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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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そのとき電話が鳴った。

突然響いた電子音に、サボの耳は臆病な小動物のように小さく動き、音源の方へ素早く首を振った。
クロコダイルが緩慢な仕草で携帯電話を取り出し、耳に当てた。
相手はロビンだろう。
課された仕事が完了したとの報告を受けているようだった。
クロコダイルは「御苦労」などとねぎらいの言葉一つなく、電話を切る。
その一つ一つの動作がいちいち面倒だとでも言いたげな顔をしている。
自分を見ているサボの視線に気付くが、すぐに鬱陶しそうに視線を外して葉巻に火をつけた。
彼の手元にある灰皿にも、その周りのテーブルの上にも、無残に散らばる灰が細かく積もっている。
クロコダイルは一息煙を吸い込んでから、吐き出すついでのように口を開いた。


「ゴール・D・アンが脱獄した」


脱獄、とオウム返しに呟いてから、サボはひゅっと息を呑んだ。


「黒ひげの手引きだ。先を越された。まぁ当然っちゃ当然だが」
「アンは今どこにいるんだ!?」


思わず声高になったサボに、クロコダイルは今度こそ口に出して「うるせぇな」と顔をしかめ言った。


「んなことオレの知ったことか。おおかた黒ひげのねぐらだろうよ」
「でもあそこは」
「黒ひげのアジトなんざこの街にゃアリの巣みてぇに散在してんだ、あいつらが場所に困るこたぁねぇ」
「どうにか場所を突き止めて……」


クロコダイルは何も言わなかったが、その目は一言「アホか」と伝えていた。
爬虫類じみた細い目の光に、サボは押し黙る。


「テメェにはテメェの領分がある。焦れて勝手に燃え尽きてりゃ世話ねェぞ」


ぞんざいなクロコダイルの言葉が、そのときばかりはほんの少しサボの肩を持っているような気がして、そうだオレは落ち着かなければと思い出すことができた。
顔を上げて大きく息を吐く。
黒光りする革のソファ、艶のある洋風の木製デスクが目に入る。
クロコダイルの弁護士事務室の中は硬質な雰囲気をまとって、冷え冷えとしていた。
ここに来て、もうすぐ一日経とうとしている。




ロビンに急かされるまま荷物をまとめて、サボとルフィは誰とも知れない男女二人の車に乗り込んで、ここまで連れてこられた。
クロコダイルの、ロビンの言葉をあまりに簡単に信じてしまったのは浅はかだったかもしれない。
アンの思いの静謐な強さに触れて、気が動転していたからかもしれない。
それでも、もうサボにも、きっとルフィにも、このときばかりは彼らを信じる以外ほかはなかった。
信じるべき確固たる枢軸であるアンがいない今、ほんの少しでも針が触れた方向へ進むしかないのだ。
たとえそれが間違っていても、そこからの軌道修正を自力でする覚悟をもって、サボは小さなメッセンジャーバッグを背負った。
「大事なものだけを持って」というロビンの言葉に従おうと、サボは性急に何を詰めるべきかと考えたが、思いつくものは何一つとしてなかった。
ルフィも全く同じな様子で、急いで二階に駆け上って各々のカバンをひっつかんだ後、一瞬の静寂が広がったのだ。

「何をもってけばいいんだ?」と問いかけるルフィに、サボは上手く言葉を返すことができなかった。
衣服などとるにたらない、食料をいま持っていく必要性も感じない、じゃあ金か?
そんなもの、と吐き捨てる自分がいた。

結局自分たちにとって、こんな小さなカバンに詰め込むことのできる大切なものなどたかが知れているのだ。
ルフィには「何かあったとき、力が出せるもんでも入れておけ」と応えると、ルフィはすぐさま台所へと駆け出していった。
サボはそっと寝室へと向かうと、クローゼットの中、分厚い毛布の下に隠すようにしまいこまれた一枚の写真を引っ張り出した。
そこにあるのは誰もが知っていた。
それでも触れることがあまりに痛くて、取り出してみることのできなかった一枚だ。
もしそれを、3人のうちの誰かが抱きしめた皺や涙の痕などが残っていたら平気でいられるわけがなかったからだ。

オレンジ色の空、濡れた髪を頬に貼りつかせた小さな3人、潮風に髪をなびかせる母と、彼女の肩を抱く父。
足元にはどこまでも黄色い砂が敷き詰められている。
今となっては誰に撮ってもらったのか思い出せない。ロジャーが道行く誰かに声をかけて頼んだのかもしれない。
今手元にある唯一の家族写真だった。

このときに行った海をサボは覚えていない。
アンとルフィは覚えているだろうか。
歯を見せて笑う家族の写真を目に焼き付けるように眺めてから、サボはそれをカバンの中に滑り込ませた。

