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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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まったく関係のない2話が続きます。


背中にのしかかる重みは命そのままの重みだ。
吹雪く視界は灰色に霞んで、頬にぶち当たる雪にはもう冷たさも感じない。
なのに、背中はうっすらと汗ばんでいる。息が上がる。
しがみつく力をなくし、ゆっくりとずり下がっていくローを揺すりながら背負い直し、足跡すらつかない雪原の丘を登っていった。
なんでこんなところでおれは革靴を履いているんだろうと、雪に埋まる足元を見た。先の尖ったそれはつまさきを締め付け、長い道のりを、それも雪深い山道を歩くには適していなかった。
冷えと全身の痺れのせいで、じうじうと軋むような音が身体の中から響いた。音なんて聞こえるはずがないのに、不思議なもんだと思う。
──いつかこの、永遠のような冬を抜けたら、ローを連れて街に行こう。
こいつにあたらしい服と靴を買って、お気に入りの帽子は修繕に出してやろう。まっさらな格好をして照れながら怒るローを想像すると、知れずと口角が上がる。
ローは力なく頬を預け、目を閉じていた。
──あぁ、早く春は来ねェかなぁ。






あの春の日まで




「君は白鉛病だね」

 しわがれた声がコラソンの足を止めた。ローは咄嗟に黒い羽根のコートに顔をうずめて身を隠した。
背中に回した腕に力がこもり、冷たい汗が首筋を這う。
振り返ると、上品な装いの老人がはるか高くにあるコラソンの顔と、その背中に乗った少年を見上げて目を細めていた。
のどかな町で、広場の中心から吹き上げる噴水の音が牧歌的に響き続けている。

──ばれた。
男を見下ろした数秒の間にいくつかの考えが頭をよぎる。逃げる、無視する、黙らせる──どれも実行できないまま、コラソンは口を開いた。

「──知っているのか」

おい、やめろよコラさん、とローがか細い声で、それでも痛々しく小さく叫ぶ。

「あぁ知っている。私は医者だ。いや、正確には医者だった」
「医者!? じゃあお前白鉛病を」
「治せやしない。それはもう、誰にも治せないんだよ」

ローが耳を塞ぐように帽子のつばを両手でつかんだ。小さな心を打ちのめした現実から自分を守るための、ローの癖だ。
どいつもこいつも、余計なことばかり言いやがる。
ローを支える方と逆の手で老人の胸ぐらをつかみ、枯れ枝のような老人の脚が宙に浮かぶほどまで引き上げた。

「おいジジイ、からかうだけなら余所を当たれ」

サングラスの下から睨みあげても、老人は怯えるでもなくただ息苦しそうに咳をして、「からかってなどいない」といやにはっきりと言った。

「ここでは話しにくい。私の家へ来なさい」
「いやだ、コラさん。もういい、行こう」

ローがコートの襟首を引っ張る。こんなに弱弱しい声を出す奴ではなかった。ガキらしくない低く呻くようなドスを聞かせた声で、斜に構えて人を睨みあげながらしゃべるような奴だった。
こんなふうにか弱い声を出すまで弱らせたのはおれだ。半年以上歩き回って実のない旅を続けるには、ローの心も体もひび割れすぎている。
それでも、だからか、コラソンはすぐさま老人の前から歩き去ることができない。ローが焦れて何度襟首を引っ張っても、怯まず見上げてくる老人を検分するように見つめ返した。
すがらせてくれるなら結構じゃないか。

「何かいい情報でも教えてくれるのか」
「情報……というより、提案がある。何よりその子供は衰弱しておろう。うちで休むといい」

きびすを返した老人の小さな背中を見つめ、ためらったのは最初の一歩だけだった。
コラさん、とローが怒ったようにとげのある声で今度は髪を引っ張り始める。

「まぁいいじゃねェかロー、白鉛病について何かわかるかもしれないぞ」
「信じらんねェ! 見ず知らずのジジイにほいほいついてくなんて、お前本当にドンキホーテファミリーの幹部なんて務まったのかよ! 罠だったらどうすんだよ!」
「そんときゃお前を連れて逃げるさ」
「またドジってひでェことになるのが目に見えてんだよ!!」

ぎゃんぎゃんわめくローをいなしながら確実に老人の後を追う。
コラソンに牙を剥くときのローが一番元気だ。弱りきった身体に血が巡り、目に光が灯り、歯を剥いてコラソンの名前を呼ぶ。
こんなにもいとおしい命はない。



