OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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*
目を覚まし、いの一番に見えたのは無機質な白い壁で、聞こえたのは電子機器の稼働音のような、低い音だった。
そのまま天井をぼうっと見上げていると、いつの間にか医師や看護師がやってきて、アンの身体をあちこち見て回った。
されるがまま、アンは目を開いたり閉じたり、口を開いたり閉じたり、肩の傷を消毒してもらったりしていると、お腹が空いてきた。
お腹が空いたと言うと、もうすぐお昼だから、と看護師が言う。
「あ、やっぱりいいや。もう帰ってもいい?」
「ダメよぉ。怪我は肩以外大したことないけれど、今日一日は安静に」
たしなめるようにアンをベッドに押し戻し、看護師は部屋を出ていく。
アンはベッドからひょいと軽く足を下ろす。
「あたしの服、ないよね。これ借りて行ってもいい?」
「ちょ、だめよ!待ちなさい!」
「手当ありがとう。一旦帰るね」
慌てて伸ばしてきた看護師の手をするりと抜けて、アンはさっさと病院を後にした。
ぼんやりと、まだ夢を見ているような心地で歩いていたが、気付けば慣れた道を足が勝手に歩き、家に辿りついていた。
なんだか、すごく久しぶりな気がする。
家の扉の前に立ち、アンは妙な懐かしさを覚える。
実際家に帰るのは数日ぶりだった。
家の鍵は開いていた。
静かに扉を開き、閉める。
階上でがたごとと物音がしていたかと思うと、四足の動物が蹄で駆けてくるような勢いで、ルフィが二階から階段を駆け下りてきた。
「アンッ!」
「ルフィ」
久しぶりに見る弟は、相変わらず顔のパーツすべてを使うような笑い方をした。
「ただいま。留守番しててくれたの」
「おうっ!病院から、アンが目ェ覚ましたって聞いてすぐに行こうとしたんだけどよ、家の鍵は一個だろ。もしすれ違いになったらだめだと思って、待ってたんだ!」
「ありがと、ごはんは?」
「マキノが置いてってくれた!」
思った通り、彼女が世話を焼いてくれているようだ。
どうりでルフィが元気なはずだと思いながら、腰にまとわりつくような勢いで話しかけてくるルフィを連れて二階に昇った。
そうだ、とルフィがアンを見上げる。
「マキノ、今日も来るって言ってたぞ!」
「今日?」
ちょうどそのとき、まるでルフィとの会話を聞いていたみたいなタイミングで、インターホンがポーンと軽快な音を立てた。
「ほらな!」
ルフィが自慢げに鼻息を荒くする。
「ほんとだ。ルフィ、開けてあげて」
「おうっ」
ルフィが再び1階へと駆け下りる。
その背中を見送り、アンは自室へと戻った。
部屋で着替えていると、マキノとルフィの話し声が微かに聞こえる。
久しぶりに袖を通す私服は、慣れた洗剤の淡いにおいがして気が休まった。
すぐにアンもまた、階段を降りていく。
「マキノ!」
「あらっ!今ちょうどルフィに聞いたところよ、よかったわね、アン……!」
相変わらずシンプルないでたちで、マキノはアンを見上げた。
泣いた後のように、目の下を少し赤らめている。
実際少し泣いたのだろう。
途端に照れくさくなり、アンは俯き加減で笑った。
「お茶入れるね」
「ありがとう。怪我はひどくない?あれだったら私がするわ」
「大丈夫、ありがと」
ルフィが嬉しそうに、まぁ座れよとカウンターの椅子を引っ張り出している。
マキノは相変わらず声を出さずにくすくす笑って、ルフィのエスコートに従い背の高い椅子に腰かけた。
店のメニューにある紅茶を3人分作り、カウンターを挟んでお茶を飲んだ。
相変わらず働き者ね、とマキノが笑う。
「今日退院したばかりでしょう。つらくない?」
「全然。よく眠ってすっきりしてる」
マキノはにっこりと目を細めた。
「一応、今日と明日のぶんくらいの食べ物は2回の冷蔵庫に入れておいたわ。温めたら食べられるから」
「ごめん、なにからなにまで」
「いいのよ」
当然のようにマキノは微笑んだ。
聞きたいことがあるのに、あまりにほのぼのとルフィとマキノが笑い合うのでなかなか話を切り出せないでいた。
「そうだ、あたしお腹が空いてたんだ」
「アンッ、おれのも!」
二階にあがり、自宅用の冷蔵庫を開けると、二段の棚にぎっしりと、タッパ―が詰まっている。
惣菜のなつかしいにおいが、マキノの店の匂いがした。
適当にいくつか手に取り、温め直してルフィと分け合った。
マキノがアイスティーをすすりながら、にこにことそれを見ている。
食事を終え、一息つくと、マキノが立ち上がる。
「それじゃあ私、そろそろ帰るわね。アンも本調子じゃないし、今晩の分も冷蔵庫にあるからそれを食べなさい」
「あ、待って!」
慌ててアンも立ち上がると、マキノが可愛らしい仕草で首をかしげる。
「なあに?」
「……あのとき、なんであそこにいたの?」
あぁ、とマキノはなぜか照れくさそうに笑った。
「買い物に来ていたの。あのときはもう帰りのバスに乗っていて」
マキノは穏やかに笑いながら、再び椅子に腰かける。
「バスが止まったと思ったら、しばらく動かないの。何かなーと思って前を見たら、すごい渋滞で、びっくりしたわ。何事かと思ったら、検問をしていたのね。たくさんの車がすごくクラクションを鳴らしていて、それでも渋滞が全然動かないの。そしたらバスの運転手さんが、しばらく動きそうにないから降りる人はどうぞって言うの」
マキノの指先が、意味もなく空っぽのコップについた水滴をなぞった。
「仕方がないから降りるでしょ。でも荷物もそこそこあるし、歩いて帰るには遠いし、検問を抜けたら別のバスを拾おうかなって考えていたの。そしたら歩道にたくさん警察の人がいて、ここから先は歩行者もいけないっていうのよ。びっくりしていたら、大きな車が近くに停まって、そこからたくさん機動隊の人が出てきた。それで、ああ何か大変なことが起きてるんだって思ったところで、騒ぎの真ん中にあなたの姿が見えた」
マキノがアンを見る。
目を逸らせなかった。
マキノの隣でルフィが、妙に真面目な顔つきで話を聞いている。
「大きな男が、あなたの首根っこを摑まえていて、その男に向かって、よくニュースに乗ってる警察の方が銃を構えているの。息が止まりそうだった。咄嗟に、強盗か何かにあなたが巻き込まれたのだと思ったわ。その間も警察の人がぐいぐい私を押してどかそうとするから、突き飛ばして中に入ってやったの」
「マキノすげぇ!!」
ルフィが純粋な歓声を上げる。
「そしたら男があなたの頭に銃を突きつけた」
マキノはそのときを再現するように、ルフィの頭に人差し指を突きつける。
ルフィが、しししっと笑う。
「そしたらもう何もわからなくなって、機動隊の人を後ろから踏み倒して、男とあなたに向かって走っていって……そこからはよく覚えていないんだけど、気付いたら私は銃を握っていて、あなたの隣に倒れてた」
呆気にとられるアンを前に、マキノはずっと微笑んでいる。
いつのまにかガープさんもいて、とマキノが続ける。
「あなたが病院に運ばれてから、私、すっごくガープさんに怒られたわ。小さい頃みたいに、頭の上からそれはもうガミガミと。拳骨をもらわなかっただけマシね」
「じいちゃんの拳骨はすげぇ痛いんだ」
ルフィが思い出したように相槌を打つ。
マキノはルフィに笑い返して、アンを見上げた。
「あなたのしたことは全部聞いたわ。辛かったわねって言うのは簡単だけど、でも、辛かったわね」
マキノは立ち上がり、さて、と言う。
泣いたらいいのか笑えばいいのかわからないまま、アンはマキノを目で追った。
「ごちそうさま。そろそろ店を開ける準備をしなきゃ」
「メシありがとな!」
ルフィが元気に手を振る。
マキノも手を振り返し、それじゃあと踵を返した。
「なんで」
アンの声に、マキノが振り返る。
声をあげたものの、なにを訊くべきかわからず視線が彷徨った。
マキノもしばらくキョトンとしたままアンを見つめていたが、ふふっと零れるような笑い方をした。
「私が一番に叱ってあげるって、言ったでしょ」
じゃあね、と手を振って、マキノは店先の小さな扉をくぐり、出て行った。
「そんなこと言ってたっけ?」
ルフィがうぅんと首をひねってから、唐突にあくびする。
「片付け手伝って」と言うと、ルフィが渋々カウンターのこちら側へやって来た。
泡のついたスポンジを握りしめる。
「アン?」
ルフィが怪訝な顔で覗き込む。
──もしあたしが、捕まるような悪いことしても?