そして、ロビンは「戻ってこれるかどうかわからない」と不穏なことを言ったが、いつ戻っても入れるように家の鍵を、そしてそれこそもしものために、バイクのキーをカバンに入れた。

ルフィは案の定、冷蔵庫の中の肉類を目一杯詰め込んだらしいリュックを背負っていた。
そのルフィも、今はサボとは別行動だ。
全ての計画は、ロビンの口から聞かされた。
闇の中白い手がぼんやりと浮かび上がり、ハンドルを握っていた。
助手席にはクロコダイルがどっしりと背中を座席に預けている。
ひとまずクロコダイルの事務所へと向かうと言ったその道中、ロビンは取扱説明書さながらの要領のよさで今後の計画を二人に話して聞かせた。


『おそらくあと数時間で、黒ひげもゴール・D・アン逮捕の知らせを受け取ることになる。そうすれば彼らも自身の駒の救出に向かうでしょうし、あなたたちの捜索も始まる。そうなる前に、あなたたちには自分で動いてもらうわ。
 モンキー・D・ルフィ、あなたは私と一緒に黒ひげの事務所へ。おそらくそこにはあなたたち3人にまつわる情報が収められてる。ゴール・D・アンが望むものを優先するなら、まずはそれを黒ひげの手元から奪わなければいけない。少なくとも、あなたたち二人の情報が黒ひげの手にあったという証拠を』
『どうやって?』


ルフィが短く問うた。
ロビンは答えなかった。
やり方はいくらでもあるという裏返しのように、サボには思えた。


『あなたたちの情報を奪い返すと同時に、黒ひげとゴール・D・アンのかかわりを示す証拠も手に入れられるはず。そしたらサボ、あなたはそれを持って警察に行くのよ』
『……随分正攻法なんだな』
『弁護士ですもの』


ロビンは手早く、アンが拘留されている拘置所の名を告げた。


『彼女が黒ひげとのかかわりを自ら口にしてくれさえすれば、すべては丸く収まるのよ。警察はとっくに黒ひげの存在に気付いてて、彼女からさっさと言質を取ってしまおうと意気込んでる』


しかしそうしないのは、ほかでもないサボとルフィのためだ。


『彼女がそれをしないと知って、黒ひげはタカをくくっているのだから、あなたたちが警察に直接証拠を突きつけてしまえば彼らに手はないわ』
『そんなに上手くいくか?』


思わず自信のない声がこぼれたが、そのことにサボ自身気が付かなかった。
警察はそもそもアンが黒ひげの仲間であると疑ったりしないだろうか。
ルージュの髪飾りを求めて、人の邸宅に忍び込んだのは事実だ。
その罪を問われたら言い訳は効かないし、アン自身反駁を口にするつもりはないだろう。


『やってみなければわからないわ』


ロビンはいっそ無慈悲なほど、臆面もなくそう言った。


『サーと彼女の契約は、あなたたちを黒ひげから逃がすこと。彼女を救うことはもともと契約にはないの。だからこれはあなたたちが勝手にすることよ。私たちが手を貸すことはない。危ないと思うならやめればいいわ』


やめねーぞおれは! とルフィがすぐさま大きな声を出した。
狭い車内にわあんと響く。
そう、とロビンは短く答えた。
クロコダイルは岩のように固まったまま、前を見つめてなにも言わない。

サボはふと思いついて、言った。


『オレもルフィと一緒に黒ひげの事務所に行ったらいけないのか?』


けして平穏なことになるとは思えないその場に、ルフィだけ送り込むわけにはいかないし、じっとそれを待っているのも苦痛だ。
しかしロビンは『あなたはいけない』とすぐさま答えた。


『あなたふたりに何かあったのでは、彼女との契約に反するわ』
『ル、ルフィ一人ならいいって言うのか!』
『彼にはたとえ何かあっても、死にさえしなければ後ろ盾があるから』


後ろ盾、とロビンが要ったその意味をすぐには理解できなかった。
ルフィも同じようで、首をかしげている。
ロビンは理解の遅いふたりを置いて、話を進めた。


『サボ、あなたには揚げ足を取られる要素が多すぎる。だから彼が行くのよ』


そこまで言われてハッとした。
ルフィには、絶大な権力を持つ直系の祖父がいる。
一方サボは身元の知れない孤児からの成り上がりだ。
ふたりの背景にえげつないほどの差があることを思い出し、そしてサボは黙って下唇を噛んだ。