頑丈な作りの塀。巨大な門扉。シンプルでありながら金をかけた匂いのする邸宅に、二人は案内された。
ひさしく座っていないスプリングの効いたやわらかいソファに腰を下ろす。ローは不思議そうに、革張りのそれを撫でていた。
あたたかい紅茶も久しぶりだった。一度目にまるごとカップをひっくり返したコラソンに給仕されたそれは二杯目だ。ローは甘いココアのカップを両手で支えて大事に飲んでいる。

「フレバンスの話は聞いているよ。私は医者として、何もできなかった」

老人が言う。
ローはカップから口を離し、また帽子の縁に手を遣った。

「フレバンスが外から医者を呼ぶことができなかったのは、もちろん進んで行く者がいなかったからだ。ただ、ゼロではない。馬鹿のように自分の中にある善意を信じてフレバンスに赴こうとした医者も少なからずいた」
「あんたもか、じいさん」

老人は答えなかった。

「まさか生き残りがいるとは思わなかったが、既に罹患した者を治療した報告は皆無だ。私に今すぐこの子を治療することはできん」

ただ、と老人は随分高くにあるコラソンの顔を見上げた。

「あんたらは治療法を探して旅していると言った。あてどなく彷徨っているに近い。苛酷すぎる。少なくとも、病んだ子供を連れて行うべきではない」
「そんなこと、コラさんもおれも重々承知してんだよ! 今更あんたにとやかく言われることじゃねェ!」

すかさず牙を剥いたローを静かに見下ろして、老人は小さく「すまない」と言った。
唐突な謝罪に、ローが言葉に詰まって息をのむ音が聞こえた。なだめるように、コラソンはローの帽子に手を置き、軽くその頭を引き寄せた。

「わかってんだ。でも、こいつやおれのいたところは異常だった。たとえ白鉛病じゃなくても、あのままではいられなかった」

老人は手元のカップを口に運び、「そうか」と小さく呟いた。そして一息置いた後、話し始める。

「私は今この家に一人でね」

ぐるりと家の中を見渡す老人の視線に釣られ、コラソンも顔を上げた。
整った調度品。質のいい家具と掃除の行き届いた室内は一人暮らしの老人らしくはない。だれか手伝う者を雇っているのだろう。

「妻に先立たれて仕事をやめてからも、細々と白鉛病の研究を続けていた。もはや症例が存在しないと思われている病だ。研究に学術的な価値はあっても実践的な価値は今現在見いだせない。少なくとも、それが共通見解だ」

生きた症例とも言えるローに、老人が目線を据える。ローは珍しく狼狽えるように、コラソンに身を寄せた。

「君を助けたい」

老人が吐き出すように言う。重たく、どしんと真正面からぶつかるようにローに、そしてコラソンに響いた。少なくともこの旅で初めて出会った、味方だった。

「治療法はわからない。この先見つかるかもわからない。しかし見つけたいと思う。少なくとも、君が大人になるまでの命を繋げるように」

ローが戸惑った顔で見上げてくるのがわかった。それでもコラソンは、その目を見つめ返すことができなかった。気付きながら、受け止め損ねた。老人が次に何を言うのかわかっていた。

「この子を私のところに置いていかないか」

「あ」とも「な」ともつかない小さな声をローはあげた。
人ごみの中で子供が母親を見失わないようにそのスカートの裾をぎゅっと握りしめる。そんな仕草で、ローはコラソンの太腿のあたりの生地を握った。
そのあとに続いた老人のさまざまな言葉は、コラソンの頭に物理的な痺れだけを与えて胸には届かなかった。
ただ、ローを手放すか手放さないか。そのことだけがぐるぐると頭を巡っては取り留めなく霧散して、しばらくするとまた集まって頭をぐるぐる回り始める。そんな感覚が熱を伴ってぼんやりとコラソンの頭を占めた。
 もしコラソンがローを老人に預けたら、ということを老人は丁寧に説明した。その喋り口調は信頼できる気がしたし、会って数時間の男の話をこんなふうに聞いていること自体がやっぱり間違っているような気もした。

「どうする」

 黙って話を聞くばかりだったコラソンに、老人が返事を促した。ローが服を握る力がぎゅっと強くなる。
 いやだとも、ふざけんなとも、ローは言わなかった。ただ不安げに、呆けたように黙りこくるコラソンを睨みつけながら、コラソンの言葉を待っていた。試されているのだとわかった。