──そのときは、私が一番に叱ってあげるんだから!
目の前が、霞んで仕方がない。
*
片づけを終え、ルフィに自室の片づけを言い渡してから、アンもリビングの掃除を始めた。
案の定、脱ぎ散らかした服、食べこぼしが散乱している。
昨日一日ルフィ一人にしただけで、このありさまだ。
呆れかえりながら、簡単に部屋を整理する。
あらかた片付いたところで、ルフィがひょっこり顔を出した。
「終わったぞ」
「そ。ねぇ、ルフィ、サボがどこにいるか分かる?」
ルフィは、神妙な顔で頷いた。
「行こっか」
*
サボは、アンが目覚めた場所より大きな病院で眠っていた。
後で聞いたところによると、アンがいたのは警察病院だったらしい。
しかしサボは町一番の大病院で、口元を透明なカップのようなものに覆われたまま、目を閉じていた。
広い部屋だ。
ルフィに連れられて病室に足を踏み入れた瞬間、膝が折れそうになるのを必死でごまかした。
ルフィは一生懸命サボの容体を説明しようとしてくれたが、ルフィ自身がよく理解しておらず、いまいち要領を掴めなかった。
見たところサボは口元にマスクをしているものの、それ以外に物々しい機械に繋がれているわけでもなく、頬に大きなガーゼを貼って、眠っていた。
「サボ」
声を絞り出し、なるべきはっきり聞こえるように発音する。
サボはピクリとも動かなかった。
「ずっと寝てんだ。手術は終わったって言ってたけど」
個室の真ん中に位置するベッド、そのわきにあるサイドテーブルには、綺麗に2種類の花が生けられていた。
マキノかな、と思った。
ベッドのわきに、ちょうどふたつ丸椅子が置いてあったので、ルフィとそこに座る。
近くで見るサボの顔は、傷ついているもののとても穏やかで、シュコー、シュコー、と奇妙な呼吸音だけが違和感を残していた。
不意に、こつこつと硬い音がした。
ルフィと同時に、音のした方を見遣る。
開きっぱなしの扉のむこうには、ガープと、戸枠に入りきらないほど巨体のエドワード・ニューゲート、そしてマルコがいた。
壁をノックしたのはガープだ。
「じいちゃん」
ルフィと声が重なる。
いいかの、と断りを入れ、3人が病室に入って来た。
病院の個室とは思えないほど広い部屋にもかかわらず、途端に部屋は一杯になる。
威圧的な顔をした3人は、みな神妙な面持ちでアンたちを見下ろしていた。
「お前さんが目を覚ましたというから慌てて行ってみれば、勝手に帰ってしもうたというから、ここじゃろうと思って待っておった」
「じいちゃん、サボは助かったの?」
白髪の頭が首を動かしかけて、止まる。
少し考えて、ガープは口を開いた。
「わからん。爆発で下半身を火傷しておるし、地面に落ちた衝撃で両足は複雑骨折、内臓も傷ついてるそうじゃ。幸い頭を強く打たんかったらしいから、脳に異常はない。咄嗟に受け身を取ったんじゃろう。今はショックで眠っておるが、いつ目が覚めるかわからんらしい」
清潔な布団の中で、サボの足はぐるぐると包帯に巻かれ、固定されているのだろう。
サボは変わらず涼しい顔をしている。
じいちゃんを見たら、どう言うかな。
「アン」
顔をあげると、ガープは部屋の隅からがそごそとパイプ椅子をひっぱりだしてきて、座った。
ニューゲートも狭そうにしながら、それに倣う。
「すまんかった」
ガープは深く頭を下げた。
白くなったな、とアンはふさふさした髪を見下ろす。
皺だらけの顔が上がり、真正面からアンを見た。
「今更謝るのは卑怯じゃと思う。だがすまんかった。お前を危険な目に合わせた」
なんだったの?
純粋に、それが知りたかった。
「わしはロジャーが生きている頃から、黒ひげを追い続けた。あの手この手で証拠を隠し姑息に生きていくアイツを仕留めるには、証拠が足りず、20年も追いかけることになってしもうた。ティーチがアンを利用しようと考えているとは、初め、つゆとも思っとらんだ。今、奴はさるぐつわのまま刑務所にぶちこまれておる。舌を噛んで死なれたりしたら敵わんからな。いずれ吐かせるつもりだが、おそらく、あやつは初めからお前を狙っておった。ロジャーが死んだ、あのときから」
アンが浅く頷くと、ガープは少し驚いた表情をしたが、すぐに真顔を取り戻す。
「それならばと、わしらも黒ひげを泳がせた。いずれアンに危険が及ぶのは百も承知じゃったが、元よりアンはこちら側の人間、社会的な保護は絶大じゃ。わしも……白ひげもいる。言い方は悪いが死にさえせんだら、どうとでもしてやれる。アン、お前を餌に黒ひげをおびき出し、証拠が明確なうちに拿捕することが目的だったんじゃ。黒ひげは使ったコマを必ず殺す。じゃがそのコマがアンであれば、と考えた」
「…じゃあ、『エース』はあたしだって」
「知っておった」
思わずマルコに視線を走らせた。
ニューゲートの少し後ろに座る男は、静かにアンを見つめ返す。
アンの視線の先を心得てか、ガープが言う。
「知っていたのはわしと白ひげだけじゃ。マルコも、それ以外の人間は誰も知らんかった。お前が捕まる、あの日まで」
アンは、おそらくガープの意味する白ひげという男を見上げた。
天井近くに顔がある。
金貨のような瞳が、じっとアンを見下ろしていた。
「あんたはだれ?」
「……ロジャーと、仕事をしていた。アン、オメェが生まれた日も、アイツに呼ばれて一緒にいた」
低い声は、すぐ近くで太鼓を鳴らした時のように、足元からお腹のあたりまでをびりびりと揺すった。
「おれもそうだが、あいつも、ロジャーも命を狙われやすい立場だ。死ぬ前から任されていた。娘たちを頼むと」
「ロジャーとルージュが事故に遭った日のことを、話そうか」
ガープが口を挟んだが、アンはすぐさま首を振った。
「いい。知ってる」
正面の男3人が息を呑む。
それまで大人しくしていたルフィが、なに、なんだ、と騒ぎ出す。
「……ティーチが言ったか」
「うん」
なんだよっ!とルフィがむきになる。
「父さんと母さんは、黒ひげに殺されたんだ。事故は仕組まれてたんだって」
アンは床を見つめたまま、言葉を落とすように言った。
聞いたときは内臓がひっくり返るほど怒りが爆発したが、今はそれを口にしても、ただただしんしんと冷たい悲しみが足元に広がるだけで、不思議と怒りはあまり湧いてこなかった。
ただ、ルフィが「なんだとぉ!?」と形相を変えて立ち上がる。
「あいつ!!ぶん殴ってやる!!」
「ばか、いいから落ち着け」
ルフィの腕を引き椅子に座らせたが、ルフィはふんふんと鼻息を荒くして、わかりやすく腹を立てていた。
話を促すと、ニューゲートがおもむろに「マルコ」と呼んだ。
マルコが小さな黒い箱を取り上げ、ニューゲートに手渡す。
ニューゲートはまっすぐ、それをアンの前に差し出した。
受け取った箱は重くも軽くもなかったが、中に何かが入っているのはわかった。
箱は簡単に開く。
アンはそっと蓋を持ち上げた。
「これ」
宝石が緻密な曲線を描き、花弁を見事に表現している真っ赤な髪飾り。
箱から取り出し、手のひらに乗せるとあまるほどの大きさだ。
よくみると、花弁の一枚には母の名前が彫られていた。
それは本当に薄く、目を凝らさなければわからないほど薄く。
母さんのだ。