『わかった』


低く抑えた声で頷くサボに、ルフィが任せろと芯の通った声で答える。
いつのまにかロビンが転がす車は、街のずっと西の果てまでやってきていた。





暗がりの中でぼうっと浮かび上がる灰色の建物は、まるで要塞のようだとサボは思った。
鉄格子の様な門が自動で上がって口を開けるのを、フロントガラス越しに眺める。
ルフィが素直に「おぉー」と感嘆の声を洩らした。
そこはクロコダイルの仕事場、つまりは弁護士事務所だと紹介されたが、どう見てもその風采は事務所とは趣を異しているようにしか思えなかった。
第一印象そのままに要塞か、はたまた城のようにしか見えない。

ロビンは自分以外の3人を車から降ろすと、敷地内の一角に無造作に車を停めて自分も降りてきた。
クロコダイルはあくまで自主的に動くそぶりは見せず、すぱすぱと葉巻を吸っては煙を吐き出している。


『こっちよ』


彼女がサボとルフィを目で促し、クロコダイルと肩を並べて歩き出した。
建物の中も見た目同様薄暗く殺風景だったが、陰湿なわけではなくただ物がない、使用していないという印象が強かった。
ひとつの部屋に通されたが、そこは客間のようで机とソファが形式通りにおいてある。
クロコダイルは迷わず歩を進め、定位置らしい一番奥の一人掛けソファにどっしりと腰かけてひときわ深く煙を吐き出した。


『ソファに掛けて、これを見て』


彼女は机を挟んで奥側に二人を座らせ、どこからともなくいつのまにか手にしていた一枚の紙を机の上に広げた。


『今から私と、モンキー・D・ルフィ、あなたの行動を説明するわ』


よしよし、とルフィが身を乗り出す。
「説明」や「計画」の類になぞることがことのほか苦手な弟を、サボは思わずちらりと横目で見たが、幼いルフィの顔は極めて真剣だ。


『この説明が終わったら、少し眠って』
『あ? 寝るのか?』
『もう夜が明ける。明るい時ならあっちも動きにくいでしょうけど、こっちが見つかりやすいのも同じ。起きたらすぐにあなたを黒ひげの事務所まで連れて行く。あなたは車を降りて、通常通り入口から中へ入りなさい。きっと黒ひげの仲間、もしくは手下がそこにいるわ』
『ティーチ自身はいないのか』
『いるかもしれないし、いないかもしれない。けれども私たちはいない可能性の方が高いと踏んでいる。なぜならこの事務所が一番彼と世間が強く結びついている場所だから』


なるほど、とサボは頷く。


『それに彼らは今ゴール・D・アンをなんとか手元に引き戻そうと躍起になっているはず。ティーチが最前線で動いていると考えてもおかしくないわ。ともかくルフィ、あなたは事務所に乗り込んでこの形のアタッシュケースをもちだしてくるのよ』


そう言ってロビンは二人の目の前にカタログ写真のような、アタッシュケースの写真を示した。
まるで何の変哲もない、普通の黒いケースだ。
ルフィがその写真を手に取り、目の前にかざして「わっかりにくいなぁ」と呟く。


『今まで黒ひげとエースにまつわる仕事をした時に、彼らはいつもこのケースを持ち歩いてはそこから書類を引っ張り出していた。おそらくこのケースの中に、エース関連の書類が詰まっていると見てまず間違いないわ』


サボは頷く代わりに写真に目を落とした。
クロコダイルとロビンもエースの仕事に噛んでいたのか。
この二人はいったいどこまで「こちら側」なのだろうと思わず疑心暗鬼になる。
ロビンはそんなサボを知ってか知らずか、サボと視線を合わすことなく言葉を続ける。


『私は同じ場所に車をつけて待っているから、ケースを奪ったらすぐに戻ってきてちょうだい。ひょっとすると……いえきっと、黒ひげの手先が不審な私の車に気付いて追いかけまわすことになると思うわ。私は逃げ切れるけど、あなたは、私がいなければ走って逃げるのよ』


あまりに簡単に言うので、ルフィは「おう」とすぐさま答え、サボも頷きかけた。
すんでのところで思いとどまる。


『ちょ、ちょっと待て、それじゃルフィが危ないだろう、あんまりだ』
『危ない橋を渡ることに決めたのはあなたたちじゃない』


ノックのようにすぐさま返された静かな声に、喉元が詰まった。
それでも、と咄嗟に反駁を上げる。


『ケースをどうやって奪うのかだって、何も方法がないわけだろう? 黒ひげの手先が何人いるか分からないのに、全部ルフィにやらせるわけにはいかない。やっぱりおれも行く』
『同じことを二度も言わせないで頂戴。あなたが戻ってこられなければ、ゴール・D・アンも戻ってこられないのよ』


