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OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
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ダイニングテーブルに片手をつくと、張りつめた堅い木の板がぎゅっと鳴ってどきりとした。
掛け時計の大げさな針の音が、いつもより早く聞こえる。
今夜は波が高く、船がよく揺れた。
ともすると風の音のようにも聞こえる波のうねりが、足の裏から体の奥の方を震わせるように響いてくる。
にもかかわらず、机に突っ伏した金色の頭はみじろぎひとつしなかった。

しばらく、じっと見ていた。
無造作に垂れた長い前髪から、筋の通った鼻梁が飛び出している。
耳を澄まさなくても、ときおりすーっと細い風が通り抜けるみたいな寝息が聞こえた。
薄いブルーのシャツの背が、呼吸に合わせて上下している。
やわらかな、平和な呼吸。

テーブルについた手に体重をかけると、またぎぃっと音が鳴る。まるで責められてるみたいだ。
精巧な金糸のような髪をそっとめくり上げた。





はちみつのもったりと濃い香りがただよいはじめたときから、みんながソワソワし始めるのが手に取るように分かった。
ルフィだけはすかさずキッチンにすっとんで行ったが、他のみんなは大人ぶった顔でいつもの時間を待っている。
かと思いきや、いつのまにかみんなにじり寄るようにキッチンの周りへと集まっていた。
ゾロはキッチンと甲板を隔てる壁に背をもたせかけて目を閉じているし、フランキーもコキリコキリと首を鳴らしながら工房から顔を出した。
ウソップとチョッパーがなんどもキッチンのドアを開けたり閉めたりを繰り返す。
そのたびに、あぶらっぽいにおいと一緒に、あの魅惑的な甘い香りが甲板いっぱいに広がった。

「いい香りね」

部屋で本を読んでいたはずのロビンも、いつの間にか顔を出している。
私だって、ウソップたちのことを笑えない。
あまいにおいに惹かれて、こうしてキッチンのそばの階段に腰かけて日誌を読み返している。
ロビンが私の隣に腰かけた。

「今日はね、サンジ君の故郷のおやつなんだって」
「あら、素敵」
「なんてったっけ、ビ……ベ……ベニヤ板みたいな名前のおかし」

ベニヤ板? とロビンが吹き出したとき、サンジ君の「レディ達―!」という臆面もない声と共に、キッチンの扉が大きく開いた。


「りんごのベニエ。あったかい、冬のおやつさ」

甲板に青々と茂った芝生の上に大きなランチョンマットを広げて、私たちはあぐらをかいてそれを取り囲む。
サンジ君は、ほかほかと湯気を立てる円盤状のおやつを私とロビン同時に差し出した。
りんごの甘酸っぱいかおりが、熱と共に立ち上ってくる。

「ノースの伝統菓子なんだ?」

行儀悪く鼻をひくひくとさせながら尋ねると、「あ、うん」とサンジ君。

「伝統っつって、そんな上等なもんじゃねェよ。家庭のおやつって感じかな」

そう言いながら、手際よく女性陣のお茶を淹れていく。
私はつと顔を上げて彼を見た。その目線はカップに注がれている。黄金色の液体と一緒に流れていく。
ねぇ、と声を掛けようと口を開いたら、それより早くサンジ君がさっとポットを上げて遮った。
私にはそう思えた。

「さ、熱いうちに。生クリームが溶けちまうからさ」

そう言った矢先、私の皿の上でつんと尖った生クリームがぼてっと横に倒れた。
いただきましょ、とロビンがフォークを手に取る。
サンジィー! おかわりー! とキッチンから野性児たちの声が飛ぶ。
先に餌付けしておいたのだろう。でなければこんなふうにゆっくり給仕したりできない。

「うっせェな、今日はそんでしまいだ!」

途端に尖った声を出して、サンジ君はキッチンを荒らされてはたまらないとばかりに室内へ戻っていった。
足早に、規則正しく脚を運んで。
私たちの方を、自意識を持っていうなら私の方を、まるで見もしなかった。
初めからそうしようと考え抜いて実行したみたいな、正しい視線の運びだった。

