OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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よーう、と陽気に声をかけたルフィに、驚いて身を引いたのはサッチたちのほうだった。
「……うわ、びびった」
目を白黒させるサッチに、アンは曖昧な笑顔を向けた。
サッチの一歩後ろに立つマルコは、サッチほど驚いているようには見えない。
「なになに、今日は弟ツー連れて来たの」
「おれはサンジのメシ食いに来た!」
「そいやダチなんだっけ」
オレにもなんか作ってくれ、とサンジにひょいひょいと手を振って、サッチはアンの隣に腰かけた。
さらにサッチの隣にマルコが座る。
イゾウは二人にオーダーを聞くことなく、黙って何か深い色の酒をグラスに注ぎ始めた。
「またイゾウの店に来い」と言われたその日に行くなんて、気の早い奴と思われたかなとちらりと考えた。
「弟ワンは?」
「電球替えに行ってんだ!」
電球? とサッチは首をひねったが、特に興味を引かれていないようで、イゾウに手渡されたグラスにうまそうに口をつけた。
本当にふたりが来るとは、偶然ってこわい、とアンはスイーツをつつく。
サッチとマルコが来たことで、店の中は少し明度を上げたように思えた。
サンジとルフィは噛み合わない会話を楽しそうに続けているし、サッチはイゾウを無意味にからかうような言葉をかけてはその倍以上の罵詈雑言でめった刺しにされて笑っている。
それでも、ルフィとサッチの間で甘いデザートと爽やかなカクテルを手にするアンが場違いにならないよう、サッチ小気味よくアンに会話を振ってくれる。
端の席で静かにグラスに口をつけるマルコにも同じように会話が振られるが、マルコの返事はほぼあしらっているに近い。
「こいつ、オヤジに無理やり仕事休まされたから暇だっつって、庁舎の2階でモクモク煙吐いてんだぜ? 周りの奴らびびっちまって、仕事になんねーよ」
と、サッチが冗談のようでおそらく本当のことを口にして、マルコの顔を険しくさせていた。
どうやらマルコはアンの店を出て、どこから昼食をとり、結局警視庁へ向かったらしい。
本当に仕事人間なんだ、とアンは複雑な気分になる。
ぽーん、と店の古時計音を立てたのでハッと音の方角に視線をやると、時計の針は10時を示していた。
小さく開いたアンの口から「うそ、」と漏れた。9時の時報も聞いていない。
「じゅっ…!ルフィ、帰るよ!!」
慌てて席を立つと、ルフィとサッチが声を揃えて「えぇー」と口を尖らせたが、ルフィの方が時間の遅さに気付いて渋々腰を上げた。
「今日はサボもいねェしな、サンジ土産作ってくれ!」
「アンちゃん帰っちまうのか、オレっち明日の昼飯食いに行くからな」
「ありがと、サンジ、いくら?」
ごそごそと尻のポケットから薄っぺらい財布を取りだすと、サンジが馬鹿言うなと言わんばかりの目でアンを見た。
「アンちゃんから代金なんかとるわけねぇだろー、お金はいいからまた来てねっ」
ぽんと飛んだ語尾のハートマークが、サンジの頭上に浮かんで見えるようだった。
そんな、とアンがたじろぐと、イゾウがいいんだよ、と無造作に手を振る。
「タダっつっても弟の分はこいつ持ち。お前ェさんの分はこのオッサンたちが払ってくれるってよ」
「そゆこと」
グラスの中身を一気に飲み干したサッチは、戸惑うアンを余所によいしょと立ち上がった。
「んじゃ、マルコも行こうぜ」
「おう、そんな浴びるみてぇな飲み方してるくらいならちょいと散歩でもして来い」
え、え、とアンが財布を握りしめて視線をあっちこっちしているうちに、マルコまで深いため息とともに椅子を引いて立ち上がった。
ため息の深さに反して、面倒そうな顔つきをしていないのでアンはますますわけがわからない。
ルフィはサンジの料理がつまったパック入りの袋を提げて、きょとんと成り行きを見ている。
「ど、どこに……」
「城までお送りしますよ、姫」
「ひっ」
ひめ!?とアンが怯む背後で、サンジがそれはオレの役目だ!とむなしく叫んでいた。
「おれも一緒だから心配ねぇぞ」とルフィは胸を張るが、サッチは「はいはいでもまぁ一応ね」と軽くあしらってしまう。
そんな、とアンは言葉を飲み込んだ。
「お金も、前だって……それにまだ二人とも飲むんでしょ?」
「またぶらぶら歩いて戻ってくっから平気平気。だからただのオッサンたちの散歩だと思って、アンちゃんたちはおれらの前を歩いてきゃあいいよ」
んじゃ行こうぜ、とサッチは傷のある方の眉を上げてドアを顎で指した。
「サボ待ってるかなー」とルフィは元気に出口に向かって歩き出す。
戸惑って動けないアンの背中を、大きな手のひらがゆっくり押した。
「気がすまねぇってんなら、明日の昼飯サービスしてくれりゃあいいからさ」
そう言われてしまえば、もうアンにはごめんねとありがとうを繰り返し、手を振るイゾウと目一杯愛を叫ぶサンジに手を振りかえすしかなかった。
*
言葉の通り、サッチとマルコはアンたちの隣に並ぶことはしなかった。
サンジの料理はアンとは比較にもならないほど極上で、それを目いっぱいお腹に詰め込んだルフィはご機嫌もいいとこ、というように店を出てから笑いっぱなしである。
アンの方も、イゾウのカクテルのアルコールが程よく回ってふわふわと足取りが軽い。
胸に灯った火はまだ消えない。
あぁだこうだと喋りづめのルフィが店を出て数歩ですぐによろけてアンにぶつかった。
ルフィが渡されたカクテルにも、もしやアルコールが入っていたのだろうか。
「ルフィまっすぐ歩いてよ」
「んだよ、今ぶつかってきたのはアンだぞ」
まさか、と言い返す口を開いたが、背中側から聞こえた笑い声のせいで自信を失った。
ちらりと後ろを振りかえると、マルコとサッチは二人の肩の間にいつもの距離を保って、ふたりともが口元に小さな灯りをともして白い煙を吹き出しながら、アンたちの数メートル後ろを歩いていた。
モルマンテ通りに出るまでの細い路地はイゾウの店のようなバーや酒屋が続く。
食べ物の胃がもたれるようなにおいや、アルコールそのもののような酒の匂いが漂っていた。
路地の端にはしゃがみこむ酔っ払いや、お開きになったものの名残を惜しむ飲み仲間と言った面々がいた。
夜更けと言うにはまだ早い時間帯だが、女ひとり歩くには危険な界隈。
治安の良し悪しに差があるこの街の中の、悪い方にどっぷりつかっているようなあたりだ。
南北に少し長めの長方形の形をした街の北の果てには警視庁があるので、悪もはびこる隙がないようで北の端は治安がいい。
また、南の果ての街の入り口には大きな駐屯所があるので、これもまた治安は悪くなかった。
アンたちの店は南の端に近いので、比較的平和な地帯である。
となると、逃げ場を失った形でこの街の危険度を上げる輩は街の真ん中、ちょうどこの路地の辺りに凝縮され、自然に飲み屋が増えていくと同時に治安は悪化していった。
ただし、治安が悪いと分かる場所にわざわざ近づく一般人はおらず、似たり寄ったりの人間がたむろしているだけで内輪は平和と言ってもいい。
こういう界隈があることは知っていたが、アンもわざわざ近づくことのない場所だったので、薄く漂う腐臭は心地よくはないが物珍しかった。
ただ、路地の端に立つ男たちの視線がルフィを飛び越えてアンのつま先から頭のてっぺんまで舐めまわし、口笛を吹かれているのに気付いた時にはさすがに気分が悪かった。
構っていたって仕方がないムシムシ、とアンは歩みを速めたが、気付けば隣にルフィがいない。
慌てて振り返ると、ルフィはアンの一歩後ろに立ち止まって男たちを睨みつけていた。
ばか、と思わず呟いてアンはルフィの腕を引いた。
「本当喧嘩っ早い!行くよ!」
「コイツらアンのこと買うとか言った」
「放っとけばいいんだって!ほら」
ルフィの腕を引いて前へ進もうとしたアンは、いつのまにか現れていた障害物に肩からぶつかった。
反射でごめんと口にしたアンは、その壁がまた嫌な種類の人間であることに気付き顔をしかめた。
立ちはだかるその男はまさに壁のように大きく屈強そうに見えたが、ルフィは構わず下から睨みあげる。
「なんだお前」
「テメェこそ、チビのくせに一丁前に女連れて歩いてんじゃねぇよガキ」
「あァ?」
まったく怖気づく様子のないルフィに壁男の方が若干怯んだが、同時に癇にも触ったようで
、険しい顔で一歩ルフィのほうへと詰め寄った。
気付けばアンのすぐ隣には細長い男が二人、ニヤニヤ笑ってアンを見下ろしている。
「姉ちゃんオレ知ってんぜ、南の飯屋の姉ちゃんだろ? 今日は夜遊びか」
アンは答えず、男を睨み返したまま一歩後ずさった。
それを怯えていると取ったのか、ふたりの男たちは機嫌よさげにまたアンに一歩近づく。
アンのことを知っているのにルフィを知らないのは、きっとルフィが学校へ行っている時間の方が長いからだ。
男たちは自分よりランク下のものを見る目つきで、ルフィをちらと眺めた。
「そんなガキが連れてく遊び場よりオレたちの方がいいとこ知ってるからよ、ホラ」
細い男の一人が、アンの腕を強引に取った。
ちょっと、とアンが声を尖らせるより早く、ルフィが振り向いて「おい!」と叫ぶ。
「アンに触んな!」
アンを引き寄せようと一歩踏み出したルフィは、壁男が笑いながら繰り出した太い腕によって肩から弾き飛ばされた。
「ル…!」
マズイ、と目を瞠るアンの目の前で、後ろに弾かれたルフィはそのまま倒れるかと思いきや子ザルのような素早さで一回転する。
そして足をついたその勢いで壁男に飛びかかり、男が驚きに目を見開くより早く頬に拳をめり込ませた。
あぁ、とアンは顔を手で覆いたくなる。
しかし壁男の屈強さは伊達ではないようで、数歩後ろによろめくと顔を拭い、いかめしい形相で素早くルフィの胸ぐらをつかみあげた。
いきり立った二人の男もルフィのほうへと詰め寄る。
「ちょっと!」
ルフィ一人に何人がかりのつもりだ、とアンは腕を掴んでいる男のほうを振り払いつつ押しのけた。
アンに押された男は頼りなく後ろによろめいたが、それだけで逆鱗に触れたのかのような顔をしてアンの襟首を掴んだ。
コノヤロウ、とアンが男の腕に手を伸ばした時、またもやルフィが「アンに触るなって言ってんだろ!」と細男に掴みかかろうとする。
殴っちゃダメだって、とアンが声を上げかけた瞬間、ルフィの形相にひるんだ細男がアンの襟首を突き離した。
それと同時に、ルフィの隙をついた壁男がルフィの横腹に拳を突き刺す。
バランスを崩したアンは「えっ」と声を上げる間もなく後ろに倒れかけ、途中で殴られたルフィがぶつかって、なだれのように風景が目の前を流れていった。
ドサッ、ベチャッ、と何かが落ちる音ともにアンは背中から大きなものにぶつかった。
今度はなんだと振り返るその刹那、濃い煙の香りが背中側から香る。
「おうおう、ちょっと目ェ離した隙に」
「……あ」
だいじょうぶ?とサッチがアンの顔を覗き込む。
その隣で、マルコがむせるルフィの肩を叩く。
そういやこのふたりを忘れていた。
腹に食い込んだ拳はさすがのルフィも苦しかったようで、げほげほと咳き込んでいた。
顔ではなく腹を殴るのは喧嘩慣れしている証拠だ。
「だいじょうぶかよい、弟」
「助けが遅くってごめんなー、マルコのやつがノラ猫なんかに気ぃ取られててよ」
「猫を構いだしたのはテメェだろいサッチ!!」
現れたと思ったらいがみ合いだしたふたりの前で、アンとルフィに絡んだ男たちは突然出てきたスーツの男二人に怯んだ顔を見せた。
アンはルフィの背へ手を伸ばす。
「ルフィ、」
「ああああ!!」
突如、ルフィが悲嘆ともいえる叫びをあげた。
びくりと手を引いたアンはルフィの視線の先を追って、あっと短く声を漏らす。
サンジにもらった袋が地面に落ち、無残にもパックから半分中身が飛び出していた。
ルフィは殴り返されるまで、これを持ったままだったのだ。
「お前……」
ルフィがゆらりと背を伸ばした。
男たちはなんだなんだと勢いにのまれて一歩後ずさる。
「せっかくサンジに作ってもらったメシを……サボの土産なのに!!」
おれも家で食うつもりだったのに!!と叫ぶルフィの目は潤んでいる。
アホかと思いつつ、サボの土産をつつく気でいたアンの腹の底にもふつふつと怒りがわきあがってきた。
「覚悟しやがれ!」
男に殴りかかったルフィに心の中で行け!と叫んだアンは、サッチによってぐるりと背中側に回されて、地面を蹴ったはずのルフィはマルコによって後ろ首を掴まれていた。
「はなせよ!」
「落ち着け」
さざなみさえも見えないマルコの目に見降ろされても、ルフィはうがーと暴れている。
気付けばサッチの背後に回っていたアンは、アレ?とサッチの背中を振りかえる。
男たちは怯みつつも逃げる様子はなく、「なんだよ、今度はお前らが相手かよオッサン」と粋がり続けていた。
サッチが深い深いため息をついた。
「あのねぇ、お前らは未成年でもねぇし、この辺で女引っかけようが喧嘩しようが好きにすりゃあいいがよ、この子はやめとけ。恐ろしく怖い騎士にやられちまうぜ」
すンでにお前一発殴られてるじゃねぇか、とサッチがあっけらかんと笑うと、壁男の顔がドス黒い赤に染まった。
「オヤジが調子乗ってんじゃねぇぞ!」というなんとも抽象的な暴言を吐いて、壁男はサッチの襟首を掴み右手を振り上げた。
アンよりずっと肩幅の広いサッチの後ろからでも、サッチより大きな壁男の顔はよく見えた。
一歩たりとも後ろに引かないサッチの背後で、アンは壁男の形相に思わず「うわ」と声を漏らす。
ささやかなためいきが聞こえたかと思うと、サッチの頭の上から見えていた壁男の目が驚きに見開いて、次の瞬間には消えていた。
ズササッと地面をこする音が聞こえたので視線を下ろすと、壁男が足を払われて転がっている、
同時に左腕もひねられたのか、呻きながらそこを押さえていた。
ルフィが「おぉ!」と感嘆の声を上げた。
サッチは腕を押さえて転がる男に向かって人差し指を銃のように指した。
「逮捕しちゃうぞ!」
う、とひとつ呻いた壁男がよろよろと立ち上がる。
その様子を呆然と眺めていた残りの細男二人が、同時に2,3歩後ずさった。
「あ、おい待てよ!」
ルフィが声を上げると同時に、よたよたと逃げ始めた壁男の後を追うように二人の男がひっと叫んで走り出した。
するとマルコの手をするりと抜けて、アンが止めるより早く、ルフィまであとを追って駆け出した。
「おれはお前らのせいでオレのメシ落としたこと、許してねぇんだからな!!」
「ちょっ、ルフィ!!」
いつのまにか「サボの土産」は「オレのメシ」に昇格している。
あのバカ、とアンがサッチの後ろから追いかけようと足を踏み出すと、サッチの手がアンの肩にかかり「だいじょぶだいじょぶ」とアンを押しとどめた。
「ガキ追っかけるのはプロだからよ、オレにまかせなさい。お前アンちゃん頼んだぜ」
サッチはマルコをぴっと指さすと、すぐさま踵を返してすでに小さくなってしまったルフィの背中を速いとは言えないスピードで追いかけていった。
ったく鉄砲玉みてぇなボウズだな、と呆れた声が駆け出す直前に聞こえた。
「……行っちゃった」
「弟のこたぁアイツに任せときゃ心配いらねぇよい」
取り残されたアンが「どうしよう」とマルコを見上げると、マルコは「とりあえずお前は家に帰るよい」と小さく息をつく。
「ルフィは」
「サッチが見つけて家まで連れてきてくれんだろい」
あぁ、とマルコは思い出したようにアンをざっと上から下まで眺めた。
「お前さん怪我ねぇかい」
きょとんとマルコを見つめ返して、ケガ? と問い直す。
しかしすぐにハッとして、「ない、全然ない」と無事を示すようにばっと両腕を開いてみせた。
そういえば今さっきまで、アンは絡まれていたのだった。
よし、と頷いたマルコは「行くぞ」と足を踏み出した。
アンは慌てて、ルフィが落とした袋をとりあえず持ち上げる。
アンを取り巻く寸劇を眺めていた酔っ払いたちは、道を開けるように路地のわきへと身を寄せた。
先のやり取りを見ていて多少頭がよければ、マルコが喧嘩を売っていい相手ではないと分かるのだろう。
アンは肩を並べて歩く男をちらりと見上げたが、そう言えばマルコに盗み見はすぐにばれるんだった、と即座に視線を外した。
前方の店から気持ちよさそうなだみ声の歌が聞こえる。
ざわめきに似た大きな笑い声。
その店の扉が開いた。
どやどやと話しながら数人の男が出てくる。
「おい」
その男たちはアンを目ざとく見つけると、途端にニヤニヤし始めた。
にじりよるように、男たちはアンとマルコを待ち受けるように取り囲んでこちらを向いた。
マルコは意にも介さず歩を緩めない。
いったいなんなんだこの辺りは、とアンは先程の怒りがまた腹の底から湧き上がってきた。
あたしにいったいなんの恨みがあるってんだ、あたしは家に帰りたいだけなのに、と怒鳴り散らしたくもなる。
しかしアンがむっと顔をしかめると、男たちは喜びの声を上げた。
「なっ」
「黙ってろい」
不意に右肩に何かが触れ、ぐいと左側に引き寄せられた。
左肩がぐっとマルコにぶつかる。
マルコ、と名前を呼び掛けて、黙っていろと言われたことを思い出して口をつぐみ、そろそろと顔だけ上げた。
まっすぐ前を向くマルコの顔は、互いの身体が密着しすぎていてうまく見えない。
アンの肩を抱いて、マルコは一切のよどみも見せずずんずんと歩いていく。
すると、肩をそびやかしてアンたちを待ち受けていた男たちが、そろいもそろって顔を背けて道を開けた。
驚いてもう一度マルコを見上げるが、やっぱり顔は見えない。
まるで海割り伝説のように開けた道を、マルコは我が物顔で歩いているのだろう。
ルフィと二人、ぶつかりながら歩いていたときには光に集まる夜光虫のようにアンにたかった視線が、今は意図的に、ときには舌打ちを伴って外された。
