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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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車が吐き出す排気ガスがどんどん空に溶けていくのを眺めていると、ドアが開く音ともに「アン!」とまるで叱るような声に呼ばれた。
 
 
「サボ」
 
 
振り向くと、サボはすぐさまつかつかとアンに歩み寄った。
その目があまりに必死の形相であることに気付いて、ぎょっとして思わず少し身を引く。
サボは遠慮なく勢いをそのままにアンの肩を強く掴んだ。
 
 
「どこ行ってたんだよ!」
「あ、え、買い物…」
 
 
サボは蒼白と言っていい顔で、珍しく大きな声を出した。
アンたちの横を通り過ぎる人たちは、若い男女が近距離でもめる様子に興味深そうにちらちら視線を投げかけてくる。
しかしアンは、血相を変えたサボの勢いにのまれてそんなことを気にする余裕もなく、ただ当たり前の答えを単語で伝えるしかできなかった。
なに、なに、と言葉にならない疑問がアンの脳裏を駆け抜けていく。
サボはアンの答えを聞いて、ハッとしたように肩を掴む手を緩めた。
そしてアンの手の先を見下ろして、ハァと大きな息をついた。
そのまま肩から、腕の表面を撫でるように手を滑らせて買い物袋を手に取った。
アンはまだサボのどこかおかしな様子が理解できずただただ取られるがまま袋を手放す。
なんでさっき怒鳴ったの、なんでそんなでかい溜息ついたの、とたくさんの疑問が浮かび上がってくるが、呆気にとられて言葉にならない。
サボは買い物袋を受け取ったのと逆の手でアンの手首を掴んで、そのまま黙って店の中へと歩き出した。
目の前の、けして広くはない背中が白い壁のように見えた。
 
 
サボはアンの手を取ったまま、店を突っ切り階段を上り、3人の住居へと黙りこくったまま上がった。
ダイニングのテーブルに買い物袋を音を立てておくと、そこでようやくアンの手を離した。
そして振り向いたサボの顔からさっきの剣幕が消えていて、アンは知らず知らずのうちに詰めていた息をほっと吐き出す。
しかしサボの顔は、怒ってはいなかったけど、苦しげに歪んでいた。
 
 
「買い物、行ってたのか」
「うん、牛乳、なくて」
「いつものとこ?」
「うん」
 
 
簡単な答えばかりの質問に、アンはただただ素直に答えるしかない。
サボの意図がわからずただ困惑ばかりが募る。
サボはまた、はぁと深い息をついた。
そして寄りかかるように、アンの肩にごつんとサボの額がぶつかった。
 
 
「…帰ってきたら、アンがいないから」
 
 
くぐもった声は弱弱しい。
 
 
「ちょっと出かけてるだけかなって、おれも思ったけど、メシの準備もしてねぇから、おれが出てすぐ、アンも出たんだなって、わかって、それにしては帰ってこないし」
 
 
途切れ途切れに息を継ぐような話し方をするサボの声を聞いて、そうかこれは心配か、とアンはようやく合点が行った。
サボはアンの肩から額を離し、ごめんと呟いた。
そのあまりの弱弱しさに、アンは苦い笑いでサボの横腹の辺りをポンポンと軽く叩いた。
 
 
「心配かけてごめん。ちょっといろいろ買っちゃって。すぐに夕飯準備するから」
 
 
サボもつられたように少し頬を緩める。
アンのほうもその表情に安心して、よしと頷いて買ったものたちを冷蔵庫に収めるべくサボの脇を通り過ぎた。
 
 
「サボ、洗濯たたんでくんない?ルフィの学校ジャージとか準備してやんないと」
「ん、了解」
 
 
背中越しにそう言うとサボがすぐさま返事を返し、遠ざかる足音が聞こえた。
振り向いて、サボが部屋を出たのを確認して、アンは手にしていたコーヒーのボトルを形が変わるほど強く握りしめた。
 
そんなに神経質にならないで。
「何か」なんてあるわけないじゃん。
帰りは「マルコ」に送ってもらったの。
 
なんでだろう、どれも言えなかった。
 
 
 

 
 
アンたちの店を覚えてくれる人が増えると、逆にアンたちのほうも常連さんの顔を覚える。
この人は月曜日の朝。この女の人のグループは水曜以外の昼。この作業着のおじさんたちは木曜日の11時ごろ、という具合だ。
そうすると客のほうも余計アンたちの店を居心地良く思ってくれるので、足が途切れることはなく、この店を訪れることが彼らの習慣となっていくというなんともいい循環ができつつあった。
そしてかの私服警察官の中年二人も、決まった週に二度、店を訪れるようになった。
火曜日の朝、遅い時間。そして金曜日の昼遅く。
金曜日の昼に来るときはたいてい彼らが最後の客となる。
たまに二人ともこない時もあれば、サッチだけが来るときもあった。
 
 
「警官ってのぁ時間に不自由な職業でさ」
 
 
というのがサッチのお決まりのセリフだ。
どうやら金曜の遅い時間に来るのは、その前日の木曜がたいてい署に泊まり込んでいて、木曜の朝から金曜の午後までぶっ通しで働いてやっと解放されるかららしかった。
ふたりがたいてい一緒なのは──まぁただ仲良しなんだろう。
サッチとマルコはまるで火と水のように対極の性格であるとアンは思っている。
朗らかで明るくてよくしゃべるサッチと、静かで常に落ち着きのある無口なマルコ。
性格が似ているから必ずしも意気投合できるわけではないのは20年近く生きているアンにもわかる。
サッチとマルコも、そのまるで反対の性分の中にどこかぴたりと合わさる部分を持っているのだろう。
 