「布巾を忘れていったわ」

ロビンが、ランチョンマットの隅にちょこんとうずくまった薄黄色の布巾を目顔で示す。熱いポットの敷物にしていた布巾だ。紅茶の染みがついていた。
ほんとうね、と答えて、フォークをナイフのように使ってベニエを切り分ける。
ざくっとりんごそのものの手ごたえを感じ、同時に透明の果汁が溢れてはすぐ生地に沁み込んだ。
口に入れた途端、甘くて薄い衣はほろっと溶けた。
熱いりんごはとんでもなく甘く、あとから少しすっぱい。
冷ますのを怠って口に放り込むと、はふっと呼気が漏れた。
さすがに白く煙るようなことはなかったけど、冬島の気候に頭を突っ込んでいるいまの海域にはぴったりのおやつだ。

「ねぇ、さっき」

最後のひと切れで生クリームをさらって、口に含んでから言う。
つと視線を上げてロビンを見ると、彼女の上唇の真ん中にちょこんと生クリームが乗っていた。
思わず笑み零れて、自分の唇をとんとんと指差すと、ロビンはすました顔で舌をぺろっと出して舐めとった。

「なにかしら」
「んーん、なんでもない」

おいしかったわね、とフォークを置いて紅茶を飲んだ。
少し冷めて、飲みやすかった。


「サンジ君、ごちそうさまー」

二人分の皿を重ねてキッチンに入っていく。てっきりルフィたちがわいわいやっているかと思っていたのに、行ってみればサンジ君一人がいつも通りカウンターの向こうに立っていた。

「あれ? あいつらは?」
「あー、さっさと食って出てったよ」
「そう」

サンジ君はちらりと私を見遣ると、くるっと背を向けて洗い物に精を出し始めた。私が手にした皿を取りに来ることもない。
流し目なんて、下品な見方をされたのも初めてだ。
なによ、と気持ちがつんつんしてくる。

ずかずかと彼の聖域に足を踏み入れて、シンクの横にどんと皿を置いた。

「ごちそうさま!」
「はいよー」

肩を並べた私のわきをするっとすり抜けて、今度は彼がキッチンカウンターの外側へと出ていく。
酒の並んだ棚に向かって、数を数えるようにいくつかのボトルを指差し始めた。
つんつんとしていた気持ちが、急速にしぼんでいく。
反比例して、薄い色の淋しさが胸に広がった。

私に背中を向けたシャツが見慣れなくて、どんなに顔を上げても絶対に繋がることのない視線の行先に戸惑う。
どうして、と訊くことすらできなかった。
こちこちと時計が鳴る音がやけに大きい。

「うっひょー!」とルフィの声変わり前の少年みたいに高い声が聞こえるまで、私もサンジ君もかたくなにそこを動かずにいた。
「海軍! 海軍だー!」と騒ぐルフィの声を皮切りに、慌てて外へまろび出る。

「すんげェー! ひっさしぶりだなぁ、何隻いんだろ」

興奮したルフィが羽虫の様にびょんびょんとあちこち飛び回って、水平線に目を凝らす。
目の前をちらつくルフィの影に怒鳴りながら、私もオペラグラスを覗き込んだ。
3,4……5。いや、さらにその向こう、霧に隠れてもう少し数がいる。

「オウオウ、おれらを狙って軍艦引っ張って来たんじゃねェだろうな」
「まさか、偶然だろ。巡視船だ」
「4,5匹も巡視船が居合わせるかァ?」

理論と推論で水を掛け合うフランキーとゾロの声をぶった切るように、大砲が水しぶきを吹き上げた。
ギャーッとウソップの叫びが響く。
ばちばちと音を立てて甲板に降り注ぐ水しぶきを浴びながら、ルフィがついに我慢しきれない、というように声を張り上げた。

「戦闘だァ!!」


どどん、と祭りが始まる太鼓のように一斉に大砲が打ち込まれた。
ぐんぐんと軍艦が詰め寄ってきて、サニー号を取り囲むように輪を描きはじめる。

「ナミィ! 舵はどっちだ!」
「とりあえず6時!」

風の向きには逆らうことになるけど、とりあえず海軍から距離を取らなければならない。
西の空が開けていた。逆に、東から一筋冷たい風が吹いた。
気圧の高低が肌に触れて、ぴりぴりと痺れる。その感覚が西へ逃げろと告げる。

