OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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カリカチュアの朝1/2/昼1/2
※R-18
「迷った?」と訊いてみると、打って響くように「いや」と返される。
「だがここァどこだ」
「それ、迷ったって言うのじゃないかしら」
私たちはまたもや見知らぬ港町の見知らぬ路地にたたずんでいた。
あらぬ方向へ足を向ける彼を止めなかったのは私の意思で、とはいえクリーニングに衣類を預けてくれたのはナミだったので私も店の場所を確かに知っているわけではなく、彼よりは多少目星がつく程度だ。
思惑通りと言ってしまえば角が立つけれど、思惑通り、私たちは必要以上に街を歩き、薄暗く人通りも少ない路地へと迷い込んでいた。
メインストリートの祭囃子はどこか遠くへ伸びて消えてしまった。ここは港町によくある昼間の歓楽街のようだ。
薄いピンクの汚れた壁、石畳の目にびっしりと詰まる煙草の吸殻、明かりの灯らない剥き出しのネオン。
いつから酔いがさめていないのだろうというような酔っ払いの男が私たちをじろじろと無遠慮に眺めながら通り過ぎ、にやにや笑って背後から何か聞き取れない下品な言葉を叫んだ。
ゾロは男には目もくれず、がしがしと頭を掻いて「なんかここらへんにゃ店はなさそうだな」と口をひん曲げた。
「そうね、戻る?」
「あぁ」
歓楽街の入り口には大きなアーチが建っていて、夜になればぺかぺかとネオンで照らされるのだろうけど、少なくともそこが出入り口なのだとわかるようにはなっている。
私たちがくぐって来たアーチへ足を向けると、背後からばたばたと複数の足音が聞こえてきた。
「なんだありゃ」
ゾロが騒ぎの方を振り返り、怪訝そうに眉をすがめる。
私も振り返ると、「追えー!」「待てー!」とまるで寸劇みたいに男たちが手に持つ警棒を振り上げて走ってきた。
先頭にはひとり、必死の形相で追われている男がいる。
「なんだ物騒だな」
「他人事じゃないわゾロ、あれ海軍よ」
こっち、と彼の腕を引っ張って細い路地裏に滑り込む。
とばっちりの火の粉がふりかからないともかぎらなかった。ゾロも私も顔が割れている。
こちらへ向かってくる海軍から見えないところへいかなければ、と咄嗟に入り込んだはいいものの、路地裏は歓楽街の飲食店や宿場のゴミ捨て場と化していて、足を踏み入れた瞬間鋭い悪臭が鼻を突き抜けた。
「う、くっせェ」
「ひどい場所」
買ったばかりのスニーカーと包帯を巻いた足でゴミ袋を踏みしめて奥へと進む。
人ひとりがやっと通れるような壁と壁に挟まれて悪臭は逃げ場がなくもったりとそこに淀んでいた。
壁に手をついて先に進もうとしたら、「待て」と手を引かれた。
「動くな」
振り返ると、ゾロが足元のゴミ袋を二つ、来た道の方へ蹴り上げて積み上げた。
「しゃがめ」
言われたのとほぼ同時にしゃがみこむ。
荒々しいべた足の足音が私たちのいたところまでやってきて、こちらを覗き込んでいる気配があった。
どうやら追われていた男も私たちと同じように路地裏へ逃げ込んだらしい。
私たちの姿は、ゾロが積みあげたゴミ袋が壁になって見えないはずだ。
しゃがみ込んだ足元をネズミが走って行った。
やがて人の気配が遠のき、ゾロが「行ったか」と顔を上げる。
「待って、確認するわ」
目を閉じて表の路地に目を咲かしてみると、未だ歓楽街では泥棒だか海賊だか知らないが、あの男を探しているようだった。
ただしこの路地の近くにはいない。ゾロがゴミ袋を積み上げたおかげで、ここは行き止まりだと判断されたらしい。
「この辺りにはまだいるわね。少し様子を見て飛び出した方がいいかもしれない」
「早く出てェ」
しゃがみ込んだ私たちは膝と膝を突き合わせて向かい合っていた。
悪臭で鼻に皺を寄せたゾロの顔がすぐ間近にあり、ともすると彼の息まで感じられそうだった。
ということは彼にとっても同じ距離だということで、とても近い、とその通りのことを思う。
「まだか」
「もう少し」
「テメェよく平気だな」
「あら平気なわけないじゃない、いやよこんな場所」
「ナミならもっとぎゃーぎゃーうるせぇ」
いやー汚い、やだねずみ! ちょっと私を背負いなさいよこんなところ靴が汚れちゃう! と騒ぐ彼女の姿が容易に目に浮かび、笑ってしまう。
「あの子ほど可愛くなれないの」と言うと、ゾロは「面倒がなくてちょうどいい」とぶっきらぼうに言い捨てた。
「いいのか、足」
「え?」
「包帯、汚れてやがる」
「あぁ、えぇ平気よ。痛みは少ないし、汚れくらい」
不意にゾロが手を伸ばし、私の足首に触れた。
突然のことに驚いて身をすくめると、バランスを崩して後ろに倒れ込みそうになった。
咄嗟にゾロが反対の手を伸ばし、私の背中を受け止める。
足首と背中に彼の手を感じ、その瞬間脈拍が走り出す。海軍から逃げる時以上に息を詰め、やっとのことで「なに」と絞り出した。
「チョッパーが熱持ってるっつってだろ。熱いのかと思って」
「そ、んな好奇心で急に触らないで頂戴……」
ゾロが顔を上げた。至近距離で目が合う。
覗き込むように視線で掬い上げられて、目を逸らすことができない。
「熱いな」
ぎゅ、と軽く足首を握られた。
ほのかな痛みが走り、顔をしかめるより早く唇が触れた。
背中に回った手に力がこもり、引き寄せられる。
薄く目を開けると視界はぼんやりとかすんで、薄暗さの中ゾロの顔すら見えなかった。
重なっていただけの唇がじれったく、薄く唇を開いた。応えるように舌が唇に触れるも、ほんの少し舐めるように動いただけですぐに離れた。
ゾロ、と頼りない声で囁くとゾロは険しい真顔で「静かにしろ」と言った。
「こんなところで呑気にやってる場合じゃねェだろ」
「あなたからしたくせに」
「しょうがねぇだろ」
鼻先が触れ合う。
一体何がしょうがないのか、聞く間もなくゾロが「そろそろいいだろ」と短く言った。
「そうね、行ったみたい」
「畜生、巻き込みやがって悪党が」
よっぽどあなたの方が悪党的な顔をしている、と思ったけれど言わなかった。
ゾロは立ち上がり、足元のゴミ袋を蹴散らしてから私の腕を引いて引き上げた。
ぐんと身体が持ち上がり、勢いよく立ちあがった、
が、踏みしめたはずの地面は有象無象のゴミが転がっていて、それらにひっかかった私の脚はたたらを踏んで立ち上がった勢いのまま真正面からゾロにぶつかった。
「うお」
ゾロが小さくよろめく。彼が後ろに一歩引いた足で踏みとどまってくれるはずだった。普通なら。
しかし後ろには積み上げたゴミ袋があり、ゾロの引いた踵が袋にぶつかったのか大仰にがさっと音が鳴った。
「うお、ちょ、待っ……」
彼が背後に倒れていく。洩れなく私も。
珍しく焦った彼の顔を間近で見ながら、いけない、と思った。
ビニール袋とその中身がぶつかり合い、ばしゃんと大きな音を立てて崩れ落ちた。
その中心にゾロと私が折れ重なって倒れ込む。
比較にならない悪臭が、自分たちから瞬間的に立ち上った。
液状化した生ごみが下から染みだしている。
「く、くっそ……最悪だ」
「ひどいわね」
「ひどいわね、じゃねーだろうが! お前だけおれの上に乗って助かりやがって」
背中が冷たェ、と心底嫌そうな顔で、ゾロは私を乗せたまま上体を起こした。
くせぇ、きたねぇ、ともどかしそうに自分の身体を見渡している。
と、どこかに消えたはずの足音がまた近づいてくる。地面が揺れるように感じた。
「戻って来たわ」
「こんだけ大騒ぎすりゃあ聞こえちまうだろうよ、ったく」
最悪だ、と再び彼はいい、素早く立ち上がると同時に私を左脇に抱え込んだ。
「え」
「落とされんなよ」
ゾロは四つ足の獣のように散乱したゴミ袋を一足とびに跨ぎ越し、一気に路地裏を走り抜けて表へ飛び出した。
急に視界が明るくなり、ぎゅっと目を閉じる。
次に開くと、左右から先程の海軍たちがこちらに走ってくるところだった。
ち、と癖のように舌を打ってゾロは左へ走り出す。
真正面と背後から追ってくる海軍は私たちの正体に気付き始めたようで、ちらほら名前を呼ばれるのが聞こえてきた。
「ゾロ、どこに」
「いいから大人しく担がれてろ」
丸太のように抱えられてうつ伏せになった私の右側で、ひらりと刀の身頃が閃く。
音もなく刀を抜いた彼は、真正面の敵の中をつむじ風のように通り過ぎて、そして斬っていた。
キン、と最後にひとつ鋭い音をたて、刀は何事もなかったかのように彼の右腰に収まった。
彼は止まらず走り続ける。
「ゾロ、キリがないわ、まだ追ってくる」
「んじゃあどこいきゃいいんだ。全員のしちまうか」
「それでもいいけど」
少し考えて、私たちのすぐ背後に大量の腕を咲かせて壁を作った。
どよめきが一瞬聞こえるも、すぐにその壁に遮られて小さくなる。
「そこに入って」
そばにあった建物を咄嗟に指差す。
ゾロは迷わず駆けこんだ。
壁とはいえ私の腕であることに変わりはないので、撃たれたり斬られたりしてはたまらない、とすぐに散らした。
宿場は開いたばかりのようで、けだるそうに開店の準備をしていた宿の主人が飛びこんできた汚い二人組を見てぎょっと目を瞠った。
「部屋あいてるか」
「あ、あぁ、どの部屋が」
「どこでもいい、早く鍵よこせ!」
ゾロの気迫に押されて主人が慌てて小部屋に引っ込み、受付の窓から鍵をこちらに投げてよこした。
受け取ったゾロが大股で奥の廊下を進み、階段を駆けあがる。
「ゾロ、部屋番号は」
「301」
「3階ね、右よ」
案内表示の通り指示を出す。
階段の一番近くにその部屋はあり、ゾロは私を抱えたまま飛び込んですぐさま後ろ手に鍵を閉めた。
激しい呼吸に、担がれる私もろとも揺れる。
「下ろして、ゾロ」
思い出したように彼は私を離した。
床に降り立ち、すぐさま小さな窓のカーテンを閉める。隙間から外の様子を見下ろすと、未だあの制服の何人かが通りを走っていた。
「しばらくは隠れられるだろ」
未だ整わない息のまま、ゾロが腰に手をあてて言う。
「そうね。ここの主人がお金でも積まれて口を割らなければ」
「あぁ、じゃあ口封じでもしてくるか」
ちょっと待ってろ、と言いゾロは部屋を出ていった。
こちらに向けた背中はぐっしょりと耐えがたい生ごみの汚れで濡れていて、申し訳ない気持ちになる。
大丈夫かしら、と思うも、意外と早くゾロは戻ってきてすぐにまた鍵を閉めた。
「大丈夫?」
「あぁ」
具体的に何をどうしたのかわからないが、訊くのもためらわれて結局何も言わなかった。
思い出したように悪臭が部屋に立ち込めてくる。
はー、と長い息をついて、彼も不快そうに自分のにおいを嗅いでいた。
「とりあえず風呂入りてェ」
「そうね、服も洗った方がいいわ」
「着替えがねぇな」
「外が落ち着いたら私が買ってくるわ」
多少変装して出る必要があるだろう。大通りの方へ戻ってしまえば、今日は特に祭りの様なので人ごみに紛れてしまえるだろう。
ゾロはその場で上に消えていたシャツをもぎ取るように脱ぎ、「風呂場はここか」とそれらしき扉を開けた。
「湯が張ってある」
「え」
彼の背後から覗き込むように風呂場を見ると、脱衣所の向こうでなんと浴槽が暖かく湯気を立てている。
浴槽があることにも驚いたが、空いたばかりの宿屋で既に湯が張られているというのはよくわからない。
「不思議。なぜ?」
「そういう店だからじゃねェのか」
「──成程」
ようするにここは娼婦たちの仕事場なのだ。てっとり早く客を洗ってことに運べるように、全室温かい湯が初めから張ってあるのかもしれない。
「知らなかった。面白いわね」
「どっちにしろありがてェ」
ゾロが浴室の床に脱いだシャツを放り投げたので、私は部屋に戻った。
換気扇を回して、少しでも悪臭を外に掻きだす。
靴を脱ぎ、床に直接座り込んだ。汚れた包帯をとってごみ箱に捨てた。
チョッパーが巻いてくれたテーピングは外してしまうと自分では元に戻せないので、そのままにしておく。
キャミソールを引き上げて鼻に近付ける。彼ほどではないけれどやっぱり少し匂いは移っている。
パンツの裾には生ごみが飛び跳ねただろうし、洗わなければならない。
ぐるりと部屋を見渡した。
薄いベージュの安っぽい壁紙。天井近くはひび割れて、お粗末にも飾ってある絵画は傾いていた。
ベッドは部屋の真ん中にどんと一つあるだけで、それ以外の家具はなにもない。ローテーブルの一つすらなく、ただ狭い通路がベッドの足元にあるだけだ。
勿論椅子もないので汚れた身体ではこうして床に座るしかなく、床は硬くて冷たかった。
「おい」
突然ひょこりと脱衣所からゾロが顔を出す。
そちらに目を遣ると、「入るか」と真顔で訊かれる。
「えぇ。早いわね」
「おれぁまだだ。先にシャツ洗った」
「そうなの。じゃあ先入って頂戴。後でいいわ」
ゾロは少し考えるようにどこかに視線をやると、また私の目をまっすぐに見た。
「言っとくけどな、おめーも結構におうぞ」
「まぁ」
わざとらしく目を丸めてみせると、ゾロは顎でしゃくって風呂場を示す。
「来い、さっさと洗っちまえ」
えぇ、と戸惑いながら立ち上がる。
風呂場へ行くと、ゾロは浴室の真ん中で洗ったシャツをぎゅっと絞っていた。
ぼたぼたと激しい水音が響く。
「そのズボンも洗わなきゃ」
「今から洗う」
「なら私は後でいいと」
ん、と唐突にゾロが手招く。
珍しい仕草に少し驚きながら、ついふらりと近寄ったらぐいと腰を引き寄せられた。
