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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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気分のいい日が続いていた。
重たくて薄い灰色の雲が空一面に立ち込めていても。
首筋を撫でる風がどんなに冷たくても。
あたしたちは新しい仲間の乗船に浮かれて、一直線にアラバスタに向かっていた。
 
 
チョッパーは、乗船当時は非常食非常食と騒いでは面白がるルフィやサンジ君に追いかけられて、泣きながら逃げ惑っていた。
あたしもついつい必死なチョッパーが面白くて傍観していたりするんだけど、そういうとき決まって制止の声を上げるのはビビだった。
 
 
「ふたりともやめて、大切な船医さんじゃない」
 
 
ビビはチョッパーを守るように抱きかかえてふたりから守る。
おふざけのつもりでやっていたふたりは、それ以上手を出すことができない。
ルフィはあははっと笑って遊びを終わりにするし、サンジ君は苦笑いでごまかした。
チョッパーはというと、走り逃げていたことから息を切らしながらも、ビビの腕の中で困った顔をしていた。
 
彼女の優しさはとてもくすぐったいのだ。
そして、少しサンジ君と似ていた。
いつでも自分のことは後回し。
誰かのため、自分じゃない誰かのため、といつでも自然に救いの手を伸ばそうとする。
それはもう、あの人たちの本質なのだ。
わかってはいても、あたしはすこし、ほんのすこしだけ、受け入れられない、と思っていた。
 
ひねている、と言われたら「そうよ悪い」と反射で口にするようなあたしだ。
直す気は毛頭なく、優しい彼女を羨ましいとも思わない。
あたしはビビの優しさに触れるたびに身をよじってくすぐったさに耐えた。
 
 
 

 
チョッパーっていくつなの? と訊いてみると、悪魔の実を食べてから年齢の進み方が人間と同じになってしまったため今は15歳だと言った。
思ったより子供じゃなかった。
 
しかしチョッパーはまるで一ケタの人間の子供のように、ひとりを嫌がった。
この船に乗った以上誰かと一緒にいなければもったいないと思っているかのように、常に誰かの傍にいた。
それはルフィであったり、ウソップであったり、あたしであったり。
 
ルフィとウソップは彼らの馬鹿馬鹿しいお遊びにチョッパーを誘い入れるので、チョッパーが年少組に加わったのは言うまでもない。
だが、チョッパーはなぜだか進んで自分から構うわけではないゾロによく懐いている。
懐く、という言い方はよくないかもしれない。
しかしやっぱり小動物に見えてしまう彼はよくゾロに懐いていた。
 
ゾロの隣で昼寝をする。
ゾロと一緒に風呂に入る。
ゾロに夜食を持っていく。
 
まるで甲斐甲斐しい。
 
ゾロはというと、そばにいるチョッパーに何をするでもなくただ傍にいることを許していた。
チョッパーはいちいちゾロの傍にいてもいいかと確認を取るのだが、そのたびにぶっきらぼうな声が「好きにしろ」という。
その声音に多少竦んでもいいものだが、チョッパーは怯むことなくむしろ顔を綻ばせて、いつでもゾロの隣に腰かけた。
 
ほほえましいような、筋肉バカが移るんじゃないかと心配なような、どっちつかずな気持ちがする。
 
 
「さて」
 
 
あたしは書きかけの海図を洗濯ばさみで挟んで、机の上に張った紐につるした。
少し喉が渇いた。
ドラムを出てからまだ数日、冬島の海域は抜けていないので肌に触れる空気は冷たい。
温かい飲み物でも貰おうか、とあたしは立ち上がった。
しかしそれと同時に、柔らかいノックの音が聞こえた。
 
 
「んナミさん、何か温かい飲み物はいかがかな」
 
 
あたしは眉間に皺を寄せるより早く、ぶっと吹き出してしまった。
サンジ君はそんなあたしを見てキョトンとしている。
 
 
「もらうわ」
「何にしようか」
「うん、あたしもキッチンに行くからそこで選ぶ」
「ここまで持ってくるよ?」
「いいのよ。もう終わったから」
 
 
そう? とサンジ君はあたしの背後に視線を遣って、恭しく扉を広く開けた。
あたしは彼の必要以上に荘厳なエスコートで、半分散らかったままの女部屋を後にした。
 
 
キッチンには先客がいた。
ほう、今日はサンジ君なのね、とあたしは小さな茶色い毛玉を見て思う。
チョッパーはダイニングに腰かけて何か分厚い本を読んでいた。
あたしを見てニッと笑うそのすがたは愛らしい。
あたしは彼の隣に腰かけた。
 
 
「ナミはいっつも部屋で何をしてるんだ?」
「うぅん? いろいろよ。今は海図を描いてたの」
「へぇー!」
 
 
チョッパーは丸い黒目を大きくしてあたしを見た。
ひづめのついた手がパタンと分厚い本を閉じた。
 
 
「医学書?」
「ううん、これはサンジに借りたんだ。薬膳レシピ集。おれが調合した薬草をサンジに調理してもらったら、食事でみんなの病気を治せるんだ」
「へぇ、すごいわね」
 
 
お世辞ではなく、素直な感嘆だった。
やっぱり医者がいるというのは心強い。
やっとケスチアの菌が身体から出ていったばかりのあたしとしては、チョッパーの存在はとてもありがたかった。
ナミさん、とキッチンからサンジ君が呼んだ。
 
 
「それで、飲み物は何にしようか」
「あぁ、そうね、温まるものなら何でもいいわ」
 
 
選ぶと言っておきながら丸投げをしても、サンジ君は苦笑さえせず了解、と答えた。
チョッパーの前にはすでにカップが置いてある。
 
 
「何飲んでたの?」
「ホットココアだ! うまかったぞ」
 
 
そう、と微笑んだ。
歳の離れた弟がいるというのはこんな感じだろうか、とあたしはこっそり夢想する。
ルフィやウソップじゃ駄目だ。
そもそも歳が一つしか離れていないし、百歩譲ってあいつらが弟だとしてもおバカな弟はもうたくさん。
その点チョッパーは見ていると思わず頭を撫でたくなるような。
そんなことしたら本人は怒るだろうから、やらないけど。
 
 
「お待たせしました、オレンジジンジャーティーです」
「んん、ありがと。いいにおい」
 
 
お茶はティーカップではなくたっぷりとマグカップに入っていた。
冷えた手であたしはカップを包み込む。
じぃんと熱さが手に沁みた。
 
 
「ナミさん、次の島まであとどれくらい?」
「ん、そうね、まだ二週間はかかるかしら。6日ほどで冬島の海域は抜けるけど。なに、食料足りない?」
「いやいやそういうわけじゃねェんだ。ドラムでたっぷり積んできたから食料は」
 
 
じゃあどういうわけなんだろう、とあたしは考えながらお茶をすする。
生姜のツンとした香りがオレンジの爽やかさに混じって舌を痺れさせた。
彼は何か言いにくそうに、もごもごとしていた。
 
 
「ああー……じゃあさ、次の島は飛び越えるとか、そういうのって、できんの?」
「え? 寄らないってこと?」
 
 
うん、と彼はなぜか申し訳なさそうに頷いた。
チョッパーはあたしたちの会話を不思議そうに聞いている。
 
 
「まぁアラバスタの永久指針は持ってるから、ログ的に問題はないけど……次の次の島はもうアラバスタよ。そこまでだと平和に行ってもまだ二か月はかかるわ」
「二か月か……」
 
 
サンジ君は頭の中で勘定をするように視線を上に彷徨わせた。
食料の持ち具合を計算しているのだろうか。
あたしはぴんと来て、すぐさま口走っていた。
 
 
「ビビのため?」
「いやあ、うん、できることなら早く……さ」
「そうね」
 
 
もしもあたしが倒れたりしなければ、もう少し早くアラバスタには着いていただろう。
あたしだって気が急いている。
あたしのせいで寄り道をしてしまったのだと思うと余計に。
 
 
「もし二か月食料や必需品が持つって言うなら、別に寄らなくたって構わないわよ。他の奴らだって特に反対しないだろうし」
「うん、そうか、二か月……」
 
 
サンジ君はぶつぶつと呟きながらキッチンへと戻っていった。
チョッパーが空のマグカップを手にちょこんと椅子から飛び降りて、サンジ君の後を追いかける。
 
 
「サンジ」
「なんだ、おかわりか」
「ちがう、おいしかったんだ。ありがと」
「あァ……カップそこ置いとけ」
「おれ洗うよ」
「いいいい、他にも洗うもんあるから」
「じゃあそれ手伝うよ」
「あー、じゃあ代わりにビビちゃん呼んできてくれ。多分まだ見張り台にいる」
「おう!」
 
 
チョッパーはたったかと歩いて、キッチンを出ていった。
本当に人間の子供のようだ。
 
 
「扱い上手いのね」
「え、今の?」
「そう。上手いのは女の扱いだけだと思ってた」
 
 
サンジくんはくっと喉を鳴らして笑った。
 
 
「女の扱いは、上手いと思ってくれてるわけだ」
「たっ…タラシって意味でね!」
「そりゃどうも」
 
 
サンジ君は胸ポケットから煙草を取り出して、マッチを擦った。
丸めた指と指の隙間から、ポッと灯った赤色が見える。
すうっと立ち上った煙を目で追った。
珍しい、とあたしは彼の口元に視線を転じた。
さっきまでは吸っていなかったのね。
 
 
「なに?」
「ううん、サンジ君の真っ黒でかわいそうな肺のこと考えてたの」
 
 
彼は神妙な顔で胸に手を置いた。
 
 
「ナミさんまでそんな事言ってくれるなよ」
「あたしまで?」
「さっきチョッパーに言われたとこだ。『煙草は体に害しかもたらさねぇんだぞ!』ってな」
「そうよ、それにコックとして煙草ってどうなのよ」
「それも苦くも懐かしいセリフだな──」
 
 
サンジ君は思いを馳せるように、遠くを見る目でふーっと長く煙を吐いた。
 
 
「女ったらしとして真髄を極めたいなら、煙草なんてやめるべきだわ。女の子は煙が嫌いよ」
「ナミさんオレァ別に女たらしの真髄を極めたいわけじゃあ……あぁ、まぁでも女の子に不評ってのはよくわかる」
「あら」
「ナミさんも嫌いだろ?」
「まぁね」
 
 
煙たいものと応えると、サンジ君はにやっと笑った。
 
 
「ナミさんとのキスがまずくなるのも困りもんだ」
「ご心配なく。あんたとキスする予定はありませんから」
 
 
サンジ君はヘラヘラと、声を出さずに笑った。
これは彼にとって単なる冗談のストライクゾーン。許容範囲だ。
 
 
「恋した彼は煙草の香り──ってね」
「何よそれ」
「知らない?」
「知らない。歌?」
「うん、今オレが作った」
「呆れた」
 
 
ため息をついても、サンジ君はへへっと笑って平気でいる。
 
 
「だがありそうな話だろ? 女の子は大人の男が好きで、大人の男は煙草が似合う。そうすっと好きな男の香りは苦手な煙草の香りってわけだ」
「なんなの、急に」
「うん、ナミさんがそうだったらいいなって話」
 
 
は? とあたしはカップから口を離した。
 
 
「自分で煙草の似合う大人の男とか言っちゃって、世話ないわ」
「んもー、つれねェな……。ナミさん恋したことねェの?」
 
 
ハァ? とあたしは今度こそ怪訝な顔をさらした。
 
 
「なんで急にそうなるのよ。バカにしないでよね」
「そういうつもりじゃねェけどさ」
「じゃあどういうつもりよ」
 
 
鼻息荒くあたしが尋ねたところで、ガチャリとキッチンの扉が開いた。
 
 
「サンジ、ビビ連れて来たぞ!」
「サンジさん何か用事?」
 
 
サンジ君はぱっとビビの方に顔を向けて、にっこりと笑った。
 
 
「いやあ、見張りご苦労さん。何か温かい飲み物でもご用意しようかと思ったんだけど。寒い外で飲むよりここで少し温まった方がいいかと」
「あらありがとう。じゃあ紅茶を」
「御意」
 
 
サンジ君は恭しく一礼して、準備に取り掛かった。
座んなさいよ、とあたしはビビに目線で椅子を勧める。
ビビはあたしの向かいに、チョッパーがその隣に座った。
 
 
「ナミさんはなに飲んでるの?」
「オレンジジンジャーだって。おいしいわよ。飲む?」
 
 
ビビの前にカップを滑らすと、彼女は嬉しそうにそれを手で包んで受け取った。
しかしあたしはそんなビビを尻目に考え続ける。
 
 
──ナミさん恋したことねェの?
 