「フランキー! 舵を8時の方角に切って! もうすぐ東から風が吹く、帆を張って風を受けて!」
「コーラは!」
「いらない! 風だけでいけるから!」

声を張り上げているうちに、びゅんとまた冷たい風が一陣頬に吹き付ける。
来た来た、と胸が熱くなる。
と、目の端で砲弾が弧を描いた。
突然方向転換をしたサニー号からてんで外れたほうに打ち込まれた砲弾だ。
そのまま何もない海に落ちていく──はずが、またもや吹き付けた強い風を真横に受けて、砲弾が向きを変えた。
通常よりもずっと遅いスピードで、だからこそ鈍重そうに、ゆっくりと視界に飛び込んでくる。
まっすぐ確実に、私の方へと飛んできた。
 黒く重たい球体がどんどん近づいてくるのを、瞳孔を開いて食い入るように見つめた。見つめていたって消えやしないのだけど、足も手も動かなくて、握りしめた天候棒を手汗で落とさないようにするのが精一杯だった。
 ナミ! と叫んだのがチョッパーの声だったかウソップの声だったか、どちらにせよそれらの声が耳に届くと同時に、私の身体は風圧で浮かび上がっていた。
 ドンとおしりから甲板にぶつかり、ハッと顔を上げる。
 私に向かって飛んできたはずの球体は、真っ二つに割れて海へと落ちていくところだった。

 「──ゾロ」
 「まだ来るぞ、さっさと立て」

巨大な苔の生えた壁みたいなゾロの背中は私の前に立ちはだかり、私の鼻先で刀の切っ先がぴかっと光った。
ありがとうと言う私の声を聞きもせず、ゾロは甲板の端までさっさと走っていく。
「大丈夫?」と、すかさず背中を合わせるようにロビンが寄り添ってくる。

「へーき。びっくりした」

私をちらりと見ると、ロビンはウソップの方へ加勢するためするりと走り去って行った。
おしりをはたきながら立ち上がる。まったくなんて乱暴な守り方だろう、なんて守ってもらった分際でアレだけど。

──あぁそうか。
気付くと同時に振り向いた先に彼がいた。
ほんの少し肩で息をしている。黒いスーツの生地が白く汚れていた。
砲弾が海に落ちるたびに水柱が立ち上がり、わあわあとわめきたてる敵船と私たちの船。
ウソップがぶっ放す大砲からは絶えず硝煙が上がり、チョッパーの蹄が力強く甲板を叩いている。
ルフィが心底楽しいというように技名を腹の中から叫んでは、爆風を吹き上げて軍艦をひとつ沈めた。

そんな喧噪の中、サンジ君はすごく遠いところから私を見ていた。
遠いと言っても同じ船の上、甲板の端から端と言った距離でたかが知れてる。
それでも私のピンチに駆けつける背中が今、こんなにも遠い。
あんたなにしてるの、と思わず口の中で呟く。
そんな遠くでなにをしてるのと。

サンジ君はぎゅっと固く唇を結んで、何か言おうとしたはずの言葉をのみこむように少し口もとを動かした。
時間にすればほんの数秒、その数秒を食い入るように私たちは見つめ合って、そしてサンジ君の方からふいと目を逸らした。
タンと船の縁に飛び乗って、踊るみたいに足技を繰り出す。
後甲板でゾロの斬撃が突風を吹き出し、船がぐわんと前後に揺れた。
たたらを踏んだそれを機に、私もやっとサンジ君から視線を外す。

こんなときに、私はサンジ君のことばかり。
それに気付くと途端にむくむくと苛立ちが沸き起こり、ブンと大きく天候棒を振りかざした。

「わぁーっ!!」

突然上がった叫び声に、咄嗟に声の方を振り仰ぐ。ウソップだ。

「なに!?」
「どうした!」

私の声にフランキーのガラガラ声が被さって、それにウソップが「頼む―!」とどこからか答えた。

「フランキー、バーストの準備だ!!」
「ンだぁ! どうした!」
「頼む! 非常事態!」

フランキーは迷わず船室のコックピットに巨体を滑り込ませた。
なにがなんだかわからないまま、咄嗟に近くの柱にしがみつく。
ボフンと気の抜ける空気音がして、一瞬で視界が乳白色に煙った。ウソップの煙幕だ。
途端に海軍側の号令に似たわめき声が遠ざかる。
次の瞬間には、ぐんと重力で体が下に引っ張られた。しがみついた腕に力を込める。
「つかまれェ!」とどこかから仲間の声が飛ぶ。
ぐいぐいと頬が風を切り、船が傾き、空を目指していく。
浮いている、と実感したのは煙幕を突き抜けはるか上空に辿りついたあとだった。