 
金曜日の今日も、例にもれずふたりは14時ごろ店にやってきた。
慣れた調子で会話をなしていく二人を見ていると、平和な日々が続いていることもあいまって、本当に何もかも忘れそうになった。
相変わらず黒ひげからの連絡はない。
このままなかったことになればいいのにと、調子のいいことを思って嫌気がさす。
それでも幾分気が楽なのは確かだった。
 
サッチとマルコは、既に指定席となったカウンターに腰かけている。
ふたりは食事を終え、どちらともなく(もしくは同時に)煙草を取り出した。
その一服の間にアンは二人のコーヒーを準備した。
アンは空の食器を下げるとき、ふと二人の手元にある煙草の箱が目に入った。
煙草の銘柄なんてわからないけれど、二人は違う銘柄の煙草を吸っていてなんとなく「へぇ」と思う。
サッチの煙草の箱は黒地で、サッチの手のひらにちょうど収まりが良さそうなサイズ。なんというか、スタイリッシュなかんじだ。
その隣にあるマルコの煙草の箱はサッチのものと比べるとだいぶ小さくて、アンの手にも余るようなサイズ。どこか古い印象がした。
ははっとサッチが明るく笑う。
 
 
「煙草気になんの?あれ、アンちゃんは吸わねぇ…よな?」
「あ、うん吸わない。煙草の箱ってかっこいいなと思って」
 
 
そういうとサッチが大仰に顔をしかめたのでアンはおや、と思う。
サッチは天井の換気扇に向かって、ふぅーっと高く紫煙を吐き出した。
 
 
「やっぱそう思うよなァ、オレもガキん頃そう思ってたもん。だからこそ背伸びするガキが後をたたねぇんだ」
「あ、仕事の」
「そうそう。あー週末だってのに嫌なこと思いだした」
 
 
あ、アンちゃんのせいじゃねぇぜ?とサッチはしっかり念押しすることを忘れない。
アンはいたわりの言葉と一緒に二人の前にコーヒーを出した。
並んで座る二人を少し高い位置から見下ろしたアンは、アンから見て右側の眠たい目をしたマルコを見てなんとなく違和感というには少し朧すぎる違和感を感じる。
マルコと交わした会話は店で少しと、あの日、通りで会って送ってもらった時に少し。
だからこの男のことで知らないことは少ししかないのに、今のマルコがあの時とは違うということがなぜかアンにははっきりとわかって、それが違和感となってアンの心に引っ掛かった。
嫌な音を立てて爪で掠るような引っかかり方ではなくて、ぽわんと心の真ん中に浮かんだようなそれはコロコロと形を変えて動くので定まりがない。
さらに言うと、そのときのマルコと、今のマルコ、そしてテレビで見た警視長としてのマルコもまた違う。
きっとこの違和感はいやでもマルコを意識しなければならないアンの立場のせいなのだろう、ということに落ち着かせて、アンはコーヒーメーカーのスイッチをオフにした。
空いている席を片づけていたサボが厨房側に回ってくる。食器洗いをしてくれるのだろう。
サッチとマルコは、そろいの仕草で煙草をもみ消してコーヒーに手をかけた。
 
 
「ってことでマルコ、夜付き合えよ」
「なにが『っていうことで』なのかさっぱりわからねぇよい。前置きがあるようなフリすんじゃねぇ」
「んだよぉ、週末だし仕事のこた忘れて飲みに行こうっつってんじゃねぇか」
「気分じゃねぇ」
「お前が陽気に一杯ひっかけようなんて気分のときなんざ見たことねぇし関係ねぇよ。行くったら行くんだよ」
「オレァ明日の午後に回ってくんだよい。一人で行け」
「んだよつれねぇな…ってことでアンちゃん、おじさんと一杯どう?」
「へっ?」
 
 
あたし?と目で問うと、サッチはにっこり笑顔で頷いた。
 
 
「…てめぇ、オレをだしにしやがったろい」
「いんや、オレァ本気で誘ったぜ?乗らなかったお前が悪い」
 
 
不機嫌にいなすマルコをサッチは飄々として意に介さない。
マルコが放つ苛立ちのボールをサッチはポケットに手を突っ込んでひょいひょいと避けてしまうように、するりとかわす。
そして今度はアンがサッチの標的となったようだった。
 
今まで何度か、サッチより年上のおじさんやときには同年代の男に似たような誘いを受けたことがあった。
そういうとき、たいていその客は席からニヤニヤとアンに意味ありげな視線を投げかけてから帰り際ふらりと近寄り声をかけるのだ。
しかし今回はあまりに突然だったので勝手が違った。
アンは驚いて目をぱちぱち瞬く。
サッチは依然にこにことアンを見てくるのだ。
 
 
「えっと、サッチ?冗…」
「冗談じゃねぇさ、今夜どう?ひま?」
 
 
まるで警察官とは思えない軽さで、サッチは上目がちにアンに問う。
アンはその身軽さに、実のところ「楽しいオッサン」と認識し始めていた気持ちが若干引いた気がした。
なんていうか、このオッサン、オッサンのくせに、オッサンだからか、手練れだ。
アンはこっそり引いた気持ちを隠してお決まりの愛想笑いを浮かべた。
 