 
そう来たか、とあたしは彼の背中をこっそり睨んだ。
まるで理解できない人種みたいな言い方してくれちゃって。
あたしは年中ハートを飛ばし続けるあんたの方が理解できないわよ。
 
 
「──ミさん、ナミさん?」
「えっ?」
「どうしたのナミさん、考え事?」
 
 
ビビは水色の横髪を揺らして、首をかしげた。
ちょっとね、とあたしは肘をつく。
ビビは少し笑いながら、おもむろにあたしの眉間に指を突きつけた。
 
 
「ここ、皺になってるもの」
「うわあ……」
「なんだか怖い顔していたわ」
 
 
やだ、と呟きながらあたしは指で眉間をもみほぐす。
チョッパーが心配げな声を出してあたしの顔を覗き込む。
 
 
「具合悪いのか? 診ようか? そもそもナミはまだ病み上がりなんだから大人しくしてなきゃならねぇんだ。もし体調がよくねェならすぐに」
「大丈夫よ、やあね」
 
 
本当に? とチョッパーはしつこい。
 
 
「へいきだって」
 
 
あたしは笑って見せたがまだ疑るような顔をしていた。
 
 
「はいビビちゃん」
「ありがとう」
 
 
カップを受け取って、あぁ温かいとビビは鼻先に湯気を当ててほうっと吐息を吐き出した。
 
 
「ところでビビちゃん、他の野郎どもは何してた?」
「ええと、ルフィさんとウソップさんは船に残った雪で遊んでたかしら。ミスターブシドーは……見ていないわ」
「そうか、ありがとよ」
「そう言えばルフィさんたちが、トナカイさん、あなたを探してた気がしたけど。遊びに誘うつもりじゃなかったのかしら」
「え、そうなのか?」
「行かなくていいの?」
「うーん」
 
 
チョッパーは少し考えるように俯いたが、わりとすぐに「いいんだ」と首を振った。
 
 
「あんたまさか外は寒いからとか言うんじゃないでしょうね」
 
 
トナカイの癖に、とあたしがからかうと、チョッパーはそうじゃねェよとムキになる。
嘘よ、とあたしは笑った。
 
 
「サンジ君のレシピ、読んでたいんでしょ」
 
 
チョッパーはうん、と膝に置いた分厚い本の表紙を撫でた。
 
 
「どらチョッパー、オレァ今から倉庫行ってくるが、本はテメェで持ってて構わねぇ。返すときゃ男部屋の本棚な」
「おう、ありがとうサンジ」
 
 
サンジ君はおうよと手を上げて応え、あたしたちに向けてにっこりと笑みを放った。
 
 
「レディたちはごゆっくり」
 
 
ビビは首を回して、「ありがとうご苦労様」といたわりの言葉をかけた。
 
 
「サンジはかっこいいなあ」
 
 
チョッパーはまるで夢見るようにほうっと息を吐いて、彼の姿が消えた扉を眺めた。
そうね、とビビがお愛想で頷く。
「ところでナミさん」と彼女はあたしに視線を寄越した。
 
 
「お邪魔だったかしら」
「え? 何がよ」
「今さっき。何かお話してたでしょう、サンジさんと」
 
 
あぁ、とあたしは鼻で笑いながら手を振った。
 
 
「いいのよ、いつものナンパだから。それにあいつがビビを呼んだんじゃない」
「そうだけど」
 
 
ビビは煮え切らない表情で紅茶をすする。
線の細い上品なティーカップは、彼女に良く似合った。
小物だったり、なんてことない仕草だったりに香り立つような気品がビビからはにじみ出る。
椅子の上に片足を折り曲げて乗せ、テーブルに肘をつきながら大ぶりのマグカップを呷るあたしとは大違いだ。
 
 
「ねぇトナカイさん、私にもその本見せて」
「おういいぞ」
 
 
チョッパーが表紙を開いた。
ビビがそれを覗き込む。
蹄が指さすその先を、ふたりはきゃあきゃあと楽しそうに読んでいた。
ほほえましいわね、まったく──
 
 
「……結局恋って何なのよ」
 
 
声に出したつもりはなかった。
当然、誰かからの返事も期待していない。
それでも向かいの二人はきょとんとつぶらな瞳を一度にあたしへと向けた。
まず、とあたしはきゅっと唇を引き結ぶがもう遅い。
 
 
「やっぱりナミさん、考え事」
「い、今のは別に」
「恋だって、ねぇ、トナカイさん」
 
 
なぜだかビビは心なしかはしゃぎ声で、チョッパーに話を振った。
チョッパーはきょとん顔のまま、「ナミは『恋』を知らないのか?」と言い放つ。
愛らしい顔してコイツも、とあたしは歯噛みした。
 
 
「何よ、説明してくれるの?」
「おういいぞ。人間心理もちょっとだけ勉強したんだ」
 
 
冗談というか、ちょっと意地悪のつもりだったのに、チョッパーはえへんおほんと声の調子を整えて、はつらつとした声で話し始めた。
 
 
「いいか、まず動物の根幹にあるのが本能だ。これは三つの大きな欲求が動かしてる。食欲・睡眠欲・性欲。これを三つ合わせて簡単に言ってしまえば、生きたいっていう欲求だ。だから当然大切なんだ、すごく。で、ナミのいう恋ってやつは人間が作った言葉だから当然人間だけのもので──」
「ちょ、ごめ、チョッパーもういいわ、わかったから」
 
 
あたしは慌ててチョッパーの声を遮った。
しかしビビが逆にあたしを押さえるように遮る。
 
 
「いいじゃない、聞きましょうよ」
 
 
何でよ、とあたしはビビを軽く睨むがすました顔で無視される。
ビビは楽しげに続きを促した。
 
 
「それで?」
「うん、もちろん動物も人間の『恋』に似たことはするけど、それはフェロモンに対する単純な反応で、人間ほど複雑な過程はない。でも逆に言えば、人間もフェロモンに対する反応が恋の始まりに変わりないわけで、そこに人間特有の『感情』が加わることで独特になるんだ」
「つまり?」
「動物はフェロモンに反応してそれがすぐに生殖活動に結び付く。でも人間は、好きだの感情から始まって、恋慕から嫉妬、憎しみ、哀しみや寂しさとかいろいろな感情を発生させながら、生殖活動に至るまでの関係を育む──らしい」
 
 
らしい、で終わるのはまあ彼がトナカイたるからであって。
それでもこうも堂々とトナカイの子供に恋愛を語られると、どうしてか真に迫るものがある。
 
 
「それで?」と今度はあたしに顔を向けてビビは尋ねる。
 
 
「ナミさんが恋を? それともサンジさんが?」
「ばっ……!」
「あら、そういう話じゃなかったの?」
「全ッ然!!」
 
 
あたしは歯を剥きだし、鼻の頭に皺を寄せて叫んだ。
同時に荒々しく椅子を引いて立ち上がる。
 
 
「海の様子見てくる!」
「はいいってらっしゃい」
 
 
ビビはにこやかにあたしを見送る。
「ナミ怒ったのか?」とチョッパーがビビに顔を寄せて尋ねる声が聞こえた。
「逃げちゃったのよ」と笑うビビの声が今はにくらしい。
 
 
 

 
海は静かだった。
あぁも大きく宣言してでてきたので、「問題なしだったわ」なんて言ってのうのうと戻れるわけがなく、あたしは船べりに腕を乗せて、さらにそれを枕のように頭を乗せた。
90度回転した世界が波の動きでゆらめいている。
 
ああ寒い、とあたしは薄手のセーター越しに自分の肩に触れた。
遠くでルフィの嬌声が聞こえた。雄叫びというには甲高い。
まだ雪は船の上に残っているのだろうか。
白く、一度瞬けば霞んで消えてしまいそうなドラムの景色を思い出した。
着いたときからずっと寝ていて、移動も常に運ばれる荷物と化していたのでドラムの地を踏みしめた感覚は薄い。
薄いまま出国してしまったのが何となく心残りだったが、今はもう心はアラバスタへと向かっている。
凍える冬の国とは打って変わって、乾いて暑い砂の王国。
 
彼女の優しさは国を救うだろう。
そう信じたかった。
あたしにはすこしくすぐったさに過ぎる優しさでも、きっと彼女を信じる民にとっては何よりも心強い希望になる。
 
彼女が敵と言うものはあたしたちの敵だ。
ビビの言う『クロコダイル』をルフィがやっつけて──
彼女の国が救われて──
そしたら大きな王宮でのんびりと羽を伸ばしたい。
約束のお金だってちゃんと請求して、美味しいご飯を食べて、綺麗なお風呂に入って──
そしたらまた新しい旅に、あたしたちは出るのだろう。
今この船の一番高くで風に翻る麦わら帽子のジョリーロジャーを携えて。
そのとき、ビビはここにいるのだろうか。
 
ふわりと、柔らかい布地が肩口をかすめた。
背中がほんわりと温かくなる。
振り向くと、サンジ君がいた。
細い煙草を口の端に加えて、少し顔をしかめている。
 
 
「せっかく温まったのに、そんな恰好で」
「倉庫は?」
「もう終わった。それよりナミさん、早く部屋に入った方がいい。ああもう、鼻の頭が赤くなってら」
 
 
サンジ君は指先であたしの鼻をつまんで、子供をたしなめるように「なっ?」と言った。
いいの、とあたしは彼の手を払ってそっぽを向いた。
 
 
「ちょっとここにいたいの。海も見たいし。ほっといて」
「それじゃあコート着ておいで。その恰好は寒い」
「毛布があるから平気よ」
 
 
サンジ君が掛けてくれたそれを、あたしはさも元から持っていたかのように握りしめる。
「頑固な姫だ」とサンジ君は呆れたようにつぶやいた。
その場を去ろうとはしない。
あたしは姫なんかじゃないわ。
 
 
「え?」
 
 
サンジ君は聞き返すようにあたしに耳を寄せた。
また口に出ていたのだろうか。
なんにも、とあたしは海に落とすようにつぶやく。
 
あーナミさん、と彼が心なしかまともな声を出した。
 
 
「さっきの話だけど、次の島寄る寄らねェっていう。やっぱりちょっと二か月は厳しいかな……」
「ああ、そう……」
「平穏に行って二か月だろう? あ、もちろんナミさんの読みに文句つけるつもりは毛頭ねェけどよ、やっぱり何があるかわかんねェから」
「そうね、残念ね」
「悪ィ」
「ばか、なんであんたが」
 
 
サンジ君は照れ笑いのように小さく笑ってごまかした。
なんでこの男はすぐに謝るのだろう。
 
 
「ナミさん怒ってんの?」
 
 
サンジ君はあたしの隣に肘をついて、あたしの顔を覗き込もうとする。
あたしは顔を背けた。
別に、とそっけなくする。
 
 
「怒ってんじゃねェか……」
「怒ってないわよ、何、心当たりでもあんの」
「心当たり……心当たりねェ……」
 
 
サンジ君は真剣に考え出して、あたしの隣で黙りこくった。
別に怒っているつもりはなかったのだけど、彼が勝手に考え始めたのであたしも口を挟まないでおく。
 
 
──ナミさん恋したことねェの?
 
 
びゅっと強い風が頬を殴った。
ひゃっと肩をすくめてあたしは目を瞑り、手すりにつかまった。
左の肩がどんとサンジ君にぶつかる。
右側を、強い力が支えた。
 
 
「ほら寒いだろ、やっぱりコート」
「いらないってば。ちょっと、何ちゃっかり触ってんの」
 
 
サンジ君はあたしの右肩を抱いて、ん? とあたしを見下ろした。
 
 
「役得役得」
「なにがっ……ちょっと、いい加減にしなさいよ」
 
 
身をよじって彼から離れようとしたが、サンジ君は思いのほか強い力であたしの肩を抱き少しも離れられない。
すぐ近くに、シャツの襟から覗く寒そうな鎖骨が見えた。
 
 
「怒るわよ」
「もう怒ってんじゃん……いいだろ、あんたがここにいる間だけ。あーあったけぇ」
「じゃあもう戻る!」
 
 
あたしはくるりと身体を右側に回転させ、彼の腕の中から抜け出した。
途端にきんと冷えた空気がセーター越しの肌をなぶり、存外自分がサンジ君に暖められていたことを知った。
あたしはすぐさま踵を返して船室へと向かう。
しかし、たった一歩を踏み出しただけであたしの足は止まった。
 
抱きすくめられていた。
胴の一番細い所と、肩に回された腕が檻になってあたしを囲っている。
 
 
「ちょっ……あんたねぇ、ふざけんのもいい加減」
 
 
ぎゅう、と力が強くなった。
言葉に詰まった。
身をよじるが、解放される気配はない。
 
 
「……あのねぇ、あんたどうなるかわかってんの」
 
 
無言。
冬の風が帆の間を通り過ぎる音、船が波をかき分ける音だけが響く。
ちょっと、ねぇ、サンジ君、大概にしなさいよ、と低い声を出すが返事はない。
 
 
「……なんとか言いなさいよ……」
 
 
不意に、セーターの襟から覗く生身の肩にざらりとした感触を感じた。
不覚にもぴくっと肩が跳ねる。
彼の顎髭が肌をかすめていた。
きっと頬と頬は少し動けばふれあってしまう程の近くにある。
いや、もう触れているのだろうか。
冷えて強張ったせいで感覚がない。
 
ナミさん、とようやく彼が口を開いた。
 
 
「オレにこうされんの、いや?」
「あっ……当たり前でしょこのタラシッ……!」
「あんたオレが誰にでもこんなことすると思ってんのか」
 
 
ぴしっと、硬い鉱石にひびが入る。
彼の声は反論を許さないような鋭いものだった。
そしてとてもまっすぐだ。
それでもあたしはあたしの中に残る意地をかき集めて声を上げた。
 
 
「そう思わせてきたのはあんたでしょう……!」
「じゃあオレが他の女の子に見向きしねぇで、ビビちゃんがキッチンに来てもそっけなく水の入ったコップ渡すような男になったら、あんたはオレを見てくれるのか」
「それは」
 
 
ちがう、と思った。
そんなのサンジ君じゃない。
だけど、ちがうと言ったら女にだらしのないコイツを肯定してしまう。
 
なぁ、とサンジ君は白い息とともに吐き出した。
 
 
「好きだ。お願いだから、オレのこと好きになって」
 
 
彼の吐いた白い空気があたしの吐いた白い空気と重なって霧散した。
濃密なバターのような濃くて甘い香りがした。
くらりと目の前が歪む。
しかしあたしはしっかりと自分の二本の足で立っている。
流されてはいけない、と理性が叫んだ。
 
 
「ま、待って、よく考えて」
 
 
なに、と彼が続きを促す気配がした。
彼を拒む理由が次々と浮かんだが、どれも陳腐なものだった。
しかしそれがすべてだ。
 
 
「あたしたち、一味よ」
「そうだ」
「仲間よ」
「わかってる」
「家族なのよ……!」
 
 
そう、あたしたちは一味で、仲間で、家族だった。
 
サンジ君が朝のベルを鳴らす。
香ばしい朝食の匂いに鼻をひくつかせながら、夢うつつとみんなが目を覚ます。
寝間着姿で、寝癖をつけたまま、時にはよだれの跡さえつけて、押し合いへし合いしながら洗面所を取り合う。
朝の挨拶と共にキッチンでエプロン姿のサンジ君に出迎えられ、騒がしい朝食が始まる。
それぞれが好きな場所で午前を過ごす。惰眠をむさぼるものもいる。
お昼にはまた『いただきます』を唱和する。
今日のおやつにそわそわしながらみんなで車座になり札遊びをする、釣りをする、バカ笑いをする。
爆発音のような乾杯で宴が始まる。
だらしなく足を折り重ねて、甲板に転がって酔っぱらう。
 
