」と投げやりに言った。
きっと彼は本当に言葉の通り、私を背負ったままでも戦ってしまうのだろうなと思った。
彼の邪魔をしないよう首を縮めて、必死で背中にしがみつく自分を想像したら少し笑ってしまって、「にやにやすんな」と叱られた。

素朴で手作り感のあふれる靴屋を見つけ、歩きやすそうで平らなスニーカーを買った。
左足だけ履いて、右足の靴は袋に入れてもらう。
踵が下がって重心が安定し、やっと一息付けた心地がした。
「おまたせ」と言って店を出ると、さっきの私のように今度はゾロが足元に猫をまとわりつかせていた。

「猫の多い街ね」
「踏んじまう。おらどけ」

猫は何故かゾロの足首に爪を立て、その足を上へ登ろうとする。
いってェ! とゾロが大きな声を出してもおかまいなしに猫はがりがりと爪を立てた。

「クソ、なんだこいつ」
「随分懐かれてるわね」

とうとうゾロは猫の首根っこを掴んで持ち上げた。
なーとかにーとか、低めの声で猫が不満げに鳴く。

「ったく、あっちいってろ」

ゾロは無造作にぽいと猫を店先の草むらに放った。
軽い放物線を描いて、猫はすたっと四つ足で地面に着地する。
そのままゾロのことなんて忘れたように、店の壁沿いに路地を曲がって行ってしまった。
私たちはなぜかしばらく、その姿を見送った。
気ままに歩いていく後ろ姿がどことなく愛しく思えたのかもしれない。
私の方が先に視線を外してゾロの顔を窺うと、彼も気付いてこちらに視線を寄越した。
思い出したように「行くぞ」と言って彼は歩き出す。
その目になにか懐かしいような気持ちを感じて、でもその懐かしさの正体もわからないまま、彼のあとに続いて私も歩き出した。

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ゾロが走ると大きな紙袋の中身ががっさがっさと音を立てた。せっかくのパンが、と思う間もなくゾロは一目散に走って行くので、私も遅れないよう後を追う。
走り抜ける私たちを驚いた表情で見送る人々の顔が目について、目立ちすぎていると思った。

「ゾロ、こっち」

あっという間に見えなくなってしまいそうなゾロの襟を、肩に咲かせた手で引っ張る。気付いたゾロが振り返り、私が細い道に折れると踵を返して後をついてきた。
日向で伸びる猫を踏まないように狭い小路の角を曲がり、後ろを振り返ってゾロがいるかを確認した。
ゾロも後ろを振り返り、追っ手がいないか確認している。

「まいたみたいね」
「クソ、あいつ殺してやる」

肩で息をして、私たちは壁に背中を預けて呼吸を整えた。

「ナミに怒られちゃう」
「怒られんのはルフィだけだ、あのバカ」

騒ぎを起こさないこと、と言うのは私たちが毎度船を下りるたびに互いに約束し合う事柄で、守れることもあればそうでないときもあって、事実そうでないときの方が多かったりするのだけど、とにかく私たちは騒ぎを起こしてはいけなかった。
ところが呑気に街歩きをしていた私たちの方へ、わあわあと騒々しいやりとりが向かってくる。
その中心にはルフィがいて、どうやらお小遣いを使い果たして食い逃げを強行したらしかった。
ルフィだわ、と言った私にゾロがあのバカ、と短く言う。
やがて騒々しさはどんどん近づいてきて、いつもの赤いシャツを着た少年の姿が見えてきた。彼の後ろには、きちんと怒り狂った店の主人もいる。
まずい、と思うのも束の間、ルフィはやっぱり私たちを目に留めて、大きな声で「おーいゾロー! ロビーン! きぐうだな!」とぶんぶん手を振ったのだった。
果たして私たちまで一緒に追いかけられる羽目になり、三人並んで走りながらルフィはしししっと歯をならして笑うとあっという間に家々の屋根に飛びあがった。
「あとでな!」とまるでなんでもないように私たちに手を振って、彼の姿は見えなくなった。
追われるのは悪党の仲間二人、つまり私たちである。
彼の代わりにお金を払ったところで店主の怒りが収まるとは思えないし、出航はもう明日に迫っているのだから巻いてしまった方が簡単だ。
私たちは走って走って、ようやくルフィの巻き起こした喧騒から逃れることができたのだった。

呼吸が整ってくると、ゾロはまた「あの野郎許さん」と悪態づいた。

「どのあたりまで来てしまったのかしら」
「せっかく大通りまで戻ったっつーのに」
「音楽ももう聞こえないわね」

陽気な祭りの音楽は、いつの間にか耳に届かなくなっていた。
時刻はまだ昼の12時を少し回ったところで、お祭りの終焉には随分早い。街のはずれまで来てしまったようだ。

「ねぇ、あなたが用のある武器屋さんは確か街のはずれだったわよね。近かったりしないかしら」
「あぁ? あぁ、そういや見覚えのある景色なような」

ゾロはぐるりと辺りを見渡して、一つ首をひねってから唐突に歩き出した。
この町の家はどれも背が高く同じ色の石の壁でできていて、青や緑やオレンジの屋根も似通っているしどこの玄関口にもお祭りの花が飾ってあるので彼が言う見覚えのある景色と言うのはどうも信憑性が低いと思ったが、何も言わずに彼のあとに続く。
街の中心は家と家の間隔がほぼなく、ぴったりと寄り添うようにくっついて建っていたがこのあたりは広く間隔が取られ、小庭もあったりして風通しが良かった。
民家の花壇に咲いた花々に目を落としながら歩いていく。

