忍者ブログ
OP二次創作マルコ×アン(エース女体化)とサンジ×ナミ(いまはもっぱらこっち)を中心に、その他NLやオールキャラのお話置き場です
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  
車が吐き出す排気ガスがどんどん空に溶けていくのを眺めていると、ドアが開く音ともに「アン!」とまるで叱るような声に呼ばれた。
 
 
「サボ」
 
 
振り向くと、サボはすぐさまつかつかとアンに歩み寄った。
その目があまりに必死の形相であることに気付いて、ぎょっとして思わず少し身を引く。
サボは遠慮なく勢いをそのままにアンの肩を強く掴んだ。
 
 
「どこ行ってたんだよ!」
「あ、え、買い物…」
 
 
サボは蒼白と言っていい顔で、珍しく大きな声を出した。
アンたちの横を通り過ぎる人たちは、若い男女が近距離でもめる様子に興味深そうにちらちら視線を投げかけてくる。
しかしアンは、血相を変えたサボの勢いにのまれてそんなことを気にする余裕もなく、ただ当たり前の答えを単語で伝えるしかできなかった。
なに、なに、と言葉にならない疑問がアンの脳裏を駆け抜けていく。
サボはアンの答えを聞いて、ハッとしたように肩を掴む手を緩めた。
そしてアンの手の先を見下ろして、ハァと大きな息をついた。
そのまま肩から、腕の表面を撫でるように手を滑らせて買い物袋を手に取った。
アンはまだサボのどこかおかしな様子が理解できずただただ取られるがまま袋を手放す。
なんでさっき怒鳴ったの、なんでそんなでかい溜息ついたの、とたくさんの疑問が浮かび上がってくるが、呆気にとられて言葉にならない。
サボは買い物袋を受け取ったのと逆の手でアンの手首を掴んで、そのまま黙って店の中へと歩き出した。
目の前の、けして広くはない背中が白い壁のように見えた。
 
 
サボはアンの手を取ったまま、店を突っ切り階段を上り、3人の住居へと黙りこくったまま上がった。
ダイニングのテーブルに買い物袋を音を立てておくと、そこでようやくアンの手を離した。
そして振り向いたサボの顔からさっきの剣幕が消えていて、アンは知らず知らずのうちに詰めていた息をほっと吐き出す。
しかしサボの顔は、怒ってはいなかったけど、苦しげに歪んでいた。
 
 
「買い物、行ってたのか」
「うん、牛乳、なくて」
「いつものとこ?」
「うん」
 
 
簡単な答えばかりの質問に、アンはただただ素直に答えるしかない。
サボの意図がわからずただ困惑ばかりが募る。
サボはまた、はぁと深い息をついた。
そして寄りかかるように、アンの肩にごつんとサボの額がぶつかった。
 
 
「…帰ってきたら、アンがいないから」
 
 
くぐもった声は弱弱しい。
 
 
「ちょっと出かけてるだけかなって、おれも思ったけど、メシの準備もしてねぇから、おれが出てすぐ、アンも出たんだなって、わかって、それにしては帰ってこないし」
 
 
途切れ途切れに息を継ぐような話し方をするサボの声を聞いて、そうかこれは心配か、とアンはようやく合点が行った。
サボはアンの肩から額を離し、ごめんと呟いた。
そのあまりの弱弱しさに、アンは苦い笑いでサボの横腹の辺りをポンポンと軽く叩いた。
 
 
「心配かけてごめん。ちょっといろいろ買っちゃって。すぐに夕飯準備するから」
 
 
サボもつられたように少し頬を緩める。
アンのほうもその表情に安心して、よしと頷いて買ったものたちを冷蔵庫に収めるべくサボの脇を通り過ぎた。
 
 
「サボ、洗濯たたんでくんない?ルフィの学校ジャージとか準備してやんないと」
「ん、了解」
 
 
背中越しにそう言うとサボがすぐさま返事を返し、遠ざかる足音が聞こえた。
振り向いて、サボが部屋を出たのを確認して、アンは手にしていたコーヒーのボトルを形が変わるほど強く握りしめた。
 
そんなに神経質にならないで。
「何か」なんてあるわけないじゃん。
帰りは「マルコ」に送ってもらったの。
 
なんでだろう、どれも言えなかった。
 
 
 

 
 
アンたちの店を覚えてくれる人が増えると、逆にアンたちのほうも常連さんの顔を覚える。
この人は月曜日の朝。この女の人のグループは水曜以外の昼。この作業着のおじさんたちは木曜日の11時ごろ、という具合だ。
そうすると客のほうも余計アンたちの店を居心地良く思ってくれるので、足が途切れることはなく、この店を訪れることが彼らの習慣となっていくというなんともいい循環ができつつあった。
そしてかの私服警察官の中年二人も、決まった週に二度、店を訪れるようになった。
火曜日の朝、遅い時間。そして金曜日の昼遅く。
金曜日の昼に来るときはたいてい彼らが最後の客となる。
たまに二人ともこない時もあれば、サッチだけが来るときもあった。
 
 
「警官ってのぁ時間に不自由な職業でさ」
 
 
というのがサッチのお決まりのセリフだ。
どうやら金曜の遅い時間に来るのは、その前日の木曜がたいてい署に泊まり込んでいて、木曜の朝から金曜の午後までぶっ通しで働いてやっと解放されるかららしかった。
ふたりがたいてい一緒なのは──まぁただ仲良しなんだろう。
サッチとマルコはまるで火と水のように対極の性格であるとアンは思っている。
朗らかで明るくてよくしゃべるサッチと、静かで常に落ち着きのある無口なマルコ。
性格が似ているから必ずしも意気投合できるわけではないのは20年近く生きているアンにもわかる。
サッチとマルコも、そのまるで反対の性分の中にどこかぴたりと合わさる部分を持っているのだろう。
 
 
金曜日の今日も、例にもれずふたりは14時ごろ店にやってきた。
慣れた調子で会話をなしていく二人を見ていると、平和な日々が続いていることもあいまって、本当に何もかも忘れそうになった。
相変わらず黒ひげからの連絡はない。
このままなかったことになればいいのにと、調子のいいことを思って嫌気がさす。
それでも幾分気が楽なのは確かだった。
 
サッチとマルコは、既に指定席となったカウンターに腰かけている。
ふたりは食事を終え、どちらともなく(もしくは同時に)煙草を取り出した。
その一服の間にアンは二人のコーヒーを準備した。
アンは空の食器を下げるとき、ふと二人の手元にある煙草の箱が目に入った。
煙草の銘柄なんてわからないけれど、二人は違う銘柄の煙草を吸っていてなんとなく「へぇ」と思う。
サッチの煙草の箱は黒地で、サッチの手のひらにちょうど収まりが良さそうなサイズ。なんというか、スタイリッシュなかんじだ。
その隣にあるマルコの煙草の箱はサッチのものと比べるとだいぶ小さくて、アンの手にも余るようなサイズ。どこか古い印象がした。
ははっとサッチが明るく笑う。
 
 
「煙草気になんの?あれ、アンちゃんは吸わねぇ…よな?」
「あ、うん吸わない。煙草の箱ってかっこいいなと思って」
 
 
そういうとサッチが大仰に顔をしかめたのでアンはおや、と思う。
サッチは天井の換気扇に向かって、ふぅーっと高く紫煙を吐き出した。
 
 
「やっぱそう思うよなァ、オレもガキん頃そう思ってたもん。だからこそ背伸びするガキが後をたたねぇんだ」
「あ、仕事の」
「そうそう。あー週末だってのに嫌なこと思いだした」
 
 
あ、アンちゃんのせいじゃねぇぜ?とサッチはしっかり念押しすることを忘れない。
アンはいたわりの言葉と一緒に二人の前にコーヒーを出した。
並んで座る二人を少し高い位置から見下ろしたアンは、アンから見て右側の眠たい目をしたマルコを見てなんとなく違和感というには少し朧すぎる違和感を感じる。
マルコと交わした会話は店で少しと、あの日、通りで会って送ってもらった時に少し。
だからこの男のことで知らないことは少ししかないのに、今のマルコがあの時とは違うということがなぜかアンにははっきりとわかって、それが違和感となってアンの心に引っ掛かった。
嫌な音を立てて爪で掠るような引っかかり方ではなくて、ぽわんと心の真ん中に浮かんだようなそれはコロコロと形を変えて動くので定まりがない。
さらに言うと、そのときのマルコと、今のマルコ、そしてテレビで見た警視長としてのマルコもまた違う。
きっとこの違和感はいやでもマルコを意識しなければならないアンの立場のせいなのだろう、ということに落ち着かせて、アンはコーヒーメーカーのスイッチをオフにした。
空いている席を片づけていたサボが厨房側に回ってくる。食器洗いをしてくれるのだろう。
サッチとマルコは、そろいの仕草で煙草をもみ消してコーヒーに手をかけた。
 
 
「ってことでマルコ、夜付き合えよ」
「なにが『っていうことで』なのかさっぱりわからねぇよい。前置きがあるようなフリすんじゃねぇ」
「んだよぉ、週末だし仕事のこた忘れて飲みに行こうっつってんじゃねぇか」
「気分じゃねぇ」
「お前が陽気に一杯ひっかけようなんて気分のときなんざ見たことねぇし関係ねぇよ。行くったら行くんだよ」
「オレァ明日の午後に回ってくんだよい。一人で行け」
「んだよつれねぇな…ってことでアンちゃん、おじさんと一杯どう?」
「へっ?」
 
 
あたし?と目で問うと、サッチはにっこり笑顔で頷いた。
 
 
「…てめぇ、オレをだしにしやがったろい」
「いんや、オレァ本気で誘ったぜ?乗らなかったお前が悪い」
 
 
不機嫌にいなすマルコをサッチは飄々として意に介さない。
マルコが放つ苛立ちのボールをサッチはポケットに手を突っ込んでひょいひょいと避けてしまうように、するりとかわす。
そして今度はアンがサッチの標的となったようだった。
 
今まで何度か、サッチより年上のおじさんやときには同年代の男に似たような誘いを受けたことがあった。
そういうとき、たいていその客は席からニヤニヤとアンに意味ありげな視線を投げかけてから帰り際ふらりと近寄り声をかけるのだ。
しかし今回はあまりに突然だったので勝手が違った。
アンは驚いて目をぱちぱち瞬く。
サッチは依然にこにことアンを見てくるのだ。
 
 
「えっと、サッチ?冗…」
「冗談じゃねぇさ、今夜どう?ひま?」
 
 
まるで警察官とは思えない軽さで、サッチは上目がちにアンに問う。
アンはその身軽さに、実のところ「楽しいオッサン」と認識し始めていた気持ちが若干引いた気がした。
なんていうか、このオッサン、オッサンのくせに、オッサンだからか、手練れだ。
アンはこっそり引いた気持ちを隠してお決まりの愛想笑いを浮かべた。
 
 
「悪いけど…夜は家のことがあるから」
「んじゃぁそっちの兄ちゃん、お宅のお姉ちゃん、ん?妹ちゃん?ちょこっとお借りしちゃだめ?」
 
 
今までまったく無干渉でひたすら手を動かしていたサボが、きゅっと蛇口をひねって水を止めてサッチを見た。
サボが口を開いて言葉を発しようとしたが、その寸前でアンが遮るように言葉を重ねた。
 
 
「ごめん、ほんと、夜は忙しいんだ」
「えぇー」
 
 
オレアンちゃんと飲みてぇよ、とサッチは子供のように口を尖らせた。
 
 
「お前サッチ、外であんまりみっともねぇ面さらすんじゃねぇよいアホウ」
「うるせっ、もとはと言えばお前が行かねぇっつーから」
「だからってなんでお前は適当に引っかけようとすんだよい」
「適当じゃねぇもん、オレはアンちゃんと飲みてぇんだ」
 
 
呆れ顔のマルコにすねたサッチ。
アンは苦笑付きでもう一度「ごめん」と言ってから、ちらりと隣の高い位置にある顔を窺った。
サボはアンが言葉を遮った時点で、また何食わぬ顔で皿洗いを始めた。
いつもは手に取るようにわかるはずのサボの心が、曇りガラスの向こう側を見るように不鮮明にしかわからなくて、心もとない気分になった。
 
 
「オレは諦めねぇっ」とサッチは変に気合いを入れて、マルコはもう我関せずの顔つきで代金をカウンターに置いて、いつものように15時を少し過ぎた頃店を去った。
アンは笑顔で見送って、彼らのコーヒーカップに手を伸ばす。
溜まっていた洗い物を全て済ましてくれたサボが、アンに向かって「ん」と手を伸ばした。
ありがと、とカップを手渡す。
特に感情の浮かんでいない横顔が遠く思えて、アンは思わず「サボ」と名を呼んでいた。
 
 
「ん?」
「…さっき、なんて言おうとした?」
 
 
サボはきょとんとした目をアンに向けると、ふっと吹き出すように頬を緩めた。
 
 
「アンが遮ったんじゃないか」
「…そだけど」
 
 
アンは手の中でその辺においてあった布巾をもてあそびながらも、サボが笑ったことでゆっくり立ち上ってきた安堵にほっとした。
サボはその笑みを微かに浮かべたまま言う。
 
 
「オレは…アンが行きたいならいいけどって言おうとしたんだ」
「え?だ、だって」
「あのオッサンらが警察なのはわかってるけど、今のアンは微塵も疑われてないわけだし、ボロも出場所がないだろ。それに」
 
 
サボは手早くカップを洗い終わって、濡れてつやつや光るそれらをそっとシンクの隣に置いた。
 
 
「あの人たちと喋ってるときのアンは楽しそうだ」
 
 
息抜きできればいいって思ったんだ、となんでもないことのように言った。
アンはただ予想外の言葉にきょとんとするしかない。
サボがいつもどれだけアンの所業について心煩わせているかわかっているつもりだ。
だからむしろ、アンがサッチやマルコと客の中でもひときわ仲良く話すようになったことをサボはよく思ってないだろうと思っていた。
確かめたわけではないし、二人に対してサボはいつも通り愛想よく接する。
それでも絶対二人が来たとき、どれだけ接客に余裕があろうともサボは奥に引っ込まない。
 
…だからサボはあたしをサッチと出かけさせたりなんかするはずなくって、でも今は「行けばいい」って言ってくれて、そんでもいつもは絶対あたしだけにしないのに…あれ、分かんなくなってきたぞ、とアンが混乱している間に、サボはてきぱきと手を拭きサロンを外してシャツの一番上のボタンも外した。
 