ルフィがひ弱な男だとは思わない。
むしろ果敢に殴り返し今も追いかけていったのを見ればわかるように、アンはルフィが喧嘩で負けたのは見たことがない。負かしたのはアン自身くらいだ。
しかし見た目はやはりどうしてもただの少年だった。
背丈も大きいとはいえず、肩幅も広くはない。
細い足はすばしっこそうには見えるが頑丈には見えない。
ルフィの強さは、喧嘩を売るまでわからないのだ。
そう思うと、男同士が一目見ただけで相手との差を測るのはやはり見た目のステータスだ。
女同士のように美しさを競うのではなく、見た目で地位と強さのステータスを測っているようにアンには見えた。
ルフィがあどけない小さな少年であるのに比べ、おそらく背丈も高い方、肩幅もあるマルコはけしてひ弱に見えるはずもなく、スーツを着こなした姿とその歩き方は相応の地位を持つ男のそれだった。
そしてその男に肩を抱かれるアンは、その付属品としてそれなりの高レベルを与えられたのかもしれない。
『付属品』という考えに納得がいくわけではなかったが、こうすることで男たちの不躾な視線からマルコがアンを守ってくれていることは、鈍い鈍いと言われるアンにもわかることだった。
身体が離れたときにどんな顔をすればいいのだろう、とアンはそればかりを考える。
不意に、濃密な煙の香りが鼻腔をくすぐった。
あ、と思わず深く吸い込んだ。
この匂いを知っている。
頭から被せられた上着の下。
雨の音が遠くで響く、車の中。
首筋を伝う水と、唇をかすめた冷たさが脳裏をよぎった。
アンの右肩を包む手のひらがわずかに動いた。
それだけのことに、アンはぴくりと首をすくめる。
肩に触れる温度、身体の左側に密着している別の身体、かおる煙の香りと何度も甦る雨音の響く記憶がすべてばらばらになってはアンの感情に一騎打ちを仕掛ける。
背骨が軋み震えるような感覚がした。
気付けばアンたちは細い路地を抜け出して大通りに出ていた。
アンは左右を見渡してみたが、ルフィの姿もサッチの姿も見えない。
ぱらぱらと、それこそアンたちのように飲み屋帰りの酔っ払いの姿があるだけだ。
タクシーだけが何台か通り過ぎていく。
声をかけていいものか迷った。
マルコは迷わず通りをアンの家のある方へと折れ、口を開く気配もない。
マルコ、と名前を呼びたくなった。
しかし口を開いてしまうとすべてが終わる気がした。
今のこの時間も、アンの身体に触れる温度も、耳の奥で響く雨の音も。
終わりたくない、と思った。
そのためにはアンも口を閉ざして、ただ歩くしかなかった。
通りは先が見えないほど長く続いている。
アンはずっと、足元を見て歩いた。
そうしないと足がもつれて転んでしまいそうだった。
なんにしろマルコの右足とアンの左足は重なるほど近くにあるのだから、歩きにくくて仕方がない。
しかしマルコはずっと前を向いているようだった。
よどみないその足取りに、アンは必死で付いていく。
冷たい風が足元から吹き上げた。
首筋を舐めるようなその冷たさに、アンは思わず首をすくませてマルコの背中側の上着を掴んだ。
同時に、マルコの右手が一層アンを引き寄せた。
温めあうかのようなその仕草に、アンはくすぐったさをごまかすようにより深く俯いて歩いた。
結局、アンの店先に着くまで一言も言葉を交わすことはなかった。
マルコが足を止めるまで、アンは家に着いたことさえ気づかなかった。
騒々しい声が二階から聞こえないので、ルフィはまだ帰っていないのかもしれない。
肩を抱くマルコの手が離れた。
「あ……りがとう」
送ってくれて、と付け足す。
マルコは「あァ」と短く応じた。
アンはずっと、マルコのシャツの襟元を見つめていた。
それでも顔を上げなければいけないのだが、それ以上は上がらなかった。
いつもよりずっとずっと、マルコが近い。
「じゃあ」と言ってマルコが踵を返すまでが、途方もなく長く感じられた。
しかし実際はあっけなかったのかもしれない。
初めから終わりまで一切の躊躇いも見せないマルコは、既にアンに背中を向けて来た道を引き返していく。
先程までマルコが触れていた余熱は、秋風にさらされて名残さえない。
身体の中から湧き上がる熱だけがアンを温めている。
アンは自分自身を片手で抱くように、ギュッと左手で右肩を押さえた。
あたしは間違いなく、さっきまで視界に入っていたマルコの手が持ち上がり、こちらに伸びてくるのを心待ちにしていた。
それだけじゃない。
本当は、肩に触れた手をそのままにマルコが腰をかがめて、唇が触れるのを待っていた。
そうして欲しかった。
あの日みたいに。
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木曜日のなんでもない朝、それも店を開けてすぐの時間。
早い出勤のサラリーマンたちがアンの店で朝食を買って、口に咥えながら通りを歩くような慌ただしいいつもの朝、ふらりと知った男が一人で現れた。
入り口付近に現れた新しい客に、一番に気付いたのはルフィだった。
「お! オッサン久しぶりだなぁ!」
ルフィの必要以上に大きな声に振り向いたサボは、あぁと見知った人にかけるような声を出したものの固い顔で朝の挨拶を口にする。
「珍しいね、こんな朝早く。しかも最近見なかった」
「仕事が詰まっててよい」
いつものはあるかい、と尋ねる声に、サボは「今ちょうどアンが裏に野菜取りに行ったところだから、戻ってきたらすぐできると思うよ」と答えた。
サッチが好んで座るカウンター席に、マルコは迷わず足を向けた。
席についている他の客はまだ1組、数人がサンドイッチやパニーニを持ち帰っていっただけ。最繁期のひとつ手前の時間帯だ。
サボは開店と同時にやってきたおじいさんは静かに新聞を読んでいる。
サボは彼に新しいコーヒーを注ぎにカウンターを離れた。
ルフィが、席に座ったマルコにまとわりついている。
「なぁオッサン、いつものオッサンは?」
「今日はいねぇよい」
「なんで?」
「仕事だろい」
「オッサンは? 仕事は?」
「今日は休みだよい」
「へぇー、なんで?」
「こら、ルフィ」
サボが窘める声を飛ばしても、ルフィはきょとんとして意に介した風もない。
目の前のマルコは、若干辟易とした顔をしているというのに。
「お客さんの邪魔すんじゃない。ホラ、混んでくる前に朝飯食っとけ」
「お、そうだな」
サボが住居につながる階段を顎で示すと、ルフィは軽い足取りでそちらに向かう。
マルコへの目線に謝罪の意を込めると、伝わったのか、軽く頷いたようにも首を振ったようにも見えた。
どちらにしろ、たいして気分を害した風ではない。
「ついでにアン呼んできてくれよ、どうせ裏で野菜選んでるから」
「えぇー、遠回りじゃん」
「ぐだぐだ言わない、さっさと行く」
「げぇ……っと、」
わざとらしく顔をしかめて、ルフィが裏口へと続く古いアルミのドアに手を伸ばした時、外側からそのドアが勢い良く開いた。
ルフィがドアを開けた人物に目を留めて、手間が省けたとばかりに顔を綻ばせて「オッサンが来てるぞ!」と叫んだ。
「オッサン? サッチ?」
大きな段ボール箱を抱えたアンは、ルフィにドア閉めといてと通りざまに伝えながら厨房の中に入った。
そしてカウンター席に座る人物に気付いて、アンの手は思わずダンボールを取り落しかけた。
ずるりとアンの手から滑った大きな箱は、しかしすぐにアン自身によって持ち直される。
アンの背後で、ルフィが小気味よく階段を上っていく足音が響いていた。
「……いらっしゃい」
「Bってやつ、頼むよい」
うん、と頷いてアンは足元に重たい箱を下ろした。
「よぉアン、おはよう」
「アンちゃんおはよう、いつもの頼むよ」
「おはよっ、これ持ち帰りにしてくれ!」
まるでアンが現れたのを皮切りにしたように、常連が一人、また一人とやってきた。
アンは大慌てでエプロンを閉めなおすと、大きな笑顔をつけて一人一人に声を返す。
目の前のカウンター席にマルコがじっと座っているのは、この際一人の客として放っておこうと決めたようだ。
「サボ!ボトルとグラスを……!」
「はいはい」
朝と夜になれば涼しい風が吹き始めた季節ではあるとはいえ、アンの額には細かい汗が浮いている。
サボはアンに指示されるがまま、トレンチにボトルの水とグラスをいくつか乗せて客の席を回った。
ボトルを客席に置く際、手が滑ってゴトンと大きな音を立てた。
「おっと、ごめん」
「大丈夫、寝不足かサボ」
常連の電気屋のオヤジに苦しい笑いで首を振り、そこを離れた。
オレが動揺してどうする、と胸のうちで繰り返す。
久しぶりに現れたマルコに対し、少なくともアンははたから見てわかるほど顔色を変えていない。
しっかりしろ、と薄いトレンチを強く握った。
アンの余裕とサボの余裕は連結している。
サボが余裕を失えば、アンもたちまちに慌ててしまうとわかっているのに。
サボは空になった席を片づけながら、ちらりと視線だけでマルコの背中を見た。
変わらず黒いスーツの背中は、くたびれたオッサンのようにも普通のサラリーマンのようにも、とんでもなく偉い重役の背中のようにも見える。
事実は後者だ。
不意に、その背中が背後から見つめるサボの視線をしっかりととらえているような気がして、ぞくりと背筋が粟立った。
しかしすぐ、やめろやめろと首を振る。
大きく息を繰り返した。
まったく朝からやめてくれ、せめて火曜と金曜と決めたならその日だけ来てくれればいいものを、と我ながら勝手な文句を心の中で呟いた。
テーブルを拭くサボの目の端で、マルコにモーニングを給仕するアンの姿が映る。
サボだけに分かるそのぎこちない笑顔に、マルコは気づいているだろうか。
気付いていたとしても、きっとそのぎこちなさの理由はわからないのだから、マルコのほうも居心地の悪い思いをするかもしれない。
そう思うと、ガキくさいと思いながらも、胸のすく思いがした。
それでも、そのぎこちなさをわかってやれるのは自分だけだという優越感も、確かにサボの胸の奥に転がる小石のように、そこにあった。
アンからモーニングの一式を受け取ったマルコは、サッチのように余分な言葉をこぼすことなくもくもくと食事を始めた。
そろそろ店内は最繁期を迎える。
アンもすぐにマルコから視線を移して、次の作業へ取り掛かる。
サボは、テーブルを片すと同時に頭の中を一掃した。
こんなバカみたいなことを考えながら両立できる仕事ではない。
ただ、マルコから視線を外すその刹那のアンの目が、まるで名残を惜しんでいるように見えて、ただそれだけがサボの心にしこりを残した。
*
サッチが来たの? というセリフを吐いた手前、マルコと対面するのにいささかの気まずさがあった。
既にいつものカウンター席についていたマルコは、ゆっくりと視線を上げて、ルフィの声を辿り、そしてアンを捉えた。
静かに注文を伝えたその目は、以前会ったときと一寸の違いもなく凪いだ海のように穏やかな青で、アンの方がたじろいでしまったのがまるわかりになってしまったような気がした。
しかしマルコの注文を受けるとすぐに、次々とお客さんがやって来た。
愛想のよいそれらの声に応えながら、意識をマルコのほうへ引っ張られるのを若干感じて、こんなのではだめだとたしなめる自分の声を聞いた。
ひとまず仕事に集中しなければ、とアンは自分を持ち直し、手元の作業と客を捌くことに専念することにした。
マルコがなんだというのだ。
「ごちそうさん」
注文を伝えたときと同じ、静かだがなぜかまっすぐ届く声が、律義にそう言ってフォークを置いた。
アンは他の客にそうするのと同じように「ありがとう」と言って、マルコの前の皿に手を伸ばして下げる。
皿のわきに無造作に置いてある大きな手が不意に目に入った。
職人のように固く分厚い手ではない。
白くもなく、黒くもなく、生まれたときからその色だったのかもしれないと思わせる自然な肌の色。
その皮膚の下から突き上げる節が目立っていた。
軽く握られたその手から指は見えないが、節の大きな手に特徴的なように、マルコの指は細くて長いのかもしれない。
突拍子もなく、それが突然動いてアンの手を掴むのではないかと想像した。
バカみたいだ。
アンは誰にもさえぎられることなくすみやかにマルコの皿を下げることができたし、マルコは最後のコーヒーが来る前にのむらしい煙草を取り出していた。
マルコに食後のドリンクを何にするかを聞くことはもうない。
他の客の大半がそうであるように、マルコの食後にはホットコーヒー。ちなみにサッチの食後も同じく。
ミルクと砂糖はいらないと初めに断られたので、それ以来付けたことはない。
店の中は混雑してきて、雑然とした話し声が満ちてきた。
マルコが来ているときに、この騒がしさは今までなかっただろう。
いろんな色を使った激しい筆遣いの絵画を背景に、マルコと言う単色で描いた人物を切り取って貼り付けたかのような不似合さだった。
アンは首筋に浮かんだ玉の汗を襟に吸わせてフライパンを振っては皿に移し、パンを焼いては切って野菜をはさみ、コーヒーを注いでは新たな豆を挽く作業を繰り返した。
目の端でちらちらと映るサボの姿も、忙しく立ち働いている。
ガチャ、バタ、ドタドタと騒々しい生活音が、客の話し声が絡まりあった糸の珠の隙間を縫うようにアンに届いた。
「アン、サボ!行ってくる!!」
「行ってらっしゃい!」
アンとサボの声が綺麗に重なるだけのはずが、来店している客たちの声もあわさって、大合唱となった。
ルフィは満足げに歯を見せて笑うと、背中のリュックを大きく揺らしながら元気に店を飛び出していった。
その背中を見送ってから、アンはハッと店の壁の真ん中に掛けてある時計を振り返った。
時刻は8時前。
店内は変わらずにぎやかだ。
繰り返す作業に没頭するうちに、時間はあっという間に経過していたらしい。
おそるおそる視線を少し下げて、マルコの手元にコーヒーソーサーがあったのでほっと息をついた。
目の前の客にコーヒーを出したことさえ覚えていない。
奇妙な形の控えめな色合いの金髪と、伏せた睫毛。
マルコは手元の新聞に目を落として、コーヒーをすすっていた。
マルコが店にやって来たのは6時半ごろだったから、かれこれ一時間以上いることになる。
長居する客を厭わないことにしているこの店では、そういう客を見定めた場合コーヒーのおかわりを注いでやっている。
サボによって、マルコもその恩恵を受けているらしかった。
「め、珍しいね」
一拍空けて、マルコは顔を上げた。
自分に掛けられた言葉だと思わなかったらしい。
問い返すように眉根を寄せている。
「仕事、今日は昼からとか……」
語尾が濁ったアンの言葉に、マルコは「あァ」と合点がいったような声を上げて、手にしていたコーヒーをテーブルに戻した。
「今日は丸一日休みだよい」
「へぇ……そういうこともあるんだ」
「……上の計らいで」
上? と首をかしげるアンに、マルコはなんでもないと言葉を打ち消すように軽く首を振った。
「長居して悪ィよい、もう」
「やっ、それは全然構わないから……!」
腰を上げかけたマルコを、自分でも思わぬ大きな声を出して押しとどめていた。
声と一緒にマルコの目の前に突き出していた片手に気付いて、そろそろとそれを引っ込める。
「い、今は店の中うるさいけど……いっつもマルコたちが来てくれる時間になったら、少しは落ち着くと思うから……それまでに用事があったら、その、アレだけど」
しどろもどろとなる自分の声の情けなさに、アンの声はますます舌先に絡まるようにまとまりがなくこぼれた。
マルコは椅子から数センチ浮かせた中腰のままアンが付きだした手のひらを若干虚を突かれたように見つめていたが、やがて黙って再び腰を下ろした。
なんとなくその顔は、笑いを噛んでいるように見える。
「昨日の夜早くから今日丸一日ひっくるめて仕事に来るなってお達しだったからよい、珍しく早寝したら年寄ほど早起きしちまって、朝からすることなくて困った」
いつかみた微かな笑みを浮かべて、「朝起きたらまずは朝飯だろい」とマルコが言う。
頷く以外に答える方法がわからなくて、アンは黙って首を動かした。
「ここ出たら、今度こそ何すりゃあいいのかわからねぇからよい。助かる」
少しだけ上がった口角に本気で安堵の表情が見えて、アンも思わず頬を緩めた。
「もしよかったら、ランチも、あるから」
「そりゃァますます助かる」
初めて、マルコが小さく喉を鳴らして笑った。
だから、その言葉が本気なのか冗談なのかわからなかった。
マルコとの会話の間も休めることなく動かしていた手は、二つのセットを完成させていた。
それをカウンターの上に乗せると、間をおかずにサボがそれを手に取り運んでいく。
客はとめどなくやってくるので、マルコとの談笑に時間を割かれるわけにはいかないのだ。
談笑か、とアンは小さく胸のうちで呟いた。
それはとても、楽しそうに聞こえる言葉だな、と。
9時半を過ぎると、入っては去り入っては去りしていた客足がゆっくりと減っていった。
いつものペースだ、とアンは汗をぬぐう。
とっくに新聞を読み終わっていたマルコは、店に置いてある雑誌を興味なさ気な目つきで見下ろしながら、何杯目かのコーヒーを飲んでいる。
そろそろサボが裏へと引っ込み、昼の混雑がやってくる前に仕入れの確認をする頃だったが、サボはまだ厨房の内側で洗い物の手伝いをしていた。
アンは店の外に目をやる。
空は晴れ渡っているのだろう、白い光がコンクリートの道路に跳ね返り、眩しいほど明るかった。
昨日は雨だったのに、とぼんやり思っていると、店の前を大きなスクールバスを音を立てて通って行き、ほんの一瞬だけその明るさが途切れた。
バスの地響きが、足の裏に響く。
「サボ、もう表はいいよ」
空いてきたからだいじょうぶ、という意味を込めてサボを見上げる。
高い位置にある横顔は、シンクの中に視線を落としたまま気のない声で「あぁ」と言った。
