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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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2016年の冬コミで、konohaさんスペースにて配っていただいた
サンナミ無配ペーパーをUSBの中から発掘したので、
再録します。

せっかくなので画像ファイルのまま、表紙も。

雰囲気で楽しんでいただけると嬉しいです。



拍手[8回]

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※Twitterで栗さん(@_iga_guri_)が呟かれていた
 「【現パロ】6畳一間和室のワンルームに住んでる貧乏大学生ナミさんの部屋に入り浸る財閥の御曹司(元)のサンジ 」
 のネタとイラストに触発されたサンナミ現パロです。書きたいところだけ書きました。
 (栗さんから許可を頂いています)

がっつりR-18です。

















なにか欲しいものある? と聞かれたので、「お金」と端的に答えたら、サンジくんは聞き違えたか冗談だと思ったらしく、「うんー?」と気のない声で聞き返してきた。聞き返しながら、私のむき出しになった足の付根を何度も押すように触ってくる。気が散ったが、「やめて」というのも面倒で好きにさせておいた。

「なに? お金?」
「うん」
「そうな、お金な」

いいよな、と何がいいのか私に同調するふりをして、サンジくんは執拗に私の太ももを触り続ける。暑くて、扇風機をつけようと手を伸ばすが、毛羽立ったラグマットの上にある扇風機のボタンに手が届くより早くサンジくんは私の腰を抱きかかえたまま肩で私を押し倒した。

「ちょっと」
「ううん、ナミさん全身すべすべ」
「もう、暑いの。ひっつかないで」
「ナミさんおれ18時から仕事だもん。あと1時間だから、もう一回」

腰に巻き付いていた両腕が、するすると体を撫でるように動き始める。そのたびに汗でぺたりと肌と肌が吸い付く。触れると濡れたようにひんやりとしているのに、その奥にある生きた熱がじわっと肌を汗ばませる。唯一まとっていた下着を指先で抜き取って、サンジくんは私の鎖骨に溜まった汗を嬉しそうに舐めた。
汗で濡れた手が私の脚を持ち上げるが、滑って二回ほど取り落とす。六畳一間の畳の上に、無理やり置いた一組で5400円だったマットレスベッドは、汗なのかなんなのかわからない湿気をたっぷりと含んでいて、とても心地良いとはいえなかった。

「ナミさん、首、持って」

サンジくんが私の手を取って、自分の首に巻き付かせる。暑さと下腹に迫る欲求の波で朦朧としながら、言われるがまま腕を伸ばしてサンジくんの頭をかき抱くようにして体を持ち上げた。
力強い手が私の腰を支えて、打ち据えられる。
金色の髪の先で揺れていた汗が、飛沫になって顔にかかった。
肩越しに窓が見える。壁にかけた時計の針が一つ動く。
お腹の中で熱い何かが喜びに打ち震えるみたいに、小刻みに収縮していた。



大学に行くと、掲示板に学生番号が張り出されていた。げ、という顔をしたら隣でビビが「これナミさんの番号?」と目ざとく気づいてしまう。

「そう、多分」
「多分も何も」

掲示された紙には、番号とともにいついつまでに学生課に来るようにと丁寧かつ有無を言わさぬ調子で書かれていた。私の他にも、3つ4つ学生番号が書いてある。

「行かなきゃ」

当然のようにビビが言う。そうね、と適当に相槌を打つ。確かに行かなければ、やがて電話がかかってくるだろう。それすら出ないでいたら、きっと緊急連絡先にしているノジコの携帯に電話がかかるに違いない。そんなことになったら、ノジコに怒られてしまう。

「なんでしょうね」
「なんでしょうね」

ビビの言い方を真似て言ってみるが、要件なんてわかりきっている。学費の件だ。
滞納はしていない。けれど、支払いは滞っている。どう違うのかと言うと、他の学生みたいに半年分をどーんと収めることができないので、月割で学費を入れているのだが、毎月の自動振込ができないとこうして呼び出しがあるのだ。自動で振り込まれないのは、もちろん口座にお金が足りないからで、月末までにはお願いしますね、と学生課で念を押されることになる。

「はあ、バイト行かなきゃ」
「学生課いいの?」
「バイトのあと5限あるから、そのときに行くわ」
「ナミさん、授業の間にバイト入れてたの?」
「最近ね、始めたの」

だって水曜日は、1限の次が5,6限という間延びした時間割を避けることができなかった。春の間は、課題をしたり友だちと過ごすことで時間をやり過ごしていたが、やっぱりそのぽかりと空いた時間が惜しくてバイトを入れることにした。
大学近くのケーキ屋さんだ。小さな店構えのかわいらしい店で、間口は狭いが中は広く、ケーキも種類が多くておいしい。気に入ってときどき訪れていたら、バイト募集の張り紙があったのでこれはと店先で応募したのだった。
店に入って右側は、2つ3つテーブル席がおいてあり、そこでケーキと紅茶を楽しむことができた。もとは、紅茶のリーフ専門店だったらしい。
異様に背が高くて陽気なアフロの店主は、開店後も開店中も開店後も、暇さえあれば客席で紅茶を飲んでいる。
ケーキもそのアフロ店主が作っているのかと思いきや、ケーキは隣のレストランから卸されてくる。レストランにはケーキのショーケースを置くスペースがないから、懇意にしている隣の紅茶屋を間借りしている形になるらしい。間借りと言っても売るのは紅茶屋の方なので、販売形態としてはレストランはケーキの卸売をしていることになる。
その、レストランのシェフがサンジくんだった。
初めて会ったのはひと月前にバイトを始め、3回目のシフトの日。給食を彷彿とさせる大きなプラケースを慎重に運ぶ若い男と、店の出入り口でばったり鉢合わせた。

「あ、ナミさんその方、隣のレストランの職人さんです」

アフロ店主ブルックが、音を立てて紅茶をすすりながら言う。ぺこんと彼に頭を下げて、さっさとその横を通り過ぎバイト服に着替えに奥へ引っ込んだ。
店に戻ると男は消えていたので、気にもしていなかったのだが、バイトが終わって夕方店を出ると、隣のレストランから彼は飛び出してきたのだった。

「ナミさん?」

声をかけられて、驚いて振り返る。男はにへらっと笑い、コックコートについたソースのシミを払うように服をはたきながら「ブルックに、聞いて」と遠慮がちに口を開いた。

「ああ、おつかれさまです」
「おつかれさま、あの、今帰り?」
「うん、今から大学の授業だから」
「えっ、今から?」

そう、とうなずくと、何故か男はぱあっと顔を明るくさせた。
準備していたのか、コックコートのポケットからすばやく何かを取り出して私の方に手を突き出す。

「おれ、夜まで店の営業あんだけど、よかったら授業終わったあと飯食いに来ねえ? 終わったら、連絡してもらえると」

私は彼が差し出した手の先に握られた紙切れを見下ろして、再び顔をあげる。
男はにへら笑いを崩さないまま、根気よく紙切れを差し出し続けている。

「授業終わるの、8時半とかだけど」
「全然いい、ちょうどいい。それくらいのほうが」
「……あなたのお店、すごく高そうだけど」
「まさか、お代なんていらねぇよ」

男は驚いたように手をぶんぶん振って、「出会った記念に」と意味のわからないことを口にした。

「ごちそうしてくれるの?」
「もちろん!」

でもなんで、とは聞かなかった。「わかった」と私はいい、紙切れは受け取らないまま「じゃあ」と踵を返す。
あっと彼は声を上げ、「待って、これ」と私を呼び止める。
相変わらず紙切れを突き出しているのかと思えば、私の前に半身を乗り出してきた彼が差し出したのは小さな茶色の紙袋だった。古紙の乾いたいい匂いと混じって、香ばしいバター生地の焼ける匂いがする。

「授業終わるまで腹減るだろうから、それまでのつなぎによかったら食って」

キッシュ、と言って、男は半ば強引に私の手に紙袋をもたせた。あまりの良い匂いに、私も受け取ってしまう。
男は私が受け取ったのにほっとしたように相好を崩した。一重の少し垂れた目が、すっと細く笑った。

「じゃあ、おれも仕事だから」

待ってる、と言って男は後ずさり、ぶんぶんと手を振った。
私はぽかんとしたまま、いい匂いの紙袋を待って、大学へと戻った。
講義室で、講義が始まる前に紙袋を開けてみると、とたんに濃い卵とバターの香りが広がって、周りに座った学生たちが振り返るほどだ。
形のいい三角のそれをかじると、まだほのかにあたたかく、ドライトマトのすっぱいところとベーコンのしょっぱいところがとても美味しかった。
そして私はのこのこと、講義の後に彼のレストランに向かった。なぜかもう何も考えることなく、大学を出た脚はそっちの方向へ進んだのだ。
上品な内装の店内に気圧されて、びくびくしながら足を踏み入れた私を、厨房から飛び出してきた彼は大喜びで出迎えて、まるで私が来ることを疑いもしなかったみたいに用意された席に案内してもらった。

「キッシュ食ったし、もう9時だからお腹に優しいもんがいいかなと思ったんだけど、どう?」
「おまかせする」

よっしゃと彼は大きくうなずいて厨房に戻った。
カチャカチャとカトラリーが小さくぶつかる音が響く店内に、私はぽつんと残される。心細い気持ちを抑え込むように、気丈に顔を上げて彼が戻ってくるのを待った。
「失礼いたします」と言って向かいに立ったウェイターが、水のボトルを二種類抱えて、赤と青それぞれのラベルを私に見せる。
遠い国の南の地方で取れたまろやかで飲みやすい軟水、スパークリングとノンスパークリングどちらがよいか訊かれた。
あっけにとられて二種類のボトルを見上げる私を、ウェイターは根気よく待っている。あわてて「じゃあ、普通の方で」と青いラベルを指さした。
口の大きな薄いグラスに、たっぷり水が注がれる。
ウェイターが去ったあと、恐る恐る水を口に運んでみたが、朝起き抜けに飲む水道水との違いはいまいちわからなかった。

「おまたせ~」

今日会ったばかりの男が皿を持って姿を見せると、なぜかホッとした。
男は私の目の前に、ほこほこ湯気を立てるリゾットと小さなサラダを置いた。

「海の幸のリゾット。口に合うといいんだけど」
「い、ただきます」

もう、口に含む前から絶対美味しいとわかっていた。だって立ち上る湯気が、そこに含まれる塩気と海鮮の香りが、私の胃をぎゅっとひねるみたいに刺激してくるのだ。
そしてやっぱり当然のようにおいしい。

「おいしい……!」

男は、私がキッシュの紙袋を受け取ったときの数倍嬉しそうに顔をほころばせた。よかった、と小さくつぶやく。

「今更だけど、あんたが作ったの?」
「うん。得意なんだ。海鮮」
「すごい、すごいのね」

男は照れたように鼻を鳴らして笑うと、「楽しんで」と言って一歩下がった。

「あ」

思わず声を上げた私を見下ろし、男が「なにか」というように見つめてくる。
続く言葉が見つからず、スプーンを持つ手をぎゅっとにぎる。
こんな格式高そうなレストランの、広いフロアに一人取り残されるのが不安だったのだ。
洗いざらしたジーンズとリブTシャツの私は、きっとこの店の中でとんでもなく異端だろうと思えたから。
なんてことを言えるわけもなく、私は「何でもない」と言ってふたたびリゾットを口に運ぶ。
男は少しの間私を見つめていたが、「ごめんね、おれ戻らねぇと」と言ってにこりと笑って厨房に戻っていった。
9時をまわり人も少ない店内だが、席に座るお客さんたちはみんな一様にしあわせそうに見えた。
私も、水を飲んでいたときに感じた心もとなさが、リゾットを口に含むたびにあたたかく喉を通るうまみによっていつしかわからなくなっていた。

リゾットとサラダを食べ終わったとき、男は戻ってきた。が、さっきと違いコックコートを着ていない。着替えてきたのか、私服だ。

「もう帰る?」
「うん。ごちそうさま。すごい美味しかった。本当にお代いいの?」今更払えと言われても困るけど。
「いいのいいの。おれも帰るからさ、よかったら送らせて」
「え、でも」