船底を海面に叩きつけるように着水して、やっと一心地ついたころ、ようやくしがみついていた柱から手を離した。
指先がぴりぴりと熱を持って痺れている。

「は、まったくもう」

憤った声を隠せないまま呟くと、甲板にあおむけで倒れ伏したウソップが「すまん」と小さく答えた。
幸いコーラエネルギーは十分だったし、ウソップが張った煙幕はすぐに風で飛ばされたけど目隠しにはなって、混乱する海軍を残して私たちははるか西の空へと逃げおおせることができた。
最期までケリをつけられなかったルフィは、ウソップとフランキーに不満タラタラだ。

「バーストで逃げるまでもなかったろ! おれまだ試してェ技があったのに」
「非常事態て叫ばれたァああするしかねェだろう、今更ゴチャゴチャ言うな」

ルフィをいなすように、あやすように答えていたフランキーが、ふと顔を上げた。正面から目が合う。
割れた顎がクイと左を指し示す。つられるように目を遣った。
生い茂ったつややかな広葉樹が、なにごともなかったかのように潮風でさわさわと揺れている。私のみかん畑。
もう一度フランキーを見遣ると、いい加減いやになったのかウルセェウルセェとルフィを蹴散らすように既にこちらに背を向けて歩きはじめていた。

──えーっと。
フランキーの目配せを、どういうふうに受け取ったらいいのか持てあます。
甲板には遠ざかるフランキーとルフィ、未だ倒れ伏せったウソップ、その場で寝始めたゾロ。
チョッパーとブルックはさっき一緒に船室へ引っ込むのを目にしたし、ロビンは能力でメインマストを調節していた。

みかん畑の方に足を向けると、なぜか呼吸が早くなる気がした。
──緊張、してるみたい。
植樹されたみかんに対面するように壁に背中を預けた横顔を目にしたときも、その心地は変わらなかった。

「サンジ君」
「う、おっ! ナミさん、びびったぁ」
「こんなところでなにしてるの」

両足を伸ばして座る彼の横に仁王立ちして見下ろす。
サンジ君はちらりと私を見上げて、いやぁとはにかむように俯いた。

「バーストしたときつかまり損ねて吹っ飛んじまってよ。ここに落っこちたからちょっとそのまま休憩を」

あだいじょうぶ、ナミさんのみかんに被害はねェから、と後頭部をガシガシやる。
ふぅうううん、と思いっきりいやみったらしく言ってやった。
サンジ君はぽかりと口をあけ、目元の笑い皺をぴくりと動かした。

「な……なんでしょう」
「サンジ君私になにか隠してるの?」

カマをかけたつもりだった。
あわてふためいていやだなぁと笑ってごまかすところも簡単に想像がついたし、一方で「へ?」と丸い目を向けられるところも、それは簡単に。
だからこんなふうに突然、サンジ君の目がすっと静かに私を見つめ返すなんて思ってもみなかった。
苦笑の余韻を残していた口元が、音もなく引き締まって閉ざされる。
なにか取り返しのつかない失態を犯してしまったような心細い心地になり、息を詰めて彼を見下ろす。
サンジ君はなかなか口を開かなかった。
我慢比べのようにお互い黙りこくる。
今日の私たちは変だ。
真正面から視線を交わすことも、噛み合う会話を楽しむことを一度もせずに、それでもずっと互いのことを意識し続けている。