 
「悪いけど…夜は家のことがあるから」
「んじゃぁそっちの兄ちゃん、お宅のお姉ちゃん、ん?妹ちゃん?ちょこっとお借りしちゃだめ?」
 
 
今までまったく無干渉でひたすら手を動かしていたサボが、きゅっと蛇口をひねって水を止めてサッチを見た。
サボが口を開いて言葉を発しようとしたが、その寸前でアンが遮るように言葉を重ねた。
 
 
「ごめん、ほんと、夜は忙しいんだ」
「えぇー」
 
 
オレアンちゃんと飲みてぇよ、とサッチは子供のように口を尖らせた。
 
 
「お前サッチ、外であんまりみっともねぇ面さらすんじゃねぇよいアホウ」
「うるせっ、もとはと言えばお前が行かねぇっつーから」
「だからってなんでお前は適当に引っかけようとすんだよい」
「適当じゃねぇもん、オレはアンちゃんと飲みてぇんだ」
 
 
呆れ顔のマルコにすねたサッチ。
アンは苦笑付きでもう一度「ごめん」と言ってから、ちらりと隣の高い位置にある顔を窺った。
サボはアンが言葉を遮った時点で、また何食わぬ顔で皿洗いを始めた。
いつもは手に取るようにわかるはずのサボの心が、曇りガラスの向こう側を見るように不鮮明にしかわからなくて、心もとない気分になった。
 
 
「オレは諦めねぇっ」とサッチは変に気合いを入れて、マルコはもう我関せずの顔つきで代金をカウンターに置いて、いつものように15時を少し過ぎた頃店を去った。
アンは笑顔で見送って、彼らのコーヒーカップに手を伸ばす。
溜まっていた洗い物を全て済ましてくれたサボが、アンに向かって「ん」と手を伸ばした。
ありがと、とカップを手渡す。
特に感情の浮かんでいない横顔が遠く思えて、アンは思わず「サボ」と名を呼んでいた。
 
 
「ん?」
「…さっき、なんて言おうとした?」
 
 
サボはきょとんとした目をアンに向けると、ふっと吹き出すように頬を緩めた。
 
 
「アンが遮ったんじゃないか」
「…そだけど」
 
 
アンは手の中でその辺においてあった布巾をもてあそびながらも、サボが笑ったことでゆっくり立ち上ってきた安堵にほっとした。
サボはその笑みを微かに浮かべたまま言う。
 
 
「オレは…アンが行きたいならいいけどって言おうとしたんだ」
「え?だ、だって」
「あのオッサンらが警察なのはわかってるけど、今のアンは微塵も疑われてないわけだし、ボロも出場所がないだろ。それに」
 
 
サボは手早くカップを洗い終わって、濡れてつやつや光るそれらをそっとシンクの隣に置いた。
 
 
「あの人たちと喋ってるときのアンは楽しそうだ」
 
 
息抜きできればいいって思ったんだ、となんでもないことのように言った。
アンはただ予想外の言葉にきょとんとするしかない。
サボがいつもどれだけアンの所業について心煩わせているかわかっているつもりだ。
だからむしろ、アンがサッチやマルコと客の中でもひときわ仲良く話すようになったことをサボはよく思ってないだろうと思っていた。
確かめたわけではないし、二人に対してサボはいつも通り愛想よく接する。
それでも絶対二人が来たとき、どれだけ接客に余裕があろうともサボは奥に引っ込まない。
 
…だからサボはあたしをサッチと出かけさせたりなんかするはずなくって、でも今は「行けばいい」って言ってくれて、そんでもいつもは絶対あたしだけにしないのに…あれ、分かんなくなってきたぞ、とアンが混乱している間に、サボはてきぱきと手を拭きサロンを外してシャツの一番上のボタンも外した。
 
 
「さ、さっさと閉めちまおうぜ」
「う、ん。サボ、」
 
 
厨房側から出ていこうとカウンターの戸に手をかけていたサボは、ん?と振り返った。
 
 
「あたし、毎日の、みんなのごはん準備したり家のことしたりするの、息がつまるなんて思ってないよ」
 
 
サボは戸に手をかけたまま、言葉をゆっくり飲み込むようにじっとアンの目を見つめて、すぐににぱっと笑った。
 
 
「わかってるよ。おれだって同じだ」
 
 
サボが胸の高さにあるカウンターの戸を押し開ける。
その蝶番がキィッと高く鳴る音は、固い革靴とステッキが床を叩く音にかき消された。
 
 
「お久しぶりです。ゴール・D・アン」
 
 
ラフィットはシルクハットを脱ぎ、白い肌に生える紅い口をにっと釣り上げた。
 
 
 

 
 
アンが黒ひげの事務所に出向くと、ティーチはいつものように鷹揚な態度でソファに深く腰掛けてアンに向かって手を上げた。
その隣にはオーガーが能面のような無表情で立っている。
 
 
「ようアン、久しぶりだな」
 
 
ティーチは視線でアンに向かいに座るよう示す。
アン離れた足取りで迷うことなくそこへ腰を下ろした。
 
 
「休息はしっかりとれたか、ん?」
 
 
世間話かはたまたご機嫌取りのつもりなのか、ティーチは機嫌よくアンに話しかけた。
アンはむっつりと黙った余計なことは離さない。
そんなやりとりも既にデフォルトとなった今では、ティーチも特に気にした風もなくラフィットを呼んだ。
 