「サボ?」
「うん、これ終わったら」
「あたしもすることなくなってきたから、置いといていいよ。やっとくから」
「いいよ、やりかけたから」
かたくななほど、サボは動こうとしなかった。
マルコがいるからかな、と思い当るが、それを口にするわけにもいかず、口にしたところでどうにもならない。
当のマルコは正面にいる。
「混んでくると時間なくなるよ、いいから、裏お願い」
動き続ける腕をそっと抑えるように触れると、サボはようやくアンを見下ろした。
コンマ一秒にも満たない間重なった視線は、アンが思った以上に張りつめていた。
「わかった」
サボは泡のついた手をさっと水で流すと、手早く拭いて裏口へと歩いて行った。
少し、強引に過ぎたかもしれない。
ドアの向こうに隠れた背中を見送って、アンはちくりと胸に刺さった小さな棘を感じた。
サボのしていた洗い物の続きをしようかと思ったが、それでは少しマルコが座るカウンターから離れてしまう。
少し考えて、昼の下準備を先にすることにした。
大きな鶏肉を一枚冷蔵庫から取り出して、マルコが座る目の前にあるまな板の上に寝かせた。
「マルコ」
雑誌に落ちていた視線が、一拍置いて上がった。
マルコに届くかどうかというギリギリの声量だったというのに、マルコの耳はアンの声を掬い取ったらしい。
意を決する、と言う程のことではないと思いながら、意を決して、アンはマルコと視線を合わせた。
「このあいだは、ありがとう」
マルコの表情は数秒の間変わらず、それから訝しむように眉間に皺が寄った。
「あの、雨の日」
「あぁ」
思い当ったようで、刻まれていた皺が薄くなった。
「言い忘れてたから」
「律儀だねい」
「風邪、ひかなかった?」
「まったく。お前ェさんは」
「おかげさまで」
そうかい、とマルコは薄らと笑った。
あ、と思わず声が漏れる程、アンの中で何かが満たされた。
別にあたしはこの男を笑わせたかったわけじゃないのに、となぜか悔しくなって、アンは視線を手元の鶏肉へと下げる。
木の椅子が床を削る音が聞こえた。
「長ェこと邪魔したよい」
「もう帰るの?」
咄嗟に出た言葉にハッとした。
しかしマルコは気に留めたふうもなく、あぁと頷く。
「コーヒーばっか飲み続けてても、ただのタチ悪ィ客だろい」
「かまわないけど」
心のうちとはうらはらに、まるで引き止めるような言葉がこぼれ出る。
こうも素直に口にしてしまうと、本当にうらはらなのかが怪しくなってくる。
マルコは返事をせずに、紙幣を一枚アンの方へ押し出すようにカウンターに置いた。
「イゾウの店にまた来いよい。この間はせわしなかったから」
そう言ってマルコはアンの返事を待つことなく、店を出ていった。
一日やることがないと言っていたのにいったい何をするんだろうと、多すぎる金額を表す紙幣に目を落としながら、思った。
*
何の変哲もなく終わりかけた一日の夕暮れ時、ルフィが帰ってくるなり「アン!サボ!」と騒がしく階段を駆け上ってきた。
今日は帰りが早いな、と思いながら「うるさーい」と気の入らない叱り方をする。
ルフィは駆け足の勢いそのままアンの前まで突進してくると、「サンジの店行こう!」と声高々に叫んだ。
勢いに押されて、グラタンに振りかけていたチーズの袋を取り落しかける。
「サンジ?」
「アンこないだ行ったって言ってただろ!サンジがよ、アンを連れてくればそこでメシ食わせてやるっつって!」
あぁイゾウの店か、とアンが思い当ったときには、ルフィはすでにアンの眼前からは消えていて、洗濯物をたたみ終えて食卓に現れたサボのもとへとすっ飛んでいた。
「なぁ!サボも行こうぜ!」
サンジが、コックで、アン連れてって、飯がもらえて、と非常に偏った情報を懸命にサボに伝えている。
サボが、どういうことかと尋ねるようにアンを見た。
アンが事の顛末を簡単に話すと、サボはなるほどというふうに頷く。
「でもアン、今日の夕飯の準備もうしてあるんだろ」
「もちろん。今日はグラタン」
ルフィがアンの手元に首を伸ばして、だらりと口元のしまりを緩くした。
サンジのタダ飯にもアンの夕飯にも惹かれているらしいその表情は、愛らしくて貪欲な子犬のようだ。
「今日じゃないとダメなの?」
「ダメだ!明日はサンジいねぇし」
「土曜は?」
「とにかく今日なんだ!」
どっちにしろ今日行きたいだけらしい。
どうする、というふうにサボを見ると、サボはルフィにリュックを下ろして弁当箱を出すよう指示しながら、「少なくともオレはいけないな」と言った。
あぁそういえば、とアンも呟く。
「なんかあるのか?」
「うん、8時に家具屋のおばさんち」
「なんで?」
「電球替えてほしいんだとさ」
ルフィがきょとんと目を丸くした。
「なんでサボが?」
「さぁ」
ご使命だよ、とアンがからかい交じりの声を出すと、サボはたいして本気でもなさそうにため息をついた。
「あそこ、おばさんひとりでやってるだろ。男手がないからって」
それが建前だとすると、その裏には必ず本音が見え隠れしている。
ひょっこり赴いたサボは、きっと電球を替えただけでは済まないだろうとアンにも予測がついた。
紛争激しいどこかの国の街中で乱射される銃のようなおしゃべりの餌食にされることは間違いない。
「えぇぇ」とルフィが落胆を隠さず口にした。
サボは、ルフィに弁当箱を持って行けと台所を指し示す。
「でもいいよ、ふたりで行ってくれば」
「いいのか!?」
「でも夕飯どうする?」
「食べてから行けばいいんじゃないか、ルフィならどうせいくらでも食えるだろ」
「まかせろ!」
ルフィが意味もなく偉そうに胸を張る。
アンはルフィとサボを交互に見て、じゃあとりあえずグラタン焼くか、とオーブンの予熱を始めた。
マルコとの話に出たイゾウの店にさっそく行くことになるとは、と偶然とも言い切りにくい突然の予定に驚きながらタイマーをひねった。
「サボには土産持って帰ってきてやるからな!」と破顔するルフィは、イキイキと目を光らせながら着替えに奥へと引っ込んだ。
「いいの?」
「いいよ。夜道でもルフィがいるし」
「サボも行きたいでしょ」
「うん、まぁ仕方ないよ」
たいして落胆しているようには見えない。
だからと言ってそれじゃあ行ってきます、と気軽に出かける気にはならなかったが、もはやルフィには行かないという言葉は通じないように思えたので、アンはそれ以上何も言わなかった。
出来上がった料理を食卓に並べ始めると、早すぎる程手早く風呂掃除を終えたルフィがメシメシと歌いながら席に着いてスプーンを手に取った。
リビングのソファから腰を上げたサボが、運ぶの手伝えとルフィの頭を小突く。
「ちょっとルフィ、風呂掃除適当すぎ」
「失敬だな、ちゃんと洗ったぞ!」
「洗剤のついたスポンジで手の届く範囲を適当に撫でるだけは、掃除とは言わないんだぜルフィ」
サボが揶揄を飛ばしながらサラダボールを運ぶ。
まさしくその通りの行為をしてきたばかりだろうルフィは、言葉に詰まって「思いっきりこすって来たからへいきだ!」とわけのわからない言い訳をした。
「ほら鍋敷き取って。熱いよ」
「これ肉入ってんのか?」
「入ってる入ってる」
「ルフィ、先にサラダ取れよ」
「サボ、パン切って」
食卓の上を、いくつもの腕が交差する。
ぶつかることがないのはなんでだろう、とアンはいつも考える。
さて、とアンが席につくと食事が始まった。
早くイゾウの店に行きたいと気がはやるのか、ルフィはいつもに増して慌ただしい。
しかし家の夕飯を人の分まで平らげようとする食い意地はかわらない。
騒然とした食卓は、昨日のそれとたいした違いはなかった。
早く行きたいのなら洗い物を手伝えと言うと、そんなのは帰ってからすればいいと言う。
ルフィが洗ってくれるならいいよと言うと、ルフィは少し考えるそぶりをして「まかせろ!」と胸を張った。
こんなに信用のならない「まかせろ」もない。
「嘘ばっか、アンタ逃げるでしょ」
「余計な皿も割れるかもしれないから、逆にその方がいいかもな」
サボのからかいに憤慨した様子で、ルフィは失礼すぎるなどとぶつぶつ言いながらアンの横に並んだ。
結局、割れた皿は1枚で済んだ。
アンとルフィが家を出る時一緒に、サボも出ると言って腰を上げた。
アンはルフィに指摘されて、慌ててエプロンを外す。
じゃあ行くかと大手を振って階段を降りようとしたルフィを、サボが呼び止めた。
「アンも。もうTシャツじゃ外は寒いだろ」
「おれはへいきだ」
「一応上着持ってけ。アンは長袖に替えたら」
寒いかな、と半袖の自身を見下ろした。
寒い、とサボは断定する。
じゃあ着替えようと踵を返したアンを、サボは満足げに見送った。
結局言われた通りに長袖に着替え、薄い上着を3人分持って戻った。
サボのぶんを手渡すと、おれはいいのにと苦笑する。
「でもサボもそんな薄いシャツじゃ寒いでしょ」
「おれはすぐそこだから」
一応持っていけば、と勧めると、サボはありがとうと受け取った。
3人一緒に階段を降り、店を横切って外に出る。
鍵を閉めるサボの後ろ姿を見つめながら、長そでにしてよかったなと思った。
風はすっかり秋であることを自覚しているように冷たい。
「それじゃ」
「うん、サボも気を付けて」
「土産持って帰るからなー!」
まるで旅行に行くみたいだ、と思わず吹き出すと、サボが「旅行に行くわけじゃないんだから」と笑った。
同時に背中を向け、アンはルフィと歩き出す。
こんな別れ方をするのは奇妙な感じがした。
「アンタ道知ってんの?」
「知らねぇ」
なるほど、ルフィはアンを連れてこない限りイゾウの店には辿りつけない仕様になっているのかと感心した。
サンジはルフィの前でも変わらずアンのことを『お姉様』と呼ぶのだろうか。
「なんで突然、店に誘われたの?」
「アンのこと話してたんだ」
「アンタが?」
「いやー、サンジが。もう一度会いてぇとかなんだとかうるせぇから、アンがサンジの働いてるところにもう一回行ったら会えるだろって言った」
「そしたら?」
「アンが自分から一人で来ることはなさそうだって言うからよ」
なんでだ? とルフィは誰にともなく問うた。
なんでだろ、とアンも曖昧に答えではなく応える。
夜の通りは静かだった。
「こないだ行ったときもあれだろ、リーゼントのオッサンが連れてってくれたんだろ」
「そう」
「それなら今度はおれとサボでアンを連れてきゃいいじゃねぇかと思って」
サボは来なかったけどなー、とルフィは朗らかに呟いた。
アンはとにかく連れて行かれる対象らしい。
「リーゼントのオッサン、いるかな」
「さぁ……どうだろ。そう都合よくもいないんじゃない」
「じゃあパイナップルみてぇなオッサンは」
「マルコ?」
「今日来てたオッサン」
「……いないんじゃないかな」
マルコはサッチよりも出現率が圧倒的に低い気がした。
そうかいないかー、と残念そうにもどうでもいいようにも聞こえる声でルフィは息をつく。
手に持った上着が、ルフィの腕の動きに合わせて大きく動いて風を作り出しているが、ルフィ本人は冷たい秋の風を顔に浴びて気持ちよさそうに目を細めた。
半ズボンの下から伸びるルフィの脚先は、数か月前と全く変わらずゴム草履を引っかけていて、寒いだろうと言ったサボの忠告を全く聞いていないことを物語っていた。
たしかに少し足元から這い上がる冷気が寒い。
一定の間隔で設置された街灯の下に羽虫が群がっている。
ルフィが口を閉ざしたので、アンも黙って歩いた。
黄色い灯りに照らされて、影が伸びる。
通りに面した店はほとんどシャッターが下りていて、人気がないぶんいつもより通りが広く感じられた。
「あとどれくらいだ?」
「10分くらい。スーパーすぎて少し行くから」
ふーん、と気のない声で鼻を鳴らして、ルフィはぽつんと「オッサンいるかな」と呟いた。
よっぽどサッチたちの所在が気になるらしい。
「アンタの目的はサンジのごはんでしょ」
「そうだけど、オッサンたちもいた方が楽しいじゃねぇか」
だろ、と同意を求められて、まぁそうだねととりあえず頷く。
「サンジは、だいたい3日にいっぺんは来るっつってたぞ」
「多いね」
「酒飲みだ」
ゾロみてぇ、とルフィは楽しそうに笑った。
唯一この時間帯でも営業している大きなスーパーの灯りが見えてくると、ルフィが「スーパーだ」と呟く。
言われなくてもアンにも見えている。
「サンジの飯…土産にし忘れたら、サボの分はここで買ってくか」
ルフィが遠い目をしてそんなことを言うので、アンは吹き出した。
広いが車通りのない道を横断し、狭い通りへと右に曲がる。
街灯がなくて薄暗いその路地はけして治安がいいとは言えず、ルフィが心なしかアンに寄り添って歩き始めた。
「ここ」
アンが足を止めると、ルフィは一階の入り口とアンを交互に見て、「スタジオって書いてあるぞ」と首をひねった。
「うん、ここの二階」
「じゃ、行こう!」
合点したとばかりにルフィが階段を上り始めたので、アンは慌ててあとを追う。
ためらうということを知らないのか、ルフィは勢いよく店のドアを開けた。
アンがルフィの背中に追いついたとき、ルフィは「テメェお姉様連れて来いっつっただろクソ野郎」とサンジにメンチを切られているところだった。
*
「今日はアルコール入ってたってかまわねぇんだろ? そっちのボウズはどうする」
「うまかったらなんでもいい」
そうかよ、とイゾウは喉を鳴らして笑いながら、ホルダーにかかったグラスを二つ手に取った。
ルフィはサンジの料理をまたたくまに平らげていく。
アンはいらないと言ったのに、サンジが出した小盛りのプレートにまでルフィが手を出したので、いましがたサンジの罵声が飛んだところだった。
「2日ぶりだな、アン」
「うん、ごめんねうるさいの連れてきて」
「構わねぇ、どうせたいした客もいねぇんだ」
そりゃオレたちのことかよ、と奥のソファ席に座っていた数人の男たちが声を上げて笑った。
そうだオヤジ共とっとと帰れ、とイゾウは店の主とは思えない口をきく。
「リーゼントのおっさんたちは来てねぇのか?」
「サッチか、今日はまだ来てねぇな」
「パイナップルのオッサンも?」
「来てねぇ来てねぇ、パイナップルもまだ来てねぇよ」
お前それ今度マルコの前で言ってみてくれよ、とイゾウは大人げないことを言う。
オッサンおもしれぇな、とルフィまでつられて笑った。
オレはオッサンじゃねぇよ、とイゾウが眉をひそめてシェイカーを振る。
まだってことは、とアンが口をはさむ。
「今日…二人とも来るの?」
「あぁ、いや知らねぇけど、ここ2日くらい見てねぇからそろそろ来るかもな。マルコのヤツは怪しいけど」
「パイナップルのオッサンなら今日うちの店来たぞ」
「あ、マジで」
「なぁ、アン」
ルフィが同意を求めるので、アンも頷くしかない。
確かにマルコは今日うちに来た。
「仕事休みなんだって」
「そりゃ珍しいな。じゃ、そのうち来るかもな」
仕事がねぇんじゃやることなくて死んでんじゃねぇか、とイゾウは不謹慎にも大口開けて笑った。
ほい完成、とアンとルフィの目の前にそれぞれドリンクが差し出された。
二人分の歓声が重なり、同時にそれに手を伸ばす。
「すげぇ、飲みモンになんでこんないっぱい色あるんだ?」
「面白れぇなお前、アンの弟2号」
あっはっは、と調子よく声を合わせて笑う二人の隣で、アンはイゾウに手渡されたカクテルに目を奪われた。
寒色だけの色合いは涼やかで、ミントの香りがツンと鼻まで届く。
かわってルフィが手渡されたカクテルは、以前アンが飲んだもののような赤とオレンジが夕日のように滲んでいた。
「うめぇーっ!」
「ばか、うるさい」
ルフィをたしなめるのももどかしい、とアンはそっとグラスに口をつけた。
冷たい、気持ちいい、程よい甘さが喉の奥に転がっていく。
胸の上の辺りにぽっと火がともるような熱さも同時に感じた。
はぁ、とグラスから口を離して嘆息するアンを、イゾウが満足げに見下ろしながら煙草を咥えた。
視線を上げて、切れ長の目を捉えて、「すっごいおいしい」とアンが笑うと、イゾウは少し目を丸めてから、すっと猫のように細い目で笑った。
「そりゃ結構」
「アンちゃぁん、スペシャルスイーツができたよ!」
サンジのしまりのない声に、ぞぞぞと音を立ててドリンクをすすっていたルフィが、すぐさま目を光らせて「あっ」と叫んだ。
「ずりぃぞ!サンジおれにも!」
「アホかこれはレディ専用だ。まだナミさんとビビちゃんにしか作ったことねぇ」
手を伸ばすルフィを押しのけてアンの目の前に出されたスイーツプレートは、小さなデザートが繊細に飾られていた。
なるほどレディ専用とはまさに。
「いいよルフィ、半分あげるから」
「納得いかねぇ、なんでアンだけなんだ」
未だぶつくさと言っているルフィをはいはいと宥めすかして、とりあえず最初の一口と小さなケーキに細いフォークの先を刺した時、重たいドアの蝶番が軋んで新たな来店を告げた。
アンとルフィはほぼ同時に、反射で振り向いた。
ただアンだけは、振り向くその一瞬前に、どうしてか、来客が誰であるか気付いていた。
カウンターの隅に置かれた古い時計が示す8時半と言う時刻が、そろそろあのふたりが来るよとアンの内側で囁いていた。
→
深い茶色の、木製の扉を引き開けると中は薄暗く、乾いた空気の中に酒のにおいが混じっていた。
サンジは、入って来た客の姿を目に停めても、ピクリとも笑わない。
女が来るはずはないと分かっているのに、いつまでたっても期待ばかりしているので男の客に愛想はすこぶる悪いのだ。
店内に他の客の姿はない。
平日の夜だろうとお構いなく飲み屋に足を向ける男は多いが、さすがにこの時間になると明日も仕事の男たちは帰り路に着き始めた。
もともと就労時間の定まらないサッチなどの職業だと、こういう夜半にひとりでゆっくり飲むことができる。
サッチはいつものカウンター席について、顔なじみの姿を探した。