だからサンジ君が口を開いて小さく息を吸ったとき、あまりの緊張感に眩暈がした。

「──ナミさんこそ」
「は?」

サンジ君は一瞬私を見上げるように顔を上げたが、視線を交わすことなくすぐに俯いた。

「なにって?」
「ナミさんこそ、おれに隠してることあんじゃねェの」
「どういうことよ」

サンジ君が床に手をつく。
立ち上がるのかと思いきや、そうはせずに今度こそ私を見上げて目を合わせた。

「昨日おれ、起きてた」

あ、と誰かが呟く。
私の声だとは思いもしなかった。

「起きてたんだよ」

私を見上げるサンジ君はなぜか泣きそうに不安定な顔をしていて、こんな顔、絶対に私以外の前では見られないと不意にそう思った。

やわらかな、平和な呼吸。
くたびれて、息をついて、そのまま落ちるように寝入ったその姿が珍しくて私は息を忍ばせる。
そっと触れてみた手は洗い物を終えたばかりで冷えていた。
彼の顔を隠す前髪をめくり上げたのは、どちらかというと悪戯心に近い。
伸びかけたひげや、口の端に咥えたままの火の消えた煙草や、伏せた金色の睫毛や。
そのひとつひとつをじっくりと見ていたら、吸い寄せられるように動いていた。

煙草をつまむとすんなりと抜けた。
唇なのか頬なのか、わからないようなところにそっと自分の唇を押し当てる。
そのあと少し、彼の頬に自分の頬をくっつけてじっとしていた。

そうか彼は起きていたのか。

サンジ君は珍しく怒ったような、どこか拗ねているようにも聞こえる口調で言った。

「わけわかんねェって、あんな、クソ、あんなことされて平気でいられるわけがねェ」

なにかいけなかったかしら。
そんな言葉がぽんと飛び出しかけて、すんでのところで口からは零れなかった。
はあ、とサンジ君は大きく息をついて、平べったい手のひらで口元を覆い隠す。
昨日の感触を閉じ込めるみたいに、空気を包んだ手のひらを唇に当てている。
ふいに潮風がおおざっぱな印象で吹き付ける。
みかんの枝がざわざわとこすれ合い、硝煙のにおいが漂った。

「え、なに? このにおい」

私の声にサンジ君が顔を上げる。

「におい?」
「焼けるにおいがする」

はっとサンジ君がみじろいだ。
その動きに視線がとまる。不自然に伸ばされた彼の脚。
よく見たら、黒いスラックスはすり切れて破れている。
逃げ場がなくうろたえるように、私から遠いほうの脚がぴくっと動いた。

「ちょっと! もしかして」

目を瞠ってしゃがみこむと、サンジ君は往生際悪く逃げるように身を引いた。

「あんた怪我してるの」
「や、ちがうってちがうって」
「ばか、見せなさいよ」

無事に見えた彼の太腿の辺りをがっと掴むと、う、と眉間に皺を寄せてサンジ君が片目をひきつらせた。
スーツの上着に隠れていて見えなかったが、彼は自分で足の根元をネクタイで縛って止血している。
それでも、よく見たら彼の両足の下は滴った血でひどく汚れていた。
まるで隠すみたいにその上に脚を伸ばして、サンジ君はテディベアのように座っていたのだ。

「やだ、ひどい傷──あんたこれやけどもしてるんじゃない。撃たれたとかじゃないでしょ」

サンジ君は本当に珍しく私の言葉を無視した。
覗き込むように顔を傾けて、彼を睨み上げる。

「──なに嘘ついてんのよ」
「そりゃナミさんこそ」
「わっ……たしがいつ嘘ついたってのよ」

やおらサンジ君は押し黙り、つづいて私もむっつりと口を閉ざした。
意味のない沈黙がまあまあの気まずさで足元に積もっていく。
遠くの方でフランキーのがなり声が空中に広がって、こっちのほうまで届いてきた。
彼の脚からじわじわと黒いしみが広がるのにちらちら目を遣る。
ああ早くチョッパーを呼ばなきゃ。