 
「おい、アレ」
「はい」
 
 
ラフィットは静かな返事をして奥の部屋へ引っ込む。
アンはそれを横目で見て、視線で「何?」と問うた。
ティーチは「すぐにわかる」と嬉しそうな顔を隠さない。
すぐにラフィットがビジネスケースを片手にぶら下げて戻ってきた。
そのケースはアンとティーチ二人の間のテーブルに置かれる。
 
 
「もうわかるだろう。てめぇの前の稼ぎの残り半分だ。やっとうっぱらった金が入ってきたからなぁ」
 
 
重いだろうが持って帰るといい、とティーチはそれをアンの方へ少し押した。
アンはそれを見下ろして、黙って頷く。
したたかになれなければと何度も自分に言い聞かせた。
サボとルフィのためにも、せめて自分のためにも。
 
 
「前も言ったがお前ぇが銀行口座を作ってくれりゃあナマのやりとりがなくて楽なんだがなぁ」
「…あたしみたいな奴が簡単に入れるところに預けられるかよ」
 
 
精一杯の皮肉のつもりが、ティーチはますます嬉しそうに声を上げて笑っただけだった。
そして、さあ本題だといわんばかりにティーチは座り直した。
 
 
「次の仕事の段取りが整ったぜ、アン」
 
 
そうだろうと思っていた。
アンは黙って頷く。
オーガーが横から、ティーチの顔を見ることもなくすっと紙を差し出した。
ティーチは慣れたしぐさでそれを受け取る。
 
 
「今回は前とは勝手が違うぜ。そうだな、ざっと10倍は前より警備が固いだろうな」
 
 
それはアンも危惧していたし、覚悟していたところでもあった。
 
 
「それにお前自身前言ってたな、対策本部ができていやがる。ニューゲートの野郎が直々に勘付いたんだろう。そう簡単にはいかねぇぜ」
「前置きはいいから」
 
 
早く説明して、とアンはティーチの手元の用紙に視線を落としたまま促す。
ティーチはにやりと笑って、後ろ暗い計画を口にし始めた。
 
 
 

 
決行の日は太り気味の三日月に少し雲がかかるような、いわば何でもない夜だった。
すっかり夜の帳が下りて街が寝静まった午前1時ごろ、アンは静かな住宅街区の入り口で放り出されるように車から降りた。
夜の背景に馴染んだ黒い車は控えめな音を立ててアンを残し去っていく。
アンの方もその車を見送ることはせず、すぐさま目的の場所へと足早に歩き始めた。
 
相変わらず死んだような地区だ。
夜だと一層ひやりとした冷たさをはらんでいる。
まだ初夏だからか、場所がそういう空気をまとっているのか。
どちらにしろ動きやすい気温で、静かさも好都合だ。
このまま死んだように眠り続けて、いっそ死んでくれればやりやすいとまで思った。
ゆるやかな坂を足音立てずに登って行き、見覚えのある門が見えたところでさっと手前の角を右に曲がった。
 
すべて黒ひげの指示の通りだ。
そしてアンはちらりと顔だけ覗かせて、門の前に3人の警備員が屹立しているのを確認した。
アンは自分が認識される前に角を曲がったので、きっと彼らはアンに気付いていないはずだ。
気付いていたとしてもただの通行人のふりをすればいい話だが、危惧は増す。
これも黒ひげの説明通りだ。
アンは高鳴りすぎて痛いくらいの胸に拳を当てて、一度深呼吸した。
二回目でも緊張する。
当たり前だ。
犯罪の重みはアンは隙あらば押しつぶそうとした。
アンはウエストポーチに手を伸ばし、マスクを取り出すと顔に貼りつけた。
そして背中を張り付けていた壁をよじのぼり、目的の邸宅よりはだいぶと小さい、しかし豪奢な家の敷地に入り込んだ。
ふわりと豊かに育てられた芝生がアンをやさしく出迎えて、足音を消してくれる。
アンは壁伝いにその家の内側を横切って行き止まりの壁まで到達すると、今度はまた右に曲がって壁に沿って歩いていく。
アンがお邪魔しているこの家は、家自身はこじんまりとしているが広大な庭が自慢らしく、よってアンの移動できる場所は広くあったので足場に選ばれたのだ。
そしてアンは入り込んだ地点のちょうど対角点に行きつくと、そこでようやく壁をよじ登り外の様子を覗き見た。
 
右は、なにもない。
真っ暗の道がまるで通るものを吸い込むように黒く塗りつぶされている。
正面は目的の邸宅、の右端。塀のちょうど曲がり角の部分だ。
そして左側の遠くには正門と3人の門番。
3人皆が正面を向いていたら3人いる意味がないので、当然彼らは3方向を向いて立っている。
今は夜の闇が黒衣をまとったアンの姿を隠してくれているが、このままひらりとアンが塀から飛び降りれば一番近くにいる門番がすぐさま気づくだろう。
だからこそ、アンは待った。
黒ひげの指示通り、じっと息をひそめて蜘蛛のように壁に貼りついたままそのときを待つ。
 
(ああ腕が痛い)
 
腕と肩の力だけで体を支えて宙ぶらりん状態のアンは、もはや体力耐久レースになるだろう今回の計画に顔をしかめた。
プルルルル、と唐突に電子音が静寂の中で細くアンの耳に届いた。
一番アンに近い場所にいる門番がポケットに目を落とす。
 
(今だ)
 
アンは支えていた両腕で体を持ち上げて壁の向こう側に飛び降りた。
アンの耳には風を切る音が聞こえたが、遠く離れた門番の彼らには全く無音のはずだ。
黒ひげが与えたブーツも衝撃を音ともに吸収してくれた。
 