闘えば背中を預け合った。
それぞれの強みを、そして弱みを知っていた。
誰もが守り守られていた。
下手くそな絆が、あたしたちにはあった。
 
それを壊したくなかった。
たとえどんな形であれ。
 
 
「わぁってるよ」
 
 
サンジ君はもどかしそうに早口だった。
 
 
「だがんなこと理由にゃならねェ。理由にしてたまるか。そりゃあんたが逃げたいがための言い訳だ」
 
 
腕の力が強くなった。
どうしようと困惑すると同時に、ああもう、とあたしのほうこそもどかしくなる。
 
 
「あんた、覚えてないの!? あたし、あんたのこういうところが嫌いだって言った!」
「覚えてるよ。キツかった」
 
 
ずきん、とあたしのどこかが痛んだ。
彼の傷ついた心があたしの心と共鳴したような。
 
 
「でも、だからって身を引いてちゃそれっきりだ。悪いけど、オレはそんな殊勝な野郎じゃねェ」
 
 
うそをつけ、とあたしは足を踏み鳴らしたくなった。
いつだって、ナミさんナミさんとへらへらしながらあたしを追いかけて、甲斐甲斐しく世話を焼いて、邪険にされてしょぼくれたって次の瞬間にはけなげに後をついてくる。
それのどこが殊勝じゃないっていうのよ。
そもそも、いつもの彼はどこに行ったの。
 
熱い息が首筋にかかった。
顎鬚のざらつきが滑った場所に、柔らかい何かが押しあたる。
あたしは右手を素早く腰に伸ばした。
 
 
「……っうわっ、だっ!!」
 
 
ガツンと彼の腰に一撃を食らわせ、次いで二発目で仕込み棒を振りかぶって彼を殴り飛ばす。
不意を突かれたサンジ君は、臆面もなくぶっとんだ。
もんどりうって転がった身体を追いかけて、あたしは彼の頭にもう一発お見舞いする。
 
 
「ぃだっ!ナ、ナミさん待っ」
「うるさい!」
 
 
ガツンとさらに仕込み棒を振りかざしたところで、騒ぎを聞きつけたクルーがどうしたどうしたと集まってきた。
 
 
「どうなるかわかってんのって、あたし言ったわよね。覚悟なさい」
 
 
サンジ君は引き攣った頬をぴくりと動かした。
 
 
「んだー、またサンジのヤツナミを怒らせたのか」
「お前が言える立場かルフィ」
「おいおいおいおいまた船壊してくれんなよー」
「ナミ! お前まだ安静にしてなきゃだめだろ!」
「トナカイさん、ここはまずサンジさんを心配するべきじゃ」
 
 
好き勝手言う仲間たちを尻目に、あたしは仕込み棒を固く握って彼をことばの通りボコボコにした。
またサンジ君がいらぬちょっかいを掛けたのだろうということで結論を出したクルーはさっさと解散していく。
 
ちょ、ナミさんもう勘弁、いて、クソッ、
 
あたしは氷のような冷徹さで彼を叩きのめした。
あたしの気が済んだ頃には、サンジ君は鼻血をしたたらせてのびていた。
息を切らせて、あたしはチョッパーを呼びに行った。
 
あたしに殴られている最中、彼は一度もごめんと謝らなかった。
 
 

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その日はとてもきれいな夜で、雲の流れは遅く、海は波も寝静まったかのように静かで、うら若き女の子であれば憧れのあの人のことでも思って詩の一つや二つ詠んでしまいそうな、そんな夜だというのに。
 
あたしは一升瓶を片手に、だらしなく裸足を甲板に投げ出していた。
隣には憧れのあの人でも何でもないただのゾロが、あたしと同じく酒瓶を手にして座っている。
さっきまで互いに何かを話していたと思うのだけど、気付いたら話が途切れてふたりとも黙りこくったまま自分の手にあるお酒を飲み下し続けていた。
 
すっと、紺色の空に光の筋が走った。
あたしと同じ仕草で空を仰いでいるゾロもきっと目にしたはずだ。
とはいえそんなことに心動かせるメルヘンな感情などきっとこの筋肉のかたまりにはかけらもないのだろう。
流れ星になど目もくれず、またお酒を呷っている。
 
 
宴が始まった理由はなんだったっけ。
今日も特になんてことのない一日だった。
たった五人の海賊団だ。
誰かがよし宴をしようと言いだせば、すぐさま始められる。
言いだしたのはきっとルフィかウソップかその辺りだろう。
今日も何やら楽しそうにふたりで釣りをして、大物が連れたとかなんとか言ってぎゃんぎゃん騒いでいた。
そうだ、今夜の宴の発端はここだった。
 
ふたりが釣り上げて甲板に放り出された大魚はギラギラと銀と黄色に光る見るからに怪しげな魚で、大喜びするルフィたちをあたしは遠巻きに眺めていた。
気持ち悪ィ色! とげらげら笑うルフィはすぐさまキッチンへと飛んでいき、サンジ君を呼びに行った。
連れてこられたサンジ君は甲板に上がった大魚に目を丸めたが、すぐさまてきぱきと魚を検分した。
結果、この海域にしか生息しない比較的珍しい魚で、食べられるとのこと。
その言葉に大喜びしたルフィが、「今夜は宴だ!」と高らかに宣言したのだった。
 
宴だ宴だと簡単に言うけれど、ただで出来るわけじゃない。
船の上だからお金は減らないけれど、食料とお酒は普段の食事に比べてぐっと減る。
そのぶん次の寄港で買い込む分が増えるから、あたしとしてはあまりいい顔はできないのだけど。
かといって、宴で食料が減った分あたしたちが食糧難に陥るということはなかった。
お金の管理はそれこそ誰にも負けないくらいうまくやりくりしているが、食料に関しては全てサンジ君が担っている。
その彼がとても上手にやってくれているのだろうということはわかっていた。
 
ナミー、今夜は宴だぞ! とルフィが嬉しそうにあたしに手を振るので、あたしはハイハイと軽く流した。
サンジ君は何も言わないし、今日はこの臨時収穫もあるので食料の残りに心配はないのだろう。
あたしがわざわざ反対する理由はない。
 
そうして今夜の宴は始まった。
まずは準備から。
キッチンのテーブルを甲板にだして、即席でウソップが固定して。
ごろごろとラムの酒樽を転がしてきて、グラスを人数分用意する。
サンジ君の指示が飛んで、ルフィとウソップは従順に前菜を運んだ。
あたしは何をすればいい? と尋ねると、サンジ君は「甲板でオレを待ってて」といらぬ口をきいた。
 
日が落ちて、ゾロが長い昼寝から目を覚ましたところで元気よく乾杯。
次々と運ばれてくる魚料理。
さかなじゃだめだ肉はどこだとルフィが騒いで、お前が釣ったんだろうがとサンジ君にかかとを落とされる。
それを尻目にあたしもお酒の栓を開けた。
 
見たこともない魚は淡泊な味で、そのぶんサンジ君の料理の腕が生きていてどの料理もおいしかった。
涙が目の端に浮かぶほど馬鹿話に笑って、あたしがおなかいっぱいになったころルフィが、そしてウソップがつぶれた。
お酒の良し悪しもわからないこの二人は、安いラムばかりがぶがぶと飲んでは食ったり笑ったりはしゃいだりとよく動くので、いつだって身体に酔いが回るのが速い。
 
潰れた二人はそのまま甲板の隅に転がしておいて、あたしはさて少しいいお酒でも開けてみようかな、と立ち上がったところで、キッチンから戻って来たばかりらしいゾロに出くわした。
その手には新しい酒瓶を持っている。
いいもん持ってんじゃない、とにやりと笑うと、ゾロは険しい目をさらに険しくして嫌な顔を作ったが、何を言うでもなくお酒の栓を開けて自分のグラスに酒を注ぎ、あたしにグラスを差し出すよう顎をしゃくった。
 
そうして始まった酒飲みふたりの二次会は、とてもゆっくりと時間が進んだ。
甲板の地べたに直接、ゾロのようにあぐらをかいて座り込む。
少しだけ、東の海の話をした。
ゾロの故郷の村は、昔本で読んだグランドライン後半の海にある遠い遠いワノ国と言う島国に雰囲気が似ていた。
 
東の海のお酒は安かったね、
あんまり上等じゃあなかったがな、
こっちのお酒はラムでもそこそこするんだから、やんなっちゃう。
ラムは甘いから好きじゃねェ、
あたし一度西の海のお酒、飲んでみたい。
あぁ……たしかにあっちの酒は旨ェとか聞くな。でも売ってんだろ酒屋に。
そりゃあいいところに行けば買えるけど、船に乗せるには少しもったいないのよ。
じゃあどっかの島で飲んでこればいい、オレも行く。
西の海の酒を、なんて言ったら郷愁ぶってるみたい。故郷でもないのに、
違いねェ──
 
 
そうだ、さっきまでこんな話をしていたんだった。
なんとなく訪れた沈黙はたいした気まずさも居心地の悪さももたらさず、静かでゆっくりとした時間の流れとともにあたしたちの間に漂っていた。
あたしは少しだけ頬が温かくなる程度には酔いが回っているのだけど、横に座るゾロには全くそう言った気配もない。
あたし以上のザルなんてそうそういないんだから、こいつも化け物だ。
ルフィやウソップなんてゾロに張り合おうともなれば一瞬で潰されちゃうだろう。
サンジ君は──そう、サンジ君は?
 
 
あたしは酒瓶を床に置き、座ったまま後ろを振り返った。
船室の扉から丸く切り取られた灯りが漏れている。
キッチンで、サンジ君はずっと宴の片づけをしているのだ。
いつものことだというのに、気付いてしまうと急に申し訳ない気がしてしまった。
そういえばサンジ君が宴の最中ゆっくりと腰を落ち着けているところなど見ていない。
彼はずっとずっと立ち働きづめなのだ。
それなのにあたしたちばっかり飲んだくれて、悪いことしちゃった。
とはいえ彼に「お手伝いさせて」なんて言ってもお得意の口八丁で丸めこまれて手を出させてもらえないので、そんな事言うつもりはさらさらない。
ただ少し、しばらく様子の見ない彼のことが気になった。
 
あたしが立ち上がると、ゾロはあたしの方を見ることもなく「何かツマミ持って来い」と偉そうに命じた。
あたしを遣おうなんて全くいい度胸だわ、とあたしは返事もせずにどすどすとゾロから歩き去ってキッチンへと向かった。
 
 
灯りの洩れる扉を開けると、皿を洗うサンジ君が振り返った。
 
 
「ナミさん!」
 
 
ぱっと明るくなった顔は、少し照れたようにはにかんで頬がでれんとだらしなく緩む。
水を止めて手を拭いて、サンジ君はさっと咥えていた煙草を手に取るとあたしに歩み寄ってきた。
 
 
「どうかした? お腹すいた? 何か作ろうか? 酒は足りてる? マリモばっか飲んで足りてねェんじゃ、あ、特別にカクテルでも作……」
「いい、いいから。別になんでもないの」
 
 
にこにこと、しかし圧力をかけるようにあたしに問い詰めたサンジ君は、あたしの返事にキョトンと間の抜けた顔をさらした。
じゃあ何をしに来たんだ、と顔に書いてある。
それを答えようとして、まさか「アンタの様子が気になって」なんて言おうものならそれはもう鬱陶しく喜ぶのが脳裏に浮かんだので、咄嗟に口を閉ざした。
もごもごと、「ちょっと喉が渇いて、お水を」と言うようなことを口にする。
ああ、とサンジ君は納得顔でさらに相好を崩した。
 
 
「酒ばっかりじゃな、あんまり良くねェからな。ちょっと待ってて」
 
 
サンジ君はさっさとキッチンの、「彼の領域」の中に戻るとあたしのために水を汲んで持ってきてくれた。
あたしはたいして欲しくもないそれを受け取って、「ありがと」と小さく呟く。
 
テーブルは甲板に出ているので、五つの椅子だけが各々向かい合うと言うおかしな景色の中、あたしは何となく残っている椅子に腰かけた。
するとサンジ君は笑顔を浮かべたまま、たじろぐような戸惑うような表情で目を泳がせた。
なによ、とあたしは剣呑な声を出す。
 
 
「いやあー……いやいや」
「なんなのよ。はっきり言いなさいよ」
「んー……」
 
 
サンジ君は困ったようにもぞもぞと指先で火のついた煙草をもてあそんで言葉を濁す。
いい加減気持ち悪くなったので、「あたしのことはほっといて、さっさと仕事の続きしたら」と言い放ってぷいとそっぽを向いた。
「あ、そ、そう?」とサンジ君はまだもぞもぞしていたが、結局あたしに背を向けて、いそいそと片づけの続きを始めた。
 
──まったく、何してんだろうあたし。
サンジ君は積み重なる汚れ皿たちをてきぱきとスポンジで荒い水ですすぎ、反対側に積み重ねていく。
薄い緑のシャツには、肩甲骨の盛り上がりが浮いていた。
サンジ君の手が動くたびに、その隆起が現れたり沈んだりするのを、水のグラスに口をつけたまま眺めていた。
働く人の背中を、あたしはよく知っていた。
そう言う人の背中は決まって、こっちが恐ろしくなるほど薄いのだ。
 
 
「ナ……ナミさん」
 
 
サンジ君はあたしに背を向けたまま声を上げた。
ざばざばと水の音だけが雑に響いている。
 
 
「あんまり見られると、その、照れるんだけど」
 
 
そう言って振り返った顔は、笑いながらも困ったように眉が下がっていた。
みっ、と言葉の切れ端が驚きとともにあたしの口から飛び出た。
 
 
「……見てないわよアンタなんて!」
「あの、なんかオレに用事あるわけじゃ」
「ないわよ!」
 
 
だからもう行くの! と捨て台詞のように吐き捨ててあたしが立ち上がると、サンジ君は慌てて濡れた手を突き出して、あたしを押しとどめる仕草をした。
 
 
「待って、行かないで、ごめん」
「……なによ」
「ここにいてください」
 
 
サンジ君はさぁさぁとあたしを椅子に招くようにやんわりと押し戻して座らせると、満足げな顔でひとつ頷き、また皿洗いに戻っていった。
不遜な態度で椅子に座るあたしは、なんなのよ、と手の中のグラスを握った。
 