「じゃあさ」

サンジ君は不本意そうに口を開き、「なんでナミさんは……」と言葉を続けた。
咄嗟に「ねぇ」と私が大きめの声で遮ったのは、反射に近かった。

「ねぇ、じゃんけんしよっか」
「え」
「はい、最初はグー」

拳を突き出すように胸の前に上げると、サンジ君も慌てて左手をグーの形で差し出した。

「じゃんけんぽん」
「あ、勝った」

サンジ君はグーの形のまま、困ったように私に目を遣る。
言い出したくせに負けた私は、フンと目を逸らした。

「な、これなんのじゃんけん」
「知らないわよ」
「なんだソレ……ってかそれより」


サンジくんが口を開いた矢先、蹄が床を叩く独特の足音が耳に同時に届いてサンジ君は言葉をのみこんだ。

「サンジ! あぁーっやっぱり怪我してるな! 怪我してるだろ! このあたりサンジの血のにおいでぷんぷんなんだからな! まったくこんなところでなにやってんだよ!」

チョッパーは現れた途端ぷりぷりと怒りながら私たちの間に割って入り、あっけにとられる彼の脚をささっと検分すると、大人びた声で「ナミ、お湯を沸かしてきてくれ」とこっちを見もせず言った。
もちろん私はすぐに立ち上がる。
キッチンへ向かう間際、サンジくんと一瞬視線がかすめ合う。
その一瞬では、彼が口を開いてなにを言おうとしていたのかはわからなかった。





なんにもないまっすぐな水平線に太陽が沈むころ、いつもと変わらず船の中を芳醇なソースの香りが漂い始めた。
あんなに血を流していたのが嘘みたいに、サンジ君はいつものように立ち働いて夕食を準備している。
不気味な外見の魚をソテーしたメインディッシュは無論そつがなくおいしい。
チョッパーは「安静にしろって言ったろ!」とまだぷりぷりしていたが、はいはいあとでとサンジ君は聞く耳を持たない。
けれど、カウンターの角を鋭角に曲がるときやっぱり少し片方の足が不自由そうにひきつり、よろめいた彼をロビンのハナの腕が支えた。

「大丈夫?」
「や、すまねぇロビンちゃん」

目に留めたウソップが「おおい無理すんなよ」と不安げな声を出し、ゾロが「あんな海軍戦なんぞで負傷たぁフ抜けてやがる」と酒を飲むついでのように言った。
当然サンジ君はねめつけるように顔を上げてゾロを睨み据える。
「ちょっとぉ」と不穏になり始めた食卓に声を割り入れてみたが、二人はテーブルの角で睨み合ったまま剣呑な目つきをやめない。

「テメェが切り損ねた砲弾がいくつ船に飛んできたと思ってやがる。周りも考えず好き放題刀振り回しやがって偉そうに」
「アァ!?」

野良犬が食ってかかるようなゾロの声を機に、サンジ君が怪我をしている方の足を振り上げる。
壁に立てかけてあった刀を太い腕からは思いもよらない速さでゾロが掴み、サンジ君の靴底をその鞘で受けた。
風圧で全員の前髪が浮かび上がり、テーブルの中心にあったサラダボウルからレタスがふわっと浮かんで散った。

「表ェ出るか」
「上等だ、テメェの下手こいた脚が使いモンになるなら相手してやる」

「オイオイオイいい加減にしろ」とフランキーが立ち上がる。つられてウソップもオロオロと腰を上げ「やめろよぉ」と気弱な声を出した。

「サッ、サンジ! そんな脚で喧嘩なんかしたら悪化するだろ!」
「るせぇ黙ってろ」
「おうおう悪化するってよ。どうせなら潰れるまでやってみるか」

分かりやすく煽る言葉にサンジ君はカッと眉を吊り上げてゾロの胸ぐらをつかんだ。
彼らの怒気で、くらっと視界が揺れる。

「ちょ、やめなさいって」

あまりの剣幕に私まで驚いて立ち上がり、サンジ君の平たい胸を突き飛ばすように押してゾロから引き離した。
ゾロの方は、フランキーの無機質で大きな手が押さえつけるようにその肩を掴んでいる。

「なにやってんのよ、食事中よ」

サンジ君は私と目を合わさないように扉の方を見て、小さく舌を打った。
ばか、と掴んでいた彼のシャツを離す。
ゾロの方はフンと大きすぎる鼻息をひとつついてから、椅子に座り直した。
そしてすかさず素っ頓狂な声をあげた。

「あぁっ、おれの魚がねェ!」
「あ、わりぃ食った」

なにっ、と全員がテーブルに視線を戻すと、皿という皿がすべてきれいに平らげられている。
ルフィこのやろう、と男たちが今度はルフィに殴りかかって取っ組み合うのを見ていたら、険悪だった空気はいつのまにか空中分解されてどこかに散っていった。
ただ、サンジ君だけはふらりと食堂の扉を開けて外に出ていって、戻ってこなかった。