 
「はい、こちら正門」
 
 
静かすぎるからか、そこそこの距離があるのに門番の声が聞こえた。
彼の顔は今正面を、つまりは坂の方向を向いていてアンからそれている。
アンは一目散に道を横切って邸宅の壁に貼りつき、角を曲がって門番の死角に入った。
 
 
とりあえず第一段階クリアだ、とアンはいつの間にか額を流れる汗をぬぐった。
涼やかな夜だというのに、流れる汗はべとべとして嫌な気分になる汗だ。
アンは壁に貼りつけた背中から伝わる無機質な冷たさと、肌からじわじわ空中に放たれる熱のちぐはぐさに若干の気持ち悪さを感じならが、次の「時」を待った。
次の部分の計画に関してはアンと黒ひげで小さなやり取りがあった。
黒ひげはこの一連の犯罪をどこまで重いものにしてもかまわないと思っているのか、アンには全く判断がつかない。
ティーチが始め口にした計画はこうだった。
 
 
「お前が門の死角に着いたら、一人の男が正門にやってくる。俺らの手のもんさ。そいつはちいせぇ包みを持ってくる。で、真夜中の訪問者を門番たちが追い返そうとしたそのときに、」
 
 
ドーン、と手のひらを開く仕草をして、ティーチはにやりと笑った。
アンはティーチの手と奥深くで光る瞳を何度も交互にみた。
 
 
「…それって」
「爆弾さ、ちいせぇやつくらいこいつは今この場で作って見せられるんだぜ、なぁ」
 
 
ティーチはその隣で棒のように突っ立ったままのオーガの腰を馴れ馴れしく叩いた。
オーガはちらとティーチを見下ろして、なにも言わずまた視線を正面へ戻す。
 
 
「そしたら家ん中の連中は多少正門に集まるだろう、そしたらお前ぇが」
「ちょ、ちょっと待っ…」
 
 
アンはこの日初めてティーチの目をまっすぐに見た。
ドーン、と子供のような口調で言ったティーチの声が耳から離れない。
 
 
「爆弾って、そんな」
 
 
ティーチは一瞬なにを言われているのかわからないといった顔でアンを見たが、すぐに「ん?」と笑みを広げてアンを促した。
アンの言葉の続きをわかっているのに、それでもあえてアンの言葉を待つ。
やっぱりこの男、大嫌いだ。
アンは苦い思いをかみつぶしながら口を開いた。
 
 
「…人が死ぬとかは、いやだ」
 
 
ティーチは訳知り顔の癖に口だけは「ほお」と言って、アンの方に乗り出していた身を引いてソファにもたれ込んだ。
 
 
「だがよ、その爆弾抱えて突っ込むコマの野郎は俺が今まで面倒見てやって、その「仕事」の取引も済んでる。いつ死んでもいいような奴だ。爆弾だってちいせぇ、子供の遊び道具みてぇなもんさ。必要なのは『騒ぎ』なんだ」
「…それなら爆弾じゃなくてもいいだろ。もっと、害のない…もしその、爆弾、とかならあたしは嫌だ」
 
 
かたくなに拒むアンを見据えて、ティーチはあくまで楽しそうに太い腕を組んだ。
 
 
「綺麗ごとからは身を引くんじゃなかったのか、アン」
「…綺麗ごとじゃ、」
 
 
ない、と言葉の最期は部屋のエアコンの音にかき消されるほど掠れてしまった。
同時に前を見据えていたアンの顔も徐々に俯いていく。
 
綺麗ごとじゃないと、本当に言い切れるのだろうか。
人が死なない方がいいのは当たり前だ、それくらいの理性はある。
それでも他人の死を自分の目的と秤にかけて揺らしてしまった自分が、もう後には戻れないと知っている。
既に「綺麗」でなどいないのは、分かっているのだ。
 
 
「…できるだけ、音だけとか、そういう…」
「…よし、わかった。考えようじゃねぇか」
 
 
アンが顔を上げると、変わらず何かを楽しむティーチと、不満げに彼を見下ろすオーガがいた。
 
 
そうしてその計画にある程度アンの意思が組み込まれた結果、爆弾は子供だましの閃光弾と煙幕になったと聞いた。
アンは塀に背中を預けたまま、真っ暗に塗りつぶされた正面の道の続く先を見遣る。
『後には戻れない』
自分で気づいたその言葉が思った以上にアンの肩にのしかかり苦しくさせる。
アンは小さく身震いした。
『戻りたい』と願う自分は消えていないのだ。
湿り気を含んだ弱い風が頬をかすめていったその時、遠くから人の話し声が聞こえた。
 
アンはそれを来るべき時が来たと判断して、塀伝いに正門から遠い方へと早足に歩く。
そして、暗闇を引き裂くような鋭い破裂音が耳に届いて、アンは背の高い塀の一番上に手をかけた。
 
塀を超えてしまえば簡単に敷地内である。
正門と裏門、玄関、そして目的のものがある部屋の周りには雇われたガードマンがついていると黒ひげから聞いていたが、その他の何でもない塀などはただの塀に過ぎず、乗り越えてしまえば障害でも何でもなかった。
アンの目の前には、夜の闇の中でぼんやりと浮かび上がる白い噴水があった。
玄関に向かって右手にあるその噴水は庭の隅に備え付けられているが、場所が場所だからか、くすんだ風味が暗いながらも伝わる。
陶器の天使がうつろな白い目でアンを見ていた。
アンはその噴水のモニュメントの陰に身を隠して息をひそめた。
噴水の向こう側、正門と玄関を繋ぐ直線状を次から次へと人が走る。
黄色い灯りの灯る正門から立ち上る白い煙がよく見えた。
その光の方向へ走る人たちはさながら夜光虫のようだ。
アンは事の起こった正門に吸われて、邸宅の中から人の数が減っていく様子を想像しながら、暗く広い庭を正門から離れるように走った。
 