紺色の大きな瞳から注がれる視線は鋭かったが、サボは負けじと目の前の女を睨み返した。
静かに睨み合うふたりの不穏さを断つように、ルフィがのんきな声を上げた。


『そんじゃあ誰かほかの奴に手伝ってもらおう』


サボとロビンは同時にルフィへ視線をスライドさせた。
ルフィの顔はどこまでも真剣だが、当人以外のふたりは思わずと言った様子で目を丸めた。
サボが慌てて言葉を紡ぐ。


『ほかの奴って、ルフィ遊びじゃないんだぞ』
『そんなことおれにだってわかってるぞ』


ルフィが苛立ったように声を尖らせる。


『アテがあるわけじゃねェけどよ、サボがダメならほかの奴におれを手伝ってもらえばいいじゃねぇか。おれはひとりでやっちまう自信があるけどな! でも心強いことに変わりはねェ』
『でも、アテがないのでしょう』


ロビンが呆れたように言葉を添える。
もうこの話をさっさと切り上げて行動に移したいと考えているのが、整った表情の少しの隙から見て取れる。
まったく隙がないわけではないのだ、この女も。
そう思うと少しサボの心にも余裕ができた。


『それにこんなことに簡単に巻き込んでいいやつなんて家族のほかにいるわけがない。当たり前に危険だし、『エース』のことも詳しくは説明できない。理由は言えないけど手伝ってくれなんて言えないだろ』
『そうか?』


ルフィがきょとんとサボを見つめ返す。
その目があまりに純粋で、思わずたじろいだ。


『そうかってお前』
『じゃあオレの友達に頼もう。サンジとか、ゾロとか』
『だからそれこそ巻き込むわけにはいかないだろ! ああもういい加減そこから頭を離せ、オレがお前と一緒に行く、必ず成功して帰ってくる、それで問題はないだろ!』
『こういうのはどうかしら』


兄弟の間にすっとロビンの声が挟み込まれた。


『要はケースさえ奪ってしまえば、こちらの勝ち。あなたたち、自分の身に対してあまり執着がないようだし。問題は帰り、私があなたを拾うことができなかったときね』
『ルフィが一人で乗り込むのも十分無茶な問題だと思うけど』
『それはそれ、どうにかして頂戴。とにかく私がいなかったときの代わりを用意したらどうかしら』
『代わりの足、ってことか?』
『それなら詳しく内容を話す必要もない、危険には違いないけど……一緒に乗り込ませるより幾分ましでしょう』


こんな夜更けに車を出してくれるような奇特な知り合いがいればの話だけど、とロビンは少し目を伏せて言った。
彼女自身このアイデアに対して期待を持っていないようだった。
それもそうだ、無茶苦茶なのは何も変わっていない。
ただ、隣に座るルフィだけがしししっと歯の隙間から漏らすようないつもの笑い声をあげえた。


『おれ、いいやつ知ってる!』







ルフィの言葉を信じて終了したロビン、サボ、ルフィの会議は結局そのままに、ルフィはロビンに言われるがまま進んで眠った。
よくぞ眠れるものだとサボは思ったが、こういうときに眠れるルフィは強い。
サボは当然一睡もできなかった。
そしてその日の夕刻、アンが脱獄したとの連絡が入った。







ルフィはロビンと、計画通り出ていった。
そしてサボはひとり、安いネオンに照らされる路地に来ていた。
湿った気配のあるそこは陰気で快い場所ではけしてなかったが、サボにはもちろんそんなことを気にする心の隙間なんてものはなく、実際目的の場所に着いてしまえばそこだけはけして陰気な雰囲気ではなかった。

陰気なんかじゃないことを知っていた。

しかし時刻は夜の一時を回っている。
こんな時刻になってしまったのは、最後までサボがルフィの提案を飲み込めなかったからだ。
折れてしまえばもっと早く来るべきだったのにと都合の良い後悔をして、どうしようもない。

訪問時間にはどうもだいぶ非常識で、むしろ夜が明けるのを待つほうがよいように思えた。
それでもそんな常識はちらりと頭をよぎっただけで、巨大な怪物のように迫りくる不安と焦りでサボはほとんど迷わず階段を駆け下りた。


おねがいだまだいてくれ。

鉄の取っ手を強く引いた。
鍵がかかっている。

ああ、とどうしようもない疲労感が押し寄せると同時に、はなから無理に決まっていたんだという投げやりな気持ちが胸の中にひたひたと溜まっていった。
そもそもサボ自身の身になにかあってはアンを助けられないという理由から代わりを探しているのだ。
自分の身代わりを立てるようなことを平気でしようとしている。
おれはなんて最低な、