「こんなおあつらえ向きの場所でひとりで入れってか」
首筋に唇をつけて囁かれる。
う、と呻きそうになりながら彼の肩にしがみついた。
「そんな、場合じゃないでしょう」
「硬ェこと言うな。おら」
キャミソールをめくりあげられ、あっというまに剥かれてしまった。
「ちょっと」と声をあげるも同時に下着を外され、取り去られた。
「ゾロ、待って」
「うるせぇな」
「先にシャワー浴びて頂戴。あなたこそ、すごくにおうんだもの」
顔を上げたゾロはむっと顔をしかめて、なにか言い募ろうと口を開いたが事実その通りだと思ったのか、「仕方ねェな」と納得しない顔で呟いた。
ゾロは私の腰を抱いたまま浴室に入った。
そしてシャワーコックを掴むので、えっと私は声をあげる。
「待ってゾロ私まだ」
「どうせ洗うんだろ」
頭上から、ざっと水が降る。
その冷たさに首をすくめたが、徐々に水は熱いお湯へと変わって行く。その温度変化に鳥肌が立った。
濡れた髪が頬に、肩に、首筋に張り付く。
顔を流れる水が目に入り、ぎゅっと目を瞑る。
そして開くと少し下方でゾロが顔を撫で上げたところだった。
不意に後頭部に手が回り、引き寄せられて唇が重なる。
私たちの頭上からひっきりなしに降り注ぐお湯が口の中に入り、それすら飲み込むみたいにぬるりと触れた。
「ん」
責めたてるみたいに追い込んでくる舌から、逃げるつもりもないのに上体が後ろに沿っていく。
その度に私の後頭部を支える手に力が加わり、頭を引き戻される。
反対の手がパンツの後ろから無理やり侵入して来て、丸みに沿って指が動く。
目を開けるとすかさず水が目に入り、水彩画に水をぶちまけたみたいな歪んだ景色しか見えない。
浴室に立ち込める蒸気が身体を熱して、頭の中までその蒸気で蒸されてしまったみたいにぼんやりとする。
肩に置いていた手を滑らせてこちらからも彼の腰を引き寄せると、張りつめた筋肉に力が加わったのがわかってどきりとした。
唐突に彼が湯を止めた。ぎゅ、とコックを回した音がやけに大きく響く。
それを合図に唇が離れ、なぜかほっとした。
厚くて硬い親指が私の頬を辿り唇を拭うように撫で、首筋を通り過ぎて肩を掴む。
すぐそこに彼の耳が見えて、ふと思いつきで咥えた。
「おい」
「ふふ」
耳のくぼみに舌をあてがう。
思いのほか彼の反応がなくて、つまらないと思ったのも束の間、ざっとパンツを下着ごと下ろされた。
「や、ちょっ」
「濡れてっと気持ち悪ィだろ」
「脱ぐ間もなく濡らしたのはあなたじゃな、あ」
鷲掴むように臀部を持ち上げられる。鎖骨から胸の中心に向かって舌が這う。
よろめいてたたらを踏むと、足元の水がパシャンと跳ねて室内に響いた。
でもそれよりも、私たちの息の方がずっと強く響いている。
背後に回った手が臀部の丸みに沿って動き、後ろから熱い場所に触れた。
なんのひっかかりもなく、指が一本ぬるっと入り込む。
「ああ、いや」
「準備万端じゃねェか」
掻きだすように出し入れされると膝が震えた。
しがみつく指すら痺れるみたいにじんじんして、「ゾロ、だめ、やめて」と懇願する。
下から胸を持ち上げられて、指で先端を弾かれる。そのたびに「だめ、やめて」と繰り返した。
答えは返ってこず、代わりに最初のものより数倍優しく唇が重なった。
無言で水音だけのキスが続く。
脚を辿って水ではないとろみを帯びた粘膜が落ちていく。私の鼓動に従って、どくどくと流れていくようだった。
「はぁ、脚が、疲れたわ」
「ばか言え、しっかり立ってろ」
片手で彼がハーフパンツを下へ落とした。手を伸ばすと硬いものに触れた。そのまま辿るように動かすが、すぐに手首を掴まれる。
「いい、しなくて」
「でも」
いいから、というように手を払われて、代わりにすぐ脚の間にあてがわれる。
そのまま押されるように壁際に詰め寄られ、冷たいタイルに背中が触れた。
熱した身体が一瞬で冷やされて、でも今度は応戦するように触れたタイルが熱くなっていくのがわかる。
おもむろにぐいと左足を持ち上げられた。
「や、ゾ」
なぞるように出入り口をこすられる。それも一瞬で、あっという間に飲みこまれるみたいに入ってきた。
一気に、頭のてっぺんまで脊髄を伝って電気が走る。
はっと浅い呼吸が漏れ、つかみどころのないタイルに手を這わせるとぺたんと頼りない音が鳴った。
奥の方まで一度で入ってきて、ゾロは私の肩に額を預けて深く息をついた。
動いてもいないのに、あぁと声が漏れる。
突然、ずっと引き抜かれた。
「あっ」
「はー、くそ」
ゾロは私の肩にこめかみの辺りをあて、力を抜いて寄りかかる。
思うままに彼の髪に触れると、短い毛から細かい水が跳ねた。
「ゾロ?」
「なんでもねェ」
頭を上げたゾロは、もう一度私の足を持ち上げて、今度こそ最奥まで一気に突き上げた。
「あぁっ」
く、と歯を噛み締める声が顔のすぐそばで聞こえる。
引き抜かれて次に突き上げられるたび、どんどん奥に当たる気がする。
そのたびに洩れる声が低い天井に当たり、反響して私たちの上に降ってきた。
彼の肩にしがみつき、遠慮なく響く声をふるえる手で押しとどめるように口元に当てた。
気付いたゾロが空いている方の手で私の腕を強く押さえ、呆気なく口元から離れてしまう。
「や、あぁ」
「は、口元、押さえんな」
遮るものなく飛び出した声を、ゾロは愉しむみたいに見えた。
彼の息遣いに耳を澄ますも、そんな余裕はとうになく、あっという間に何もかも訳が分からなくなる。
何をしにここに来たのか、どうして二人でこんなことをしているのか、そのすべてが他愛もない些事に思われて、一瞬ですべて真っ白に塗りつぶされた。
ただここにゾロがいて、私に触れて、そのせいで眉間にしわを寄せ、荒い息を吐いている。
ぐっと胸が押しつぶされて、光みたいな火花みたいな細かい粒が頭の奥の方で弾けた。
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※R-18
「迷った?」と訊いてみると、打って響くように「いや」と返される。
「だがここァどこだ」
「それ、迷ったって言うのじゃないかしら」
私たちはまたもや見知らぬ港町の見知らぬ路地にたたずんでいた。
あらぬ方向へ足を向ける彼を止めなかったのは私の意思で、とはいえクリーニングに衣類を預けてくれたのはナミだったので私も店の場所を確かに知っているわけではなく、彼よりは多少目星がつく程度だ。
思惑通りと言ってしまえば角が立つけれど、思惑通り、私たちは必要以上に街を歩き、薄暗く人通りも少ない路地へと迷い込んでいた。
メインストリートの祭囃子はどこか遠くへ伸びて消えてしまった。ここは港町によくある昼間の歓楽街のようだ。
薄いピンクの汚れた壁、石畳の目にびっしりと詰まる煙草の吸殻、明かりの灯らない剥き出しのネオン。
いつから酔いがさめていないのだろうというような酔っ払いの男が私たちをじろじろと無遠慮に眺めながら通り過ぎ、にやにや笑って背後から何か聞き取れない下品な言葉を叫んだ。
ゾロは男には目もくれず、がしがしと頭を掻いて「なんかここらへんにゃ店はなさそうだな」と口をひん曲げた。
「そうね、戻る?」
「あぁ」
歓楽街の入り口には大きなアーチが建っていて、夜になればぺかぺかとネオンで照らされるのだろうけど、少なくともそこが出入り口なのだとわかるようにはなっている。
私たちがくぐって来たアーチへ足を向けると、背後からばたばたと複数の足音が聞こえてきた。
「なんだありゃ」
ゾロが騒ぎの方を振り返り、怪訝そうに眉をすがめる。
私も振り返ると、「追えー!」「待てー!」とまるで寸劇みたいに男たちが手に持つ警棒を振り上げて走ってきた。
先頭にはひとり、必死の形相で追われている男がいる。
「なんだ物騒だな」
「他人事じゃないわゾロ、あれ海軍よ」
こっち、と彼の腕を引っ張って細い路地裏に滑り込む。
とばっちりの火の粉がふりかからないともかぎらなかった。ゾロも私も顔が割れている。
こちらへ向かってくる海軍から見えないところへいかなければ、と咄嗟に入り込んだはいいものの、路地裏は歓楽街の飲食店や宿場のゴミ捨て場と化していて、足を踏み入れた瞬間鋭い悪臭が鼻を突き抜けた。
「う、くっせェ」
「ひどい場所」
買ったばかりのスニーカーと包帯を巻いた足でゴミ袋を踏みしめて奥へと進む。
人ひとりがやっと通れるような壁と壁に挟まれて悪臭は逃げ場がなくもったりとそこに淀んでいた。
壁に手をついて先に進もうとしたら、「待て」と手を引かれた。
「動くな」
振り返ると、ゾロが足元のゴミ袋を二つ、来た道の方へ蹴り上げて積み上げた。
「しゃがめ」
言われたのとほぼ同時にしゃがみこむ。
荒々しいべた足の足音が私たちのいたところまでやってきて、こちらを覗き込んでいる気配があった。
どうやら追われていた男も私たちと同じように路地裏へ逃げ込んだらしい。
私たちの姿は、ゾロが積みあげたゴミ袋が壁になって見えないはずだ。
しゃがみ込んだ足元をネズミが走って行った。
やがて人の気配が遠のき、ゾロが「行ったか」と顔を上げる。
「待って、確認するわ」
目を閉じて表の路地に目を咲かしてみると、未だ歓楽街では泥棒だか海賊だか知らないが、あの男を探しているようだった。
ただしこの路地の近くにはいない。ゾロがゴミ袋を積み上げたおかげで、ここは行き止まりだと判断されたらしい。
「この辺りにはまだいるわね。少し様子を見て飛び出した方がいいかもしれない」
「早く出てェ」
しゃがみ込んだ私たちは膝と膝を突き合わせて向かい合っていた。
悪臭で鼻に皺を寄せたゾロの顔がすぐ間近にあり、ともすると彼の息まで感じられそうだった。
ということは彼にとっても同じ距離だということで、とても近い、とその通りのことを思う。
「まだか」
「もう少し」
「テメェよく平気だな」
「あら平気なわけないじゃない、いやよこんな場所」
「ナミならもっとぎゃーぎゃーうるせぇ」
いやー汚い、やだねずみ! ちょっと私を背負いなさいよこんなところ靴が汚れちゃう! と騒ぐ彼女の姿が容易に目に浮かび、笑ってしまう。
「あの子ほど可愛くなれないの」と言うと、ゾロは「面倒がなくてちょうどいい」とぶっきらぼうに言い捨てた。
「いいのか、足」
「え?」
「包帯、汚れてやがる」
「あぁ、えぇ平気よ。痛みは少ないし、汚れくらい」
不意にゾロが手を伸ばし、私の足首に触れた。
突然のことに驚いて身をすくめると、バランスを崩して後ろに倒れ込みそうになった。
咄嗟にゾロが反対の手を伸ばし、私の背中を受け止める。
足首と背中に彼の手を感じ、その瞬間脈拍が走り出す。海軍から逃げる時以上に息を詰め、やっとのことで「なに」と絞り出した。
「チョッパーが熱持ってるっつってだろ。熱いのかと思って」
「そ、んな好奇心で急に触らないで頂戴……」
ゾロが顔を上げた。至近距離で目が合う。
覗き込むように視線で掬い上げられて、目を逸らすことができない。
「熱いな」
ぎゅ、と軽く足首を握られた。
ほのかな痛みが走り、顔をしかめるより早く唇が触れた。
背中に回った手に力がこもり、引き寄せられる。
薄く目を開けると視界はぼんやりとかすんで、薄暗さの中ゾロの顔すら見えなかった。
重なっていただけの唇がじれったく、薄く唇を開いた。応えるように舌が唇に触れるも、ほんの少し舐めるように動いただけですぐに離れた。
ゾロ、と頼りない声で囁くとゾロは険しい真顔で「静かにしろ」と言った。
「こんなところで呑気にやってる場合じゃねェだろ」
「あなたからしたくせに」
「しょうがねぇだろ」
鼻先が触れ合う。
一体何がしょうがないのか、聞く間もなくゾロが「そろそろいいだろ」と短く言った。
「そうね、行ったみたい」
「畜生、巻き込みやがって悪党が」
よっぽどあなたの方が悪党的な顔をしている、と思ったけれど言わなかった。
ゾロは立ち上がり、足元のゴミ袋を蹴散らしてから私の腕を引いて引き上げた。
ぐんと身体が持ち上がり、勢いよく立ちあがった、
が、踏みしめたはずの地面は有象無象のゴミが転がっていて、それらにひっかかった私の脚はたたらを踏んで立ち上がった勢いのまま真正面からゾロにぶつかった。
「うお」
ゾロが小さくよろめく。彼が後ろに一歩引いた足で踏みとどまってくれるはずだった。普通なら。
しかし後ろには積み上げたゴミ袋があり、ゾロの引いた踵が袋にぶつかったのか大仰にがさっと音が鳴った。
「うお、ちょ、待っ……」
彼が背後に倒れていく。洩れなく私も。
珍しく焦った彼の顔を間近で見ながら、いけない、と思った。
ビニール袋とその中身がぶつかり合い、ばしゃんと大きな音を立てて崩れ落ちた。
その中心にゾロと私が折れ重なって倒れ込む。
比較にならない悪臭が、自分たちから瞬間的に立ち上った。
液状化した生ごみが下から染みだしている。
「く、くっそ……最悪だ」
「ひどいわね」
「ひどいわね、じゃねーだろうが! お前だけおれの上に乗って助かりやがって」
背中が冷たェ、と心底嫌そうな顔で、ゾロは私を乗せたまま上体を起こした。
くせぇ、きたねぇ、ともどかしそうに自分の身体を見渡している。
と、どこかに消えたはずの足音がまた近づいてくる。地面が揺れるように感じた。
「戻って来たわ」
「こんだけ大騒ぎすりゃあ聞こえちまうだろうよ、ったく」
最悪だ、と再び彼はいい、素早く立ち上がると同時に私を左脇に抱え込んだ。
「え」
「落とされんなよ」
ゾロは四つ足の獣のように散乱したゴミ袋を一足とびに跨ぎ越し、一気に路地裏を走り抜けて表へ飛び出した。