「裏を見てみろ」
ニューゲートが促すまま、アンは素直に髪飾りを裏返す。
髪を止める金属のバレッタ部分と、花弁の裏側が見えるだけだ。
ただ、よく見ると、ちょうどルージュの名が彫られた裏側に、何か細い線が彫ってある。
アルファベットが3文字。
「『アン』……」
「お前が生まれた日、ルージュが望んだんじゃ。いずれこれはアンのものになるからと」
そう言い、ガープは何かを堪えるように固く目を閉じた。
「それは確かにお前のモンだ、アン」
腰かけたアンのちょうど顔くらいの高さにあるニューゲートの膝。
その上に大きな握りこぶしがあり、それがぐっと強く握られたのがわかる。
アンは顔をのけ反らせて、ニューゲートを見上げた。
ガープと同じく皺だらけの顔は、彼の年齢を感じさせた。
確かニュースで、その容体は芳しくないと言っていた。
しかし目の前の大男はそれをつゆとも感じさせない威厳と、そして若々しさすら感じさせる目で、アンを見下ろす。
「ずっとお前を見ていた」
ニューゲートは、一音ずつ発音するかのようにとてもゆっくりと喋る。
彼が喋るたびに、相変わらず足元が揺れる感覚を覚える。
ただアンは、なにも言わずに金色の瞳を見上げつづけた。
「お前たちが学校へ行ったり、店を出したり、そういうことにおれァなにもしてやってねェ」
だがな、と言う。
「ずっとお前を見てきた。エースの逮捕はおれに取っちゃァお前の保護と同義だった。危険なことに巻きこんじまったが、おれァこの街ごと、お前を守りたかった」
それだけで十分だ、と思った。
「おれァ勝手に、娘みたいに思って」
紐にできた小さな結び目みたいな謎が、するりとほどける。
昔の家が、ロジャーとルージュ、3人の兄弟が暮らした家が、今もきれいであった理由。
この人はずっとあたしたちを見ていた。
あの大きな庁舎のてっぺんから、街ごとあたしたちを見ていた──
「わしを差し置いて勝手なことを抜かすな白ひげ」
ガープがニューゲートを非難すると、彼はうるさそうに大きな鼻に皺を寄せ、聞こえないふりをした。
*
サボがこんこんと眠り始めて、6日が経つ。
アンは日中のほとんどをこの病室で過ごしている。
ルフィはアンに追い払われるように学校へ行き、終わるとすぐさまここへ来る。
そして面会時間が終わる午後7時に、ふたりは家へと帰った。
マキノが持ってきてくれたのだろう花瓶の花は、もう2,3本だけになり後はしおれてしまった。
茶色く萎んだ花を抜き取り、アンは毎日水を変える。
看護師が毎日甲斐甲斐しくサボの身体を世話してくれるので、アンがサボに対してしてやれることはほとんどない。
ただ毎日そばにいて、ひとりごとを聞かせたりしているだけだ。
今日も何もすることがなくて、ベッドのそばに置いた低い椅子に座り、伏せるようにベッドに顎を置いていた。
スリ傷だらけの長い腕がすぐそこにある。
マキノが暇つぶしにと持ってきてくれた料理雑誌は粗方読んでしまったので、ページを捲るのが億劫になり閉じてしまった。
学校で居眠りするような格好で、雑誌の縁をなぞるように指を動かす。
遠くで子供の泣き声が聞こえた。
病院というのはとても静かな場所だと思っていたが、案外そうでもない。
医師たちの声で不吉な騒がしさが起こることもあるし、子どもが注射を嫌がって泣き叫ぶ声も聞こえる。
サボがいるこの部屋も、耳を澄ますと時計の針の音や点滴の落ちる音がわりと大きく響く。
うんと耳を澄ませば、サボの鼓動すら聞こえた。
なんとなしに、覚えのある歌が口をついた。
母さんが歌ってくれたことがあるのかもしれない。
歌詞の意味も曖昧で、よくわからない。子守唄だろうか。
アンは何小節か口ずさみ、途中でメロディがわからなくなってやめた。
自分で歌った子守唄に、うとうと微睡む。
ふわっと風がつむじあたりの髪をかすめていった。
窓、開けっぱなしだったかな。
とろとろとした睡魔がアンを絡め取る。
また、やけにゆっくりと風がアンの髪を揺らした。
何度かそれが繰り返され、気持ちよさに意識が遠のきかける。
風に温度があることに気付いたのは、その瞬間だ。
身体は動かなかった。
顔を伏せたまま、アンはくぐもった声を出す。
「……いつから起きてた?」
一呼吸置いて、掠れた声が降ってきた。
「アンの……下手くそな、歌で……起きた……」
血の通った手のひらが、ぽとんとアンの頭の上に落ちた。
涙が止まらない。
*
朝のうちに掃除に洗濯、ルフィの弁当など家事を済ませ、病室に行く。
ルフィが来て、夜の7時に家に帰る。
そのサイクルに、サボの着替えを工面する時間が加わった。
目を覚ましたサボは、当然すぐさま担当の医師らに囲まれ、まだ何度も何度も検査を受けている。
もちろん意識を取り戻しただけで、内臓の傷も完治していないし、両足の全快には4か月以上かかるだろう。
それでも、病室に行けばサボがふりむいて、よぉと声をあげる。
ルフィと大口を開けて笑う。
そのあとは決まって痛そうに、少し身をよじった。
「昼間ずっとおれのとこにいなくていいよ。家のことや店のことも、やることあるだろ」
「ここにいたら家は散らからないし、店だって埃払うくらいしかすることないし」
3人の店はアンが最後の仕事に出る前日から、ずっと閉店している。
知った客に会うと必ずと言っていいほど休業の理由を訊かれた。
ときおり察しのいい客は3人の誰かが病の床に伏しているのだろうと勝手に勘ぐって、大変ねぇなどの言葉をかけてくれた。
それがただの好奇心であれ心からの慰めであれ、アンはありがたく受け取る。
「休業中」の旨を伝える張り紙は、ひらひらと頼りなく風にさらされていた。
「病院なんてずっといるもんじゃねぇよ。辛気臭いし、ちょっとした風邪だって流行りやすい」
「あたしがかかると思ってんの?」
サボは動きにくそうに、鼻の頭を掻いた。
とにかく、と教師のようにアンに指を突きつける。
「ずっといなくていい。ルフィが来るし、そうだ、ルフィと交代で来てくれればおれも暇しなくていいや」
あとなんか読むもん買って来て、と体のいい御託で、病院を追い出された。
仕方のないので本屋に寄ってから、自宅に戻った。
本屋の紙袋を腕に引っかけて歩いていると、店のシャッターに寄りかかる人影を見つけた。
なで肩の長身が、アンに気付く。
サボの病室にガープとニューゲートと来た、あの時以来だ。
「目ェ覚ましたってねい」
マルコは薄いジャケットを羽織って、いつもの仕事服ではなかった。
アンが頷くと、よかったなとそっけなく言う。
通用口をくぐらせて、マルコを店のカウンター席に座らせておき、アンは2階へコーヒーを取りに行った。
即席で悪いけど、と差し出したカップを受け取り、マルコは店の中を見渡すように視線を動かした。
「店は、さすがにまだ開かねェのかい」
「サボがいないとね。あたしひとりじゃ何もできないし」
「あいつの怪我はどうだよい」
「順調だって聞いてるけど……」
アンにはそう思えなかった。
痛みに耐えて眠れない姿や、身体が抵抗して頻繁に熱を出す姿のサボを見ているから。
そのたびにどこかアンのお腹の底の方から、ちりっと何かが暴れ出そうとする。