まだ閉店前のようだし、お客さんは残っている。気にして見ないとわからないが、厨房のほうがどこか殺気立っている気がしなくもない。
「いいのいいの」と彼は繰り返し、立ち上がった私の椅子をさっと引いてくれる。

「行こう」

男はサンジと名乗った。生ぬるい風が吹く夜道を歩きながら、男は、サンジくんは歩幅を合わせて隣を歩く。
聞けば、歳は一つ上だった。家は、あのレストランの2階。

「えーと、ナミさんちは」
「ここから15分位歩いたところ」
「いつも歩いて通ってんの? 危なくない?」
「夜にバイト入ったときは、駅からバスに乗るから。遅い時間に授業があるのは水曜だけだし」

ふーん、とサンジくんはなにか言いたげに、でも何を言うでもなく相槌を打った。

突然、私達の目の前を大きな野良猫が横切る。わっと彼が声を上げた。私も驚いたが、息を呑むだけで野良猫が私達の目の前を悠然と闊歩するのを思わず目で追ってしまう。
猫は植え込みの隙間にするりとその大きな体を滑り込ませて消えた。

「すげ、太ってたね」
「うん、デブ猫だったわね」

あははと彼が笑う。そのついでみたいに私の手を取った。そのままなんでもないみたいに歩き始める。
しばらく歩いて、突然彼が「どうしよう」と言う。

「どこまで送ろう。おれのポリシーに則って、君のいいっていうところまで送ろうと思うんだけど」
「え、別にどこまででも」

そうなの? というようにサンジくんは目を丸くした。

「じゃ、家の前まで送っていい?」
「いいわよ。家の周り暗いし、私はありがたい」

でも、そうね、と言葉をつなぐ。サンジくんは「なになに?」と楽しげに聞き返す。

「あんたびっくりするかも」
「びっくり? 何に?」
「見たらわかるわ」

言葉のとおり、サンジくんは私の家の前で立ち止まったとき、しばらく驚いたみたいに家の全貌を眺めていた。
小さな2階建てのボロアパートは、風が吹くだけでぎいと鳴く。

「じゃ、送ってくれてありがとう。ごはんも、おいしかった」
「うん、あ、えーと、ナミさん」

サンジくんは、ボロアパートから私に目を転じ、握った手を離さないまま少し言いよどむ。そして、意を決したように口を開いた。

「また会いたい」

サンジくんの顔を見上げると、まるで負けじとばかりに見つめ返してくる。
お腹の中でまだやさしく残っているリゾットの存在を感じ、そうねえ、と私は考える。考えているようで、あんまり頭は働いていなかった。
なんとなく、私もまた会えたらなと思っている。
それは、まだ一緒にいたいな、という気持ちにも似ていた。
だから私は、「じゃあ」と口を開いてボロアパートの二階、私の部屋の方を指さした。

「寄ってく?」

え、とサンジくんが私の指さしたほうを見やり、私に視線を戻し、またアパートの方をちらっと見て、ごくんとのどを動かした。
しばらく迷うみたいに口元を蠢かせて、やがて口を開く。

「いいなら」
「いいわよ」

私が背を向けてアパートに歩きだすと、彼の革靴がこつこつと後ろをついてくる音が聞こえた。
弁解するようにサンジくんは、「あの、ごめん、おれハナからそういうつもりだったわけでは」と私の襟足あたりにつぶやいている。
知ってる知ってる、といいながら鍵を開け、「狭くてごめんね」と彼を招き入れた。
玄関を照らす小さな灯りをぱちんとつけて、「鍵とチェーン締めて」と言おうと背後に立った彼の方に首を向けると、思いもよらない近さで彼は立っている。狭いのだから仕方がないが、息もかかるようなその距離に少し驚き、でもサンジくんが視線を外さないことに少しずつ気持ちが落ち着いていく。
そっと、子供の顔を優しく覗き込むみたいに、サンジくんが腰をかがめて私の唇に唇で触れた。
男の子の唇は、私のものより柔らかいような気がする。リップやグロスで見た目の質感をつくろった女の子のそれより、なんというか素材のままと言った感じで、いうなれば生々しい。
私の唇を挟んでいただけだったのが、やがておずおずと動き、濡れた舌が唇をなめ、口の中にぬるりと入り込んでくる。
彼の腕に触れると、いままでどこにあったのか、どこからともなくやってきた両手が私の腰をそっと掴んだ。
背中を服の上から這い上がる手が私を引き寄せるように抱きしめて、同時にキスが深く奥へ進もうとするので腰がぎゅっとしなる。
一度唇が音を立てて離れると、サンジくんは鼻先を触れ合わせたまま「やべ、うまいねナミさん」とつぶやいた。
上手いねなのか美味いねなのかわからないまま、私達は今度は息を合わせるみたいに呼吸して、深く唇を重ねた。
絡まり合うように抱き合ったまま靴を脱ぎ、どたどたとした足取りで玄関の明かりだけが照らす狭い廊下を奥へ進み、すぐそこにあるマットレスに崩れ落ちるみたいに倒れ込む。
キスは性急に、吸ったり舐めたり飲んだり忙しいのに、私の服を脱がす手付きは妙に緩慢で、襟元の狭いTシャツからすぽんと頭を出したときにはいつのまにか彼のほうも上の服を脱ぎ去っている。
サンジくんは私の上にまたがったまま、両手で私のお腹を掴むようにして、「綺麗だね」と言った。
お腹を撫でて、胸の上に手をおいて、そっと掴む。その手が動くたびに、じわじわと下腹部に水が溜まる。
長い指が鎖骨を撫でて、背中に回り、私を抱き起こすと、私の肩に顎を置いてゆっくりと下着の金具を外した。

「ここ、噛んでいい?」

サンジくんが、私の下着を取り去って、ちょうど肩紐があったあたりを唇でなぞる。

「噛むの?」
「痛くしないから」

返事も訊かず、彼は歯を立てた。
確かに、痛くない。痛くはないが、尖った硬いものが皮膚を押しやり骨に触れる感触が、鮮明に感じられる。
胸の上でうごめいていた指が先端に触れ、私が思わず呻くとサンジくんは嬉しそうにますます深く歯を立てた。
浅い歯型を、まるで謝るみたいに舌でなぞって、唇は胸の方へ降りていく。
力をかけられて背中側に倒れると、サンジくんは胸に顔をうずめるみたいにして舌でいろんなところに触れた。
ぴりっと電気が走って、思わず彼の背中に手を伸ばす。
汗ばんで、じっとりと濡れている。

「……あ、暑い?」
「うん、でもいい」

私も汗をかいている。その証拠に、私の胸にサンジくんが頬をつけると、ぺたりと張り付くみたいに離れなくなる。
鼓動を聞くみたいに、サンジくんはそのまま胸に頬をつけてしばらくじっとしていた。
さっきまでいじられていた胸の先端が、ヒリヒリと熱を持つ。何か、次の刺激を待つみたいに、ただのぬるい空気が揺れるたびに期待してしまいそうになる。
サンジくんの背中に浮かんだ汗を混ぜるみたいに手を這わせると、サンジくんが力を抜いて私の上にのしかかった。
平たい胸が私を押しつぶし、汗のせいでズッとどこかが擦れて音を立てる。

「きもちー。ナミさんの肌」
「……重いわよ」
「うん」

ごめんね、と言って体を持ち上げたサンジくんは、いきなり太ももの内側に手を伸ばしてきた。スカートからむき出しの素足は、触れられるのを待っていたみたいにほんのり熱を持っている。
私の一番柔らかい肉を確かめるみたいに、サンジくんは太ももをゆっくり押すように握って、少しずつ奥へと手を滑らせていく。落ち着いたその手付きにじれったさを感じるが、わざとだ、と思ってこらえた。
下着の上を指がかすめる。ほんの少し触れただけなのに、腰がはねた。
もう一度、今度はたしかに、指が下着の上からそっと撫でる。それだけで湿った音が私にも聞こえたからサンジくんにも聞こえたはずだ。うわ、と思うが代わりに口から高い声がこぼれでる。
ひた、ひた、と指が下着の濡れたところに触れたり離れたりして、そのたびに身じろいでしまう。サンジくんの顔を盗み見ると、嬉しそうに口角が上がっているのが見えた。
なんの前触れもなく、ぬるっと指が内側に滑り込んだ。

「あ」

すごい、とだけサンジくんがつぶやく。すごい、と私も思う。なんかすごい濡れてる、とわかる。
さっきまでの緩慢さがうそみたいに、指が一気に何本か入った。下着はつけたままなのに、隙間から入った指が抜き差しされるたびに大きな水音がどこにも響かずただ私達の耳にだけ届く。
頬がぼうっと熱くなる。下腹を満たす液体が気を抜くと全部溢れ出しそうになる。こらえるかわりにサンジくんの肩を掴むと、応えるように深く舌が差し込まれる。
手のひらが下着の布を押しのけて、おしりの方へ回ったので腰を上げて手伝った。くしゃくしゃになった下着が、彼の指に絡みつくみたいにして私の足から抜き取られていく。

「ナミさん、ゴム持ってる?」
「ある。そこの、棚の、下の引き出し」

指さしたとおりのところにサンジくんは手を伸ばし、玄関から漏れるオレンジ色の明かりだけがぼんやりと部屋を照らす中ごそごそと引き出しの中をかき混ぜて、目当てのものを取り出した。
一度唇を落として、サンジくんが体を起こす。こちらに背を向けて、じれったそうに下を脱ぎ去りゴムのビニールを破く音が聞こえる。
その背中にそっと触れると、サンジくんは振り返り、「ナミさん」と名前を呼んだ。手は下ろしたまま、キスして欲しいみたいに顔だけこちらに伸ばしてくる。
どうしようか少し迷って、でもやっぱり彼の望んだとおり私も顔を近づけて、唇を重ねた。

ゴムを付け終わったサンジくんが入ってくるのは一瞬だった。
入って、中で動いて、かき混ぜて、そのたびに深い泉から水がしたたるみたいに水の音が大きく聞こえて、それが下腹部の快感を増長させる。
ぶつかる肌の音も湿っていて、二人分の何かわからない体液が混じり合って私のおしりを伝って落ちる。

気持ちよかった。
なんかもうこめかみのあたりが白く光って、体の下半分はきっともう液状に溶けていて、息を吸うのだけど体の内側から弾けだす快感が吸い込む酸素を押し出しながら喉の奥からほとばしる。
最後の瞬間、サンジくんがぎゅっと私の体を抱きしめて絞り出すみたいに果てたので、その感触だけは夢から覚めたみたいに覚えていた。


拍手[45回]

【魔法の手】



シャンパンの細かな粒が、次々と列をなしてグラスの上へとのぼっていく。それを眺めているふりをして、金色に透き通った液体越しに周りの人を一人ずつ確認する。

会場は、誰も大きな声こそ出していないものの、ざわざわと騒がしく食べ物とお酒の匂いでむせかえりそうになる。立食ブッフェの料理コーナーには、最初立ち寄ったきりよりついていない。食べ物を選んでいると、無防備になる気がするからだ。

まさかトングを構えた脇からだれに刺されるわけでもないのに、隙を作ってはいけない、と私は思っている。

向こうで二人談笑している男性の、背の高いほうは知っている、メガネの人は知らない。あちらでローストビーフをほおばる初老の男性は、彼が書いた本を読んだことがあった。固まって話しているあちらの3,4人の女性の中で、知っているのはあの人とあの人、ひとりは大学院の時同じゼミだった。


「こんばんは」


ふりむくと、知らない男性が一人、こちらを見下ろして微笑んでいる。何かの本の近影で見たことがあるような気がするが、名前は思い出せない。

あんなにも身構えていたのに、あっという間に隣に立たれて声をかけられてしまったことにがっかりする。

こんばんは、とそれでも懸命に愛想よく頭を下げた。

大学はどこか、院でついていた先生はだれか、医学生だったというと、どこの病院で研修をしたのか、近年の心臓手術の危険性と今後の見通しについて。その人は一気に私に話し始める。