「アイツは?」
サンジが顎で遠くを示す。
サッチが振り返ると、店の一番隅のソファ席で、シートの上にやたらと長い足を伸ばしてふんぞり返る細身の姿が見えた。
なにやってんだアイツ、と呟くも、サンジはさぁと無関心そうに手元に視線を落とす。
しかしその顔は少し困惑しているように見えた。
「お前もう日付変わってるけど。帰んなくていいのか少年よ」
「うるせぇ、ガキ扱いすんじゃねぇ」
だいたいオーナーがあんなだからおれも帰れねぇんだろうが、とサンジは胸元から小さな箱を取り出した。
慣れたしぐさで煙草をくわえるので、サッチは特に何も思わずその様子を眺めていたが、アッと気付いて顔を険しくした。
「お前いくつだよ、えらっそうなもの持ち歩きやがって」
「説教したいならこんな夜中にだらしない格好で酒飲みに来るんじゃねぇよ」
なるほどたしかに、今日は仕事終わりでよれたスーツ姿のまま締まらない格好だ。
トレードマークのリーゼントはところどころほつれ、本来ならさっさと家に帰って下ろしてしまいたいところ。
仕方がねぇ、目ェつぶってやる、と言うと、サンジは当然だともいうように深く紫煙を吐き出した。
まったく可愛げのないガキだと零しながら、この店の主の方を振り返る。
イゾウはどこからもちだしたのか、みたこともない酒の瓶を直接口に付けていた。
「おうイゾウ、お前なに客のふりして飲んでんだよ」
「うるせぇ話しかけんな」
「えらくご機嫌ナナメじゃねぇか」
「だまれ」
ぴしゃりとサッチの声を跳ねのける。
深い青のライトにイゾウの冷たい声が吸い込まれた。
どうなってんの、とサンジを見るも、サンジは肩をすくめてサッチの前にビールグラスを置いただけだった。
本来なら大きなジョッキで一息に飲み干したいビールだが、この店の細いグラスで飲むビールも悪くはない。
しかしイゾウがこの状態では、サッチはビールしか飲めない。
サンジがビールしか酒を扱うことができないからである。
とりあえず、サッチは一気にグラスのビールを半分喉に流し込んだ。
「ちゃんとイゾウに店閉めさせっから、お前はもう帰んな」
軽く唇を尖らせて、だらしない姿のオーナーを眺めているサンジにそう言う。
サンジは迷子のような目でサッチを見たが、黙って黒いエプロンを紐解いた。
反抗的な不良の成り損ないみたいなガキだが、頭は悪くないので従順だ。
サンジはサッチの前で小さなメモ用紙にすらすらと何かを書きこんで、それをサッチの眼前に突き出した。
「これに作り置いたモンと足りねぇモン、あと今日の客のツケのぶんいくらか付けといたから。あの人に見せといてくれ」
「おーおー、じゃぁよく見えるところに置いといてやってくれ」
メモをカウンターの真ん中において、サンジはデシャップから繋がる裏に引っ込んでいった。
しばらく、そのままビールを飲んだ。
背中から、イゾウが喉を鳴らして酒を流し込む音が聞こえる。
数分後、サンジが顔を出して「あとはよろしく」と言い置いていった。
ひらりと手を振ってこたえる。
さて、と椅子を回してくるりと方向転換した。
イゾウは来たときと変わらない格好で、ぐびぐびと酒を飲み続けている。
黒い目は正面の壁に据えられていて、サッチのほうを見ようともしない。
それでもじっとイゾウを見ていると、黒い目がギロリと動いてサッチを睨んだ。
触れたら切れて血が出そうな視線だ。
「テメェ帰れよ。オレァ今日は酒作らねぇぞ」
「期待してねぇよ」
イゾウはフンと鼻を鳴らして顔を背けた。
シンプルな壁時計が音を響かせながら秒を刻む。
サッチは一つ欠伸をした。
そろそろ日が回って1時間経とうとしている。
「オレァ、ガキは好きじゃない」
イゾウは、ぽつんと落とすようにつぶやいた。それも壁に向かって。
やっと話す気になったか、とサッチは椅子に深く座り直してしかとイゾウを見据えた。
イゾウは、サッチに向けた鋭い視線とは打って変わってぼんやりと壁を見つめている。
「でも女は嫌いじゃねぇ」
それはまた、とサッチは黙ったまま頭をかく。
それで? と促したつもりだった。
「賢い女はもっといい。静かだとさらにいい」
うん、と頷いた。
一概に賛同はしかねるが、ここで反論しても仕方がない。
思うままに話している、というふうにとりとめのないイゾウの言葉をサッチは丁寧に拾った。
イゾウは壁に目を向けたまま、ぽんと問いを投げかけた。
「アンはどっちだ?」
「アンちゃん?」
あの子にまた会ったのか、と訊いたがイゾウは答えなかった。
しかし会ったのだろう、イゾウの目は記憶をたどっている。
「どっちって?」
「賢いのか世間知らずのガキなのか静かなのか騒がしいのか」
「世間知らずでも頭のまわるガキもいるし、騒がしくてバカでも立派な大人もいるだろ」
反論するかと思ったが、イゾウはじっと壁を見据えて言葉を発しなかった。
力なく、たらんと左腕を体の横に落とす。
アンについてあれこれ考えているらしいこの男に、何を考えているんだ、どうして考えているんだと聞くほど馬鹿らしいことはない。
イゾウは考えていると怒るのだ。
というより、邪魔されたくないので人を遠ざけるように機嫌が悪くなる。
本人に自覚があるのかないのかはさっぱりだが、この習性をとっくに知っているサッチは、待てばイゾウが話し始めることも知っていた。
「……おかしな女だよなァ」
「アンちゃん?」
「まだ法が守ってくれるかどうかっつーくらいの歳だろ、アイツは。それなのに妙に達観してる。少なくともそう見える。ところがどっこい、表で人と話すときはへどもどしてやがるのに、やたらきっぱり話すこともある。いろいろ諦めたみたいな顔を見せんのに、物欲しそうに見ることも知ってる」
わけがわからん、とイゾウは不機嫌にそう締めくくった。
「やけにアンちゃんにこだわってんじゃねぇか」
「お前思わねぇか、アイツ、めちゃくちゃかわいいぞ」
イゾウはサッチが店にやってきてから初めて、サッチの目を正面から捉えた。
はぁ、とサッチは頷きともため息ともつかない声を出すしかない。
「かわいんだよなァ、なんか、生まれたてみてぇな感じがする」
それはまた、なんとも独創的な考えで、とサッチは苦笑と共にイゾウを見た。
イゾウはサッチの視線を意にも介さずに、でも、とつなげた。
「腹も立つんだよ。わけがわからなすぎて腹が立つ」
随分勝手な言い分だが、なんとなくサッチにもわかる気がした。
楽しそうな顔、嬉しそうな顔も簡単に見せてくれる。
それでもその裏に何かあることを匂わせる。
それが知りたくて一歩近づくと「ココマデ」と線を引かれる。
強引に割っていくことはできない。
それならいい、そもそも小娘ひとりの事情などどうでもよいのだと割り切ることもできない。
一度ひきつけたら掴んで離さない魅力を、アンは発していた。
可愛くて若い娘なら少し探せば見つかる。
イゾウの言う「かわいい」はこれではない。
アンが内側で大事にしているものが見え隠れする、それがとても大事なものだと分かるから、一緒にアンごと大切にしたくなるのだ。
しかしそれをアンはゆるさない。
「あの子、弟がいんだよ。2人。あ、ひとりは兄ちゃんかもしれねぇ」
「フーン」
「すっげ仲いいの。親とかまったく影もちらつかねぇからよ、多分ずっと3人なんだろうけど。だからかね」
何がだよ、とイゾウは鼻を鳴らして先を促した。
ふんぞりかえってまったく偉そうにしている。
「怖ェくらい結託してんの。結託っつーか、団結っつーか、結束っつーか……」
「お前国語弱ぇな」
「うるせっ、ともかく、3人一緒! って意識がすげぇ強ェんだよ。はたから見たら引くくらいに」
イゾウは酒瓶に手を伸ばしかけて、手の先を方向転換して自分のシャツの胸ポケットに引き寄せた。
ぱた、と胸に蓋をするように手を当てて、煙草が入っているかを確かめている。
サッチが自分の煙草を取り出してやると、黙って受け取った。
シュッと空気が一瞬爆ぜる音がして、赤が灯った。
「あれも見てて不安になんだよなぁ、オレも。いつまで続くかわかんねぇだろ、兄弟との生活なんてのは。3人もいるんだ、誰か一人が他に行き先を見つけたら簡単に終わるだろ。多分それ、わかってねぇんだアンちゃんは。でもにーちゃんの方はわかってるように見える。いつ終わるかって、びくびくしてんだよあのボウズ」
思いだして、サッチは少し口角を上げた。
本当はアンを奥深くにしまっておきたいのに、自由もあげたい。
大切にするには、守るにはアンを箱入りにするべきだと思っているけど、それがアンにとって一番いいのかと言われればそうではないとわかる。
そんな交錯する思いを目の奥に潜ませて、サボはアンとサッチを、またはアンとマルコを見るのだ。
「随分知ったふうに言うじゃねぇか」
「そりゃだってオレ、常連だもんアンちゃんちの」
そうかよ、とイゾウはサッチの煙草を深く吸った。
咥えた煙草を子供のように口先でひょこひょこ動かした。
サッチ愛用の銘柄のタールでは物足りないらしい。
「……もっと、他のモンにも目ェむけたらずっといい女になると思わねぇか」
返事はしなかったが、肯定の意を込めてサッチも火のついてない煙草を口に咥えてひょこりとひとつ動かした。
あぁめんどくせぇ、お前もう帰れよとイゾウは不意に立ち上がった。
そうするよ、とサッチも腰を上げる。
「ったく」とだれに向かってか悪態をつくイゾウの背中にひらりと手を振って、サッチは店の戸を引いた。
ビール代は店主の守をした手間賃としてもらっておくことにしようと勝手に決めた。
「じゃあな」と一言口にする前に、イゾウの方が裏へと引っ込んでいった。
まるでお前も青二才みてぇじゃねぇか、と苦い笑いを浮かべながらサッチは階段を下りた。
庇護欲に駆られて手を出しかけた相手が実は得体の知れない化け物だった、そんなふうに見える。
あながち間違ってはいないだろう。
先程イゾウが不機嫌にサッチを睨んだ時、その視線が切れそうなほど鋭かったことを思い出した。
しかしイゾウと話をして、切られて血を流しているのはイゾウのほうだと思った。
もしかするとサッチもいつのまにか切られているのかもしれない。
どくどくと流れる血の始末に困って、イゾウは腹を立てているのだ。
そして大の大人二人を切ってしまった鋭い凶器は今、何を思っているのだろう。
*
モルマンテ大通りを北上した最果て、警視庁本部。
茶けた石造りの塀がぐるりと取り囲むその中心には、実に現代的なコンクリート造りの高い建物がまっすぐ上へと伸びていた。
塀と建物本体の作りのちぐはぐさは、本部が段階を踏んで建て増しを繰り返し、次々と現代技術を取り込んだ設計へと形を変えていったことを物語っていた。
石造りの塀の前に位置づく門番をやり過ごし、本体の入り口でセキュリティーチェックを受け、さらにロビーから各部署へと入る改札のような機械の間を通り抜けたその先に、ようやく警察関係者の仕事場がある。
一般の目に触れやすい低層部は、ざわめきはあるものの比較的穏やかな部署が集まっている。
会計課、交通課、地域課など名前からしても平和な雰囲気がある。
それが上層部へと進むにつれて、刑事課というあらゆる『犯罪』を扱う課へと徐々に日常離れした危険の香りのする部署へと様を変えていく。
そして本部の一番頂上階に位置するのが、警視庁総監、エドワード・ニューゲートの部屋だった。
本部のエレベーターは、乗り込んだ人間が指図するまま忠実に、3階、4階、5階、と停まっていくが、それとはべつにこの警視庁総監室へと直通のエレベーターが存在する。
マルコは足取りに迷いなく直通エレベーターに乗り込むと、苛立たしげに「とじる」のボタンを強く押した。
太いコードに串刺しにされたようなコンクリートの箱は、マルコを乗せて20秒も経たないうちに17階へと到達する。
エレベーターを降りると、そこには透明の大きな自動扉がぴっちりと閉ざされており、門番が2人、マルコに向かい合う形で立っていた。
門番はマルコの顔を確認して、道を開けるように脇へと退く。
しかしそれで自動扉が開くわけではなく、マルコは自身の警察手帳を取り出して、二枚の扉が合わさる部分にくっついたテンキーのような機器にそれをかざした。
音も立てずに扉が横へと開いた。
ガラス扉の向こうで、ニューゲートは珍しく大きなデスクに向かっていた。
マルコの来訪に顔を上げ、目だけでニヤリと笑った。
常人の2.5倍はありそうな背丈と、同じくらいの倍率で巨大な横幅をもつその男の手には小さな紙切れが、反対の手には封筒が握られていた。
どうやら手紙を読んでいるらしい。
マルコは促されることも勧められることもなく、どかりと赤茶色い革の張ったソファに腰を下ろした。
不遜なその態度にニューゲートは嫌な顔をすることはなく、むしろ面白そうに口角を上げただけだった。
婦人警官ではなく、ニューゲートの世話をするためだけにこの部屋にいる女性がマルコに茶を運んできた。
目の前に置かれたコーヒーに投げやりな視線を寄越して、マルコは苛立ちをそこに落とすように口を開いた。
「行政府は話にならねぇ」
ニューゲートは、指先で扱うようにして手紙を封筒へと戻しながら言った。
「愚痴を言いてぇだけなら帰んなハナッタレ」
からかうような声音で言われたその言葉に、マルコは返す言葉を持たずに押し黙った。
もうここ数日この建物から出ていない。
連日入り込む信憑性のない情報を一から調べ上げて、「嘘」と「嘘じゃないかもしれない」の箱に選り分けていく作業には、ほとほと疲れ果てていた。
シャツの襟元はよれているし、ズボンのすそも皺がとれていない。
数日まともに横になった覚えのない身体は、マルコの身体が少しでも弛緩するとすぐさま眠りへとマルコの意識を引っ張り込もうとした。
適度な弾力でマルコを迎え入れたこの部屋のソファも例外ではない。
軋む背骨は、柔らかなソファの皮に寄り添うようにしなって力が抜けた。
「……手紙?」
膝に両肘をつけて、顔を覆って泣く女のように手のひらに顔をうずめて、くぐもった声で訊いた。
ニューゲートは、「あぁん?」と返事ともつかない呻きを上げただけで答えなかった。
手にしていた手紙は、いつの間にかどこへやら収納されている。
どうでもいいか、とマルコは深くため息をついた。
「随分疲れてるみてぇじゃねぇか」
「……オレがこんなに引っ張り出されるような事案は久しぶりだからねい」
そもそも引っ張り出されて引きずり回されることになる役回りへとマルコを位置付けたのはアンタなんだ、と言外に軽い皮肉を込めたつもりだったが、それも豪快な笑いに吹き飛ばされた。
「で、参っちまってここに逃げてくるなんざ可愛いところもあるもんじゃねぇか、なぁ、マルコ!」
「……勘弁してくれよい、オヤジ」
芯の通らないような声を出したマルコを、ニューゲートは物珍しげに見下ろした。
しかしすぐに、気分良さげに大きく息をついた。
マルコのほうも、つい口をついて出た慣れた呼び方に、幾分落ち着きを感じた。
「それで? あっちはなんて言ってやがる」
「……組織犯罪対策本部は無駄だとほざきやがる。『単独犯』だってのを一本調子に主張して、事案を捜査一課に受け渡せだとよい」
ハン、とニューゲートは鼻で笑うような息をついた。
マルコはなめらかな手触りのソファに背中を預けて続ける。
「あいつらは対策本部の分の予算を削りてぇだけだ。一課に渡しちまえば予算は追加分だけで済む。……ああもまともにしてやられておいて、「エース」を単独犯だと言い張るとは、さすがにここまでバカだとは思わなかったよい」
「そう言ってやるなマルコ、人殺しもめったに起こらねぇこの街で、やつらは確かに平和ボケしてやがる。一人も怪我人の出てねぇ現状じゃ、楽観視しちまうのも仕方がねぇ。行政の仕事はほそぼそとカネと政治をやりくりすること、疑うのはこっちの仕事だ」
ニューゲートはおもむろに立ち上がると、大きな巨体を揺らしてマルコの向かいのソファに腰かけた。
ニューゲートの身体が楽々とおさめられるような、巨大なソファである。
近くにやって来た金色の瞳が、おもしろげに揺れているのをマルコは捉えた。
「いいかげんに教えてくれねぇのかい」
「何をだ?」
「なんでオレを、たかだか宝石泥棒の連続窃盗ごときで対策本部に放り込んだんだよい。いつもは人事にまかせっきりのことに、オヤジが口を挟んだのは初めてだ」
じっとまっすぐに金色の光を見上げて、マルコはその時のことを思い出していた。
最初の盗みが起こって、あの銀行が破られたことへの動揺が走る中、すぐさま対策本部を立てろと迷いなく言い放ったニューゲートは、間違いなくこの盗みがまた起こることを見抜いていた。
そしてその対策本部に、マルコお前が行けと言われたときには心底驚いた。
常にニューゲートの右腕、優秀な参謀としての位置づけを揺るがせなかったマルコにとって、たかだか泥棒事件の対策本部に配属されたことは異例の人事だった。
しかしそこでマルコが抵抗を示すことはありえない。
反論を唱えるどころか理由を聞くこともなく、マルコは従順すぎる程従順に従った。
警視長が異例の人事を受けて階下へと降りてきたときの警察内部の動揺は推して図るべきというところだが、マルコの指揮力はそれさえもあっというまに収めてしまった。
そうしてマルコが言い放つ通りに対策本部は銀行が破られたその足跡をたどり、次の犯行への対策を立てて予防線もきっちり張っていたところで、また盗みがなされた。
しかも今度は、マルコが伸ばした指の先をあと一歩のところで擦り抜けて。
これにはニューゲートも、一本取られたと呟いたが、その声は呻き声ではなく笑い声だった。
ニューゲートはおおらかと言ってもいいほどこの2件をのんびりと迎えていたが、マルコの耳にはひっそりと、ニューゲートへの『不信』や『不備』を訴える声が聞こえ始めていた。
それは言葉を持って音の形で耳へ届くものだけではなく、マルコが肌で感じるものの方が圧倒的に多い。