不意にかくんと足首が曲がり、膝が折れた。
「あっ」と思わず声をあげると、咄嗟にゾロが私の腕を掴んでくれたので転ばずに済んだ。

「なんだ」
「靴が」

右足のヒールが折れていた。言わずもがな、石畳をガツガツと走ったからだ。
「折れてるな」とゾロが見ての通りのことを言う。

「残念。お気に入りだったのに」
「もう履けねぇのか」
「だってほら、こんなにもぽっきり」
「左側も折っちまえば高さ揃うじゃねェか」
「そういうわけには」

薄いグリーンのエナメル靴はヒールが高い割に歩きやすくて、久しぶりの栄えた港町での散策に履けるのを楽しみにしていたのに。
今日の服を選ぶように、口紅の色を選ぶように、この靴も面映ゆい心地で選んだのに。
でも仕方がない。私たちは突然なにかから逃げるために走ることだってあるのだ。

「いいわ、大丈夫。行きましょう」

立ち上がると、ゾロは頭を掻きながら「めんどくせー靴が好きなんだな」と不可解そうに言った。
「そうなの」と答えるしかない。

左右の高さが違う靴では歩きにくく、ヒールが折れたときにひねった右足首が少し痛んだが、歩けないほどでもなかったので気にしないことにした。
幸い少し歩いたところで古びた木の看板を提げた武器屋を見つけ、ゾロが捜していた店はここかと問うとそうだと言う。

「悪ィな、ちょっと待ってろ」
「それ持ってるわ」

ゾロからバゲットの袋を受け取り、店の壁にもたれた。
ゾロは扉を押して中に入って行く。
ひねった右足首がほんのりと熱く、耳を澄ますとじーんと音が聞こえるようだった。
店の向かいに家はなく、空き地のようになっていた。
木材が乱雑に積まれ、地面には雑草が伸びている。空き地の手前には立ち入り禁止の文字。

不意に足首を掠める感触に驚いて目を落とすと、白い子猫が私の足元にまとわりついている。じゃれるように脚の間を八の字で歩いて、なーと鳴いた。
動物にはあまり好かれる方ではないので物珍しく、同時にうれしくなる。
しゃがみこんでおそるおそる猫の額を撫でると、心地よさそうに目を細めた。
空き地の方からときおり猫の鳴き声が聞こえる。どうやら野良猫の集会所になっているようだ。
子猫は私が抱えるバゲットの紙袋を興味深そうに鼻先でつつき、なーとまた鳴いた。

「ほしいの?」

思わず話しかけてしまう。

「困ったわね、きちんと6本買わないとサンジに怒られてしまうの」

実際サンジは私に怒ったりしないが、足らないと怒る人がいるのは確実だ。

「もう今日はバゲットを焼かないと言っていたし」

三つ目のクロワッサンを残しておけばよかった、と少し後悔する。

「そもそもあなた、パンを食べるのかしら」

首をかしげると、猫も真似をするように小首をかしげて見せた。

「なにぶつぶつ言ってんだ」

不意に背後から声を掛けられ、後ろを振り仰ぐとゾロが怪訝そうに私を覗き込んでいる。

「用は終わったの」
「あぁ、待たせた。なんだ猫か」
「小さいの。あそこにたくさんいるみたい」

空き地を指差すとゾロもそちらに目を遣って、たいして興味もなさそうにふんと息を吐いた。
子猫はふいに私の足元から離れ、私が指さした空き地のほうへ不確かな足取りで歩いていく。と、空き地に積んである材木の影から小さな白や茶色の毛玉がぽろんぽろんと二匹現れた。

「あ」

兄弟がいたのね、と呟く。どこかに親もいるのかもしれない。
猫たちは身体を互いにこすりあわせて、高い声で何度も鳴いた。

「行くぞ」
「えぇ」

脚を痛めていることを忘れ、普通に体重を乗せて立ち上がってしまった。
ぴし、と氷に亀裂が入るのに似た刺激が走る。
微かに顔をしかめて一歩出遅れた私に、ゾロが気付いて振り返った。

「んだ、痛ェのか」
「少し。でも平気よ、ほらあんまり腫れてない」

右足を軽く振ってみせて平気だと示したが、ゾロは阿呆くさいとでも言いたげな顔で息をついて「強がんな」と言った。

「その袋貸せ」

バゲッドの袋を鷲掴んで私から奪うと、ゾロは私に背を向けてしゃがみこんだ。

「ん」
「え、やだ平気よ」
「いいから乗れ。乗せてった方が早ェ」

広い背中がかたくなにしゃがみ込んだまま動こうとしないので、おずおずと歩み寄る。
そっと肩に手を置くと温かく、その温度に引き寄せられるように身体を乗せた。
私が覆いかぶさると、ゾロはたいして踏ん張るそぶりもなくすっくと立ち上がり、右手ひとつで私を支え、左手にバゲットの袋を持って唐突にずんずんと歩き出した。