けして早口でまくし立てているわけではないのに、私が「ええ」と相槌を打つやいなや次の話題に転じてしまい、聞いた話を飲み込む暇がない。


「もしよかったら、今度の休みに僕の研究室を見に来ませんか」

「え? いえ、私」

「いいんですよ。ちょうど研修医が研修を終えて戻ったところで、少し時間があるんです」

「いえそうではなくて、私」


来週から日本を離れるんです。

精一杯の早口でそう口にする。え、と男性の言葉が止まったところで、背後から名前を呼ばれた。


「カヤ、あなたと話したいという人がいるわ」


ロビンさんは、深いスリットの入ったスリーブドレスを足元に張り付かせたまま上品にこちらに歩み寄り、私の隣に立った。


「お話し中ごめんなさいね。彼女をお借りしてもいいかしら」


ああ、ええ、と男性はロビンさんを見上げて、のぼせたように口を開けたままうなずいた。

ロビンさんは私ににっこり微笑んで、行きましょうと踵を返す。

助かった、と思いながら、男性に会釈をして足早に彼女の後を追った。


「余計なお世話だった?」


歩きながら、ロビンさんが言う。


「いえ、困ってたから、ありがとう」

「そう見えたわ」


ロビンさんは私を連れて会場を出ると、人の少ないほうを選んでホールを歩いていく。


「彼とは話せた?」

「ええ、本当にありがとう。まさか、ロビンさんのほうでこんな機会を作ってもらえるなんて思ってもみなかった」


良かったわね、と彼女は鎖骨のあたりのパールを上品にきらめかせて笑った。


ロビンさんの研究チームが、その分野で権威のある雑誌に論文を掲載させた。その発表会を兼ねた説明会後のパーティーに、私が憧れる医学界の重鎮が来ると聞いた。彼女のチームが新たに発見した事実によって、古くから医学界の物理的根拠とされていた知識が疑わしいということがわかったのだ。医学界を震撼させる大発見でもあった。

彼女が属する史学と私の属する医学が噛み合い、それらの教授たちがこぞって来ると知ったロビンさんは、ありがたくもわざわざ私に、来賓の中でも有名なその人の名前を出して「この人、知ってるかしら」と尋ねた。


「えぇ、えぇ、もちろん。本を何冊か持っているわ。来週から私が行く病院に勤めたこともある方よ」

「なるほど。じゃああなたも来るといいわ」


何のことかと思いきや、こうして今日のパーティーに私を招いてくれたのだった。

おかげで、来週から私が留学する病院の様子や、街のことをその人に聞くことができた。何より医学界の権威に、「若い力に期待している」と言ってもらえたことが、私を舞い上がらせるほど喜ばせた。

ホールからエントランスにつながる広いエリア、湖畔の風景画が飾られている廊下の前でロビンさんは立ち止まった。


「引っ越しの準備もまだ最中でしょう。疲れたらいけないし、そろそろ帰るといいわ。送れなくて悪いけど」

「いえ、じゃあそろそろお先に失礼するわ。……次にいつ会えるのかは、ちょっと先のことになると思うけど」


ロビンさんはしなやかに眉をひそめて、「元気でね」と言った。

私の壮行会というものを、実はすでに彼女たちには開いてもらっていたので、お別れを言うのはこれで二度目になる。

永遠の別れというわけでもないのに、この地を離れたことのない私はだれかに「元気でね」と言われるたびに心臓がきゅっと痛む。


「ロビンさんも。今日は本当にありがとう」


彼女に手を振って踵を返す。数歩歩いたところで、「カヤ」とロビンさんが呼び止めた。


「ウソップにはもう言ったのよね」


私は言葉に詰まり、ごまかすように笑いながら首を振る。


「明日会うから」

「そう」


元気でね、とロビンさんが何度目かの言葉を口にする。

私はぺこりと頭を下げて、エントランスへと向かった。






荷物はあらかた送ってあった。書き込みで汚く皺の寄った医学書と生活用品を送ると、私の部屋はとたんにそっけなくなった。昔から天井にぶらさがっていた小ぶりのシャンデリアも、出ていく私を真顔で見下ろしている気がする。子供の頃、お中元などいただきものの空き箱に、きれいなハンカチを敷きビーズやボタンを並べ、誰も住むことのない箱庭を作ったことを思い出す。中身を取り除いてしまえば、それはタオルや焼き菓子が詰まっていたただの紙箱でしかなかった。

明後日、私は異国に旅立つ。その国の大学病院で、私は二年研究員として学び、その後同じ病院にとどまるか、日本へ戻るか選択することになる。どうしよう、どうすべきか、私はすぐに悩み始める。だから考えないようにしていた。二年も先のことなのだからと。


「カヤ」


呼び声にハッと振り向く。遮光カーテンを引くと、格子窓の向こうにウソップさんが見えた。いつものように、斜めがけしたバッグを提げて、今日は日差しが強いのか、帽子をかぶっている。つばの広いそれは彼によく似合っていた。

待ち合わせの時間までまだ30分はある。それに、駅の近くの喫茶店で待ち合わせるはずだった。

驚きながら、重たい窓を引き開ける。


「どうして、時間がまだ」

「仕事が早く片付いてよー、駅で待ってんのもひまだし、お前待ってコーヒー飲んでっと、お前が来たときまた飲まなきゃなんねーだろ。だから迎えに来た」

「なにそれ」


吹き出したとき、ウソップさんが私の背後に目を向けて、「アレ」とつぶやきながら覗き込むように窓枠に手をかけた。


「部屋、やけに片付いてんじゃねぇか。模様替え?」


明るく乾いた今日の日差しみたいに、ウソップさんが尋ねる。あ、と後ずさりたくなるが、見えないかかとを強く踏みしめて立ち止まる。

言わなければならない。


「ウソップさん、私引っ越すの」

「え? 一人暮らしすんの? まじ?」

「ええ、それで、私」

「なんだよ、引っ越しの準備ならおれ手伝ったのによ。まあお前荷物少なそうだし、手伝いなら執事たちにやらせりゃあいいもんな、人手は足りてるってか」

「あのね、ウソップさん、私」


彼がはっとズボンのポケットを押さえた。悪ィ電話だ、と言って私に背を向け、耳に当てた携帯に向けてしばらく話をしている。その背中を、私は半ば呆然とした気持ちで見つめた。


「悪ィ、なんかさっきおれが仕上げたやつに不具合が見つかったつって、事務所からすげー怒りの電話。ちょっと出てくるわ」

「えぇ、わかった。今日は……」

「また連絡すっから!わりーなー!」


慌てたふうに帽子を押さえ、後ろ手に手を降って、彼はあっという間に言ってしまった。私はまだ、部屋から一歩も出ていないというのに。

どうしよう。詰まって咳き込みそうになるときの癖で、私は自分の喉を両掌で包んだ。咳は出ない。でも、何かが詰まっている感触だけがある。

ここを発つのはもう明後日の朝なのに、まだ彼に、私が海外へ行くということを言えていない。


結局その日は、ウソップさんから「今日は夜までかかる」とメールが来て、会うことはできなかった。空っぽの部屋でしょんぼりと腰掛ける私のもとへメリーがやってきて、「ずいぶん片付きましたね」と感慨深そうに部屋を見渡す。


「ここまでさっぱりと片付けてしまわなくてもよろしかったのに」

「あまり捨てたりはしていないのよ。ほとんどが要るものばかりで、向こうに送ったから」

「なにか忘れ物がありましたら、ご連絡ください。持っていきますので」


うん、と言いながら手にした携帯電話の背を撫でる。メリーは、私が向こうに着いて3日後に、追いかけるようにして私のところに来てくれることになっていた。この家は、残った侍女たちに管理してもらうことになる。


「不安ですか?」


おもむろにメリーが尋ねた。


「ううん、楽しみ」


柔和な顔がにこっと笑い、「それはお心強い」と嬉しそうだ。


「ではご心配の種は、まだほかに」

「ええ、でも大丈夫。きっと」


私は震えることのない携帯を握りしめ、遮光カーテンの方へ歩み寄る。もう彼は仕事を終えて家に帰っただろうか。裏の塀を乗り越えて、整えた芝を踏んでこの窓辺にやってくる姿を想像して外を覗いた。

格子窓はくり抜いたみたいに一つ一つが真っ暗で、月も星も光らない静かな夜だった。





次の日、朝一番に彼に電話をかけた。一回ではつながらず、朝食の後に折り返しがかかってきた。侍女が食後の紅茶を運んできてくれたところだったけど、断って席を立つ。


「おはよーう」


軽やかなウソップさんの声に、いつもはほころんでしまう頬も今日はきゅっと締まっている。なんと行っても、今日こそは言わなければ。


「おはようウソップさん、あの、今日はなにか用事ある?」

「いや、あ、でも、ゾロに友達の引っ越し手伝い頼まれてんだった。おれの知らねーやつなんだけどよお、なんかいらねえもんばっか溜め込んで手荷物多いとかで。朝から昼までかかると思うけど、昼過ぎたら空くかな。あ、でも昨日の仕事が気になっから、ちょっとだけ職場覗こうと思ってたんだった。いやー昨日結局何時までいたと思う。23時だぜ。おれ休みだったってのによ」


ええ、うん、そうなの、まあ、と返事をしているうちに、いつものことながらウソップさんはあれよあれよと話し出す。いつのまにか話はまとめられ、「そんじゃ、行けそうだったら行くわ」といつものようにとらえどころのないまま電話は切れてしまった。

なんなら、電話で言ってしまうこともできたのに、やっぱり直接伝えたいと思うと口先が鈍って、その隙に彼は別の話題を持ち出してしまうから、私が言葉を挟むのは至難の業だ。

意図せずついたため息を、通りすがりの侍女に聞かれてしまう。気分が悪いのかと勘ぐられて顔を覗き込まれたので、慌ててそそくさと部屋に帰った。家にいても落ち込むので、メリーに「万一ウソップさんが来たら、連絡して」と言い残して大学にでかけた。

大学の研究室は、もうさっぱりと片付けてしまっている。別れの花束も、おとといもらってしまった。ただ、まだこの大学の学生ではあるので、その学生証を使って図書館へ行った。古くかび臭い本の匂いは、薬品の匂いと同じくらい私を落ち着かせる。乾いた紙が指先を切ることがあり、泣きたくなるけど、泣いたりしない。

二時間ほど本を読んでいたら、鞄の中の携帯が震えて慌てて取り出した。メリーかと思ったがちがった。

こそこそと図書館を出て、エントランスの端によって通話ボタンを押す。


「もしもし、今大丈夫かしら」

「えぇ、この前はありがとう」


ビビさんは、はきはきと明るく「よかった、携帯、もう解約しちゃってないかなって心配してたの」と言った。


「同じ番号を向こうでも使えるって聞いてるわ。メリーが手続きをしてくれたから、私はよくわからないんだけど」

「そう? ならよかった。ナミさんたちにも言っておくわね。そうそう、明日、10時50分のフライトだっけ。私とナミさんで見送りに行くから」

「えっ、ほんとう? 来てくれるの?」

「ええ、ナミさんが仕事の都合つけられたんだって。9時に空港で会えるかしら」


予想外のことに、思わず声が高くなる。うん、うん、と大きな声で答えてしまい、エントランスに立つ守衛の人にじろりと睨まれた。慌てて守衛に背を向けて、「うれしい!」と弾んだ声で答えた。


「ロビンさんはね、いま学会でこっちにいないんだって。残念だけどよろしく言っておいてって」

「うん、この前研究会のパーティーであったときにお別れを言えたから大丈夫。嬉しいけど、朝早いのに平気かしら」

「いいのいいの、ナミさんは朝型だし、私はなんとしても起こしてもらうから」


朗らかに笑うビビさんの声を聞きながら、急に胸が締め付けられる。

この子達になんども掬ってもらって、磨いてもらった私の落ち込みがちな心を、今もう一度だけ覗いてもらいたいと思った。

どうしよう、どうしようビビさん、明日のこと、まだ彼に言えていない。


「どうかした?」


笑い声のしぼんだ私に気づいて、ビビさんがそっと、笑い声の余韻に乗せるみたいにして尋ねた。

ううん、と言いかけて、言いよどみ、「あの、」と中途半端な言葉が落ちる。


「うん」


ビビさんが私の言葉を待っている。あのね、と言いかけて、でもこんな情けないこと、ここで言ったってどうにもならないじゃないと思いとどまる。明日から一人で見知らぬ土地に発つ私は、いつまで彼女たちに頼る気でいるのだと、頭の奥でくだらない意地が湧き上がる。