誰も言葉にして声に出すほど強く思っているわけではなく、またそうする度胸もない。
だがその思いは不安定な形をまとって、空気中を通り抜ける振動のようにマルコにぶつかった。
ニューゲートへのそういった不信をちらりとでも考える人間は警察の外、多少政治状況に興味のある一般人の考えであったり、はたまた行政府の人間であったり、警察内の下部に潜む人間の思いであったりした。
それらの人間はニューゲートがいる場所とは程遠い場所にいるので、ニューゲートが直接その思いを感じ取っているかはわからない。
それでもきっと気付いてはいるのだろう、とマルコは密やかにではあるが思っていた。
それを声高々に糾弾するほど野暮ではないが、気にする素振りも見せないニューゲートに多少のもどかしさを感じるのも、また事実であった。
ニューゲートはマルコの問いに耳を澄ますようにじっと息をひそめてから、小さく、ごく小さく声を上げて笑った。
「心配しねぇでもマルコ、最後のトリはお前にくれてやるよ。オレが直接手を出すことはしねぇ」
「そういう話じゃぁ、」
「オレはな、マルコ」
不意にニューゲートの声が真剣みを帯びたので、マルコは言葉を飲み込んだ。
「この件にゃあ黒ひげが噛んでるとみている」
「くろ……、ティーチか……!?」
じゃあエースの後ろ盾ってのは、と言葉を継ぐと、ニューゲートは静かに頷いた。
「後ろ盾も何も、エースに道を作って下準備も済ませてやってんのも全部アイツらだろう」
「じゃあオヤジはハナッからエースが単独犯じゃねぇって、気付いてたってことかい」
「ああ」
マルコは音が聞こえる程、ギリリと歯噛みした。
「なんで、いつから」
「オレァ、あいつはいつか動くと思ってたんだ」
マルコはニューゲートの次の言葉を待ったが、当の本人はこれ以上言葉を継ぐつもりはないらしく、ガラス張りの壁から見える17階の展望に、興味もなさそうに目をやっていた。
マルコの口からは続いて問いたいことが飛び出しかけたが、その声音がニューゲートに対する詰問になりそうで、それを押しとどめるためにぐっと固く口を引き結んだ。
ニューゲートはそれを目の端でとらえたのか、事案に対してではなくマルコに対して、笑いをこぼす。
「今これをおおっぴらにしたところで、対策本部は混乱する、エースへの道は絶たれたまま、黒ひげを追い詰める物的証拠は何一つない。最悪の状態で手のつけようがなくなる」
違うか? と目で問われて、マルコは黙って視線を伏せるしかない。
ニューゲートの言うとおり、これが明らかにされているなら対策本部はこんがらがりながらも、視点を黒ひげに絞って動き始める。
しかし、黒ひげがそうして追いつめられたところでぼろを出すような組織ではないことをマルコも知っていた。
奴らは今、『ただの市民』として法に守られているのだ。
マルコは絞り出すようにして声を発した。
「……どうするつもりだい、オヤジ」
「これぁオレとお前だけの胸の内にしまっとけ」
ニューゲートは静かな口調で、しかし判を押すようにしっかりと断言した。
マルコはじっとその目を見上げる。
「黒ひげにとって、どうせエースはただの『駒』だ。オレたちにその駒を追わせて、その全貌を上から見下ろして笑うような奴だ。だからこっちも今は大人しく駒を追うことに全力をあげる。泳がせられるフリして、オレたちもあいつらを泳がしておく」
今は、と最後にニューゲートは強く念を押した。
最後に勝つのはこちらだと、ゆるぎない自信を持っている男の前で、マルコは肯定を示して黙って頷いた。
ニューゲートが先ほどまで視線をやっていたガラス窓の外に目をやった。
街を上から一望できる唯一の展望室。
立ち並ぶ色鮮やかな家々は美しかったが、空は一面に分厚い雲が覆っていた。
「髪飾りは……あと二つだろい」
「あぁ」
「次で捕まえる」
ニューゲートは答えずに、世話係が持って来た小さなカップのコーヒーを垂らすように口に入れて一気に飲み干した。
なにも言わない目の前の男は、マルコの視線を追うようにガラス窓に目を向ける。
静かな部屋の中、微かに空調の音が低く響いていた。
「天気が悪ぃな」
雨が降りそうだ、とニューゲートは口にした。
分厚い雲は黒々としていて、いかにも雨雲という体をなしていた。
こうも暗い雲では、激しい天気になるだろう。
「雨か」
マルコが呟いた。
→
発進させたマルコは、ゆっくりと車を表通りに向かわせた。
大粒の雨がフロントガラスにぶち当たり、ばちばちと音をさせて跳ね返る。
川の表面のようにガラスの上を水が流れる。
マルコはワイパーを動かして、それを鬱陶しげに拭った。
そして、気付いたようにアンにおい、と声をかけた。
「シートベルトしろよい」
そう言えば忘れていた、とアンは慌ててベルトを掴むが、いやそうじゃないだろうと動きを止めた。
しかしとりあえずシートベルトはしなくては、とすぐにそれを引っ張る。
ざばざば、とタイヤが深く水のたまった部分を通った。
車はすでにアンの家の軒先が遠くに見える程進んでいた。
歩いて15分ほどだったので、車だときっと5分程度で着いてしまう。
はやく着いて、という思いと、まだ着かないで、という思いが混じりあってひらめきのようにアンの脳裏をかすめた。
時間はまだ18時にならないくらいだが、雨雲の立ちこめる空は重たくて暗い。
マルコはちょうど店の前、助手席と入口のドアが最短距離になる場所に車を停めた。
「家まで走れよい」
こくりと頷く。
マルコはハンドルに手をかけたまま、雨で霞むフロントガラスの向こうを見つめていた。
ドアノブに手をかけて、膝を外側に寄せた。
ガチャと金属音が鳴る。
思いついて、アンは振り返った。
腕に貼りついた湿ったシャツを鬱陶しげにつまんでいるマルコも、アンを見た。
あっと、とアンは言葉を探す。
「…服、なら、サボのがあると思うし…風邪ひくとアレだから…」
マルコはほんの一瞬きょとんとした顔を見せたが、すぐに目を細めて薄く笑った。
「一旦帰るから大丈夫だよい」
そう、と頷いて、アンは今度こそ重たいドアを押し開けて車から足を下ろした。
途端に激しい雨が頭から濡らしていく。
ドアを閉めて窓越しに運転席を見る。
マルコはこちらを見て笑っていた。
はやくいけ、と口が動く。
アンは水音を立てながら店の軒先に逃げ込んだ。
雨から逃れてふりむいたときには、もう車は走り去っていた。
*
日中作り置きしておいた売り物を、少し夕食に回した。
サボが安かったから買っておいたと言っていたパンが食卓の真ん中にたくさん置いてあるが、アンの夕食作りの負担を減らすための配慮に違いない。
ルフィは気持ちよさそうにびっしょり濡れて、帰ってきた。
「うあー、すげぇ雨だった!」
ぶるぶると犬のように頭を振って水をそこらじゅうに飛ばすので、こらとたしなめてからおかえりという。
パッと顔を上げたルフィは、おォアン起きたのか!と嬉しそうに笑った。
温かい夕食をテーブルに並べていると、着替えてきたルフィがタオルをかぶりながら鼻を細かくひくひく動かして椅子に座る。
「そういや今日、アンタの友だちの、サンジに会ったよ」
「サンジ? アン会ったことあったっけ?」
サッチに連れて行ってもらった店の話をすると、ルフィは目を輝かせて「オレもいきてぇ」と叫んだ。
「また行こう」
そう言いながら、ルフィが行くには似合わない場所だな、と少し笑った。
*
唇に触れた冷たさは、何でもないとき不意に訪れた。
料理をしているとき、テレビを見ているとき、風呂に入っているとき、今まさに寝ようというとき。
波のように胸いっぱいに押し寄せて、アンはそれをぎゅっと耐えてやり過ごす。
誰かと会話しているときにも容赦なくやってくるので、訝しがられることもたまにあった。
フラッシュバックするのは、あの日の雨とその温度。
土砂降りに打たれて冷えた身体と、それに貼りつく衣服。
アンの髪を梳く指の動き。
車内の様子にはまるで無関心で降り続ける大雨の音。
マルコが何を思ってアンにキスしたのか、まったくわからない。
しかも本人はそのあとまるでなかったことのように振舞ったので、アンから言いだすこともできなかった。
言いだすことができたのかはまた別だ。
なにも言わないままで、逆に良かったのかもしれない。
マルコに何か追及されて自分が上手く答えられるのかと聞かれれば自信はないし、マルコを問い詰めて答えが得られるとも思えなかった。
狭い浴槽に体を沈めているときにふとそのことを思い出して、指先で唇に触れてみた。
体が温まっているので、アンの唇も人肌程度に温まっている。
あのときの冷たさはもうない。
誰も触れたことのなかったそこを、端から端まで指で辿る。
ここだけ、自分のものではなくなったみたいだ。
取られてしまった。
あたしのものではなく、サボのものでもルフィのものでもない。
じゃあ誰のもの、と問われれば、間違いなくそこはマルコのものだった。
アンは勢いよく浴槽に頭を沈めた。
ごぼごぼ、と自分の鼻から漏れる呼気の音と、鼓膜が水圧に震える低い音を聞きながら、アンは雨の音を思い出す。
アンの内側ではずっと、あの日の大雨が続いている。
*
翌日やってきたラフィットは、お元気そうで何よりですと相変わらず感情の見えない笑みを浮かべた。
アンを車に乗せて、いつもの事務所へと淡々と進んでいく。
「こちらも心配していたのですよ、デボンが、あなたが目を覚まさないというので」
デボンというのはあなたを匿っていた女性のことですが、とラフィットが付け加えて、アンは暗がりにいた大きな体の女のことを思い出した。
ラフィットの車はいつものように、無駄に何度も角を折れて事務所へ辿りついた。
冷たい階段を上って事務室のドアを開けると、冷房の効きすぎた部屋の冷気が外へ一気に漏れ出して、アンを出迎えた。
「よぉアン、ずいぶん長いこと眠ってたみてぇだな」
ティーチはソファにふんぞり返るように座って、アンに向かって鷹揚に手を上げる。
この事務所に来ると鉄の仮面をかぶったように表情のなくなるアンを、ティーチはいつでも楽しげに迎え入れた。
「髪飾りは残念だったなァ」
だが次はもう二択だ、とまるで舌なめずりをするように目をぎらつかせる。
アンは黒ひげと目を合わさず、向かいのソファに座ったままテーブルの上、出されたコーヒーの水面を眺めた。
黒々としたそれは、じっと息をひそめるように波立たない。
「どうだ、アン、嫌になったか」
アンが訝しげな顔を上げると、ティーチはソファに背をつけたまま軽く笑い声を上げた。
「ゼハハ、いや、この間の仕事はキツかっただろう。こっちの下準備とお前ェの身体能力が上回ったから逃げ切れたがな、警察のほうもバカじゃねぇ。警備はどんどん固くなるしそのぶんオレたちは動きにくくなる。それにオメェ、なんかおかしな名前を名乗ったらしいじゃねぇか」
ティーチは脇に置いてあった三つ折りの新聞紙を手に取り、アンの目の前に広げて見せた。
それは今日の朝刊だったが、未だ『怪盗』の話題が表紙一面を飾っている。
もともと大きな事件の少ない街だった。
これほど世間を騒がす話題があれば、ここぞとばかりにメディアは取りざたす。
ティーチも同じことを思ったのか、すげぇ賑わいになってやがると低く笑った。
「オメェのオヤジたちが死んじまったときぶりだな、こんなに騒ぎ立てる事件は」
ティーチはアンの反応を見るように笑ったままアンを覗き見る。
アンの表情が変わらないのを見て、話題を変えるように「エースか」と言った。
「珍妙な忌み名が付いてるじゃねぇか。これにはお前が名乗ったと書いてあるが、そうなのか、アン」
答えずにいると、肯定と受け取ったのかティーチは声を高くして笑った。
「どういうつもりか知らねぇが、おもしれぇじゃねぇか。しかもなんだ、どれもこれもお前が男であることをまるで疑いもしてねぇ!」
アンはちらりと新聞に目を落として、その見出しにでかでかと書かれた文字を流し見た。
確かに、アンが昨日今日で目にしたテレビや紙面は、『怪盗エース』は男であるということを疑いもせずに好き放題に言ったり書いたりしていた。
アンにとってそれは狙っていたことでもあるし、好都合に変わりはない。
ティーチは「次の仕事はまたしばらく置いてからになるだろう」と告げた。
「また長い休養期間だぜ、バカンスでも言って息抜きするのもいいかもな、エース」
エース、とアンも口の中で呟いた。
*
サッチはその言葉通り、翌週の火曜日に、そして金曜日に、そしてまた次の週の火曜日にもアンの店へやってきた。
ずっとずっとひとりで、マルコはいない。
ひとりで、いつものカウンター席に座って、食後のコーヒーをすすっている。
時刻は遅い朝、昼に近い10時過ぎだったが、今日は珍しくこんな時間までサッチのほかに客が残っていた。
しかし客が多いとはいえ、どの客にもモーニングは出し終えている。
誰もが食後のコーヒーを楽しんでいるだけの、穏やかな、朝だというのに眠気を誘うほど落ち着いた空気が満ちていた。
アンは早くもランチの下準備のためにせわしなく手を動かしており、給仕に暇ができたサボが隣で野菜を洗ってくれている。
サボが洗った野菜をアンが刻み、下味をつけていく。
「パプリカ洗ったら次、ニンジンの皮剥いてくれる?」
「了解、あ、アン、オレ切るよ」
アンは包丁の刃をかぼちゃのふくらみとふくらみの間に狙いを定めたまま、いいよ大丈夫、と言った。
「かぼちゃくらい切れる」
「店のオッサンが今季のかぼちゃは少し堅いって言ってたから、ほらどいて」
店のオッサンとは、アンの店から通りに沿って少し行った先にある古びた八百屋の店主のことだ。
アンは半ば強引にサボに包丁を奪い取られて、むっと眉根を寄せた。
「できるっつったのに」
アンの言葉を聞き流して、サボの背中はかぼちゃに食い込んだ包丁に体重を乗せるためにくっと丸くなる。
めきっ、と水分を含む繊維が裂ける音がして、パカンと気持ちよくかぼちゃはふたつに割れた。
アンはサボの手先を広い背中の後ろから覗き込むが、サボは意に介さずさらにかぼちゃを二等分する。
「はい」
いつもの平和な微笑みでサボが包丁をまな板の上に置き、アンに場所を譲った。
納得がいかない、と思いつつもアンはありがとうをぼそっと呟いた。
「仲良しなのな」
少し顔を上げると、サッチが笑いをかみ殺したような顔つきでアンを見上げていた。
アンはわざと鼻に皺を寄せるようにして、顔をしかめた。
「ただの過保護のおせっかい」
「なんだと」
サボの肘がアンの頭を小突いた。
サッチはよく浮かべる苦笑いで、なぜかサボに向かって頷いた。
「いやあわかるわかる、大事な妹に怪我させられねぇもんな」
そしてアンに向かって、無茶をしてはいけませんと笑い顔でたしなめた。
すねた表情のアンがサボの顔を覗き見ると、サボもサッチに良く似た表情で苦笑いを浮かべている。
勝手に共同戦線張りやがって、と呟くと、サッチはそりゃいいやと声を出して笑った。
*
ランチの客がぽつぽつとやってきだした頃、そろそろ行くかとサッチは腰を上げた。
ごちそうさん、と席を立つサッチに手を振る。
また来てねと言うとサッチは顔いっぱいに笑ったが、一瞬どこか寂しげに見えた気がして、どこか引っかかった。
「アン今日はどうすんの」
サボが大量の人参の皮むきを終えて、アンが言い渡したこれまた大量のさやえんどうの筋を取りながら声をかける。
アンは作りかけのスープを味見しつつ、んーと思案する声を出した。
どうすんの、とはつまるところ今日の夕飯の話である。
昨夜、ルフィが夜中に冷蔵庫を漁っているのをとっ捕まえた。
冷蔵庫の中は、バターまですっからかんである。
すっかり季節は夏になり、外はうだるような暑さなのだから、少しはルフィの食欲も萎えてくれればいいのにと思うがそうはいかない。
暑いとエネルギーを使うぶん、腹が減るらしい。
アンとサボに散々絞られて、ルフィの今日の弁当の中は雪原のように真っ白なライスが広がっている。
「店閉めてから買い物行くよ。どうせルフィが弁当の文句言いながら帰ってくるだろうし、おかずいっぱい作っとかないと」
「ん、じゃあその間に洗濯だけ取り込んで…」
リリリ、とブザー音に近い甲高い音がサボの声を遮った。
店の奥、住居へとつながる階段の手前に置いてある古い電話の親機が呼んでいた。
火を使っているアンの代わりに、サボがエプロンで手の水気を拭いてから電話を取った。
携帯を持たないアンたち3人の電話は、すべてこのひとつで賄われている。
この店と業者のやり取りも当然この電話で、3人の個人的な知り合いからかかってくるのを受け取るのもこの電話だ。
電話を取ったサボは、相手の名前を聞いたのか、すぐに余所行きの声から慣れた話し方へと切り替えた。
どうやらサボの友人かららしい。
サボが目線でアンに詫びるので、アンはいいよいいよと笑って返す。
5分ほどでサボは電話を切った。
「またかけ直す」と言っているのが聞こえた。
「急がなくてもよかったのに」
「そうはいかないだろ」
たしかに、ランチにやって来た客はそこそこの数になってきた。
サボは後ろ手で素早くサロンを結び直すと、入って来た客に愛想のよい笑顔を見せた。
しかしアンを振り向いた顔は申し訳なさそうにゆがんでいて、アンに一言、「夜出るかもしれない」と言った。
あ、そうなの、と言った矢先また次の客が入ってくるので、サボが「またあとで」と目線で言う。
アンもうなずきを返した。
ぞろぞろとOLの集団がやってきて、店は満席になった。
*
サボは「ごめんな」と何度も口にした。
高校の頃の友人と食事に行くらしい。
頻繁にあることではないが別段珍しいことではない。
しかしサボはいつもそのたび、必要以上に申し訳なさそうな顔をする。
ルフィは平気で2日くらい友達の家に遊びに行って帰ってこなかったりするというのに。
そういうときは、だいたい2日分ルフィにまとめて家の仕事をさせるが、ルフィはそれを平気でやってのけてしまう。