「ごめんなさい、ゾロ」
「何謝ってんだ」
「荷物を増やしてしまって」
「じゃあこれ持てるか」

がさりとバゲットの袋を鳴らす。
少し考えて、ゾロの脇腹の辺りに手を二本生やして袋を受け取った。
ゾロは開いた左手を後ろに回し、両手で私を支えてくれる。そして納得したようにひとつ頷いた。

「この方が安定する」

ゾロは来た道を引き返しているようだった。珍しく、私が何を言うでもなく正しい道を辿っている。
帰巣本能、と言う言葉が思い浮かんで少し頬が緩んだ。
ゾロの背中はしっとりと暖かく、シャツはまだ真新しい匂いがした。彼はおろしたての新品を着てきたのかもしれない。私がそうであるように。
後ろの首筋に頬を付けて、リズミカルに揺れる振動に耳を澄ます。
浅い彼の呼吸が心地よく、ひどく安心した。

「腹ァ減ったな」
「そういえばお昼がまだね」
「なんか食ってくか」
「そうね、大通りの方へ戻りましょうか」
「どっちだ」

丁度よい頃合に、道に大通りの方向を示す看板が出ていたのでそれを指差し「こっちみたい」と伝える。
ゾロは従順にもそちらに足を向けた。

「なにが食べたい?」
「酒があればなんでもいい」
「もう飲むの?」
「祭りなんだろ、今日は」
「あなた祭りじゃなくても飲むじゃない」

うるせぇな、と彼は言ったがたいしてうるさそうには聞こえなかった。
この町はなにが美味しいのだろうと考えていたら、ゾロがぽつりと「おれの村は」と口にした。

「ちょうどこんくらいの季節に祭りがあった。昼間はガキの剣道大会があって、それが終わるとどっかから神輿が出てきて、夕方から夜にかけて神輿を引いた。大人は神輿が出てきた頃からその辺で酒を呑み始めて、夜までずっと騒いでた」

ゾロはまっすぐ前を向いて、思い出すというより、目の前でそのお祭りを見ていてそれを私に説明するみたいな口調で話した。
そう、と答える。

「あなたも剣道大会に出たの?」
「あぁ。隣村からいくつか道場が参加してたが、おれの村のが一番強かった」
「その中でもあなたが一番?」
「あたりめぇだ」

ふん、と彼が鼻息荒く言い切るのでくすくす笑った。しかしゾロは笑い返すこともなく、まっすぐ前を向いている。
そっと後ろからうかがうように彼の顔を覗き込む。
まっすぐに引き結んだ口の端しか見えなかったけれど、私の知らない顔をしているのだと思った。
ときどき彼はこんな顔をする。
私にはわからない何かを考え、思い、また自分の中にしまい込む。
いつもそれがなにか教えてくれることはないのだけど、それは仕方のないことだと私はそっと納得する。
だって全部を分かり合えるはずなんてないし、彼の知らない私だってきっと存在するのだから。

「一人、絶対勝てない奴がいて」

子どもが負われる私を不思議そうに見上げながら足元を走り去った。
道は下り坂になり、伝わる振動が大きくなる。

「毎年勝ちたくて勝ちたくて仕方なかった」

そうなの、と答える。
あぁ、と彼も言う。
それでいつから一番になれたの。
なぜだかそんな単純な質問ができなくて、私は目を閉じた。
辺りがにぎやかになり始め、すれ違う人の気配も増えてくる。
彼の首筋に頬を付ける。
当たり前に一番にはなれなかった彼の心をとても近くに感じた。

拍手[15回]

背丈より少し低い姿見は、船の揺れをものともせずに静かに部屋の隅にいて、せわしなく部屋を行き交う私をじっと眺めていた。
化粧箱の中で一番鮮やかな口紅をそっと唇に乗せるとき、曇りひとつない綺麗なガラスに気恥ずかしさすら感じて目を逸らす。
それからゆっくりと色を引いた。
──少し赤すぎた気がする。
慌てて手元のティッシュを引き抜き唇を押さえるも、やっぱりと思ってまた同じ色を引いた。
扉の外から「おい、まだか」と不機嫌一歩手前の低い声が聞こえてくる。

「今行くわ」
「あいつら先行っちまったぞ」
「そう」

目を閉じる。ずるをして申し訳なく思う気持ちが胸の片隅にありながら、たいして躊躇せずに扉の外側に目を咲かせた。
ゾロは落ち着かない手つきで刀の鞘を何度も撫でるように触って、腰への据わりを確かめていた。
紺と白のストライプシャツに、薄いベージュのハーフパンツ。
胸元はいつものようにはだけていて、痛々しい縫い痕がよく見える。