我慢強く私の言葉を待っていたビビさんは、ふと思い出したみたいに「そうだ」と言った。


「カヤさん、今日はなにかあるの?」

「今日? いえ、今は大学だけど」

「もしよかったら、おうちに行ってもいい? ほら、前にうちに泊まりに来てくれたじゃない。私もカヤさんのおうちに泊まってみたい」

「うち? とま、泊まりに来てくれるの?」

「だめ? ナミさんも呼ぶわ。夜遅くになるかもしれないけど、ナミさんも来ると思う」


だめじゃない、とビビさんの言葉にかぶさるようにして前のめりに言うと、彼女は「やった」と短く笑って「そしたら朝、一緒に行けるしね。カヤさんも車でしょう? うちも車を出してもらうから、ナミさんと後ろをついていくわ」


「ほん、本当に来てくれるの?」

「うん、急すぎる?」

「ううん、うれしい、あ、でもメリーに言わないと」

「だめならカヤさんがうちに来たらいいわ。最後の夜だからおうちで過ごしたいかなって、それだけだから」


メリーに確認する、と言って電話を切った。

ビビさん自身も言っていたけど、あまりに急な展開に、胸がドキドキする。不穏な動悸とは違うそのドキドキを、私は確かめるみたいに胸に手をおいた。


お昼を食べに自宅へ戻り、メリーに事の次第を話すと、「出発の準備はできていますし、よいでしょう」とあっさり承諾を得られた。夜更かしだとかお酒を飲むだとか、そういうことにうるさかったメリーは、一度だけ会ったナミさんたちのあっけらかんとした美しさにやられたのか、今はなんにも言わない。

ビビさんにOKだと返事をすると、夕方、食べ物を持ってうちに来ると言った。私の昼食の準備をする侍女を捕まえて言う。私の声を聞き漏らすまいと、数人の侍女が近寄ってくる。


「ナミさんは仕事終わりに来てくれるはずだから、遅くてもお腹に優しい食べ物を用意しておいて」

「かしこまりました。お嬢様のお部屋にお運びしますか」

「ええ、おねがい」

「カヤお嬢様、浴室のご準備は何時頃にいたしましょう」

「そうね、とりあえず22時までには……またお願いするわ」

「お嬢様、ご寝所は三名様の準備をしておきましょうか。それともお客様二名の……」

「私の部屋できっと寝ちゃうから、二人分のベッド持ってきてくれる?」

「お嬢様、カヤお嬢様、翌日の朝食は」


ああもう! と叫びたくなったが、代わりにこぼれたのは笑い声だった。目をてんとして口を閉ざした侍女たちは、一様に首を傾げている。もう、こんなふうに小うるさいほど世話を焼かれることはないのだと思うと、少し寂しいような、これまでの甲斐甲斐しい生活が可笑しく思えるような、とにかく笑いがこみ上げたのだった。





18時頃、ビビさんは一人で家にやってきた。


「迷わなかった?」

「ええ、西の外れにある大きなお屋敷だって言ったら、住所を言わなくても迷わず来られたわ」


彼女はその手に、大きなバスケットを提げていた。私がそれに目を留めると、嬉しそうに含み笑いをしてそれを持ち上げる。


「うちにあったお酒と、コックが作ったお料理持ってきたの。ナミさんは20時過ぎるって言ってたから、先に二人でいただきましょ」


自室に案内すると、ビビさんは私の部屋をくるりと見渡して「もうすっかり片付いてるのね」と感心したように言った。


「そりゃそうか。明日の朝には発つんだものね」

「ええ。あっという間で、間に合わないかと思った」

「忘れ物があったら、私持っていくわ。遊びに行くついでに」


けしてそんな暇があるはずもないのに、ビビさんはまるで本気の様子でそう言って笑った。


「じゃ、乾杯」


部屋の真ん中に、家のものに運ばせたテーブルと小さなソファだけをおいて、二人でグラスをかちんと鳴らす。

思えば、彼女と二人でお酒を飲むのは初めてだった。ビビさんにとっても初めてのはずなのに、くつろいだ様子でさっそく頬を染めている。


「ナミさん、迎えはいらないかしら」

「あ、大丈夫。ペルにお願いしてあるから」

「そうなの? うちのものに頼むのに」

「いいのいいの、どうせその辺にいるんだから」


ぱたぱた、と手を動かしてから、ビビさんはさっとグラスを口に運ぶ。グラスを置くと、さ、食べましょ、と彼女が持ってきたバスケットから、次々とまだ温かい料理を取り出して、テーブルに並べてくれた。


「お昼食べそこねちゃって。おなかすいてるの、すごく」


料理から目を離さず、ビビさんは取り皿を私に手渡す。


「そうなの? お仕事忙しいのね」

「ちょっとね。でもいいの、今からいっぱい食べるから」


言葉のとおり、ビビさんは自分が持ってきた料理を次々と平らげていった。彼女の家の、我が家とは少し違った味付けは新鮮で、ビビさんが「これはね」と説明しながら取り分けてくれるのも、まるで家族にするみたいで嬉しく思う。


「あ、ナミさん仕事終わったって。早いわね」


19時を回った頃、ナミさんからビビさんに連絡が入り、19時半にはナミさんがやってきた。真っ青な高いヒールに、タイトなワンピースが似合っていた。耳元で光る小さなピアスが、彼女の目の大きさと美しさをより際立たせている。


「おまたせー」


ナミさんも我が家に来るのは初めてのはずなのに、まるで親戚の家みたいに勝手知ったる感じで私の部屋に入ってきた。

そして私を見るなり、「はー、寂しくなるわね!」とまっすぐに言って、本当に寂しそうに笑うのだった。

侍女がナミさんのために用意した食事を、ナミさんは喜んで食べてくれた。お腹いっぱいになったビビさんはすでにして眠たそうだが、ゆったりとソファに腰掛けて私達の顔を交互に見ている。

ビビさんが持ってきてくれたお酒をぐいぐいと喉に流し込みながら、「今日ウソップに会ったんだけど」と唐突に言った。

え、と声が漏れる。どんと心臓が揺れる。


「カヤさん、この期に及んでまだ言ってないのね」

「もしかして、ナミさんが」

「ううん、私からは言ってない。っていうか、今日の夜カヤさんち泊まるのよねーって言ったら、なんかよそよそしい顔で「あ、そう」だとか言うから、こいつ落ち込んでんのかなあと思ったんだけど」


彼はナミさんに、「おれも昨日行くはずだったんだけどさ、仕事忙しくて。今日も無理そうだからまた時間作るってカヤに言っといてくれ」と言ったらしい。


「また時間作るって、あんた明日にはもうカヤさん行っちゃうじゃないってこのへんまで出かけたんだけど、もしかしてと思って言わなかった」


ナミさんは手のひらを床に向けて、顎の下辺りまで持ってきてそう言った。


「いいの」


ナミさんが短く問う。

ビビさんは、前日になってもきちんと言いたいことすら言えない私に呆れたのか、口を閉ざして私を見ている。


「よく、ないけど……昨日も、言おうとしたんだけど」


彼が忙しくて、と言いかけて、違う、と思った。ウソップさんのせいにしてはいけない。

伝えるタイミングは、もっと前から、どれだけでもあったんだから。

どうしてウソップさんにだけ言えなかったんだろう。

ナミさんたちにはすぐに伝えた。留学が決まって、興奮してメリーには電話をした。近所に住む仲良しの子どもたち三人にも、実はね、と既にお別れを伝えてあった。

ウソップさんには私から言うから、それまで内緒ねと言うと、彼らは一様に口元を押さえてうなずいてくれた。だからきっと、約束の通りウソップさんは何も知らないはずだ。

ウソップさんだけが、知らない。


「もう明日の朝には発つんだから、何も言わないまま行くわけにはいかないって思ってんでしょ」

「ええ、でも、もう」

「呼ぶ? ウソップさん」


ビビさんが、ソファに背中を預けたまま言った。私とナミさんは同時に、そのツルリとした頬に目をやる。


「もう仕事、終わってるんじゃないかしら。おうちも確か近所でしょ。たしかにちょっと遅いけど、言わないままよりは」

「ま、待って。私」


やっぱりこわい、と口に出していた。

スカートの裾をギュッと掴み、子供の頃みたいに、咳き込む直前みたいに、また喉元に何かが詰まる感覚をおぼえながら、言葉を絞り出す。


「一人で大丈夫かよって言われるのも、頑張ってこいよって言われるのも、こわいの。いやなの」

「……なんで?」


迷惑をかけたくない。足を引っ張りたくない。必要以上の心配もされたくない。でも、のびのびと手を振って見送られたりしたら、私はきっと行けなくなる。

彼のいない世界では生きていけないことを、私自身が思い出してしまう。

私が黙って行ってしまえば、彼は傷つくだろう。彼だけが知らなかったということに、ショックを受けるはずだ。

それでも私は、自分が傷つくほうがこわいと思っている。彼を傷つけてなお、こうして黙って行ってしまおうとしている。


「明日の朝、電話するわ。そのときに……」

「電話でいいの」


ビビさんが、そっと念を押す。

きっと、見えない電波を通すくらいでないと、私は彼に別れを告げられないだろう。

うつむく私の前で、彼女たちは呆れているようだった。

ま、カヤさんがそれでいいならね、と話をたたんで、ふたりはさっさと食事の後片付けを始めた。いつまでも酒瓶を傾けていた、ネフェルタリ家でのお泊りとはずいぶんちがう。


「明日は早いんだから、早く寝ないと」

「ナミさん朝起こしてね」

「はいはい」


ちゃきちゃきと片付けて、ふたりは侍女の案内のもとお風呂へ向かった。

まだ食べ物の匂いが残る部屋の窓を開けようと、カーテンに手をかける。

このカーテンを開けると、決まってウソップさんが格子窓の向こうに立っていた。

窓のそばに置いてあるスーツケースには、明日持ち出す荷物が詰まっている。

結局、窓を開けることはできなかった。

旅立つことを彼は知らないのだからこんな夜にくるわけはないのに、どうしても期待してしまう自分に嫌気がさす。

明日電話で、ウソップさんはなんと言うだろう。

きっと、なんで黙ってたんだと怒るはずだ。

ひとしきり怒ったあと、まったくしょうがねえな、と腰に手を当ててため息をついて、じゃあ元気でなとでも言ってくれるだろうか。

そうであればいいと思う気持ちと、そんなのはいやだと思う気持ちが混じり合ってぐちゃぐちゃとする。

泣きたいくらいどうしようもない気持ちなのに、諦めてしまったみたいに涙は出てこなかった。





翌朝、まだ眠る二人を残して顔を洗いに行こうとベッドを降りたら、背後からそっと歩み寄る猫のように、ナミさんが「電話、したら」とベッドに横になったまま声をかけてきた。