恐ろしいほど体力の化け物だ。
「いっつも断ってばっかだったから、うるさいんだ、あいつら」
「いいよいいよ、いつも行ってないんだからなおさら」
気にしなくていい、と言っても、サボはまた「ごめんな」と言うだけだった。
以前サッチに連れられてイゾウの店に行き、その間家を空けたことを思えば、アンとしては平等さを保つためにもサボには好きにしてもらった方が気がひけなくていい。
ランチの客を捌き終わると、サボは着替えに住居のほうへと上がっていった。
サボがいないのなら、今日の夕飯のメニューを考え直そうか。
そうだとしてもルフィのおかげで買い物に行かなければ冷蔵庫になにもないことには変わりがない。
メニューはスーパーで決めるか、とアンもようやく朝からぶら下げていたエプロンを外した。
「あんまり遅くはならないから」
「気にしなくていいよ」
「ごめんな」
「いってらっしゃい」
いってきます、と丁寧に挨拶を返して、サボは扉をくぐって出ていった。
仕事終わりで疲れているだろうな、とアンは消えた後姿を見送った。
男性がズボンの後ろポケットに財布を突っ込むのと同じように、アンもジーンズのズボンの後ろポケットに薄っぺらな財布を突っ込む。
店を閉めてそのまま自宅には上がらずに家を出た。
店から一歩出ると、煌々と光る太陽が熱気をはらんだ光でアンを包んだ。
うわっと思わず俯いて、帽子がいるかな、と黒い頭に手を置いた。
まぁ戻るのも面倒だからいいか、と歩き出した途端こめかみから汗が吹き出した。
とんでもなく暑い日だ。
アンの店は入り口があってないようなもので、シャッターで戸締りする部分全てが客の出入り口だ。
だから外の暑い空気はひっきりなしに店の中へと入ってくるが、アンがいる厨房の中は外の熱気とは種類の違う炎そのものの熱気が常に染み込んでいるので、今日がこれほど暑い日だとは気付かなかった。
夜は何か冷たいものを作ろう、とアンは熱された歩道の上を急いだ。
スーパーの籠にいるものを放り込んで、慣れた道順を辿っていると、店の中で一番色鮮やかな果物コーナーで見覚えのある横顔を見つけた。
長い指が、ベースボールの硬球を握りしめるように、小さなリンゴを握ってじっとそれを凝視している。
イゾウだ。サッチが連れて行ってくれたあの店のオーナー。
先日は束ねられていた髪が、今日は全てそのまま背中の上を流れている。
癖のない横髪が白い頬を半分隠していたが、かろうじて覗く高い鼻と、稀有な長身と細身で彼だと分かった。
声をかけようか迷って、アンは一瞬立ち止まった。
しかしアンが何を考えるよりも早く、イゾウが視線を感じたのか、アンの方を振り返った。
アンは慌てて軽く頭を下げた。こんにちは、と小さく呟く。
イゾウはアンの顔を忘れたのだろうか、リンゴに注いでいたのと同じ視線をアンにもじっと据えた。
そして、「偶然だな、アン」とほんの少し口角を上げた。
覚えてたのか、とアンは理由もわからないが少しうれしいような気になる。
アンは中のつまった重たいスーパーの籠を片手に、イゾウに歩み寄った。
「買い物か。店やってるっつってたな」
「うん、でもこれは家用。イゾウ…」
さん、と続けようとしたら、イゾウが嫌そうに顔の前で手を揺らしたので、そのまま言葉を続けた。
「…は、お店の?」
「あぁ、ったく間違えた、こんな暑い日に外に出るもんじゃねぇ」
たしかに、この雪のように白い肌に炎天下の日差しは似合わない気がした。
「買い物はイゾウがするの? サンジは?」
「あいつはメシ専門。 …いや、逆か、オレが酒しか作れねぇから、酒の材料だけはオレが買ってる」
「へぇ」
イゾウが作ってくれた夕暮れ時の海のようなカクテルを思い出した。
もはや職人技のようなその美しさに目を奪われたのはつい先日のことだ。
アンは「この間はどうも」というようなことを口にして、ありがとうとぺこりとする。
イゾウは「律儀だな」と大きく口を開けて笑った。
「にしても、いっぱい買うな」
「うん、多少買いだめするし、あと弟がすごい食べるから」
それに比べてイゾウの手荷物は少ない、というかゼロに等しい。
手にしているのはリンゴひとつだ。
買い物かごさえ持っていない。
「…それしか買わないの?」
「いや、選びながらどんなん作るか考えてっから…考えながら店入ったら籠も忘れた」
イゾウがコミカルな仕草で肩をすくめるので、アンは思わず噴き出した。
「あたしも、あたしも考えながら選ぶ!」
「だよな、美味そうなんが売ってたらそれで作りたくなる」
そうそう、と同意して頷いた。
アンの場合、お買い得品でいかにバラエティー豊富なメニューを作れるかと言う意味で、店の品を見ながら料理を考えている。
たったひとつでディナーを楽しめそうなほどの値段がするマンゴーにも手を伸ばしているイゾウには、そんな考え方は皆無のようだった。
それでも、同じ考えでいたことがなんとなく嬉しい。
イゾウは何度も首をひねって、微妙だなと呟いた。
その目がいくらか真剣みを帯びているので、邪魔しない方がいいかな、とアンは籠の取っ手を持ち直した。
じゃあこれで、と立ち去るべきなのだろうが、悩む横顔に、気付けばアンは声をかけていた。
「…く、果物なら」
「ん?」
「果物なら、スーパーより八百屋さんに行った方がたくさんあるかもしれない」
「…ヤオヤ?」
まるでそのことばを初めて聞いた、とでもいうようにイゾウは目をしばたかせた。
八百屋さん、とアンは繰り返す。
「スーパーよりは少し高いかもしんないけど…それでもいいなら、多分朝の八百屋さんが一番早く品物置いてるから…新鮮でおいしいよ」
「へぇ。卸問屋みてぇなもんか」
「スーパーは安くて便利だけど、やっぱり効率とか、いっぱい買う人向けだったりするから、目当てのものが絞れるなら八百屋さんとか専門の店のが、いいと、おもう」
ほう、とイゾウは素直に感心しているようにみえた。
そんなものがあったのか、とまで呟いている。
「この街にあんのか?」
「街の南側のはずれで…あたしの家の近くに。あ、でも今はもう閉まってる、かも」
ごめん、と謝ると、なんでお前さんが謝る、とイゾウはカラカラ笑った。
「そりゃ面白れぇこと聞いた、今度アンが行くとき連れてってくれよ」
「あ、でもうちがその店使うのは、お店に出す奴だけだから、まとめてサボが注文しちゃってて」
サボ、とイゾウが呟くので、サボってのはあたしの兄弟で、とあたふたと説明する。
「だからあたしはあんまりお店自体にはいかないんだ。いい物は八百屋のオッサンが選んで届けてくれるから、注文するだけで」
「フーン」
じゃあまぁ今日はこんだけでいいか、とイゾウはひょいひょいとリンゴをいくつかと、眩しい色のオレンジを数個腕に乗せるようにして手に取った。
イゾウに買われるそれらはいったいどんなお酒になるんだろう。
いや、きっと果物は装飾用で、グラスのふちを彩ったり水面に浮かんだりするんだろうけど。
ふいに、ぐいとアンの腕が引かれて、手からずっしりとした重みが消えた。
驚いてイゾウの顔を見上げると、イゾウは持ち上げたアンの籠に自分の手にした果物をどさどさと入れて、よしと小さく口を動かした。
「お前さん買い物は。もう終わりか?」
「う、えっと、あと、牛乳とバター…」
イゾウは軽く頷いて、さっさと歩きだしてしまった。
アンは一拍遅れて、慌ててあとを追う。
「イゾウ…!重いからいいよっ」
「おれのも一緒にいれさせてくれ」
牛乳牛乳、と口ずさみながらずんずん長い足が長身を運んでいく。
アンがその背中に追いつくころには、ふたりは乳製品コーナーについていて、イゾウは「低脂肪がいいとか、あんの?」と大真面目な顔でアンに尋ねた。
*
溶けそうだ、とさらりとした口調でイゾウが呟いた。
スーパーから出た瞬間、むっとした熱気が二人を包む。
袋詰めの製品やかさばるだけの軽いものが詰まった袋はアンの左手が握っている、軽すぎて収まりが悪い。
野菜や牛乳が詰まった袋と、イゾウの買った果物が入っている小さな袋はイゾウが片手でまとめて持っている。
あのまま勢いで、イゾウはアンのものもまとめて会計を済ましてしまった。
慌てて財布を引っ張り出すアンが焦りすぎて小銭を床にばらまいても、イゾウは笑いながら、じゃあ茶ァ奢って、とその小銭でスーパーの表にある自販機で缶コーヒーを買った。
アンは返す言葉がなく、仕方がないので自分も微糖を買う。
「夕方だってのに、たまんねぇなこの暑さ」
「でももう残暑だよ」
そんなものオレは信じねぇ、とイゾウが吐き捨てたので、思わず笑った。
スーパーを出てアンは車道を横切り左に曲がらなければならない。
イゾウの店は右に曲がってから横道に入る。
しかしイゾウは、アンの荷物を持ったままアンと同じく左に曲がった。
曲がってから、イゾウが反対方向であることに気付いた。
こんな暑い中、重い荷物を家まで届けてもらうなど言語道断、申し訳なさすぎる、とアンは慌てて断りを口にしかけたが、いやもしかしたらこっちの方向に用事があるのかもしれないと言葉を押しとどめた。
イゾウは思い悩むアンを意に介さず、ああ暑い暑いと涼しげな声で呟きながらも歩いていく。
「イ、イゾウ、お店は?」
「ん? オレの?」
「うん、もう夕方だから、開けなきゃダメなんじゃ」
「あーあー、イんだ今日は、休み」
「そうなの?」
今日は、火曜日だ。
火曜日が定休日とは珍しい。
この街の店はたいてい平日は開いていて、日曜日が必ず休みというのが多い。
「サンジもこれねぇっつーし、オレ一人じゃ客が来ても困るからな」
どうやら臨時休業らしい。
気まぐれすぎるこの人に、サンジが翻弄されている様子が目に見えるようだった。
アンはちらりと再びイゾウを仰ぎ見た。
端正な顔が視線に気付いて、ふと顔を下げる。
「イ、イゾウ…荷物…」
「荷物? 重いか?」
「ちっがう!」
歯を剥きだして否定するアンを、イゾウはまた声を出して笑った。
アンの言いたいことに気付いているくせに、あえて飄々とかわしているのがわかるから、手の出しようがない。
もういいや、知らん、とアンが諦めて前に向き直ったとき、イゾウは至極何でもないような口ぶりで口を開いた。
「オレがどうこう言う話じゃねぇけどよ」
ぽた、とアンの頬を滑った汗が鎖骨の辺りに落ちた。
「アン、外は嫌いか」
え? と思わず聞き返した。
イゾウはアンと一瞬視線を合わして、すぐに前に向き直る。
そして言葉を探すようにそぶりをしてから、口を開いた。
「家の外にも、おめぇさんの楽しいこととか見つけるといい」
「…外?」
「オレァ言葉であれこれ説明すんのは苦手だ」
イゾウは顔をしかめてそう言ったが、それでもいまだ言葉を探している。
アンはイゾウの言わんとしていることが理解できなくて、じっとその顔を見上げた。
「いつでも帰りたがってるように見える」
「かえ…」
「人と話すとき、煮え切らねぇ口調なのも、余所向きだけに聞こえる」
「…」
「脚力ありそうな脚してるからよ、インドアなネクラには見えねぇし」
冗談交じりの口調でイゾウはそう言ったが、アンは俯くだけで答えることができなかった。
アンの心を読んだように、イゾウが続ける。
「たった2回会っただけのほぼ初対面野郎がこんなこと言って悪ィな。オレァ観察眼が鋭い」
と思っている。とイゾウは自分で言って自分の言葉に笑った。
「気に障ったなら忘れればいい。観察眼だとか偉そうなこと言ったが、おれが勝手に思っただけだ。それもこないだと今会っただけで、だ。気にしなくていい」
長い足が歩みを止めた。
それに合わせてアンも足を止める。
イゾウは、アンの買ったものが詰まった方の袋をアンの腹のあたりに差し出した。
「お前さんの『家』には頼れるもんが、すげぇ頼りがいのあるもんがあるんだろう。そりゃいいことさ。だけど頼みの綱が一本じゃ、それが切れたときにすぐ死んじまうぞ。外にも何本が予備の綱を張っとくといい。頼りなく思える綱でもいいから、ないに越したことはないし思いのほか強いかもしれねぇ」
なんつって、とイゾウは笑って、ホラよと差し出した袋を揺らした。
アンはその手を見つめて、袋を受け取る。
ずっしりと重くて肩が下がった。
「お前さんが来たときはサンジがいようがいまいが店は開ける。いつでも来い」
むさくるしいオッサン共もいるかもしれねぇがな、と切れ長の目を細くして、イゾウは踵を返した。
西側から照らす夕日が眩しい。
長い手の先でぶらぶらと果物が入った小さな袋が揺れていて、それがどんどん遠ざかっていくのをアンは見ていたが、背後から来た自転車を避けるために一度目を離したら、同じ姿を見つけることはできなかった。
→
「あぁルフィのお姉様がこんな麗しきレディだったなんて!!」
金髪碧眼のその男は、胸に手を当てて仰々しい仕草で天井を仰いだ。
目があった瞬間絶叫されるし手の甲にはキスされるし、それはルフィがよく話に出す友達そのままの仕草で、すぐに気付いた。
「あたしもルフィに聞いてたよ、まだ高校生なのにコックの友達」
「いやあオレはまだ見習いさ、だからここでバイト生活」
「バイトなの?」
「こいつんちはこことは比較にならねぇくらいドデカイレストランだよ。ここに来てんのはただの酔狂だ」
そうなの?とアンが目で問うと、サンジは顔をしかめてデシャップの隅でタバコの煙を吹き上げている男、イゾウをちらと睨んだ。
「オーナー、違うっつってんだろ、俺は好きでここに来てんだ」
「お前んとこのジジイが連れ戻しにくるまでな」
「連れ戻しになんてこねぇよ!!」
「にーちゃんでけぇ声出してねぇでさっさとオレの飯作ってくれよ」
興奮したサンジの声を、サッチがのうのうと遮った。
勢いを削がれたサンジはぶすくれた顔で、「男の飯なんて作る気しねぇ」とぼやいた。
イゾウがハンと鼻を鳴らす。
「客を選ぶんじゃねぇよ。そもそもここに女なんてめったにこねぇだろうが」
「アンちゃんはなに食べたい?時間的にスイーツかな?それとも何かアラカルトのほうがいい?」
「おいだからオレのメシ作れって」
「はいはいアンタのは適当に作りますよ、で、アンちゃんは?」
アンは「ん」と口に含んでいたフォークを取り出す。
シーツのようになめらかなチーズケーキはもう半分以上ない。
「これもらったから…」
「んじゃ、なんかツマミにするね」
「や、夜は家で食べるから」
ありがとうと遮ると、サンジはしょぼんとわかりやすく萎んだ。
「んじゃ早いうちに帰っちまうのか」
「うん、ルフィたちのご飯作らなきゃ」
あぁ、と納得したようにサンジは頷いた。ものわかりがいい。
サンジは鮮やかな手つきで野菜を刻んで、熱したフライパンの上に散らすように入れる。
本物の料理人のようなその仕草に思わず見入った。
目もアンを捉えるときのようなデレッとしたしまりのない形ではなく、しっかりと自分の手の動きと食材を見つめるまっすぐな視線。
たしかルフィより二つ上、つまりアンの一つ下のはずなのに、その目はすっと芯の通った大人びた目だった。
町はずれのデリで少し家庭料理の作れる程度の自分はサンジにとって、サーカス劇団が三輪車に乗れる子供を見るようなものなのだろう。
比べたって仕方ないけど、と内心でぼやきつつも憧憬半分悔しさ半分と言ったところ。
サンジはあっという間にピラフを作り上げてしまった。
差し出された皿にサッチは嬉しそうに手を伸ばす。
「あいかわらず可愛げのかけらもねぇほどうめぇな」
「褒めるんならもっとまっすぐ褒めろよオッサン。オーナー、暇ならアンちゃんになんか作ってやってくれよ」
サンジは忌々しげな口調でイゾウを睨む。しかしその顔は口ほど苛立ってはいない。
悪ぶった話し方が癖らしい。
イゾウはアンにちらりと視線を走らせた。
「ケーキうまかったか」
「う、うん、ごちそうさま」
アンは皿の上を平らげて、名残惜しげに手にしていたフォークをやっと手放した。
イゾウは満足げにうなずいて立ち上がった。相変わらずまっすぐな樫の木のように背が高い。
あれ、これサンジが作ってくれたやつなんだよな、と思いサンジをちらと見上げると、アンと視線を合わせた碧眼は途端にデレッとゆるんだ。
サンジの手がアンの前から皿を取り上げる。
「お粗末さん」
ごちそうさま、ともう一度呟くとサンジははたとアンを見つめた。
不思議そうなその顔に、アンも訳が分からず見つめ返す。
サンジは、あーっと、と失礼を詫びるように眉を下げた。
「ごめん、アンちゃんってほんとにルフィのお姉様のアンちゃんだよな?」
「そうだけど」
「だよなぁ…」
サンジは首をかしげつつあごの薄いひげを撫でる。
なんで、と聞き返そうか迷っているうちにサンジが口を開いた。
隣でサッチがもぐもぐと咀嚼しながら二人の会話を興味深げに眺めているのが視線で感じる。
「や、なんかルフィが言ってる感じとだいぶ違ったから」
「へ、そう?」
「うん、なんつーか、もっと、こう…」
ガッツ溢れる?とサンジはずいぶん言葉を選んでから答えた。
その口調で、ルフィがいつもアンをどのように人に話しているのか、なんとなく想像がついた。
きっと「人使い荒いし片づけねぇとすぐ怒るしすぐ殴るし寝相は悪いし脚癖はもっと悪ぃ!」とかだ。
そしてそれはあながち間違いではない。
それをそのまま伝えないあたり、サンジのフェミニスト精神がうかがえた。
「アンちゃんが猫かぶってるようには見えねぇけどなぁ」
サッチが隣から口をはさむ。
ピラフは粗方片付いたようだった。イゾウにビールを要求している。
サンジはひょいと肩をすくめるように苦笑して、サッチの前から皿を掬い上げた。その仕草も高校生らしくない。
アンは何と言っていいかわからず、おろおろとサッチとサンジに視線を走らせた。
おろおろしているうちにイゾウがアンの前までやってくる。
「ん」
細いグラスに、黄色とオレンジ、そして赤が綺麗にグラデーションになった液体が上品に注がれたドリンクが差し出された。