なんであたしはこんな、まるでコイツの姿を探しになんて来てしまったんだろう。
ほんの少し興味を表してしまうと、サンジ君はこうして鬱陶しく喜んではまとわりついてくる。
相変わらず彼のそう言う性質があたしは嫌いだった。
好きになれそうな気配もない。
一度そうはっきりと告げたつもりだったのだけど、サンジ君はそれをどう捉え違えたのか以前に増してニヨニヨと笑いながらあたしを見るようになった。
あのプチ遭難騒ぎでちょっとは見直したかな、とサンジ君に対するイメージを少し修正しようかと思ったのに、それを進んで打ち消してくれるんだからこっちも捉え方に困る。
 
 
「ねぇ」
「ハイなんでしょう」
「あたしにも何かさせて」
 
 
振り返ったサンジ君は、きゅっと水を止めると同時にぱちぱち瞬いた。
 
 
「えーと、何かって?」
「皿洗いとか、片づけとか」
「えっ、いやー、ありがとう、でもそれならちょうどいま終わったところで」
「でも今からどうせ明日の下準備とかするんでしょ。それの手伝い何かさせて」
「やー……どうしたのナミさん」
 
 
サンジ君は困り顔で後頭部に手を持っていく。
別に、とあたしはそっけなく答えた。
 
 
「ナミさんまだ飲んでたんだろ。気ィ遣ってくれなくていいからさ」
 
 
って呼びとめたのオレだけど、とサンジ君は誤魔化すように笑う。
いいから、とあたしは強引に彼の言葉を跳ね返した。
 
 
「何かあるでしょ。暇なの」
「……そう? じゃあ」
 
 
サンジ君は台所の隅にしゃがみ込んで何やらごそごそと漁ると、大きなざるに緑色の房をたくさん積んであたしの方に持って来た、
さやえんどう。
あたしの膝の上にそのざるを置き、隣の椅子にからのざるを置いた。
 
 
「これの筋、取ってくんねェ? ほら、ここぷちってして、つーって引っ張るの」
 
 
彼はあたしの目の前で、さやえんどうの房の入り口にあるすじをつーっと取って見せた。
 
 
「取ったすじはここのゴミ箱に入れて、すじ取ったえんどうはこっちのざるに入れて」
「うん」
「いやになったらやめていいからね」
「うん」
 
 
サンジ君の見本と同じように、ぷちっと先をちぎりすじを取る。
小気味よいそれらの音が気持ちいい。
 
 
「たのしい」
「ぅえっ? そ、そう?」
 
 
ナミさんたまにおかしなこと言うね、とサンジ君は苦笑しながらキッチンに戻っていった。
ぷちん、つー、ぷちん、つー、とあたしは一心不乱にさやえんどうのすじを取る。
しかしサンジ君はすぐに戻ってきて、あたしの向かいの椅子に腰かけた。
彼の隣には、ジャガイモやニンジンなど根菜が積み重なった段ボールが置かれている。
なんでそこに座るのよ、とあたしがじと目で見ると、サンジ君はでろんと笑って「オレも皮剥きする」となぜだか嬉しそうに言った。
 
サンジ君は腰に白いエプロンを巻いていて、彼が腰かけて開いた足の間にその布がかかっている。
彼がつるつるとじゃがいもの皮を剥き始めると、皮は上手に足の間の布の上に落ちていった。
ごつごつしたでこぼこのじゃがいもがまるでリンゴの皮剥きのようにつるつると白くなっていく様に、気付けば見とれていた。
 
 
「ナミさん今日はオレのことよく見るね」
「見てないわよ」
「今見てるじゃん」
「アンタの手を見てるのよ」
 
 
ソウデスカ、と苦笑したサンジ君はそれでもどこか嬉しそうに俯いて皮を剥いていた。
調子に乗らないでよ、と心の中で尖ったことを口にしながら、あたしも手元のさやえんどうに視線を戻した。
 
料理や、こういった細かい作業をしているときのサンジ君は静かだ。
確かに視線を落としながら、口元はなぜだか少し笑ったまま、そのうち鼻唄でも歌いだしそうな顔で、いつも料理をしていた。
 
 
「……本当にすきなのね」
「ん? ナミさんのこと?」
「バカちがう、料理よ」
 
 
あぁ、とサンジ君は何か言おうと口を開いたが、少し考えてから結局なにも言わずに俯いて笑った。
 
 
「突然だね、ナミさん」
「だって」
 
 
だって、と言ったもののその後に続く言葉はでなかった。
だって、なんだというつもりだったのだろう。
 
──だって、こんなにもしあわせそうにじゃがいもの皮を剥く人をあたしは他に知らない。
 
そのときおもむろにキッチンの扉が開いて、あたしとサンジ君は同時に顔を上げた。
 
 
「おいナミテメェ、つまみ持って来いって」
 
 
空の瓶を片手にしたゾロは、何もない空間をはさんで向かい合うあたしとサンジ君を捉えて、すぐさま怪訝な顔をした。
 
 
「なんでテメェまでコックみてェなことしてんだ」
「あ、忘れてた」
 
 
サンジくんがげぇ、と一瞬にして顔をしかめた。
ゾロはふいとあたしたちから顔を背けると、勝手にキッチンの奥の棚から酒瓶を物色し始めた。
 
 
「おいテメェまだ飲むつもりかよ」
「小姑みてぇなこと言ってねぇでさっさとツマミ作りやがれ」
「アァン?」
 
 
サンジ君は物騒な顔をゾロの方にひねったが、脚の上に散らばった皮があるからか立ち上がろうとはしない。
こんな夜遅くに喧嘩しないでよ、とあたしは投げやりに言葉をかけた。
 
 
「あんたひとりで飲み干さないでよね、もったいない」
「テメェが途中でいなくなったんだろうが」
「飽きちゃったんだもん。ね、あんたそれ飲むならここで開けなさいよ。サンジ君も飲めば」
 
 
ゾロは物色して選び出した酒を片手に、「オレァどこで飲もうが構わねェ」と言ってあたしたちから少し離れた椅子に腰を下ろした。
あたしは料理や片付けに追われて宴と言ってもろくに楽しめないサンジ君のことを少し考えてそう言ったのだけど、サンジ君は途端にうろたえるように目を泳がせ始めた。
 
 
「いや、ナミさん、せっかくだから外で飲んでこればいいよ。オレはまだやることもあるし」
「サンジ君が少しサボったからって怒れるような立場の奴はここにはいないわよ。たまにはいいじゃない」
 
 
あたしはさやえんどうのざるを隣の椅子に置いて立ち上がり、食器棚にグラスをふたつ取りに行った。
サンジ君はそれでもまだもごもごと言い訳めいたことを言っている。
ゾロがハッと鼻で笑った。
 
 
「下戸が無理すんな」
 
 
そう言って、ゾロはすでに酒瓶に直接口をつけている。
下から掬うようにゾロを睨んだサンジ君から、カチンと彼の癇に障った音が聞こえた気がした。
 
 
「酒の味もわからねェただのザルが偉そうな口きくんじゃねェよ」
「ちょっと、いちいち喧嘩しないでよめんどうくさい」
 
 
サンジ君にグラスを手渡すと、サンジ君は心底困った顔であたしとグラスを何度も交互に見た。
煮え切らない態度が面倒になって、あたしはサンジ君の手から包丁をもぎとった。
 
 
「ハイ、今日はもう仕事終わり。ほら早くグラス持って」
「ちょ、ナミさん危ないって」
「バカにしないでよ、包丁くらいもてるわよ」
「ナミさんもしかして酔ってんの?」
「酔ってないわよほらいいから早くグラス」
「わ、わかったから包丁こっちに渡して」
 
 
サンジ君はあたしの手から慎重に、グラスと包丁の両方を受け取った。
そして諦め顔で立ち上がると、膝の上のじゃがいもの皮をゴミ箱に捨てて包丁をキッチンに戻しに行く。
なんでそんなに飲みたくないのか理解できない、とあたしは小さく首をひねった。
 
ゾロがずいと酒瓶を寄越してきたので、あたしはそれを受け取り手酌する。
戻ってきたサンジ君にも同じように瓶ごと手渡すと、サンジ君はなにも言わず自分のグラスに酒を注いだ。
あんなに嫌がっていたからどうせちょっとしか飲まないんじゃないかと思っていたのだが、思いのほか彼はグラスにたっぷり酒を注いだ。
 
じゃあまあとりあえず、とあたしたちは乾杯する。
ふたつのグラスの縁と、ゾロの元に戻ってきた酒瓶の底がカツンとぶつかった。
 
 
「あ、これちょっとおいしいわね」
「ローグタウンで買っておいたヤツだな」
 
 
少し辛めだが、後味の爽やかなあたし好みの味だった。
サンジ君は舌の上で酒を転がしているのか、もごもごしている。
ワインじゃないんだから、とあたしは彼の口元を眺めた。
 
 
「おいコック、ツマミ」
「あーあー、うるせぇマリモだな、ちょっと待ってろ」
「ちょっとゾロ、サンジ君も飲んでるんだからいいじゃない」
「いいよナミさん、あるもの出すから」
 
 
そう言ってサンジ君が持ってきたのはピスタチオだった。
あら珍しいもの、と喜んだあたしに反して、ゾロは嫌そうに顔をしかめた。
どうせ殻を向くのが面倒なんだろう。
もしかしてこれはサンジ君のゾロに対する地味な嫌がらせなのだろうか、と思わないでもない。
 
あたしたちはぱきぱきと膝の上でピスタチオの殻を向きながらちんたらとお酒を飲んだ。
あたしが何か言えばサンジ君がそれに反応して、ゾロが喧嘩を売るのでまた二人の間で収拾のつかない小さな応酬が始まる。
そんなことを繰り返すのは、けして嫌な時間ではなかった。
 
ただ、異変に気付いたのは飲み始めて30分も経たない、二杯目を空にしようとしているころだった。
 
 
「……サンジ君、お酒本当に弱いの?」
「……いや、ナミさんやクソマリモに比べりゃアレだが、それほど」
「でも顔真っ赤よ」
 
 
サンジ君はぼうっと赤くなった目をあたしに向けて、いやいやだいじょうぶ、と口にした。
それと同時に軽く手を振ったのだが、その仕草がどう見ても酔っぱらいのそれだ。
 
 
「だから飲むの嫌がったのね」
 
 
そういえばゾロはすでに知っているように、サンジ君のことを下戸だとかなんとか言っていたっけ。
ゾロは相変わらず豪快に喉を鳴らして瓶を傾け、最後の一滴まで飲み干した。
顔色一つ変わらない。
 
あーあもったいない、とあたしがこぼすとゾロはフンと鼻を鳴らした。
 
 
「テメェも飲んだだろうが」
「あんたがひとりで半分以上飲んじゃったでしょ」
「どうせそいつももう飲めねェだろ。オレァもう寝る」
「ちょっと、サンジ君連れてってよ」
「いやナミさんオレは」
「知るか、コックに飲ませたのはテメェだろ」
 
 
ゾロは無愛想に立ち上がると、大きな欠伸をしながら食堂を出ていってしまった。
 
 
「ちょっとぉ……」
 
 
こんな酔っ払い残していかないでよ、と言うあたしの心の声は聞こえたはずなのに、アイツ。
あたしは姿の消えたゾロに舌を打った。
 
 
「ナミさん、マジでオレ別に大丈夫だよ」
「ホントに? そんな顔で言われても全然説得力ない」
「え、そんなひどい顔してる?」
 
 
サンジ君は自分の頬に片手を当てて小首をかしげた。
その仕草が既に酔ってるんだっての、とあたしはため息と共に立ち上がった。
 
 
「もうあんたも寝なさいよ。片づけは終わったんでしょ? 明日の朝は手抜きでいいじゃない」
「いやあー……うん、じゃあとりあえずやりかけた分だけ──」
 
 
 
そう言って立ち上がったサンジ君の身体がぐらりと傾いた。
 
 
「ちょっ」
 
 
よろけたサンジ君は椅子の背に手をついた。
思わず支えようと伸びたあたしの手は宙に浮いたまま止まる。
ほっと息を吐いたそのとき、サンジ君が手をついた椅子の前足が浮かび上がった。
 
 
「わっ」
「サッ……!」
 
 
重心がずれ、椅子はスコンとサンジ君の手から離れる。
支えのなくなった彼は、そのまま不恰好にドタンと前のめりに倒れた。
 
 
「うわ、ちょっと、だいじょうぶ?」
「あぁー……だっせェ……」
「いいからほら立ちなさいよ」
 
 
まったくもう、とあたしはサンジ君の腕を取った。
彼はよろよろと上体を起こし、床に正座する。
真っ赤な顔のままサンジ君は「最悪だ」と呟いた。
 
 
「……こんな、カッコ悪ィ──」
「ごめん、ごめんなさい、本当にこんなに弱いなんて思わなかったのよ」
 
 
サンジ君は本気で落ち込んでいるようだった。
あたしはさすがに申し訳なくなって、彼の隣にしゃがみ込む。
赤くなった酔っぱらいの顔は頼りないこと極まりないのに、なぜかそのときサンジ君からは少し凶暴な気配がした。
 
 
「ねぇ、部屋まで帰れる? やっぱりゾロ呼んでこようか」
「いいよ、大丈夫」
「でも」
「いいから」
 
 
サンジ君は少しぶっきらぼうな言い方で、あたしの言葉を遮った。
しかし「大丈夫」と言いながらもまだ立つのは辛いらしく、正座から足を崩して床に座り込んだままなかなか立とうとはしなかった。
 
えぇ、ちょっとどうしろっていうのよ。
 
サンジ君は焦点の合わない目をして、ぼうっと前を見つめていた。
あたしは途端に気まずくなって立ち上がる。
 
 
「あ、あたしグラス片付けるから。立てるようなら立っ──」
 
 
パンッと肌を叩く音ともに、手首が捉えられた。
サンジ君が勢いよくあたしの手を掴んだのだ。
あたしは中腰のまま、驚いて後ろを振り返る。
 
 
「行くな」
 
 
サンジ君はあたしの顔を見上げもせず、まるであたしの手に話しかけるようにそう言った。
聞いたことのない低い声に、彼らしからぬ命令口調。
ざわっと不可解な感触が背中を上から下まで撫でさするように走った。
 
サンジ君の手を振り解こうと手を引くも、強い力が離さない。
ちょっと、と信じられないくらい細い声が出た。
 
 
「なに、はなして──」
「行かないで」
 
 
行かないで、ナミさん、行かないで。
何度もそう懇願したかと思うと、サンジ君が掴んでいたあたしの手を引いた。
あたしは崩れるように、またサンジ君の隣に膝をつく。
彼は両手であたしの手を掴んでいた。
 