 
「さ、さっさと閉めちまおうぜ」
「う、ん。サボ、」
 
 
厨房側から出ていこうとカウンターの戸に手をかけていたサボは、ん?と振り返った。
 
 
「あたし、毎日の、みんなのごはん準備したり家のことしたりするの、息がつまるなんて思ってないよ」
 
 
サボは戸に手をかけたまま、言葉をゆっくり飲み込むようにじっとアンの目を見つめて、すぐににぱっと笑った。
 
 
「わかってるよ。おれだって同じだ」
 
 
サボが胸の高さにあるカウンターの戸を押し開ける。
その蝶番がキィッと高く鳴る音は、固い革靴とステッキが床を叩く音にかき消された。
 
 
「お久しぶりです。ゴール・D・アン」
 
 
ラフィットはシルクハットを脱ぎ、白い肌に生える紅い口をにっと釣り上げた。
 
 
 

 
 
アンが黒ひげの事務所に出向くと、ティーチはいつものように鷹揚な態度でソファに深く腰掛けてアンに向かって手を上げた。
その隣にはオーガーが能面のような無表情で立っている。
 
 
「ようアン、久しぶりだな」
 
 
ティーチは視線でアンに向かいに座るよう示す。
アン離れた足取りで迷うことなくそこへ腰を下ろした。
 
 
「休息はしっかりとれたか、ん?」
 
 
世間話かはたまたご機嫌取りのつもりなのか、ティーチは機嫌よくアンに話しかけた。
アンはむっつりと黙った余計なことは離さない。
そんなやりとりも既にデフォルトとなった今では、ティーチも特に気にした風もなくラフィットを呼んだ。
 
 
「おい、アレ」
「はい」
 
 
ラフィットは静かな返事をして奥の部屋へ引っ込む。
アンはそれを横目で見て、視線で「何?」と問うた。
ティーチは「すぐにわかる」と嬉しそうな顔を隠さない。
すぐにラフィットがビジネスケースを片手にぶら下げて戻ってきた。
そのケースはアンとティーチ二人の間のテーブルに置かれる。
 
 
「もうわかるだろう。てめぇの前の稼ぎの残り半分だ。やっとうっぱらった金が入ってきたからなぁ」
 
 
重いだろうが持って帰るといい、とティーチはそれをアンの方へ少し押した。
アンはそれを見下ろして、黙って頷く。
したたかになれなければと何度も自分に言い聞かせた。
サボとルフィのためにも、せめて自分のためにも。
 
 
「前も言ったがお前ぇが銀行口座を作ってくれりゃあナマのやりとりがなくて楽なんだがなぁ」
「…あたしみたいな奴が簡単に入れるところに預けられるかよ」
 
 
精一杯の皮肉のつもりが、ティーチはますます嬉しそうに声を上げて笑っただけだった。
そして、さあ本題だといわんばかりにティーチは座り直した。
 
 
「次の仕事の段取りが整ったぜ、アン」
 
 
そうだろうと思っていた。
アンは黙って頷く。
オーガーが横から、ティーチの顔を見ることもなくすっと紙を差し出した。
ティーチは慣れたしぐさでそれを受け取る。
 
 
「今回は前とは勝手が違うぜ。そうだな、ざっと10倍は前より警備が固いだろうな」
 
 
それはアンも危惧していたし、覚悟していたところでもあった。
 
 
「それにお前自身前言ってたな、対策本部ができていやがる。ニューゲートの野郎が直々に勘付いたんだろう。そう簡単にはいかねぇぜ」
「前置きはいいから」
 
 
早く説明して、とアンはティーチの手元の用紙に視線を落としたまま促す。
ティーチはにやりと笑って、後ろ暗い計画を口にし始めた。
 
 
 

 
決行の日は太り気味の三日月に少し雲がかかるような、いわば何でもない夜だった。
すっかり夜の帳が下りて街が寝静まった午前1時ごろ、アンは静かな住宅街区の入り口で放り出されるように車から降りた。
夜の背景に馴染んだ黒い車は控えめな音を立ててアンを残し去っていく。
アンの方もその車を見送ることはせず、すぐさま目的の場所へと足早に歩き始めた。
 
相変わらず死んだような地区だ。
夜だと一層ひやりとした冷たさをはらんでいる。
まだ初夏だからか、場所がそういう空気をまとっているのか。
どちらにしろ動きやすい気温で、静かさも好都合だ。
このまま死んだように眠り続けて、いっそ死んでくれればやりやすいとまで思った。
ゆるやかな坂を足音立てずに登って行き、見覚えのある門が見えたところでさっと手前の角を右に曲がった。
 
すべて黒ひげの指示の通りだ。
そしてアンはちらりと顔だけ覗かせて、門の前に3人の警備員が屹立しているのを確認した。
アンは自分が認識される前に角を曲がったので、きっと彼らはアンに気付いていないはずだ。
気付いていたとしてもただの通行人のふりをすればいい話だが、危惧は増す。
これも黒ひげの説明通りだ。
アンは高鳴りすぎて痛いくらいの胸に拳を当てて、一度深呼吸した。
二回目でも緊張する。
当たり前だ。
犯罪の重みはアンは隙あらば押しつぶそうとした。
アンはウエストポーチに手を伸ばし、マスクを取り出すと顔に貼りつけた。
そして背中を張り付けていた壁をよじのぼり、目的の邸宅よりはだいぶと小さい、しかし豪奢な家の敷地に入り込んだ。
ふわりと豊かに育てられた芝生がアンをやさしく出迎えて、足音を消してくれる。
アンは壁伝いにその家の内側を横切って行き止まりの壁まで到達すると、今度はまた右に曲がって壁に沿って歩いていく。
アンがお邪魔しているこの家は、家自身はこじんまりとしているが広大な庭が自慢らしく、よってアンの移動できる場所は広くあったので足場に選ばれたのだ。
そしてアンは入り込んだ地点のちょうど対角点に行きつくと、そこでようやく壁をよじ登り外の様子を覗き見た。
 
右は、なにもない。
真っ暗の道がまるで通るものを吸い込むように黒く塗りつぶされている。
正面は目的の邸宅、の右端。塀のちょうど曲がり角の部分だ。
そして左側の遠くには正門と3人の門番。
3人皆が正面を向いていたら3人いる意味がないので、当然彼らは3方向を向いて立っている。
今は夜の闇が黒衣をまとったアンの姿を隠してくれているが、このままひらりとアンが塀から飛び降りれば一番近くにいる門番がすぐさま気づくだろう。
だからこそ、アンは待った。
黒ひげの指示通り、じっと息をひそめて蜘蛛のように壁に貼りついたままそのときを待つ。
 
(ああ腕が痛い)
 
腕と肩の力だけで体を支えて宙ぶらりん状態のアンは、もはや体力耐久レースになるだろう今回の計画に顔をしかめた。
プルルルル、と唐突に電子音が静寂の中で細くアンの耳に届いた。
一番アンに近い場所にいる門番がポケットに目を落とす。
 
(今だ)
 
アンは支えていた両腕で体を持ち上げて壁の向こう側に飛び降りた。
アンの耳には風を切る音が聞こえたが、遠く離れた門番の彼らには全く無音のはずだ。
黒ひげが与えたブーツも衝撃を音ともに吸収してくれた。
 
 
「はい、こちら正門」
 
 
静かすぎるからか、そこそこの距離があるのに門番の声が聞こえた。
彼の顔は今正面を、つまりは坂の方向を向いていてアンからそれている。
アンは一目散に道を横切って邸宅の壁に貼りつき、角を曲がって門番の死角に入った。
 
 
とりあえず第一段階クリアだ、とアンはいつの間にか額を流れる汗をぬぐった。
涼やかな夜だというのに、流れる汗はべとべとして嫌な気分になる汗だ。
アンは壁に貼りつけた背中から伝わる無機質な冷たさと、肌からじわじわ空中に放たれる熱のちぐはぐさに若干の気持ち悪さを感じならが、次の「時」を待った。
次の部分の計画に関してはアンと黒ひげで小さなやり取りがあった。
黒ひげはこの一連の犯罪をどこまで重いものにしてもかまわないと思っているのか、アンには全く判断がつかない。
ティーチが始め口にした計画はこうだった。
 
 
「お前が門の死角に着いたら、一人の男が正門にやってくる。俺らの手のもんさ。そいつはちいせぇ包みを持ってくる。で、真夜中の訪問者を門番たちが追い返そうとしたそのときに、」
 
 
ドーン、と手のひらを開く仕草をして、ティーチはにやりと笑った。
アンはティーチの手と奥深くで光る瞳を何度も交互にみた。
 
 
「…それって」
「爆弾さ、ちいせぇやつくらいこいつは今この場で作って見せられるんだぜ、なぁ」
 
 
ティーチはその隣で棒のように突っ立ったままのオーガの腰を馴れ馴れしく叩いた。
オーガはちらとティーチを見下ろして、なにも言わずまた視線を正面へ戻す。
 
 
「そしたら家ん中の連中は多少正門に集まるだろう、そしたらお前ぇが」
「ちょ、ちょっと待っ…」
 
 
アンはこの日初めてティーチの目をまっすぐに見た。
ドーン、と子供のような口調で言ったティーチの声が耳から離れない。
 
 
「爆弾って、そんな」
 
 
ティーチは一瞬なにを言われているのかわからないといった顔でアンを見たが、すぐに「ん?」と笑みを広げてアンを促した。
アンの言葉の続きをわかっているのに、それでもあえてアンの言葉を待つ。
やっぱりこの男、大嫌いだ。
アンは苦い思いをかみつぶしながら口を開いた。
 
 
「…人が死ぬとかは、いやだ」
 
 
ティーチは訳知り顔の癖に口だけは「ほお」と言って、アンの方に乗り出していた身を引いてソファにもたれ込んだ。
 
 
「だがよ、その爆弾抱えて突っ込むコマの野郎は俺が今まで面倒見てやって、その「仕事」の取引も済んでる。いつ死んでもいいような奴だ。爆弾だってちいせぇ、子供の遊び道具みてぇなもんさ。必要なのは『騒ぎ』なんだ」
「…それなら爆弾じゃなくてもいいだろ。もっと、害のない…もしその、爆弾、とかならあたしは嫌だ」
 
 
かたくなに拒むアンを見据えて、ティーチはあくまで楽しそうに太い腕を組んだ。
 
 
「綺麗ごとからは身を引くんじゃなかったのか、アン」
「…綺麗ごとじゃ、」
 
 
ない、と言葉の最期は部屋のエアコンの音にかき消されるほど掠れてしまった。
同時に前を見据えていたアンの顔も徐々に俯いていく。
 
綺麗ごとじゃないと、本当に言い切れるのだろうか。
人が死なない方がいいのは当たり前だ、それくらいの理性はある。
それでも他人の死を自分の目的と秤にかけて揺らしてしまった自分が、もう後には戻れないと知っている。
既に「綺麗」でなどいないのは、分かっているのだ。
 
 
「…できるだけ、音だけとか、そういう…」
「…よし、わかった。考えようじゃねぇか」
 
 
アンが顔を上げると、変わらず何かを楽しむティーチと、不満げに彼を見下ろすオーガがいた。
 
 
そうしてその計画にある程度アンの意思が組み込まれた結果、爆弾は子供だましの閃光弾と煙幕になったと聞いた。
アンは塀に背中を預けたまま、真っ暗に塗りつぶされた正面の道の続く先を見遣る。
『後には戻れない』
自分で気づいたその言葉が思った以上にアンの肩にのしかかり苦しくさせる。
アンは小さく身震いした。
『戻りたい』と願う自分は消えていないのだ。
湿り気を含んだ弱い風が頬をかすめていったその時、遠くから人の話し声が聞こえた。
 
アンはそれを来るべき時が来たと判断して、塀伝いに正門から遠い方へと早足に歩く。
そして、暗闇を引き裂くような鋭い破裂音が耳に届いて、アンは背の高い塀の一番上に手をかけた。
 
塀を超えてしまえば簡単に敷地内である。
正門と裏門、玄関、そして目的のものがある部屋の周りには雇われたガードマンがついていると黒ひげから聞いていたが、その他の何でもない塀などはただの塀に過ぎず、乗り越えてしまえば障害でも何でもなかった。
アンの目の前には、夜の闇の中でぼんやりと浮かび上がる白い噴水があった。
玄関に向かって右手にあるその噴水は庭の隅に備え付けられているが、場所が場所だからか、くすんだ風味が暗いながらも伝わる。
陶器の天使がうつろな白い目でアンを見ていた。
アンはその噴水のモニュメントの陰に身を隠して息をひそめた。
噴水の向こう側、正門と玄関を繋ぐ直線状を次から次へと人が走る。
黄色い灯りの灯る正門から立ち上る白い煙がよく見えた。
その光の方向へ走る人たちはさながら夜光虫のようだ。
アンは事の起こった正門に吸われて、邸宅の中から人の数が減っていく様子を想像しながら、暗く広い庭を正門から離れるように走った。
 
 
 
家の側面に沿ってかれこれ100メートルほど走ったというのにまだ壁が途切れることはない。
アンは騒がしくなってきた玄関口の気配に耳をそばだてながら、ある地点で足を止めた。
玄関での不審な事件は警察を呼ぶだろう。
特にマークされて警備されていたこの家なら、あと数分と言ったところか。
アンは壁に向かって上方を仰ぎ、3階ほどの高さからアンの頭上を覆うように突き出しているベランダの底を見上げた。
そしてすぐさまウエストポーチからロープを取り出し、烏の鉤爪のような器具のついた先端を狙いを定める余裕もなく3階のベランダへと思いっきり放り投げた。
鉤爪がベランダのコンクリートの段差に引っ掛かってキィンと高い音が響く。
縄でもないゴムでもない、全く未知の素材でできたロープがぴんと張る。
その音が思ったより大きかったのでどきりとしたが、ビビッている暇はないのですぐさま反対側のロープの先端を手首にくくりつけ、その先端から1メートルほど距離を取った場所にある腕時計の画面のような形の小さな機械の、ただひとつあるボタンを押した。
シュッと風を切る音がして、アンの身体はみるみるベランダへと引っ張られていく。
ベランダの手すりの下部が手に届く辺りまで来ると、アンは自身の手でそこを掴んで体を持ち上げた。
黒ひげにこれを与えられてから1週間ほど練習した成果か、手間取ることなく上階に上がってこれた。
アンは自身の身体をベランダに収めてから、残りのロープを一気に巻きとった。
帰りに使う時のため、まだ手首に巻きつけたままにしておく。
 