グラスのふちがキラキラ光っている。
アンはその光に目を奪われつつ、差し出されたままに受け取った。
「すご…これ、酒?」
到底飲み物には見えない。
磨き上げられた宝石がさらりと溶けて液体になったような美しさだ。
「いや、ノンアルコールカクテル。酒は入ってねぇよ」
「珍しく立ち働いてると思ったら凝ったもん作りやがって」
サッチが恨めしげにイゾウを睨む。
オレの酒もそれくらい気合い入れて作れと言っているらしい。
イゾウはそんなサッチの視線を意に介さず、なみなみ注いだだけのビールをどんとカウンターに置いた。
アンは受け取ったグラスを顔の前まで持ち上げた。
ほう、と息が漏れる。
「この人酒作るのだけは上手いんだ、ほんとに」
まぁそれはノンアルコールだけどよ、とサンジが自分の手柄を自慢する子供のように嬉しそうにする。
サンジの大人びた顔から一気に無邪気さが現れたが、今のアンはそれに気付く余裕もない。
目の前のドリンクに目を奪われていた。
「…すごい、海みたい」
感嘆と共にそう呟くと、隣のサッチも斜め前のサンジも、向かいのイゾウまできょとんとアンを見つめた。
アンは3つの視線に気付くことなくくるりとグラスを回してみた。
下の透明の部分がたぷんと揺れて水泡がきらきら上っていくのを眺めて、うわぁと思わず声を漏らす。
波が西日をたっぷりと吸い込んで赤く染まった10年以上前のあの日の海が、今アンの目の前で揺れているようだった。
「…こりゃああの野郎が聞いたら喜びそうなセリフだ」
イゾウが可笑しげに喉を鳴らしてデシャップの中の椅子に腰かける。
そこでようやく、アンは顔を上げてイゾウを捉えた。
「の、のんでも…?」
「もちろん、観賞用じゃあねぇよ」
そうだった、とアンは手の中のグラスのふちに口をつけた。
ひんやりと冷えたグラスを傾けると、グラデーションの液体がアンの唇に触れる。
氷が入っていないのに、驚くほど冷えていた。
「…おいしい」
とろりと甘い柑橘系のシロップと炭酸が口の中で混ざり合う。
さわやかなマンゴーとミントの香りが鼻から抜けた。
アンはもう一度イゾウを見て、おいしいと呟く。
イゾウはぶはっと吹き出した。
「真顔で女に『おいしい』なんて言われたのぁ初めてだ」
「え、だ、だって」
おいしい意外になんといったら、とアンは少ない語彙の引き出しを開け閉めして言葉を探したが見つからない。
見つからなかったので、もう一度「おいしい」と言ったらイゾウは端正な顔を歪めて爆笑した。
サンジがおいおいとたしなめる。
「レディの言葉にそんなあけっぴろげに爆笑すんじゃねぇよ。つーかアンタ顔に似合わねぇんだからそのバカ笑いする癖治せよ」
「しょうがねぇよサンジ、こいつは昔っから笑いのツボが歪んで付いてんだ」
なぜかわかり合っているような雰囲気の3人の会話についていけず、アンはもう一度グラスの中身をちびちびと飲んだ。
やっぱりおいしい。
混ざり合ったカクテルは、やっぱり波立って揺れた海面のようだった。
不意にアンの右後ろで、キイッと扉の蝶番が音を立てた。
イゾウが顔を上げて、おお噂をすればと目じりの涙をぬぐう。
サンジが「らっしゃーい」と気のない挨拶をする。
サッチは肩越しに振り向いて、驚いたように声を上げた。
「お前仕事終わったのか!?」
常連の人かな、とかすかな好奇心が胸をくすぐって、アンは舐めるように飲んでいたグラスとともに後ろを振り向いて、危うくそれを落としかけた。
「終わってねぇよい」としかめ面で吐き捨てるマルコが立っていた。
声が出せず、アンはぽかんと口を開けてマルコを見上げる。
目を逸らして背中を向けてしまえばいいのに、それはそれで怪しい気がして、いやそれよりももっと他に違う理由があるような気がしたが、とにかく動くことができなかった。
マルコはサッチからすいとアンに視線を移して、少し目を細めた。
言葉をなくすほどのアンに対してマルコは驚いたそぶりも見せない。
そして断りもなくアンの隣の椅子を引いた。
げっ、とせりあがった声を慌てて飲み込む。
仕方がない、カウンターテーブルには5つしか席がなく、一番右端にサッチ、その隣にアンが座っているのだからマルコが座るのはアンより左しかない。
マルコが腰かけると、深い煙草の香りに混じってどこか湿ったにおいがした。
アンは思わずまともにマルコを見た。
「外、雨降ってるの?」
マルコは虚をつかれたのか一瞬目を丸めて、あぁと答えた。
「さっき降り出したよい」
「すげぇなアンちゃん、なんでわかんの?」
サッチが空になったジョッキをイゾウにつき返しながら尋ねた。
確かにここは窓もなく、雨の音もしない。
「なんとなく…におい?」
「におい?」
そりゃすげぇ、とサッチは新しいビールを受け取った。
自分から話しかけて置いてなんだが、アンはすぐさまマルコから顔を背けた。
まさかあれから2日も立たないうちに顔を突き合わせる羽目になるとは思わなかった。
ああ雨なんてどうでもいいのに、とアンはますます俯く。
そうだあたし、何してるんだろうこんなところで。
バレない保証なんてないのに、サボもルフィもいないのに。
帰る、と舌先に乗った言葉が転がり出かけたそのとき、右隣から黒いスーツの腕がアンの目の前を横切った。
思わず身を引く。
その腕は、アンの左隣で今まさにマルコがイゾウから受け取って口に運ぼうとしていた浅いグラスに伸びていて、まるでグラスに蓋をするようにサッチの厚い手のひらがその上に被さっていた。
アン越しに、マルコの目が鋭くサッチを睨んだ。
「…なんだよい」
「お前車だろ?」
「…車は置いて帰るよい」
「ちげぇって、飲む前にアンちゃん家まで送ってってやってくれよ。雨降ってんだろ?」
アンはぱちくりと瞬いてサッチを振り返った。
サッチは人の好い笑みでアンに笑いかける。
陽光がどんどん溢れているような笑顔だ。
「な、アンちゃんそうしな。オレ飲んじまったから」
まさか雨降るとはなあ、傘持ってねぇや、とサッチは大したことではなさそうにへらへら笑って、乗り出していた身体を戻した。
マルコはサッチが蓋をしていたグラスをちらと見降ろして、ため息とともにそれをテーブルに戻す。
座ったばかりだというのに、マルコは立ち上がろうと椅子を後ろに引いていた。
「ちょ、いい、いいよ!あたし歩いて帰るから」
「お前も傘持ってねぇんだろい」
「でも…」
仕事も終わってないのに(きっとあたしのせいだ)息抜きに飲みに来て、酒にありついた瞬間邪魔されるなんて気分いいはずがない。
それに、いまマルコと二人になるのは心配がつきない。
マルコの様子を見たところ全く疑っている雰囲気は見えないけど、そのフェイクの顔の下で隙あらばアンを捕まえようとタイミングを見計らっているんじゃないかと、どこまでもネガティブになっていける妄想は止まることがない。
「いい」といった自分の本心がマルコのためなのか自分のためなのか、全く見当もつかなかった。
しかしマルコは、アンの制止にお構いなく席を立つ。
「すぐ戻るからいいよい。行くぞ」
「えっ、あっ、ちょっと待って」
アンは掴むように華奢なグラスを手にとって、ああもったいないと思いながら残った半分をぐいっと飲み干した。
さらさらと冷たい液体が喉を通って落ちていくのを早送りで味わった。
「ごちそうさま!イゾウ、おいしかった、ほんとに!サンジも、ケーキ、ありがとう!お金…」
一息にお礼を言って、斜め掛けしたハンドバックに手を伸ばすと、それをアンの手の上に触れるか触れないかくらいの位置でサッチの手が押しとどめた。
まるで子供のいたずらをたしなめるようなしぐさだ。
「奢りっつったろ?付き合ってくれてありがとな」
にっと歯を見せてサッチは笑う。
アンは言葉に詰まって、困った顔でサッチを見つめ返すしかできない。
本当はアンの方こそサッチにお礼を言うつもりだったのに、先に言われてしまって言葉が出なかった。
サンジが「アンちゃんまた来てね、絶対ェ!!」と言葉尻のわりに穏やかな目で笑った。
イゾウがひらりと手を振る。
マルコはドアの前で、静かにアンを待っていた。
やさしい、とてもやさしい人たちだ。
3人の世界しかいらないと思っているあたしに、こんなにもやさしい──
アンは消え入る煙のように頼りない声で、ありがとうと呟いた。
サッチは「また来週飯食いに行くよ」と笑ってくれた。
*
車は、大通りから店のある細い通りへ入ってすぐの小さな駐車場に停めてあるとマルコは言った。
店の扉から一歩外に出ると、階下で雨が染み込んだコンクリートの匂いが一層強くなった。
大粒の水滴が地面を叩くばたばたという音が聞こえる。
「わりぃけど、そこまで走ってもらうよい」
「うん、全然、いい」
なるほどだから、店に入って来たマルコから雨の匂いがしたわけか。
行きもこうやって濡れて来たに違いない。
駐車場までたった100メートル足らずだ。
距離は問題ないけど、この雨脚だとたったそれだけでぐっしょり濡れてしまうだろうなあと想像した。
しかしここから家まで濡れそぼったまま歩いて帰るより幾分ましかと気を取り直す。
階段を下りて、イゾウの店の下にあるスタジオの入り口で立ち止まった。
なるほど、すごい雨だ。
車で走れば雨で煙って前が見えにくいだろう。
よし走るか、と合意を確かめるようにマルコを見上げたアンの視界は、ばさっと豪快な衣擦れの音がした瞬間暗く閉ざされた。
「わっ」
頭からかぶせられた布から、じわりと漂う煙そのもののような煙草の香りがしみだしてきて、それがマルコのスーツの上着だと気付く。
「行くぞ」
ちょっと待って、と声を上げようとした瞬間にマルコが立つのと反対側の肩を上着越しに掴まれて、そのままぐっと腕で背中を押された勢いのまま、アンは雨の中に踏み出していた。
「マルっ…上着…!」
アンの視界はすっぽり上着に覆われていて前は見えず、濡れた地面を踏みしめる自分のスニーカーしか見えない。
アンの声は雨音と自分たちの足音にかき消されてマルコには届いていないようで、返事がない。
アンに自分の上着をかぶせたマルコの意図がわからないほど馬鹿ではないが、それを黙って受け入れるほど可愛げもない。
アンはマルコに肩を支えられて小走りしながら、雨を吸って重たい上着の下でもがくようにして出口を探した。
見かけ以上にマルコに背中は広いようで、なかなか上着のふちに手がかからない。
すでに半分ほどの距離を進んだだろう頃になって、やっと上着の襟の部分を掴んだ。
えいやあと一気に顔を出す。
隣でぐっしょりと濡れた髪を額に貼りつかせたマルコが、足を止めずにアンを見下ろした。
「アホか、なんで出てくんだよい!」
「だって上着…!」
「黙って被ってろい!」
マルコは走るのをやめて、もう一度アンの頭に上着をかぶせようと手を伸ばす。
しかしその前に、アンは肩に引っ掛かっていた上着を外すと素早く丸めるように折りたたんで、ギュッと胸の前で抱きしめるように抱え込んだ。
「よし行こう!」
「おまっ…」
すぐさま走り出そうと足を踏み出したアンの隣で、マルコが呆れたように頭を反らせた。
「被っとけっつったろい」
「だって濡れる…」
「どうせクリーニングに出すんだから一緒なんだよい、ったく」
つーかもうびっしょびしょじゃねぇか、とマルコはため息とともに額から流れる雨を手の甲で拭った。
上着のことでわたわたしているうちに、アンも頭からバケツで水をかぶったようにぐっしょり濡れていた。
あ、とアンは間の抜けた声を出した。
「…もう走っても意味ないね」
「風邪はひかねぇほうがいいだろい」
ほら走れ、とマルコが顎で道を指し示す。
先に走り出したシャツの背中を追うように、アンも重たくなった上着をぎゅっと抱きしめて走り出した。
飛び込むようにして二人同時に車の中へ逃げ込む。
息が上がったわけでもないのに、しばらくの間車内は二人の微かに荒くなった呼吸音しかしない。
ぴちょん、と可愛らしい音がして、アンの髪から垂れている水滴が座席を濡らしていることに気付いて慌てて腰を上げた。
そして天井でしたたかに頭をぶつける。
「ぃだっ」
「おい落ち着けよい」
マルコの呆れ顔はアンが上着から顔を出した時からそのままだ。
思い出して、抱きしめていた上着を広げてみたが、マルコが怒り呆れるのももっともなほど、もうすでにたっぷり湿っていた。
おもむろにマルコが身体をひねり、運転席と助手席の間に手を伸ばす。
マルコの左手がアンが背中を預けるシートの背にかかって、ぎっと軋んだ。
冷たい腕がアンの肩に触れる。
身体を戻したマルコの手には、ビニールで包装されたままの白いタオルが握られていた。
マルコは包装を荒っぽく取り去り、アンにずいと差し出した。
「拭けよい」
「あ、りがと」
白いタオルはどこかでもらった備品のようで畳んであったもともとの皺以外はぴんと伸びていて真新しいにおいがした。
おずおずと、アンはとりあえず両腕の水を拭きとっていく。
それから鎖骨の上を流れる水をタオルで押さえて、首を拭く。
不意に、マルコの手がアンの首に伸びた。
えっ、と声を上げる間もなくタオルが奪われる。
「んなとこよりまず頭拭けよい、水垂れてんだろうが」
上着のときのようにばさりと頭にタオルがかぶせられて、がしゅがしゅとまるで大型犬を撫でる手つきで髪を拭かれる。
「あ、そだよな…ごめん」
そういえば水は髪から垂れていたんだった、としゅんと答えれば、マルコの手の動きが微かに緩んだ気がした。
かしゅかしゅかしゅ、とタオルと髪がこすれ合う音と軽く揺らされる頭がどうしてか心地よくて、正面を向いたままアンは思わず目を閉じた。
「自分でできる」とタオルを手に取れば、マルコは訝しむことなくアンにタオルを手渡すだろう。
わかっているのに、そうしないのはなんでだろう。
風呂上りに髪を乾かしてもらう時のように、さわやかで気持ちいい。
全然さわやかな場面じゃないのに。
しかしマルコのほうを向いて拭いてもらうのはそれこそ本当に子どものようで、せめてもの意地というわけではないけど、アンはじっとフロントガラスに対面したまま横向きで大人しく拭かれた。
マルコの手が、アンの右側の首筋に後ろから回り込むように触れて、濡れて貼りついた髪筋を左側にまとめて束ねていく。
長い指が濡れた髪を絡め取るように一度梳いて、タオル越しにギュッと絞った。
タオルに吸い取られなかった水滴がまた、シートに落ちた。
ぺとりと一筋髪が零れ落ちる。
マルコの手がまた丁寧にその髪を掬った。
その拍子にマルコの指が後ろ首に触れて、その冷たさにアンは反射で首をすくめた。
そうだ、マルコはまだ濡れたまま──
慌ててそれを口に出そうとマルコを振り向いたとき、目の前に濡れた鼻先が迫っていた。
「──え?」
声が出たのは鼻と鼻が触れてそして離れた後だった。
触れあったのは冷えた鼻先だけではない。
氷のように冷たくて驚くほど柔らかいものも、同時に唇に触れていた。
アンの後頭部を支えていたらしい手のひらが、タオルと共に離れていく。
マルコはまるで何事もなく、アンを拭いてキスをしてその延長線上に自分の身体を拭くのが当然だとでもいうように自身の腕や首の水滴をぬぐい始めた。
「……え?」
もう一度声を発するとマルコがアンを振り向いた。
その静かな青い目に射抜かれて、唇が触れたのと同時に視線もぶつかっていたことを思い出した。
→
金髪碧眼のその男は、胸に手を当てて仰々しい仕草で天井を仰いだ。
目があった瞬間絶叫されるし手の甲にはキスされるし、それはルフィがよく話に出す友達そのままの仕草で、すぐに気付いた。
「あたしもルフィに聞いてたよ、まだ高校生なのにコックの友達」
「いやあオレはまだ見習いさ、だからここでバイト生活」
「バイトなの?」
「こいつんちはこことは比較にならねぇくらいドデカイレストランだよ。ここに来てんのはただの酔狂だ」
そうなの?とアンが目で問うと、サンジは顔をしかめてデシャップの隅でタバコの煙を吹き上げている男、イゾウをちらと睨んだ。
「オーナー、違うっつってんだろ、俺は好きでここに来てんだ」
「お前んとこのジジイが連れ戻しにくるまでな」
「連れ戻しになんてこねぇよ!!」
「にーちゃんでけぇ声出してねぇでさっさとオレの飯作ってくれよ」
興奮したサンジの声を、サッチがのうのうと遮った。
勢いを削がれたサンジはぶすくれた顔で、「男の飯なんて作る気しねぇ」とぼやいた。
イゾウがハンと鼻を鳴らす。
「客を選ぶんじゃねぇよ。そもそもここに女なんてめったにこねぇだろうが」
「アンちゃんはなに食べたい?時間的にスイーツかな?それとも何かアラカルトのほうがいい?」
「おいだからオレのメシ作れって」
「はいはいアンタのは適当に作りますよ、で、アンちゃんは?」
アンは「ん」と口に含んでいたフォークを取り出す。
シーツのようになめらかなチーズケーキはもう半分以上ない。
「これもらったから…」
「んじゃ、なんかツマミにするね」
「や、夜は家で食べるから」
ありがとうと遮ると、サンジはしょぼんとわかりやすく萎んだ。
「んじゃ早いうちに帰っちまうのか」
「うん、ルフィたちのご飯作らなきゃ」
あぁ、と納得したようにサンジは頷いた。ものわかりがいい。
サンジは鮮やかな手つきで野菜を刻んで、熱したフライパンの上に散らすように入れる。
本物の料理人のようなその仕草に思わず見入った。
目もアンを捉えるときのようなデレッとしたしまりのない形ではなく、しっかりと自分の手の動きと食材を見つめるまっすぐな視線。
たしかルフィより二つ上、つまりアンの一つ下のはずなのに、その目はすっと芯の通った大人びた目だった。
町はずれのデリで少し家庭料理の作れる程度の自分はサンジにとって、サーカス劇団が三輪車に乗れる子供を見るようなものなのだろう。
比べたって仕方ないけど、と内心でぼやきつつも憧憬半分悔しさ半分と言ったところ。
サンジはあっという間にピラフを作り上げてしまった。
差し出された皿にサッチは嬉しそうに手を伸ばす。