洗った皿を水切りに並べていたら、空気が動いてふわっと毛先が泳いだ気がして振り向いた。
サンジ君がうつむきがちに扉のそばに立っている。
帰ってきた家出少年みたいだ。

「すまねェ」
「ほんとよまったく、どこでフケてたの」
「……展望台に行ってみたんだがマリモの汗臭いにおいがしてむかついたから、アクアリウムバーでぼーっとしてた」
「脚は」
「さっきチョッパーに捕まって、診られた」
「そ」

はぁ、と息をついてからサンジ君は私の横に並び、「代わるよ」と小さく言った。

「いいわよ、はいもう終わり」

最後のお皿を水切りに差し込むように置いて手を拭く。
それでも彼が所在なさ気にしょんぼりと立っているので「じゃあお茶淹れて」と言ってみたら、水を得た魚のごとくそそくさと動き始めた。
誰もいないダイニングテーブルに腰を下ろして、彼が慣れた手つきでお茶を淹れるのを眺めた。

「ねぇ、なにをあんなムキになってたのよ」
「あぁー、や、ムキになったわけでも」

ごにょごにょと言葉尻をごまかして、熱いお湯をポットに注ぐ。
その音が途切れても私がなにも言わないのを見ると、サンジ君は観念したように「たぶん」と言った。

「図星だったから」
「なにが?」
「フ抜けてるってのが」

カップを受け取りながら首をかしげた。
濃くて華やかな紅茶の香りが手の中から広がる。

「昨夜のこと考えてたら気もそぞろになっちまって、それでナミさんがあぶねぇときに間に合わなかった。んでそのお鉢奪われたゾロにフ抜けなんて言われたらごもっともすぎて腹も立つって」

自嘲気味に苦笑を噛み潰して、サンジ君は私の隣のイスに腰を下ろした。同じ紅茶を手に持って。

──つまりは私のせいか。
自分から申告するのも癪で黙っていたら、一口紅茶に口を付けたサンジ君が急に意を決したようにカップをテーブルに起き、「ナミさん」と私に向き直った。

「じゃんけんしよっか」
「……なによ急に」
「昼間のナミさんも急だったろ。で、じゃんけんに勝った方は相手にひとつ質問ができる」
「そんなルールなかったわ」
「負けた方は絶対ェ答えること。はい最初はグー」

やるつもりなんかなかったのに、グーを突き出されたら昼間のサンジ君のように私も咄嗟に手を出していた。

「じゃんけんぽん」

またしても負けた手首の先を疎ましく見下ろす。
「おれの勝ちだ」サンジ君は特に嬉しそうでもなく、むしろ困り顔のまま私を見据えた。
何を言うのやらと、わたしは神妙な心持ちで彼の唇が動くのを見つめる。

「今日のメシは旨かった?」
「は?」

だから、とサンジ君が繰り返すのを聞いて、なにそれと呟いた。

「そんなことが訊きたいの」
「ほら、絶対ェ答えることっつったろ」
「──美味しかったわよ。当たり前じゃない」

サンジ君は顔を隠すように笑ったので、もしかして泣くんじゃないかと不意に心配になる。
けれども泣くはずもなく、サンジ君は顔を上げて「はい、じゃーんけん」と手を出した。

「えっ、またやるの」
「ぽん」
「あっ勝った」

初めて勝ってしまって、狼狽えるように彼をみつめた。
どうぞ、というように彼は手のひらを私に向けてひるがえす。
少し考えてから、口を開いた。

「どうして怪我したこと、すぐに言わなかったの」
「かっこ悪かったからに決まってんだろ。あとすぐに動けなかったしどうすっかなーと思ってるうちにあんた来ちまうし」

サンジ君は途端に子供に戻ったかのようにふてくさった顔をそむけた。

「もしかして、ウソップがバーストだって叫んだのもあんたの怪我に気付いて」
「質問はひとつだけ」

サンジ君は私の言葉をさえぎって、またこぶしを突き出した。
──それから何度愚にもつかない子供の遊びを重ねただろう。


「なんでじゃんけんなんて言い出したのナミさん」
「なんとなくよ! ていうかそうでもしないとあんたからちゃんと話聞けない気がしたから」

「どうして怪我なんてしちゃったの」
「……ゾロとナミさんのことでイラついて、やけくそで砲弾6つくらいいっきに飛んできた中に飛び込んだらひとつ避けきれなかった」
「ばか! ばかじゃないの!」