なんだか急に怖くなった。
長い前髪が項垂れる彼の顔を隠して、余計に恐怖が煽られる。
 
 
「ねぇ、サンジ君しっかりしてよ……」
 
 
彼の手は熱かった。
熱のある子供くらい熱かった。
その熱い手はあたしよりも大きく、しかも両手で、逃がすまいとするかのようにあたしの片手にすがりついている。
 
 
「ナミさん──」
 
 
ふらりとサンジ君の頭が揺れた。
あっと思う間もなくするりと手が離れて、彼はドタンと横に倒れた。
 
 
「えっ、サン……!」
 
 
すう、とそれは健やかな寝息が聞こえてあたしの動きは止まる。
サンジ君はぱたりと倒れたまま眠っていた。
 
 
「……コイツ」
 
 
なぜだか急に恥ずかしくなった。
あたしを本気で困らせるだけ困らせておいて、寝落ちるとはどういうこと。
 
 
「ッ風邪引いても知らないわよ!」
 
 
あたしは捨て台詞を吐き捨てて立ち上がると、どんどんと足音高くキッチンを後にした。
サンジ君はきっと朝まであの場で寝転がっていることだろう。
あたしの知ったことか、とあたしは激しい音でキッチンの戸を閉めた。
バタンと大きく響いたが、酔っ払いばかりの船の上、これしきの音で起きる奴はいない。
 
バカにしないで、ふざけないでよ、女タラシのくせに、とあたしは心の中で盛大にサンジ君への悪口を繰り返し続けた。
 
まだ、手首に彼の温度がまとわりついていた。
 
 
 

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前半はこちら






サンジ君と二人で最初の収穫物であるバナナを砂浜まで運び、岩の陰に置いておく。
そしてまた森の中へと戻った。


「ナミさんそこ、木の根が這ってるから気を付けて」


彼が指さした足元を注視しながら、青い背中を追っていく。
最初に見つけたバナナの木はそこらじゅうに立っているのに、何を探しているんだろう。
なにも言わずにどんどん足を進めていくサンジ君に少しイラついて、あたしは尖った声を出した。


「ねぇ、食料はとりあえずこのバナナだけじゃだめなの?」
「いや、うん、食いモンはそれでいいんだけどね。水が欲しいだろ。川か池か何かないかなと思って」


みず、とあたしは声に出した。
全然思いつきもしなかった。
サンジ君は確かに遠くを見るようなしぐさをしたり、足元を確かめたりして水源を探しているようだ。

サンジ君の頭の中には、既に今やらなければいけないことが順序立てて組み立てられているのだろうか。
そうでもなければ、こんなふうに次々と行動には移せない。
この男の頭の中は女と料理のことでいっぱいで、それ以外は入る余地もないと思っていた。


「いて」


せり出した木の枝に頬を引っ掻かれて小さく声を上げた彼の背中が、すこし見慣れないもののような気がした。


「ねぇ、こんなに奥まで行って大丈夫?」
「ああ、帰り道はわかるから大丈夫だよ」
「水って、要るかもしれないけどそのうちルフィたちがここを見つけてくれるでしょ、そんなに必死に探さなくてもいいんじゃ」


サンジ君は静かに振り返った。
その目を見て、あたしは続けるはずの言葉を飲み込む。
彼の深い青の目は、思わず身を引くほど強い真剣みを帯びていた。

なによ、なんでそんな目をしてるのよ。


「……ごめん、オレがちょっと喉乾いたから、水ないかなって」
「……そう」
「ごめんね、疲れた?」
「へいき。行こう」


そう言うと、サンジ君はまた前を向いて歩きだした。
あたしはもう意を唱えることなく黙って彼の後ろに付き従い、見よう見まねで淡水を探した。



30分ほど歩いたが、川も池も見つからない。
こんなに歩いているのに森を抜けたり対岸に出たりしないということは、そこそこ大きな島なのだろうか。
サンジ君は困ったように足取りを緩めて、何度かあたしを気遣う声をかけた。
そのたびにあたしは「へいき」と「大丈夫」を繰り返す。
しかしついにサンジ君は足を止めた。


「戻ろっか。あんまり遠くまで行くと帰りに日が落ちるかもしれねェ」
「……そうね」
「ま、そのうちアイツらもここを見つけるだろうからそんなに心配するこたねェんだけどさ」


思わず落ち込んだような低い声が出たあたしを、サンジ君はとりなすように身振り手振りをつけて慌てて慰めた。
ただでさえ気遣われているのに、これ以上気を使われるのはあたしのプライドが許さない。
そうね、と軽く答えた。

サンジ君は踵を返して、元来た道を引き返していく。
あたしもそのあとに続こうとして、しかしすぐ足を止めた。
きらりと、少し離れた地面が光った気がしたのだ。
まるで水面に光が反射したように。
足を止めたあたしを、サンジ君が振り返った。


「ナミさん?」
「待って、あそこ」


あたしは足元に気を配りながら光の方向に歩いていき、大きな葉っぱを捲っておおわれていた地面を覗き込んだ。
ちろちろと、細く水が流れている。


「サンジ君! これ、見て!」


後ろ手に手招いて呼ぶと、サンジ君はすぐにやって来た。


「……水だ」


そう言った彼の声には喜びと安堵が滲んでいる。
サンジ君は指先をその水流に付けて、濡れた指をぺろりと舐めた。


「淡水だ。どこかにこの水がたまった場所があるかもしれない」


すげぇよナミさん、とサンジ君は子どもを褒めるときのように、あたしと目線を合わせてそう言った。
子どもじゃないのに、あたしは少し誇らしい。


サンジ君は水の流れを追うように、草木で覆われたわき道へ分け入っていった。
彼が作った道なき道をあたしも歩いていく。
そう歩かないうちに、サンジ君は立ち止まった。
池と呼ぶにはいくぶん小さい、もはや大きな水たまりと言う方が近いような水面が目の前にあった。


「……湧水?」
「うん、でもここから湧いてるわけじゃねェな。多分別の場所から湧いて、ここには溜まっただけみてぇだ」
「飲めるの?」
「うーん」


サンジ君はその水たまりの前に膝をついて、手で水を掬った。
あたしもその手の中を後ろから覗き込んだが、細かい土や葉っぱが紛れていてあまり飲むのに適しているようには見えない。


「ちょっと……アレかな。濾したら飲めないでもないだろうけど」
「そう……」


せっかく見つけたのに、と肩が落ちた。飲めないのでは意味がない。
しかしサンジ君は落ち込んだあたしとは対照的に、「でもよかった」と明るく言いながら立ち上がった。


「飲めるほどきれいじゃねェけどさ、顔とか身体、海水で気持ち悪いだろ? 洗えるね」


あたしは意表を突かれて、きょとんとサンジ君を見つめ返した。


「でも……飲めないし」
「うん、まぁ、でもさっきさ、歩いてる途中でヤシみたいな木見つけたから。ヤシなら実の中にジュースが入ってるから。それ飲めるよ」


そんなもの、まるで気が付かなかった。
あたしは、サンジ君が水を探してるっていうから──
言葉を発しないあたしをサンジ君は笑い顔のまま不思議そうに見つめて、アッと声を上げた。


「大丈夫、この辺にいるし、絶対ェ覗かねぇし! 服まで脱がねェかもしれないけど、その、とにかく大丈夫だから」


だから安心してドウゾ、と頭まで下げられたのでついにあたしは何も言い返すことができなくて、促されるままとりあえず潮気の浮かんだ顔を洗うことにした。
サンジ君はそそくさとその場を離れていく。
喉が渇いてるなんてやっぱり嘘じゃない、ウソツキ、ウソツキ、とばしゃばしゃ水を跳ねさせながら心の中で繰り返した。


顔を洗って、腕や髪の海水をすすぐとずいぶんさっぱりしたけれどまた濡れてしまった。
もうすぐ日が落ちるからあんまり気温は上がらない。
濡らさない方がよかっただろうかと少し心配しながら、姿の見えないサンジ君を探した。


「サンジ君、どこ?」
「ここここ、ナミさん」


草木の間からサンジ君はひょっこり現れた。
片手に3つほどヤシの実を抱えていて、もう片方の手には藁のようなものを掴んでいた。
ひとりでそれらを収穫していたらしい。


「そっちの藁はなに?」
「ヤシの実についてる繊維の藁なんだけど、結構水吸うから。あんまり肌触りよくないからこすらない方がいいと思うけど、使わねェ?」


それらの藁が集まったスポンジのようなかたまりを、あたしは差し出されるがまま受け取った。
これもあたしのために取っておいてくれたのか。
サンジ君の想像力が及ぶ範囲の広さに眩暈がしそうだ。

ヤシの藁は彼の言うとおりざらざらしてチクチクしてまったく肌触りはよくなかったが、確かに水をよく吸ったので濡れた肌はまた乾いた。
サンジ君は至極ごきげんで満足そうで、「じゃあ帰ろうか」と言ってヤシの実を抱えなおした。


「サンジ君も身体洗わなくていいの?」


この流れから行けば当然そうするのだろうと思っていたのでそう口にしたのだが、サンジ君は思ってもみなかったのか単に忘れていたのか、一瞬キョトンとしてから「あ、そだね」と言った。


「じゃあごめん、ちょっと待ってて」


ここにいてね、とサンジ君はヤシの実をあたしの足元に下ろすとおもむろにシャツを脱いだ。
それをヤシの実の上に置いて、水のたまった場所へと歩いて行った。

彼が脱いでいったシャツに触れてみる。それはまだ冷たく湿っていた。
海水で濡れたのと、さらにこれは汗かもしれない。

サンジ君はすぐに戻ってきた。3分も経っていない。


「おまたせ」


身体もさっさと拭いたのだろうか、あまり濡れていなかった。
右側の髪を後ろに掻き上げて、サンジ君はシャツを拾い上げようと腰をかがめた。


「……あれ? どしたのナミさん」


オレのシャツ……とサンジ君は微妙な笑顔であたしを見た。
シャツはあたしが持っている。


「こんな濡れたシャツ着てたら風邪ひくわよ。ちょっと乾かした方がいいんじゃない」
「そう? そんなに濡れてた? 結構乾いたと……」


そう言ってあたしの手からシャツを手に取ったサンジ君は、一瞬ぎょっとしてすぐにあたしの手からそれをもぎ取るように奪った。


「なによ」
「……いや、思ったより濡れて……ってかあんまり、そのきれいじゃないから、ね」


この男はこんなことまで気にするのか。
あたしは呆気にとられて、ただ「そう」と呟いた。
サンジ君は自分の手に巻き付けるように、ぐるぐるとシャツを手元で丸めて未だにごにょごにょと言葉尻をごまかしている。
そんなふうに丸めたら皺がつくに違いない。
サンジ君は急に「ちょっと待ってて」と言ったかと思うと、シャツを持って水場へと戻っていった。
なにをするのかと思いきや、しゃがみ込んでバシャバシャとシャツを洗っている。
あたしはぽかんとその後ろ姿を見ていた。


「ごめんおまたせ、帰ろうか」


サンジ君はぎゅっとシャツを絞りながら戻ってきた。


「……そんなふうに洗っちゃったら、しばらく着られないじゃない」
「干して乾くまでだから」


サンジ君は気まずさをごまかすようにいつものしまりのない顔で笑って、元来た道を歩き出した。
あたしは白い裸の背中を目で追って、そのあとに続いた。




砂浜についたころ、海はオレンジに染まっていた。
西側の空が血のように赤い。
ふつうこんなに赤い夕陽が出ると次の日は晴れのはずだが、入ったばかりとはいえここはグランドラインなのでそういう常識は通じないだろう。
サンジ君があたしを呼んだ。


「ヤシの実のジュース飲んでおいたほうがいいよ。ナミさん少し海水飲んでたから」
「うん、どうやって飲むの?」
「おれが割るよ」


サンジ君はいつのまに拾って来たのか、手ごろなサイズの石を握っていた。
それでこの堅い表面が割れるものだろうか、と訝しがるあたしをよそにサンジ君はヤシの実を胡坐をかいた足の上でくるくると回す。
そして、ヘタの部分を上にしてそこに石をぶつけ始めた。
堅い表皮はびくともしないが、そのかわり石をぶつけたへたの部分がぐにゃりと深くへこみ始める。
あたしは彼の手元をじっと覗き込んだ。
どんどんへこみは大きくなっていき、ついにピシリと裂け目が入った。


「はい」


サンジ君はその身を丸ごとあたしに差し出す。


「それ傾けたらジュースが出てくるよ。ストローとかなくてごめんね」
「いいわよそんなの」


この状態でストローがなくちゃ飲めない、なんていう程甘えた奴ではない。
あたしは重たいヤシの実を受け取って、それを顔の上で傾けた。
どぷんと実の中で液体が揺れる手ごたえを感じる。
ぼたぼたっと顔の上にジュースが落ちてきて、慌ててそれを口で受け止めた。
甘い。
つめたくておいしい。


「だいじょうぶ? 飲める?」
「うん」


サンジ君はもう一つの実を同じように割って、自分もジュースを飲み始めた。
気付かなかったけど、あたしは案外喉が渇いていたらしい。
滴り落ちてくるその果汁はどれだけでも喉を通った。


「……日が沈んできたな」


ヤシの実から顔を上げた彼は、あたしの背後の海を眩しそうに眺めていた。
あたしもつられてその視線の先を振り返る。
波は静かだった。
迎えの船は影さえ見えない。

ルフィたちは大丈夫だろうか。
間違いなくピンチなのはあたしたちの方だけど、航海術をもたないあいつらだって海の真ん中に放り出されて安全なわけがない。
奴らの底知れないポテンシャルを信じるしかなかった。


「大丈夫だよアイツらは。ルフィとクソマリモはともかく、ウソップの奴が多少航海の常識くれぇは知ってるだろうから」


たとえ船が大破したっておちおち死ぬようなタマじゃねェよ、とサンジ君は冗談めかして笑った。
あたしは何も口に出していないのに。
心をあけすけに読まれたような気がしたが、サンジ君だってメリーに残されたアイツらの安否を案じているのだから、あたしが不愉快になるのはお門違いだろう。