急に視界が明るくなり、ぎゅっと目を閉じる。
次に開くと、左右から先程の海軍たちがこちらに走ってくるところだった。
ち、と癖のように舌を打ってゾロは左へ走り出す。
真正面と背後から追ってくる海軍は私たちの正体に気付き始めたようで、ちらほら名前を呼ばれるのが聞こえてきた。
「ゾロ、どこに」
「いいから大人しく担がれてろ」
丸太のように抱えられてうつ伏せになった私の右側で、ひらりと刀の身頃が閃く。
音もなく刀を抜いた彼は、真正面の敵の中をつむじ風のように通り過ぎて、そして斬っていた。
キン、と最後にひとつ鋭い音をたて、刀は何事もなかったかのように彼の右腰に収まった。
彼は止まらず走り続ける。
「ゾロ、キリがないわ、まだ追ってくる」
「んじゃあどこいきゃいいんだ。全員のしちまうか」
「それでもいいけど」
少し考えて、私たちのすぐ背後に大量の腕を咲かせて壁を作った。
どよめきが一瞬聞こえるも、すぐにその壁に遮られて小さくなる。
「そこに入って」
そばにあった建物を咄嗟に指差す。
ゾロは迷わず駆けこんだ。
壁とはいえ私の腕であることに変わりはないので、撃たれたり斬られたりしてはたまらない、とすぐに散らした。
宿場は開いたばかりのようで、けだるそうに開店の準備をしていた宿の主人が飛びこんできた汚い二人組を見てぎょっと目を瞠った。
「部屋あいてるか」
「あ、あぁ、どの部屋が」
「どこでもいい、早く鍵よこせ!」
ゾロの気迫に押されて主人が慌てて小部屋に引っ込み、受付の窓から鍵をこちらに投げてよこした。
受け取ったゾロが大股で奥の廊下を進み、階段を駆けあがる。
「ゾロ、部屋番号は」
「301」
「3階ね、右よ」
案内表示の通り指示を出す。
階段の一番近くにその部屋はあり、ゾロは私を抱えたまま飛び込んですぐさま後ろ手に鍵を閉めた。
激しい呼吸に、担がれる私もろとも揺れる。
「下ろして、ゾロ」
思い出したように彼は私を離した。
床に降り立ち、すぐさま小さな窓のカーテンを閉める。隙間から外の様子を見下ろすと、未だあの制服の何人かが通りを走っていた。
「しばらくは隠れられるだろ」
未だ整わない息のまま、ゾロが腰に手をあてて言う。
「そうね。ここの主人がお金でも積まれて口を割らなければ」
「あぁ、じゃあ口封じでもしてくるか」
ちょっと待ってろ、と言いゾロは部屋を出ていった。
こちらに向けた背中はぐっしょりと耐えがたい生ごみの汚れで濡れていて、申し訳ない気持ちになる。
大丈夫かしら、と思うも、意外と早くゾロは戻ってきてすぐにまた鍵を閉めた。
「大丈夫?」
「あぁ」
具体的に何をどうしたのかわからないが、訊くのもためらわれて結局何も言わなかった。
思い出したように悪臭が部屋に立ち込めてくる。
はー、と長い息をついて、彼も不快そうに自分のにおいを嗅いでいた。
「とりあえず風呂入りてェ」
「そうね、服も洗った方がいいわ」
「着替えがねぇな」
「外が落ち着いたら私が買ってくるわ」
多少変装して出る必要があるだろう。大通りの方へ戻ってしまえば、今日は特に祭りの様なので人ごみに紛れてしまえるだろう。
ゾロはその場で上に消えていたシャツをもぎ取るように脱ぎ、「風呂場はここか」とそれらしき扉を開けた。
「湯が張ってある」
「え」
彼の背後から覗き込むように風呂場を見ると、脱衣所の向こうでなんと浴槽が暖かく湯気を立てている。
浴槽があることにも驚いたが、空いたばかりの宿屋で既に湯が張られているというのはよくわからない。
「不思議。なぜ?」
「そういう店だからじゃねェのか」
「──成程」
ようするにここは娼婦たちの仕事場なのだ。てっとり早く客を洗ってことに運べるように、全室温かい湯が初めから張ってあるのかもしれない。
「知らなかった。面白いわね」
「どっちにしろありがてェ」
ゾロが浴室の床に脱いだシャツを放り投げたので、私は部屋に戻った。
換気扇を回して、少しでも悪臭を外に掻きだす。
靴を脱ぎ、床に直接座り込んだ。汚れた包帯をとってごみ箱に捨てた。
チョッパーが巻いてくれたテーピングは外してしまうと自分では元に戻せないので、そのままにしておく。
キャミソールを引き上げて鼻に近付ける。彼ほどではないけれどやっぱり少し匂いは移っている。
パンツの裾には生ごみが飛び跳ねただろうし、洗わなければならない。
ぐるりと部屋を見渡した。
薄いベージュの安っぽい壁紙。天井近くはひび割れて、お粗末にも飾ってある絵画は傾いていた。
ベッドは部屋の真ん中にどんと一つあるだけで、それ以外の家具はなにもない。ローテーブルの一つすらなく、ただ狭い通路がベッドの足元にあるだけだ。
勿論椅子もないので汚れた身体ではこうして床に座るしかなく、床は硬くて冷たかった。
「おい」
突然ひょこりと脱衣所からゾロが顔を出す。
そちらに目を遣ると、「入るか」と真顔で訊かれる。
「えぇ。早いわね」
「おれぁまだだ。先にシャツ洗った」
「そうなの。じゃあ先入って頂戴。後でいいわ」
ゾロは少し考えるようにどこかに視線をやると、また私の目をまっすぐに見た。
「言っとくけどな、おめーも結構におうぞ」
「まぁ」
わざとらしく目を丸めてみせると、ゾロは顎でしゃくって風呂場を示す。
「来い、さっさと洗っちまえ」
えぇ、と戸惑いながら立ち上がる。
風呂場へ行くと、ゾロは浴室の真ん中で洗ったシャツをぎゅっと絞っていた。
ぼたぼたと激しい水音が響く。
「そのズボンも洗わなきゃ」
「今から洗う」
「なら私は後でいいと」
ん、と唐突にゾロが手招く。
珍しい仕草に少し驚きながら、ついふらりと近寄ったらぐいと腰を引き寄せられた。
「こんなおあつらえ向きの場所でひとりで入れってか」
首筋に唇をつけて囁かれる。
う、と呻きそうになりながら彼の肩にしがみついた。
「そんな、場合じゃないでしょう」
「硬ェこと言うな。おら」
キャミソールをめくりあげられ、あっというまに剥かれてしまった。
「ちょっと」と声をあげるも同時に下着を外され、取り去られた。
「ゾロ、待って」
「うるせぇな」
「先にシャワー浴びて頂戴。あなたこそ、すごくにおうんだもの」
顔を上げたゾロはむっと顔をしかめて、なにか言い募ろうと口を開いたが事実その通りだと思ったのか、「仕方ねェな」と納得しない顔で呟いた。
ゾロは私の腰を抱いたまま浴室に入った。
そしてシャワーコックを掴むので、えっと私は声をあげる。
「待ってゾロ私まだ」
「どうせ洗うんだろ」
頭上から、ざっと水が降る。
その冷たさに首をすくめたが、徐々に水は熱いお湯へと変わって行く。その温度変化に鳥肌が立った。
濡れた髪が頬に、肩に、首筋に張り付く。
顔を流れる水が目に入り、ぎゅっと目を瞑る。
そして開くと少し下方でゾロが顔を撫で上げたところだった。
不意に後頭部に手が回り、引き寄せられて唇が重なる。
私たちの頭上からひっきりなしに降り注ぐお湯が口の中に入り、それすら飲み込むみたいにぬるりと触れた。
「ん」
責めたてるみたいに追い込んでくる舌から、逃げるつもりもないのに上体が後ろに沿っていく。
その度に私の後頭部を支える手に力が加わり、頭を引き戻される。
反対の手がパンツの後ろから無理やり侵入して来て、丸みに沿って指が動く。
目を開けるとすかさず水が目に入り、水彩画に水をぶちまけたみたいな歪んだ景色しか見えない。
浴室に立ち込める蒸気が身体を熱して、頭の中までその蒸気で蒸されてしまったみたいにぼんやりとする。
肩に置いていた手を滑らせてこちらからも彼の腰を引き寄せると、張りつめた筋肉に力が加わったのがわかってどきりとした。
唐突に彼が湯を止めた。ぎゅ、とコックを回した音がやけに大きく響く。
それを合図に唇が離れ、なぜかほっとした。
厚くて硬い親指が私の頬を辿り唇を拭うように撫で、首筋を通り過ぎて肩を掴む。
すぐそこに彼の耳が見えて、ふと思いつきで咥えた。
「おい」
「ふふ」
耳のくぼみに舌をあてがう。
思いのほか彼の反応がなくて、つまらないと思ったのも束の間、ざっとパンツを下着ごと下ろされた。
「や、ちょっ」
「濡れてっと気持ち悪ィだろ」
「脱ぐ間もなく濡らしたのはあなたじゃな、あ」
鷲掴むように臀部を持ち上げられる。鎖骨から胸の中心に向かって舌が這う。
よろめいてたたらを踏むと、足元の水がパシャンと跳ねて室内に響いた。
でもそれよりも、私たちの息の方がずっと強く響いている。
背後に回った手が臀部の丸みに沿って動き、後ろから熱い場所に触れた。
なんのひっかかりもなく、指が一本ぬるっと入り込む。
「ああ、いや」
「準備万端じゃねェか」
掻きだすように出し入れされると膝が震えた。
しがみつく指すら痺れるみたいにじんじんして、「ゾロ、だめ、やめて」と懇願する。
下から胸を持ち上げられて、指で先端を弾かれる。そのたびに「だめ、やめて」と繰り返した。
答えは返ってこず、代わりに最初のものより数倍優しく唇が重なった。
無言で水音だけのキスが続く。
脚を辿って水ではないとろみを帯びた粘膜が落ちていく。私の鼓動に従って、どくどくと流れていくようだった。
「はぁ、脚が、疲れたわ」
「ばか言え、しっかり立ってろ」
片手で彼がハーフパンツを下へ落とした。手を伸ばすと硬いものに触れた。そのまま辿るように動かすが、すぐに手首を掴まれる。
「いい、しなくて」
「でも」
いいから、というように手を払われて、代わりにすぐ脚の間にあてがわれる。
そのまま押されるように壁際に詰め寄られ、冷たいタイルに背中が触れた。
熱した身体が一瞬で冷やされて、でも今度は応戦するように触れたタイルが熱くなっていくのがわかる。
おもむろにぐいと左足を持ち上げられた。
「や、ゾ」
なぞるように出入り口をこすられる。それも一瞬で、あっという間に飲みこまれるみたいに入ってきた。
一気に、頭のてっぺんまで脊髄を伝って電気が走る。
はっと浅い呼吸が漏れ、つかみどころのないタイルに手を這わせるとぺたんと頼りない音が鳴った。
奥の方まで一度で入ってきて、ゾロは私の肩に額を預けて深く息をついた。
動いてもいないのに、あぁと声が漏れる。
突然、ずっと引き抜かれた。
「あっ」
「はー、くそ」
ゾロは私の肩にこめかみの辺りをあて、力を抜いて寄りかかる。
思うままに彼の髪に触れると、短い毛から細かい水が跳ねた。
「ゾロ?」
「なんでもねェ」
頭を上げたゾロは、もう一度私の足を持ち上げて、今度こそ最奥まで一気に突き上げた。
「あぁっ」
く、と歯を噛み締める声が顔のすぐそばで聞こえる。
引き抜かれて次に突き上げられるたび、どんどん奥に当たる気がする。
そのたびに洩れる声が低い天井に当たり、反響して私たちの上に降ってきた。
彼の肩にしがみつき、遠慮なく響く声をふるえる手で押しとどめるように口元に当てた。
気付いたゾロが空いている方の手で私の腕を強く押さえ、呆気なく口元から離れてしまう。
「や、あぁ」
「は、口元、押さえんな」
遮るものなく飛び出した声を、ゾロは愉しむみたいに見えた。
彼の息遣いに耳を澄ますも、そんな余裕はとうになく、あっという間に何もかも訳が分からなくなる。
何をしにここに来たのか、どうして二人でこんなことをしているのか、そのすべてが他愛もない些事に思われて、一瞬ですべて真っ白に塗りつぶされた。
ただここにゾロがいて、私に触れて、そのせいで眉間にしわを寄せ、荒い息を吐いている。
ぐっと胸が押しつぶされて、光みたいな火花みたいな細かい粒が頭の奥の方で弾けた。
→
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カリカチュアの朝1/2/昼1/
この店に寄ると言うと、彼は外で待っていると言った。口ごもって彼を見つめると、不躾とも言える目で「なんだ」と尋ねてくる。
先に行っててもいいわよ、という一言を言い淀んで、結局言わずに店に入った。
小さな生活用品店。背の高い棚には細々と石鹸や歯磨き粉やその他もろもろの必需品が並び、目移りする間もなく私は必要なものをどんどん袋に放り込んだ。
ゾロが待っている、と思うと急ぐ気持ちもあり、私を待つゾロ、というのに心躍るような気持ちもある。
ガラス戸越しに出口の方を見てみると、彼は腕を組んで壁にもたれ大あくびをしたところだった。
折れてしまった櫛の代用品を探して店内を行ったり来たりしながら、あのまま先に行っててもいいと言っていたら彼はどうしただろうと考える。
棚の上を目は滑るだけで、私はずっとそんなことを考えている。
もし彼が本当に行ってしまったら、私は一度店に入るも買い物もそこそこに慌てて彼を追いかけるだろう。だって彼が一人で船に帰れるだなんて私は微塵も信じていない。
とはいえこうして彼を待たせて一人買い物をするというのはとびきり新鮮で、というか慣れなくて、そわそわと落ち着かなかった。
誰かが待っているということに私はまだ慣れていないのだと気付く。
それがゾロであれ、誰であれ。
結局どちらだって同じことだと思う。
私はいつだって落ち着いているふりをして落ち着きがなく、困ったように辺りを見渡してなんとなく周囲に同調する術ばかり上手くなった。
「あ」
手元が狂い、手に取ろうとした木櫛を取りこぼした。
カツンと細い音が鳴り、硬い床を櫛が滑った。
いけない、と下に手を伸ばしたら、向かいから同じように武骨な手が伸びてきて私よりも早くそれを拾った。
「ん」
「ありがとう。退屈した?」
「あぁ」
思ったことを思った通り口にして、彼は真顔で「飽きた」と同じ意味のことを言った。