 
ガチャン、と耳慣れない音がした。
すぐさまその音の先を見遣ると、アンの正面にある大きな窓のカーテンの隙間から人の手が伸びて窓の鍵をひねり、そのまま手さぐりで窓枠に手をかけようとしている。
アンは口から飛び出そうな心臓を生唾と一緒にのみこんで、右の腰にそっと手を伸ばした。
 
暗闇のせいでよくわからないが、おそらく濃いワインレッドのような色の分厚いカーテンのおかげであちらはアンの姿が見えていない。
手の様子からして男らしいその人物は、カーテンを開ける手間を面倒くさがってカーテン越しに窓を開けようと試みたらしい。
そして窓が開き、ほぼ同時にカーテンも開いた。
 
 
現れたスーツ姿の若い男がみるみる目を大きくする。
そしてぱかっと開いた口から声が発されるより前に、アンはかまえた銃で男の首すじを撃った。
その距離は1メートルあるかないか。
はずれるわけもなく、あやまたず打ち抜かれた男は後ろに向いてどうと倒れた。
 
アンは男の身体の上から首だけを部屋の中に入れ、中の様子を見る。
灯りの消えた室内は暗いが、乾いた空気がアンの頬に触れ、古い家具の匂いがした。
人はいない。
アンが鉤爪を引っ掻けた音を聞きつけてやってきたのだろう、この家の使用人らしいその男の身体をまたいで中に踏み入った。
 
中に入り、アンはまた流れ始めた新しい汗をぬぐった。
思った以上の軽さで引かれた引き金にはじめて指をかけた感触。
命を奪ったわけではないのに、人に銃口を向けるのはきっとそれに似た重さを伴う。
アンは横たわって目を閉じる男を見下ろして、帰りのために窓は開けたまま部屋の扉へと近づいた。
急がなければ、タイムリミットが迫っている。
 
この部屋は今はもう使われていない使用人の部屋だと聞いていたので、人が現れたのは予想外だった。
しかしアンの代わりに鍵を開けてくれたので、麻酔を一本使ってしまった代わりに手間はだいぶと省けた。
アンのウエストポーチには、窓の鍵を開けるための小道具が皮生地の内側に備え付けられてくるくるとまかれた簡易作業セットが収められているのだが、今回は使わずに済みそうだ。
 
アンは扉に近づいたもののその前を素通りし、扉の右上方に位置する排気口に目を止めた。
50センチ四方のそこには鉄格子がついている。
アンはまた、鉤爪のロープを力強く放り投げた。
 
 
 
狭く埃臭い排気口をずるずるとほふく前進で這う。
ともすると両膝をついて四つん這いで進めそうな空間だったが、そうしていたらさっき急に狭くなって頭をしたたかにぶつけたので、ほふく前進で通すことにした。
咥えたペンライトが先を照らす。
アンの腹の下からは、微かに人の話し声や動作音が聞こえた。
 
頭に叩き込んだ経路の通りにいくつもに枝分かれした排気路の中を進み、目的の部屋と思われる排気口の出口まで辿りついた。
そっと耳を近づけるが、物音はしない。
静かだということは、まだ玄関口での騒動から数分しかたっておらず家の者も警官も髪飾りの守備にまで回ることができていないのだ。
騒動からすでに何時間も経過したような気分だったが、左腕の時計を確かめる確かにまだ10分立ったかどうかというところ。
足の速さと手際がスムーズだったことが幸いしたらしい。
アンは内側からネジを外し、押し出すようにして排気口の鉄格子を外した。
 
 
部屋の中はぼんやりとした灯りに照らされていた。
正面と左右に一つずつ監視カメラがあると聞いている。
アンは排気口に体を横たえたまま左側の腰に備え付けていた銃を構え、向かいにある大きな扉の上あたりを狙って引き金を引いた。
一瞬のタイムラグの後、パシャンと水音のような音が返ってきてペイントが監視カメラもろとも壁に塗りつけられたことを確認する。
左右も同じようにして、その『目』を塞いだ。
監視カメラは首ふり式だが常に床に向かって目を動かしているので、同じ高さにあるアンの姿は認知されないのだ。
 
それから2メートルほどの高さを怖がっている暇もなく床に飛び降りた。
高級そうな絨毯が衝撃をいささか吸収してくれたが少し足がじんとわななく。
そして、目を上げたアンはその光景に一瞬ぎょっとしたものすぐにげんなりした気分になった。呆れに近い。
 
降り立ったアンの周りはショーケースに入っていたりはたまた剥き出しだったり、とにかくあらゆる調度品で埋め尽くされていた。
絵画、金髪のドール、骨董の壺、輝く指輪。
それは観賞用だったり展示だったりといったものではない。
ただここは詰め込まれるだけの倉庫だ。
きっとこの屋敷の主は、価値あるものが好きなのではなく価値あるものを集めることが好きなのだ。
そして、価値あるものを集める自分が好きなのだ。
古臭い埃の匂いと錆のような貴金属の匂いとともに、鼻持ちならない成金のにおいがする。
 
呆れていても仕方ないし時間もないので、アンはすぐさま目的の髪飾りを探しにかかった。
きっとショーケースの中に入っているだろうと黒ひげは言っていたが、場所まで彼らにもわからなかったらしい。
たしかに、こんな有象無象の詰め込まれた部屋の中でありかまでわかっていたら驚きだ。
この『コレクションルーム』の位置とそこまでの経路を割り出した彼らの「伝手」に感服するまでだろう。
 
アンはとりあえず道なき道を歩いて、ときには巻かれたまま倒れた絨毯のようなものをまたいで、ショーケースを覗き込んでまわった。
 
…ちがう。
…これもちがう。
…これも。
 
ひとつずつ「ちがう」を重ねていくたびに、左手の腕時計が刻む秒針の音が心臓の鼓動とリンクする。
焦りの汗が流れ始めたそのとき、アンの目がぴたりと止まった。
 
…これだ。
 
ぼやっとした灯りの中、埃の被ったショーケースの中で真紅の髪飾りが寂しげに光っていた。
アンはダメもとでショーケースに両手をかけてそれを持ち上げてみる。
すると、予想外なことにガラスのケースは簡単に持ち上がり、驚いたアンの手から少しケースがずり下がる。
あわててしっかりとつかみなおしてケースを床に置き、髪飾りに手を伸ばした。
皮手袋を隔てていても、硬質な手触りが感じられた。
 
(よし)
 
目的達成あとは帰るのみ、と意気込んで髪飾りをしまおうとウエストポーチのチャックに手を伸ばしたその時、金属が小さくぶつかる音と重たい木の扉が床をこする音がして、眩しすぎる光がアンを背後から照らした。
 
まずい、と声が頭の中で響いた瞬間手は腰の銃に伸びていた。
暗闇と光の狭間に立つドアを開けた人物は、闇の中でぼんやりと浮かび上がった人型のシルエットに数秒経って気付いた。
しかしその人物が声を上げるより早く、アンは引き金を引く。
パッションピンクのペイント弾が男の身体と両脇の扉を丸ごと色鮮やかに染めた。
麻酔銃にするはずが髪飾りにふさがれて開いているのは左手だけで、よってついペイント弾のほうを撃ってしまった。
ぎゃっと無様な悲鳴を上げたスーツの男は、驚いたのとペイント液に足を取られたのとでその場にドタンと腰を打ち付けて転んだ。
アンはすぐさま髪飾りをポーチに放り込むようにしまうと、散らかったコレクションたちをかき分けて排気口の真下まで走り寄り、すぐさまロープを使って登って体を排気口の中に押し込んだ。
つま先を排気口の中に引っ込めたちょうどそのとき、コレクションルームのほうからは騒然とする人の話し声が聞こえてきた。
 
今度こそ時間との勝負だ。
ドアを開けた男は使用人が来ていたスーツではなかった。
あれは警察だ。
アンの目の前で派手に転んだ姿を思い出すとおそらく下っ端の冴えない刑事だろうが、なんにせよ敵は確実にアンに気付き動いている。
まさかあそこで扉を開けられるとは思わなかった、はじめての失態だ。
あの警察がなぜあのタイミングで扉を開けたのかはわからない、しかも一人で。
彼はアンが排気口へと逃げたのを見ていただろうか。
目を潰されて何もわかっちゃいないといいけどと願いながらも、帰りついたあの部屋で大勢の警官がアンを出迎えている光景が目の奥をちらついて仕方ない。
 
アンは動転して散らかりかける思考を必死につなぎとめながらも帰路を急いだ。
目的の部屋に近づいてきて、その方向から何の声も聞こえないことにほっと息をついた。
開きっぱなしの排気口から部屋を覗き込んで、そこがいまだ薄暗く、開いたままの窓から吹き込むささやかな風がカーテンの裾を小さく揺らしているのを見下ろす。
アンはコレクションルームに入るときにしたように、いったん狭い中で体の前後を逆にして、足から部屋の中へとおろして最後は飛び降りた。
 
髪飾りを目的とするあの泥棒が入り込んだと警察が決め込んでいるなら、おそらくこの家はもう包囲されているはずだ。
一見逃げ場のないその状況を想像して、早まる鼓動だけは止めようがない。
だからもう今は黒ひげの言葉を忠実に信じるしかないのだ。
 
アンは開いた窓に近づき、未だ伸びたままの男を来たときのようにまたいで外に視線を走らす。
人の声がたくさんした。
ベランダの真下にいるような気配はしないが、きっと近くにいるのだろう。
アンは右手に巻きつけたロープをぎゅっと握りしめて、そっとベランダに足を踏み出した。
 
 
「ああ、思ったより小せぇな」
 
 
癇に障るような蝶番の音に対して重たい木が擦れる音。
アンの真後ろの扉が開いて、廊下から差し込む光がまたしてもアンを照らした。
アンは忍び込んでから初めて聞いた自分に向けられた声が、近頃聞きなれたものであることを確信して振り返った。
片側の扉をあけ放った男はたった一人で、右手はまだ扉に掛けたまま、左手には何か用紙を握ってアンに対峙していた。
 
マルコ、とアンは呟いた。
 
 
「オレを知ってんのかい?」
 
 
マルコはよもや怪盗を追い詰めた刑事とは思えないのんきな口調で尋ねた。
アンはつい口をついて出てしまった先程の自分の言葉を呪う。
しかし怪盗が「マルコ」を知っていたって何の不思議もないのだ。
 
 
「有名人だろ、あんた」
 
 
緊張のせいか、掠れた低い声が出た。
咳払いしようとして、待てよと気づく。
マルコはそうだったねいと軽く答えた。
アンに近づこうともしない。
 
 
「まさか本当に排気口から出入りできるような奴とは思わなかったよい」
 
 
アンは下から睨みあげるようにマルコを黙って見つめる。
この時間がタイムロスだ。
マルコはきっと既に手下をこの部屋やベランダに呼び集めているのだろう。
アンはほぼ真っ黒に染まりかけた近い未来を考えて眩暈がした。
しかしマルコは、そんなアンの考えを読み取ったように自嘲的に笑った。
 
 
「まさかだったもんで、オレ一人ここに突っ走ってきちまって、まだ誰も呼べてねぇ」
 
 
まぁ仲間はその辺にごろごろいるが、とマルコはアンが知るいつもより少し饒舌に喋った。
そして扉から一歩、アンに近づいた。
灰色のジャケットスーツはいつものものだ。視線は思わずその胸ポケットに走った。
そこからのぞく色の違う何かを確認して、同時にやっぱりこれはマルコなんだとまるで諦めのような感慨がわきあがる。
アンは掠れた低い声のまま口を開いた。
 
 
「…なんでわかった」
「ああ、お前さんが現れたかもしれねぇって言うんで来たら通報から20分も立たねぇうちに保管室の『宝』が既に盗られちまってる。こりゃあ正規の廊下以外にどこか通り道があるんだろうと踏んで、思いついたままに排気管の配置図を家主に探させて辿ってみたらこの部屋が一番怪しかったんで、来てみたら当たりだったっていうだけだよい」
 
 
「だけ」というには随分長い前置きを踏んで、マルコはさらりと思考の手順を述べた。
たったひとりで、黒ひげと同じ思考回路をすぐさまたどったこの男の頭脳がやはり『警視長』たる肩書きの所以だろうか。
 
アンは長々と答えてくれたマルコに返す言葉を思いつかず、窓のサッシに乗せていたもう片方の足をベランダに踏み入れた。
マルコは「ああ」と思いついたような声を上げる。
 
 
「いくらまだ応援がねぇからって、さすがにもう逃げられねぇよい。塀の周りはサツだらけだ」
 
 
金儲けなら、前の一つじゃ足りなかったのかい?とまるで子供に尋ねるようなその口ぶりにカッと腹の底が熱くなった。
 
 
「――捕まらねぇよ」
「あ?」
「絶対、捕まらない」
 
 
アンはマルコに背を向けて、ベランダの手すりに手をかけた。
背後で、カチャリと質の違う金属音が響いた。
振り返ると真っ黒の銃口がアンを指している。
 
 
(──ああ、狙われるのってこういう)
 
 
哀しい、とよぎってしまった思いをかき消す思いで強くマルコを睨み返した。
 
 
「お前ェ、名前は」
「名前?」
 
 
なんでそんなこと、と口をつきかけた考えを覆い隠すように、テレビで聞いた誰かの声をと画面の隅で派手に躍り出ていた文字を思い出した。
アンを指し示す『A』の文字。
 
窓から吹き込んだ風が部屋の空気をかき混ぜて、吸いだされるように外に戻ってくる。
その空気の動きに揺られて、ワインレッドのカーテンの裾がベランダにいるアンの手に触れた。
アンはそれをつまむように掴んだ。
 
 
「…エース」
 
 
マルコが、アンの知らない顔で笑った。
 
 
「いい名前だよい」
 
 
引き金にかかるマルコの指が微かに動いて、アンが分厚いカーテンをふたりの間に引き、銃弾がコンクリートの床にぶつかる激しい音に気付いた他の警官が庭を回ってそのベランダの下に集まった頃には、既に誰の姿もなかった。
 



拍手[17回]

PR
2012ワンピースプレミアショー@USJのチケットが取れましたあああああ!!!!
 