「……まだ、朝早いから」

「いいんじゃない。起こすくらいで」


がんばって。そういってナミさんはにっこり笑った。枕に頬を潰して、波打つ長い髪を広げたまま、きれいに笑った。

私は携帯を手に持って、そっと裏庭へ出た。

日陰となった裏庭の隅で、きれいに整えられたベロニカの花を見つめて携帯を耳元に当てる。

コール音は長く続いた。ひどく間延びして聞こえる。まだ寝ているのだ。きっと携帯はカバンの中に入れっぱなしだ。

かけ直せばいい。朝食の後にでも、空港についてからでも。確かな勇気もないまま携帯を耳から離した。

すると、どこかから未だコール音が響いている。あれ、と思い再び携帯を耳に当て、もう一度離して音を探す。携帯から聞こえる音とは、リズムが違った。

通話終了のボタンを押すと、ふたつのコール音はふつりと止んだ。

くしゃくしゃと芝生が踏みしめられる音が、早朝の澄んだ空気を通して聞こえてきた。


「ウソップさ」

「おーっす、早いな、朝」


ウソップさんは、寝間着にしているみたいなよれたTシャツと短パン姿で、いつものカバンはなく、携帯だけを握りしめて、ぐしゃぐしゃの頭で立っていた。

携帯、持っているならどうして出てくれなかったの。

こんな時間にどうして来たの。

笑う顔が、いつもよりひどく遠い。

私がなにか尋ねるより早く、「アレだ、今日は」と彼が口を開いた。


「仕事遅かったぶん、興奮してたのか眠れなくてよー。散歩してたら、このへんまで来ちまったから、ついでに」

「ウソップさん、私今日この家を出るわ」


彼が口をつぐむ。勢いに任せて私は言う。


「海外留学が決まったの。いつ帰るかは決めてない。もしかしたら、向こうの病院に勤めるかもしれない。……言うのが遅くなってごめんなさい」


言葉を発したとき、彼の顔を見ることができなかった。言い終わってからやっと顔を上げ、押し黙ったままのウソップさんの顔を見て、喉が詰まった。

発作より、ずっと苦しい。


「あ、な、何ーー!? おま、今日って、なんだよ急すぎるだろ! 海外ってどこ行くんだよ、一人でやってけんのかよー!」


彼の丸めた目が、驚いたように開かれた両腕が、懸命に動く。


「え、家はどうすんだ、空き家か? つーかあいつら寂しがるだろうよ、ちゃんと言ってあんのかー? まあな、おれさまがなだめてやるから心配しなくてもいいけどよ、んでもあんまりに急っつーか、内緒にするにもほどがあるだろ! おれには一番に教えてくれたってよかったのによ。まあな、さんざん世話になったおれには伝えにくかったっつーお前の気持ちもわからんでは」


ぼろっとこぼれた水滴が、着古した寝間着のワンピースの薄い生地に吸い込まれていく。ぼろぼろと、後を絶たないそれらを次々に吸い込んで、ワンピースは冷たく重くなっていく。


「うそつかないで」

「……あ?」

「知ってたのね、ほんとは、もっと前から、私が行くこと、ウソップさん知ってた」


あの子達に聞いたのね。そう言うと、ウソップさんはばたつかせていた手をおろし、ぎゅっと口を引き結んで私を見つめた。

言えなかったのは私のせいだけじゃなかった。

彼が聞こうとしなかったのだ。

知っていたから。

本当はもっと前から、私が行くことを知って、あえて聞こうとしなかったのだ。

当日初めて聞いたふりをして、慌ただしく私を送り出して、旅立つまでの間苦しまなくてすむように。

思い当たってしまえば、当然のことのように思えた。

別れを惜しまれても明るく送り出されても、弱い私は結局傷つくから、ウソップさんはずっとそれを避けてくれていたのだ。


「なんでこんなうそばっかり上手なの」

「……そらーおめー、あれだ」


あれだよ、と言ったきり、ウソップさんは押し黙った。私がぐずぐずと鼻を鳴らす音だけが裏庭に響く。

行きたくない。

はっきりと思ってしまった。

彼と離れたくない。


「カヤ」


顔をあげると、いつになく真面目くさった顔でウソップさんが私を見ている。


「お前、がんばれよ」


ず、と鼻をすする。

結局言っちゃうのね、と思う。


「頑張れよ。自分で決めたんだろ。この家、また戻ってくんだろ。この村の医者になんだろ。向こうの病院で働こうが好きにすりゃいいけど、絶対帰ってこいよ」

「わか、わからない。そんな先のこと」

「わからなくても、目指すんだよ。何も知らない場所に行けって言ってんじゃねーんだから。帰ってくるだけなんだから」


大丈夫だ。

はっきりとそう言って、ウソップさんが私に手を伸ばした。

涙で頬に張り付いた私の髪を、魔法みたいに何もかも作ってしまう手が、耳にかけてくれる。


「イヤリング、つけていけよ」


耳に触れた指が、もうどうしようもなくいとしくて、私は泣いた。

この手の温度を忘れてしまうほどの時間が過ぎていくのに、でもそれは全部自分で望んで決めたことなんだと、いつかここに帰ってくるためにどうしても譲れないことだったんだと、ああでも、こんなにも離れたくないのに、それでも私は行かなければならない。


「すげー顔」


顔も覆わず泣く私を軽く笑って、ウソップさんは帰っていった。

「じゃあな」と、まるで明日もまたここで会うみたいに、軽い足取りで、振り返りもせず。

いまだ暖かな涙が伝う私は、その背中を見送って、湿った服の袖で頬をぬぐった。



部屋に戻ると、ナミさんもビビさんも目を覚ましていて、テーブルに用意される朝食をきらきらした目で眺めていた。

私に目を留めて、なんでもないように「おはよ」と言ってくれる。

ぼたぼたに腫れた私の目を見て、二人は顔を見合わせた。

ふふっと、花が軽やかに揺れるみたいに笑って、ナミさんが「行ける?」と尋ねる。


「うん」

「よし、食べよ」


席に着く前に、部屋のカーテンを大きく開けた。

格子窓の外にはたっぷりと育った緑が見えて、まだ丸い朝日が木漏れ日となって部屋の中に差し込んでくる。

窓を開けて、そこに彼はいないけど、私は悲しくなかった。

もう大丈夫だと思った。

もう、この場所で彼が来てくれるのを待っている必要はない。

ひきつるように痛む胸を押さえて、息を吸っては涙をにじませて咳き込む私ではないから。

いつか私から、彼のいる場所に行かなければならないから。


fin.

拍手[6回]

※他CP(サンナミ)色が結構出ています。





わたしは連絡を待っていた。一週間前、もやもやと晴れない気持ちのまま別れてしまったナミさんが、まるでなんでもなかったみたいに「今日空いてる?」と電話をかけてくるのを。

一度気にし始めると、そわそわと仕事の手が落ち着かなくなる。もしもこのままあるいは、と嫌な想像をしては一人ぞっとした。

与えられたり、生み出したり、あるいは自ら手放したりすることはあっても、思いがけず何かを失うことはひどく私を消耗させる。

苛立った彼女の顔を思い出してため息が落ちた。ついでのように狂った手元が筆差しを倒し、細かな雑音を立てて何本かのペンが机の上に散らばった。電話が鳴り、私が手に取るよりも早く、向かい側から白手袋のように色のない大きな手が受話器を掴む。


「失礼」


ペルは私の目を見てそう言ってから、受話器を持ち上げた。子機を持ったままペルは手帳をめくり、几帳面な声で「はい」を三回ほど繰り返し、「承知しました、お伝えします」と言って電話を切った。


「イガラム様からですが、本日の会食にはビビ様も同席する様にと」

「なぜ? 今朝出なくていいって言われたわ」

「お相手のたってのご希望だそうです。ぜひわが社の未来を担うご令嬢とお会いしたいと」

「私は会いたくないわ」


散らばったペンを直しながらふてくされて呟いたが、ペルはわざと無視した。もういちどため息をついて、「何時?」と尋ねる。


「十八時にホテルのロビーでと。私が送りましょう」

「ペルも一緒にいて。最後まで」

「いいえ。私は終わるころにお迎えに上がります」

「いいえ。最後までいるのよ。私と一緒に」

「いいえ、それはできません」


私は短く息を吸い、「だめ」と鋭く言った。八つ当たりだとわかっている。


「急ぎの仕事はないでしょう? お父様も私と同席してるんだから。絶対よ。勝手に帰ったら許さない」


ペルはじっと私を見下ろして、しばらく押し黙ったのち「承知しました」と答えた。

その答えに安心して、私はプライベートの携帯を開く。連絡はない。当然だ。私からも特に連絡をしていないのだから、何の返事を待っているというわけでもないのだ。それにナミさんはまだ仕事の時間だろう。彼女は忙しいから、私との小さな言い争いなど忘れてしまったかもしれない。それはそれでいい気がしたが、彼女が忘れても私は忘れたりできないだろう。

ひどいことを言った。わざと傷つけるみたいに。

もう一度だけため息をついて、重い腰を上げる。


「着替えてくるわ。こんな学生みたいな恰好じゃ行けないもの」

「ええ、お待ちしております」


仕事部屋を出るとき、ちらりと振り返ってペルを見る。私の机と垂直に並んだペルの机にある大きなモニター、そこから洩れる青い光がペルの白い頬に映えて、彼もとても疲れて見えた。





会場の扉をペルが押し開ける。その腕にわざとすこしだけ肩を触れさせながら、個室の席へと向かった。

席は四つ。父と、取引先の相手方、そして若い男がその隣にいる。わかっていてもげんなりした。お見合い然とした四人の会話は、仕事の話の間にちょくちょくと個人的な話題を斬りこんでは私の反応を窺う相手の様子に心を殺し、ただただ出された料理を平らげることに終始する。

父に反感を買われては困るから、多少お愛想程度に微笑んで「ええ」と「いいえそんな」を繰り返す。意見を問われれば答えたが、私の向かいに座る若い男のPR的な話にはそっと口をつぐんでその場をやり過ごした。

食事が一通り終わり、デセールの前の一息ついたタイミングで中座した。個室を出ると扉のすぐわきにペルが立っていて、私が黙って通り過ぎてホテルのロビーに向かうと後ろからペルも付いてきた。

豪奢なシャンデリアが眩しい。スーツケースを持ったビジネスマンの姿が目立つ。人の行き交うロビーのソファに腰を下ろした。ひざ丈のスカートのレースを蹴り上げるみたいに足を上げて、ペルを見上げる。


「もう帰りたい」

「あと少しでしょう」

「もういや。疲れたわペル」

「子供ではないのですから。お父上はこれも仕事と立派に務められているのです」

「お父様はお見合いじみたことをしてないんだからいいわよ。私はじろじろ見られて、ご機嫌伺いされて、お稽古は何をなんて訊かれてばかみたい」

「ビビ様」


たしなめるようなペルの声にすかさず「分かってるわよ」と答えて、促されるより早く立ち上がる。


「ごめんなさいペル。本当は忙しいのに、付きあわせて」

「二時間前にそのお言葉を聞きたかった」

「それは無理よ」


毛足の長い絨毯にヒールのかかとをもつれさせないように慎重に、しかし早足で個室へと戻る。ペルは私が個室へ入る直前、少し腰をかがめて顔を近づけた。


「終わったらビビ様のお好きなところに寄り道して帰りましょう。イガラム様には私からお伝えしておきます」

「ありがとうペル大好き」


一息にそう言って、言い切るタイミングでペルが扉を開けた。ペルの脚にスカートの裾を触れさせて、私は自分の席へとにっこり微笑みながら戻っていく。

デセールのジェラートは、ストロベリーかピスタチオか選ぶよう給仕の女性が言う。ピスタチオを選んだら向かいの若い男はなぜかがっかりしたみたいな顔をして、そのことだけが印象に残って帰るころには名前も忘れてしまっていた。


「大変お疲れさまでした」


ペルが私の肩にカーディガンを羽織らせる。父に「先に帰っています」と伝え、ホテルのボーイがドアを開けた車に乗り込んだ。


「お食事はいかがでした」

「美味しかったわ」


考えることなくそう答える。運転手がいるので、今日はペルが隣に座っている。その肩にもたれかかりたい気持ちがうさぎみたいに胸中跳ねまわっていたが、こらえて少しだけ彼の方ににじり寄って座った。


「ねえ、私の携帯持ってる?」


思い出してそう尋ねると、ペルはすぐにふところから私の携帯を取り出した。わざわざ言わなくても、ちゃんとプライベート用の方を差し出してくれる。

開いて、何の連絡もないそれを確かめてまた重い気持ちがしこりのように喉の辺りに溜まり始める。

「なにかお約束でも」とペルが控えめに尋ねた。


「ううん。違うの」


ペルがその続きを待つように黙っているので、観念して私は言う。


「ナミさんとけんかしちゃった」

「けんかですか」

「取っ組み合ったわけじゃないわよ」


わかっています、とペルが少しだけ笑う。その顔を見上げた時、「あ」と思い当った。


「ねえ、寄り道していいんでしょ。行きたいところがあるの」

「ええ、しかしあまり遠いところだと」

「近くよ、ここなんだけど」


携帯で地図を示すと、ペルはその光を見下ろして目を細め、からかうように私を見た。


「先程お食事をされたばかりでは」

「ちがうのよ、ここ、夜までパティスリーが開いてるの。ケーキ、買って帰りましょ」


言ってから、なんにも「ちがうのよ」の言い訳になっていないことに気付いたが気付かないふりをして運転手に行き先を告げた。





住宅街、高い塀に囲まれた広い敷地の家々が並ぶ静かな通りの一角にその店はある。アイボリーの塀には看板がかかっていたが、それを照らすライトは灯っていなかった。


「やっていないようですね」


見た通りのことをペルが淡々という。


「うそお」


お店は明らかに営業していなかった。看板のライトだけでなく、エントランスも明かりが落ちている。車の窓に張り付いて目を凝らすと、店の中は明かりがついているようだったが従業員がいるだけで客は入っていないようだ。