「──考えさせてくれ」

 結局言えたのはこんなことで、老人はわかっていたかのように頷いた。




老人の屋敷を出ると、ローは堰を切ったように喚き始めた。

「なんだよあの態度は! 真面目な顔しやがって、『考えさせてくれ』だぁ!? 何を考えるってんだよ!」
「そ、そんな怒んなよ」
「煮え切らねェコラさんが一番腹立つんだよ! お前まさかおれをあんなジジイにおっつけようなんてつもりじゃねェだろうな」
「ち、」

ちがう、と言い切るより早く、何もない平らな地面に蹴つまずいて派手に転んだ。したたかにケツを打つ。
まったく、と言いながらローは小さな両手でコラソンの手を引っ張り上げた。

「すまん」
「そうやってドジばっかやってるくせに、妙なこと考えるんじゃねぇよ」

立ち上がってケツの砂埃を払う。ローは偉そうに腕を組んで、その顔を睨みあげた。

「もう出ようぜ、こんな街」
「待て待て、もう夕方だし、さっきのじいさんがせっかく泊めてくれるって言ってんだ。今夜はここに泊まろう」

老人は宿を持たない二人に、快く部屋を一室貸してくれると申し出た。
しかしローは依然として首を縦に振らない。

「いやだ! コラさんが変な気起こす前にさっさと街を出るんだ」
「次の街に着く前に夜になっちまう」
「そしたらいつもみたいに野宿すりゃいいだろ」
「馬鹿野郎、お前が」

お前がもう、野宿に耐えられる身体じゃないだろう。
言いかけて飲み込んだ。
一言でも自分の口が飛び出しかけたことが、とてつもなく哀しかった。

黙り込んだコラソンの顔を覗き込み、ローは「おれは絶対あんなところに泊まらないからな」とそっぽを向いた。
その小さな動きで、不意にローがよろめく。

「おい!」

慌てて受け止めると、ローは力なくコラソンの腕に寄りかかり、小さく「ちくしょう」と呻いた。

「馬鹿野郎、騒ぐからだ」

ローの身体から、何か大切なものが抜けていく。穴の空いた袋から空気が漏れていくように、かすかな音を立ててしぼんでいく。その穴は塞いでも塞いでも新しい穴が次から次に空いて、生かそうともがくコラソンを鼻で笑うようにローの何かを損なおうとしていた。

そっとローを抱き上げ、両手に抱えこむ。
随分と軽くなった。
ローを揺すればカラカラと乾いた音が鳴りそうで、そんな実感にぎゅっと胸が詰まる。喉と鼻に塩辛さが押し寄せ、コラソンは慌ててそれを飲み込んだ。
ぐったりと身体を預け、静かに息をするローをなるべく動かさないように、コラソンは老人の屋敷へと踵を返した。




ふくらみたてのパンのようにやわらかく盛り上がったベッドは、横たわるとどこまでも沈んでいった。
頬に触れる生地はなめらかで、さっぱりと乾いているのにひやりと冷たく、肌に心地いい。
老人が与えてくれてた寝室はその家具のどれもが上等に見える。ローの傷んだ身体を癒すには最適じゃないかと、やすらかに眠るローの額を撫でてコラソンは息をついた。

老人はローとコラソンに角部屋に静かな一室を与え、夕食の準備までしてくれた。温かいものを腹に入れて落ち着いたのか、ローは食事中からうとうとと微睡み、食事を終えるとどこかへ落ちていくように眠った。
白くまだらに染まったその手は、眠る子供のそれとは思えないほど冷たい。
ローがどこか、コラソンの手の届かないところに行こうとしている。それも追いつかないほどの速さで。

──それならいっそ、ここでゆっくりと暮らしながら少しでも延命する方法を探した方がローにとっていいんじゃないのか。
思えば思うほど、それよりほかにない気がして、いてもたってもいられなくなった。

そうだ、今すぐローを置いて出ていこう。
コラソンが悩む素振りをすればするほど、ローはふざけんなと怒るに決まっている。
そう、ローは怒るだろう。
おれを置いていくのかコラさんと、コラソンをなじるだろう。

それでもいい。
ローが少しでも長く生き延びて、自分の意志で生きられたらそれで。

善は急げだ、とコラソンは慌てて自分に触れる。
『凪』は全てを吸い込んで、コラソンの衣擦れの音さえ消した。

革靴に足を滑り込ませ、コートを羽織る。
荷物は──ローを背負う以外に、持っているものなんてなかった。
支度を終えると、コラソンは音も立てず扉を開け、そそくさと部屋の外に抜け出した。
ローが眠るベッドの方を振り向くことはできなかった。
ただ、諦めずに生きてくれよと、願うしかない。