 
 
家の側面に沿ってかれこれ100メートルほど走ったというのにまだ壁が途切れることはない。
アンは騒がしくなってきた玄関口の気配に耳をそばだてながら、ある地点で足を止めた。
玄関での不審な事件は警察を呼ぶだろう。
特にマークされて警備されていたこの家なら、あと数分と言ったところか。
アンは壁に向かって上方を仰ぎ、3階ほどの高さからアンの頭上を覆うように突き出しているベランダの底を見上げた。
そしてすぐさまウエストポーチからロープを取り出し、烏の鉤爪のような器具のついた先端を狙いを定める余裕もなく3階のベランダへと思いっきり放り投げた。
鉤爪がベランダのコンクリートの段差に引っ掛かってキィンと高い音が響く。
縄でもないゴムでもない、全く未知の素材でできたロープがぴんと張る。
その音が思ったより大きかったのでどきりとしたが、ビビッている暇はないのですぐさま反対側のロープの先端を手首にくくりつけ、その先端から1メートルほど距離を取った場所にある腕時計の画面のような形の小さな機械の、ただひとつあるボタンを押した。
シュッと風を切る音がして、アンの身体はみるみるベランダへと引っ張られていく。
ベランダの手すりの下部が手に届く辺りまで来ると、アンは自身の手でそこを掴んで体を持ち上げた。
黒ひげにこれを与えられてから1週間ほど練習した成果か、手間取ることなく上階に上がってこれた。
アンは自身の身体をベランダに収めてから、残りのロープを一気に巻きとった。
帰りに使う時のため、まだ手首に巻きつけたままにしておく。
 
 
ガチャン、と耳慣れない音がした。
すぐさまその音の先を見遣ると、アンの正面にある大きな窓のカーテンの隙間から人の手が伸びて窓の鍵をひねり、そのまま手さぐりで窓枠に手をかけようとしている。
アンは口から飛び出そうな心臓を生唾と一緒にのみこんで、右の腰にそっと手を伸ばした。
 
暗闇のせいでよくわからないが、おそらく濃いワインレッドのような色の分厚いカーテンのおかげであちらはアンの姿が見えていない。
手の様子からして男らしいその人物は、カーテンを開ける手間を面倒くさがってカーテン越しに窓を開けようと試みたらしい。
そして窓が開き、ほぼ同時にカーテンも開いた。
 
 
現れたスーツ姿の若い男がみるみる目を大きくする。
そしてぱかっと開いた口から声が発されるより前に、アンはかまえた銃で男の首すじを撃った。
その距離は1メートルあるかないか。
はずれるわけもなく、あやまたず打ち抜かれた男は後ろに向いてどうと倒れた。
 
アンは男の身体の上から首だけを部屋の中に入れ、中の様子を見る。
灯りの消えた室内は暗いが、乾いた空気がアンの頬に触れ、古い家具の匂いがした。
人はいない。
アンが鉤爪を引っ掻けた音を聞きつけてやってきたのだろう、この家の使用人らしいその男の身体をまたいで中に踏み入った。
 
中に入り、アンはまた流れ始めた新しい汗をぬぐった。
思った以上の軽さで引かれた引き金にはじめて指をかけた感触。
命を奪ったわけではないのに、人に銃口を向けるのはきっとそれに似た重さを伴う。
アンは横たわって目を閉じる男を見下ろして、帰りのために窓は開けたまま部屋の扉へと近づいた。
急がなければ、タイムリミットが迫っている。
 
この部屋は今はもう使われていない使用人の部屋だと聞いていたので、人が現れたのは予想外だった。
しかしアンの代わりに鍵を開けてくれたので、麻酔を一本使ってしまった代わりに手間はだいぶと省けた。
アンのウエストポーチには、窓の鍵を開けるための小道具が皮生地の内側に備え付けられてくるくるとまかれた簡易作業セットが収められているのだが、今回は使わずに済みそうだ。
 
アンは扉に近づいたもののその前を素通りし、扉の右上方に位置する排気口に目を止めた。
50センチ四方のそこには鉄格子がついている。
アンはまた、鉤爪のロープを力強く放り投げた。
 
 
 
狭く埃臭い排気口をずるずるとほふく前進で這う。
ともすると両膝をついて四つん這いで進めそうな空間だったが、そうしていたらさっき急に狭くなって頭をしたたかにぶつけたので、ほふく前進で通すことにした。
咥えたペンライトが先を照らす。
アンの腹の下からは、微かに人の話し声や動作音が聞こえた。
 
頭に叩き込んだ経路の通りにいくつもに枝分かれした排気路の中を進み、目的の部屋と思われる排気口の出口まで辿りついた。
そっと耳を近づけるが、物音はしない。
静かだということは、まだ玄関口での騒動から数分しかたっておらず家の者も警官も髪飾りの守備にまで回ることができていないのだ。
騒動からすでに何時間も経過したような気分だったが、左腕の時計を確かめる確かにまだ10分立ったかどうかというところ。
足の速さと手際がスムーズだったことが幸いしたらしい。
アンは内側からネジを外し、押し出すようにして排気口の鉄格子を外した。
 