「くそっ…」


目の前に立ちはだかる重厚な木の扉に、思わず拳を叩きつけた。

ルフィはすでにロビンと行ってしまった。
ここが最後の頼みの綱だった。
この綱が切れてしまえば、もうどうしようもない。


無理に決まっていたというくせに結局は期待していたのだと実感して、悔しさに歯噛みした。

もう誰でもよかったのだ。
アンとルフィを助けてくれるのなら、誰でも。



サボの背後を酔っ払いの高笑いが通りすぎる。
世間は通常の時間が流れ、酒を飲めば酔っ払うし面白ければ笑う。
今もこの街の何処かでこの瞬間を幸せだと感じる人間がいることが、どうしても信じられなかった。


不意に、背後から強い光が浴びせられ、扉に自分の影が強く現れた。
驚いて振り返る。
二輪車の騒々しい起動音が鼓膜と、横隔膜かどこか、腹の辺りに響いた。

逆光の影の中、バイクにまたがる姿さえもやけに洗練されたその男は、自身の店の扉にしなだれかかる誰かを不審な顔を隠しもせず見つめていた。
眩しさに目をやられて、サボからその表情は見えない。


「お前……アンの弟ツーか」


店ならもう閉めちまったぜ、と細い指先に鍵を引っ掛けて、イゾウはちゃらりとそれを揺らす。


顔を合わせたのが二回目の男を前にして、サボは泣き出す前のように体の芯が深く震えるのを感じた。
もうひとつのこと以外考えられなかった。


「頼む……お願いだ!」


階段を駆け上がり、イゾウの襟元に飛びつくようにしてすがった。
切れ長の目が一瞬にして大きく見開かれる。


「んだ、どうした」
「弟たちを助けてくれ!!」


白い眉間にシワが刻まれた。


「あいつになんかあったのか。アンはどうした」
「お願いだ、何も聞かないでルフィを迎えに行ってやってくれ。そのバイクでいいんだ、ルフィを安全なところまで運んでやって欲しい。危険なことなんだ、追われるかもしれない、でももうあんたに頼るしかないんだ、無茶苦茶言ってるのはわかって」
「お、おいちょっと待て」


イゾウがキーをひねると、空気の抜ける音ともに騒々しい稼働音が夜の空気に溶けていった。
離せよ、とイゾウがサボの手を軽く払って襟元から離させた。
長い足がバイクを跨いで、長身が正面からサボと向かい合う。


「こんな遅ェ時間にガキが、なにごちゃごちゃ言ってんだ」


見上げたイゾウの顔には、気味悪いものを遠目に見る色が浮かんでいるようにサボには見えた。
ついさっき、扉の前でサボを侵食した暗い気持ちがまた流れ込み、もはや返事をすることもできなかった。
心の底から感じた、初めての絶望だった。



おれが行かなきゃ。


弱々しく突き上げてきたその気持ちに動かされ、イゾウの脇を通り過ぎようとサボの身体はふらりと動いた。


「ほらよ」


不意に横から腕に硬いものを押し付けられ、サボの身体がよろめいた。


フルフェイスのヘルメット。



「ぐちゃぐちゃ余分なこと言ってねぇで、どこに行けってのをまず言いな」


ひらりとバイクにまたがって、イゾウは急かすようにサボに顎を突き出す。
ヘルメットを受け取ったまま呆然と立ち尽くすサボに「被り方もわかんねェのか?」と苛立った声がかかって、慌ててヘルメットの穴に頭を突っ込んだ。

ライオンの咆哮のように、バイクの重低音が深夜の路地裏から爆発した。










そのとき電話が鳴った。
引き金にかけられていたティーチの指がほんの少し揺れ、アンの眉間に押し付けられていた力が弱くなった。


「ラフィット!」
「はい」


コール音が急かすように甲高い音を響かせる。
ラフィットは素早くティーチに歩み寄ると、その背広のポケットから携帯電話を取り出して耳に当てた。


「はい」


ラフィットの声に被さるように、「ボス!!」という叫び声が電話から溢れ出た。
それはティーチの耳にもアンの耳にも入り、ティーチは顔をあげてラフィットを見た。
アンも思わず目を開ける。
電話から溢れるのは、地獄絵図のさなかにいる悶絶の声だった。


『ボス!ガキが一匹、いきなり乗り込んできやがって』
『おい、窓開けろ! うわっ、だめだ閉めろ!』
『締めあげようとしたバージェスがやられちまった!』
『早く水持ってこい!アレを失くしちまうと…! うあっ』
『そのガキがでけぇ容器背負ってやがって、中身ぶちまけたと思ったら』
『だめだ、もうおれたちまで巻き込まれる!! 逃げろ!』
『あ、あのガキ、部屋中にまいたアルコールに火ぃつけやがった!!』