辺りはどんどん暗くなり、明るくからっとしていたジャングルからは時折奇怪な鳴き声が飛び出してきた。
あたしはぎゅっと自分自身を抱きしめるように腕を回して、両足も引き寄せる。
そうしないと、じわじわ忍び込んでくる恐怖心に埋め尽くされて叫びだしてしまいそうだった。


「やっぱり火が欲しいな」


不意にサンジ君が立ち上がり、ジャケットとシャツを干していた岩へと歩いていく。
その岩の上にいつの間にか湿ったマッチの箱を干していたらしい、彼はそれを手に取った。


「使えるの?」
「乾いてりゃ使えるよ。……うん、ダメなのもあるけどいくつかは」


サンジ君が一本マッチを選んでそれを擦る。
ポッと小さな種のような火が灯った。
彼はそれをヤシの藁に燃え移す。
小さな火種が彼の手の上に出来上がった。

あつあつ、と言いながらサンジ君はそれを枯れ枝の間に挟みこみ、顔を近づけて息を吹き込んだ。
黒い煙がぶすぶすと上がり始め、それが次第に太く濃くなっていく。
そして、サンジ君が煙にむせて顔を背けたとき、ぼっと大きな火が枯れ木全体に燃え移った。
ぱちぱちとヤシの藁が爆ぜる。
橙色の炎は、暗く沈んだ気持ちを少しだけ温かく溶かしてくれた気がした。
あたしは焚き木に手をかざして、思わず「あったかい」と呟いた。


「オレもう少し枯れ枝取ってくるから、ナミさんはここにいて」


サンジ君はあたしの返事も聞かずにさっさと森へと入っていく。
あたしは燃え上がる炎に照らされて映える自分の脚をじっと眺めていた。
行動が速くてまともなサンジ君なんて、もうすっかりあたしの知らない人だ。


「ねぇ」


戻ってきた彼に声をかけると、サンジ君は「ん?」と軽く答えながら枯れ枝とヤシの藁を自らの傍に積んでいる。


「妙にサバイバルに詳しいのね」
「あぁ、まぁ、経験者だからね」
「え?」


どういうことよと目を瞠ったあたしを、焚き木をはさんで向かいに座るサンジ君は「アレ」と呟きながら見返した。


「ナミさんは知らねェんだっけ。ガキの頃、オレ一度遭難したんだよ」
「遭難!? うそ」
「ホントホント。まぁただの岩場みてぇな島ともいえねェ狭い所だったから、こことは勝手が全然違うけど」


なによそれ、そんなの、今の状況よりずっとずっと過酷じゃないのよ。


「ど、どうして」


話の続きを知りたくて、なんでだろう、あたしは今大嫌いな男のことが知りたくてたまらない。

火の粉が爆ぜる向こう側で、サンジ君の顔もオレンジに照らされていた。
少し伏せた顔からは表情がよく見えない。
こんなにもじれったく、待ち遠しく、サンジ君の言葉を待ったのは初めてだ。


「面白い話じゃねェよ」


そう断って、サンジ君はぽつぽつと話し出した。
客船でコック見習いをしていたこと、あのおじいさんが海賊だったこと、そして絶海の孤島で85日間の遭難。

あたしは一言も言葉を発することを忘れて、ぜんまい仕掛けのように頷きだけで先を促してサンジ君の話に聞き入った。
ストーリーが面白かったわけじゃない。
彼の話すそれがあまりに現実からかけ離れているにもかかわらず、そのすべてが今のサンジ君につながっている、今の彼と過去を繋ぐその糸があたしの目の前にはっきりと見えたのだ。

サンジ君は食べ物を粗末にしない。
その意思は、考えてみれば並大抵のものではなかった。
レストランで働いていたのならば厨房の内実もよく知っているだろう。
客が出す食べ残しは、客ひとりが考えているよりずっと膨大な量だ。
その実情に慣れているたいていの料理人は、客には見えないレストランの裏口からそれらの大量の食べ残しを捨てている。
そしてそれに慣れているはずだ、そうでなければやっていけない。
にもかかわらずサンジ君は食べ残しを断じて許さなかった。
もちろん食べる側のあたしたちが彼の料理を食べ残すことなどほとんどないのだが、たまにあたしが生理痛で食欲がなかったり、ゾロが寝過ごして料理が余ったときなどは、たとえ余った料理が誰かの食べ差しであろうとも彼がそれを捨てることはなかった。
ルフィに与えるか、彼自身が食べる。

一度ウソップが嫌いなキノコを残した時、彼はたった一度だけウソップに雷を落とした。
サンジ君は「フザケンナ」と怒鳴ったかと思うと、ウソップが残したキノコの皿をさっと取り上げてキッチンへと戻っていった。
きっと捨てるのだろうとあたしは軽く考えていたのだが、サンジ君は10分もしないうちにまた皿を手に戻ってきた。
その皿には、別の料理が盛られていた。
ウソップは一度落ちた大きな雷にまだビクビクして、サンジ君をおそるおそる見上げていた。
『こっち食え』
『な、なん……え、別の?』
『いいから。これなら食えるだろう』
『お、おう……』
テリーヌのようなそれを、ウソップはぺろりと平らげた。
ルフィが『ずるいずるい』とうるさかった。
『食えたか』
『おう、美味かったけど……なんでわざわざ』
『今の、キノコ入ってたぞ』
ウソップは無言でガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
『……ウソだろ』
『ウソを吐くのはテメェだろ』
『キノコの味なんてまったくしなかった!』
『そう作ったんだから当たり前だ、ったく、せっかくの香りを台無しにさせやがって……つーか食えねェモンがあるなら先に言っとけクソッパナが』

そのときあたしは、へぇ料理人ってすごい、と単純に感嘆していた。
今まで特に意識していなかったそれらのことの根幹は全てひとつだったのだ。

そして、水を探しているときジャングルの中で見たサンジ君の目。
あたしが「すぐにルフィたちが見つけてくれるでしょう」と呑気なことを口にしたときの真剣な顔。

サンジ君は本当に起こりうる最悪の事態をその身に染みて知っているのだ。
美味しくてキレイな料理を作ってくれるだけの料理人ではない。

食べることは生きること。
生きるためには食べること。

サンジ君はあたしたちを生かすために料理をしている。


「とまぁそんな流れでバラティエ創ることになって、オレはあそこにいたと。……つまんねェだろ?」


急に照れくさくなったのか、サンジ君はあたふたとバナナを房からもぎ取って木の枝に突き刺し始めた。


「さすがにおなかすかねェ? バナナ焼いてみよっか」
「……うん」


なにかすごく大切な話を聞いた気がするのに、あたしはうまい言葉一つ言うことができず、ただ頷き返して目の前の炎を見つめた。


「バナナ焼くと美味いってレシピ見たことあって、一度やってみたかったんだよな。ほらバナナって日持ちしねぇだろ? 積み荷に入れるには不安だし、焼くっつってもケーキにするくらいしか調理したことなかったからさ。シンプルな焼きバナナってのも面白そうだ」


サンジ君はさっきまでの話の流れをごまかすように急に饒舌になった。
焼いたバナナはまだまだ青かったくせにとても甘くて、そして思った以上に熱くてあたしは舌を火傷した。
熱いから気を付けて、と言うサンジ君に「もう遅いわよ」と理不尽な怒りをぶつけると、サンジ君は鬱陶しいほどあたしを心配した。

ごめんね、大丈夫? 大丈夫?

大丈夫だってば、もう、放っておいて、必要以上にやさしくするのはやめて、
あたしはアンタが嫌いなんだから!


サンジ君に背を向けて、あたしは海のある方に体を反転させた。
火照っていた身体の前半分の熱が引いていく代わりに、じりじりと背中が熱くなってきた。

焚き木の向こうでサンジ君はどんな顔をしているんだろう。
いつもは気にならないことがそのときはなぜか頭の隅に引っ掛かって、あたしは何度も振り向きたくなるのを堪えた。
真っ黒の海と空が目の前に広がっている。





ビクッと身体が揺れて、ハッと目を開いた。
あたし、寝ていたの? とぼんやりする頭と身体を起こす。
いつのまにか横になっていたのだ。
辺りは変わらず真っ暗だが、背後からぼんやりと炎の灯りが届いていた。
左側の顔や肩からポロポロと砂が剥がれ落ちた。
それと同時に、右肩に掛かっていた重みがバサリと落ちる。
サンジ君のジャケットだった。
厚手のそれのおかげで右肩は冷えていない。
砂に直接触れていた左肩の方が冷たいくらいだ。
ふと、脚にも何かが触れているのに気付いて目線を下げた。
横に投げ出したあたしの脚の上にはサンジ君の青いシャツが掛けられていた。
乾いている。
夕方のあの日差しだけで乾くはずがないから、あたしが寝ている間に焚き木で炙って乾かしたのだろうか。
そうだ、サンジ君は?

振り返ると、子供の頭くらいの大きさの炎がちろちろと揺れていて、その向こうで膝を抱えて頭を垂れるサンジ君がいた。
眠っている。
知らないうちに、あたしはほっと息を吐いていた。

とりあえず火が消えないようにと、焚き木の中にヤシの藁を放り込んでみる。
燃え上がったときにすかさず枯れ木を追加すると、炎は少し大きくなった。
しばらくは大丈夫だろう。

あたしは膝立ちになって、サンジ君ににじり寄った。
立てた膝に額をつけて眠っているところを見ると、眠ろうと思って眠ったわけではないのだろう。
ぼんやりとした灯りが彼の金色の前髪を照らしていた。


「……サ、」


名前を呼ぼうとして、途中でやめてしまった。
起こさない方がいい気がした。
こうやってこの男の寝ている姿を見るのは初めてだった。
あたしの知らないサンジ君がここにもいる。

そっと、むき出しの肩に手を触れた。
冷えている。
いくら焚き木に当たっているとはいえ、上半身裸で寒くないはずがない。
それにサンジ君は濡れたままのスーツのズボンをずっと身に着けていた。
普通なら足元から体が冷えて、動くのも辛くなるだろう。
いや、きっと辛かったはずだ。

裸の背中に、あたしは黒いジャケットを掛けた。
背中に乗せるだけでは滑り落ちてしまうので、ほとんど頭から被せるようにした。
そしてシャツをどうするか悩んだが、使い道がなかったのでこれはあたしが借りておくことにした。
サンジ君の隣に腰を下ろして、自分の脚に青いシャツを掛ける。
そしてサンジ君の片側を温めるように、寄り添った。
砂よりも冷たい。


本当は知っていた。
サンジ君が他のバカな男たちと同類ではないと、気付いていた。
船の上で見せるようなデレデレヘラヘラしたサンジ君もサンジ君だけど、今日あたしに見せてくれたサンジ君もまた本物だ。
やっと今日気付いたわけではない。
本当はずっと知っていたのだ。
だけど「嫌い」「大嫌い」と突っぱね続けることであたしはサンジ君をそれ以上知ろうとしなかった。
一度貼りつけたレッテルをはがすのが億劫なだけだった。
あたしの怠惰で彼を傷つけた。

サンジ君はこの島に流れ着いてから、あたしの顔以外を必要以上に見ようとしなかった。
視界に入れることさえためらっていたように見えた。
あたしが嫌がるのを知っていたからだ。
サンジ君は一言たりとも、あたしに甘い言葉さえ言わなかった。

そういうやたらめったら心配りができるところも気に食わないのよ。

でも本当は、そんなに嫌いじゃない。
気配り上手なところも、言う程嫌いじゃない。
サンジ君はきっとあたしが知る男の誰よりもやさしいから。


ぱちぱちと爆ぜる音を聞きながら揺れる炎を見ていると、頭がぼうっとしてきた。
あたしはサンジ君の肩に頭を預けて目を閉じた。
このまま朝が来ても、ひとりで眠るより寒くないだろう。
そう思うと、すうっと引き潮のように意識は落ちて行った。





今度の目覚めは酷く強引だった。
あたしの頭を支えていたはずのサンジ君がなんの拍子にかよろめいたせいで頭が外れて、あたしはそのまま横倒しになるようにサンジ君の上に倒れた。


「うおっ」
「ひゃっ」


ふたりして声を上げて横に倒れた。
どさっとあたしはサンジ君のお腹の上に乗り上げて、なんだなんだとすぐに身体を起こす。
朝だ。
晴れた空の上で輝く光がまぶしい。


「やだ、びっくりした」
「え、なに、ナミさん、なん、」


サンジ君は意味もなくきょろきょろと辺りを見渡して上体を起こし、妙に目をおどおどさせた。


「あれ、オレいつ寝て……つーかナミさんもあそこで寝てなかったっけ」
「一回起きたの! ハイこれシャツ返す。ありがとう掛けてくれて。ジャケットも」
「あぁ……あ、てかナミさんもオレに掛けてくれたの。ありがと」
「別に! 裸で寒そうだったから返しただけよ。それよりサンジ君おなかすいた」
「ん、じゃあメシ……ってまたバナナしかねェけど」
「それでいいわ」


サンジ君は一つ伸びをしてから、青いバナナをもいであたしに手渡した。
あたしはサンジ君の隣にきちんと座り直して、受け取ったバナナの皮を剥く。
サンジ君は起き抜けで頭がはっきりしないのか、バナナの房を手にしたままぼうっと消えた焚き火の残骸を見ていた。
そして突然ハッと身じろいだかと思うと、すすす、とあたしから離れるように座る位置をずらした。


「なによ」
「……いや?」
「あたしが隣に座っちゃいけないの。失礼ね」
「いやいやそういうわけじゃ……っていうか、うん」


もごもごとはっきりしない言葉を漏らしながら、サンジ君は思い出したようにシャツを着た。
それからおずおずと、あたしにジャケットを差し出す。


「これ着てください……」
「え? 別に寒くないわよ」
「いや、そうじゃなくて……オレが困るから」
「どういうことよ」


サンジ君はジャケットをあたしに差し出したまま少し逡巡して、「目のやり場に」と呟いた。


「ハァ? バッカじゃないの」


心底呆れた声を出すと、サンジ君は強引にあたしにジャケットを押し付けて「言っとくけど!」と久しぶりにハリのある声を上げた。


「ナミさん自分で思ってる以上にその恰好悩殺的だから! それ見るなってもう拷問だから! だいたいナミさんだって多少は自分で自衛意識持ってくれないと」
「アンタが困るっていうの」
「そう!」