 
部屋の中はぼんやりとした灯りに照らされていた。
正面と左右に一つずつ監視カメラがあると聞いている。
アンは排気口に体を横たえたまま左側の腰に備え付けていた銃を構え、向かいにある大きな扉の上あたりを狙って引き金を引いた。
一瞬のタイムラグの後、パシャンと水音のような音が返ってきてペイントが監視カメラもろとも壁に塗りつけられたことを確認する。
左右も同じようにして、その『目』を塞いだ。
監視カメラは首ふり式だが常に床に向かって目を動かしているので、同じ高さにあるアンの姿は認知されないのだ。
 
それから2メートルほどの高さを怖がっている暇もなく床に飛び降りた。
高級そうな絨毯が衝撃をいささか吸収してくれたが少し足がじんとわななく。
そして、目を上げたアンはその光景に一瞬ぎょっとしたものすぐにげんなりした気分になった。呆れに近い。
 
降り立ったアンの周りはショーケースに入っていたりはたまた剥き出しだったり、とにかくあらゆる調度品で埋め尽くされていた。
絵画、金髪のドール、骨董の壺、輝く指輪。
それは観賞用だったり展示だったりといったものではない。
ただここは詰め込まれるだけの倉庫だ。
きっとこの屋敷の主は、価値あるものが好きなのではなく価値あるものを集めることが好きなのだ。
そして、価値あるものを集める自分が好きなのだ。
古臭い埃の匂いと錆のような貴金属の匂いとともに、鼻持ちならない成金のにおいがする。
 
呆れていても仕方ないし時間もないので、アンはすぐさま目的の髪飾りを探しにかかった。
きっとショーケースの中に入っているだろうと黒ひげは言っていたが、場所まで彼らにもわからなかったらしい。
たしかに、こんな有象無象の詰め込まれた部屋の中でありかまでわかっていたら驚きだ。
この『コレクションルーム』の位置とそこまでの経路を割り出した彼らの「伝手」に感服するまでだろう。
 
アンはとりあえず道なき道を歩いて、ときには巻かれたまま倒れた絨毯のようなものをまたいで、ショーケースを覗き込んでまわった。
 
…ちがう。
…これもちがう。
…これも。
 
ひとつずつ「ちがう」を重ねていくたびに、左手の腕時計が刻む秒針の音が心臓の鼓動とリンクする。
焦りの汗が流れ始めたそのとき、アンの目がぴたりと止まった。
 
…これだ。
 
ぼやっとした灯りの中、埃の被ったショーケースの中で真紅の髪飾りが寂しげに光っていた。
アンはダメもとでショーケースに両手をかけてそれを持ち上げてみる。
すると、予想外なことにガラスのケースは簡単に持ち上がり、驚いたアンの手から少しケースがずり下がる。
あわててしっかりとつかみなおしてケースを床に置き、髪飾りに手を伸ばした。
皮手袋を隔てていても、硬質な手触りが感じられた。
 
(よし)
 
目的達成あとは帰るのみ、と意気込んで髪飾りをしまおうとウエストポーチのチャックに手を伸ばしたその時、金属が小さくぶつかる音と重たい木の扉が床をこする音がして、眩しすぎる光がアンを背後から照らした。
 
まずい、と声が頭の中で響いた瞬間手は腰の銃に伸びていた。
暗闇と光の狭間に立つドアを開けた人物は、闇の中でぼんやりと浮かび上がった人型のシルエットに数秒経って気付いた。
しかしその人物が声を上げるより早く、アンは引き金を引く。
パッションピンクのペイント弾が男の身体と両脇の扉を丸ごと色鮮やかに染めた。
麻酔銃にするはずが髪飾りにふさがれて開いているのは左手だけで、よってついペイント弾のほうを撃ってしまった。
ぎゃっと無様な悲鳴を上げたスーツの男は、驚いたのとペイント液に足を取られたのとでその場にドタンと腰を打ち付けて転んだ。
アンはすぐさま髪飾りをポーチに放り込むようにしまうと、散らかったコレクションたちをかき分けて排気口の真下まで走り寄り、すぐさまロープを使って登って体を排気口の中に押し込んだ。
つま先を排気口の中に引っ込めたちょうどそのとき、コレクションルームのほうからは騒然とする人の話し声が聞こえてきた。
 
今度こそ時間との勝負だ。
ドアを開けた男は使用人が来ていたスーツではなかった。
あれは警察だ。
アンの目の前で派手に転んだ姿を思い出すとおそらく下っ端の冴えない刑事だろうが、なんにせよ敵は確実にアンに気付き動いている。
まさかあそこで扉を開けられるとは思わなかった、はじめての失態だ。
あの警察がなぜあのタイミングで扉を開けたのかはわからない、しかも一人で。
彼はアンが排気口へと逃げたのを見ていただろうか。
目を潰されて何もわかっちゃいないといいけどと願いながらも、帰りついたあの部屋で大勢の警官がアンを出迎えている光景が目の奥をちらついて仕方ない。
 
アンは動転して散らかりかける思考を必死につなぎとめながらも帰路を急いだ。
目的の部屋に近づいてきて、その方向から何の声も聞こえないことにほっと息をついた。
開きっぱなしの排気口から部屋を覗き込んで、そこがいまだ薄暗く、開いたままの窓から吹き込むささやかな風がカーテンの裾を小さく揺らしているのを見下ろす。
アンはコレクションルームに入るときにしたように、いったん狭い中で体の前後を逆にして、足から部屋の中へとおろして最後は飛び降りた。
 