話し手とその背後の声が入り混じり、壮絶な状況を伝えている。
ラフィットの顔がはじめて、色のない笑みを引き攣らせた。


『もうダメです、火がどんどんでかく……!』



健気に報告を続ける男の背後では、未だ断末魔の悲鳴が響き渡っている。
ティーチがアンの上から退いてラフィットの持つ携帯電話をもぎ取った。


「おい! てめぇら逃げんじゃねぇ! この女のデータ失くしたらオメェ、今までなにやってたことになる! そもそもそのガキってのはまさか」


電話の向こうはもはやティーチの言葉など拾う気がないらしく、わあわあとざわめく空気が伝わるばかりだ。


「おい! 返事しやがれこのクズ!そ のガキはどうした!おい!?」
「ティーチ」
「あ!?」


オーガーが鋭く呼んだ声に、ティーチもラフィットも反射的に顔を上げた。
しかしそのオーガーはティーチすら見ておらず、一心に自信が構える銃の先を見据えていた。
視線の追いつかない速さで指先が動き、銃が火を噴く。
咄嗟に狙いの先を追うと、開け放たれた窓。
まさに落ちていく肩口が見えた。
暗闇を背景に確かな血が散る。


「あのガキ……!」


ティーチが電話を放り投げ、窓辺に駆け寄る。
部屋は三階で、地上まで10m近くある。
アンは窓の真下、敷地内の芝の上に倒れていた。
肩を押さえている。
ティーチの鼻から嘲笑う調子で空気が抜けた。


「バカ女め、今更どうにもできねぇくせに……オーガー!事務所の様子見てきやがれ!逃げたバカは始末してこい!ラフィットはオレについてこい、行くぜ」


黒い大きな影たちが動き出した。






電話の向こうから聞こえた叫び声。
ティーチもラフィットも、オーガーさえも姿の見えない声の主を、血走った目で探すように電話を見つめていた。

事務所に火が放たれた。
ガキが一匹乗り込んで。

アンは仰向けに倒れたまま、笑いだすのを堪えることができなかった。
殴られた頬が引き攣って、表情は動かず声も漏れなかったが、それでも笑いはこみ上げた。
あいつらだと言わずと知れた。
アンが何よりもこわいと思っていた、黒ひげとサボ、そしてルフィの関与。
その証拠を、サボたちは自ら焼き捨てに来てくれたのだ。
ほかでもない、アンのために。

指の先に神経を集中させる。
動いた。
腕も足も、首も持ち上がる。
そろりと立ち上がると腰のあたりの鈍い痛みが骨に沁みたが、構っていられない。

出口は一つ、オーガーが背にした扉だけ。
いや違う。
アンは自身の背後の窓に視線を走らせた。
飛びつくように窓枠ににじり寄る。
窓は開いていた。
もうその奇跡だけで、すべてが上手くいく気がした。

下は覗かなかった。
確かここは三階だが、跳べない高さではない。
地面が針のむしろじゃない限り、多少足を痛める程度で済むはずだ。
脚の一本や二本、と思った。

窓枠に足をかけ、身を乗り出したそのとき、背後の張りつめた気配がアンの首筋にピリリと刺さった。
気付かれた、その勢いに背中を押されて、窓枠を蹴った。

ブワッと下から風に煽られた瞬間銃声が短く鳴り、少し遅れた肩からはじけた鋭い衝撃がやって来た。
身体が前に倒れる。
地面が近い。
しかし気付いた時には、アンは二本の足でしっかりと地面を踏んでいた。
とんでもない衝撃が、まるで足の裏で爆弾が破裂したみたいな衝撃が、足裏全体から膝、ふとももから腰に至るまでじんと響いた。
が、それだけだった。

案外いけるものだと頭をよぎったとき、思い出したように左肩が熱くなり、鮮烈な痛みにアンは思わず呻いて前にかがみこんだ。
肩を押さえると、生暖かいぬめりが手に触れる。
頭上でティーチの声がなにやら叫んでいた。


逃げなきゃ。
せっかくあそこから抜け出せたのに。サボとルフィが助けてくれたのだ。
肩に一つ穴が開いたくらい。


歯を食いしばり、地面に手をついて立ち上がった。
触れた地面はひんやりと湿った土と芝だった。
三階から飛び降りて無事でいられたのは、このおかげか。
今やまわりのすべてのものが味方になってくれるような心強さが、胸の奥から湧き上がって熱を発し始める。