今行くわ。
口の中で反芻して、なんだかとても素敵な響きだった、と心躍る気持ちで口紅をポーチへ滑り落とした。




港町はとてもにぎやかで、陽気なマンドリンの音色が至る所からぽろんぽろんと聞こえてきた。ヒールの靴音がとても軽やかに石畳を叩き、大きく手を振って歩いてみたい気持ちになる。
ゾロは変わらず私の隣を少し開けて、どっしどっしと力強く地面を踏みしめて歩いた。
行き交う人たちは華やかな装束で、道沿いに軒を並べた店はどこも入口にオレンジ色の可愛い花々を飾っていた。

「素敵。お祭りなのかしら」
「そういやナミがんなこと言ってたな」
「なんのお祭り?」
「そこまで聞いてねェ」

街は緩やかな坂道が続き、その道が街の目抜き通りになっているようだった。
一歩横道にそれると洗濯物のはためく住宅街が広がり、裏口と思われる小さな扉の前で子供が猫と遊んでいたりした。
日陰では深く帽子をかぶった男が石の塀にもたれてやっぱりマンドリンを抱いていて、ぽろぽろと音を奏でては思い出したように異国の歌を歌っている。
私はパンツのポケットから小さな紙きれを取り出して、そこに書いてある用件をひとつずつ復習した。
パン屋で夕飯のバゲットを6本。昨日出したクリーニングを回収。ゾロの武器屋に付き合ってから、少し自分の消耗品を買い足して完了。
船のために必要な要件は先の二つだから、ああでも荷物が増えると鬱陶しい。パン屋は先に寄って焼き上がりの時間を確認してから考えよう。クリーニングはかさばるから最後に。

「まずは武器屋ね。刀を預けるの?」
「いや、自分で磨くからその道具を買う」

ふとゾロが足を止めた。

「クリーニングこっちじゃなかったか」

どう見ても家と家の間で人の住まいしか見当たらないような横道を親指で差し示し、ゾロは私の返事も聞かずに既にそっちへ歩きはじめている。
ちがうわ、そっちじゃない。それにクリーニングはいちばん最後に寄りましょう。
そう言うつもりが、気付けば私は黙って彼の背中を追っている。
ゾロはまるで慣れた自分の街のように大きな歩幅で狭い小路をずんずん先へ行く。
家と家の間に張られたロープに白いタオルとTシャツが干してあって、日陰にもかかわらずさっぱりと乾いた様子でひらひらと揺れていた。
ゾロはさっと腰をかがめてそれを避けると、少し迷ったように脚を止めて、しかしすぐにまた歩き出す。
どうみても旅の装いの二人組がずんずんと歩いてくるのを、扉の前で立ち話をしていた住人の女性たちが少し驚いた表情で見てから端に寄って道を開けてくれた。
少し幅の広くなった小路と小路が交差するところに差し掛かり、ゾロはようやく脚を止めた。
「こっちだったか」と眉をすがめて左を見遣る。
「そうだったかしら」とわくわくしながら私は答える。
すると、ゾロが怪訝な顔で振り向いた。

「テメェ何考えてやがる」
「え」
「いつもあっちだこっちだと引っ張りまわしやがってうるせぇのに、今日はやけに大人しい」

人に馴れない野生の獣みたいな疑り深い目で、ゾロはじっと私を見てくる。
ついふっと吹き出して笑ってしまった。

「いつもうるさかったの。ごめんなさい」

くしゃあと鼻の頭に皺を寄せて嫌そうな顔をして、ゾロは苛ついた口調で「そんで、クリーニング屋はどっちだ」と言った。

「わからないわ。こんなとこまで入り込んでしまって」
「はぁ?」
「さっきの道をまっすぐ行ったら着いたでしょうけど、あなたこんな曲がりくねった細い道に入って行くんだもの。もうどっちを向いてるのかわからないわ」
「んじゃあもっと早く言えよ!」

ごめんなさい、と断ると、ゾロはクソ、と小さく呟いてから「まぁいい」と口にした。

「適当に行きゃあ着くだろ。ナミもそんな広い街だとは言ってなかったしな」
「そうね」
「こっちでいいか」
「いいわ」

ゾロが最初に指差した左の小路を、私たちはまた歩き出した。
今度は少しスピードを落として、二人並んで歩いていく。
坂道がゆるやかに登っていて、もしかすると方向はあっているのかもしれないと思う。

黙って歩いていると、両わきの家から人の声が届いてきた。
子どもたちが喧嘩をする金切声だとか、母親が子どもを呼びつける鋭い一言だとか、電伝虫の鳴き声だとか、そういう類のとても身近なものだ。
目抜き通りの陽気な音楽も遠くの方から聞こえてきて、それらが混然一体とまじりあっては頭の上にぱらぱらと降ってくるようだった。

「あ」

不意にゾロが脚を止めたので、私もそれにならって前を見る。
小さな噴水を囲んでぐるりと小さな広場があって、その向こう側にこれまた小さなパン屋があった。
パン屋と言ってもきちんとした建物の店構えではなく、移動式のグルメカートだ。
あら、と私も答える。