「貸せ」と彼が手を差し出すので一体何のことかと思えば、私の答えも聞かずに彼は商品の放り込まれた袋を私の手から奪い取った。
「まだ買うのかよ」
「あ、えぇ、あと歯ブラシの予備と、オイルと、ナミに頼まれたリムーバーも探さないと」
ふうん、と彼は子供のようにつぶやいて、私の袋を持ったまま陳列棚の間をすたすたと歩き始めた。
なんとなく後を追う。
「おれも歯ブラシ買いてェ」
「なら一緒に買うから、そこにいれるといいわ」
「どこだ」
こっち、とケア用品の方を指差すが、彼は頷いたくせにすぐ次の角を曲がろうとした。
どういうことなの、と笑いそうになりながら「ちがうわゾロ」とその腕を取る。
腕を引かれて彼は大人しく踵を返した。
大きさの違う歯ブラシを二本袋に入れる。
なんでもないその行為にちらりとなにかしらの意味がよぎって、妙に緊張した。
買う予定の他の品を私が物色し始めると、ゾロは退屈しのぎなのか私のあとをつけてきた。
身体を洗うスポンジを指差して「これはウソップが使ってる」だとか、たくさん並ぶ男性用の整髪料に対して「胸糞悪いにおいがする」だとか(彼はきっとサンジのことを思い出していた)好き勝手コメントするゾロに、私は「えぇ」だとか「そう」だとか答える。
楽しいのかしら、と言う考えが不意に降りてきて、気付いたら「楽しいのかしら」と口に出していた。
「あ?」
「楽しい?」
振り向いてそう尋ねると、ゾロは不可解そうに一瞬眉をすがめて、「いや」と口にする。
「別に」
「なんだ、そうなの」とその答えに肩を落として、私はまた前を向いた。
「楽しくもねぇけど、つまらなくもねェ」
「回りくどい言い方をするのね」
「大人だからな」
驚いて彼をもう一度振り返る。大人だなんて、彼の口から飛び出すとは思わなかった。
彼は何故か顔をしかめて、「言っとくけどな」と妙にハリのある声で言う。
「おめーはいつもおれをガキ扱いしすぎだ」
かつん、とつま先が棚にぶつかる。
陳列棚のよくわからないチューブ状のものがひとつ、ぱたりと横に倒れた。
それをもとに戻しながら、「そんなつもりじゃなかったけれど」と口答えするように私は呟く。
「いや、してる。ガキを見るみてェな目をしやがる」
「気を付けるわ」
「ほれ、それだその顔」
イッと歯を向いて彼が私の顔を指差す。
目を丸めて突きつけられた指先を見下ろすと、彼はフンと息をついて指を下ろした。
「たまには気の抜けた顔の一つでもしてみやがれ」
「そんなまた、難しいこと」
顔の向きを戻して陳列棚を見上げると、一番上に目当てのオイルが並べてあった。
「ゾロ。あれ」
「あ?」
「取って」
ゾロは悩む間もなく手を伸ばしてひょいとそれを取った。
ありがとう、と受け取る。
「頼ってみたけどどうかしら」
「おう、悪くねェな」
偉そうなゾロの口調にふふっと笑み零れた。
案外簡単ね、と口にするとまた大人ぶんなと怒られそうで、私は黙ってオイルをゾロの提げる袋の中に放り込んだ。
ナミのおつかいも無事すませ、会計を終えて外に出るとあんなにも晴れていた空に薄く雲が伸びていた。
日差しがやわらいで、景色の角が取れてほんのりと全体的に丸くなる。
風が吹くと温まった石畳から細かい砂が舞い、足元をさらさらと流れていった。
「買いもんは終わりか」
「えぇ、あとはクリーニングを回収して任務完了」
「わざわざ店で洗うったぁ珍しいな」
「ナミと私の服と、女部屋のカーテンよ。カーテンは珈琲をこぼしてしまったの」
彼が迷わず店を出て右に歩き出したので、私も後に続いた。
クリーニング屋はおそらく左なのだけど、もう何度目かになるかわからない言葉を飲みこんで、ゾロの短く尖った襟足を見つめて追いかける。
「疲れた?」と訊いてみるが、思った通り「まさか」と返ってきた。
よどみない足取りで彼はどこかにあるはずのクリーニング屋へずんずん進んで行く。
地図も何も確認しないのに、背中からは自信が溢れている。
こうしてぐるぐるとあてどなく街を歩いていれば、少しでも最短距離から正反対の時間をかけて歩くことができる。
私は自分がこんなにも意地悪いずるができるだなんて、今の今まで知らなかった。
彼の片手に買い物の荷物を持たせて、空いている方の手を私に貸して欲しいだなんて図々しいことまで考える。
望みはどこまでも果てがなく、欲しいと言えばもしかしたら手に入るのかもしれないけれど、私にはまだ少し遠かった。
→
この店に寄ると言うと、彼は外で待っていると言った。口ごもって彼を見つめると、不躾とも言える目で「なんだ」と尋ねてくる。
先に行っててもいいわよ、という一言を言い淀んで、結局言わずに店に入った。
小さな生活用品店。背の高い棚には細々と石鹸や歯磨き粉やその他もろもろの必需品が並び、目移りする間もなく私は必要なものをどんどん袋に放り込んだ。
ゾロが待っている、と思うと急ぐ気持ちもあり、私を待つゾロ、というのに心躍るような気持ちもある。
ガラス戸越しに出口の方を見てみると、彼は腕を組んで壁にもたれ大あくびをしたところだった。
折れてしまった櫛の代用品を探して店内を行ったり来たりしながら、あのまま先に行っててもいいと言っていたら彼はどうしただろうと考える。
棚の上を目は滑るだけで、私はずっとそんなことを考えている。
もし彼が本当に行ってしまったら、私は一度店に入るも買い物もそこそこに慌てて彼を追いかけるだろう。だって彼が一人で船に帰れるだなんて私は微塵も信じていない。
とはいえこうして彼を待たせて一人買い物をするというのはとびきり新鮮で、というか慣れなくて、そわそわと落ち着かなかった。
誰かが待っているということに私はまだ慣れていないのだと気付く。
それがゾロであれ、誰であれ。
結局どちらだって同じことだと思う。
私はいつだって落ち着いているふりをして落ち着きがなく、困ったように辺りを見渡してなんとなく周囲に同調する術ばかり上手くなった。
「あ」
手元が狂い、手に取ろうとした木櫛を取りこぼした。
カツンと細い音が鳴り、硬い床を櫛が滑った。
いけない、と下に手を伸ばしたら、向かいから同じように武骨な手が伸びてきて私よりも早くそれを拾った。
「ん」
「ありがとう。退屈した?」
「あぁ」
思ったことを思った通り口にして、彼は真顔で「飽きた」と同じ意味のことを言った。
「貸せ」と彼が手を差し出すので一体何のことかと思えば、私の答えも聞かずに彼は商品の放り込まれた袋を私の手から奪い取った。
「まだ買うのかよ」
「あ、えぇ、あと歯ブラシの予備と、オイルと、ナミに頼まれたリムーバーも探さないと」
ふうん、と彼は子供のようにつぶやいて、私の袋を持ったまま陳列棚の間をすたすたと歩き始めた。
なんとなく後を追う。
「おれも歯ブラシ買いてェ」
「なら一緒に買うから、そこにいれるといいわ」
「どこだ」
こっち、とケア用品の方を指差すが、彼は頷いたくせにすぐ次の角を曲がろうとした。
どういうことなの、と笑いそうになりながら「ちがうわゾロ」とその腕を取る。
腕を引かれて彼は大人しく踵を返した。
大きさの違う歯ブラシを二本袋に入れる。
なんでもないその行為にちらりとなにかしらの意味がよぎって、妙に緊張した。
買う予定の他の品を私が物色し始めると、ゾロは退屈しのぎなのか私のあとをつけてきた。
身体を洗うスポンジを指差して「これはウソップが使ってる」だとか、たくさん並ぶ男性用の整髪料に対して「胸糞悪いにおいがする」だとか(彼はきっとサンジのことを思い出していた)好き勝手コメントするゾロに、私は「えぇ」だとか「そう」だとか答える。
楽しいのかしら、と言う考えが不意に降りてきて、気付いたら「楽しいのかしら」と口に出していた。
「あ?」
「楽しい?」
振り向いてそう尋ねると、ゾロは不可解そうに一瞬眉をすがめて、「いや」と口にする。
「別に」
「なんだ、そうなの」とその答えに肩を落として、私はまた前を向いた。
「楽しくもねぇけど、つまらなくもねェ」
「回りくどい言い方をするのね」
「大人だからな」
驚いて彼をもう一度振り返る。大人だなんて、彼の口から飛び出すとは思わなかった。
彼は何故か顔をしかめて、「言っとくけどな」と妙にハリのある声で言う。
「おめーはいつもおれをガキ扱いしすぎだ」
かつん、とつま先が棚にぶつかる。
陳列棚のよくわからないチューブ状のものがひとつ、ぱたりと横に倒れた。
それをもとに戻しながら、「そんなつもりじゃなかったけれど」と口答えするように私は呟く。
「いや、してる。ガキを見るみてェな目をしやがる」
「気を付けるわ」
「ほれ、それだその顔」
イッと歯を向いて彼が私の顔を指差す。
目を丸めて突きつけられた指先を見下ろすと、彼はフンと息をついて指を下ろした。
「たまには気の抜けた顔の一つでもしてみやがれ」
「そんなまた、難しいこと」
顔の向きを戻して陳列棚を見上げると、一番上に目当てのオイルが並べてあった。
「ゾロ。あれ」
「あ?」
「取って」
ゾロは悩む間もなく手を伸ばしてひょいとそれを取った。
ありがとう、と受け取る。
「頼ってみたけどどうかしら」
「おう、悪くねェな」
偉そうなゾロの口調にふふっと笑み零れた。
案外簡単ね、と口にするとまた大人ぶんなと怒られそうで、私は黙ってオイルをゾロの提げる袋の中に放り込んだ。
ナミのおつかいも無事すませ、会計を終えて外に出るとあんなにも晴れていた空に薄く雲が伸びていた。
日差しがやわらいで、景色の角が取れてほんのりと全体的に丸くなる。
風が吹くと温まった石畳から細かい砂が舞い、足元をさらさらと流れていった。
「買いもんは終わりか」
「えぇ、あとはクリーニングを回収して任務完了」
「わざわざ店で洗うったぁ珍しいな」
「ナミと私の服と、女部屋のカーテンよ。カーテンは珈琲をこぼしてしまったの」
彼が迷わず店を出て右に歩き出したので、私も後に続いた。
クリーニング屋はおそらく左なのだけど、もう何度目かになるかわからない言葉を飲みこんで、ゾロの短く尖った襟足を見つめて追いかける。
「疲れた?」と訊いてみるが、思った通り「まさか」と返ってきた。
よどみない足取りで彼はどこかにあるはずのクリーニング屋へずんずん進んで行く。
地図も何も確認しないのに、背中からは自信が溢れている。
こうしてぐるぐるとあてどなく街を歩いていれば、少しでも最短距離から正反対の時間をかけて歩くことができる。
私は自分がこんなにも意地悪いずるができるだなんて、今の今まで知らなかった。
彼の片手に買い物の荷物を持たせて、空いている方の手を私に貸して欲しいだなんて図々しいことまで考える。
望みはどこまでも果てがなく、欲しいと言えばもしかしたら手に入るのかもしれないけれど、私にはまだ少し遠かった。
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猫一匹分くらいの大きさの海老をその姿のまま真っ赤に焼き上げたものが三つ、大皿にどんと乗って運ばれてきた。
私たちは料理が来るまでにすでに一本瓶を空けてしまい、海老を届けに来たウェイターに新たな一本を注文する。
ゾロは両手で海老をばりっと折って、見事に詰まったその身をがぶりと頬張った。
私は手で殻をむき、フォークで身を口に運ぶ。
弾力のある身が口の中で弾けて、海の塩気が効いている。
お酒がすすんだ。
「ウメェな」とゾロがぽつりと言う。
「本当ね。立派な海老のわりには値段も安いし」
「もう一個頼むぞ」
ゾロがウェイターを呼び止め、別の海老料理を注文する。
「この辺りでよく獲れるみたいね」
「てこたぁコックが大量に仕入れて来るな。違うもん食っときゃよかった」
「本場で食べるのもいいじゃない」
丸いテーブルの白いクロスに、朱色の殻が積まれていく。
ある程度殻が溜まると、いつのまにか店員が殻をさっと掃いて集めて持って行ってくれた。
新しいボトルが届き、ゾロのグラスに注ぐ。
悪ィな、と言ってゾロはそれをぐいと飲んだ。
「あと用は何が残ってんだったか」
「あとはクリーニングを回収するだけ。少し私も買い物をしていきたいんだけど」
「服か」
「いえ、石鹸とか、そういうの」
ゾロが少しほっとした顔をしたように見えて、一体今までナミの買い物にどれだけ苦しめられてきたのか目に見えるようだった。
「あとそう、靴を買うわ」
「あぁ」
店の人に頼んで、私の右足首には氷が巻かれていた。
おかげで感覚はないが、痛みも随分楽になった。
食事が終わるころ、オープンテラスで食事をする私たちの前を行き交うにぎわいの中に見慣れた姿を見かけた。
彼の方もきっとにおいで私たちに気付いていて、探しているようだった。
「チョッパー、ここよ」
声をかけて手を振ってやると、四つ足の彼はぱっと顔を華やがせてこちらへ駆けて来た。その背にはハーネスのように紐が結んであり、大きな台車をごろごろと引いていた。白菜やら小麦粉やら、食料がたくさん乗っている。
「お疲れさま。サンジのお手伝いしてたの?」
「そうだ! サンジはまだ買うものがあるから、これ持って先船帰ってろって」
「そう、偉いわね」
チョッパーははにかむように青い鼻先を細かに動かした。
「お前らメシ食ってたのか、いいなあ」
「あなたも食べてく?」
「んーでもおれ、サンジに船で食べるって言っちゃった」
「そう」
ふとチョッパーの鼻先が下を向き、私の足元に目を止めた。途端に顔色を変え、私の名前を叫ぶ。
「怪我してるじゃないか! 見せてみろ」