 
わちしのツイッターを覗いてくれている方は、荒ぶるTLを見ながら苦笑するか私も私もとチケット購入ページに走るかだったと思うのだけど
 
もう、この、興奮が既にマックスで当日どうなることやらわかんないよ!
 
 
しかもなんとハナノリンが一緒ですううううトリトネコ。のハナノリさんですよみなさああああん
この日は私がリアル3次元で独占してきます。
もはやハナノリンは私のお守である!(ちがう
 
 
ハナノリンはジャンプの広告で「今年のショーは不死鳥が出るらしい」と見たらしくてその情報をちゃんと流してくれてたのに
こまつなってばそれを妄想の具現化した願望だと思って(笑)
ごめんなさいごめんなさい。
ほんとだった。
 
そういうことで「マルコォォォオオオオオオオオ」とあらぶった二人が意気投合して、一緒に行こうぜユニバーサル!となった次第であります。
 
 
しかしチケット取る段階から苦戦しましたよい。
なにしろ座席選択ページが見にくいのなんのって!!
USJさんあれは改良の余地ありですよ。
 
日にちを選ぶ→ブロックを選ぶ→よい座席を出してくれる
というプロセスだと、「一番いい座席がとれる日に行こう」という心づもりの私たちはたいそう調べにくかった。
さらに私とハナノリンの予定のすり合わせとかがあって、まあわたしがテストだー家族旅行だーとかわがまま言い放題で、ハナノリンははいはいいいよいいよ行っておいでと聖母の微笑みでゆるしてくれたので、いろいろ妥協した日にちに何とか落ち着きました。

しかも席はど真ん中ブロック前から6列目!
結構よさげと思われる!!
目ぇかっぽじって見るわな。

 
 
8月末まで毎日不眠だぜ!!
 
 
というのは嘘ですが、今の時点で興奮が収まらない。
夏が俄然楽しみになって、そのぶんこの梅雨の時期が鬱陶しくてたまらない。
 
 
昨日ハナノリンとの予定調整が終わって、昼過ぎから昼食も忘れてパソコン前にいた私は、
 
初USJらしいハナノリンと何をしよう何をしゃべろうまあマルアンについてガチトークは外せないんですけどね!ああでも夏のUSJはワンピであふれてるしユニバーサルシティ駅から正門までの間にジャンプショップもあってOTAKUには大変目に嬉しい仕様になっているからあんまり妄想する暇もないのかもしれんなうわあリアル3次元萌えだ――――!!!!
ああでもせっかく関西にやってきてもらうのだから、USJのほかに大阪・京都を味わってもらいたいな、大阪はUSJでカバーとしても京都って何?漬物?出汁?八つ橋?だめだうちは田舎だから光源氏が少し近いくらいだやはり市内まで出て…ってそんな余裕もないのか、っていやその前に私2次元から3次元へお付き合いがランクアップするの初めてだわうわアどうしようなにすればいい、私まずどうすればいい、美容室行くべき?新しい服買うべき?今からダイエットするべき?駄目だよムリだよ私のお腹にはアンちゃんとエースが双子で同居しているよ燃費悪すぎるよもうどうすればいいのうわあああああああああああああああああああああああああええいままよ!!
 
 
そして今に至る。
 
 
 
 
楽しみすぎて爆発しそうな胸を抱えてリバリバ書くよ。

拍手[2回]

6月しんどいわー、と去年と全く同じことを思ってハッとします。
なんでだろう。
6月に足踏み入れた途端こなすべきことがむくむく現れるよ。
 


私の地元ではしんどいことを「えらい」というんだけど、いうんだけど、
何気なく「6月めっちゃえらい。死にそう」とかいうと、「6月がなんで偉い?」と返されます。あたりまえだ。
あたりまえなんだけど、わたしは「えらい」が通じないとなんと今年の春まで知らなかったので、普通に「論文が5つくらい溜まってる」と死相の出た顔で答えます。

「え?」
「ん?」
「は?」
「あれ?」

という会話のかみ合わなさがあってから、やっと自分の言葉が通じてなかったことに気付く。
地方人の哀しくも楽しいところであります。
逆に私は「しんどい」という言葉を10歳くらいまで知らんかったよ。
 
ほら、あれだ、名古屋の人とが、「すごいことになってる」を「えろーことになっとる」とか言うのですよ。
関東の小学生男子とか聞いたら喜ぶよね。
 



 
 
 
と、ネタにもならない前置きをしたところで、リバリバ6更新です。
その前に更新した麦わらの一味のお話は閑話休題みたいな気分で書いただけなので、あっそう、って流していただければ(私の心が)救われる。
 
 
やっと、やっとマルコ登場ですよ!!
ほらね!忘れてなんかなかったんだからね!
ちょっとサボの若さにクラッときていただけで、マルコの渋さは手放しませんよい。
 
マルコが登場したとなるとこれからが正念場。
ガシガシ書きます。
今回サッチはひたすら愛すべきキャラ。
 
 
 
 
あとこれもぜんっぜん関係ないけど、私は外国の2リットルボトルの牛乳がだいすきです。
だいすき。
半透明の乳白色みたいなボトルに青空とか緑の草原とかの絵のラベルで、細い水筒のふたくらいある大きいキャップで、どっぷんどっぷん注ぐのが好きです。
紙パックとかねぇもんよ。
そういやジュースとかでも紙パックってみないな。
ぜんぶボトルで、最低400ミリリッターくらいだ。
 
2リットル単位で牛乳を消費できる体内環境にほれぼれするわ。
 
 
とどうでもよいことを述べて今回はおわりっ。
はーやーくー夏すっとばして秋にならんかなーとうずうずしております

拍手[0回]

 
アンが初めての仕事を成功させたその日、ルフィが帰ってきて何気なくテレビをつけた。
箱のように四角くて重く、しかし画面は小さいという古風なテレビだ。サボが中古で見つけてきた。
アンとサボは意図してテレビをつけることなく一日を過ごしていたので、突然しゃべりだしたテレビについハッと身を固くしてしまう。
そしてテレビがいの一番に伝え始めた内容は、アンたちの予想を裏切らずに、突如街に現れた泥棒についてだった。
テレビにはでかでかとルージュの髪飾りの画像が映し出されていた。
 
 
「あ、これ」
 
 
ルフィがテレビを指さして、夕飯の支度をするアンを振り返った。
夕飯はやはり残ったサンドイッチだが、ルフィが大半を平らげてしまうこととアンとサボが朝から同じものしか食べていないことから栄養面を考慮して、簡単なサイドメニューを作っていた。
アンは頷いて曖昧に笑った。
食卓で店の経費を計算していたサボも、今更避けてもしょうがないといったようにテレビに視線を移している。
 
 
「すげぇな、アン有名人になっちまった」
「アンだってばれてないからな」
 
 
サボが苦笑いでそう言うと、ルフィはふーんとテレビから視線を離さず相槌を打った。
 
 
「なんか普通だな」
 
 
ルフィは夕飯の匂いに鼻をひくつかせながら呟いた。
 
 
「なにが?」
「だってよ、こんなテレビにまで出ちまうことやってんのに、アンはここにいる。つーかテレビがアンのこと喋ってんのに、なんにも変わってねぇ」
 
 
ま、いいけど。今日の飯なに?とルフィは立ち上がりアンに近寄って、背中からその手元を覗き込んだ。
 
 
「サンドイッチ。いっぱいあるから」
「夜に珍しいなー!」
「お昼のあまり。ルフィ制服着替えておいで」
「おー」
「ズボンその辺に放っておくなよ」
「おー」
 
 
ルフィは靴下を脱ぎながら、とっとっ、と一本足で器用に歩いていく。
ルフィの言った通り、アンの周りは何も変わっていなかった。
変わってしまったら困るのに、変わらないようにとしたのは自分なのに、まるで変わらない生活が自分のしでかしたことの対価として見合っていないような、おかしな気分になる。
テレビのコメンテーターが、複数の髪飾りが存在することを理由にこの窃盗事件が連続する可能性をもっともらしく喋っていた。
 
 
 

 
アンは静かな住宅地の中を歩きながら、額からこめかみを通って流れる汗をぬぐった。
周りが静かな分、細かな自然の音が耳に届く。
アンは自分の足音を聞いていた。
 
最初の仕事から1か月の空白を置いて、次の仕事はとある御曹司のコレクションルームを狙うことに決まった。
今回は黒ひげが決めた。
 
 
「コネで成金息子の知り合いがいてな、粗方の家の内地図が手に入った。オレたちぁここから詳しい情報を集めてくからお前は家の場所だけでも大体の下見に行ってこりゃあいい」
 
 
アンは黒ひげに託された家の地図を手にして、前回よりも深い覚悟を胸にその邸宅へと向かった。
邸宅は町はずれの高級住宅街と呼ばれる一角の中でもひときわ大きな建物で、アンはそこまでバスを乗り継いでいかなければならない。
夏の兆しをたたえた太陽がカッとアンを照り付ける。
日なたにいると汗が垂れるほど暑い陽気だったが、時折吹く風が初夏を感じさせた。
店を早めに閉めて出てきたので時刻は3時ごろ。
一日のうちで最も暑い時間を少し過ぎて、アンは圧迫するように並んだ装飾の多い豪邸たちの間を、どこか気の引けるような落ち着かない思いで進んだ。
地図を握りしめて高級住宅街でうろうろする怪しい女がいると通報されたらたまらないので、万が一誰かに不審な目で見られた時のための言い訳も考えてきた。
地図と一緒に、アンは自分の店のチラシも数枚手にしていた。
それを目についた家のポストに適当に放り込んで歩く。
そうすれば、街から来た世間知らずの娘が場違いな場所で自分の店の宣伝をしているだけのように見えるだろう。
しかしアンは肩透かしを食らうような気分で、ぽてぽてと目的の邸宅を探す。
誰かに怪しまれるも何も、このきらびやかな家々が立ち並ぶ一角に歩行者は誰もいないのだ。
肩がぶつかりそうなほど人であふれかえっている街の中心やモルマンテ大通りと比べると、信じられないほど静かな場所だ。
本当に生きた人がここに住んでいるのかと訝しむくらいだった。
 
バスを降りて20分ほど歩くと、目的の家らしい門が見えてきた。
近づけば近づくほど、まるで来客を圧倒するためにあるような黒光りする門構えが大きくなる。
今日は場所の確認だけだから、家の前まで言って周りを半周したら家の裏手でバスを拾って帰ろうと思っていた。
アンは邸宅の地図をポケットに無造作に突っ込んで、用無しのチラシだけを握りしめて大きな門に近づいた。
門の前には門番が2人立っていた。
この太陽の照り返す中、真っ黒のスーツをピシリと着込んだいかつい男が二人正面を向いてピクリとも動かない。
あまりにもまっすぐ立っているので、遠くから見るとまるで大きな木炭が立っているように見える。
人がいなければ立ち止まることもできたかもしれないが門番がいるのでは話は別だ。
素通りすることにしようと、アンは素知らぬ顔を作った。
素知らぬ顔というのを初めてする。
門番はとっくにアンに気付いているだろうが、特に目立ってじろりと見たりはしない。
通りすがりの一般人にいちいち気を留めていたらやっていられないだろうし、あるいはアンほどの小娘がこの家に用があるはずないと判断されたのかもしれない。
それはそれで好都合か、とアンが流れる汗をもう一度片手で握ったとき、アンを後ろから車が追い越した。
その姿形を何気なく目に入れて、アンは思わず踏み出しかけた一歩を止めた。
白地に青のライン。
警察だ。
そう認識した瞬間、心臓が早鐘のように打ちだして流れる汗は即座に冷えた。
 
どうしよう、戻ろうか。
でも、踵を返すところを門番に見られたら怪しまれる。
それどころか警察にも不審に思われるかもしれない。
それに今帰ってしまえばもう一度同じ手でここに来ることができない。
いやしかし、もう道順はわかったのだから帰っても問題はない。
今日の目的は果たしたも同じだ。
今立ち止まってしまった時点で十分怪しいかもしれないが──
 
アンの頭の中がせめぎあいで混乱していくのをよそに、警察車両は塀に沿って門の右手に車を横付けした。
助手席とその後ろから人が下りる。少し遅れて運転席から一人。
どれも警察だろう。
助手席から降りた男が門番の一人に何かを告げる。
すると門番は自身の襟をつまんで口元に引き寄せると、何かを話すようなそぶりをした。
門番と話す男の少し後ろに二人、後部座席と運転席から降りた男が立っている。
運転席の男はともかく、後部座席の男の気だるげな様子は後ろ姿からもにじみ出ている。
はやく背広を脱ぎたいという心の声が聞こえてくる気がする。
しばらくすると、ぴっちりと口を閉ざしていた門が左右に動き出して玄関への道を開けた。
門番のあとに続いて3人の男が庭へと足を踏み入れた。
不意に、後部座席の男が後ろを振り返った。
 
 
「!」
 
 
立ち尽くしていたアンは咄嗟に顔を伏せ、しゃがみ込んで靴紐を結ぶふりをした。
もともと固く結んであった靴紐を躍起になってほどいてからそっと顔を上げると、3人の男の背中はすでに小さく、再び音を立てて門が閉じようとしていた。
門番が門の向こう、重たそうな茶色い玄関扉に背を向けてこちらに戻ってくる。
アンは手早く靴紐を結び直すと、足早に邸宅の前を通り過ぎた。
 
 
 
 

 
アンが見た彼らが、警察支部に新しく作られた『怪盗A対策本部』の一部だというのは、その日の夜見たテレビで知った。
怪盗Aというのはマスメディアがとりあえずつけた呼称で、少年犯罪の際使用される『少年A』とか『少女B』とかそういうノリらしい。
「破られた金庫番号がA庫だったこともありますしね」とどうでもいい理由づけをするコメンテーターもいた。
とにかく、その『対策本部』の第一責任者はメディアの前に立ち、まるで面倒くさいと顔に描いたような気のない顔つきで紙面を読み上げるようなコメントをしていた。
一緒にテレビを見ていたルフィが、「このオッサンほんとに警察かよ」と的確なことを言う。
本部から派遣されたらしいその男、「マルコ」は本部において警視総監の次に準ずる位である警視長のひとりで、警視総監の命を直々に受けて今回の事件にあたるのだという。
 