キッパリと断言して、サンジ君は吹っ切れたように自分ももしゃもしゃとバナナを食べ始めた。
クソ、調理してェと場違いなセリフを呟いている。

この男はなんてバカなんだろう。
なんてバカで、まったく、可笑しい。

思わずふふっと声を上げて笑った。
サンジ君が驚いて顔を上げる。


「ナミさん今笑った?」
「だってアンタがあんまりバカだから」
「……オレのこと嫌いじゃないの?」
「嫌いよ」


途端にサンジ君はひっぱたかれたかのような顔をした。
傷付いてひきつったこの顔を、あたしは随分と見慣れてしまった。


「アンタみたいな甘ったれた女たらしは嫌い」


サンジ君はしゅんと項垂れて、何か諦めたような顔をする。


「でも」
「でも」


続けたあたしの言葉は、不意にサンジ君が上げた声と重なった。


「なに?」
「いや、ごめん」
「なによ、いいから」


早く言って、と促すとサンジ君は困った顔で少し口ごもってから、頼りなく下がった眉のまま「でも」と繰り返した。


「それでもオレはナミさんを嫌いになれない」
「あたしも」
「え?」
「あたしも、アンタのこと大嫌いにはなれない」


サンジ君は不意を突かれた顔で、きょとんとあたしを見つめた。
これ以上追及されたらたまらない、とあたしは話を畳むようにバナナの皮をくるくるっと丸めて焚き火の跡にぽいと投げ込む。
さてと、と立ち上がってあたしも伸びをした。
颯爽と晴れたいい天気で、海も凪いでいる。
振り返ってサンジ君を見下ろすと、彼は「え? え?」とまだぶつぶつ言っていた。


「早くメリーに戻ってごはん作ってね、サンジ君!」


意識しなくても、あたしの顔は自然と笑っていた。
サンジ君は呆気にとられたようにあたしを見上げていたが、突然立ち上がったのであたしは思わず仰げ反る。
すっと彼が息を吸った。


「ナミさん好きだーー!!」
「うるっさい」


反射で言い返したあたしの言葉のすぐ後に、ずっと小さな別の声が続いた。

──サーンジー!!
──ナミー! 


空より濃い青の海のずっとずっと向こう、水平線の糸の上にぽつんと乗るようにちいさな粒が現れていた。
あたしとサンジ君は思わず顔を見合わせた。


「サンジ君!」
「ナミさん好きだ!」
「なんでよ! メリーが来たでしょう!」


よかった、帰れる、メリーに帰れる、とまんざら嘘でもない涙を浮かべるあたしの横で、サンジ君は「ナミさん!」と妙に意気込んだ声を上げた。


「なによ、メリー号がもう見えるのよ!」
「ナミさんオレ、ナミさんがオレのこと嫌いでもオレはあんたが好きだ! あんたがオレのこと大嫌いになっても、オレはずっと好きだ!」


な、とあたしはすぐに言葉を返せなかった。
なんで今それをここで言う必要があるのよ。
それもそんな一生懸命な顔をして。


「か、勝手にすれば!」
「勝手にします!」


至近距離で叫びあうあたしたちを笑うように、ウミネコがみゃーと鳴いた。

拍手[42回]

おとぎ話が嫌いな子供だった。
可哀そうな女の子がやさしい仲間たちに助けられながら結局王子様と結婚したり、貧乏な子供が神様にやさしい心を買われて大金持ちになったり、そういう話が嫌いだった。
ありもしないやさしいお話を夢見るより、あたしは確実に存在するこの世界を地図に描き出すことの方が、何倍も楽しいし価値があると思っていた。
地図はあたしを満たしてくれる。
ときにはお金にだってなる。
でも甘いおとぎ話はだれも救わない。
だから、『あなたのプリンスです』だなんていうアイツが大嫌いだった。




ルフィのシャツを縫っている。
ルフィはいつも同じ色同じ形のシャツを着ていて、あたしがたった五人ぽっちの海賊船のお金の管理を始めてからたまにお小遣いを上げて「服を新調してきなさい」って言っても全部食べ物に替えてくるもんだからなかなか新しい服が手に入らない。
そのくせ動きが激しいので服の消耗は早く、すぐに擦り切れたり破れたりしてそのたびにルフィはあたしに泣きついてきた。

別にお裁縫は得意じゃないけど、小さいころはいつもベルメールさんが服のリメイクや縫合をしてくれていたので、実家には一通りの道具があった。
それを見て育ち、彼女がいなくなった後見よう見まねで嫌でも自分でしなければならなかったから、気付いたらいつの間にかある程度はできるようになっていた。
たとえあたしが下手くそだったとしても、この船であたしのほかに裁縫ができるような人間がいないのだから仕方ない。

ぷちん、と尖った歯の先で糸を切って目の前に赤いシャツを広げてみた。


「ま、完成かな」


そう呟いたところで、自室のドアが開いた。


「ナミ! できたか?」
「アンタノックくらいしなさいよ」


わりぃわりぃと全く心のこもらない謝罪とともに、半裸のルフィはデスクに座るあたしを後ろから覗き込む。
穴の塞がったシャツを見て、ルフィは歓声を上げた。


「すっげぇ、元通りだ!」
「完全に元通りなわけじゃないんだから、あんまり引っ張ったりしちゃだめよ。あんたすぐに裾引っ張るから」
「だってよォ、」
「だってじゃない。ほらもう服着て」
「ん」


頭から麦わらぼうしを取ってシャツを手渡してやると、ルフィはもぞもぞとシャツをかぶってスポンと顔を出した。


「そうだ、そのぼうしもさ、ホラ端のところほつれてきてんだ、ついでに直してくれよ」
「アンタこうして着実に借金かさんでいってんの、忘れんじゃないわよ」


帽子のほつれを手探りながらじとりとルフィを睨んだが、ルフィはあたしの忠告など意に介するふうもなく、「宝払いだからヘーキだ」とお得意の言葉を口にした。

まったく、と呆れて呟いたそのとき、穏やかなノックの音が響いた。
こんなふうに部屋の扉を叩くことを知っているのは、少なくともこの船にはひとりしかいない。
ドーゾ、と息を吐くついでのように返事をする。


「んナミさァん、温かいレモンティーをお持ちしました……ってクソゴム、テメェ何ぬけぬけとナミさんの部屋に!」


指の腹の上に乗せるようにしてトレンチを支える男は、胸に手を当てて現れたときの顔から、一気に嫌悪の表情を表した。


「おォサンジ、今ナミに服とぼうし直してもらってんだ」


彼はのんきなルフィの言葉を丸無視して、顔に影を作ってつかつかと歩み寄ってきた。


「ち、け、え、んだよテメッ、いつだれがナミさんを後ろから抱きしめるように覗き込むことを許可したァ!!」
「サンジ君うるさい」
「ハイごめんなさい」


従順な犬のようにぴたりと動きを止めて、サンジ君はトレンチをすっとあたしの前に差し出した。


「今日は少し冷えるからホットにしてみました」
「ありがと」
「サンジッずりぃぞ! オレの分は!?」
「テメェのはねェよ、白湯でも飲んでろ」


ギャーギャーと騒がしい二人を尻目に、私は受け取った紅茶をデスクに置くとそのまますぐ針と糸を手に取った。
ほつれているのはリボンのふちだったので、シャツを縫うのに使っていた赤い糸をそのまま使うことにした。


「ナミ、オレおやつ食ってくるからまた取りに来るな!」
「ハイハイ」
「レディに仕事させて自分はのんきにおやつったぁ結構なご身分だなクソ野郎」


あっけらかんとしたルフィに対してぐちぐちと文句を垂れるサンジ君は、あたしの方をちらりと見て少し寂しげに眉を寄せた。
あたしは気づかないふりをして手を動かし続ける。


「あのナミさんカップは取りに来るから、持ってこなくてもいいからね」
「うん」
「メシのときに持ってきてくれるのでも、どっちでも、いいから」


うん、と短く返事をした私に、サンジ君はゆるい笑顔を俯かせた。
そのまま、部屋をさっさと出ていくルフィのあとに続いてサンジ君も部屋を後にした。

デスクの端でゆらゆらと立ち上る白い湯気は次第に薄く細くなっていき、いつの間にか消えていた。
冷えたそれにあたしが口をつけることはなかった。




特にひどいことをしているというつもりはなかったけれど、大概やさしくはないな、とは思っていた。
邪険にしたりはしない。
サンジ君だって仲間だ。
こうして一緒に旅をして、一緒に闘って、彼はあたしを守ってくれるし、あたしも彼が夢を果たせる場所まで船を動かしたい。
それに何より、サンジ君は助けてくれた。
終わらない悪夢をルフィたちと一緒に断ち切ってくれた。
ルフィ一人のおかげだとは思わない。
私のために怒って、私の目の前でクロオビを蹴り飛ばしてくれたのはサンジ君だ。

でもそれと彼の人柄とは全く別の話だ。
それはもう目一杯感謝しているけれど、だからといってあたしが彼のことを好きになれるかどうかというのは話が違う。

ああいう女を傘に着ればどうとでも扱えるようなタイプは、一線引いた内側に入れると途端に厄介になる。
ルフィやゾロ、ウソップが彼とは全く対照的にあたしが女であることを意識しないから一緒に生活していけるのに、彼のせいであたしは嫌でも女を意識しなきゃならなくなる。
もちろん男たちと同じスタイルの生活なんてやっていけないからその辺の調整は自分でしているし、ときにはゾロたちにあたしが女であることを振りかざして見たりもする。
それでも、サンジ君が必要以上にあたしを女扱いするとイライラした。
その扱い方にというよりも、彼のそのスタンス自体にイライラした。
どうせあんたなんて、女にヘラヘラしてあわよくばちょっとエッチなこと出来ればラッキーくらいに思ってんでしょう、なんてふうには思っていた。
そういう目で見てくる男たちの間をすり抜けて生きてきた私にとって、それは紛うことなく嫌悪の対象だったのだ。

サンジ君は仲間だ。
そして、あたしが一番嫌いなタイプの男だった。





「ルフィー、ぼうしできたわよー!」


何がそんなに楽しいのか、甲板でウソップと笑い転げていたルフィを上から呼ぶと、ルフィはむくりと体を起こして、「おう忘れてた!」とぬけぬけと言い放った。
あたしはフリスビーのように帽子をルフィの頭へと放ってやる。


「大事なんでしょ、忘れてんじゃないわよ」
「うおォ、直ってる! ありがとナミー!」
「ちゃんと借金払いなさいよ」
「まかせろ!」


値引かないんだからね、と我ながら手厳しい言葉を放ちながらも、ルフィのあけっぴろげな笑顔を見ているといつのまにかあたしも自然と笑みが漏れていた。


「よっしゃ完成!」


ぼうしのすわりを確かめているルフィの隣で何やらうつむいて作業をしていたウソップが、おもむろに立ち上がった。


「おォ、できたのか!?」
「あぁ、おれ様の設計に間違いはねェな!」
「何作ってたの?」


柵に肘を置いて二人を見下ろしながら尋ねると、ウソップは嬉々とした顔であたしを手招いた。
暇つぶしがてら呼ばれるがままに降りていく。
ウソップの手には、空気の入っていないぺちゃんこのミニプールが握られていた。
いつだったか泳げないルフィが水遊びをするという名目で、街で安いものを買ってきたのだ。


「なにが完成よ」
「これはおれの天才的改良によってゴムの伸縮性と強度を数倍強化してある。いままでのだと水を張ってそれを甲板に置いて遊んでただろ? この強度なら、ロープで船に繋げば海に浮かべても強い波にさらわれることもねぇし、伸縮性を上げてあるからだいぶとデカいプールになる」
「なんでわざわざ海に浮かべる必要があるのよ」
「おれが海で泳ぎたいんだ!」


ルフィが顔中キラキラさせて、ウソップに早く膨らまそうとせがんだ。


「へぇ、面白そうね」
「だろ! おれ様が作って、おれ様がお前たちのために」
「あたしも入ろうかな、着替えてこよっ」


幸い天気は良好だ。
あたしはぺらぺらと動き続けるウソップの口に背を向けて、水着に着替えに自室へと戻った。


手持ちのビキニを着て、日焼け防止のために薄手のロングシャツを羽織った。
甲板に戻ってみると、ルフィがゴムゴムの風船で早速膨らましたミニプールがロープで船べりにくくりつけられているところだった。
たしかこの近海は秋島だが、季節は夏だ。
少し動けば汗がにじむ程度には気温が高く、プール日和といっても過言ではない。
まさかこんなふうに旅をしながら遊んだりできるなんて思わなかった、とあたしは裸足にサンダルを引っかけて階段を下りた。


「はぅあっ!」


珍妙な叫びが聞こえて、思わず口から「げ」と洩れた。
ぼたたっ、と粘度の濃そうな水滴が落ちる音がいくつかした。
振り向けば鼻から下を手で覆ったサンジ君が、洗濯かごを小脇に抱えて立ち往生している。


「んナミさん、君はなんて刺激的な格好を……」
「やだ、なんで鼻血なんて出してるのよ」
「え、なんで? なんで急に水着なんて」
「ウソップが海に浮かべられるプールを作ってくれたから入るの」
「え、ナミさんが?」
「そうよ、悪い?」
「いやいやいやいや滅相もない……」


サンジ君は赤い顔のままちらりと甲板の方に目をやって、問題のプールを見つけたのか「あれか」と呟いたが、すぐにあたしの視線を戻してデレッと目元を緩める。
締まりのない顔。
あたしはさっさとサンジ君の前を通り過ぎて、船べりへと向かった。

船の外側を覗き込むと、既に浮き輪を抱えたルフィが浸かっている。
なるほど、こうして海に青いプールを浮かべると海に浸かっているように見えなくもない。
ルフィはこれをしたかったのか。

自分の改良に大変満足そうなウソップがあたしの隣に並んでルフィを覗き込む。


「ルフィ、あんまり淵に行くなよー! 落ちると危ねェからな!」
「おー! あ、ナミも入んのか!? すげぇぞ、本物の海だ!」
「そりゃ本物でしょうよ……ってここからプールまでどうやって降りるの?」
「跳ぶんだ!」
「当たり前だろ」