いつもの小さな姿になり、台車を引く紐をもがくように取り払うとチョッパーは人目も気にせずテーブルの下に潜り込んで私の足を手に取った。
「冷やしてたのか、でもまだ腫れてるし熱も持ってるな」
「ヒールが折れてしまったの」
「待ってろ、すぐに固定してテーピングするから」
台車の隅に乗せていた青いリュックを引っ掴むと、彼は白い小瓶に入ったクリームを幹部に塗り、それから白い包帯を手際よく私の足首に巻き始めた。
真剣な彼の目に私まで見入ってしまう。
ものの数分で「できたぞ」とチョッパーは私の足首を離した。
幹部から下はまったく動かないように固定され、でも驚くほど痛みがない。
クリームを塗られたところがひやひやとしている。
「すごいわ、全然痛くない」
「固定してるから今は痛くないだけで、あんまり歩いちゃだめだ。そうだ、乗せてってやるから一緒に帰るか?」
あ、と声には出さなかったが、口ごもってしまった。
ゾロは酒瓶を逆さに煽って、最後の数滴まで飲み干した。
「まだ買いたいものがあるの。ありがたいけど、もう少しぶらついてから帰るわ」
「そうか、無理すんなよ」
「おうチョッパー、これ乗っけてってくれ」
ゾロがバゲットの袋をチョッパーの台車に乗せる。おう、とチョッパーも快く返事をする。
「じゃあおれ行くな。サンジも戻ってくるかもしれねぇし、そしたら昼飯くいっぱぐれちまう」
トナカイ型になった彼に背に台車の紐をかけてあげる。
「ありがとうね」と背中をひとつ叩いてやると、張り切った様子で彼はまたゴロゴロと台車を引いて、船のある方へと歩いて行った。
ゾロがひとつ伸びをして、「おれたちも行くか」と腰を上げた。
「歩けるか」
「えぇ」
そろそろと立ち上がるとき、つい物欲しげな目で彼の方を見てしまった。
なんだというように彼が口先を尖らせる。
「いえ、手を貸してくれる?」
「あぁ」
気付いた彼が手を差し伸べて、その手を取って立ち上がる。
足の痛みは不思議なくらい引いていたので、不安定な靴に右足を置いても歩いて行けそうだった。
「残念」
「あ?」
「もう少し運んでもらえるかと思って」
チョッパーには悪いけど、と少しきまり悪い思いをしながらそう言うと、ゾロは一拍きょとんとした後唐突に吹き出して笑った。
「お前さっきは「荷物になって」とか殊勝なこと言ってたくせに」
「だって、でもさっきは本当に悪いと思っていたのよ」
ゾロは笑いの残る顔を手で拭って、「乗せて行ってやろうか」と言った。
「もう結構よ。いじわるね」
「おま、勝手な言い分だな……」
ゾロは私の手を引いて、いつもより狭い歩幅で歩き始めた。
「まずは靴屋だな、もっと歩きやすい靴買え」
「そうね、そうするわ」
いつでも走り出せるように。
「今敵襲があったら、私真っ先にやられてしまうわね」
「どの口が。大人しくやられるようなタマじゃねェだろ」
「でも速く走れないんじゃもしものとき危ないじゃない」
「今はいいだろ、おれがいんだから」
「背負って逃げてくれるの?」
ゾロは私の顔を見もせずハンと鼻を鳴らした。
「だれが逃げるか。お前背負って戦ってやるよ」
「危ないわ。私が」
ゾロが呆れた顔で私を振り返るので、「だってあなた刀を振り回すじゃない」と思ったことを口にする。
ゾロは少し考えて口を開き、「んじゃあせいぜいおれの背中で小さくなってろ」と投げやりに言った。
きっと彼は本当に言葉の通り、私を背負ったままでも戦ってしまうのだろうなと思った。
彼の邪魔をしないよう首を縮めて、必死で背中にしがみつく自分を想像したら少し笑ってしまって、「にやにやすんな」と叱られた。
素朴で手作り感のあふれる靴屋を見つけ、歩きやすそうで平らなスニーカーを買った。
左足だけ履いて、右足の靴は袋に入れてもらう。
踵が下がって重心が安定し、やっと一息付けた心地がした。
「おまたせ」と言って店を出ると、さっきの私のように今度はゾロが足元に猫をまとわりつかせていた。
「猫の多い街ね」
「踏んじまう。おらどけ」
猫は何故かゾロの足首に爪を立て、その足を上へ登ろうとする。
いってェ! とゾロが大きな声を出してもおかまいなしに猫はがりがりと爪を立てた。
「クソ、なんだこいつ」
「随分懐かれてるわね」
とうとうゾロは猫の首根っこを掴んで持ち上げた。
なーとかにーとか、低めの声で猫が不満げに鳴く。
「ったく、あっちいってろ」
ゾロは無造作にぽいと猫を店先の草むらに放った。
軽い放物線を描いて、猫はすたっと四つ足で地面に着地する。
そのままゾロのことなんて忘れたように、店の壁沿いに路地を曲がって行ってしまった。
私たちはなぜかしばらく、その姿を見送った。
気ままに歩いていく後ろ姿がどことなく愛しく思えたのかもしれない。
私の方が先に視線を外してゾロの顔を窺うと、彼も気付いてこちらに視線を寄越した。
思い出したように「行くぞ」と言って彼は歩き出す。
その目になにか懐かしいような気持ちを感じて、でもその懐かしさの正体もわからないまま、彼のあとに続いて私も歩き出した。
→
私たちは料理が来るまでにすでに一本瓶を空けてしまい、海老を届けに来たウェイターに新たな一本を注文する。
ゾロは両手で海老をばりっと折って、見事に詰まったその身をがぶりと頬張った。
私は手で殻をむき、フォークで身を口に運ぶ。
弾力のある身が口の中で弾けて、海の塩気が効いている。
お酒がすすんだ。
「ウメェな」とゾロがぽつりと言う。
「本当ね。立派な海老のわりには値段も安いし」
「もう一個頼むぞ」
ゾロがウェイターを呼び止め、別の海老料理を注文する。
「この辺りでよく獲れるみたいね」
「てこたぁコックが大量に仕入れて来るな。違うもん食っときゃよかった」
「本場で食べるのもいいじゃない」
丸いテーブルの白いクロスに、朱色の殻が積まれていく。
ある程度殻が溜まると、いつのまにか店員が殻をさっと掃いて集めて持って行ってくれた。
新しいボトルが届き、ゾロのグラスに注ぐ。
悪ィな、と言ってゾロはそれをぐいと飲んだ。
「あと用は何が残ってんだったか」
「あとはクリーニングを回収するだけ。少し私も買い物をしていきたいんだけど」
「服か」
「いえ、石鹸とか、そういうの」
ゾロが少しほっとした顔をしたように見えて、一体今までナミの買い物にどれだけ苦しめられてきたのか目に見えるようだった。
「あとそう、靴を買うわ」
「あぁ」
店の人に頼んで、私の右足首には氷が巻かれていた。
おかげで感覚はないが、痛みも随分楽になった。
食事が終わるころ、オープンテラスで食事をする私たちの前を行き交うにぎわいの中に見慣れた姿を見かけた。
彼の方もきっとにおいで私たちに気付いていて、探しているようだった。
「チョッパー、ここよ」
声をかけて手を振ってやると、四つ足の彼はぱっと顔を華やがせてこちらへ駆けて来た。その背にはハーネスのように紐が結んであり、大きな台車をごろごろと引いていた。白菜やら小麦粉やら、食料がたくさん乗っている。
「お疲れさま。サンジのお手伝いしてたの?」
「そうだ! サンジはまだ買うものがあるから、これ持って先船帰ってろって」
「そう、偉いわね」
チョッパーははにかむように青い鼻先を細かに動かした。
「お前らメシ食ってたのか、いいなあ」
「あなたも食べてく?」
「んーでもおれ、サンジに船で食べるって言っちゃった」
「そう」
ふとチョッパーの鼻先が下を向き、私の足元に目を止めた。途端に顔色を変え、私の名前を叫ぶ。
「怪我してるじゃないか! 見せてみろ」
いつもの小さな姿になり、台車を引く紐をもがくように取り払うとチョッパーは人目も気にせずテーブルの下に潜り込んで私の足を手に取った。
「冷やしてたのか、でもまだ腫れてるし熱も持ってるな」
「ヒールが折れてしまったの」
「待ってろ、すぐに固定してテーピングするから」
台車の隅に乗せていた青いリュックを引っ掴むと、彼は白い小瓶に入ったクリームを幹部に塗り、それから白い包帯を手際よく私の足首に巻き始めた。
真剣な彼の目に私まで見入ってしまう。
ものの数分で「できたぞ」とチョッパーは私の足首を離した。
幹部から下はまったく動かないように固定され、でも驚くほど痛みがない。
クリームを塗られたところがひやひやとしている。
「すごいわ、全然痛くない」
「固定してるから今は痛くないだけで、あんまり歩いちゃだめだ。そうだ、乗せてってやるから一緒に帰るか?」
あ、と声には出さなかったが、口ごもってしまった。
ゾロは酒瓶を逆さに煽って、最後の数滴まで飲み干した。
「まだ買いたいものがあるの。ありがたいけど、もう少しぶらついてから帰るわ」
「そうか、無理すんなよ」
「おうチョッパー、これ乗っけてってくれ」
ゾロがバゲットの袋をチョッパーの台車に乗せる。おう、とチョッパーも快く返事をする。
「じゃあおれ行くな。サンジも戻ってくるかもしれねぇし、そしたら昼飯くいっぱぐれちまう」
トナカイ型になった彼に背に台車の紐をかけてあげる。
「ありがとうね」と背中をひとつ叩いてやると、張り切った様子で彼はまたゴロゴロと台車を引いて、船のある方へと歩いて行った。
ゾロがひとつ伸びをして、「おれたちも行くか」と腰を上げた。
「歩けるか」
「えぇ」
そろそろと立ち上がるとき、つい物欲しげな目で彼の方を見てしまった。
なんだというように彼が口先を尖らせる。
「いえ、手を貸してくれる?」
「あぁ」
気付いた彼が手を差し伸べて、その手を取って立ち上がる。
足の痛みは不思議なくらい引いていたので、不安定な靴に右足を置いても歩いて行けそうだった。
「残念」
「あ?」
「もう少し運んでもらえるかと思って」
チョッパーには悪いけど、と少しきまり悪い思いをしながらそう言うと、ゾロは一拍きょとんとした後唐突に吹き出して笑った。
「お前さっきは「荷物になって」とか殊勝なこと言ってたくせに」
「だって、でもさっきは本当に悪いと思っていたのよ」
ゾロは笑いの残る顔を手で拭って、「乗せて行ってやろうか」と言った。
「もう結構よ。いじわるね」
「おま、勝手な言い分だな……」
ゾロは私の手を引いて、いつもより狭い歩幅で歩き始めた。
「まずは靴屋だな、もっと歩きやすい靴買え」
「そうね、そうするわ」
いつでも走り出せるように。
「今敵襲があったら、私真っ先にやられてしまうわね」
「どの口が。大人しくやられるようなタマじゃねェだろ」
「でも速く走れないんじゃもしものとき危ないじゃない」
「今はいいだろ、おれがいんだから」
「背負って逃げてくれるの?」
ゾロは私の顔を見もせずハンと鼻を鳴らした。
「だれが逃げるか。お前背負って戦ってやるよ」
「危ないわ。私が」
ゾロが呆れた顔で私を振り返るので、「だってあなた刀を振り回すじゃない」と思ったことを口にする。
ゾロは少し考えて口を開き、「んじゃあせいぜいおれの背中で小さくなってろ」と投げやりに言った。
きっと彼は本当に言葉の通り、私を背負ったままでも戦ってしまうのだろうなと思った。
彼の邪魔をしないよう首を縮めて、必死で背中にしがみつく自分を想像したら少し笑ってしまって、「にやにやすんな」と叱られた。
素朴で手作り感のあふれる靴屋を見つけ、歩きやすそうで平らなスニーカーを買った。
左足だけ履いて、右足の靴は袋に入れてもらう。
踵が下がって重心が安定し、やっと一息付けた心地がした。
「おまたせ」と言って店を出ると、さっきの私のように今度はゾロが足元に猫をまとわりつかせていた。
「猫の多い街ね」
「踏んじまう。おらどけ」
猫は何故かゾロの足首に爪を立て、その足を上へ登ろうとする。
いってェ! とゾロが大きな声を出してもおかまいなしに猫はがりがりと爪を立てた。
「クソ、なんだこいつ」
「随分懐かれてるわね」
とうとうゾロは猫の首根っこを掴んで持ち上げた。
なーとかにーとか、低めの声で猫が不満げに鳴く。
「ったく、あっちいってろ」
ゾロは無造作にぽいと猫を店先の草むらに放った。
軽い放物線を描いて、猫はすたっと四つ足で地面に着地する。
そのままゾロのことなんて忘れたように、店の壁沿いに路地を曲がって行ってしまった。
私たちはなぜかしばらく、その姿を見送った。
気ままに歩いていく後ろ姿がどことなく愛しく思えたのかもしれない。
私の方が先に視線を外してゾロの顔を窺うと、彼も気付いてこちらに視線を寄越した。
思い出したように「行くぞ」と言って彼は歩き出す。
その目になにか懐かしいような気持ちを感じて、でもその懐かしさの正体もわからないまま、彼のあとに続いて私も歩き出した。
→
ゾロが走ると大きな紙袋の中身ががっさがっさと音を立てた。せっかくのパンが、と思う間もなくゾロは一目散に走って行くので、私も遅れないよう後を追う。
走り抜ける私たちを驚いた表情で見送る人々の顔が目について、目立ちすぎていると思った。
「ゾロ、こっち」
あっという間に見えなくなってしまいそうなゾロの襟を、肩に咲かせた手で引っ張る。気付いたゾロが振り返り、私が細い道に折れると踵を返して後をついてきた。
日向で伸びる猫を踏まないように狭い小路の角を曲がり、後ろを振り返ってゾロがいるかを確認した。
ゾロも後ろを振り返り、追っ手がいないか確認している。
「まいたみたいね」
「クソ、あいつ殺してやる」
肩で息をして、私たちは壁に背中を預けて呼吸を整えた。
「ナミに怒られちゃう」
「怒られんのはルフィだけだ、あのバカ」