「用があったんじゃなかったか」
「そうね、バゲットを六本」

ちょうど店のカウンターに大きなカゴにバゲットが六本ほど、刺さっていた。
噴水越しに店を見つめる私たちに気付いて、店番をしていた少年がにっこりと頬を丸くして笑いかける。
カートに近付くと「いらっしゃい」と明るく声を掛けられた。

「クロワッサンが焼き立てだよ」
「このバゲットは?」
「今朝焼いたものだけど、今日はこれだけしか焼かないんだ」
「じゃあこれを六本」
「クロワッサンは?」

ちらりとゾロを見遣る。
腕を組んで睨むように店の奥を見つめていた彼は、「食う」と短く言った。
私は笑いそうになるのを堪えながら「じゃあクロワッサンも、二つ」と少年に言う。
お金を払い、バゲット六本の大きな袋とクロワッサンの入った小さな袋を彼が受け取る。

「毎度! クロワッサン、美味しかったら明日も来てね」
「えぇ、ありがとう」

船は明日の朝には出航する予定だけど、そんなことはおくびにも出さず私も笑い返す。
少年は爽やかに私たちに手を振って、そのあとやってきた初老の女性客にすぐ笑顔を向けた。

「すぐ食べる?」
「おう」

ゾロはバゲットを抱えたまま器用に小さな紙袋を開けた。

「あ」
「え?」

ゾロはまず一つ取り出し、私に持たせる。ぱらりと生地の表面が散る。
そしてもう一つ取り出して自分で持つと、空になったはずの紙袋を私に差し出して見せた。
中を覗き込むと、クロワッサンがもう一つ入っている。
後ろを振り返ると、少年は女性客にお釣りを手渡しながらもこちらにひとつウインクしてみせた。

「あらあら」

ふふっと笑みこぼしたとき、隣からざくっと歯切れのいい音が聞こえて視線を戻す。
ゾロは一口で大きめのクロワッサンの半分ほどを口に含んで、唇にバターの香るパンのかけらを付けたまま難しい顔で咀嚼していた。

「おいしい?」
「ん」

私も立ったまま齧り付く。
彼のようないい音は出なかったけど、それでもさくさくと落ち葉を踏みしめるみたいな軽い音がこぼれる。
クロワッサンは暖かく、噛みしめるほど生地の甘さが広がった。
さりげなく彼を誘導するように先に立って、祭りの音楽が聞こえる方へと足を進める。
幸い彼も何を言うでもなく付いてきた。

「美味しいわね」
「あぁ」
「バゲットも期待できそう」
「パンはどこも一緒だろ」
「そうかしら」

たしかにサンジのごはんは美味しいので、どうしても店で買ったパンは添え物となってしまう。
残りの一口を放り込んで、バターの塩気が残る指先を舐めた。
服にかけらが落ちていないか確かめてからふと彼の方を見ると、彼ももちろん食べ終わっていて、サービスの三つ目を袋に入れたまま手に持っている。

「あら、それ食べていいのよ」

街でばったりクルーに会ったら、しかもそれがルフィだったりチョッパーだったりしたら、お前らだけずるいと非難されるに決まっている。
そう言うと、彼は「それもそうだな」と袋から中身を取り出した。同じように口に放り込むのかと思えば、ゾロは突然クロワッサンを二つにちぎった。
そう、まさにちぎるとしか言いようのない乱雑な手つきで、表面のおいしい皮がぱらぱらと地面にこぼれる。
不恰好に潰れた半分のクロワッサンを、ゾロは無言で私に差し出した。
ついに私はこらえきれず、声を出して笑ってしまう。

「あなたが食べてよかったのに」
「お前が美味いっつったんだろ。何笑ってんだ」

ふっふと笑いの止まらない私を怪訝そうに見て、ゾロは残りの片方を口の中に押し込むようにして食べてしまった。
私も目の端に滲んだ涙を拭ってから潰れたクロワッサンを受け取って、ゾロのように一口で食べてみる。
口の中がいっぱいになり、頬がはちきれそうになった。
やっとのことで飲みこんで、口元を拭い、拭った手に真っ赤な口紅がついていて、少しだけあーあとでもいうような気持ちになる。
それでも満ち満ちた多幸感は微塵も欠けることなく、空は突き抜けて白く光っていた。


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砲列甲板の床は硬かったけど、私はそれがちっとも気にならなかった。
強い力で抑えつけられて、息を呑むひまも与えられずに突き上げられる。何度か呼吸が止まりそうになると顎を掴まれ唇を塞がれた。
キスは深い。
事は性急に、着実に終着へ向かうのに、キスだけはまるで一瞬ためらうみたいに慎重に重ねてから、ずぶずぶ奥深く進むのだった。

は、と短く息をついて背中にのしかかる重みが震える。中に収まった彼のものが何度か痙攣し、その振動を感じた次の瞬間には引き抜かれた。
ふーと長く息を吐いて呼吸を整えると、彼はさっさと衣服を身に付ける。
余韻を断ち切るそっけない仕草とは裏腹に、彼は暗がりの中私の下着を拾って寄越してくれることもあった。
私たちは黙って身支度を整える。
事務処理をこなすように、淡々と、冷静に。
そこに情熱みたいなものが、そうさっきのキスみたいな何らかの温度があってはならない。
誰に言われたわけでもないのに私たちはそれをちゃんと知っていた。
身体の関係を持つのはこれで三度目だ。