静まり返った屋敷を抜け出すのは、造作もなかった。
あっけなく屋敷の門をくぐり、造りの立派なそれを一度だけ振り仰ぐ。
城のようだな、と思う。
幼いころのかすかな記憶がチリッと焼けるように脳裏に浮かんだ。

夜の街は静まり返っていたが、どこかに繁華街があるのだろう。遠くの方からざわめきが届く。
灰色の石畳を照らす街灯の光に沿って、あてどなく足を進めた。

どこへ行こうなあ、とたいして考えるつもりもなくぼんやりと思った。
もう兄の元へは帰れない。
いずれ海軍に戻るとしても、まずは本部と連絡を取ってルートを確認する必要がある。
その間、自分は何もすることがないのだと改めて気付いた。
ローの病気を治すという目的を失って、今こそ自分は自由なのかもしれない。

自由って、案外つまらないものだ。
おもむろにえりあしを引っ張る小さな手の感触もなければ、気に入らないと渾身の力で背中を蹴り上げてくることもない。
寝落ちたローの体温で暖まって背中が汗ばむこともないし、ローの帽子が風で飛ぶ心配をすることもないのだ。
本当に、これを自由というのだろうか。

じゃあローは、温かい飯を毎日食べてふかふかの布団でやすらかに眠って、あのじいさんにフラスコの中で育つ小さな芽みたいに大事にされたなら、たとえ長く生きたとしてもそれがローの望んだことだと。
おれは本気で思っているのだろうか。

ちがう、ちがう。

コラソンが歩みを止めると、街灯に照らされて長く伸びた影がぶれるように揺れた。

ちがう、きっとちがう。ローが望んでいるのは、おれがローに望んでいるのはそんなことじゃない。
ただ毎日一緒に繰り返す日々が明日も保証されていること。
たとえどんなに平凡でも、逆にどんなに荒れ狂った危険が伴っても、明日も一緒にいると言う当たり前がそこにあること。
おれたちが望んでいた自由は、そういうことだったはずだ。

思い立って屋敷を出たときと同じ性急さで、コラソンはすぐさま踵を返した。

「うおっ」
「ぎゃっ」

脛のあたりにどん、と柔らかい何かがぶつかる。ぶつかった何かは小さく叫び、跳ね返って尻もちをついた。

「ロ、ロー」
「馬鹿だなコラさん。『凪』だからって、周りの音まで聞こえねェのかよ」

いつもの帽子を深くかぶり、コートの代わりにシーツをぐるりと身体に巻きつけたローは両手を突っ張るようにして、自力で立ち上がった。

「い……いつからそこに」
「ずっと跡をつけてたんだよ。本当にコラさんは、ファミリーの幹部だったとは思えねェ気の抜けようだな」

呆れた息をついて、ローはいつものように腕を組む。吐く息は白い。

「急に立ち止まるから何かと思ったら、また急に振り返るんだ。びっくりするだろうが」
「そ……うか、びっくりしたか」
「うるせぇよ」

未だ状況が飲みこめずぼやっと立ち尽くすコラソンの脛を、ぺちんとローの手がはたく。

「おれを置いてこうとしやがって。馬鹿コラソン」
「す、すまん」
「ゆるさねェ。あんなジジイとなんか暮らすもんか」

ローがコラソンの足をよじ登ろうとしたので、いつものようにその身体を背中に乗せる。一連の動作が身体に染みついていた。
いつもの場所に収まって落ち着いたのか、ローの身体がすとんと重みを増した気がする。

「さあ行くぞ」

ロボットを操縦するコックピットに座ったように、ローはコラソンの襟足を握った。

「行くってどこに」
「コラさんやっぱりおれを迎えに行こうと思って、戻ろうとしたんだろ。でもおれから来てやったんだ。先へ行くんだよ」

さき、とコラソンは呟いた。
ローの冷たい頬が、コラソンの後ろ首に触れる。
その温度に刺激されるように、コラソンは歩き始めた。

「で、でもよロー。こんな夜更けに歩きはじめたら、今晩は確実に野宿だぞ」
「寝なきゃいいじゃねェか。おれはここで寝るけど」
「おまっ、ずるいやつだな!」

ローは小さく笑った。ひきつったしゃっくりのような下手くそな笑い方だった。

「寝る場所だとか、身体に障るだとか、そんなこと今更どうだっていいんだ」
「──そうか。そうだな」

よくはない。野宿は間違いなくローの身体に響くだろう。コラソンの背中で揺られながら眠ることも、冷たい夜風に頬をなぶられることも。
ただ、離れることよりは確実にマシだと思えた。