騒ぎを起こさないこと、と言うのは私たちが毎度船を下りるたびに互いに約束し合う事柄で、守れることもあればそうでないときもあって、事実そうでないときの方が多かったりするのだけど、とにかく私たちは騒ぎを起こしてはいけなかった。
ところが呑気に街歩きをしていた私たちの方へ、わあわあと騒々しいやりとりが向かってくる。
その中心にはルフィがいて、どうやらお小遣いを使い果たして食い逃げを強行したらしかった。
ルフィだわ、と言った私にゾロがあのバカ、と短く言う。
やがて騒々しさはどんどん近づいてきて、いつもの赤いシャツを着た少年の姿が見えてきた。彼の後ろには、きちんと怒り狂った店の主人もいる。
まずい、と思うのも束の間、ルフィはやっぱり私たちを目に留めて、大きな声で「おーいゾロー! ロビーン! きぐうだな!」とぶんぶん手を振ったのだった。
果たして私たちまで一緒に追いかけられる羽目になり、三人並んで走りながらルフィはしししっと歯をならして笑うとあっという間に家々の屋根に飛びあがった。
「あとでな!」とまるでなんでもないように私たちに手を振って、彼の姿は見えなくなった。
追われるのは悪党の仲間二人、つまり私たちである。
彼の代わりにお金を払ったところで店主の怒りが収まるとは思えないし、出航はもう明日に迫っているのだから巻いてしまった方が簡単だ。
私たちは走って走って、ようやくルフィの巻き起こした喧騒から逃れることができたのだった。
呼吸が整ってくると、ゾロはまた「あの野郎許さん」と悪態づいた。
「どのあたりまで来てしまったのかしら」
「せっかく大通りまで戻ったっつーのに」
「音楽ももう聞こえないわね」
陽気な祭りの音楽は、いつの間にか耳に届かなくなっていた。
時刻はまだ昼の12時を少し回ったところで、お祭りの終焉には随分早い。街のはずれまで来てしまったようだ。
「ねぇ、あなたが用のある武器屋さんは確か街のはずれだったわよね。近かったりしないかしら」
「あぁ? あぁ、そういや見覚えのある景色なような」
ゾロはぐるりと辺りを見渡して、一つ首をひねってから唐突に歩き出した。
この町の家はどれも背が高く同じ色の石の壁でできていて、青や緑やオレンジの屋根も似通っているしどこの玄関口にもお祭りの花が飾ってあるので彼が言う見覚えのある景色と言うのはどうも信憑性が低いと思ったが、何も言わずに彼のあとに続く。
街の中心は家と家の間隔がほぼなく、ぴったりと寄り添うようにくっついて建っていたがこのあたりは広く間隔が取られ、小庭もあったりして風通しが良かった。
民家の花壇に咲いた花々に目を落としながら歩いていく。
不意にかくんと足首が曲がり、膝が折れた。
「あっ」と思わず声をあげると、咄嗟にゾロが私の腕を掴んでくれたので転ばずに済んだ。
「なんだ」
「靴が」
右足のヒールが折れていた。言わずもがな、石畳をガツガツと走ったからだ。
「折れてるな」とゾロが見ての通りのことを言う。
「残念。お気に入りだったのに」
「もう履けねぇのか」
「だってほら、こんなにもぽっきり」
「左側も折っちまえば高さ揃うじゃねェか」
「そういうわけには」
薄いグリーンのエナメル靴はヒールが高い割に歩きやすくて、久しぶりの栄えた港町での散策に履けるのを楽しみにしていたのに。
今日の服を選ぶように、口紅の色を選ぶように、この靴も面映ゆい心地で選んだのに。
でも仕方がない。私たちは突然なにかから逃げるために走ることだってあるのだ。
「いいわ、大丈夫。行きましょう」
立ち上がると、ゾロは頭を掻きながら「めんどくせー靴が好きなんだな」と不可解そうに言った。
「そうなの」と答えるしかない。
左右の高さが違う靴では歩きにくく、ヒールが折れたときにひねった右足首が少し痛んだが、歩けないほどでもなかったので気にしないことにした。
幸い少し歩いたところで古びた木の看板を提げた武器屋を見つけ、ゾロが捜していた店はここかと問うとそうだと言う。
「悪ィな、ちょっと待ってろ」
「それ持ってるわ」
ゾロからバゲットの袋を受け取り、店の壁にもたれた。
ゾロは扉を押して中に入って行く。
ひねった右足首がほんのりと熱く、耳を澄ますとじーんと音が聞こえるようだった。
店の向かいに家はなく、空き地のようになっていた。
木材が乱雑に積まれ、地面には雑草が伸びている。空き地の手前には立ち入り禁止の文字。
不意に足首を掠める感触に驚いて目を落とすと、白い子猫が私の足元にまとわりついている。じゃれるように脚の間を八の字で歩いて、なーと鳴いた。
動物にはあまり好かれる方ではないので物珍しく、同時にうれしくなる。
しゃがみこんでおそるおそる猫の額を撫でると、心地よさそうに目を細めた。
空き地の方からときおり猫の鳴き声が聞こえる。どうやら野良猫の集会所になっているようだ。
子猫は私が抱えるバゲットの紙袋を興味深そうに鼻先でつつき、なーとまた鳴いた。
「ほしいの?」
思わず話しかけてしまう。
「困ったわね、きちんと6本買わないとサンジに怒られてしまうの」
実際サンジは私に怒ったりしないが、足らないと怒る人がいるのは確実だ。
「もう今日はバゲットを焼かないと言っていたし」
三つ目のクロワッサンを残しておけばよかった、と少し後悔する。
「そもそもあなた、パンを食べるのかしら」
首をかしげると、猫も真似をするように小首をかしげて見せた。
「なにぶつぶつ言ってんだ」
不意に背後から声を掛けられ、後ろを振り仰ぐとゾロが怪訝そうに私を覗き込んでいる。
「用は終わったの」
「あぁ、待たせた。なんだ猫か」
「小さいの。あそこにたくさんいるみたい」
空き地を指差すとゾロもそちらに目を遣って、たいして興味もなさそうにふんと息を吐いた。
子猫はふいに私の足元から離れ、私が指さした空き地のほうへ不確かな足取りで歩いていく。と、空き地に積んである材木の影から小さな白や茶色の毛玉がぽろんぽろんと二匹現れた。
「あ」
兄弟がいたのね、と呟く。どこかに親もいるのかもしれない。
猫たちは身体を互いにこすりあわせて、高い声で何度も鳴いた。
「行くぞ」
「えぇ」
脚を痛めていることを忘れ、普通に体重を乗せて立ち上がってしまった。
ぴし、と氷に亀裂が入るのに似た刺激が走る。
微かに顔をしかめて一歩出遅れた私に、ゾロが気付いて振り返った。
「んだ、痛ェのか」
「少し。でも平気よ、ほらあんまり腫れてない」
右足を軽く振ってみせて平気だと示したが、ゾロは阿呆くさいとでも言いたげな顔で息をついて「強がんな」と言った。
「その袋貸せ」
バゲッドの袋を鷲掴んで私から奪うと、ゾロは私に背を向けてしゃがみこんだ。
「ん」
「え、やだ平気よ」
「いいから乗れ。乗せてった方が早ェ」
広い背中がかたくなにしゃがみ込んだまま動こうとしないので、おずおずと歩み寄る。
そっと肩に手を置くと温かく、その温度に引き寄せられるように身体を乗せた。
私が覆いかぶさると、ゾロはたいして踏ん張るそぶりもなくすっくと立ち上がり、右手ひとつで私を支え、左手にバゲットの袋を持って唐突にずんずんと歩き出した。
「ごめんなさい、ゾロ」
「何謝ってんだ」
「荷物を増やしてしまって」
「じゃあこれ持てるか」
がさりとバゲットの袋を鳴らす。
少し考えて、ゾロの脇腹の辺りに手を二本生やして袋を受け取った。
ゾロは開いた左手を後ろに回し、両手で私を支えてくれる。そして納得したようにひとつ頷いた。
「この方が安定する」
ゾロは来た道を引き返しているようだった。珍しく、私が何を言うでもなく正しい道を辿っている。
帰巣本能、と言う言葉が思い浮かんで少し頬が緩んだ。
ゾロの背中はしっとりと暖かく、シャツはまだ真新しい匂いがした。彼はおろしたての新品を着てきたのかもしれない。私がそうであるように。
後ろの首筋に頬を付けて、リズミカルに揺れる振動に耳を澄ます。
浅い彼の呼吸が心地よく、ひどく安心した。
「腹ァ減ったな」
「そういえばお昼がまだね」
「なんか食ってくか」
「そうね、大通りの方へ戻りましょうか」
「どっちだ」
丁度よい頃合に、道に大通りの方向を示す看板が出ていたのでそれを指差し「こっちみたい」と伝える。
ゾロは従順にもそちらに足を向けた。
「なにが食べたい?」
「酒があればなんでもいい」
「もう飲むの?」
「祭りなんだろ、今日は」
「あなた祭りじゃなくても飲むじゃない」
うるせぇな、と彼は言ったがたいしてうるさそうには聞こえなかった。
この町はなにが美味しいのだろうと考えていたら、ゾロがぽつりと「おれの村は」と口にした。
「ちょうどこんくらいの季節に祭りがあった。昼間はガキの剣道大会があって、それが終わるとどっかから神輿が出てきて、夕方から夜にかけて神輿を引いた。大人は神輿が出てきた頃からその辺で酒を呑み始めて、夜までずっと騒いでた」
ゾロはまっすぐ前を向いて、思い出すというより、目の前でそのお祭りを見ていてそれを私に説明するみたいな口調で話した。
そう、と答える。
「あなたも剣道大会に出たの?」
「あぁ。隣村からいくつか道場が参加してたが、おれの村のが一番強かった」
「その中でもあなたが一番?」
「あたりめぇだ」
ふん、と彼が鼻息荒く言い切るのでくすくす笑った。しかしゾロは笑い返すこともなく、まっすぐ前を向いている。
そっと後ろからうかがうように彼の顔を覗き込む。
まっすぐに引き結んだ口の端しか見えなかったけれど、私の知らない顔をしているのだと思った。
ときどき彼はこんな顔をする。
私にはわからない何かを考え、思い、また自分の中にしまい込む。
いつもそれがなにか教えてくれることはないのだけど、それは仕方のないことだと私はそっと納得する。
だって全部を分かり合えるはずなんてないし、彼の知らない私だってきっと存在するのだから。
「一人、絶対勝てない奴がいて」
子どもが負われる私を不思議そうに見上げながら足元を走り去った。
道は下り坂になり、伝わる振動が大きくなる。
「毎年勝ちたくて勝ちたくて仕方なかった」
そうなの、と答える。
あぁ、と彼も言う。
それでいつから一番になれたの。
なぜだかそんな単純な質問ができなくて、私は目を閉じた。
辺りがにぎやかになり始め、すれ違う人の気配も増えてくる。
彼の首筋に頬を付ける。
当たり前に一番にはなれなかった彼の心をとても近くに感じた。
→
走り抜ける私たちを驚いた表情で見送る人々の顔が目について、目立ちすぎていると思った。
「ゾロ、こっち」
あっという間に見えなくなってしまいそうなゾロの襟を、肩に咲かせた手で引っ張る。気付いたゾロが振り返り、私が細い道に折れると踵を返して後をついてきた。
日向で伸びる猫を踏まないように狭い小路の角を曲がり、後ろを振り返ってゾロがいるかを確認した。
ゾロも後ろを振り返り、追っ手がいないか確認している。
「まいたみたいね」
「クソ、あいつ殺してやる」
肩で息をして、私たちは壁に背中を預けて呼吸を整えた。
「ナミに怒られちゃう」
「怒られんのはルフィだけだ、あのバカ」
騒ぎを起こさないこと、と言うのは私たちが毎度船を下りるたびに互いに約束し合う事柄で、守れることもあればそうでないときもあって、事実そうでないときの方が多かったりするのだけど、とにかく私たちは騒ぎを起こしてはいけなかった。
ところが呑気に街歩きをしていた私たちの方へ、わあわあと騒々しいやりとりが向かってくる。
その中心にはルフィがいて、どうやらお小遣いを使い果たして食い逃げを強行したらしかった。
ルフィだわ、と言った私にゾロがあのバカ、と短く言う。
やがて騒々しさはどんどん近づいてきて、いつもの赤いシャツを着た少年の姿が見えてきた。彼の後ろには、きちんと怒り狂った店の主人もいる。
まずい、と思うのも束の間、ルフィはやっぱり私たちを目に留めて、大きな声で「おーいゾロー! ロビーン! きぐうだな!」とぶんぶん手を振ったのだった。
果たして私たちまで一緒に追いかけられる羽目になり、三人並んで走りながらルフィはしししっと歯をならして笑うとあっという間に家々の屋根に飛びあがった。
「あとでな!」とまるでなんでもないように私たちに手を振って、彼の姿は見えなくなった。
追われるのは悪党の仲間二人、つまり私たちである。
彼の代わりにお金を払ったところで店主の怒りが収まるとは思えないし、出航はもう明日に迫っているのだから巻いてしまった方が簡単だ。
私たちは走って走って、ようやくルフィの巻き起こした喧騒から逃れることができたのだった。
呼吸が整ってくると、ゾロはまた「あの野郎許さん」と悪態づいた。
「どのあたりまで来てしまったのかしら」
「せっかく大通りまで戻ったっつーのに」
「音楽ももう聞こえないわね」
陽気な祭りの音楽は、いつの間にか耳に届かなくなっていた。
時刻はまだ昼の12時を少し回ったところで、お祭りの終焉には随分早い。街のはずれまで来てしまったようだ。
「ねぇ、あなたが用のある武器屋さんは確か街のはずれだったわよね。近かったりしないかしら」
「あぁ? あぁ、そういや見覚えのある景色なような」
ゾロはぐるりと辺りを見渡して、一つ首をひねってから唐突に歩き出した。
この町の家はどれも背が高く同じ色の石の壁でできていて、青や緑やオレンジの屋根も似通っているしどこの玄関口にもお祭りの花が飾ってあるので彼が言う見覚えのある景色と言うのはどうも信憑性が低いと思ったが、何も言わずに彼のあとに続く。
街の中心は家と家の間隔がほぼなく、ぴったりと寄り添うようにくっついて建っていたがこのあたりは広く間隔が取られ、小庭もあったりして風通しが良かった。