「おれじゃなくてゾロがナミさんを助けたとき、どう思った?」
「どうって助かったって思ったけど……あんたじゃなかったからちょっと」
「ちょっとって?」
「質問はひとつなんでしょ!」

「──なんであのときすぐに起きなかったの」

サンジ君は私を見つめて、「あのときって?」と静かに訊いた。
しばらく睨み合うように時間が止まったけど、結局私が視線から逃げるように目を逸らし「わからないならいいわ」と落とした。
しばらくサンジ君は黙ったまま、慣れた仕草で煙草を取り出し火をつける。

「直前までマジで寝てたから。夢かと思うだろ。そったら起きたくねーじゃん」
「いつ夢じゃないって気付いたのよ」
「そりゃあんた──」

答えかけて、サンジ君はやられたというように片目をすがめて小さく笑った。

「質問はひとつ」

もう一度、じゃんけんをする。
私がグーでサンジ君がパー。負けた。
はあ、と息をついて手を下ろしかけたとき、その手をサンジ君が包むように掴んだ。
ぬるくあったまった手。
脈の音が聞こえそうなほど静かだ。
私のグーを包んでいた手がそっと滑って、手首を掴み直す。

「最初、ナミさんがじゃんけんって言い始めたとき。勝ったらどうするつもりだった?」
「別に。だからなんとなくだって──」
「嘘だ」

サンジ君は私の方に少しにじりよる。向き合った膝頭がぶつかる。

「嘘だろ」
「本当だって──」

本当に、考えなしに始めただけだった。
だけどサンジ君の少し近づいた顔を否応なしに見ていたら、どんどん昨夜の記憶があふれてきて、尖った鼻梁とか、少し下に落ちた目尻とか、灯りを吸い込んだ金色の髪だとか、そうそうこれこれ、私この全部がほしくなったんだと思い出した。

まるで観念したようなふりをして、私は言い直す。

「私が勝ったら、キスしようと思ってた」

サンジ君はそれを聞いても表情を動かさず、口の端に挟んでいた煙草をそっと手に取った。

「じゃあおれが勝ったからキスしてもい?」
「だめ。あんたもう質問したから」
「なんで昨夜おれにキスしたの」
「だから質問はひとつ」

椅子が床を叩く。彼が手をついたテーブルが軋む。
直前まで吸っていた煙草のかおりが、昨夜の記憶そのままのかおりだった。
ゆっくりと押し当てられた唇も、昨夜初めて知ったそのものだ。
そっと離れて、それでも額だけはくっつけたまま、サンジ君は「けむたいな、ごめんな」と場違いなことを言った。
あまりに静かで、彼の指の間に挟まった煙草のフィルターが焼ける音まで聞こえてくる。

「昨夜も」
「ん?」
「昨夜も煙たかったけど」

うん、とサンジ君は頷いて先を促した。

「それでもしたかったの」

サンジ君は手を離し、私の髪を一束そっとうしろへ払って首筋に触れる。
「それ答えになってねーけど」とサンジ君は笑って、「でもすんげ殺し文句」と低い声を私に吹き込むようにつぶやいた。


Fin.





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スミマセン主催作品なのでただのあとがきです。
自分のものじゃないプロットで話を書くってまったく想像のつかない作業でしたが
いつもより難しいところもあり楽ちんなところもあり、どちらにせよ新鮮で楽しかったです。
プロットで、各作者におまかせで~という部分(じゃんけんで質問する内容とか)を考えるときが一番悩みました。でもなんでもありなんだーと思うと楽しくて。
一応13個すべてのプロットをつかわせていただきましたが、他の方と同じくなかなかプロットそのままに細かいところあわせていくのは難しくていくつか好き勝手にやらせてもらっています。
個人的には、プロット全体を通してサンナミ以外のクルーがふたりの行く末をちょっとハラハラしながら見守っている雰囲気がすごくいーなーと思いました。
ゾロとの喧嘩とか書くのは楽しかったです。
戦闘シーンとか海賊らしい部分を盛り込むのが好きなので、海軍が現れたところとかも楽しく書きましたー。
他の方の作品も含め、楽しんでいただけたらうれしいです。
ありがとうございました!
こまつな


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白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



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