マキノに止められなければ、アンは迷わずティーチを殺していた。
今でもきっと、目の前にあの男が現れたら同じことをするだろう。
それが怖くもあり、そしてそう思うことは間違ってないと自分を勇気づける気持ちもわいてくる。
マルコはじっと、カウンター席からアンを見ていた。
「サッチとイゾウの野郎が」
マルコは店の扉に話しかけるように、横を向いている。
「お前さんのメシを食いたがってるよい」
「あ、イゾウ……あのふたりにも、お礼しなきゃ」
マルコにしては大きな動作で、首を振った。
「んなもん要らねェだろよい。特にイゾウは自分のやらかしたことわかってねェからな。一度どこかにぶちこんだ方がいいかもしれねェ」
「でもあれはルフィが」
あとで聞いた話によると、ルフィを乗せてイゾウはまっすぐ黒ひげのアジトに向かわず、なじみの酒屋にバイクを向かわせた。
ルフィに、目的を訊いていたからだ。
てっきり目的はアンの救出かなんかだと思っていたイゾウに、ルフィが言う。
『アンは自分で逃げてくる。おれはおれたちの証拠を消しに行くんだ』
そういうことなら話が早い、燃やしちまえ。
その一言で、イゾウはバイクの小さな荷入れに入るだけのアルコールを、しかもとびきり度数の高いものをしまいこみ、黒ひげのアジトへ向かった。
なんだか楽しそうなイゾウに釣られ、楽しくなってしまったルフィは二人そろって陽気に酒を撒き、火をつけ、さっさと逃げてきたのだという。
建物を出てイゾウがすぐに消防隊を呼んだため、被害は目的の建物一軒で済んだ。
それだって偶然だ、とマルコは渋い顔をする。
「黒ひげの一件は絡んだ人間が多すぎる。逃げた奴も、ただ被害だけを受けた奴もいる。まだ処理が山ほど残ってる」
アンが盗んだ車の持ち主も、一方的に被害を受けた人の一人だろう。
マルコがついと顔を上げる。
「お前は」
背の高い椅子に腰かけたアンは、応えるようにマルコを見下ろした。
「そうしてカウンターの向こうで、ちょこまか動いてんのが性に合ってんだろうよい」
「ちょこまか……」
マルコは、インスタントコーヒーをやけに旨そうにすする。
眠たそうなその目が気になり始めた頃のことを思い出す。
「お前はもう好きなようにやりゃあいい。おれは」
おれは? 無言で促すと、マルコは肩を揺らして笑った。
「お前さんから飛び込んでくるのを待ってるよい」
ぱちぱちっと鳥のように瞬くアンを見て、マルコがまた笑った。
慌てて言葉をつなげる。
「じ、じいさんになるかもよ」
「いいよい」
「そしたらあたしもおばさんになっちゃう」
「構わねェな」
アンは狼狽え、目の前のカウンターを掴む。
「二度とここからでないかも……!」
マルコは子どもをあしらうように、鼻で笑った。
「そんときは、引きずり出してやるよい」
「さ、さっき待ってるって言った……!」
「おれァ耐え性がねェんだ」
言葉に詰まりアンが押し黙ると、マルコはついに声をあげて笑い出した。
*
知らないうちに季節はあっという間に春を通りこし、夏になっていた。
サボは車いすから松葉杖に変わり、ルフィは高校を卒業した。
サボが動き回るにはまだ不自由があるため、店に客を入れることはできなかった。
だから、カフェではなくデリだけを再開させた。
店内で食べるのではなく、アンの作った惣菜を店頭で売り、客はそれを持ち帰る。
多くの喜んだ顔が見られた。
サボの治療費は、見舞金と言って、警察と行政府の両方から莫大な金が降りた。
これまでエースが窃盗したレプリカの髪飾り、それに値する金額は各被害者に返金されたが、ニューゲートは一言もアンたちに黒ひげから渡された金を返せとは言わなかった。
申し出れば断られることもわかっていたので、残ったそれはありがたく生活費に使わせてもらっている。
その金の一部で買ったバイクはあのとき当然破損し、鉄くずに戻ってしまった。
サボが全快したら、お金を貯めて新しいのを買おうと思う。
しかし今は、ルフィがサボを羨ましがって免許を取りに教習所へ通っている。
免許が取れたら、配達サービスをするのだと意気込んでいる。
「うわっ冷てェー!」
ルフィが歓声を上げる。
海へ来ていた。
朝ごはんの後に誰かが言い出し、慌てて電車に乗ったから、ちょうど昼ごろだ。
ルフィは靴を脱ぎ散らかし、じゃぶじゃぶと蹴散らすように波間を歩いた。
「アンはまだ泳げないのか?」
「だって、卒業してから泳いだことなんてないもん」
サボは茶色い砂の上で、松葉杖にもたれて笑った。
「結局泳げるのはおれだけなのに、おれはこんなんだ」
ギブスに巻かれた足に日差しがかかる。
今日は朝方に雨が降っていた。
けしていい天気とは言えない曇り空だったが、分厚い雲の狭い隙間から差し込む光も、悪くない。
「腹減ってきたなァ」
波を踏みつけながら、ルフィが呟く。
「あ」
ルフィが鼻先を空へ向けた。
つられてアンとサボが顔を上げると、長い飛行機雲が雲の割れ目に沿うように走っていた。
もう飛行機雲に喜ぶような歳ではなくなり、海に来ても歩くしかすることがなく、靴が波にさらわれるのを心配したり。
アンは潮のにおいを浅く吸い込む。
ふと顔を戻すと、ふたりはまだ空を見上げていた。
口をあけて、鼻の穴を膨らませ、同じ顔をしている。
──まずはルフィを突き飛ばした。
顎を大きくのけ反らせ、ルフィは手足を大きく振って後ろへ倒れていく。
サボが目を丸めてルフィを見つめる。
すかさずサボの松葉杖を奪い取り、サボが短く叫びを上げた瞬間その肩を軽く突いた。
バランスを崩したサボは、簡単に背後へ倒れていく。
「えっ」
腕を引かれた。
ルフィ、サボ、アンが重なりながら浅い海の上に倒れ込む。
派手に水しぶきが上がった。
顔が思いっきり水の中に浸かる。
見計らったかのように、3人の頭上に波が被さった。
「ぅえっ、クソ、アンのやつ!」
3人もつれ合いながら身体を起こし、ルフィとサボの反撃はいつのまにか水の掛け合いの応酬になった。
砂まみれになってドロドロのまま電車に乗ったこの日のことを、ずっと覚えていようと思う。
FIN
目を覚まし、いの一番に見えたのは無機質な白い壁で、聞こえたのは電子機器の稼働音のような、低い音だった。
そのまま天井をぼうっと見上げていると、いつの間にか医師や看護師がやってきて、アンの身体をあちこち見て回った。
されるがまま、アンは目を開いたり閉じたり、口を開いたり閉じたり、肩の傷を消毒してもらったりしていると、お腹が空いてきた。
お腹が空いたと言うと、もうすぐお昼だから、と看護師が言う。
「あ、やっぱりいいや。もう帰ってもいい?」
「ダメよぉ。怪我は肩以外大したことないけれど、今日一日は安静に」
たしなめるようにアンをベッドに押し戻し、看護師は部屋を出ていく。
アンはベッドからひょいと軽く足を下ろす。
「あたしの服、ないよね。これ借りて行ってもいい?」
「ちょ、だめよ!待ちなさい!」
「手当ありがとう。一旦帰るね」
慌てて伸ばしてきた看護師の手をするりと抜けて、アンはさっさと病院を後にした。
ぼんやりと、まだ夢を見ているような心地で歩いていたが、気付けば慣れた道を足が勝手に歩き、家に辿りついていた。
なんだか、すごく久しぶりな気がする。