辺りを見渡すと真っ暗で、目の前は二メートルほどの塀だった。
正面に回っては黒ひげと鉢合わせて馬鹿を見る。
アンは目の前の塀に右手をかけ、顎を置き、右側の腕力だけでよじ登った。
左肩から流れた血が囚人服に沁み込み、冷えていく。
その冷たさがアンの頭を冴えさせた。

降り立ったそこは人気のない道路。
アンはとりあえず建物の入り口から遠い方へと走り出した。
さすがについさっきとんでもない衝撃を支えたアンの足は、コンクリートを蹴るたびに悲鳴を上げた。
このまま走って逃げ切ることは不可能だ。
いずれ夜が明ける。
そのとき肩を血の色に染めた女が街中に立っていては、目立って仕方がない。
どうにかして、足を手に入れないと。

そう思いついてすぐ、一軒の家のガレージに車が停まっているのが目についた。
しかし民家に停められたものにキーがついているはずがない。
なによりアンは車の運転など一度もしたことがないのだ。


何か、あたしの足より速いものを。


路地を抜けると、少し広い二車線道路に出た。
右から一台、目玉のようにライトを光らせる車がやって来た。
アンは咄嗟に道に躍り出て、車の前に両手を開いて立ちはだかった。
当然のごとく、断末魔の叫びといっていいほど甲高くブレーキ音が響き渡る。


「なんだお前ッ……!! 危な」
「ごめん!」


アンは窓から身を乗り出して怒鳴る若い男を無視して、運転席側に回り込み扉を引いた。
バランスを崩した男が外側に傾く。


「うおっ」
「ごめんなさい! 車貸して!!」


言うや否や、アンは呆気にとられる男の襟を掴んで引きずりおろし、足を払って地面に伏せさせた。
滑り込むように運転席に乗り込んで、呻く男の眼前で車のドアを閉める。

目の前にはハンドル。とりあえずつかんだ。
足の先にはおそらくアクセルとブレーキ。
片方を思い切り踏んでみたが、とろとろ動いていた車が逆に止まってしまった。
じゃあこっちかともう一方を踏み込むと、車は唸り声を上げて猛スピードで進み始めた。
慌ててハンドルにかじりつく。
白み始めた空が、フロントガラスを突き抜けてアンの目の前に広がった。

夜明け前の道路は空いていたのが幸いした。
一度目一杯踏みしめたアクセルから足を話すのが怖くて、ずっと同じ強さで踏み続けている。
目の端に映る景色が一瞬で過ぎ去っていくことから、とんでもないスピードが出ていることはわかって、そのせいで余計振り返るどころかバックミラーを確認することもできなかった。

今自分はどこへ行こうとしているのか、さっぱりわからない。
運転しているというより、暴走する車に連れられていると言った方が正しい。
とりあえず黒ひげから離れて、それからサボとルフィのところに──

──それじゃだめだ。

ぎゅっとハンドルを握る手に力を込めると、汗をかいた手が滑りそうになった。
せっかく黒ひげとサボたちの関係を白紙に戻せたのに、アンがサボたちのもとへ行ってしまってはまた巻き込むことになる。

じゃあいったいどうすれば。

赤信号をえいと無視して通り過ぎたそのとき、ふっと懐かしい香りを嗅いだときのような自然さで、思いついた。
この車はちょうど北へ北へと進んでいる。
ひとつ角を曲がれば、この街のど真ん中を突き抜けるモルマンテの大通りだ。
その北の果てに行こう。
この街の最高権力があるところ、警視庁へ。

だってマルコがいるから。

黒ひげを守る理由がないからということでも、サボたちを保護してもらえるからということでもなく、なぜだか理由にもならないそのことが一番に、頭に浮かんだ。







アンがたった二日だけ留置されていた収容所だけでなく警察内部は、つつかれた蜂の巣のように混乱を極めていた。

エドワード・ニューゲートとマルコが直々に「エース」に、つまりはアンに会いに出向いた。
しかしアンがいるはずの牢はもぬけの殻。
呆気にとられたのは彼らを案内した看守だけでなく、ニューゲートもマルコも同じだった。
ただやはり、我に返るのは早かった。
素早く顔を上げ、マルコは隣の男を呼んだ。


「オヤジ」
「──まず館内を調べろ。看守も事務員も全員ひとところに集合させて、状況把握だ。それでもアンがいなけりゃ一課の出番だ、連絡しろ。マルコ、オメェはここを仕切ってな。オレァ……連絡するところがあるから先戻る」


有無を言わさぬ強さで言い切ると、ニューゲートはマルコの返事を聞かずに踵を返した。
いつものことだ、飲みこむのにはなれている。
しかしこのときはじめて、マルコの中で小さな石ころのように転がっていた反駁する気持ちが触れたら痛い場所に触れ、跳ねた。