民家の花壇に咲いた花々に目を落としながら歩いていく。
不意にかくんと足首が曲がり、膝が折れた。
「あっ」と思わず声をあげると、咄嗟にゾロが私の腕を掴んでくれたので転ばずに済んだ。
「なんだ」
「靴が」
右足のヒールが折れていた。言わずもがな、石畳をガツガツと走ったからだ。
「折れてるな」とゾロが見ての通りのことを言う。
「残念。お気に入りだったのに」
「もう履けねぇのか」
「だってほら、こんなにもぽっきり」
「左側も折っちまえば高さ揃うじゃねェか」
「そういうわけには」
薄いグリーンのエナメル靴はヒールが高い割に歩きやすくて、久しぶりの栄えた港町での散策に履けるのを楽しみにしていたのに。
今日の服を選ぶように、口紅の色を選ぶように、この靴も面映ゆい心地で選んだのに。
でも仕方がない。私たちは突然なにかから逃げるために走ることだってあるのだ。
「いいわ、大丈夫。行きましょう」
立ち上がると、ゾロは頭を掻きながら「めんどくせー靴が好きなんだな」と不可解そうに言った。
「そうなの」と答えるしかない。
左右の高さが違う靴では歩きにくく、ヒールが折れたときにひねった右足首が少し痛んだが、歩けないほどでもなかったので気にしないことにした。
幸い少し歩いたところで古びた木の看板を提げた武器屋を見つけ、ゾロが捜していた店はここかと問うとそうだと言う。
「悪ィな、ちょっと待ってろ」
「それ持ってるわ」
ゾロからバゲットの袋を受け取り、店の壁にもたれた。
ゾロは扉を押して中に入って行く。
ひねった右足首がほんのりと熱く、耳を澄ますとじーんと音が聞こえるようだった。
店の向かいに家はなく、空き地のようになっていた。
木材が乱雑に積まれ、地面には雑草が伸びている。空き地の手前には立ち入り禁止の文字。
不意に足首を掠める感触に驚いて目を落とすと、白い子猫が私の足元にまとわりついている。じゃれるように脚の間を八の字で歩いて、なーと鳴いた。
動物にはあまり好かれる方ではないので物珍しく、同時にうれしくなる。
しゃがみこんでおそるおそる猫の額を撫でると、心地よさそうに目を細めた。
空き地の方からときおり猫の鳴き声が聞こえる。どうやら野良猫の集会所になっているようだ。
子猫は私が抱えるバゲットの紙袋を興味深そうに鼻先でつつき、なーとまた鳴いた。
「ほしいの?」
思わず話しかけてしまう。
「困ったわね、きちんと6本買わないとサンジに怒られてしまうの」
実際サンジは私に怒ったりしないが、足らないと怒る人がいるのは確実だ。
「もう今日はバゲットを焼かないと言っていたし」
三つ目のクロワッサンを残しておけばよかった、と少し後悔する。
「そもそもあなた、パンを食べるのかしら」
首をかしげると、猫も真似をするように小首をかしげて見せた。
「なにぶつぶつ言ってんだ」
不意に背後から声を掛けられ、後ろを振り仰ぐとゾロが怪訝そうに私を覗き込んでいる。
「用は終わったの」
「あぁ、待たせた。なんだ猫か」
「小さいの。あそこにたくさんいるみたい」
空き地を指差すとゾロもそちらに目を遣って、たいして興味もなさそうにふんと息を吐いた。
子猫はふいに私の足元から離れ、私が指さした空き地のほうへ不確かな足取りで歩いていく。と、空き地に積んである材木の影から小さな白や茶色の毛玉がぽろんぽろんと二匹現れた。
「あ」
兄弟がいたのね、と呟く。どこかに親もいるのかもしれない。
猫たちは身体を互いにこすりあわせて、高い声で何度も鳴いた。
「行くぞ」
「えぇ」
脚を痛めていることを忘れ、普通に体重を乗せて立ち上がってしまった。
ぴし、と氷に亀裂が入るのに似た刺激が走る。
微かに顔をしかめて一歩出遅れた私に、ゾロが気付いて振り返った。
「んだ、痛ェのか」
「少し。でも平気よ、ほらあんまり腫れてない」
右足を軽く振ってみせて平気だと示したが、ゾロは阿呆くさいとでも言いたげな顔で息をついて「強がんな」と言った。
「その袋貸せ」
バゲッドの袋を鷲掴んで私から奪うと、ゾロは私に背を向けてしゃがみこんだ。
「ん」
「え、やだ平気よ」
「いいから乗れ。乗せてった方が早ェ」
広い背中がかたくなにしゃがみ込んだまま動こうとしないので、おずおずと歩み寄る。
そっと肩に手を置くと温かく、その温度に引き寄せられるように身体を乗せた。
私が覆いかぶさると、ゾロはたいして踏ん張るそぶりもなくすっくと立ち上がり、右手ひとつで私を支え、左手にバゲットの袋を持って唐突にずんずんと歩き出した。
「ごめんなさい、ゾロ」
「何謝ってんだ」
「荷物を増やしてしまって」
「じゃあこれ持てるか」
がさりとバゲットの袋を鳴らす。
少し考えて、ゾロの脇腹の辺りに手を二本生やして袋を受け取った。
ゾロは開いた左手を後ろに回し、両手で私を支えてくれる。そして納得したようにひとつ頷いた。
「この方が安定する」
ゾロは来た道を引き返しているようだった。珍しく、私が何を言うでもなく正しい道を辿っている。
帰巣本能、と言う言葉が思い浮かんで少し頬が緩んだ。
ゾロの背中はしっとりと暖かく、シャツはまだ真新しい匂いがした。彼はおろしたての新品を着てきたのかもしれない。私がそうであるように。
後ろの首筋に頬を付けて、リズミカルに揺れる振動に耳を澄ます。
浅い彼の呼吸が心地よく、ひどく安心した。
「腹ァ減ったな」
「そういえばお昼がまだね」
「なんか食ってくか」
「そうね、大通りの方へ戻りましょうか」
「どっちだ」
丁度よい頃合に、道に大通りの方向を示す看板が出ていたのでそれを指差し「こっちみたい」と伝える。
ゾロは従順にもそちらに足を向けた。
「なにが食べたい?」
「酒があればなんでもいい」
「もう飲むの?」
「祭りなんだろ、今日は」
「あなた祭りじゃなくても飲むじゃない」
うるせぇな、と彼は言ったがたいしてうるさそうには聞こえなかった。
この町はなにが美味しいのだろうと考えていたら、ゾロがぽつりと「おれの村は」と口にした。
「ちょうどこんくらいの季節に祭りがあった。昼間はガキの剣道大会があって、それが終わるとどっかから神輿が出てきて、夕方から夜にかけて神輿を引いた。大人は神輿が出てきた頃からその辺で酒を呑み始めて、夜までずっと騒いでた」
ゾロはまっすぐ前を向いて、思い出すというより、目の前でそのお祭りを見ていてそれを私に説明するみたいな口調で話した。
そう、と答える。
「あなたも剣道大会に出たの?」
「あぁ。隣村からいくつか道場が参加してたが、おれの村のが一番強かった」
「その中でもあなたが一番?」
「あたりめぇだ」
ふん、と彼が鼻息荒く言い切るのでくすくす笑った。しかしゾロは笑い返すこともなく、まっすぐ前を向いている。
そっと後ろからうかがうように彼の顔を覗き込む。
まっすぐに引き結んだ口の端しか見えなかったけれど、私の知らない顔をしているのだと思った。
ときどき彼はこんな顔をする。
私にはわからない何かを考え、思い、また自分の中にしまい込む。
いつもそれがなにか教えてくれることはないのだけど、それは仕方のないことだと私はそっと納得する。
だって全部を分かり合えるはずなんてないし、彼の知らない私だってきっと存在するのだから。
「一人、絶対勝てない奴がいて」
子どもが負われる私を不思議そうに見上げながら足元を走り去った。
道は下り坂になり、伝わる振動が大きくなる。
「毎年勝ちたくて勝ちたくて仕方なかった」
そうなの、と答える。
あぁ、と彼も言う。
それでいつから一番になれたの。
なぜだかそんな単純な質問ができなくて、私は目を閉じた。
辺りがにぎやかになり始め、すれ違う人の気配も増えてくる。
彼の首筋に頬を付ける。
当たり前に一番にはなれなかった彼の心をとても近くに感じた。
→
背丈より少し低い姿見は、船の揺れをものともせずに静かに部屋の隅にいて、せわしなく部屋を行き交う私をじっと眺めていた。
化粧箱の中で一番鮮やかな口紅をそっと唇に乗せるとき、曇りひとつない綺麗なガラスに気恥ずかしさすら感じて目を逸らす。
それからゆっくりと色を引いた。
──少し赤すぎた気がする。
慌てて手元のティッシュを引き抜き唇を押さえるも、やっぱりと思ってまた同じ色を引いた。
扉の外から「おい、まだか」と不機嫌一歩手前の低い声が聞こえてくる。
「今行くわ」
「あいつら先行っちまったぞ」
「そう」
目を閉じる。ずるをして申し訳なく思う気持ちが胸の片隅にありながら、たいして躊躇せずに扉の外側に目を咲かせた。
ゾロは落ち着かない手つきで刀の鞘を何度も撫でるように触って、腰への据わりを確かめていた。
紺と白のストライプシャツに、薄いベージュのハーフパンツ。
胸元はいつものようにはだけていて、痛々しい縫い痕がよく見える。
今行くわ。
口の中で反芻して、なんだかとても素敵な響きだった、と心躍る気持ちで口紅をポーチへ滑り落とした。
*
港町はとてもにぎやかで、陽気なマンドリンの音色が至る所からぽろんぽろんと聞こえてきた。ヒールの靴音がとても軽やかに石畳を叩き、大きく手を振って歩いてみたい気持ちになる。
ゾロは変わらず私の隣を少し開けて、どっしどっしと力強く地面を踏みしめて歩いた。
行き交う人たちは華やかな装束で、道沿いに軒を並べた店はどこも入口にオレンジ色の可愛い花々を飾っていた。
「素敵。お祭りなのかしら」
「そういやナミがんなこと言ってたな」
「なんのお祭り?」
「そこまで聞いてねェ」
街は緩やかな坂道が続き、その道が街の目抜き通りになっているようだった。
一歩横道にそれると洗濯物のはためく住宅街が広がり、裏口と思われる小さな扉の前で子供が猫と遊んでいたりした。
日陰では深く帽子をかぶった男が石の塀にもたれてやっぱりマンドリンを抱いていて、ぽろぽろと音を奏でては思い出したように異国の歌を歌っている。
私はパンツのポケットから小さな紙きれを取り出して、そこに書いてある用件をひとつずつ復習した。
パン屋で夕飯のバゲットを6本。昨日出したクリーニングを回収。ゾロの武器屋に付き合ってから、少し自分の消耗品を買い足して完了。
船のために必要な要件は先の二つだから、ああでも荷物が増えると鬱陶しい。パン屋は先に寄って焼き上がりの時間を確認してから考えよう。クリーニングはかさばるから最後に。
「まずは武器屋ね。刀を預けるの?」
「いや、自分で磨くからその道具を買う」
ふとゾロが足を止めた。
「クリーニングこっちじゃなかったか」
どう見ても家と家の間で人の住まいしか見当たらないような横道を親指で差し示し、ゾロは私の返事も聞かずに既にそっちへ歩きはじめている。
ちがうわ、そっちじゃない。それにクリーニングはいちばん最後に寄りましょう。
そう言うつもりが、気付けば私は黙って彼の背中を追っている。
ゾロはまるで慣れた自分の街のように大きな歩幅で狭い小路をずんずん先へ行く。
家と家の間に張られたロープに白いタオルとTシャツが干してあって、日陰にもかかわらずさっぱりと乾いた様子でひらひらと揺れていた。
ゾロはさっと腰をかがめてそれを避けると、少し迷ったように脚を止めて、しかしすぐにまた歩き出す。
どうみても旅の装いの二人組がずんずんと歩いてくるのを、扉の前で立ち話をしていた住人の女性たちが少し驚いた表情で見てから端に寄って道を開けてくれた。
少し幅の広くなった小路と小路が交差するところに差し掛かり、ゾロはようやく脚を止めた。
「こっちだったか」と眉をすがめて左を見遣る。
「そうだったかしら」とわくわくしながら私は答える。
すると、ゾロが怪訝な顔で振り向いた。
「テメェ何考えてやがる」
「え」
「いつもあっちだこっちだと引っ張りまわしやがってうるせぇのに、今日はやけに大人しい」
人に馴れない野生の獣みたいな疑り深い目で、ゾロはじっと私を見てくる。
ついふっと吹き出して笑ってしまった。
「いつもうるさかったの。ごめんなさい」
くしゃあと鼻の頭に皺を寄せて嫌そうな顔をして、ゾロは苛ついた口調で「そんで、クリーニング屋はどっちだ」と言った。
「わからないわ。こんなとこまで入り込んでしまって」
「はぁ?」
「さっきの道をまっすぐ行ったら着いたでしょうけど、あなたこんな曲がりくねった細い道に入って行くんだもの。もうどっちを向いてるのかわからないわ」
「んじゃあもっと早く言えよ!」
ごめんなさい、と断ると、ゾロはクソ、と小さく呟いてから「まぁいい」と口にした。
「適当に行きゃあ着くだろ。ナミもそんな広い街だとは言ってなかったしな」
「そうね」
「こっちでいいか」
「いいわ」
ゾロが最初に指差した左の小路を、私たちはまた歩き出した。
今度は少しスピードを落として、二人並んで歩いていく。
坂道がゆるやかに登っていて、もしかすると方向はあっているのかもしれないと思う。
黙って歩いていると、両わきの家から人の声が届いてきた。
子どもたちが喧嘩をする金切声だとか、母親が子どもを呼びつける鋭い一言だとか、電伝虫の鳴き声だとか、そういう類のとても身近なものだ。
目抜き通りの陽気な音楽も遠くの方から聞こえてきて、それらが混然一体とまじりあっては頭の上にぱらぱらと降ってくるようだった。
「あ」
不意にゾロが脚を止めたので、私もそれにならって前を見る。
小さな噴水を囲んでぐるりと小さな広場があって、その向こう側にこれまた小さなパン屋があった。
パン屋と言ってもきちんとした建物の店構えではなく、移動式のグルメカートだ。
あら、と私も答える。
「用があったんじゃなかったか」
「そうね、バゲットを六本」