家の扉の前に立ち、アンは妙な懐かしさを覚える。
実際家に帰るのは数日ぶりだった。
家の鍵は開いていた。
静かに扉を開き、閉める。
階上でがたごとと物音がしていたかと思うと、四足の動物が蹄で駆けてくるような勢いで、ルフィが二階から階段を駆け下りてきた。
「アンッ!」
「ルフィ」
久しぶりに見る弟は、相変わらず顔のパーツすべてを使うような笑い方をした。
「ただいま。留守番しててくれたの」
「おうっ!病院から、アンが目ェ覚ましたって聞いてすぐに行こうとしたんだけどよ、家の鍵は一個だろ。もしすれ違いになったらだめだと思って、待ってたんだ!」
「ありがと、ごはんは?」
「マキノが置いてってくれた!」
思った通り、彼女が世話を焼いてくれているようだ。
どうりでルフィが元気なはずだと思いながら、腰にまとわりつくような勢いで話しかけてくるルフィを連れて二階に昇った。
そうだ、とルフィがアンを見上げる。
「マキノ、今日も来るって言ってたぞ!」
「今日?」
ちょうどそのとき、まるでルフィとの会話を聞いていたみたいなタイミングで、インターホンがポーンと軽快な音を立てた。
「ほらな!」
ルフィが自慢げに鼻息を荒くする。
「ほんとだ。ルフィ、開けてあげて」
「おうっ」
ルフィが再び1階へと駆け下りる。
その背中を見送り、アンは自室へと戻った。
部屋で着替えていると、マキノとルフィの話し声が微かに聞こえる。
久しぶりに袖を通す私服は、慣れた洗剤の淡いにおいがして気が休まった。
すぐにアンもまた、階段を降りていく。
「マキノ!」
「あらっ!今ちょうどルフィに聞いたところよ、よかったわね、アン……!」
相変わらずシンプルないでたちで、マキノはアンを見上げた。
泣いた後のように、目の下を少し赤らめている。
実際少し泣いたのだろう。
途端に照れくさくなり、アンは俯き加減で笑った。
「お茶入れるね」
「ありがとう。怪我はひどくない?あれだったら私がするわ」
「大丈夫、ありがと」
ルフィが嬉しそうに、まぁ座れよとカウンターの椅子を引っ張り出している。
マキノは相変わらず声を出さずにくすくす笑って、ルフィのエスコートに従い背の高い椅子に腰かけた。
店のメニューにある紅茶を3人分作り、カウンターを挟んでお茶を飲んだ。
相変わらず働き者ね、とマキノが笑う。
「今日退院したばかりでしょう。つらくない?」
「全然。よく眠ってすっきりしてる」
マキノはにっこりと目を細めた。
「一応、今日と明日のぶんくらいの食べ物は2回の冷蔵庫に入れておいたわ。温めたら食べられるから」
「ごめん、なにからなにまで」
「いいのよ」
当然のようにマキノは微笑んだ。
聞きたいことがあるのに、あまりにほのぼのとルフィとマキノが笑い合うのでなかなか話を切り出せないでいた。
「そうだ、あたしお腹が空いてたんだ」
「アンッ、おれのも!」
二階にあがり、自宅用の冷蔵庫を開けると、二段の棚にぎっしりと、タッパ―が詰まっている。
惣菜のなつかしいにおいが、マキノの店の匂いがした。
適当にいくつか手に取り、温め直してルフィと分け合った。
マキノがアイスティーをすすりながら、にこにことそれを見ている。
食事を終え、一息つくと、マキノが立ち上がる。
「それじゃあ私、そろそろ帰るわね。アンも本調子じゃないし、今晩の分も冷蔵庫にあるからそれを食べなさい」
「あ、待って!」
慌ててアンも立ち上がると、マキノが可愛らしい仕草で首をかしげる。
「なあに?」
「……あのとき、なんであそこにいたの?」
あぁ、とマキノはなぜか照れくさそうに笑った。
「買い物に来ていたの。あのときはもう帰りのバスに乗っていて」
マキノは穏やかに笑いながら、再び椅子に腰かける。
「バスが止まったと思ったら、しばらく動かないの。何かなーと思って前を見たら、すごい渋滞で、びっくりしたわ。何事かと思ったら、検問をしていたのね。たくさんの車がすごくクラクションを鳴らしていて、それでも渋滞が全然動かないの。そしたらバスの運転手さんが、しばらく動きそうにないから降りる人はどうぞって言うの」
マキノの指先が、意味もなく空っぽのコップについた水滴をなぞった。
「仕方がないから降りるでしょ。でも荷物もそこそこあるし、歩いて帰るには遠いし、検問を抜けたら別のバスを拾おうかなって考えていたの。そしたら歩道にたくさん警察の人がいて、ここから先は歩行者もいけないっていうのよ。びっくりしていたら、大きな車が近くに停まって、そこからたくさん機動隊の人が出てきた。それで、ああ何か大変なことが起きてるんだって思ったところで、騒ぎの真ん中にあなたの姿が見えた」
マキノがアンを見る。
目を逸らせなかった。
マキノの隣でルフィが、妙に真面目な顔つきで話を聞いている。
「大きな男が、あなたの首根っこを摑まえていて、その男に向かって、よくニュースに乗ってる警察の方が銃を構えているの。息が止まりそうだった。咄嗟に、強盗か何かにあなたが巻き込まれたのだと思ったわ。その間も警察の人がぐいぐい私を押してどかそうとするから、突き飛ばして中に入ってやったの」
「マキノすげぇ!!」
ルフィが純粋な歓声を上げる。
「そしたら男があなたの頭に銃を突きつけた」
マキノはそのときを再現するように、ルフィの頭に人差し指を突きつける。
ルフィが、しししっと笑う。
「そしたらもう何もわからなくなって、機動隊の人を後ろから踏み倒して、男とあなたに向かって走っていって……そこからはよく覚えていないんだけど、気付いたら私は銃を握っていて、あなたの隣に倒れてた」
呆気にとられるアンを前に、マキノはずっと微笑んでいる。
いつのまにかガープさんもいて、とマキノが続ける。
「あなたが病院に運ばれてから、私、すっごくガープさんに怒られたわ。小さい頃みたいに、頭の上からそれはもうガミガミと。拳骨をもらわなかっただけマシね」
「じいちゃんの拳骨はすげぇ痛いんだ」
ルフィが思い出したように相槌を打つ。
マキノはルフィに笑い返して、アンを見上げた。
「あなたのしたことは全部聞いたわ。辛かったわねって言うのは簡単だけど、でも、辛かったわね」
マキノは立ち上がり、さて、と言う。
泣いたらいいのか笑えばいいのかわからないまま、アンはマキノを目で追った。
「ごちそうさま。そろそろ店を開ける準備をしなきゃ」
「メシありがとな!」
ルフィが元気に手を振る。
マキノも手を振り返し、それじゃあと踵を返した。
「なんで」
アンの声に、マキノが振り返る。
声をあげたものの、なにを訊くべきかわからず視線が彷徨った。
マキノもしばらくキョトンとしたままアンを見つめていたが、ふふっと零れるような笑い方をした。
「私が一番に叱ってあげるって、言ったでしょ」
じゃあね、と手を振って、マキノは店先の小さな扉をくぐり、出て行った。
「そんなこと言ってたっけ?」
ルフィがうぅんと首をひねってから、唐突にあくびする。
「片付け手伝って」と言うと、ルフィが渋々カウンターのこちら側へやって来た。
泡のついたスポンジを握りしめる。
「アン?」
ルフィが怪訝な顔で覗き込む。
──もしあたしが、捕まるような悪いことしても?