この男が、目下のところの敵だ。
アンが心の中で確かにそう判断した矢先、その「マルコ」はふらりと店にやってきたわけである。
 
アンはサボと相談し、次に黒ひげのもとに出向いた際そのことを告げた。
「ほう」とティーチは興味深そうに顎を反らして腕を組む。
 
 
「そりゃあけったいなことになったじゃねぇか、おもしれぇ」
「…あたし、店やってていいの」
「お前ぇはどう思う、アン」
 
 
まただ、とアンはティーチから視線を外して考えるふりをした。
ティーチは常にアンに考えさせる。
どうでもいいことから命運を分ける大切なことまで、まるで思いつきという様子でアンに決めさせて、大概それにOKを出す。
アンは本当にそれでいいのかと不安ばかり膨らむが、問い直すことは悔しいので絶対にできない。
アンは黒ひげが用意した道の中からたった一つを自分で選び、その平均台のように不安定な細道の上を手放しで歩かなければならない。
ティーチがそれを楽しんでいる風なのも一層アンを腹立たせた。
アンはピリピリする苛立ちを飲み込んで答えた。
 
 
「…よっぽどヘマしなきゃばれないし、店は…続けたい」
「ああ、じゃあそうするといいさ。警察だってまさか街の飯屋の娘が話題の怪盗だなんて思いやしないだろうからなぁ!」
 
 
ティーチはアンの思った通り快く肯定を示して、用意していたようなセリフを吐いた。
アンは浮かび上がるあれやこれやの言葉を口に出さないのに精いっぱいで、これ以上何を言うこともできない。
 
 
「銀行ってのぁな、どこも大概一緒で、さらに警察の治下にあるヤツときたら警備は堅いがプロトタイプだ。だから内図を手に入れるのも暗証番号の入手も簡単だった。だが次は私邸だからなぁ、ちょいと時間がかかっちまうがまぁ滋養期間だと思ってのんびりしてりゃあいいさ。お膳立ては任せろ」
 
 
そうしてアンは、次に黒ひげから連絡が来るまでひたすら待つ日々となった。
待つというのはその間何もないのと同じで、ひたすら同じ毎日が続いていく。
平和で、幸せで、一瞬黒ひげのことも髪飾りのことも全て忘れてしまいそうになるけれど、アンの心に残った質量のあるしこりがそれを掴んで離さない。
離すつもりもないのでアンはそれにほっとして、それでも気分は重たい。
 
 
 

 
警視長とそのお供のリーゼントが店に初めてやってきて一週間後、彼らはまた姿を見せた。
しかし今度は遅い朝の時刻ではなく、昼過ぎの客が捌けてきた頃だった。
 
 
「よっ」
 
 
陽気な男の声にアンが振り向くと、相変わらず愛想のよい笑顔と目立つリーゼントの男と、打って変わって愛想のないお偉い警視長サマだ。
アンはやはり無意識のうちにこくんと小さく生唾を飲んだ。
 
 
「いらっしゃい、また来てくれたんだ」
「来るよー何度でも来ちゃうよー!アンちゃんに会いにねっ」
 
 
なんで名前知ってんだこのおっさん、と内心引き気味ながらもうまくなった愛想笑いを浮かべると、男は少し口を尖らせた。
 
 
「アンちゃん今「なんで名前知ってんだろう」って思ったろ」
「えっ」
「ふっふっふ、かぁーわいいなぁ。顔に全部出ちまってら。前に名前聞いたもんねーオレッチはサッチだもんねー」
 
 
きゅぅーと音を立ててやかんが沸騰するみたいに顔に熱が昇った。
そんなこと初めて指摘されたし、こんな熱くなりかたも初めてだ。
しかしリーゼントの後ろにいた男、マルコがリーゼントの後頭部を容赦なくはたいた。
 
 
「突っ立ってないで入るよい」
「あっ、待てよマルコおれカウンターがいい、アンちゃんの近くがいい」
「うるっせぇ…」
 
 
サッチは騒がしい足取りでカウンター席に歩み寄り背の高い椅子に腰かけた。
「外あっちかったー」とサッチは黒の上着を脱ぎ、金属パイプのささやかな背もたれにそれをかける。
店の隅の席へと行こうとしていたマルコはその背中を鬱陶しそうに見てから、黙ってサッチの隣の席に座った。
同じように深い灰色の上着を脱いだ。
アンは一瞬の隙にちらりとサボに目配せすると、遠くのテーブル席を片していたサボもやはりアンを見ていた。
大丈夫、と目で伝えるとサボは微かにうなずいた。
 
 
「あー腹減った。アンちゃん、お昼はどんなの?」
「あ、えっと、この中からパンかチキンライスか選んで、こっちの中からおかず3種類選んで、日替わりのサラダとスープと、あとコーヒーのセットがある」
「んじゃオレライスで、これとこれとこれ。で、コーヒーよろしく!」
「はいはい」
 
 
アンは手元のメモにサラサラッと注文を移してから、ちらりとマルコに視線をやった。
 
 
「…そっちの人は?」
 
 
また「コーヒー」とだけ言うのかな、と半ば期待のようなおかしな感覚を抱いていたアンは、マルコが静かな声で確かにセットのオーダーを伝えたので少し驚いた。
 
 
「…結構、量あるけど」
 
 
思わずそう言うと、マルコは驚いたようにメニューからアンへ視線をやった。
テレビ越しに見たときや、サッチと並んでいる時の気のない顔つきだけが印象に残っていたアンは、その時のマルコの視線が案外強かったことに一瞬たじろいだ。
 
 
「…別に小食ってわけじゃねぇよい。朝は…前まで食べねぇ方だっただけで」
「そうそう、こいつあれからちゃんと朝飯食ってんだぜ。アンちゃんの弟の…あのボーズに言われてからきちんとな」
 
 
サッチはえらいえらいと一人頷いて、マルコは心底鬱陶しそうな顔を浮かべた。
ああそうなんだ、と全く気の効かない返事をしてアンは調理にかかった。
先に作り置きのサラダとスープだけ出して、おかずも基本的に作ってあるのであとは盛るだけ、パンを焼いてチキンライスを軽く炒める間にすべてできてしまう。
その短い間でも、アンの耳は二人の男の会話に向いていた。
サッチは少年課の刑事だというし、かたや一方は怪盗を相手にする警視長で、お互いに仕事の話がかぶるはずもなく二人は一切アンにとって有益な会話をしてくれない。
少し期待したのが馬鹿みたいだと冷めた気持ちになって、でもそれが何となくほっとするような清々しいような気もして、アンは対・客用の自然な笑顔を浮かべてランチセットを給仕した。
 
 
「おお、うまそう」
 
 
つんとスパイスの効いた香ばしいにおいにサッチは鼻をひくつかせてフォークを手に取った。
マルコもサッチと同時におかずを口に運ぶ。
うめぇ、とサッチが唸るように言った。
 
 
「アンちゃん本当にうめぇな、メシ。いい嫁さんになるぜ」
 
 
ハハ、と愛想笑いしか返せない。
サッチはカレー粉で和えたごろごろチキン入りの野菜炒めを一口口に入れて、うんとひとり頷いている。
 
 
「アンちゃん、これ普通に野菜とチキンカレー粉で炒めただけ?もし企業秘密とかそんなんじゃなかったら教えてほしいんだけど」
「ああ、それは炒める前にチキンにレモン汁と塩コショウで下味つけて…あとはふつうに炒めただけだけど」
「へぇ…野菜は何でこんな甘いの?」
「たぶん元がおいしいんだと思う」
 
 
アンが淡泊に答えると、サッチは皿の中身からアンに視線を移してにへっと笑った。
アンがきょとんと目を丸めると、サッチは何が嬉しいのかにこにことアンを見る。
アンは視線の置き場所に困って、下準備をしていた手元の野菜に逃げて適当な言葉を紡いだ。
 
 
「お客さん料理するの?」
「うん、サッチね。するよ、結構すき」
「へぇ、奥さんは?」
「薄給の公務員に添い遂げてくれる女神なんてそういなくてね…」
 
 
一瞬サッチの言葉の意味が分からなくて、アンは会話のテンポを崩した。
しかしすぐ意味を掴み直して少し慌てた。
 
 
「ごめん、余計なこと」
「いーのいーの、警官なんてそんなもんよ。独身寮なんて名前の通りそんなやつらの集まりだぜ、なあマルコ」
 
 
相変わらずマルコはうんともすんとも言わないが、サッチもマルコの返事を求めていたわけではないのだろう、気にした様子はない。
ということはこのおっさんたち二人とも独身で、こうして仲良くつるんでるわけかと少し状況を把握した。
 
アンは下準備の終えた野菜たちをトレーに入れラップをかけ冷蔵庫にしまうと、皿洗いに移ろうとシンクの前に立った。
しかしいつのまにかカウンターを回って厨房側にやってきたサボが、おれやるからとアンの手からスポンジを取った。
アンはきょとんとして、しかしすぐにありがとと場所を譲る。
 
 
「あれ、そういやおにーちゃん前いなかったな、バイト?」
 
 
サッチはフォークを咥えたままアンとサボを交互に見上げた。
ふたりは顔を見合わせて、少し笑う。
 
 
「違うよ、家族。ここうちの3人だけでやってるから」
「へぇ!兄妹?珍しいな、兄弟だけでやってる店なんて」
「お客さん、刑事さんなんだろ?アンが前言ってた」
 
 
ちょっ、と思わず声を漏らしてサボを振り向くと、サボはアンの方を見ることなくサッチに向かってにこにこしている。
アンは思わず隣にいるサボにしか聞こえないほど小さなため息を漏らした。
サボはこういう思いがけないところでしたたかだ。
 
 
「おうそーよ。ってかアンちゃんオレのこと話してくれてたんだなーおじさん嬉しい」
「刑事さんがこの辺にいてくれるなら安心だなって喋ってたんだ。最近物騒だろ?ほら、銀行やぶりとか」
 
 
ごとっ、と切った人参の半分が分厚いまな板から落ちた。
切り口ががたがただ。
 
 
「おうおう、それな。オレァ結構専門外だからいたいけな少年少女をやさしく指導してやるしかできねぇんだけどよ、こっちのマルコさんは、アレだ、ほら、テレビで見たことねぇ?」
「あるある、お客さん警察の偉い人でしょ。『怪盗A対策本部』の」
 
 
愛想のよいサボのにこにこ顔にもマルコは無反応で、少しサボのほうを見ただけであとは食事を続けている。
サッチが代わりに「ごめんな、こいつコミュニケーションのハウトゥーしらねぇんだ」と苦笑いを返した。
サボは気にした風もなく笑顔で首を横に振る。
 
 
「どう?怪盗A、捕まえられそう?」
「まだなんともわかんねぇよなー、なっマルコ」
 
 
サッチが気を利かせたのか、それともその返答が守秘義務のある警察の精一杯なのか、とにかくサッチは肘でマルコを小突いた。
マルコはサッチに応えることなくひたすら咀嚼のために口を動かしていて、このまま無視かと思ったときになって低い声がサボとアンの耳に届いた。
 
 
「捕まえるよい、絶対ェ」
 
 
足元をぐらつかせるような低い声が確かに聞こえて、アンはもう一度唾を飲み込んだ。
 
 
 
 
ふたりが来店したのは14時頃で、二人はゆっくり食事を味わい、アンとサボにちょいちょい会話をはさみつつゆっくり食後のコーヒーを飲んでいたので彼らが店を去ったのは15時半頃だった。
いつもこの時間になると客の数はがっくりと減る。
店を開いて2か月以上たち、そのうわさはまたたく間に広がり多くの人が足を運んでくれたので、店の運営状況を理解してもらうのも早かった。
おかげでティータイムや早いディナーを求めてくる客は減り、いつも15時ごろにはスムーズに店を閉めることができる。
それでも午後に用事を持たない客がランチのあとゆっくりしていくことも少なからずあるので、そういう客を追い出したりはしない。
ゆえに店を閉める時間は特に決めていないので、このときもサッチとマルコが帰った15時半になってようやくデリは閉店した。
 
ふたりとの会話中にサボが食器洗いを粗方済ませてくれたものの、いつもより少し遅い閉店は自分たちの生活にも少し影響が出る。
ルフィが帰ってきたときに夕飯ができていないという事態はできれば避けたいのだ。
学校から帰ってきて、家に上がったときに香る夕飯のにおいは宝物だ。
ルフィにとってはもちろん、アンにとってもサボにとってもそれは大事にしたかった。
だからアンとサボは閉店後、言葉で確認し合うことはなくともなんとなく片づけを急いだ。
客席をざっと片づけて椅子を上げ、厨房の中はひとかけらの野菜クズを残すことなく磨き上げる。
店内の床の掃除はルフィが風呂の前にすると決まっているので、以上で片付けは終わりである。
しかしアンとサボの仕事が終わるわけではない。
アンは次に夕飯の支度にかかり、サボは自分の足でパン屋や雑貨屋に回って店の必需品を調達に行く。
野菜は毎朝届けてもらえるが、これらの品はいつもサボが閉店後直接出向いているのだ。
 
 
「じゃあ行ってくる」
「うん、気を付けてね」
 
 
サボが西日の差す通りの人並に紛れていった。
アンたちの住居の隣の駐車場には、サボのバイクがとめてある。
一か月前は、そのバイクはタイヤが大きくて籠のついた自転車だった。
3人は相談の末、黒ひげから渡された金でバイクを買ったのだ。
普段使いもできるし、有事の際に足があった方がいいという判断である。
今のところバイクに乗れるのはサボだけなので、サボしか使っていないしそれで不自由はない。
ルフィは「オレも乗りたい」とごねるが乗っても精一杯のところサボの後ろだ。
運転免許に年齢制限があるので致し方ない。
この国の免許取得は気の抜けるほど簡単なので、ルフィもそのときが来ればきっとあっというまに免許を取るのだろう。
しかしアンはそんな簡単な免許を取る時間もないし、サボが乗れるのでまあいいかと思っている。
 
この街の人の帰宅は早い。
基本的に大型スーパーやレストランバー以外の小売店は平日なら17時に閉まるし、休日は半日だったりまるっと閉店だったりする。
もちろん夜の仕事の人はこれから出勤だろうし、残業の人もいるだろうが、17時前のモルマンテ通りは基本的に帰宅途中の人でごった返すのだ。
そうして行きかう人々の隙間から、バイクに乗ったサボが店の前を通り過ぎるのが見えた。
 