「月曜日、お休みなのかしら」

「残念ですね」


ちっとも残念ではなさそうにペルが言う。私をさっさと家に帰したいのだ。

がっくりとうなだれる。お腹はいっぱいだったけれど、この店の美しいケーキを買いたかった。食べたかったというより、あれもこれもと買いたかったのだ。


「発車しても?」


運転手が尋ねる。頷きかけたそのとき、店の玄関扉がおもむろに開いた。


「あ」


真っ白なコックコートが、ぽかりと穴が開いたように暗い店のポーチに浮かび上がって見える。金色の髪も夜の闇に白く浮いていた。


「ちょっと待ってて」


車のドアに手を掛けると、ペルが素早く「ビビ様」と強く言う。無視して車の外に出ると、音に気付いた男性が顔を上げた。

ちょうど煙草を咥えたところだったその人は、火のつかないそれをキャンディのように口に挟んだまま私を見て目を丸くした。

あの、私、と繋ぐ言葉を考えながら口にしたら、男性は「わあお」と呟いてさっと煙草を手に取った。


「ナミさんのお友達のレディだ」

「えぇ、あの覚えて」


いらっしゃるのね、という私の言葉を遮って、男性は穏やかそうな見た目に似合わない大きな声で「もちろん!」と言った。


「可愛いレディの顔はみんな覚えてるさ。この前はありがとうよ。料理は気に入ってもらえたかな」


丁寧に頭を下げられて、慌てて手を振る。


「ええとても。あの、今日はやっぱり」

「ああ、定休日。ごめん、もしかして食事しに来てくれた?」

「いえ、ケーキを」


ああ、と男性が、サンジさんが眉を下げて首の後ろをさすった。


「ごめんな。今日は売り物にするもん用意してなくて」

「いえ、おやすみだもの当然だわ。私が知らなくて、こんな時間にごめんなさい」


何を言うつもりで車から降りたのかすっかり忘れて、私はもじもじと手元に視線を落とした。

その様子を見たサンジさんは黙って煙草を咥え直し、「よかったら」と思い出したように口にした。


「試作っつーか習作っつーか、売り物にするつもりじゃなかったやつならあるんだけど、持って帰る?」

「えっ、いえそんな」

「いいのいいの。仕込みも終わってるしあとは作ったやつ片っ端から自分で食ってくだけだから、もらってくれると嬉しいな」

「でも」

「時間あるなら店ん中でちょっと待っててよ。すぐ包むから」


サンジさんは私の返事を聞かずに踵を返す。いいのかしらと後を追いかけたら、背後から砂を踏む足音が聞こえて私とサンジさんは同時に振り返った。


「すんません、今日店休みで」


サンジさんが、私に対するのとは明らかに異なるぶっきらぼうな口調で投げるように言った。ペルは答えず、私を見ている。


「ペル、ちょっと待っててってば」

「君の連れ?」

ペルは私からサンジさんに視線を移し、じっと店の敷地と道路の際の辺りに立っている。「すぐに戻るから」と少し声を強めて言うと、ペルは「ここでお待ちしております」と硬い声で言った。


サンジさんが何か聞きたげに、でも口を閉ざしたまま私とペルを交互に見て玄関扉を開けた。


「どうぞ。あ、君の名前聞いていい? あと連絡先も」


背中に強いペルの視線を感じながら、薄明りのついた店内に足を踏み入れた。


サンジさんは私を入ってすぐのソファに座らせて、厨房と思わしき方へ戻っていった。

人気のないレストランは音が良く響く。広い店内のどこかで、金属のボウルやフライパン、食器のぶつかる音が細かい粒のように散らばっている気配がある。


「ビビちゃん、寒くない?」


すぐに戻ってきたサンジさんは、トレンチいっぱいに全部で9種類ほどのケーキを乗せて戻ってきた。選ばせてあげようというのだ。恐縮しても「どうせおれが食うんだから」と彼はにっこり笑って私の足元に跪き、目の高さにトレンチを差し出してくれた。


「いつもは持ち帰ってナミさんに食ってもらうんだけどさ。今日は会えねーし、あんまりたくさん持ってくと太るっつって怒られるし」


彼女のことを思い出したのか、そう言いながらサンジさんの顔は途端に柔らかくなった。


「全部持って帰ってもらってもいいんだけど、多いと逆に迷惑かと思って。何人家族?」

「何人……いえ、じゃあ二つ」

「それだけ? もっといいよ」


いいの、と断って、あめのような艶があるコーヒー豆の乗ったケーキと、キウイのタルトを指差した。ペルと食べよう。まださっきと同じ場所で、生真面目に突っ立っているだろうから。今日はペルを待たせてばかりだ。


サンジさんがケーキを包みにもどった隙に携帯を開き、ナミさんへのメールの画面を表示させる。『いまサンジさんの』『ケーキが食べたくなって』『前にナミさんたちと行った』書きはじめを散々迷って送れないでいるうちに、サンジさんは戻ってきて私に小さな箱を差し出した。


「ありがとう。御代を」

「いやいや、売りもんじゃねーんだって。本当もらってくれるだけでありがたいから」

「そんな、申し訳ないわ」

「いいよ。また店がやってる時間に来てくれたら」


それもそうだわ、と笑うとサンジさんも歯を見せて笑った。

店を出るとき、サンジさんは「ナミさんをよろしくね」と言った。振り返って曖昧に笑うと、サンジさんは少し不思議そうに「あれ、あんまり会ってない?」と尋ねる。


「ううん、そんなことないんだけど」


なんだか不思議な気がしたのだ。

「ナミさんによろしく」でも、私が彼に「ナミさんをよろしく」と言うのでもないことに。

手を振る彼に小さく会釈して、やはり立ち尽くして私を待っていたペルの元に駆け寄った。


「ケーキ貰っちゃった」

「お知り合いなのですか」

「ナミさんの彼氏なの。前にごはん食べに来たことがあって」


ああ、と納得したように顔を上げたペルは、玄関ポーチに立つ彼に向かって深々と一礼した。サンジさんも慌てて礼を返している。運転手が開けたドアに私が乗り込み、続いてペルが乗り込んだ。


「帰ったら部屋に来てね。一緒に食べましょう」

「ビビ様、帰りましたら私は仕事が」

「終わってからでもいいわ。遅くなってもいいから」


いえ、とペルは言ったが、そのあとの言葉は続けなかった。絵の具のついた筆を滑らすみたいに車が走る。十分ほどで家に着いて、玄関前でペルと一緒に下りた。


「では私は仕事に戻りますので」

「絶対来てね」

「ビビ様、今日はもう」

「お願い。ケーキが悪くなるわ。それにほら」


箱の中を開いて見せる。思った通り、ケーキは六つも入っていた。選んだ二つ以外にも、宝石みたいに並んでいる。持ったときからわかっていた。だって二つの重さじゃない。


「こんなにあるのよ。私ひとりじゃ食べきれない」


ペルは口を引き結び、「では」と慇懃に言う。


「二十二時までに仕事が終わりましたらお邪魔します」

「待ってる」


迎えに出た侍女にケーキの箱を渡し、冷蔵庫に入れておいてと頼む。そうこうしているうちに、いつのまにかペルはいなくなっていた。





二十二時半になったが、ペルはまだ来ていない。入浴を済ませ、いそいそと紅茶の準備をする。侍女にケーキを皿に移してもらい、部屋まで運んだ。二十三時近くになった頃、部屋の扉がノックされて迎えに出たらペルが立っていた。


「おつかれさま。今終わったの?」

「ええ。ビビ様も本日はお疲れさまでした」

「入って」

「いえ」


今日はこれで失礼します。ペルが几帳面にそう言う。はいはいと聞き流して、ペルの背後にある扉を無理やり閉めた。ペルの仕事が長引くことも、約束の時間が過ぎても必ず私のところに一言言いに来ることも、今日はこれで失礼しますの言葉も全部織り込み済みだ。こうして強引に私が押し切ることだって、ペルもわかっていたはずだった。


「さ、紅茶でいい? お腹がすいたでしょう」


アメジストのような薄い紫が気に入っているカップに紅茶を注ぎ、皿に乗せてきた六つのケーキの前にペルを座らせる。

取り分けようとすると「私がやりましょう」とペルが手を伸ばすので、「いいの」とぴしゃりとはねのけた。


「コーヒー好きでしょう。これでいい?」


いただきます、とコーヒーのケーキをペルが受け取る。

彼が座るソファの隣に腰掛けると、張り詰めた革がぎゅうと鳴ってペルが少しこちらに傾いた気がした。


「うん、おいしい」


サンジさんのケーキはまるでふわふわと実体のない空気みたいなのにしっとりと甘く、ときどきハッとするような仕掛けが織り込まれていて一口食べては目を見張るような美味しさだ。

おいしいでしょう、とペルの顔を覗き込むと「ええ」と彼もケーキを見つめたまま言った。


「ケーキなど久しぶりに食べましたが、これは」

「ね、別物なの。すごいの。ナミさんはいつもこんなの食べてるのね」

「羨ましいですね」

「うん、でも」


思い出してちりっと胸の奥が焼けた。

大事なものを大事だと言わない彼女を、いなくなったらそのときだと達観したふりをする彼女を、私は強く非難した。

でも、の続きを待つペルを見上げると、ペルは穏やかに私を見下ろして言葉を待った。


この人を、私はどんなに大事にしたくてもできないから、彼が私に与えてくれるものを越えることができないから、できるくせにしない彼女に苛立ったのだ。

私の気持ちと彼女は関係ない、わかっている。


「なんでもない。ねえペル」


はい、と答えたペルはあっという間にケーキ一つを平らげている。余程お腹が空いていたのかしらと思いながら、クリームの残る彼の皿に目を落とす。


「キスしたことある?」


ペルの持つフォークがかつんと皿に当たり、私が彼の顔を見るとペルの切れ長の目がほんのりと見開かれて私を見つめ返す。

逸らしたりしないのだ、どんなときでも。


「私ないの。取っておいたわけでもないのに」

「ええ」

「どう思う?」


ペルはゆっくりと皿を机に置き、足元を見て言葉を探した。

ソファに手をつくと、彼の背広の裾が指に触れた。


「ビビ様には、ビビ様のお気持ちやご事情がおありですから。大事になさればよいかと」

「ペルは」


ソファについた手にぎゅっと重心を乗せると、思いのほか体が彼の方に傾いた。


「私にキスされたら奪われたと思うかしら」

「ビビ様」


ペルがみじろぎ、私から離れようとする。

むっとするとペルもわざと怖い顔をした。


「ビビ様、失礼ながら私は、今日はあなたの我儘に付き合い尽くしているのです。このようにわざと困らせることをなさらないでいただきたい」

「よくしゃべるのね」


疲れた色のペルの顔に触れた。

何かが振り切れていた。

彼が私を大切にするように私も、なんて殊勝な思いは確かにあるのに、もうそんなことはどうでもいいからとにかくその胸に飛び込みたい、触れてほしいと焦れるみたいに叫びたくなる。

なんでって、きっと、羨ましかったからだ。

ナミさんは、考えるよりも早く、好きな人に触れたいときに触れるだろう。強く情熱的に、好きだとその目で言えるだろう。

サンジさんは私に、よろしくねと言った。私よりずっと、ナミさんに出会ってからの時間は短いはずなのに、有無を言わせぬ正しさで、「おれの」ナミさんをよろしくねと言えてしまう。