髪飾りを目的とするあの泥棒が入り込んだと警察が決め込んでいるなら、おそらくこの家はもう包囲されているはずだ。
一見逃げ場のないその状況を想像して、早まる鼓動だけは止めようがない。
だからもう今は黒ひげの言葉を忠実に信じるしかないのだ。
 
アンは開いた窓に近づき、未だ伸びたままの男を来たときのようにまたいで外に視線を走らす。
人の声がたくさんした。
ベランダの真下にいるような気配はしないが、きっと近くにいるのだろう。
アンは右手に巻きつけたロープをぎゅっと握りしめて、そっとベランダに足を踏み出した。
 
 
「ああ、思ったより小せぇな」
 
 
癇に障るような蝶番の音に対して重たい木が擦れる音。
アンの真後ろの扉が開いて、廊下から差し込む光がまたしてもアンを照らした。
アンは忍び込んでから初めて聞いた自分に向けられた声が、近頃聞きなれたものであることを確信して振り返った。
片側の扉をあけ放った男はたった一人で、右手はまだ扉に掛けたまま、左手には何か用紙を握ってアンに対峙していた。
 
マルコ、とアンは呟いた。
 
 
「オレを知ってんのかい?」
 
 
マルコはよもや怪盗を追い詰めた刑事とは思えないのんきな口調で尋ねた。
アンはつい口をついて出てしまった先程の自分の言葉を呪う。
しかし怪盗が「マルコ」を知っていたって何の不思議もないのだ。
 
 
「有名人だろ、あんた」
 
 
緊張のせいか、掠れた低い声が出た。
咳払いしようとして、待てよと気づく。
マルコはそうだったねいと軽く答えた。
アンに近づこうともしない。
 
 
「まさか本当に排気口から出入りできるような奴とは思わなかったよい」
 
 
アンは下から睨みあげるようにマルコを黙って見つめる。
この時間がタイムロスだ。
マルコはきっと既に手下をこの部屋やベランダに呼び集めているのだろう。
アンはほぼ真っ黒に染まりかけた近い未来を考えて眩暈がした。
しかしマルコは、そんなアンの考えを読み取ったように自嘲的に笑った。
 
 
「まさかだったもんで、オレ一人ここに突っ走ってきちまって、まだ誰も呼べてねぇ」
 
 
まぁ仲間はその辺にごろごろいるが、とマルコはアンが知るいつもより少し饒舌に喋った。
そして扉から一歩、アンに近づいた。
灰色のジャケットスーツはいつものものだ。視線は思わずその胸ポケットに走った。
そこからのぞく色の違う何かを確認して、同時にやっぱりこれはマルコなんだとまるで諦めのような感慨がわきあがる。
アンは掠れた低い声のまま口を開いた。
 
 
「…なんでわかった」
「ああ、お前さんが現れたかもしれねぇって言うんで来たら通報から20分も立たねぇうちに保管室の『宝』が既に盗られちまってる。こりゃあ正規の廊下以外にどこか通り道があるんだろうと踏んで、思いついたままに排気管の配置図を家主に探させて辿ってみたらこの部屋が一番怪しかったんで、来てみたら当たりだったっていうだけだよい」
 
 
「だけ」というには随分長い前置きを踏んで、マルコはさらりと思考の手順を述べた。
たったひとりで、黒ひげと同じ思考回路をすぐさまたどったこの男の頭脳がやはり『警視長』たる肩書きの所以だろうか。
 
アンは長々と答えてくれたマルコに返す言葉を思いつかず、窓のサッシに乗せていたもう片方の足をベランダに踏み入れた。
マルコは「ああ」と思いついたような声を上げる。
 
 
「いくらまだ応援がねぇからって、さすがにもう逃げられねぇよい。塀の周りはサツだらけだ」
 
 
金儲けなら、前の一つじゃ足りなかったのかい?とまるで子供に尋ねるようなその口ぶりにカッと腹の底が熱くなった。
 
 
「――捕まらねぇよ」
「あ?」
「絶対、捕まらない」
 
 
アンはマルコに背を向けて、ベランダの手すりに手をかけた。
背後で、カチャリと質の違う金属音が響いた。
振り返ると真っ黒の銃口がアンを指している。
 
 
(──ああ、狙われるのってこういう)
 
 
哀しい、とよぎってしまった思いをかき消す思いで強くマルコを睨み返した。
 
 
「お前ェ、名前は」
「名前?」
 
 
なんでそんなこと、と口をつきかけた考えを覆い隠すように、テレビで聞いた誰かの声をと画面の隅で派手に躍り出ていた文字を思い出した。
アンを指し示す『A』の文字。
 
窓から吹き込んだ風が部屋の空気をかき混ぜて、吸いだされるように外に戻ってくる。
その空気の動きに揺られて、ワインレッドのカーテンの裾がベランダにいるアンの手に触れた。
アンはそれをつまむように掴んだ。
 
 
「…エース」
 
 
マルコが、アンの知らない顔で笑った。
 
 
「いい名前だよい」
 
 
引き金にかかるマルコの指が微かに動いて、アンが分厚いカーテンをふたりの間に引き、銃弾がコンクリートの床にぶつかる激しい音に気付いた他の警官が庭を回ってそのベランダの下に集まった頃には、既に誰の姿もなかった。
 



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さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



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