「オヤジ! アンが脱獄したなら、奴らの手引きに決まってんだろい! こんなことになってもまだほかにオレにも言えねェことがあるってのかよい!」


ニューゲートは振り返りマルコを見下ろしたが、その目は怒っても悲しんでもましてやよくあるように楽しんでいるわけでもなく、ただひたすらに真摯で、もう何も言えなかった。
ニューゲートはただひとこと、


「オメェにとって大事なのと同じように、オレにとってもそうなんだ。わかるぜ」


それだけ言うと後はもう淀みない足取りでマルコと看守の前を後にした。

わかってたまるか、と苛立つ反面、頭のどこかでニューゲートの言う意味がわかっているようなどっちつかずの気持ちが、不安定に残った。
振り切るように声を上げる。


「館内一斉捜査だ、アンを探せ!!」





その後明らかになる収容所内の様子は、惨憺たるありさまだった。
おそらくニューゲートも拘置所を去るときに気付いたであろうが、まずマルコとニューゲートがアンの留置される部屋に入る前横切った通路に確かにいたはずの看守たちが、そろいもそろって消え去っていた。
彼らは館内のどこを探しても出てくることはなく、彼らの経歴はまるで不審なところもない一般の職員であったにもかかわらず、まるで雲隠れの如く消え去っていた。
おそらくもうこの街にすらいないかもしれない。
そして収容所の裏口、食料物資等が搬入されるためだけにある小さな入口を護っていた門衛が2人、その場で死んでいるのを発見した。
簡単に首を掻き切られて死んでいる。
惨憺たるといっても、死人はその二名だけだった。
それが多いのか少ないのかはともかく、この犠牲を踏み越えてまでアンを奪いにかかった黒ひげの暗さに足元が寒くなる思いがした。


収容所内で最も広い体育館に職員を集め、消えた看守11名と殺された2名、そして現在も収監される囚人たちの監視役を除く全員がそろった。
その中に知った顔を見つけ、相手もマルコを認めるとすぐさま足音高く歩み寄ってきた。
マルコが何を言うより早く、ぽってりとした唇が開いてベイは勢い良く息を吸う。


「こンの、役立たずだな!」
「なっ、テメェ、現場にいたのはオメェのほうだろうがよい!」
「何が現場だ、その現場を腐らせてんのはどこのどいつだい! 中枢にいるあんたらのほうだろうが! ぬけぬけとアンを奪われて、恥ずかしくないのかい! あたしは恥ずかしいね! かわいそうに……わかってんのかい、もうあの子こそ命の保証なんてないんだよ!! 一番守られなきゃいけないのは、あの子だってのに!!」


ベイは人目もはばからず、大声でそう言い切りマルコを睨みあげた。
不本意だと知りながら返す言葉がない。
啖呵を切ったベイもベイで、それきりぺしょんと眉を下げ、数十年来の付き合いがあるマルコも見たことがないような弱弱しい口調で、「早く助けてやんないと……」と呟き首を振ったきり、なにも言わなくなった。


不意に、自分は何をしているのだろうと、マルコは足元を見つめた。
なぜここにいるのかわからなくなったのだ。
ニューゲートに言われたから、そうしているのにちがいない。
自分がそうしたいと思ったからしているのではないと気付いた途端、猛烈な違和感に襲われて、いてもたってもいられなくなった。
まるでそれは思春期のように、唐突で、荒々しく。


「頼んだよい」
「は?」


まさに「は?」の形で口を開けたままのベイを残し、マルコは文字通り体育館を飛び出した。
ニューゲートと一緒に来たせいで今日は自分の車がない。
常にポケットにあるはずのキーの感触が今日はないことに舌を打ちながら収容所の駐車場まで出ると、公用車が2台止まっているのが目についた。
職員はほぼ全員体育館に集めている。
キーは事務室、いや事務室も全員が出払うせいで鍵をかけた。
なにもかも都合が悪い。
マルコは駐車場を大きく横切って、収容所の敷地内から道路へとでた。
走りながら携帯電話を取り出し、慣れた指が動くままに電話を掛ける。
コール音はすぐさま途切れ、相手に繋がった。


「おうよ」
「アンの収容所から一番近いモルマンテの通りまで車出してこい」
「ハァッ? オレいま聞き取り……」
「5分で来いよい」


通話終了のボタンを押すのも忘れて、そのまま携帯をポケットに押し込んだ。

はたしてマルコが走って大通りに出るのが先か、サッチが車をつけるのが先か。
きっとサッチはほつれたリーゼントをしきりに気にしながら、自家用車にサイレンを乗せてやってくるに違いなかった。



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 麦わら一味では基本オールキャラかつサンナミ贔屓。
白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



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