「選んで、考えてって言うから困るんでしょう。考えなくていいの、私がそうしてって言ってるんだから」


考えることを放棄して、目の前の顔だけ見て、その香りを見つけようと探してみる。冷めていく紅茶の香りが邪魔をする。

初めてのキスはどんな色だろう。

どんな味がして、どんな思いで目を閉じるのだろう。

何度も何度も夢見たそれが叶うかもしれない気配に、私は自分の唇に残るクリームの甘さを感じながら胸を膨らませて彼を見つめる。


するりと指に冷たい何かが絡まってハッとした。

革張りのソファに突っ張っていた私の指の間を這うように、別の指がゆっくりと動く。

思わず触れていた頬から手を離し、自分の手元に視線を落とした。

私の手が、と思い、そこから言葉が思いつかない。

手が、ペルのそれにすっぽりと隠される。


「ビビ様」


ふと近くでペルの声がする。あまりの近さに顔を上げることができない。


「ビビ様」


なに、と幼児みたいなか細い声で応えた。さっきまでの威勢は一体、とペルは笑いこらえているに違いないのに、一向に噴き出す気配はない。

耳元に息がかかる。

肩をすくめそうになるのを、息を止めることでこらえる。

もうペルは何も言わなかった。私の名前を呼ぶこともない。

ただ、私の耳に触れたような触れないような、よくわからないまま何かがかすめていく。

それが手に被さった温度と同じであることに気付いて、私はますます俯いて、宙に浮いた方の手をぎゅっと握り込む。

その「何か」はゆっくりとこめかみに移動して、肌をなぞるみたいにまぶたへと動いた。

呼気が、まつげを震わせる。

見知った香りが部屋中を満たしている気がする。花のような紅茶の香りも気高いケーキの甘い香りも全て飲み込んで、私の一番すきなその匂いが頭の奥に染み込んでいく。

ぼんやりと視界がかすむ。ひたいに触れた尖った感触は、すぐに離れた。それがペルの鼻先であることに気づいて、重なった手の下で私の指がぴくりと身じろぐ。

それが合図だったみたいに、ふっと香りが遠のいた。


恐る恐る顔を上げると、困ったような、私を叱ったあとのような、どこかで見たことのある顔をしたペルがいて、私は心のどこかでほっとする。

顔を上げたらペルが知らない顔をして私を見ていたらどうしようと、知らず知らずのうちにおびえていたのだ。

目を合わせたはいいものの、なんと言っていいのかわからず目も逸らせない。

ペルが口を開く気配に、どきりと身構える。


「──もう一つ頂いても?」

「え?」

「ケーキを」


えっ、と今度こそ声を上げると、ペルが視線をテーブルの上へと動かす。皿の上に並んだままの残りのケーキが、いまだ甘いにおいを撒き散らしている。

えぇ、と反射のように応えると、ペルはさっと私の手を離し、腰を伸ばしてケーキを覗き込んだ。


「どれをいただいても?」

「……どれでもいいわ」


そうですか、とペルは言い、うちひとつのミントの葉が乗ったケーキを手で掴んで皿に乗せた。


「ビビ様は?」

「私はもう」


そうですか、と再び言うと、フォークを手に取りペルは黙々とそれを口に運ぶ。

呆気にとられたように私はその姿を見上げるほかない。

あまりに黙々と食べ続けるので、つい「おいしい?」と口を突いた。


「ええ。疲れた時には甘いものと言いますし」

「そうね、疲れてるものね」

「ビビ様もいかがですか」

「私はもう」


さっきと同じ言葉を口にしかけて、目の前に差し出されたカシス色のムースに気付いて口をつぐむ。

いかがですか、とペルが再び言った気がしたが私の脳が勝手に再生しただけかもしれない。

ムースから目を離すことができないまま、そろそろと口を開いた。

そっと唇にぬるくてやわらかい甘さが触れ、撫でるように口の中に入ってくる。

冷たいフォークが舌にあたり、私が舐めとったのを確かめてからそっと出て行った。

口の中でムースを押しつぶすと、細かい泡が繊細にはじけて溶けていく。

おいしい、とつぶやくと、口からこぼれたその言葉を拾って口の中に戻してくれるみたいに、ペルが私の唇に今度は確かな質感を伴って唇で触れた。

まっすぐで高い鼻梁は、やはり私の頬にあたって窮屈そうだ。


目を閉じて、今このときを全身で感じようと耳をすますのだけど唇の感覚以外なにもわからなかった。

なにもわからない、ということだけを、触れるだけの長いキスの間何度も何度も胸の内で呟いた。

そのときはそのときよ、と言ったナミさんもこんな気持ちになるのかしらとどこか遠くの方で考えていた。


fin.

拍手[11回]


私のスケジュール帳は真っ黒だ。
仕事、付き合いでの会食、友人と呼べるか怪しい人たちとの食事会、まぎれもない友人とのごはんの約束、取り寄せたバッグを店に取りに行く日、ノジコがうちに寄ると言ってきた日、重要度の様々なたくさんの予定が、私らしい文字でびっしりとスケジュール帳を埋め尽くしている。
サンジ君が「空いてる?」と言った日を確認するためにスケジュール帳を開いたら、向かいから遠慮がちに覗き込んだサンジ君が「真っ黒だね」と本当に感心したように言ったのだ。

「うん。忙しいの、今月」

顔を上げることなくそう言って、彼が「空いてる?」と言った日を確かめるとそこには18時に終わる出張の予定が入っていた。
「ごめん、だめだわ」と告げると、サンジ君は途端に悲しそうな顔ですんすんと鼻を鳴らした。

「じゃ、いつならいい?」
「うーん、またサンジ君のいい日に誘ってよ」
「おれはいつでもいいよ、空けられるよ」
「そんなことないでしょ」

実際、私はプライベートの予定もたくさん詰まっているが、サンジ君も不規則なレストラン勤務で予定は開かないはずだった。
混みあうカフェで向かい合う私たちは、うっすら漂う煙草とコーヒーの香りの雑然さに会話がかき消されまいと半ば声を張り上げていた。
全然だよ、とサンジ君は言う。

「おれ、ナミさんのためならいつでもいいんだもん。仕事もなんとかする」
「そこまでしなくていいわよ、ただごはん食べに行くだけなのに」

サンジ君はまた、ぺしょんと眉を下げて、何か言葉をコーヒーで流し込んで飲みこむみたいにカップに口をつけた。

そんなこと言わないでよ、って言えばいいのに。
私もぬるくなったコーヒーに口をつけ、上目づかいにちらりと彼の表情を盗み見る。
おれたち付き合ってんだろ? もっとデートしようよ。
そうやって言えばいいのに、彼は言いたそうな雰囲気だけをじゃんじゃん洩らしながらけして口にすることなく、ただ悲しそうにつまらなさそうに言葉を飲みこむのだった。
だからって、私は代わりに言ってやったりしない。だってそういうのは私の役割じゃないと思っている。
本当は役割なんてどうでもいいんだけど、わかっているんだけど、サンジ君がいつか自信を持って私に「おれたち付き合ってんだろ?」と言うのを聞きたいのだ。
だから、私から言ってやったりしないのだ。
事実、本当に付き合ってるのかどうか怪しいもんだと思っている。

「ね、じゃナミさんこのあとは?」
「特に何もないけど」

ぱぁっと彼は顔を明るくし、

「夕飯一緒に食うだろ? どっか食いに行く? それかうちで食べる?」
「サンジ君ちがいいな」

くぅー、と彼は歓喜の声を洩らし、「ィ喜んで!」と万歳をした。周りの客が振り返って見るほどの大声で。






「怠慢だわ」

ビビにそう言い切られ、私は目を丸めて彼女を見つめ返した。惰性で動かしたマドラーが氷をかき混ぜ、からからと音が鳴る。
私? と思わず隣のロビンに確認し、首をすくめられる。

「サンジさんがずっとそんなふうに追っかけてくれる保証なんてどこにもないのよ。なのに、『そこまでしなくていい』なんてひどい」

ビビは形のいい眉を吊り上げて、神経質に机の木目を爪でこすった。
なんでビビが怒ってるのよ、と私は笑うが、ビビは口元を引き結んだまま「怠慢よ」とまた同じ言葉を繰り返した。

「たしかにそうかもしれないけど、だからって私から追っかけるのはおかしくない?」
「なにが? ちっともおかしくなんてないじゃない」

好きなんでしょ、と断定されて、私は「さあ」と首をかしげた。ビビはますます眉を吊り上げて、「前から思ってたけど」と声を高くした。

「ナミさんは追いかけられるのが当たり前だと思ってるみたいだけど、確かにそうだとしても、追いかける人の気持ち、考えたこともないでしょう」
「なんで私が考えないといけないのよ」

ビビの剣幕に私まで尖った声をだすと、カヤさんが困ったように「ふたりとも」と言ったがそのあとの言葉は続かなかった。
ロビンは我関せずというふうに、追加でチキンの何とかを注文している。

「サンジ君が勝手に私のこと好きで、私はそれを知ってて、それであれこれ誘ったりしてるだけなのに、なんで私が帳尻合わせてあげないといけないの。考えるのはサンジ君の方でしょ」
「追いかけられなくなったらさみしいくせに」
「そしたらそのとき考えるわ」

わざとつんとすました声をだしたら、ビビは口を閉ざして、私を真正面から見つめた。
手元の細いグラスはあっというまに空になる。「おかわり頼むけど」と言ってビビを見たが、ビビは黙ったまま小さく首を振った。
ねぇ、と頬を緩めてビビの方に肘をつき身を乗り出す。

「なんであんたがそんな怒るのよ。サンジ君がそうやって怒るならまだしも」
「だって、ナミさんが、あんまり」

みるみるうちにビビの目に涙が溜まり、私はぎょっとして「やだ」と声をあげた。

「もー、なに泣いてんの」
「ちが、ごめんなさい、だって、ナミさん」

カヤさんがおろおろと自分のおしぼりをつかみ、ビビに差し出した。だいじょうぶ、と震える声でビビが応える。

はあ、と私は腑に落ちないまま肩の力を抜き、「泣かないでよー」とビビの肩をとんとんと向かいから叩いた。
しかしキッと顔を上げたビビは、泣いて気が抜けたかと思いきや目に強い力を込めて「ナミさん」と私を見据えた。

「絶対、絶対に後悔するわ。追いかけられなくなったらそのとき考えるなんて、そのときなんて、なんにも考えられなくなっちゃうんだから。ナミさんのそういうところかっこいいけど、かっこばっかりつけてたって仕方ないんだから」

そしてビビは自分のグラスを掴み、小さな声で「おかわり」と呟いた。

ビビはそのあと何でもない風にお酒を飲んで、笑い、私にも相槌をうったけど、なんとなく晴れない気持ちがお互いの中に残っているのがわかって、いつもなら終電間際まで話し続けるところ、22時前に「今日はそろそろ」な雰囲気が漂って駅前であっさりと別れてしまった。
ビビは迎えの車に乗り、ロビンはこのあと噂の年下男と落ち合う約束で、私とカヤさんで電車のホームに向かった。

「寒いわね」
「ね、冬ね」

と意味のない会話を繰り返すのは、話すことがないからではなくあまりに寒くてそれ以外のことを考えられないからだ。
だから、電車があたたかな光をはらんでホームに滑り込んで来たとき、私たちは同時にホッと息をついてその光を見つめた。
電車は混んではいなかったが座る席はほとんどなく、私たちは入ったのと逆側のドアの近くに立ってなんとなく顔を見合わせ、笑った。

「カヤさん、今日もあいつが迎えに来てくれるの?」
「いいえ、今日は一人で帰るのよ」
「えっ、へいき? 送ろうか」
「やだナミさん」

目を伏せて、口元に手を当てて笑う仕草がこんなにも似合う人がいるだろうか。
カヤさんはちらりと私を見て「男前ね、相変わらず」と言い、

「タクシーを使うように言われているから大丈夫。最近仕事の関係でもよく乗るのよ」

と誇らしげに背筋を伸ばした。

男前ね、と苦笑する。
いつもであればそれこそ誇らしいような気持ちになるのに、今日はビビとの会話がふとよみがえり、苦く胸を浸した。
カヤさんは気づかぬふうに真っ暗な窓の外を眺めながら、「ナミさんは? 駅から」と尋ねる。