「──おい、お前」

そこ、と指を差され、左腕の肘下を見る。
暗闇でよく見えないものの、触れると擦り傷のような痛みがあった。熱く湿っていて、血が染みている。

「気が付かなかった」
「ここ、釘が出てんな」

しゃがみこんで床に手をあてる彼の背中はごつごつと隆起している。
そのくぼみに沿って手を這わせるのがすきだ。

「平気、すぐ治るわ」

心配されたのかしらと言う浅はかな喜びと、ただ目についたものを口にする彼の眩しいまでの単純さをいとおしく思う気持ちが同時にこみ上げて、思わず微笑む。
しゃがんだまま私を見上げた彼は、数秒考えるような顔つきのあと目を反らして言った。

「お前もう来んなよ」
「え?」
「ここ。もう来るな。おれも来ねェから」

体つきのわりに素早い動きで彼は立ち上がり、私が訊き返す間もなくこちらに背を向けて出口へ向かう。
彼が開けたドアからこの部屋よりも明るい暗闇が流れ込んでくる。
その向こう側へ、彼はさっと消えた。

剣士さん、となにもない空間に声をかける。




誘ったのは私の方からだった。
夜の甲板で鉢合わせたのはたまたまで、私は眠れない時間を持て余して狭い船内を散歩していたのであり彼は食堂からくすねた酒を持ち去るところだった。
私を認めて迷惑気に顔をしかめた彼は、「言うなよ」とそっと口先に指をあてがった。
二人きりで話すのは初めてだった。

「──私が言わなくても、明日の朝になればコックさんには分かってしまうんじゃないかしら」
「お前がおれだと言わなきゃ誰の仕業かわかんねぇだろ」

彼があまりに真面目な顔つきでそう言うので、思わずふっと吹き出して「そうかしら」と言うと彼は笑われたことに対して不思議そうにきょとんとした。
妙に明るい月明かりの下で、彼は日の光の下にいるよりも幼く見えた。

「飲み過ぎてはだめよ」

言い残して立ち去ろうとすると「おい」と呼び止められる。
「どこに行く」と尋ねた彼の口調はさながら不審者に対するそれで、その目はあっという間に年相応の幼さを引っ込めていた。

「どこにも。どこにも行きようがないじゃない」

船の縁の外は真っ暗で、時折波が泡立つのが白く光る。
木の床は私が身を潜めたどの船よりも狭く、歩くたびに大きな音で軋んだ。

「──なにもしないわ。本当よ。眠れないの」

信じて。
口にするたびに言い訳のように聞こえて、私が言葉を言い募れば言い募るほど彼の目が不審に細くなるように見えた。
ふん、と彼は返事ともつかない息をついて、その場で酒瓶のコルクを抜く。
一口飲むとそっぽを向いてしまった。

「ナミは寝てんのか」
「え、あぁ、えぇ、おそらく」
「眠れねェならお前も飲むか」

急な申し出に意表をつかれて黙り込むと、「いらねぇならうろついてねェでさっさと部屋戻れ」と彼は背を向けてしまった。見張り台へと戻るのだ。
慌てて追いすがるように言葉をぶつけた。

「分けてくれるの?」
「口止め料程度なら」

足を留めてくれたことがうれしくて、強張りかけた顔がゆるむ。
酒瓶をそのまま差し出され、ひとまず受け取ろうと手を伸ばした。
ところが受け渡されるそのとき、なめらかに細い瓶の口を私が掴み損ねて瓶は音もなく落下した。
あっ、と短い悲鳴が上がる。

「うおっ」

彼が慄いて身を引くと、小さな口から少しだけ中身が飛び跳ねた。
瓶が床にぶつかって叩き割れる直前、彼の脛から生えた私の手がしっかりと瓶を握りしめていた。

「危なかった。ごめんなさい上手く──」
「こんなとこからも生えるのか、びびった」

自分の足から生えた白い腕を気味悪げに見下ろして、「どうなってんだ」と彼は呟く。
ごめんなさい、と繰り返した。
ハナの手は瓶を床に置きフッと消える。

「上手く掴めなくて。もったいないことをするところだったわ」
「──いや」

かがんで瓶を取ろうと手を伸ばしたら、同時に彼も腰をかがめた。
瓶を手に取る間際に気付いて顔を上げたら思いのほか近くで彼も同じようにこちらを見ていて、動けなくなった。
耳に掛けていた一筋の髪が動きに耐えかねはらりと落ちる。

私がお酒を一口飲んで彼に返したら、彼はさっさと見張り台へと戻るだろう。
きっと私が横に並んで酒を一緒に減らしていくことを彼は許してくれない。
居場所を探して船を彷徨う気味の悪い女を、彼はそばには置いてくれない。