──そのときは、私が一番に叱ってあげるんだから!
目の前が、霞んで仕方がない。
*
片づけを終え、ルフィに自室の片づけを言い渡してから、アンもリビングの掃除を始めた。
案の定、脱ぎ散らかした服、食べこぼしが散乱している。
昨日一日ルフィ一人にしただけで、このありさまだ。
呆れかえりながら、簡単に部屋を整理する。
あらかた片付いたところで、ルフィがひょっこり顔を出した。
「終わったぞ」
「そ。ねぇ、ルフィ、サボがどこにいるか分かる?」
ルフィは、神妙な顔で頷いた。
「行こっか」
*
サボは、アンが目覚めた場所より大きな病院で眠っていた。
後で聞いたところによると、アンがいたのは警察病院だったらしい。
しかしサボは町一番の大病院で、口元を透明なカップのようなものに覆われたまま、目を閉じていた。
広い部屋だ。
ルフィに連れられて病室に足を踏み入れた瞬間、膝が折れそうになるのを必死でごまかした。
ルフィは一生懸命サボの容体を説明しようとしてくれたが、ルフィ自身がよく理解しておらず、いまいち要領を掴めなかった。
見たところサボは口元にマスクをしているものの、それ以外に物々しい機械に繋がれているわけでもなく、頬に大きなガーゼを貼って、眠っていた。
「サボ」
声を絞り出し、なるべきはっきり聞こえるように発音する。
サボはピクリとも動かなかった。
「ずっと寝てんだ。手術は終わったって言ってたけど」
個室の真ん中に位置するベッド、そのわきにあるサイドテーブルには、綺麗に2種類の花が生けられていた。
マキノかな、と思った。
ベッドのわきに、ちょうどふたつ丸椅子が置いてあったので、ルフィとそこに座る。
近くで見るサボの顔は、傷ついているもののとても穏やかで、シュコー、シュコー、と奇妙な呼吸音だけが違和感を残していた。
不意に、こつこつと硬い音がした。
ルフィと同時に、音のした方を見遣る。
開きっぱなしの扉のむこうには、ガープと、戸枠に入りきらないほど巨体のエドワード・ニューゲート、そしてマルコがいた。
壁をノックしたのはガープだ。
「じいちゃん」
ルフィと声が重なる。
いいかの、と断りを入れ、3人が病室に入って来た。
病院の個室とは思えないほど広い部屋にもかかわらず、途端に部屋は一杯になる。
威圧的な顔をした3人は、みな神妙な面持ちでアンたちを見下ろしていた。
「お前さんが目を覚ましたというから慌てて行ってみれば、勝手に帰ってしもうたというから、ここじゃろうと思って待っておった」
「じいちゃん、サボは助かったの?」
白髪の頭が首を動かしかけて、止まる。
少し考えて、ガープは口を開いた。
「わからん。爆発で下半身を火傷しておるし、地面に落ちた衝撃で両足は複雑骨折、内臓も傷ついてるそうじゃ。幸い頭を強く打たんかったらしいから、脳に異常はない。咄嗟に受け身を取ったんじゃろう。今はショックで眠っておるが、いつ目が覚めるかわからんらしい」
清潔な布団の中で、サボの足はぐるぐると包帯に巻かれ、固定されているのだろう。
サボは変わらず涼しい顔をしている。
じいちゃんを見たら、どう言うかな。
「アン」
顔をあげると、ガープは部屋の隅からがそごそとパイプ椅子をひっぱりだしてきて、座った。
ニューゲートも狭そうにしながら、それに倣う。
「すまんかった」
ガープは深く頭を下げた。
白くなったな、とアンはふさふさした髪を見下ろす。
皺だらけの顔が上がり、真正面からアンを見た。
「今更謝るのは卑怯じゃと思う。だがすまんかった。お前を危険な目に合わせた」
なんだったの?
純粋に、それが知りたかった。
「わしはロジャーが生きている頃から、黒ひげを追い続けた。あの手この手で証拠を隠し姑息に生きていくアイツを仕留めるには、証拠が足りず、20年も追いかけることになってしもうた。ティーチがアンを利用しようと考えているとは、初め、つゆとも思っとらんだ。今、奴はさるぐつわのまま刑務所にぶちこまれておる。舌を噛んで死なれたりしたら敵わんからな。いずれ吐かせるつもりだが、おそらく、あやつは初めからお前を狙っておった。ロジャーが死んだ、あのときから」
アンが浅く頷くと、ガープは少し驚いた表情をしたが、すぐに真顔を取り戻す。
「それならばと、わしらも黒ひげを泳がせた。いずれアンに危険が及ぶのは百も承知じゃったが、元よりアンはこちら側の人間、社会的な保護は絶大じゃ。わしも……白ひげもいる。言い方は悪いが死にさえせんだら、どうとでもしてやれる。アン、お前を餌に黒ひげをおびき出し、証拠が明確なうちに拿捕することが目的だったんじゃ。黒ひげは使ったコマを必ず殺す。じゃがそのコマがアンであれば、と考えた」
「…じゃあ、『エース』はあたしだって」
「知っておった」
思わずマルコに視線を走らせた。
ニューゲートの少し後ろに座る男は、静かにアンを見つめ返す。
アンの視線の先を心得てか、ガープが言う。
「知っていたのはわしと白ひげだけじゃ。マルコも、それ以外の人間は誰も知らんかった。お前が捕まる、あの日まで」
アンは、おそらくガープの意味する白ひげという男を見上げた。
天井近くに顔がある。
金貨のような瞳が、じっとアンを見下ろしていた。
「あんたはだれ?」
「……ロジャーと、仕事をしていた。アン、オメェが生まれた日も、アイツに呼ばれて一緒にいた」
低い声は、すぐ近くで太鼓を鳴らした時のように、足元からお腹のあたりまでをびりびりと揺すった。
「おれもそうだが、あいつも、ロジャーも命を狙われやすい立場だ。死ぬ前から任されていた。娘たちを頼むと」
「ロジャーとルージュが事故に遭った日のことを、話そうか」
ガープが口を挟んだが、アンはすぐさま首を振った。
「いい。知ってる」
正面の男3人が息を呑む。
それまで大人しくしていたルフィが、なに、なんだ、と騒ぎ出す。
「……ティーチが言ったか」
「うん」
なんだよっ!とルフィがむきになる。
「父さんと母さんは、黒ひげに殺されたんだ。事故は仕組まれてたんだって」
アンは床を見つめたまま、言葉を落とすように言った。
聞いたときは内臓がひっくり返るほど怒りが爆発したが、今はそれを口にしても、ただただしんしんと冷たい悲しみが足元に広がるだけで、不思議と怒りはあまり湧いてこなかった。
ただ、ルフィが「なんだとぉ!?」と形相を変えて立ち上がる。
「あいつ!!ぶん殴ってやる!!」
「ばか、いいから落ち着け」
ルフィの腕を引き椅子に座らせたが、ルフィはふんふんと鼻息を荒くして、わかりやすく腹を立てていた。
話を促すと、ニューゲートがおもむろに「マルコ」と呼んだ。
マルコが小さな黒い箱を取り上げ、ニューゲートに手渡す。
ニューゲートはまっすぐ、それをアンの前に差し出した。
受け取った箱は重くも軽くもなかったが、中に何かが入っているのはわかった。
箱は簡単に開く。