暗闇に沈んだ商店街のような通りを抜け、住宅の立ち並ぶ郊外へと足を進める。
ローとコラソンの吐く白い息が、短い軌道を描いた。

「──寒いな」
「まぁな」
「春島の春とかに行きたいなあ」
「フレバンスはずっと春みたいな陽気だった」
「いいところだったんだな」

うん、とローが頷いた。

「いつか春になったらよ、ロー。あったかい街で風船買ってアイスでも食おうぜ」
「風船なんていらねぇよ」
「そんで買い物するんだ。お前の着古した服と履きつぶした靴、新しいの買ってやる」
「コラさんもそのだせぇシャツ変えたら」
「うるせぇな!」

ひとしきり言い合ったのち口を閉ざすと、途端に夜の静寂が広がる。
とてつもなく静かで、もの悲しく、暗くて深い夜にのみこまれないようコラソンは必死で足を動かした。
どこかにあるはずの、ふたりの春の日まで。

「──楽しみだな」

ローは白い息をひとつ吐いて、「そうだな」と小さくこたえた。



fin.




************




おれの忠実なクルーたち。
死んだ人間と話をしたことがあるか。
おれはある。お前たちと離れているあいだ、ある男の船に乗っているときに。
正確には、『死んだことのある人間』だ。
そいつは、アフロで、女のパンツが好きだった。






最期の最期の最期まで





麦わらの一味の船は、ガイコツの奏でるバイオリンソロの音色で朝が始まる。
バイオリンと言えどその琴線が弾きだす音はけたたましく、一瞬で目が覚めた。驚いて顔の上の帽子を取り落したほどだ。

「うるせェな!」
「おやっ、ローさんお目覚めですか! おはようございます、相変わらずすごいクマ!」

ヨホホホホホ、と奇天烈な笑い声をバイオリンの音にからませながら、細身の身体はするすると船中を駆け巡って音楽を響かせ続ける。
毎日、毎日。

「どうにかならねぇのか、アイツのやかましさは」
「あら、ルフィよりましでしょ」

ナミが答えたそばから、船室の中、具体的にはキッチンの方からドシャーンとある程度の硬さを持ったいろんなものがこんがらかりながら床にぶちまけられる音があられもなく響いた。
すぐさま、サンジの怒声とそれにかぶさるルフィの笑い声が追いかける。

「ね」

何が「ね」だ。そろいもそろってやかましいだけじゃねぇか。
ノラ猫のようにふいっと顔を背けて立ち去るローの背中に、ナミが声をかける。

「静かな場所に避難するなら、アクアリウムバーがおすすめよ」

振り返ると、ウインクと共に指差された地下への階段。従うのは癇に障るが、いつか聞いた船の中の水槽というのも興味がある。
しかめ面を崩さないまま、しかし素直に階段を降りた。







「──静かに過ごせると聞いて来たんだが」
「ヨホホホホ奇遇! これまた奇遇ですね! ようこそショータイムへ! 何から行きます? ピアノ協奏曲? バイオリン交響曲? それかアカペラなんてのも」

次から次へとどこからともなく楽器を取り出すガイコツに眩暈すら感じて、思わず近くにあったソファへ座り込んだ。
薄青く染まった部屋は暗がりの中どこまでも広がっている気がして、ブルックの明るい声が遠くへと広がっていくように聞こえる。
あいかわらずヨホホ、ヨホホと笑い続けるガイコツに辟易として、ため息をふきだしながら顔を上げた。
その頭の後ろを、巨大な魚が一匹ゆったりと水中を横切った。

「こりゃあ、すげぇな」

思わず上げた声に、ブルックが動きを止める。
手にしていたバイオリンを、指の骨がポロンとひとつはじいた。

「ローさんは、静かな場所がお好きですか」
「──というより、うるせぇのは気に障る」
「無音というのもまた、寂しいものですよ」

そんな場所、地球上にはないかもしれませんが、とブルックはまたバイオリンをひとつはじく。

「いや、ある」
「え」
「ガキの頃、音のない空間を作り出せる人がいた」

ブルックの真っ黒な眼窩が、興味深そうに光った気がした。案外ホネでも表情はわかるもんだな、とローはその顔をまじまじと見た。

「悪魔の実、の能力者ですか」
「ああ」
「なんという」
「ナギナギの実」

ああ、凪、とブルックは呟いて、水槽を見上げた。
つられて水槽に目を遣ると、今度は小魚が群れを成して泳いでゆき、鱗が反射させた光で床がゆらめく。

「音楽家殺しの能力です」
「かもな」
「その人は?」

水槽からブルックに視線を戻す。
青白く照らされたホネの顔は、全部を知ったうえで聞いているように見えた。
口を開き、また閉じて、思いがけず答えあぐねる。
数秒間をおいて、「死んだ」と答えた。