どうしたら少しでも長くそばにいられるのかを咄嗟に考えた。

「──口止め料、別のものでもいいかしら」
「たとえば」
「あなたとか」

目を逸らさず口にしてしまえば、その瞬間すっと心が凪いだ。
彼は一瞬目を眇め、口を開く。

「どう……いや、いいぜ」

言いかけた言葉を呑みこんでから、彼は私より先に視線を外して酒瓶を掴みあげた。

「ここでいいだろ」

大きく瓶を傾けて中身を豪快に飲み下し、彼はすぐそばにあった砲列甲板に続く扉に手を掛けた。
その中は外よりもひんやりと乾いていて、暗くて今すぐ彼を絡め取りながら跳びこみたいような気持ちがした。
暗闇の中目が見えず、何度も腕や脚を掃除道具やキャプスタンにぶつけて不自由な思いをしたものの、彼は順序良く事を進めてきちんと自身も欲を吐き出し、あろうことか唇まで重ねてくれたのだった。

二度目はなんとなく、示し合わせたわけでもないのにやはり夜中に彼と鉢合わせ、今度は彼の方から「するか」と言われて応えた。
体温の高い彼の身体はのしかかられると心地よく、筋肉の張りつめた腕に触れるととても充足した気持ちになれた。
繋がった気持ちよさよりも、そういう、身体的な接触を許された喜びで満ち溢れていて、ただとても嬉しかった。





晴れた空の下、テーブルとパラソルを持ち出して甲板で本を読んでいたら不意に目の前に影が差し、顔を上げるとウソップが座っていた。

「よう、お邪魔さん」
「あら、どうかした?」
「ちと手を貸してくれよ」

いいわよと立ち上がりかけると、「あー違う違う、このままで」と押しとどめられる。
首をかしげて座り直すと「言葉通りの意味だって。手ェ貸してくれ、ほらこうやって」と手のひらを下に向けるよう示される。
言われるがまま手の甲を彼に向けて差し出すと、ついと指先をとって引かれた。
ウソップは腰に付けたポーチからごそごそといくつか細かい小瓶を取り出してテーブルに並べて、「好きな色選んでくれー」と言った。

「なあに?」
「エナメルと着色料を混ぜて作ったオリジナルのマニキュアだ! 前々からナミに作ってくれって言われててよー。せっかく出来あがったから塗ってやろうとあいつのところ行ったら、珍しく料理なんてしてやがって『今ムリ』とか言いやがって。せっかくだからお前さんにも試させてもらおうかと」

早口でそう言うと、ウソップは「ほら選んでくれよ」と私を急かした。

「なんしょくでもいいぜ」
「じゃあ……これとこれ」

白と淡いグリーンを選んだ。
「よし」と言って彼は早速蓋をあけて再度私の手をしっかりと取る。

「おれが試すと気持ち悪ィことになんだろ。だからロビンが初めてなんだよ」
「光栄ね」
「おれ様はこういうこまけー作業が得意だかんな、綺麗に塗ってやれると思うぜ」

まぁやったことねーけど、と彼は鼻唄をうたいながら軽やかに私の爪先に色を付け始めた。
独特のにおいがほんのりと香る。
集中したら黙りこんでしまいそうなところ、ウソップは塗り始めて間もなく「暇だよなー、いいけど。嵐も敵襲もなくてのんびり」と話し始めた。
彼の器用な手の動きを見つめながら、私も考えるともなく答える。

「そうね、空島から戻ってしばらくは慌ただしかったけど、それから気候も穏やかね」
「眠くなんねェ? おれぁ日なたに倒れ込んだら一秒で眠る自信があるね」
「ふふ、私は本を読んでたから」
「んーでもなんか考え事してたんじゃねぇのか?」

視線を上げて彼を見る。ウソップの視線は私の爪先から離れない。

「なぜ?」
「だってしばらく見てたけどよ、全然ページ進んでねーんだもん。あ、邪魔した?」
「いえ、大丈夫──」

そか、と短く答えて、ウソップはふと黙った。
着色が小指に差し掛かったので集中したらしい。
考えていたことまでばれてしまったわけではないのに、気まずい思いで私も黙り込んだ。
ウソップは小さく細長い小指の爪までも、綺麗に白とグリーンのバイカラーで彩ってくれた。

「ほい逆の手。あ、色変える?」
「いえ……任せるわ」
「んじゃこのままで」

差し出す手を右から左に替え、「しばらく乾かしてな」というウソップの言葉通り右手は宙に浮かせておく。

「にしても、本当に綺麗な手してんなーロビンは」
「そう? ありがとう」
「悪魔の実の能力と関係あんの?」
「多分関係ないんじゃないかと」
「だよなー、と、あ、ゾロ起きた」

唐突に現れたその名前につい目を丸めてしまう。
ウソップは私の後方を見上げていたので、私も首を振ってそちらを確かめる。
くあ、と大きな口をあけてから、彼は「なんでおめーまで女みてぇなことしてんだウソップ」と欠伸混じりに言った。

「おれは塗ってやってるだけ! 女みてぇなことじゃねぇしー!」

「この繊細な手つきと絶妙な配色バランスはおれにしかできねェんだよっ」と彼に向かって歯を剥いて、ウソップはちょんちょんとほんの小さな筆先を動かして私の左爪先を塗り終えた。