厨房の水気を隅から隅まで拭き取ったアンは、ようやく頭のバンダナを取った。
同時に髪を止めていたダッカールピンを外すと髪が音を立てて肩に落ちて、途端に汗で湿った首すじに貼りついた。
そのなんとも言えない気持ち悪さに顔をしかめながらエプロンも外す。
店の中は一応冷房で冷やされているが、片づけが粗方終わった時点で切ってしまったので既に熱い空気がたまっていた。
なんとなく伸ばしているだけなら切ろうかとも思うが、黒ひげとの仕事中にあのウィッグをつけていることを思うと、実際とのギャップが必要だ。
そう思うと踏み切れず、きっとこのまま伸ばし続けるのだろうとも思っている。
あと4か月ほどすれば、写真の母さんと同じくらいの髪の長さになるだろう。
 
アンは店の売り上げが入った箱を持ってカウンターの外側に出た。
シャッターのかぎが閉まっていることを確認し、反対に出入り口が開いているのを確認する。
そして二階の自宅に上がろうとカウンターの前を横切ったとき、つま先にコンと何かが当たりそれは床の上を滑って壁にぶつかった。
 
 
「わっ」
 
 
なんだ? と視線を下げると、手のひらサイズの紺色の手帳が壁の手前に落ちていた。
アンは慌てながらも慎重に金のつまった箱を客席において、手帳を拾い上げた。
サボがこんなものを持っていた覚えはないのできっとお客さんの忘れものだろう。
掃除は客席の上と厨房しかしていないので、カウンターの下は死角になっていてアンからは見えないし椅子に隠れてサボからも見えなかったのかもしれない。
手触りのいい柔らかいレザーの表紙を手で払って埃を落とす。
常連さんので取りに来てくれるといいけど、と考えてからハッとした。
 
アンが手帳を蹴ってしまった場所は、ちょうどマルコが座っていた席の後ろだ。
そしてその椅子の背にマルコは上着をかけていた。
その上着からこの薄い手帳が落ちたとしても、あの時のざわめきに紛れて気付かないのは十分あり得る。
もしかしたらサッチのかもしれない。
それでもなんとなく、いやほぼ確信に近く、アンはこれはあの男のだと思った。
あの静かな男は、この深い紺色を選ぶ気がした。
マルコのことをまだ何も知らないのに、どうしてそんな気がするんだろうと胸がざわつく。
そしてまた別の意味で胸が騒いだ。
 
もしこれが仕事の手帳ならば、なにかアンにとって有益なことが記してあるかもしれない。
そんな秘密事項を記した手帳をただ昼飯を食べただけの場所で落とすようでは警察幹部など務まらないかもしれないが、ありえないことではない。
アンは手帳を両手で挟むように持って、そっと出入り口の方に目をやった。
誰が来るはずもないのに、人目をはばかってしまう。
アンは手帳の表紙を捲った。
 
1ページ目は白紙。
もう一枚を繰って、ぎょっとした。
細かい字がぎっしりと、それはもうアリの大群のようにぎっしりと詰まっているのだ。
しかも下手な字ではないが特徴的な書き方の上に筆記体の文字は非常に読みにくい。
アンはいちばん上端の文字から読み始めてさっそくげんなりした。
しかし書いてあるのはどうも単語の羅列や数字だったり、時刻だったりがほとんどだ。
「PM5.20」や「○○駅前」というどう見てもただ覚えておかないことを走り書きするだけのためのメモらしい。
簡単な言葉ばかりなのにきちんとメモをするのはオッサンの特徴だろうか。
アンはがっかりしたような、それでもすこし安心したような中途半端な思いでメモを閉じた。
サッチはまた必ず来るといっていた。
アンもそんな気がしている。
そしてそのときはきっと、マルコを連れてくるだろう。
寡黙な男でサッチの言動を鬱陶しがっているが、アンの店にいやいや来ているようには見えなかった。
コーヒーもおいしいといってくれた。
ごはんも残さず食べてくれる。
きっとまた来てくれるだろう、それまで保管しておこうとアンはとりあえずそれを自分のジーンズのポケットに皺にならないよう突っ込んだ。
 
そしてはっとして時計を確認した。17時を回っている。
今日の朝、自宅用の冷蔵庫を覗いたとき牛乳が足らないなと思ったのを思い出して、アンは急いで売り上げを自宅の鍵のかかる部屋に保管して、一息を入れる暇もなく買い出しに家を飛び出した。
 
 
 

 
家から一番近いスーパーまで歩いて15分ほどだ。
基本的に移動手段は公共交通機関か自分の足しかないアンは、せっせと歩いてスーパーに向かう。
スーパーは夜の9時ごろまでしているので慌てることはないが、急ぐ理由はこっちにある。
18時前にサボが帰ってきて、18時半にルフィが帰ってくるから、のんびりしていると二人を待たせてしまう。
待てといったら文句を言いつつ待つだろうけど、牛乳の買い忘れはアンのミスなのだからできれば影響させたくない。
ゆえにアンはせっせと足を動かして10分ほどでスーパーについた。
真っ先に乳製品コーナーへ足を向けて、2リットルのボトルを2本カゴに入れる。
それで用事はさっさとすんだのだが、習い性というか職業病というか、アンの目は食材を吟味していた。
主婦の性のような自分の癖に少し苦笑いのようなものが漏れる。
だが急いでいることに変わりはないので、アンは牛乳と、サボの好きなメーカーのボトルコーヒーとルフィのお弁当の材料を少し買って店を出た。
 
計5リットルの飲料と食材を1つのビニール袋にまとめていれると相当な重さだったが、基本的に野菜のつまった段ボールを自身で移動させているアンにとってはたいした労働ではない。
それよりそろそろサボが帰っているかもしれないと思うと気が急いだ。
時刻は18時少し前だ。
夏になると日が落ちるのが遅いこの地域では、初夏の今はいちばん日没が遅いころだろう。
西の方が少しオレンジに滲んでいるが、真上はまだ青い。
通りの人通りはピークより少し減り、まだ歩きやすい方だ。
アンは流れる汗で貼りつく髪を片手で後ろに払いながらせっせと歩いた。
 
 
「アン」
 
 
ふと名前を呼ばれた気がして立ち止まり、あたりを見渡した。
突然足を止めたアンに、アンの後ろを歩いていた男性が迷惑そうに避けて通り過ぎていく。
きょろきょろと辺りを見渡しても、アンの周りの人々はアンを追い越していくか前から通り過ぎていくだけで誰も足を止めないし、見知った人も見当たらない。
車道に車は少なく、路上駐車が禁止区域でない限り一般的な街なので、アンの近くにも車が2台止まっているだけだ。
知った声ではなかったし気のせいか、とアンが再び足を進めたそのとき、今度は少し慌てたような声がまたアンを呼んだ。
気のせいじゃない。
アンは今度は的確に声のした方を振り向いた。
 
車道の端、歩道に身を寄せるように停まった2台の車のうち前に停まった黒い車。
黒光りするボディと程よい車高のその車の運転席の窓を見て、アンは思わずアッと声を上げた。
人の間を縫って慌てて駆け寄る。
マルコは半分ほど開けていた窓を全開にした。
 
 
「今お前さんの店に行ったんだけどよい、もう閉まってたから今日は無理かと思ったよい」
 
 
ふっと、マルコは息を吐くついでのように少し目元を緩めた。
サッチと一緒のとき、店で見るときとは少し雰囲気が違う。
上着は来ているけど、ネクタイは少しゆるくて、ハンドルにかかる片手はこの男らしくどこか気だるげで…
 
 
「お前の店に忘れもんしちまったかもしれねぇんだが」
「あっ、あの、これ?」
 
 
慣れない奇妙な雰囲気にのまれかけていたアンは、ハッとしてポケットに入れていた手帳を取り出した。
マルコが驚いたように手帳に目を止める。
 
 
「持ってたのかい」
「さ、さっき店閉めるときに気付いて、お客さんのかなって思ったからとっとこうと思ってポケットに入れて、そのまんま買い物に、」
 
 
マルコは手帳を持つのとは反対の、下に伸びた買い物袋を下げたアンの右手を見下ろして、「ああ」と言った。
アンは少し屈んでマルコに手帳を差し出した。
 
 
「ありがとよい」
 
 
マルコは手帳を受け取って、それを上着の胸ポケットにそのまましまう。
暗い灰色から少し覗く紺色のそれは、あるべき場所に戻って落ち着いて、色の深みを増したように見えた。
 
 
「じゃあ」
 
 
アンはぺこりと少し頭を下げて歩き出した。
しかしすぐに、「アン」と名を呼ばれる。
不思議な響きがした。
サボやルフィが呼ぶのとは違う。
サッチが「アンちゃん」と嬉しそうに呼ぶ声とも違う。
この短い時間の間で3回よばれた自分の名前が別の響きを持ってふわりとアンに寄り添った。
アンが振り向くと、マルコは顔の横で自分の隣、右側の席を指さした。
 
 
「礼だ。送ってくよい」
「や、でも反対方向…」
「車なら5分もしねぇだろい。乗れ」
 
 
軽いのに、有無を言わせない響きを持つ。
普通に街で暮らしていればあまり関わることのない、人の上に立つ人間の声だ、と思った。
言葉だけをとれば命令口調のそれに従わざるを得ないような気分にさせるのはこの男がそれなりの人徳を積んでいるからで、アンはそれじゃあと呟いて後部座席のハンドルに手をかけた。
 
 
「あー、後ろはちょいと荷物が乗ってるからよい、悪ぃがこっちに回ってくれねぇかい」
 
 
マルコが再びちょいちょいと助手席を指さした。
暗いスモークガラスの向こうはよく見えなかったが、アンは言われた通り車道側に回って車が来ないのを確認し、ドアを引いた。
 
 
「重っ」
 
 
八百屋のおっさんがついでに送ってくれるときの大衆車のドアの重さを想像していたアンは、逆にドアに引っ張られるほどのその重さに目を剥いて思わず声が漏れた。
マルコが苦笑するような顔をしてアンに手を伸ばした。
やっとのことでドアを開けたアンは、マルコのその仕草に首をかしげる。
見たことのない顔でアンに手を差し伸べるマルコは、端的に「荷物」と言った。
 
 
「あ、あぁ、ありがとう」
 
 
慌てて5リットルのボトルが詰まった袋を両手で引っ張り上げて体より先にマルコに手渡す。
マルコはそれを片手で受け取り引き寄せた。
 
 
「おじゃまします…」
 
 
アンはそろそろと車内に踏み入れて、今度は重さを覚悟してドアを手前に引く。
重さに見合った音ともにドアが閉まった。
車内に入った瞬間、冷えた冷気と共に、うわっと思わず少し顔をしかめるほど煙草の匂いがアンにまとわりついた。
もしかしたら少し顔に出ていたのか、マルコは苦笑しながらアンに袋を差し出した。
 
 
「悪ぃな」
 
 
何を、と言わないのでやはり顔に出ていたのだろう。
少し気まずい思いでアンは買い物袋を受け取った。
皮張りのシートは深く、おしりが安定して座りやすい。
「ベルト閉めろよい」と律儀に言うマルコに従って、アンはシートベルトをおずおずと引っ張った。
その間マルコは運転席と助手席の間にある備え付けのボタンやハンドルを押したり回したりして少しの間かちゃかちゃいじっていた。
そしてアンがしっかりシートベルトを締めて、膝の上に乗せた買い物袋を抱えているのを確認してから、すっと車を発進させた。
 
マルコはまず反対方向に進み、アンが買い物をしたスーパーに車を入れ方向転換をしてアンの家へ向かった。
アンは車が発進してすぐ、たいしてスピードも出ていないのにおしりがすべってずり落ちそうになったことに驚いた。
本革のシートに座ったのなど初めてなので、すわり心地はいいのに安定は悪いというそのちぐはぐさに焦る。
よってアンは右手で買い物袋を抱え、左手でシートを掴んでおしりが動かないようにするといった落ち着かない格好でどうにか耐えた。
 
自分の座席の安定に精一杯だったアンは、ふうと位置を固定してから会話のない車内の空気に気付いてしまい、今度は別の意味で落ち着かなくなった。
通り過ぎていく見慣れた景色を見るふりをして、運転席の男の顔を覗き見た。
 
奇妙な髪型。サボの髪より暗めの金髪。細い目と高い鼻。あごひげ。喉仏。
スーツ。薄い水色のシャツ。ハンドルを握る手。分厚いのに長く節くれだった指。
くっ、と押し殺したような声がして、マルコの肩が揺れた、
 
 
「お前さんのまわりにゃあ、こんなおっさんはいねぇのかい」
 
 
随分もの珍しそうに見てくれるよい、とマルコは口角を上げて、もう一度くくっと喉を鳴らした。
覗き見たつもりが、いつの間にかじっと観察してしまっていた。
アンが口を開けてぱくぱくと空気を吐き出し、出ない言い訳にまた焦っているうちに車はアンの店の前に停車した。
アンはこれ幸いとドアに手をかけた。
 
 
「あ、ありがとう」
「いやこっちこそ」
 
 
気を付けてドア開けろい、と言った顔はまだ笑いの余韻が残っている。
アンはおたおたとシートベルトを外し、車が通らないのを確認して外に出た。
ドアを閉める前にもう一度ぺこりと少し頭を下げる。
マルコはそれを見て、微かに口元を緩めた。
アンが車の後ろを回って歩道側に立つと、車はゆっくりと発信して遠ざかっていった。
薄い橙色と白と水色のグラデーションが広がりつつある空の下で、アンは重たい荷物をぶら下げて、サボがアンを心配して外に様子を見に来るまでそこに立っていた。
 
去りゆく車を見ながら気付いたことに愕然としたのだ。
マルコの隣に座っている間、自分とあの男が絶対に相容れない立場にいることを忘れていた自分に、愕然とした。
 
 



拍手[21回]


【わがままな男】
 
 
港町というのは魚市場が多く、ゆえに集まる動物は決まっている。
今回麦わらの一味が停泊した街も、絶えずどこからか猫の鳴き声が聞こえていた。
しかしいざログもたまったさあ今夜出航だというその時になって、その鳴き声が彼らの足を引っ張った。
悪いのは猫ではなく彼らの船長である。
ルフィは両手のひらで囲うように黒い毛玉を抱いて船に登った。
 