げっ、と思わず鼻に皺を寄せてしまった。
だって、船からプールまでの落差は2メートルほどある。
ここから降りなきゃ死ぬとか言われたらそりゃ飛び降りるけど、そういうわけでもないのならあんまり跳びたくない落差だ。
しかも下は安定のないゴムプール。


「ちょっと、もっと安全に降りる方法ないの」
「つってもなァ……あ、ルフィが一回船に上がって、それから降ろしてもらえばいいんじゃね?」
「あぁ、それがいいわね。ルフィー!ちょっと一回戻ってきて、あたしをプールに下ろして!」


いいぞー、と快く了解したルフィが、腕を伸ばして一瞬で船に戻ってきた。
ルフィは犬のようにぶるぶる頭を振って水気を飛ばして、あたしの背後に目を留めた。


「お、サンジも入るか?」
「いや、お前ナミさん降ろすなら丁重に扱えよ。落としでもしたら3枚にオロして今夜の晩飯にしてやっぞ」
「平気よ。ルフィお願い」


あたしはサンジ君を振り向くこともなくルフィの腕を取った。


「しっかり掴まれよー。お前が勝手に落ちても怒られんのおれなんだからな」


ルフィはあたしがしがみつく腕を船の外に垂らして、ゴムの反動で少しずつあたしを下に下ろしていく。


「あ、足着いた!」


するんとルフィの腕から離れると、水しぶきとともに体がプールの中に落ちる。
プールに尻もちをつく形で座り込むと、水はへその辺りまで溜まっていて案外冷えている。


「うわぁ、結構冷たいのね!」
「おれももう一回……あ、ウソップ! たしか水鉄砲あったよな! 持ってくる!」
「おぉ」


だかだかとルフィが騒々しく船べりを離れていく足音が、船底からじかに響くように伝わった。
あたしはプールに大の字で寝そべって空を仰いでみた。


「きもちいー」


ほうっと心地の良いため息が漏れた。


「ナミー、平気かー」
「ぜんぜん平気ー、ウソップこれはいいわ」
「だっろー?」


へへん、と子供のように鼻をすするウソップの得意げな声が聞こえて、あたしは声を出さずに笑った。
続いて甲板からは微かにウソップとサンジ君の話し声が聞こえるが、サンジ君の声が少し焦っているようでウソップの声が呆れている程度しかわからない。
あたしは二人の声をシャットアウトして、もう一度空を見上げた。

あおくてきれい。
微かな風も気持ちいい。

ほんとう、あおいし、雲も白くて……速くて……速くて……?


ジャバッと水を叩いて体を起こした。
雲の動きが速すぎる。
もしかして、とあたしは甲板を振り返った。


「ウソップー!ウソップ!!」
「おぉ、なんだよ」
「そっち! 西の空を見て! 船が邪魔であたしからは見えないの! 空おかしくない!?」
「空……って別にいい天気だけど……おれにはそれ以外にわかんねぇよ」
「おかしいのよ、あぁ、ルフィを呼んで! あたしを上にあげて!!」
「わ、わかった。おいルフィー……うおぉっ!!」


ぶわっと、あたしの目の前にメリー号の横っ腹が迫ってきた。
プールは波とメリー号の狭間で潰されるように、どんとぶつかった。
西の空から風、と思う暇もなくあたしはプールの外に投げ出された。


「ナミさん!!」


船べりにしがみつくウソップと、その隣のサンジ君があたしを覗き込んで叫ぶ。
しかしあたしの耳が水の中に浸かってしまい、その声は途中で途切れた。
幸いプールのふちから落ちるように投げ出されただけだったので、あたしはすぐに水の中から顔を出してプールに掴まった。


「なに!? どうなってるの!?」
「ナミさん!!」
「ああナミ、無事か! いやでも、空はいい天気で」
「明らかにおかしいのよ! 絶対なに……キャア!」


ゴォ、と唸り声のような波の音ともにまたメリー号がプールにぶつかってきた。
あたしの手は掴んでいたビニールから滑り落ち、身体がプールを離れる。
どん、どん、と荒い波がメリー号の腹を叩いていた。

海が荒れる、とあたしの脳に危険信号が電気のように走った。
しかしその瞬間、目の前にモリモリと高い波が現れた。
まずい。


「ナミさん!!」
「や、」


あたしの叫び声は波に飲み込まれた。
ゴォゴォと頭の中で響くように海鳴りが鼓膜を震わせ続ける。
海の中は暗かった。

水を飲む前に上に上がらなくちゃ、上に、うえ、うえ? 

うえはどっち?


あたしの身体は上に下にと回転していた。
不規則な波の動きのせいでおかしな潮流ができている。
あたしはそれに巻き込まれている。
頭はそう理解しているのに、だからといって解決方法がわからない。
息が苦しい。

もうだめ、船はどこ、


息苦しさに口元を押さえたそのとき、あたしの右足首をぐっと何か強い力が掴んだ。


「!?」


驚いて思わず口を押さえた手が離れる。
その途端、塩辛い水が鼻から口から喉に流れ込んだ。
痛い。
目の前が霞んでいく。

死ぬかもしれない。

そう思う反面、あたしは頭のどこかで、本当は大丈夫なのかもしれないとも思っていた。
あたしの足首を掴む手が、けして離れなかったから。




ぱちっと目が開いた。
途端に気管がぐっと狭まるような気持ち悪さが胸を襲って、あたしは仰向けのまま口から水を吐いた。
焼けるように喉と舌が痛い。


「ゲホッ…、うぇ」
「ああ、ナミさんよかった、平気? 息して、ゆっくり」


温かい手が背中をさする。
その動きが導くまま、あたしは深く呼吸を繰り返した。
また何度か塩水が喉をせりあがってきて、あたしはそのたびに吐く。
いつのまにか身体は横向きになっていて、とんとんと軽く背中を叩かれると幾分楽になった。


「い、生きて……」
「そう、生きてるよ、大丈夫。あぁもう、よかった……」


大丈夫だと言われると、大丈夫なのだという実感がわいてきて、あたしははぁと息を吐いた。
砂地の地面に俯せて呼吸を整える。
砂地?

あたしはがばっと勢いよく身体を起こした。
突然動いたあたしに驚くサンジ君が、目の前で目を丸くしていた。


「さ、サンジ君? ここどこ!?」


サンジ君はおろおろと少しの間視線をさまよわせて、それが、と言いにくそうに口を開く。


「わかんないんだ」
「わか、わかんないって」
「おれたち、メリー号とはぐれちまった」
「……うそ」


ざぁっと、頭の血が下へと落ちていく。
サンジ君はまだおろおろしたまま、言い訳をするように言葉を繋ぐ。


「ナミさんが沈んじまったからオレが飛び込んで、ナミさんを見つけたはいいものの波が高くてなかなかメリーに戻れなくて、ルフィのヤツが伸ばした手に掴まる寸前にナミさんごとオレも波に飲まれて……やっと海から顔出せたと思ったら空がすげぇ嵐になってて、雨で煙ってメリー号も見えねぇし、ナミさんは気ぃ失ってるしでオレたちドンドン流されて……そしたら遠くにここが見えたから、メリーを探すより安全だと思ってここまで泳いできたんだ」


サンジ君は困った顔で、申し訳なさそうに頬を掻いた。


「ここって……」
「多分、無人島」
「むじっ……」


絶句して、言葉が続かなかった。

あたりを見渡す。
薄茶色の砂浜。
ところどころ転がる大きな岩。
背後は鬱蒼とした森だった。
目の前には薄暗い色の海が広がっている。


「場所は、どこか……」


サンジ君は黙ったまま困った顔を続けている。
わかるわけがない。

ハッとして、あたしは手首を見下ろした。
ログポースがついている。
軽く振ってみたが、よかった、壊れていない。
指針は次に向かう予定の島を指しているはずだ。
その方向を見て、この無人島が次の島に向かう航路からほんの少しずれただけの場所にあることが分かった。
しかしだからといって、いまメリー号がいる場所はわからない。
メリー号に残るルフィ・ゾロ・ウソップがはたして3人でこの島を見つけてくれるかと考えると、限りなく怪しい。

あぁ、と思わず頭を抱えた。

きっと分裂した積乱雲があったのだ。
積乱雲は小さくちぎれて飛んでいるとまるで天気のいい日の空のようだが、あれは嵐を呼ぶ雲だ。
西の空から飛んできたのだ。
突風に乗って飛んでくるちぎれた積乱雲は、直前まで姿を見せない。
それなのにその雲がちょうどやって来たとき、唯一それに気付けるあたしはメリー号の陰に隠れていた。

今更考えてもどうしようもないことが頭を巡った。
どうしよう、どうすればいい、と頭は迷路のようにこんがらがる。
パサン、と膝の上から何かが落ちた。
黒いジャケットだった。


「これ……」
「あぁ、ごめんそれもまだ濡れてるんだけど、絞って……身体冷えるといけないから。そうだ、まずなんとかして火ィ起こさねェと。ちょっと待ってて、枯れ枝探してくる」


サンジ君は立ち上がって背後の森の入り口辺りに分け入っていった。
水を吸って重くなったジャケットが、あたしの足元で砂にまみれていた。
青いシャツの背中が木の下にしゃがみ込んで何かを検分している。

あたしは立ち上がって、恐ろしいほど果てのない水平線を眺めた。
そうだ、メリー号の迎えが来るまで、アイツらがこの島を見つけてくれるまで、あたしはここで生き延びなければいけないのだ。

あの男とふたりで。





この無人島も秋島のひとつで、気候が安定しているせいか乾いた枝はいくつか見つかったらしい。
サンジ君は枯枝をいくつか抱えて戻ってきた。
しかしそれだけで火は熾せない。


「火種はどうするの?」
「オレのマッチは……くそ、やっぱ使えねェか」


濡れたジャケットのポケットから出したそれは、たっぷり水を吸っていてサンジ君が持つだけでふにゃりと折れた。


「……だめね」
「ごめん」
「火はいいわ。今はあんまり寒くないから」


そう言いながら、このまま夜になったらきついだろうなと考えていた。
身体は晴れた陽気のおかげで乾いてきたが、濡れたせいでいくらか体温は奪われたはずだ。
そのうえあたしの格好はビキニの水着に薄いシャツを羽織っただけ。
サンダルは波にもぎ取られたのだろう、裸足だ。

一方サンジ君は相変わらずのスーツ姿だが、動いたせいで暑いのか黒いネクタイをほどいて、シャツの袖を捲り上げていた。
砂にまみれたジャケットは相変わらず、無残な姿で砂浜に放置されている。


「ナミさん、ちょっと」
「なによ」
「座って」
「なん……」
「いいから」


珍しく有無を言わさぬ口調に、あたしは憮然となりながらも言われた通り砂浜に腰を下ろした。
サンジ君はあたしの前にしゃがみ込むと、おもむろに自身のネクタイを縦半分に手と歯を使って引き裂いた。


「ど、どうするの?」
「森に入らなきゃならねェかもしれねぇし、そうじゃなくても裸足だと足元から冷えるし切れると危ないから」


そう言いながら、サンジ君は引き裂いた黒いネクタイを包帯のようにあたしの足に巻き付け始めた。
案外と長いネクタイはぴっちりとあたしの足を包んで、足首の辺りで固く結ばれた。


「はい完成。ちょっと動かしづらいだろうけど、切れるよりはいいと思う」
「……ありがとう」


黒くなった両足を眺めて、ぽつりと礼を言った。
あたしだって何もお礼も言えないほどヒネてるわけじゃない。
サンジ君はにっこりと笑った。


「今は寒くねェんだよな? おなかはすいてない? さっきちょっと森の入り口辺りだけ見たけど、バナナの木みたェなのはあったから食料はなんとかなるかもしれない」
「……うん、大丈夫」


そう言いながら、あたしはシャツの前を閉じるように片手で握りしめた。
気遣わしげにあたしの姿を見たサンジ君の目はいつものやらしさは微塵もなかったけど、それでもつい気になって、あたしは開いていたシャツのボタンを上から下まできっちり閉めた。
幸い裾の長いタイプだったので、おしりまで隠れてちょうどいい。
色が白なので少し透けるのが難点だ。
オレンジに緑のポイントが入ったあたしの水着は、白いシャツの下ではひたすら透けて見えるだろう。

ボタン閉めちゃうのォ? とか言うかな、とちらりとサンジ君を見上げたが、既にサンジ君はあたしに背中を向けていた。
なんだ、と拍子抜けしないでもない。


「寒くなったらジャケット着てもいいからね。ちょっと干しておこうか」


そう言ってサンジ君は砂まみれのジャケットを拾い上げ、軽く表面を払うと近くにあった大きな岩の肌を覆うように広げた。


「ナミさん、今何時ぐらいかわかる?」


あたしはログポースと太陽を見比べた。


「……15時過ぎくらいかしら」
「そっか。オレちょっと森入って食いモン探してくるけど、ナミさんどうする? もうすこし休んでる?」
「……あたしも行くわ」


あたしが立ち上がると、サンジ君は急に戸惑ったような顔をした。
なによ、あたしが付いて行ったらいけないの。
あんたが訊いたんじゃない。
サンジ君は戸惑った顔を隠すようにあたしに背を向けて、「じゃあ行こうか」と先を歩きだした。
なによ、どういう意味なのよその顔は、とあたしは不機嫌になる。


森は陰湿な雰囲気ではなく、どちらかと言うとからっとしたジャングルのようだった。
サンジ君の言った通り、森に分け入ってすぐのところにバナナらしき果物がぶら下がった背の高い木がある。


「取ってみようか」
「取れる?」
「うん、下がって」


登るのだろうか。
言われるがまま数歩後ずさると、あろうことかサンジ君はその木をおもむろに蹴り飛ばした。
バシンともドカンともつかない音が響いて、森の中にいるらしい生き物たちの気配が一瞬騒然となった。
彼の足が食い込んだ部分から、みしみしと太い幹が折れていく。
重たく地面が揺れて、木が倒れた。
サンジ君は顔色一つ変えずに倒れた木の先端までひょいひょいと近づいて、果実を手に取った。


「ナミさん食べられそうだよ、よかったね」


自分の胴より太い木の幹を脚力だけで折るなんて荒業をしておいてその笑顔はないだろう、とあたしは呆れて言葉を返せなかった。

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 麦わら一味では基本オールキャラかつサンナミ贔屓。
白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



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足りん
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