「ほい完成ー!」
「ありがとう。素敵」
「ん、おめーの選色もまぁまぁだがなによりおれ様の技術が光っておるな!」

ウソップが高い鼻をさらに高く上に向けたところで、キッチンの扉が開いて「ウソップー!」と甘い声が彼を呼んだ。

「終わったわ、マニキュアやってちょーだい!」
「おまっ、勝手か!」

ふりむきながらナミに叫び返しつつ、ウソップは小声で「しゃーねぇなー」といいながら出した小瓶をポーチにざくざくと仕舞いこむ。
「んじゃ、練習台さんきゅー」と臆面もなくウソップは言い放ち、さっさとキッチンに向かって行った。
「材料費払えよな!」とキッチンに向かって叫んでいる。

ふと足元とテーブルがぐらつき、よくもこんな波の中でこうも綺麗に塗れるものだと爪を眺めて感心してしまう。
どさっと乱暴な音を立てて彼がウソップのいた場所に座ったのは、ふっと左手に息を吹きかけたそのときだった。
言葉を継げずに彼を見つめると、彼は端的に「ペンキくせェな」と呟いた。

「これの匂いが……」
「あぁ」

会話が終わり、ゾロは仏頂面で腕を組む。私はいたたまれずに本を手に取るも、耐え切れずに口を開いた。

「なにか用だった?」
「いやなにも」
「そう……なら」
「用がなくてもいいだろ。別に」

もちろん、いいけど、と応えながら落ち着きなく本の表紙を撫でる。あんなにも心落ち着く紙の感触がざらざらと指に触れ、ちっとも落ち着かない。

「私のことが嫌ではないの」

仏頂面のまま顔を上げ、彼は「なんでだよ」と短く尋ねた。

「だってもう来るなって」
「ありゃあ夜の話だろ」
「夜だとか昼だとか関係あるの?」
「はぁあるに決まってんだろお前昼間っからここでおっぱじめられるわけねェじゃねーか」

わけがわからないまま、ただどんどん彼も私も気色ばんできた。
ぼそぼそと小声ではあるものの、早口の応酬が続く。

「そういうことじゃなくて、私のことが嫌になったからもう来るなって言ったんじゃ」
「誰もんなこと言ってねェだろうが、ただおれはもうここでしねぇぞって」
「じゃああそこじゃなきゃするってこと?」
「そうだ」

柄にもなく勢いづいて話していたので思わず聞き流しそうになった。
「え?」と問い返すと「あ?」と目つき悪くねめつけられる。

「どういうこと?」
「そういうことだろうが」
「わからないわ」

狼狽えるような声が出た。
でも「テメェで考えろよ、学者先生」と言われたときには既に彼の言葉を反芻して考え始めていた。
落ち着いて彼の言葉を呑みこんで、テーブルに本を戻す。
彼は私が置いた本にちらりと視線を落としたが、すぐに興味なさ気に視線を外して私を見た。

「そういうことだ」

に、と彼が口端を上げた。
あっと思わず声が出そうになった。

日の光の下で見る彼の顔は幼いとか大人びて見えるとかかわいいだとかかっこいいだとかそういうあらゆる印象を押しのけてただただ眩しく、もしかしたらあの暗い部屋で彼はこういう顔をしていたのかもしれないけれど、あそこではけして見ることができないのだった。
だって見えないのだから。あの暗さでは、表情も何も。

「あぁ、そういう……」と視線を落とすと綺麗に彩られた自分の爪が目について、ほんのりと華やいだ指先に心が浮かぶ。
彼が私の視線を追ってこちらの手元に目を落とした。
ち、と突然舌を打つので驚いて顔を上げると、せっかく珍しく上がっていた口元が盛大にひんまがっている。

「どうかしたの」
「別に」
「すごく物騒な顔よ」
「うるせぇな」
「どうかしたの」

ぐいっと余所へ顔を向けて彼は言う。

「お前の手が綺麗なことはおれだって知ってる」

まぁ、と間の抜けた声が出た。

「──暗くても見えてた?」
「そらお前……つーか最中じゃなくても見えんだろ、普通」
「そうね、ありがとう」
「おう、たいしたもんだ」

ふふっと笑いこぼすとひんまがった彼の口元もやんわりと笑う。
唐突に彼は音を立てて椅子を引いて立ち上がり、「まだ眠ィ」と欠伸した。欠伸しながらがしがしと頭を掻いて、甲板の隅へと昼寝に戻って行く。
そしてあの砲列甲板の壁を背にしてすぐさまぐうぐうと眠り始めた。

いつか広くて清潔なシーツの上で、ほんのりとした明るみにされされて、何かに脚をぶつけることなく彼と身体を重ねる時が来るかもしれない。
そのときはそこに情熱みたいなものが、そうたとえば私たちのキスみたいな、温度の高いなにかがあればいいと思った。

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 麦わら一味では基本オールキャラかつサンナミ贔屓。
白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



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足りん
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