 
「ダメよ」
 
 
ぴしゃりとナミの声がルフィの嘆願を断ち切った。
 
 
「なんでだよ!」
「当たり前でしょう、動物なんて飼えるわけないわ。エサ代だってバカにならないし…それにいったい誰が世話するのよ。敵襲だってあるのに」
「オレが全部面倒見るぞ!」
「子供はみんなそういうの。さ、早くもといたところに返してきなさい」
 
 
ナミはそれっきりふいとルフィに背を向けて、雲行きを読みに甲板先へと歩いて行った。
ルフィはむっと顔をしかめて、手の中の毛玉を見下ろした。
ルフィの足元でチョッパーが飛び跳ねた。
 
 
「ルフィっ、おれにも見せてくれっ!」
「おぉ、ほら」
 
 
ルフィがしゃがみこんで手の中の毛玉をチョッパーの眼前に示す。
にう、と小さく鳴いたそれはルフィの手の中でもぞもぞと動いて、ぴくんと小さな耳を震わせた。
 
 
「小さいなー…ルフィ、この猫まだ赤ん坊だ!」
「近くに親いなかったんだ。はぐれたのかもしれねぇ。なんか言ってねぇか?腹へったとか」
 
 
チョッパーは小さな黒猫に顔を寄せて耳をそばだたせた。
しばらくのあいだそうしていたが、んん?と唸って首を横に振る。
 
 
「まだ赤ん坊すぎるのかなあ、何言ってるのか全然わかんなかった。でもこんな仔猫だし、腹は減ってるかも」
「そうか!」
 
 
ルフィはパッと顔を明るくすると、きょろりと辺りを見渡してナミの隣でしきりと腰をくねらせているサンジを呼んだ。
 
 
「サンジ!この猫になんか食うもんやってくれよ!」
「あぁ?猫?」
「ちょ、ダメよサンジくん!餌付けたりしたら離れなくなっちゃうわ!」
「いいじゃねぇか、なぁー?」
 
 
ルフィは手の中の猫を危なっかしい手つきで甲板の上にそっと下した。
猫はぽろんと転がるように甲板に尻もちをついてから、ふにゃふにゃとした足取りで立ち上がった。
 
 
「あ」
「あ」
「あ」
 
 
その場にいる3人が同時にまぬけな声を上げた。
とてとてと歩き出した仔猫には、左の後ろ脚がなかった。
 
 
 
【冷たい女】
 
 
「ちょっと、この猫足が」
「ルフィ気付かなかったのか?」
「丸くなってんの拾ってきたから、全然気づかなかった。でもすげぇ、ちゃんと歩いてる!」
「へぇ、可愛いもんだな」
 
 
3本足の猫はサンジの足元へと歩み寄り、何人もの輩を弾き飛ばした黒い足にすいと顔を寄せた。
サンジはすっとしゃがみこんで猫の小さな顎の下を指で擦る。
するとノラとは思えない人懐っこさで、仔猫はその指に頬を擦りつけた。
サンジの頬は知らずと緩む。
それを見て、ルフィは満足げにうなずきナミはさらに顔を険しくした。
 
 
「よし、やっぱこの猫飼うぞ!」
「バカルフィ、ダメって言ったでしょう!?」
「じゃあメシだけいっぱい置いてってやる!」
「懐かれたら困るじゃない!」
「でもナミさん、」
「サンジくんも!飼えるわけじゃないんだから餌なんかやっちゃダメ!だいたい親がいたかもしれないんだから、ノラ猫なんか拾ってきたらいけないのよ」
 
 
サンジはう、と言葉に詰まって眉を下げたままナミを見上げた。
ルフィがフンと鼻息を荒くして仔猫を掬い上げた。
 
 
「ナミはケチだ!つめてぇ!オレはこの猫にメシをやる!」
 
 
ナミはルフィをキッと睨みつけると、ルフィと同じようにフンと息をついて顔を背けた。
 
 
「勝手にしなさい!」
 
 
ぷりぷりと湯気を立てながら、ナミは船室の中に足音高く入っていった。
ドアが荒々しい音を立てて、甲板の床が少し震えた。
 
 
 
【見境のない男】
 
 
「あぁー、ナミさぁん…」
 
 
サンジが情けない声で、ぴっちりしまったドアの向こうへ呼びかける。
そしてはぁと浅いため息をついてズボンのポケットからお決まりの精神安定剤とマッチを取り出し、火をつけた。
 
 
「むやみにナミさん怒らせるようなこと言うんじゃねぇよ」
「オレは悪くねぇ!サンジ、コイツの飯作ってくれよ!」
「あーあー、分かってるよちょっと待ってろクソザル」
 
 
よし!と素直に笑ったルフィは、手の中の仔猫を高く持ち上げて見せた。
黒い毛はノラらしくぼさぼさと毛羽立っていた。
 
 
「じゃあ今からお前のエサ入れ、ウソップかフランキーにでも作ってもらうか!」
「オ、オレもいくぞ!」
「おいちょっと待て、そんな仔猫べたべた触るもんじゃねぇ。人間の力なんざそんなちびた猫にとっちゃあすげぇ衝撃なんだぞ」
「お、そうなのか」
 
 
ルフィは慌てておたおたと仔猫を床に下ろした。
仔猫はのんきにあくびをし、ぱちぱちと黄色い目をしばたかせている。
 
 
「んじゃあおれらがウソップたちのところ行ってる間、コイツのこと任せたぞ!」
「は?」
「よしチョッパー行くぞ!」
「おー!」
「おい、ちょっと待っ」
 
 
サンジの続く言葉は、さっさと駆け出してしまった二人の背中に届くことなくぽとんとそのまま床に落ちた。
仔猫がみうみうと高い声で鳴く。
それがまるで自分を呼んでいるように聞こえて、サンジはため息とともに仔猫をそっと掬い上げた。
 
 
 
食堂の扉を開けると、テーブルにはナミが座っていたので一瞬足を止めてしまった。
それに目ざとく目を止めたナミは、何よと剣呑な声で聞く。
サンジは苦笑でごまかした。
片手に問題の仔猫を持っているのが何とも気まずい。
 
 
「いやあ、ナミさん部屋戻ったのかと思って」
「いいでしょ別に。喉乾いたの」
「すぐに何かお作りしますっ」
 
 
サンジはせかせかと歩いて、食堂の隅にあったじゃがいもの空き箱に仔猫を入れた。
しばらくここにいなおちびさんと小声で言いつけると、応えるように猫が鳴く。
サンジはすぐさまナミのためにみかんを絞りにかかった。
 
絞りたてのオレンジスカッシュを差し出すと、ナミは小さくありがとうと言って受け取る。
ナミのほうも幾分気まずそうな顔つきである。
その様子に少しほっとしながら、サンジは小皿にミルクを注いだ。
それをじゃがいもの空き箱の中に置くサンジの横顔を、ナミは小さく音を立てて冷たい飲み物をすすりながら眺めた。
 
 
「…サンジくんが猫好きなんて知らなかったわ」
「へ?や、別にそういうわけでもないんだけど」
「お腹すかせてたら放っておけないって?」
 
 
サンジは困ったように眉を下げて笑った。
 
 
「…ほんっと、デレデレしちゃって…」
「なに、ナミさん妬いた?」
「調子にのんじゃないわよバカ」
 
 
それでもサンジはデヘデヘとだらしなく目元を緩めて、そうかそうかと満足げにうなずきながら仔猫を撫でる。
ナミが否定する気も失せてため息をついたとき、食堂の扉が開いた。
 
 
 
【苦手な男】
 
 
「おや」
「あらブルック、」
「よう」
 
 
サンジとナミが現れたブルックに声をかけたにもかかわらず、ブルックは第一声を発したきり再び扉を閉めようとした。
 
 
「え!?ちょっとブルック、」
「おいおいなんなんだよ」
 
 
慌てて二人が声を上げると、狭く開いた扉の向こう側からブルックが少し顔を覗かせた。
 
 
「ヨホホ、いや、若いお二人の邪魔をしてしまったのかと思って」
「ああ、気が利くなブルック」
「バカ!ブルックも、変な気遣うんじゃないわよ」
「いいんですか?」
「いいもなにも、当たり前でしょ!」
 
 
ホラ早くとナミに急かされて、ブルックは「それでは」と扉をくぐった。
 
 
「んで、どうしたブルック」
「いえ、紅茶でもいただこうかと」
「ああ了解、座ってな」
 
 
すいませんサンジさん、と続こうとした言葉は、みゃうとか細い声が部屋の隅から聞こえたことにより飲み込まれた。
サッとブルックが身を固くした。
 
 
「ちょっと、今なんか聞こえませんでしたか」
「ああ、それならそこに猫が」
「ご冗談を。海賊船に猫がいるはずありませんでしょう」
「いやいやそれがな、さっきルフィの奴が」
 
 
みゃうみゃう。
 
ブルックがヒッと小さく声を漏らして骨の身体を文字通りますます固くした。
 
 
「…もしかしてブルック、猫嫌いなの?」
 
 
ナミが意外気に尋ねると、ブルックはこくこくこくと懸命にうなずいた。
 
 
「ね、猫だけはどうも昔から苦手で、というかアレルギーなんです、猫アレルギー」
「え、ほんと?大変、」
「ええ、猫が近くにいると体中痒くって痒くって…」
 
 
そこまで言って、本人も気付いたのか「あ」と声を漏らした。
 
 
「お前痒くなる皮膚ねぇだろ」
「ヨホホホホそうでした!!」
 
 
陽気に笑ったブルックは、しかし猫の潜む箱には近づこうとせず、一番遠い席に腰を下ろした。
 
 
「とはいえやはり、数十年苦手としてきたものと突然和解するのは難しい」
「そうね」
「今でもまだ気持ち的に痒いです」
「なんだよ気持ち的に痒いって」
 
 
サンジが呆れた声と共にブルックの前にティーカップを置いた。
ありがとうございますとブルックが深々頭を下げてカップを手に取ったとき、また台風のように騒々しい男がネコー!と叫びながら食堂の扉を開けた。
 
 
「うるっさいわねぇ」
「サンジッ!猫は?」
 
 
バタンと大きな音と共に部屋の中に飛び込んできたルフィは、顔をしかめたナミを気にも留めずきょろきょろと床の辺りを見渡した。
 
 
「バタバタすんじゃねぇ、埃が立つだろうが。猫はオラ、そこにいる」
「お、ほんとだ」
 
 
ルフィはひょこひょこと猫のいる箱まで近づくと、よいせと箱ごと持ち上げた。
ブルックが心なしかほっとしたような顔をする。
猫はルフィの到来に、びっくりしたように目を丸めた。
 
 
「どこ持ってく気?」
「ウソップがな、飼えねぇなら街で代わりの飼い主を探せばいいって言うからよぉ。ちょっくら探してくる!」
「探してくるっつったってお前、んな簡単に見つかるかよ。ただでさえ猫の多い街だ」
「いいんだ、おれはやる!」
 
 
猫の箱を抱えたまま、勇んで出かけようとするルフィをナミがちょっと待ってと呼び止めた。
 
 
「そういえばアンタ、まだ服出してないでしょう。ほつれたところ直してあげるから出しなさいって朝言ったのに」
「えぇー、いいよぉめんどくせぇ」
「バカ言ってないでさっさと選んで持って来なさい。他の奴らのはもうみんな直しちゃって、アンタのだけなのよ。ただでさえ無茶するからボロボロなのに」
「新しいの買えばいいだろ」
「冗談」
 
 
ハッと吐き捨てたナミの顔を見て、ルフィは反抗する言葉を飲み込んだ。
新しい服も靴も装飾品も、男連中より圧倒的に買う頻度が多いナミにそれについて反論することは無駄だとさすがのルフィも学習済みである。
ルフィはぶすくれた顔で、「じゃあこいつはウソップに預けてくる」と不満げに言った。
 
 
「そうしてちょうだい」
 
 
あーあつまんねぇ、とこぼしたルフィは渋々と猫の箱を抱えたまま食堂を後にした。
仔猫は箱の中で振動に揺られてコテコテ転がっていた。
 
 
 
【本当を言わない男】
 
 
「というわけで、だ」
 
 
ウソップは猫の箱を抱えて、ひとり波止場に突っ立っていた。
ルフィに押し付けられて、つい「お、おう」と受け取ってしまうのはいつものことだ。
ウソップはいつだってルフィの勢いに巻き込まれてしまう。
それを見ていたチョッパーが、オレもいくとウソップについて一緒に船を降りた。
行くかと互いに頷き合って、二人は街へと歩き出した。
 
 
「飼い主、みつかるかな」
「さあなぁ…親がいりゃあ一番いいんだけど」
「黒猫の親は黒猫か?」
「やー、そういうわけでもないんじゃねぇの」
 
 
チョッパーは、「オレがちゃんと言葉分かればいいんだけど」と心なしかしょんぼりと耳を垂らした。
ハハッとウソップは明るく笑う。
 
 
「人間だって赤ん坊が何言ってるかなんてわかんねぇだろ。気にすんな」
 
 
さあ一軒目だ、とウソップは適当に目を付けた家の戸をノックした。
 
 
「猫なんて飼わなくてもそこらじゅうにいるしねぇ」
「あら黒猫じゃない、だめよ黒猫は」
「まだこんなに小さい猫、どうして拾ったんだ」
「足がたらないんじゃ、ネズミも取れないから」
 
 
手当たり次第声をかけた家の主は、みな口を揃えてこのようなことを言って渋い顔をした。
箱を抱えて歩くウソップも、そのあとをついていくチョッパーも次第に士気が下がってくる。
こんなことをしていると自分が海賊であることを忘れてしまいそうだ。
箱の中の猫は自分が渦中にいるとは知らず、ミルクで満たされたおなかを抱えて丸くなっていた。
 
 
「よし、次こそ決めるぞ」
「おぉ、ウソップなんか作戦があるのか!?」
「あぁ任せとけ」
 
 
ウソップは町のはずれの大きな一軒家の戸を叩いた。
扉を開けた使用人らしき若い娘の鼻先に、ウソップはずいと猫を突きつけた。
使用人はぱちぱちと瞬いた。
 
 
「突然すまねぇオレはとある旅の男なんだが、この子猫の親猫と一緒に旅をしていてな。少し前にその猫からこいつが生まれたんだが、生まれながらにして足が一本足りてねェ。そんなこいつを薄情な親猫は見捨てちまって育てなかったんでおれがここまでこいつを育てた。しかし足の不自由なこいつを旅に連れていくことができねぇんだ。どうかこいつをオレの代わりに養ってやってくれないか。こんな大きなお屋敷のご主人ならさぞ心も広かろうと思ってこうして頼んでるんだ、どうか頼むよ」
 