「あいかわらず可愛げのかけらもねぇほどうめぇな」
「褒めるんならもっとまっすぐ褒めろよオッサン。オーナー、暇ならアンちゃんになんか作ってやってくれよ」
サンジは忌々しげな口調でイゾウを睨む。しかしその顔は口ほど苛立ってはいない。
悪ぶった話し方が癖らしい。
イゾウはアンにちらりと視線を走らせた。
「ケーキうまかったか」
「う、うん、ごちそうさま」
アンは皿の上を平らげて、名残惜しげに手にしていたフォークをやっと手放した。
イゾウは満足げにうなずいて立ち上がった。相変わらずまっすぐな樫の木のように背が高い。
あれ、これサンジが作ってくれたやつなんだよな、と思いサンジをちらと見上げると、アンと視線を合わせた碧眼は途端にデレッとゆるんだ。
サンジの手がアンの前から皿を取り上げる。
「お粗末さん」
ごちそうさま、ともう一度呟くとサンジははたとアンを見つめた。
不思議そうなその顔に、アンも訳が分からず見つめ返す。
サンジは、あーっと、と失礼を詫びるように眉を下げた。
「ごめん、アンちゃんってほんとにルフィのお姉様のアンちゃんだよな?」
「そうだけど」
「だよなぁ…」
サンジは首をかしげつつあごの薄いひげを撫でる。
なんで、と聞き返そうか迷っているうちにサンジが口を開いた。
隣でサッチがもぐもぐと咀嚼しながら二人の会話を興味深げに眺めているのが視線で感じる。
「や、なんかルフィが言ってる感じとだいぶ違ったから」
「へ、そう?」
「うん、なんつーか、もっと、こう…」
ガッツ溢れる?とサンジはずいぶん言葉を選んでから答えた。
その口調で、ルフィがいつもアンをどのように人に話しているのか、なんとなく想像がついた。
きっと「人使い荒いし片づけねぇとすぐ怒るしすぐ殴るし寝相は悪いし脚癖はもっと悪ぃ!」とかだ。
そしてそれはあながち間違いではない。
それをそのまま伝えないあたり、サンジのフェミニスト精神がうかがえた。
「アンちゃんが猫かぶってるようには見えねぇけどなぁ」
サッチが隣から口をはさむ。
ピラフは粗方片付いたようだった。イゾウにビールを要求している。
サンジはひょいと肩をすくめるように苦笑して、サッチの前から皿を掬い上げた。その仕草も高校生らしくない。
アンは何と言っていいかわからず、おろおろとサッチとサンジに視線を走らせた。
おろおろしているうちにイゾウがアンの前までやってくる。
「ん」
細いグラスに、黄色とオレンジ、そして赤が綺麗にグラデーションになった液体が上品に注がれたドリンクが差し出された。
グラスのふちがキラキラ光っている。
アンはその光に目を奪われつつ、差し出されたままに受け取った。
「すご…これ、酒?」
到底飲み物には見えない。
磨き上げられた宝石がさらりと溶けて液体になったような美しさだ。
「いや、ノンアルコールカクテル。酒は入ってねぇよ」
「珍しく立ち働いてると思ったら凝ったもん作りやがって」
サッチが恨めしげにイゾウを睨む。
オレの酒もそれくらい気合い入れて作れと言っているらしい。
イゾウはそんなサッチの視線を意に介さず、なみなみ注いだだけのビールをどんとカウンターに置いた。
アンは受け取ったグラスを顔の前まで持ち上げた。
ほう、と息が漏れる。
「この人酒作るのだけは上手いんだ、ほんとに」
まぁそれはノンアルコールだけどよ、とサンジが自分の手柄を自慢する子供のように嬉しそうにする。
サンジの大人びた顔から一気に無邪気さが現れたが、今のアンはそれに気付く余裕もない。
目の前のドリンクに目を奪われていた。
「…すごい、海みたい」
感嘆と共にそう呟くと、隣のサッチも斜め前のサンジも、向かいのイゾウまできょとんとアンを見つめた。
アンは3つの視線に気付くことなくくるりとグラスを回してみた。
下の透明の部分がたぷんと揺れて水泡がきらきら上っていくのを眺めて、うわぁと思わず声を漏らす。
波が西日をたっぷりと吸い込んで赤く染まった10年以上前のあの日の海が、今アンの目の前で揺れているようだった。
「…こりゃああの野郎が聞いたら喜びそうなセリフだ」
イゾウが可笑しげに喉を鳴らしてデシャップの中の椅子に腰かける。
そこでようやく、アンは顔を上げてイゾウを捉えた。
「の、のんでも…?」
「もちろん、観賞用じゃあねぇよ」
そうだった、とアンは手の中のグラスのふちに口をつけた。
ひんやりと冷えたグラスを傾けると、グラデーションの液体がアンの唇に触れる。
氷が入っていないのに、驚くほど冷えていた。
「…おいしい」
とろりと甘い柑橘系のシロップと炭酸が口の中で混ざり合う。
さわやかなマンゴーとミントの香りが鼻から抜けた。
アンはもう一度イゾウを見て、おいしいと呟く。
イゾウはぶはっと吹き出した。
「真顔で女に『おいしい』なんて言われたのぁ初めてだ」
「え、だ、だって」
おいしい意外になんといったら、とアンは少ない語彙の引き出しを開け閉めして言葉を探したが見つからない。
見つからなかったので、もう一度「おいしい」と言ったらイゾウは端正な顔を歪めて爆笑した。
サンジがおいおいとたしなめる。
「レディの言葉にそんなあけっぴろげに爆笑すんじゃねぇよ。つーかアンタ顔に似合わねぇんだからそのバカ笑いする癖治せよ」
「しょうがねぇよサンジ、こいつは昔っから笑いのツボが歪んで付いてんだ」
なぜかわかり合っているような雰囲気の3人の会話についていけず、アンはもう一度グラスの中身をちびちびと飲んだ。
やっぱりおいしい。
混ざり合ったカクテルは、やっぱり波立って揺れた海面のようだった。
不意にアンの右後ろで、キイッと扉の蝶番が音を立てた。
イゾウが顔を上げて、おお噂をすればと目じりの涙をぬぐう。
サンジが「らっしゃーい」と気のない挨拶をする。
サッチは肩越しに振り向いて、驚いたように声を上げた。
「お前仕事終わったのか!?」
常連の人かな、とかすかな好奇心が胸をくすぐって、アンは舐めるように飲んでいたグラスとともに後ろを振り向いて、危うくそれを落としかけた。
「終わってねぇよい」としかめ面で吐き捨てるマルコが立っていた。
声が出せず、アンはぽかんと口を開けてマルコを見上げる。
目を逸らして背中を向けてしまえばいいのに、それはそれで怪しい気がして、いやそれよりももっと他に違う理由があるような気がしたが、とにかく動くことができなかった。
マルコはサッチからすいとアンに視線を移して、少し目を細めた。
言葉をなくすほどのアンに対してマルコは驚いたそぶりも見せない。
そして断りもなくアンの隣の椅子を引いた。
げっ、とせりあがった声を慌てて飲み込む。
仕方がない、カウンターテーブルには5つしか席がなく、一番右端にサッチ、その隣にアンが座っているのだからマルコが座るのはアンより左しかない。
マルコが腰かけると、深い煙草の香りに混じってどこか湿ったにおいがした。
アンは思わずまともにマルコを見た。
「外、雨降ってるの?」
マルコは虚をつかれたのか一瞬目を丸めて、あぁと答えた。
「さっき降り出したよい」
「すげぇなアンちゃん、なんでわかんの?」
サッチが空になったジョッキをイゾウにつき返しながら尋ねた。
確かにここは窓もなく、雨の音もしない。
「なんとなく…におい?」
「におい?」
そりゃすげぇ、とサッチは新しいビールを受け取った。
自分から話しかけて置いてなんだが、アンはすぐさまマルコから顔を背けた。
まさかあれから2日も立たないうちに顔を突き合わせる羽目になるとは思わなかった。
ああ雨なんてどうでもいいのに、とアンはますます俯く。
そうだあたし、何してるんだろうこんなところで。
バレない保証なんてないのに、サボもルフィもいないのに。
帰る、と舌先に乗った言葉が転がり出かけたそのとき、右隣から黒いスーツの腕がアンの目の前を横切った。
思わず身を引く。
その腕は、アンの左隣で今まさにマルコがイゾウから受け取って口に運ぼうとしていた浅いグラスに伸びていて、まるでグラスに蓋をするようにサッチの厚い手のひらがその上に被さっていた。
アン越しに、マルコの目が鋭くサッチを睨んだ。
「…なんだよい」
「お前車だろ?」
「…車は置いて帰るよい」
「ちげぇって、飲む前にアンちゃん家まで送ってってやってくれよ。雨降ってんだろ?」
アンはぱちくりと瞬いてサッチを振り返った。
サッチは人の好い笑みでアンに笑いかける。
陽光がどんどん溢れているような笑顔だ。
「な、アンちゃんそうしな。オレ飲んじまったから」
まさか雨降るとはなあ、傘持ってねぇや、とサッチは大したことではなさそうにへらへら笑って、乗り出していた身体を戻した。
マルコはサッチが蓋をしていたグラスをちらと見降ろして、ため息とともにそれをテーブルに戻す。
座ったばかりだというのに、マルコは立ち上がろうと椅子を後ろに引いていた。
「ちょ、いい、いいよ!あたし歩いて帰るから」
「お前も傘持ってねぇんだろい」
「でも…」
仕事も終わってないのに(きっとあたしのせいだ)息抜きに飲みに来て、酒にありついた瞬間邪魔されるなんて気分いいはずがない。
それに、いまマルコと二人になるのは心配がつきない。
マルコの様子を見たところ全く疑っている雰囲気は見えないけど、そのフェイクの顔の下で隙あらばアンを捕まえようとタイミングを見計らっているんじゃないかと、どこまでもネガティブになっていける妄想は止まることがない。
「いい」といった自分の本心がマルコのためなのか自分のためなのか、全く見当もつかなかった。
しかしマルコは、アンの制止にお構いなく席を立つ。
「すぐ戻るからいいよい。行くぞ」
「えっ、あっ、ちょっと待って」
アンは掴むように華奢なグラスを手にとって、ああもったいないと思いながら残った半分をぐいっと飲み干した。
さらさらと冷たい液体が喉を通って落ちていくのを早送りで味わった。
「ごちそうさま!イゾウ、おいしかった、ほんとに!サンジも、ケーキ、ありがとう!お金…」
一息にお礼を言って、斜め掛けしたハンドバックに手を伸ばすと、それをアンの手の上に触れるか触れないかくらいの位置でサッチの手が押しとどめた。
まるで子供のいたずらをたしなめるようなしぐさだ。
「奢りっつったろ?付き合ってくれてありがとな」
にっと歯を見せてサッチは笑う。
アンは言葉に詰まって、困った顔でサッチを見つめ返すしかできない。
本当はアンの方こそサッチにお礼を言うつもりだったのに、先に言われてしまって言葉が出なかった。
サンジが「アンちゃんまた来てね、絶対ェ!!」と言葉尻のわりに穏やかな目で笑った。
イゾウがひらりと手を振る。
マルコはドアの前で、静かにアンを待っていた。
やさしい、とてもやさしい人たちだ。
3人の世界しかいらないと思っているあたしに、こんなにもやさしい──
アンは消え入る煙のように頼りない声で、ありがとうと呟いた。
サッチは「また来週飯食いに行くよ」と笑ってくれた。
*
車は、大通りから店のある細い通りへ入ってすぐの小さな駐車場に停めてあるとマルコは言った。
店の扉から一歩外に出ると、階下で雨が染み込んだコンクリートの匂いが一層強くなった。
大粒の水滴が地面を叩くばたばたという音が聞こえる。
「わりぃけど、そこまで走ってもらうよい」
「うん、全然、いい」
なるほどだから、店に入って来たマルコから雨の匂いがしたわけか。
行きもこうやって濡れて来たに違いない。
駐車場までたった100メートル足らずだ。
距離は問題ないけど、この雨脚だとたったそれだけでぐっしょり濡れてしまうだろうなあと想像した。
しかしここから家まで濡れそぼったまま歩いて帰るより幾分ましかと気を取り直す。
階段を下りて、イゾウの店の下にあるスタジオの入り口で立ち止まった。
なるほど、すごい雨だ。
車で走れば雨で煙って前が見えにくいだろう。
よし走るか、と合意を確かめるようにマルコを見上げたアンの視界は、ばさっと豪快な衣擦れの音がした瞬間暗く閉ざされた。
「わっ」
頭からかぶせられた布から、じわりと漂う煙そのもののような煙草の香りがしみだしてきて、それがマルコのスーツの上着だと気付く。
「行くぞ」
ちょっと待って、と声を上げようとした瞬間にマルコが立つのと反対側の肩を上着越しに掴まれて、そのままぐっと腕で背中を押された勢いのまま、アンは雨の中に踏み出していた。
「マルっ…上着…!」
アンの視界はすっぽり上着に覆われていて前は見えず、濡れた地面を踏みしめる自分のスニーカーしか見えない。
アンの声は雨音と自分たちの足音にかき消されてマルコには届いていないようで、返事がない。
アンに自分の上着をかぶせたマルコの意図がわからないほど馬鹿ではないが、それを黙って受け入れるほど可愛げもない。
アンはマルコに肩を支えられて小走りしながら、雨を吸って重たい上着の下でもがくようにして出口を探した。
見かけ以上にマルコに背中は広いようで、なかなか上着のふちに手がかからない。
すでに半分ほどの距離を進んだだろう頃になって、やっと上着の襟の部分を掴んだ。
えいやあと一気に顔を出す。
隣でぐっしょりと濡れた髪を額に貼りつかせたマルコが、足を止めずにアンを見下ろした。
「アホか、なんで出てくんだよい!」
「だって上着…!」
「黙って被ってろい!」
マルコは走るのをやめて、もう一度アンの頭に上着をかぶせようと手を伸ばす。
しかしその前に、アンは肩に引っ掛かっていた上着を外すと素早く丸めるように折りたたんで、ギュッと胸の前で抱きしめるように抱え込んだ。
「よし行こう!」
「おまっ…」
すぐさま走り出そうと足を踏み出したアンの隣で、マルコが呆れたように頭を反らせた。
「被っとけっつったろい」
「だって濡れる…」
「どうせクリーニングに出すんだから一緒なんだよい、ったく」
つーかもうびっしょびしょじゃねぇか、とマルコはため息とともに額から流れる雨を手の甲で拭った。
上着のことでわたわたしているうちに、アンも頭からバケツで水をかぶったようにぐっしょり濡れていた。
あ、とアンは間の抜けた声を出した。
「…もう走っても意味ないね」
「風邪はひかねぇほうがいいだろい」
ほら走れ、とマルコが顎で道を指し示す。
先に走り出したシャツの背中を追うように、アンも重たくなった上着をぎゅっと抱きしめて走り出した。
飛び込むようにして二人同時に車の中へ逃げ込む。
息が上がったわけでもないのに、しばらくの間車内は二人の微かに荒くなった呼吸音しかしない。
ぴちょん、と可愛らしい音がして、アンの髪から垂れている水滴が座席を濡らしていることに気付いて慌てて腰を上げた。
そして天井でしたたかに頭をぶつける。
「ぃだっ」
「おい落ち着けよい」
マルコの呆れ顔はアンが上着から顔を出した時からそのままだ。
思い出して、抱きしめていた上着を広げてみたが、マルコが怒り呆れるのももっともなほど、もうすでにたっぷり湿っていた。
おもむろにマルコが身体をひねり、運転席と助手席の間に手を伸ばす。
マルコの左手がアンが背中を預けるシートの背にかかって、ぎっと軋んだ。
冷たい腕がアンの肩に触れる。
身体を戻したマルコの手には、ビニールで包装されたままの白いタオルが握られていた。
マルコは包装を荒っぽく取り去り、アンにずいと差し出した。
「拭けよい」
「あ、りがと」
白いタオルはどこかでもらった備品のようで畳んであったもともとの皺以外はぴんと伸びていて真新しいにおいがした。
おずおずと、アンはとりあえず両腕の水を拭きとっていく。
それから鎖骨の上を流れる水をタオルで押さえて、首を拭く。
不意に、マルコの手がアンの首に伸びた。
えっ、と声を上げる間もなくタオルが奪われる。
「んなとこよりまず頭拭けよい、水垂れてんだろうが」
上着のときのようにばさりと頭にタオルがかぶせられて、がしゅがしゅとまるで大型犬を撫でる手つきで髪を拭かれる。
「あ、そだよな…ごめん」
そういえば水は髪から垂れていたんだった、としゅんと答えれば、マルコの手の動きが微かに緩んだ気がした。
かしゅかしゅかしゅ、とタオルと髪がこすれ合う音と軽く揺らされる頭がどうしてか心地よくて、正面を向いたままアンは思わず目を閉じた。
「自分でできる」とタオルを手に取れば、マルコは訝しむことなくアンにタオルを手渡すだろう。
わかっているのに、そうしないのはなんでだろう。
風呂上りに髪を乾かしてもらう時のように、さわやかで気持ちいい。
全然さわやかな場面じゃないのに。
しかしマルコのほうを向いて拭いてもらうのはそれこそ本当に子どものようで、せめてもの意地というわけではないけど、アンはじっとフロントガラスに対面したまま横向きで大人しく拭かれた。
マルコの手が、アンの右側の首筋に後ろから回り込むように触れて、濡れて貼りついた髪筋を左側にまとめて束ねていく。
長い指が濡れた髪を絡め取るように一度梳いて、タオル越しにギュッと絞った。
タオルに吸い取られなかった水滴がまた、シートに落ちた。
ぺとりと一筋髪が零れ落ちる。
マルコの手がまた丁寧にその髪を掬った。
その拍子にマルコの指が後ろ首に触れて、その冷たさにアンは反射で首をすくめた。
そうだ、マルコはまだ濡れたまま──
慌ててそれを口に出そうとマルコを振り向いたとき、目の前に濡れた鼻先が迫っていた。
「──え?」
声が出たのは鼻と鼻が触れてそして離れた後だった。
触れあったのは冷えた鼻先だけではない。
氷のように冷たくて驚くほど柔らかいものも、同時に唇に触れていた。
アンの後頭部を支えていたらしい手のひらが、タオルと共に離れていく。
マルコはまるで何事もなく、アンを拭いてキスをしてその延長線上に自分の身体を拭くのが当然だとでもいうように自身の腕や首の水滴をぬぐい始めた。
「……え?」
もう一度声を発するとマルコがアンを振り向いた。
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