「そうですか」

ところで、とブルックはバイオリンをおろし、ローの顔を覗き込んだ。

「問わず語りで恐縮ですが、私は一度目の人生を別の船で過ごしました」

もう50年以上前のことです、とブルックがおもむろに隣に腰を下ろした。
ローとの間に、人ひとり座れるより少し狭いくらい。男同士が隣り合うには少し近すぎる気もするが、このままの声音で離すにはちょうどいい。

「命を預けた人がいました。その船の船長です。それまでの人生の大半を彼と過ごした」

嵐が来て、宴を開き、敵襲もあればお宝にありつくこともあった。
歌が好きで、クルーの多くが楽器を奏でることができ、船はずっとずっと歌っていた。

「船長が船を去っても、私たちは歌うことをやめなかった」
「──死んだのか」
「いいえ。船を降りたのです」

ブルックの顔は、座ってもなおローよりずっと高いところにある。見上げるのが億劫で、水槽の作りだす淡い影を見ていた。

「病気でした。グランドラインを旅しながら治療を続けるにはあまりに過酷で、無謀と知りながら彼はグランドラインからの脱出を試みました」

離れてからの彼の行方も、生死もわからない。無事グランドラインを抜けることができたのか、そして病を治すことができたのか。はたまた、船を離れてすぐに海の底へと沈んだのか。

「海賊で、しかも船長です。冒険も半ばに、自らの船を離れることは死ぬより辛い。私も、彼を見送るとき、これは死ぬより辛いと思った。
──しかしいざ自分が死んで、ちがうとわかった」

アフロの影が、ゆっくりと動く。
なぜ自分はこんな話にまともに耳を傾けているのか、思考にぼんやりともやがかかったようになって考えられない。
アクアリウムバーが作り出す景色と、音のせいだ。そう決めつけてローは黙って続きを促した。

「肉のついていた私の身体から血が吹き出し、袋から破れたように魂が抜けていくのがわかります。ピアノの鍵盤をたたく力がなくなり、手を上げることもできず、まっすぐ椅子に座り続けることもできなくて私は倒れました」

ああ、死んでいく。そう思ったとき、はたとわかった。

「私の命が、この世からすぅっと離れていくと同時に、私が彼から、ヨーキ船長から、すぅっと遠ざかろうとしている感覚があった。そのときにわかったのです。彼は生きている。生きている彼の命から、私が離れていこうとしている。うれしくて、うれしくて──こんなにも辛いことはありません」

ブルックが立ち上がった。あまりの唐突さに目を剥いて、その背中を見上げる。ソファはきしみもしなかった。

「死ぬまでわかりませんよ。あなたが本当に死ぬときまで」

ブルックは長い足を軽やかに動かして、アクアリウムバーの中心にある太い柱をぐるりと廻ったカウンターに近づくと、柱に組み込まれた小さなドアのようなものを開けた。

「サンジさんからの差し入れです」

取り出したのは、こぶりのトレンチに乗ったティーカップ。湯気を立てていた。

「──からくり屋敷みてェだな。この船は」
「フランキーさんの力作だそうです」

温かい紅茶がなみなみと注がれたカップを受け取って、自分の手指が驚くほど冷えていることに気付いた。







何度も死にかけた。
意識が遠のくたびにあの船の奇妙なガイコツの言葉を思い出し、なにかがやってくるのを期待する。
そしてそのたびに、歯が軋むほど食いしばって涙をこらえた。
ああ、ほんとうの、ほんとうに、死んじまったんだなコラさん。

死のうとしている自分が生きたコラさんから離れていく感覚はちっとも訪れず、ただ痛みとぼんやりとした痺れを残して意識を手放す。
そして目を覚まして、あまりの安堵にえづくのだ。

まだだ、おれはまだ死なない。
だから、まだわからない。
おれが生きている限り、コラさんが生きている可能性はどこかにある。
最期の最期の最期まで、おれは諦めない。


fin.

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白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



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