アンはそっと蓋を持ち上げた。
「これ」
宝石が緻密な曲線を描き、花弁を見事に表現している真っ赤な髪飾り。
箱から取り出し、手のひらに乗せるとあまるほどの大きさだ。
よくみると、花弁の一枚には母の名前が彫られていた。
それは本当に薄く、目を凝らさなければわからないほど薄く。
母さんのだ。
「裏を見てみろ」
ニューゲートが促すまま、アンは素直に髪飾りを裏返す。
髪を止める金属のバレッタ部分と、花弁の裏側が見えるだけだ。
ただ、よく見ると、ちょうどルージュの名が彫られた裏側に、何か細い線が彫ってある。
アルファベットが3文字。
「『アン』……」
「お前が生まれた日、ルージュが望んだんじゃ。いずれこれはアンのものになるからと」
そう言い、ガープは何かを堪えるように固く目を閉じた。
「それは確かにお前のモンだ、アン」
腰かけたアンのちょうど顔くらいの高さにあるニューゲートの膝。
その上に大きな握りこぶしがあり、それがぐっと強く握られたのがわかる。
アンは顔をのけ反らせて、ニューゲートを見上げた。
ガープと同じく皺だらけの顔は、彼の年齢を感じさせた。
確かニュースで、その容体は芳しくないと言っていた。
しかし目の前の大男はそれをつゆとも感じさせない威厳と、そして若々しさすら感じさせる目で、アンを見下ろす。
「ずっとお前を見ていた」
ニューゲートは、一音ずつ発音するかのようにとてもゆっくりと喋る。
彼が喋るたびに、相変わらず足元が揺れる感覚を覚える。
ただアンは、なにも言わずに金色の瞳を見上げつづけた。
「お前たちが学校へ行ったり、店を出したり、そういうことにおれァなにもしてやってねェ」
だがな、と言う。
「ずっとお前を見てきた。エースの逮捕はおれに取っちゃァお前の保護と同義だった。危険なことに巻きこんじまったが、おれァこの街ごと、お前を守りたかった」
それだけで十分だ、と思った。
「おれァ勝手に、娘みたいに思って」
紐にできた小さな結び目みたいな謎が、するりとほどける。
昔の家が、ロジャーとルージュ、3人の兄弟が暮らした家が、今もきれいであった理由。
この人はずっとあたしたちを見ていた。
あの大きな庁舎のてっぺんから、街ごとあたしたちを見ていた──
「わしを差し置いて勝手なことを抜かすな白ひげ」
ガープがニューゲートを非難すると、彼はうるさそうに大きな鼻に皺を寄せ、聞こえないふりをした。
*
サボがこんこんと眠り始めて、6日が経つ。
アンは日中のほとんどをこの病室で過ごしている。
ルフィはアンに追い払われるように学校へ行き、終わるとすぐさまここへ来る。
そして面会時間が終わる午後7時に、ふたりは家へと帰った。
マキノが持ってきてくれたのだろう花瓶の花は、もう2,3本だけになり後はしおれてしまった。
茶色く萎んだ花を抜き取り、アンは毎日水を変える。
看護師が毎日甲斐甲斐しくサボの身体を世話してくれるので、アンがサボに対してしてやれることはほとんどない。
ただ毎日そばにいて、ひとりごとを聞かせたりしているだけだ。
今日も何もすることがなくて、ベッドのそばに置いた低い椅子に座り、伏せるようにベッドに顎を置いていた。
スリ傷だらけの長い腕がすぐそこにある。
マキノが暇つぶしにと持ってきてくれた料理雑誌は粗方読んでしまったので、ページを捲るのが億劫になり閉じてしまった。
学校で居眠りするような格好で、雑誌の縁をなぞるように指を動かす。
遠くで子供の泣き声が聞こえた。
病院というのはとても静かな場所だと思っていたが、案外そうでもない。
医師たちの声で不吉な騒がしさが起こることもあるし、子どもが注射を嫌がって泣き叫ぶ声も聞こえる。
サボがいるこの部屋も、耳を澄ますと時計の針の音や点滴の落ちる音がわりと大きく響く。
うんと耳を澄ませば、サボの鼓動すら聞こえた。
なんとなしに、覚えのある歌が口をついた。
母さんが歌ってくれたことがあるのかもしれない。
歌詞の意味も曖昧で、よくわからない。子守唄だろうか。
アンは何小節か口ずさみ、途中でメロディがわからなくなってやめた。
自分で歌った子守唄に、うとうと微睡む。
ふわっと風がつむじあたりの髪をかすめていった。
窓、開けっぱなしだったかな。
とろとろとした睡魔がアンを絡め取る。
また、やけにゆっくりと風がアンの髪を揺らした。
何度かそれが繰り返され、気持ちよさに意識が遠のきかける。
風に温度があることに気付いたのは、その瞬間だ。
身体は動かなかった。
顔を伏せたまま、アンはくぐもった声を出す。
「……いつから起きてた?」
一呼吸置いて、掠れた声が降ってきた。
「アンの……下手くそな、歌で……起きた……」
血の通った手のひらが、ぽとんとアンの頭の上に落ちた。
涙が止まらない。
*
朝のうちに掃除に洗濯、ルフィの弁当など家事を済ませ、病室に行く。
ルフィが来て、夜の7時に家に帰る。
そのサイクルに、サボの着替えを工面する時間が加わった。
目を覚ましたサボは、当然すぐさま担当の医師らに囲まれ、まだ何度も何度も検査を受けている。
もちろん意識を取り戻しただけで、内臓の傷も完治していないし、両足の全快には4か月以上かかるだろう。
それでも、病室に行けばサボがふりむいて、よぉと声をあげる。
ルフィと大口を開けて笑う。
そのあとは決まって痛そうに、少し身をよじった。
「昼間ずっとおれのとこにいなくていいよ。家のことや店のことも、やることあるだろ」
「ここにいたら家は散らからないし、店だって埃払うくらいしかすることないし」
3人の店はアンが最後の仕事に出る前日から、ずっと閉店している。
知った客に会うと必ずと言っていいほど休業の理由を訊かれた。
ときおり察しのいい客は3人の誰かが病の床に伏しているのだろうと勝手に勘ぐって、大変ねぇなどの言葉をかけてくれた。
それがただの好奇心であれ心からの慰めであれ、アンはありがたく受け取る。
「休業中」の旨を伝える張り紙は、ひらひらと頼りなく風にさらされていた。
「病院なんてずっといるもんじゃねぇよ。辛気臭いし、ちょっとした風邪だって流行りやすい」
「あたしがかかると思ってんの?」
サボは動きにくそうに、鼻の頭を掻いた。
とにかく、と教師のようにアンに指を突きつける。
「ずっといなくていい。ルフィが来るし、そうだ、ルフィと交代で来てくれればおれも暇しなくていいや」
あとなんか読むもん買って来て、と体のいい御託で、病院を追い出された。
仕方のないので本屋に寄ってから、自宅に戻った。
本屋の紙袋を腕に引っかけて歩いていると、店のシャッターに寄りかかる人影を見つけた。
なで肩の長身が、アンに気付く。
サボの病室にガープとニューゲートと来た、あの時以来だ。
「目ェ覚ましたってねい」
マルコは薄いジャケットを羽織って、いつもの仕事服ではなかった。
アンが頷くと、よかったなとそっけなく言う。