ちょうど店のカウンターに大きなカゴにバゲットが六本ほど、刺さっていた。
噴水越しに店を見つめる私たちに気付いて、店番をしていた少年がにっこりと頬を丸くして笑いかける。
カートに近付くと「いらっしゃい」と明るく声を掛けられた。
「クロワッサンが焼き立てだよ」
「このバゲットは?」
「今朝焼いたものだけど、今日はこれだけしか焼かないんだ」
「じゃあこれを六本」
「クロワッサンは?」
ちらりとゾロを見遣る。
腕を組んで睨むように店の奥を見つめていた彼は、「食う」と短く言った。
私は笑いそうになるのを堪えながら「じゃあクロワッサンも、二つ」と少年に言う。
お金を払い、バゲット六本の大きな袋とクロワッサンの入った小さな袋を彼が受け取る。
「毎度! クロワッサン、美味しかったら明日も来てね」
「えぇ、ありがとう」
船は明日の朝には出航する予定だけど、そんなことはおくびにも出さず私も笑い返す。
少年は爽やかに私たちに手を振って、そのあとやってきた初老の女性客にすぐ笑顔を向けた。
「すぐ食べる?」
「おう」
ゾロはバゲットを抱えたまま器用に小さな紙袋を開けた。
「あ」
「え?」
ゾロはまず一つ取り出し、私に持たせる。ぱらりと生地の表面が散る。
そしてもう一つ取り出して自分で持つと、空になったはずの紙袋を私に差し出して見せた。
中を覗き込むと、クロワッサンがもう一つ入っている。
後ろを振り返ると、少年は女性客にお釣りを手渡しながらもこちらにひとつウインクしてみせた。
「あらあら」
ふふっと笑みこぼしたとき、隣からざくっと歯切れのいい音が聞こえて視線を戻す。
ゾロは一口で大きめのクロワッサンの半分ほどを口に含んで、唇にバターの香るパンのかけらを付けたまま難しい顔で咀嚼していた。
「おいしい?」
「ん」
私も立ったまま齧り付く。
彼のようないい音は出なかったけど、それでもさくさくと落ち葉を踏みしめるみたいな軽い音がこぼれる。
クロワッサンは暖かく、噛みしめるほど生地の甘さが広がった。
さりげなく彼を誘導するように先に立って、祭りの音楽が聞こえる方へと足を進める。
幸い彼も何を言うでもなく付いてきた。
「美味しいわね」
「あぁ」
「バゲットも期待できそう」
「パンはどこも一緒だろ」
「そうかしら」
たしかにサンジのごはんは美味しいので、どうしても店で買ったパンは添え物となってしまう。
残りの一口を放り込んで、バターの塩気が残る指先を舐めた。
服にかけらが落ちていないか確かめてからふと彼の方を見ると、彼ももちろん食べ終わっていて、サービスの三つ目を袋に入れたまま手に持っている。
「あら、それ食べていいのよ」
街でばったりクルーに会ったら、しかもそれがルフィだったりチョッパーだったりしたら、お前らだけずるいと非難されるに決まっている。
そう言うと、彼は「それもそうだな」と袋から中身を取り出した。同じように口に放り込むのかと思えば、ゾロは突然クロワッサンを二つにちぎった。
そう、まさにちぎるとしか言いようのない乱雑な手つきで、表面のおいしい皮がぱらぱらと地面にこぼれる。
不恰好に潰れた半分のクロワッサンを、ゾロは無言で私に差し出した。
ついに私はこらえきれず、声を出して笑ってしまう。
「あなたが食べてよかったのに」
「お前が美味いっつったんだろ。何笑ってんだ」
ふっふと笑いの止まらない私を怪訝そうに見て、ゾロは残りの片方を口の中に押し込むようにして食べてしまった。
私も目の端に滲んだ涙を拭ってから潰れたクロワッサンを受け取って、ゾロのように一口で食べてみる。
口の中がいっぱいになり、頬がはちきれそうになった。
やっとのことで飲みこんで、口元を拭い、拭った手に真っ赤な口紅がついていて、少しだけあーあとでもいうような気持ちになる。
それでも満ち満ちた多幸感は微塵も欠けることなく、空は突き抜けて白く光っていた。
→
化粧箱の中で一番鮮やかな口紅をそっと唇に乗せるとき、曇りひとつない綺麗なガラスに気恥ずかしさすら感じて目を逸らす。
それからゆっくりと色を引いた。
──少し赤すぎた気がする。
慌てて手元のティッシュを引き抜き唇を押さえるも、やっぱりと思ってまた同じ色を引いた。
扉の外から「おい、まだか」と不機嫌一歩手前の低い声が聞こえてくる。
「今行くわ」
「あいつら先行っちまったぞ」
「そう」
目を閉じる。ずるをして申し訳なく思う気持ちが胸の片隅にありながら、たいして躊躇せずに扉の外側に目を咲かせた。
ゾロは落ち着かない手つきで刀の鞘を何度も撫でるように触って、腰への据わりを確かめていた。
紺と白のストライプシャツに、薄いベージュのハーフパンツ。
胸元はいつものようにはだけていて、痛々しい縫い痕がよく見える。
今行くわ。
口の中で反芻して、なんだかとても素敵な響きだった、と心躍る気持ちで口紅をポーチへ滑り落とした。
*
港町はとてもにぎやかで、陽気なマンドリンの音色が至る所からぽろんぽろんと聞こえてきた。ヒールの靴音がとても軽やかに石畳を叩き、大きく手を振って歩いてみたい気持ちになる。
ゾロは変わらず私の隣を少し開けて、どっしどっしと力強く地面を踏みしめて歩いた。
行き交う人たちは華やかな装束で、道沿いに軒を並べた店はどこも入口にオレンジ色の可愛い花々を飾っていた。
「素敵。お祭りなのかしら」
「そういやナミがんなこと言ってたな」
「なんのお祭り?」
「そこまで聞いてねェ」
街は緩やかな坂道が続き、その道が街の目抜き通りになっているようだった。
一歩横道にそれると洗濯物のはためく住宅街が広がり、裏口と思われる小さな扉の前で子供が猫と遊んでいたりした。
日陰では深く帽子をかぶった男が石の塀にもたれてやっぱりマンドリンを抱いていて、ぽろぽろと音を奏でては思い出したように異国の歌を歌っている。
私はパンツのポケットから小さな紙きれを取り出して、そこに書いてある用件をひとつずつ復習した。
パン屋で夕飯のバゲットを6本。昨日出したクリーニングを回収。ゾロの武器屋に付き合ってから、少し自分の消耗品を買い足して完了。
船のために必要な要件は先の二つだから、ああでも荷物が増えると鬱陶しい。パン屋は先に寄って焼き上がりの時間を確認してから考えよう。クリーニングはかさばるから最後に。
「まずは武器屋ね。刀を預けるの?」
「いや、自分で磨くからその道具を買う」
ふとゾロが足を止めた。
「クリーニングこっちじゃなかったか」
どう見ても家と家の間で人の住まいしか見当たらないような横道を親指で差し示し、ゾロは私の返事も聞かずに既にそっちへ歩きはじめている。
ちがうわ、そっちじゃない。それにクリーニングはいちばん最後に寄りましょう。
そう言うつもりが、気付けば私は黙って彼の背中を追っている。
ゾロはまるで慣れた自分の街のように大きな歩幅で狭い小路をずんずん先へ行く。
家と家の間に張られたロープに白いタオルとTシャツが干してあって、日陰にもかかわらずさっぱりと乾いた様子でひらひらと揺れていた。
ゾロはさっと腰をかがめてそれを避けると、少し迷ったように脚を止めて、しかしすぐにまた歩き出す。
どうみても旅の装いの二人組がずんずんと歩いてくるのを、扉の前で立ち話をしていた住人の女性たちが少し驚いた表情で見てから端に寄って道を開けてくれた。
少し幅の広くなった小路と小路が交差するところに差し掛かり、ゾロはようやく脚を止めた。
「こっちだったか」と眉をすがめて左を見遣る。
「そうだったかしら」とわくわくしながら私は答える。
すると、ゾロが怪訝な顔で振り向いた。
「テメェ何考えてやがる」
「え」
「いつもあっちだこっちだと引っ張りまわしやがってうるせぇのに、今日はやけに大人しい」
人に馴れない野生の獣みたいな疑り深い目で、ゾロはじっと私を見てくる。
ついふっと吹き出して笑ってしまった。
「いつもうるさかったの。ごめんなさい」
くしゃあと鼻の頭に皺を寄せて嫌そうな顔をして、ゾロは苛ついた口調で「そんで、クリーニング屋はどっちだ」と言った。
「わからないわ。こんなとこまで入り込んでしまって」
「はぁ?」
「さっきの道をまっすぐ行ったら着いたでしょうけど、あなたこんな曲がりくねった細い道に入って行くんだもの。もうどっちを向いてるのかわからないわ」
「んじゃあもっと早く言えよ!」
ごめんなさい、と断ると、ゾロはクソ、と小さく呟いてから「まぁいい」と口にした。
「適当に行きゃあ着くだろ。ナミもそんな広い街だとは言ってなかったしな」
「そうね」
「こっちでいいか」
「いいわ」
ゾロが最初に指差した左の小路を、私たちはまた歩き出した。
今度は少しスピードを落として、二人並んで歩いていく。
坂道がゆるやかに登っていて、もしかすると方向はあっているのかもしれないと思う。
黙って歩いていると、両わきの家から人の声が届いてきた。
子どもたちが喧嘩をする金切声だとか、母親が子どもを呼びつける鋭い一言だとか、電伝虫の鳴き声だとか、そういう類のとても身近なものだ。
目抜き通りの陽気な音楽も遠くの方から聞こえてきて、それらが混然一体とまじりあっては頭の上にぱらぱらと降ってくるようだった。
「あ」
不意にゾロが脚を止めたので、私もそれにならって前を見る。
小さな噴水を囲んでぐるりと小さな広場があって、その向こう側にこれまた小さなパン屋があった。
パン屋と言ってもきちんとした建物の店構えではなく、移動式のグルメカートだ。
あら、と私も答える。
「用があったんじゃなかったか」
「そうね、バゲットを六本」
ちょうど店のカウンターに大きなカゴにバゲットが六本ほど、刺さっていた。
噴水越しに店を見つめる私たちに気付いて、店番をしていた少年がにっこりと頬を丸くして笑いかける。
カートに近付くと「いらっしゃい」と明るく声を掛けられた。
「クロワッサンが焼き立てだよ」
「このバゲットは?」
「今朝焼いたものだけど、今日はこれだけしか焼かないんだ」
「じゃあこれを六本」
「クロワッサンは?」
ちらりとゾロを見遣る。
腕を組んで睨むように店の奥を見つめていた彼は、「食う」と短く言った。
私は笑いそうになるのを堪えながら「じゃあクロワッサンも、二つ」と少年に言う。
お金を払い、バゲット六本の大きな袋とクロワッサンの入った小さな袋を彼が受け取る。
「毎度! クロワッサン、美味しかったら明日も来てね」
「えぇ、ありがとう」
船は明日の朝には出航する予定だけど、そんなことはおくびにも出さず私も笑い返す。
少年は爽やかに私たちに手を振って、そのあとやってきた初老の女性客にすぐ笑顔を向けた。
「すぐ食べる?」
「おう」
ゾロはバゲットを抱えたまま器用に小さな紙袋を開けた。
「あ」
「え?」
ゾロはまず一つ取り出し、私に持たせる。ぱらりと生地の表面が散る。
そしてもう一つ取り出して自分で持つと、空になったはずの紙袋を私に差し出して見せた。
中を覗き込むと、クロワッサンがもう一つ入っている。
後ろを振り返ると、少年は女性客にお釣りを手渡しながらもこちらにひとつウインクしてみせた。
「あらあら」
ふふっと笑みこぼしたとき、隣からざくっと歯切れのいい音が聞こえて視線を戻す。
ゾロは一口で大きめのクロワッサンの半分ほどを口に含んで、唇にバターの香るパンのかけらを付けたまま難しい顔で咀嚼していた。
「おいしい?」
「ん」
私も立ったまま齧り付く。
彼のようないい音は出なかったけど、それでもさくさくと落ち葉を踏みしめるみたいな軽い音がこぼれる。
クロワッサンは暖かく、噛みしめるほど生地の甘さが広がった。
さりげなく彼を誘導するように先に立って、祭りの音楽が聞こえる方へと足を進める。
幸い彼も何を言うでもなく付いてきた。
「美味しいわね」
「あぁ」
「バゲットも期待できそう」
「パンはどこも一緒だろ」
「そうかしら」
たしかにサンジのごはんは美味しいので、どうしても店で買ったパンは添え物となってしまう。
残りの一口を放り込んで、バターの塩気が残る指先を舐めた。
服にかけらが落ちていないか確かめてからふと彼の方を見ると、彼ももちろん食べ終わっていて、サービスの三つ目を袋に入れたまま手に持っている。
「あら、それ食べていいのよ」
街でばったりクルーに会ったら、しかもそれがルフィだったりチョッパーだったりしたら、お前らだけずるいと非難されるに決まっている。
そう言うと、彼は「それもそうだな」と袋から中身を取り出した。同じように口に放り込むのかと思えば、ゾロは突然クロワッサンを二つにちぎった。
そう、まさにちぎるとしか言いようのない乱雑な手つきで、表面のおいしい皮がぱらぱらと地面にこぼれる。
不恰好に潰れた半分のクロワッサンを、ゾロは無言で私に差し出した。
ついに私はこらえきれず、声を出して笑ってしまう。
「あなたが食べてよかったのに」
「お前が美味いっつったんだろ。何笑ってんだ」
ふっふと笑いの止まらない私を怪訝そうに見て、ゾロは残りの片方を口の中に押し込むようにして食べてしまった。
私も目の端に滲んだ涙を拭ってから潰れたクロワッサンを受け取って、ゾロのように一口で食べてみる。
口の中がいっぱいになり、頬がはちきれそうになった。
やっとのことで飲みこんで、口元を拭い、拭った手に真っ赤な口紅がついていて、少しだけあーあとでもいうような気持ちになる。
それでも満ち満ちた多幸感は微塵も欠けることなく、空は突き抜けて白く光っていた。
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