 
とウソップが一息に喋るのを、使用人の娘も隣のチョッパーもぽかんと見つめて聞いていた。
よくもここまでぺらぺら口が動くものだとチョッパーが感心したその時、使用人の娘はふと目元を緩めながら猫の顎を擦った。
 
 
「かわいい」
 
 
仔猫はごろごろと喉を鳴らす。
これはきた、とウソップとチョッパーがぐっと拳を固めたそのとき、娘は「でもごめんなさい」と悲しそうに眉を下げた。
 
 
「うちのご主人は、猫がお嫌いなんです」
 
 
猫を敷地内に入れたら私が怒られてしまいます、と使用人は何度も頭を下げつつも早々と大きな扉を二人の目の前でぴしゃりと閉めてしまった。
ウソップもチョッパーも、ぬか喜びのむなしい余韻を握りしめてしばらくの間呆然と玄関口に立っていた。
 
 
「…帰るか」
「うん…」
 
 
ウソップは猫を箱の中に戻して、チョッパーと二人、とぼとぼ港の方へと下っていった。
 
 
【子供すぎる男】
 
 
船のタラップを上がると、日陰になった芝生の上でゾロが大いびきをかいていた。
船を降りたときにもここにいた気がする。
まったく平和なヤツだとウソップは隠すことなく大きなため息をついた。
チョッパーは箱の中から猫を取り出すと、芝生の上にそっと下ろした。
 
 
「ナミが飼ってもいいって言ってくれればなー…」
「そりゃあねぇよ。多分」
 
 
そういうと、チョッパーは少しむっとした顔つきでウソップを仰ぎ見た。
 
 
「なんでだよっ」
「だってナミの言うことは全部もっともだ。うちは貧乏だし、敵襲のときとか猫がいたら大変だろ」
「でもこんな小さい猫、ここにおいて行ったらすぐに死んじゃうぞ」
「…弱肉強食ってやつかなぁ」
 
 
チョッパーは納得のいかないと言った顔でうつむいた。
断固として飼わせてくれないナミも、早々と諦めてしまったウソップもみんなみんな冷たい。
船室で飼えばいいじゃないか。
おれたちが守ってやればいいじゃないか。
こんな小さな仔猫一匹くらい、人間離れした奴らが集まるオレたちなら簡単に守ってやれるじゃないか。
 
 
「アァ?なんだこいつ」
 
 
むすりと口を引き結んでいたチョッパーは、少し先から聞こえてきたゾロの声にハッと顔を上げた。
上体を起こしたゾロは仔猫の首元をつまんで顔の前まで持ち上げていた。
いつのまにか仔猫が自分で歩いて行ってしまったらしい。
 
 
「うあっ、ゾロっ、そんな持ちかたしちゃだめだ!」
「なんだ、こいつお前のかチョッパー」
 
 
チョッパーが慌ててゾロのもとへ走り寄ると、ゾロはぱっと猫をつまんでいた手を離した。
チョッパーがひっと息を呑む。
しかし仔猫は空中でひらりと身を返して、3つの足ですたりとゾロの膝の上に着地した。
 
 
「ルフィが拾ってきたんだ」
 
 
ウソップがチョッパーの後ろから声をかけた。
ゾロは興味なさそうに膝の上の黒い毛玉を見下ろしている。
 
 
「ナミが…飼っちゃダメだって」
「あたりめぇだ、こんなちいせぇの」
 
 
ゾロは固い指先で仔猫の頬に触れた。
ここでも猫は物おじせず、ゾロの指にすり寄っている。
しかしチョッパーはゾロの例に洩れない言いように、やはりむっと眉を寄せた。
 
 
「んで、コイツぁどうする気なんだ」
「それがよ、代わりの飼い主探しに行ってたんだけど見つからなくて」
「てめぇらも大概暇だな」
「年中寝太郎のお前に言われたくねぇよ」
 
 
サンジだったら食って掛かるところをウソップの言葉であればゾロは必要以上に波立たせない。
ゾロは「違いねぇ」と笑った。
 
 
「じゃあちょっとゾロ、その猫預かっといてくれよ。みんなにどうすればいいか相談してくるから」
「おぉ、そうしてくれ。そいつもお前の膝の上が寝心地良さそうだし」
 
 
ハッ?と怪訝な顔をするゾロを残してチョッパーが、そしてウソップがひらりと手を振って歩き去っていく。
仔猫はゾロの膝の上であくびを一つして、くるりと身体を丸めて眠りの体勢に入った。
ゾロは去っていく二人の背中を眉を眇めて見つめ、それから膝の上の黒い毛玉を見下ろして、まぁいいかと再び身体を倒したのだった。
 
 
 
【言葉の足りない男】
 
 
潮風がさわさわと髪を撫でる。
すっかり寝落ちていたゾロの顔の上に、軽い重みがとさりとのしかかった。
埃臭いような獣くさいような何とも言えない匂いが鼻を塞ぐ。
ゾロはアァン?と不機嫌な声を発して目を開けた。
とたんに瞼の上に弾力のある小さな肉球がのしかかる。
 
 
「うおっ、なんじゃぁこいつは」
 
 
ゾロが慌てて上体を起こすと、仔猫はコロコロとゾロの身体の上を転がって再び膝の上に着地した。
そういえばこんなのいたな、とゾロは寝落ちる前の出来事を思い返した。
あたりを見渡しても誰もいない。
いい天気だというのに全員船室に引きこもりと見た。
ルフィでさえいないのは珍しいな、とゾロはそこはかとなく考えながら大きな欠伸を一つした。
 
 
「あら、可愛かったのに」
 
 
起きてしまったの、と鈴のような声が左側から聞こえた。
少し離れたところで、ロビンは欄干にもたれて本を広げていた。
 
 
「…テメェいたのか」
「あなたがあんまり気持ちよさそうにそのこと寝てるから、うらやましくて」
 
 
いい天気ねとロビンは空を仰いだ。
つられてゾロも顔を上げた。
海鳥が旋回している。
 
 
「他の奴らは」
「部屋でその子について会議でもしてるんじゃないかしら」
「会議っつって…こんなもん置いてくしかねぇだろ」
「そうね」
 
 
ロビンはゾロの言葉を淡泊に受け止めて、ぺらりと本のページを捲った。
ゾロは何となく、その白い指の動きを横目で追う。
 
 
「心配だものね」
「何の話だ」
「その子の話よ」
 
 
オレはなにも言ってねぇ、というとそうかしらとロビンはゾロのほうを見ることなく微笑んだ。
なんとなくゾロは舌打ちを漏らす。
 
突然仔猫がすっくと立ち上がった。
転がるようにゾロの膝の上から芝生へと降り立つと、ぽてぽてとロビンの方へと歩いていく。
 
 
「あら」
 
 
ロビンが本を閉じた。
仔猫は何か言うように、ロビンの顔を見上げてみゃあと鳴いた。
ロビンは仔猫に手を伸ばして、しかし触れる寸前で少しためらう。
ゾロが目を細めた。
 
 
「…お前、猫嫌いなのか」
「いいえ、違うわ。少し…小さすぎるから」
 
 
怖いわ、と小さく呟いてからそっと猫を抱き上げた。
その指の動きは、本を触っている時のようになめらかで柔らかい。
 
 
「悪魔の女が猫にびびんのかよ」
「あら、酷い言いようね」
 
 
ロビンは抱き上げた仔猫を、鼻と鼻がくっつくくらい近くまで持ち上げた。
 
 
「でも黒猫は魔女につきものよ。似合うでしょう」
 
 
ゾロが口を開いたそのとき、ドカドカと荒々しい足音が甲板にいくつも降り立った。
 
 
 
【鉄でできた男】
 
 
ある男は手にサーベルを、またある男はハンマーを、とあらゆる武器を手にした海賊風情の男たちが下卑た笑いと共に甲板に足を下ろしていた。
その数ざっと30人ほど。
芝生の上に座り込んでいたゾロとロビンは、きょとんとその男たちを見つめた。
 
 
「海賊かしら」
「同業者だな」
「もう出航だって言うのに」
「こりゃ夜まで待ってられねぇな」
「ゾロひとりでお願い」
「テッメェ、いっつもいっつも押しつけやがって」
「平気でしょう」
「一人たのしそうに傍観するなと言ってんだ」
 
 
ゾロとロビンがまったく腰を上げようとせずにふたりでぽんぽんと会話を進めていく様子に、敵襲を仕掛けたはずの海賊たちは一瞬虚を突かれたようにたじろいだ。
しかし次の瞬間には熱気を振りまいて威勢のいい声を上げた。
無視するな、相手しろ、と騒ぐ声は大きさを増し、船室の扉がばたんと開いた。
 
 
「ぎゃぁっ、敵襲だ!」
 
 
大きな物音を不審に思ったらしいウソップが、目の前に突如現れた30人のむさくるしい男たちの姿を見て叫びを上げた。
なんだなんだとルフィたちが船室から飛び出す。
ロビンがふふっと笑った。
 
 
「取られちゃうわよ、獲物」
「おかしな言い方すんじゃねぇ。ったく、真正面から突っ切ってきやがってあいつらバカか」
 
 
たとえ寝込みを襲ったところで切り捨て御免なのは確実であろうが、ゾロは呆れたように息をついた。
ロビンは抱き上げていた仔猫を芝生の上に下ろす。
 
 
「それじゃあさっさと片付けてしまいましょう」
 
 
ふわりと花の香りが鼻腔をかすめる。
ゾロが柄に手をかけたのと、ルフィが「戦闘だぁ!!」と嬉しそうに叫んだのは同時だった。
 
 
 

 
 
ルフィが殴り飛ばした男が飛んで行った先は、ちょうど買い出しから帰ってきたフランキーのちょうど鼻先だった。
 
 
「ウォウ!あっぶねぇなルフィこの野郎!」
「おうおけーりフランキー!」
 
 
ルフィが陽気に手を上げる。
フランキーが甲板に足をつけたころには、既に名もなき賊たちはボロボロで、感心なことにまだ数人が何とか立っているだけだ。
フランキーは担いでいた大きな木箱を足元に下ろして戦況を見渡し、ん?とある一点に目を止めた。
 
 
「オイっ、なんだその猫はっ」
 
 
フランキーが指さした先に、全員が視線をやる。
ロビンがあらと呟いた。
甲板の隅にいたはずの仔猫は、いつのまにか奔放と闘いの中を歩いていた。
 
 
「おいお前っ、危ねぇぞ!」
 
 
チョッパーが慌てて走り寄るが、満身創痍の敵の一人が気付く方が早かった。
 
 
「んだぁこのチビは、邪魔くせぇ!」
 
 
男が足を振り上げる。
みっ、と鳴き声ともつかない声が全員の耳に貼りついた。
小さな黒い点が、ひゅんと真横に飛ぶ。
その身体はちょうどフランキーの腹部にぶつかった。
フランキーが呆気にとられて固まった間に、仔猫はフランキーの身体からぽとんとはがれ落ちた。
動かない。
 
 
「っあああ」
 
 
仔猫へと手を伸ばしかけていたチョッパーは、そのまま人型へと変わり大きな拳で男を殴り飛ばした。
男は声を発する隙もなく、欄干を超え海へと落ちる。
リーダー格らしいその男の姿が消えると、残っていた男たちは蜂の子を散らしたように慌てふためき始めた。
逃げようと自ら海へ飛び込む者もいる。
彼らの足はゾロの飛ぶ斬撃によって掬われ、あっという間に船の外へと吹き飛んだ。
残るのは一味と、甲板の上に横たわる手のひらほどの大きさしかない小さな死骸。
フランキーは腹にぶつかった小さな衝撃の原因を、唇を引き結んで見下ろしていた。
 
 
 
【慣れすぎた女】
 
 
ナミがすたすたと無言で歩み寄り、フランキーに向き合うように立ち止まった。
視線は足元に落ちている。
ナミの手がふらりと揺れる。
その手は横たわる黒猫に向かって伸びたかのように見えた。
しかしナミはしゃがみこむことなく、伸びかけたその手もぎゅっと握りしめた。
 
 
「…だから言ったでしょう」
 
 
ナミの背中を見て、チョッパーがぽろぽろ涙をこぼした。
食いしばる歯に伝わる震えから悔しさがにじみ出る。
ウソップがチョッパーの頭を軽く撫でた。
 
ナミは迷いのない足取りで、猫の死骸から踵を返した。
 
 
「その辺で伸びてる残った奴ら、適当に海へ捨てといてちょうだい。その猫も、グロテスクな内臓なんて見たくないわ」
 
 
ナミさん、とサンジが迷うような声をかける。
横たわる猫の口からは確かに、衝撃で飛び出た臓器が覗いて血が滲みだしていた。
ナミはサンジの声を無視して足を止めない。
そうしてロビンの隣を横切り船室へと引っ込もうとしたその時、ナミの髪を花の香りがする風が揺らした。
 
 
「こういう血には慣れてるし」
 
 
ナミが振り向くと、ロビンの背中とフランキーの足元に生えた白い手が二本、猫の身体を持ち上げているのが見えた。
つうっとその白い肌を下へ下へと赤い筋が伝う。
 
 
「私にはたくさん手があるから、汚れても平気なの」
 
 
お墓を作りましょうね、と穏やかに微笑むロビンの背中に、ナミは子供のように泣きついた。
 
 
 
 

 
小さな街の、猫がたくさんいる港。
そこで唯一護岸工事のされていない狭い浜辺に小さな穴を掘った。
木の枝で組まれた十字の横で、みかんの枝がかさかさと潮風に揺れている。
 
 

 
 
とあるやさしい海賊のはなし

拍手[21回]

≪ 前のページ   |HOME|   次のページ ≫
material by Sky Ruins  /  ACROSS+
忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2025/11 12
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
フリーエリア

 麦わら一味では基本オールキャラかつサンナミ贔屓。
白ひげ一家を愛して12416中心に。
さらにはエース女体化でポートガス・D・アンとマルコの攻防物語。



我が家は同人サイト様かつ検索避け済みサイト様のみリンクフリーとなっております。
一声いただければ喜んで遊びに行きます。

足りん
URL;http;//legend.en-grey.com/
管理人:こまつな
Twitter


災害マニュアル

プロフィール
HN:
こまつな
性別:
女性
バーコード
ブログ内検索
カウンター