通用口をくぐらせて、マルコを店のカウンター席に座らせておき、アンは2階へコーヒーを取りに行った。
即席で悪いけど、と差し出したカップを受け取り、マルコは店の中を見渡すように視線を動かした。
「店は、さすがにまだ開かねェのかい」
「サボがいないとね。あたしひとりじゃ何もできないし」
「あいつの怪我はどうだよい」
「順調だって聞いてるけど……」
アンにはそう思えなかった。
痛みに耐えて眠れない姿や、身体が抵抗して頻繁に熱を出す姿のサボを見ているから。
そのたびにどこかアンのお腹の底の方から、ちりっと何かが暴れ出そうとする。
マキノに止められなければ、アンは迷わずティーチを殺していた。
今でもきっと、目の前にあの男が現れたら同じことをするだろう。
それが怖くもあり、そしてそう思うことは間違ってないと自分を勇気づける気持ちもわいてくる。
マルコはじっと、カウンター席からアンを見ていた。
「サッチとイゾウの野郎が」
マルコは店の扉に話しかけるように、横を向いている。
「お前さんのメシを食いたがってるよい」
「あ、イゾウ……あのふたりにも、お礼しなきゃ」
マルコにしては大きな動作で、首を振った。
「んなもん要らねェだろよい。特にイゾウは自分のやらかしたことわかってねェからな。一度どこかにぶちこんだ方がいいかもしれねェ」
「でもあれはルフィが」
あとで聞いた話によると、ルフィを乗せてイゾウはまっすぐ黒ひげのアジトに向かわず、なじみの酒屋にバイクを向かわせた。
ルフィに、目的を訊いていたからだ。
てっきり目的はアンの救出かなんかだと思っていたイゾウに、ルフィが言う。
『アンは自分で逃げてくる。おれはおれたちの証拠を消しに行くんだ』
そういうことなら話が早い、燃やしちまえ。
その一言で、イゾウはバイクの小さな荷入れに入るだけのアルコールを、しかもとびきり度数の高いものをしまいこみ、黒ひげのアジトへ向かった。
なんだか楽しそうなイゾウに釣られ、楽しくなってしまったルフィは二人そろって陽気に酒を撒き、火をつけ、さっさと逃げてきたのだという。
建物を出てイゾウがすぐに消防隊を呼んだため、被害は目的の建物一軒で済んだ。
それだって偶然だ、とマルコは渋い顔をする。
「黒ひげの一件は絡んだ人間が多すぎる。逃げた奴も、ただ被害だけを受けた奴もいる。まだ処理が山ほど残ってる」
アンが盗んだ車の持ち主も、一方的に被害を受けた人の一人だろう。
マルコがついと顔を上げる。
「お前は」
背の高い椅子に腰かけたアンは、応えるようにマルコを見下ろした。
「そうしてカウンターの向こうで、ちょこまか動いてんのが性に合ってんだろうよい」
「ちょこまか……」
マルコは、インスタントコーヒーをやけに旨そうにすする。
眠たそうなその目が気になり始めた頃のことを思い出す。
「お前はもう好きなようにやりゃあいい。おれは」
おれは? 無言で促すと、マルコは肩を揺らして笑った。
「お前さんから飛び込んでくるのを待ってるよい」
ぱちぱちっと鳥のように瞬くアンを見て、マルコがまた笑った。
慌てて言葉をつなげる。
「じ、じいさんになるかもよ」
「いいよい」
「そしたらあたしもおばさんになっちゃう」
「構わねェな」
アンは狼狽え、目の前のカウンターを掴む。
「二度とここからでないかも……!」
マルコは子どもをあしらうように、鼻で笑った。
「そんときは、引きずり出してやるよい」
「さ、さっき待ってるって言った……!」
「おれァ耐え性がねェんだ」
言葉に詰まりアンが押し黙ると、マルコはついに声をあげて笑い出した。
*
知らないうちに季節はあっという間に春を通りこし、夏になっていた。
サボは車いすから松葉杖に変わり、ルフィは高校を卒業した。
サボが動き回るにはまだ不自由があるため、店に客を入れることはできなかった。
だから、カフェではなくデリだけを再開させた。
店内で食べるのではなく、アンの作った惣菜を店頭で売り、客はそれを持ち帰る。
多くの喜んだ顔が見られた。
サボの治療費は、見舞金と言って、警察と行政府の両方から莫大な金が降りた。
これまでエースが窃盗したレプリカの髪飾り、それに値する金額は各被害者に返金されたが、ニューゲートは一言もアンたちに黒ひげから渡された金を返せとは言わなかった。
申し出れば断られることもわかっていたので、残ったそれはありがたく生活費に使わせてもらっている。
その金の一部で買ったバイクはあのとき当然破損し、鉄くずに戻ってしまった。
サボが全快したら、お金を貯めて新しいのを買おうと思う。
しかし今は、ルフィがサボを羨ましがって免許を取りに教習所へ通っている。
免許が取れたら、配達サービスをするのだと意気込んでいる。
「うわっ冷てェー!」
ルフィが歓声を上げる。
海へ来ていた。
朝ごはんの後に誰かが言い出し、慌てて電車に乗ったから、ちょうど昼ごろだ。
ルフィは靴を脱ぎ散らかし、じゃぶじゃぶと蹴散らすように波間を歩いた。
「アンはまだ泳げないのか?」
「だって、卒業してから泳いだことなんてないもん」
サボは茶色い砂の上で、松葉杖にもたれて笑った。
「結局泳げるのはおれだけなのに、おれはこんなんだ」
ギブスに巻かれた足に日差しがかかる。
今日は朝方に雨が降っていた。
けしていい天気とは言えない曇り空だったが、分厚い雲の狭い隙間から差し込む光も、悪くない。
「腹減ってきたなァ」
波を踏みつけながら、ルフィが呟く。
「あ」
ルフィが鼻先を空へ向けた。
つられてアンとサボが顔を上げると、長い飛行機雲が雲の割れ目に沿うように走っていた。
もう飛行機雲に喜ぶような歳ではなくなり、海に来ても歩くしかすることがなく、靴が波にさらわれるのを心配したり。
アンは潮のにおいを浅く吸い込む。
ふと顔を戻すと、ふたりはまだ空を見上げていた。
口をあけて、鼻の穴を膨らませ、同じ顔をしている。
──まずはルフィを突き飛ばした。
顎を大きくのけ反らせ、ルフィは手足を大きく振って後ろへ倒れていく。
サボが目を丸めてルフィを見つめる。
すかさずサボの松葉杖を奪い取り、サボが短く叫びを上げた瞬間その肩を軽く突いた。
バランスを崩したサボは、簡単に背後へ倒れていく。
「えっ」
腕を引かれた。
ルフィ、サボ、アンが重なりながら浅い海の上に倒れ込む。
派手に水しぶきが上がった。
顔が思いっきり水の中に浸かる。
見計らったかのように、3人の頭上に波が被さった。
「ぅえっ、クソ、アンのやつ!」
3人もつれ合いながら身体を起こし、ルフィとサボの反撃はいつのまにか水の掛け合いの応酬になった。
砂まみれになってドロドロのまま電車に乗ったこの日のことを、ずっと覚えていようと思う。
FIN
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