「私はいつも通り。駅からそんなに離れてないしね」
「ひとり? 帰り道、本当に気をつけてね」
「うん、あ」

コート越しに、携帯の震動がじりっと伝わる。
画面に目を落とすといつもメールボックスの一番上にある名前が目立つように光っていて、『ナミさん今日はいつ頃帰り?』とサンジくんからメールが来ていた。

「やっぱり迎え、あるかも」
「そう」

カヤさんはそう言って嬉しそうに微笑み、次の駅で降りていった。
どうしたら彼女みたいに、友達の恋やその困難を聞いてやろうなんて微塵も思わずに、ただ嬉しいことにだけ静かに微笑んでいられるのか、私にはさっぱりわからなかった。

一人になった車内で、サンジくんに「今電車。あと二駅で着くわ」と返信する。
きっと彼は仕事場から自転車に飛び乗り、同僚の怒鳴り声を背に受けながら駅まで走ってくるはずだから返信は来ない。
そうまでわかりながら、どうして私は彼の顔を見て嬉しいと笑ったり、ぎゅっと苦しくなる喉の奥あたりのことを話したりできないんだろう。

ホームを降りて改札へ向かうと、機械の外側でサンジくんはこちらを向いていて、私に気付くとぱっと顔を華やかせた。
彼が笑うと、柔らかい金色の髪がハッとするほど明るく光る。

「おけーり。よかったちょうど、時間があって」
「自転車は?」
「そのへんに停めてきた」

サンジくんは当たり前のように私の手を取り歩き出す。
彼の手は水仕事から上がったばかりのように冷たい。
ひょーナミさんの手あったけぇ、と彼は二回ほど強く手を握った。

サンジくんの自転車は駅前の暗がりに横倒しになっていた。
倒れてる、と呟いたらサンジくんは「そういやスタンド立てるの忘れてた」とケロっとした顔で言って自転車を起こすと、「さ、かばん」と言ってこちらに手を差し出す。
ハンドバッグを手渡すと、それを自転車のカゴに乗せるわけでもなく肩に下げ、「行こうか」と歩き出した。
街灯のぽつぽつと灯る歩道を歩きながら、サンジくんは器用に片手でタバコに火をつけた。

「今日は何食ったの?」
「お肉」
「あー今流行ってんね、どうだった?」
「おいしかった。赤身の、厚く切ったステーキ」
「ソースは?」
「玉ねぎのと……黒い、酸っぱいやつ」
「バルサミコ酢?」
「そうそう」

甘酸っぱいその味が口の中によみがえり、耳の下がきゅっとすぼまる。
妬けるなあ、とサンジくんは呟いて、信号に足を止めた。

「一瞬うちに寄って自転車置いてってい? そこの角入るだけだから」
「いいけど、なんで? 帰り乗って帰らなきゃじゃない」

駅からサンジくんの家はすぐだが、私の家までは少し歩く。
うちからサンジくんの家までは下り坂になるので、なおさら自転車がある方がいいのに。

「こいつ邪魔なんだもん。手ェ繋いで歩きたいし」

サンジくんの手は、片方は自転車を引き、片方は私のかばんを肩から下げて煙草を吸うのに使っていた。

「手って」

呆れた顔で「そんなことのために?」と言いかけて、 飲み込んだ。

そんなことなんかじゃないのだ。
そんなこと、じゃない。
確かに私は歩き出した時、彼がさっとためらいなく私の手を取ったことにじわりと喜んだし、彼が自転車を起こすために手を離し、そのまま両手を塞いでしまったことを心から残念に思っていた。
それなのに口からこぼれるのは正反対のあれこれで、天邪鬼なつもりなんて微塵もなく本心だと思い込んでいた。
なぜならそれが私の役割だから。
追いかけるのはサンジくんの役割で、追われて喜ぶのは私の仕事じゃないから。
こちらから塞がろうとする手を追いかけたりしてはいけないのだ。

追いかける人の気持ちがわからないなんて嘘だ。
こんなにも追いたくてたまらないのに、自分の足に足を引っ掛けて転びそうで踏み出せないだけだ。

「ナミさん、青」

顔を上げると、サンジくんが怪訝そうに私を覗き込んでいた。その向こうで歩行者信号が青く浮かび上がっている。
あぁ、ともうん、ともつかない返事をして歩き出したが、横断歩道を渡ってすぐ足を止めた。

「自転車、乗せて」

暗がりの中、サンジくんの片目がこちらを向いて丸くなった。

「わざわざ置きに行かなくても、二人乗りすればいいじゃない。それなら速いしこの時間なら人も少ないから危なくないでしょ」
「えーと、いいけど、本当に大丈夫?」
「大丈夫。ほら乗って。今日ちょうどパンツだし」

言いながら運転手のいない自転車に、先にまたがる。
サンジくんが慌てて両手でハンドルを支え、私は彼に預けていた自分のかばんを受け取った。

「行くよ」

ぐい、と踏み出したペダルは力強くゆっくりと彼の足をつかまえて、初めはぐらぐらと揺れるかと思いきや、意外にもぶれることなくしっかりと地面を捉えてすぐにスッと走り出した。

「大丈夫ー?」

叫ぶようにサンジくんが言う。
うん、と叫び返して、彼のベルトを掴む手にぎゅっと力を込めた。
頬にあたる風は切れるほど冷たく、目にしみる寒さに涙がにじんだ。
しばらくサンジくんは前を見据えて一定のリズムでぐっ、ぐっ、とペダルを漕いでいたが、スピードに乗り始めると彼の背中から力が抜けるのがわかった。
深緑のモッズコートは、冷たくもその向こうにあるサンジくんの温度を確かに湛えていて、私はそこにそっと頬をつけた。

「眠たい?」

彼が尋ねる。

「ううん」

彼の吐く息が、白く夜闇に紛れて消えていく。

「もう着くよ」
「早いわね」
「うん、だから、手ェ繋いで歩きたかったんだ」

もう到着だ、とサンジくんは明かりの灯るスーパーを通り過ぎ、最後の角を曲がった。

「明日は? 会える?」
「わからない」

そっか、とサンジくんは呟いて、腰に回された私の手をそっと撫でた。

「でも、今日は泊まってけばいい」
「え?」

サンジくんがブレーキをかけ、するするとスピードが緩まる。

「泊まってけば明日も会えるし」
「え、いいの」

きゅっと彼がブレーキを強く締め、ほほが背中に押し付けられる。
もううちの目の前だ。
よいしょ、と自転車から降りて、マンションの自転車置き場を指差すとサンジくんはそちらに自転車を引いて行った。
わざと息を吐き、白いそれを眺めながらガチャガチャと鍵をかける音に耳をすます。
戻ってきたサンジくんは、迷子みたいな顔で自転車の鍵を指先に引っ掛けて、私を見つめた。

「おれ、初めてだ。ナミさんち」
「そうね」

オートロックを解錠し、すぐの階段を上る。背後からサンジくんも静々とついてくる。

部屋は当然ながら、しんと冷えていた。
ブーツを脱いで床に足をつけるとキンと痛いくらいだ。
あ、とサンジくんが声を上げた。

「着替えの下着、ねーや」
「あぁ……買いに行く?」

ぱちんと廊下の電気をつけると、神妙な顔で彼が首を振るのが見えた。

「今出たら、もう二度と来れねェかもだから」
「そんなわけ」

ふっと吹き出すと、いきなり腕を引かれて彼の胸に強くぶつかった。

「わかんねェだろ」

ぎゅう、と彼の体に擦れたコートが音を立てた。
タイツ越しの床の温度がみるみると体温を奪うのに、懸命にペダルを漕いでいた彼の体はまだ温かかった。
力を緩めたサンジくんは、ためらうことなく顔を傾けて口づけた。
すぐに唇を離して、腰を抱き、また強く力を込める。

「サ、」
「ナミさんは、どんなに近くてもおれのものにはならねぇ気がする」

それこそキスをしても、抱きしめても、身体を繋げても。
冷えた廊下に佇んで、そうかもしれないと思った。

誰かのものになるのは怖い。
たとえそれが、私の欲しい誰かでも。
所有したものは消費されるから、もしも私たちがお互いを所有しあえば、せっかく芽生えた恋とか愛とかそういうものはきっと擦り切れてしまう。
傷つきたくなかった。

おかしーな、とサンジくんがつぶやく。

「前は、どれだけでも好きだとか付き合ってくれとか言えたのに。こんなふうに側にいること許されちまうと」

ぽたん、とゆるんだ吐水口から水が落ちた。
サンジくんはその音を皮切りに私を離すと、「でも下着はいるな」と照れたように笑った。
そうね、と私も笑う。
まだ靴も脱いでいないサンジくんが「買ってくる」と踵を返すのをぼんやりと眺め、すぐに我に返って「私も行く」と後を追った。
「寒いから」と彼はやんわり押しとどめたが、いいのと譲らなかった。

寒々と白く光るコンビニの隅で、サンジくんが下着や歯磨きを買うのを待って、手を繋いでまたうちに戻った。
お風呂に入り、気の抜けた炭酸水を飲み干し、二人で冷えた布団に潜り込む。
ぴりぴりと冷たい布地が身体に触れて、足先がもぞもぞと動く。そのたびにサンジくんの脛に触れ、さっと足を引っ込めるのだがまたもぞもぞしてしまう。
ついに彼の脚に私の脚は挟み込まれてしまった。

「ナミさん明日、休みだね」
「うん」

明日は土曜日だ。サンジくんは朝から仕事のはず。
忙しい1日になるだろう。

そっと手を伸ばして彼の顎髭に触れると、サンジくんは差し出すみたいに首を反り返らせて、好きに触らせた。
柔らかい針みたいなその手触りを無心で楽しんでいると、誤って彼の唇に触れた指先がぱくっとくわえられた。

「あ」

うまい、と呟いたサンジくんはそっと私の指を離すと、そのまま顔を寄せて来て、ふわりと唇を重ねた。
サンジくんはあろうことかそのまま、ナミさん、と私を呼んだ。
唇がくっついているので、まみあん、と聞こえた。

「おれのものには、とか言ったけど」
「ん?」
「さっき、玄関で」

唇を離したサンジくんは、冷たい鼻先をくっつけて言う。そんなこたどうだっていいんだ、ほんとは、と。

「ただ、おれはナミさんのものにしといてね」

するすると鼻と鼻をこすりあわせて猫のように、サンジくんは目を細くした。

「あんたそれでいいの」
「いいよ、最高だ。おれはナミさんの」

言いながら、彼の瞼が閉じていく。
薄いそのまつげの色を見てつぶやいた。

「擦り切れちゃうわ」

サンジくんはぱちっと目を開けて私を見つめ、「何が?」と聞いた。
なにがって、と私は言い淀む。
口ごもる私に何を思ったのか、サンジくんはだいじょーぶ、と唇だけを動かした。
そのまま再び目を閉じて、唇は半分開いたまま、彼は動かなくなる。

「寝たの?」

数秒間があいて、「いんや」と返ってきた。
しかしそのまま、また微動だにしない。

「今日、忙しかったの」と聞いてみたら、サンジくんは夢の中から帰ってくる分だけの間をあけて、「うん」と目を閉じたままうなずいた。

「金曜日だもんね」

うん、とうなずく。

「お客さんいっぱい来た?」

うなずく。

「売り上げ上々?」

うなずく。

「サンジくんのお店、美味しいもんね」

うなずく。にへらっと口角が上がった。

「また食べに行くわ」

ん、と低く短い唸り声をあげて、サンジくんは身じろぎ、ついにすうっと伸びやかな寝息が聞こえた。
長い前髪が、見えているもう片方の目も隠すように垂れている。それを指先で払って、柔らかな瞼に唇で触れた。

この人はわたしの、わたしの。

印をつけるみたいに、もういちど強く、唇を押し当てた。

fin.

拍手[25回]

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 麦わら一味では基本オールキャラかつサンナミ贔屓。
白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



我が家は同人サイト様かつ検索避け済みサイト様のみリンクフリーとなっております。
一声いただければ喜んで遊びに行きます。

足りん
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